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国際政治・世界事情

1とはずがたり:2005/05/23(月) 02:47:11
世界情勢・世界史ネタなど
軍事問題は安全保障論http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1043205301/l10を国際経済問題は国際経済学http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/l10を参照の事

4341チバQ:2012/05/20(日) 16:32:10
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120516/mds12051612340002-n1.htm
【同胞団の野望】
エジプト大統領選(上) 終焉告げる軍部との蜜月
2012.5.16 12:31 (1/3ページ)

2011年7月、ムスリム同胞団傘下「自由公正党」の結党パーティーは、同胞団と体制側が最も近づいた場だった。団長バディーア(左から2人目)の左右には当時の内相と副首相が並んだ
 エジプトの首都カイロを一望するモカッタム丘陵に建つ同国最大のイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団の本部。その会議室で3月31日、議決機関マジュリス・シューラー(諮問評議会)のメンバーら百数十人が疲労の色を浮かべていた。

 5月の大統領選に候補者を擁立するか否か。前の2度の会議では結論が出ず、3度目となるこの日も議論は6時間超に及んだ。

 同胞団が大統領の座を目指せば、国政の全権を握る軍部を刺激するのは間違いない。イスラム法(シャリーア)に基づく統治を志向していると警戒されているからだ。

 「時期尚早ではないか」。同胞団はもともと、今回の大統領選に候補は出さないとしていたこともあって反対意見は強硬だった。

 だが、すでに副団長ハイラト・シャーティルの擁立を決めていた指導部は、反対派を切り崩し賛成56−反対52の僅差で承認を勝ち取った。反対派の前団長マフディー・アーキフはこの時、悔しさで涙さえ流したという。

 組織内でも意見が二分される、権力奪取への意思表示。同胞団が“ルビコン川”を渡った瞬間だった。


政権崩れ利害が一致


 民衆デモの高まりでムバラク政権が崩壊した昨年2月以降、軍部と同胞団の関係は、かつてなく良好だった。

 同国有数の政治・社会組織でありながら、「非合法団体」としてしばしば弾圧の対象となってきた同胞団にとり、政権崩壊後の混乱は勢力拡大の絶好機だった。

 一方、軍部に代表される体制側にとって最大の懸念は「前政権で保証されてきた利権が脅かされること」(旧与党・国民民主党の元有力幹部)にある。これ以上のデモ拡大を防ぐには、強固な組織力で反ムバラクデモにも大きな役割を果たした同胞団を体制側に取り込む必要があった。

 昨年7月、カイロの高級ホテルで催された同胞団の傘下政党「自由公正党」の結党パーティーは、両者が最も近づいた瞬間だった。

 同胞団第8代団長ムハンマド・バディーアと並んで座った当時の内相が、祝福の言葉とともにバディーアの手を握ると、会場にかすかなどよめきが広がった。ある古参メンバーは「敵だった治安機関トップと団長が握手するなんて…信じられない」とつぶやいた。この時点で当局と同胞団の利害は一致していたのだ。

 カイロなどでは反軍政を掲げる若者グループのデモが続いたが、当局はこれを「外国の手先」と呼び、締め付けを強化。同胞団は歩調を合わせてデモ隊と距離を置いた。

 そうして迎えた同年11月からの議会選で、自由公正党は第一党に躍進する。

4342チバQ:2012/05/20(日) 16:32:26
選挙勝利で狂う歯車


 中東・北アフリカの長期独裁政権が相次いで倒れた「アラブの春」は、同地域の権力構造を大きく揺さぶった。チュニジアでは同胞団の流れをくむイスラム政党が主導する政権が誕生、イエメンやリビアでも同胞団系を含むイスラム勢力が力を伸ばした。

 同胞団発祥の地エジプトでの議会選勝利により、同胞団はわが世の春を迎えたかに見えた。

 しかし、歯車は狂い始める。

 同胞団主導の議会が2月、世俗主義派の強い反対を押し切り新憲法起草委員会メンバーの大半をイスラム勢力から任命したのに対し、軍部は3月、議会解散をほのめかすなど同胞団との対決姿勢を強めたのだ。

 同胞団の独自候補擁立は混迷する。そのカリスマ性から大統領選の「本命」ともいわれたシャーティルは選管当局の資格審査で失格となり、同胞団は現在、組織内序列で格が下の自由公正党党首ムハンマド・モルシーを立てて選挙戦を戦う。

 「同胞団と軍の蜜月は終わった」。政府系シンクタンクのイスラム専門家ディヤー・ラシュワーンはこう断言した。=敬称略





 「アラブの盟主」と呼ばれるエジプトの大統領選が23日始まる。アラブの春を経た地域大国はどこに向かうのか。その鍵を握るのがムスリム同胞団だ。秘密結社的な性格を保ちながら権力への野心をあらわにし始めた同胞団を追った。(カイロ 大内清)





【用語解説】ムスリム同胞団

 エジプトの小学校教師ハサン・バンナーが1928年、イスラム教に基づく社会・政治改革を目指して創設した組織。19世紀以降、西洋の帝国主義と社会の西欧化への反発から発展したイスラム復興運動を代表する存在で、影響はイスラム世界各地に広がった。同国では54年に非合法化されたが、教育や福祉などの分野で草の根活動を展開。ムバラク政権下では議会に無所属議員を多数送り込む事実上の最大野党だった。加入に厳しい審査を課し、秘密結社的性格を持つ。団員数は10万人から数十万人とされる。

4343チバQ:2012/05/20(日) 16:32:54
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120517/mds12051712370001-n1.htm
【同胞団の野望】
エジプト大統領選(中) 真価問われる「大衆組織」
2012.5.17 12:33 (1/2ページ)

今月2日、カイロ市内で衝突した反軍政デモ隊と体制支持派。同胞団は軍部との対立を深めているが、デモ隊側も同胞団に対する不信感を募らせている(大内清撮影)
 「過去に繰り返された過ちと教訓を忘れないように」

 「ムバラク後」のエジプトで全権を握る軍部が3月25日、発表した声明には、こんな一文が盛り込まれていた。

 先の議会選での圧勝で勢いに乗る同国最大のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団はこのとき、ガンズーリ内閣の退陣要求とともに、軍部批判をも強めていた。声明はこれに対する反論という形で、内閣支持を改めて表明したものだった。

 全体の表現自体は穏当なものだったが、同胞団には少なからず動揺が広がった。元団員で現在は民間シンクタンクの研究員を務めるアブドルラフマン・アッヤーシュは「要求をエスカレートさせ始めた同胞団への、露骨な脅迫だ」と解説する。

 「過去の教訓」とは何を意味するのか。


■  ■


 1952年、クーデターで王政を打倒した陸軍中佐ナセル(後に大統領)は、協力関係にあった同胞団を旧支配層への対抗手段に利用したが、権力基盤が固まった54年、同胞団員によるとされる自身への暗殺未遂事件を機に同胞団の弾圧に乗り出した。

 70年、ナセルの急死で大統領に就任したサダトは、同胞団員の釈放を進めるなど、イスラム勢力と接近した。社会主義的なナセル路線からの転換を図る上で、体制内左派に対抗する必要があったためだ。

 しかし、サダトがイスラエルとの和平路線にかじを切ったことなどから、「反イスラエル」を掲げる同胞団との関係は急速に悪化。サダトは81年の暗殺直前、団員の大量逮捕に踏み切っている。

 軍部の声明は同胞団に、時の権力者との接近と、それによる手痛いしっぺ返しを繰り返してきた記憶を呼び起こさせるものだったのだ。前副団長で現在は組織を離れているムハンマド・ハビーブは言う。「これから、同じことが起きても不思議はない」


■  ■


 首都カイロで今月2日、大統領選の資格審査で失格となったイスラム主義弁護士の支持者らによる抗議を引き金に、反軍政デモ隊と体制支持者が衝突し数百人が死傷する事件が起きた。

 この審査では、同胞団が本来擁立するはずだった副団長ハイラト・シャーティルも失格となっている。だが、デモ隊に同胞団への同情論はまったくない。

 昨年2月の政変後、同胞団が軍部との関係を優先しデモに距離を置いたこともあり、民主化運動は勢いを失った。それを忘れていないデモ参加者の一人は「同胞団は信用できない」と吐き捨てた。

 過激なデモには冷ややかな目を向ける多くの一般市民の間にも、同胞団に批判的な意見が広がる。移ろいやすい世論は今、同胞団に逆風として吹きつつある。

 他方、たび重なる弾圧にもかかわらず、同胞団が生き延び、着実に勢力を伸ばしてきたのは、安価な医療サービスの提供や貧困層への生活支援などを通じて社会への浸透を図ってきたからだ。同胞団指導部にとって議会選での躍進はその当然の帰結であり、軍部からの圧力が強まるのを承知で大統領選への“参戦”を決意した自信の源になっている。

 大統領選は、「庶民に根を張った大衆組織」(幹部)を自負する同胞団の真価が問われる場でもある。=敬称略(カイロ 大内清)

4344チバQ:2012/05/20(日) 16:33:31
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120518/mds12051808260000-n1.htm
【同胞団の野望】
エジプト大統領選(下) 解かれた“封印” 消えぬ路線対立
2012.5.18 08:25 (1/3ページ)
 エジプト最大のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団で、団長を含む指導部の改選期にあたった2009年末、副団長(当時)ムハンマド・ハビーブは孤立と屈辱を味わっていた。最高幹部の一人でありながら、新メンバー選出の投票日を知らされなかったのだ。

 「もう居場所はない」。同胞団内で「改革派」寄りとされていたハビーブはこう悟り、引退を決意した。

 同じ時期、改革派の中心人物で若手・中堅に人気があったアブドルムネイム・アブールフトゥーフも、やはり追い出されるように指導部を去った。昨年、正式除名されたアブールフトゥーフは今、大統領選に出馬し有力候補の一人である。

 政敵を排除し指導部を掌握したのが、現団長ムハンマド・バディーアらの一派だった。そして彼らは、「ムバラク後」初の大統領選で権力奪取をうかがう。その野望の一端を知るのに鍵となるのが、同胞団のかつてのイデオローグ、サイイド・クトゥブだ。


□ □


 国家転覆を企てたとして1965年に逮捕され、翌年処刑されたクトゥブは、イスラム法(シャリーア)の統治により、人民主権ではなく「神の主権」を確立することを主張、強い信仰で結ばれた「前衛集団」が先兵となるべきだと説いた。専門家はそこに、「職業革命家の前衛党による権力奪取を唱えたレーニンの影響がある」と指摘する。

 当時、これに共鳴した同胞団員らが結集、クトゥブ自身が統率したとも、指導者に祭り上げられただけだともいわれる集団は、「65年組織」と呼ばれた。現在、指導部中枢にいるバディーアら少なくとも3人は、その出身者である。

 クトゥブの著作は、80〜90年代に武装闘争を展開したイスラム過激派の理論的根拠として利用されたこともあり、その後の同胞団ではクトゥブ思想の“封印”が図られてきた。

 しかし「ムバラク後」の今、変化が生まれている。副団長ラシャード・バイユーミは「クトゥブ思想は同胞団そのものだ」と言う。クトゥブを語る“ためらい”はなくなっているのだ。


□ □


 2007年、「女性やキリスト教徒は大統領になれない」とする同胞団の政策綱領案がリークされ、物議を醸した。当時、改革派の筆頭だったアブールフトゥーフはこの文言に抵抗し、それが後の除名の伏線にもなった。

 同胞団内のアブールフトゥーフ人気は今も高く、大統領選が決選投票にもつれ込んだ場合、同胞団の公式候補ムハンマド・モルシーとの連携も取り沙汰される。半面、「指導部が自らの立場を守るためにもそれだけは許さない」(関係者)ともいわれる。路線対立の火種は消えていないのだ。

4345名無しさん:2012/05/20(日) 16:33:46
 昨年発足した同胞団傘下、自由公正党の綱領ではこの文言が消え、穏健さを強調した内容に書き換えられた。ただ、バイユーミは記者(大内)にこんな本音も漏らしている。「エジプト大統領は、全国民のイマーム(イスラム教の導師)でなくてはならない」

 同胞団はなお、目指す国家像をつまびらかにはしていない。=敬称略(カイロ 大内清)


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