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国際政治・世界事情

4344チバQ:2012/05/20(日) 16:33:31
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120518/mds12051808260000-n1.htm
【同胞団の野望】
エジプト大統領選(下) 解かれた“封印” 消えぬ路線対立
2012.5.18 08:25 (1/3ページ)
 エジプト最大のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団で、団長を含む指導部の改選期にあたった2009年末、副団長(当時)ムハンマド・ハビーブは孤立と屈辱を味わっていた。最高幹部の一人でありながら、新メンバー選出の投票日を知らされなかったのだ。

 「もう居場所はない」。同胞団内で「改革派」寄りとされていたハビーブはこう悟り、引退を決意した。

 同じ時期、改革派の中心人物で若手・中堅に人気があったアブドルムネイム・アブールフトゥーフも、やはり追い出されるように指導部を去った。昨年、正式除名されたアブールフトゥーフは今、大統領選に出馬し有力候補の一人である。

 政敵を排除し指導部を掌握したのが、現団長ムハンマド・バディーアらの一派だった。そして彼らは、「ムバラク後」初の大統領選で権力奪取をうかがう。その野望の一端を知るのに鍵となるのが、同胞団のかつてのイデオローグ、サイイド・クトゥブだ。


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 国家転覆を企てたとして1965年に逮捕され、翌年処刑されたクトゥブは、イスラム法(シャリーア)の統治により、人民主権ではなく「神の主権」を確立することを主張、強い信仰で結ばれた「前衛集団」が先兵となるべきだと説いた。専門家はそこに、「職業革命家の前衛党による権力奪取を唱えたレーニンの影響がある」と指摘する。

 当時、これに共鳴した同胞団員らが結集、クトゥブ自身が統率したとも、指導者に祭り上げられただけだともいわれる集団は、「65年組織」と呼ばれた。現在、指導部中枢にいるバディーアら少なくとも3人は、その出身者である。

 クトゥブの著作は、80〜90年代に武装闘争を展開したイスラム過激派の理論的根拠として利用されたこともあり、その後の同胞団ではクトゥブ思想の“封印”が図られてきた。

 しかし「ムバラク後」の今、変化が生まれている。副団長ラシャード・バイユーミは「クトゥブ思想は同胞団そのものだ」と言う。クトゥブを語る“ためらい”はなくなっているのだ。


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 2007年、「女性やキリスト教徒は大統領になれない」とする同胞団の政策綱領案がリークされ、物議を醸した。当時、改革派の筆頭だったアブールフトゥーフはこの文言に抵抗し、それが後の除名の伏線にもなった。

 同胞団内のアブールフトゥーフ人気は今も高く、大統領選が決選投票にもつれ込んだ場合、同胞団の公式候補ムハンマド・モルシーとの連携も取り沙汰される。半面、「指導部が自らの立場を守るためにもそれだけは許さない」(関係者)ともいわれる。路線対立の火種は消えていないのだ。


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