したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

自公保観察スレ

1とはずがたり:2003/10/25(土) 00:05
自民党
http://www.jimin.jp/
公明党
http://www.komei.or.jp/
保守新党
http://www.hoshushintoh.com/

5937名無しさん:2009/09/06(日) 20:39:53
まさか首班指名のリリーフにも名前が出るとは!

5938とはずがたり:2009/09/06(日) 21:14:25
おおw
>若林正俊両院議員総会長への投票を提案した。

5939まついかづよでっすぅ ◆IYPE50CVp6:2009/09/06(日) 22:15:49
困ったときの若林頼みキターーーーーーーーーーー!!!!!!!!wwwwwwwwwwwww
__________

石破氏、首相指名「白票投票」に反対 与謝野氏らを提案
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200909060103.html
2009年9月6日19時32分
白票以外の対応策として、昨秋の総裁選2位の与謝野財務相や若林正俊両院議員総会長への投票を提案した。

5940チバQ:2009/09/06(日) 23:04:13
中山、河野、海部が当選していれば...と前に書きましたが、リリーフ若林の存在はすっかり忘れていました。
全国 数百人の政局ウオッチャーのために若林で投票を!!

5941名無しさん:2009/09/07(月) 06:23:01
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/09/07/06.html
あいさつもしない麻生首相…選挙前後では別人

2日、いら立った表情で記者の質問に答える麻生首相
Photo By 共同
 退任まで秒読み段階に入った麻生太郎首相。ひっきりなしに官邸に訪れていた来客も衆院選後は少なくなり、残された公務のほか、支援を求めた各種団体への“おわび行脚”などを粛々とこなす日々が続く。ただ、自民党惨敗のショックは癒えていない様子で「負けた悔しさを今も口にしている」(首相周辺)。

 歩き方に以前のようなはつらつさは消え、記者団のあいさつにも応えなくなった。周辺は「遊説で全国を飛び回った疲れがまだ相当残っている」と釈明する。記者団から後継総裁選に関する質問が出ると、「聞くべき相手は幹事長だ。頭の整理できた?」といら立ちをあからさまにした。

 1993年当時、非自民連立政権誕生で退陣に追い込まれた宮沢喜一首相は、唐詩選の「一片の氷心、玉壺(ぎょっこ)に在り」を披露し、澄み切った気持ちを表現した。政権を去る時、麻生首相がそんな心境に達することができるかは微妙のようだ。

[ 2009年09月07日 ]

5942名無しさん:2009/09/07(月) 06:25:30
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090907-OHT1T00010.htm
麻生首相、傷心グルメツアー!?
 選挙後初のぶら下がり会見で記者に八つ当たり気味に話し、世間をあきれさせている麻生太郎首相(68)。退任まで秒読み段階に入った首相に訪問者は少なく、官邸はひっそりと静まりかえっている。メディアの前にも姿を現さず粛々と公務をこなす日々だが、食欲は旺盛で9月に入り都内の有名店を次々に訪問。美食傾向は戻ってきた。かつて批判を浴びた「ホテルのバー通い」も復活する日は近そうだ。

 衆院選から1週間。ひっきりなしに官邸に訪れていた来客もめっきり少なくなった。麻生首相は残された公務や選挙後のあいさつ回りなどを、粛々とこなす日々が続いている。ただ、自民党惨敗のショックは癒えていない様子で「負けた悔しさを今も口にしている」(首相周辺)という。

 麻生首相は衆院選結果を受け、8月31日に自民党総裁辞任を正式表明。翌9月1日は政府の総合防災訓練を視察した。3日には衆院選で支援を求めた都内の各種団体約20か所を訪ね、頭を下げた。7日も「おわび行脚」を続ける予定だ。

 歩き方に以前のようなはつらつさは消え、記者団のあいさつにも応えなくなった。周辺は「遊説で全国を飛び回った疲れがまだ相当残っている」と釈明する。

 2日には、記者団が自らの後継を決める総裁選に関する質問をすると、“逆ギレ”。「聞くべき相手は幹事長だ。頭の整理できた?」といら立ちをあからさまにした。そのあまりの態度の悪さには、党内からも不快感を表す声が続出した。

 もはや孤立無援の麻生首相だが、食欲は旺盛なようだ。1日は東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」、2日は東京・東麻布のレストラン「タワシタ」、5日は東京・銀座の中国料理店「福臨門酒家」など、9月に入り次々に有名店を来訪。周辺に「ホテルのバーは、いつから行っていいのか?」と聞いたとも、一部では報じられている。

 1993年当時、非自民連立政権誕生で退陣に追い込まれた宮沢喜一首相は、唐詩選の「一片の氷心、玉壺に在り」を披露し、澄み切った気持ちを表現した。政権を去る時、麻生首相がそんな心境に達することができるかは微妙だ。

(2009年9月7日06時03分 スポーツ報知)

5943名無しさん:2009/09/07(月) 06:38:50
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090907t51009.htm
揺らぐ自民山形県連 国政・県政「野党」に危機感

 衆院選で自民党が政権から転落し、同党山形県連は国政、県政とも事実上の野党になった。県連は県議会(定数44)で32議席を擁するが、影響力の源だった「政権与党」の威光を今回の選挙で失った。県連内では、執行部が民主党候補を支援した吉村美栄子知事との対決姿勢を強めるのに対し、一部議員から「次の県議選を戦えるか」という揺らぎも出始めた。(山形総局・今里直樹)

<神経を逆なで>
 「知事が相手候補を支援したのは残念だった。県議会9月定例会では、いろいろな議案が出される。しっかり対応する」

 今井栄喜県連幹事長は選挙戦の総括をした2日の議員総会後、吉村知事に「宣戦布告」をした。「いろいろな議案」には、吉村知事が1月の知事選で公約した「副知事1人制」の実現に絡む条例改正案が含まれていることは明らかだった。

 山形1区で、自民党候補は民主党候補に1291票差で競り負けた。民主陣営は勝因の一つに「吉村知事の投入」(選対幹部)を挙げ、自民陣営の神経を逆なでした。

 29日開会する9月定例会を前に、吉村知事に近い県議は「自民の怒りは本物だ」とかたずをのむ。不安を見透かすように、自民党のベテラン県議は「選挙後の後始末は覚悟してほしい」と戦略を巡らしている。

 「9月には大変な議会が待っている」
 吉村知事自身も選挙期間中、民主党候補の事務所で不安を漏らし、周囲から「自民党は野党になるから心配するな」と激励される場面があった。

<会派分裂含み>
 強硬一辺倒に映る自民党だが、大きな「内憂」を抱えていることも事実だ。むしろ「『吉村知事と対決している場合か』という声も少なくない」(中堅県議)という。

 この県議が戦々恐々として解説する。「県政で野党、国政でも野党になった。これでは地元に利益をもたらせず、再来年の県議選を戦えない」

 別の3期目の県議は「今回の選挙結果では会派を割った方が得と考える議員もいる。執行部が吉村知事と対決すればするほど、求心力を失っていくだろう」と執行部の姿勢を危ぶんだ。

 自民党会派内で吉村知事に対する強硬派と穏健派は「半々ぐらい」といわれる。実際、今年3月の議長選では、会派の予備選で執行部の本命候補が敗れ、吉村県政に柔軟姿勢の議員が小差で勝つ波乱があった。当時、県連幹部は「(反発勢力の)『ガス抜き』になった」と複雑な表情を浮かべたが、若手県議は「(不満は)これだけでは晴れない」と分裂含みの会派運営を予言している。

 第三者的立場で県議会の行方を見守る首長の一人は「来夏の参院選を考えれば、自民党の強硬姿勢は得策かどうか。吉村知事も自民党も大人の付き合いが必要だ」と今後の成り行きを注視する。

 自民党の惨敗で生じた国政の転換。「政権選択」の劇的な選挙結果が、山形県の政治構造に落とした影は小さくない。

2009年09月07日月曜日

5944名無しさん:2009/09/07(月) 06:49:14
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/5476-5477n
ネガティブキャンペーン:衆院選 自民党、注目集めて票集まらず…?

毎日新聞 2009年9月7日 東京朝刊

5945とはずがたり:2009/09/07(月) 18:22:13
Kyoto Shimbun 2009年9月7日(月)
自民津島派会長に額賀氏
8日に正式決定
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009090700130&genre=A1&area=Z10

 自民党津島派(平成研究会)は7日、幹部会を開き、政界引退した津島雄二会長の後任に額賀福志郎会長代理が就任する方針を決めた。8日の総会で正式決定する。

 額賀氏は幹部会後、都内で記者団に「平成研のスタート時から長年、同僚や先輩議員の指導を受けてきた。国難的な状況の中で十分に意見交換をし、国民の期待に応えたい」と抱負を述べた。
 額賀氏は衆院当選9回。防衛庁長官、自民党政調会長、財務相などを歴任し、津島派では2006年9月からナンバー2の会長代理を務めていた。(共同通信)

5946名無しさん:2009/09/07(月) 20:27:58
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/120162

自民県連が衆院選総括 危機訴える意見相次ぐ 代表役員会 会長は続投の意向
2009年9月7日 09:23 カテゴリー:九州 > 佐賀

自民党県連の代表役員会であいさつする今村雅弘県連会長(中央) 自民党県連(会長・今村雅弘衆院議員)は、6日に佐賀市内で開いた衆院選後初の代表役員会で選挙戦を総括した。県内3小選挙区のうち1、2区を民主党に奪われたことを受けて、出席者からは「有権者の中で大きな地殻変動が起きていることを、われわれはきちんと受け止め、党再生に臨まなければならない」などと危機を訴える意見が続出。県連幹部の責任論にも議論が及んだ。

 14人が出席した代表役員会は冒頭だけを報道陣に公開し、議論のやりとりは非公開だった。約2時間の会合後、今村会長と木原奉文幹事長の2人が会見。今村会長や幹事長、総務会長、政務調査会長の県連三役の進退に質問が及ぶと、木原幹事長は「(出席者からは)辞任、続投両方の意見が出た」と明かした。自身の進退について、今村会長は「新しい党をつくるのがこれからの私の努めだ。それまでは辞めるつもりはない」と述べた。

 木原幹事長は、12日に約160人を集めて佐賀市で開く「市町村支部長・幹事長及び職域支部長会議」について、「厳しい意見が出ることは覚悟している。われわれはそれを受け止めたい」と話し、今村会長も「多くの意見を基にこれから党や県連がどうすべきか、どう再起を図っていくかを考えたい」と語った。

 今村会長は最後に「総選挙の結果から自民党への不信感を痛感したが、これは国の厳しい財政や諸制度に生じたきしみも影響している。こうした客観的情勢は民主党政権になっても変わらない」との持論も披露した。

=2009/09/07付 西日本新聞朝刊=

5947名無しさん:2009/09/07(月) 20:38:23
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090700013

新代表に山口氏内定へ=公明
 公明党は7日午後、党本部で中央幹事会を開き、衆院選惨敗の責任を取って辞任する太田昭宏代表の後任に、山口那津男政調会長を起用することを内定する。これを受け、8日の全国代表者会議で正式に山口氏を代表に選出、新執行部が発足する。
 また、北側一雄幹事長の後任には、党務に精通し支持母体の創価学会の信頼が厚い井上義久副代表を起用。政調会長には麻生内閣で地球温暖化対策に取り組んだ斉藤鉄夫環境相を充てることが固まっている。 (2009/09/07-06:00)

5948名無しさん:2009/09/07(月) 20:43:32
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009090702000080.html

自民総裁選、地方主導に 初めて国会議員票上回る
2009年9月7日 朝刊

 自民党総裁選(十八日告示−二十八日投開票)は党員投票の実施が決まったことで、衆院選惨敗で激減した国会議員票(二百票)を、三百票ある地方票が初めて上回ることになった。都道府県連の中には、参院議員も含めて国会議員ゼロの“完全空白”地域も生じており、国会議員の影響力は大幅に薄れた形。顔触れが決まれば、後継選びの主導権は地方が握りそうだ。 (金杉貴雄)

 党執行部は当初、党員投票を見送り、地方票は各都道府県連代表三人ずつの計百四十一票にとどめる方針だった。この理由を細田博之幹事長は「時間が足りない」と説明していた。

 しかし、一日の役員連絡会でも見送りに反対論が続出し、一転して党員投票の実施が決定。細田氏は記者会見で「(実施方法が変わることで)本質的に期間に違いはない」と釈明したが、当初の見送り方針の背景には「地方票が議員票を上回るのはおかしい」との思いが執行部内にあったとみる向きが強い。

 党員投票のやり方は三百票のうち基礎票として三票ずつを各県連に配分。残りの百五十九票は党員数に比例して各県連に割り当てられる。

 割り当てられた地方票は、各県連ごとの党員投票数に応じ、ドント式と呼ばれる計算式で、各候補者の得票として振り分けられる仕組みだ。

 このため、党員投票の結果は必ずしも国会議員の意向通りにならない。

 加えて、衆院選では埼玉、静岡、愛知、長崎、大分など計十三県の小選挙区で全敗。このうち岩手、山梨、新潟、長野、滋賀、沖縄の六県では、比例復活組もおらず、衆院議員がいなくなった。岩手、山梨、滋賀の三県には、参院も含めて自民党議員がゼロだ。

 こういった地域では国会議員や落選組が影響力を行使するのは難しく“威光”は先細るばかりだ。

 衆院選で歴史的惨敗を喫した自民党。総裁選を前にあらためて、その「傷の深さ」を感じ取っているかもしれない。

5949名無しさん:2009/09/07(月) 20:45:57
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2009/09/8093.html

山崎竜男さんしのび関係者500人が献花/青森


 8月15日に87歳で亡くなった元国務大臣環境庁長官で医学博士の山崎竜男さんを偲(しの)ぶ会が6日、青森市のホテルで開かれ、約500人が参列、花を手向けて故人をしのんだ。
 山崎さんは1968年から参院議員を4期務め、参院文教常任委員長や自民党両院議員総会長を歴任、89年に環境庁長官に就任した。政界引退後の2006年には叙勲旭日重光章を受章した。
 会では大島理森自民党県連会長が「環境政策や日本と台湾の友好関係、リンゴの台湾輸出に大変な貢献をされた。また若い政治家を指導、自民党県連の歴史をつくっていただいた」と功績をたたえ、「われわれ後輩やご遺族を天界で見守り、叱咤(しった)激励をいただければ」と語り掛けた。
 喪主で長男の力さんは「苦しむことなく穏やかな死に方だった。本人は孫に恵まれ、夢もかなえ、幸せだったと言えるのではないか」と声をつまらせ、参列者に感謝した。
 同日は政界関係者や自治体関係者、医療関係者らが多数参列。生前の山崎さんの語りとハーモニカ演奏が流される中、次々と献花して哀悼の意を示した。

5950名無しさん:2009/09/07(月) 20:48:07
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090701000301.html

公明、山口那津男代表が内定 新執行部8日に発足
 公明党は7日午前、党本部で常任役員会を開き、衆院選敗北の責任を取って辞任する太田昭宏代表(63)の後継に山口那津男政調会長(57)を内定した。新執行部は8日の全国代表者会議で信任を得て発足する。

 辞任する北側一雄幹事長(56)の後任に井上義久総合選対本部長(62)、政調会長には斉藤鉄夫環境相(57)を充てる。漆原良夫国対委員長(64)は留任する。

 7日午後の中央幹事会で山口氏を代表に推薦することを決定。8日の全国代表者会議後、山口氏が井上幹事長らを指名する運びだ。

 公明党は来年夏の参院 参院選を「支持母体の創価学会の設立80周年にあたり、絶対に負けられない戦い」(幹部)と位置付けており、山口氏については「創価学会の活動歴は少ないが、弁が立ち、国会論戦でも存在感を示すことができる」(同)と、選挙の“顔”として期待している。

 民主党政権に対しては「柔軟な姿勢」で臨み、社会保障政策などで実績を挙げて党の独自性を発揮したい考えだ。

 山口氏は東大卒。弁護士を経て1990年、衆院旧東京10区から初当選。96年と2000年の衆院選で落選。01年の参院選で東京選挙区から当選し現在2期目。08年から党政調会長を務めている。

2009/09/07 12:57 【共同通信】

5951チバQ:2009/09/07(月) 20:50:04
http://www.asahi.com/politics/update/0907/TKY200909070285.html
派閥会長に額賀氏 自民第2派閥・青木色強まる
2009年9月7日20時4分

 自民党第2派閥の津島派(37人)は7日の幹部会で、引退した津島雄二会長の後任に額賀福志郎会長代理を充てる人事を決めた。同派の衆院議員は総選挙後、14人に激減。派内は参院議員が3分の2を占めるため、額賀氏の後見人的存在である青木幹雄前参院議員会長の影響力が強まりそうだ。

 津島派は衆院議員数では党内第4勢力に没落。旧田中派から連なる権力派閥の面影は消えた。

 額賀氏は小渕、森内閣当時、青木官房長官の下で副長官を務めた。故・竹下、小渕両元首相と、青木氏、森元首相ら重鎮を早大雄弁会の先輩に持つこともあり、派内で「プリンス」と呼ばれた。だが、過去3回の総裁選で立候補を模索しながら断念してきた経緯がある。

 額賀氏は今回、小選挙区で落選し比例復活したため求心力が低下、総裁候補に推す声は広がらない。石破農水相や鳩山邦夫前総務相ら離党経験のある「外様」を抱え、「額賀派」として一体感をどう確保していくかが今後の課題になる。

5952チバQ:2009/09/07(月) 20:56:12
http://www.asahi.com/politics/update/0907/TKY200909070277.html
自民ベテラン主導の総裁選に危機感 中堅若手が会合
2009年9月7日20時2分

 自民党の中川秀直、武部勤元幹事長や塩崎恭久元官房長官と中堅・若手十数人が7日、東京都内で集まり、8日の両院議員総会や16日の特別国会での首相指名への対応について意見交換した。総裁選を党重鎮や派閥が主導することへの懸念が出たほか、独自の総裁候補擁立も含め若手主導で党再生を進めるべきだとの意見も出た。

 会合は中川氏の呼びかけで開かれた。出席者によると、会合では「若手が前面に出るべきで、ベテラン議員は後ろに下がってもらいたい」「若手から総裁候補を出した方がよい」などの発言が出た。具体的な「総裁候補」の名前は出なかったが、党重鎮や派閥幹部主導の総裁選には強い懸念が相次いだという。

 会合では、16日の首相指名での対応も協議。白紙で臨むほか、党両院議員総会長の若林正俊氏や、野田毅・総裁選管理委員長など、暫定的な「党代表」の名前を書く案も示されたが、まとまらなかった。

5953名無しさん:2009/09/07(月) 20:57:06
へ〜。
>山口氏は政策に明るく、特に外交・安全保障分野に精通している。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090907-OYT1T00560.htm
公明代表に山口氏内定、8日に正式選出へ
政権交代
 公明党は7日午前の常任役員会で、衆院選の敗北で引責辞任する太田代表の後任に、参院議員の山口政調会長(57)を充てる人事案を内定した。


 午後の中央幹事会で決定し、8日の全国代表者会議で正式に選出する予定だ。

 山口氏は政策に明るく、特に外交・安全保障分野に精通している。太田氏より6歳若い山口氏に世代交代し、来年の参院選に向けて、党の出直しを目指す。

(2009年9月7日13時01分 読売新聞)

5954名無しさん:2009/09/07(月) 21:16:48
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090907/stt0909071846011-n1.htm

【産経FNN世論調査】自民敗因は「党の体質」に? (1/2ページ)
2009.9.7 18:45

このニュースのトピックス:自民党
 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、衆院選の自民党大敗の原因を探ったところ、麻生太郎首相への批判とともに、自民党そのものへの批判が有権者に広がっていたことが分かった。党の体質改善を求める有権者の声に、どのように答えるかが今後の自民党再生のカギとなりそうだ。

 自民党の敗因を聞いたところ「麻生首相の判断や言動」(29・5%)がトップだったが、ほかにも「自民党の実績への評価」(28・9%)、「麻生首相以前の首相の判断や言動」(19・6%)、「個々の候補者の政治姿勢」(10・3%)などが挙げられた。マニフェスト(政権公約)が注目を集めた衆院選だったが、「自民党の政権公約の内容」を敗因としたのはわずか6・4%だった。

 自民党批判の傾向は来夏の参院選対応を尋ねた設問にも出ており、59・1%が「民主党など新しい与党に勝たせたい」と回答。「自民党などに勝たせたい」とした人は33・0%だった。特に支持政党を持たないいわゆる無党派層では5割が「民主」、3割が「自民」と回答した。無党派層をいかにして取り込むかが参院選勝利へのポイントになりそうだ。

 調査では、連立政権のパートナーである公明党支持層の「自民離れ」がかいま見えた。公明党支持層に自民党敗因を聞いたところ、44・0%が「麻生首相」と回答。参院選対応でも、公明党支持層のうち、自民党などに勝たせたいと答えたのは54・0%で辛うじて過半数を占めたが、26・0%が民主党などを支持するという結果になった。

 ただ「自民党はいずれ与党(政権)に復帰すると思うか」との質問では、68・1%が「復帰する」と回答。民主党支持層でも58・7%が自民党に政権を奪還されると感じていた。民主党の長期政権というイメージは有権者にはまだ広がっていないようだ。

 自民党に対する処方箋(せん)としては85・1%が「世代交代」が必要と答えた。今後、党の体質改善に向け、大胆な世代交代を求める声が強まる可能性がある。(峯匡孝)

5955名無しさん:2009/09/07(月) 21:18:57
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2009090700590

後継会長に額賀氏=幹部会で決定−自民津島派
 自民党津島派は7日、都内の派閥事務所で幹部会を開き、先の衆院選に出馬せず引退した津島雄二会長の後任に会長代理の額賀福志郎元財務相(65)を充てることを決めた。8日の総会で正式決定する。
 幹部会では、津島氏が後任に額賀氏を推薦し、了承された。終了後、額賀氏は記者団に「今後も政策研究会として国民の期待に応えていきたい」と述べた。 
 津島派は、自民党の単独政権時代に最大派閥として歴代内閣に絶大な影響力を誇った旧竹下派を前身とする。津島派は現在、衆院13人、参院23人の計36人で、町村派に次ぐ党内第2派閥。
 額賀氏は衆院当選9回。若手のころから派閥のホープとされ、党政調会長や防衛庁長官、財務相などを歴任した。衆院選では茨城2区で敗北したが比例代表で復活当選した。(2009/09/07-18:39)

5956名無しさん:2009/09/07(月) 21:31:24
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090908k0000m010061000c.html

麻生首相:「取材拒否」続く
 麻生太郎首相は7日、衆院選で支援を要請した日本商工会議所など東京都内の10団体を訪ねて「これから自民党をしっかり立て直していきたい」と大敗を陳謝し、3日に始めた「おわび行脚」を終えた。

 一方、首相は記者団の取材には7日も応じなかった。首相指名選挙に関する質問で「総裁に聞くことではない」と不機嫌になった今月2日以後、「取材拒否」が続いている。

 河村建夫官房長官は先週末、「丁寧にやってください」と進言したが、首相は「丁寧にやる。ちゃんとした質問をしたらな」と、なお不満げな様子だったという。【影山哲也、森有正】

5957名無しさん:2009/09/07(月) 21:33:17
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090907-OYT1T00093.htm

民主国対、小沢側近・山岡委員長の続投で調整
政権交代
 民主党の鳩山代表は6日午後、党本部で、官房長官に内定している平野博文役員室担当と2時間近く連立や新政権の人事について協議した。


 民主党役員人事では同日、山岡賢次国会対策委員長を続投させる方向で調整に入った。山岡氏は、幹事長就任が決まった小沢代表代行の側近。自民党とのパイプも太く、党・国会運営をスムーズに運ぶことになるとの見方が党内で出ている。

 鳩山氏は7日夕、党本部に幹部を集め、人事の骨格を協議する。

(2009年9月7日09時50分 読売新聞)

5958名無しさん:2009/09/07(月) 21:33:42
>>5957
貼り間違いです。すみません。

5959名無しさん:2009/09/07(月) 21:38:58
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090906-OYT1T00243.htm

麻生首相、誤算の連続…でも「間違っていない」
政権交代
 衆院選で歴史的惨敗を喫した麻生首相が16日、民主党の鳩山代表に政権を明け渡す。


 「選挙の顔」として期待されながら、再三の衆院解散・総選挙の機会を逃し、自民党の長期政権支配に幕を下ろす皮肉な役回りとなった。

 「政局よりも政策を優先した判断は、決して間違っていなかった」。首相は衆院選翌日の8月31日の記者会見で3回、「間違っていない」と自分に言い聞かせるように繰り返した。

 だが、実際の政権運営は、誤算の連続だった。昨年9月の自民党総裁選で圧勝し、早期の衆院解散を模索したが、世界同時不況に見舞われた。経済や外交での実績作りを優先する姿勢を強調したが、解散に踏み切れなかったことで、「口実」と受け止められた。

 首相は、事業規模で130兆円に及ぶ4度の予算編成を行い、景気対策を強化。国際貢献の推進にも力を入れたが、政権浮揚にはつながらなかった。逆に、自らの失言や、政策・人事をめぐる「ぶれ」が政権を揺るがした。特に、公務のあいさつで「未曽有」を「みぞうゆう」と読むなどの漢字の誤読は、国民の目にも首相の威信低下を決定づけた。

 自民党内で「麻生首相では選挙は戦えない」との危機感が募り、「麻生降ろし」の動きが強まる中、ようやく解散に踏み切ったが、自らの指導力不足を陳謝して回る“受け身”の選挙戦を余儀なくされた。

 「これまでの自民党、自公連立政権に対するいろいろな批判が堆積(たいせき)している。それらを引き継いでこの立場にある」。首相は選挙中、自らの境遇を嘆いた。安倍元首相、福田前首相と2代続いた政権投げ出しで失われた自民党の信頼を取り戻す責務は、一時の人気を見込まれて就任した麻生首相には、重すぎた。(五十嵐文)

(2009年9月6日10時27分 読売新聞)

5960名無しさん:2009/09/07(月) 21:39:53
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090830-592896/news/20090907-OYT1T00946.htm

8日に自民両院総会、首相指名選「白紙」で混乱も
 自民党は8日、党本部で両院議員総会を開き、特別国会(16日召集)での首相指名選挙への対応を協議する。

 衆院選惨敗の責任をとって辞任する麻生首相(総裁)への投票に反発が強いため、執行部では白票を投じる方針を決めるべきだという声が強まってきたが、党内には異論もあり、総会での意見集約は難航しそうだ。

 総会では、麻生首相の後継を選ぶ総裁選の日程を「18日告示・28日投開票」と決める予定だ。細田幹事長、河村官房長官らは7日、党本部で会合を開き、首相指名選挙への対応を協議したが、「総会で議員の声を聞かなければ、決められない」として結論を見送った。

 党内では、「白票」案が勢いを増しており、幹部の1人も7日、「党がまとまって行動するには白票以外にない」と語った。

 自民党が首相指名選挙で白票を投じる方針を決めれば、結党以来、初めてとなる。

 自民党の大平正芳、福田赳夫の両氏が争った1979年の首相指名選挙の決選投票では、野党議員がそろって白票を投じた。大平氏が指名されたが、白票は史上最多の252票を数えた。ただ、「特定政党が首相指名選挙の最初から組織的に白票を投じるのは異例だ」(衆院事務局)という。

 「白紙投票は国会議員としての職場放棄だ」という声も少なくない。中川秀直・元幹事長の呼びかけで武部勤・元幹事長、柴山昌彦衆院議員ら約15人が7日、都内で開いた会合でも、「臨時で被投票者を決めるべきだ」などの意見が出た。当選5回以下の議員も8日の総会前に会合を開き、対応を協議する予定だ。

(2009年9月7日21時25分 読売新聞)

5961名無しさん:2009/09/08(火) 03:12:15
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090908k0000m010127000c.html

自民党:18道府県連の会長辞任へ 引責、落選で
 自民党の地方組織である全国の都道府県支部連合会のうち、18道府県連の会長が衆院選惨敗の責任や自身の落選を理由に会長職を辞任したり辞意表明したりしていることが、毎日新聞のまとめで分かった。15小選挙区で全敗した愛知は会長以下の執行部14人全員が、小選挙区1勝6敗の茨城も会長ら役員11人が辞任するなど、「解党的出直し」をすることになった。県連に「再生委員会」などを設置する動きもあり、各県連幹部からは「人心の一新が必要」などの声が出ている。

 7日現在で、すでに会長が辞任したのは愛知、大阪など6府県。千葉など5県は辞意を表明している。他に7道県は会長が衆院選で落選しており、交代する見通し。宮城、滋賀、徳島は幹事長、総務会長、政調会長の三役も辞任する予定。沖縄は会長、三役に副会長を加えた五役が辞意を表明したが、「県連だけの責任ではない」と慰留されており、8日に取り扱いを協議する。

 党の地方組織再生のため、愛知が「新生委員会」、滋賀と兵庫が「再生委員会」の設置を決めた。各県連は有識者らを交え、再生策を探る。茨城は山口武平県議が22年にわたり会長職を務めたが、辞任に伴い、地元国会議員や県議に加え、約5万9000人の党員が参加して初の会長選を実施する。

 各県連幹部からは敗因として「地方の声が党本部に反映される構造になっていなかったからだ」(埼玉)などの意見が多く出た。党再生策として「総裁の若返りが必要」(鳥取)、「原点に返り、国民に温かい手を差し伸べる政治を」(山口)などの声が上がった。【まとめ・沢田石洋史】

毎日新聞 2009年9月8日 2時30分

5962名無しさん:2009/09/08(火) 03:14:25
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/ibaraki/090908/ibr0909080247002-n1.htm

大敗・自民 県連執行部が“総辞職” 茨城
2009.9.8 02:19
 自民党茨城県連の山口武平会長(88)ら執行部11人は7日、衆院選と知事選の敗北の責任を取り、“総辞職”した。水戸市内で同日開いた議員会で了承された。新会長は党員投票により選出する。県連が会長選を実施するのは初めてという。辞職した役員の立候補は認めない方針。衆院選で歴史的敗北を喫した茨城・自民党は、22年間にわたって会長を務めた山口氏が表舞台を退くことで、大きな転機を迎えた。

 この日の議員会には、県議ら約50人が出席。山口氏が辞意を伝え、長谷川大紋会長代行、海野透幹事長、鶴岡正彦政調会長ら副幹事長以上の役員の辞職が了承された。党推薦候補として知事選に出馬し、現職に敗れた小幡政人氏(64)も姿を見せ、出席者たちに謝意を述べたという。

 新会長に立候補できるのは、辞職した役員以外で、5人の推薦を得た現職の県議か国会議員。立候補資格について、執行部は「5期生以上」を提案したが、議員会で異論があり、当選回数1回の県議でも立候補を認めることにした。8日から14日にかけて立候補を受け付け、18日から党員投票を開始する。開票は党総裁選と同じ28日の予定。

 辞任後の山口氏には、名誉会長などへの就任を求める声もあるが、本人は「考えていない。戦争で負けて帰ってきたときの気持ちと同じ」と述べるにとどめ、今後は「一兵卒になって党のために尽くす」という。

 山口氏の後継には、元水戸市長の岡田広参院議員や衆院選の選挙区で唯一議席を守った梶山弘志氏、自民党の派閥会長となった額賀福志郎氏らが取りざたされている。議員会で具体的に名前が挙がったのは岡田氏だけだったという。

 特定の地域に地盤を持つ衆院議員2氏に対し、県内全域に支持を得られやすい参院議員の岡田氏が有利との見方もあるが、「岡田さんが立候補すれば会長に決まる可能性は高いが、橋本(昌)知事と良好な関係にある」と、知事選で対立した現職知事との親密さを敬遠する声も県連内にある。

 山口氏は大正10年5月生まれ。昭和62年2月、故・赤城宗徳氏の後継として会長に就任し、平成18年には全国都道府県議長会の会長も務めた。現役の県議でもあり、現在14期目。

5963名無しさん:2009/09/08(火) 03:16:05
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090908-OYT1T00106.htm?from=navr

麻生首相、16日に総裁辞任へ…混乱収拾図る

 麻生首相は、特別国会召集日の16日午前に自民党総裁の辞表を提出する意向を固めた。複数の党幹部が7日、明らかにしたもので、8日に党本部で開かれる両院議員総会でこうした意向を表明する方向だ。16日午後に行われる首相指名選挙で、麻生首相に投票することへの反発が強まる中、前倒しで辞任することで、同選挙への党の対応を決めやすくする狙いがある。


 麻生首相はすでに衆院選惨敗の責任を取り、辞任する意向を示している。ただ、総裁任期は30日までで、後任を選ぶ総裁選は28日に投開票される予定だ。

 このため、自民党は首相指名選挙では、その時点で総裁である麻生首相に投票することになるが、衆院選で惨敗した首相に投票することへの反発が強く、白票を投じる案も出ている。

 首相としては、指名選挙前に自ら身を引くことで、混乱を収拾したい考えだ。辞任後、28日までは総裁は空席となる。ただ、党内では白票案にも反対があり、調整はなお難航しそうだ。

(2009年9月8日03時07分 読売新聞)

5964名無しさん:2009/09/08(火) 04:06:05
http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909070411.html

自公連立「埋没した」「らしさ発揮」 公明役員会が紛糾
2009年9月8日3時1分

 公明党の新代表に山口那津男氏を内定した7日の党常任役員会で、10年間の自公連立政権の総括を巡って議論が紛糾したことが分かった。公明党が埋没したとの総括を目指す新執行部に対し、連立を主導した重鎮たちが反発。山口新体制は「連立の後始末」で波乱含みのスタートだ。

 常任役員会では、山口氏が8日の全国代表者会議で読み上げる就任あいさつの内容が議論になった。出席者によると、山口氏側が示した原案には「連立政権の中で埋没した」「この10年間で公明党らしさが失われた」「政権運営に時間を取られ、支持者への説明が十分できなかった」との趣旨の言葉が盛り込まれていたという。

 これに対し、引責辞任する太田代表が「公明党らしさを十分発揮してきたし、努力してきた。一刀両断に『なかった』というのは不本意だ」と強く反発した。同じく辞任する北側一雄幹事長や、落選した冬柴鉄三前幹事長ら自公政権を主導した執行部経験者からも「連立の枠組みの中で全力を尽くしてきた」などと修正を求める声が続出。原案は修正され8日午前に改めて調整することになったという。

 山口氏は、総選挙惨敗を受けて自公路線に代わる針路を示し、来夏の参院選に向けて党の独自性をアピールすることを期待されている。だが、党内には自公路線へのこだわりもなお強い。出席者の1人は「原案は山口氏を中心に作成した。自公連立の負の部分を総括したい新執行部と、連立を支えてきた自負がある旧執行部の意識の差が対立になって表れた」としており、党再建の行方は不透明だ。

5965 ◆ESPAyRnbN2:2009/09/08(火) 10:26:22
> 党再生策として「総裁の若返りが必要」(鳥取)

こちらが石破への援護射撃なのは分かるのだが、

> 「原点に返り、国民に温かい手を差し伸べる政治を」(山口)

こちらは安倍ちゃんへの牽制に見えるw

5966 ◆ESPAyRnbN2:2009/09/08(火) 18:44:48
>>5936-5940>>5952
政治オタクのブラックジョークが現実になってしまう、今の自民党…

自民、首相指名選挙は若林氏に 異例の両院議員総会長

 自民党は8日、両院議員総会を党本部で開き、16日に行われる特別国会の首相指名選挙で若林正俊
両院議員総会長に投票する方針を決めた。

 党内の(1)惨敗を招いた麻生太郎総裁(首相)には投票したくない(2)白紙投票は国会議員の責務放棄
(3)全員が一致して投票できる候補が望ましい―との声を考慮した苦肉の策。自民党が首相指名選挙で
総裁以外に投票するのは極めて異例で、明確な首相候補を擁立できない衰退ぶりを表している。

 麻生総裁は両院議員総会で、衆院選惨敗に触れ「多くの有為な方々を失うことになり申し訳ない」と陳謝
した上で「すべての責任は私にある」として、16日午前に総裁を辞任する考えを重ねて表明した。

 これを受け首相指名選挙について、出席者が「若林氏か野田毅総裁選挙管理委員長がふさわしい」と
提案。細田博之幹事長が「若林氏にという声が多いのでお願いしたい」と要請し、拍手で了承した。

 また総裁選について「18日告示−28日投開票」との日程を了承。党員・党友投票を実施し、地方票300
と国会議員票200(現時点)で争うことが確定した。河野太郎衆院議員らが推薦人を20人から10人に
減らすよう求める動議を提出したが、否決された。

2009/09/08 18:33 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090801000604.html

5967名無しさん:2009/09/08(火) 18:55:55
いっそのこと総裁代理として、総裁選まで自民党を引っ張って欲しい。
あと、野田より人気?あるんですね(笑



首相指名選挙で、両院議員総会長の若林正俊・
元農相に投票する案を軸に検討する。
白票を投じる案は、8日午前の総務会で反対意見が大勢を占めた
ため、採用されない見通しとなった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090908-OYT1T00393.htm?from=main4

5968チバQ:2009/09/08(火) 19:00:34
47 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 18:35:29 ID:C12I6B/D
首相指名に若林を据える根拠が、両院議員総会長だからってことだけど、
そもそもこの職自体がリリーフで務めていたものだよね。
(山崎正昭参院幹事長が体調不良で辞任→谷川秀善が後釜になり、
空席になった両院議員総会長に若林が座る)

5969 ◆ESPAyRnbN2:2009/09/08(火) 19:05:26
>>5967
野田の方のたけしは、当初はコスタリカにするかですら揉めましたし、出戻りの経緯から見ても
人徳はないでしょう。

5970名無しさん:2009/09/08(火) 20:15:49
http://www.asahi.com/politics/update/0907/TKY200909070364.html

党のホープ、学会は様子見か 公明新代表内定の山口氏2009年9月7日23時32分
印刷

ソーシャルブックマーク

代表に内定し、記者の質問に答える公明党の山口政調会長=7日午後、東京都新宿区、上田幸一撮影
 「自分自身は参院の立場であります。落選も経験しています。政調会長として選挙の責任の一端があると思っている身でもあります」。山口那津男氏は公明党新代表に内定した7日、記者団にひたすら謙虚に振る舞った。

 東大卒業後、弁護士に。90年衆院選へ出馬を要請された時は「最も無縁な世界」と悩んだが、リクルート事件で露呈した自民党の腐敗への憤りが決断を後押しした。それから19年、自公連立のしがらみを断つ重責を担う。

 当選同期の北側一雄幹事長とともに「党のホープ」と言われたが、96、00年の衆院選東京17区で自民党の平沢勝栄氏に連続して敗れ、01年に参院議員に転じた。「回り道の人生」と周囲に漏らす。ポスト太田代表の筆頭だった北側氏の落選で、党の非常事態を救う役割が回ってきた。

 「弁舌さわやかでまじめな人柄」と評される一方、自民党との政策協議を理詰めで押し通し「堅物」と陰口もたたかれた。論戦力が大事な野党党首として適任との評価がある一方、自民でも民主でもない是々非々路線で党内をまとめる指導力には不安も残る。

 創価学会青年部長を務めた太田氏や創価大1期生の北側氏と比べ、学会とのパイプは太くない。「印象は薄い。今後の手腕次第で評価は上下する」(学会幹部)とお手並み拝見の空気も漂い、早くも党内から「衆院は幹事長と国対委員長が仕切る」との声も漏れる。

 自公連立の総括から手がけるが、連立を主導した「ご意見番」たちは健在だ。自民党を押し切った「堅物」ぶりを党内でも貫けるか、いきなり正念場だ。(山田明宏)

5971名無しさん:2009/09/08(火) 20:16:56
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090908k0000m070112000c.html

記者の目:自民は「良き敗者」になれるのか=人羅格
 自民党に明日はあるのだろうか。政権交代が脚光を浴びる中、国民からレッドカードを突きつけられて野党に沈む自民党の総裁選びにあえて注目したい。さまざまな角度から惨敗は総括されるだろうが、選挙目当てに「人気者」を選ぶ発想をまず、リセットすべきだ。それが「良き敗者」としてどん底からはい上がる糸口に思える。

 投票前日、東京・池袋駅前で麻生太郎首相の最後の遊説を見て、妙な感じがした。情勢調査で自民党の大敗が予想される中で駅前は群衆で埋まり、熱烈な「麻生コール」がわき起こった。首相が「反応は悪くない」とかねて語ったのは、このムードだろう。

 だが、同じ日、全国の多くの候補は「自民党」と口にすら出せず自分の名前を連呼する苦戦を強いられていた。「親しくなれば魅力ある人物」として「半径2メートルの男」と側近たちは首相を持ち上げたものだが、皮肉をこめれば「半径2メートルの選挙」を首相は戦っていたのだ。地殻変動をおそらく初めて実感した日、自民党は政権から転げ落ちた。

 小泉改革をめぐる迷走、官僚依存、地方組織の崩壊など、自民党の敗北は幅広く総括されるべきだ。「民主党のバラマキに負けた」などと言っているようでは、再生の足がかりなどつかめまい。

 民主党に横綱相撲を取られて土俵を割った自覚こそが必要だ。現職首相による2度の政権投げ出し、お粗末な閣僚更迭劇など国民は自民党やその政権担当能力の劣化を肌で感じ、退場を命じたのだ。

 今回、3度目のマニフェスト衆院選にもかかわらず、自民党は「10年後に手取り100万円増」など、点検のしようもない政策を羅列した。公示後も首相ら幹部は自党の政策アピールもそこそこに、民主党批判ばかりを繰り返した。選挙時に配られた民主党を中傷するパンフレットに、多くの有権者はむしろ失望を覚えたのではないか。

 だからこそ、与謝野馨財務・金融担当相の「小泉内閣が終わった時に人気先行で総裁選をしたことが国民の失望を買った」との分析は目を引く。小泉純一郎首相の後、安倍晋三氏を筆頭に06年から毎年秋に選ばれた3総裁は、いずれも総裁選直前の各種世論調査で「首相(総裁)にふさわしい人」のトップだった。

 自民党は05年の「郵政選挙」の成功体験を、人気度が高く選挙の顔となりそうな人物を総裁に選ぶことで、再現しようとしたのだ。こうした傾向にメディアも当初、肯定的だったことも事実である。勝利の方程式を信じた議員たちは総裁選で、いつも特定候補になだれを打った。

 そこに落とし穴があった。世論調査の支持は指標のひとつにはなるが、実際の首相としての能力とは別物だ。首相が政権運営に行き詰まり交代するたびに「選挙の顔」探しのパターンを繰り返す議員の姿が、国民をうんざりさせてしまったのだ。

 「にぎやかな総裁選」を演出して昨秋選んだ麻生首相の内閣支持率が最初から伸び悩んだのも、その表れだ。ほとんどの議員が首相の失言癖など危うさを知っていたが、「即時解散」なら選挙は乗りきれると高をくくっていた。だからこそ、解散が先送りになるとあわてふためき、首相批判に走ったのだ。

 さきの東国原英夫・宮崎県知事の衆院選出馬騒ぎも似ている。世間の喝采(かっさい)どころか、師匠だったビートたけしさんが「とにかく謝れ」と知事に忠告するほどの逆風を招いた。「総裁候補」扱いを求めた知事への反感もあっただろうが、人気者にすがれば何とかなる、との安易さを国民に見透かされたのだろう。

 かといって、崩壊同然の派閥談合で党首を選べ、などと言うつもりも、もちろんない。これだけ議員が減ったのだから総裁選出馬に必要な国会議員の推薦人枠(20人)を見直し、限られた議員から人材を得る障害を除くべきだ。

 人気者探しを繰り返しても、新総裁の賞味期限はすぐに切れる、と言いたいのだ。民主党は小沢一郎氏を幹事長に据え、来夏参院選へ露骨な自民つぶしの陣を敷いた。新総裁は鳩山政権と対決しながら組織を守り、新人を発掘しなければならない。

 民主党に政策の対立軸を示すことも必要だ。2世議員の生き残りが目立つ中、そんな総合力を持つ人材を探し出すには「人気投票」に終わらぬ徹底討論が必要だ。

 自民党が再生に失敗し解体の道を歩めば、「一強」民主党政権の運営もまた緊張感を失いかねない。それは、2大政党政治の定着にとって、決して好ましくあるまい。

 だからこそ、旗を掲げ得る人物をどん底の中から見つけてほしい。「にぎやかな総裁選」の演出は幸いなことに、もはや不要である。(論説室)

毎日新聞 2009年9月8日 0時01分

5972名無しさん:2009/09/08(火) 20:18:48
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/OSK200909060099.html
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/images/OSK200909060101.jpg

常勝の関西議席も総崩れ 公明、苦悩の野党再出発2009年9月8日0時39分
印刷
ソーシャルブックマーク

  
 総選挙で8人の小選挙区候補全員が落選した公明党が苦悩している。大阪、兵庫は支持母体・創価学会の牙城(がじょう)だけに、その衝撃は大きい。野党転落で影響力低下は免れず、小選挙区からの撤退論も出始める。10カ月後の参院選に向け、戦略の見直しを迫られている。

 「現場に問題があったのではない。今回の選挙は党中央の責任です」

 公明党大阪府本部で5日、大阪16区で落選した北側一雄幹事長が頭を下げた。「常勝関西の議席を失い申し訳ない」(大阪5区・谷口隆義氏)、「自分の責任を痛感している」(大阪6区・福島豊氏)などの落選の弁が続き、府内の地方議員が出席した約250人の会合は重苦しいものになった。

 府内の公明前職は民主新顔に、最大2万票超の差をつけられて敗北した。党勢を示すと言われる全国の比例票も805万票。05年総選挙より93万票も減らす惨敗だった。ある大阪府議は「やるだけのことはやったが勝てなかった。この選挙は自公連立10年の総決算だ」と振り返った。

 99年10月、公明党は自民党と連立政権を組む。与党として児童手当拡充などの実績を強調してきたが、当事者の負担増につながる障害者自立支援法や後期高齢者医療制度の導入、生活保護世帯の母子加算廃止なども相次いだ。

 「平和と福祉」の党というイメージは薄まり、「弱者の味方ではなかったのか」と批判も浴びた。辛うじて比例区で議席を守った議員は「傲慢(ごうまん)すぎた。身の丈であるべきだった。三十数議席で300議席を持つ大政党を振り回し、自分たちの力を錯覚し、不信感が相手にも募った」。

 実際、自民党の支持はもろかった。朝日新聞の出口調査では、公明前職が戦った府内の4小選挙区で、自民支持層が公明候補に投票したのは5割前後。3割以上が民主候補に流れていた。

 半世紀以上前、池田大作・名誉会長が足を運んで拡大したとされる関西の創価学会は「常勝関西」と呼ばれ、関係者にとって特別な存在だ。

 投票日前日。ごく少数の学会幹部に「小選挙区全滅」の予測が伝わっていた。幹部の一人は言う。「数十年かけて培ってきたものをいったん区切らないといけない。創価学会として支援活動の一つの限界点。いくら積み上げても、限界があることを受け止めないといけない」

     ◇

 公明党・創価学会内では「小選挙区から撤退すべきだ」との声も漏れる。関西の党関係者は「組織の全勢力を注ぎ込んでも勝てなかった。小選挙区をやり続けていては党が成り立たない」と危機感をあらわにする。

 2大政党が定着する中、少数政党が小選挙区で勝つのは難しい。自民との連立が崩れ、民主党との関係見直しも迫られる。公明党大阪府本部の白浜一良代表は5日、府外の地方議会での民主に批判的な意見書提出の動きに触れ、「感情的にやるのは得策でない」と強調し、府内の地方議員にクギをさしたという。

 党再建の試金石となるのが来年夏の参院選だ。創価学会は来年、創立80周年を迎える。比例得票の目標は「1千万票」。大阪選挙区(改選数3)の1議席は、1956年に初めて国政で獲得した「常勝関西」を象徴する議席だ。民主は2人擁立する構えで、激戦になるのは必至だ。北側幹事長は3日の辞任会見で「関西でわが党の力が弱まったという思いはない。参院選では絶対に党として勝ちます」と強調した。

 総選挙敗北後、創価学会内部では、池田名誉会長のメッセージとして、こんな言葉が伝わっている。

 「ご苦労さま! 『負けるが勝ち』だ。先は長い。意味がある」(尾崎文康、斎藤利江子)

5973名無しさん:2009/09/08(火) 20:21:16
業界団体ばかり。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090908/plc0909080254001-n1.htm
【麻生日誌】7日
2009.9.8 02:54

このニュースのトピックス:自民党
 【午前】8時3分から42分、公邸周辺をウオーキング。10時6分、公邸発。7分、官邸着。8分、執務室。10分から36分、河村建夫官房長官。

 【午後】0時5分、首相会議室。53分、執務室。1時4分、官邸発。14分、東京・芝大門の日本自動車会館着。15分から31分、青木哲日本自動車工業会会長と会談。32分から42分、川嶋温日本自動車販売協会連合会副会長と会談。43分から54分、小谷忠幸全国軽自動車協会連合会会長と会談。55分、同所発。56分、東京・芝大門の全国たばこビル着。小林繁一全国たばこ耕作組合中央会副会長と会談。山田俊男自民党参院議員同席。2時5分、同所発。8分、東京・新橋の新橋五光ビル着。川嶋康宏日本港湾空港建設協会連合会会長と会談。19分、同所発。26分、東京・新橋のニュー新橋ビル着。石沢義文全国商工会連合会会長と会談。42分、同所発。55分、東京・丸の内の東京商工会議所ビル着。岡村正日本商工会議所会頭と会談。3時10分、同所発。23分、東京・一番町の電機工業会館着。西田厚聡日本電機工業会会長と会談。35分、同所発。59分、東京・西新宿の新宿エルタワー着。中西英一郎全日本トラック協会会長と会談。4時16分、同所発。24分、東京・代々木のあいおい損保新宿ビル着。沢田稔日本中古自動車販売協会連合会会長と会談。36分、同所発。52分、東京・永田町の来栖ビル着。同ビル内の個人事務所で書類整理。5時57分、同所発。6時3分、官邸着。5分、執務室。42分、官邸発。43分、公邸着。

5974名無しさん:2009/09/08(火) 20:23:12
公明党の議員にも感情はあるんですね〜。
何事にも金太郎飴と思っていたが。


http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909070411.html
自公連立「埋没した」「らしさ発揮」 公明役員会が紛糾2009年9月8日3時1分
印刷

ソーシャルブックマーク
 公明党の新代表に山口那津男氏を内定した7日の党常任役員会で、10年間の自公連立政権の総括を巡って議論が紛糾したことが分かった。公明党が埋没したとの総括を目指す新執行部に対し、連立を主導した重鎮たちが反発。山口新体制は「連立の後始末」で波乱含みのスタートだ。

 常任役員会では、山口氏が8日の全国代表者会議で読み上げる就任あいさつの内容が議論になった。出席者によると、山口氏側が示した原案には「連立政権の中で埋没した」「この10年間で公明党らしさが失われた」「政権運営に時間を取られ、支持者への説明が十分できなかった」との趣旨の言葉が盛り込まれていたという。

 これに対し、引責辞任する太田代表が「公明党らしさを十分発揮してきたし、努力してきた。一刀両断に『なかった』というのは不本意だ」と強く反発した。同じく辞任する北側一雄幹事長や、落選した冬柴鉄三前幹事長ら自公政権を主導した執行部経験者からも「連立の枠組みの中で全力を尽くしてきた」などと修正を求める声が続出。原案は修正され8日午前に改めて調整することになったという。

 山口氏は、総選挙惨敗を受けて自公路線に代わる針路を示し、来夏の参院選に向けて党の独自性をアピールすることを期待されている。だが、党内には自公路線へのこだわりもなお強い。出席者の1人は「原案は山口氏を中心に作成した。自公連立の負の部分を総括したい新執行部と、連立を支えてきた自負がある旧執行部の意識の差が対立になって表れた」としており、党再建の行方は不透明だ。

5975チバQ:2009/09/08(火) 20:44:24
若林先生の活躍を振り返る

2006年、安倍内閣で環境大臣として初入閣
2007年5月28日 - 6月1日松岡利勝農林水産大臣の死去に伴い、農林水産大臣臨時代理
8月1日-8月27日、赤城徳彦農林水産大臣の辞任に伴い、農林水産大臣を兼任
9月4日遠藤武彦農林水産大臣の辞任に伴い、わずか7日後の9月4日に専任大臣として農水大臣に再度就任

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%9E%97%E6%AD%A3%E4%BF%8A

5976チバQ:2009/09/08(火) 20:54:55
>>5880>>5886
http://www.sankei-kansai.com/2009/09/08/20090908-014359.php
2009年9月 8日

自民秘書、大量に失職 民主への"移籍"難しく
 衆院選で大敗を喫した自民党の秘書が再就職難だ。失職する事務所スタッフは公設秘書だけで500人超とみられ、大量当選で人材探しが切実な民主党への“移籍”を望む声もあるが、民主側は情報漏れを恐れて移籍を受け入れない見通しだ。政権交代をしても秘書の転職が頻繁なアメリカのようにはいかない日本特有の議員秘書事情。空前の失職者があふれる中、「落選しても秘書の再就職の面倒ぐらい議員がみてほしい」との声もあがっている。

 ■「川を渡る」

 「かつては派閥で(落選議員の)秘書の受け皿を作っていたが、これだけ大敗すると無理」。静岡7区で落選した片山さつき氏の公設秘書だった男性(55)は語る。雇用保険もなく「永田町のセーフティーネット(安全網)も考えてほしい」という。

 東北地方の落選議員の元政策秘書(54)も、自宅ローンに加え、2人の子供が大学に通う教育費の負担が重くのしかかる。地元でのあいさつ回りなど残務整理後、再就職を考えるつもりだ。別の落選議員秘書は「1カ月ほどしたら、仲間と一緒に川を渡ろう(民主に行こう)と思っている。使える秘書なら使ってもらえる」と打ち明けた。

 ■情報漏れ心配

 一方、143人もの新人が当選した民主党。衆院の民主党秘書会には、勝利を見越して選挙戦のさなかから、秘書経験者らが履歴書を持って訪れた。民主党秘書会は「特別国会まで時間がなく、新人議員が秘書を採用するのは大変だが、それでも自民の元議員秘書を名簿に載せるわけにはいかない」という。

 党関係者も「情報漏れが心配だ」と話しており、元自民秘書の民主移籍は簡単にはいきそうにない。

 多くの秘書が再就職先に苦しむ状態について、かつて近畿地方の国会議員秘書を務め、現在は地元で市町村議員をしている元男性秘書(43)は「秘書の仕事は不安定で、議員が落選すればそれで終わり。社会的信用が高い職業とみられることもあるが、意外につぶしがきかない。再就職できずに困る同僚秘書を何人も見てきた」と話す。

 この元秘書は「秘書は議員をオヤジと慕い、忠誠を尽くす。だからこそオヤジはたとえ落選しても、後援会企業に口添えするなど再就職の世話ぐらいはすべきだ」と議員が再就職に手を貸すよう訴えるが「たいがいの議員は落選すると、秘書の面倒をみることまで気が回らない」という。

 ■アメリカでは…

 政権交代が起こると、大量のスタッフの入れ替えが起こるアメリカではどうか。米国内で選挙スタッフの経験があり、日米両国の政治事情に詳しいジョージワシントン大客員研究員の渡辺将人さん(34)は「アメリカの議会スタッフは日本の議員秘書に比べると専門性が高く、外交、環境、人権など立法内容の専門性を買われて勤務することが多い」と指摘する。日本に比べ、転職が頻繁という社会状況もあり、スタッフがシンクタンクや弁護士事務所などに移ることも多いという。

 またこの専門性の高さから、アメリカの政務スタッフの場合は、日本の秘書のような“何でも屋”的な存在ではなく仕事が細分化されていて、転職も比較的容易。事務所の報道担当者が、民間会社の広報担当に移ったり、IT担当がシステムエンジニアになったりするという。

 日米で職場環境が異なる議員秘書。渡辺さんは「本格的な二大政党や政権交代が日常的になる過程で、秘書の存在についても議論されるべき時期かもしれません」と話していた。



(2009年9月 8日 14:37)

5978名無しさん:2009/09/08(火) 21:17:53
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009090800893

総裁選、出馬せず=自民・中川秀氏
 自民党の中川秀直元幹事長は8日夜、総裁選への対応について、都内で記者団に対し、自らは出馬しない考えを示した。中川氏は衆院広島4区で民主党候補に敗北し、比例代表で復活当選した。
 新総裁の条件について、中川氏は「政権奪還ができる人じゃないといけない。派閥を解消し、世代交代の先頭に立てる人。なおかつ小選挙区で当選、この条件を満たす人が良い」と強調。「わたし自身はそれに(当て)はまらない。後押しをする役割だ」と述べた。 
 中川氏の発言は、総裁選出馬に含みを残す同党町村派の町村信孝会長をけん制する狙いもあるとみられる。(2009/09/08-20:49)

5979名無しさん:2009/09/08(火) 21:19:27
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009090800831

自民両院総会での主な発言
 8日の自民党両院議員総会での主な発言は次の通り。
 河野太郎氏 総裁選で推薦人20人を集めるルールがあるが、国会議員の数がこれだけ減ったので、引き下げるか、撤廃を考えてもらいたい。
 武田良太氏 解党的出直しをする総裁選だ。党則を変えてでも、(衆院選で落選した元議員にも)1票を与える必要がある。国民政党として出直すなら(現職議員と)同様の権利を与えてほしい。
 野田毅総裁選挙管理委員長 将来を考えると、できるだけ現在の総裁公選規程を生かしたい。
 丸山和也氏 若い人は志があるが、派閥のしがらみで(総裁選に)出られない。(推薦人は)10人で十分だ。大胆な改革をしないと党は再生しない。
 山本一太氏 (公選規程を)変えてはいけないという考えは捨てた方がいい。
 河野氏 推薦人の引き下げを動議として提出する。
 (挙手による採決の結果、否決)
 河井克行氏 (首相指名選挙への対応について)中堅・若手は一致している。白票は駄目だ。若林正俊両院議員総会長、野田総裁選管理委員長の名前が挙がっている。この場で決めてほしい。
 新藤義孝氏 白票を投じず、党の代表を決めて投票するという動議を出す。党改革を進めるため、新体制移行チームの設置についても動議を出す。
 細田博之幹事長 何を反省し何を改革していくのか、意見を集約する作業が大事だ。提案を受け入れる。衆院議員は当選回数ごとに、参院議員もしかるべき代表を入れて、党の再生(に向けた議論)をスタートさせる。地方、落選者、有識者の意見も取り入れる態勢をつくり、新執行部につなげていく。
 甘利明氏 白票というのは権利放棄ではない。われわれがゼロから出直して、自民党に期待する人のありとあらゆる声を聞くという証しだ。白票はこれから立派な人を選ぶということを意味する。
 中川義雄氏 これ以上言う必要はない。若林氏で決めてほしい。
 細田氏 若林氏でいいという声も多いので、そのようにさせてもらう。(2009/09/08-19:40)

5980名無しさん:2009/09/08(火) 21:36:03
>同席した井上義久新幹事長も、参院選での自公選挙協力に関し「お互いにそれぞれの党の
>再建に向けて取り組むのが現状の段階だ」と述べるにとどめた。

http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090801000780.html
公明、自民との選挙協力見直しも 山口代表、民主には是々非々
 公明党の山口那津男新代表は8日、党本部で就任の記者会見を行い、今後の自民党との関係について「公明党再建に全力を挙げた上で、国民が望むような新しい関係を目指すべきだ」と述べ、選挙協力など連携を見直す可能性に言及した。

 民主党政権に関しては「政策をどう実現していくか見極めたい」としながらも「公明党が目指してきた方向の政策で、国民の理解が得られるなら協力はやぶさかではない」と是々非々の姿勢を強調した。

 最大の課題である来年夏の参院選に向け「弱者を守る福祉の党」「平和の党」など独自性を強めるとともに民主、自民両党の動向を見極めながら連携を模索する考えとみられる。

 同席した井上義久新幹事長も、参院選での自公選挙協力に関し「お互いにそれぞれの党の再建に向けて取り組むのが現状の段階だ」と述べるにとどめた。

 また山口氏は、辞任した太田昭宏前代表を全国代表者会議議長に、北側一雄前幹事長を副代表に起用した。10月3日には地方の代表者も参加して衆院選を総括する。

2009/09/08 17:58 【共同通信】

5981名無しさん:2009/09/08(火) 21:39:33
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090908/stt0909082026013-n1.htm

公明・山口新代表 「独自性発揮」が課題  (1/2ページ)
2009.9.8 20:23

このニュースのトピックス:自民党

公明党の新代表に決まり記者会見する山口那津男氏=8日午後、東京都新宿区の党本部 10年ぶりに野党となった公明党は8日、山口那津男新代表のもとで新体制を発足させた。当面の目標は来夏の参院選に向け、必勝態勢を築くことだが、蜜月関係を続けてきた自民党とどれだけ距離を置き、独自性を強めていくことが、もう一つの大きな課題となる。党執行部は月内に10年間に及ぶ自民党との連立や選挙協力について総括する方針を固めているが、かなり厳しい内容となる見通しだ。

 8日午後の臨時全国代表者会議。新代表に選出された山口氏は「党再建なくして参院選勝利はありえない。参院選に勝利してこそ再建したといえる。これを合言葉に前進しよう」と悲痛な声を上げた。

 公明党は平成19年の参院選でも愛知など3選挙区で現職候補を取りこぼしている。来夏の参院選で負け、3連敗となれば「退潮はとどめようがなく、国政撤退になりかねない」(党幹部)との危機感がある。

 このため党内では、今後は自公協調路線を見直し、従来の「福祉と平和の党」に回帰すべきだとの声が強まっていた。

 山口氏は党内屈指の論客として知られ、発信力を期待しての起用とされるが、それだけではない。

 同氏は若いころからホープとして嘱望されていたが、自公連立がスタートした直後の平成12年の衆院選で、自公の選挙区調整の失敗により落選、その後参院に移った。

 このため、代表候補レースからは一時脱落したこともあり、山口氏は長く自民党と距離を置いてきた。ある党幹部は「山口氏が代表に就任したことで、今後の公明党のスタンスがわかるはずだ」と打ち明ける。

 一方、新執行部には民主党への不信感も根強い。当面は民主党の政権運営を見守りながら、自民、民主両党との距離感をどう保つか。そこが山口氏の手腕の見せ所となりそうだ。

     (佐々木美恵)

5982名無しさん:2009/09/08(火) 21:45:20
http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909080298.html

「月内にも自公連立を総括」 公明、山口新代表が就任2009年9月8日21時23分
印刷

ソーシャルブックマーク
 公明党は8日の全国代表者会議で、太田昭宏代表(63)の後任に山口那津男政調会長(57)を選出した。山口氏は就任あいさつで、今月中にも総選挙敗北と10年間の自公連立を総括する考えを表明。同党は16日の首相指名で山口氏に投票して自公連立に終止符を打ち、独自路線に転じる。

 山口氏の任期は太田氏の残任期間の来年9月まで。北側一雄幹事長(56)の後任は井上義久副代表(62)で、政調会長には斉藤鉄夫環境相(57)を起用した。漆原良夫国会対策委員長(64)は留任。

5984らいおんはーと ◆IYPE50CVp6:2009/09/08(火) 23:24:51
代理の農水大臣→代理の首相候補
若林は確実に進化しているwwwwwwwwwwwwww

5985小説吉田学校読者:2009/09/09(水) 06:54:32
>>5984
敗戦処理投手→敗戦処理党首、に進化した。
しかし、とは氏の「現実はネットの妄想なみに凡庸」を地で行く事の進捗、てっきり、森とか安倍とか出すものだと思っていたが。。

5986チバQ:2009/09/09(水) 12:28:24
http://www.asahi.com/politics/update/0909/TKY200909090008.html
首相指名も「困ったときの若林」 後始末農水相3度
2009年9月9日6時53分
 困った時の若林――。16日の首相指名選挙で自民党が投票することになった若林正俊参院議員(75)は、トラブルが続いた安倍政権下で「後始末役」として、約3カ月の間に3度も農水相に「就任」した経歴の持ち主だ。

 「新体制を作るまでのスタート台として一致結束する必要がある。私の名前に大きな意味はありません」。議員総会後、若林氏はやや戸惑ったような表情で報道陣に語った。

 若林氏の地元事務所(長野市)の青木実事務局長は「決して総理になれるわけではないが、お役に立てるのならありがたい」と話した。

 若林氏は元農水官僚。83年に衆院に初当選し、計3期務めた後、98年から参院に転じた。初入閣は06年9月。安倍政権で環境相になった。

 若林氏の名が何度も取りざたされるようになったのは07年5月からだ。松岡農水相の突然の自殺を受けて、4日間だけ臨時代理を務め、赤城徳彦氏に引き継いだ。だが赤城氏は事務所費問題や顔に張ったばんそうこうへの説明不足で批判を浴び、8月1日に辞任。農水相のいすは再び若林氏に巡ってきた。

 8月27日の内閣改造でいったん退任し、農水相には遠藤武彦氏が就いたものの、遠藤氏は補助金不正受給問題で辞任。わずか8日で若林氏に三度目のおはちが回ってきた。

 当の若林氏。「本当に想定外で……。ただ、野党となった自民党がしっかりとした出直しをしなきゃいかんと」。最後まで笑顔はなかった。

5987名無しさん:2009/09/09(水) 13:47:07
若林氏が気の毒でならない…
しかし自民党は情けないよな

5988名無しさん:2009/09/09(水) 19:28:19
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090900760

落選議員からも聴取へ=自民再生会議
 自民党は9日午後、党本部で「党再生会議」(座長・山本有二元金融担当相)の2回目の会合を開き、衆院選の敗因分析や党再生策について議論した。出席者からは「大敗した2007年参院選の総括が生かされていない」「衆院解散のタイミングを誤った」などの意見が出された。会合では、15日に落選議員、16日に衆参両院議員からそれぞれ意見聴取する日程を決定。衆参22人のメンバーも確定した。
 同会議のメンバーは次の通り。(丸数字は当選回数)。【衆院】古屋圭司(7)、山本有二(7)、小池百合子(6)、茂木敏充(6)、大村秀章(5)、木村太郎(5)、下村博文(5)、西野あきら(5)、小野寺五典(4)、梶山弘志(4)、河井克行(4)、新藤義孝(4)、江藤拓(3)、菅原一秀(3)、谷川弥一(3)、小里泰弘(2)、金田勝年(1)【参院】市川一朗(3)、佐藤昭郎(2)、愛知治郎(2)、秋元司(1)、佐藤正久(1)(2009/09/09-18:03)

5989名無しさん:2009/09/09(水) 19:28:42
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090909/stt0909091840020-n1.htm

自民党「再生会議」が初会合
2009.9.9 18:38
 自民党は9日、衆院選惨敗を受けて、敗因を分析し再建策を検討する「再生会議」(座長・山本有二元金融担当相)の初会合を党本部で開いた。新総裁を決める28日まで連日開いて提言を取りまとめる。

 「再生会議」は、細田博之幹事長が8日の党役員会で設置を表明。当初は副幹事長を中心に構成することにしていたが、8日の両院議員総会で当選7回以下の各期ごとに選出すべきだとの意見があがり、見直された。メンバーは衆参国会議員22人。

5990チバQ:2009/09/09(水) 19:40:59
最初、イチタが座長なのかと思った
http://www.asahi.com/politics/update/0909/TKY200909090118.html
自民党再生「中堅・若手中心に」 会議座長に山本氏
2009年9月9日11時21分

 自民党は9日、総選挙の敗因を分析する「党再生会議(仮称)」を発足させ、初会合を開いた。座長に山本有二・元金融相(当選7回)、座長代理に茂木敏充前行革相(当選6回)を選出。新総裁を決める28日まで連日会合を開いて党再建策を検討する。

 同会議は細田博之幹事長ら党執行部が設置を表明。メンバーは当選7回以下の各期ごとに話し合って1〜4人ずつを選んだ。古屋圭司広報本部長や小池百合子元防衛相、小野寺五典、梶山弘志両副幹事長ら衆院議員17人から構成され、今後参院議員から5人程度が加わる。9日の会合では「2年前の参院選の敗因を総括したが実行できなかった」「野党になったことにあわせて党の政務調査会や国対についても見直しが必要だ」などの意見が出た。

 茂木氏は会合後、記者団に「あくまで中心になるのは中堅・若手。ここで失敗したら自民党の再生はないという思いで取り組んでいきたい」と語った。

5991名無しさん:2009/09/09(水) 19:44:24
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20090909-541526.html

自民、中堅主導で「党再生会議」立ち上げ記事を印刷する

 自民党は9日午前、衆院選惨敗を受け、新体制発足までに敗因分析や課題を検討する「党再生会議」を立ち上げ、党本部で初会合を開いた。衆院は当選7回以下の中堅・若手で構成。座長に山本有二元金融担当相が就いた。参院からも参加する予定。

 会合後、座長代理に就任した茂木敏充前行革担当相は記者団に「党の体質を変え、組織や政策決定のシステムを見直す」と述べた。

 細田博之幹事長は8日午前に、西野陽副幹事長を座長に副幹事長で検討するよう指示したが、午後の両院議員総会で当選回数ごとに代表を入れるべきだとの意見があり、構成を見直した。(共同)

 [2009年9月9日11時33分]

5992名無しさん:2009/09/09(水) 19:46:01

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090900844
議員秘書に「失業の危機」=党職員は賃下げも−自民
 衆院選で大敗した自民党で、前議員秘書や党職員が「失業の危機」にさらされている。同党の議席は衆院選前の300から119に激減し、各議員に3人が割り振られる公設秘書だけで500人以上が職を失う計算だ。党本部の職員も給与カットやリストラの不安におびえる日々だ。
 「地元の県議を通じて民主党議員の事務所に採用を働き掛けたが、断られた。失業手当もなく、本当に苦しい」。衆院選で落選した若手議員の男性秘書(56)は9日、こう言って肩を落とした。大学1年と中学2年の子ども二人を抱え、再就職先を探している。
 衆院自民党秘書会の三盃幸久会長によると、落選した議員の秘書は、派閥内で別の議員に引き取られるなどして失業を免れてきたが、「当選者がこれだけ極端に減るとそれも難しい」。三盃氏自身も「雇い主」が落選し、「今後のことはこれから考えるしかない」状況だ。失業した秘書の受け皿となり得るのが、140人を超える民主党の新人議員だ。ある秘書は「再起を期す前議員のために仕事をしたいが、一定程度の収入は必要。民主党議員の事務所で働くことも考えている」と明かす。
 だが、門戸は広くはない。民主党議員のベテラン秘書は「民主党での秘書経験者や一般企業のサラリーマンなどを新人に紹介する。自民党議員の秘書でも一定の基準をクリアすればあっせんしてもいいが、優先度は低い」と話す。
 党職員も雇用への不安を募らせる。自民党への政党交付金は2008年には約160億円あったが、衆院選の敗北で10年には50億円以上も減額される。このため同党本部は、1割以上の職員給与のカットを計画し、依願退職も募集する方針。それでも台所事情は苦しく、来年夏の参院選の結果次第では、約180人いる職員のリストラが必要になりそうだ。(2009/09/09-19:21)

5993名無しさん:2009/09/09(水) 19:47:54
http://www.komei.or.jp/news/2009/0909/15389.html

臨時全国代表者会議でのあいさつ(要旨)
公明新聞:2009年9月9日

「現場を歩く」「対話に動く」に徹し
立党の原点、ネットワークなど党の財産を再建に生かす
山口那津男 代表

 8日の公明党臨時全国代表者会議で選出された山口那津男・新代表のあいさつ(要旨)は次の通り。

 ただいま皆さまの信任を賜り、公明党代表に選出されました山口那津男でございます。新代表として、公明党の再建に全身全霊で取り組み、党員・支持者の皆さま、国民の皆さまのご期待に応えられますよう全力を挙げる決意であります。なにとぞ、皆さまのご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

 太田前代表、北側前幹事長には、3年にわたり党のかじ取り役を担っていただきました。選挙結果を党全体が真摯に受け止め、党再建に総力を挙げるために、前代表、前幹事長には引き続きお力添えをいただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。

 代表就任にあたり、一言、ごあいさつを申し上げます。

 【衆院選の総括】

 まずは、衆院選の総括です。党としての最終的な総括は、自公連立政権10年間の総括を含めて、新執行部を中心に今月中にもしっかりと取りまとめを行ってまいりたいと考えております。

 それを前提にわが党の敗因を概括的に申し上げれば、「政権交代」という大きな“うねり”の中で、連立政権10年で与党として多くの実績を積んだものの、党の独自性や公明党らしさを十分に発揮できなかったことについて、しっかり総括し、新しいスタートを切らなければならないと思っております。

 党員・支持者の皆さまが、寝食を忘れ昼夜をわかたず、血のにじむようなご支援をくださったにもかかわらず、勝利に結び付けられなかった。率直に言って、党の力量不足を痛感せざるを得ず、党員・支持者、一票を公明党に寄せてくださった有権者の皆さまに改めて深くお詫び申し上げます。

 再出発に当たり、公明党の全議員が心に刻みつけなければならないのは、党員・支持者の皆さまの党に対する熱い「思い」であります。選挙後、こうした厳しい結果にもかかわらず、「悔しさをバネに頑張れ」「捲土重来を期せ」と数々の温かい激励をいただきました。そうした皆さまに対して、「見ていてください。公明党は必ず生まれ変わります!」とお約束をし、「よし、もう一度、公明党を応援しよう」と言っていただける「新しい党」「勝ち抜ける党」をつくってまいりたい。それが私の最大の責務だと考えています。

5994名無しさん:2009/09/09(水) 19:48:15
>>5993

 【党の再建に向けて】

 大逆風の中で、公明党は比例区で805万票を超すご支援をいただいたのは、まさに党員・支持者、有権者のご支援の賜物であり、2大政党制では吸収されない多様なニーズを受け止める「受け皿」として、国民の皆さまが公明党に信頼と期待を寄せてくださった結果にほかなりません。800万票に込められた公明党への熱いご期待にお応えする「新しい公明党」の建設に総力を挙げようではありませんか。

 党再建にあたって私は、公明党には他党にはない、誇るべきいくつもの「財産」があることを確認することから出発したいと思います。

 それは、第一に「大衆とともに」との揺るぎない立党の原点を持ち、第二に、3000人の議員が比類なき団結力で連携するネットワーク政党であることです。

 立党の原点を堅持する限り、党再建は必ずできる、と私は確信しております。議員のネットワークは庶民の声を党の主張に反映していく公明党の財産であります。

 これを生かすため、私がまず率先して「現場を歩く代表」「対話に動く党首」となって、党内外の第一線の皆さまとのひざ詰めの対話を行ってまいります。国会議員が徹して第一線に入っていく。現場に入って、動きに動き、語りに語り、公明党への理解を広げることからスタートさせてまいります。

 三つ目は、福祉、平和、教育、環境、人権に加え、中小企業対策などで公明党ならではの実績、政策を持っていることであり、また与党として国政を担った得がたい経験があるという点です。10年間、政権を担ったことで、わが党は国に責任を持つ自覚を深め、政策立案や遂行の面で鍛えられたことは間違いありません。

 転換期にある日本政治の中で、「弱者を守る福祉の党」「平和の党」など公明党らしい旗を鮮明にし、政策に磨きをかけていく。そして、「公明党がいれば日本の将来は安心だ」と国民の皆さまから支持される党へと脱皮、成長していくことに全力を挙げてまいりたい。

 以上申し上げました特長を持つわが党が、独自性を発揮しながら全党一丸となって立ち上がれば、必ず再建はできると私は確信しております。まず私が先頭に立ち疾駆してまいりますので、どうか皆さまのお力添えを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

5995名無しさん:2009/09/09(水) 19:48:26
>>5994

 【国会対応】

 さて、来週16日に特別国会が召集され、民主党中心の政権が始まりますが、公明党は政府に対して、国会論戦を通じて政策論議を深め、「生活を守り抜く」「清潔政治の実現」といった公明党が掲げた政策の実現をめざしてまいります。

 今後、公明党は野党の立場から、「国民生活のため」「日本の将来のため」を政策判断の軸として、言うべきことは言い、批判すべきことは批判する姿勢で臨んでまいりますが、まず、当面の政権移行に伴って、少なくとも国民生活に無用な混乱をきたさないよう、政府・与党の賢明な判断を望みたいと思います。

 政権が交代しても、現下の最大の課題が、100年に一度といわれる経済危機をどう乗り越えるかであることに変わりはありません。

 昨年来、私たちは130兆円におよぶ4度の予算編成で景気・経済対策を打ち、6月には景気の底打ち宣言、4月―6月の経済指標もプラス成長になるところまでもってきました。しかし、7月の完全失業率が過去最悪の5・7%となるなど、景気の本格的な回復に向けて正念場は続いています。

 報道によると、民主党政権は補正予算を凍結して、マニフェストの政策の財源に充てるといわれ、その凍結の対象には、解雇された人たちの職業訓練や生活支援なども含まれているようです。景気が回復しても失業率の回復は遅れるのが通例であり、この秋から冬にかけて6%を超える可能性も強まっています。政府には雇用・失業対策、そして景気回復の芽を絶対につぶしてはならないと強く申し上げておきます。

 私たちは政府・与党の政権・政策運営に対して、庶民の目線で、また中小企業の視点から厳しく見極め、対応してまいりたいと思います。

 【来夏の参院選勝利へ】

 本日の全国代表者会議は、来夏の参院選に向けての出陣の会合でもあります。参院選まで10カ月。いま最も大事なことは、「必ず次は勝つ!」「断じて勝つ!」との執念で、党の主体性発揮、3000人の議員のネットワークを生かした政策力アップなど党の活動全般にわたる課題を点検し、どんな困難な状況に直面しようとも断じて勝ち抜いていける強靱な党の構築を急ぐことであります。

 党再建なくして参院選の勝利はあり得ません。また参院選に勝利してこそ、再建がなったと言えるのであります。「党再建、即、参院選勝利」を合言葉に、怒濤の前進を開始していこうではありませんか。

 かつて経験したことのない大逆風の中、公明党は比例区で805万票を超すご支援をいただきました。今回の衆院選で初めて公明党を応援した、初めて公明党に投票したという有権者の方も数多くおられます。私は、そうした方々に心から感謝申し上げるとともに、今回できた縁、絆を大事にし、日常的に友好を深めていくことが、参院選勝利への大きな力となることを確信してやみません。

 全国の県代表、幹事長の皆さん!

 参院選勝利のカギは、団結と行動であります。どこまでも公明党らしく、全議員が団結し、心を一つにして戦っていこうではありませんか! 皆さまの獅子奮迅の戦いをお願い申し上げますとともに、私自身、その先頭に立って死に物狂いで戦い抜くことをお誓い申し上げ、本日のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。

5996名無しさん:2009/09/09(水) 19:50:11
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090901000231.html

公明党、自民との連携見直しも 山口氏、独自色強化へ
 公明党の山口那津男代表は9日午前のニッポン放送(ラジオ)の番組で、自民党との関係について「両党とも大きなダメージを受けた。今までの環境を前提にしたものが続くことはあり得ない」と述べ、党の独自色を強めるため国会対応などでの連携を見直す可能性に言及した。

 10年間の自公連立政権に関しては「連立での妥協で福祉や平和など公明党らしさが分かりにくくなった点は否めない」と指摘。来年夏の参院選に向けて「公明党の持ち味をしっかり訴え、国民との対話を深めていきたい」と述べた。

2009/09/09 10:49 【共同通信】

5997チバQ:2009/09/09(水) 20:04:00
http://mainichi.jp/select/seiji/seikenkotai/document/news/20090909ddm002010052000c.html
 ◇自民、その場しのぎの「若林氏」決着
 党の再生に向けた起点になるはずだった8日の自民党両院議員総会は、大きな波乱もなく1時間15分で終わった。党内で異論が強かった首相指名選挙での「白票」は認められず、落としどころは「若林正俊両院議員総会長」。農相、環境相を歴任した参院議員のベテランとはいえ、総裁候補でもない若林氏をその場しのぎで選ぶ事態に、党の危機的な状況が表れている。

 総会の冒頭で、麻生太郎首相は16日の特別国会前に総裁を辞任する考えを正式に表明。「戦う野党として政権奪還を目指す政党に生まれ変わっていかねばならん」と大見えを切ったが、その後は終始うつむき加減だった。

 首相が特別国会前に総裁を辞任し、次の総裁候補が見つからない中、白票で時間を稼ぐ−−。執行部のシナリオに、党内からは反対意見が相次いだ。新藤義孝衆院議員は総会で「党の代表を決めて投票する動議を出す」と発言。甘利明行政改革担当相は「白紙は権利放棄ではない。われわれの強い決意が秘められている」と強引に反論したが、白票賛成は約10人にとどまった。

 中堅・若手議員らは総会に先立って党本部で懇談会を開き、白票反対と執行部の即時退陣を申し合わせた。しかし、対案は若林氏か野田毅総裁選管理委員長への投票。総裁候補不在で最後の一押しができなかった。総会で執行部退陣を要求した江藤拓衆院議員に、細田博之幹事長は反論した。「われわれも一日も早く辞任したいのはやまやまだ」

 一方、河野太郎衆院議員は総裁選立候補に必要な推薦人を20人から10人に引き下げる動議を提出したが、賛成少数で否決された。「派閥主導でない候補者選び」を訴える中堅・若手に推薦人の壁は厚い。

 しかし、白票に反対してきた石破茂農相は総会後、記者団に「極めて満足する結果」と語り、矛を収めた。

 自民党は93年に下野した際、衆院選から4日後に両院議員総会を開催。河野洋平新総裁(前衆院議長)を選んだのは選挙から12日後だった。当時の自民党は比較第1党(223議席)だったとはいえ、党の再起にかける熱気と小沢一郎氏ら非自民勢力に対する敵対心はすさまじく、今日との差は歴然としていた。

5998名無しさん:2009/09/09(水) 20:19:27
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090909ddm005010037000c.html

公明党:山口新執行部体制発足 野党、苦難の船出 路線対立、小選挙区撤退論も
 公明党は8日、臨時全国代表者会議を開き、山口那津男政調会長の党代表就任を決定、新執行部体制が正式に発足した。衆院選大敗で99年から続いた自民党との連立政権に終止符が打たれる中、来年の参院選に向けた党勢立て直しを図る。しかし、「巨大与党」民主党を前に、10年ぶりに野党となる公明党が存在感をアピールするのは容易ではなく、党内には埋没への危機感が強まっている。【高山祐】

 「『政権交代』の大きなうねりの中で、連立政権10年で与党としての実績を積んだものの、党の独自性や公明党らしさを十分発揮できなかった」。山口氏は就任のあいさつで、衆院選敗北を率直に総括した。そのうえで、「野党の立場から『国民生活のため』『日本の将来のため』を政策判断の軸として、言うべきことは言い、批判すべきは批判する姿勢で臨む」と述べ、新政権への「是々非々」の姿勢を強調した。

 実際、山口新体制の前途は多難だ。衆院選惨敗のショックは癒やされず、逆に非自公派と自公派のせめぎあいが表面化。足元がぐらつき始めている。

 7日の常任役員会。席上、配られた山口氏のあいさつ案には、「政権運営に時間を取られ、支持者への説明が十分できなかった」と自公連立の負の側面を強調する文言が含まれていた。これを見た太田昭宏前代表と北側一雄前幹事長は「公明党らしさを十分発揮してきたし、努力もしてきた」と強く反発。結局、文面は修正された。

 公明党は連立政権で児童手当拡充や定額給付金などの政策を実現してきた半面、自衛隊の海外派遣容認など党の方針転換にかかわる「煮え湯」(幹部)も飲まされてきた。新代表の山口氏は、こうした側面を重視し、自公連立の清算と独自性発揮こそ、同党の再スタートを切るための一里塚との思いが強い。

 選挙戦略も定まらない。衆院選で候補を擁立した8小選挙区での全敗を受け、「自民党の票を上乗せしないと勝てない小選挙区に挑むのは身の丈にあっていない」(党幹部)との声が出始めた。支持母体・創価学会内でも「小選挙区撤退論」が上がるが、党内では「完全比例代表の政党になれば党勢が衰退する」との懸念が消えず、結論を見いだせない。

 反転攻勢への展望が開けない中、山口氏は8日の記者会見で「政策については、国民の理解を得られるならば協力はやぶさかではない」と、民主党との連携に含みを持たせた。政調会長に就任した斉藤鉄夫環境相は、鳩山由紀夫代表が「2020年までに90年比25%減」との温室効果ガス削減目標に言及したことを受け「高く評価したい」と述べ、鳩山新政権への秋波を送った。

 ただ、民主党は衆院選で308議席を得た巨大与党。これまでのように選挙の集票力を武器に、公明党が「第三極」として存在感を示せる余地は少なく、新執行部は難しいかじ取りを迫られている。

5999名無しさん:2009/09/09(水) 20:19:43
>>5998

 ◇自公選挙協力、暗転 07年以降、比例票落ち込み
 公明党は1999年の自自公連立政権参加後、衆院選、参院選とも比例代表の得票数を着実に伸ばした。それぞれのピークは、04年参院選の862万票、05年衆院選の898万票。国民の支持が高かった小泉純一郎内閣時代、「選挙区は自民、比例は公明」という自民党との選挙協力が定着していったことを裏付けている。

 これが暗転したのが民主党が大勝した07年参院選。公明党の比例得票数は04年参院選比10%減の776万票で、比例で共産党の後塵(こうじん)を拝した98年参院選(774万票)の水準まで落ち込んだ。今回の衆院選でも党勢は回復せず、05年衆院選比10%減の805万票にとどまった。

 衆院選で毎日新聞が実施した出口調査によると、小選挙区、比例代表とも自民党支持層の約3割が民主党に流れたとみられる。

 07年の参院選や今回の衆院選で自公両党が大敗したのは、長年の自公選挙協力が硬直化し、機能しなくなっていたためと言える。自民党は公明党の支持母体・創価学会票への依存を深めすぎ、選挙での体力を失った。公明党も比例代表で思うような見返りを自民党から得ることができなくなった。二つの国政選挙での敗北は、政策的な違いを度外視した「もたれ合い」の限界を示唆している。【中田卓二】

 ◇政権10年、揺れた「平和」の党是
 1964年に結成され、67年に衆院に進出した公明党は旧社会党、旧民社党と連携して政権を目指した時期もあったが、90年代に入って自民党との連携に大きくシフトした。92年の国連平和維持活動(PKO)協力法を巡っては、社会党や共産党が法案に反対する中、国連平和維持軍(PKF)の凍結などの修正を加えたうえで賛成に回った。これによって自衛隊のカンボジア派遣が実現した。

 93年衆院選を受け、公明党は非自民勢力による細川護熙連立政権に加わり、初めて与党に。94年に非自民政権が下野した後は、小沢氏主導で結成された新進党に合流し、自民、社会、さきがけ3党の連立政権に対抗した。

 しかし、97年暮れに新進党が解党し、98年に公明党が再結成されてからは、神崎武法代表(当時)のもと再び自民党に接近する。同年12月には公明党の要望を自民党が受け入れ、「地域振興券」が実現。99年8月には、公明党は自由党とともに自民党に協力し、国旗・国歌法、組織犯罪対策3法など国家統制色の強い法案を次々に成立させた。99年10月には自自公3党の連立政権が発足、小泉純一郎政権時代の03年11月からは自公連立体制になった。

 公明党の苦悩が最も大きかったのは、03年7月に成立したイラク特別措置法による自衛隊のイラク派遣への対応。国際世論がイラク戦争の正当性を巡って揺れ、支持母体の創価学会からも反対論が上がる中、公明党は神崎代表(当時)のイラク電撃訪問を経て、派遣容認に踏み切った。【田所柳子】

6000名無しさん:2009/09/09(水) 20:20:27
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090909-OHT1T00017.htm

麻生首相に代わりまして、代打・若林氏
 自民党は8日、両院議員総会を党本部で開き、麻生太郎首相(68)が特別国会が召集される16日午前に内閣総辞職し、党総裁も辞任する意向を表明した。衆院選惨敗のショックが冷めず、総会は大紛糾。16日の首相指名選挙をめぐり、党執行部が白紙投票の方向で調整していたが、異論が噴出。急きょ、両院議員総会長である若林正俊参院議員(75)に投票する方針を総会内で決めるドタバタぶり。総会すら制御できない執行部の信頼は地に落ちた形だ。

 「落日、自民」を象徴する窮余の策だった。

 特別国会の首相指名選挙で、党総裁の“代打”に白羽の矢が立ったのは若林氏だった。混乱状態の党内意見を集約の狙いがある暫定的措置とはいえ、首相指名選挙で自民党が参院議員に、しかも、総裁以外の議員に投票するのは初めて。ましてや若林氏は、派閥のボスを経験した大物でもない。

 安倍内閣から福田内閣にかけ、大臣の自殺や辞任で過去3度にわたり“代打農相”をしたことで知られる。久々の代打に「私が選ばれたことに意味合いはないが、党の出直しを図る意味ではよかったと思う」と困惑気味に語った。

 衆院選後初めて開かれた両院議員総会。自民党は改選時より181減らし、衆参200議席の小所帯になった。党総裁の麻生首相は、16日午前に内閣総辞職と総裁を辞任する意向を表明し「われわれは野党になるんだから! 決意を新たにして、一致団結して戦うことをお願いする」と力を込めて語った。しかし、拍手はほとんどなかった。

 総会では、16日の特別国会での首相指名選挙での対応をめぐって紛糾した。出席者はこぞって「総会の場で誰に投票するかを決めるべき」と党執行部に迫った。

 党内で「『麻生太郎』と書くのは嫌」とする意見が大勢の一方で、「白紙投票は国会議員の職場放棄」(石破茂農相)との声も噴出。そこに複数の出席者から「若林氏か野田毅総裁選挙管理委員長が、ふさわしい人物に上がっている」との提案があった。

 異例の緊急動議が出され、白紙投票で調整する方向だった執行部は「われわれに一任を」(細田博之幹事長)と一度は抵抗。だが、声に押され、細田氏はヤケ気味に「若林氏に、という声が多いのでお願いしたい」と多数決を取り、拍手で了承された。

 総裁選の対応でも混乱した。河野太郎衆院議員が立候補に必要な推薦人を、20人から10人に減らすよう求める緊急動議を提出。怒号が渦巻く中の多数決で、過半数に満たず否決された。

 普段は“シャンシャン”で終わる総会が、まさかの展開の連続。緊急動議が採決される事態、珍しいことだ。選挙でボロ負けし、威光が消えた執行部の“堤防”は、完全に瓦解した。総会後、6日ぶりに記者団のぶら下がり取材に応じた麻生首相は「党再生のスタートとしてはよかった」と語ったが、危機感をあらわにする中堅・若手議員の攻勢に屈したような突き上げ総会となった。

6001名無しさん:2009/09/09(水) 20:21:27
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2009090902000045.html

公明党 克服できるか“与党癖”
2009年9月9日

 敗戦処理に手間取る自民党より一足早く、衆院選の同じ敗者、公明党が新体制を発足させた。自公連立十年で染み付いた“与党癖”をぬぐえるかがポイントだ。平和と福祉の原点に戻って立て直せ。

 新代表に就任した山口那津男氏は、かつて衆院東京17区で自民の平沢勝栄氏と争って二度敗れ、参院に転じて議席を得ている。

 その参院東京選挙区では八年前と二年前の二度続けて、自民を含む他党候補と戦った。自公の選挙協力と縁遠かった履歴の代表登板は、取りざたされる「自民離れ」を象徴しているように見える。

 山口代表は新幹事長の井上義久氏とともに早速、来年の参院選を勝つ陣立てを迫られる。

 今回衆院選で公明は、現職の代表、幹事長らが立った小選挙区八議席をすべて失い、比例代表だけの党になった。反自民の嵐に巻き込まれ、連立実績もマイナスに作用して、創価学会の固い支持基盤でも太刀打ちできなかった。

 新執行部に連立十年の総括をきちんとして再建に着手するよう期待する。連立与党として苦渋の決断もあったであろう過去二代の執行部は不本意かもしれないが、政権交代を求めた有権者の目には、公明が「たそがれる自民の補完勢力」と映っていたのではないかと思われるからである。

 「平和と福祉」「大衆と共に」を掲げる党が、小泉政権のイラク戦争支持を後押しし、市場万能主義のまん延を止められず、衆参のねじれ状況で起きた自民首相の投げ出しを容認した。法案の衆院再議決乱発を可能にして民心を倦(う)ませたのも、政権維持を至上命令とした結果だったのではないか。

 与党癖は中央政界だけでない。この十年が地方議会での公明の保守与党化を進展させた。権力は腐敗する。しがらみにとらわれるようになれば、党勢が頭打ちになるのも自然な流れだろう。党立て直しは地方を除外して語れない。

 結党の原点に戻り、健全な野党としての再出発を求める。

 折から創価学会トップが、核兵器廃絶、核に依存しない安全保障を唱えた。党と学会一体の関係に疑念を抱く向きは少なくないが、その発言に党が原点を再認識するとしたら、大方の理解は得られることだろう。

 国会は一転、民主党多数の政権与党が牛耳る。新執行部は安易な妥協に走ることなく、権力監視に持ち前の情報力、行動力を発揮して鋭い論陣を張るべきである。

6002名無しさん:2009/09/09(水) 20:28:40
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090909/stt0909090007001-n1.htm

自民内に渦巻く「私怨」 再生の道険し  (1/2ページ)
2009.9.9 00:03

このニュースのトピックス:政権交代

両院議員総会の終盤には席を立つ議員も多く、空いたパイプイスが目立った=8日午後4時19分、東京・永田町の自民党本部(酒巻俊介撮影) どこまで迷走を続けるのか−。8日の自民党の両院議員総会は1時間を超え、怒号とヤジが飛び交ったが、決まったことは総裁選の日程と、首相指名選挙で「緊急避難措置」として両院議員総会長の若林正俊元農水相の名を投じることくらい。半世紀にわたり、政権を担ってきた巨大政党はすっかりその矜持(きょうじ)を失ってしまった。

 「われわれは野党になるんだから、その決意をきちんと示さねばならない。戦う政党として決意を新たに政権の奪還を目指していく。そういう政党に生まれ変わっていく。一致団結をお願いする」

 麻生太郎首相(総裁)は淡々とした表情でこうあいさつした。衆院選後の党内の混乱にほとほと嫌気が差したのか、すっかり「油っけ」が抜け、達観しているようにもみえた。

 首相は自らへの批判が噴出することを覚悟していたようだが、首相への批判はほとんどなく、出席議員の怒りの矛先は細田博之幹事長ら党執行部に集中した。

 高市早苗元少子化担当相「なぜ首相指名選挙までに総裁選をやらなかったのか」

 江藤拓衆院議員「麻生総裁の辞任は大変な決断だが、執行部はいつまで残るのか。一緒に辞めないのか」

 後藤田正純衆院議員「この場で執行部に対し質問すること自体甚だ理解できない。総裁を選ぶまで、誰かが暫定統治し道筋を作らないと話にならない」

 総裁選の前倒し要求が強かったのは、首相指名選挙で「敗軍の将」である首相の名を書きたくないという思いが強いからだ。かといって執行部の腹案だった「白紙投票」も嫌だ。別の人物の名を書くのも抵抗がある。衆院選大敗のやり場のない悔しさをどこにぶつけたらよいのか。総会では、そんな個々の「私怨」が渦巻いた。

 派閥領袖による談合型の党運営にも不満が噴き出した。「ボスが集まって談合するようなことはもう絶対にやめてくれ」(加納時男参院議員)、「派閥の幹部が出てきて総裁選を左右するようなことはもうないとはっきりさせてくれ」(大村秀章衆院議員)。

 だが、「世代交代」を訴える若手・中堅から「おれに任せろ」という声はついに上がらないまま。小野寺五典(いつのり)衆院議員は「中堅・若手が主体となり一致結束して名前を書くことをお願いしたい」と言ったが、具体名は出さないまま。「じゃあ、お前がやるって言ってみろ」とヤジを浴びた。

 総裁選出馬が取りざたされている石破茂農水相も「ここで異論があろうと、決まったことには全員が従うのが党員の務めだ」と発言しただけ。石原伸晃幹事長代理、谷垣禎一元財務相らは何も発言しなかった。

 党再生も声高に叫ばれたが具体性はゼロ。茂木敏充元行革担当相は「戦う議論を国会でするにはどういう人材を配するのか。政調と国対が一体になって議論すべきだ」と発言すると、大島理森国対委員長が烈火のごとく怒り出し、「国対の話が出たが、あなたが考えている以上に考えている!」と罵倒した。

 自民党は保守政党なのか。この本質論も深まることはなかった。西田昌司参院議員は「次の参院選で現有議席を減らすようなことがあれば自民党の再生はない。保守勢力が再結集しなければ民主党には勝てない」と訴えたが、賛同の声はほとんどなかった。

 総会では約30人が発言したが、議論が深まることはなく、結束に向け意気上がる場面もなかった。

 総会終了後、帰路についた古賀誠元幹事長は自嘲(じちょう)気味にこうつぶやいた。

 「残念ながら『道険し』だな…」

(大谷次郎)

6003名無しさん:2009/09/09(水) 20:44:30
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20090909/CK2009090902000125.html

知事選 “側近政治”が自民敗因 橋本知事会見で山口会長に言及
2009年9月9日

 橋本昌知事は八日、知事選当選後初めての定例会見で、知事選などの大敗を受けて引責辞任した自民党県連の山口武平会長について「大変偉大な人だったが、近年は一部の人からしか情報が入らなくなったのではないかと思う」と述べ、“側近政治”が敗北に結び付いたとの見方を示した。 (高橋淳)

 山口氏の優れた資質として、情報収集力、統率力などを挙げた上での発言。知事選では自民推薦の元国土交通省次官、小幡政人候補を支持しない同党員が続出。党内には「山口氏の求心力が低下した」との指摘もあったが、同氏を支える執行部に問題があったことを示唆したとみられる。

 県議会最大会派である自民との関係については、海野透幹事長の「野党宣言」を踏まえ、「あくまで野党と言われるのか。あれは個人的な考えで、党として別の対応になるのか」と疑問を呈し、県連新執行部の出方を見極める考えを明らかにした。県連内には「橋本県政」への基本姿勢をめぐって、「是々非々」「親橋本」などの声もあり、足並みの乱れを見透かした形だ。

6004名無しさん:2009/09/09(水) 21:06:54
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090901000587.html

山口新代表“全方位外交”で始動 各党党首に就任あいさつ
 公明党の山口那津男代表は9日、各党党首を国会内などに訪ね、就任のあいさつをした。民主党の鳩山由紀夫代表には政策によっては協力する考えを表明。一方で自民党の細田博之幹事長にも関係継続を申し入れるなど“全方位外交”を展開した。

 同席者によると、鳩山氏とは環境政策や子育て支援で「主張が同じだ」と意気投合。民主党側が「新進党時代に一緒に政策協議をした経験がある。根っこに共通項があるので協力できる余地がある」と呼び掛けると、山口氏は「具体策でどうすべきかこれから話し合いたい」と前向きな姿勢を示したという。

 これに先立ち訪れた自民党では、細田氏に「従来の関係を踏まえ、引き続きよろしくお願いしたい」と要請。「協力できるところは協力しよう」との細田氏の言葉には「同感だ」と応じた。ただ民主党とは20分を超えたのに対し、自民党とは10分ほどで終了した。

 社民党の福島瑞穂党首には「連立は最初が大事だ」とアドバイス、民主党が掲げる衆院比例代表定数の削減に反対することで一致した。共産党の志位和夫委員長、国民新党の亀井静香代表とも意見交換した。

2009/09/09 17:08 【共同通信】

6005名無しさん:2009/09/09(水) 21:07:31
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090900746

日中関係、今後も重視=公明代表
 公明党の山口那津男代表は9日、党本部で中国の武大偉外務次官と会談、民主党への政権交代が確実となったことを踏まえ「野党とはいえ末永く交流を続けたい」と述べ、今後も日中関係を重視していく考えに変わりのないことを伝えた。武氏は「(自公連立政権の)10年間、公明党は日中関係に特別な貢献をしてきた」と応じた。(2009/09/09-17:48)

6007名無しさん:2009/09/09(水) 21:21:51
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090909/stt0909092045034-n1.htm

自民幹事長が3党の政策合意を批判
2009.9.9 20:45
 自民党の細田博之幹事長は9日、都内で記者団に対し、民主、社民、国民新の3党連立政権樹立に伴う政策合意について「郵政民営化(の見直し)は民間企業としてスタートしているのに逆行している。労働者派遣法の改正は、内容によってはかえって雇用促進を阻害するおそれがある」と批判した。

6008名無しさん:2009/09/09(水) 21:28:05
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090909/stt0909092044033-n1.htm

自民総裁選 動けぬ若手 動かぬベテラン 深刻な人材難か (1/3ページ)
2009.9.9 20:42
 18日告示の総裁選を控えているにもかかわらず、自民党内には、候補として名乗りを上げる議員も、特定議員を担ごうとする議員も出てこない静けさが漂っている。衆参ともに第一党でない完全な「野党総裁」になることもあってか、有力候補は続々と不出馬を表明するか、模様ながめを決め込む一方、「世代交代」を叫ぶ中堅・若手も独自候補を擁立するまでに至らないからだ。惨敗ショックが尾を引いているとはいえ、このままでは自民党は「人材難」だとの印象を与えかねない。   (水内茂幸)

 先月30日の衆院選後、自民党内は特別国会での首相指名選挙の候補者をめぐって混乱した。だが、首相指名直前に麻生太郎首相が総裁を辞任すると表明。これを受けて8日の両院議員総会では元農水相で同総会長の若林正俊参院議員に投票することで決まり、党内は「ポスト麻生」の行方が最大の関心となった。

 しかし、「大本命」とされていた舛添要一厚生労働相や、昨年の総裁選に出た小池百合子元防衛相は早々に不出馬を表明。一時は総裁選に意欲を示していた谷垣禎一元財務相や石破茂農水相は、慎重な言い回しに終始している。

 こうした中、谷垣氏の側近議員が9日朝、谷垣氏支持を固めている古賀派議員に電話でこう語った。

 「今週は出馬の『しゅ』の字も言ってはならない」

 森喜朗元首相や青木幹雄前参院議員会長ら、党のベテラン議員が「谷垣氏支持を示唆した」という一部報道を受けてのものだ。

 今度の総裁選は国会議員票が200。対する地方票は300もある。派閥政治打破や世代交代の機運が高まる中、森氏や青木氏らが背後にいるとみられてしまったら地方から総スカンをくう恐れがあるためだ。

 この側近は「中堅若手が候補を擁立できず、自然発生的に谷垣氏に支持が集まる図式でないと出馬は難しい」と胸のうちを明かす。

 自らの出馬の是非について、「両院議員総会の議論を聞いてからだ」としていた石破氏も、両院議員総会終了後は「誰がどのような役割を果たすべきかが大切だ。『おれがおれが』という総裁選は好ましくない」と明言を避けた。

 石破氏には、論客で清新なイメージがあるとして中堅を中心に出馬を求める声がある。しかし、昨年出馬した総裁選で推薦人となった20人のうち14人が落選してしまったため、石破氏の関係者は「意外と推薦人確保に苦労している」とこぼす。

 一方、中堅・若手グループは連日のように会合を開き、影響力を誇示しようと躍起だ。

 7日夜には40人が集まる会合があり、菅原一秀衆院議員が、「誰か手を挙げる議員が出てほしい」と促したが、みな下を向いたままだったという。

 ある閣僚経験者は、「若手は党首が前面に出る小選挙区制の選挙しか知らない『サラリーマン政治家』が多く、主体的に行動できる議員が少ない」と力量不足を嘆いている。

6009名無しさん:2009/09/09(水) 21:34:16
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090909/plc0909091949006-n1.htm

閑古鳥鳴く官邸 首相は「昨年秋の選挙なら惨敗しなかった」と愚痴る
2009.9.9 19:48

このニュースのトピックス:麻生内閣

麻生太郎首相=首相官邸(酒巻俊介撮影) 「昨年秋に衆院選をしていたら、こんなに負けていなかった」−。麻生太郎首相は9日、首相官邸を訪ねてきた海洋政策研究財団の秋山昌広会長に、衆院選で自民党が惨敗したことを愚痴った。首相官邸の「明け渡し」を前に、懸案は特になく来客もまばら。首相官邸では「閑古鳥」が泣いている。

 首相はこの日、20日の誕生日を前に自動車免許の更新手続きを行うため、東京・内神田の運転免許更新センターを訪れた。健康法として続けている公邸周辺のウオーキングはほぼ毎朝しているが、公務で忙殺されていたころとは一転した静かな生活を送っている。

 2日に記者団に衆院選敗北のいらだちをぶつけた「ぶらさがり取材」は、8日夜には再開したものの、9日はなかった。記者団とのやりとりさえも避けたい首相の苦悩がうかがえる。

6010名無しさん:2009/09/09(水) 21:37:07
こんな男を担いだら、そりゃ負けるな。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090900377
昨秋ならこんな負けなかった=麻生首相
 麻生太郎首相は9日午前、首相官邸で海洋政策研究財団の秋山昌廣会長と会談した。首相はこの中で、衆院選の自民党惨敗に関し「昨年秋に衆院選をしていたら、こんなに負けていなかった」と述べた。
 首相は昨年9月の就任直後にも衆院解散のタイミングを探ったが、米国発の世界同時不況への対応を優先し、解散を今年7月まで引き延ばした経緯がある。秋山氏によると首相は、「(昨秋解散していれば)経済対策はできなかった。その辺は民主党にも分かっている人はいる」とも指摘。また、「選挙前で1キロ、選挙中で1キロやせた」と厳しい選挙戦を振り返っていたという。 (2009/09/09-12:38)

6011名無しさん:2009/09/09(水) 22:14:58
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009090900998

世代交代求める声も=古賀派、総裁選対応を協議
 自民党古賀派は9日夜、都内で会合を開き、18日告示の総裁選について意見交換した。逢沢一郎事務総長、塩崎恭久元官房長官ら4人が出席。会合では「世代交代した方がいい」などの意見が出された。同派内には、代表世話人を務める谷垣禎一元国土交通相の擁立論があるが、谷垣氏自身は世代交代を唱え、出馬に慎重姿勢を崩していない。
 山崎派も9日夜、中堅・若手の議員が都内で集まり、総裁選への対応を協議する。(2009/09/09-21:37)

6012名無しさん:2009/09/09(水) 22:18:02
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090901001016.html

「どだい無理な連立」 自公、外交・安保で追及
 自民、公明両党は9日、民主、社民、国民新3党が連立政権樹立で合意したことについて「どだい無理な連立」(自民党幹部)と受け止めている。3党の隔たりが大きいとみられる外交・安全保障政策など連立政権の溝に照準を合わせ国会審議で追及する構えだ。

 自民党の細田博之幹事長は記者団に、連立政権での日米関係や沖縄の基地問題を挙げ「これまでの流れに逆行している。米国との交渉をみたい」と指摘。郵政民営化見直しを「民間企業を公社化するのに等しい。逆行だ」と批判した。

 茂木敏充前行政改革担当相は「それぞれの政党で外交や政策の財源について考え方が違う。健全野党の立場で、ただすべきはただしたい」と述べ、政策の違いを浮き彫りにする考えを示した。

 公明党の山口那津男代表は「憲法のとらえ方、解釈など基本的なところで差異がある。そこが折り合わない中で施策をまとめようとすれば無理が出てくる。懸念を覚える」と強調した。

2009/09/09 21:35 【共同通信】

6013とはずがたり:2009/09/10(木) 14:47:15
自民党 地方幹事長が激怒の裏側 (ゲンダイネット)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_makoto_koga__20090910_3/story/10gendainet02042828/

●自分だけ当選で笑いが止まらないか

 世の中にはTPOというものがある。ニヤニヤ笑いながら謝罪されたら、“バカにしてんのか”と感じる。余計に頭にくるものだ。

 自民党の衆院選の惨敗を受け、47都道府県連の幹事長らを集めた「全国幹事長会議」が先週末に開かれた。

 麻生首相は冒頭、「われわれの力の足らざることを深くお詫びする」と陳謝。深々と頭を下げてみせたが、当然ながら厳しい批判が続出した。

「党内の混乱がひんしゅくを買って、自民党離れが起きた」(千葉県連)

「これ以上ゴタゴタが続くなら、われわれ地方はもう責任が負えない」(長野県連)

 中には、「国会議員のセンセイ方にはチャラチャラとTVに出るのを控えた方がいい」という意見もあり、腹の内にため込んでいた不満が爆発した格好だ。

 ほとんど吊るし上げだが、紛糾の原因は古賀誠だという。その場に居合わせた関係者がこう証言する。

「部屋に入ってきた時から顔がニヤけっぱなし。執行部の他のメンバーは一応、神妙そうな顔をして謝罪しているのに、古賀さんだけはニヤニヤしていた。だいたい。東国原知事を選挙に担ぎ出そうとして、国民のひんしゅくを買ったのは古賀さんでしょう。いわばA級戦犯のひとりですよ。それに、選挙直前に選対委員長の職務を放り出し、地元にへばりついて、自分だけ当選した。そのうえヘラヘラだから、その態度が、出席者の怒りの火に油を注いだのです」

 しかも、自身が率いる古賀派は、最大派閥の町村派を抑えて衆院の第1派閥に躍り出た。笑いが止まらないのは分かるが、こんなKY男が生き残るようじゃ、自民党はいよいよオシマイだ。

(日刊ゲンダイ2009年9月7日掲載)

[ 2009年9月10日10時00分 ]

6014とはずがたり:2009/09/10(木) 14:50:52
>>6092
この2人のやりとりはこの記事だけだとなんで大島が怒り出したのかよくわからんのですけど,この2人なんか仲悪かったんですかね?
>党再生も声高に叫ばれたが具体性はゼロ。茂木敏充元行革担当相は「戦う議論を国会でするにはどういう人材を配するのか。政調と国対が一体になって議論すべきだ」と発言すると、大島理森国対委員長が烈火のごとく怒り出し、「国対の話が出たが、あなたが考えている以上に考えている!」と罵倒した。

6015とはずがたり:2009/09/10(木) 17:06:21
なんかあんま社会党と変わらんねぇ

>>5998
>公明党は連立政権で児童手当拡充や定額給付金などの政策を実現してきた半面、自衛隊の海外派遣容認など党の方針転換にかかわる「煮え湯」(幹部)も飲まされてきた。

>>5999
> 公明党の苦悩が最も大きかったのは、03年7月に成立したイラク特別措置法による自衛隊のイラク派遣への対応。国際世論がイラク戦争の正当性を巡って揺れ、支持母体の創価学会からも反対論が上がる中、公明党は神崎代表(当時)のイラク電撃訪問を経て、派遣容認に踏み切った。

6016とはずがたり:2009/09/10(木) 17:10:13
>>5996
>公明党、自民との連携見直しも 山口氏、独自色強化へ
結局学会が何というかなんですけど,聖教新聞辺りの民主党への罵詈雑言は今現在どうなってるんでしょうかね?

6017名無しさん:2009/09/10(木) 19:16:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090910/stt0909101751009-n1.htm
公明、山口代表が全国行脚 選挙総括を前倒しへ
2009.9.10 17:51

公明党の山口那津男氏 公明党は10日の中央幹事会で、選挙総括と党再建のため山口那津男代表が全国行脚することを決めた。

 12日に千葉、福岡市内のホテルで、県内の地方議員らを集めて議員総会を開くのを手始めに、ブロックごとに開催する予定。

 また、選挙総括と参院選態勢スタートのため、来月3日に予定していた全国県代表者会議も月内に前倒しし、26日にも開く方向で調整に入った。

6018名無しさん:2009/09/10(木) 19:39:10
http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY200909100124.html

民主にならい「次の内閣」 野党の覚悟、自民若手が提案2009年9月10日19時16分
印刷

ソーシャルブックマーク
 総選挙で歴史的惨敗を喫し、野党に転落する自民党が、党改革の柱として「次の内閣」(ネクストキャビネット=NC)設置の検討を始めた。民主党がNCを中心に政策を検討し、政権交代に備えてきたことにならい、野党として腰を据えて政策作りに取り組み、党の再生につなげるのが狙いだ。

 NCは野党が政権に対抗して作る組織。民主党は99年、英国にならって設置し、初代「次の首相」に当時も代表だった鳩山由紀夫氏が就いた。07年参院選後、野党が参院で多数を握る「ねじれ国会」になって存在感が高まり、最近はNC大臣が担当する常任委員会の筆頭理事に就任。麻生首相は昨年11月の党首討論で「NCと我々の担当大臣らが議論できる場を与えてほしい」と提案した。

 自民党は麻生首相の辞任表明に伴い、後継を選ぶ総裁選の日程を「18日告示、28日投票」と決定。一方、総選挙の敗因を分析する党再生会議を設置したが、9日の初会合で若手議員からNC設置案が提起され、執行部も検討に着手した。総裁選の候補者が公約に掲げる可能性もある。

 これまで自民党の政策決定は各省庁に対応した部会で議論を積み上げ、政調審議会、総務会で決める仕組み。幅広い意見を吸い上げる利点があるが、責任と権限の所在があいまいでスピード感に欠け、各省庁と結びついた族議員を生む温床にもなっていた。

 NC設置案の背景には、野党になることで、従来のように政策決定で官僚に頼れないという事情もあるが、NCのメンバーが国会論戦の表舞台に立てば、自民党が政界工作による政権復帰ではなく、二大政党の一翼として政策を争点に次の総選挙で政権奪回をめざす姿勢を示す象徴にもなりそうだ。(山下剛)

6019名無しさん:2009/09/10(木) 19:45:24
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009091000404

公明代表が全国行脚へ
 公明党の山口那津男代表は10日の中央幹事会で、党再建に向けて地方の意見を聞くため、全国行脚に乗り出す意向を示した。月内にもまとめる自公連立政権10年の総括にも反映させる。全国行脚は12日の千葉、福岡両県からスタート。公明党の県議や市町村議員らを集めて意見聴取するほか、離島訪問なども検討している。(2009/09/10-12:27)

6020名無しさん:2009/09/10(木) 19:53:23
素顔from公明新聞

http://www.komei.or.jp/news/2009/0910/15405.html
党再建に駆ける新代表・新幹事長の横顔
公明新聞:2009年9月10日

山口那津男代表、井上義久幹事長

 8日の臨時全国代表者会議で、山口那津男代表、井上義久幹事長ら新執行部が決まった。党再建に全力で取り組む新代表と、新幹事長の横顔を紹介する。

山口那津男 代表
「大誠実」貫く対話で庶民の中へ

 「悔しさをバネに頑張れ!」「不死鳥のように蘇れ!」――小選挙区ですべての議席を失うという衆院選結果を受け、党本部には連日、多くの支持者から励ましのメールや手紙が続々と届く。

 文面ににじむ“党再建”への熱い期待。「この思いに命懸けで応える。誠実に応える。それ以外にない」と、山口さんは決意を新たにする。

 さわやかで明快な語り口は、テレビ討論でもおなじみ。国会論戦での緻密な論理と独自の調査を基にした鋭い追及は“政界きっての論客”と定評がある。新代表に推挙された理由に「党再建を担う清新なイメージの持ち主」「政策に通じ発信力があり、論戦に強い」とある通りだ。

 愛称は、なっちゃん。「人の痛みを分かち合うところから、すべてが始まる」と、人の話にじっくり耳を傾け、親身に相談に乗る。誰にでも分け隔てのない振る舞いは、弁護士時代から一貫して変わらない。まさに、座右の銘である「至誠一貫」(国民に対して誠実を貫き通す)のままだ。

 紛争後も住民の命や手足を奪う「地雷」の除去支援や、子爆弾を散布し無差別に人を殺傷する「クラスター弾」の全廃、離島支援や学校耐震化、東京大気汚染訴訟の全面解決など、実績の多くは“誠実な対話と行動”から生まれた。

 「平和や国際貢献を叫ぶ政治家は大勢いますが、『現地の人々を幸せにする』との強い覚悟で一緒に汗を流してくれたのは山口さんだけ」(海外で地雷除去活動を展開する雨宮清・山梨日立建機㈱代表取締役)など、信頼が大きく広がる。

 党代表を務めた神崎武法常任顧問は、「バランス感覚があり、頭も柔軟。2度の落選で、悔しさのなか捲土重来で頑張ってきた人だ。党再建へ指揮を執るのにふさわしい」と期待する。

 党再建へ――。「率先して『現場を歩く代表』『対話に動く党首』になる」と山口さん。公明党らしい“大誠実の政治”が今、動きだす。

 1952年、茨城県生まれ。東京大学法学部卒。弁護士。90年に衆院初当選(当選2回)し、2001年から参院議員(現2期)。防衛政務次官、党政務調査会長など歴任。妻と1女2男の5人家族。東京都在住。57歳。

6021名無しさん:2009/09/10(木) 19:53:34
>>6020

井上義久 幹事長
全身全霊かけ「勝ち抜ける党」に

 山口新代表から、党運営の舵取り役の幹事長に指名された。これまで政務調査会長や税制調査会長など党要職を歴任した豊富な経験と、確かな力に白羽の矢が立てられた。「党務全般に通じ、政策にも明るい。まさに適任」とは周囲の一致した評だ。

 公明党が総力を挙げて取り組む党再建。井上さんは「新代表を全身全霊で支えていく。来年夏の参院選に向けた体制づくりが最大の課題だ。まず衆院選の総括、自公連立10年の総括をしっかりやりたい」と語る。

 衆院選で公明党は残念ながら、有権者の期待に応えられなかった。党の「力不足」をどう克服して再建への道を開くか。

 「比例区で『公明党』と書いてくださった方々が全国に805万人もいる。公明党には、3000人の議員が緊密に連携するネットワークがある。その財産を生かして、国民、支持者とのヒザ詰めの対話を重ねる現場から、『新しい党』『勝ち抜ける党』をつくりたい」と力を込める。

 比例東北ブロック選出。時間の許す限り、東北各地の農家や過疎集落を回り人々の声に耳を傾けてきた。

 「人には、誰しも自分らしく生きる権利がある。それをしっかり支えるのが政治本来の役割」が持論。井上さんが学生時代のボランティア活動や、公明新聞記者時代の取材を通じて得た結論だ。初当選から20年近くを経た今でも、その信念は微動だにしない。

 悩み苦しむ人の願いを真正面から受け止める。政調会長として「がん対策基本法」の制定や、内部障害を示す「ハート・プラスマーク」の普及のほか、高次脳機能障害や不妊治療への支援に取り組んだ。どれも、政治の手が届きにくかったものばかりだ。

 誰に対しても分け隔てなく誠実に接する態度。その人柄に引かれ、井上さんの周りには人の輪ができる。だが、ひとたび政策実現に挑むと、抜群の判断力と交渉力を発揮する。党再建へ、「党一丸となって動き語っていきたい」と決意も固い。

 1947年、富山県生まれ。東北大学工学部卒。90年に衆院初当選、96年から比例区東北ブロック選出。当選6回。党政務調査会長、税制調査会長、副代表など歴任。妻と1男1女。仙台市宮城野区在住。62歳。

6022名無しさん:2009/09/10(木) 19:55:44
http://www.nnn.co.jp/news/090910/20090910036.html

石破氏トーンダウン 自民総裁候補選び
2009年09月10日

 16日の首相指名選挙への対応を決めた自民党内の焦点は総裁候補選びに移った。候補と目される石破茂農相はいったんは「(石破しかいないというなら)逃げてはいけない」と意欲を示したとも取れる発言をしたが、その後「今は言うべきときではないし、言う立場にもない」とトーンダウン。自身の出馬について今のところ明言を避けている。周囲の目立った動きも見えず、様子見の状態が続いている。


会見で党の再生について持論を述べる石破農相。総裁選への出馬については明言を避けている=8日、東京・霞が関の農林水産省
■推薦人確保は
 「立候補の覚悟は?」「環境が整えば出馬するのか」。8日の両院議員総会後、報道陣に囲まれた石破氏。出馬するか否かに集中する質問に対し、否定も肯定もせず「どういう態勢で臨めばみんなが一致して来年の参院選に臨めるかの議論がなされるべきで、おれがおれがという総裁選は好ましくない」とかわした。

 総裁選に出馬するには20人の推薦人が必要だが、衆院選で石破氏が所属する額賀派(旧津島派)の衆院議員は45人から14人に激減。昨年、石破氏が総裁選に出馬したときに推薦人となった20人は6人しか残っておらず、推薦人確保への道は険しい。8日に開かれた派閥の総会でも新総裁に関する議論はなく、派内で石破氏擁立の目立った動きは見えない。

■地元も複雑
 総裁選出馬の有無こそ口にしないものの、石破氏は党の再生には意欲を示す。「閣僚としての仕事が続き機会がなかったが、何度も党運営をやりたいと思った」と本紙取材に明かすが、そのポジションには言及せず「誰がやるかではなく、まず何をやるかを議論すべき」と述べるにとどめる。

 ただ、自民党総裁になるということは、野党に対する厳しい逆風の矢面に立つことでもある。党鳥取県連の山根英明幹事長は「まだ若い金の卵。今出なくてもいい」と総裁選出馬を見送るよう進言するなど、地元の思いも複雑だ。

 8日夜、額賀派の参院議員による会合が開かれたが、出席者によると石破氏をはじめとする総裁候補の名前は挙がらなかったという。一方で党内若手議員の間からは従来の派閥主導の総裁選の在り方を否定する意見も。石破氏の出馬をめぐる動きは不透明だ。

6023名無しさん:2009/09/10(木) 20:09:05
サヨナラGY先生。

>4区で落選した早川忠孝氏(63)は、東京新聞の取材に「現時点で国政、
>地方選挙への再出馬は考えていない。弁護士業に復帰し、社会貢献したい」と政界引退の意向を表明した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20090910/CK2009091002000143.html
自民県連新会長に新藤氏 『参院選必勝へ体制確立』
2009年9月10日

自民党県連会長を辞任した山口氏(右)と、後任に選ばれた新藤氏(左)=さいたま市浦和区で


 自民党県連は九日、さいたま市浦和区で役員会を開き、衆院選で落選した山口泰明氏(60)の会長職辞任を了承し、四期目の当選を果たした新藤義孝氏(51)を後任会長に選んだ。県内の自民衆院議員は十六人から二人となる歴史的惨敗。新藤氏は「来夏の参院選に向け必勝態勢を早急に確立したい」と、新体制で党勢回復に全力を挙げる考えを示した。

 役員会には十四人が出席。「県連会長は国会議員から選ぶ」との内規に従い、新藤氏を満場一致で選出した。山口氏のほか、小島敏男氏ら落選した五人の前衆院議員も会長代理や副会長職を辞任。後任人事は新藤氏と滝瀬副次幹事長に一任された。

 新藤氏は会見で、衆院選について「個人や後援会、組織の努力を超える風が吹いた時、努力はすべて吹き飛んでしまう。国民の信頼と期待を得られる政党の政策と体制を確立する」と力を込めた。来年の県連大会までの任期途中で辞任した山口氏は「会長が若返り、新しい自民党で(有権者の)期待に応えなければ」と述べた。

    ◇

 衆院選で自民は県内十五の小選挙区すべてで前職が敗れ、比例での復活は新藤氏=当選四回=と、柴山昌彦氏(43)=同三回=の二人にとどまった。

 次期衆院選での議席奪還に向けて動き始めた前職もいる中、4区で落選した早川忠孝氏(63)は、東京新聞の取材に「現時点で国政、地方選挙への再出馬は考えていない。弁護士業に復帰し、社会貢献したい」と政界引退の意向を表明した。

 弁護士の早川氏は衆院選で二〇〇三年と〇五年に当選。昨年八月から法務政務官を務めていた。

 (杉本慶一、山内悠記子)

6024名無しさん:2009/09/10(木) 20:24:01
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090910ddm005010080000c.html

自民党:再生へ、長〜いトンネル 総裁選、有力候補なく 中堅・若手、覇気乏しく
 自民党は総裁選告示まで10日を切ったが、積極的に名乗りを上げる議員はまだない。党再生を合言葉に会合を重ねる中堅・若手も執行部を突き上げるほどの士気に乏しい。世代間の溝は広がるばかりで、「一致団結」(麻生太郎首相)にはほど遠く、長いトンネルになりそうだ。【高山祐、塙和也】

 ◇党幹部「世代交代、底が浅い」
 衆院の当選1〜7回の代表17人と参院議員5人による「党再生会議」(仮称)の初会合が9日、党本部で開かれた。しかし、副幹事長が主体になるはずだった会議の座長には、当選7回の山本有二元金融担当相が就任。「会議の意味があいまいになった」(若手)ことは否めない。

 中堅・若手の誤算は他にもある。一致して推せる総裁候補が見当たらないうえ、現執行部の退陣要求は8日の党両院議員総会であえなく却下された。「28日の新総裁選出まで自分たちが党を運営する」という当初の熱気は一気にしぼんだ。

 会議は28日までに党の再建策をまとめる方針。この日は衆院選の敗因について意見交換し、今後、落選した前議員からヒアリングすることも決めた。ただ、そのほかの検討課題は未定。ある若手議員は「メンバーには執行部から一本釣りされた人もいる。結局、執行部の意を受けた総括になりかねない」と冷ややかに語る。

 一方、「派閥主導の総裁選」への批判が強まる中、派閥領袖やベテラン議員は軽々に動けない状態だ。さや当ても見られ、町村派の中川秀直元幹事長は8日、総裁候補の条件として「解党的な出直しのできる人、世代交代の先頭に立てる人、小選挙区で当選したこと」を挙げ、同派会長の町村信孝前官房長官の擁立論をけん制した。

 ベテランと中堅・若手の世代間対立も目立つ。伊吹文明元幹事長は8日「総理総裁としての重厚さ、落ち着き。こういうものがある若い人がいれば一番いい」と皮肉り、別の幹部は「世代交代が目的化して、その先が見えない。底が浅い」と若手らの動きを批判した。

毎日新聞 2009年9月10日 東京朝刊

6025名無しさん:2009/09/10(木) 21:19:15
古賀の顔をテレビで見ると、まだしばらく自民に未来は無いなとほっとする。

http://www.mbs.jp/news/jnn_4231255_zen.shtml

■ 自民・古賀会長「派閥解消の考えない」

 自民党では選挙惨敗への反省から、若手議員を中心に派閥解消を求める声が出ていますが、古賀派の古賀会長は10日の派閥の会合で、今後も派閥を継続していく考えを示しました。

 「派閥解消なんて考えていません。派閥解消なんて、そういうもので今の自民党の再建ができる、世代交代論だけ言えばいい、そんな簡単なものじゃない」(古賀派 古賀誠 会長)

 また、今月28日に行われる自民党総裁選に出馬するかどうか注目される石原幹事長代理は10日、「出馬するかどうかは全く白紙だ」と述べました。総裁候補には、石原代理のほか、石破農林水産大臣らの名前が挙がっていますが、いまだに出馬の表明はなく、候補者擁立に向けた動きは混沌としています。

 こうした中、国会内では8日に続き2回目の各派協議会が開かれました。衆議院の議長・副議長をどの会派から出すかという問題や、国会内の控え室の割り振りなどについて協議しましたが、議論は平行線をたどりました。結局、民主・自民両党の国対委員長会談でも決着に至らず、協議は11日に持ち越されました。(10日17:53)

6026おま天:2009/09/10(木) 21:44:48
麻生が招いた自民党「終戦の日」(1/2)
文藝春秋9月10日(木) 12時26分配信 / 国内 - 政治
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090910-00000000-bshunju-pol

「地上戦」で自民党を焼け野原にした小沢の次なる仕掛けは何か?――

「自民党に対する積年の不満をぬぐい去ることができなかった。その責任を負う定めにあったと感じている。宿命と思って甘受しなければならない」

 八月三十日、大物議員の落選を伝える速報が次々とテレビ画面に映し出されていくなか、ようやく自民党総裁辞任を表明した首相・麻生太郎は、大敗の原因を「積年の不満」だと言明した。自らの存在が最大の敗因だったという事実を、まだ認められないでいたのだ。

「麻生が数ポイント差に迫られている」

 開票前の三十日夕、首相官邸に寄せられた民放の出口調査の情報は、官房長官・河村建夫ら側近を驚愕させた。さすがに「現職首相の落選」に備えたシミュレーションは行われなかったが、河村らはマスコミ各社からの情報収集に血道を上げた。そして、「民主大勝、自民大敗」の情勢を伝えるために公邸入りした河村に続き、午後八時からの開票直前には幹事長・細田博之も自らの辞意を伝えるために公邸に入った。

「ゲームオーバーだな。しかし自民党の基盤である地方組織が残っている。これをきっちりと強化していかなきゃならん。総裁選でも、地方組織をかませていく必要がある」

 麻生は河村と細田にこう語った。総裁選は特別国会後に行い、首班指名では自民党議員に「麻生」と書かせる算段だった。そして、二人を唖然とさせたのが、麻生の次の一言だった。

「総裁選に手を挙げる者がいなければ、俺が立候補してもいいぞ」

 漢字だけではない。最後の最後まで、麻生は空気が読めなかった。

 民主三百八、自民百十九―。

 大物議員や元閣僚が相次いで議席を失い、麻生の盟友の前財務相・中川昭一、総裁特別補佐・島村宜伸も永田町に帰還できなかった。まさに焼け野原だった。

 何度も解散の時期を逸し、迷走を繰り返した末の麻生の「玉砕解散」が、自民党に「終戦の日」を迎えさせたのだ。

 予兆はあった。八月十日、名古屋に本社を置く中日新聞に載った情勢調査。中部地方九県の五十一の小選挙区のうち自民党が優位に立っているのは四選挙区だけという衝撃的な内容だった。自民党選対の関係者は「中日新聞には岡田克也幹事長の弟がいる。民主党応援団だから」と嘯(うそぶ)き、恣意的な調査だとして真剣に受け止めようとしなかったが、「愛知、静岡全滅」という情報は候補者同士の携帯電話で瞬く間に全国に広がった。

 特に知名度、人気ともに抜群だった消費者行政担当相・野田聖子が民主党の新人候補に負けているという情報は驚きを持って広まった。野田陣営は「政権交代が必要かどうかを聞いている。誘導的な質問だ」と選対同様の受け止め方をしたものの、応援スケジュールを絞るなど運動計画を組み直さざるを得なかった。

6027おま天:2009/09/10(木) 21:45:22
 自身も劣勢とされた元首相・森喜朗は十一日、出演したネットサービス「ニコニコ動画」で、「名古屋が本社のブロック紙は『自民党が全部負ける』と書いた。こんな失礼な新聞はない。『そうあってほしい』という希望だ」と焦りと怒りを中日新聞にぶつけた。

 森に根拠がなかったわけではない。自民党が七月三十一日から八月二日にかけて行った情勢調査では、確実に獲得できる議席が「小選挙区約百十、比例約四十、計約百五十」と、一カ月前の前回調査から小選挙区で約四十も上積みしていたからだ。強固な後援会組織を持つベテラン議員の伸びが大きく、民主党新人で元薬害肝炎訴訟九州原告団長・福田衣里子に引き離されていた元防衛相・久間章生もキャッチアップしていた。個々の結果は派閥を通じて各候補者に伝えられ、「組織戦を展開できる自民党が回復する」という希望的観測を生んでいたからだ。

 麻生も同様、いやそれ以上だった。

「民主党は公約の財源を示せていない。安全保障問題も説明できていない。押せ押せで行こう」

 十四日午後、自民党本部。ともに選対本部長代理を務める細田、前選対委員長・古賀誠と打ち合わせをした首相は、「攻め」の姿勢で臨むと宣言した。表情は高揚していた。

■大本営発表

「国旗を切り刻むという行為がどういうことなのか、とても悲しく、許し難い行為である」

 公示前日の十七日に行われた主要六政党の党首討論会の最終盤、麻生は民主党の集会で引き裂かれた日の丸でつくった党旗が使われていたことを持ち出し、民主党代表・鳩山由紀夫に強く謝罪を求めた。自民党支持層を呼び戻すには保守色を強めるしかないと「民主党と労働組合の革命計画」「日本人尊厳喪失進行中」など、ほとんど怪文書のようなパンフレットを配布させたり、遊説先の聴衆に日の丸を配る「愛国作戦」を展開していた麻生にとって、もってこいの敵失だった。得意満面の麻生は「あの話受けるんだよ」と、この後も盛んに遊説先でこの「日の丸引き裂き事件」を取り上げた。

6028おま天:2009/09/10(木) 21:45:52
 自前とはいえ上昇傾向になった情勢調査結果、そして愛国作戦の反応のよさに、麻生、細田らは本気で「自民二百十五議席、公明三十議席で与党過半数確保」を目標に据えた。

「自民党支持率が反転上昇を始め、民主党支持率は、先月末に頭打ちとなって以降、下落を続けており、相手を捉えることが可能な情勢となった――」

 十七日夜、自民党は「決戦! 自民党選対通信」を各候補者の事務所にFAXで一斉送信した。負け戦の戦果を針小棒大に宣伝する「大本営発表」のような内容だった。実感とほど遠い内容から、党本部に根拠を問い合わせる候補者陣営も出てくる始末だった。

 しかも、その大本営には指揮官すらいなかった。幹事長・細田から指揮権を譲り受けたはずの古賀が、解散前に選対委員長職を一方的に辞任してしまったにもかかわらず、細田はその空白を埋めようとしなかった。解散後、軍資金配布にあたり重点区への傾斜配分を求める声を無視し、一人一律二千万円を候補者の資金管理団体や政治団体に振り込んだが、その通知も行き渡っておらず、数日間、入金の事実を知らない候補者さえいた。司令塔がいないため、選対、政調、総裁室がバラバラに資料を送付、整理されない大量の資料に混乱した候補者からの苦情が殺到し、八月上旬に党本部が「ご迷惑をおかけしました」という謝罪の言葉を入れた文書を配布する一幕もあった。

 そして、公示日翌日の十九日の夜――。

6029おま天:2009/09/10(木) 21:46:26
「民主が三百議席だって?」

 朝日新聞が翌日付の朝刊に掲載する情勢調査の結果が麻生、細田ら党首脳部に伝えられた。麻生、細田とも調査対象が三百小選挙区のうち百五十である点に着目し、「正確なものではない」と努めて冷静に受け止めようとしたが、全選挙区を調査した読売、日経が「民主、三百議席超す勢い」などと続き、毎日は「三百二十議席超す」と追いかけた。極めつけは、民主党の候補者数三百三十を上回る「三百三十八」という“理論値”を叩き出したNHKの調査結果だった。

 まるで自民党本部の上空に原爆が投下されたかのような衝撃だった。反麻生を標榜していた候補者は「首相は入院して欲しい」と吐き捨て、親麻生の候補者からも「選挙後に引退すると言って欲しい」との声が漏れるようになった。要請していないのに日程を入れられた首相遊説を何とか断れないかと、県連幹部に相談する西日本の若手候補もいたほどだ。

 そして、投票日の朝を迎えた。

「日本を壊すな。」

 その日の全国紙朝刊に掲載された自民党の全面広告。日の丸を下地に「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない」「信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない」と訴える、最後の愛国作戦だった。実は、このフレーズは企画段階で「共感を呼ぶ広がりがない」として見送られていたのだが、あまりの劣勢に封印を解いたものだった。まるで「民主党は鬼畜米英だ」とでも言わんばかりだった。

 もはや揺り戻しは期待できなかった。

6030おま天:2009/09/10(木) 21:47:03
■「小沢衆院議長」情報

「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」「今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」

 選挙戦もまだ序盤の八月五日夜、民主党代表代行・小沢一郎は東京・赤坂にある行きつけのクラブの個室にいた。東京十二区で公明党代表・太田昭宏への刺客となった青木愛らを傍らに、十八番の「傷だらけの人生」を歌っていた。

「あと二十五日で、本当にうまい酒が飲めるな」

 そう問わず語りに呟いた小沢は、刺客作戦が自民党と公明党を慌てさせていることに、満悦の表情を見せていた。

 小沢が今回の衆院選で「お国入り」したのは一度だけだ。公示直前の八月十六日、日中は岩手県奥州市内の自らの選挙事務所でスタッフを激励、平民宰相と呼ばれた原敬が眠る盛岡市大慈寺に墓参し、「政権交代」を誓った。

 その日夜、盛岡市の中心部にある老舗「三寿司菜園総本店」。カウンターで小沢は岩手県知事・達増拓也、民主党県連代表の参院議員・工藤堅太郎ら七人の中心にいた。気の置けない仲間との酒席だったからか、小沢は三陸海岸から揚がったばかりのサンマに舌鼓を打ち、ビール一本と日本酒「八海山」を珍しく冷やで二合飲んだ。

「みんな新人候補の擁立の大変さがわかっていないんだよ」

 小沢は、久間の対抗馬となった福田衣里子を担ぐために「俺は三回も一緒に飲んだんだからな」とぼやいたが、その発言には「俺の他に誰が選挙を牽引できるのか」という自負が滲み出ていた。

 今回の民主党の大勝は、小沢が重点区に自身の秘書を投入し、徹底的な「地上戦」を展開してきた結果だ。

「人のいない場所でも辻立ちせよ」

「一日三百枚以上の名刺を配れ」

「人の少ない川上から川下の町中へ下っていけ」

 選挙に強い小沢――。新たな、しかも強固な神話を作った小沢の存在感は、党内でじわりじわりと拡大しつつあった。

6031おま天:2009/09/10(木) 21:47:34
「一部の人事を、先行させるべきではない」

 選挙結果の大勢が判明した三十日夜、幹部会議の席上で小沢は、内閣発足に先立って政権移行作業を行う新官房長官、新幹事長らの指名を行わないように求めた。鳩山は当初、選挙後すぐに主要閣僚候補らを指名して「政権移行チーム」を作る腹づもりだったが、小沢の一言で舵を切らざるを得なかった。

 すでに二十三日の幹部会合でも、小沢は政権移行作業の先送りをさせていた。英国のケースにならった政権移行スケジュールを志向する代表代行・菅直人、幹事長・岡田克也に対し、党内外の敵味方に事前に手の内を明かすことになる「工程表」の考え方に否定的だったからだ。

 鳩山新政権づくりは、明らかに小沢ペースになりつつあった。衆院選の最中、「鳩山は小沢の衆院議長就任を検討している」との情報が駆け巡り、小沢側近が「肖像画のようにお飾りにする気か」と不快感を示す一幕もあった。

 来夏の参院選までは選挙の実権を握り続けるハラの小沢は人事に一切口をつぐみ、党内の猟官運動を注視している。まずは、衆院三百八人、参院百九人、計四百十七人という大所帯をどう固めていくかに腐心し、参院での単独過半数確保のための戦略を練る。

 参院で二十一人の勢力を持ち、野党の自民党とは組まないと公言する公明党の存在は見逃せない。民主党との連立政権を目指す社民党が安全保障政策、国民新党が郵政民営化でそれぞれ独自の主張に固執すれば、公明党が民主党に擦り寄ってくる展開も予想される。

 さらに、自民党議員が首班指名で揃ってA級戦犯の麻生の名を書くことができるのか。今回の総選挙で自民党の派閥はその存在意義を完全に失った。町村派は六十一人が二十三人に激減、二十五人となった古賀派に衆院最大派閥の座を譲った。かつては「一致団結箱弁当」と言われた田中派の流れを汲む津島派はたった十四人、十二人だった二階派にいたっては会長の経産相・二階俊博しか当選しなかった。元副総裁・山崎拓以外の領袖はかろうじて議席を確保したが、自身の選挙に精一杯で多くの兵隊を見殺しにした戦犯たちによる派閥の締め付けはもはやありえない。そうなれば、参院自民党から民主党へ転じる議員が相次ぐ可能性もある。

 そのときのキーマンはやはり小沢だ。参院が次の政局の舞台となる。(文中敬称略)

(文藝春秋2009年10月号「赤坂太郎」より)

6032おま天:2009/09/10(木) 21:55:12
>>6026-6031
>「ゲームオーバーだな。しかし自民党の基盤である地方組織が残っている。
>これをきっちりと強化していかなきゃならん。総裁選でも、地方組織をかませていく必要がある」
>麻生は河村と細田にこう語った。総裁選は特別国会後に行い、首班指名では自民党議員に「麻生」
>と書かせる算段だった。そして、二人を唖然とさせたのが、麻生の次の一言だった。
>「総裁選に手を挙げる者がいなければ、俺が立候補してもいいぞ」

>自民党が七月三十一日から八月二日にかけて行った情勢調査では、
>確実に獲得できる議席が「小選挙区約百十、比例約四十、計約百五十」と、
>一カ月前の前回調査から小選挙区で約四十も上積みしていたからだ。

>ほとんど怪文書のようなパンフレットを配布させたり、遊説先の聴衆に日の丸を配る
>「愛国作戦」を展開していた麻生にとって、もってこいの敵失だった。
>得意満面の麻生は「あの話受けるんだよ」と、この後も盛んに遊説先でこの
>「日の丸引き裂き事件」を取り上げた。

        ,,-―--、
        |:::::::::::::;;;ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |::::::::::( 」 < あの話受けるんだよ
        ノノノ ヽ_l   \______________
       ,,-┴―┴- 、    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |

6033名無しさん:2009/09/10(木) 22:06:34
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009091000833
自民・古賀氏、派閥解消に反対=森、町村氏は「再生会議」に苦言
 自民党古賀派の古賀誠会長は10日の派閥総会で、党内の一部中堅・若手が派閥解消や世代交代を求めていることに対し、「そんなことで自民党の再建ができるような簡単な状況ではない。今置かれている環境をしっかり守りつつ、いかに前進させるかという方が大事だ」と反対姿勢を示した。
 また、町村派の町村信孝会長は同日の同派会合で、総裁選に向け党再生策の提言を検討している中堅・若手主導の「党再生会議」について、「機能がはっきりしない。新総裁を縛るようなことをしてはいけない」と批判した。
 同派相談役の森喜朗元首相も、同会議が18日に中間報告をまとめることに関し、「再生会議は早く結論を出そうしているが、それでいいのか」と苦言を呈し、慎重に再建策を検討すべきだと強調した。 (2009/09/10-18:35)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2009091000980
出馬表明、いまだゼロ=動けぬ派閥、若手も様子見−自民総裁選
 「ポスト麻生」を選ぶ自民党総裁選の告示を18日に控え、名乗りを上げる議員が一人もいない状態が続いている。有力候補と目される古賀派の谷垣禎一元国土交通相や額賀派の石破茂農水相は様子見のまま。中堅・若手議員からも、具体的な名前は挙がらない。党内の動向や重みを増した一般党員の反応が読めないという事情からだが、同党の人材不足を印象づける結果となっている。
 菅原一秀衆院議員ら中堅・若手議員は10日午後、都内で中川秀直元幹事長を交えて、総裁選をめぐり意見交換した。出席者からは「民主党の鳩山由紀夫代表に位負けしない人がいい」などの意見が聞かれたが、具体名は出なかった。
 福田康夫前首相が勝利した2007年、麻生太郎首相が圧勝した08年の総裁選など、派閥の動向が勝敗を左右したケースも多い。しかし、今回は、派閥領袖も身動きが取れない。衆院選惨敗で国会議員が200人に激減し党員票(300票)の比重が増す中、派閥が前面に出れば、一般党員らの反発を招きかねないためだ。
 10日の町村派会合。同派会長で出馬に含みを残す町村信孝前官房長官を前に、馳浩衆院議員は「新総裁は小選挙区で当選した人がやるべきだ」と主張した。世論や党員の反応を意識し、比例復活で当選した町村氏に自重を求めた発言だ。会合には歴代首相の後見役である森喜朗元首相も出席していたが、総裁候補に関する発言はなかった。
 党内の中堅・若手は口々に「派閥単位で動けば有権者に今度こそ見放される」と語る。一方、世代交代を警戒する各派の幹部らは「ベテランを追いやる下克上は駄目だ」(山崎派の野田毅元自治相)と若手らの動きに冷ややかだ。
 こうした党内状況に、総裁選に出馬経験のある石破、谷垣両氏とも、自身の対応については沈黙を守っている。「条件をクリアする人はいるのだろうか」(平沢勝栄衆院議員)。同党の人材不足を嘆く声も漏れ始めている。(2009/09/10-20:51)

6034とはずがたり:2009/09/11(金) 06:08:13

自民農林族、寂しい再出発=勢力激減、掛け声むなしく
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2009091000975

 自民党の農林部会などの合同会議が10日、党本部で開かれた。総選挙では中川昭一元農水相ら大物議員が相次ぎ落選し、壊滅的な打撃を受けた農林族。党内で最も早く招集した会議には落選者も出席し、党の再生に向けて気勢を上げたが、往年の勢いはすっかり陰をひそめたようだ。
 長年政権与党の座で農政のかじを取ってきた自民党農林族だが、野党第1党となり立場は様変わりした。加藤紘一元幹事長は「国会論戦はたっぷり時間が取れる。激しくやろう」と、国会の場で民主党農政の問題点を徹底的に追及する構えだ。
 しかし、落選者の中には、議員時代は玄関に横付けされていた迎えの車もなく、徒歩で党本部を後にする人も。政策実現のために官僚を怒鳴りつけていた当時の迫力は薄れ、背中が寂しさを物語っていた。 (2009/09/10-20:47)

6035とはずがたり:2009/09/11(金) 06:10:31
2009年09月09日(水)
自民秘書〝就活〟の秋
衆院選大敗で失業不安
県内 民主への「移籍」も困難
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2009/09/09/1.html


 衆院選で落選した自民党前議員の秘書が、身の振り方を決めかねている。山梨県内では、選挙直前の離党者を含め前議員4人が議席を失い、公設と私設合わせて28人の秘書のほとんどは、支持者へのあいさつ回りなど“敗戦処理”に追われ、再就職を考える余裕がないのが実情。党内に新人議員が少ないことから、一部で308人もの当選者を出し、秘書不足の声が出ている民主党側に接触を図る動きもあるが、同党サイドはライバル政党からの受け入れに難色を示していて「移籍」の実現性は低い状況。落選議員の秘書たちの“就活の秋”は選挙同様、苦戦を強いられている。
 東京・永田町の衆院議員会館。落選した議員の事務所前には片付けの際に出たごみの山が目立つ。山梨県内の3選挙区に立候補して落選した前議員たちも既に引っ越しを済ませて事務所を明け渡し、秘書たちは県内の事務所を拠点に支持者へのあいさつ回りなどをこなしている。
 堀内光雄氏に9年間仕えた政策秘書(50)は「選挙後もいろいろな仕事があり、まだ自分のことは何もできていない」と打ち明ける。堀内氏を含め27年間にわたって複数の国会議員秘書を務めたベテランは今後について別の国会議員事務所への移籍も念頭に置いているが、現時点で声は掛かっていない。
 選挙直前、自民党を離党して無所属となった長崎幸太郎氏の政策秘書(46)は、同党秘書として約20年のキャリアがある。「政治の世界に長くいたので、ほかの世界で仕事をする気にはなかなかなれない」とため息をつく。
 国会議員は、国から給与が出る公設秘書(政策秘書を含む)を3人まで持てるが、衆院の場合、解散で契約は終わり、落選すると新たな秘書の口を探す。ただ今回は歴史的な敗北で、自民党の新人議員は全体でも5人しかいない。これまで就職先などをあっせんしてきた同党秘書会も「失業者」が多過ぎて機能していないという。
 こうした中、新たに秘書を採用する民主党議員にアプローチする動きが出ている。ある秘書は「妻や私立大学生と中学生の子どもを抱えて出費がかさむ中、今のところ収入のめどはない」と、民主党議員に接触を図った。ただ「自民党議員の秘書を雇うのは抵抗感があるようで、進展していない」と話す。
 143人の新人が当選した民主党の衆院秘書会には、勝利を見越して選挙戦のさなかから、秘書経験者らが履歴書を持って訪れているという。同会は同党議員の秘書経験者や民間の希望者を議員に紹介している。山梨2区で初当選した同党の坂口岳洋氏は、事務所スタッフの準備を進めていて、政策秘書は党本部の紹介で既に決定した。現在は公設秘書を選定中で、陣営幹部の一人は「党本部から通達はないが、自民党の秘書を使うのは…。地元の民主党関係者になるだろう」と話している。

【09衆院選】自民秘書ら2000人が失業!?
2009.9.1 23:48
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/2932


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板