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セメント

1■とはずがたり:2002/11/29(金) 22:49
セメント関係スレ
太平洋セメント
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/
宇部三菱セメント
http://www.umcc.co.jp/html_set/top_menu.htm
住友大阪セメント
http://www.soc.co.jp/
電気化学工業
http://www.denka.co.jp/top.htm

我々のセメント輸送関係記事
http://members.tripod.co.jp/tohazugatali/kamotsu/cement-terminal.html

234とはずがたり:2010/08/23(月) 16:50:26

大阪・兵庫の生コン業者が異例の長期スト 工事ピンチ
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201008200040.html

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/civil-engineering/OSK20100820-00.jpg

 大阪府内のマンションや再開発の建設現場で、生コンクリートの供給が途絶えて工事が止まる事態が起きている。生コン業界の労働組合が、1カ月半にわたってストライキを続けているためだ。8月に入って出荷再開の動きも出ているが、全面的な解決のめどはたっていない。

 大阪府豊中市の千里中央駅に近い工事現場。大手ゼネコンが進める総戸数363戸の大型マンションは今秋にも販売を始める予定だが、広大な敷地には数人の作業員しかいない。クレーン車で鉄骨を移す作業はしているが、生コン車の出入りはストップ。今月末を過ぎても生コンが入らないと、基礎となる地下のコンクリートを打てず、販売延期の可能性も出てくるという。

 ストは、大阪府と一部兵庫県の中小業者でつくる大阪広域生コンクリート協同組合の工場で7月2日から始まった。工場や生コンを運ぶミキサー車の運転手など関係する4労働組合の合計3500人が「賃上げには、出荷価格の値上げが必要」と要求。大阪府内を中心に約100カ所の工場で操業が停止した。

 具体的な要求は、ゼネコンの買い取り価格の目安を1立方メートルあたり1万4800円から1万8千円へ引き上げることや、原材料費の変動に応じた価格決定など。不況にあえぐ協同組合の経営者らも同調し、買い付ける商社やゼネコンと対立する展開になった。

 建材の市況をまとめている建設物価調査会によると、大阪市内の生コン価格は1立方メートルあたり1万3200円(6月11日〜7月10日調べ)で、東京都内の価格より900円高い。大手ゼネコン幹部は「価格は東京より高く、経営努力の余地がある」。組合側は「業界不況のしわ寄せを受け、実際の値段は原価割れ状態の8千円にまで下がっている」と平行線が続いた。

 ストの影響は大きい。固まりやすい生コンは工場でセメントと砕石と砂を水で混ぜてから90分以内の使用が目安。「代わりに神戸や京都から持ってくるのは不可能」(竹中工務店)なためだ。

 大阪では現在、2013年の完成を目指す大阪駅北側の梅田北ヤードの先行開発区域や、14年完成予定の近畿日本鉄道阿部野橋ターミナルビルの建て替えといった全国屈指の大規模プロジェクトが進行中で、ストの長期化に気をもむ関係者は多い。

 それでも、8月に入って梅田北ヤードなど生コンの搬入が再開された現場も目立ち始めた。大阪広域協組の役員によると、19日の労使協議では要求額を千数百円下回る額で妥協することを確認。要求に応じるゼネコンに納入を再開し、今月の出荷量は通常の6割超まで戻る見通しという。

 ただ、複数の大手ゼネコンは「状況は変わらず、譲歩していない」と説明。梅田北ヤードの関係者も「搬入は8月末までの緊急対応にとどまる」としており、にらみ合いはさらに続く可能性もある。(佐藤亜季、山村哲史)
   ◇
 今回の対立の背景には、生コンの需要量の減少と業界の構造的な問題がある。全国生コンクリート工業組合連合会がまとめた全国の出荷量は、2009年度が前年度比15%減の8603万立方メートルで、ピークだった1990年度の半分以下に落ち込んでいる。

 公共事業の抑制で縮小する建設業界でも、大企業が力を持つゼネコンやセメントメーカーに比べ、生コン業界は零細業者が大多数。同業者が集まって価格交渉力を強めるための協同組合が「統一価格」を要求しても、実際の取引価格は案件ごとの交渉で下げられる場合が多い。今回は、組織率が高い労組と協調して取引先と正面から対抗した形だ。

235とはずがたり:2010/08/23(月) 16:52:24
>>234
成功のポイントはここですな。地域独占でも認められてるかと思ったら,製品の性質かぁ。
>ストの影響は大きい。固まりやすい生コンは工場でセメントと砕石と砂を水で混ぜてから90分以内の使用が目安。「代わりに神戸や京都から持ってくるのは不可能」(竹中工務店)なためだ。

236荷主研究者:2010/08/29(日) 13:04:29

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0920100816ceau.html
2010年08月16日 日刊工業新聞
旭硝子、茨城・鹿島工場でガラスの材のロス削減

 旭硝子は建築用フロートガラスの主力工場である鹿島工場(茨城県神栖町)で、ガラスの材料ロスの削減に取り組む。ガラスの生産工程では厚みを調整する際、両側に“耳”と呼ばれる部分が発生する。同部分がガラスの幅に対して5―6%を占めているが、これを年内に2―3%に半減する。同工場では「現在、一番ロスが大きいのはガラスの両側の材料ロス」(吉門満博鹿島工場ガラス部長)としており、同部分の改善でコストダウンや生産性向上を図る。

 溶解炉から引き出したガラス生地は、全長600メートルのラインを流れる間に厚さの調整、品質検査、切断を行う。厚さはラインの速度と生地を両側に引っ張るアシストロール、せき止めるカーボンフェンダで調整するが、これらの調整装置をガラス生地にあてる位置や力加減を工夫して材料ロスを削減する。

 同工場では2008年に17年ぶりに溶解炉を更新。

237荷主研究者:2010/09/04(土) 14:47:35
ニチハ(旧、日本ハードボード工業㈱)は窯業系外壁材メーカーである。

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1120100823ceac.html
2010年08月23日 日刊工業新聞
ニチハ、経費削減プロ開始−3年で70億円目標

 【名古屋】ニチハは2013年3月期を最終年度とする3カ年の全社的な経費削減プロジェクト「NC21」を始めた。開発、製造、物流、営業など全部門を対象に、3年間で70億円の経費削減を目指す。すでに着手した製造と物流部門を皮切りに、11年3月期までに全部門で具体策を展開する。11年3月期は約10億円の経費削減を見込む。

 具体的には物流部門では生産の分散化で、かさばる外装材の物流費を削減する。4月からは従来はいわき工場(福島県いわき市)で生産していた外装材の主力製品を、同工場と下関工場(山口県下関市)の2工場で生産する体制に変えた。

 また、製造部門は工場別の利益管理目標を導入、各工場で生産効率化のほか、不良品や材料ロスを削減する。これまでは生産品目によって加工工程やロス率が異なるうえ、利益が出しにくい工場もあり、個別管理をしていなかった。

238荷主研究者:2010/09/27(月) 00:26:12

http://www.sankeibiz.jp/business/news/100909/bsd1009090201000-n1.htm
2010.9.9 02:00 Fuji Sankei Business i.
関電、舞鶴発電所の石炭灰を発売

 関西電力は8日、先月31日に石炭火力式の舞鶴発電所(京都府舞鶴市)で2号機が営業運転を開始したのを機に、同発電所で発生する石炭灰の販売に乗り出したことを明らかにした。コンクリートに混入すると強度を高める効果などがあることから、セメント会社や建設会社などを中心に年間3万トンの販売を目指す。

 販売するのは「乾灰(フライアッシュ)」と呼ばれる燃焼後の石炭灰。粒子が微細な球形になっているのが特徴で、コンクリートへの混入で流動性や強度を高めたり、屋根瓦では軽量化したりできるという。

 関電グループで火力発電所設備などの運転・保守管理を手掛ける関電パワーテック(大阪市港区)が販売。同社はこれまで中部電力の石炭火力発電所で発生する乾灰を仕入れてきたが、舞鶴2号機の営業運転開始で乾灰の発生量が増えることから“関電ブランド”の乾灰を売り込む。

239荷主研究者:2010/10/16(土) 13:57:14

http://www.kahoku.co.jp/news/2010/10/20101004t12022.htm
2010年10月04日月曜日 河北新報
セメント金属化、仕組み解明 東北大グループ

 電気を通さない絶縁体として知られるセメントが、電気を通す金属に変わる仕組みを、東北大原子分子材料科学高等研究機構の相馬清吾助教(固体物理学)らのグループが解明した。実証実験で、電気を通すために必要な電子がセメントの結晶内に存在することを突き止めた。セメントは結晶化すると光を通しやすくなる。液晶ディスプレーに使われる希少金属に代わる新素材の開発に弾みがつきそうだ。

 研究は東京工大フロンティア研究機構の細野秀雄教授(透明酸化物半導体)らと共同で行った。

 実験に使ったのはセメントの成分の一つで、石灰と酸化アルミニウムの化合物「C12A7」。結晶は大きさ0.5ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)で、球状のかごのような構造をしている。

 相馬助教らは紫外線を当て、結晶の外に出てくる電子を観測する「光電子分光法」を用いて、かごの中にある電子のエネルギーの位置や大きさを観測した。

 細野教授らは2002年、C12A7の金属化に成功。07年には超電導材料になることも示した。電子の存在も予測したが、確認はできなかった。今回の実験で初めて、理論を裏付けた。

 液晶ディスプレー用の透明伝導体は現在、インジウムなどの希少金属が使われている。国内に資源が乏しいため中国などからの輸入に頼っており、代替素材の開発が求められている。

 相馬助教は「仕組みが解明されたことで、かごの大きさを変えるなどナノサイズの加工を行い、高機能化が期待できる。液晶ディスプレー用の新物質を探す研究が進むだろう」と話している。

240荷主研究者:2010/10/23(土) 13:11:56

http://www.cement.co.jp/cementnp/100906.html
セメント新聞 2010年09月06日号
太平洋が3工場生産中止、セメント需給均衡へ

 太平洋セメントは8月20日、土佐工場のキルン火止めを行いセメント生産を中止した。大分工場佐伯プラントは5月21日、秩父太平洋セメントは8月10日に生産を中止しており、キルン3基の停止により生産能力は310万トン削減された。同社のほかトクヤマ、デイ・シイがキルン1基を休止し、住友大阪セメント、三菱マテリアルは設備改造で能力を削減しており、業界の生産能力は9月末までに約860万トン減少する見込みだ。下期の需要は上期より多くなることから、キルン稼働率は90%前後となり需給が均衡する見通しで、輸出の好調もあって一部でタイト化も予想される。

241荷主研究者:2010/10/23(土) 13:30:37

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/253854_all.html
2010年10/02 13:02 北海道新聞
深川にホッコン新工場着工 12月完成

新しい音江工場の地鎮祭でくわ入れするホッコンの芳賀社長

 【深川】コンクリート製品製造道内大手のホッコン(深川)は1日、新しい音江工場(市内音江町広里)の建設に伴う地鎮祭を行った。12月に完成、稼働を予定している。

 3カ所に分散していた旧工場棟群を集約することで、地下排水溝などの農業土木製品の製造作業の効率化を目指す。

 新工場は、旧工場3棟と同じ4万7千平方メートルの敷地内に新設し、延べ床面積約1300平方メートルの鉄骨造り平屋建て。工費は1億5800万円。従来は敷地内に点在する工場棟間に製造工程がまたがっており、作業の効率化が課題だった。

 工場は現在従業員26人が働く。旧工場3棟は解体せず、別の活用を検討する。

 地鎮祭には約70人が出席し、芳賀俊輔社長がくわ入れした。

242荷主研究者:2010/11/21(日) 14:29:01

http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20101109/CK2010110902000113.html
2010年11月9日 中日新聞
別の2社に所有権移転 米原のセメント工場跡地

 米原市議会の環境事業対策特別委員会(滝本善之委員長)が8日、市山東庁舎で開かれた。住友大阪セメント伊吹工場跡地(同市春照、上野)で基準値を超える鉛など有害物質が一部残る土地が、マルア興産(長浜市)のグループ企業から別の2社に所有権が移転されたことが分かった。

 市側の説明によると、マルア興産グループのコルモコーポレーション(長浜市)から、長浜市と米原市の2社に所有権が移転していた。所有権移転の際には、所有者が住友大阪セメント(東京都)に連絡するという“紳士協定”があったが、コルモ社から連絡はなかったという。市によると、同社とともに土壌の汚染除去を進めていた親会社のマルア興産とも、連絡が取れなくなっているという。

 市からは、マルア興産とコルモ社が固定資産税を滞納していたことから、両社所有の跡地を差し押さえたことも報告された。泉峰一市長は「今後も住友大阪セメントに責任を持って(新所有者への汚染物質除去の)指導をするよう求めていく」と話した。

 セメント工場は2003年に操業を停止。跡地25ヘクタールが売却された。跡地からは05〜06年、基準値を超える8つの特定有害物質が検出され、汚染された土壌の除去が進められていた。現在、1340平方メートルで基準値を超える汚染が残り、9240平方メートルが未調査区域となっている。

 (森若奈)

243荷主研究者:2010/11/23(火) 12:41:21

http://www.sankeibiz.jp/business/news/101118/bsc1011180905015-n1.htm
2010.11.18 05:00 Fuji Sankei Business i.
セメント新生、戦闘態勢 太平洋など、海外・新素材に活路

太平洋セメントと三菱マテリアルが共同出資したベトナム最大規模のセメント工場=タインホア省

 セメント各社が新興国での事業拡大や新素材開発といった新規事業に活路を見いだそうとしている。インフラ整備や住宅建設による需要増を見込み、最大手の太平洋セメントはベトナムで生産ラインを拡充、住友大阪セメントは高機能素材など非セメント事業に注力する。一方、国内は公共事業や設備投資の減少で需要が大幅に縮小。今年に入り、各社は国内生産設備の停止に相次いで踏み切っており、生き残りに向けて成長分野への投資を加速させている。

国内生産は縮小

 ベトナムの首都ハノイから南に200キロ。同国最大の石灰石鉱床にほど近い臨海部に4月、最大手の太平洋セメントと三菱マテリアルなどが共同出資するセメント工場の第2生産ラインが稼働した。生産能力は年435万トンと倍増し、国内需要が2009年に日本を抜いたベトナムで最大級の生産拠点に躍り出た。

 太平洋セメントは「ベトナムは高度経済成長期。需要も現在の5000万トンが8500万トンぐらいに伸びる」と鼻息は荒く、パプアニューギニアにあるセメント原料工場の増産も視野に入れる。

 住友大阪セメントも海外市場開拓に力を入れる。07年の中国進出以降、生産規模を倍増し、さらなる拡大も検討中だ。

 一方、国内市場は縮小が続く。セメント協会によると10年4〜9月期の国内需要は1982万トンで上期では43年ぶりに2000万トンを割り込んだ。各社は国内生産拠点の統廃合を急いでいる。太平洋セメントは佐伯(大分県)、土佐(高知県)、秩父(埼玉県)の3工場の生産停止を決め、全体の生産能力の約2割を削減した。住友大阪セメントも生産能力の2割に当たる200万トンを削減。トクヤマは4月、南陽工場(山口県)の生産設備の1基を停止した。

環境事業にも期待

 生産体制の見直しで収益改善が進む中、セメントで培った技術を生かした新素材開発が実を結び始めている。住友大阪セメントは粉体加工技術を活用してリチウムイオン電池の正極材を開発、4月から量産を始めた。電気自動車向けなどに、11年中に年産2000トンを目指す。太平洋セメントもLED(発光ダイオード)テレビなどに使われる蛍光体の原料になる窒化カルシウムの量産化に国内で初成功し、今年度中に製造設備を新設する計画だ。数年後に年間20億円の売上高を見込んでいる。

 リサイクル技術など環境事業にも期待がかかる。高温焼成で作り出すセメントは廃棄物をセメント原料として資源化することが可能だ。太平洋セメントはゴミ問題が深刻化する中国・大連でリサイクル技術の実証実験に乗り出した。

 国内生産体制のスリム化を進めたことで、業界内からは「戦う態勢ができた」との声も聞かれる。ただ、成長分野の収益化に向けた正念場を迎えるのは、これからだ。(川上朝栄)

244荷主研究者:2010/11/23(火) 12:46:06

http://www.chemicaldaily.co.jp/news/201011/18/01201_2138.html
2010年11月18日(木)化学工業日報
宇部興産、廃棄物処理能力を相次ぎ増強

 宇部興産は、廃棄物の処理能力を相次いで増強する。早ければ来年度にも汚泥や廃プラ処理の新設備などの稼働を各工場で開始する。同社は資源リサイクル事業の一環として廃棄物を受け入れ、セメント原料や石炭代替材料として活用している。セメントの需要が低迷するなか、引き受け量を拡大し、収益向上につなげる。2012年度までの3年間で総額40億円の投資を見込む。現在、計画が具体化しているのは、伊佐工場(山口県)での下水汚泥類の乾燥設備と苅田工場(福岡県)での廃プラ前処理設備。汚泥、廃プラともに加工し、セメントの製造過程で石炭代替の燃料として用いる。原料として都市ごみ焼却灰の受け入れ能力の増強も検討し宇部工場(山口県)で能力増強を予定している。

245荷主研究者:2010/12/26(日) 22:43:21

http://www.chemicaldaily.co.jp/news/201012/10/04101_2138.html
2010年12月10日(金)化学工業日報
住友大阪セメント、高知工場が汚染土壌処理業の許可取得

 住友大阪セメントは9日、高知県から汚染土壌処理業の許可を得たと発表した。許可取得日は11月2日。これは今年4月に施行された改正土壌汚染対策法(改正土対法)で新設された汚染土壌処理業の許可制度に基づくもので、同社では初となる。汚染土壌処理施設の処理能力はキルン2基を合わせて日量2880トン。受け入れ可能な特定有害物質は、カドミニウムやセレン、鉛、ヒ素、フッ素、ホウ素およびその化合物と六価クロム化合物。同社セメント工場では、建設工事現場から排出される建設発生土をセメント原料の一種である粘土の代替(リサイクル原料)として使用している。今回の法改正により、法の適用範囲が拡大したが、汚染土壌処理業許可を取得したことで、この範囲の土壌も新たに処理することが可能となった。

246荷主研究者:2011/01/30(日) 21:52:54

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20110118305.htm
2011年1月18日03時27分 北國新聞
火力の石炭灰を有効活用 北電、初の検討委設置へ

 北陸電力は、火力発電所で石炭を燃やした後に排出される石炭灰をコンクリートに混ぜて有効活用する取り組みを本格化させる。17日、北陸の大学や生コンクリート工業組合などと有効活用のための検討委員会を設立すると発表した。高品質の石炭灰を入れたコンクリートは耐久性が高いとされ、二酸化炭素(CO2)の削減効果も期待できるという。

 北電が有効活用するのは「フライアッシュ」と呼ばれる石炭灰の粉末。七尾大田、富山新港、敦賀の3火力発電所で年間約55万トンが排出される。このうち、コンクリートに混ぜて使うのはJIS規格に対応した高品質な灰で、年間約6万トンの活用を目指す。石炭灰は販売する。

 七尾大田火力発電所では、既にJIS規格の灰を回収するための装置を稼働。敦賀火力でも来年8月ごろに、同様の装置を設置する予定という。

 検討委は大学教授や生コンクリート工業組合の関係者ら14人で構成する。来年度いっぱいで、フライアッシュを用いたコンクリートの標準配合などについて検討する。北電によると、県を横断して同様の検討委を設立するのは全国で初めてで、第1回検討委は24日、富山市内で開かれる。

247荷主研究者:2011/02/20(日) 12:29:47

http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0003776004.shtml
2011/02/01 08:25 神戸新聞
ラー油効果も 国内ガラスびん出荷、16年ぶり増

フル生産が続くガラス瓶の製造ライン=播磨町新島、日本山村硝子播磨工場

 ガラス瓶最大手の日本山村硝子(尼崎市)など国内主要6社の2010年の出荷量が、16年ぶりに対前年を上回った。需要を押し上げたのは、全国的に大ブームとなった食べるラー油用や、ハイボールが人気のウイスキー向けの透明瓶。業界団体は「これを機にガラス瓶の良さを知ってほしい」と呼びかけている。(段 貴則)

 日本ガラスびん協会(東京)が集計した。国内出荷量の9割以上を占める加盟6社合計の10年出荷量は対前年比0・7%増の121万3千トンとなった。プラスチック容器などに取って代わられるガラス瓶は1995年から出荷量は右肩下がりで減少していたが、昨年は歯止めがかかったかっこう。

 背景にあるのが、食べるラー油やウイスキーの人気。11年1月もガラス瓶製造は高水準が続いており、日本山村硝子の播磨工場(播磨町)では今もほぼフル生産という。

 同協会は「繰り返し使うことができるガラス瓶は環境に優しい。優位性をアピールしていきたい」と話している。

248荷主研究者:2011/02/27(日) 13:16:00

http://www.chemicaldaily.co.jp/news/201102/10/04601_2121.html
2011年2月10日(木)化学工業日報
旭硝子、カバーガラス増産へ高砂で200億円投資

 旭硝子は9日、化学強化用特殊ガラスを製造するための電子用フロート窯を新設すると発表した。高砂工場(兵庫県)に約200億円を投資、2011年下期に稼働を開始する予定。化学強化用特殊ガラスはモバイル端末用カバーガラス向けに需要が急速に伸びていることから、生産体制を強化することにした。タッチパネル搭載型のモバイル端末のカバー材は、化学強化用特殊ガラスが主流。旭硝子は強度と耐傷性に優れる「ドラゴントレイル」を開発、1月から販売を始めている。今後も需要拡大が見込めることから、フロート窯を増設して抜本的な能力増強を図る。新設するフロート窯は高い生産効率と板厚に対する柔軟性を持つだけでなく、将来的により進化した化学強化特殊ガラスの製造にも対応できる。
 [エレクトロニクス]

249荷主研究者:2011/03/20(日) 14:51:31

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/economics/news/20110226/464552
2011年2月26日 05:00 下野新聞
焼却灰を再生砕石に 一般廃棄物リサイクル推進 日光の渡辺産業

 産業廃棄物中間処理の渡辺産業(日光市町谷、神山昌彦社長)は25日までに、一般廃棄物処理業の許可を取得し、焼却灰や溶融スラグを、砕石として再生するリサイクルする事業を始めた。自治体の焼却施設が排出するものが対象で、「全国的にも先駆的な事業」と神山社長。自治体が保有する管理型最終処分場の使用可能期間を延ばすことや、処分経費の削減に貢献する環境ビジネス確立を目指す。

 原料処理の過程で有害物質を土壌環境基準以下まで無毒化する特殊硬化剤やセメントを混入して加圧成型。その後に破砕して、焼却灰1トンが1トンの再生砕石に生まれ変わる。再生砕石は路床材に活用される。年間3千トンの受け入れを計画。焼却灰1トンあたりの受け入れ料金は1万7千円前後となる。

 自前の管理型最終処分場を持つ自治体でも、満杯になった場合、次の建設用地を探すことは困難を極める。処分場を持たず、遠隔地の処分場に頼る自治体は運送費がかさむ。神山社長は「現有の処分場をなるべく長い期間使いたい、あるいは運送費を削減したい自治体の役に立ちたい」と、事業を立ち上げた。

 同社は1969年に創業。砂利採取、販売業を主要事業としていたが、99年に産廃の中間処理業にも参入し、燃え殻、汚泥、がれきなどを再生砕石にリサイクルするプラントを導入。焼却灰も同じプラントで処理する。1日の最大処理能力は8時間稼働で175トン。

 自社に有害物質の分析設備を備えるなど、以前から環境に配慮した事業展開に取り組んでいる。

250名無しさん:2011/03/20(日) 18:41:50
太平洋セメント大船渡は被害を受けたようですが、他工場の再稼動などはないでしょうか?
被災された方々にはお見舞い申し上げます。

251荷主研究者:2011/04/24(日) 15:27:38

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2011/04/20-1354.html
2011年04月20日 化学工業日報
東日本大震災 三菱マテリアル 災害廃棄物 セメント全5工場で受け入れ

 三菱マテリアルは、東日本大震災で大量に発生した災害廃棄物を、全国に5つある同社のセメント工場すべてでセメント原燃料として受け入れる。まず5月から宮城県の下水汚泥の受け入れを開始する。ヘドロや建築廃棄物なども、準備が整い次第、受け入れる。各工場はフル稼働させ、本格的な復旧・復興需要に向けたセメントの増産と合わせて災害廃棄物処理にも貢献していく。

 今回の震災で発生した災害廃棄物量は、宮城、岩手、福島の3県で阪神大震災の1・7倍に当たる2500万トンと推定され、ヘドロや自動車などを加えれば、その2倍近くになるとの見方もある。市町村が持つ焼却施設や処分場だけではとうてい賄いきれず、国は毎年2500~3000万トン規模で産業廃棄物を処理しているセメント業界に災害廃棄物の受け入れを要請していた。

 三菱マテリアルは、青森工場(青森県下北郡、クリンカ生産能力年間50万トン)、岩手工場(岩手県一関市、同50万トン)、横瀬工場(埼玉県秩父郡、同110万トン)九州工場・黒崎地区(福岡県北九州市、同60万トン)、九州工場・苅田地区(福岡県京都郡、同634万トン)の国内のセメント工場すべてで災害廃棄物を受けれることにした。九州の2工場は海上輸送で廃棄物を搬入する。

 現在までに処理の要請があったのは、津波の被災により地元の処理施設が運転を停止している宮城県からの下水汚泥。経済産業省と環境省からは大量に打ち上げられたヘドロ、東北電力、東京電力からは石炭火力発電設備の石炭焼却灰の処理要請を受けている。このうち宮城県の下水汚泥は5月から受け入れを開始する。建物のガレキ類などについても準備が整い次第、受け入れる方針だ。

 セメントの原燃料としての受け入れには、分別や塩分除去などの前処理が不可欠で、同社は、こうした作業に当たるゼネコン数社と処理方法の技術的な検討を進めている。

 5工場はフル稼働させる方針だが、セメントの復興需要が本格化するのは半年先とみられ、その間の生産過剰分は輸出量を増やすなどして調整する。

 災害廃棄物処理にあたってはいくつかの問題もある。今回の災害廃棄物の多くは津波によるもので塩分が含まれるため、セメント原燃料には使えない。このため被災地の集積所で水洗いし、乾燥させて工場に運ぶ予定だが、それでも残った塩分がセメントの品質に影響を及ぼすという。5工場には塩素除去装置もあるが、除去能力を増強しなければ対応は難しい。

 災害廃棄物受け入れの要請を受けたセメント協会は、塩素除去設備に対する国の補助金などの支援を求めている。政府は設備新増設への補助金制度の検討に入っている。制度化されれば、同社もこれを活用して設備対応を具体化する方針。

 また岩手工場は気仙沼港を通じて原燃料を海上輸送してきたが、現在は港が使用できず、秋田県からコストのかかる陸送で対応している。このため早期の港湾の復興も求めていく。

252荷主研究者:2011/05/03(火) 00:54:08

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0820110422cbaj.html
2011年04月22日 日刊工業新聞
日本電気硝子、スマートフォン向け化学強化専用ガラスを量産

 【大津】日本電気硝子はスマートフォンなどの携帯端末用カバーガラス向けに開発した化学強化専用ガラス「CX―01」の量産を開始した。プラズマディスプレーパネル用の基板ガラスなどの製造技術を活用したフロート法を用い、滋賀高月事業場(滋賀県長浜市)で製造する。2012年度には市場シェアの2―3割を目指す。

 同分野ではソーダライムガラスを硝酸カリウムによりイオン置換して化学強化処理したガラスが使われている。同社は10年からCX―01をサンプル出荷しているが、スマートフォンなど携帯型端末向け需要の増大が見込めることから量産体制を整えた。

 CX―01はソーダライムガラスに比べ6倍以上の強度があるなどタッチパネル用カバーガラスとしての特性と、ヒ素、アンチモン、鉛などの環境負荷物質も含まないのが特徴という。

253荷主研究者:2011/05/07(土) 16:44:41

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110420_12
2011/04/20 岩手日報
がれき処理5月にも 太平洋セメント大船渡工場
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 東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市赤崎町の太平洋セメント大船渡工場(安藤国弘工場長)は5月中旬にも、がれき処理の受け入れが可能となる見通しになった。本格的なセメント生産再開は11月ごろを目指している。

 同工場は震災で送電線の鉄塔が複数倒壊するなどして操業停止していたが、5月9日に電力が回復する予定となった。これに合わせて設備の復旧作業を進めており、5月中旬にはがれき処理ができる見通しだ。

 被災地には膨大ながれきが山積し、撤去とともに処理も大きな課題となる。これまでも廃棄物処理の大きな役割を担ってきた同工場。受け入れにめどが立ったことは、復興の好材料といえる。

 約74万トンのがれきがあるとされる大船渡市。市は分別作業に時間がかかるとみており、実際に同工場でがれきを処理するのは6月以降とみている。

 セメント生産に関しては11月からの再開を目指して復旧作業を進める予定。製品出荷やがれき搬入にも使えるバース(船着き場)の復旧が急がれる。安藤工場長は「電力復旧の見通しが立った。一日でも早くセメントを作らなければ大船渡の復興はないと考えており、復旧を急ぎたい」としている。

254荷主研究者:2011/05/07(土) 17:33:54

http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2011/04/27/new1104271102.htm
2011/04/27 11:00 デーリー東北
住金鉱業が県外向け出荷を再開/八戸

 石灰石を採掘、販売している住金鉱業(八戸市、飯村修社長)は26日、東日本大震災以降、青森県外への出荷を停止していた石灰石の出荷を再開した。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/industry/img1104271102.jpg
【写真説明】出荷施設から石灰石を積み込む大型船=26日午後4時ごろ、八戸市白銀町

255荷主研究者:2011/05/07(土) 17:49:37

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110430/bsc1104300500001-n1.htm
2011.4.30 05:00 Fuji Sankei Business i.
世界戦略、早期操業を後押し 旭硝子、「アジア級」工場再開

建築用板ガラスの生産・出荷を再開した旭硝子の鹿島工場=27日、茨城県神栖市

 旭硝子が東日本大震災で被害を受けた鹿島工場(茨城県神栖市)で建築用板ガラスの生産を約40日ぶりに再開した。鹿島工場は、同社唯一の建築用板ガラスの国内拠点で、生産能力はアジア最大級。鹿島工場が止まっていた間は、グローバルに張り巡らせた拠点が日本向け生産を補完するとともに、鹿島工場に復旧要員を派遣。3月末には早々に建築用板ガラスの受注再開にこぎ着けるなどネットワークの強みを最大限発揮した。

 ◆中国などで代替生産

 鹿島臨海工業地帯のほぼ中央に位置する鹿島工場を訪れたのは今月27日。21日から操業を再開した板ガラスを製造する「フロート窯」と呼ばれる設備は全長約600メートルに及ぶ。

 板ガラスづくりは、珪砂(けいさ)やソーダ灰などの原料を投入し、1600度の高温で溶解する工程から始まる。薄暗くて蒸し暑い工場内では、日常のものづくりの風景が戻っていた。

 岸壁にある原燃料の荷揚げや製品出荷に使われる港湾設備は3月11日の震災当日、高さ数メートルの津波にさらわれた。原料を船から陸上におろす青色の大型重機はその後の液状化現象で斜めに傾き、地面は所々が陥没、隆起した。

 現地を訪れたとき、大型重機は応急処置で姿勢をほぼ元に戻していたが、近くにある従業員の詰め所として使われていたプレハブ小屋は損壊した状態のままで、震災の爪痕がうかがえた。

 震災発生当時、鹿島工場の構内では協力会社の社員らを含めて約1000人が働いていた。大津波警報の発令を受け、全員が高台に無事避難できたという。

 旭硝子のガラスカンパニーで日本・アジア事業本部長を務める市川公一執行役員に詳細な被災状況が伝わったのは震災翌日の3月12日。フロート窯や港湾設備の損傷を聞き、「ある程度の操業停止を覚悟しなければならない」と感じた。

 市川執行役員ら幹部は震災直後の週末は帰宅せずに、東京・有楽町の本社で指揮を執った。真っ先に指示したのは、自動車用ガラスをつくる愛知工場(愛知県武豊町)や中国・大連の工場などへの建築用板ガラスの代替生産だった。

 迅速な指示が功を奏し、震災発生から2日後には大連の工場で日本向けの板ガラスの生産が始まった。ほかにも「インドネシアやフィリピン、タイの拠点にもサポートしてもらった」(市川執行役員)。震災後に止めていた建築用板ガラスの受注も3月末に再開。ある幹部は「ネットワークの強みがなかったら、こんなに早く再開できなかった」と語る。

 また、フロート窯の補修は鹿島工場の従業員だけでは手が足りなかったため、愛知工場などから応援要員を送り込み、被災拠点を強力にバックアップした。

 ◆指揮系統を一本化

 旭硝子は2002年にカンパニー制を導入し、09年7月にはそれまで別々だった建築用板ガラスと自動車用ガラスのカンパニーを統合した。現在はガラスカンパニーのもとで、日本・アジアと欧州、北米の3地区に事業本部を設置し、指揮系統や情報伝達を一本化している。この結果、海外の拠点との調整に要する時間も短縮化され、迅速な意思決定が可能になった。東日本大震災という非常時に新組織が見事に機能した。

 鹿島工場のフロート窯は生産能力が1日850トンと国内最大で、国内の建築用板ガラスの3分の1以上を占めており、厚さ3ミリから25ミリまでの板ガラスを量産する。

 足元の生産量は1日700トン程度で、今後の需要の推移を見極めながら稼働率を徐々に引き上げていく方針だ。鹿島工場の吉門満博ガラス部長は「いつでもフル稼働が可能な状態にある」と強調する。今後、本格化する復興需要の担い手となることが期待される。(森田晶宏)

256荷主研究者:2011/05/15(日) 13:45:28

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110502_12
2011/05/02 岩手日報
がれき木材を燃料に活用 三菱マテリアル岩手工場
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 一関市東山町のセメント製造三菱マテリアル岩手工場(岸和博工場長、従業員75人)は東日本大震災で発生した沿岸部のがれき処理に協力する方針を決めた。がれき木材をセメント製造の燃料に活用する考えで、早ければ6月ごろから受け入れ可能。本震と余震で同工場は計1カ月の操業休止を余儀なくされたが、操業半世紀の誘致企業として地域貢献の思いを強めている。

 同工場が受け入れを検討するのは、倒壊家屋などの木材。セメント原料粉末を1450度で加熱し、製品の前段階となるセメント鉱物を作る際の燃料として活用できるとみている。

 燃料は石炭が主だが、木くずや廃プラスチック、廃タイヤなどで代用できる。セメント鉱物の製造能力が年約43万トンの同工場の場合、1日に燃やせる木くずは約50トン。がれき木材を燃やすには金属、土類との分別、木材の一定程度の破砕・洗浄が前提になるが、一度に大量のがれきを処理できる利点は大きい。既に同業の太平洋セメント大船渡工場(大船渡市)が処理の意向を示している。

 本県の被災地のがれき量は約580万トン。県は「がれきは分別し、燃料や建設資材として使えるものは使う」(県資源循環推進課)としており、年内にがれきを仮置き場に移動した上で3〜5年をかけて処理する方針だ。

 同工場は3月11日の地震以降、5日間停電。建屋の天井が壊れるなどし、約3週間操業を休止した。4月7日の余震後も1週間ほど稼働を取りやめた。

 一方、原料や燃料の荷揚げ港がある大船渡市と気仙沼市に米、水などの支援物資を運び、支援してきた。がれき処理は4月に入り、県からの問い合わせで検討を始めたという。

 同工場の操業開始は1958年。岸工場長は「がれきの75%は木材と聞く。燃料の割合を変えるには取引先との調整が必要になるが、地域密着の企業としてできることがあれば協力したい」と語る。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/industry/mitubisi110502.jpg
【写真=セメント鉱物を作る設備。三菱マテリアルは燃料としてがれき木材を受け入れたい考えだ。左は岸和博岩手工場長】

257荷主研究者:2011/05/15(日) 14:31:34

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110508/CK2011050802000056.html
2011年5月8日 東京新聞
希少資源フッ酸 リサイクルに成功 加須のガラス製造メーカー

大型のリサイクル装置と住毋家社長=加須市で

 加須市の特殊ガラス製造の中堅メーカー「電硝(でんしょう)エンジニアリング」(従業員約200人)が希少資源の蛍石から生成され、薄型ガラスなどの生産に不可欠なフッ酸のリサイクル技術の開発に成功した。日本の蛍石の資源確保は、昨秋の政治問題で中国が輸出規制した希少金属「レアアース(希土類)」と同様に中国頼みとなっていた。同社は「中小企業の技術で、中国の輸出制限などの影響を受けない安定供給につなげたい」と話す。 (池田宏之)

 フッ酸は、蛍石を原料として生成され、携帯電話などの画面に使われる液晶表示装置(LCD)のガラスを磨く際に用いられるほか、リチウムイオン電池の製造工程でも必要となる。

 同社も携帯ゲーム機などのガラスを化学研磨する際、フッ酸の混ざった液体を利用。従来は、利用後はフッ酸が化学反応して別の物質になるため、廃液を薄めて産業廃棄物として処理してきた。

 だが、蛍石のほとんどを輸入に頼ってきた日本を取り巻く環境は近年、大きく変化。財務省の貿易統計によると、中国からの輸入量は二〇〇四年の約二十九万トンから〇九年には約四万トンに。全輸入量も約四十四万トンから約九万トンに激減し、一トン当たりの価格は、約一万四千円から約二万五千円と高騰した。

 急激な輸入量の減少の背景には、「採掘量の減少とともに、資源ナショナリズムによる輸出規制をしているとも考えられる」(同社)とする。価格高騰でフッ酸の安定確保やコストダウンを迫られた同社は〇七年ごろから、フッ酸のリサイクル技術開発に着手した。

 当初はこれまで処分してきた廃液からフッ酸だけを蒸留しようとすると、別の物質と沸点が同じで、同時に気化するため、うまくいかなかった。

 しかし〇九年、フッ酸と沸点が同じ物質に、塩(えん)を加えることで、沸点を変えられるようになり、フッ酸のみの蒸留に成功した。

 昨年三月に特許を申請し、同七月には独立行政法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)のイノベーション事業として助成金を受けて、同十一月に実用的な大型装置が完成した。

 現在は一日四トンの廃液を処理できるが、リサイクル率は約三割程度。今後は八割を目指す予定だ。住毋家(すもげ)岩夫社長は「日本の中小企業の技術力は非常に高い。さまざまな分野で中小企業発の技術革新が出てくることが、日本全体の希少資源問題への対応につながる」と語った。

259荷主研究者:2011/06/05(日) 22:21:12

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110512/bsc1105120501000-n1.htm
2011.5.12 05:00 Fuji Sankei Business i.
太平洋セメ、被災地と共存 生産設備、がれき焼却に活用

東日本大震災で大きな被害を受けた、太平洋セメント大船渡工場=4月3日、岩手県大船渡市

 太平洋セメントは11日、東日本大震災で被災した大船渡工場(岩手県大船渡市)で5月中にもがれき処理を行う方針を明らかにした。同工場は太平洋セメントにとって東北唯一の生産拠点だが、港湾施設や、生産設備損傷でセメント生産はできない状態。生産態勢を整備する間、復旧のメドが立った回転窯を活用してがれきの焼却処理を行い被災地復興に貢献する考えだ。

 同工場は津波被害を受けて操業停止中だが、被害程度が軽い回転窯を活用し、がれきの焼却を進める。セメント生産は生産設備の復旧が整う11月以降になる見通しだ。その間のセメント供給は同社の上磯工場(北海道北斗市)などが担う。

 大船渡工場にはセメント原料を焼成する回転窯が2基あるが、うち1基は津波による浸水被害を受けた。高台にあるもう1基は一部損傷を受けたが被害程度が軽く、5月中にも稼働開始のメドが立つことから、11月まで主に木材や汚泥などの処理を行う。もう1基は11月以降稼働の見込みで、やはり当初はがれきの焼却処理を行うという。

                   ◇

 太平洋セメントが11日発表した2011年3月期の連結決算は最終損益が51億円の黒字だった。東日本大震災で大船渡工場が被災したため、92億円を特別損失に計上したが、佐伯(大分県)、土佐(高知県)などの3工場生産停止や人員削減によって黒字を確保した。売上高は前期比0.3%減とほぼ横ばいの7264億円だった。12年3月期の業績予想は未定。被災地復興にからむセメント需要に関しては「下期以降回復するが、前期生産量より下ぶれする可能性が高い」(同社)としている。

260荷主研究者:2011/06/05(日) 22:21:47

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110513/bsc1105130504003-n1.htm
2011.5.13 05:00 Fuji Sankei Business i.
セメント業界 固い結束 代替生産で協力、供給不足補う

津波で流された橋を調査する国交省の職員ら。復興需要をにらみ、セメント各社が協力態勢を構築した=4月26日、宮城県南三陸町

 東日本大震災を機に、セメント各社が企業の壁を越えて生産・出荷態勢を強化している。太平洋セメントの大船渡工場(岩手県大船渡市)が被災し操業停止したことで、橋梁(きょうりょう)やダムなど大規模な公共工事に使用される「低熱セメント」の供給に不安感が出たためだ。被災地では今後、インフラ整備の復興需要が出てくることは確実で、業界が相互協力して供給不足を補う態勢を構築した。

 低熱セメントは、固まる際に熱を発しにくく、ひび割れしにくいのが特長。ダムや橋梁、トンネル工事など大規模な工事では不可欠な素材で、復興に向けた工事が増える今秋以降の需要拡大が見込まれている。

 しかし、年間約16万トン生産されてきた低熱セメントの供給不安感が高まってきた。同セメントの半分超を太平洋セメントの大船渡工場が担っていたからだ。同工場は津波を受け操業停止中で、現段階で生産再開のめどは立っておらず、業界によると在庫も底をついたという。

 これを受け、太平洋セメントは4月、低熱セメントを生産・販売する住友大阪セメントと宇部三菱セメントに代替生産を打診し、両社ともすでに生産を開始した。住友大阪は赤穂工場(兵庫県赤穂市)で、4月中に1000〜1500トンを増産、宇部三菱は三菱マテリアルの九州工場(北九州市)を通じ代替生産に踏み切った。太平洋セメントの生産能力のすべてをカバーできる量には至らないが、当面の需要はまかなえる見通しという。

 今回の震災では、企業同士の相互供給態勢は鉄鋼業界などでもみられた。住友金属工業の鹿島製鉄所(茨城県鹿嶋市)が被災したことを受け、来年10月の合併で合意している新日本製鉄が大分製鉄所(大分市)などから母材を供給したほか、新日鉄は鹿島製鉄所の復旧工事にも人員を派遣した。

 製紙業界では、三菱製紙が主力の八戸工場(青森県八戸市)が操業停止。これに伴う印刷用紙の不足を契機に「紙が電子媒体に取って代わられる」との懸念が高まり、「同業他社に協力あおいで、当社系列の代理店への供給を要請した」(三菱製紙の鈴木邦夫社長)という。

 震災に伴い、素材各社が供給責任を全うするために、企業の壁を越えて協力する例が相次いだ。これを機に、「メリットがあると判断すれば共同購買や物流の統合に発展する可能性が出てくる」(アナリスト)との見方もある。(川上朝栄)

262荷主研究者:2011/07/03(日) 13:37:03

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110623t32010.htm
2011年06月23日木曜日 河北新報
震災がれきの焼却着手 太平洋セメント大船渡工場

がれき焼却を始めた太平洋セメント大船渡工場=22日午後3時ごろ

 岩手県大船渡市の太平洋セメント大船渡工場で22日、大船渡、陸前高田両市の震災のがれき焼却が始まった。復旧の足かせとなるがれき処理が本格化し、街の再興に向けた動きも進みそうだ。

 同工場は午前4時に炉の火を入れ、焼却は午前10時に始まった。1日の焼却量は300トン。直径5.8メートル、長さ102メートルの大型炉を24時間フル稼働させ、市が5センチ以下に破砕した木材などを約850度の高温で焼却する。

 同工場は11月にも、セメントの生産を再開する方向で復旧を進めている。焼却した灰などはセメント生産の原料や燃料として再活用するため、同月までにはがれきの焼却量も増やす予定。

 安藤国弘工場長は「まだセメント生産ができる状況ではないが、がれき処理という形で地域の復興に向けた動きを支援したい」と話した。

 県によると、大船渡、陸前高田両市のがれき量は計約171万トン。同工場は今後3年ほどかけて焼却し、他の自治体分の受け入れも検討している。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110623_7
2011/06/23 岩手日報
大船渡でがれき焼却開始 セメント工場、1日300トン
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 大船渡市赤崎町の太平洋セメント大船渡工場(安藤国弘工場長)は22日、東日本大震災の津波で発生した同市内のがれきの焼却処分を始めた。23日からは陸前高田市のがれき処分も開始。セメント製造用の焼成炉(ロータリーキルン)を転用して1日約300トンの処分を計画している。

 初日は大船渡市大船渡町茶屋前などから運ばれた木くずなどを処理した。集められたがれきは現在、同工場のサッカー場で5センチ以下に破砕しており、炉に投入後、800度以上で焼却。焼却後の灰は3割程度の量になるという。灰は奥州市江刺区のいわてクリーンセンターに埋め立てる予定だ。

 大船渡市の分別・破砕作業は今後、永浜・山口地区の港湾埋め立て地に移す。

 同工場は5月に構内のがれきで試焼却を開始。その結果などから投入場所の改良や散水設備の設置などを行ってきた。塩分を多く含んだがれき焼却は炉を傷めるが、同工場は「覚悟の上」と地域貢献を優先する。

 同工場自体も津波で甚大な被害を受けており、セメント生産の再開は11月になる見通し。12月にはもう1基ある焼成炉の再稼働させる目標だ。

 安藤工場長は「これまでがれきは撤去できても処分できない状態だった。がれき焼却で地域に貢献するのはわれわれの使命であり、誇りだと思っている」と力強く語る。

 県の推計では、大船渡市では約75万6千トン、陸前高田市は約86万5千トンのがれきが発生した。同工場は県内屈指の焼却能力があり、県はがれきの主要な処理先の一つに位置付けている。県の実行計画案によると、県内被災地のがれき処理は今秋以降に本格処理を開始し、2014年3月末までの完了を目指している。

【写真=大船渡市内のがれき焼却を始めた太平洋セメント大船渡工場のセメント焼成炉=22日、大船渡市赤崎町】

265荷主研究者:2011/08/08(月) 01:08:29

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201107190004.html
'11/7/19 中国新聞
スラグのコンクリ活用にめど

 呉市と広島大は、ごみの焼却時に出る溶融スラグを鉄筋コンクリートの材料に有効活用できるとの研究成果を得た。砂に混ぜる比率が3割までなら強度を確保できる見通しが立ったため。日本コンクリート工学会中国支部(東広島市)に活用指針を定めてもらい、本格利用を目指す。

 市は昨年、スラグの有効利用を図るため、広島大と共同研究を始めた。同大大学院工学研究科の佐藤良一教授は、砂とスラグを混ぜて大型の鉄筋コンクリートを作り機械で圧力実験をした。その結果、スラグの配合率が3割までなら強度が落ちないことが分かった。

 今後、研究者や企業でつくる日本コンクリート工学会中国支部にスラグ活用の指針づくりを依頼し、自治体や企業がスラグを使いやすい態勢を目指す。

【写真説明】圧力実験で強度が確認された、スラグを混ぜて作った鉄筋コンクリート

266荷主研究者:2011/08/14(日) 13:24:58

http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0004308474.shtml
2011/07/27 10:48 神戸新聞
多機能携帯向け特殊ガラスで売上3百億円へ 旭硝子

 ガラス大手の旭硝子(東京)の石村和彦社長(56)は26日、神戸新聞社の取材に応じ、販売が拡大するスマートフォン(多機能携帯電話)向けの特殊ガラスについて、「2012年に売上高を300億円以上にする」と述べた。高砂市の高砂工場に建設中の製造設備が年内に稼働、尼崎市の関西工場とともに大量供給できるめどが付いたため、としている。

 スマートフォンやタブレット型端末の需要増を背景に、同社はタッチパネルを保護する新型ガラスを開発。今年1月から尼崎市の関西工場で生産し、端末メーカーなどに販売している。

 石村氏は関西、高砂の両工場を「ディスプレー周辺の特殊ガラスの開発・生産基地」と位置付ける。高砂には200億円を投じて特殊ガラスを生産する最新鋭の窯を建設中。石村氏は「(需要が旺盛なので)稼働後には、売上高の上積みを期待している」とした。

 一方、関西電力管内の電力不足に関して、石村氏は「高砂の新設備の稼働に問題はなく、製造拠点の海外移転はまったく考えていない」と話した。

(高見雄樹)

267荷主研究者:2011/08/28(日) 15:01:29

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201108210045.html
'11/8/21 中国新聞
石灰、中国で合弁生産へ

 化学メーカーの宇部マテリアルズ(宇部市)は大手商社の双日(東京)と共同して、中国で石灰の合弁生産を始める。安徽省のメーカーへ8月末にも出資。石灰は製鉄などに必要で、中国では年率1割のペースで需要が伸びており、宇部マテリアルズは初めて海外生産に乗り出す。

 年間4千万元(約4億8千万円)を売り上げる安徽省池州市の青陽海億鉱業化工の運営に参画する。親会社の香港順遠投資(香港)と双日を加えた3社で持ち株会社を設立。出資比率は宇部マテリアルズが7・23%、双日が43・77%と2社で51%を占める。宇部マテリアルズは約1億円を出資する。

 出資を受けて、青陽海億は生産能力を3年以内に現行の年12万トンから2・5倍の30万トンへ拡大。5〜10年以内に70万トンへの拡張を視野に入れる。宇部マテリアルズの技術供与で生産コストの削減、安定稼働などを図る。製品は中国を中心に韓国や台湾でも販売する。

 中国の石灰需要は世界の3分の2を占める年約2億トンで、1千万トンの日本の20倍に達している。近年、日本市場はゼロ成長が続いており、宇部マテリアルズは「業績拡大に欠かせない海外進出の第一歩」と強調する。

 石灰は土壌改良や焼却炉の排ガス処理、製鉄や化学メーカーの生産に使われる。両社によると2016年の世界需要は、アジアの新興国を中心に09年の2倍の6億トンに上る見込み。両社はアジアシェア1位を目指し、インドや東南アジアへも生産拠点を設ける方針でいる。

270荷主研究者:2011/10/01(土) 16:28:38

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0320110909caai.html
2011年09月09日 日刊工業新聞
東芝、昨年度の石炭灰埋め立てゼロ−残さもセメ原料に処理

 東芝は2010年度、子会社のシグマパワー有明(東京都港区)の三池発電所(福岡県大牟田市)でクリンカ(溶融灰)の埋め立て処分量をゼロにした。石炭火力発電で発生したクリンカを淡水処理し、セメント原料に再生した成果。08年度に3000トン以上だったクリンカの埋め立てて処分量がゼロとなり、発電事業に伴う環境負荷を引き下げた。

 クリンカは石炭の燃焼によって発生した灰の粒子が溶けて固まり、ボイラの底に落下した灰。従来、海水で移送処理していたためクリンカに塩分が残留してしまいセメント原料に利用できなかった。

 淡水に切り替えたことで年3900トンのクリンカをセメント原料化できる。

 東芝グループ全体で発生した廃棄物のうち、リサイクルせずに処分する最終処分量は10年度が7800トンとなり、前年度比39・5%削減。

276荷主研究者:2011/10/30(日) 01:00:36

http://www.sankeibiz.jp/business/news/111004/bsc1110040501003-n1.htm
2011.10.4 05:00 Fuji Sankei Business i.
セメント、新興国攻勢を加速 住友大阪は中国、太平洋はベトナム開拓

 セメント各社が成長するアジア進出を加速させている。住友大阪セメントが中国大手への追加投資に踏み切ったのに加え、インフラ需要が急増するベトナムでは太平洋セメントが現地生産を進める。かつて内需型産業の代表格だったセメント業界が変化の時を迎えつつある。

 住友大阪は、出資する中国セメント大手「昆鋼嘉華水泥グループ」に2億5000万円を追加投資する。昆鋼嘉華水泥が内陸部の雲南省に新工場を建設するのに伴うもので、新工場建設費30億円のうち、住友大阪の投資額は出資比率8%分に当たる。新工場の年産能力は100万トンで2012年下期の稼働を目指す。

 雲南省は内陸部開発計画「西部大開発」の拠点の一つで、高速道路や水力発電用ダムなどの大型プロジェクトがめじろ押し。同省の政府の試算によると10年に5600万トンだった省内のセメント需要は15年に1.3億トンに拡大する見込み。住友大阪は追加投資を足がかりに現地市場の動向調査などを進め、中国やアジアでの本格展開をにらむ。

 一方、太平洋セメントはベトナム市場を開拓する。昨年4月、三菱マテリアルなどと共同出資するセメント工場に第2ラインを新設した。同工場の生産能力は年435万トン。セメント需要が年間5000万トンと、すでに日本(約4000万トン)を上回る同国で最大規模。

 10年の国内セメント需要は公共事業削減で、前年比2.6%減の4161万トンと5年連続で前年割れ。東日本大震災に伴う復興需要によって今後5年間で1000万トンの需要増も見込まれるが、「工場の稼働率を数%上げればカバーできる」(太平洋セメント)状況で、海外市場開拓の動きは続きそうだ。(川上朝栄)

277荷主研究者:2011/11/13(日) 20:59:11

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/aomori/326919.html
2011年10/22 11:15 北海道新聞
被災米、八戸でセメント原料に

 八戸市は21日、東日本大震災の津波で被災した宮城県内の政府備蓄米(2005〜09年産)約2400トンを、市内の「八戸セメント」八戸工場で焼却処理するため、搬入を認めたと発表した。宮城県内で備蓄米の放射性セシウム134と137の濃度を測定したところ、いずれも不検出だった。

 八戸市が震災による廃棄物を他県から受け入れるのは初めて。八戸セメントは、焼却後の灰をセメント原料に利用する。

 宮城県の2市2町でつくる亘理名取共立衛生処理組合によると、備蓄米は約7千トンあり、名取市内の倉庫2カ所と岩沼市内の倉庫1カ所で、保管していた。いずれも海岸沿いの倉庫だったため、震災で高さ2〜2・5メートルの津波に襲われ、海水に漬かり食用にできなくなったという。

 同組合には焼却施設が二つあるが、震災で一つが使用不能になり、処理が滞っているため、宮城県内や栃木県佐野市の施設などへ処理を依頼した。八戸市に対しては、7月下旬に処理を打診。約2400トンを八戸セメントで処理することで協議がまとまった。

 市環境政策課によると、第1陣として約20トンを今月24日、八戸セメントに搬入し、農林水産省職員立ち会いの下で試験焼却する。焼却ガスの放射性セシウムなどの濃度が基準値以下であれば、以後は1日当たり約50トンのペースで処理を続ける。

 亘理名取共生衛生処理組合の百井明・事務局次長は「地元での処理施設が使えず、困っていた。八戸市で受け入れていただき、大変ありがたい」と話している。

279荷主研究者:2011/11/23(水) 16:30:48

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0520111027caag.html
2011年10月27日 日刊工業新聞
シタマ石灰、福岡・糸島市に新工場−貝殻で有機石灰“地産地消”

 【福岡】シタマ石灰(福岡県宮若市、舌間常雄社長、0949・54・0329)は、2012年中に福岡県糸島市に貝殻を原料にする有機石灰の生産工場を新設する。現在は宮若市内で生産しているが、貝殻の調達と製品販売の双方をする糸島市内で行い物流を効率化。有機石灰の“地産地消”を目指す。生産能力も3倍に引き上げ、将来の増産に備える。投資額は約2億円を見込む。

 新工場は原料のカキなどの貝殻を乾燥、粉砕、袋詰めする各装置をそろえる。敷地面積は8250平方メートル、平屋建て床面積1320平方メートル。当初は従業員11人で稼働する。生産能力は年3000トン程度だが、当面は同1000トン、売上高5000万円を計画している。

 同社は将来、有機石灰生産を糸島に集約、近隣の佐賀県などからも貝殻を調達する方針。

280荷主研究者:2011/11/23(水) 17:04:35

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111105t32003.htm
2011年11月05日土曜日 河北新報
太平洋セメント・大船渡工場、約8ヵ月ぶりに生産再開

火が入った炉の状況を確認する工場関係者

 東日本大震災で被災した太平洋セメント大船渡工場(岩手県大船渡市)で4日、セメント生産が約8カ月ぶりに再開した。今後1カ月ほどかけ、炉の運転状況や品質の確認などをするため、製品の本格出荷は12月からとなる。

 安全祈願祭と炉の火入れ式があり、徳植桂治社長ら約60人が出席。徳植社長は「廃棄物の処理を含め、新たな事業モデルを確立し、東北振興に力を尽くしたい」とあいさつした。

 工場に二つある炉のうちの一つに火を入れると、出席者から大きな拍手が起きた。

 同社によると、出荷が始まる12月以降は日産約4000トン、本年度末までに約40万トンの生産を予定している。工場のもう一つの炉は来年6月の稼働を目指している。

 工場では、6月から大船渡、陸前高田両市の震災がれきを焼却しており、セメント生産が始まった後も焼却を続ける。

281荷主研究者:2011/11/23(水) 17:19:52
>>280
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111105_6
2011/11/05 岩手日報
生産再開、大船渡に光 太平洋セメント工場
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 震災で大きな被害を受けた大船渡市赤崎町の太平洋セメント大船渡工場(安藤国弘工場長)は4日、セメント生産を再開した。同工場で火入れ式を行い、セメント製造用の焼成炉「キルン」に点火。地域の歩みを後押しする「復興の炎」がともった。同工場は6月からがれき焼却を続けてきたが、今後はこれまで処分場に埋めていた灰も活用。がれきが復興資源となるセメントに姿を変える。

 大船渡湾沿いに立地し、地域のシンボルとして親しまれてきた同工場は3月11日、津波の直撃を受けた。送電線の鉄塔が倒壊し、キルン1基や製品を入れる「サイロ」などが浸水。急ピッチで復旧作業を進め、6月から大船渡、陸前高田両市のがれきを受け入れ。キルンで9月までに約3万1千トンを焼いた。

 塩分を多く含んだがれきの焼却は炉を傷めたが、安藤工場長は「まずはがれきを焼却する。それが地域との約束」と強調する。セメント生産を再開するため、9月でがれき焼却をやめて傷んだ施設を修復。キルン内のれんがを取り換えたほか、除塩施設も整えた。

 がれきを燃やした灰は、これまで処分場に埋めていたが、生産再開によってセメントの材料に活用。最終調整を経て、12月にセメントの出荷を再開し、来年3月までに約40万トン生産する予定。当面は陸路で東北地方を中心に出荷する。

 もう1基のキルンも12月からがれき焼却を始め、1日当たり700〜800トンの処理が可能になるという。来年6月には2基でのセメント生産を目指す。

【写真=セメント生産を再開した太平洋セメント大船渡工場で行われた焼成炉「キルン」への火入れ。復興に向け、大きな一歩を踏み出した=4日、大船渡市赤崎町】

282荷主研究者:2011/12/11(日) 15:44:26

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2011/11/16-4350.html
2011年11月16日 化学工業日報
太平洋セメント 上磯工場で環境設備投資100億円規模

 太平洋セメントは上磯工場(北海道北斗市)で環境関連の大規模設備投資を実施する。北海道内の都市ゴミ焼却灰受け入れ体制を整備するとともに、産業廃棄物の処理能力を拡大するのが目的。18日に焼成キルンの廃熱を利用する発電設備が竣工するのに続き、来年から再来年にかけて脱塩素設備、焼却灰の前処理設備などを導入する。同工場における一連の環境関連設備投資の総額は、100億円規模となる。

283荷主研究者:2012/01/15(日) 12:24:59

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111223t32009.htm
2011年12月23日金曜日 河北新報
復旧に貢献したい 太平洋セメント・大船渡工場が出荷再開

震災後、初となるセメントの積み込み作業

 東日本大震災で被災した太平洋セメント大船渡工場(岩手県大船渡市)が22日、セメントの出荷作業を再開し、運搬船「陸龍丸」に約1万トンを積み込んだ。船は23日、いわき市小名浜港に向けて出港し、製品は東北各地の復興事業に活用される。

 搬入終了後、船内では工場関係者ら約40人が集まって式典を開いた。大船渡工場の安藤国弘工場長が「セメント生産を通じ、地域の復旧に貢献したい」とあいさつした。

 震災時、大船渡湾に面する工場には10メートルを超える津波が直撃し、二つある炉が損壊。11月から一つの炉が再稼働した。セメントは日量3200トン、本年度末までに約40万トンの生産を予定している。

 工場は大船渡、陸前高田両市の災害廃棄物を受け入れており、セメント製造の燃料などに利用している。

 全長132.7メートルの陸龍丸は震災当日、セメント積み出しのため大船渡工場の桟橋に接岸中だった。津波の直前に桟橋を離れて転覆を免れ、操船技術が評価されて初出荷の運搬に選ばれた。

284荷主研究者:2012/01/15(日) 13:09:37

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111120/biz11112007000001-n1.htm
2011.11.20 07:00 産経新聞[すごいぞ!ニッポンのキーテク]
超高温炉で廃棄物をセメントに 宇部興産のリサイクル技術

廃プラスチック類を石炭代替の燃料として再利用する苅田セメント工場の設備。来年3月までには営業運転に入る予定だ(宇部興産提供)

 宇部興産は、セメント工場で都市ごみの焼却灰や廃プラスチック類などの廃棄物をセメントの原燃料として再利用するリサイクル事業を強化している。来春までには福岡県の工場で新たに廃プラ燃料化設備を稼働させ燃料の多様化を進めるほか、山口県の工場では下水汚泥の乾燥設備を導入する。

 セメント製造設備は1450度の高温で原料を焼くため、通常の炉では対応が困難な有害物質も完全分解が可能で、最終処分の必要のない廃棄物処理方法として注目されている。今後も投資を継続して処理設備の充実を図る方針で、同リサイクル事業で2015年度には160億円の売上高目標を掲げ、さらなる事業拡大を目指す。

 自動車産業が集積する福岡県北東部の苅田町。周防灘に面した港の近くに構える宇部興産の苅田セメント工場は、同社の資源リサイクル事業の主力拠点だ。

 同工場では近年、廃棄物をセメントの原燃料として再利用するための設備構築が着々と進む。2005年にはセメントの品質に悪影響を及ぼす塩素を大量に除去できる国内最大級の設備が営業運転を開始。これを受け、以前は原料に不向きだった都市ごみ焼却灰の再利用が可能になり、08年には自治体の処分場で埋め立て済みとなった焼却灰の受け入れに着手。さらに来年3月までには、廃プラ類を石炭に代替する燃料として再利用する設備が営業運転に入る予定だ。

 同社はこの苅田に加え、宇部(山口県宇部市)と伊佐(山口県美祢市)の3セメント工場で廃棄物リサイクル事業を展開。10年度に3工場で処理した廃棄物は306万トンに上ったが、このうち299万トンを自治体や企業など外部からの受け入れが占めている。

 「キルン」と呼ばれる回転窯は1450度の高温で原料を焼くため廃棄物の大量処理が可能な上、ダイオキシンなどの有害物質も完全に分解できる。また、焼かれた廃棄物の残渣(ざんさ)はそのままセメントに取り込まれるので、埋め立てによる最終処分場の新設が難しくなっている現状では有力な廃棄物処理方法だ。

 セメントの原燃料として活用される廃棄物は多岐にわたる。原料としては、石炭火力発電所の石炭灰、下水や上水の汚泥、建設現場の残土など。燃料として使用されるのは廃プラ類のほか、木質チップのような木くず、古畳のような繊維くずなどが挙げられる。

 苅田セメント工場の廃プラ燃料化設備に続き、来年度には伊佐セメント工場で、下水汚泥に熱を加えて乾燥させ、原燃料に再利用するための設備を稼働させる計画だ。担当者は「今後もさまざまな廃棄物に対応する態勢を強化する」と意欲を示す。

 廃棄物リサイクル事業については、自治体や工場などは廃棄物の最終処分に頭を悩ませていることから、「再資源化の要請も強く、今後も伸長が見込める」と期待を寄せる。同事業は自治体や企業など外部から廃棄物を受け入れる際の手数料収入が収益の柱だが、ここ数年の売上高は09年度が110億円、10年度が118億円と堅調に推移しており、11年度も130億円を見込み、15年度には160億円と、10年度実績比で約35%伸ばすのが目標で、新たな収益源として育てる方針。

 ただ、この目標達成に向けては、さらなる処理設備の充実に加え、技術開発のスピードアップ、廃棄物の収集力強化などが課題といえそうだ。(森田晶宏)

285荷主研究者:2012/01/15(日) 13:16:40

http://www.sankeibiz.jp/business/news/111222/bsc1112221619007-n1.htm
2011.12.22 16:18 Fuji Sankei Business i.
セメント需要「来年から200万−300万トンが最大5年間」 業界が予想

 セメント協会の上村清流通委員長(太平洋セメント常務)は22日の記者会見で、東日本大震災の復旧・復興工事に絡み、「(公共事業の)財源捻出に時間がかかっている」と指摘、セメント需要が動きだすのが、当初見込みよりも遅れているとの見方を示した。その上で、上村氏は「来年以降、年200万〜300万トンの需要が最大5年程度続くだろう」と話した。

 同協会がこの日発表した2011年11月の需給実績によると、生産量は前年比2・6%減の504万トンと2カ月ぶりの前年割れ。国内販売量は1・1%減の395万トンと半年ぶりのマイナス。岩手県で三陸自動車道の復旧、福島県で福島第1原子力発電所の緊急工事が進んだことが後押しし、東北地方(6・4%増)などが好調だった。

286とはずがたり:2012/01/23(月) 00:35:59

双葉砕石工業は相応の罰を受けるべきである。知らんかったや規制されてなかったじゃ済まされんじゃろ。

2012年1月22日11時53分
住宅49カ所で同じ業者の石 福島・汚染コンクリ
http://www.asahi.com/national/update/0121/TKY201201210567.html?ref=doraku

 東京電力福島第一原発事故で出た放射性物質に汚染されたコンクリートが、福島県二本松市のマンション工事に使われた問題で、同じ業者の石を使ったコンクリが同県内の計49カ所の住宅に使用されていたことがわかった。

 発端となった二本松市の新築マンションには「双葉砕石工業」の石を材料とするコンクリが使用された。関係者によると、石が出荷された生コン会社2社のコンクリは昨年3月下旬〜4月中旬、戸建て工事39カ所、集合住宅工事10カ所で使用されていた。このうち福島市の住宅の駐車場で、高めの放射線量が測定されたことが新たに判明した。

287とはずがたり:2012/02/03(金) 00:35:51

14億円とかケチな誤魔化ししやがって。,

住友大阪セメント、2年半分の決算訂正へ 在庫水増しで
2012年2月2日20時14分

 プラズマディスプレー向けのフィルム事業を担当する部署が在庫を水増ししていた住友大阪セメントは2日、2009年4月から2年半の決算を訂正する方針を発表した。社員4人が09年6月から在庫水増しに加えて、売り上げの計上時期を操作していたことが社内調査で判明。訂正で11年9月末時点の総資産が14億円減る。

2011年12月19日10時27分
住友大阪株が大幅続落、14億円の不適切会計処理を嫌気
http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201112190022.html?ref=reca

 [東京 19日 ロイター] 東京株式市場で住友大阪セメント<5232.T>株が大幅続落。9時50分時点で東証1部値下がり率トップになっている。16日に発表した14億円の不適切な会計処理が嫌気されている。

 同社によると、高機能フィルム事業グループで在庫状況を確認したところ、2009年度下期ごろから棚卸資産を総額約14億円過大に計上していたことが判明した。業績への影響等についてはわかり次第開示するとしている。

288荷主研究者:2012/02/26(日) 17:32:07

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20120127/CK2012012702000060.html
2012年1月27日 東京新聞
セメント2社が協力姿勢 岩手県北部の震災がれき受け入れ

 東日本大震災で発生したがれきの処理をめぐり、三菱マテリアル(本社・東京)と太平洋セメント(同)が、両社の県内のセメント製造工場で、岩手県内のがれきの受け入れに協力する意向を示していることが二十六日、県への取材で分かった。解体家屋などの木くずが対象で、岩手県の検査では、放射性セシウムは不検出(一キログラム当たり四〇ベクレル以下)という。

 受け入れ先は、三菱マテリアル横瀬工場(横瀬町横瀬)と太平洋セメント熊谷工場(熊谷市三ケ尻)。

 県は地元市町の了承を得るため、二十三日に熊谷市議会、二十六日に横瀬町議会に安全確保の手順などを説明。今後は両市町で住民説明会の開催なども検討する。受け入れが決まれば、県内で初めて震災がれきの処理が行われることになる。

 県によると、受け入れるのは岩手県北部の野田村や周辺町村にある木くず。セメントの原料や製造工程での燃料に使用される予定で、県は両工場で年間二万トン程度の受け入れを見込んでいる。

 県は、県内で受け入れる震災がれきについて、放射性セシウムの濃度が一キログラム当たり一〇〇ベクレル以下▽一メートル離れた位置での空間放射線量が毎時〇・二三マイクロシーベルト以下−などの基準を設定。搬送前は岩手県が木くずの放射性物質濃度や空間線量を測定し、埼玉県内に到着後は県が同様の測定を行う。セメントの製造工程で発生する燃焼ガスと、セメント製品中の放射性物質の濃度も調べる。県資源循環推進課は「二重三重に測定し、健康に影響のないものだけを受け入れる」としている。

 富岡清熊谷市長は「安全性を市民に正確に理解してもらうことが何より重要」と指摘し、県に住民説明会の開催などを要求。横瀬町も「住民が安心して受け入れられるように、検査結果などの情報を速やかに流してほしい」(振興課)と県に求めている。 (宮本隆康、杉本慶一)

289荷主研究者:2012/02/26(日) 17:49:16

http://www.sankeibiz.jp/business/news/120127/bsc1201270501004-n1.htm
2012.1.27 05:00 Fuji Sankei Business i.
セメント11年国内需要 復興追い風 6年ぶり増加

 セメント協会が26日発表した2011年のセメント国内需要(国内販売と輸入の合計)は前年比0.7%増の4205万トンで6年ぶりに前年実績を上回った。首都圏では震災後に一時停止した都市開発が再開したことや、東北で復旧工事が増えたことが追い風となった。

 ただしピーク時だった1991年(8650万トン)の半分以下と低迷からはまだ脱し切れておらず、しばらくは震災復興頼みの展開になりそうだ。

 6年ぶりのプラスに転じたことについてセメント協会の幹部は「震災後もしばらく回復しないとみていた民需が出てきた」と胸をなでおろす。震災発生前には企業の工場新設や住宅・ビル着工などに底打ち感が出ていたが、震災を機に工事が中断。中断期間が長期化する懸念が浮上していたからだ。

 ただ昨夏以降は資材調達が円滑に進み、東京駅など主要エリアでの再開発が牽引(けんいん)役となった。その結果、国内セメント販売の約4分の1を占める首都圏のセメント販売高(11年)は、7.0%増の995万トンとなった。

 12年の需要見通しは、復興需要の本格化や豪雨災害の復旧工事などが進み、前年比200万〜300万トン程度の上積みを見込む。ただし民需に関しては、景気減速の影響を受け、「下期以降落ち込む可能性がある」(同協会)としており、不透明感が強まっている。

290荷主研究者:2012/04/08(日) 16:52:58

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0920120227cbai.html
2012年02月27日 日刊工業新聞
太平洋セメ、次世代パワー半導体向け超高純度炭化ケイ素の量産開始

 太平洋セメントと屋久島電工(東京都中央区)は、2012年度内に次世代パワー半導体の原料となる超高純度炭化ケイ素(SiC)粉末の量産を始める。生産量は年10―20トンの予定。産業機器用や鉄道用のSiCを使った半導体の生産が始まる中で、有償サンプルを中心に販売を本格化する。電気自動車(EV)用パワー半導体の量産が本格化すると言われる15年度をめどに年50トンまで生産を拡大する方針だ。

 原料となる高純度シリカを12年度から太平洋セメントで量産し、グループ会社の屋久島電工でSiC粉末に加工する。太平洋セメントは国内工場でのシリカ量産を検討中で、設備投資額は1億円程度になる見通し。

 屋久島電工は鹿児島県屋久島の既存のSiC製造設備を活用するが、今後大量生産設備の導入も視野に入れる。

292荷主研究者:2012/04/18(水) 01:18:03

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20120308305.htm
2012年3月8日03時03分 北國新聞
線路砕石の沈下抑制 東洋道路興業が新素材ブロック

 建設業の東洋道路興業(南砺市)は7日までに、鉄道の線路で枕木を支えるバラスト(砕石)の沈下を抑える繊維強化コンクリート製ブロックを開発した。バラストの一部をブロックに置き換えることで、補修回数を減らせる。すでにJR東日本の一部路線で利用されており、同社は採用拡大に期待している。

 開発は科学技術振興機構や富山県新世紀産業機構の助成を受けて進められた。

 同社によると、バラストは列車の荷重で次第に沈み、枕木が不安定になることから、定期的な補修が必要で、維持コストが高くなるという。

 同社は2007年に直方体のブロックをバラストに混入することで沈下を抑制する工法を開発。ブロックの強度を高めるため、コンクリートを有機繊維で補強した新素材を生み出した。実験ではバラストの耐久性が約3割向上した。

 ブロックは水戸市と福島県郡山市を結ぶJR水郡線の一部区間で2月から利用されている。同社は新年度の販売目標を4万個と設定し、生産体制の強化も検討する。長橋孝次専務は「国内で実績を積み、海外展開も目指したい」としている。

297荷主研究者:2012/07/08(日) 15:36:54

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/06/20120629t32012.htm
2012年06月29日金曜日 河北新報
大船渡工場、完全に復旧 太平洋セメントで火入れ式

火入れが行われた1号キルン

 東日本大震災で被災した太平洋セメント大船渡工場(岩手県大船渡市)で28日、津波で水没した「1号キルン」と呼ばれる大型焼成炉の修理が完了した。震災から1年3カ月で、主要な工場設備が完全に復旧した。

 既に復旧した焼成炉「5号キルン」と合わせ、本年度のセメント生産は震災前と同水準に回復させる。昨年6月から順次請け負っている大船渡、陸前高田両市など県内3市2町のがれき焼却も続け、焼却物はセメント資源として再利用する。

 関係者ら約50人が出席し、安全祈願祭と1号キルンの火入れ式が行われた。安藤国弘工場長(55)は「やっと震災前と同様の状態に戻すことができた。がれき焼却など今後も地域の期待に応えていきたい」と話した。

 同社によると、今後のセメント生産は日量約6000トン、本年度末までに約180万トンを予定している。

299とはずがたり:2012/11/21(水) 17:11:45
『東北の地下資源と産業振興』を読む

(2)石灰石利用工業の体系とセメント工業の有望性 p106

当時のセメント不足地帯…北海道・関東・東海・近畿・四国

当時のセメント工業基地…北九州(石灰石・筑豊炭・輸送至便)

東北のセメント工業状況…セメント不足地帯に隣接し,常磐炭の利用も出来るが陸海輸送の整備が必要 ・磐城セメント八戸工場…八戸港1万t岸壁の実現と荷揚場拡充,陸奥湊構内の拡張と鉄道の複線化を要望
 ・同四倉工場…月産能力増設計画がS27.10に完了し,月産3万tとなったので四倉駅の発着貨物は月々9万tを越えるに至ると予想し(セメントの生産が月産3万なのに石炭等の到着なんかも考慮に入れても9万tも行くのか?),現在の同駅構内側線は狭隘で精々100輌程度の操車能力に過ぎないので,平〜四倉間,または草野駅に至急貨車側線を敷設することを切望している。→その後四倉工場は閉鎖されているが・・。

300とはずがたり:2012/11/21(水) 17:17:07

カーバイドは 水と接触するとアセチレンガスを発生し, また窒素肥料をはじめ 有機合成の原料として 多様な用途があるhttp://hamadayori.com/hass-col/tech/DenkiKagaku.htmのだそうな。

カーバイドとは炭化物もしくは炭カルの事http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%89だそうで,炭カルは石灰とコークスの混合物を電気炉で約2000℃に加熱することによって作られる(CaO + 3 C → CaC2 + CO)のだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E5%8C%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0そうな。

『東北の地下資源と産業振興』を読む

(3)発達余地に富むアセチレン系有機合成化学工業 p107
ファインケミカル全盛というか既に前提となってる今日,余りにオウルドファッションな感のあるアセチレン系有機合成化学工業であるけど。

東北は豊富良質の電力と石灰石資源を背景として,我が国随一のカーバイド工業基地を形成し,特に石灰窒素の生産に於いては全国の53%も占める堂々たる地位を確立している。一方アセチレン系有機合成企業に於いては未だ発達が不十分。→既存アセチレン系有機合成企業としては東北には大日セルロイド(新井),昭和合成(鹿瀬),鉄興社(酒田),呉羽化学(錦),電気化学(青梅)の5工場があるが,S26年間の生産実績から見た全国的比率は,41.7%の酢酸繊維素,28.8%の酢酸を除けば塩化ビニール12.1%,酢酸ビニール4.4%と云う低率である。

アセチレン系有機合成の基底をなすカーバイド・天然瓦斯・石油も東北は全国随一の産地であり,カーバイドは塩化ビニールの総原価の2割近く,同原料費の5〜6割も占め,酢酸製造原価の1割以上,同原料費の3割近くを占める。従ってアセチレン系有機合成企業には極めて好立地である。従って今日未発達の合成繊維工場の建設にまで一貫的に伸張せしめることが肝要である。蓋し東北の有機合成製品は何れも中間製品であって,合成樹脂乃至合成繊維の原料として,他地域の最終完成品製造工場に出荷され単に素材供給地に終わっているからである。

S27上半期のアセチレン系有機合成品製造の東北の対全国比
高い…酢酸44.7%,無水酢酸53.4%,酢酸エチル55.5%
低い…脂肪酸ブチル20.5%,酢酸繊維素18.8%,酢酸ビニール2.2%,塩化ビニール7.1%

301とはずがたり:2012/11/21(水) 17:17:22
アセチレン系有機合成品生産実績(S27年度4-9月間)
酢友会会報より

●酢酸
大日本セルロイド 新井 2,545t
昭和合成 広瀬 857t
電気化学 青梅 814t
鉄興社 酒田 389t (以上東北計4,605t)
新日本窒素 水俣 2,654t
日本合成 熊本 1,480t
同 大垣 1,555t (以上全国計10,294t)

●無水酢酸
大日本セルロイド 新井 1,273t (東北計1,273t)
同 網干 471t
新日本窒素 水俣 638t (以上全国計2,382)

●酢酸エチル
大日本セルロイド 新井 535t
昭和合成 広瀬 1,047t (以上東北計1,582t)
新日本窒素 水俣 982t
日本合成 大垣 276t
協和発酵 堺 6
大八化学 布施 ─
弥栄化学 鹿浜 ─ (以上全国計2,946t)

●酢酸ブチル
大日本セルロイド 新井 109t
昭和合成 鹿瀬 170t (以上東北計 279t)
電気化学 本所 275t
協和発酵 堺 541t
大八化学 布施 32t
弥栄化学 鹿浜 139t
長島化学 柚師 41t
東洋醸造 大仁 51t (以上全国計 1,358t)

●酢酸繊維素
大日本セルロイド 新井 215t (以上東北計215t)
同 網干 607t
新日本窒素 水俣 320t (以上全国計1,142t)

●酢酸ビニール
大日本セルロイド 新井 ─
昭和合成 鹿瀬 ─
電気化学 青梅 75 (以上東北計75t)
昭和合成 大垣 287t
同 熊本 631t
倉敷レイヨン 倉敷 292t
同 富山 1,765t
日本カーバイド 魚津 15
三菱レイヨン 大竹 ─ (以上全国計3,465t)

●ポバール
日本合成 大垣 63t
同 熊本 339t
倉敷レイヨン 倉敷 139t
同 富山 856t
日本カーバイド 魚津 4t
三菱レイヨン 大竹 1t
積水化学 大阪 0t
大同化学 大阪 41t
森又商会 大阪 29t
鐘淵紡績 淀川 11t (全国計 1,483t/東北計 0t)

302とはずがたり:2012/11/21(水) 17:17:59
>>300-302

電気化学工業の雄たるカーバイド系工業発達の隘路打開に関して:

一般論…電力の割当制の非合理性,電力統制の縮少,電源地帯工場に対する特殊割り当て特殊料金制或いは業種別料金制度の実施等を求めている。→当時は未だ戦後の電力不足期か。

呉羽化学…小名浜臨港鉄道の国有化(福島臨海として一部実現と言える),小名浜港改修による6千t級以上の大型船出入実現を浜通りの工業的発展の前提条件として強調

鉄興社…東北地方の「植民地」的地位からの脱却の必要を説き,塩化ビニール樹脂加工工場の東北設立を促している→この後鉄興社は非東北資本の東洋曹達に合併されてしまう訳だが・゚・(ノД`)・゚・。

東北という括りには無理がありそうな。
例えば全国の過半を占めると云う書き方をされていた無水酢酸もダイセル新井があったからと云うだけのことで,地方としてどうかという誘導には余り説得的ではない様な感じである。

また塩ビ等は斜陽産業となって久しい。現代の主流の生産方法等要チェックか。

日本合成(ニチゴー)は大垣と熊本に工場があるが,熊本や新日本窒素(チッソ)の水俣は近くに石灰石鉱山あるのか?

303とはずがたり:2012/11/21(水) 17:20:48

酢酸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%A2%E9%85%B8
工業生産

1910年頃までは、氷酢酸は大部分が木材の乾留で得られる木酢液から作られていた[16]。イギリスでは1820年ごろから[17]、日本では明治時代に[15]、この方法による酢酸の製造が始められていた。木酢液を水酸化カルシウム(石灰乳)で処理して生成する酢酸カルシウムを硫酸で酸性化することにより、酢酸が分離される[16]。1917年頃のドイツは年間およそ1万トンの氷酢酸を生産していたが、その30%はインディゴの製造に充てられていた[16]。1910年代の半ば以降からは、ドイツとカナダでカルシウムカーバイドから得られるアセチレンを原料とした酢酸の製造が始められた[18]。カルシウムカーバイドはコークス(石炭の乾留物)を酸化カルシウム(生石灰)とともに電気炉で加熱することにより得られるが、ドイツは石油に乏しいが石炭を産出すること、カナダは水力発電による電力を有することが有利な点であった[19]。日本でも水力発電の発達に伴い、1928年以降この製法で酢酸が作られるようになった[20][21]。1937年に日本窒素肥料(現チッソ)も同法による酢酸の製造を開始したが、アセチレンの酸化に用いられる硫酸水銀(II) がのちに水俣病の原因となった[22]。

やがて石油化学工業が発展すると、酢酸の製造法はエチレンやアルカンを原料とするものに変わっていった[23]。さらに1960年代にドイツのBASFによってコバルト触媒、1970年にアメリカ合衆国のモンサントによってロジウム触媒を用いたメタノールのカルボニル化反応が開発・実用化され、それ以降はこれらが工業的に主要な氷酢酸の製造法となった[24]。

306とはずがたり:2012/11/23(金) 10:45:26
順序としては>>300-302より前だが。

『東北の地下資源と産業振興』を読む

第4 石灰石系統 p92-
Ⅰ.石灰石資源地帯としての東北地方
(1) 我が国の石灰石資源と東北の埋蔵量

石灰石は石炭と並んで我が国に於ける最も豊富な地下資源である。
資源庁のS24現在の調べによると総埋蔵量に於いて石灰石は約100億tに上り,その他非金属3億t(内耐火粘土72百万t),鉄鉱の約25百万t,硫化鉱の約3億tを遙かに凌ぎ,石炭の約167億tに次ぐ。
(→資源庁鉱山局,地質調査所,資源調査会共編『日本の非金属鉱物資源』)

量的不足が感じられぬため,部分的調査のほかは,全国規模の組織的埋蔵調査が行われていないが事実上無尽蔵であると云って良い。
東北は屈指の石灰石埋蔵地帯であるが,開発利用が十分進んでいるとは言い難い。

(2)東北地方の石灰石の流れと用途p94-
東北7県石灰石の出荷先は,通産省調べによるとS26年間の出荷量1,862,534tの内,東北7県内に約85%強(1,587,670t)を出し,中部へ15%弱(意外にも中部が関東を凌駕しているのは新潟発があるからであろう),関東その他へ0.1%程度(詰まり基本的には石灰石の域外出荷という形は取らずなんかの定型輸送が新潟→中部にあると云う状況か?※→以下で東海電極(滑川)・日本カーバイド(魚津)等が判明。青梅→川崎の第一セメント(DC)もある)と云う状況にある。

主要石灰石鉱山の主要な輸送先は以下の通り
△青森県
八戸(常磐鉱業)……磐城セメント(八戸)
△岩手県
普金山(小野田セメント)……自社(大船渡)工場
弁天山(渋谷鉱業)……富士製鉄(釜石)
松川(興農石灰)……三菱金属(尾去沢:陸中花輪)
松川(松川石灰)……東北パルプ(秋田:新屋→十條製紙>日本製紙>十條パルプ>会社解散)・同和鉱業(小坂),大日本鉱業(発盛:八森)
松川(鉄興社)……自社(酒田)工場
松川(東北電気製鉄)…自社(和賀川:云わずと知れた和賀仙人)工場
※まとめ陸中松川→陸中花輪・新屋・酒田港・小坂・八森・和賀仙人
洞泉(日鉄鉱業)……富士製鉄(釜石)
△福島県
滝根(磐城セメント)……自社(四倉)工場
大越(大滝根石材)……三菱製鋼(広田)→広田では一体何をしてたのか?
△新潟県
小滝(昭和電工:小滝)……自社(富山)工場:富山港駅
歌(東海電極:現東海カーボン,親不知駅に東海電極の専用線有り)……自社(滑川)工場:滑川駅
親不知(大日本セルロイド)…自社(新井)工場・日本鋼管(新潟→何をしていたのか?)・北越製紙(新潟)・日本カーバイド(魚津)・新潟電工(新潟←?)・磐城セメント(七尾←ここだけポツンと浮き上がったようにあった印象の七尾の磐城Cだが親不知から届いていたのか♪)・昭和電工(富山)
親不知(信越化学)……自社直江津工場
※まとめ:親不知→滑川・新井・焼島(北越製紙)・焼島(日本鋼管)・魚津・七尾・富山港・黒井
青梅(電気化学)……自社青梅工場
青梅(第一セメント)……第一セメント(川崎)

(当時は石灰石の輸送は鉄道輸送が暗黙の大前提として)石灰石の輸送経済距離は,鉄道運賃より見て一般に100km前後とされるが,山元値段は,27年10月現在の今次調査によると,100円乃至300円前後,最高400円となっている。これに運賃150円乃至500円前後と,諸掛り100円乃至200円を加算すると,需要家着値は大体500円乃至1000円という現状である。
石灰石産地と出荷先着値を例示すれば次の如し。
松川─酒田 994円
松川─福島 687〜729円
松川─石巻 685円
松川─秋田 747〜829円
小滝─富山 623円
親不知─魚津 495円
親不知─滑川 600円
親不知─新井 461円
親不知─新潟 700円前後

307とはずがたり:2012/11/23(金) 10:51:16
弁天山石灰石鉱山と渋谷鉱業①

続・平氏の末裔「渋谷嘉助」⑰
☆★☆★2010年04月28日付
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column2.cgi?pflg=2&amp;page=33&amp;snen=2000&amp;smon=01&amp;sday=01&amp;enen=2012&amp;emon=12&amp;eday=31&amp;fname=&amp;ftitle=
 大船渡湾の珊琥島に、渋谷鉱業の創業者である渋谷嘉助を顕彰する協同園由来碑が建立された時から9年後の昭和10年、国鉄大船渡線が盛駅まで開通し、全線開通した。新たな時代の幕開けだった。
 渋谷嘉助は、珊琥島の面積の大半を所有し、その当時、大船渡、赤崎の両村に寄付し、「気仙郡開拓上の一大恩人」といわれた。
 渋谷鉱業は、明治43年に珊琥島のすぐ目の前の弁天山で石灰石の採石事業を開始した由緒ある企業である。しかし、平成17年に創業95年のその歴史に幕を閉じた。渋谷嘉助が珊琥島を所有するに至った経緯については、はっきりとしたことはわからないが、日露戦争の時に渋谷嘉助は軍需産業に携わっていた。
 渋谷家の親戚にあたり、渋谷鉱業の専務をしていた川並一也さん(株式会社川並代表取締役)によると、戦争当時、火薬を納入した軍費の代わりに弁天山が払い下げられたものと聞いているという。そのことは、以前に書いたが、珊琥島もその時に一緒に払い下げられたものなのか、それ以前から所有していたものか定かではない。
 渋谷鉱業は、地元の子どもたちを毎年数人ずつ東京に招待していた。役員宅に宿泊させて、国会議事堂などを見学させた。
 子ども時代に招待されて上京したという80代の人から話を聞いたことがある。2代目社長の渋谷今助宅や初代内閣総理大臣の伊藤博文の孫宅も訪問したその時の思い出を、今でも感謝しながら話していた。
 伊藤博文の養子の博邦(公爵)は、渋谷嘉助の生涯を書いた本の題字を書いており、渋谷家と親交があった。
 渋谷嘉助は、地方産業の開発にも数々の功績をのこした。その功労に対して、紺綬褒章飾板が下賜された。
 飾板は褒章の受章者がさらに受章する場合に授かるものとかで、渋谷嘉助の元に伝達されたのち、昭和2年10月2日、珊琥島の協同園由来碑前の広場で、紺綬褒章飾板伝達式と大船渡、赤崎両村からの感謝状贈呈式が行われた。渋谷嘉助のゆかりの深い場所が式場に選ばれた。
 式の当日は、渋谷嘉助本人は微患のため参列できなかった。代わって息子の渋谷今助がはるばる東京から出席し、紺綬褒章飾板、章記が伝達された。大船渡、赤崎の両村長をはじめ、県会議員、県立盛農学校長など300余人が集まり盛大に行われた。
 大船渡村赤崎村二ヶ村公園組合を代表して大船渡村長の佐藤文助が式辞を述べ、大船渡、赤崎の両村民の感謝状と表彰文が朗読、贈呈された。大船渡村赤崎村区長総代の赤崎村蛸ノ浦区長の志田幸治、両村会議員を代表して佐藤平一郎が祝辞を述べた。
 珊琥島を寄付した渋谷嘉助の美挙を賞し、受章を祝うこの機に両村民が渋谷嘉助の厚恩に報い、衷心感謝の意を表そうと表彰式を挙行したことが述べられている。
 父に代わって謝辞を述べた渋谷今助に、東京国民新聞記者の薬師寺庄之助が同行していた。
 参列した両村民たちは、渋谷嘉助が弁天山で始めた採石事業が地域の発展に貢献しており、国家公共のために一層の助成と、鉄道や港湾の整備への援助を懇願したのであった。(ゆ)

308とはずがたり:2012/11/23(金) 10:59:47
弁天山石灰石鉱山と渋谷鉱業②

「協同」の心で
名勝「珊琥島」の美観守る
市民ボランティア109人が草刈り
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&amp;cd=nws5780

 国の名勝「珊琥島」を守ろうと、大船渡湾に浮かぶ同島で27日、恒例の清掃奉仕が行われた。小学1年生から86歳まで市民ボランティア109人が上陸し協同の精神美観づくりに励んだ。
 清掃奉仕はさんご島をきれいにする会(佐藤實会長)が広く市民に呼びかけて実施し、今年で32回目。
 島の協同園由来碑前の広場で開会式が行われ、佐藤会長が「チリ津波前までは憩いの場として珊琥島に多くの人が訪れたが、その後は訪れる人も少なく、大船渡の表玄関をきれいにしようと清掃奉仕が始まった」と活動の歩みを語り、水野雅之亮市民運動推進協会長が「いつまでも名勝として残せるようにしたい。子どもたちにも頑張ってほしい」と述べ若い力に期待した。
 ボーイスカウトや海洋少年団の子どもたちも参加し、大人たちが草刈機や鎌で刈り取った草を集めて回り大活躍。太平洋セメント大船渡工場からは新入社員の福島健太さん(22)、黒田誠之さん(24)ら4人が「地域貢献で参加しましたが、すがすがしい気持ち」と一緒に作業に励み、参加者全員の力で午前中かけて全島をきれいにした。
 珊琥島は、大船渡湾に面した弁天山で明治43年に石灰石の採石事業を始めた渋谷鉱業の創業者・渋谷嘉助翁が、美観保持と当時の海区争いを解消するため住民同士の協睦を願って、所有する島の大半を大船渡、赤崎両村に寄付したもの。
 その嘉助翁を顕彰して大正15年に巨大な石碑が建立され、碑の「協同」の文字は本県水沢出身の後藤新平子爵が揮毫した。清掃奉仕に初めて参加した盛町の水野貞一さん(61)は、「渋谷鉱業が弁天山で操業してちょうど100年。碑の『協同』の文字を見たくて参加しましたが、すばらしいですね」と、碑を見上げて珊琥島の歴史に触れていた。
 清掃奉仕に汗を流した後、きれいになった広場で赤崎町婦人会が作ったサンマすり身汁を味わいながら交流した。

2010年06月29日付 8面

309とはずがたり:2012/11/23(金) 12:00:05

発盛は「はっせい」と読むとの記事もあった。まあ恐らく八森の地名と関係は有るのだろうけど。名古屋と那古野(なごの)みたいな感じで。

専用線の機関車たち
大日本鉱業発盛精錬所
http://c5557.kiteki.jp/html/hatumori.htm

五能線八森駅から伸びる専用線に奇妙な電気機関車がいた。
ここを訪ねるきっかけとなったのはある雑誌の五能線ルポ。
「八森駅では屋台にポールを付けた電気機関車が・・・」という一節。
写真もなく、他にレポートもなく、行ってみるまでどんな場所かも分からなかった。
撮影日 1976年3月27日

訪問時には大日本鉱業だったが、その年に同社解散により日本海金属となった。

310とはずがたり:2012/11/23(金) 12:18:41
S28年当時も松川に有った筈だが本文中には記述がない当時の東北タンカル鉱業。
松川付近の石灰石系鉱山の総埋蔵量は『東北』p188に拠ると
興農石灰 2,400,000t CaCO3 54.0%含有
鉄興社 2,550,000t CaO 55.18%含有
東北タンカル 30,000,000 CaO 55.0%含有
東北電気製鉄 松川採石所 50,000,000 SiO2 40.0%含有


東亜産業東北支店の歴史 -宮沢賢治との関わり-
http://toua.biz/?page_id=132/

1924(大正13)年 東北砕石工場 設立 (岩手県一関市東山町)
1930(昭和5)年 宮澤賢治が石灰石粉を「肥料用炭酸石灰(タンカル)」※(注1)と命名する。
1931(昭和6)年2月 宮澤賢治が技師として就任 その販路拡大に努める。
1935(昭和10)年1月 東亜産業(株) が東北砕石工場を買収
1937(昭和12)年 東北砕石株式会社に社名変更、法人組織となる。
1940(昭和15)年11月 東北タンカル興業株式会社となる。
1956(昭和31)年1月 東亜産業株式会社東北支店となる。
その後、工場は、操業を停止。東山町に寄贈され、産業分野の近代化過程を物語る近代化遺産として、文化庁登録有形文化財に登録された。(砕石産業関係建造物では第1号)

311とはずがたり:2012/11/23(金) 13:47:32

旭鉱末
http://www.asahi-koh.com/html/outline.html#ol1
 当社の母体会社は、旭砿末資料合資会社でその歴史は古く、1920年(大正9年)に創立されております。当社は1989年(平成元年)に母体会社の製造・販売部門のさらなる充実と発展を図るべく、分離独立し誕生しました。
 設立以来、一貫して白色結晶質石灰石の加工及びこれを原料とする、各種重質炭酸カルシウム製品の製造販売を手掛けております。特に当社は、母体会社・関連会社を通じ、我が国有数の高品位の白色結晶質石灰石鉱山を保有しており、この資源を有効かつ最大限に活用し、さまざまな種類の製品を通 じて、お客様のニーズにお応えするよう日々努力を重ねています。

会社概要
■ 社名:旭鉱末株式会社
■ 本社:東京都台東区上野桜木1丁目13番2号
■ 設立:1989年6月1日
事業内容
1.石灰石その他の各種鉱物および土石の採掘、採取、加工ならびに販売。
2.前項に付帯する一切の業務。

■ 工場・事業所
田村事業所 福島県田村市大越町上大越字鷹待田136
旭滝根鉱山 福島県田村市大越町上大越字欠入1-25
旭大越鉱山 福島県田村市大越町上大越字欠入1-5
大越工場  福島県田村市大越町上大越字鷹待田136
大滝根工場 福島県田村市大越町上大越字欠入1-22
神俣工場 福島県田村市滝根町神俣字中広土115
日立事業所 茨城県日立市多賀町1丁目2-22
石の倉鉱山 茨城県常陸太田市亀作町字赤坂1660
真弓工場  茨城県常陸太田市亀作町字赤坂1660
新見営業所 岡山県新見市哲多町花木9
畑山鉱山 岡山県新見市哲多町花木9

沿 革
1920年 (大正 9年)   元セメント会社技師長 渡辺伊太郎が、旭鉱末株式会社の母体である旭砿末資料合資会社を設立。茨城県日立市に下孫工場を建設し、米麦用搗粉、寒水砕石の生産を開始。
1939年 (昭和14年) 福島県田村郡大越町に大越工場を建設。
1952年 (昭和27年) 岡山県新見市に新見工場を建設。
1961年 (昭和36年) 茨城県日立市に石の倉工場を建設。
1968年 (昭和43年) 住友セメント株式会社(現住友大阪セメント)より、福島県田村郡滝根町の神俣工場を引き継ぐ。(現福島石灰株式会社)
1971年 (昭和46年) 茨城県常陸太田市に真弓工場を建設。
1989年 (平成 元年) 新たに旭鉱末株式会社を設立し、旭砿末資料合資会社の販売事業部門を引き継ぐ
1994年 (平成 6年) 旭鉱末株式会社として福島県田村郡大越町に大滝根工場を建設。
1996年 (平成 8年)旭砿末資料合資会社の真弓工場を引き継ぐ。
2001年 (平成13年)
太平洋セメント株式会社の子会社である豊和産業株式会社よりフィルターバグ事業を引き継ぎ、株式会社豊和インターナショナルとして事業開始。
住友大阪セメント株式会社より、福島県田村郡「滝根鉱山」の共有持分全部の譲渡を受けて自社鉱山とし、名称を「旭滝根鉱山」とする。

313とはずがたり:2012/11/23(金) 14:23:37
>>306
セメント輸送部抽出調査詳細

主要石灰石鉱山の主要な輸送先は以下の通り
△青森県
●八戸(常磐鉱業)……磐城セメント(八戸)

△岩手県
●普金山(小野田セメント)……自社(大船渡)工場

●弁天山(渋谷鉱業)>>307-308……富士製鉄(釜石)→弁天山は大船渡にあり。流石に船舶輸送であろう。

●松川(興農石灰)……三菱金属(尾去沢)←尾去沢は鹿角市(最寄り駅は陸中花輪)の銅山。wikiに拠るとS41精錬中止,S53閉山
●松川(松川石灰)……東北パルプ(秋田:新屋→十條製紙を経て日本製紙,秋田工場は十條パルプとして分社化後会社解散。)・同和鉱業(小坂),大日本鉱業(発盛:五能線八森,第三者使用者に住友商事。発盛は「はつもり」ではなく「はちもり」と訓(よ)むのか?日本海金属を経て現在工場跡地は工業団地になっているとのことhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~akitetu/lost/l_hachimori/index.html )←結構松川石灰一社で結構広域輸送だ
●松川(鉄興社)……自社(酒田)工場←上に同じ
●松川(東北電気製鉄→東北振興化学→東北重化学工業→日本重化学工業を経て経営破綻http://www4.atwiki.jp/sysd/pages/684.html)…自社(和賀川:云わずと知れた和賀仙人である。よっきの和賀計画http://yamaiga.com/rail/waga/main.html参照されたし)工場

※→これらより陸中松川の宏大な輸送先が示唆される。
S39版全国専用線一覧に拠ると以下が判明
鉄興社と松川石灰工業所(同書に拠る社名)はお互いに専用線を供用
東北電気製鉄の専用線有り
東北開発の専用線がS39にはあるが,S28当時は東北興業(S11年発足)であった東北開発(S32改組・改称)は本書の時点で未だ松川でセメント事業を開始してなかったようで記載無し
S39時点で興農石灰は専用者名に挙がらず,代わりに東亜産業(株)東北タンカル工場http://toua.biz/?page_id=132/ ,>>310がある。興農とか如何にも宮沢賢治が係わっていそうな名前だけど宮沢賢治が技師として赴任し東亜産業に買収されたのは東北採石工場(賢治のモニュメントがあって写真撮った♪)でありS28当時は東北タンカル工業(株)と云う社名だったようだが。。

纏めると発送先として陸中花輪・新屋・酒田港・小坂・八森・和賀仙人が確認できた事になる。

●洞泉(日鉄鉱業)……富士製鉄(釜石)

△福島県
●滝根(磐城セメント→現在は旭鉱末(株)>>311なる会社の所有,S39年度版専用線一覧には大越の片倉チッカリンの第三者使用に旭砿末)……自社(四倉)工場
●大越(大滝根石材)……三菱製鋼(広田)http://www.aizu-mirai.com/monozukuri/company/mitsubishiteel.html

※→S39年度版専用線一覧に拠ると大滝根石材の名前は見えないようである。S39当時の磐越東線には三春に日本化学工業,神俣に住友セメント,小野新町に鉄興社が専用線を有している。

△新潟県
●小滝(昭和電工:小滝にある昭電専用線はS39時点で使用休止。小滝は明星山や黒姫山を挟んで青梅地区の反対側。日本史で出てきた翡翠の産地もこの辺らしい)……自社(富山)工場←富山港線大石田近傍にある現昭和タイタニウムか?S39年の専用線は大広田から分岐する貨物支線の富山港駅に設置。因みに同書によると岩瀬浜に鉄興社の専用線もあったとのこと。

●歌(東海電極:現東海カーボン,親不知駅に専用線有り)……自社(滑川)工場(滑川駅に専用線有り)

●親不知(大日本セルロイド)…自社(新井)工場・日本鋼管(新潟→何をしていたのか?)・北越製紙(新潟)・日本カーバイド(魚津)・新潟電工(新潟←?)・磐城セメント(七尾←ここだけポツンと浮き上がったようにあった印象の七尾の磐城Cだが親不知から届いていたのか♪)・昭和電工(富山:富山港)

●親不知(信越化学)……自社直江津工場

※→親不知も結構広域展開である。親不知→滑川・新井・焼島(北越製紙)・焼島(日本鋼管)・魚津・七尾・富山港辺りに石灰石輸送をしていた様だ。

●青梅(電気化学)……自社青梅工場

●青梅(第一セメント)……第一セメント(川崎)

314とはずがたり:2012/12/01(土) 21:42:26
【磐城セメント四倉工場と八茎鉱山と玉山鉄道 年表】

http://www.geocities.jp/sendaiairport/yothukura/sode1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%8C%8E%E9%89%B1%E5%B1%B1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036414563/1526

1906年(明治39年)7月に、ドイツ人の経営する輸入商社オット・ライメールス商会と、鉱山事業者の西村準三郎の共同出資により八茎鉱山合資会社が設立され、この鉱山は同社の経営となった。

鉱山では、灰重石(タングステン鉱石)や銅鉱石、鉄鉱石の採掘と同時にズリとして大量の石灰石を産出した。この石灰石を利用しセメントを製造するため、八茎鉱山の社長であった広瀬金七と実業家岩崎清七は磐城セメント(後の住友大阪セメント)を設立、常磐線四ツ倉駅隣接地にセメント工場(四倉工業所、後の四倉工場)を建設した。四倉工業所が操業を開始したのは1908年(明治41年)9月のことである。

鉱山から工場へ石灰石を運搬する手段には、索道と、軌間610mm(609mm?)の軽便鉄道が採用された。軽便鉄道は1907年6月に完成し、工場と、鉱山と工場の中間地点に位置する玉山鉱泉を繋いだ。
この専用鉄道は完成時、トロッコを馬が牽引する馬車鉄道であったが、1913年(大正2年)12月に蒸気機関車による牽引に切り替えられた。
玉山鉱泉と鉱山を結ぶ索道は1910年(明治43年)9月に完成した[1]。索道が完成するまでは、並走する村道に牛や馬を使って運搬していた。なお、鉱石も同様に索道・軽便鉄道を使用し、四ツ倉駅まで輸送された。

大正14(1925)年に八茎鉱山は休山する
1926年(大正15年)、八茎鉱山は磐城セメントに合併し、鉱山の経営権は磐城セメントに移った。

八茎鉱山は、昭和14(1939)年に再開。

八茎鉱山の石灰石と銅鉱石の採掘は昭和27(1952)年まで続けられたところで再度休山する。軽便鉄道も、1952年(昭和27年)12月31日をもって廃止された。

その後1954年(昭和29年)には、鉱山の経営権が磐城セメントから日鉄鉱業に譲渡された。この頃の四倉工場への石灰石は滝根鉱山から搬入。

昭和20年代後半、八茎鉱山の鉱業権を取得した日鉄鉱業㈱と、セメント需要の高まりから八茎鉱山の石灰石に再び着目した磐城セメント㈱は合同で609mmの軌道を1067mmに改軌し、昭和33(1958)年に「玉山鉄道」として再開業した。

昭和51年常磐炭砿全て閉山。

玉山鉄道はその後、昭和57(1982)年まで八茎鉱山から石灰石を運び続けて廃止。

昭和61年住友セメント四倉工場廃止。

現在では日鉄鉱業グループの新八茎鉱山株式会社により、石灰石および砕石の採掘が行われている。

315とはずがたり:2012/12/04(火) 10:15:27
資源大国日本が持論の俺であるが,羽幌炭坑は未だ3000万㌧以上埋蔵量が残っているそうな。
あと60年は操業出来る筈だし羽幌線と羽幌炭坑鉄道を復活させよう!ヽ(゚∀゚)ノ

産業遺産を未来に生かす:/8 羽幌炭鉱(留萌管内羽幌町) /北海道
http://ameblo.jp/town-watch/theme47-10006985960.html
1月9日12時1分配信 毎日新聞

 ◇フォトDVDに人気−−施設群が語る繁栄の時代

 留萌管内羽幌町の中心部から東に約15キロ付近の山中に選炭工場やホッパー(貯炭所)、集合住宅、煙突などの施設群が朽ち果てた状態で点在する。国内有数の優良炭鉱とされながら、38年前に突如閉山した羽幌炭鉱。最盛期に人口約1万3000人を数えた街の面影は消えつつあるが、施設跡には往年の記憶が刻み込まれている。
 同炭鉱は苫前炭田(南北35キロ、東西15キロ)の築別炭鉱、羽幌坑、上羽幌坑の3鉱区で構成された。1940年に開業し、羽幌炭礦鉄道が経営。61年に年間出炭量100万トンを超え、ピークの67年には同114万トンを採掘した。旧国鉄や北海道電力などに出荷された。

 純度の高い良質な石炭は灰や煙の排出が少なく、家庭用暖房燃料としても重宝された。

 69年、転機は突然訪れた。全体の約6割の出炭量を占めた築別炭鉱の坑道が断層にぶつかり、経営が悪化。石油へのエネルギー転換や鉄鋼、造船業への労働力流出が重なり、翌年11月閉山に追い込まれた。30年間の総出炭量は1458万トン。3000万トン以上の埋蔵量を残し、鉱山の灯はあっけなく消えた。

 閉山から12年がたった82年、町は約3億2000万円を費やし、築別炭鉱跡の小学校に宿泊研修施設「緑の村」を開いた。体験農園や野営場、観光牧場を備えたほか、採炭用ドリルなど炭鉱を紹介する資料を展示。当初は年間約3万人が利用したが、客足は年々減り、96年に休村した。

 町商工観光課は「炭鉱の歴史的価値は理解しているが、観光施設として運用するには経費がかさみ、町単独では管理が難しい。積極的な運用は今のところ考えていない」と説明する。

 旧炭鉱施設を活用する動きはささやかだが始まっている。同町のタクシー会社「沿岸ハイヤー」は04年以降、炭鉱跡を約2時間かけて巡るツアーを企画している。幼いころを炭鉱で暮らした同社の運転手、工藤俊也さん(48)の発案で、昨年は15組が参加した。

 一方で、工藤さんは社内研修用に炭鉱の過去と現在の写真約900枚を収録したフォトDVD(45分)を作製した。町内の小中学校や資料館など公的施設に配布したところ、商品化の依頼が相次ぎ、昨年10月から1カ月で約100枚が売れた。

 工藤さんは「山中に近代的な施設があったという意外性が魅力。何より施設が残っているからこそ、当時のことを語り継ぐことができるのです」と語る。
 長く地域を潤してきたものの、閉山後は人々の記憶から消されたままだった繁栄の跡。深い雪に埋もれ、再び脚光を浴びる時を静かに待つ。【和田浩幸】=つづく
………………………………………………………………………………………………………
 ◇羽幌炭礦鉄道
 鉄道は1941年、日本海沿岸の旧国鉄羽幌線築別駅から築別炭鉱までの16・6キロで開通。62年には、工事中だった旧国鉄名羽線の曙―三毛別間(3・8キロ)を借り上げて運行した。会社としてスポーツに力を入れ、スキージャンプでは札幌五輪金メダリストの笠谷幸生さんの兄昌生さんらが活躍。野球部は社会人野球の都市対抗大会に2回出場している。

1月9日朝刊

最終更新:1月12日10時53分

316とはずがたり:2012/12/08(土) 23:17:42
三田商学研究
第47巻第4号
2004年10月
研究ノート
戦後石灰石鉱業史
─業界誌『石灰石』を中心として─
島西智輝
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=323

317とはずがたり:2012/12/09(日) 19:49:07

福島大学教育学部論集27号の1
1975年11月
渡辺四郎
『東北地方における地下資源と製造工業』
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/1351/1/6-96.pdf

318とはずがたり:2013/01/02(水) 20:33:22
日本カーバイド社史(『日本カーバイド工業株式会社30年史』S43)及び明星セメント社史(『明星セメント25年のあゆみ』S58)を読む

石灰石
カーバイド1tにつき石灰石2t必要。

【日本カーバイド工業設立】
1929(昭和4)年6月 国産肥料社が新潟県青梅町に青梅原石商会を運営。
1935(昭和10)年10月 日本カーバイド工業設立
1936(昭和11)年1月 国産肥料株式会社を合弁 翌2月 工場操業開始。石灰石は青梅原石商会及び不足分は電気化学工業の系列会社であった青梅軌道商会及び親不知の山岸長次郎氏所有の原石山より購入。1937(昭和12)年 (魚津駅から)引込線を建設。其れ迄は国鉄魚津駅と工場間をトロ台車で運搬。専用線敷設を機に貯石場を石炭炉の山側に設け,電気炉の増設に伴いこれを漸次拡大。
1939(昭和14)年3月 青梅原石商会の採掘事業を電気化学社に委託し,同社より石灰石の供給を受けることに。同社と20ヶ年間毎年45,000トン以上70,000トン以内の原石供給の契約を締結した。然るに戦争の激化により供給量不足に。

【刀根石灰工業買収と信越化学との交換出荷契約】
1943(昭和18)年6月 福井県にあった刀根石灰工業社(刀根駅・旧柳ヶ瀬線上)を合併して,翌7月に刀根石灰工業所(後に刀根工場と改称)として原石山の開発に当たった。工業所は19年から出荷を開始したが,電気化学社からの減少分を補う量には達しなかったため,不足分を美濃赤坂,後には奥多摩,秩父,足立等各方面に求めた。刀根の石灰石に関しては武生に工場のあった信越化学との交換輸送契約が成立し,カ社は親不知工業所より供給を受け,これに見合う量を刀根工場より同社武生工場に出荷したがこの契約はS25年に打切りとなった。

1947(昭和22)年 大日本セルロイド社親不知工場の坑道掘による石灰石を購入開始。25年以降その量はカ社の需要量80%以上を占めるに至った。その後27年の20,000kW電気炉の新設により需要量が増大したので,再び一部不足分を電化社より購入した。(電化との契約はどうなっていたのか?)

1948(昭和23)年5月 カ社,新肥料工場の生産開始に備え,引込線を約280m延長し環状線とした。

1949(昭和24)年 日本カーバイド社が新潟県青梅町田海石灰石鉱区を買収

1955(昭和30)年 親不知の山岸鉱山に設備援助を行って同鉱山からの購入を図る。その他関東方面からも不足量を求めた。更なるカーバイド需要の増加が見込める為(塩ビ原料塩素の副成品として生産される苛性ソーダの生産量は31年2,988t,35年19,269t,40年32,903t),8月に田海鉱区の開発調査に着手,良質の石灰1億数千万㌧の埋蔵が判明,開発を決定。この頃の引込線の総延長は約3,000m。

319とはずがたり:2013/01/02(水) 20:33:47

【日本石灰石開発設立】
1956(昭和31)年10月 当時昭和電工では鹿瀬,富山,塩尻の石灰窒素製造の自社3工場へカーバイド原石を鹿瀬・水谷鉱山から供給していたが,水谷鉱山の残量が少なくなって来ていた為,明星山を新たに開発する計画を進めていた。また親不知で石灰石の自家採掘をしていた信越化学工業社も黒姫山に石灰石の鉱業権を取得していた。鉱山開発には莫大な資金が必要であり,この様にカ社と同じ様に原料石灰石不足の立場にあった昭和電工社との間にまず共同開発の議が起こり,信越化学社の合流を得て,3社共同出資により日本石灰石開発が設立。3社はともに近傍の新潟県・富山県下にカーバイド工場を有していた。同社の目的はカ社田海鉱区並びこれに隣接する信越化学社田海鉱区,並びにに昭和電工社の明星鉱区の開発であり,設立当初年間採掘目標を100万tに置いた。同社は設立後直ちに田海鉱区の開発を進め,32年4月の雪解けをまって田海工業所建設に着手し,1ヶ年の工期と12億円の投資により33年5月に完成,直ちに精鉱の供給を開始したが,その掘削・選鉱・運搬設備は東洋一を誇っている。カーバイド用石灰石は一定サイズ以上のものに限られる為,全採掘量の40%にもなるそれ以下のサイズの細石や採掘・破砕時に発生する屑石の有効活用が急務となる。

【明星セメント(株)の設立】
1958(昭和33)年 3月に専用側線完成する[出典:明星セメント社史]など日本石灰石工業の採掘量増加に伴いその細石処理の為に日本石灰石工業と同じ3社で共同出資(3社均等出資の資本金1億5,000万円,授権資本6億円[出典:明星セメント25年のあゆみ 昭和58年])を以て5月15日に明星セメント設立。田海鉱業所の近傍に年間約30万t(湿式キルン2基),当初15万t場を設立する方針だったが青梅町内に工場を有す電気化学工業の反対で紛糾した。最終的には36年12月に県当局の仲介による財界代表5氏(佐藤喜一郎・原安三郎・植村甲午郎・諸井貫一・水上達三)の調停によって工場を糸魚川市に建設することに落着して解決した(糸魚川は用地買収について市が責任を持ち,固定資産税の3ヶ年減免,工場から国道に至る産業道路を市が整備との条件で誘致に動いた)。この間,供給先を失ったセメント用石灰石は磐城セメント七尾工場に出荷していた[出典:住友セメント80年史]また明星セメント設立の際に,出資3社は化学メーカーでありセメント製造の経験がなく,日本セメント社の指導を仰いでいた。

1959(昭和34)年 所謂岩戸景気が始まり日本は高度経済成長時代が始まる。

1961(昭和36)年 02月にカ社の苛性ソーダ外販に弾力性を持たせるためにストックポイントとして京都市伏見区桃山に75t1基,翌37年04月に東京都江戸川区平井60t1基続いて39年10月40tタンク1基を設置。また日本石灰石開発の精鉱の供給が当初目標の100万トンに達し,37年以降カ社の必要量の全量を同社よりの供給で賄うことなり現在(1989年)に至る。また日本石灰石開発社の供給拡大に伴い,从来の供給元であった電化(青梅)及び大セル(親不知)からの供給は漸減の措置を取り,また設備支援を行った山岸鉱山よりの石灰石受け入れは,36年12月に東海電極社滑川工場に移譲した。

1962(昭和37)年8月 設立時より技術指導などに関わっていた日本セメント社がセメント事業の環境悪化により参加することとなり,資本金を4社均等出資の3億円に増資,販売業務も全て日本セメント社に委託することとなり,38年8月糸魚川工場の完成に先駆けて明星セメント社は日本セメント社と販売委託契約を締結,全量はアサノセメントの商標で販売されることとなる。また更にその後の4回の増資により資本金は15億円となった。

320とはずがたり:2013/01/02(水) 20:34:39
>>318-320
1964(昭和39)年 04月明星セメント完成し操業に入った。能力は年産60万tで半湿式レポール工場としては日本一の運転成績を上げていたとのこと。これに先立つ1月,日本石灰石開発は住友セメント七尾工場への出荷を停止。05年には販売委託先の日本セメントが小杉包装所が開設。またS30年3月に開設された日本セメント新潟包装所はそれまで北海道,九州の工場から海上受入していたが,明星セメント糸魚川工場完成を期して貨車受入設備を新設(S39専用線表には万代に日セメの専用線)ttp://butsuryu.web.fc2.com/nihon-cement.html#niigata。しかしS39.6の新潟地震によって同包装所は当分使用不能に陥ったのでS40.1に山崎ヒューム管水原工場の敷地を借用し水原サイロ(500tサイロ1基)を設置(S39専用線表には水原駅に山崎ヒューム管の専用線)。S40.11には明星セメントの第一号包装所として篠ノ井包装所(2000tサイロ1基)を開設したttp://butsuryu.web.fc2.com/nihon-cement.html#shinonoi。

1967(昭和42)年 8月(株)東京液体化成品センター設立。68年3月の営業開始目途。日本カーバイドも参加企業に名を連ねている。10月明星セメントは初のセメント輸出をインドネシア向けに行った。富山県伏木港から袋品1,200t。初の輸出は袋品であったが,この頃からバラ輸送が増大,明社としてもS42以降専用線の増線とタンク車増輌に着手,その結果42年始めに36輌であった私有バラ積みタンク車はS46年末には250輌に増加し,バラ出荷比率もそれに伴い78%を超える様になった。

1968(昭和43)年 日本カーバイド社30年史発刊。日本カーバイド社の引込線の総延長は約4,000m。40年末の貯蔵能力は石灰石ヤード:42,000t,石灰炉用コークスヤード:2,800t,電気炉用炭素材ヤード:7,800t,同倉庫:2,200t,電極用炭素材倉庫:800t。液状苛性ソーダタンクの輸送の為逐次タンク車を購入し昭和43年現在56輌を有す。

1969(昭和44)年 08月以降政府の行った金融引締政策によって日本経済に停滞をもたらし,特に化学産業にも大きな影響を与えることとなる。この背後には昭和40年代の石油化学工業の擡頭に寄る石灰石を原料とするアセチレン系有機化学の衰退(出典:明星セメント社史)と云う構造的な問題があった。其れに伴い操業以来増加の一途を辿ってきた日本石灰石開発の化学会社への出荷は43年の62万トンをピークに減少傾向に転じ,それに代わってセメント用原石の出荷が中心と成ってきた。

1970(昭和45)年 04月には昭和電工・鹿瀬工場向け,12月には昭和電工・富山工場向け石灰石出荷停止。因みに45年は経済界の不況色が強まり長期化の様相も呈してきた。日本石灰石開発出資化学メーカー3社も46年には揃って深刻な業績不振に陥り抜本的な合理化対策を迫られた。

1972(昭和47)年 この様な状況下で創業出資化学メーカー3社は日本石灰石開発の全持ち株を日本セメント社に移譲する事で合意,日本セメントもこの要請を受け入れ,02月日本石灰石開発と明星セメントの全株が日本セメント(株)名義となる。同年07月には国鉄5方面作戦の一環として錦糸町〜津田沼間の総武線の複々線化が完成した。これに併せ貨物取扱駅も集約化され,平井駅の貨物取扱もこの時に廃止となり,カ社のストックポイントも東京液体化成品センターに移管されたものと思われる。

1973(昭和48)年 09月姫川港開港。11月姫川港埠頭に姫川包装所(8,500tサイロ1基,積込能力1,300t/h)開設。初荷は新潟包装所向け。まずは青森・秋田・新潟の臨海包装所向け。その後,酒田,柏崎,金沢に臨海包装所を設置,明星セメントの出荷が海上輸送が主体に成って行く。

1979(昭和54)年05月 日本石灰石開発が明星セメントに合併。
1982(昭和57)年10月 化学向け石灰石のトラック出荷設備完成し、貨車出荷廃止。このトラック輸送への切り替えによってコストの大幅な低減が可能になったとのこと。

321荷主研究者:2013/01/20(日) 10:33:36

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2012/12/17-9414.html
2012年12月17日 化学工業日報
宇部興産 伊佐鉱山で新鉱区開発

 宇部興産は、伊佐鉱山(山口県美祢市、写真)で新鉱区を開発し、2017年をめどに石灰石の採掘を開始する。新鉱区開発は30年ぶり。すでに準備工事終え、年度内に採掘に向けた開発工事を本格化させる。新鉱区の可採鉱量は約3億トン。既存鉱区の鉱量が減少しつつあるため、開発を決めた。石灰石は鉱山に隣接する同社伊佐セメント工場などで原料として使用する。

322とはずがたり:2013/01/31(木) 18:21:46

嘗て(S39時点で)備後庄原に専用線を持っていた勝光山鉱業所(専用線表には(株)が付いていない。)
今も現存しているばかりかなんと東京の京橋に本社を構えているそうで,蝋石・耐火粘土・カオリンなんてゆう渋いもん扱っている割にはちゃんと頑張ってやってるみたいで。
庄原関連の貨物は自社で運輸会社もってるみたいだし,今は中国からの鉱物の輸入なんかもしているようである。

株式会社勝光山鉱業所
http://www.skz.co.jp/2.html

事業所
鉱山事務所 〒727-0011 広島県庄原市東本町3丁目13番10号
TEL:0824-72-2111/FAX:0824-72-1936
大阪営業所 〒532-0011 大阪市淀川区西中島5丁目11番9号 新大阪中里ビル3F
TEL:06-6300-5950/FAX:06-6300-5920
広島出張所 〒730-0013 広島市中区八丁堀12番22号 築地ビル5F
TEL:082-221-0976/FAX:082-223-8541
庄原工場 〒727-0011 広島県庄原市東本町4丁目20番1号
TEL:0824-72-0553/FAX:0824-72-8387
三重工場 〒514-0302 三重県津市雲出伊倉津町1358番地10
TEL:059-234-2877/FAX:059-234-2597

関係会社
株式会社勝光山運輸
〒727-0011 広島県庄原市東本町3丁目14番2号
TEL:0824-72-2118/FAX:0824-72-7466
一般貨物の輸送

株式会社 勝光山シーエムビー工業所
〒727-0203 広島県庄原市川北町1028
TEL:0824-72-0909/FAX:0824-72-5465
ゴム加工・精錬加工および販売、ゴム用クレーの販売

株式会社勝光山研究所
〒727-0013 広島県庄原市西本町4丁目588番地の1
TEL:0824-72-0291/FAX:0824-72-6940
鉱産物・エラストマーの試験・研究開発

株式会社勝光山商事
〒104-0031 東京都中央区京橋3丁目12番7号 京橋ヨコタビル6F
TEL:03-3567-8374/FAX:03-3564-5221
鉱産物の輸入・販売

庄原クレー協業組合
〒727-0203 広島県庄原市川北町2547番地の1
TEL:0824-72-0862/FAX:0824-72-3093
蝋石クレー・タルクの製造

大連勝光鉱産有限公司
大連市中山区人民路26号中国人寿大厦2117室
TEL:0411-82659081、0411−62628081/FAX:0411-82659083
鉱産物の調査・品質管理

323とはずがたり:2013/01/31(木) 18:33:23
庄原とはいえ駅前の一等地に今でも工場持ってるんだな。

東本町3丁目13番10号
http://yahoo.jp/8CsusM

324とはずがたり:2013/02/02(土) 15:28:06

昭和32年版(東海道線全線電化直後だそうでw)の専用線一覧表によると篠山線(1972年廃止)の八上駅に日鉄鉱業(略称は日鉄山♪)の専用線があってた。

調べてみると朝鮮から強制連行して来た方々が働かされたりした過去が有った模様。耐火煉瓦に成る珪石が採れたようだ。

篠山市&朝鮮半島交流史
―古代から現代まで―
(篠山市在日コリアン足跡調査中間報告)
http://www.pure.ne.jp/~jinken/chosenhantou.htm
篠山の鉱山と朝鮮人
徐根植<ソ クンシック>
2,珪石鉱山と在日朝鮮人
① 在日朝鮮人が篠山の珪石鉱山で多数働いていた。
・同胞の話では戦中戦後も鉱山での労働は朝鮮人が多数を占めていたという。
・戦後の鉱山では朝鮮人の親方の下で日本人が働いたり、日本人の親方の下で朝鮮人が働いていたりしていた。

② 篠山にもあった朝鮮人強制連行
1946年厚生省勤労局が「朝鮮人労務者に関する訴査の件」を地方長官に指示し、各地域の勤労署が企業に指示し調査が行われた。この調査は日本の官庁が戦後すぐに行ったのですが、通達の内容から朝鮮人強制連行関係の調査といえる。
通達の中の「調査上の注意に「1,官斡旋徴用に依る移入労働者に限ること、2,「自由募集による移入者については夫々各表に準じ別途作製すること。」とある。
『朝鮮人強制連行』という言葉は朴慶植先生が初めて使われた用語です。
 それは1938年に公布された「国家総動員法」、これにもとずき「労務関係勅令」が発動され企画院による「労務動員計画」がたてられ1939年には「国民徴用令」が発表され、日本人が戦争に大々的に動員されていきました。朝鮮に関しては「徴用令」の適用をさけ「募集」形式の動員計画がたてられました。
 1939年7月内務、厚生両次官名儀の依命通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」によりこの年8万5千名の朝鮮人の集団連行が各業者に認可された。
 このときから「自由募集」「官斡旋」「徴用」などと動員方式を変えて朝鮮人を大々的に労働力として日本や戦地に無理矢理送ったことをいう。このことを実態にふまえて「朝鮮人強制連行」と呼んでいる。

・畑鉱山に強制連行された朝鮮人がいた。
1984年1月丁度20年前になります。このとき篠山の同胞の歴史を調べたとき当時、畑に住んでおられた「キンドグツ」さん通名は「国本」もう一人は「リチュネ」さん通名は 「岩本」というお二人から畑珪石鉱山での朝鮮人について聞き取りをしました。
 このときお二人から「戦争中畑鉱山だけでも80人から100人くらいの朝鮮人徴用人夫が来ていた」との証言を聞いた。
 この時点では証言だけで裏付ける資料がなかった。
 しかし先にふれた1946年厚生省勤労局「朝鮮人労務者に関する調査の件」の名薄が見つかり入手することで判明した。
 名簿は1990年5月当時の韓国大統領領慮泰愚氏が日本を訪間したとき韓国政府から日本政府に「戦前戦中の朝鮮人連行者の名簿作りについて」要請があり、その後日本政府の調査で見つかった名簿が3回に分け計10万7904名分を韓国政府に引き渡した。
 この中に兵庫県分1万3477人の中に「官斡旋」で畑鉱山に連行された80名の名簿があった。証言が裏付けられた。真実だった。すなわち畑鉱山に朝鮮人強制連行があったと言うことだ。
 篠山に来たのが1944年11月14日、丁度60年前です。
 人数は80名でその内30名が1945年5月1日に鳥取県「日野鉱業所」に派遣された。終戦に依る帰国は20名、逃亡は17名、病人は6名、死亡が2名です。

・連行された朝鮮人の飯場がわかった。
田中秀夫さんの証言で新事実が判明した。
官斡旋で畑鉱山に連行された朝鮮人たちは鍔市ダムの少し奥に篠山町の色町にあった二階建ての建物を解体し、ここで組んだ飯場で生活していた。

325とはずがたり:2013/02/02(土) 15:28:41
>>324-325
3, マンガン鉱山と朝鮮人
・未調査
・篠山在住の同胞から珪石鉱山調査時に福住のマンガン鉱山でも朝鮮人が働いていたという話があった。
・来年からお父さんがマンガン鉱採掘の地元責任者であったという市議会議員降矢太刀雄氏の協力を得て進めてゆきたい。

畑鉱山と朝鮮人 −共に暮らした日々−
田中秀夫
1.日鉄鉱業畑砕石所官斡旋朝鮮人労務者の概要
◎ 人員80名
・江原道寧越郡(77名)、忠清北道(2名)、慶尚北道(1名)
◎ 入所
・年月 1944(昭和19)年11月
・職種 運搬夫・採鉱夫・支柱夫
◎ 退所
・1944(昭和19)年12月 6名 病気
・1945(昭和20)年 5月 35名 鳥取県日野鉱業所へ派遣
             8月 2名 死亡、17名 逃亡
            10月28日 20名 終戦時帰国(帰鮮と表記されている)
◎ 硅石とその運搬
・硅石 約5億7000万年前の堆積鉱床として
     約1500度の熱に耐える耐火レンガの材料として
・トロッコ、牛馬力で旧篠山町駅、篠山口駅、谷川駅、高砂駅、高砂港、九州八幡製鉄所へ
・1944(昭和19)年より篠山線(篠山口〜福住)で輸送、トロッコ、牛馬車輸送はトラック輸送に
◎ その他 年表
1920(大正 9)年 畑鉱山発見
1926(大正15)年 採掘開始
1931(昭和 6)年 満州事変
1937(昭和12)年 日中戦争
1939(昭和14)年 朝鮮人労務者募集要項公布(炭鉱、鉱業、土建業に限る)
1941(昭和16)年 太平洋戦争
1943(昭和18)年 官斡旋要項の公布
1951(昭和26)年 57000t産出、256人
1979(昭和54)年 閉山

地区カルテ(篠山市 篠山 畑 小学校区)
http://www.tanba-mori.or.jp/kyoukai/koukai_pdf/book/120721/chiku/sasayama/03.pdf
大正 15 年丹波硅石として開山、昭和 25 年には日鉄鉱業所畑採石所としてその最盛期を. 迎え、村は大いに活性化し、畑小学校にも 400 有余の子供が在籍した。

因みに篠山線は復活させて京都から園部,篠山,谷川経由で加古川迄繋いで関西の外廓環状線としたいところであった。。
因みに京都からは奈良線と和歌山線経由で和歌山迄繋っているから和歌山港(若しくは水軒)から高砂港迄の巨大な環状ルートが形成できる☆
と思っていたけど,珪石は実際このルートを用いて福住から高砂港迄運んで船積みして八幡に送られた様だ。

326とはずがたり:2013/02/04(月) 14:24:47
セメント年鑑平成24年版入手♪

東洋曹達に吸収された鉄興社(その後東北東ソーとして分社化)であるけど,陸中松川にはその名も東北鉄興社という名前で子会社が残っているようである♪

近畿経産局管内の石灰石は激減していますねぇ。2010年以降,地方の経産局別の数値は非公表だそうだが,どんんあクレームが付いたのやら。理解に苦しむ。

石灰石の生産量は日鉄鉱業の鳥形山,大分太平洋鉱業の新津久見,三菱マテの東谷に続いて戸高鉱業社の戸高が続くがこれは津久見の会社らしい。あんま知らんなぁ。。

327とはずがたり:2013/02/04(月) 14:48:12
S50の時点で名寄本線上興部に専用線を持ち東鹿越の日鉄鉱業の第三者利用に名の挙がる北海道農材工業であるが,建材もとい健在のようである。
セメント年鑑によると上興部石灰礦業所と新士別石灰礦業所を所有しているようだ。
会社ウェブに拠ると美唄と豊頃と厚真と月形に工場を持ち,新士別と東鹿越に石灰砿業所を保有しているそうな♪

北海道農材工業
http://www.nozai.co.jp/zigyosyo.html

329荷主研究者:2013/02/10(日) 12:16:42

http://www.nikkan.co.jp/news/photograph/nkx_p20130119.html
2013年1月19日 日刊工業新聞
キャタピラー九州、 世界最大級の 200トンローダー! 三菱マテ東谷鉱山に納入掲載日

 キャタピラー九州 (福岡県筑紫野市、岡田章社長、092-924-1211) は、年 1000 万トン超の石灰石を採掘する三菱マテリアル東谷鉱山 (北九州市小倉南区) 向けに、鉱山用大型ホイールローダー 「Cat994H =写真」 を納入した。 運転質量約 200 トンと世界でも最大クラスのローダーで、メンテナンスを含め約 16 年間の長期契約となる。 納入金額は明らかにしていない。

 東谷鉱山では 2 台のホイールローダーを使い、石灰石の積み出し作業を行っている。 今回、旧型ローダー 1 台の更新に合わせ、 994H を導入した。 運転質量は約 200 トンで旧型に比べ一回り大型。 生産量では国内有数の鉱山だけに、高い生産効率化ニーズに対応するという。 キャタピラー九州は鉱山内に整備場を設けており、定期点検や修理など即応体制を敷いている。

 同鉱山はセメント原料と骨材用に年 1000 万トン超の石灰石を生産し、国内で上位を占めている。 鉱山からベルトコンベヤーを使い、三菱マテリアルの九州工場などに輸送している。

333荷主研究者:2013/03/31(日) 22:25:33

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20130302301.htm
2013年3月2日02時52分 北國新聞
石炭灰の貯蔵庫増設 七尾大田火電

 北陸電力は、七尾市の七尾大田火力発電所で石炭灰貯蔵庫の増設工事に着手した。志賀原発1号機の運転停止から1日で2年となり、原発再稼働のめどが立たない中、石油よりも低コストの石炭を燃料とする七尾大田はフル稼働状態で、発電で排出される“厄介者”の石炭灰も増え続けている。貯蔵容量を増やして運用性を高める狙いで、今後も設備補修などの対応を迫られそうだ。

 石炭灰の貯蔵庫は現在、容量3千立方メートルのタイプが4基、2千立方メートルが1基ある。増設するのは6千立方メートルの1基で、来年6月の完成を見込む。投資額は非公表。

 北電によると、七尾大田はフル稼働で1日当たり約1千トンの石炭灰が発生する。増設により、石炭灰1週間分程度の貯蔵が可能になるという。

 石炭灰はセメントの原料として使えるため、一定量たまった時点で船積みし、セメント製造会社に引き取ってもらっている。増設は船積み計画の調整を柔軟にしたり、荒天時に船の到着が遅れた場合に備えるのが目的だ。

 大阪税関金沢税関支署がまとめた昨年の石川県の貿易概況によると、石炭の輸入額は前年比12・6%増の351億円となった。志賀原発の停止に伴い、代替として七尾大田を稼働させているのが要因とみられる。

 北電は「石炭灰の有効利用を積極的に進めており、貯蔵庫の増設でさらなる活用につなげたい」としている。


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