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kujyu-metudouさんとの対話
1
:
ラピ。
:2018/07/09(月) 22:26:43
kujyu-metudouさんからの質問についてお答えしていきたいと思います。
kujyu-metudouさんからのご質問です
教えてください。
らぴ。さん こんにちわ。
見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?この探究を進めてきました。
二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。
苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
一時期には苦悩って経験してませんでした。苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)
私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
知ってますよね?w
どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。
長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。
61
:
苦集滅道w
:2018/07/16(月) 08:23:24
↑のコメントにおいて 補足しときます。
>学習知みたいなもので・・・あなたは、私達に対して使ってくれている訳で >あなた自身は「私」はいないのですね。
「私」として表現する ものがない。・・・を、補足します。読み取りにくい文面でしたので。
62
:
苦集滅道
:2018/07/16(月) 17:02:53
日和さんへ・・・らぴ。さんとの会話 興味深く 読ませてもらっています。
ですが、何か かみ合っていないですね。
もし、お手間でなければ、日和さんの 「悟り」感と言いますか、悟りってこうでしょ・・・っていうのを、書いてもらっていいですか?
悟り何て 無いよ、とも 書けるかと思いますが、ここでは らぴ。さんが 悟りを連発していますので、悟りがあることを前提に 一筆お願いします。。。
63
:
ラピ。
:2018/07/16(月) 22:33:41
>問いの回答に、「私は」「私は」ってあります。
>それが「自覚」です。
掲示板上でそう書かないと、わけわからない文章になるでしょう。
私はかつては自我がありましたので「私」という言葉を
どういう時に使ったらいいかくらい
わかります(笑)
>この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
>何もすることなくできるんですね。
はい、そうですよ
>>そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
>それがどういう状態か、わからないと思います。
そうですよね〜
>自動手記、自動タイピングのようなことを指してるのですか。
>自動運転のようなことを書かれてたかと思います。
>そこに、自我が無い(意志、目的が無い)として、
>からっぽの単なる肉体だけが書き込んだ。と言う風なことで、
>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
>それで。。。感想?が「楽ちん」と感じる?のでしょうか。
「楽ちん」と感じることはありませんよ、もちろん
例えて言えばラクチンということです。
>また、その「楽ちん」と感じたのは「誰」なのでしょうか。
ご存知の通り、誰でもありません。
感じようがありません。
>「 」そのもの。ですか。
いいえ、「 」そのものはそのものなので、感じようがありません。
>いや、「そのもの」は楽ちんとは感じるものなのでしょうか。
いいえ、そう感じるとは書いておりません。
>自我のついでに、それでは「自分」という感覚はありますか。
ないです、例えて言えば。
>ブログ、SNSは、自己顕示欲の現れで、「私」「我」を表現の場として
>さらには自我の強化にもなると、いう心理学では言われます。よ。
一般的にはそうかもですね。
>苦がある方の手助けの為。。のような書込みしてた記憶があります。
>そこに〜たい、〜したい、の現れで渇愛ですねと書いたわけです。
苦がある方の力になれたら、というのはあります。
かつての自我があった私が、悟った人のおかげで悟れましたから。
単にそれだけで、渇愛が根底にはあり得ません。
日和る さんにどう思われてもかまいませんよ
それは 日和るさんが思うだけで私には関係ありません。
自由ですよね。
どうぞ、ご自由に。
わかってもらえなくても問題ありません。
64
:
ラピ。
:2018/07/16(月) 23:06:29
>私に内面はないんですよね、、、。・・・ここでの「私」って、便宜上使っていると思います。
そうです、ありがとう
>私がいる・・・と思ってる人達は「私」って こういう風に使っているだろうっていう学習知みたいなもので、あなた自身は「私」はいないのですね。
なるほど、そうですね。
そうかもしれません。
>・・・そこで、両者の認識がかみ合わない。私は 「私」はいないって人は 私という主語は書けないと思うし、あなたは「私」っていう主語を書かないと、苦集滅道には文章上で伝わりにくかかろうって、あえて、使っているのでしょう。
はい。実際「私」と言ったところで
意味のない言葉ではあるのですが、(何も示さない単なる単語)
私という言葉を使わないと、通じません。
>でも、「私」と書かれれば、個人(らぴ。さん)の意志だと思いますし、自分色はあるでしょうって思います。
なんもないんですよね。
まぁ、悟る前の生き方の名残はあるかもしれません。
>そうした使い方なのだろうって、あなたを想像するにすぎませんから、実際のあなたがどうなのかはわかりません。
その通りです。どうなのかはわからないですね。
>ただ、感じるがままに書けば、
それは苦集滅道wさんが感じていることですね。
>自我、私、「 」の「書き方・言葉・意味合い」に、あなたなりの「こうだ」っていう固定観念を持たれているように観えます。
それがないんですよね。
>そうではないと言われるでしょうが、実際 自我のあるなしも 「 」の状態も もう関係ない精神の領域にあるのでしょう。
例えて言えばそうでしょうか。
しかし、実は関係ない精神の領域にもありません。
そもそも例えて言えば精神もないのです
否定だらけになってしまいますが、関係ない状態、とは例えられるかな、
関係のない精神の領域、とは例えにくいです。
>私なんかは 自分と他人を分けます、肉体の内面と外側を分けます。
>あなたには そうした「観点」それ自体が「無い」という観方であっていますか?
そうですね、そういう言葉であらわせると思います。
>私達が 基準に持っている、私とあなた、自他の区別認識、内面と外側の境界線、
>「 」と自我といった、相対する事象(認識)の一切が もう ない。
・・・という受け止め方で あっていますか?雰囲気・ニュアンスとして。
「 」の反対語は自我ではなく、 「 」と自我といった、相対する 〜、というのは違います。
例えて言えば自我と「 」はまったく別物です。
自我がない状態が「 」そのものとよく例えで確かに表現していますが、、。
・「 」は自我がない状態です。
・自我がなく「 」そのもの
この文面から、「 」と自我が相反しているように見えるかな??
「 」と自我は相反していません。
そもそも「 」の状態は相反しようがないから
何かと相反している、とは言えないのです。
(例えば自我と「 」は相反している、ではない)
自我がある状態で「ある」「ない」は相反しています。
「 」そのものである場合は相反しようがない。
自我と「 」は相反していない、例えて言えば別次元です。
>補足しときます。
>>学習知みたいなもので・・・あなたは、私達に対して使ってくれている訳で >>あなた自身は「私」はいないのですね。
「私」として表現する ものがない。・・・を、補足します。読み取りにくい文面でしたので。
補足前の文面もよくわかりましたよ。ありがとう。
65
:
ラピ。
:2018/07/16(月) 23:20:00
苦集滅道さん
ちなみにそんなに悟りを連発していましたか!(笑)
べつに「悟り」という言葉でなくてもいいのですけど、そうでしたか!(笑)
66
:
日和る
:2018/07/16(月) 23:20:53
苦集滅道さん。はじめまして。
「悟り」ですか。差取り。なんて語呂あわせて語る方もいらっしゃいますね。私は、単純に「わかった」、それも「全てがわかった」が、しっくり来ます。
ですけども、そこで、その「わかった」は、あくまでも自我のわかったであって、夢の中(リアルな現実)の住人が言ってることとなる。すると。その住人はいない。
幻想なんです。と幻想の話ってことになり、それじゃぁその「わかった」「悟り」も「幻想」よ。って話がでてくる。
そこで、さらに、その自我が消えた。ところで、自我が「わかった」とする論理的、感覚的、またが、摩訶不思議的思考は、記憶されてるはずのものもなくなるわけですから
つまり、「わかった」も「なんだっけ」でもない「 」になるわけですので、「悟り」すらないということになるのでしょう。ね。
ところが、自我は死すまで自我。自我も本来(衆生本来仏なり)で、この世は幻想だけども横に置いててもいいような軽くはなく、まやかしのニュアンスでも非ずで、自我のこの世以外、
「生きる」という世界は「ここ」だけですね。つまり「そのもの」からすると自我の作った幻想でも幻想が消えるわけでないないし、幻想は死ぬまで続くわけです。
「幻想も本来」であると思ってます。ある意味「制限をつけその場で暮らしてみて下さい」という「もうひとつの本来」と思います。荘子の「胡蝶の夢」がまさにです。
ですから、別の表現だと、「悟り」って自我、個人が「そのものの仕組みを知ること」だと思います。
※注釈 自我をエゴイズムだけとしているわけはなく、肉体、記憶、思考、感情、行動を含んでます、エゴの執着を捨てるは可能だとは思いますけど。。。
67
:
日和る
:2018/07/16(月) 23:48:54
ラピさん
回答ありがとうございます。
>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
このモレがありました。どうなんでしょうか。
つかぬことになるかもですがお聞きします。重要なことです。
「痛い」とか、「うふふ」とか日常生活でありますか。
総じて喜怒哀楽はあるのでしょうか。つまり、記憶と経験から判断、反応が生じて喜怒哀楽はなるのですが、
「そのもの」になって、つまり起こり様がないと思いますが、どうでしょう。
例えば、「いつも無表情」って感じですか。
「そのもの」の方の日常って聞くだけでも参考になりますので。
68
:
日和る
:2018/07/17(火) 00:01:48
ラピさん
>苦がある方の力になれたら、というのはあります。
かつての自我があった私が、悟った人のおかげで悟れましたから。
単にそれだけで、渇愛が根底にはあり得ません。
単にそれだけでも渇愛なんです。
69
:
日和る
:2018/07/17(火) 00:06:42
ラピさん
>渇愛が根底にはあり得ません。
根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
あり得ません。の表現って「決っして!」って感じですか。
70
:
日和る
:2018/07/17(火) 00:15:24
68の追記。
単にそれだけでも渇愛なんです。
追記、過去の「記憶」は残ってるんですね、
「 」そのものに。
71
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 00:33:14
>>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
>このモレがありました。どうなんでしょうか。
その例えは使いませんね。
空っぽとは例えますが空っぽの肉体だけが動く、とは言わない
そもそも動いてもいない(笑)
>つかぬことになるかもですがお聞きします。重要なことです。
なぜ重要??
>痛い」とか、「うふふ」とか日常生活でありますか。
>総じて喜怒哀楽はあるのでしょうか。つまり、記憶と経験から判断、反応が生じて喜怒哀楽はなるのですが、
>「そのもの」になって、つまり起こり様がないと思いますが、どうでしょう。
>例えば、「いつも無表情」って感じですか。
>「そのもの」の方の日常って聞くだけでも参考になりますので。
そのものとは、そのものです。
なぜそのものが無表情になるのでしょうか。
痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
例えて言えば、喜怒哀楽はあるでしょうね。
悟る前よりストレートかもしれません、例えて言えば自我というストッパーがないですから。
かといって、人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
(かつての人としての名残)
何度か書きましたが、悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
(しかし、認識するものでない)
人の法則は体には当てはまります。
切れば血が出るし、たたけば痛い。
だって体には神経があるからね。
しかし、痛がる人はいない、う〜ん、表現しがたいです。
また感情については、私はかつて例えて言えば人でしたので
感情がわからない、という例えは使いません。
また、私は普通ですよ例えて言えば。
別に「 」そのもの!なんて日常生活で言ったりしません、そういう必要がないから、ないでしょう。
>単にそれだけでも渇愛なんです。
日和るさん だったら、ということですね。
>>渇愛が根底にはあり得ません。
>根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
日和るさん だったら、ね。
>あり得ません。の表現って「決っして!」って感じですか。
そうなりようがない、ということです。
>過去の「記憶」は残ってるんですね、
>「 」そのものに。
体に残っている、と例えています。
あの、別に 日和るさんに私の状態を知ってもらわなくてもいいのですが、、。
なんなんでしょうか???
72
:
苦集滅道
:2018/07/17(火) 08:55:17
らぴ。さん おはようございます。・・・ようやく、「普通」さをとりもどしましたよ(笑)
なんか、一度気持ちが落ち込んだところから、日々 上向いてきています。ここでの会話も、役に立っています。
64: ラピ。 :2018/07/16(月) 23:06:29・・・のらぴ。さんへ
>私という言葉を使わないと、通じません。・・・うん、そうですよね(笑)
>否定だらけになってしまいますが、関係ない状態、とは例えられるかな、
・・・うん、私は あるものしか観えていないので、その否定で、ないものが 観える(かも)しれません。
>「 」そのものである場合は相反しようがない。・・・そのものなら、そうですね。自我のある立場だと、結局は「 」さえも相反するものとして、認識しようとしてしまいます(笑)
>自我と「 」は相反していない、例えて言えば別次元です。・・・うん、想像できる 範囲の「外」つまり 想像不可能(領域・次元)ねwww
ありがとうございました。
73
:
苦集滅道w
:2018/07/17(火) 09:17:09
66 : 日和る :2018/07/16(月) 23:20:53 ・・・の日和さん、丁寧な理解を書いて下さりありがとう。
全文、同意。
でね・・・このこと(理解)は、ちゃんとした 覚者様なら、通り道にあったと思う。まだ 通っていない覚者さまも ちらほら見受けられますが(笑)
例えば、クリシュナムルティ氏は、ちゃんとした覚者様に 私には思えるけど、彼も 自我の終焉を示唆しています。
ですから、自我がないとか、消えたとか、私はいない、とか いなかった・・・を 言葉で書いてるのは、らぴ。さんだけではないので、私とあなたの興味は らぴ。さんにはなくて、
自我の消失・・・された 状態のそのものにあると言えますね。
でも、どうしていいかは 解りませんね(笑)
74
:
苦集滅道
:2018/07/17(火) 11:15:50
余談で一言(笑)
悟り・・・っていう言葉は、人の認識の「手垢」がついていて、そのものを識る(わかる)人は、稀かもしれません。
しいて言えば、例えて言えば、「 」そのもの・・・ってらぴ。さんが書いてることが言葉上の限界なんでしょうね。
連発・・・っていうのは、常用として 使われている・・・に、訂正しておきますね(笑)
75
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 15:08:29
余談ですが、、、。
自我が消滅する前からブログを書いておりましたがその頃のブログに
「悟りとは知ることだ」と断言してました(笑)
(読んでくださっていた方はご存知だと思います、今は見れませんが記事は残しております。)
悟るというのが辞書通りの意味の「はっきりと理解する。見抜く。」であれば「知ること」でいいと思いますが
精進して至った私の今の状態ではそう表現できないのですね。
お二人の言われていることはわかるんですよ。
そう言ってしまうということはわかります。
かつての私もそうでしたからね。
それでいいのなら、それもありです。
私も「悟りとは知ることだ」と断言していた時期がありましからね。
その頃、ある意味、幸せでしたよ。
しかし、違和感がでてきたんですね。
その時の私のテーマは「幸せを選択(意図)する」だったんですが、、。(笑)
「この幸せは自分が幸せを選択しなければならない。
そんな幸せ、本物だろうか。
もっと違う幸せがあるのではないか?
この幸せを選択している自分は一体、なんだ?
幸せを選択する自分が記憶喪失になったとき、私は幸せを選べるだろうか。
この自分の意志に頼った幸せって、心底本物であろうか?
私はさらなる本物の幸せがいい
意図しなくても常に幸せがいい」
「悟りとは知ることだ」と言い続けていては今の状態にはなれなかったんです。
でも「悟りとは知ることだ」と断言しながら、自分が信じたことを自分なりに一生懸命生きたおかげで
違和感に気づくことができました。(師匠から指摘されたこともきっかけの一つです)
みんな同じチャンスがあります。
「悟りとは知ることだ」でいいのかな、、と思ってしまいますが、、。
それを信じて精一杯生きることはいいかもしれません。
そうすれば必ず、気づきがあるはずです、精一杯生きれば。かつての私と同じように。
私も頑固でしたから、 「悟りとは知ることだ」で幸せを意図しながらがんばっていました。
しかし、ちょっと大変な幸せだったかもですね、懐かしいです(笑)
余談です(笑)
76
:
苦集滅道
:2018/07/17(火) 18:04:20
知る・・・は、頭脳上の知識ですが、「わかる」というのは、「知った」とは 違うと思う。
>自我が消滅する前・・・と書かれていますので、ひとつ 教えて下さい。
何かが 消えると認識されるのは、何かが在ったという認識においてのみですよね?
自我で生きていて、自我が消失した。消失以前には自我はあったと思います。
最初から自我ってなかったのですか?それとも 在るのものが消えたのですか?
消失以前に在った「自我」と言葉にしていたものは何なんでしょう?
77
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 18:41:35
知るもわかるも対象があってできることです。だから同じ。
それとも、そのわかるというのは対象なしの事ですか?
では、何をわかるのですか?
何かが消えたと認識したのではないです
『この私はだれですか?
師匠、何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
何もできないのですがこの私はなんですか?
師匠、これはなんですか?』
これは悟ったとき(悟った、とも例えですが)師匠にメールした原文そのままです。
元々自我がなかったなんて書きましたっけ?
かつて、ありましたよ。
しかし、あるものが消えた、という表現は例えで書けるかもですが
多分苦集滅道 さんの思っている答えではないと思います。
>消失以前に在った「自我」と言葉にしていたものは何なんでしょう?
自我でしょうね
78
:
日和る
:2018/07/17(火) 19:20:32
ラピさんへ
>そもそも動いてもいない(笑)
まぁ、そうなんでしょうけど。
>なぜ重要??
自我の反応だからです。
>そのものとは、そのものです。
なぜそのものが無表情になるのでしょうか。
名残の肉体の一部「顔」はどぉいう表情なのかなと思いました。
自我がないなら無表情かなぁと想像しました。
>痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
なるほど。
>人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
迷惑とも、そのくらいなども書いてませんが、ひとりボケツッコミが面白いです。
>悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
喜怒哀楽はある。が名残、ということはその体と同時に記憶は残っていてそれぞれ反応もするということですね。
喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。
ということは、自我は消えた。としてるが「名残の肉体」には自我特有の反応が起きてるということです。
でも、ラピさんは「そのもの」であるという。
とするならば、「名残の肉体」とは切離された印象が持たれます。
これは俯瞰している状態なのかなとも思います。どうでしょう。
しかしながら「そのものである」は「名残の肉体」も含有であり、少し不思議にも思えました。
自我が残った名残の肉体が幻想という体験の中で、痛みを感じと同時にそのものも痛みだけがあるなら
自我含有でもあるなぁなどと感想を持ちますね。
名残でもその自我は続いてるのですね。
>普通ですよ。
ええ、記載からすると普通に自我あるように見えますね。端から見て(見てないですが)
>>単にそれだけでも渇愛なんです。
>日和るさん だったら、ということですね。
役立てたいとした名残のラピさんにということです。私じゃありません。
>>>渇愛が根底にはあり得ません。
>>根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
>日和るさん だったら、ね。
前出、以下同文。
>>過去の「記憶」は残ってるんですね、
>>「 」そのものに。
>体に残っている、と例えています。
そうですね、先に書いたように名残の肉体に自我はありますね。
>なんなんでしょうか???
怒ってます?
あなたは自我です。を否定されました。
師匠さんが言われた否定は有り難い事です。を、ただいま実践で問い掛けています。
この問掛けで、過去の肉体には自我は残るが、かつそのまま縁起は流れてるように思えます、
しかし、現れる現象は「苦」は無くなったわけではないが「やわらいだ」のではと考えてしまいます。
が、またもしかし、それを眺めるような感じなのかとも考えますが、「そのもの」なら名残の肉体つまり
過去の自我も含有している意味にもとれるので、過去の自我を持ちぃ〜の眺めてる姿勢?なのか。
って表現が難しい。
などと考えてしまいました。
79
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 19:55:47
日和るさん
>>なぜ重要??
>自我の反応だからです。
自我の反応だから重要なのですか?
??
>>人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
>迷惑とも、そのくらいなども書いてませんが、ひとりボケツッコミが面白いです。
(笑)
これはね「例えて言えば自我というストッパーがないですから。」という記述に対しての追記です。
ストッパーがないからなんでもありか、いえそうではないですよ、という意味です。
>喜怒哀楽はある。が名残、ということはその体と同時に記憶は残っていてそれぞれ反応もするということですね。
反応ではないですね。
>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。
これ、日和るさんの解釈です。
>ということは、自我は消えた。としてるが「名残の肉体」には自我特有の反応が起きてるということです。
違うんですよね。
>でも、ラピさんは「そのもの」であるという。
例えて言えばそうです
>とするならば、「名残の肉体」とは切離された印象が持たれます。
>これは俯瞰している状態なのかなとも思います。どうでしょう。
違いますね。
>しかしながら「そのものである」は「名残の肉体」も含有であり、少し不思議にも思えました。
不思議なのは確かなのです。
自我が消滅してから、人と何が共通なのだろうとすると、体なんですね。
切ったら血が出る。一緒ですよね。
本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。
ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。
>自我が残った名残の肉体が幻想という体験の中で、痛みを感じと同時にそのものも痛みだけがあるなら
>自我含有でもあるなぁなどと感想を持ちますね。
>名残でもその自我は続いてるのですね。
どうぞ、ご自由に
>ええ、記載からすると普通に自我あるように見えますね。端から見て(見てないですが)
そうですか
>>日和るさん だったら、ということですね。
>役立てたいとした名残のラピさんにということです。私じゃありません。
日和るさん という目線で 日和るさん がそう判断している、ということです。
単なる言葉の羅列でそう判断している。
>>日和るさん だったら、ね。
>前出、以下同文。
同じく
>そうですね、先に書いたように名残の肉体に自我はありますね。
そうなんですか?
>>なんなんでしょうか???
>怒ってます?
いいえ、怒るわけないじゃないですか(笑)
こうやって 日和るさんは自分で勝手に怒っているって解釈しているでしょう?
(又は怒っているの?という質問がわく)
その解釈、本当に真実ですか?
>あなたは自我です。を否定されました。
???
>師匠さんが言われた否定は有り難い事です。を、ただいま実践で問い掛けています。
だれがですか?
>この問掛けで、過去の肉体には自我は残るが、かつそのまま縁起は流れてるように思えます、
>しかし、現れる現象は「苦」は無くなったわけではないが「やわらいだ」のではと考えてしまいます。
>が、またもしかし、それを眺めるような感じなのかとも考えますが、「そのもの」なら名残の肉体つまり
>過去の自我も含有している意味にもとれるので、過去の自我を持ちぃ〜の眺めてる姿勢?なのか。
>って表現が難しい。
言語化下手くそですみません。
日和るさんの返答を見ると、私はへたくそだなぁ、と思います
全く伝わっていないから(笑)
でも書いていること、嘘は全く書いておりません。
80
:
日和る
:2018/07/17(火) 20:36:21
>自我の反応だから重要なのですか??? そうです。
>これ、日和るさんの解釈です。 世間一般、自我をひも解くと。。です。 学問的には心理学。 仏道的には自我を注視する。。着目点。
>いいえ、怒るわけないじゃないですか(笑) 笑ってくれてありがとうです。そう、冗談です。ですので、その後の文はラピさんの解釈です逆に。
>本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。
ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。
ここは注目してます。他力ってことですか。ついでに出来るんですねぇという感想は誰なんでしょう。
>言語化下手くそですみません。
いえ伝わってます。ただ、「そのもの」の希少性とひも解く機会であると感じてます。よ。
81
:
苦集滅道
:2018/07/17(火) 20:40:11
>それとも、そのわかるというのは対象なしの事ですか?
YES、対象が持てるのは 自我にある間に「だけ」でしょう。
>では、何をわかるのですか?
「 」
82
:
日和る
:2018/07/17(火) 20:48:12
ラピさん。
喜怒哀楽は。。。。喜びたい怒りたい悲しみたい楽しみたいの渇愛から生じる「反応」です。
自我の縁起の現れ(果)です。
注釈経典より
83
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:50:27
日和るさん
>ここは注目してます。他力ってことですか。ついでに出来るんですねぇという感想は誰なんでしょう。
いいえ、他力じゃないです。
ついでに出来るんですねぇという言葉を感想だと捉えたのですね、日和るさん。
84
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:51:40
苦集滅道さん
>>では、何をわかるのですか?
>「 」
「 」をわかるということですね
85
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:52:33
日和るさん
>喜怒哀楽は。。。。喜びたい怒りたい悲しみたい楽しみたいの渇愛から生じる「反応」です。
>自我の縁起の現れ(果)です。
あの、何もしていないってずっと書いていますが、、。
86
:
日和る
:2018/07/17(火) 20:53:30
>本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。
ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。
これどこかで聞き覚えが。。。で、そう、楽ちんこ道とかいうブログの方が書いてたのを思い出しました。その方は一瞥して「苦の消滅」がされてからと言われてました。ちなみに、そのもとは言ってませんでした。
87
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:55:11
日和るさん
そういえば
>ついでに出来るんですねぇ
って書きましたっけ?
88
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:57:50
日和るさん
楽ちんこ道とかいうブログの方、セミナーとかしてます?
89
:
日和る
:2018/07/17(火) 20:57:51
>ついでに出来るんですねぇという言葉を感想だと捉えたのですね、日和るさん。
じゃ、なんでしょう、ラピさん。
90
:
日和る
:2018/07/17(火) 20:58:48
>楽ちんこ道とかいうブログの方、セミナーとかしてます?
知りません。
91
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 20:59:08
日和るさん
あの、そもそも
ついでに出来るんですねぇと書いていないです(笑)
92
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:00:49
>ついでに出来るんですねぇ
って書きましたっけ?
ついでは、接続詞、できるんですねぇは、どっかで書いてた。。記憶。
93
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:02:01
不思議。。なんちゃらのニュアンス。ラピさん。
94
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:02:11
なるほど。
できるんですねぇって感想になるの?
95
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:02:51
で、そこ、気になりますか?
96
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:04:01
感想じゃなかったら何になるのでしょう。ラピさん。
97
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:05:44
なんでしょうね。
98
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:07:01
あ、楽ちんこ道さんは、セミナーというより飲み会でわ?かなり前でいまは知りませんが。。
99
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:08:00
飲み会?何のためでしょうね
100
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:08:50
98 ↑ ラピさんへ
101
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:09:04
ちなみに釈迦って、本当に教えを説いたと思いますか?
102
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:10:27
なければ感想でいいのでわ? ラピさん。
103
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:11:25
なければ、も接続後?
104
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:12:02
接続語の間違い
105
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:13:19
生きるため食事&アルコール摂取。彼女もその後オートマチックを多用してました。ラピさん。
106
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:15:31
>生きるため食事&アルコール摂取。彼女もその後オートマチックを多用してました。ラピさん。
アルコールはいらないなぁ、私は。(笑)
日和るさん、その人は本物だと思ってます?
107
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:17:46
釈迦は、当時の宗教に対抗する為に教えをつたえたとさ。自我に戻って。らぴさん。
108
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:18:56
>釈迦は、当時の宗教に対抗する為に教えをつたえたとさ。自我に戻って。らぴさん。
対象が消滅している釈迦がそんなことするかなぁ。
109
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:20:17
その人自身は、本物だから飲み会開いたんじゃないでしょうか。らぴさん。
110
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:21:12
>本物だから飲み会開いたんじゃないでしょうか
教えを伝えるためにですか?
111
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:24:23
釈迦も自我であって、弟子がつて回ってメモとってたんじゃないですかね。バラモン教?でしたっけカースト制度に怒り心頭とお伺いしてますが。。どっかで。らみたん。
112
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:25:33
111 ↑ ラピさんへです。
113
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:25:34
釈迦も自我であったのですか、そうなんだ。
114
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:28:13
そう、釈迦は死んで涅槃。。。。と詳しいまるまるさんとかいう方がいうてました。とおもう。ラピさん。
115
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:30:53
そろそろ、ラピさん。何をやって「 」になられましたか。
116
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:32:00
釈迦は自我
釈迦は死んで涅槃ということですが
悟りという言葉はどこに当てはまりますか?
釈迦は悟っていたの?
117
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:34:10
どうでしょう。ただ飲みしたかったのか、自慢話かもしれません。大阪の人は商売が上手です。ラピさん。
118
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:36:02
>どうでしょう。ただ飲みしたかったのか、自慢話かもしれません。大阪の人は商売が上手です。ラピさん。
本物がそうしますかね。
119
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:39:06
釈迦と言えば悟り。つまり同義語だと。っていう具合。ですラピさん。
120
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:41:28
ラピさん。十牛図って知ってますか。最後の図は悟った人が衆生と酒を飲み交わすです。
121
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:44:58
釈迦=悟り=自我ですか?
122
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:47:27
>十牛図って知ってますか。最後の図は悟った人が衆生と酒を飲み交わすです。
十牛図、知らないです。
悟ったら酒を飲みかわす、ということですか。
123
:
日和る
:2018/07/17(火) 21:48:29
私、遊ばれてます?
124
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 21:50:31
真面目に聞いています
125
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:05:36
>釈迦=悟り=自我ですか?
自我である釈迦自身が、悟りを開いた。悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。
126
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 22:09:48
>>釈迦=悟り=自我ですか?
>自我である釈迦自身が、悟りを開いた。悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。
面白い解釈ですね。
自我と無我を行ったり来たり、ということですか?
では釈迦は自我消滅していなかった、ということですね。
そして死んだら涅槃=自我消滅、という風に日和るさんは捉えられているということでいいですか。
127
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:15:31
>自我と無我を行ったり来たり、ということですか?
そうではないですよ。一行会話で極省略ですね。
128
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 22:22:12
>悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。
これ、どういう日和るさんの解釈ですか。
これ、本当にそうですか?
129
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:32:09
逆に、教えてる時、日常的に「私はいません」と言ってて、かつ、教えを説いてたという経典があるなら示してもらいたいですね。
130
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:35:33
そもそもそのものなんですから教えてもらわなくて・・・ってどっかに書いてましたよね。
131
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 22:36:26
>逆に、教えてる時、日常的に「私はいません」と言ってて、かつ、教えを説いてたという経典があるなら示してもらいたいですね。
なんだかすごく勘違いされていません?
132
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 22:38:23
ちなみに私は教えを説いていません
133
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:43:52
いつから一行掲示板になったのやら。そこはかとなんとなく。
134
:
日和る
:2018/07/17(火) 22:49:26
数千年の釈迦の内面は。。誰にもわからなかったと思います。内面を探ってが、経典です。
135
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 22:59:19
はい、釈迦のことは誰にも分らないでしょうね。
136
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:00:28
わからない の間違いです。
137
:
日和る
:2018/07/17(火) 23:17:51
自我と無我のことかな。?
138
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:25:39
>自我と無我のことかな。?
わからない、がですか?
いいえ
釈迦がどういう状態であったか、普通の人にはわからない、ということです。
内面を探って書かれた経典(←本当に?)は釈迦が書いたわけではないので
本当に忠実に書けているかは謎ですね。
釈迦が言ったことをそのまま書いてあるのならいいですが
それに誰かが解釈を付けてしまうと、間違いが起こるでしょうね。
ちなみに釈迦には内面はないと思いますよ。
139
:
日和る
:2018/07/17(火) 23:37:41
>それに誰かが解釈を付けてしまうと、間違いが起こるでしょうね。
で、
>ちなみに釈迦には内面はないと思いますよ。
解釈がついてます。けど。
そうそう、たぶんですが、苦集滅道さんも内面はからっぽだと言うと思います。
※からっぽ=ない
140
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:39:35
解釈ではないです(笑)
141
:
日和る
:2018/07/17(火) 23:40:28
なんでしょうか。
142
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:50:54
解釈ではなく、そうであろう、ということですが。
釈迦が自我が消滅しているとしたら、内面はないでしょう、ということです。
143
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:51:34
日和るさん
ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
それは渇愛ですよ、って言います?
>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。
これって釈迦にも当てはまります?
バラモン教?でしたっけカースト制度に怒り心頭って書いてましたよね。
144
:
ラピ。
:2018/07/17(火) 23:56:19
あと、日和るさんは釈迦に内面はある、と思われていますか?
「内面を探って書かれた経典」って書かれていましたから
これは釈迦に内面がある、ということで良いですか
145
:
日和る
:2018/07/18(水) 00:44:44
>>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。
楽ちんこ道さん普通の人です。
言えますよって理解されますから
渇愛から苦が生まれる。
一切皆苦は釈迦の言われた事です。(経典)
逆に書きますね。自我を
>なんだかすごく勘違いされていません?
お師匠さんってお坊さんじゃないみたいですね。
これは勘違いしました。
146
:
日和る
:2018/07/18(水) 00:49:42
瞑想で釈迦は悟りを開いた。(定説)
瞑想は内面を観るものです。
内面って勘違いされていません?
147
:
日和る
:2018/07/18(水) 00:54:57
じゃ繰り返しますが、単純に
喜怒哀楽は「自我」だから現れるのです。よ。
理解出来ませんか。
148
:
日和る
:2018/07/18(水) 01:06:59
>解釈ではなく、そうであろう、ということですが。
そうであろうは、「解釈」いいます。
149
:
日和る
:2018/07/18(水) 01:15:32
>ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
それは渇愛ですよ、って言います?
教えを説いてる最中にには言いませんよ。あしからず。そんな非常識ではありません。
150
:
ラピ。
:2018/07/18(水) 07:08:54
>楽ちんこ道さん普通の人です。
>言えますよって理解されますから
なるほど、私が 日和る さんの言葉に
「わかる、わかるよ!私もそうだよ!」といえばいいわけですね。
そうすれば日和るさんも満足!ってことですね。
ポイントは 日和るさんのいっていることに共感するか、しないか、ってことね。
私が否定ばっかりして共感しないからダメなんですね(笑)
>渇愛から苦が生まれる。
>一切皆苦は釈迦の言われた事です。(経典)
悟る前はね。悟ればそうではないです。だから悟った釈迦には渇愛はないですね。
でも悟った後も教えは説いていました。(教えを説いているように見えた)
教えを説いた釈迦に渇愛はあったのでしょうか。
>瞑想で釈迦は悟りを開いた。(定説)
>瞑想は内面を観るものです。
悟る前の釈迦(内面あり)が瞑想し、ついには内面が消滅。
悟る前は内面があり、精進することによって内面が消滅する
瞑想はまだ悟ってないときの行法です。内面がある時の行法。
内面がある時に瞑想をし、悟ったとき、内面は消滅する。
悟った後は釈迦は瞑想していないと思います、できません内面がないから。
内面なかったら瞑想しようがない。何もできません。
>内面って勘違いされていません?
日和る さんには内面、ありますよね。釈迦も悟る前は内面があり、瞑想し、ついに内面が消滅した=悟ったのです。
勘違いしていないですよ。普通、内面はあります。
それを消滅させるために精進するのです。内面は苦の原因ですからね。
>じゃ繰り返しますが、単純に
>喜怒哀楽は「自我」だから現れるのです。よ。
>理解出来ませんか。
それは解りますよ。(笑)日和さんもそうですよね。
自我があるから喜怒哀楽がある。
しかし、悟った後の釈迦に自我はないはずですが喜怒哀楽があるように見えました。
これはどう説明しますか。
たしか、 日和さん 曰く教えを説いている時は自我でしたっけ?
そしたら教えを説いている時、釈迦に苦はあったのでしょうか。
>そうであろうは、「解釈」いいます。
へぇ、そうなんだ
>>ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
>>それは渇愛ですよ、って言います?
>教えを説いてる最中にには言いませんよ。あしからず。そんな非常識ではありません。
そういう意味ではなくって(笑)
私の表現が下手くそでした。
釈迦や楽ちんこ道さんは教えを説いていると思いますが
その人たちも渇愛しているから説くのですか?
、、伝わるかな(;・∀・)
日和る さんには内面があります。
そして内面が消滅するなんてありえない、と言っているのですね。
日和る さんがまだまだ知らない世界があったとしたらどうしますか?
日和る さんの言っていること、解りますけど私に当てはめて言うからそれは違うよ、と言っているのですよ。
内面、それがかつて私にもありました。だから内面がある、というのは理解できますよ、普通の人は。
だから私もかつては瞑想もできました。
でも今は内面がないんです。
日和る さんはすべてを知っているのですか?本当にすべて正しいですか?
もし、知らないことがあったらどうしますか?
釈迦は自我消滅していたと思います。
そうじゃないとあのような教えは説けない。
(説くことなく、説いていたのですけどね、悟っていたなら)
151
:
日和る
:2018/07/18(水) 08:27:54
私にはありますね。たぶん。
楽ちんこ道さんは少なくともあるでしょう。
って会った事もブログもかすった程度で、そう知りません。(すまん)
ですが、ユーチューブやらで「そのようだ」の解釈です。
『話の肝の内面ですが。。。それじゃ外側だけってことですね。
よく言われます。外側は内面の投影です。内面無くして外側はありますか?
外側、つまり観ている世界は幻想世界ですよね。幻想世界だけにいるっつうわけですね。』
152
:
日和る
:2018/07/18(水) 08:44:33
お釈迦さまでも、渇愛は起きます。生きてる間は人ですから
渇愛ってわかりましたか。例えば「ハラ減った」でも渇愛はすでに生じてるんです。
>まじめに聞いてます。
も渇愛です。
153
:
日和る
:2018/07/18(水) 09:33:53
>楽ちんこ道さん普通の人です。
>言えますよって理解されますから
これに。。。
>なるほど、私が 日和る さんの言葉に
「わかる、わかるよ!私もそうだよ!」といえばいいわけですね。
そうすれば日和るさんも満足!ってことですね。
ポイントは 日和るさんのいっていることに共感するか、しないか、ってことね。
私が否定ばっかりして共感しないからダメなんですね(笑)
が、つながりませんが。。。
問い掛けである、ちんこ道さんのことを書いただけで、ラピさんについて何も申し上げてませんが。
思考展開がわかりません。そのものさん及びラピさん。
154
:
日和る
:2018/07/18(水) 09:37:26
↑ 楽ちんこ道さんでした。
あ、でも、ところで名前、楽ちんこ道でほんとうに合ってるかわからない。
155
:
苦集滅道w
:2018/07/18(水) 14:46:31
日和さん・・・差し出がましい意見を一言書かせて下さい。
2013年3月に、らぴ。さんは 悟った(らしい、私にはわかりません)と書いてます。
で、今から五年前のことです(時系列上)・・・で、五年間 苦しみが無い、っていうのは、もう 私には考えられない。今でも 何かしらの「苦」は感じていますからね(笑)
で、釈尊さんが 悟りとは何かを聞かれた際に、「苦悩がないこと」って、その人に対しては そう 答えられたそうです。(それが、定義ではないかもしれませんが、例えとしてね)
五年・・・って、だから 何か そのこと(悟り)を示しているような気がします。つまり、常人には 五年さえも 無理難題なことです。
私も、たまたま 二年間くらいかな 苦悩とは無縁に生きましたが、一時的で、つまり 偽物だった訳です(笑)
わたしらの 想像できない 心境って、あるのではないかなぁ?
156
:
苦集滅道
:2018/07/18(水) 17:01:48
>『この私はだれですか?
(師匠、)>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>何もできないのですが この私はなんですか?
(師匠、)>これはなんですか?』
・・・このトキは、わからなくて、訪ねたのですね。自分では わからなかった。
自分で わかる。のが、一瞥でした。で、この「わかる」に対象があるのか?
ああ 何かがわかる。では わかったことって何?ってことですね。
そうね、わかるっていうのは 言語上で、(何かが)わかる(知る)と使いますものね。
何かっていう対象が必要ですよね。
>この私はなんですか?・・・これが、対象かな。それが わかりました。
157
:
ラピ。
:2018/07/18(水) 19:11:13
日和りさん
>話の肝の内面ですが。。。それじゃ外側だけってことですね。
>よく言われます。外側は内面の投影です。内面無くして外側はありますか?
>外側、つまり観ている世界は幻想世界ですよね。幻想世界だけにいるっつうわけですね。
さっぱりわかっていないですね(笑)
でも、日和りさんの信じている通りでいいんじゃないでしょうか。
ええ、そうなんじゃないですか。ご自由に。
>お釈迦さまでも、渇愛は起きます。生きてる間は人ですから
>渇愛ってわかりましたか。例えば「ハラ減った」でも渇愛はすでに生じてるんです。
へぇ、お釈迦様の事分かるんだぁ。
はい、はい。それでいいんじゃないですか?
>>まじめに聞いてます。
>も渇愛です。
そうなんですね。
日和りさんって、何でもわかってるんですね〜〜。それが正しいんですねぇ!
>が、つながりませんが。。。
私は見えていますから(笑)
「言えますよって理解されますから」って書いてるよね。
理解されるから言えるんですよね?(違う意味?)
でも、もし理解されなかったらどうするのかしら?
それでも言います?(笑)
158
:
ラピ。
:2018/07/18(水) 19:16:34
苦集滅道さん、お久しぶり(笑)
>この私はなんですか?・・・これが、対象かな。それが わかりました。
いえ、いえ違います。
この掲示板のやり取りで「私」という言葉を使っているのと同じです。
あまりにそうだったので、どうやって表現していいかわかりませんでした。
「?????」だったのです。
しばらく、そうでありました。
そしてしばらくたって師にメールしました。
この文章で師匠は私が悟ったとすぐにわかりました。
あ、勘違いされているかな
>『この私はだれですか?
>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>何もできないのですが この私はなんですか?
>これはなんですか?』
これ、すべて私のメール内容です。
師匠の言葉は入っていません。
訪ねた、とはちょっと違うかな。
例えて言えば、報告です。
159
:
ラピ。
:2018/07/18(水) 19:25:57
苦集滅道さん
あ、そういうことではなかったかな(笑)
このメールの内容については一切返事はありません
>『この私はだれですか?
>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>何もできないのですが この私はなんですか?
>これはなんですか?』
だってたずねていないですから。
たずねていないのです。
師もわかっていたと思います。
160
:
苦集滅道
:2018/07/18(水) 20:12:13
>この文章で師匠は私が悟ったとすぐにわかりました。
・・・そうでしたか、それなら、納得がいきます。
うん、このメールを載せると 誤解されます。
そういう ことです。
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