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自覚の方法に関すること

43まきりん:2014/10/16(木) 15:14:51
まるさん

いろいろご存知で、魔境にも入ったことあるんですね。
ずーっと至福でいられる感じなんですか?

44まきりん:2014/10/16(木) 16:19:53
ハートの自覚ワークの質問なんですが、
私しかいないと思えるくらい集中するというのができません。

慧空さんのブログの「私の成り立ち」に書いてある意識だけの世界で「ハッ」として気付いた時の、それが私の誕生ということなんですが、何故それが誕生したかを考えると、頭が変になりそうになりました。
そのまま思い詰めた状態でいると、ハートに集中でき、息を吐き切るということをするようになりました。

思考も出てこなくて、10分〜20分くらい連続でできます。

幼稚園のお迎え間際にやったので、30分くらいやって、やめてしまいましたが、
これなら、長時間ハートに集中できると思いました。

いわゆる浄化ワークのような、溶けていくような感じはなく、ハートの中にある豆粒みたいのが、ずーっとあります。

慧空さんのハートの自覚ワークの「わたし、わたし」を集中してやるときは、そのコアみたいのは消えてゆくことはなく、存在しままですか?

45まる:2014/10/16(木) 18:46:11
まきりんさん、魔境とはいわゆるチャネリング現象に堕ちることの体験です!

身体がリラックスして脱力しないと、ポイントになかなか意識集中できないでしょう!

46まる:2014/10/16(木) 18:58:03
10分から20分思考がでないって、すごい集中力ですよ!
なかなか、それだけの集中力を在家生活で実践できる方は少ないです!

ここでいう明け渡し、小悟から戻る人って本当に多いですよ。なまじ仏教知識とかあると、戻ったこと認めたくないですから。そういう方の気持ち痛いほどわかり、こちらが辛くなります!合掌

47慧空:2014/10/16(木) 20:09:57
>>44まきりんさんへ

>思考も出てこなくて、10分〜20分くらい連続でできます。

まるさんも仰るように、それは相当に凄いことだと思いますよ。
大悟や解脱の悟りを目指されるのに十分な集中力だと思います。

>いわゆる浄化ワークのような、溶けていくような感じはなく、ハートの中にある豆粒みたいのが、ずーっとあります。

おお、いいですねえ(^o^)
ハートの中心にある私という感覚のコアを捉えておられるのだと思います。
おそらく間違いないと思います。
素晴らしいです。

>慧空さんのハートの自覚ワークの「わたし、わたし」を集中してやるときは、そのコアみたいのは消えてゆくことはなく、存在しままですか?

はい、そのコアは、大悟を得るまで消えてゆくことなく、また溶けてゆくことなくしっかりと存在したままなのです。
でも、大悟を得ると、それと同時に突如として消えて無くなるのです。
面白いでしょ(^o^)
ですから、そのコアを溶かすような、もっと言えば焼き払うような、破壊するような激しさで、
そのコアに意識を集中しつづけてください。

48まる:2014/10/16(木) 20:26:23
外の風景が妙に光って感じられ、ふと木や周囲を見ると自分が入れ変わってました。わけもなく涙があふれ、これまでの不安はすべて、思いだそうとしても思い出せず、歓び、至福しか感じませんでした。
指導者から、もう少し残ることを勧められましたが、仕事があるのでおことわりしました。
22、3年前の話。日常生活を送ると徐々に戻り、その後11年間同様の体験ができませんでした。

1度目の体験の後、ゴーダマブッダより若く覚醒できる天才だと自惚れましたから。2度目の体験のネツクになりました。2度目も同様に非日常空間のワークでの体験でした。
そのあと、いきなり会社の経営陣に抜的され、あるがままでいいんだという勘違いと思考の現実化能力の奇跡的な強さから、自我の特別性がまし、後片もなく戻りましたね。(笑)

あれから8年、やはり非日常空間でのワークは、日常生活で戻つてしまうと、痛感していたところ、ついに究極の在家ワーク、自覚ワークに出会いましたよ。

修行時間なので、では。

49まきりん:2014/10/16(木) 22:53:36
まるさん

チャネリングも出来るんですね(O_O)
いろいろと成功体験もあるのに、こちらの道に進むことになったんですね。
まるさんが、解脱の悟りを得た後にも、まるさんの人生についての感想を聞いてみたいです。

50まきりん:2014/10/16(木) 23:01:39
慧空さん

ありがとうございます。
引き続き、意識だけしかない状態をイメージして、ハートの自覚をやっていきます。

51佐藤:2014/10/17(金) 07:17:01
まきりんさん>

素晴らしいです。
ヒットしていると思いました。

疲労困憊になるまで何度もやっておりました。笑

52まきりん:2014/10/17(金) 10:38:23
佐藤さん

ありがとうございます。

疲労困憊するまでやってらしたのですね。
私はどこまでできるか分かりませんが、やってみます。
ここ数日、用事があるので、しばらくしたら再開します( ´ ▽ ` )ノ

53佐藤:2014/10/17(金) 11:38:49
>ここ数日、用事があるので、しばらくしたら再開します( ´ ▽ ` )ノ

3:30とか4:00に起きてやるといいですよ。用事とか関係なくなりますので。笑 環境も実は重要かなと思ってまして、寝静まった中、やる方が効果的と感じました。

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55まる:2014/10/17(金) 13:29:32
まきりんさんは、本当に稀にみる資質のある方なので、すい空さんを師と心で定めたのなら雑音は耳に入れずに、自覚ワークに一意専心なさってください。
 本当かどうかわからない話より正直な失敗談は、寄り道して魔境に入らないため役立つものと感じています。
 まきりんさんは、ピュアハートなお母さんなんだと文章から、私が感じるところの真実を感じます!

多分ハートセンターと本能センターのバランスがいいので、頭でっかちにならないですんだのでしょう。

幸せになるのと至福であるのは全く違いますよ。ボディワークを除く精神世界の知識は、自覚ワークの弊害になりますから。
知識ではなく智恵の道を自覚ワークで、ともに精進しましょうね。

56まきりん:2014/10/17(金) 17:33:26
佐藤さん

ありがとうございます。

そうですね。
家族が寝てる時間にできますね(笑)
自覚ワークは、何を差し置いてもやりたいことでありますので(笑)
時間を見つけてやっていきたいと思います。

57まきりん:2014/10/17(金) 18:27:05
まるさん

お褒め頂きありがとうございます。
自我が喜んでいます(笑)

正直、ここまで来ることができて、びっくりです。

自分の中の残虐な思考を肯定していったのが良かったのかなと思います。

見性してからは、地球が爆発したっていいじゃんwって思っています(その思考も手放さなきゃですね)。

昔は、聖子ちゃんの「瑠璃色の地球」に涙してピュアでした(笑)

58佐藤:2014/10/17(金) 19:19:19
>正直、ここまで来ることができて、びっくりです。

もっとのせちゃいますが
コア捉えてらっしゃるので、
講演やってる巷の覚者より上ですよ。笑

59みどり:2014/10/17(金) 19:56:04
まるさんへ。

それご自分が通ってきたから、わかったことですよね。
その人が通る必要があったから、やってきたんじゃないんですか?

引っ掛かる言葉いくつもあります。

佐藤さんの上って言葉にも引っ掛かかります。

60佐藤:2014/10/17(金) 20:33:46
ちょっと言い訳じみてますが、言い訳させて下さい。笑

悟りの階梯上で上(進んでおられる)っていうだけですので、
それで何か優越感・嫌悪感を持つかはその人次第という事で。。

私は、どの方よりすごいと言われても嬉しくも何ともないです。
駄目と言われれば、実践頑張ります。笑

61慧空:2014/10/17(金) 20:50:57
>>55まるさんへ

私(慧空)に対して、「師」という言葉を使うのはやめてください。
私は誰かの先生でなければ、なるつもりもありません。
私は、なんの責任感もなく、無責任に適当なことを言ってるだけです。

62まきりん:2014/10/17(金) 22:20:29
佐藤さん

ありがとうございます。
自我が喜んでいます。

佐藤さんが、私にくださったお褒めのお言葉を、
すごくお上品に表現させていただきますと、以下のようになります。

まきりんは、「耳くそ」でして、

覚者として公演されている方々は、
「鼻くそ」ですね。

で、もし、佐藤さんが、他者から「お前は、糞であるぞ」と言われたら、
「くそ」の前に何か付くように、
頑張ります。 と、佐藤さんは仰っています。

が、佐藤さんは、実は、「目くそ」なのです。

でも、実は、目耳鼻くそ糞を顕微鏡でみれば、菌がいっぱいいるだけで、
さらにズームすれば、ただの分子や電子や素粒子なので、

差は無い のであります。

63佐藤:2014/10/17(金) 23:10:44
>差は無い のであります。

まきりんさんが、それで納得いけば良いと思いますよ。^_^

私の場合は、その理解で納得いきませんでしたから、実践続けました。

64佐藤:2014/10/17(金) 23:17:50
差がない=ワンネス、一つ なんだと思いますが、それでは私は納得いかなかったんですよね。。

65佐藤:2014/10/17(金) 23:41:05
寝る前に思い出しました

http://m.blogs.yahoo.co.jp/karupapa21sei/48110803.html#62063851

この記事なんか良いかもしれません。

66とろぞう:2014/10/18(土) 01:17:07
↑のブログは良く読みます。
なかなか読み応えがあり、私のお気に入りの一つです。

ただ、特定の人物を名指ししての批判記事が目立ち、
なんだかなぁ〜?って思っています。

原田雪渓老師に師事し、法を広めることを師より認められている
との記事がありますが、ちょいと怪しい記事を発見しました。

原田雪渓さんに師事したというだけで素人を黙らせるに十分ですから。
このブログ主、虎の威を借りた狐かもしれません。ただ、妙に
説得力のある記事はとても多いです。
浅田幽雪さんという方が自分の師匠をブログ記事でボロクソに非難さ
れているのを見かねて、原田雪渓老師に相談したようです。
浅田幽雪さんとブログ主であるkarupapa21sei氏とのやりとりが以下の
サイトに書かれています。決着はついたっぽいです。

karupapa21sei氏へのメール
karupapa21sei氏へのメール2
karupapa21sei氏との話の結末
この3つの記事を読めばわかります。↓

https://sites.google.com/site/yusetsu/

浅田幽雪という人もタダ者ではないようです。
少林窟道場で井上義光老師(井上義衍さんの兄貴)に師事した井上希道老師
と、発心寺の原田雪渓老師、それとなんとEOさんから学ばれた人です。

67まきりん:2014/10/18(土) 03:28:03
耳くそ の話、笑ってもらえると思ったんですけど、あんまり面白くなかったかな〜(笑)

68まきりん:2014/10/18(土) 03:35:06
佐藤さん

ありがとうございます。

「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている自分」を忘れる修行の始まりです。

とのことですが、

すいません 汗

「理解した自分」と 「知った自分」の区別が付きませんf^_^;)

69まきりん:2014/10/18(土) 03:54:58
慧空さん と 佐藤さんは、気まぐれに、暇つぶしに、コメントしてくださってるかもしれませんが(笑)

悟りを目指してる道中の私にしてみれば、
観念がまだありますので、

慧空先生 と 佐藤先生は、貴重なお時間を割いて、無償でご指導してくださってると思ってしまうわけです。

マスター慧空 とか ドクター佐藤
とかお呼びしたくなっちゃいます。

でも、これからは、

スーさん と サトちゃんって、
お呼びしてもいいでしょうか?

なんちゃって。

自我を滅したら、
おバカなことを言えなくなってしまうのでしょうか?

70佐藤:2014/10/18(土) 08:57:09
>無償でご指導してくださってると思ってしまう

私も慧空さんにそう思っていましたが、気になさらないようです。

私も同じ感じです。指導しているというより、言いたい事言ってるだけです。^_^;

71佐藤:2014/10/18(土) 10:43:22
>「理解した自分」と 「知った自分」の区別が付きませんf^_^;)

私もつきません笑
理解した考え、知った考えを手放せと言ってるだけだと思います。

72佐藤:2014/10/18(土) 10:48:03
>原田雪渓老師に師事し、法を広めることを師より認められている

ちょっと慢ががでてますね^_^;

>浅田幽雪という人もタダ者ではないようです。

ありがとうございます!
読み応えありそうです。

73まきりん:2014/10/18(土) 13:09:38
>理解した考え、知った考えを手放せと言ってるだけだと思います。

ありがとうございます。

宇宙はビックバンが始まりとか、
地球は天の川銀河にあるとか、
バシャールはエササニに住んでるとか、
ウルトラマンレオはL77星雲出身とか
私は地球に住んでるとか、
地球は青いとか
ガミラス星人の顔は青いとか、
イスカンダルの女性が綺麗じゃなかったら、ヤマトはイスカンダルに行ってないよとか、
木は光合成してるとか
細胞とDNAとか
地球の物質は、電子とか素粒子とか
酸素がないと死んじゃうとか、
インターネットがなければ悟りの情報を得ることはできなかったとか、
私は生きてるとか

いろいろ手放していきたいと思います。

74佐藤:2014/10/18(土) 14:45:48
これじゃなきゃ嫌だと執着してなかったら、手放しても意味ないですよ。笑

75まきりん:2014/10/18(土) 16:48:15
佐藤さん

ありがとうございます。

全て無に感じられるまで手放さなきゃいけないのかと思っちゃいました

その思いを手放します(笑)

この世界は全部嘘という思考が出てきました。

あ、手放すでなくて、思考を掴まないということですね。

76佐藤:2014/10/18(土) 18:17:13
ヒットするのが見つかるといいですねw

特にハートに反応なかったらハズレの可能性高いかもです。

77慧空:2014/10/18(土) 19:57:33
>>69 まきりんさんへ

はい、「スーさん」、いいですねぇ。
ぜひ、そう呼んでくださいな(^^)

78まきりん:2014/10/18(土) 20:20:56
佐藤さん

ありがとうございます。

ハートが反応しないものは、スルーすればいいんですね(笑)

見性前に、二次元の主人公たちも、私達と同じように存在していて、何も違わないという想いが沸き起って感動が押し寄せてきたときがありまして(笑)

現在は、三次元で起こってることも、二次元で起こってることと同じで、嘘じゃんって思うようになりました。

で、今、無性に腹が立つ観念がありまして(笑)

それは、
「宇宙には法則があり、与えるものが受け取るもの」

「宇宙に源泉がある」

以上のふたつに自我が怒っていますw

「そんなもの、ねーんだよ、バーカヤロー」って、ムカムカしていますw

何で、覚者の人達は、宇宙、宇宙、言うのでしょうか?

覚者の人達が宇宙と言うのは許せないという観念を手放さなきゃ(笑)

79麒麟:2014/10/19(日) 00:35:00
>>75
お茶を飲んだら味がする。
これは嘘も何も、そうなっていますよね。
宇宙、宇宙というのは、天地が、自分を生かしていることが分かるからです。
思いを掴まないというのは、単に、済んだことを追いかけないことです。
もう生きている、その瞬間が、過去なのです。
なぜなら、もう、ないからです。
無我とは認識が、もう、わけがわからなくなることです。
未知に生きている、生かされている。
天地に生かされているという感謝が、宇宙という言葉に繋がるのです。
なんちってw

これも全部「思い」ですね。

80麒麟:2014/10/19(日) 00:59:50
>>78
宇宙の法則とか、宇宙の源泉と聞くと、自分から離れてあると思う。
そうではなくて眼が見たら見える、耳が聞いたら聞こえるということです。
まきりんさんと僕も同じです。
道元さんが空手で帰ってきた、分かったことは目は横、鼻は立てである。
なにも手に入れない。
そのまんまの自分で、ある。

与えるものが受け取るものとは、どういう意味でしょうか。
目の前に茶碗があるとして、それを見ているのは自分でしょう。
茶碗と自分があって初めて、そこに事があるわけです。
この自分というのは、こころのことです。
眼が見ていると思うけれども、それは、心に映っているのです。
このようにして自分も対象も不可分です。
どちらかが欠けても、成立しない世界を生きているのです。

ここに、この茶碗は大嫌いだと「思う」としましょう。
そうすると大嫌いな茶碗を受け取るというそれだけのことです。
与えたものを受け取っている。

概念(イメージ)を与えているのです。

それでは、宇宙の法則とは、与える者が受け取る者。
つまり自分自身のこころが、自分を生かしているということだけです。

また宇宙の源泉というのは、こころの事です。
まきりんさんにも、僕にも、こころがあるのは当然ですよね。
このこころは対象とはなれてあるわけではないのです。
宇宙の源泉というのは、自分とはなれて、どこかにあるものではない。
何もしないでも、それは、そのまんま、不可分にここにあり続けるのです。

だから、何もしなくてもいいのです。

概念を手放すとか、修行するとか、特別になるとか・・・・・・。
しなくてもいいのです。

こころは不可分であり、それは、もう済んだことなのです。
こころの迷いをとることが、悟りであり、事実に気がつくことです。
なにか、自分を離れて、特別なことがあるわけではなく。

当たり前の話で「あー、そんだけのこと?」となるのです、笑

81とろぞう:2014/10/19(日) 03:29:30
>80

麒麟さん、すげー。坊さんでない人でこんな人がいるとは驚きです。

まるで井上義衍さんの系統の禅僧の法話を読んでる気分です。

それも自身の言葉で・・。弟子入りしたいほどです。

井上哲玄さん(義衍さんの長男)の話では、麒麟さんのような
人は、10万人に1人くらいはいるようだとおっしゃってました。

82麒麟:2014/10/19(日) 08:11:34
>>81
いや・・・・・・僕自身は、凄くないですw
僕は、お坊さんではありませんが、教えていただいたのです。

83みどり:2014/10/19(日) 11:53:58
>>79、80、

私も、巧い、巧い、上手に表現するなぁと思いました。

84佐藤:2014/10/19(日) 12:34:26
>こころの迷いをとることが、悟りであり

私もそう思います。^_^

85まきりん:2014/10/19(日) 15:39:24
麒麟さん

ありがとうございます。

麒麟さんに、ありがたいな〜と心が感じています。

ありがたい気持ちを感じていると、
心から感動が溢れてきます。

一年くらい前に、コップも歯ブラシも人の想いが創ったんだと、既成物は人の想いがなければ存在していないんだと感動が押し寄せてきて、半年くらい人々の想いに感動していました。

麒麟さんがコメントくださって、その頃の感覚が蘇ってきました。

ずーっと、この感覚でいられないのは、何でなんでしょう(笑)

私が知覚している身近な世界は、家族に愛されていて、親切なご近所さんたちに囲まれて、幸せそのものです。ありがたいです。

しかし、知覚機能が全て無くなったら、それらを感じることはできません。
何もないところに意識だけあることになるからです。

宇宙があると思っているだけじゃないんじゃなかろうかと思うようになったのです。

キラキラな状態で自分の意見が全く出て来ない状態を体感をしたこともあるので。その時は、自分の個性も無くなっていました。


>無我とは認識が、もう、わけがわからなくなることです。
未知に生きている、生かされている。
天地に生かされているという感謝が、宇宙という言葉に繋がるのです。

麒麟さんが仰っていることは、理解できます。

昔は、宇宙は完璧とか生かされてるとか、思っていたんです(笑)

麒麟さんのような体感があってのことではないのですが。

でも自我が怒っているので(笑)
とにかく自覚ワークやっていきます。

誤解あるといけないので、もう一度申し上げたいのですが、
麒麟さんを始め、みなさんを愛おしく感じているのですよ ^ ^

86まきりん:2014/10/19(日) 20:47:02
この機会に、自分の意見が出て来ない状態になった時のことを書きたいと思います。

3年くらい前なんですが、当時は、まだ観念浄化という言葉すら知らない時で、
読んでいた本は、正観さんの「ありがとうを沢山言おう」という内容のものや、
「感謝しよう、大丈夫だよとかシンクロ」とかの内容を書いている、
浅見帆帆子さんの本です。

帆帆子さんの日記本に、
「あ、過去は関係なかった」という記載があり、

私は、お風呂の中で、「過去は関係ない、過去は関係ない」と唱えていました。

そしたら、感じる空間の雰囲気が変わって、高揚感に包まれました。
その時、感じたのは、
英語の文法書から「should have done」が無くなる〜
そうすべきだったという文法が無くなる、そういう時代が来る〜

お風呂から出たら、空気がキラキラしていて、

「過去がない世界」にいました。

当時あった劣等感が全くなくなっていました。

旦那が、北朝鮮のことをいろいろ言ってきたのですが、

意見が何も出て来ない。
敢えて何か言うなら、「面白いね〜」ウキウキした感情を抑えながら言う感じです。

テレビで深刻そうなニュースをやっていても、何も感じないというから、ウキウキした気分のまま。
敢えて意見を言うなら、「面白いね〜」

就寝時に思ったことは、「この状態では、人と会話できない。これからどうすればいいんだろう。明日から何もできない」

もう、日常生活が送れない感覚だったんです。

でも、翌朝、気付いたら、いつものように朝食を作っていました。

無くなったと感じた劣等感も、戻っていました。

その後、バシャールとかを知るようになるのですが、

バシャールは、何が起きても、
「interesting」と言いなさいと言っているのですが、
それが、凄く納得いったのです。

以上です^ ^

87まきりん:2014/10/19(日) 22:19:04
あーー(O_O)
今、お風呂入ってて気付きましたー

過去がないという体感をした時、
もう生活が出来ないと感じたのは、

「過去がない」ということは、
「未来がない」からだ〜

「未来という概念」は「過去がある」から。

過去がなければ、未来が消える〜

左がなければ右という概念は生まれない。

下という概念は、上があるから。

過去がなければ未来も無くなって、
動けなくなる〜

88まきりん:2014/10/19(日) 22:29:50
真ん中という概念は、
両端があるから。

もしかしたら、「今」という概念は、
「過去」と「未来」があるから、
成立するんでは?

89まきりん:2014/10/19(日) 22:44:59
「生きている」という概念は、

「生まれる」と「死ぬ」があるから?

90麒麟:2014/10/20(月) 10:30:42
その瞬間に、何も自分に矯正せずにリラックスしていたんですよ。
お風呂とか気が緩められるから、そのまんまにいたから、キラキラしてきたんですね。
で、あとから、認識が生まれたのですが、その、今、まきりんさんが、追いかけていられるものは、掴まえられないんです。
もう、そのまんま、何もしなければ、そこです。
未知にいつもいる。
歯ブラシや、コップは人間の思いが作って、それも大切ですが、本来の自分に一旦、落ちきって、気がつくために、名前と形に縛られなくなるのが、無我です。ずっと、その状態だと、生活に困りますもんね。

91麒麟:2014/10/20(月) 12:35:20
そうそう。
今は掴まえられない。
もう何もしなくても、音があり、見えて、味わえて、触れて、香りがあるわけです。心にあるわけです。
今にいると認識してしまったら、もう外れた。
過去と未来はここにあるんですね、ずっと心にあるんですよ。
不二であり、未知である出会いを認識、分析が、既知にしている。
その活動が自我なんです。だから、まきりんさんが掴んだものは、本当に真理だけれど、それを自分のものにする必要はないんですよ。差別なく、みんな、そこにしか居ないじゃないですか。
気づいたとしても、そうでなくても、笑

92まきりん:2014/10/20(月) 12:42:27
麒麟さん

ありがとうございます。

過去がない世界という認識をしたということなのでしょうか?

判断する思考がでてこなくて、この自分で全く何の問題もない、みんな等しいと分かったんですけど、
そういう認識をした、ということでしょうか。

「無」に居ることができないから、何か認識しようとしたのでしょうか?

ラベルはがしというのが、上手くできなくて。。。でもやってみます。

93名無しさん:2014/10/20(月) 12:50:35
生きてるのは、生まれると死ぬという既知があるからですね。知っている。
これも心にあるわけです。本来なにもないのに、未知に生かされている、考えさせられているのに、自分が自我が、やっていると思い込んでいるんですよ、笑
未知の不二の心に生かされているわけです。
生まれる前も死んだ後も未知なわけで、ここと、代わりないわけですから、それを昔話では、不生不死といったわけですね。
って、もう、まきりんさんは気づいてるようなので、これは、余計な僕の思いになってしまったかも…

94麒麟:2014/10/20(月) 15:23:11
そうです、そうです。
認識して分かったということです。
そうして、その認識の方を弄ろうとしているわけですが、元々、そこから、すっからかんのところにいるわけです。
認識を剥がすとかも、何もしなくても、全部あるじゃないですか、生まれてからずっとある。
思いに迷わなければ、そのまんまで問題がないということです。

95佐藤:2014/10/20(月) 16:02:57
名無しさん が 麒麟さんだと思ってました笑

96麒麟:2014/10/20(月) 18:13:29
>>93
名無しは僕でした、苦笑

97ユウ:2014/10/20(月) 18:18:42
やっぱり、そうだったんですね。
思わず書き込みしようかと思っていたんです。笑

98まきりん:2014/10/20(月) 19:40:50
麒麟さん

ありがとうございます。

>不二であり、未知である出会いを認識、分析が、既知にしている。
その活動が自我なんです。

あ〜〜そーなんですね(O_O)

「生かされている」と思うと、ラクになるんです。感謝の気持ちも出てきますし。

でも、「生かされている」と思っているのは、自我なので、
もう、何が何だか分からないです(笑)

ラベルはがしと、自覚ワークをやっていきたいと思います。

99佐藤:2014/10/20(月) 19:48:03
>でも、「生かされている」と思っているのは、自我なので、

どこまでも自覚されていらっしゃるようで素晴らしいと思います。

>「生かされている」と思うと、ラクになるんです。感謝の気持ちも出てきますし。

これでパーっとなっちゃうと見失いますからね(u_u)

100佐藤:2014/10/20(月) 19:52:54
迷った時は、苦しい方で良いと思いますよ。

101まる:2014/10/20(月) 20:45:11
麒麟さん本当にありがとうございます。一つひとつの言葉がアートとなりハートに響きますよ。

ところで私は、迷った時は苦しい方でもなく、楽な方でもなく直感で、ただ進みますよ。

選んだ時点で直感がくもりますから。

102佐藤:2014/10/21(火) 06:32:51
>迷った時は、苦しい方で良いと思いますよ。

最後まで残った苦しみが無明を晴らす事になったので、
私の場合はという事でお願いしますね。

103まきりん:2014/10/21(火) 10:39:56
佐藤さん

実は、ハートのコアを捉えられた時は、あの時一回だけです。
昨日から本格的に開始したのですが、ダメでしたら、
今日もこれからやってみます。

104みどり:2014/10/28(火) 01:40:17
自覚で思い出したんだけど、
これって生きてると言えるの私って自分の体に聞いてたら、胸のところがツンって浮きでる感じがあったんだけど、

これって、慧空さんの言う自覚ワークとは、関係ないですか?

105慧空:2014/10/28(火) 05:54:34
みどりさん、おはようございます。

>胸のところがツンって浮きでる感じがあったんだけど、

ひょっとしたら、それはハートにある私という感覚のコアかもしれません。
もう一度、そのツンという感覚を探ってみてくださいな。

106みどり:2014/10/28(火) 06:16:45
慧空さん、おはようございます。

実は私、体が先走るので、様子見のとこがありまして、ドキドキしてたら私ドキドキしてるんだとか、

胸のコアだけじゃなくて、例えばあれ食べよと思って取りにいくと胃がウッとなるから、あー体は食べたくないんだなと思う訳です。
後は、私は冷静なのに、手がガタガタふるえたり、足がブルブルしたりします。
なんか違いますよねぇ。

107麒麟:2014/10/28(火) 07:15:28
おはようございます。
慧空さんは、悟りの段階について、どう思われますか?
例えば、僕は、今に至るまでに個人的な思惑に、いろいろと左右されながら迷い。
そうして、様々に、絶望を潜る中で、掴んだものはない。
摘む前に、それらは、あって、もう、それは、とても美しい。
美しいという認識が働く前の自由自在であるということだと思うのです。
しかしながら、その、段階を踏まないと、その、事実に、付かない。
友人と話していたりすると、僕の表現は、怒りを買います。
まあ、僕は大悟したわけでも、解脱したわけでもないのですが、どうも、このあたりの見解の食い違いに、違和感が残るのです。
伝えたい(僕にとっては喜び)が、相手にとっては不興と怒りになる・・・・・・。
まあ、皆が、そうではないですが・・・・・・。
どうして、この、認識の前の世界の話が、伝わらないのか。
僕の体験では、色々な、ハートの覚醒、等々の、回り道は、いらないのですが、、、
実際は、それを通って、苦しまないと、そこに、行く道にならないのだろうか。
この辺り、やはり、段階があるのでしょうか。
佐藤さんが、僕の話に共通性があると言ってくれたり、慧空さんも分かる部分もあると言ってくださったりしてくれるのは奇蹟なのでしょうかw
うーん。
そんなこと言う前に大悟を目指すほうを優先すべきですかねえ(迷い、笑)

108慧空:2014/10/28(火) 14:57:56
麒麟さん、こんにちは。

悟りの階梯については、一昨年暮れに明け渡しがあった直ぐに後に、自分に起こったこれはなんなのかと思い、
ネットを検索していたとき、このページに行き当たり、
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
そのときに一応は知っていました。
でも、そのときはそこに書いてあることが半分も理解できなかったのです。
理解てきないので、それに共感するよりも反発心の方が強かったぐらいです。
そんなこともあって、悟りの階梯のことは直ぐに忘れ去ってしまいました。
それに何しろ、私は解脱の悟りの得る直前まで、自分はもう解脱していると思い込んでいましたから。
もちろん、大きな誤解だったのですが。(^o^)

私の例でもそうですが、悟りの階梯のことは理解できなかったのです。
これは私だけではなく、私の周りにおられる方の殆どがやっぱり理解できないのです。
理解できないばかりか、反発心を起こすのです。
どうやら、悟りの道を歩む殆どの方にそのような傾向があるんじゃないかと思っています。

ちなみに、私が悟りの階梯のことを理解できたのは、解脱の悟りを得た後でした。
解脱の悟りを得て暫くしたときに、ネット検索をしていたら、また上の悟りの階梯のサイトに行き当たったのです。
それで、久しぶりだと思い、それを改めて読んでみたら、今度はその大半がスムーズに理解できるのです。
それだけではなく、そのサイトに書いてあることの間違いにまで気づいてしまうほどでした。
どうやら、悟りの階梯はその行程が終わってはじめて理解できるもののようです。

でも中には、麒麟さんのようにその行程の半ばで理解されるおられるようです。
どうしてそれが受け入れられ、しかも理解できるのか、私には理解できませんが、
なぜか、一部にそのようななんと言いましょうか、とても謙虚と言いますか、
深く澄んだ目を持っている方がおられるようです。

悟りの階梯も、もちろん考えに過ぎませんから、幻です。
また、悟りの道を説くための方便であると言うこともできると思います。

しかし、悟りの道を歩む殆ど(おそらく、すべて)の方が悟りの階梯の階段を
ひとつひとつ昇っているこの現実や、各段階で得られる理解や感覚の基本的な部分が
とても共通している点などを考慮しますと、
悟りの階梯を考えに過ぎない等として軽視することと出来ないと思います。
誤解を恐れず敢えて言いますと、悟りの階梯は、私たちがこのようにして肉体を持って生きている
ことと同等なほど、真実なんだと思います。

109慧空:2014/10/28(火) 15:04:18
みどりさんへ

>なんか違いますよねぇ。

同じような部分もあるのですが、違うところもあり、微妙ですが、
確かに、なんか違うような気がしないでもないです。

110みどり:2014/10/28(火) 16:52:10
私の自分の理解では、そのコアが体全体から体の外まで広がってるイメージです。エーテル体とかいろいろあるみたいだけど、私はそこは、詳しくないけど。

あと、私は人により順番も方向もその人、それぞれなので、進む道の違う人は、聞く耳持たないので、言えば言うほど、抵抗が激しくなります。これは、解脱しようが、自覚なかろうが一緒ですよ。どこまでいっても人間は人間です。
自分の思いを知ってもらうと言うのは、難しいものです。

111佐藤:2014/10/28(火) 17:52:23
翻訳機みたいですが笑

おそらくコアはないと言うことを仰りたいんですよね?

>自分の思いを知ってもらうと言うのは、難しいものです。

慧空さんに解脱したと思って欲しいという事ですよね?

112みどり:2014/10/28(火) 18:03:49
>>111佐藤翻訳機は、そのように解釈したのですね。
私は、体全体がコアと言いたかったんです。

自分の思いをの方は、ちょっと、きりんさんに向けて書きました。

慧空さんにわかって欲しいとは、考えもしませんでしたよ。
このコメントには。

113佐藤:2014/10/28(火) 18:10:09
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

久々に読み返してみると、不覚にも涙が溜まりました。^_^; 我ながら在家の日常よく頑張ってるなあって。。

114佐藤:2014/10/28(火) 18:12:37
翻訳難しいですね笑

はっきりしたということで翻訳した価値はあったかと思います^_^;

115みどり:2014/10/28(火) 18:20:59
佐藤さん、佐藤さんからは、そうみえたんですね。

教えて頂きありがとうございました。

その佐藤さんが、涙たまったサイト、私は、途中で尽きてしまいました。

佐藤さん、自分を誉めてあげてくださいね。

116佐藤:2014/10/28(火) 18:31:44
>その佐藤さんが、涙たまったサイト、私は、途中で尽きてしまいました。

実は、私も1分ほどササっと目を通しただけなので、適当です(^o^)/

117まきりん:2014/10/30(木) 13:42:49
私は、まだ私の言ってることを、「それでいいんだよ」、とか、「合ってるよ」とか言ってもらえると、嬉しいレベルにいます。

人間の世界って、「伝わると、嬉しい」と思う次元なんだな〜と思い浮かびました。

お釈迦様や、キリストも、弟子や民衆に、自分の思いが伝わった時は、嬉しいとか、よかった、と思ったんだろーなと、思いまちた。

あ、人間ではない、バシャールも、わざわざ地球まできて、伝えにきてるし、高次元の意識体とかも、地球人に伝えに来てるんですよね^ ^

あ、今の全部、私の思考なんですよね?
もう、何がなんだか分かりません(⌒-⌒; )

118慧空:2014/10/30(木) 20:12:19
>あ、今の全部、私の思考なんですよね?

そうですね^^

>もう、何がなんだか分かりません(⌒-⌒; )

「何がなんだか分からない」と思っている自分に意識を向けてください。
そして、自分はいまそう思っているだなあ、と自覚してください^^

119まきりん:2014/10/30(木) 21:52:34
>「何がなんだか分からない」と思っている自分に意識を向けてください。
そして、自分はいまそう思っているだなあ、と自覚してください^^


と、慧空さんが、まきりんに助言しましたが、慧空さんがそうしようとした思考も行動も、私がしてるのですか?

慧空さんの人生も、私が考えたのですか?

まきりんからは、見えませんが。

120麒麟:2014/10/30(木) 22:46:38
思いは浮かんでは消えているのが実情なので、それを我が思いと我執しないことではないかと、僕は、今、思いました。
思いだけでなく、人生の様々なことは無常で、流れていきます。
私がする前に心の接触が、すでにあって、それを私は分析している。
その活動が自我なので、そのまんまで放っておくと静まるということです。

121まきりん:2014/10/31(金) 01:17:56
麒麟さんの仰ってることも、そうだと思います(^-^)/
先日、麒麟さんに、後からそう認識してるということを教えていただきましたので( ̄^ ̄)ゞ

まきりんは、自覚の修行中でありまして、その進捗状況を慧空さんに、報告したくて、あのように書いたのであります(^-^)/

それに、たぶん、麒麟さんも、私なんだな〜と思います。

創造主というものの概念が、なんとなく分かってきてる気がします。

ま、それも、麒麟さんの仰っる通り、
ただの自我の思考なんだと思います
^ ^

122慧空:2014/10/31(金) 06:17:26
>と、慧空さんが、まきりんに助言しましたが、慧空さんがそうしようとした思考も行動も、私がしてるのですか?
>慧空さんの人生も、私が考えたのですか?

その通りです。
まきりんさんを中心としたその世界は、すべてまきりんさんの認識であり、
まきりんさんという自我に起こってきた(又はまきりんさんがつくった)考えです。

123まきりん:2014/10/31(金) 13:20:41
スーさん

ありがとうございます。

大悟したら、分かることなんだろうと思いますが、
もう少し質問させてください。

まきりんの視点からは、スーさんの日常は観れませんが、
創造主である私は、スーさんの日常も創っているのでしょうか?
スーさんの日常を認識していませんが、スーさんの日常も私の考えだと思うのですが、どうなのでしょうか?

本に例えると、作家(創造主)は、まきりんが主役で、まきりん視点の物語を書いている。
また、作家は、スーさんが主役で、スーさんの視点の物語も書いている。
すなわち、作家は、まきりんであり、スーさんでもある。
まきりんが認識していない人たちも、作家が書いた登場人物なので、

まきりん=作家(創造主、わたし)=スーさんや、他の人たち全員。

作家は、物や自然物を主人公とした物語も書けるので、
まきりん=まきりん以外全部

以上が創造主の概念で、

それを考えているのが、まきりんという自我。

しかし、自我がどのように発生したのかは、分からない。

以上のように考えました。

間違っていたら、教えていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。

124まきりん:2014/10/31(金) 15:58:42
訂正します。

X自我がどのように発生したのか分からない。

自我を作った、「考え」がどのように発生したのかは、分からない。

125慧空:2014/10/31(金) 19:58:03
まきりんさんへ
いろいろなことが気になるのは分かりますが、それらはすべて外側のことです。
まきりんさんご自身に意識を向けて、自覚をしていただきたいと思います。

本質的なところを簡単に書かせていただきますね。
私にとって唯一有ると言えるものは、私という意識の連鎖だけなのです。
すべては、連鎖的に起こってくる私という意識なのです。
しかし、その私という意識も、恒久的なものではなく、断続的に消えては現れる幻なのです。
そして、その意識の連鎖もいずれ停止するときが来るのです。

このような私という意識の連鎖がどのようにして始まったのかは、誰にも分からないのです。
ただ分かるのは、それれには始まりがあって、終わりがあるのだということだけなのです。

126麒麟:2014/10/31(金) 21:49:53
生まれたころの赤ちゃんは、右も左も分かりません。それでも世界は、大人とたいして変わらずにある。
目に映ったら見えるし、耳が聞いたら聞こえる。
大人になる過程で、これは私のもの、あれは私ではないと対象化されて、分析されて、知恵がつくわけです。すべて心にあるんですが、それをバラバラに比較して、あれはいい、でもこれはダメと判断できる。
生きる上で、もちろん必要な能力ですが、一旦、本来の自分に落ちきってみるときには、この認識は、働かなくなる必要があるということです。
しかし、それは自我を手放すことなので、何もしないと、何も人間の観賞を挟まない。眺めている自分が消えてしまうということになると思いました。

127まきりん:2014/10/31(金) 23:48:16
スーさん、

ありがとうございます。

全てを幻想だと認識することが、
辛いことだと分かりました。
頭がオカシクなります。
手放せるか分かりません。

128まきりん:2014/11/01(土) 00:46:23
コアは捉えられてませんが、
「生かされてる とか うぜえんだよ」と自我が怒ってます。
これと一体になると、深い呼吸になります。

129まきりん:2014/11/01(土) 01:14:28
自我に、「お前、誰なんだよ」と聞くと深い呼吸になります。

130ユウ:2014/11/01(土) 05:44:05
麒麟さん、おはようございます

麒麟さんの言葉はとてもやわらかで、私の中に入ります。
ありがとうございます。

131まきりん:2014/11/01(土) 07:26:51
スーさん

おはようございます。

朝起きると、幸せな感覚になっています。
これは真我に触れているのですか?
でも、自我の消滅をしていくなら、この幸せな感覚に浸っていてはいけないということですね?
ハートに意識を向けて、自我と一体になると、以前マメ粒のようなコアを捉えた時に起きた深い呼吸になります。
これをしていけば、自我が消滅していくような気はします。
ハートに意識を向けると自我は悪態をつくのですが、なぜなんでしょう?
宇宙や真理や無我というような話に、自我は反応し、怒ります。
だから、ハートに意識を向けて、自我を捉えるのをやめていました。
ハートに意識を向けなければ、宇宙や生かされてるという言葉に、ありがたい気持ちが出て来て、幸せな感覚になります。

132慧空:2014/11/01(土) 09:57:23
まきりんさん、おはようございます。

>ハートに意識を向けると自我は悪態をつくのですが、なぜなんでしょう?
>宇宙や真理や無我というような話に、自我は反応し、怒ります。

私にはそのような経験がないので、なぜそうなるのか分かりません。
ごめんなさい。
ひょっとすると、少し先を急ぎすぎておられるのかも知れません。
焦らず急がず、ただハートに意識を向けていただきたいと思います。

133佐藤:2014/11/01(土) 10:04:40
>宇宙や真理や無我というような話に、自我は反応し、怒ります。

スピリチュアルを手放せないのかもしれません。
本全て捨てる考えると抵抗起きたりしますか?

134まきりん:2014/11/01(土) 17:42:26
佐藤さん

捨てるのは抵抗ないです。
元々本はあまり持ってなくて、情報はネットで得ていました。それらの情報のほとんどが、二元内の話ですから、卒業します。

135佐藤:2014/11/01(土) 18:44:05
私の場合は、抵抗あったので。。

ご存知かと思いますが、^_^;
不二元(宇宙や真理や無我)も手放して、自分の掴んでる考えに気づく事もしくはハートの自覚に集中された方が良いと思います

136佐藤:2014/11/01(土) 18:49:05
私が言ったという事で、本当に捨てないでくださいね^_^;
手放せていれば、何も問題無いですので。。

137みどり:2014/11/01(土) 19:07:05
慧空さん、佐藤さん、

手放すというのは、忘れる、気にしないということでは、ないのでしょうか?

138慧空:2014/11/01(土) 19:55:35
>>137 みどりさんへ

手放すことは、それを説明しようとするととても微妙なもので、難しいですね。
でもやってみますね。

自覚をやっていく中で手放しが自然と起こることが時折あります。
具体的にはいろいろな手放し方があるとは思いますが、
典型的な例として、ある考え(多くの場合、固定観念や囚われです)を自分が握りしめていたことや、
それに囚われていたことに、ふっと気づくときがあるんです。
その気づきが深い場合は、その一瞬の気づきに伴って、その考えの手放しが根っ子の部分から生じます。
それは本当に竹を割ったような明快さで、スパッと手放しが起きます。
手放しが起きたあとは、それまでその考えに囚われたことがウソのように、どうでもよくなるというか、
気にならなくなってしまいます。
なお、一回の気づきで完全な手放しが起きることは少なく、複数回の気づきを重ねていくうち、
段々と手放しが進んでいくというパターンの方が多いと思います。

もう一つの例としては、受け入れによる手放しです。
握りしめている考えや、その考えに関連した状況に対する受け入れが出来たとき、
その考えに対する手放しが起きます。

139慧空:2014/11/01(土) 20:02:38
>>131 まきりんさんへ

思い出したのですが、私もハートの自覚ワークをやっていたとき怒りのようなものがありました。
私の場合は、自分自身に対する激しい怒りというか、破壊衝動でした。
私は根っ子の部分で、私という自我を憎んでいたんです。
自分が空しく苦しい行程を延々と続けてきたのは私という自我のせいだと思っていたのです。
なので、その苦しく不毛な行程の根源である自我に対して、私は凄まじい憎しみを持っていました。

そういう訳で、私はハートの自覚ワークのとき、その怒りや破壊衝動をそのまま、
ハートにある私(自我)にぶつけていました。
「焼き尽くしてやる」とか、「ぶっ壊してやる」という意識のエネルギーをそのままハートの自我にぶつけていました。

そんな感じです。

140みどり:2014/11/01(土) 20:32:23
>>138慧空さん、私の質問シンプルだから、返答にご尽力頂きまして、ありがとうございます。

私は、それまでの思い込みが取れる時、あーそうかと気づきが訪れ、辛い、酷なことなど、受け止め、受け入れ、府に落として来ました。

その時にこの世に出てきて着いた思い込みは、もうなくなったから、これから前世のことがでてくるのかなと思ったもんです。

正直なところは、最初から過去世のことなのかもとも思うし、そこは、わかりませんけど。

141慧空:2014/11/01(土) 20:53:52
>>140
みどりさん、こんばんは。

>私は、それまでの思い込みが取れる時、あーそうかと気づきが訪れ、辛い、酷なことなど、受け止め、受け入れ、府に落として来ました。

はい、よく分かります。


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