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2022/6/12 ヘーゲル「法の哲学」と共同性の倫理

1おぐす:2022/04/26(火) 09:45:29
産業革命以後の近代における資本主義という経済システムと国民国家という共同性は、ことのほか汎用性が高く、思考実験や小規模なコミューンを除けば現実的なオルタナティブは見当たりません。資本主義も国民国家も地域限定的にはどのような政治体制とも共存しうるポテンシャルを蔵しているようです。
当面、わたしたちは市場というシステムと国民国家という共同性の外部で生きることは甚だ困難であろうと思われます。「法の哲学」を契機として、近代のパラダイムともいえる自由、所有、権利、が成立する根拠を、いわゆる近代家族、市民社会、国民国家という共同性から眺めることができればと考えています。
大部の著作である「法の哲学」の詳細なテキスト解釈は目的ではありません。「法の哲学」の構成に沿って、著者の意図や要旨をたどるかたちで梗概の提示はしますが、ヘーゲルに固有の用語や概念に拘泥することなく、基本的には参加者が各々の言葉で自由に発言してくださればよいかと思います。

2ウラサキ:2022/04/26(火) 11:01:46
「国民国家」は nation state の和訳だと思うのですが、意味がよく分かりません。
他民族の米国やシンガポールも国民国家と呼べるのでしょうか?
又、現在、世界には国民国家以外の国家は存在するのでしょうか?
昔のローマ帝国やソビエト連邦はどうなのでしょうか?

3おぐす:2022/04/26(火) 11:32:29
ウラサキさん、今から数日パソコンから離れざるをえず、これから数日あわただしいので簡単に。

nationという言葉がnationarismと結びつくのは近代世界の形成過程においてであり、近代における人間の存在様式は基本的には近代国家の国民といえます。
古代のローマにおいては市民という身分はありましたが、これも近代市民社会の構成員である市民とは存在様式が異なるでしょう。
ロシアの前のソビエト連邦も当然のことながら国民国家ですね。
国民や国家や民族のとらえかたは国民主権、国家主権とのかかわりで述べる必要がありますが、主権という概念が成立した歴史的背景も考慮しなければなりません。

ウラサキさんの質問はとてもよい質問だと思うので、数日後、時間ができた時にあらためて述べることがあるかもしれません。今は失礼しますね。

4ウラサキ:2022/04/26(火) 13:13:33
あと「共同性」という語もあまり馴染みがありません。
御教示頂ければ幸いです。
「共同体」や「共通性」なら分かります。

5おぐす:2022/05/01(日) 15:33:53
ウラサキさん、お待たせしました。自宅に戻ったので、数日前にウラサキさんの質問にざっと応えた内容を補足しておきます。さしあたって「国民国家」と nation state の翻訳について少しく個人的な観点から述べたいと思います。英語と日本語を対応させるに際して、戦後の日本人にとって比較的なじみもあり、しかも公的な文言として国家を規定してきた日本国憲法の英訳を参照してみます。占領下において公布された日本国憲法の成立過程においては複雑なものがありました。短期間ですが占領軍と日本政府の間で緊張した交渉の往還があったでしょう。私見では、だからこそ英語と日本語の対応については当時の両国の高い知性が反映されていると考えられるからです。

自宅を離れている間に日本国憲法の英文を眺めていました。ウラサキさんも御承知でしょうが、くだんの日本国憲法においては、「国民」はほとんどthe peopleまたはthe Japanese peopleと翻訳されています。ただ唯一例外的な箇所でnationが使われています。その部分が、いわゆる前文における「諸国民(all nation)との協和による成果と…<中略>…ここに主権が国民(the people)に存することを宣言し、この憲法補確定する」の件りですね。憲法前文でnationが用いられているのはこの箇所だけです。前文ではなく全文ではどうなのか、ざっと目を通した限りでは確認できません。どうやら日本国憲法では国民の英訳はpeopleが該当し、文脈によって例外的にnationが採用されているようです。

その例外的なnationなのですが、英語のnationはラテン語のnatioに由来するようです。ローマ人はこの言葉によって日常的には「他者、外部の者、外国人(ローマ市民の資格を持っていない)」を示していました。れっきとしたローマ人は自分たちをnatioとは言わずpopulust(cf.people)やcivitas(cf.citizun)と呼び、natioは時に軽蔑や罵りの対象となる人の呼称でもありました。古代ローマでは一般的には同じ地理的領域出身の外国人集団をさしてnatioを用いたわけです。日本国憲法の国民(people)と「諸」国民(nation)との関連を考えてみると面白いですね。
国民国家とは何かと問われれば、民族的、歴史的、文化的一体性を有する国民が政治的秩序の能動的主体として立ち現れてきた歴史的段階における国家の在り方ということになります。ちなみにnation stateの「state」もなんら普遍的な用いられ方ではなく、特殊近代的な国家概念であることを念頭に置いておくといいかもしれません。

国民国家はその本質から、冷徹な官僚制とも独裁制とも全体主義とも共存できます。誤解されやすいのですが国民国家と民主主義の成熟度は重なり合うものではありません。秦の始皇帝とヒトラーの独裁とでは違いますよね。全体主義の独裁者は国民政党を基盤に大衆の自発的な支持を獲得することによって権力を得ています。大衆運動は全体主義を支える基本的な構成要素です。独裁は必ずしも民主主義と矛盾するものではありません。
補足になりますが、近代以降の国民国家の形成過程においてnationは初めてnationalismと結びつきました。この場合nationalismがnationを創出したのであってその逆ではありません。共同体におけるnationalismの観念が先行することによって、古代ローマのnatioとは異なる近代的なnationが形成されたのです。Nation及びnationalismの形成過程については西欧の絶対主義国家の成立、日本の近代における国民意識、アジア、アフリカ地域と欧米の植民地主義とも関わりがあります。これについての説明はウラサキさんのご要望があればさらに詳しく述べますが、あまり長くなってもどうかと思うので、今回はここまでといたします。共同性については後ほどにしますね。

6ウラサキ:2022/05/01(日) 19:27:10
おぐすさん、詳しい解説有り難うございました。

つまるところ、近代の国家はすべて国民国家である、という認識ですね?
面倒なので「国民国家=国家」と脳内変換させて貰ってよろしいでしょうか?

7おぐす:2022/05/03(火) 11:56:21
ウラサキさん、近代の国家がすべて国民国家であるとはいえません。
近代においてもnationの形成とは無縁の専制国家や、そもそも帰属意識が希薄な王国もあったでしょう。nationの成立は世界史的にみて地域差や濃淡があります。現代にあっても国家のnationの同質性は脆弱で、武装集団のクーデターによる政権や、複数民族による内戦で多くの難民の出現する国家等ではnationを維持することは困難でしょうね。
「国民国家=国家」としてしまうのは文脈によって語弊の生じる懸念もあり、自分ごとなら却って面倒な気もしますが、脳内に限定すれば何事も(信仰も犯罪も)個の無規定な自由なので、脳内変換はお好きになさればよいと思います。

8ウラサキ:2022/05/03(火) 20:30:28
おぐすさん、
現在の「国民国家で無い国家」を例示して頂ければ、イメージし易いかと思います。

9おぐす:2022/05/04(水) 09:07:57
ウラサキさん、
私の過去の記憶では、ソマリアやジンバブエ等のアフリカ部族国家や、バルカン半島の旧ユーゴスラビア周辺のボスニアやコソボを含む地域には、国民国家としてのnationの維持に苦慮している国もあるかと推察します。私は国際政治学の専門家ではございませんので、当然のことながら現存する国々の実態まで承知しておりません。国民国家とnationの概念は教えて差し上げたのですから、ご自分でネットの検索でも使ってお調べになってごらんなさい。

10ウラサキ:2022/05/04(水) 11:14:20
Wikipediaの日本語版の「国民国家」の解説が要領を得ないものでしたので、英語版で"nation state"を調べて見たところ、
multinational state(多民族国家)、city-state(都市国家)、empire(帝国)、confederation(連邦)、federated state(連邦国家?)と対比して説明されていて明快でした。
ただこの定義ですと、おぐすさんの定義とはズレてしまうのではないかと心配です(^^;)

11おぐす:2022/05/04(水) 18:12:31
ウラサキさん、心配なさるには及びません。ウラサキさんの炯眼によって明快と思われる内容を採用されたらいいと思います。
以下はわたくし事です。Wikipediaの記述については出典や文献が参照されず、複数の書き手による上書きで真偽混在している内容も多々あります。私は真偽をきちんと腑分けする見識もないのでWikipediaを事典の代替には用いません、論考の考察もいたしません。よって私の論述で披露した概念とWikipediaの内容がずれていても関知しません。そもそもWikipediaは学術論文への引用はもちろん、脚注や参考文献としての掲載も認められておらず、記述内容はネットの検索情報と同じ扱いです。それらを踏まえたうえで私は初手からWikipediaは参照しません。検証し活用するリテラシーも時間も私にないからです。
しかしながら当然、個人的に誰がどのようにWikipediaを利用し活用なさろうとも自由です。なので話は戻りますが、ウラサキさんの炯眼によって明快と思われる内容を採用されたらいいと思います。

12ウラサキ:2022/05/04(水) 19:34:36
日本版のWikipediaは参考になりませんでした。
英語版を読んで、ある程度 nation state の意味は把握出来た感はあります。
ただその定義はおぐすさんが使用する「国民国家」という用語の用法とは異なるのでしょう。

13おぐす:2022/05/07(土) 14:38:24
備忘録の体で「共同性」について以下、簡単に記しておきます。
「共同性」は社会学方面の論考ではふつうに馴染みのある用語。端的にいえば「共同性」とは或る共同体の構成員が何らかの価値を共有している関係のあり方。何らかの価値とは明確に言語化されていない「エートス」のような生活感情あるいは集合的無意識も含む。手元の社会学辞典(岩波版)によれば「共同性は社会学の最も中心的な焦点であり続けてきた」主題であり、デュルケムによれば共同体は「共同性の実現が期待される空間」としても言及されている。「共同性」に固有の意味内容はない。国家のような政治共同体はもちろん、現代では「キブツ」のような生活共同体、あるいは宗教的な共同体、芸術的な共同体、など多様な共同体が考えられるが、各々で共有される「共同性」は異なる。「共同性」の可能性はアーレントや見田宗介に代表される独自の考察もあるが、近年では「公共性」との関係も含めて、地域共同体の中で新たな「共同性」のあり方が考察、提言されている。

14ウラサキ:2022/05/07(土) 15:40:05
おぐすさん、解説ありがとうございます。
手短に言えば「共同性=共同体の性質」でしょうか?

15おぐす:2022/05/07(土) 16:39:07
ウラサキさん
「共同性=共同体の性質」はいかがなものでしょうか。
ことさら「手短に言う」必要もないと思いますが、ウラサキさん流によきに解釈してください。


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