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第5章

1YS:2012/07/29(日) 12:10:04
火曜(ぐらい)までは、p. 110までに限定された議論ということでよろしくです!

p. 110までは、中世哲学の基礎の理解という意図から、
アウグスティヌスとボエティウスの話から開始されました。
ボエティウスが中世哲学の礎(文法)を形成したのは、
よくわかりましたが(しかしこれも間接的であって、
直接的にはアリストテレスの範疇論と命題論ですが)、
アウグスティヌスがどのような基礎を提示しているのか、
よくわかりませんでした。

この章の後半を読んだらわかる内容なのでしょうか・・・

アウグスティヌスの信仰の話も、どちらかといえば、
プロテスタント的な話へと収斂させている印象
(不安をかかえたわたしと神とのかかわり)を抱き、
やはり中世哲学のどのような基礎になっているのか、
わかりませんでした。

ただどちらの話もおもしろかったです。
特にボエティウスにかんしては、ほとんど知らなかったので、
いい機会をいただけました。

2OR:2012/07/29(日) 18:36:39
>アウグスティヌスがどのような基礎を提示しているのか
たしかに、まだこの部分では明示されていませんね。
(もちろんアウグスティヌスが中世哲学の基礎となったのは疑うべくもないですが)
とりあえず保留ということで…

僕もボエティウスについては全然知らなかったので勉強になりました。
(実は今年のkwbr先生の授業はトマスのボエティウス註解を読む授業なんですが、エスケーp…
ゲフッゲフン…諸事情によりご遠慮させて頂いたので)
それから、cogito ergo sumの元ネタがアウグスティヌスというのも初めて知りました。

ボエティウスのことなんて、名前(の一部)が「アニキウス」っていうぐらいしか知りませんでした。
ボエティウス兄貴オッスオッス!

3YS:2012/07/30(月) 20:29:15
>cogito ergo sumの元ネタがアウグスティヌスというのも初めて知りました
岩波のジュニア新書の『ヨーロッパ思想入門』(岩田先生著)で知って以降、
これに言及した著書に接したことないです
こちらの著者と似たような説明で、岩田先生も動機の点ではちがうから、
まちがえんなよ?みたいな論述だったような。

>アウグスティヌスが中世哲学の基礎
トマスの神学大全、ラテン語初学者にとってはうってつけのテキストではありますが、
油断するとアウグスティヌスの文章をひっぱってくるときがあり、その場合だと、
途端に難易度があがったのも、いい思い出ですな

>kwbr先生の授業はトマスのボエティウス註解を読む授業
ボエティウスの残した仕事って、アリストテレスの命題集と範疇論の翻訳と注釈ですよね
となると、間接的にはアリストテレスの注釈の注釈という仕事になるのですか?
なんだか、中国の思想史で聞いたような話になってるな・・・
ってか、やっぱり人間ですもんね。似たようなことやりはじますよね・・・w

4OR:2012/07/31(火) 22:31:54
たしかにアウグスティヌスは読みにくくて困りますね。
でもなぜかkwbr先生はラテン語初級授業で、文法ひととおり終わった後に即『告白』の序文を
読ませるという…
Magnus es domine...から始まるんですが、まずそこで2人称なんて久々に見たよ!っていう…

>ボエティウス註解
なんか、ボエティウスの三位一体論?かなんかの註解を読んでるらしいです。
でもたしかに注釈の注釈の注釈の……みたいなのはやめてほしいですよねw
あと孫引きの孫引きの孫引きの……とかもやめてくだち…!

5YS:2012/08/01(水) 20:05:58
>文法ひととおり終わった後に即『告白』の序文を読ませるという…
以前はよく、少数精鋭という言葉を気に入っていたらしく、よく口に出しておりましたが、
その理屈で篩い分けするには、絶好のテキストかもしれませんな・・・
そこまでして篩いにかけるメリットって、残った側の自尊心の高まりぐらいなものでしょうか・・・w

って、やっと後半部も読み終わりました。
p. 111の真ん中に、「物質的には、ことばは「文字」であるよりも先に、「声」である」という
文章がありますが、ここでの「物質的」というのは、どういう意味なのでしょうか?

実在的な文字が、紙とそこに付着した一定の形を有するインクということであれば、
実在的な声とは、空気とそれへと働きかける力による振動といった感じで、物質的な声とは
ずばり空気の振動という了解でいいのでしょうか?

普遍論争と哲学の表現形式は面白かったです。
特に中世哲学にかんしてはまったくなじみをもたない者にとっては、面白かったですね。

アウグスティヌスにかんする言及は特にありませんでしたが、中世の哲学者はたいてい引用しているし、
信仰にかんする議論ではおおいに影響をあたえたのはいうまでもないしょ!って了解ぐらいで
よろしいのでしょうかね。

院生の頃、ディスコミュニケーションがおおくて、わたしもまた、言葉というものが実在性をもたず、あるのは
個々の個別的な言語しかないんじゃね〜の?って思っていた時代がありました―いまもそうかもしれませんが、
それほどやろうとしていることややっていることが異なると、ぜんぜん議論ができない先生がたや先生と学生たちの
コミュニケーションをみてきた経験からそう思った次第です。
ですがこの立場をとると、じゃ〜なんで、いつもではないにせよ、たまに意味の共有とかコミュニケーション(unioが強いほう
の意味で、つまり一致です)が成立できるの?と問われると、偶然か神か、どっちかしか、ひっくり返していえば逃げるしか
できませんでしたが・・・w

普遍論争で問われてきた問題って、ぶっちゃけ今でもふつうに問われうる、あるいは問われるべき問題ですよね。

これからさらに詳しい説明がありそうなので、それに期待ですな。

6OR:2012/08/01(水) 22:53:06
うぽつです。
今回トマスの話が出てきて、授業エスケープした罪悪感がまた疼いちゃいましたが、
僕は「精鋭」じゃないので出なくていいですよね…!?

>物質的
僕もYSさんと同じように理解しましたが、「文字」のほうのことばについては後に出てきていない
ので、この箇所はどういう意味だろう?とは思いましたが…

>アウグスティヌス
確定的に明らかすぎて特に書かなかったんでしょうかねえ。

>普遍論争
たしかに分かりやすくて面白かったですが、ここだけ読むと、じゃあ唯名論だけでいいんじゃ
ないの?実在論にしないといけない理由って、キリスト教の都合ってだけなんじゃないの?
とも思えてしまい。
これ以降kwsk説明されることに期待ですね。

>ディスコミュニケーション
実はたまに成立しているコミュニケーションも実はみせかけのものにすぎないという可能性は…
いやいやそんなこと考え始めたら色々ドツボなんでやめときますがw
でも十全な意思疎通がこれほど難しいという現実から考えると、唯名論の肩を持ちたくなるような。

7YS:2012/08/02(木) 12:34:55
>エスケープした罪悪感
おなじ分野の先生なのに、おれなんて2年間しか顔だしてないし、大丈夫かと・・・w

>「文字」のほうのことば
ここですでに述べたかもしれませんが、筆記等の手を使う仕事って、汚れ仕事の一種って
捉えてた集団ですよね、かれらって。
たしかに「文字」のほうはどういう扱いになっているのか、興味ありますね。

>実在論にしないといけない理由って、キリスト教の都合ってだけなんじゃないの?
普遍論争にかんしては教科書的なことしかしらず、そのかぎりで読んだらそういうものだったのかと
納得しておりました。
もし仮に後述される内容にせよ、もしキリスト教側の都合だけじゃなかったら、そのことも
補足しておいてほしいですな。読書会だからこ継続して読めているのであって、おれみたいな飽き性だと
実在論は唯名論側から吹っかけられた論争に対して、キリスト教を擁護するために論陣を組み立てられたって
認識しちゃって、それで終わりだったでしょうね。

>十全な意思疎通がこれほど難しいという現実
あいづちとかって、会話の潤滑油になってるっぽいからおれもよくうっておりますが、
話し手からしたら同意やら理解のあらわれとも捉えることのできる身振りですよね。
しかし、こちらは同意やら理解の表現という意図がなかったとき、すでにここでも・・・

唯名論と実在論の論争史は楽しそうですね。
YMUC先生の、ちょー有名な著書を読めって話になるかもですが・・・w

8OR:2012/08/04(土) 15:34:29
>筆記等の手を使う仕事って、汚れ仕事の一種
ええええそこまで徹底してたんですか…!?
たしかに写字生って奴隷がやってたこともあるらしいですけど。

>キリスト教側の都合
この後の箇所で触れるかもしれませんが、たしかにちゃんとフォローしておいてほしかったですね。
これだと、キリスト教が哲学の発展の妨げになってるように読めちゃいますし。
(著者の方はそう思ってるからフォローしてないだけだったりして)
この箇所だけ読むと、なんというか(非常に失礼な言い方ですが)キリスト教が、
「ち、違うもん!神様はいるもん!ロゴスだってちゃんとあるし!」って駄々こねてるみたいにしか
見えなくて…これは……

>あいづちとかって、会話の潤滑油になってるっぽいから
ありますねw
相手の発言に気なるところがあっても、いちいち会話の流れをさえぎってそこを聞くのも悪いし、
分かったふりを装っちゃうときがけっこうあるんですが、もちろんそれはそれで支障をきたすこと
があって、結局「すみません、さっきの○○ってどういうことですか?」って聞くはめになるという
アホっぽいことを何度も繰り返しちゃって生きるのがつらいです。

9YS:2012/08/06(月) 17:58:37
>キリスト教が哲学の発展の妨げになってるように読めちゃいますし。
もちろん著者はその意図をもたないでしょうし、ORさんもそのことを重々承知の上での発言で
しょうが、そう読もうとしたら、そう読むのは十分可能な文脈でしたねw
でも、おもしろい問題ですよね。
言葉と実在が対応していないのだとすると、普遍者をしめす「人間」やら「神」という言葉がなぜ
区別して用いることができるのか。それぞれの実在に対応していないのであれば、「人間」と一般
にいわれているものを「神」と呼称してもいいことになりそうですが、このあたりの問題はアベラー
ルの見解だとどのようにクリアしているのか、興味深い問題ですね。
「ここにAはない」という文も、結局は「ここに」という限定が重要であるという印象をもちました。
そもそも「Aというものは存在しない」という文だと、Aという言葉が一般的に流通していない単語であっ
た場合は、それはナンセンスな文章になる気がする次第です。
でも唯名論だと、言葉と実在は切り離されているから、Aという記号に「ほんちゃこ」ということばをいれても
問題ないことになり、それは一般的に流通している単語(たとえば「ねこ」)と同様に有意味であるということに
なっちゃうのかしら?
なりませんよね・・・w
なぜなにもないではなく、なにかがあるのか。
この存在論的問いを、唯名論の立場からだとどのように答えることができるのか等、かなり面白い歴史ですね
普遍論争って。

>いちいち会話の流れをさえぎってそこを聞くのも悪い
会話のリズムを崩されるのを嫌うのか、怒りはじめるひともいるのよw
おれもそうかもしれませんがw
ひととひととの対話って、単純な意見交換に集約できずに、いろいろ雑多な要素が混じり
こんでくる(社会的な上下関係や人間関係一般など)のが、面倒くさくてかなわないです。
でも感情的な部分に担われた人間の進化を担ってきた重要な要素なんでしょうね。
連帯感やら親近感やら、個人では弱くとも結束するときの力って感情的要素が決定的な気がします。
あ〜でも、うぜーwめんどいのも確かですわw

10OR:2012/08/09(木) 21:18:41
>「Aというものは存在しない」
そのお話で思い出したんですが、、院生室のホワイトボードに軽井沢でやる某研究会の
日程が書かれてたんですが、その下に「参加すると絶対無がもらえます」って落書きされてて
噴きました。
「Aというものは存在しない」というのも色々考えさせられますが、「絶対無がもらえる」というのも
どういう事態なんでしょう…w

>いろいろ雑多な要素が混じりこんでくる
院に入ったとき貰った、研究者倫理が云々とか書いてある下敷き?に、「教授も院生も研究に
おいては同じ研究者として立場は対等です(キリッ」みたいなことが書いてあったんですが、
ほんとかー?ほんとにそうかー?と大いに疑問です。

>感情的な部分に担われた人間の進化を担ってきた重要な要素なんでしょうね。
人間の脳には、「人を憎むのはいけないことだよ!」というプログラムがある一方、
「でもルールを破ったヤツは徹底的に憎んでやろうぜ!」というプログラムがあり、後者の
プログラムが人間社会の発展に大きく貢献してきたとかなんとかNHKでやってました。
なにこの業が深い生き物…

11YS:2012/08/11(土) 16:35:44
>「絶対無がもらえる」というのもどういう事態なんでしょう…w
所有の対象になってるのかw
対話術が弁証法という概念の運動史になってしまったのと似ていますね。
実践的概念から、いつのまにやら概念の方へ特化していった結果なのでしょうね。
諸般の事情により参加することになりましたので、絶対無とやらをもらってきますわw

>同じ研究者として立場は対等です
いろいろ雑多な諸要素が混じりこんでくるうえに、さらに本音と建前の世界もありますよね。
人間って、愚かしいことをするときは、とことん愚かしくなりますな。
「研究者倫理にそむく行為が発覚した場合、社会的に優位に立つ教授たちは、優位に立たない者を
とかげの尻尾のようにあつかうことがあります。しかしこのことは社会的に正当化されえるのです。
なぜならば、教授は社会的ステータスが高く失うものがおおすぎるのに対して、そこまでたどり着けていない者は
ここで問題なかったとしても、重責あるポストに座れるか限りなく怪しいからです。
したがって重責ある仕事に着手できる者は、大事にしなければなりません云々」とかいってくれたら、
かえって小気味がいいわw
いや、かなりムカつくかもしれませんね、実際のところ・・・

>「でもルールを破ったヤツは徹底的に憎んでやろうぜ!」というプログラム
明文化されているルールならこちらも回避しようがあるのですが、明文化されていない、
暗黙の了解になると錯綜としてきますよね。
とりわけ個人的なつきあいになればなるほど、暗黙の了解というルール構築のほうが比重がおおきくなり
こっちは同意していないルールがいつのまにか(暗黙だから当然といえばそうなのですが)できあがっていて、
喧嘩のもとになったり・・・
いわなくてもわかってよ、と、いわないとわからないじゃない、のふたつの世界の翻訳がいまだに十分にできないのですが・・・

12OR:2012/08/15(水) 06:51:02
>絶対無とやらをもらってきますわw
ちなみに、大・中・小からお好きなものが選べるらしいですよw

>かえって小気味がいいわw
>いや、かなりムカつくかもしれませんね、実際のところ・・・
イラッとはしますが、同時に、やだ…良心的……とも思いますねw
岩波書店が「コネがある人しか採りません」って言ったときも同じようなこと思いましたが。

>いわなくてもわかってよ、と、いわないとわからないじゃない、のふたつの世界の翻訳
しかもそれに、
言われてないけどわかってるよ(ドヤァ… → いや全然違うんですけどそれ…
言わないとわからないだろうから言ってやんよ! → ハァ?それくらいわかるんですけど馬鹿にしないでよね!
という状況がプラスされてこれは…

13YS:2012/08/17(金) 19:36:20
>岩波書店
こことNHK出版は、新書系でも読みやすく、それでいて信頼できるものを量産しているから
結構信頼度がたかいのですが、岩波は著者選びでも相当偏ってますな・・・
しかしこの業界、徹頭徹尾、コネですよね。
単著公刊もコネの産物なら、ある椅子に座るのもコネの産物。
某非常勤のかたにお話しをうかがう機会があったとき、ミクシィーでのやり取りから著書公刊にまで
たどりついたことがあったという話がでてきて、それを聞いたべつのかたが「いまはミクシィーで
本が出版される時代なのか」というオチをつけておりましたが、なんともかんとも。
そのかたは、単著3冊公刊しており、論文は50以上公表しておりますが、いまだ非常勤・・・
コネがないの一言でカタがついちゃうのも、ぶっちゃけ、どうなのよこれ・・・w
かたや、お笑い芸人のごとく学生にはウケがいいけれども、公表した論文はまるで文章になっておらず
意味不明な文が散在しているひとでも、コネがあるだけで・・・
このひとって、難解な文章を書くひとがみたら、今にして思うと、ウケがよさそうですよね。
どちらも、その文章に接した読者からの反論や批判を拒絶しようとする構えが共通してますな。

>という状況がプラスされてこれは…
その話接したら、かつての院生室でのはなしの区切りをどこにおくのかという問題を思い出しました。
いういわないを管理したうえでのコミュニケーションって、話の場をどこで区切るかの管理の問題と
似た面倒くささがありますな。

14OR:2012/08/31(金) 18:51:06
またもやレス遅れてすみません!

>しかしこの業界、徹頭徹尾、コネですよね
他に色々な要因はあると思いますが、この業界の場合、「知ってる人だからいっか☆」みたいな
ノリで採用することが多いからそういうことになるのでは…と最近は思うんですがどうでしょう。
実際、「この人がどれだけすごい人なのか」って、同じ分野じゃないとすごく分かり難い世界ですし…
全然知らない人採るよりは自分の息のかかったものを(とまでは言いすぎでしょうけど)のほうが
いいかな、みたいな考えになるのはしゃーなしなんですかねえ…

>はなしの区切りをどこにおくのかという問題
最近気付いたんですが、お茶飲み終わったカップを洗いに行くとなぜか会話が収束に向かう
ような気がします。(別に、会話を終わらせたい気がなくて純粋にカップを洗ったとしても)
そのメカニズムはよく分かりませんが。
心理学の人なら説明してくれるのかも…


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