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第1章(pp. 4-19)

1YS:2012/06/02(土) 14:25:01
わたしの方の疑問としては・・・

一般の人々にむけて中世哲学がわかりやすい形で説明されてこなかった理由の箇所で
第一は、十分な研究がまだできていないという点が挙げられていますが、第二以降が明記
されていない点にかかわっています。
第二の理由は、「キリスト教がつくる壁」という解釈でいいのかどうか。p. 10の中央部で「何についての
書物であれ、読者にたいして不機嫌な印象をもたらす」云々の箇所が、第二の理由を説明しているとかんがえ、
こう解釈したのですが、あまり自信がないです。

この箇所でのキリスト教がもつカルト的性格という議論はおもしろかったです。
わたし自身の研究にもたぶんに重なりあうのが、その理由です。
ただ10頁の中央の箇所の、「カルト的性格というのは、(中略)行為である」という文章、これは問題的ですよね。
性格って、行為なのか・・・w
ここの文章自体、カルト的性格の定義を与えていて重要な文章なはずだからこそ、述語の箇所を丁寧に表現してもらいた
かったです。

いろいろと示唆的な内容をおおくはらんでいて、言い足りないことがたくさんありますが、それは議論が進むなかで言及
させていただきまする。

でも、最後にひとこと。
この章の最初の箇所で、修道院の生活に言及してある箇所がありましたが、そこを読んでいたらかつての院生生活がありありと想
起されました。
実際に、かれらとわれわれのあいだには世界観等のちがいがあるにせよ、似たような生活をしているひとに、ひとはなぜかくも親近感を覚えるんでしょうかね?w

2OR:2012/06/06(水) 15:44:04
遅くなってすみません。やっと読めました。

>第二の理由
僕は、「第一の理由」とは、第二、第三、……と続くという意味での
「第一」ではなく、「もっとも主要な、まず一番はじめに言っておきたい」というような
意味でそう言ったのだと解釈したのですが如何でしょうか。

>カルト的性格
僕もこのあたりは引っかかりました。
宗教社会学などで使う専門用語としての「カルト」というわけでもないようですし
(このへんのことはmrkmさんにご教示賜りました)、もうちょっとちゃんと定義して
「カルト的」と言って欲しいというのは同感です。

それから、今回の箇所で、円としての歴史のくだりでなるほどと思いました。
円というと、なんとなく仏教の専売特許のような先入観がありましたので…


>修道院の生活
kwbr先生が以前、「修道士だって3人以上集まれば色々あるからね」と仰っていたことも同時に思い出し、
つい脳内で不謹慎な修道院エミュレートを行ってしまいました。

3YS:2012/06/06(水) 20:13:19
>>第二の理由
>僕は、「第一の理由」とは、第二、第三、……と続くという意味での
>「第一」ではなく、「もっとも主要な、まず一番はじめに言っておきたい」というような
>意味でそう言ったのだと解釈したのですが如何でしょうか。
たしかに、「主要な」という意味で捉えたほうがいいですね。
理由としては、「第二の」というかたちで続く文章がそもそも見当たらないという点を指摘できます。

>宗教社会学などで使う専門用語としての「カルト」というわけでもないようですし
ここは、僕は「日本語」で日常的に使われている用法に、作者独自の定義をあたえたことばとして捉えておりました。

でも、専門用語の視点で補助線をひくのも、おもしろそうですね。
cultって、もともとcultus(耕作)からきてて、聖ベネディクトゥスが修道士に畑仕事をする義務を課したことと関係して
いる言葉ですよね?cultusは、その一方で文化cultureの語源にもなっている言葉だし、なんか夢というか妄想が広がりまくりんぐ

・・・と思ってcultを英語辞典で調べてみたら、cultus(崇拝)ってなってて、夢というか妄想さっそくオワタ\(^o^)/

いや、最近読んでたアドルノは、文化と産業が古代ギリシャ以降の啓蒙の歴史の延長線上でみるとみっせつに接合しているってことを『啓
蒙の弁証法』で解き明かしてて、さらに『本来性の隠語』って書物だと、本来性を崇拝する者たちの閉鎖性、低俗さをラディカルに批判してい
るのだけれども、それの影響か、文化と宗教をより基本的な部分に還元して統一的な説明がもしかしたら与えられるんじゃないのかって、勝
手にドキドキしちゃってたから・・・;;

まま、でも、カルトって言葉にかんしては、専門用語の意味を前提にして使用している可能性も現段階だと否定できないので、現状ではペン
ディングしておいて、この問題にかんして説得的な理由が提示できそうな箇所がでてきたら、また話題にだしてみましょう。

宗教社会学における専門用語としての「カルト」って、どういう意味なの?できればkwsk
というか、YMNK先生にはすごく失礼な問いになってしまうのかもしれませんが、ディシプリンとしての宗教社会学って、宗教学全体から結構知名度というか
容認ないしは認識されているのですか?
このあたりの事情もよくわからないので、教えていただけると、うれしいです。

4OR:2012/06/08(金) 03:48:06
すみません、言っておいてなんですが、僕も宗教社会学の「カルト」はよく知りません…
宗教集団の類型の一つで、他にセクトとかチャーチとかデノミネーションがある、ぐらいの
理解しか…

ymnk先生には申し訳ないのですが、宗教社会学は宗教学の中でも社会学の中でも
わりかし中途半端な位置にあるらしい、とはymnkゼミの方々から聞いたことがありますし、
「カルト」って言葉が宗教社会学に沿って使われることはあまりなさそうですね。
実際、フランスではカルトはセクトとほぼ同義に使われてるとか…

ただ、こういう専門書の著者が「カルト」と言った場合、日常遣いの「カルト」とは
違うのかな?と変な勘繰りをしてしまいます…
そもそも日本語で日常的に使われている「カルト」も、かなり杜撰に使われてる感がありますし。
(「熱狂的に何かを崇拝しているちょっとアブない感じの集団」みたいなニュアンスでいいんですかね?)

カルトがcultusから来ているというのは面白いですね。
ちょっと調べただけですが、もともとcolo(>cultus)には「世話する」という意味があり、そこから、
(畑の)世話をする → 耕す
(神様に仕えて)お世話する → 崇拝する
という意味が派生したらしいです。

ベネディクトゥスが畑仕事の義務を課したお話も興味深いですね。
よろしければkwsk教えてください。

5YS:2012/06/08(金) 23:24:43
>ただ、こういう専門書の著者が「カルト」と言った場合、日常遣いの「カルト」とは
>違うのかな?と変な勘繰りをしてしまいます…
よろしい、ならば戦争だ!

「カルト的性格というのは、「自分たち」は「かれらとは違う」という意識を、一般の人々のうちに
流す行為である」(p. 10, l. 10-11)
「カルト的性格は、Xという意識を、Yのうちに流す行為である」というのは、すこし変な文章だから、
「カルト的性格によって、Xという意識はYのうちに流される」、したがって「カルトというものは、
Xという意識を助長させる性格をもつ」というようにすこし文章を変えて解釈しますが、要約しちゃうと、
カルト的性格というのはXの内容、すなわち、「われわれ」と「かれら」の差異の意識の助長ということになりますよね(助長は余分かな?)。

で、YS解釈によると、この定義は作者独自のものである。
たいしてOR解釈によると、この定義はほかの専門家ないしはディシプリンに依拠している可能性が高いと予想できる。

もし、こういう対立が成立しているのであれば、まずは、「専門家」観の点を争点にしたいかな。
専門家であるならば、自分のかんがえや定義でないのならば、出典を明記すべきである。なぜなら、剽窃という問題が生じやすいからである。
というのが、おいらからの反論になるかな。
でも、もちろん例外的な場合もあります。たとえば、「実存哲学は大衆の同調圧力や流行現象に抗して自分らしさの発揮を促す哲学である」という
文章の場合、このかんがえはキルケゴールやヤスパース、そしてハイデガーなんかにも共通していて、いちいち明記させるのは愚かしいぐらい、一
般的に流布されたかんがえであると作者がみなしている場合なんかは、いちいち明記させませんよね。いわゆる「周知のとおり〜である」という文章なんかだと
こういう感じが顕著ですよね。
中世やっているひとからだと、「カルトは他者との差異を鮮明化させる特徴をもつ」というのは、常識的なことなのかしら?
う〜〜〜ん、ちがう気がする・・・w(漠然とした印象なので、テキトーは感想ですが)

でも、たしかに、おれの解釈も出典が明記されていないということに依拠して、上述の定義は作者独自のものであるというのは、
これはこれでかなり根拠薄弱よね。
やっぱり、現段階だと戦争するにはまだまだ準備不足な感じは否めないので、やめまするw

>ベネディクトゥスが畑仕事の義務を課したお話も興味深いですね。
>よろしければkwsk教えてください。
ヒント:リン・ホワイト『機械と神』、みすず書房のp. 65周辺
「労働することは祈ることである」
って、おいらのノートにメモがあったんだけれども、該当の著書が手元にない・・・w
東大震災め・・・ギギギ・・・
アリストテレスがエピステーメーを最上位に置いて、ついでポイエーシス、そして最後にテクネーを置く実践を導く
知のヒエラルキーを樹立して、アリストテレスそのものはヨーロッパからいったん忘れられたにせよ、おそらく、この
ヒエラルキーって民衆の偏見レベルではずっと根深く息づいてた気がするのよね。
「優秀なわれわれ(ヘレーネス)ギリシャ人は、エピステーメーとポイエーシスの実践をしますので、野蛮(バーバリアン)
なのにわれわれに負けたあなたがた奴隷はテクネーをお願いしますね^^」ってことよね。
現代の日本だって、野良仕事とすらいまだにいわれる畑仕事にたいする偏見は、ひょっとしたらまだ根深く残存している可能性も否めないよね。
そんななか、畑のお世話と神のお世話を等しく捉えようとしたベネディクトゥスって、なんていうか、やっぱりすげ〜よね・・・

6OR:2012/06/10(日) 16:49:30
>よろしい、ならば戦争だ!
あ、いや、僕も、この「カルト」の定義は作者の独自のものであるというのは同意しますが、
「キリスト教はカルト」なんて物騒な物言いするならもっとちゃんと定義してほしかったんで、
「何か他の専門家・ディシプリンに依拠してるならこのくらいの定義でもいいんだけどねぇ…?」
と意地悪に思って「変な勘繰りをしてしまう」と言ったんですが…

でも、せっかくなので抗戦してみますね。
と言いつつまずは
>この定義はほかの専門家ないしはディシプリンに依拠している可能性が高い
という解釈は取り下げます(卑怯)。

代わりに、「この「カルト」はむしろ日常遣いの意味」説を出します。
つまり、作者は、あえて「カルト」というある種インパクトのある言葉を用いることで、
「キリスト教はそこらのアブない新興宗教とは違って、ちゃんとした安全な宗教なんです!と
思ってる人も多いと思うけど、実際は違うよ!キリスト教もけっこうヤバいよ!」
ということを言おうとしてる、という可能性はどうでしょうか。

というか確かに読み進めていけばこのあたりも明らかになりそうですね…


>ベネディクトゥス
確認なんですが、cultusという言葉を信仰にも畑仕事にも使うようになったのって
ベネディクトゥスが最初なんですか?
ちょっとググってみたところによると、cultusは主にヘーロース(※信仰の対象になった英雄や下級の
神々のこと)への信仰を意味していた、みたいな話が引っ掛かったので、とすれば古い時代(少なくとも
キリスト教以前)から「神様のお世話」という意味があったということになると思うのですが?
ベネディクトゥスのおかげで、cultus=信仰/畑仕事 が一般的になったということでしょうか?

7YS:2012/06/12(火) 05:02:10
失礼、なんとなく書いてるときから、ORさんの立場を誤読してるっぽいというか、強引にラベリングしている自覚は
おぼろながらあったのですが、勢いで書いてみました。

>思ってる人も多いと思うけど、実際は違うよ!キリスト教もけっこうヤバいよ!」
>ということを言おうとしてる、という可能性はどうでしょうか。
わたしもその解釈に同意します。前文の「万人に開かれた」という解釈を示しておきながら、
次にはその反対のことを記述しているのが、同意の理由です。

>確認なんですが、cultusという言葉を信仰にも畑仕事にも使うようになったのって
>ベネディクトゥスが最初なんですか?
ベネディクトゥスの文献を読んだことないという点、そしてラテン語についてあまり詳しくない点を理由に
この問いについて、わたしから答えられることは数少ないです。
文献的ないしは、語源的な確証はとれておりません。

「聖ベネディクトゥスが修道士に畑仕事をする義務を課したことと関係して
いる言葉ですよね?」
8日のおいらの、この疑問文はよくなかったですね。付加疑問文のようで、いかにも同意をもとめる
疑問文の記述になっていますが、意味としては純粋な疑問で、ベネディクトゥスの思想とcultusの関係については
わたしの「仮説」なので、検証の必要がありあます。

よく、西洋の思想史ではテオーリアとプラクシスという区分が設けられていて、前者に価値が置かれ続けていた
ということの反証例として、ベネディクトゥスは前々から気になっていたのですが、なかなかページをめくる気力ガガガ
アドルノの文化産業論じゃないですが、神のお世話=高貴・高邁、野良仕事=低俗という区分が、当時の時代でも通俗的に了解されていたという
証拠でもとれたら、ベネディクトゥスの革新的な思考の一端もあきらかにできそうで、おもしろそうなのですが・・・

へーロース信仰との関係の話は、おもしろそうですね。信仰対象が下級の神々という点が、とりわけ興味あります。
この線の関係も気になりますね、cultusの「弁証法(笑)」的意味理解という点において、とくに。

8OR:2012/06/14(木) 03:45:00
あ、いや、「cultusの意味が崇拝と耕作にいったん別れてから、ベネディクトゥスが再統合した」
みたいな話だったら夢がひろがりんぐと思ったので…
是非だれかに検証していただきたいですね。

それから、読み直してみたんですけど、p.11に「宗教は根源的にカルトではない」とありますから、
やっぱりこの人は「カルト」を「熱狂的でヤバげな集団」みたいな意味に解してるのかなー、と。
この言い方だと、まるで「カルト」は宗教以外にもあるみたいですしね。

よく考えてみたら、日常遣いの「カルト教団」って言葉って、「フラダンス」みたいですよね。
(「フラ」だけで「踊り」という意味)
それだけ、宗教に関わる言葉って意識が薄れて、ヤバさの意味だけが残っちゃったんですかね。

9YS:2012/06/19(火) 18:38:32
>cultusの意味が崇拝と耕作にいったん別れてから、ベネディクトゥスが再統合した
けっこう、おもしろそうな問題よね。検証するとなると、かなりの労力が必要そうだけれども。

coloって動詞もかなり気になります。世話するを基礎にして、畑の世話をすると神の世話をするにも
派生する言葉。
この動詞には、もともと両者の意味があったのか、あるいは時代を経ることでどちらかの意味がつけ加わったのか
という点が、すごい気になります。

10OR:2012/06/22(金) 07:38:14
>もともと両者の意味があったのか、あるいは時代を経ることでどちらかの意味がつけ加わったのか
うーん…どの時代でどの意味が、ってところまで調べるのはやっぱり大変そうですが、
とりあえず参考までに、語根レベルにまで遡って、ギリシア語で対応する語は
どうなのかなーというのを調べてみました。

まず、boukolos(牛飼い)という語が出てきました。
(bou-は「牛」、kolos部分がcoloと対応する部分です)
やっぱり、牛の「世話をする」って使われ方ですね。

もう一つ、kolaxという語も出てきましたが、これは「おべっか使い」という意味ですw
上の人のことばっかり「気にかける」ってことでしょうか。

それから、boukolosの動詞形にboukoleoって語があるんですが、この語は単に
「牛の世話をする」という意味にとどまらず、人を「崇拝、尊敬する」という意味も
あるそうです。
さらに、「だます」という意味もあり、関連語のboukolemaはもっぱらこの意味を
持ちます。「牛のように人をいいように操る」的なことなんでしょうかね?w
あるいは、kolaxと同じように、気を遣った上にさらに騙す、みたいなことかも…

11YS:2012/06/23(土) 11:15:22
おお、さすが専門家の卵、有益な情報感謝。
おべっか使いという意味は、アイロニカルというか、ぶっちゃけすぐるwww
すでに、ギリシャ語で、崇拝という意味があったのですね。

古代ギリシャだと、崇拝という行為の価値(行為者の神官の社会的地位意)の問題が気になりますよね。
今回読んだ箇所(第二章後半)だと、祭司を重要視するのはケルトの影響であって、もともとは軍隊を支配で
きる階級ではなかったという内容が記されておりましたが、このあたりの事情もどういう歴史の展開があった
のか、興味があります―さすがに、何度もお手数をおかけしては申し訳ないので、自分の今後の課題ということでw

いずれにせよ、わたしが以前に挙げた仮説ないしは妄想はかなりあやしくなってきましたね。
ベネディクトゥスは依然として、気がかりの対象ではありますが。

12OR:2012/06/26(火) 00:28:44
>古代ギリシャだと、崇拝という行為の価値(行為者の神官の社会的地位意)
あっ…そう聞かれると困ってしまいますね…
おそらくポリスごとに神官の地位は違っているでしょうが、あんまり地位は高くないような気が
します。というのも、ギリシア神話、ギリシア悲劇・喜劇を読んでると、あんまり神官が
キーパーソンになることってないので、影が薄い印象ですので…
いや、神さまが普通に出てきて普通に好き放題やる世界観でこんなこと言っても仕方ないんです
けどね。

ただ、ドルイドのようにギリシアの神官が大きな権力を持ってたとは考えにくいですね。
古代ギリシアでは神殿に盗みに入るのはかなりの重罪だったらしいですが、それは
神を冒涜したとかそういう宗教的なことではなく、神殿が共有財産の保管場所だったから、
とどこかで聞きましたが、ここからも神官の地位があんまり高くなさそうなスメルが…


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