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第1章(pp. 4-19)
5
:
YS
:2012/06/08(金) 23:24:43
>ただ、こういう専門書の著者が「カルト」と言った場合、日常遣いの「カルト」とは
>違うのかな?と変な勘繰りをしてしまいます…
よろしい、ならば戦争だ!
「カルト的性格というのは、「自分たち」は「かれらとは違う」という意識を、一般の人々のうちに
流す行為である」(p. 10, l. 10-11)
「カルト的性格は、Xという意識を、Yのうちに流す行為である」というのは、すこし変な文章だから、
「カルト的性格によって、Xという意識はYのうちに流される」、したがって「カルトというものは、
Xという意識を助長させる性格をもつ」というようにすこし文章を変えて解釈しますが、要約しちゃうと、
カルト的性格というのはXの内容、すなわち、「われわれ」と「かれら」の差異の意識の助長ということになりますよね(助長は余分かな?)。
で、YS解釈によると、この定義は作者独自のものである。
たいしてOR解釈によると、この定義はほかの専門家ないしはディシプリンに依拠している可能性が高いと予想できる。
もし、こういう対立が成立しているのであれば、まずは、「専門家」観の点を争点にしたいかな。
専門家であるならば、自分のかんがえや定義でないのならば、出典を明記すべきである。なぜなら、剽窃という問題が生じやすいからである。
というのが、おいらからの反論になるかな。
でも、もちろん例外的な場合もあります。たとえば、「実存哲学は大衆の同調圧力や流行現象に抗して自分らしさの発揮を促す哲学である」という
文章の場合、このかんがえはキルケゴールやヤスパース、そしてハイデガーなんかにも共通していて、いちいち明記させるのは愚かしいぐらい、一
般的に流布されたかんがえであると作者がみなしている場合なんかは、いちいち明記させませんよね。いわゆる「周知のとおり〜である」という文章なんかだと
こういう感じが顕著ですよね。
中世やっているひとからだと、「カルトは他者との差異を鮮明化させる特徴をもつ」というのは、常識的なことなのかしら?
う〜〜〜ん、ちがう気がする・・・w(漠然とした印象なので、テキトーは感想ですが)
でも、たしかに、おれの解釈も出典が明記されていないということに依拠して、上述の定義は作者独自のものであるというのは、
これはこれでかなり根拠薄弱よね。
やっぱり、現段階だと戦争するにはまだまだ準備不足な感じは否めないので、やめまするw
>ベネディクトゥスが畑仕事の義務を課したお話も興味深いですね。
>よろしければkwsk教えてください。
ヒント:リン・ホワイト『機械と神』、みすず書房のp. 65周辺
「労働することは祈ることである」
って、おいらのノートにメモがあったんだけれども、該当の著書が手元にない・・・w
東大震災め・・・ギギギ・・・
アリストテレスがエピステーメーを最上位に置いて、ついでポイエーシス、そして最後にテクネーを置く実践を導く
知のヒエラルキーを樹立して、アリストテレスそのものはヨーロッパからいったん忘れられたにせよ、おそらく、この
ヒエラルキーって民衆の偏見レベルではずっと根深く息づいてた気がするのよね。
「優秀なわれわれ(ヘレーネス)ギリシャ人は、エピステーメーとポイエーシスの実践をしますので、野蛮(バーバリアン)
なのにわれわれに負けたあなたがた奴隷はテクネーをお願いしますね^^」ってことよね。
現代の日本だって、野良仕事とすらいまだにいわれる畑仕事にたいする偏見は、ひょっとしたらまだ根深く残存している可能性も否めないよね。
そんななか、畑のお世話と神のお世話を等しく捉えようとしたベネディクトゥスって、なんていうか、やっぱりすげ〜よね・・・
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