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雑談スレ 4

1a:2016/03/18(金) 00:29:34 ID:coV1cfYg0
〜よくわかんないけどさ、あなたのいうことはわかるよ


※バックナンバー

雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/

雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/

雑談スレ 3
〜旅立ちの朝〜
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1457069725/

2a:2016/03/18(金) 00:37:07 ID:coV1cfYg0
自分が何がわかっていないかを整理して
「分かっていないことを
分かる」ってのがいいのかも。

3a:2016/03/18(金) 00:40:19 ID:coV1cfYg0
そうやってわかっていないことを
わかっている というふうに清算したら、

それを捨てられるのかも

そして「すでにわかっている」
ことがまたわかる

4a:2016/03/18(金) 00:42:26 ID:coV1cfYg0
わかった気になって
思考をモゾモゾ、感情的にモゾモゾ、他者と喧嘩してモゾモゾ

それだったら

わかっていないといえことを
わかっていると
高らかに宣言して

「すでにわかっている」
の地平へ

5a:2016/03/18(金) 00:43:05 ID:coV1cfYg0
わかっていないということを

6a:2016/03/18(金) 00:46:24 ID:coV1cfYg0
しかし
すでにわかっている
って言っても

外部的な教えからヒントも得ることも時に必要、有効

そんなときは
内側から
いい意味で「モゾモゾ」と
種が水を吸うように自然と何かを求めるから

モゾッテコーぜー
イェイイェイイェイ!

7a:2016/03/18(金) 00:48:25 ID:coV1cfYg0
そのモゾモゾはいいモゾモゾか?
熱に浮かされたようなモゾモゾじゃないのか?

それは水なのか!
種子なのか!

ということもあります。

8:2016/03/18(金) 01:16:18 ID:T9XnACMQ0
aさん

スレ立てご苦労様♪

雑談スレも、
ついに4まで来たかあ。

内容は徐々に深まっているような気がする。
というより、そう信じたいw

前スレのこれだけど、
>・普通の感覚世界としては全く未知の超越的なことなのか
>・自意識過剰状態から共同体感覚に親和した状態へみたいな一般論レベルのことなのか
>・「スライド」(それまでの世界観、フレームを結構捨てる部分がある)なのか、「+αのバリューパック」なのか

精神世界では、
覚醒、ワンネス、変性意識など良く言われるけど、
これらの体験を目指すことは、
奇跡のコースでは、邪道とされている。

実際に、こういうことを体験する人がいる人は否定していないけど、
あくまでも、奇跡のコースが大切にしているのは心の平和であり、
ぼくも、そう思ってる。

だから、2番目の一般レベルのこと、
というのが、正しいとぼくは思ってるよ。

『光の体験をしたことがない人は、誰もいない』

そう言われているしね。

精神世界では、
覚醒、ワンネス、変性意識などの体験が語られたり、
これらが強調されることが多いけど、
こういうものは、
人としての進歩に必ずしも繋がるわけではなく、
かえって、修行の邪魔になることも多いと言われるね。特に禅では、その傾向が強いよね。

9:2016/03/18(金) 10:46:12 ID:T9XnACMQ0
奇跡のコースは「心の平安」を大切にしているのだけど、
これは、逆に言えば、
心の平安を乱すものを極力、
人生の中から排除すべし、ということ。

そして、
心の平安に役立つものなら、
この世界にあるどんなものでも利用しなさいということが言われる。

なぜかと言えば、
恐れている状態にいると、
人は間違いを犯しやすくなってしまうから。

だから、
恐れを解消できるなら、
精神安定剤を服用することも肯定している。

10:2016/03/18(金) 10:55:07 ID:T9XnACMQ0
こんな風に、
奇跡のコースでは、
心の平安に従って生活することが推奨されるから、
常識的といえば、すごく常識的なんだよね。

最初は、
イエス・キリストの教えだから、

「ぼくの世界観を一変させてくれるような、
どんなすごいことが書いてあるんだろう?」と期待していたんだけど、

常識的なこともたくさん含まれていて、ちょっと面食らったw

もちろん、常識はずれの、壮大なことも書いてあるけどね。

11:2016/03/18(金) 11:15:01 ID:T9XnACMQ0
ぼくが思う、
「心の平安に役立つこと」

規則正しい生活
健康的な食事と腹八合目に食べること
疲れない程度の適度な運動
自然の中に身を置く
毎朝、朝日を浴びる
悟ったと言われる人の本を読む
身の回りを綺麗にしておくこと。整理整頓
なんでも話せる友人と話す
ほどほどに、この世界の娯楽を楽しむ
好きな音楽を聴く
健康ランドでお風呂やサウナに入る

などかなあ

12a:2016/03/18(金) 15:03:56 ID:coV1cfYg0
確かに常識的ですねー

13a:2016/03/18(金) 15:22:28 ID:coV1cfYg0
「素朴な常識的生活」
という感じですかね

常識とか世俗的価値観の中でも
お金持ちになる!とか
立身出世!とか
人より優れていたい!
モテたい!
みたいなのは手放してく感じを言ってましたね

犬さんの言ってた「常識とか世俗的価値観の否定」のバックには、
かなり常識にもトレースしてる、常識を大事にしてる実際の生き方がありますよね

「常識を否定せよ」
あるいは
「常識に少しはトレースしよう」
「常識(へのトレース)の中にも霊性あり」
を示すというのは、

人それぞれの立場や状況、思考によって
実はかなり意味合いは違ってるということだ。

自分の言ってる
「常識も大事」って
ほんと犬さんが書いてることよりもある意味かなりテキトーなラインを想定してる

14a:2016/03/18(金) 15:29:34 ID:coV1cfYg0
やはり人それぞれ実際の状況や立場が違う、経験が違う

指標というのは、
それを言葉にしたものが
普遍的な意味を持つわけではない
(「常識を捨てよ」
「常識も大事」など)

人それぞれのバランス化の指標

15a:2016/03/18(金) 15:37:08 ID:coV1cfYg0
「頑張らなくていい」
「頑張る」

みたいなことも同じことだな

頑張り過ぎて、
あるいはその方向性がずれてて
疲弊した人の

「頑張らなくていい」


怠惰な生活にまみれて、
身の回りの雑用ひとつろくにしないような状況の人の

「ちょっとは頑張ろう」

って実は実際に意味する生活の想定としては逆だったりする

16a:2016/03/18(金) 15:39:08 ID:coV1cfYg0
あとはただの心理的なことの人と脳の不調のある人を
一律にしてはいけないのもあるね

17:2016/03/18(金) 15:52:30 ID:T9XnACMQ0
aさん

奇跡のコースは、
イエス・キリストの意識が、
ヘレンさんという心理学の大学教授を通して、
表現されたものなんだけど、
(これだけ聞くと、月刊ムーだよねw)
イエスからヘレンさんへのアドバイスは、
すごく現実的で面白いんだよね。

例えば、
奇跡のコースには、ワンネスや天国などの記述も多いんだけど、
それがどのようなものなのかは、
この地上にいる限り、正確には分からない。
それなのに、ヘレンさんが、ワンネスや天国のことをいろいろと考えたり、想像したりしていたら、

「いくら考えても、分からないことを考え続けるのはやめなさい」

そうイエスはアドバイスしたんだよね。

考えても分からないことは考えないほうが、精神衛生上、良いよね。

ほかにも、同僚の誘いを断ったら、

「誘われて、いつも行く必要はないけど、
何度も断るのは相手に失礼だ」とか、

外出するための洋服を選ぶのに、
モタモタしていたら、

「時間を無駄にするのはやめなさい」などと、お説教じみたことも言ったり。

そういうわけで、
奇跡のコースの教えと、現実世界の常識というのは、決して、お互いに対立するものではないんだけど、
でも、最終的な目標は、
この幻想世界を手放し、涅槃の境地に至るということだから、
「世界は幻想」、「完全なる心の平安」というのは、常識はずれのことだよね。

18a:2016/03/18(金) 16:10:04 ID:coV1cfYg0
チャネリングを
信じきるというのは僕もないなあ

でも前述の話(いつもの話)ともつながるけど
指標それ自体に絶対的な正しさがあるのではなく、
人それぞれ何かしらのバランスや価値、指標をそこに見いだすということでいいわけで、

チャネリングが本当であるのかとか、
その指標が絶対的正しさを持っているのかとかは

ある意味大事じゃないんだよね

そういう本、スピ系の概念
あるいは
世俗的価値観
などを妄信しないということ

もちろんほんとに信じきって生きるのもまた人の生き方としてはありだとも言えるけど

19:2016/03/18(金) 16:22:47 ID:T9XnACMQ0
>やはり人それぞれ実際の状況や立場が違う、経験が違う

そうそう。

aさん、少し前に、

「諸行無常の世の中、何一つ固定化できるものなんてない」

そう言っていたけど、
まさにそういうことだよね。

以前、不識さんが面白いことを言っていた。

ぼく的にアレンジさせて言うと、

「ソフトクリームが好きだと言っても、
それは移り変わる縁によって、様々に変わってくるでしょう。
南極でマイナス40度の中では、ソフトクリームを食べたいなんて思わないでしょう」

こんな感じ。

諸行無常の世の中、
人の考えも、感覚も常に変化していくのだから、
この世界には、絶対的な正しさなんて存在せず、
ただ、そのときの状況などによる、相対的な正しさがあるだけ。何も固定化することはできない。

ただ、ここで多くの人が勘違いしてしまっているのは、
ブッダやイエスは、諸行無常のこの世界のことだけを語っているわけではないということ。

その奥にある、目には見えない永遠不変の世界についても語っている。
その世界をブッダは、不生不滅、不増不減、不垢不浄と表現したし、
イエスは、「天国」、「神」などと表現した。

この永遠不変の世界があって初めて、
諸行無常のこの世界が存在することができるんだよね。
これが、色即是空、空即是色。

この二つのレベルの世界を理解しないと、
仏教も奇跡のコースも、理解することはできないんだよね。

この二つのレベルの世界を混同して、

「いま、この瞬間に全ての人は完璧な存在なんです」

そう言うことを言う人は多いけど、
それは、天国のレベルでは正しいけど、
この世界、地上のレベルでは正しくない。

完璧とは変化をしなくても良いということだけど、
地上のレベルでは、変化をしたくないと思っても、毎瞬、毎瞬、変化し続けているんだしね。

20a:2016/03/18(金) 16:24:08 ID:coV1cfYg0
「科学的じゃないことを
感じて生きることって
科学的にも正しい」
って言えると思う

現代科学のフレームの思考で人が生きるようになったのは、
せいぜい200年ぐらい?
しかし、人間は何百万年も
生きてきたわけで、
現代科学のようなフレームは薄く
「神様がどうの
精霊がどうの
輪廻はどうの」
みたいな感覚世界、精神世界で生きることが当たり前だった時代のほうがはるかに長いと。

だから、
そのような感覚世界が現代の人間にも宿っているのはある意味当たり前なのかもしれないってこと。

現代科学のフレームだけで
思考し感覚世界を作る生き方のほうが「科学的じゃない」

21a:2016/03/18(金) 16:36:44 ID:coV1cfYg0
その精神世界のこと、感覚世界を
無理に科学的な世界観と統一させなくていいってことだと思う。

既存の科学的世界観を捨てて、
スピ系の世界観にスライドさせてくのではなく、
ハイブリッドでいいのだと思う。

むしろその姿勢のほうが、
内的世界、精神世界のほうも
深化させられることもあろう。

科学的世界観はそのままに(むしろそちらもどんどん楽しむ)、
未知なる内側の世界もどんどん発見していくような
ハイブリッドの在り方

例えば科学者の中には
熱心な宗教信仰者っているよね。
ほんとに宗教の世界観のほうを基点にして、科学のほうを研究している人もいるかもしれないけど、
そういうハイブリッドな在り方の人が多いんじゃないかな。

信仰者というよりも実践者。

信仰っていうと理知的なところで行われる部分が強いと思うけど、
実践ならそれは感覚世界だし生活だしね。

22:2016/03/18(金) 16:45:12 ID:T9XnACMQ0
>チャネリングを
>信じきるというのは僕もないなあ

ぼくも、最初はそうだった。
でも、世の中には、
この世界の外側からの声を聞ける人が存在するということを信じるようになったよ。

aさん、
少し前に、
現代科学の思考の枠組みができてから、まだ数百年くらいのもの、
って言っていたけど、
現代人の思考体系ができたのは、3,000年ほど前と言われている。

「神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡」という本があるんだけど、

この本では、
3,000年前の人類は意識を持っていなかった、
そういうことが書かれているんだよね。

意識を持ったことで、人間は苦しむようになり、
その救いのために、宗教が必要になった。

アダムとイブの楽園追放の物語は、
人間が意識を持った瞬間を描いたものだと言われている。

アダムとイブは、善悪を知る木の実を食べた瞬間に、
意識を持つようになり、
そこから、
裸でいることに羞恥心を持つようになったり、
罪の意識を感じるようになって責任を他人に転嫁するようになった。

2,500年前ごろというのは、すごく興味深い時代なんだよね。

旧約聖書にでてくる預言者がたくさん生まれ、ブッダが生まれ、
老子や荘子が生まれ、ソクラテスやプラトンなどのギリシャ哲学者が生まれるという具合に、
世界同時多発的に、意識を持った人間の救済を説く人たちが生まれたんだよね。

そして、これ以降、
この人たちを超える、真実を語る人は誰もでてきていない。

イエス・キリストでさえも、
「わたしは、ただ単に旧約聖書の教えを成就させるために来た」
そう言っているんだ。

永遠不変の真実は変わらないから永遠不変なわけだからねえ。

で、3,000年よりも前の人たちは、
神々の声を聞き、それに受動的に従うだけだったというわけ。

そして、その3,000年前の名残として、
統合失調症の人が、「誰か知らない他人が語りかけてきている」というような、幻聴を聞いているというのが、
『神々の沈黙』の著者が主張しているところ。

面白いことに、
統合失調症の人がでる確率というのは、
世界のどの国でも、人口の1パーセントなんだって。

23a:2016/03/18(金) 16:52:59 ID:coV1cfYg0
>既存の科学的世界観を捨てて、
スピ系の世界観にスライドさせてくのではなく、

これ自体が結局、
既存の思考・感覚のフレームシステムの延長でしかないのかもしれない。
既存の思考・感覚システムの中で無理に精神世界を落としこむ感じ。
あとは、既存の科学的思考を捨てちゃうパターン。

自分の内には、
既存の思考・感覚のシステムとは
別の未知なる感覚世界が宿っていてそれを発掘していくのは、
既存の思考・感覚の中で行うものではないと。

だからこそ、
科学的世界観は全くそのままでいいという捉え方で、そちらのほうも探究していくという
ハイブリッドな在り方が
学びや発見や平安の獲得を加速するのではないか。

24a:2016/03/18(金) 17:09:54 ID:coV1cfYg0
>>22

生物学的に言って、
さすがに3000年足らずで
意識がなかった→ある
ってほど脳の構造は変わらないと思うけど、

現代の人々が普通に感じている
「自我」「私は私」「人と私」の在り方は変わっているのかもね

自分が言ってるのは
むしろ
生物学的な脳はそんな数千年では
変わらないからこそ、

何百万年も当たり前だった
人の意識や感覚世界の在り方やモードが、相対的な(一般的歴史用語ではなく)「現代近代」
(200年とかあるいは3000年とか!?)
になって、
埋もれてしまった部分が実はかなりあるのではないかと。

それが「精神世界」なのかと。

25a:2016/03/18(金) 17:17:48 ID:coV1cfYg0
>その精神世界のこと、感覚世界を
無理に科学的な世界観と統一させなくていいってことだと思う。

まあある意味、これを論考しているとも言えちゃうけどね。

俯瞰した(メタ認知)その論考かな。


「チャネリングなんてありえないから、そんな本は全く価値なし」とか逆に
「いや、チャネリングは本当なんだ!現代科学のほうが間違いなんだ!」

とかじゃなくていいよねっていう。

26:2016/03/18(金) 18:39:57 ID:T9XnACMQ0
宗教と科学ということだけど、
一般的には、
宗教=非科学的で、非現実的、
科学=現実的、と捉えられているけど、
ぼくが思うに、
宗教こそが最先端科学で、
一般的な科学は遅れた科学、
そう思っているよ。

「色即是空。空即是色」という、「物体にはじつは実体がない」ということが、
20世紀の量子物理学の発展によって、
ようやく、科学的に証明されたらしいし、
「一即多。多即一」の華厳経の教えが、微分積分学の発展につながり、
「全ての部分に全体が含まれている」というホログラムの原理の発見につながった。

「すべての部分に全体が含まれている」というのは、
この世界の法則でもあり、
例えば、すべての細胞に、体全体の情報が含まれているというのは、
その典型だと思う。

そんなわけで、
宗教は最先端科学で、
それが分からなかったのは、科学が遅れていたからだとぼくは思っているんだ。

ちなみに、
スティーブ・ジョブズは、「あるヨギの自叙伝」という、悟りを開いた宗教家の本を、
20代のころに、インド放浪中に読んでからというもの、
必ず、一年に一回は、その本を読んでいたみたい。
スティーブ・ジョブズの、ipadには、2冊の本が入っていて、
その2冊とは、「あるヨギの自叙伝」と「ビーヒアナウ」。
両方ともスピ系の本だけど、
この本がなかったら、恐らく、iPhoneの発明は不可能だったろうなって、思う。

27:2016/03/18(金) 22:33:24 ID:T9XnACMQ0
いま、aさんが紹介してくれた無我さんのスレを最初から読んでる。

みんな真剣で、面白いね。
とても勉強になる。

こんな面白いことを言っている人がいた。

>鬼和尚の言葉には人の気持ちを静められる力があるのに対して、
>無我さんは今まで、いろんなスレに出没しては、怒り狂って他の人も怒らして、ってパターンばかり。

無我さんは、自分でも言っているけど、
自我意識モードと仏の意識モードが行ったり来たりしていて、
教えを説くときには、大抵、自我意識モードになっていると思われる。

無我さんが説く教えそれ自体は、真実を反映しているけど、
教えを説くときのモードが、幻想である自我意識モードだから、
「神経症を治した自分はすごい」
「そんなすごい自分が教えてあげよう」みたいな雰囲気になっちゃうんだろうね。

だから、
無我さんが説く教え自体からは、癒しを感じることができても、
教えを説く無我さんの態度からは、 癒しをあまり感じない。

その点、鬼和尚さんは、
しっかりと、仏の意識から仏の言葉を語っているから、
人の気持ちを静める力を持っているのだと思う。

ただ、ひとつ、
鬼和尚さんに引っかかったことは、
「わたしのような境地に至るものは、2,000年にひとりくらいの割合でしかいないのじゃ」とか、
「ギリシャ哲学者の中で、悟った人は誰もおらんのじゃ」とか、言っているところかなあw

28:2016/03/18(金) 22:39:41 ID:T9XnACMQ0
実際のところ、
何を語るかよりも、
どのような意識で語るのかのほうが、ずっと大切なんだよね。

何を学ぶかよりも、
どのような態度で学ぶかのほうが大切なように。

無我さんは、素直に学びなさいと言って、
それは確かにそうなのだけど、
でも、そう言っている無我さん自身の意識モードが、
自我意識モードだから、

「お前なんかに言われたくないやい!」

と思う人がでてきてしまう。

29:2016/03/18(金) 22:45:11 ID:T9XnACMQ0
仏教なんか学んだことがなくても、
それどころか、本さえもほとんど読んだことがなくても、
癒しの雰囲気を感じられる人って、いるよね。

なんでもない言葉なのに、
その人が言うと、すごく癒されたりする。

老婦人の人の中に、こういう人がいたりするような気がする。

30:2016/03/18(金) 22:54:10 ID:T9XnACMQ0
奇跡のコースでは、
進歩した教師には、次のような特徴があるとされている。

(1) 信頼

(2) 正直

(3) 寛容さ

(4) 柔和さ

(5) 喜び

(6) 無防備な態度

(7) 寛容さ

(8) 辛抱強さ

(9) 信義

(10) 開かれた心の状態


ブッダやイエスはもちろんのこと、
無我さんが、本物だとあげていた、宗教家の人たちは、
みんなこのような特徴を持っていたよね。

この点において、
森田療法、無為療法で治ったと言われる人たちは、
森田先生、鈴木先生、不識さん、管理人さん、斎藤さんなどなど、
ほとんどみんな、指導者や教師としては、失格だと思ってる。

この点が、また、
ぼくが、森田療法に批判的なところでもある。

31a:2016/03/18(金) 23:25:58 ID:coV1cfYg0
無我さんのスレは
ダレノガレダレカが
猛烈に論破しかけてる場面があるからねえ
感情だねえあれは

スルーとつまみ食い案件ですね、、

32a:2016/03/18(金) 23:31:40 ID:coV1cfYg0
ダレノガレダレカの
指摘した

http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/316

この部分はやはりわたしもあると思うんだなあ

33:2016/03/19(土) 00:10:09 ID:T9XnACMQ0
ダレノガレダレカさんの指摘は、
感情的なのかもしれないけど、
でも、そのベースは、しっかりとした論理なんだよね。

その人の論理矛盾を、的確に指摘している。

だからもし、
その人に、ダレノガレダレカさんの指摘を受け入れる度量があれば、
その人が主張していることの治癒効果は、増大すると思うんだ。

斎藤さんの無為療法は素晴らしいけど、
もしも斎藤さんに温かみのようなものがあれば、
5人なんかじゃなく、何十人、何百人単位で、神経症から解放される人がでるのではないかと思ってる。

34a:2016/03/19(土) 00:20:04 ID:coV1cfYg0
(一応
ダレノガレ明美
から...

35:2016/03/19(土) 00:21:20 ID:T9XnACMQ0
ブッダやイエスの教えの素晴らしいところは、
目的と手段の間に矛盾がなく、首尾一貫しているところなんだよね。

涅槃を目的にし、その手段としてのエゴの解体の方法の間には、まったく矛盾はない。

教えていること全てを自分のものにしているから、言行も完璧に一致しているしね。

ただ、ブッダやイエスの教えに、
首尾一貫性を見出せるようになるまでには、
それなりに、時間はかかるような気はするかな。

イエスの言葉。

「この本(奇跡のコース)の中に、明晰さを見出す人はそれを見出すだろう。しかし、議論を見出す人は議論を見出す」

36:2016/03/19(土) 00:22:21 ID:T9XnACMQ0
>>34

もちろん分かってるw

37a:2016/03/19(土) 00:31:01 ID:coV1cfYg0
HNさん「症状の需要こそ大事、症状を相手取らない心と生活態度」

症状=斎藤はんたち(の言葉にムカつく心)


これは凄く簡単な数学のような
自己矛盾、首尾一貫性のなさ
だよねw


「間違った神経症の説明の仕方に注意を促すため」
言うけど

どちらが正しいかなんて絶対的なものでもないよね。

どっちも微妙で
どっちも微妙に良くて
どっちも微妙に似てる

38a:2016/03/19(土) 00:36:16 ID:coV1cfYg0
こちらもね。

無為療法「(不問で)ただ雑用。(世俗的社会的向上心や努力はだめ)」

森田療法(指導者)批判に延々執着する。→「ただ雑用」じゃないの?
英語が話せるだのの自分のステータス自慢→まあわかるよね

あからさまなな自己矛盾

39:2016/03/19(土) 00:38:15 ID:T9XnACMQ0
>>32

宗教と科学の話は、
すごく興味深いから、ぼくも好きなんだけど、
ただ、このことを議論するには、
お互いに、相当な知識量が必要とされると思うんだ。

ただ、簡単にぼくの考えを言うと、
ブッダやイエスが説いた真理の観点から、
科学について考えるべきだと思っている。

ブッダやイエスは、
この世の真理だけでなく、この世を超えた真理も語っているけど、
科学というのは、基本的にこの世界の枠組みの範囲でのものでしょ。
しかも、諸行無常のこの世界の中で、固定的、不変的な真理を見つけようとする、不可能なことにチャレンジしている。
もちろん、このようなチャレンジが無意味というわけではないけど(というより有意義だと思ってる)、
結局、科学が行き着く先は、
「ブッダやイエスが言っていたことは、本当だったね」
ということで終わると思ってる。

宗教と科学について、
もっと詳しいことを知りたかったら、

「投影された宇宙」、「あるヨギの自叙伝」の2冊を読むと良いよ。

読む順番も、この通りに。

あるヨギの自叙伝から読むと、たぶん、
「あほらしい」
そう思ってしまうと思う。

40a:2016/03/19(土) 00:38:44 ID:coV1cfYg0
>>33

たしかにねえ・・
いやいやダレノガレダレカもやるねえ・・

41:2016/03/19(土) 01:39:58 ID:T9XnACMQ0
aさん

無我さんに面白い質問したね〜。

aさんの質問に対する、
無我さんの答えも秀逸だった。

少し、補足させてね。

ブッダは、この世界は諸行無常だと言った。
そして、
諸行無常だからこそ、一切皆苦だと言った。

仏教でいうところの「苦」とは、
通常の「苦しみ、痛み」という意味ではなく、「不満足」ということ。

この世で、
人々が喜びだと信じているのは、
すべて、不満足な喜びしか与えることができないということ。

どんなに良いと思っていた音楽だって、
一曲だけずっと聞き続けていたら、必ずいつかは飽きてしまう。最初に聴いていたときの喜びは失われてしまう。
それは、感覚的なものも含めて、この世界は諸行無常だから、
音楽を聴いているときの快感というのは、永続的なものになることはあり得ない。
だからこそ、常に新しい快楽を与えてくれる音楽を探し求めるようになり、
それには、際限がなくなってしまう。

そういう意味で、
自分の外側にあるものの中には、救いは存在しないんだよね。一時的な癒しを与えてくれるものはたくさんあるけど。

42:2016/03/19(土) 02:05:17 ID:RcFyNhuU0
スピ界隈でも、宗教でも、
抑圧していた感情を発散して心を浄化させよう、
なんてことを言う人も多いけど、
これもまた、一時的な効果しかなく、
根本的な解決には繋がらないもの。

こんなんで、
浄化なんかされないよ。

それができるようなら、
簡単でいいけどね。

ただ、心の中の思考や感情を、
価値判断せず、ありのままに見つめるということは、
絶対に必要なことだけどね。

これは、必ず浄化に繋がる。

43:2016/03/19(土) 02:22:22 ID:RcFyNhuU0
もちろん、一時的な効果しかないものは、
やっても無駄だから、やらないほうがいいというわけではなく、
一時的にでも、癒されて気分が良くなるなら、
やったほうがいいとは思う。

ただ、他人に迷惑をかけたり、イヤな思いをさせるようことは、
避けないといけないよね。

44:2016/03/19(土) 08:23:12 ID:T9XnACMQ0
以前、ぼくが知り合った女性に、
感情を発散させることで、ストレスを解消させていると思しき人がいた。

誰もいない空間でそれをやるならまだしも、
飲みの席でもそういうことをするものだから、
誰もがその人を苦手にして、避けようとしていた。

こういう人に限って、
愛を語ったりするんだけど、
その一方で、自分勝手に他人を罵倒したりする。

スピ界隈でよく言われる、
思考や感情を抑圧しないということは大切だけど、
これを間違って理解して、はた迷惑な人物になっている人は、結構いると思う。

そのことが、
精神世界に対する偏見にも繋がっているのかもしれない。

45:2016/03/19(土) 08:37:14 ID:T9XnACMQ0
自分の中の抑圧された感情を発散させることで心を浄化させるという名目で、
他人に迷惑をかけたり、人をイヤな気分にさせることを正当化できるような人とは、
ぼくは関わりを持ちたいとは思えない。

46:2016/03/19(土) 08:49:42 ID:T9XnACMQ0
あ。いま、人生問題の掲示板を見たら、
誰かが勝手にここでのぼくの書き込みを投稿してやがる。

でも、ま、いっか。

47:2016/03/19(土) 10:15:55 ID:T9XnACMQ0
>>40

そうそう。
ダレノガレダレカさんは、素晴らしいんだよ。

ただ、これはダレノガレダレカさん本人も、
重々、気がついていることだと思うんだけど、
他人の問題にかかずらっているのは、
自分自身の進歩を遅らせちゃうんだよね。

有名なイエスの言葉。

「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。
自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

マタイによる福音書、7:2〜5」

これは、ブッダの言葉

「他人の間違いに目を向けない。
他人がしたこと、他人がしなかったことに目を向けない。
ただ、自分がやったこと、やらなかったことだけを見つめなさい。

ダンマパダ 」

おかげさまで、
とりあえず、自分が書きたかったことを書き尽くすことができて、
自分自身の問題に集中できそう、
そんな風に思えるようになった。

48:2016/03/19(土) 10:23:25 ID:T9XnACMQ0
今日のヨッシーさんの言葉良かったね。

難しいことはしない。難しいことは考えない。

無理なく、自然に理解できることだけを、つまみ食いし、
無理なく、自然にできることだけを、行動に移していく、
そんなシンプルライフを心掛けたいと思う犬なのであった。ワンワン。キャイーン。

49シャキーン!:2016/03/19(土) 12:07:54 ID:yTGez5BY0

.     ∧ ∧
    (´・ω・ ∩ レベルUP!
   o.   ,ノ.
    O_ .ノ
        (ノ
      i||
     ━━

50a:2016/03/19(土) 15:30:24 ID:coV1cfYg0
そうだね
スルーとつまみ食いでいいねえ

試食しながら食べ歩いて、
何か気にくわない料理を勧められて、怒って
「こんな味つけはおかしい!」
とかねw
それで料理作った人と喧嘩続けて、自分と人の時間と心を無駄にする
料理はいろいろあるのが当たり前で、自分の好みの味に世界を、相手を染め上げる

なんてしなくていいし、
出来ないし
っていうことだね

51a:2016/03/19(土) 15:51:11 ID:coV1cfYg0
ここは、完全なる完成品を振る舞う料理店街ではなくて、試し作りの場、試食の場でいいね

52:2016/03/19(土) 16:37:36 ID:T9XnACMQ0
そうそう。

何事にも必死にならないというのが大切なんだよね。

必死さというのは、
物事を自分好みにコントロールしようとすることから起きるけど、
その必死さというのは、自我意識が持っている属性。

自我意識から、仏の意識に変化させるための学びを必死にやるというのは、
近道に見えるかもしれないけど、実際には遠回りしているんだ。

だから、奇跡のコースでは、
自分の中に必死さを感じた場合は、やっていることを一旦やめることが推奨されている。

決して、無理はしないように気を付けるという点では、
無為療法に似てるね。

53a:2016/03/19(土) 18:22:51 ID:coV1cfYg0
>自分の中に必死さを感じた場合は、やっていることを一旦やめることが推奨されている

ほんこれですね

昨日もここに書いてて、
夕方から深夜にかけて用があったからネットから離れてたんだけど、それが良かった。

そのままだったら、またかなり書いてしまってたと思う。

時間がたって一呼吸おくことで、
冷静になってて感覚が変わってたりする。

何か必死さのある感じで勢いで返信しようとしてるときは(反射的な反応)、
書いたものをすぐ投稿せず、
時間をおいて落ち着くのがいいのだろう。

そしたら、直接の返信自体しなくていいな とか、書き方・内容的にトゲのないような形に変えるとか
そういうことが出来る。

54:2016/03/19(土) 23:26:43 ID:T9XnACMQ0
>何か必死さのある感じで勢いで返信しようとしてるときは(反射的な反応)、
書いたものをすぐ投稿せず、
>時間をおいて落ち着くのがいいのだろう。

そうなんだよね。
でも、これって、
いわゆる、健常者の人でも難しいことだったりするんだよね。
だから、ストレス耐性が弱い、ぼくたち神経症者はなおさら難しい。

まずは、「自分は弱い」と自覚することが大切だと思う。

斎藤さんは、神経症脳ということを言い、
神経症は脳の狂いかどうかということで、
論争になることも多いけど、
それが事実かどうかはともかくとして、
方便として、ぼくたちは神経症脳という脆い脳を持っているというのは、
ぼくたち神経症者が、実生活を送る上で、とても役に立つと思ってる。

ストレスに弱い神経症脳を持っているという自覚は、
自分は弱いという自覚に繋がり、
それなら、できるだけストレスの少ない生活を送っていこうということになるからね。

ぼくたち、神経症者は、
強くなろうとして強くなれるのではない。
自分の弱さを常に自覚することによって、強くなれるのだ。

55:2016/03/20(日) 13:44:00 ID:T9XnACMQ0
触らぬ神に祟りなし

56:2016/03/20(日) 15:23:01 ID:T9XnACMQ0
今日、ヤフーニュースで、
面白い記事を発見。

現実的、具体的な話。

「アナタが飲んでるそのジュースに、どのくらいの砂糖が入ってるか知ってます?」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/atsumishiho/20160319-00055618/

ここには、
書いていないけど、
精神疾患にかかる人のほとんどは、
多かれ少なかれ、砂糖を取りすぎていると言われている。

また、世界史的にも、
砂糖というものが、奴隷制度に結びついたということは、
あまり知られていない。

砂糖の歴史というのは、
奴隷制度、植民地、地球破壊と人体破壊の歴史という、
血みどろの暗黒の歴史なんだよねえ。

『砂糖の歴史』

http://www.kaiten.jp/syokuji/satou.html

57a:2016/03/20(日) 16:05:42 ID:coV1cfYg0
糖質制限の本とか流行ってますね。
ダイエットする方法論として、
あと糖尿病(予備軍)の人にも
大事な観点らしい。
あとは運動が大事だね。

58:2016/03/21(月) 12:54:30 ID:T9XnACMQ0
>>57

そうだね〜。
個人的には、米は食べた方が良いと思っているけどw

結局のところ、
何を学ぶにしろ、学ばないにしろ、
生活をキチンとしたものに整えておくというのが、大前提なんだと思う。

神経症者、健常者に関わらずね。

キチンとした生活をしないで何かを学んでも、
ザルで水をすくっているようなもので、
ほとんど身にならないような気がする。これは個人的経験からw

森田療法では「やるべきことをやる」、無為療法では「雑用」みたいなことが言われるけど、
もっと分かりやすくいえば、

「自分にプレッシャーを与えないように気をつけながら、
生活をキチンとしたものに整えていく」

ということが大切なんだと思う。

59:2016/03/21(月) 16:36:37 ID:T9XnACMQ0
宇佐療法では、
「心に良し悪しなし」
ということがよく言われるけど、
この場合の、「心」とは「自我意識から生まれる思い」
という意味で解釈したほうが良いと思う。

そして、良し悪しを付ける心というのも、自我意識の働き。

60:2016/03/21(月) 16:38:16 ID:T9XnACMQ0
良し悪しを付けようとする心がある。

宇佐療法では、
「心に良し悪しなし」という。

ということは、
心に良し悪しをつけない心が存在しているということ。

61:2016/03/21(月) 16:41:35 ID:T9XnACMQ0
この、心に良し悪しをつけない心のことを、
観察意識、またメタ意識と呼んだりする。

そして、
観察意識を常に保ち続けることが、仏道の修行であって、
これは、お釈迦さまもそうするようにアドバイスしているし、
道元も、エックハルト・トールも、奇跡のコースのイエスも一緒。

62:2016/03/21(月) 16:44:15 ID:T9XnACMQ0
宇佐療法では、
「内面を見ない」ということが言われるけど、
これは、仏道修行とはまったく逆。

心の内面の自我意識の働きを、
心の内面の観察意識で観察しつづけるというのが、仏道修行のひとつだから。

63:2016/03/21(月) 16:46:45 ID:T9XnACMQ0
宇佐療法では、また、
「自分対自分」ということが言われるけど、
この「自分対自分」のやり取りは、自我意識の範囲内でのみ行われていること。

心にいろいろな思いが沸き上がって来て、
それについて、「あーでもない」、「こーでもない」とやり繰りをする。

これらはすべて、自我意識の範囲内での働きだから、どこにも出口はない。

64a:2016/03/21(月) 16:48:33 ID:coV1cfYg0
キターーーー!!!

3月21日(月・振休)
TBS よる7:00〜11:09

『生命38億年スペシャル“人間とは何だ…!?”』
「人はなぜモメるのか?」
世界に誇る日本の英知が究極のテーマに挑む!

http://www.tbs.co.jp/hot-jyouhou/201603011112.html
http://www.tbs.co.jp/ningentoha2016/

65:2016/03/21(月) 16:50:34 ID:T9XnACMQ0
自我意識は、分析してあれこれと考えることが大好き。

でも、このような分析も、
自我意識の範囲内で行われているから、どこにも出口はない。

自我意識は、心の闇に喩えられ、

「闇の中に光を探して見つかるだろうか?」

そう奇跡のコースでは、書かれている。

66a:2016/03/21(月) 16:52:13 ID:coV1cfYg0
>「人はなぜモメるのか?」
>究極のテーマ

やはり私もしていた論考のテーマは、人類にとって大事な共通テーマなんだろうな

わたしのところに出演オファーは来なかったが・・(w

67:2016/03/21(月) 16:53:44 ID:T9XnACMQ0
>>64

aさん

2,3日前から、
すでに録画予約済みですw

68:2016/03/21(月) 16:59:51 ID:T9XnACMQ0
>>66

aさん

スピ系では、
その答えは、すでに出ているよ。

自我意識とは、別名分離意識と呼ばれる。分離を信じる心。

というわけで、
この分離意識から生まれる言葉は、
人々を分離させる働きがある。

通常、人の意識は、分離意識の状態にあるから、
だから、モメるw

逆に、
仏の意識は、全体意識と呼ばれる。

全体意識からでる言葉は、全体的に調和を取る働きがある。

そんなことから、聖徳太子は「和を持って尊しなせ」と言った。

69a:2016/03/21(月) 17:02:57 ID:coV1cfYg0
なぜもめるのか?争うのか?

って言ったらやはり「自己愛」ってのがあるね。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443515440/7
>自分が自分を救うために自己完結できる自己愛なら
それは自分を愛する、受け入れるということでまったく問題はない
その過程を経て他人に優しくなれるものでもあるから
>でも自分を他人と比較してageたり見下したり押し付けたり
他人を利用して自分だけ良い気持ちになろうとするのは病気の自己愛
それはいくら続けても楽にはなれない、ただ内側から腐っていく修羅の道だと思う

この文章なんか、2ちゃんで誰かが書いたのを拾ってきたものだけど的確。

70a:2016/03/21(月) 17:23:57 ID:coV1cfYg0
>>62

斎藤はんも一休さんもHNさんも
延々もめてるよね。

そもそも何でこんなにもめてるのか?私と相手のこの心の構造、傾向は何なのか?

ってところにこそ目を向けるのがひとつのポイントだろうに。
(仏教や禅を論じる者ならなおさら)

仏の意識というレベルかはわからんが、俯瞰の認知、メタ認知だよね。

71:2016/03/21(月) 17:38:17 ID:T9XnACMQ0
>>70

>斎藤はんも一休さんもHNさんも
>延々もめてるよね。

そうだよね。
皆さん、神経症の治癒=悟りと勘違いしちゃっているから、
本来の問題のありどころ(自我意識)が分かっていないとまでは言わないけど、
微妙にズレてしまってるよね。

>そもそも何でこんなにもめてるのか?私と相手のこの心の構造、傾向は何なのか?
>ってところにこそ目を向けるのがひとつのポイントだろうに。

いや〜、まさしくその通りだね。

ブッダの教えも「人間の自然的傾向性からの脱却」のための教えだから。

72:2016/03/21(月) 17:47:33 ID:T9XnACMQ0
今日から、
仏教、最古の経典と言われる、
阿含経典を読み始めている。

パラパラめくっていたら、
ブッダはこんなことを言っていたよ。

断定的に肯定することをやめなさい。断定的に否定することもやめなさい。
わたしは、ただ中道の道を説く。

aさんが、口を酸っぱくして言っていたのは、
まさにブッダの知恵だったんだねえ。

にしても、
阿含経典面白い・・・

73a:2016/03/21(月) 17:52:02 ID:coV1cfYg0
私もそのような事柄、
ホットケーだの
君子危うきは近寄らずだの
たくさん書いてきたのに、
気付くと結局また、議論だ論破だの喧嘩をしちゃってたりする。

そうとう根深いおかしな傾向のシステムが自分(人)の中にはあるってことだな。

「君子危うきに近寄らず」
「触らぬ神に祟りなし」

も一つの正解だが、
もう一つの本質は自分自身(人)のそのような心の傾向であり、
世界や特定の相手、事柄に対する感覚を形作る自分の「パラダイム」(フィルター)だよね。

74a:2016/03/21(月) 18:01:46 ID:coV1cfYg0
「パラダイム」って言うと、
心のシステム的な前提が全くない中で、
自らが自由意思として選んでいることみたいな感じだが、
(アドラー?サルトル?)

それもありつつ、やはり
「人間(や生物)」自体に備わって(しまって)いる心の傾向のひとつなんだろうね。

75a:2016/03/21(月) 18:07:03 ID:coV1cfYg0
コンピューターで言うと
OSを自分で自由に作っているというより(かなり自由(意思)もあるとは思うが)、
人間には元々のOSがあって、そのシステム傾向のワナに陥りやすい部分があると。

76:2016/03/21(月) 18:07:57 ID:T9XnACMQ0
>そうとう根深いおかしな傾向のシステムが自分(人)の中にはあるってことだな。

そうそう。
この誰もが持っているおかしな傾向のシステムを、
エックハルト・トールは、「心の機能不全」と呼んでた。

だから、世の中には、
争いごとが絶えないんだよね。それは、幼稚園から老人ホームまで同じ。

このような心の機能不全を解消するためには、
心の機能不全=自我、を自己の本質と捉えるのをやめて、そこから自分を切り離して、観察することが大事。

不思議なことに、
観察意識を保って、観察し続けると、
心の機能不全は解消されていくんだよね。

心の機能不全とは、心が調和がとれていない状態。

観察意識とは、仏の意識。

心の機能不全を、仏の意識の光が照らすことで、自然と調和が取れていくんだ。

77:2016/03/21(月) 18:15:08 ID:T9XnACMQ0
>人間には元々のOSがあって、そのシステム傾向のワナに陥りやすい部分があると。

そうそう。
元々のOSには不具合があるんだよね。

だから、神経症者といわゆる健常者との違いというのも、
その不具合の程度問題であって、不具合を持っていることには違いがない。

森田療法の間違いは、
この不具合を、誰もが持っているから正常としてしまったことなんだ。

本来は、誰もが狂っているというべきなのにね。

78a:2016/03/21(月) 18:19:35 ID:coV1cfYg0
>>72

自分の負の(心と行動の)傾向は、「人間の負の傾向」によるところが大きいのだろうから、

「この傾向は何なんだろうか?じゃあどうすべきか?」と
私個人として考えていたことが、
仏教にも書いてあったり、哲学者が言ってたりというのは普通にあるだろうね。

個の負の傾向が
人間の負の傾向を表すものなら、
個の解決策の論考が、
人間の解決策の論考と共通してくるのは当たり前だね。

79a:2016/03/21(月) 18:32:18 ID:coV1cfYg0
人間共通システムとして
負の傾向が人の中に内包されてるということは、答えも人の内側にあるということか。


それこそ

子供が喧嘩して嫌な気分になった、
そこから子供自身が感覚的に考えて次からどうするかを身に付ける

みたいなことも同じかもね。
まあそんな中、突き詰めて深く考えるみたいなことにも意味はあるだろうけど。

80:2016/03/21(月) 18:42:09 ID:T9XnACMQ0
>人間共通システムとして
>負の傾向が人の中に内包されてるということは、答えも人の内側にあるということか。

そういうことだね。
まさに、それに気づかせることが宗教の役割。

本当の救いは内側にしかないから、
無我さんは、音楽では根本的な解決にはならないと言ったんだよね。

音楽に限らず、外の世界のどんなものも同じ。

81a:2016/03/21(月) 18:43:30 ID:coV1cfYg0
一方で、
自分が子供の時は、
喧嘩とかも少しはあったけど、
それ自体が何なのか?とか、どうしたら喧嘩を防げるか?とか
は特に意識や行動としてクローズアップされることはなかったな。

ただただ
楽しい、嬉しい、これしたい、あれしたいっていう「光?」に
包まれてて、
負の傾向、影の傾向をどうするこうするみたいなことは意味をなしてなかったかな

喧嘩に関してはそれこそ諸行無常で、次の日には忘れてるって感じ。

82a:2016/03/21(月) 18:49:32 ID:coV1cfYg0
森田療法の
目的本位っていうのも、
世俗的価値観を言い過ぎ みたいなところで、(人によっては)バランスの悪い概念にも結びついているのかもしれないが・・

一方で
そのように人が「光」に生きるとき、「影」は自然とおさまり、その解決策どうのこうは必要ない
みたいなこともあるのだろう。

それってまさに「目的本位」ということの本質だよね。

83a:2016/03/21(月) 18:53:24 ID:coV1cfYg0
わたしなんかも
影をどうするかという論考をよくしてるけど、
それよりもそもそも光を生きているのか?

っていうね。

人と変な我執の議論をしちゃう影は、この影は何なんだ、どうするこうするということだけではなく、そもそもあなたは光に生きているのですか?っていうね。

84a:2016/03/21(月) 18:55:08 ID:coV1cfYg0
一方で
「影というつっかえ棒をちゃんと取ることで、
光に乗れる」みたいなこともあると思うが。

85a:2016/03/21(月) 19:13:08 ID:coV1cfYg0
あと、私なんかは
「したいことする」
「やりたいことを楽しむ」
「人と一緒に過ごして楽しむ」
みたいなことも「光」「霊性」「真我」だと思ってるから、

無我さん的なところで言うと、
それも「属性」であって霊性ではないってなりそうだね。

86a:2016/03/21(月) 19:17:28 ID:coV1cfYg0
ただ、
「したいことをする」って言っても
怠けて楽しちゃう自分とかまで、
全部が全部、真我ということではないよなあっていう。

もちろん「ムキー」して、「言い返す、論破しようとする」あれも真我じゃないよなあ。

87:2016/03/22(火) 00:18:36 ID:T9XnACMQ0
>>81

子供のころというのは、
自我意識の中での葛藤というのが少ないし、
いまこの瞬間に生きていることも多いからね〜。

神経症にはあまりならないよね。

88:2016/03/22(火) 11:53:01 ID:T9XnACMQ0
>>85

ニューアースの中には、
「真我に繋がった状態における、3つの行動のモード」というのがあって、
その3つは、

受け入れる

楽しむ

情熱を燃やす

の3つとのこと。

そのほかにも、
人を許せる、人と協力し合えるなど、いろいろあると思うけど、
ま、「受け入れる」の中に「人を許せる」
「楽しむ」の中に「人と協力する」というのも含まれるのかな?

逆にいえば、
真我に繋がっていない状態では、

否定する

楽しめない

エネルギーがない

ということなんだろうね。

89:2016/03/22(火) 11:54:34 ID:T9XnACMQ0
楽しむといっても、
興奮するような楽しみは、エゴの楽しみのような気がする。

あと、誰かに勝ったときの喜びなんかも。

90:2016/03/22(火) 11:55:43 ID:T9XnACMQ0
昨日のTBSの番組、

自閉症の子が、
人とふれあい、人と協力し合うことによって、
徐々に、まともになっていくというのが良かったなあ。

91a:2016/03/22(火) 19:02:43 ID:coV1cfYg0
>>22

こんなブログがあった。

http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-9815.html?optimized=0
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/shishi.html

斎藤さんが引用してた
鈴木大せつの文を、後になって探そうとググってたら
「禅とスピリチュアリズムの関連性」だののページとかいろいろあったんだけど、
その時にこのブログも見つけた。

92a:2016/03/22(火) 19:13:47 ID:coV1cfYg0
>しかし、この状態は、決して、手の施しようのないものでも、酷い結果しかもたらさないものでもありません。実際には、この状態は、「くぐり抜ける」ことの可能なものであり、むしろ、「くぐり抜ける」ことによってこそ、自己を変容させ、成長させる、大きな「試練」としての意味をもつものでもあります。それは、「死と再生のイニシエーション」ともいわれますが、実際に、自己の中の何ものかが死に、新たに「生まれ変わる」ことによって、成長を遂げるのです。
その、何ものかが「死ぬ」過程では、恐怖と抵抗から、「あがき」が起こり、確かに、ときに目を覆うような、「病的」状態が現れます。ときには、生命の危険を伴うことがあるのも確かです。しかし、それは、「病気」として、抑えつけたり、治療すべきものなのではなく、本来、それを「くぐり抜ける」ことによってこそ、越えられていくべきものということなのです。

海さんの話とも何か共通性を感じたなあ
病気の種類が違うだろ!と怒られそうだけど。

何が新鮮って、
内容的には私の考えとも常識とも違うのだけど(けっこうぶっ飛んでる内容?)
実に、かっちりとした論理的文章で書いてるところ。

93a:2016/03/22(火) 19:34:13 ID:coV1cfYg0
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87+%E9%9C%8A%E6%80%A7+%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0&x=wrt&aq=-1&ai=4rkWjOEnTEihWD5pMiqsSA&ts=29755&clone=&ei=UTF-8&fr=top_smf

94a:2016/03/24(木) 00:09:17 ID:coV1cfYg0
「棚上げぼた餅」

その心は?

95:2016/03/24(木) 08:20:37 ID:fqaTTHC.0
自分棚上げは、
成長の機会を失う。

みたいな感じかな。

96a:2016/03/24(木) 15:33:05 ID:coV1cfYg0
自分の棚上げ(エゴ)してると、
ぼた餅まで棚上げしちゃうぞ
棚ぼたは実は私達に降り注いでいるのに

みたいな

97a:2016/03/24(木) 15:37:29 ID:coV1cfYg0
それは人との争いだけではなく、
「自分自身が今を生きる」
みたいなことでも言えるな。
自分の棚上げ。

98:2016/03/24(木) 15:42:07 ID:T9XnACMQ0
>>96

うまい!

ちょっと感動しちゃった。

99a:2016/03/24(木) 15:46:32 ID:coV1cfYg0
「自分(真我や大我)を棚上げして
エゴ(小我)に生きる」

のではなく

「エゴを棚上げして
自分を生きる」



みたいにも言えるね

100a:2016/03/24(木) 18:03:32 ID:coV1cfYg0
↑「棚上げ」の意味合いが違うけどね。
それらをひとつにして論ずると・・

普通の意味での「自分の棚上げ」は、
棚に上げた自分も
棚の下で人と言い争ってる自分も結局エゴの自分。

そして、
その棚の下と棚の上のエゴ一まとまりが棚の下であり、
大我を(別の意味で)棚上げしてしまっている。

ってことかな。

言い換えれば・・

棚の下と棚の上のエゴ一まとまりが棚の上であり、
大我はいつだって棚の下に在ると。
それなのに、
意識と行動が、その(エゴの)棚の上に集中してしまいがち
ということか。

だから、最初の「自分棚上げ」はそれをしようがしまいが、
どちらにしてもある意味エゴの中。
(対話としては、もちろん自分の棚上げをしないことも大事だが)

ということは
相手の自分棚上げも、それを相手がしようがしまいが、
どちらにしてもエゴなのだから、
(自分のエゴと共に)ほっておいて、
意識を棚から下ろしましょう
(大我に生きる)
ってことだね。




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