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尚六SS「永遠の行方」

1名無しさん:2007/09/22(土) 09:45:00
シリアス尚六ものです。オムニバス形式。

636永遠の行方「王と麒麟(231)」:2013/04/25(木) 19:17:26
「だからこそ誰が王を見捨てても麒麟だけは味方です。麒麟だけは絶対にわた
したちを裏切らない。それが麒麟の性(さが)だと言ってしまえばそれまです
が、それゆえに忠誠が保証されているとも言えます。ならばそういう存在を与
えられたことはとても幸せなことではないでしょうか」
 もちろん即位して数年しか経たない陽子にそこまで実感できているはずがな
い。そもそもまだ景麒と信頼関係を構築できたとは言いがたく、親しさで言え
ば、彼より後に知り合った桓?や祥瓊のほうが勝るだろう。
 だが彼女は、遠い遠い未来の自分にも伝わるようにと、どこか祈るような気
持ちでそう言ったのだった。
 尚隆は静かに彼女を見つめ、やがて「そうだな」と彼も穏やかに笑った。
「では六太も、麒麟である以上、王たる俺のそばに置けば良い作用を受けるか
もしれぬな」
「ええ」
 尚隆はわかったとうなずき、女官を呼ぶと急いで黄医を召しだすよう命じた。
そうして何事か起きたのかとあたふたとやってきた黄医に陽子の提案を吟味さ
せた。
 詳しい内容を聞いた黄医は驚いたものの、迷うことなく「景王のご提案は一
考の余地がございます」と答えた。
「何しろ前例のないことですので、正直に申しまして呪に対する効果のほどは
わかりかねます。しかし少なくとも台輔に悪い影響があるとは思えません。む
しろ良い案であることは間違いなく、となれば台輔を主上のおそばにお移しに
なるのは拙官としても賛成いたします」
「そうか。害がないことがわかっているなら試しても損はない」
 尚隆は少しの間考えをめぐらせてから、期待をこめて控えている女官らを見
回した。
「六太を長楽殿に移す」
 主君の宣言に、女官たちは了解のしるしとしてうやうやしく頭を垂れた。
「毎日、俺のそばで過ごさせることで良い影響があるなら、多少なりとも術が
解けやすくなる可能性はある。そうなればあるいはふとした拍子に目が覚める
かもしれん」
 尚隆はそう続け、いつも六太の世話をしている面々が引き続きそばにいたほ
うが良かろうと、彼女らにも一緒に長楽殿に移るよう命じた。

637書き手:2013/04/25(木) 19:22:04
あう、桓魋が化けました。失礼。
いつもは数値文字参照に変えるのですが、うっかりそのままコピペしました。

きりがいいので、今回はこの辺で。

638永遠の行方「王と麒麟(232)」:2013/05/10(金) 19:07:51

 それからは大忙しだった。衣類を中心に六太の身の回りの物をまとめなけれ
ばならないのはもちろん、近習も大勢正寝に移動しなければならない。
 だが六太を長楽殿に移すとしても、侍官や女官、護衛といった面々が控える
房室も用意する必要があり、それとの位置関係も鑑みて具体的にどの房室をあ
てがうか決めなければならなかった。場所としてはとりあえず主君の臥室の近
くでいいのではという案が女官から出たが、彼女らと黄医や尚隆の話を横で聞
いていた陽子が口を挟んだ。
「近くでもいいでしょうが、この際ですから延王の臥室に延麒のための臥牀を
運びこむわけにはいきませんか?」
「俺の臥室に?」尚隆が聞き返した。
「そうです。どちらにしても昼間は政務がある以上、一日中一緒にいられるわ
けじゃありません。だったらせめて夜くらい、延王の目の届く場所に延麒がい
てもいいと思うんです。もちろん臥室は狭くなってしまいますが」
「それは別にかまわんが、わざわざ臥牀を入れることもあるまい」
「でも……」
「もともと俺の臥牀は広い。片側に六太ひとり寝かせておいても邪魔にはなら
んだろう」
「ああ――なるほど」
 意表を衝かれた陽子は瞬いたが、言われてみればその通りだった。金波宮で
もそうだが、ただでさえ王の牀榻は広い。臥牀そのものもキングサイズのベッ
ドより大きいと思われ、大の男がふたりで寝てさえ狭くはないだろう。一方が
小柄な六太ならなおさら。おまけに雁の主従は男同士であり、その点でも問題
のあろうはずはなく、新たに臥牀を運びいれるより遥かに手軽だった。何より、
わざわざそのための時間を作らずとも毎晩王のすぐそばにいることになるため、
陽子の提案に端を発する今回の目的にはむしろ都合が良い。
「とはいえ、俺の臥牀まで大量の花で飾られても何だがな。その辺は手加減し
てくれ」
 からかうように言った尚隆に、傍らの女官も苦笑いしながら「はい」と応え
た。

639永遠の行方「王と麒麟(233)」:2013/05/10(金) 19:09:55
「ではこちらで準備している間に、先に何人か長楽殿に遣りましょう。それか
ら台輔を輿でお連れいたします。本日中がよろしいでしょうか、それとも占卜
で吉日を占って――」
「そう大仰にすることもあるまい。どうせ帰るついでだ、今、俺が連れて行く」
 尚隆は女官がきょとんとしたのを尻目に臥牀に近づき、手早く衾で六太をく
るむと軽々とかかえあげた。そのまま「行くぞ」と周囲に声をかけてさっさと
歩き出す。我に返った女官らがあわてて身振りで指図しあって分担を決め、数
人が王につき従った。陽子も景麒にうなずいて後に続こうとしたが、黄医に声
をかけられて立ち止まった。
「恐れ入ります。しばらく長楽殿もこちらもばたばたするでしょうし、その間、
先ほどの昏睡状態からの回復例について今少し詳しくご教示いただけましょう
か。蓬莱で行なわれている介護の方法についても教えていただけると参考にな
るのですが」
「いいですよ」
 陽子は快く応じ、傍らの景麒には「延王とご一緒してくれ」と言って送り出
した。何しろ今は六太の使令がいない。房室の外で待っている護衛とともに戻
るとはいえ、万が一のためにも用心するに越したことはなかった。玄英宮にい
る間、陽子には常に景麒の使令がつくことになっていたから、ひとりでいても
彼女の安全には何の心配もない。
 黄医は残っている女官にも「景王からいろいろご助言をいただけることに
なった」と声をかけ、何人か一緒に話を聞くよう促した。陽子はあわただしい
雰囲気になった六太の臥室を出、近くにある落ち着いた小部屋に案内された。
「わたしは医療の専門家ではないため、あくまで伝聞による素人の私見になり
ます。それから先ほど延王や黄医にご紹介した蓬莱における回復例ですが、も
ちろん滅多にあることじゃないでしょう。だからこそ奇跡だと騒がれたのだと
思います」
 最初に陽子はそう断って、彼らが過剰な期待をいだかぬよう釘を刺した。希
望を持つのはいいが、効果がなかった場合の落胆の大きさを思えば確実視され
ても困るのだ。何だかんだ言っても尚隆はその辺の区別を冷静につけられるだ
ろうが、臣下がどうかとなると心もとない。仮に効果が出るとしても、少なく
とも数年はかかると思われればなおさらだ。

640永遠の行方「王と麒麟(234)」:2013/05/10(金) 19:11:59
「心得ております」黄医はうなずいた。「そもそも呪に強制された眠りと、怪
我や病による昏睡とはやはり性質が違いましょう。しかし実際に台輔がお目覚
めになるか否かはさておき、良い影響があるらしいとわかればお世話をするほ
うも安心して取り組めます。意識はなくとも快く感じておられるかもしれない
と思えば張りも出ます」
「わかりました」
 陽子もうなずき、意識が戻らなかったり、肢体が不自由になった患者の介護
に関する話題を懸命に思い起こして話した。女官たちも熱心に聞き、六太のた
めとあって幾度となく質問もし、時にはこれまでの介護方法を実演して陽子の
助言を仰いだ。
 そうやって彼らの相手をしながら、陽子は先ほど六太を抱きあげて歩き去っ
た尚隆の姿を思い浮かべた。所作がきびきびとしていたせいか、どこか気持ち
に張りが出たように見えた。少なくとも気がまぎれたことは間違いなく、これ
で朱衡も少しは安心するだろうかと思う。日頃の後援の礼は、昨日の花見の宴
で同席の三人に既に述べていたのだが、やはり具体的に役に立てたと思えるほ
うが嬉しいものだ。
 午(ひる)になり、長楽殿の尚隆から昼餉の誘いが来たのを機に陽子が立ち
あがると、女官のひとりが「本当に景王には何とお礼を申しあげて良いか」と
しみじみと感謝を述べた。
「最近では官の中にも公然と台輔を見捨てるべきだと放言する不埒な輩がいる
上、このところ主上もあまりお見舞いにいらしてくださいませんでした。でも
景王のおかげで台輔を主上のおそばにお連れすることもできましたし、これで
わたくしどもも少しは溜飲が下がります」
「これ、景王に申しあげることではありませんよ」
 別の女官が朋輩の軽はずみな発言を叱責した。陽子は一瞬だけ迷ったものの
「朱衡さんからお聞きしています」と答えた。
「何でも、延王に延台輔を見捨てるべきだと進言した官がいるとか」
 注意したほうの女官に尋ねると、相手は少々ためらいを見せたのち慎重に答
えた。

641永遠の行方「王と麒麟(235)」:2013/05/10(金) 19:14:02
「確かにおるようです。わたくしどものところまで詳細が聞こえてきたわけで
はありませんが、解呪が難しいと思われる以上、無駄な努力は放棄して政務に
勤(いそ)しむべきだと。それが結局は雁を案じていた台輔に報いることにな
ると」
「そうですか」陽子は少し考えてからこう続けた。「仁重殿の皆さんもいろい
ろ苦労があることでしょう。進言した官も雁のために心を鬼にしたのかもしれ
ない。ただ、延王が延台輔のことを気にかけているのは確かです。皆さんも延
台輔を心配しているでしょうが、あえて言いますと、一番衝撃を受けているの
は延台輔の半身である延王です。ただそういった内心を容易に明かす人ではな
いというだけ。何かと雑音も聞こえてくるでしょうが、延王を信じて引き続き
延台輔のお世話をしてあげてください。物事というものは、何であれ疑おうと
思えばいくらでも疑えます。でも今必要なのは、延王を信じ、どれほど時間が
かかろうと延台輔が目覚めることを信じることだと思います。そのこと自体が
延王を支えることになりますから」
「承知いたしました。お言葉を肝に銘じていっそうの忠勤に励みます」
「申し訳ございません。つまらぬことを申しまして」
 女官たちは礼と詫びとで頭を下げ、陽子も「皆さんが不安に思うのもわかり
ますから」と優しく応じたのだった。

 昼餉の場は尚隆の臥室の近くにある、広く気持ちのよい露台だった。仁重殿
からついてきた女官たちが、長楽殿の尚隆の近習と協力して六太のためにいろ
いろ整えているのが遠目に見えた。
 案内されてきた陽子はそれを一瞥し、促されるまま卓についた。献立は、彼
女のためだろう、蓬莱ふうの料理を取りまぜた繊細かつ美味なものだった。
「身体を動かしているせいか、女官たちも良い気分転換になったようだ」
 果実酒を勧めながら言う尚隆自身、気がまぎれたらしく、今朝より格段に明
るい顔をしていた。陽子はにっこりして杯を受けた。
「何ならわたしが玄英宮にいる間だけでも碧双珠を貸しましょうか? 延麒が
怪我でも病気でもないことはわかっていますが、身につけさせれば良い作用が
あるかも。それに多少は飢えや渇きがやわらぎます」

642永遠の行方「王と麒麟(236)」:2013/05/10(金) 19:16:05
「主上」さすがに景麒が咎める声を出した。彼は主が碧双珠を身体から離すこ
とに良い顔をしない。
「ここにいる間だけだ」陽子はなだめるように言った。「心配ならその間、延
麒におまえの使令をつけておくといい。延麒の護衛にもなる」
「すまぬが、そうしてくれ。呪に対する効果までは期待せぬが、飢えや渇きが
少しでもやわらぐならありがたい。意識がなくとも身体は苦しんでいるかも知
れぬでな」
 尚隆も丁寧に景麒に頼んだ。景麒は逡巡ののち「わかりました」と答えた。
 食事を終えて尚隆の臥室に赴いた彼らは、碧双珠につけた紐を六太の首から
下げた。ちょうど女官たちがひとまず房室のしつらえを終えたところで、三人
はそのまま人払いをして臥室の片隅で椅子に座った。
「冬官の作業で進展と言えるものは本当にないのですか?」陽子が尋ねた。
「正確には判断がつかぬといったところだ。何しろ実際に大当たりを引き当て
るまで、何が解呪条件かわからぬわけだからな。新年に春官府の占人が手がか
りを求めて占卜を行なったが、身のある内容が得られたとは言いがたい。ああ
いうものはたいてい、どうとでも解釈可能だ」
「そうですか……」
「長丁場は覚悟している」
「はい」
 陽子はうなずいた。

 一方、朝議を終えた朱衡は、六太の見舞いに赴いた陽子と主君のやりとりは
どうなったろうと気にしながら、陽子を昼餉に招くために仁重殿に使いをやっ
た。そこで急遽六太を長楽殿、それも尚隆の臥室に移すことになったと聞いて
驚いた。しかも既に尚隆自身が六太を連れていったという。
 そのまま主君は陽子と景麒を昼餉に招く意向との話だったので、自分も食事
を済ませて時間を計ってから長楽殿に赴いた。人払いがなされている最中だっ
たが入室を許され、朱衡はひとりで主君の臥室に向かった。房室に入ると、仁
重殿の六太の臥室がそうだったように牀榻の扉は開け放たれ、帳は巻きあげら
れていた。臥牀の奥では六太が穏やかに眠っているのが見えた。

643永遠の行方「王と麒麟(237)」:2013/05/10(金) 19:18:09
「これはまた、急なことで」
 驚きのまま、拝礼もそこそこに言うと、尚隆が「善は急げというからな」と
笑った。
「蓬莱で意識が戻らず疾医(いしゃ)に見放された病人に対し、伴侶が声をか
けたり手足をさすったりする献身的な看護を続けていたら目覚めた例があるそ
うだ。それを思えば、麒麟は王といると嬉しい生きものゆえ、俺のそばに置い
て俺が声をかけたり手足をさすったりすれば良い効果がもたらされて呪が解け
ぬとも限らぬ。まあ、蓬莱の例はあくまで病の話だし、奇跡とも騒がれた稀有
な例だそうだから安易に期待はできぬが、何もせずに手をこまねいているより
はましだろう」
 朱衡は、なるほどと納得した。そうしてから、これほど好ましい措置もない
だろうことに気づいて、提案したという陽子に感謝した。これで玄英宮で一部
に広がりつつある、王はもう宰輔を見捨てたいのだという見当違いの噂を抑え
ることができようからだ。六太を王の臥室に寝かせること以上に、尚隆の関心
と気遣いを示す行為はない。しかも王みずから運んだとあっては。主君の見舞
いが間遠になっていたことを憂(う)いていた六太の近習にしても、これで力
づけられるに違いない。
 さらに朱衡は、六太の胸元を飾る碧双珠の青い輝きを認めていっそう驚いた。
玄英宮に滞在している間だけとのことだったが、いかに後援である雁を頼りに
しているとはいえ、慶の大事な宝重なのだ。まことに景王は情に厚い人柄だと、
彼は感服した。
 尚隆が言った。
「六太の世話の勝手がわかっているだろうから、六太の近習もこちらに移す。
それ以外はもともと人手が足りぬでなし、正寝の者で何とでもなろう。殿閣の
手入れもあるから、仁重殿を完全に空けるわけにもいかぬしな。六太が目覚め
れば、また戻ることになるのだし」
「冢宰へは」
「先ほど使いをやった。あとのことは白沢が適当に計らうだろう」
 主君の声音には張りがあり、朱衡は安堵した。油断はできないにせよ、気分
が浮上したらしいことは単純に喜ばしい。
(やはり景王においでいただいて良かった)

644永遠の行方「王と麒麟(238)」:2013/05/10(金) 19:20:12
 尚隆がいったい何に滅入っていたのかはわからない。しかし在位年数という
決定的な差があるとはいえ、同じ王という立場にある者との交流は良いほうに
転んだようだった。
 陽子に招待の使いを送ったのと同じ時期に朱衡は帷湍にも個人的に青鳥を送
り、宮城の近況を報せていたが、こちらも感触は悪くなかった。自主的に謹慎
している体の帷湍であり、いくら親しい朱衡からとはいえ、私的なやりとりは
先方も歓迎してはいなかった。しかし困難な状況にあるのは確かだが、だから
こそ地方州がしっかり支えねばならないこと、帷湍が治めるがゆえに多少光州
と連絡をせずとも安心していられることをはっきり伝えると、あちらも気を取
り直したらしい。朱衡への青鳥の返信で、光州は任せろ、こちらはこちらで
しっかり国を支えるときっぱり伝えてきたのだった。何だかんだ言っても、や
はり激励は必要だったのだ。
 朱衡は尚隆とともに、蓬莱における介護の例も陽子から興味深く聞いた。尚
隆が言うように呪に対する効果のほどはわからないとはいえ、六太が少しでも
心地よく過ごせる可能性があることならありがたいことだった。
 尚隆の指示で、陽子と景麒は正寝に房室を用意されて朱衡の私邸から移り、
それからさらに四日滞在した。せっかくの機会ということで、陽子は朱衡以外
の六官とも交流を深め、おしのびで各官府の見学までした。そして日に一度か
二度、必ず六太の見舞いに訪れてくれた。
「次はぜひ延麒の快気祝いに駆けつけたいですね」
 最後の日、朱衡が約束の贈りものを運ばせるためにつけた騎獣や従者ととも
に帰国の準備をしながら、陽子はにこやかに言った。明るい表情で確信をこめ
て言われると、それだけで勇気づけられる思いだった。
 贈りものについては話を聞いた尚隆が色をつけてくれたのだが、十数頭もの
大柄な騎獣に分けて積載された高価な品や金貨の山に彼もさすがに驚いたらし
い。朱衡を一瞥して「大盤振る舞いだな」と苦笑していた。
「拙官もそのように願っております」
「ではまた」
「道中、お気をつけて」
 朱衡は深々と拝礼し、主君や冢宰、他の六官とともに隣国の王と麒麟の出立
を見送った。

645書き手:2013/05/10(金) 19:22:15
慶サイド(陽子)の登場はたぶん、全編を通して今回でおしまい。
仮に出てくるとしてもイレギュラーです。

次回は再び、ぐるぐる尚隆で、六太が目覚めるまであと少しかかります。
とはいえ陽子訪問がこの章のひとつの区切りだったので、
終わりも何となーく見えてきました。
地の文でさらりとすませるか、実際にシーンを描写するかにもよりますが、
あと数回の投下でけりがつくんじゃないかと。


ところで今、完全版(新装版)の『東の海神 西の滄海』を読んでいるんですが、
蓬莱において六太が尚隆を呼ぶ場面で、「なおたか」とルビのある箇所はなさそうですねぇ。
それどころか地の文とはいえ、六太視点で「しょうりゅう」というルビが出てきちゃってる。
完全版はやたらとルビが振られており、「もしかして?」とちょっと期待しただけに残念。

646名無しさん:2013/05/12(日) 22:31:56
乙ですー
尚隆の追い詰められていっぱいいっぱいな感じが新鮮で素敵ですなw

647名無しさん:2013/05/14(火) 01:04:34
陽子ありがとう!という気持ちになりますなぁ。

新装版はまだきちんと読めてないけど
なおたかはないっぽい気がする。

648永遠の行方「王と麒麟(239)」:2013/05/24(金) 22:35:52

 陽子と景麒が去って、玄英宮に日常が戻った。尚隆の目には不思議に色褪
せて見える、自分と六太の周囲だけ時が凍結しているような日常が。
 突然の陽子の訪問には驚いたが、朱衡が私財を投じて招待したことを知って
さらに驚いた。どうやらそれによって主君の気を紛らわせようとしたらしく、
そこまで真剣に心配されていたのかと苦笑した。確かに我ながら気分が滅入っ
ているのは自覚していたし、それでいてさほど言動を取り繕ってはいなかった
から、長年の側近である朱衡が懸念したのは当然ではあった。
 内心で、さてさて悪いことをした、と茶化すように考えながらも、六太を唯
一の蓬莱の形見と悟ったあとでは、やはり完全な平常心は取り戻せなかった。
このまま六太を失うようなことがあれば、きっと自分は心の拠りどころを失う、
そんな予感がした。
 近臣の中には、主君の気持ちを推して慮っている者もいよう。だが、二度と
帰れない異世界を故郷に持つ者の気持ちは、おそらく実際に経験した者にしか
真に理解はできまい。
 むろんこの世界にも故郷を失った者は大勢いる。特に遥か昔に昇仙した古株
の官は、生まれ育った里そのものがなくなっている場合さえある。だがそれで
も彼らには、里や国は違えど、同じ理(ことわり)に支配され、同じ時代の空
気を吸っていた同胞(はらから)がこの世界に大勢いるのだ。
 六太でさえ、親に捨てられたという悲運はさておき、今では蓬莱にさほど執
着していないかもしれない。特に彼はあちらと自由に行き来できたのだから、
そのぶん執着心が薄くても当然だろう。だが蓬莱ゆえに半身にこだわっている
のは尚隆のほうだけだったとしても、彼にとって六太がかけがえのない存在で
あることに変わりはなかった。

 六太の近習は日中は六太の世話をし、夜は尚隆に任せて臥室をさがる。通常
の不寝番は隣室で、護衛は扉の外で常に控えているため、特に問題はなかろう
と、夜間は詰めておらずとも良いと尚隆が言い渡したからだ。実際、昏々と
眠っているだけの六太だから、寝所を移してからこれまでの数日で不都合なこ
とは何も起きていない。

649永遠の行方「王と麒麟(240)」:2013/05/24(金) 22:37:55
「それでは主上、台輔。お休みなさいませ」
 その夜も一礼して退出する女官らを笑顔で見送ってから、尚隆は牀榻の帳を
開けた。臥牀の奥では六太が横たわっていたが、日に何度かそうなるように、
今もうっすらと目を開けて放心した風情を見せていた。
 臥牀の上、すぐ傍らであぐらをかいた尚隆は、そんな六太をぼんやり見おろ
した。
 不思議だな、と切ない気持ちでつくづく思う。麒麟は必ず王の近くに侍るも
の。その心も、景麒が言ったように好悪の別はさておき、常に王とともにある
と言えるだろう。たとえば乱心した王が麒麟を遠ざけることはあっても、麒麟
が自分の意志で王から離れることは決してない。だから六太も傍らにいて当然
だと思ってきた。もしも心が遠く離れるなら、王である自分のほうだろうと。
 だが現実には今、身体はあるものの六太の心はここにない。夢も見ない眠り
に囚われたままなのだから完全な空白であり、王に対する関心すらないわけだ。
尚隆はこうしてそばにいて彼を気にかけているというのに。
「陽子と景麒は慶に帰ったぞ。おまえが目覚めたら、くれぐれもよろしく伝え
てくれと言っていた」
 静かに話しかける。王がそばにいて声をかけることで、少しは良い影響があ
るだろうかと考えながら。それから不意に口の端に笑みを浮かべ、からかうよ
うな声を投げた。
「おまえ、陽子に接吻されたのだぞ。わかっておるか?」
 だがそのからかいにも淋しげな色は禁じえない。
 陽子が眠り姫の話題を出したとき、もしや、と彼は期待した。六太の懸想の
相手が彼女であるなら、陽子に接吻されれば目が覚めるのでは、と。
 六太が恋の成就を望み、それが最大の願いだった可能性は高い。ならば呪者
は皮肉を込めてその意を汲み、相手の女性との何らかの接触を解呪条件にした
に違いない。しかしながら神獣であり性的に幼いと思われる六太と、普通の男
のような生々しい欲望は結びつかない。ならば――。
 ところが実際には解呪は果たせず、落胆した尚隆は、ごくごくわずかな時間
の間に自分がいかに激しい希望をいだいたのか思い知った。

650永遠の行方「王と麒麟(241)」:2013/05/24(金) 22:39:59
 しかし他国の王にこれ以上のことは望めない。望んでいいことではない。ど
んなに滅入ろうと、それがわからないほど道理を見失ってなどいない。余裕の
ない国の国主が、大量の贈りもので乞われたとはいえはるばる雁にやって来て、
他国の麒麟に接吻までしてくれた。それでもう十分だ。
 遠くに思いをはせるようにふと牀榻の天井を仰いだ尚隆は、彼にあえて厳し
く接した陽子の言動を思い浮かべた。なんだかんだ言っても実際のところは、
別段、それを不快に感じたわけではない。尚隆を力づけようとしているのはわ
かっていたし、むしろ若さゆえの大胆な言動に、かつての泰麒捜索の折、玉座
などいらないと臣下の前で言い放ったときの浅慮をなつかしく思い出しさえし
た。
 彼女は若い。若すぎてまだまだ自分の感情を抑えることができない。しかし、
だからこそ成せることもある。それに以前は言動の影響を慮るところまでいか
ないことも多かったが、さすがに今回はそれなりの予測をもって行動したのだ
ろう。
 六太に視線を戻した尚隆は、彼女と文をやり取りしていた六太の言を思い出
した。
 六太は、陽子にはあまり先行きが暗くなりそうな話題を振らないように配慮
していると軽口で言ったものだ。既に五百年以上を生きている自分たちとは違
う、老爺の繰り言は若い心にはそぐわない、と。
 確かに蓬莱の稀有な回復例を引き合いに出しての励ましなど、生きることに
倦んだ者にはとても思いつかないだろう。あれはどんな低い可能性にも希望を
失わない、生命力に満ちたまっすぐな心ゆえに口にできた言葉だった。おまけ
にまだまだ彼女はこの世界の理に通じたとは言えず、天帝の思惑よりも自分の
信念のほうを無意識に信じている。
 ならば、この際それに賭けてみてもいいだろう。
 もちろん陽子の提案に過剰な期待をいだいたわけではない。この世界は蓬莱
とは違う理に支配されている。あらためて考えるまでもなく、しっかり施され
た呪が解呪条件以外に解ける可能性はほとんどないと思われた。
 ただ、もしかしたら、ということはある。ほんの毛筋ほどでも可能性がある
ならば、諦める前にあがいてみるのもいい。

651永遠の行方「王と麒麟(242)」:2013/05/24(金) 22:42:03
 それに尚隆は天意を享(う)けた王だ。国内の状況から言っても、各種占卜
に凶兆が現われていないことを鑑みても、決して天命を失ったわけではない。
ならば天運は王に味方するはずだ。
 そう考えるのは別に彼が天帝を信じているからではない。少なくとも尚隆に
は天帝に対する「信頼」や「信仰」といった情緒的な感情はなかった。ただ経
験則から導きだした論理的な考えから、創造神に類する存在の確信があっただ
け。だからこそ天命を享けた王の運の強さを含め、この世界が天意を反映する
ように作られていることを納得して、ある意味では突き放すような冷静さで受
け入れてきた。条理の大いに異なる別世界からやってきただけに、いったん作
為の存在を得心すれば、世界の成り立ちをも含めた全体を俯瞰する視点に立っ
て割り切りやすかったのかもしれない。
 それゆえ、これまで謀反が起きたときの大胆な対処法も、天運を味方にして
いる王としてのおのれは必ず念頭に置いていた。もし天が尚隆にまだ雁を治め
てもらいたいと考えているなら、この危機も乗り越えられるだろう――尚隆自
身が諦めさえしなければ。
 問題はそこだった。
 六太が唯一の蓬莱の形見だと自覚し、なのに彼に見捨てられて一時的に憤り
に似た絶望に駆られはした。それはある意味では感情のほとばしりであり、負
の方向にとはいえ生の躍動感の発露でもあった。
 ところが今はそうではない。尚隆は不思議と覇気を失ってしまった自分を明
確に自覚している。食事をして初めて空腹だったことを自覚するように、立ち
止まって初めて歩き疲れていたことを自覚するように、ふと歩みを止めて進ん
できた道を振り返ってしまった尚隆は、これまで感じなかった疲労を、再び同
じように歩き出すには億劫だと思うような倦怠感を覚えてしまったのだった。
 おそらく、とどこか物憂い気分の中でも冷静に分析する。治世の最初の数十
年のようにやることが山積みで、国そのものも貧しかったらここまで迷いに捉
われはしなかったろう。そんなことに意識を割かれるほどの余裕はないからだ。
たぶん六太の望みどおり、彼を捨て置いても国政に力をそそいだに違いない。
余裕ができるのは喜ばしいことだが、暇がありすぎると得てして余計なことを
考えてしまうという見本かもしれない。

652永遠の行方「王と麒麟(243)」:2013/05/24(金) 22:44:07
 そもそも最初の百年で雁の全土はいちおうの復興を遂げた。続く百年で安定
した発展を続けてきた。つまり国を平和に豊かに治めるという目標は何百年も
前に達成できているのだ。進むべき段階的かつ具体的な目標と、最終目標に対
する未来像を描けているうちは気が張っているからいい。だが実際にそこに到
達してそれなりの達成感を得たあとは、ただ後戻りしないよう、少しずつでも
歩み続けるだけのゆるやかな現状維持だ。そこにもはや大局的な目標はない。
 人間というものは贅沢や便利さにすぐ慣れてしまうものだ。その上いったん
慣れると、少しでも後戻りすると不満を感じてしまう厄介な性質があるのだか
ら、国の安寧を保つためには決して立ち止まるわけにはいかなかった。だがだ
からといって既にどこへ行けるというものでもない。
 ふと尚隆は、自分はどうしたいのだろうかと考えた。ただ前に進むだけの、
永遠に続く重責の連続をこれからも続けるのか――たったひとりで。
 何を達成しても、傍らで共に喜ぶ者がいなければ張り合いはない。そしてそ
れは尚隆が意のままに罷免でき、いくらでも余人に代えられる官では物足りな
かった。
 むろん麒麟も王の臣下だが、王の選定という役目を負った神獣で、王の生命
も握っている特殊な立場にある。それゆえに玉座の象徴とされ、王の半身と呼
ばれる。いわば共同で王位を守っているようなものだ。主従ではあり、本気の
勅命を拒否することはできないとはいえ、王に対して真に強い態度を取れる唯
一の存在だった。
 だからこそ、このままむざむざと六太を失うことを認めてはだめだ、とは思
う。きっと天命ある王の終焉は、王自身が諦めるか否かにかかっている。諦め
さえしなければ、どんな困難も克服できるのではないか。たとえ間一髪で命を
失うような危険の連続にさらされてさえ。この世界に連れてこられた陽子の過
酷な放浪の旅 がそうだったように。
 そもそも尚隆はこれまで何事も諦めたことはなかった。暗い滅亡の誘惑に駆
られてさえ、その動機はどうあれずっと前を見据えていた。しかしいったん立
ち止まって足跡を振り返ってしまうと、既に目標を達成してしまっただけに、
これまで感じなかった疲労による誘惑は甘美だった。そろそろ荷を降ろして休
んでもいいのではないか、という魔のささやきは甘露のごとく甘く優しい。

653永遠の行方「王と麒麟(244)」:2013/05/24(金) 22:46:10
 何しろこの世界の王に老衰による自然死はない。天命を失っていないならな
おさら、禅譲にしろ弑逆にしろ、どこかの時点で王なり臣下なりが決断するし
か王朝の終焉はありえない。
 その上、彼は永遠など信じていなかった。武士は散り際が肝心だ。むろん王
の心構えとしては永遠を目指すべきだろうが、同時に終焉のことも想定してお
かねばならない。見たくないものを見ない、考えたくないことを考えないとい
うのは、市井の民なら許されるかもしれないが、王たる者の精神ではない。
 だが六太のことが原因で尚隆が王の位を退くことは、きっと六太を裏切るこ
とだ。たとえ愛する女性のために呪者に屈したのだとしても、尚隆がいれば国
の安寧は保たれると信じればこそ、覚めない眠りを受け入れたのだろうから。
 なのにこんなふうに惑っている主君を見たら、六太はいったい何と言うだろ
う。「なに、柄にもなく深刻に考えこんでんだよ」と呆れるだろうか。
「深刻にもなろう。半身に見捨てられたとなれば」
 ふと苦笑まじりにつぶやいたものの、六太は時に凍結されたように静謐をま
とったまま、実際に声が届くはずもない。しかし尚隆は脳裏で彼がわざとらし
く顔をしかめたのを感じた。
(ひねてんなー。見捨てるも何も、いつも俺を無視して勝手にやるくせに)
 確かに、と続けて苦笑する。万事に見通しの甘い六太の諫言や進言を聞き入
れたことは一度もないのだから。
(じじいになると繰り言が増えるんだよなぁ。やだねー、愚痴っぽくて)
 幻の六太は呆れたように肩をすくめている。尚隆は手を伸ばして、眠る六太
の頬をなでた。
 今にも起きあがって、幻聴ではなく本当に以前のような憎まれ口をたたかな
いだろうか、と夢想する。しかし現実にはただ横たわっているだけ。
 尚隆は六太が、王には何も悪影響がないことを呪者にしつこく確認したとい
う鳴賢の言を思い出した。王がいなければ国が荒れるのはすぐだから、と説明
したという。おそらく尚隆が王でなければ、この少年にとって何の価値もない
のだ。

654永遠の行方「王と麒麟(245)」:2013/05/24(金) 22:48:14
 だがそれは当たり前だ。六太は麒麟だ。麒麟が王を求めるのは本能であり、
それ以上の意味を求めるものでもない。おそらくは麒麟でなければ、尚隆の存
在に意識を向けることさえなかったに違いない。
 それでも少しは王としてではなく、個人としての小松尚隆を気にかけたのだ
と思えたらどんなにいいだろう。五百年もの間、苦楽をともにし――少なくと
も同じ時代の蓬莱に生まれ、同じ時を過ごし、ここまで来た。彼を玉座に据え
た当人とはいえ、いや、だからこそ、六太にとって尚隆が王でなければ一片の
価値もない存在だとは思いたくなかった。
 だが真実を知ることは尚隆には永遠にできない。彼が王でなくなるのは死ん
だあとなのだから。何より、ふたりは出会ったときから王と麒麟でしかなかっ
た。
 ――そう、王と麒麟だからこそ出会った。
 半身の顔を眺めながらそんなことをつらつらと考えていた尚隆は、徐々に心
の中に何かがしみいるのを感じていた。
 たとえ六太が陽子に懸想をしていようと、尚隆には天に強いられた忠義しか
なかろうと、そのこと自体は大した問題ではないのかもしれない……。
 ――なぜなら。
 なぜなら彼らは最初から王と麒麟だったのだから。だからこその出会いだっ
た。でなければ尚隆はあの瀬戸内の海で討ち死にしていたはずだし、そもそも
六太はそのずっと前に飢えて死んでいたのだろう。
 王と麒麟だからこそ出会った。そこへ、もし王でなかったら麒麟でなかった
らと仮定することは意味がない。
 ならば。
 それこそが自分たちの絆だ。王と麒麟であること、それ自体が。
 陽子に対するようなこまやかな気遣いを示されずとも、個人としての尚隆に
など六太がいっさい関心を寄せていなかったとしても。尚隆との間にも余人と
の関係に代えられない培ってきたものはあるはずなのだ。
 ――ならば。
 ならば王としてできるだけ長く六太の前にあること。それができれば。
 尚隆は拳を握りしめた。その目に一瞬、強い光が蘇る。
 このまま諦めてしまうことはできなかった。

655書き手:2013/06/03(月) 19:25:00
また海客などのオリキャラが多少関わってしまうこともあり、
ちまちま小出しにするのではなく、
この章の終わりまで書き上げてから一気に投下したいと思います。
そのためしばらく……というか、おそらく今度はかなり間が開きます。

尚六的承&転となる次章に突入してしまえば、
宮城における尚隆と六太のやりとりが主体になるため、
少なくとも下界のオリキャラはほとんど出ないんですけど。

656名無しさん:2013/08/19(月) 21:01:31
この作品に会えてよかった(*´∀`)

657名無しさん:2013/08/23(金) 10:45:28
応援してます

658書き手:2013/10/27(日) 20:43:56
章の終わりまで書いて一気に投下、と予告しましたが、
しばらく二次創作から離れていたので全く進んでいません(汗)。
と言っても十二国記から離れていたわけじゃないんですが。

当初は書き溜めていた部分も含めて推敲するつもりでそう予告したんですが、
時間が経って、別にこのままでもいいかぁと思ってしまったので少しだけ落とします。
ただ本格的に続きを投下するのはまだ先になります。

659永遠の行方「王と麒麟(246)」:2013/10/27(日) 20:46:01

 陽子のおかげで気晴らしができたためだろう、主君の様子はかなり改善され
たように見えた。一時のどこか苛立ったような気配は鳴りをひそめ、逆に人当
たりが柔らかくなりさえした。そして近習に様子を聞いても、朱衡自身の目か
ら見ても、かなり丁寧に六太の世話をしていた。
 にぎやかなほうが良かろうと、女官を含めた大勢でいろいろな噂話をしなが
ら六太にも普通に声をかけ、彼も話に混ざっているかのように振る舞う。何も
ないときは六太の眠る臥室に留まり、みずから優しくも根気よく手足をさすっ
たり関節を動かしたり寝返りを打たせたりし、その間も宮城でのできごとを話
して聞かせる。毎日の着替えでさえ、女官の手を借りながらも尚隆自身がやっ
ていた。朱衡や他の六官が見舞えば彼らにも談笑に加わるよう促すので、主君
の臥室は、開放的で活気がありながらなごやかな場所になった。
 本来なら昇殿できない官位の下官らも大勢招こうとしたため、さすがに警備
上まずいと官が進言し、代わりに外殿の一室に場所を設けて六太を連れだして
は、六太と親しかった下官たちを見舞わせて近況報告がてら談笑させるように
もした。仁重殿にいたときほど花は飾られていないが、それでも臥室を訪れる
人々の目を楽しませる程度には飾りつけがなされ、趣味の良い香が焚かれ、毎
日三度、時間を決めて楽人による演奏が行なわれた。水や果汁を飲ませるのも
女官まかせにすることなく、政務を中断して戻ってきてまで、かならず尚隆が
口移しで飲ませた。
「どうせなら関弓の街にも連れていって、六太の親しかった者たちと会わせて
やりたいものだがな」
 尚隆はそう言ったものの、使令がいない今、万が一を思えばさすがに無理と
いうものだろう。足を伸ばすのを許容できるのはせいぜい国府どまりと思われ
た。
 そうこうしているうちに尚隆は、下界に行く代わりにいくつかの凌雲山にあ
る離宮に六太を連れていくと言いだした。ずっと宮城にいては六太もつまらな
いだろう、場所を変えれば気分転換にもなる、と。少しでも六太が喜びそうな
ことは片っ端から試すつもりらしい。
「せっかくだ、おまえたちもつきあえ」

660永遠の行方「王と麒麟(247)」:2013/10/27(日) 20:48:05
 主君はそう笑い、政務の合い間に近習はもちろん六官の誰かを代わる代わる
同道しては離宮に赴き、そのまま二、三日逗留するのを繰り返した。離宮とて
基本的な造りは宮城と似通っているが、それぞれに特色はあるため、もしかし
たら本当に六太も微妙な空気の違いを捉えて喜んでいるかもしれなかった。
 陽子が尚隆や近習に行なった助言は、女官らの口を介して自然と広まってい
たから、宮城の誰もが王の意図を理解して協力した。特に下官は仙境蓬莱に由
来するとあって件の助言を確実視し、近日中に六太の目が覚めるに違いないと
思いこんだ者も多かった。
 むろん六太の身近にいる者たちはそこまで楽観してはいない。冬官たちも引
き続き解呪条件を突きとめるための努力を懸命に続けている。それでもこれま
での一年と異なる方向性での奮闘は気持ちを一新したし、ひんぱんに離宮に赴
くことは気晴らしにもなり、何かと滅入りがちだった六太の近習たちの慰安に
もなった。それは尚隆も同じだったに違いない。
 とはいえ主君の様子にずっと気を配っていた朱衡は、完全に不安をぬぐえた
わけではなかった。何しろ神仙である尚隆は、仮にどれほど生活が乱れ気持ち
が荒れても簡単にやつれることがない。だから一見すると面立ちは何も変わら
ないように思えるのだが、ずっと仕えてきた身からすると、どこか疲労の色が
窺えたし、何より表情に翳りがあった。それに妙に精力的なのも逆に気がかり
だった。こういうことは忙しくしている間はいいが、ふと気がゆるんだときが
怖いのだ。
 それでも朱衡は陽子の励ましを信じ、どれほど時間がかかろうと六太は必ず
目覚めるとの希望を胸に、主君の前では決して迷いを見せないよう気をつけた。
一方、白沢はともかく他の六官は早々に安堵したようで、朱衡などよりずっと
朗らかだった。
 尚隆が政務で不在の間、女官たちは六太を椅子に座らせ、彼が喜びそうな楽
しい物語を朗読して聞かせたりした。彼女らは市井に赴いてまでさまざまな物
語の写本を買い求めたが、尚隆にも、もし海客の書いた物語が他にもあれば、
ぜひ取り寄せてほしいと頼んだ。
「確かに六太は聞きたがるだろうな」

661永遠の行方「王と麒麟(248)」:2013/10/27(日) 20:52:13
 そのとき臥牀に寝かせた六太の枕元に腰をおろしていた尚隆は要望を聞き入
れ、鳴賢を通じて海客に頼んでみることを約束した。ついで日課となっている
楽人たちの美しくも荘厳な演奏がなされ、さらに女官たちが優しい声で柔らか
く合唱したあと、尚隆はどうせなら海客の音楽も聞かせてやろうと言いだした。
「海客の音楽、ですか?」
「そうだ」
「あれはかなり騒々しいとの話ですが……」
 果たして六太の身体に良いものやらわからぬと不安そうにした女官に尚隆は
苦笑した。
「だが六太は好んでいたそうだぞ。むろんおまえたちの歌声は美しく耳に心地
よいが、にぎやかで騒々しい歌や楽曲もたまには良かろう。特に海客のみなら
ず関弓の民と一緒に大勢で歌うときは楽しそうだったと聞くしな」
「しかし、不用意に台輔を下界にお連れするわけには」
 その場にいた朱衡もそう言って懸念を示した。民の前に出すならどうあって
も金の髪は隠さなくてはならないが、眠ったままの六太の頭を布で巻くのは不
自然ではなかろうか。
 尚隆は少し考え、六太は事故で頭を打ったことにしようと言った。
「頭を怪我したことにして保護のための布をぐるぐる巻き、一筋か二筋、薄い
茶色のかもじを垂らしておけば誤魔化せよう。こいつは市井に出るとき、よく
眉に薄茶色の眉墨をなすりつけていたから、出会った者たちは何となく茶色の
髪だと思っているはずだしな。そして天幕なり何なりで囲った場所を片隅に
作ってもらい、人目に触れぬよう、そこでこっそり歌や楽曲を聞かせてもらえ
ばよい。そもそも海客の団欒所は国府にある。街中に出すよりは相当に安全だ
ろうよ」
「では念のため、拙官もご一緒させていただいてよろしいでしょうか」
「おまえが?」尚隆はおどけたように眉を上げた。「海客の音楽は好みではな
いのではなかったのか」
「それも経験というものです。そろそろ拙官も新しい経験をいたしたく存じま
す」

662永遠の行方「王と麒麟(249)」:2013/10/27(日) 22:54:35
「なるほど」おかしそうに笑った尚隆は、傍らの六太に手を伸ばして頭をなで
ながら優しく話しかけた。「朱衡はそろそろ新しい経験をしたいそうだ。慣れ
ぬことをして頭痛がせねば良いが」
 その声音と所作には紛うことなき慈愛がこめられ、朱衡はとっさに言葉を続
けられずに数瞬、間が空いた。それから取り繕うように微苦笑してみせ、言葉
を継いだ。
「たまには頭痛がするようなことをするのも新鮮でいいものです。主上こそ、
聞きなれぬ楽曲に頭を痛めることのなきよう。台輔に笑われてしまいますよ」
「なに、日頃から何かとおまえたちに笑われているゆえ、今さらこれに笑われ
たとて別にこたえんな」
 そう言って穏やかに笑った主君の目も声もやはり優しかった。

 数ヶ月ぶりに大学寮に風漢が訪ねてきたとき、彼が「おう」とにこやかに手
を上げたので鳴賢はとっさに期待してしまった。
「もしかして呪が解けたのか?」
 房間に招きいれて扉を閉めるなり、急(せ)きこんで尋ねる。だが相手は笑
顔のまま首を振った。
「いや、まだだ」
「そ、そう、か……」
 ふくらんだ希望を一瞬のうちに打ち砕かれ、鳴賢は落胆のままに肩を落とし
て大きく息を吐いた。風漢の声音や物腰が今までよりずっと柔らかく感じられ
たため、てっきり事件が解決したのかと思ったのだ。適当に座ってくれ、と
言って、自分も椅子にかける。
「じゃあ、また俺に聞き取りでも?」
「いや、今日はちと頼みたいことがあって来た」
「俺に?」
「六太に読み聞かせたいので、海客が書き記した物語があれば、以前のように
手に入れて送ってほしいのだ。それと海客の音楽も聴かせたい。おまえは団欒
所の海客と面識があるゆえ、その旨を仲介してはくれまいか」
「えっ……」しばし絶句したのち、鳴賢は慎重に尋ねた。「それって……彼ら
を宮城に招くってこと、か?」

663永遠の行方「王と麒麟(250)」:2013/10/27(日) 22:56:39
 六太の身分を知られたらまずいだろうに、と懸念もあらわな彼に、風漢は
「いや」と笑いながら首を振った。
「いつもやっているように、団欒所で演奏なり合唱なりしてくれればよい。そ
れもできれば関弓の民も呼んでにぎやかにやるほうが良いな。陰で六太に聞か
せるゆえ、盛大なほど六太も喜ぶだろう」
「いや、その、だって。そもそも何だってそんなことを」
「実はな」
 風漢の説明は驚くべきものだった。先日、景王がわざわざ玄英宮を訪問し、
解呪条件を突きとめられずとも呪が解ける可能性があると力説したのだという。
いわく、蓬莱で怪我や疾病のため昏睡に陥り、二度と目覚めぬと思われた人々
が地道な看護で意識を回復した奇跡の例がある、ならば六太の場合も触覚や聴
覚に刺激を与え続ければ似たような効果が望めるかもしれない、と。特に親し
い間柄の人間による親身な看護、ひんぱんに声をかけたり好きだった音楽を聞
かせること等々が好ましいらしい。
 病と呪とでは条件が違うが、症状自体はよく似ているわけで、もしかしたら、
ということはある。それで王に一任されたのだと風漢は語った。
「むろん安易に期待はできぬ。できぬが、害のないことならやっても損はある
まい?」
「それもそうか……」
 はたから見てどれほど可能性が低いように思えても、手立てを尽くすという
意味では何であれやってみる価値はあった。
「でも、六太は養い親に連れられて余州に行ったってことになってるんだけど」
「六太は事故で頭を打ち、それ以来昏睡が続いていることにする。養い親は良
い瘍医にかからせるために首都関弓に戻りたかったが、勝手に任地を離れるわ
けにはいかぬとあって迷ったあげく、俺に頼んで六太だけ関弓に戻した。そこ
でこの手の症状に詳しい瘍医に、好きだった音楽を聞かせると効果のあった患
者がいると助言されたことにするのだ」
 既に基本的な設定は考えてきたのだろう、風漢の説明は淀みなかった。意表
を突かれて瞬いた鳴賢だが、少し考えただけでうなずいた。
「なる……。それなら矛盾はないか……」

664名無しさん:2013/11/04(月) 22:32:09
一気に読んでしまいました
めっちゃオモローです…!

665名無しさん:2013/11/14(木) 05:39:44
再読だけでも3日はかかりました。ああ、まだまだ何年も読んでいたい。
どの章も面白いです!

666永遠の行方「王と麒麟(251)」:2013/11/21(木) 22:51:02
「六太は俺が連れてくるが、頭を怪我したということで布をぐるぐるに巻いた
上で、隙間から薄茶色のかもじを覗かせて髪の色を誤魔化す。だが大勢が集ま
るとなると何が起きるかわからぬゆえ、念のために団欒所の片隅に天幕なり何
なりで囲った一角を設けてもらいたい。そこでなるべく人目に触れぬようにし
て歌や曲を聞かせるのだ。頼まれてくれるか」
「わかった」鳴賢はいったん了解したものの、すぐに不安な声になった。「け
ど、そう簡単にはいかないかもしれない。何しろ楽器を弾ける海客って、今は
守真と恂生だけなんだよ。悠子という娘は楽器を弾けないって聞いたことがあ
るし、もうひとり華期って男がいるんだけど、国府に勤めてて忙しいらしくて
全然顔を出さないから俺も会ったことがない。さすがにふたりだけじゃ難しい
んじゃないかな。関弓の民も呼ぶなら、彼らの相手をする人も必要だろうから」
「華期?」眉根を寄せた風漢は、すぐに、ああ、とうなずいた。「それならば
心配はいらぬ。忙しくとも開放日には顔を出すよう、俺が頼んでみよう」
「あ、そうか。あんたも海客だったんだよな。もともと知り合いか。でもそれ
なら、あんたが直接守真に頼んだほうが話が円滑なんじゃないか?」
「いや……。実を言うと俺はその女人と面識はないのだ」
「え、そうなのか?」
「最初から団欒所に行かぬ海客も少なからずいる」
「それでも華期とは知り合い?」
「国府で働いている者同士、まあ、いろいろとな」
「そうか。なるほど」
「それより関弓の民の相手をするなら、ほれ、楽俊の母親がいたろう。人形劇
も見にきて楽しんだ上、世話好きでいろいろ手伝ってもくれたそうではないか。
今度も頼めば引き受けてくれるのではないか」
「ああ、いい考えだ。さっそく明日にでも話してみるよ」
 楽俊によると母親も六太の身分も知っているということだし、その意味でも
安心だ。いろいろ気を配ってもくれるに違いない。
「文張は今頃きっと仕事で忙しいだろうな。とっとと卒業しちまいやがって」
鳴賢は明るい顔で毒づいてみせた。「じゃあ、団欒所のほうは今度の開放日に
訪ねていって、守真に頼んでみる」

667永遠の行方「王と麒麟(252)」:2013/11/21(木) 22:53:06
「うむ。よろしく頼む」
 必要に応じてそれらしい設定を即興で作ってかまわないとも言われたが、念
のためにその場でいろいろ擦りあわせをした。そのまま、何度かそうしたよう
に一緒に飲み食いでもしにいくかと思えば、風漢は開放日後の再訪を約束して
すぐに辞去した。聞けば 女官と一緒に六太の世話をする役もおおせつかった
ため、空いた時間はすべて六太の側にいるのだという。何度も聴取にやってき
たことといい、意外と職務熱心で面倒見のいい男だったんだな、と鳴賢は感心
した。
 翌朝、鳴賢は遅い朝餉を摂りに飯堂に行った際、こっそり楽俊の母親を呼ん
で計画を伝えた。ちょうど忙しい時間帯が一段落したところで、人の好い彼女
は真剣に耳を傾けてくれ、予想通り、ぜひ協力したい、詳しいことが決まれば
教えてほしいと言ってくれた。それから開放日までの間、鳴賢は頭の中で何度
も守真との想定問答を繰り返した。
 当日、実際に団欒所に赴くと、とっくに敬之が顔を出しており、ここに備え
つけられている簡単な言葉の対応表を広げて、片言の会話を混ぜた筆談を悠子
としているのを目にした。彼とはこの数ヶ月、何度か団欒所でも顔を合わせて
いたから、特に予想していないわけでもなかったが、今では悠子も片言で応じ
ているらしく、時折楽しそうな笑い声さえ聞けるようになった。敬之当人は蓬
莱の言葉に興味があって教えてもらっていると言い訳していたが、悠子を気に
かけているのは明らかだった。考えてみれば阿紫もそっけない娘だったし、年
頃も似通っている。意外とああいうのが好みなのかもしれない。いずれにせよ、
失恋の痛手を癒せたのなら喜ばしいことだった。
 鳴賢は談笑の輪の中にいた守真を見つけ、内々に相談したいことがあると耳
打ちした。いつになく真剣な様子に感じるものがあったのだろう、気を利かせ
た彼女は鳴賢を手招きし、隣の誰もいない小部屋へ連れていった。物置のよう
なそこで向かい合って座り、ためらいながら六太が頭を怪我して昏睡状態が続
いていることを告げると、いつもにこやかな守真も絶句してしばらく呆然とし
ていた。
「あ、命には別状ないんです。ほら、六太は仙籍に入ってるから、ちょっとぐ
らい飲まず食わずでも影響ないし」

668永遠の行方「王と麒麟(253)」:2013/11/21(木) 22:55:10
 安心させるように言うと、守真は幾度も目を瞬き、それからようやくのこと
でかすかにうなずいた。蓬莱に子を残してきた彼女は、赤の他人であっても子
供の災難に同情しやすいのかもしれない。
「養い親は手を尽くしたんだけど、やっぱり地方じゃいい瘍医がいないらしく
て。それで知り合いの風漢って男が世話を頼まれて、最近になって六太だけ関
弓に戻ってきたんです。そうしたら風漢の伝手で診てもらった瘍医に、地道に
手足をさすったり話しかけたりすると回復することがあるとか、好きな音楽を
聞かせたら反応を見せた患者もいるといった話を教えられたそうです。風漢は
小間使いを何人か雇って、ひんぱんに話しかけたり楽器を弾かせたりして六太
の世話をさせることにしたけど、俺が六太は海客の歌や曲も好きだって教えた
ものだから、ぜひ聞かせたいって乗り気になって。もっとも今、楽器を弾ける
のは守真さんと恂生だけだけど、それを言ったら、国府に勤めている官同士、
風漢は華期さんを知ってるから、何なら忙しい華期さんにも開放日ぐらいはこ
ちらに来てもらえるよう頼んでみると言ってました」
 さらに、できれば関弓の民も呼んで大勢でにぎやかにやってもらいたいこと、
かと言って六太を好奇の目にさらすのは本意でないため、堂室の一角を天幕な
どで囲って人目に触れない場所を作り、そこに運び入れたいとも伝えた。人手
が足りないが、話を聞いた楽俊の母親がぜひ手伝いたいと申し出てくれている
ことも。
 黙って話を聞いていた守真は、やがて得心したのだろう、気を取り直したら
しく大きくうなずいた。
「そうだったの……。大変だったのね」
「ちょっと聞いたところじゃ、六太は他の官吏の子弟と遊んでいてどこか高い
ところから落ちたらしいです。怪我自体は大したことなくてほっとしたはいい
けど、打ちどころが悪かったのか、それ以来、目が覚めなくて」
「まあ」
 顔を歪めた守真は口に手を当て、心の底から気の毒そうな声を上げた。彼女
自身は、景王が口にした蓬莱の回復例を知らないようだったが、効果があるか
どうかわからないにせよ、必死に手を尽くそうとする親御さんの心中を思えば
自分も苦しい、できることがあればいくらでも協力すると言ってくれた。

669永遠の行方「王と麒麟(254)」:2013/11/21(木) 22:57:19
「でも、歌や曲を聞かせるのって、一度だけじゃなく、きっと何回もやったほ
うがいいわよね?」
「あ、そう――ですね」鳴賢は内心で、風漢にそれを聞かなかったなとあわて
ながらもうなずいた。「そこまでは言われてないけど、確かにそうかもしれな
い。一回や二回ではだめでも、何回も繰り返すほど効果が現われやすいかもし
れないんだし」
 それを聞いて考えをまとめるかのようにしばし目を伏せた守真は、何やらひ
とりうなずいてからこう言った。
「だったら最初からきっちり予定を立てて大がかりにしなくてもいいと思うわ。
自然に人が集まったならともかく、関弓の人たちに声をかけてにぎやかに催す
のは後回しにして、はじめはついでのような気軽な演奏会でいいんじゃないか
しら。それなら準備もいらないからすぐできるし、何なら初回はわたしがひと
りでピアノを弾いて歌ってもいいんだもの。むしろ六太を運び入れる場所をき
ちんと作ったほうがいいわね。単に布を垂らしただけじゃ、誰かに興味本位に
覗かれないとも限らないし、そんなのは嫌でしょ」
「そうですね」
「六太も親しくしていた大工さんがいるから、ちょっと頼んで、背の高いしっ
かりした仕切り板を取りつけてもらうわ。あちらの堂室の中のことなら、ある
程度はわたしの裁量に任されているから、あとで取り外せるようにしておけば
咎められないし、上のほうが開いていれば声や音もよく聞こえるでしょ。舞台
裏のような体裁の、わたしたちだけ出入りできるような雰囲気にして。次の開
放日までに完成させたいから、しばらく一時的に大工さんを入れてもらえるよ
う担当の官に頼むわ。それから当日は早めに来て、他のお客さんたちが来る前
に六太にそこに入ってもらったほうがいいわね」
「はい。風漢に伝えておきます」
「六太の付き添いは、その風漢さんだけ?」
「あー……どうだろう……」

670永遠の行方「王と麒麟(255)」:2013/11/21(木) 22:59:23
「じゃあ、あとひとりぐらい見ておきましょうか。仕切った中に、六太を寝か
せておけるような場所と、付き添いの人のための椅子が必要ね。それなりの時
間を過ごすわけだから、いちいち外に出てこなくてもゆったりくつろげるよう、
お茶や軽食も用意して」
 てきぱきと段取りを口にする守真に鳴賢は、よろしくお願いします、と頭を
下げた。
 それから鳴賢は、六太に読み聞かせたいので、以前やった人形劇の脚本とは
別に、蓬莱の物語を書き記したものがないだろうかとも尋ねた。しかしこれに
関しては、残念ながら他にはないとのことだった。
「じゃあ、恂生にはあとでわたしが話をしておくわ。彼もショックを受けると
思うけど……。悠子ちゃんも今日来てるから――」そこまで言い、いったん言
葉を切って嘆息を漏らす。「あの子も聞いたら動揺するでしょうね。何だかん
だ言って六太とはよく話していたから。あなたのお友達の敬之がよく訪ねてく
れるようになったおかげで、最近はずいぶん明るくなったんだけど」
 やがて話を終えた鳴賢は守真とともにいったん隣の堂室に戻った。あちらこ
ちらでなごやかに談笑している人々を見渡し、それから敬之を捜すと、やはり
彼は悠子を相手に熱心に筆談を続けていた。邪魔をしては悪いだろうと思い、
さてどうしよう、用は済んだことだし今日はもう帰って勉強の続きでもするか
と考えたとき、後ろから恂生にぽんと肩をたたかれた。彼は「やあ」と挨拶す
ると、声を潜めて尋ねてきた。
「さっき、あっちで守真と話をしていたけど、何か込みいった話?」
「うん……。一言じゃ説明できないんで、あとで守真さんに聞いてくれ。君た
ちにぜひ頼みたいことがあるんだ。人助けになることなので、協力してもらえ
るとありがたい」
「へえ。なんだろ」
 鳴賢に頼まれるような事柄に心当たりがないためだろう、恂生はきょとんと
した顔で首をひねっていた。

671永遠の行方「王と麒麟(256)」:2013/11/21(木) 23:01:27

「おまえ、よく海客の団欒所に行っておったろう。今度な、おまえのために海
客たちが演奏したり歌ったりしてくれるそうだ。それも一度ではなく、何度で
もやってくれるそうだぞ」
 鳴賢から海客らの快諾を伝えられた尚隆は、その夜、早めに女官を下がらせ
て牀榻に入ると、すっかり細くなってしまった六太の腕や足をゆっくり動かし
ながら優しく話しかけた。六太をここに移して以来、彼は六太に触れるときは
必ず話しかけていた。もちろん最初は陽子に勧められたためだが、もともとふ
たりでいるときは互いに遠慮なく無駄口をたたいてきた間柄だ。たとえ反応が
なくとも黙ったまま世話をするよりはずっと自然だった。
「心配はいらぬ。団欒所の一角に仕切りを設けてくれるそうだから、その中で
聴けば民の目には触れぬゆえ」
 そんなことを言いながらひとしきり運動させたあと、乱れた被衫を直して衾
をかけてやった。
 六太と親しかった官を呼んで皆で談笑するのも、大勢で離宮に赴いて気分を
変えるのも、こうして話しかけながら六太の世話をするのも、早くも日常の光
景になっていた。何であれ、やるべきことがあるのはありがたいものだ。しか
し尚隆の気がまぎれるかといえば、実はそうでもない。結局のところはすべて
同じことの繰り返しにすぎないからだ。団欒所に海客の楽曲を聴きに行くのも、
二度三度と繰り返せば目新しさは急速に薄れていくことだろう。
 おまけに雁は基本的に官吏が勝手にやる流儀が定着しているため、もともと
尚隆の私的な時間は多い。それゆえ六太の世話に時間をかけること自体は負担
でも何でもないが、逆に気持ちの上では余計なことを考えやすかった。
 いたずらに期待はしていないが、諦めてもいない、と思う。しかしながら六
太を手元に置き、日常の一部としての看護が定着してしまうと、この状態に慣
れてしまい、なんだかんだ言っても彼の不在を受け入れていく過程になるよう
な気もしていた。不吉なたとえではあるが、既に死した者を見送る殯(もがり)
や葬儀のように。

672永遠の行方「王と麒麟(257)」:2013/11/21(木) 23:03:45
 葬儀など、実際は死者ではなく遺された者のためのものだ。皆で悲嘆にくれ、
故人の思い出を語り合い、その過程で現実を見つめられるようになって悲しみ
を克服していくのだから。
 六太をそばに置いて常に気にかけ手を尽くすことも、それに似て、やれるこ
とはすべてやったとの諦念のもとに現状を受け入れて気持ちを整理する過程に
なるのかもしれず、それはそれで淋しいことだと尚隆は思った。今こうして
惑っているのも、単に服喪の過程における遺族の嘆きの一段階のようなものな
のだろうか、と。
 とはいえ悲しいとき、人は泣くことで逆に癒されるものだが、今、尚隆の目
に寂寥や疲労の色はあっても乾いている。涙を浮かべたことなど、こちらに来
て一度たりともない。もはや人ではない王に涙は流せないのだ。
 ならばやはり、六太の不在を真に克服できることはないように思えた。これ
ほど長い歳月を経ても過去の蓬莱に対する望郷の念に強くとらわれているよう
に。
 尚隆は、とうにおぼろになっている故郷の遠い記憶に思いをはせた。彼が幼
い頃に亡くなった母親の記憶は既にないに等しく、兄ふたりや父親のことも、
もはや名前さえあやふやだった。市井の民については、子供の頃から親しくし
ていた人々も大勢いたはずなのに、顔や名前を思い出せる者はもうひとりもい
ない。それでいて国が攻め滅ぼされたときのことを考えるといまだに切ないの
だから、もはや自分でも何にこだわっているのかわからなかった。
 もしかしたら、と思う。こちらに来たとき、尚隆は討たれた父親と滅びた国
に思いをはせて思い切り泣いて荒れるべきだったのかもしれない。そうやって
とことんまで感情を爆発させていれば、ある時点で気が済んで、悲しみも後悔
も克服でき、いまだに蓬莱へのやみがたい郷愁にとらわれることもなかったか
もしれない。
 だが尚隆は泣かなかった。涙で癒される必要があるなどとは決して考えな
かったし、そもそも雁は貧しすぎて王が泣いている暇などなかった。

673永遠の行方「王と麒麟(258)」:2013/11/21(木) 23:05:54
 六太によってこの世界に連れてこられたとき、あまりにも異なる条理に呆れ、
造物主の存在と作為をひしひしと感じた。だがそんなふうに人工的な匂いを強
く嗅ぎ取りつつも必死に尽力してきたのは、人々の喜怒哀楽がまったき真実
だったからだ。愛し、嘆き、怒り、笑う。ねたみ、そねみ、騙しもすれば、逆
に命を賭(と)して他人を助けたりもする。人の営みはあちらもこちらも何も
変わらない。
 もちろん雁を富ませても、小松の地で死んだ人々の命は還らない。人の命に
は代わりがないのだから。しかしそれぞれを比せないからこそ逆に人数で量る
しかないのだ。意図せずして生き残ったのみならず寿命を失ってしまった身に
は、何としても生きがいが必要だったし、でなければ王などやっていけるもの
ではない。
 だがこうして雁を繁栄させ、大勢の国民に幸福をもたらした今になっても、
小松の民を救えなかった尚隆の後悔の念が消えることはなかった。ここまでき
たら、この思いは墓まで持っていくことになるのかもしれない。
 ――おまえのせいじゃないだろう?
 遠い記憶の中で、六太の声が耳に蘇る。
 確か――そう、討ち死にするつもりが六太に救われ、気がつけば重傷を負っ
て小舟に揺られていたのだ。やりとりのすべてを覚えているはずもないが、人
生における最大の転機だったからだろう、契約に至るまでの言葉の断片はいま
だに記憶に残っていた。
 悔やむ尚隆に、彼は静かに言ったのだ。凪いだ海のように穏やかに、淡々と、
尚隆のせいではない、と。あのときの彼の姿が、静謐をまとっているせいか今
の姿と不思議に重なって見えた。
 ――おまえはできるだけのことをやったろう?
 思えばあの言葉は、その後の五百年の治世で六太が尚隆に発したどんな言葉
よりも慈悲深かった……。

674書き手:2013/11/21(木) 23:19:49
特に盛り上がりもありませんが、このままの調子でたらたら行って
あと一回か二回の投下でようやくこの章が終わりです。
いちおう年内には投下したいと思っています。

次章は>>393の予定だと「絆」章でしたが、最初の部分がそれ以降と毛色が違うため、
独立させて「封印(仮)」章とすることにしました。
これまであえて書かなかった六太視点(ただし回想)ですが、
ろくたん好きにはもしかしたらきついかもしれない内容なので
実際に投下する前にあらためて注意書きを書きたいと思います。
(筋を箇条書きにしてるだけで、まだ本文を書いていないため予定は未定ですが)

脳内ではとっくにいちゃこらしてるんですが、
ラブラブになるのは「絆」章がずっと進んでから、
書き逃げスレに上げた「後朝」「続・後朝」よりも後になります。
先は長い……。

675名無しさん:2013/11/22(金) 03:21:30
区切りが近いというか、話に動きがあるせいか、ここ暫く物語へまた深く惹き込まれてます

時折訪れる尚隆の真実へのニアミスとすれ違いがもどかしく萌えます。

676名無しさん:2013/11/23(土) 11:14:43
ろくたん好きなので六太視点どきどきします。
そしてこの先がどうなっていくのかとても楽しみです。
ラブラブが待ち遠しいですが、気長に待ってますので
ぼちぼちよろしくお願いします。

677書き手:2013/11/30(土) 11:45:01
出来はともかく、何とか最後まで書いたので投下していきますね。
……が、レス数と連投制限(投稿間隔)の関係で短時間の投下は面倒なので、
内容と同じく、たらたら適当に落とします。

678永遠の行方「王と麒麟(259/280)」:2013/11/30(土) 11:58:42

 海客出身の華期という軍吏が団欒所に姿を見せなかったのは、他の官と同じ
ように禁足を課され、宮城から出られなかったからだ。その禁足も、現在では
緘口令を条件にほとんど解かれているのだが、自主的に宮城に留まっている生
真面目な官も少なからずいた。華期もそのひとりだったらしい。
 尚隆が外殿の一室に彼を召しだして六太に海客の音楽を聞かせる計画を伝え
ると、華期は礼儀正しい態度で逐一不明を確認したあと、次の開放日までに準
備が整うよう守真と連絡を取ると答えた。当日いきなり行っても、まともな演
奏も合唱もできないからだ。蓬莱でも軍人だったせいだろうか、生真面目すぎ
る態度に尚隆は「あまり難しく考えるな」と苦笑した。
「要はいつもそうだったというように、皆で楽しくにぎやかにやってくれれば
いい。それにこれから何度も顔を出すのだ、仮に最初は不手際があったとして
も一向にかまわぬ」
「は」
 彼は緊張をにじませながらも、きびきびとした態度で頭を垂れた。尚隆は傍
らに控えていた朱衡を顎でしゃくった。
「六太は俺が連れていくが、朱衡も付き添いたいそうだ。守真によると、とり
あえずふたりまで付き添いを考慮するとのことだからちょうど良いだろう」
「えっ」
 華期は驚いたように小さく叫んで顔を上げた。それからあわてた風情で「ご
無礼を」と口走ってまた頭を垂れたので、尚隆は笑って顔を上げさせた。華期
は迷うような表情ながら、しっかりした声で進言した。
「畏れながら、主上。国府とはいえ、万が一ということもございます。護衛を
お連れにならずに雲海の下におでましになるのは……」
「風漢、だ」
「は?」
「俺は市井では風漢と名乗っている。そしておまえとは国府に勤める官同士、
顔見知りという設定だ」

679永遠の行方「王と麒麟(260/280)」:2013/11/30(土) 13:26:09
 絶句した華期に、朱衡が同情した様子で口を挟んだ。
「案ぜずとも良い。主上も台輔も昔から、粗末ななりで民に混じって来られた
ものだ。おまえも噂ぐらい聞いていよう」
 いったい何と返してよいものやらわからなかったのだろう、華期は激しく瞬
いたのち、無難に「御意のままに」とだけ答えた。
「当日は他の客が来る前に早目に来てほしいとの話ゆえ、おまえに案内しても
らいたい。むろん場所はわかっているが、海客仲間であるおまえと連れ立って
行ったほうが先方もよかろう」
「かしこまりまして」
「で、そのようにしゃちほこばってもらっても困るので、顔見知り程度の丁寧
さに抑えてもらえぬか?」
「……努力いたします……。そのう、風漢、さ、ま――」
 必死で言葉を押し出した華期に、朱衡は気の毒そうな顔を向けていた。尚隆
は苦笑した。
「市井ではたいてい呼び捨てにされておるのだがな」
 ぐ、と言葉に詰まった様子の華期だったが、観念したのだろう、一度大きく
息を吐いたのち、力強い調子でこう返した。
「せめて、さん付けでお許しください」

 そして団欒所の開放日当日、六太の付き添いのために外殿の一室にやってき
た朱衡は、めずらしく簡素な長袍姿だった。髪も普通の民のように巾でまとめ
ているだけだ。いつもは大司寇の冠と官服なので、当人も少々居心地が悪そう
ながら、市井で民にまじっても違和感のない服装と言えた。
 一方、こういうことに慣れている尚隆のほうはさらに粗末な――当人にとっ
ては楽な――いでたちだった。
 肝心の六太は簡素な被衫姿で椅子に座らされている。長い金髪を小さく丸め
てから薄茶のかもじをかぶせ、その上から幅広の布を幾重にも巻いてある。そ
うすると誰の目にも頭を怪我しているように見えた。

680永遠の行方「王と麒麟(261/280)」:2013/11/30(土) 18:01:17
 華期が参内して面子がそろうと、尚隆は無雑作に「では、行くか」と言った。
赤子をくるむように薄い衾で六太をくるんで軽々とかかえあげる。はらはらし
た様子で見守っていた華期だったが、朱衡が促すようにうなずくと覚悟を決め
たらしく、「では、ご案内いたします」と主君らを先導した。
 凌雲山を下って雉門を出、主君や六官の顔を知らない下官たちのささやかな
好奇の目と幾度かすれ違いながら、奥まったところにある建物の堂室に向かっ
た。団欒所の扉は閉じられていたが、不意にそこが開き、外の様子を窺うよう
に顔を覗かせた男と尚隆の目が合った。腕の中の六太に目を留めた相手はびっ
くりしたように小さく「あ」と声を上げ、ついで傍らの華期に会釈しながら扉
を大きく開いた。「こんにちは」と言って一行を招きいれる。
「風漢さんだ。あちらは朱衡さん」
 華期が男に紹介する。男は尚隆らに軽く頭を下げ、「はじめまして、恂生と
言います」と自己紹介した。
 一行が堂内に入ると、恂生がふたたび扉を閉めた。中では数人が座っていた
が、すぐに皆立ち上がって出迎えた。事情は承知しているのだろう、尚隆に抱
えられている六太を見るなり、一様に痛ましそうな顔をした。
 鳴賢、そして中年の女がふたり。片方は尚隆も面識のある楽俊の母親だった
から、もうひとりが守真だろう。呆然とした表情の十五、六の少女と、傍らに
立つ敬之。少女は胎果の海客だとあとで紹介された。
「こんにちは。よくいらっしゃいました。わたしが団欒所の責任者の守真です。
いろいろ大変だったそうですね」
 女が優しい声をかけながら歩み寄ってきた。それを皮切りに他の面々も会釈
しながら次々に寄ってきて、何とも複雑な吐息とともに六太を見おろした。少
女は真っ青になると、口元に拳を当てて体を震わせた。
「あたし、まだ六太に謝ってない……」
 今にも泣き出しそうな様子に、傍らの敬之が慰めるように軽く肩をたたいた。

681永遠の行方「王と麒麟(262/280)」:2013/11/30(土) 18:15:47
守真はそれに気遣いのある目を向けながら、尚隆を背の高い仕切り板の向こう
の小部屋に案内した。出入口に当たる部分にはきちんと扉が取りつけられ、そ
こを開けると重く帳が垂れていた。帳を開けた向こうは意外と広い空間で、小
さめの臥牀と椅子、小卓が用意されており、尚隆は示されるままに臥牀に六太
をおろして寝かせた。臥牀に載っていた褥も衾も高価なものには見えないなが
ら、ふかふかと柔らかく手触りも良い。椅子にも詰めものがいくつも置かれて
いて座り心地は良さそうだった。小卓の上には軽食のたぐいだろう、何やら盛
り上がって布巾のかかった大皿が置かれ、傍らに水差しと杯、おしぼりまで
あった。
「面倒なことを頼んですまないな」
 尚隆がねぎらうと、守真はにこやかな顔で「いいえ」と首を振った。
「この出入口は堂室の扉とも近いので、外の厠に行くときも目立たないと思い
ます。来てくれるお客さんには、ここでわたしたちが打ち合わせや裏方の作業
をしていると説明しておくので、籠もっていても不審には思われないだろうし、
わざわざ扉を開けてまで覗く人もいないでしょう」
「うむ」
「こちらのお皿は軽食で、飲みものは水差しに。果実酢を水で割ったものです。
お酢は体にいいし、さっぱりしてけっこう美味しいんですよ。温かいお茶がよ
ければお持ちしますけど」
「いや、そこまでしてもらわずとも大丈夫だ」
 尚隆はそう言って、勧められるままに臥牀の傍らの椅子に腰を降ろした。尻
の下や背の詰めものが心地よく身体を支えた。
「なかなか具合がいい」
 尚隆が明るく笑いかけると、守真も笑顔で返した。ついで彼女は少し表情を
曇らせて六太を眺めやった。
「六太はまったく目を覚まさないのですか?」
「うむ……。時折目を開けることはあるのだが、意識そのものはないらしい。
だが根気よく手足をさすったり話しかけたり、好きな音楽を聞かせたりすると
回復することがあると知り合いの瘍医が言っていた。むろん当てにはできぬが、
これの両親にくれぐれもよろしくと頼まれたことでもあり、少しでも可能性が
あればすべて試したいのだ。何より六太はにぎやかなことが好きだから、親し
い者たちの歓談の様子を聞くだけでも喜ぶのではと思ってな」

682永遠の行方「王と麒麟(263/280)」:2013/11/30(土) 19:34:29
 守真は悲しそうな目でうなずいた。
「今日は久しぶりに華期もいることだし、四人で無伴奏で合唱しようと思って
ます。アカペラって言うんですけど、関弓の民にも意外と評判いいんですよ」
「ほう」
 そのとき恂生が帳の間からひょいと顔を差し入れた。「一番手のお客が来ち
まった。まだ扉を開けてなかったのに」と慌てたように小声で言ってすぐ引っ
込む。守真の「まあ、今日は早いのね」というつぶやきにかぶさるようにして、
恂生ら海客と客が親しげに挨拶する声が届いた。おそらく常連なのだろう。小
部屋ふうにしっかり仕切られているとはいえ、上部が開いているので会話の内
容はよく聞こえた。
「ときどき様子を見にきますけど、何かあったら遠慮なく呼んでください」
 守真は小声でそう言い残し、帳と扉を閉めてそこを立ち去った。尚隆が促す
と、朱衡ももう一脚の椅子に腰をおろした。
「こまやかな気遣いのある親切な女性ですね」外に聞こえぬよう、声を潜めて
話しかけてくる。
「そうだな。蓬莱に子を残してきたらしいから、子供の災難に敏感なのかも知
れぬ」
 言いながら尚隆は小卓の上の布巾を取ってみた。ほとんどは菓子のたぐいだ
ろう、大き目の皿に、見た目も美しく一口大の食べものがたっぷり盛られてい
た。朱衡が「なかなか趣味が良い」と感心したように言い、尚隆が手を伸ばす
のを押しとどめ、「念のために、まず拙官が」と蒸し菓子らしきものをひとつ
口に入れた。
「どうだ?」
「めずらしい味ですが美味ですね。拙官は甘いものは苦手ですが、これはさほ
ど甘くないし、抵抗なく食べられます」
「ふむ。付き添いが男ふたりということを考慮してくれたのかもしれん」
 他国では男女を問わず甘味がごちそうだったりする場合も多い。しかし豊か
な雁、特に王宮にいれば食糧事情は豊かだ、糖をたっぷり使った甘味とてめず
らしいものではない。むしろ甘すぎると食べ飽きてしまうという贅沢な現象さ
え起きるくらいで、貧しい国々と違って特に男性は甘味が苦手な場合も少なく
なかった。

683永遠の行方「王と麒麟(264/280)」:2013/11/30(土) 20:00:46
 朱衡は別の薄い菓子にも手を伸ばした。端をかじると軽い音がした。
「こちらは……焼き菓子、でしょうか。よくわかりません。そもそも菓子では
ないのかな。かなりしょっぱいですね」
 尚隆は同じ菓子を手にとってためつすがめつし、すぐに得心して、ああ、と
うなずた。
「薄く輪切りにした芋を油で揚げて塩をふったものだ。以前、六太が言ってい
たことがある。今の蓬莱で一般的な菓子だそうだ」
「ははあ。ではこれは全部蓬莱ふうの食べものかもしれませんね」
 菓子ばかりかと思いきや、薄い鶏皮をパリパリになるまで焼いて塩をふった
ものもあり、尚隆はつい「酒がほしくなるな」と苦笑した。決して高価ではな
いが冷めてもおいしく食べられるものばかりで、配慮の行き届いたもてなしに
尚隆も感心した。水差しにたっぷり入っていた、水で割られた果実酢もさわや
かだった。
「面倒見の良い女人だ。これでは六太も居心地が良かったろう。道理で暇があ
れば顔を出していたはずだ」
 尚隆はそう言うと、六太の肩のあたりに手を伸ばしてそっとなでた。
 堂室のほうでは少しずつ客が増えているらしく、挨拶やら何やらの声が次第
ににぎやかになっていった。多いときは三十人程度は訪れるという話を聞いて
いたから、もしかしたら今日もそれくらい来るのかもしれない。
 やがて何か合図でもあったのか、不意に談笑の声がやんだ。守真の柔らかな
声が響く。
「今日は華期も来てくれたことだし、久しぶりに皆で合唱します。ぜひお聞き
ください」
 それからまた少し間があって、尚隆と朱衡が興味深げに耳を澄ましているう
ちに、驚くほど美しい歌声が響いてきた。
 伴奏はない。海客らの声だけで奏でられた和音が堂内にこだました。旋律自
体は尚隆にもなじみがなかったから、現代の蓬莱の曲かもしれない。予想外に
繊細で美しい歌声に、傍らの朱衡が呆気にとられた様子で瞬いた。

684永遠の行方「王と麒麟(265/280)」:2013/11/30(土) 22:33:33
 声もなく聞き入っているうちに、長いようで短い一曲が終わった。気安い調
子で賞賛の声と拍手が沸き、尚隆も微笑とともに朱衡と顔を見合わせて控えめ
に拍手した。
「驚きました」朱衡がささやく。「前に聞いたような、単に騒々しい曲ばかり
ではないのですね。数人の合唱だけでこれほど繊細な印象になるとは」
「なかなか興味深いものだ」
「台輔も一緒にこんなふうに歌うことがあったのでしょうか。幼い子らととも
に遊びのようににぎやかに歌うのも楽しいでしょうが、これほど美しく合唱で
きるなら、それも張り合いがあったでしょうね」
「そうだな」
 同じように無伴奏の次の合唱がすぐ始まり、結局立て続けに四曲が歌われた。
明るく滑稽な曲調の歌もあったが、伴奏がないせいだろう、いたずらにうるさ
く感じることもなく、思いのほか楽しむことができた。
 その後はしばらく雑談の時間になったようで、楽しげな談笑の声が聞こえて
きた。あちこちで交わされる会話の細かな内容まではさすがに聞き取れなかっ
たものの、和やかで落ち着ける雰囲気だった。
 尚隆は目を細めて傍らの六太を見やった。臥牀に手を伸ばしてそっと頬をな
でる。先ほどの美しい合唱にしろ今の穏やかな団欒の空気にしろ、六太も楽し
んでいてくれればいいとしみじみ思った。
 そうこうするうちに子連れの客も訪れたようで、元気のよい幼い声も響くよ
うになった。それはまさしく市井の活気ある日常に他ならず、尚隆にとっても
思いがけず心安らぐひとときになった。朱衡でさえ笑みを浮かべ、果実酢や菓
子を堪能しつつ、人々の談笑を背景に、低い声で主君と語らっては楽しんだ。
 守真は二度、顔を見せ、飲みものや食べものの残りを確認してから、六太に
優しく声をかけてまた出ていった。その後、彼らを堂室に招き入れた恂生とい
う青年が入ってきて、小卓の上を布巾で拭いてから、おしぼりを新しいものに
換えてくれた。

685永遠の行方「王と麒麟(266/280)」:2013/11/30(土) 22:52:51
 だがそのまま出ていくかと思えば、彼は閉ざした帳にちらりと目をやり、明
らかに小部屋の外を気にする体で声を潜めると、深刻そうな表情で口を開いた。
「あの」
 小卓に頬杖をついていた尚隆がそれに応じて片眉を上げ、朱衡も微笑して目
顔で先を促すと、彼はこう続けた。
「その、こんなことを聞いたからって、無礼なやつだと思われても困るんです
けど」
「何か?」
「そのう……俺は神仙じゃないし、詳しくないんで、あれなんですけど。こ
れって失道の症状じゃないんですよね?」
 尚隆は何も答えなかった。朱衡も顔色を変えなかったのはさすがは六官とい
うところか。微笑を絶やさないまま、小首をかしげてみせただけだ。
 遠慮を窺わせながらふたりを交互に見た恂生は、答えがないことを知ると、
抑えた声ながらはっきりこう問うた。
「麒麟は玉座の象徴であり、王の半身だとも聞きました。失道かどうかはとも
かく、六太が、台輔がこうなって、主上に影響はないんでしょうか」
 朱衡が尚隆に目をやった。ここまではっきり言うからには。六太の頭に巻か
れた布から覗く茶色の髪がかもじだということもわかっているのだろう。
 尚隆が泰然と構えていると、ふと床に視線を落とした恂生は沈んだ声で続け
た。
「俺、何ヶ月か前に結婚したんです。嫁さんは一人っ子で、ずっと兄弟がほし
かったから、代わりに子供がたくさんほしいと言ってて、彼女のためにさっそ
く里祠に申しこんで帯を結びました。そしたら、すぐに卵果がなったんです。
簡単になるものじゃないって聞いてたのに」
 いったん言葉を切り、顔を上げてから決然とした表情で続ける。
「もちろん蓬莱と違って血のつながった子ってわけじゃないんだろうけど、少
なくとも俺はこれで天に認めてもらえたことになります。この世界で生きて
いっていいんだって。そして家族になった嫁さんにも、世話になった嫁さんの
両親にも、生まれてくる子供にも俺は責任があります。だからもし雁に何かあ
るとしたら、家族のためにも心構えだけはしておきたいんです。どうか教えて
くれませんか」

686永遠の行方「王と麒麟(267/280)」:2013/12/01(日) 09:58:38
 それだけ言って口をつぐむ。すぐには誰も口を開かず、しばらく小部屋の外
の談笑の声だけが響いていた。
「……失道ではない」
 やがて尚隆が穏やかに答えた。恂生はただうなずいて、次の言葉を待った。
「事情があって詳しいことは明かせぬが、これは事故のようなものだ。だがも
ともと神仙は飲まず食わずでも相当もつし、特に麒麟は天地の気脈から力を得
る生きものゆえ、仮にこのまま目覚めぬとしても生命に別状はない。したがっ
て王にも国にもなんら影響はない。その点は蓬山のお墨付きだ」
「そうですか……」恂生は安堵したように息を吐いた。それから複雑な表情で
六太を眺めやる。「神仙は病気にならないし、大抵の怪我もすぐ治るって聞い
てたのに」
「それはそうなのだが、何事にも例外のような事柄はあってな。だがいくら国
や王に影響がないとはいえ、六太を見捨てるわけにはいかん。それゆえ俺たち
は王の命を受け、こうして手を尽くしているわけだ」
 恂生はまたうなずき、「わかりました」と答えた。
「答えてくださってありがとうございます。あまり役に立てないかもしれない
けど、他に俺にできることがあったら言ってください。台輔だからっていうだ
けじゃなく、六太は友達だし恩人でもあるんです」
「うむ。何かあればぜひ頼もう。ところでちと聞きたいのだが」
「はい」
「他の海客らもこのことは?」
 何を聞かれたのかすぐ察したのだろう、恂生は首を振った。
「守真も悠子も、六太の身分は知りません。華期は――知ってるんですよね?
宮城から皆さんを案内してきたんだから。守真は薄々疑っていたとは思うけど、
今回のことで思い違いだったと考えたと思います。たぶん前に鳴賢が、六太が
養父母と一緒に地方に行ったって聞いたときに」
 しかし彼はそれが言い訳にすぎず、何かを誤魔化そうとしていると察したわ
けだ。鳴賢に関しても事情を知っているのではと疑っているだろうが、そうで
はない可能性も考え、確信があるまでは注意深く口をつぐんでいるというとこ
ろか。

687永遠の行方「王と麒麟(268/280)」:2013/12/01(日) 10:23:13
「だがそなたは違ったわけだ。六太に明かされていたのか?」
 恂生は困ったように笑って、また首を振った。
「別にそういうんじゃないけど。まあ、十年以上も付き合ってれば何となく。
たぶん街にも、俺と同じように気づかないふりをしている民は何人もいるん
じゃないかな」
「ほう」
「だって本人は隠したがってたみたいだから、気づかないふりをしてやるのが
気遣いってものでしょう」
 どこかおどけた表情で言った恂生に、尚隆も「なるほど」と苦笑した。
「それにここに来ていろいろ遊ぶことが六太は本当に好きみたいだった。でも
麒麟だって皆に知れたら、たぶんもう来られなくなる。そんなのは俺たちも寂
しいから」
「そうだな……」
「何にしても守真や悠子は知らないし、むしろ知らせたくはないです。俺は
こっちで恋人ができて結婚したから、故郷に帰ることを諦められた面もあるん
です。でも守真たちは違う。特に悠子は蓬莱に帰りたくて、六太が麒麟だって
知ったら無理難題を言うに決まってるから」
「麒麟は慈悲の生き物だからむげには断れず、困らせるだろうということか」
 だが恂生は肩をすくめると、あっさりこう言ってのけた。
「確かに六太は優しいです。できないことを頼まれたら、きっぱり断るくらい
優しい。それで傷つくのは悠子のほうなんだから、あの子は知らないほうがい
い」
「ほう……?」
 意外に思った尚隆が眉を上げると、恂生は「優しいってことは、優柔不断と
は違うでしょう?」と笑った。
「本当の優しさは、時には残酷に見えることがあると思います。六太はそれを
わかっていた」
「それはまた意外なことだな」

688永遠の行方「王と麒麟(269/280)」:2013/12/01(日) 10:35:45
「そうですか? そりゃ、六太も前はかなり甘ちゃんだったそうですけど。い
つだったか、昔は自分もずいぶん餓鬼で、いろいろ莫迦なことを言って周囲を
――特に主を困らせたと笑ってました」
 主ということは王のことだ。尚隆はますます意外に思った。
「今は違う、と?」
「少なくとも、六太の言う『昔』とは変わったってことじゃないかな。本人が
そう言ったんだから」
「なるほどな……」
 尚隆は微苦笑して応え、最近の六太の言動を思い浮かべた。はるか昔、最初
の大がかりな謀反だった斡由の乱の頃と比べれば物分かりは良くなったから、
確かにそのぶん成長したとは言えるだろう。尚隆に対してさえ相変わらず遠慮
はないし、目先の慈悲に捉われる麒麟の性のせいか、見通しが甘く人を見る目
がない点はさほど変わらないが。
「それじゃ、そろそろあっちに戻ります。俺の質問に答えてくださってありが
とうございました」
 恂生は丁寧に頭を下げてから小部屋を出ていった。それでようやく朱衡は大
きく息をついた。
「驚きました。台輔のご身分が知られていたとは」
「だがまあ、あの様子では他の者には言うまい。あれでも過去にはいろいろ
あったそうだが、なかなか見どころのある男だ」
「そうですね」
 それにさすがに尚隆が王ということまでは気づいていないだろう。
 しばらくするとふたたび海客たちの無伴奏の合唱が聞こえてきた。それで本
日はお開きとなり、歌と団欒を楽しんだ客たちは機嫌よく帰っていき、尚隆た
ちも守真らに礼を述べた上で再訪を約したのだった。

689永遠の行方「王と麒麟(270/280)」:2013/12/01(日) 13:35:42

 宮城に帰りついた尚隆は、いったん女官に六太の世話を任せ、内殿で官に奏
上された雑務をこなしてから正寝に戻った。六太のいる臥室で夕餉を取る際の
慰みに、海客の団欒所での温かなもてなしを女官たちに話してやると、彼女ら
は興味深く耳を傾けては六太に「台輔、良かったですねえ」と話しかけた。
 夕餉のあとで酒肴を運ばせた尚隆は、近習をさがらせ、しばしひとりで酒杯
をあおった。そうしてほろ酔い気分で牀榻に入った。
 眠る六太の傍らに座りこんだ彼は、ふ、とほのかな笑みを口元に浮かべ、半
身に声をかけた。
「まったくもって意外なことだな」
 六太は王に――尚隆に――莫迦なことを言って困らせたことがあると言った
という。自分は餓鬼だったから、と。海客の男が語ったその話は本当に意外
だったのだ。
 普段の六太は、今も昔も尚隆に対して遠慮はないし、言葉を選ばないものだ
からかなり辛辣な言い方もする。だが何しろ万事に見通しの甘い彼のことだか
ら、その意見に任せていたら実際には人的な被害が出たり国が混乱しかねない
ことばかりだった。それでいてうまく切り盛りする尚隆をねぎらうことはなく、
むしろ自分の意見に固執して非難するくらいだから、基本的にみずからの言動
を反省するということがない。本人はあくまで民への慈悲に立脚しているつも
りだからだろう。六太の言動が結果的に他人に害をもたらした場合は、さすが
の尚隆も厳しく接するせいかしょげることもあるが、どうも本質を理解しての
ことではないらしい。気持ちの切り替えが早いと言えば聞こえはいいが、要す
るにその場かぎりのことに見えた。
 だから具体的に何を思い浮かべて言ったにせよ、王に対する事柄で、彼が自
発的に反省の意を述べたこと自体が驚きだったのだ。
 もっとも尚隆自身は彼に殊勝な態度を求めたこともなければ、その言を気に
病んだこともない。口の悪さとは裏腹に悪気がないのはわかっていたし、何よ
り宰輔は王に進言や諫言、助言を行なうのが本分。理由もなく反対するならま
だしも、本人なりに考えた結果であれば、立派に自分の務めを果たしていると
言えた。それを容れるか否かはあくまで尚隆の側の問題だろう。

690永遠の行方「王と麒麟(271/280)」:2013/12/01(日) 18:45:50
 そもそも天帝から慈悲の性を与えられた麒麟には、普通の人間のような割り
切った考え方は絶対にできず、時に国のために厳しい決断を下さねばならない
王の論理とは決して相容れない。そういった考え方をする能力はないのだと、
尚隆はかなり早い段階で理解していた。それゆえ本人の能力を超えたところに
責めを負わせたいとは思わなかった。
 むろん官吏の中にはこれまで、大局を見極められず、短絡的な言動を多くす
る六太に諫言する者もいることはいた。しかし人的な被害がなければ、尚隆自
身はいつも彼の好きにさせていた。
(だが、それでも何やら省みるところがあったというわけか……)
 自分は餓鬼で、昔はそのせいで主を困らせたと。第三者に対する言葉とはい
え、今でもそう口にするということはずっと気にしていたのだろう。直接言っ
てくれれば、尚隆も茶化すなり真面目に対応するなりして慰め、それで六太自
身も気持ちに区切りをつけて忘れることができたろうに、あくまで黙っていた
ところが意地っ張りな彼らしい。
 相手に伝えたいともその必要があるとも思わなかったからこその沈黙だろう
が、今にして思えば少しは伝えてほしかったというのが正直な気持ちだった。
いつも飄々としている尚隆とて、本心では半身からの気遣いを欲さないではな
かったのだから。何であれ、言葉に出さないと相手には伝わらないものだ。
 こうして振り返ってみると、自分たちは一見、相手に言いたい放題だったよ
うに思える。しかし実際はずっと一定の距離を置いたまま、口にしないことも
数多くあったということなのだろう。
 もちろん相手の心に踏み込まない態度こそが逆に気遣いという場面もあった
はずだ。少なくとも尚隆はそうだった。それでも六太が内心でいろいろ省みて
いたとすれば、生命を分けあった半身同士、もう少し互いの内に踏み込んでも
良かったのかもしれない。
 陽子に対するような明らかな気遣いを示された記憶はないが、そういう尚隆
自身、半身への気遣いや励ましのたぐいを言葉にしたことはなかった。それで
も六太に対する配慮はいつも念頭に置いていたのだから、六太もそうではな
かったとは言い切れないだろう。
 今回の事件で知った六太の生い立ちを考えれば、麒麟の本能を忌避するかの
ようなこれまでの彼の言動は苦悩の裏返しということも考えられた。蓬莱で為
政者に虐げられた幼い頃の記憶に縛られて王を厭い、王のそばにあることを切
望するはずの麒麟の本能さえ厭う原因となっていたなら哀れなことだった。

691永遠の行方「王と麒麟(272/280)」:2013/12/01(日) 19:58:36
 しかしもし尚隆が気遣いを口にし、意見を容れなかったとしても彼の存在自
体が大事なのだと言ってやれていたら、何かが違ったのではないか。他国の王
と麒麟と違って年がら年中一緒にいたわけではないし、六太の進言も諫言も却
下してばかりだったが、それでも自分なりに半身を大切にしていたつもりなの
だから、きちんと言葉で伝えてやれば良かったのかもしれない。
 普段は必要以上に主に近づかず、それで少しも気にするふうのなかった六太
は、何だかんだ言って他国の麒麟ほどには主に執着していたわけではないだろ
う。顔を合わせてばかりいると、嬉しがるどころかうんざりするような反応を
見せることさえあった。だが尚隆は六太の相手をするのは嫌ではなかったし、
特に一緒に旅に出て、にぎやかな市井ではしゃぐ六太を連れ歩くのは楽しかっ
た。麒麟に似合わぬ口の悪さも、周囲がきついと受けとめて諌めるような暴言
でさえ、尚隆にしてみれば外見が幼いせいかほほえましかったのだ。
「六太」
 静かに声をかけた尚隆は、手を伸ばすと、今まで幾度となくそうしたように
六太の頭をそっとなでた。
「おまえが大事だとちゃんと伝えたことがあったかな?」
 返事はなかったが、答えは自分でわかっていた。
「なかったかもしれんな。せめてこうなる前に伝えておくべきだった。二度と
言葉を交わせなくなる前に」
 人は後悔する生きものだ。いつまでも同じ日々が続くと思いこみ、いざそれ
を失ってしまってから、取り返しがつかなくなってから初めて後悔する。
「覚えているか? たまにそろって宮城を脱出するときは楽しかったな。昔は
一緒に他国にまで足を伸ばしていろいろと見聞したものだ……」
 何しろ五百年だ。好きなようにやってきたつもりだったし、この事件が起き
るまでは、いつ死んでも悔いはないと思っていた。何よりひとりで、自分の足
で立っていると思っていた。すぐそばにいて自分を支える小さな麒麟の存在に
気づかないまま。
 天帝が配したように、確かに王に麒麟は必要なのだ。孤独と責務を分かち合
う相手として。でなければこの長い生を耐えられるものではない。たったひと
りで重責を担い続けることは人にはできない……。

692永遠の行方「王と麒麟(273/280)」:2013/12/01(日) 21:44:28

 季節は移る。
 雁の夏は、日差しこそ強いが空気は乾いて涼しく過ごしやすい。くっきりと
濃い緑に黄金の陽光が降りそそぎ、雲海を透かして見る下界は、秋の実りを予
感して彼方まで豊かな色彩にあふれていた。尚隆の心中を置き去りにしたよう
な鮮やかな色彩が。
 尚隆が予想したとおり、この頃になると海客の団欒所への訪問も目新しさが
失せ、すでに日常の一部となっていた。だがもともと市井で民と交わることを
好む尚隆だから、先方のきめ細やかな心配りもあって心がなごむひとときでは
あった。
 おかげで気持ちはずいぶんと落ちついたものの、相変わらず淋しさはあった。
それは六太が傍らにいないせいでもあるが、いよいよとなればひとりで治世を
続けるしかないという重い現実のせいだった。
 六太を裏切りたいとは思わない。ということは、仮にこのまま麒麟を失おう
と、最後まで王として立ち続けねばならないということだ。
 しかしいかに理性でそう考えても、覇気を失い、どこか疲れを覚えてしまっ
たことはいかんともしがたかった。既に六太を置いて気晴らしに下界に行きた
いとも思わなくなっていたし、そんな自分の変化に呆れてもいた。
 六太はあれで淋しがりやだが、実際のところ俺もそうだからな、と嘆息まじ
りに考える。これまでひんぱんに下界に降りて民にまじってきたのも、市井の
情報を収集するためもあるが、結局は人々といたいからだった。孤独を望む者
もいるだろうが、尚隆は人間が好きだった。君主である以上、宮城において安
らぎや楽しみを見出そうとは思わなかったが、そうやって自分を律しているぶ
ん、粗末な服で民にまぎれ、親しく接せられるのは嬉しかった。
 そんなふうに根が淋しがりやであるからこそ、いざこうして半身を取りあげ
られ、しかもそれが故郷を同じくする唯一無二の存在となると、その事実は心
に重かった。本当は尚隆とて幸せになりたかったし、真にすべてを分かち合え
る者――配偶者であれ親友であれ――を得ることへの憧れを持たないわけでは
なかったのだから。

693永遠の行方「王と麒麟(274/280)」:2013/12/01(日) 21:50:12
 二度目以降も朱衡は団欒所に同行したがっていたが、煩雑な雑務を官に任せ
て自由な時間が多い主君と異なり、六官ともなればそうひんぱんに宮城を空け
られるわけもない。結局、以前から何度か通っていた下吏を代わりに付き添わ
せ、朱衡自身は遠慮するようになった。下吏は恐縮していたものの、もともと
お調子者の気のある男ではあり、二度ほど付き添いをこなすと緊張も解け、苦
笑した尚隆に促されるまま、小部屋で寝かされている六太の傍らを離れて堂室
のほうで海客や訪問客と楽しく語らうようになった。その代わり守真や恂生が
しばしば様子を見にきては相手をするので、手持無沙汰になる暇もない。特に
恂生は、初回にいろいろ聞いて得心したあとは、いっそう親身に気を配ってく
れるようになった。六太の身分を知っていると明かしたことで、逆に気が楽に
なった面もあるのだろう。
「いつまでも寝ていると、目が溶けちゃうぞー」
 現代の蓬莱での言い回しだろうか、そんなふうにからかうように六太に声を
かけては、尚隆ともいろいろな話をする。二度目以降、尚隆は菓子などの簡単
な手土産を持ってくるようになったのだが、客が帰ったあと、片づけで残った
海客らと一緒にそれをつまんでしばし語らうこともあった。
「嫁さんとも話してたんだけど、六太の目が覚めたら、子供の名づけ親になっ
てもらおうと思って」
 四度目の訪問の際、団欒所の小部屋の中で尚隆がくつろいでいると、水差し
を取り換えにきた恂生が言った。
 聞けば、彼の今の名は妻の父がつけたのだが、以前違う字を名乗っていて、
それは六太がつけたとのことだった。
「守真も華期も、字は六太がつけたんです。悠子にも、まあ、あの子は結局
使ってないけど、本名をもじって悠明って字を考えてやって」
「ほほう」
「うちの子は冬になる前に生まれる予定だから、それまでに六太の目が覚める
といいねって、昨日も嫁さんと話してたんです」
 尚隆は微笑して「そうだな」と応じた。
 その日は小部屋の卓に小さな花器が置かれ、可愛らしい夏の野花が活けられ
ていた。守真が見よう見まねでやっているらしいが、これもきっかけは六太だ
とのことだった。

694永遠の行方「王と麒麟(275/280)」:2013/12/01(日) 22:07:44
「いつだったかなあ。何年も前だったと思うけど、六太が主にもらったって
言って、花をつけた梅の小枝を大事そうに持ってきたことがあったんです。で、
なるべく長く鑑賞したいって頼まれた守真が活けてやって、それから守真はと
きどき花を摘んでくるようになって」
「主にもらった梅の小枝?」
「そう。大事に世話していたから、かなりもったんじゃないかな。あの頃はま
だここが開くのは開放日に限定されていなくて、昼間は毎日でも来られたけど、
しばらく飾ってあった記憶があるから。花器の前で六太は頬杖をついて嬉しそ
うに眺めていたっけ。やっぱり麒麟だから、花でもすぐ枯らしたら可哀想だと
思うんだろうなあ」
 尚隆はいぶかしんだ。そんな覚えはない――と首をひねったあとで思い出し
た。
 後宮にある梅林で、満開の梅の木に登って遊んでいた六太が、うっかり長い
髪を枝にからませたことがあったのだ。苦笑した尚隆が取ってやろうと手を伸
ばしたところ、慌てて身を引いたものだからいっそうきつくからまってしまい、
尚隆は面倒だとばかりに小枝をぽきりと折ってしまった。折れたほうからだと
すんなり髪がほどけ――確か、そのまま枝を無造作に胸元に差してやった、と
思う。
 ただそれだけのことだったのだが。
 そんな小枝を大事に……?

 その日、訪れるなり守真が和綴じの冊子を尚隆に差し出して、蓬莱のおとぎ
話のひとつを脚本ふうに書き直したものだと説明した。多少おもしろく枝葉を
付け加えてみたので、また六太に読み聞かせてやってほしいと。以前鳴賢に、
人形劇の脚本の類似がないかと問われてから、悠子が守真と相談しつつ書きあ
げたものだという。
「これはすまんな。手間がかかったろう」
「どういたしまして。悠子ちゃんがせっかく書いてくれたから、これを元にま
た人形劇をやろうって計画してるんです」
「それはいい。そのときはぜひ六太を連れてこよう」

695永遠の行方「王と麒麟(276/280)」:2013/12/01(日) 23:11:44
「今度は台詞や説明を喋るだけじゃなく、楽しい歌も織りまぜて歌劇仕立てに
するつもりです。六太は歌が好きだし、みんなでわいわい騒ぐような賑やかな
雰囲気も好きだから、きっと喜んでくれるんじゃないかしら」
「うむ」
 一緒に六太に付き添ってきた下吏は、今日も早々に他の面子と歓談している。
尚隆が許したこととはいえ、朱衡に知れたら小言をくらうだろう。守真や華期、
恂生、勉強が忙しいらしく、初回以降ひさしぶりに顔を見せた鳴賢と敬之が入
れ代わり立ち代わり小部屋に姿を見せ、何やかやと六太の世話を焼いた。鳴賢
はここでは不用意なことを言うつもりはないようで、普段の彼からすると無口
なくらいだったが、代わりに恂生があれこれ話しかけてきた。尚隆のほうも、
鳴賢経由で六太に関する海客たちの証言は聞いていたものの、六太の身分を
知っていると明かされた上での語らいは興味深かったので、余人の目のないと
きにさりげなく水を向けていろいろなことを聞きだした。
「以前、六太は昔は自分は餓鬼で、周囲を困らせたと言っていたそうだが、気
に病んでいるふうだったのか?」
「え? いいえ?」恂生は少し驚いたように目を見張ってから、軽く肩をすく
めてみせた。「基本的に六太はくよくよする性格じゃありませんからね。こん
なことがあった、って言ってあっけらかんとしていたな。それに特に主にはた
くさん迷惑をかけたけど、ちゃんと許してもらえたって笑ってたし」
「許して――?」
「六太の主はいい人らしいですよ」そう言って笑顔を向ける。「かしこきあた
りのおかたのはずだけど、いろいろ想像して嬉しかったな。俺たちなんか一生
会うこともないだろうけど、何だか身近に感じられたから」
「ほう……」
「六太は言ってました。莫迦なことをして本気で怒られたこともあるけど、そ
れでも必ず挽回や反省の機会をくれるんだって。そうしてふたたび前を向いて
進むことを許してくれる。六太相手にかぎったことじゃないらしいけど、俺、
それを聞いてすごい人だと思ったな。だって普通に考えれば、権力の頂点に
立っていれば何かと疑心暗鬼になっても仕方のない局面もあるだろうし、過ち
を赦してばかりいたら、周囲にしめしがつかないはずでしょう。でもそういっ
た綻びを生じさせることなく収めているってことだから。きっとそれで六太も
失敗をくよくよせず、気分を切り替えて物事に当たれたんだろうな」

696永遠の行方「王と麒麟(277/280)」:2013/12/02(月) 19:26:36

 尚隆が宮城に戻ったのは午後も遅くなってからだった。出迎えた女官らにい
つものように六太の世話を任せると、守真にもらった冊子も彼女らに手渡した。
「俺も内容は知らんが、これも蓬莱のおとぎ話だそうだ。いろいろとおもしろ
く翻案してくれたらしい」
「それは楽しみなことですわ。さっそく練習して、また台輔にお聞かせしま
しょう」
「ところで主上、海客の楽曲にも意外と静かな曲があるとか。いつもこちらで
演奏してくれている楽人が、台輔がお好みなら宮城でもお聞かせしたいと興味
を持っているのですが」
「ふむ。その楽人が演奏するということなら、楽器が違うようだから難しいの
ではと思うが……。いつも付き添っている朱衡のところの下吏に聞くとよかろ
う。その者もかなり気に入っていて詳しいようだから参考にはなるだろう」
 着替えをしながらひとしきりそのような会話を交わしたあと、急ぎの書類を
手にやってきた白沢と政務の話をした。それから夕餉を摂り、六太にも水分を
摂らせた。女官が用意したのは、今日は花のよい香りを移した水で、尚隆が口
に含むと芳醇な蜜の甘みがあった。それを慎重に六太の口腔内に落として飲ま
せたのち、今日は疲れたからと、酒だけは用意させて早々に女官をさがらせた。
だがくつろいだふうに椅子にゆったりと座った尚隆は、何となく酒杯を手に
取ったものの、そのまましばらくぼんやりとしていた。
 ふと、夜のとばりの降りた窓の外を見やる。やがて彼は立ちあがると、露台
に通じる大きな框窓に歩み寄り、そのまま窓を開けて外に出た。高欄に両手を
ついて見おろすと、雲海の水を透かし、はるか下界の街の灯が見えた。
 しばらく夜の雲海を眺めてから室内に取って返し、六太を抱きあげて戻る。
初夏の夜風は尚隆にとって心地よいばかりだったが、寝たきりの六太の身体が
冷えないよう、しっかりと衾にくるんだ。
 尚隆は露台の端で下界を見せるかのように六太の身体を傾け、「どうだ、見
えるか?」と耳元で低く語りかけた。

697永遠の行方「王と麒麟(278/280)」:2013/12/02(月) 19:38:38
「おまえはよく高欄にのぼったり肘をついたりして、下界の様子を楽しそうに
眺めておったな」
 身軽な六太は、そこが高欄だろうが卓子だろうが、いつでも無造作にひょい
と座りこんだ。昔は官も、六太の行儀の悪さにいちいち小言を言っていたが、
今ではすっかり諦めて誰も何も言わない。宮城にある池で素っ裸になって水浴
びがてら鯉とたわむれたり、木に登って昼寝をしたりと、雁国の宰輔はしばし
ば市井のやんちゃ坊主そのままの無邪気な姿を見せた。
 だが諸官が呆れていたのは確かだが、その反面、永遠に子供の姿を留めたま
まの六太がはしゃぐさまになごんでいた面もあったろう。
「下もずいぶん賑やかになった。ほれ、あんなに灯が大きい」
 尚隆が登極したばかりのころ、首都関弓でさえ、たいそう困窮したありさま
だった。夜に灯すための蝋燭も少なく、それも蜜蝋や白蝋ではなく質の悪い獣
脂を使ったものだから、煙も臭いもひどかった。おまけに油や薪は冬に凍えぬ
ためにも節約せねばならず、その結果、日が落ちるともう街は真っ暗だった。
今、豊かな関弓で暮らす民には、そんな時代があったことなど想像もできない
だろう。
 ――もう、いいのかもしれんな。
 長かった、と心底から思う。国土を荒廃せしめた梟王の暴虐。さらに四十年
以上もの空位の時代があり、限られた財と食糧を奪いあった内乱が頻発して荒
れ果てたと聞いた。その結果、この世界にやってきた尚隆が見たのは、まさに
更地となった焦土だった。
 改革を勅令で断行し、とにかく民を食わせるために働いた。だが空位の間に
独断に慣れた雁の諸侯諸官は、のらりくらりと言い訳して、素直に新王に恭順
することはなく反乱も多かった。とにかく彼らに兵力だけは蓄えさせないよう
にして時間を稼ぎ、土に養分を取り戻させて、数十年をかけてやっと雁の全土
を復興させた。
 しかし何しろ深刻な貧困による混迷のさなかのことで、尚隆が見据える未来
が見えている者は官にもほとんどいなかったから苦労の連続だった。尚隆とし
ても奸臣に囲まれていたために、そうそう意図を明かすわけにもいかず、相手
が油断するなら侮られるくらいでちょうど良い、それで貴重な時間が稼げると
ばかりに説明の労はほとんど取らなかった。おかげで最初の何十年かは、下官
でさえ尚隆を侮る者が多く、彼らと違って嘲弄こそしなかったものの、六太も
ずいぶんと本気の罵倒を浴びせてきたものだ。

698永遠の行方「王と麒麟(279/280)」:2013/12/02(月) 20:15:55
 だが。
 ――たくさん迷惑をかけたけど、ちゃんと許してもらえたって。
 ――莫迦なことをして本気で怒られたこともあるけど、それでも必ず挽回や
反省の機会をくれるんだって。
 腕の中の六太を見おろしていた尚隆は、そうか、とつぶやいた。
 ただでさえ慈悲の神獣たる麒麟の思考は人と違う。時に厳しい処断をせねば
ならない王とならなおさら、決して真にわかりあえることはない。
 それでも六太は六太なりに尚隆を受け入れていたのかと、尚隆は思った。ひ
たすらに慈悲の繰り言を口にするだけ、自分の軽はずみな言動が逆に被害を生
じさせ、拡大させかねないことの自覚もないから、反省がないどころか、逆に
尚隆を責めた。少なくとも尚隆は恂生からいろいろ聞くようになるまで、そう
いう生きものなのだから仕方ないと、ある意味で突き放して考えていた。
 ――なのに、たくさん迷惑をかけたと言ったのか。
 許してもらえたと。必ず反省の機会をくれるのだと――信頼の言葉を。
 なぜか泣きたいような気がした。そして想像していたよりもずっと穏やかな
気持ちで、もはや何の心残りもないと思えたのだった。

 室内に戻った尚隆は、六太を臥牀の上におろし、ふと上半身を抱き寄せたま
まの六太の寝顔を見おろした。しばらくそのまま見つめてから微笑し、低い声
で「許せ、六太」とささやいた。
「もはや俺に、雁は支えきれん。長い間に作り上げた官の機構は王を頼らない
ようになっているから、冢宰や六官どもがしっかりしていれば、あと何十年か
はもつだろうがな」
 王が覇気を失ってしまった以上、国が乱れるのはそう遠いことではない。腑
抜けた気持ちで御せるほど、国政とはたやすいものではないのだ。
 それでも真に六太を裏切るつもりはなかった。信頼に応えるため、最後の最
後まで踏ん張ってみせる。ぎりぎりまであがきつづけ、たとえ一日でも六太の
命を延ばしてみせる。
「だが安心しろ。たとえ俺の命運が尽きても、おまえを置いてはいかん。官に
などおまえの息の根を止めさせはせん。俺がこの手で始末をつけてやる」

699永遠の行方「王と麒麟(280/E)」:2013/12/02(月) 20:20:49
 尚隆はそう言うと、自然に六太の唇に口づけた。深く深く――この上もない
愛情と、遠い決別への約束を込めて。
 六太は市井の民を見るのが好きだから、こんな房室に閉じこめるのではなく、
いよいよとなったときは一緒に連れていって外の景色を見せてやろう。騎獣に
乗せて街や田畑の上を飛び、ともに山野を眺め、それから黄海へ向かおう。そ
して六太の骸とともに蓬山にのぼるのだ……。
 口づけたあと、万感の思いで再び六太の顔を眺めやる。そのまま脳裏に刻み
つけるかのようにじっと見つめていると、不意に、伏せられていたまぶたが、
ぴく、と動いた。次いで明らかな意志を持ってゆっくりと瞬く。
 思いがけぬ事態に尚隆は息を飲んだ。まばたきも呼吸も忘れて、腕の中の六
太をひたすら凝視する。
 やがてまぶたが上がり、暁そのものの瞳が現われた。まるで夜明けのようだ、
と尚隆は思った。眼球がゆっくりと動いて傍らの尚隆に焦点が定まり、ふたた
び瞬く。もう長いこと何かに焦点を結ぶことのなかった瞳に見つめられ、信じ
られぬ思いで、六太の頬にそっと掌を添えた。
 それからどれくらい経ったのか。ほんの数瞬か半刻か。時間の感覚さえまっ
たくわからなくなった尚隆の耳に、かすれた声がひそやかに届いた。
「……どうして……泣いている……」
 驚いて反射的に自分の頬に片手をやった尚隆は、初めてそこが濡れているこ
とを知った。こちらの世界に来てから泣いたことなど一度たりともなかったの
に。
 ああ、と心の中で嘆声を漏らす。自分もまだ人だったのか、悲しいとき嬉し
いときにまだ涙を流すことができたのかと、深い感慨の中でしみじみと六太を
見やる。そして「どうしてだろうな……」と優しくささやくと、そっと六太の
頬をなでた。
 長らく無彩色だった周囲の風景に、ゆるゆると鮮やかな色彩が戻っていく。
尚隆の周囲で、止まっていた時間がゆっくりと動きだしていた。

- 「王と麒麟」章・終わり -

700書き手:2013/12/02(月) 20:23:18
というわけで、やっと終わりました。
大した事件もなく、たらたら日常が続いていくだけって、書くのが難しいですねえ……。
が、これでも尚六的にはまだ前座です。

「絆」章から分離した次章「封印(仮)」は、原作の『東の海神 西の滄海』直後から
しばらくの期間を主体とする六太視点の回想です。
六太がかたくなに自分の恋心を押し隠すことにした、その辺のいきさつの話。
それが終われば、「王と麒麟」章直後からの続きである「絆」章で、やっと恋愛話に入ります。

次章開始までかなり間が空くと思いますが、しばらくお待ちください。

701永遠の行方「遠い記憶(前書き)」:2013/12/14(土) 12:38:17
※しばらく来られないかもしれないので、ちょろっとだけ置いておきます。
※章のタイトルを、仮題の「封印」から「遠い記憶」に変更しました。

この章は六太視点で進みます。
原作の『東の海神 西の滄海』直後からしばらくの間がメイン。
ただ、もともと「絆」章の最初の部分として構想したので大した長さにならない“予定”。

以下、注意事項です。
(六太びいきの人間ですが、後で(気持ちを)上げるために、ここでいったん落とす感じです)
・『東の海神 西の滄海』において明確になっていない尚隆の意図について、
 断定するように見える部分が多々あります(もともと捏造過多なので今さらですが)。
・上記に関連して、正しさは「尚隆>尚隆以外の原作キャラ」という扱いになります。
・六太を非難するオリキャラが登場します。

実際に投下を開始するのはまだ先(来年以降)になると思いますが、
試しに冒頭だけ置いていくので、警戒警報を感じたらこの章はスルーしてください。
尚六的には次章「絆」がメイン(誤解、すれ違い、乙女、メロドラマのてんこ盛り)だし、
仮にこの章を読み飛ばしても物語的に意味不明になる恐れは“まったく”ありません。
(最後の部分は六太の心情描写になる予定なので、そこだけ読んでもいいかなー、と)

702永遠の行方「遠い記憶(1)」:2013/12/14(土) 12:40:20
 六太は恋をしていた。だがその相手は同性であったため、明確な禁忌ではな
かったにしろ一般的には好ましからざるとされていた。人に知れれば揶揄の対
象ともなりかねない。何より相手が六太を何とも思っていないことは明らかで、
彼は無意識のうちに感情を抑えつけた。
 だから六太が自分の想いを自覚したのは、かなり時間が経ってからのこと
だった。そしてそれからの歳月はつらいものとなった。
 決して報われることのない想いをいだきつつ、余人はもちろん、当の相手に
も気取られることのないよう細心の注意を払う。慈悲の生きものである彼は、
もともと根本の考えかたが相手と異なっていたため、その意味では楽だった。
必要以上に相手に近づかないようにした上で、彼がその存在意義の命ずるまま
に自分の意見を述べていれば、誰もが自然と、一見近しく思えるふたりの間に
も厳然たる距離があると考えてくれたからだ。
 それでも時折、ふたりきりで宮城を抜け出すときは心が躍った。相手がたま
たま拾ってしばらく弄んだ小枝だの、舎館で用意してもらった弁当を包んだ竹
皮だのを記念にこっそり持ち帰っては、しばらく手元に置いて眺めたりした。
彼以外の者から見れば、ごみ以外の何物でもないから、誰に迷惑をかけること
もない。
 そんなふうに日々を過ごし、それでもそばにいられるだけで幸せだと六太は
思った。
 ――主上が失道なさるとしたら、きっと台輔のせいでしょうね。
 その昔、もう顔も覚えていない下吏が侮蔑の微笑とともに打ちこんだ言葉の
楔は、今もしっかりと胸に突き刺さっていたけれども。

703437:2014/03/04(火) 01:05:33
年に一度の閲覧を心から楽しみにして、早数年。
「王と麒麟」章のラスト、読ませていただきました。
よくぞ、よくぞここまで書いてくださいました、姐さん…!

>自分もまだ人だったのか

この一行こそ私的クライマックスでした。
尚隆→六太の心情変化の描写をじっくり味わいたかった者にとって、
「王と麒麟」は最高級のホテルサービスで超一流フルコースメニューを頂戴した気分です。
このお話に出逢えたことは、尚六好きとしてファン冥利に尽きる醍醐味だなぁ…と感涙にむせっております。
本当に、本当にありがとうございます。
「絆」章、心待ちにしております。
どうぞご自愛くださいませ。

704書き手:2014/05/13(火) 00:07:41
ストックから1レス分だけひっそり置いていきます。
なかなか時間が取れないので、本格的な再開の見通しは立ってません……。

705永遠の行方「遠い記憶(2)」:2014/05/13(火) 00:08:41

 元州の乱のあと、州宰だった院白沢を太保に迎えると聞いたとき、さすがに
六太は戸惑った。
 もちろん尚隆は誰も罰さないと元州城で約束していたのだし、赦されること
自体は不思議ではない。しかし太保は宰輔直属である三公のひとりであり、宰
輔を助けて王に助言と諫言をするのが職分だ。そこに謀反の中枢にいた者を迎
えるというのだから、誰が聞いても唖然とする措置だった。
「なに、下官でいいから少し国府で働かせてもらえないかと白沢に頼まれてな。
だが、さすがに、もと州宰を下官に使うわけにもいくまい」
「だからって太保にするか? そもそも三公は州宰より位が上なんだぞ。言わ
ば栄転じゃないか」
 帷湍も呆れ顔で主君に意見したものの、尚隆の語調はあくまで気楽だった。
 元州城では長年、斡由に幽閉されていた州侯が救出されたものの、梟王にお
もねって大勢の民を虐げた罪が明らかで既に罷免されている。数十年間、表舞
台から遠ざかっていたために影響力はなく、謀反の件もあって更迭は容易だっ
た。令尹の斡由も王によって罰された。これで謀反さえなかったなら、とりあ
えず州六官の筆頭である州宰白沢が政治を主導したのだろうが、何しろ陰謀の
中枢にいた人物だ。おまけに白沢は宮城まで斡由の要求を伝えにきた使者でも
あるため、さすがに他から王に恭順する者を立てる必要があった。
 そこで尚隆は光州に派遣していた牧伯を元州侯に据えた。元州の乱への対処
の一環として首をすげかえたばかりの光州侯は、謀反のような大悪とは縁のな
い、財を蓄えることばかり熱心な小悪党にすぎないため、とりあえずは他の者
でも牧伯は間に合うからだ。
 すると白沢は、末端の下官、何なら府吏以下で構わないからしばらく国府で
働かせてほしいと懇願し、それならと尚隆は太保に任じることにしたのだとい
う。太師と太傅は、これまた乱に対処する際に光州から迎えたばかりなので据
え置き、末席の太保だけ入れ替えるわけだ。
「主上に恭順したように見えても内心はわかりません。獅子身中の虫というこ
とになりませんか?」

706永遠の行方「遠い記憶(3)」:2014/07/07(月) 23:42:55
「まあ、大丈夫だろう。白沢は身の回りの世話をさせる下吏をひとりだけ連れ
てくるそうだ。あとの人員はこちらに任せると」
 懸念の表情を浮かべて言った朱衡に、尚隆はそう答えた。白沢にしろ、自分
がどう見られるかは承知していて、身辺に元州出身者を極力置かないことで悪
心がないことを示すつもりなのだろう。言外に、監視されてもかまわないと
言っているわけだ。とはいえ連れてくる側仕えがたったひとりというのも極端
な話だった。
「州宰は、光州から迎えた冢宰や内朝六官と人脈があるのでは」
「人脈というほどではなかろうな。あくまで斡由主導による書簡のやりとりが
主体で、個人的な関係はなかったようだから。州宰が他州に赴けば目立つと
あって、本人が元州城を出たのも玄英宮に来たときぐらいだったらしい」
「では元州と連絡を取りあうつもりも、自分の派閥を作るつもりもないという
ことでしょうか。他の派閥に入るつもりも」
「そのようだな。まあ、いい経験にはなるだろう」
「はあ」
 朱衡は困惑まじりながらもうなずいた。
 王に恭順する者を元州侯につけ、令尹および州宰の後任は新しい州侯が任じ
る。もと州宰のほうは国府で三公に迎えられて位は上がるものの、実権も人脈
と言えるものもない。結果としては旧元州政府の穏便な解体と言えるだろう。
位が上がる代わりに、宮城にいることで、もと州宰の体面を保ちながら国府が
監視するのも容易になる。第一、水面下で元州と手を結んでいた光州から冢宰
や六官を迎えたくらいなのだ、あらためて考えればそう無茶な話ではなく、そ
れなりに均衡は取れていると言えた。

707書き手:2014/07/07(月) 23:44:58
ちまっと、また1レスだけ。
次は……たぶんまた間がかなり空きます。

708永遠の行方「遠い記憶(4)」:2014/07/13(日) 10:19:44

「本当にひとりしか連れてこなかったんだ……」
 その日、直接の上司となった六太の元へ、白沢が着任の挨拶に訪れた。仁重
殿の客庁で迎えた六太は、平伏する面々を見て少し複雑な気分でつぶやいた。
 事前に聞いていたとおり、供は下吏らしき青年がひとり。白沢は叩頭したま
ま、くぐもった声で六太のつぶやきに応えた。
「主上の過分なご厚情のもとに大任を拝命いたしましたが、元より犯した罪を
忘れたわけではございません。身ひとつで参る所存でしたが、さりとて宮城の
方々のお手をわずらわせるのも申しわけなく、この者に身の回りの世話をさせ
ていただくことを主上にお許しいただきました」
「いや、そりゃ、別にいいだろ、供ぐらい何人いても。――まあ、顔を上げろ
よ。ふたりとも、長旅ご苦労だった」
 顔を上げた彼らは礼節に則って、六太の顔でも足元でもなく、胸元のあたり
に視線を据えた。
「尚隆には? もう挨拶したのか?」
「ただいま、天官を通じて拝謁の許可を願っているところでございます」
「そっか。じゃあ、とりあえずお茶でも飲もうや」
 六太は奥に顎をしゃくり、既に女官が茶器を用意して待っていた卓を示した。
御前とあって、下吏のほうは緊張に青ざめ、立ち上がった際に足元もふらつい
たが、白沢はさすがに自然体だった。六太の着席を待って、自分も示された下
座に座る。下吏はと言えば、側仕えらしく近くの壁際に慎ましく立って控えた。
「とにかく、よく来たな」
 六太は茶を勧めながら歓迎の言葉を口にした。それでも複雑な心境は拭えな
い。
 もと元州の州宰。斡由の重鎮のひとり。
 あの乱で更夜にさらわれた際、斡由と対面した折も傍らに控えていたし、尚
隆に斡由の要求を伝える使者にもなったと聞いた。まさしく陰謀の中枢にいた
人物であり、尚隆が何を考えて三公に抜擢したのか、六太には今もってさっぱ
りだった。

709永遠の行方「遠い記憶(5)」:2014/07/13(日) 10:42:25
「今日からおまえは俺の直属ということになる。王に助言や諫言をするのが仕
事だ。もっとも」いったん言葉を切っておどけて見せる。「実際のところ、ほ
とんど仕事はないだろうけどな。尚隆は何でも勝手にやるから」
 これには白沢は微笑するのみで応えた。
「……元州はもう落ち着いたのか」
 ふと声を落として尋ねると、白沢はまた微笑して「大体は」とうなずいた。
「むろん新しい元州侯のもとに、調査は引き続き行なっております。今になっ
てみると、法外に行方不明者が多かったことがわかりまして」
 そう言ってさすがに顔を歪める。
 尚隆は確かに元州の謀反を赦したが、それは事件をうやむやにすることと同
義ではない。犯罪は犯罪であり、州侯の幽閉と哀れな身代わりのことを始めと
して、きっちり捜査して事件を解明することは必要だった。それにどこかに謀
反の芽が残されていないとも限らず、あるいは他州に飛び火しかねない火種が
くすぶっているかもしれない。それらをみずから綿密に調査することで、元州
の王への恭順を態度で示す意味もあった。
 さらに言えば調査に先立って、州城内において不審な行方不明事件が多発し
ていたこともわかっており、これまで州府で門前払いされてきた家族や縁者が、
続々と国府に訴え出ていた。
 そうして判明したのは、官位の高低を問わず、この十数年でかなりの官吏が
行方不明になっていたことだった。その数、十や二十ではきかない。国府には
既に簡単な報告が上がってきていたので六太も知っていたが、記録と聞き取り
結果を丁寧に突き合わせてみれば、実に百名を超える州官や下官、下働きが、
身の回りの品をすべて置いたまま忽然と姿を消していた。
 ――おそらくはすべて更夜が妖魔に喰わせたのだ。斡由の命令で。
 逆に言えば、それだけの人間が斡由の本性を見抜いていたということだろう。
そして非難するなり対抗するなりした結果、斡由の逆鱗に触れて闇に葬られた
のだ。
 ただ周囲の人間の中には、不明者の末路を薄々察していながら自身の生命を
守るために口を閉ざしてきた者も少なくなかったらしい。その恐怖の重石が取
れた今、事情聴取に訪れた秋官に堰を切ったように諸々を訴えているという。

710永遠の行方「遠い記憶(6)」:2014/07/13(日) 10:44:46
 六太はうつむいて、「そうか……」とつぶやいた。斡由は暴君にはならない
と更夜は言った。だが実際は、その時点で既に血にまみれた暴君だったのだ。
「白沢は生まれも元州か?」
 普通、国官以外の官吏になる場合は州から出ることはない。つまり生まれ
育った州の官府で登用される。
「さようでございます」
「遠く離れてしまうと、元州のことが心配じゃないか?」
「それは、もちろんでございますが」少し驚いたように口ごもってから「しか
しもう拙官が関わっては、逆に元州のためにはならないでしょう。いずれにし
ても既に州宰の任を解かれております」
「まあな。にしたって、太保に任じた尚隆も滅茶苦茶だけど」
「……わからないのです」
「ん?」
「わたくしどもがいったいどこで何を間違ったのか」
 白沢は苦悩の声音で心中を吐露した。
「元州の事情を斟酌してくださった台輔には正直に申し上げます。拙官には元
伯が掲げた大義自体が間違っていたとは、今でもどうしても思えないのです。
もちろん元伯の本性を見抜けず、かしらに戴いたことは大きな過ちでした。そ
れだけはわかるのですが」
「うん……」
 何をどう言いようもなくて、六太はただ相槌を打った。
 謀反は確かに大罪だが、尚隆に非があったのも事実なのだ。最後の最後でた
またまうまく転んだから王の首がつながっただけで、元はと言えば、重要な堤
さえ整備せずに長年放っておいたつけが回ってきたに過ぎない。
「しかしながら、ああいう結末になったからには何かが間違っていたはずなの
です。もしかしたら、そもそもの最初から、何もかもが」
「……そうなのか?」
 意外な返答に六太は驚いた。しかし手段は間違っていたかもしれないが、あ
のときの元州には大いに同情の余地があったのではなかろうか。元州の民が毎
日洪水の恐怖に怯え、何とか自治を得て堤を整備したいと切望した心情は、六
太にもじゅうぶん理解できた。

711永遠の行方「遠い記憶(7)」:2014/07/14(月) 00:26:58
「さようです。それで国府を見れば、何を間違ったのか、その手がかりなりと
つかめるのではと考え、厚かましいことは承知の上で主上にお願いいたしまし
た。まさか太保に任じていただけるとは思いもよりませんでしたが」
「尚隆のことだから、実はなーんも考えてないかもしれねーぞ」
 六太のからかいを白沢は「さ、それは拙官には何とも」と穏やかに受け流し
た。
「主上のお人柄は存じておりませんゆえ。それでも――」ふと遠くを見るよう
なまなざしで続ける。「少なくとも元伯より懐の深いかたであられるのは確か
でしょう」
「……まあな……」
 だが同時に、得体が知れない、とも六太は思う。尚隆の本音がどこにあり、
何を目指しているのか、この期に及んでも六太にはわからないでいた。
「もし――もし、主上のお考えの一端なりと垣間見ることができましたなら、
あるいは雁の未来を見ることができるのかもしれません。今よりは良い未来を」
「そうかな……」
「少なくとも元伯と異なり、主上は誰も手にかけてはおられません」
 結果的に斡由だけは斬ったが、あれはさすがに斡由の自業自得だろう。
 六太は一瞬言葉に詰まり、ややあってこう言った。
「……更夜のこと、許してやってくれな」
「更夜――元伯の射士だった男ですな。妖魔を飼っていた」
 今では白沢も、彼が暗殺者を務めていたことを知っている。大量の行方不明
者の直接の原因であろうことも。
「うん……。もちろん更夜がひどいことをしたのはわかってる。でも仕方な
かったんだ。斡由に拾われて恩を感じていたし、他に行くところもなくて逆ら
えなかったんだから。でも本当はいいやつなんだ」
 ふと他方からの視線を感じた六太が何気なく目を転じると、白沢の後方に控
えていた下吏と目が合った。彼は礼儀も忘れ、愕然とした体で六太の顔を凝視
していた。

712永遠の行方「遠い記憶(8)」:2014/07/26(土) 13:30:18

 白沢はまた微笑して、「主上がお赦しになりました」とだけ答えた。
 王が赦したものを自分が許さぬはずはない、ということだろうか。自身も主
君の前に大罪人として並び、赦されたひとりなのだから。それとも――。
 そこへ、客庁に侍っていたのとは別の女官が現われて来客を告げた。
「台輔。太師と太傅が参っておりますが」
「うん? 何の用だ?」
 三公は王の助言者だが、とりあえず新参の白沢をのけたとしても、現在の太
師と太傅は適当に与えられた役職にすぎない。それだけに、これまでみずから
仁重殿に伺候することもなかった。
 六太が元州城から宮城に戻ってきたとき、三公六官の顔ぶれががらりと変
わっていて驚いたものだが、尚隆が光州から招いたのだという。あとで朱衡に
聞いたところでは、光州は斡由率いる元州とひそかに結託していたそうだから、
それをあえて宮城内に引き入れた尚隆の思惑はよくわからなかった。
 しかし適当に高い官位を与えて、良からぬことをしないよう機嫌を取ろうと
しているんだろう、ぐらいのことはおぼろに想像がつく。それだけに太師らの
興味は、権力を拡大することと私腹を肥やすことに集中しており、民の暮らし
になどまったく関心がなさそうだった。六太のことも、接する態度こそうやう
やしいものの、本音では大して敬っていないのは明らかだった。
「何でも、太保がこちらにお見えと聞いて、ぜひ挨拶を、と」
「ふうん?」
 六太は白沢を見やり、彼がうなずいたのを見て、女官に客を通すよう伝えた。
来訪した太師らは、六太に叩頭して挨拶したのち、席を立って拱手していた白
沢に、にこやかに声をかけた。
「おお、貴殿が元州の」
「お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。まずは台輔に
着任のご報告を、と思ったものですから」
「なんのなんの。もとより承知のこと。よく参られた」
「三公府にてお待ちしていても良かったのだが、何かとお困りのこともあろう
かと馳せ参じた次第。何と言っても元州の犯した大罪を思えば、特別に主上に
お赦しをいただいたとて肩身も狭かろう。何かあれば我らが主上にとりなすゆ
え、ぜひご相談くだされ」

713永遠の行方「遠い記憶(9)」:2014/07/26(土) 13:34:15
 妙に愛想の良い彼らを、六太は胡散臭そうに見やった。そんな視線などまっ
たく意に介さず、太師が続けた。
「時に太保。こたびの謀反を主上は寛大なお心でお赦しになったが、それに甘
えてはならぬだろう。やはり誠意というものは見せねばならぬ」
 自分たちも元州と結託していたくせに、いけしゃあしゃあとそんなことを口
にする。
「聞けば、元州は不正に財を貯めこみ、首都州である靖州よりも豊かだとか。
この際――」
 六太は顔をしかめた。他州に比べて元州が豊かなのは確かだが、別に不正を
したわけではなかろう。だが白沢はなんら抗弁しなかった。
「――元州が貯めこんだ財を主上に献上されてはいかがかな? もと州宰なれ
ば、その辺の財政事情にも詳しかろう」
「ご配慮、いたみいります」白沢は慇懃に頭を垂れた。「しかしながら小官は
既に州宰の任を解かれた身。現在の州政は主上が任じられた新しい州侯の領分
でございますれば」
「おう。それはそうなのだがな。しかし」
「代わりに小官は私財をすべて整理して参りました。新参の田舎者ゆえ、ご迷
惑をおかけするかもしれませんので、もともと三公六官の皆さまには、ご挨拶
に伺いがてら財を献じるつもりで」
 それを聞いたとたん、太師らは破顔し、目に見えて上機嫌になった。
「おお――おお、さすがに心配りのあることだ」
「恐れ入ります」
「ではのちほど三公府に参られよ。六官にも口添えし、貴殿の心遣いを伝えて
おくゆえ」
「ありがとう存じます」
 彼らは再び六太に挨拶すると、意気揚々と退出していった。
 六太は、ふう、と息を漏らし、白沢を促して座らせてから「ごめんな」と
謝った。六太のせいではないが、宰輔の御前であることも気にせず、堂々と賄
賂を要求するさまには溜息しか出なかった。

714永遠の行方「遠い記憶(10)」:2014/07/26(土) 13:36:19
 とはいえ、いたたまれない、というほどではない。雁は貧しく、一般の官の
志も低いのはこの二十年でよくわかっていたのだから今さらだ。それにいずれ
は改善していくはずだ――していってほしい、と思う。
 だが元州城にいた間は、同種の光景を見たことも話に聞いたこともなかった。
いろいろ鑑みても、六太が気づかなかっただけで水面下で横行していたとも思
えない。大逆を犯したとはいえ、その点、斡由は立派に元州を治めていたのだ。
 そう考えると、多少ばつが悪い思いをする六太だった。尚隆の統治の手腕が、
果たして白沢の主君だった斡由より優れているものかどうか。
 一方、その白沢は相変わらず動じる気色もなく、穏やかに答えた。
「台輔が気になさることはございません。これも世の習いというものでござい
ましょう。いずれにしましても太師に申し上げた通り、もともと私財を献じよ
うとは思っておりました」
「あんまり遠慮しなくていいんだぞ。いろいろあったが、太保に任じられたの
は事実なんだ。実権がないとはいえ領地だって相当な広さだし、下につく下官
や胥徒、奄奚の数もきちんと法で定められている。おまえが連れてきた下吏ひ
とりじゃ、身の回りの雑事をこなすのはもちろん、俺や他の官とやりとりした
り、先触れを遣わしたりする程度ですら手が回らないはずだし、配属された連
中のことは遠慮なく使っていい」
「お気遣い、かたじけなく」
「うん」六太はうなずいて笑いかけた。「とりあえず今日はもう下がっていい
ぞ。疲れているだろうし、急ぎの用事もないから、何かあっても明日以降でか
まわない」
「かしこまりまして」
 退出する白沢らを見送りながら、六太は多少は複雑な気分が拭えたような気
がしていた。
 もと州宰だけあって取り繕いはうまかったが、白沢の言葉そのものに嘘は感
じられない。人柄自体は誠実なのだ。国府に入ることを願ったのは、決して陰
謀や栄誉栄達のためではないだろう。そしてそんな彼がいったん王に仕えるこ
とを選んだ以上、二度と同じ罪を犯すことはないに違いない。

715書き手:2014/07/26(土) 13:38:23
とりあえずここまで。

10レスも使って白沢が着任の挨拶に来たあたりまでしか話が進んでないとか、
結局この章も想定より長くなる予感……orz

次回の投下は未定なので、今度こそしばらく間が開きます。

716書き手:2015/05/03(日) 16:35:22
お久しぶりです。いや、ほんと。

やっと仕事が落ち着いたので、ようやく続きに取りかかれます。
……が、さすがにここまで間が空くとこれまで書いた内容を忘れてしまい、
既存部分を読み返していろいろ確認中。
そのため実際に続きを投稿できるまではまだ少しかかりそうですが、
もう少々お待ちください。

せっかくなので書き逃げのほうに、尚六の掌編を一本おいていきますね。

717名無しさん:2015/05/12(火) 04:42:50
私もこの春からまた読み返してちょうど一週間ほど前にまた再読しおえたところでした
すごくタイミングがあってwktk

718703:2015/11/16(月) 17:43:22
久しぶりに読み返しては、新たな感動に浸っております。
今年から執筆に取りかかれそうとのことなので、続きを楽しみに待っています。
これほどの大作ですから、じっくり味わっていきたいですね。

719永遠の行方「遠い記憶(11)」:2017/03/11(土) 15:41:20

 ちょうど尚隆が姿をくらましていたこともあり――というより、所在が知れ
ていることのほうが少ないのは謀反の前と変わらないのだ――白沢が王に拝謁
が叶ったのは五日後のことだった。
 あとで白沢から苦笑まじりにそれを聞いた六太は、自身も苦笑した。
「あいつはいつもあんなもんだ。急ぎの用事があるときは、見かけたら即、つ
かまえないと逃げられるぞ」
「主上は驚くほど活動的でいらっしゃいますな」
「物は言いようだな。あいつ、すぐに行方をくらますから官はいつも探し回っ
てる――まあ、知ってるだろうけどさ」
 何しろ他ならぬ斡由が、そうなじっていたのだから。官は始終、王を探し
回っている、と。
 そのときのことを思い出した六太は、複雑な胸中ながらもへらりと笑ってみ
せた。そうして王が普段からいかに官を困らせているかのあれこれを、面白お
かしく披露した。
 白沢は何も言わずに微笑とともに拝聴し、やがて頃合いと見て辞去していっ
た。去り際、彼のあとに付き従っていた下吏が眉をひそめ、六太をちらっと見
たような気がした。

 翌日には七日に一度、三公六官が一堂に会する朝議にも白沢は出席し、気負
うことなく自然になじんでいった。六太の生活も、完全に謀反の前の状態に
戻った。
 それでも一応、六太は白沢のことは気にかけるようにしていた。三公は宰輔
の直属だし、心中を吐露した際に見せた苦悩の表情に同情を感じていたことも
ある。だがそれよりも、告げた動機通りに国府の状況を見聞し始めたようだが、
どこに赴くにしろ必ず事前か事後に六太に報告を入れていたため、単純に顔を
合わせることが多かったからだ。

720永遠の行方「遠い記憶(12)」:2017/03/11(土) 15:43:42
 疑いをいだかれないようにしているんだろうな、とはさすがの六太も気がつ
く。三公の職務である王への諫言や進言をするでもなく、ひたすらあちこちの
官府を見聞しているとなれば、普通は陰謀を疑うに決まっているのだから。
 毎日のように白沢から下吏を差し向けられ、あるいは本人が直接出向いて見
聞先に対する許可や報告を受けるのは、普段の六太なら面倒に思ったにことだ
ろう。しかしいまだ苦悩の中にいるらしい白沢が自分自身を納得させたいと
思っているなら、その手伝いをするのはやぶさかではなかった。何より荒廃の
中で元州を支えていた人物のひとりなのだから、白沢の行動は回り回って少し
でも民が潤う一助になるかもしれない。 そんなふうに思って接していると、
白沢は必ずしも件の下吏を同道しているわけではなかった。たったひとりを厳
選して連れてきたくらいなのだから腹心の部下だと思いこんでいたのだが、下
吏は自分を重用する白沢に対して逆に淡泊でさえあり、特にそういったことに
無頓着な六太でさえ、気づいてみれば首を傾げるほどだった。

「あの下吏は今日も連れてないんだな。元州から連れてきた……」
 あるとき六太は、別の胥徒を伴って仁重殿を訪った白沢に何気なく聞いた。
表面上はなじんだとはいえ、白沢にとって宮城は居心地の良い場所ではないだ
ろう。だからこちらが用意した胥徒を使いはしても気を許すまではしないだろ
うと思い、少し心配したのだ。
 白沢は問いに少々不思議そうな顔をしながら、「曠世(こうせい)のことで
ございますか」と穏やかに返した。
「本日のこの時間ですと、大学にお邪魔させていただいております」
「大学?」六太はきょとんとした。「まさか入学したのか?」
「いえ。ごく一部の講義のみ、聞く許可を主上よりいただいたものですから」
 聞けば曠世という名のその下吏はなかなか優秀らしく、彼が得意とする一部
の学科のみ、特別に聴講して良いことになったのだという。入試を受けられる
ほどの学力ではないらしいのだが、大学は雁全土から優秀な人材が集まってく
る場だ。そこに一部の学科とはいえ加わることを許されたのだから、大したも
のだと六太は素直に感心した。

721永遠の行方「遠い記憶(13)」:2017/03/11(土) 15:45:46
「ああ、そうか。そのために連れてきたのか」
 六太が得心してうなずくと、白沢は「あ、いいえ、そうではなく」と否定し
た。そもそも簡単に聴講の許可がおりるとは思っておらず、だめでもともとと
ばかりに頼んでみた結果らしい。
「あの者は仙籍に入ったのも比較的最近で、実際の年齢もまだ若いのです。身
寄りもないものですから、この際、いったん元州を離れ、中央で新しい知識を
学ばせれば本人のためにもなるかと思いまして」
「へえ」
「それに曠世はもともと元伯に――斡由に批判的でございました。それだけに
拙官にも遠慮がございません。いっそ、そういう者のほうが身辺に置くのに良
いでしょう。拙官の気づかぬ失態に気づいて諌言してくれるやもしれません」
 六太は目を瞬いた。
「いずれにせよ、拙官のいただいた太保の職は一時的なものと心得てございま
す。しかし短い間とはいえ、前途有望な若者を大学の空気に触れさせてやれれ
ば、元州に戻ったときに州政府の役にも立ちましょう」
「そ、そう、か。それで聴講を……」六太は何と返していいものやらわからず
に、ようやくそれだけ答えた。
「ただ実際にお許しいただけるとは思っておりませんでしたので、それについ
ては本当に驚きました。主上は鷹揚に笑って、好きにしろ、とだけ」
「ふーん……」
「主上には拙官にも、好きにしろ、と」白沢は苦笑した。「各官府を見学させ
ていただく際、当初は予定表を作った上で都度主上にも許可をと思ったのです
が、不要と言われてしまいました。むしろ面倒だから、それだけのためにいち
いち来てくれるな、と釘を刺されまして」
「まあ……その辺の態度は謀反の前と何も変わってないからなあ。官があいつ
をつかまえるのも相変わらず大変だ」
「そのようでございますな」

722永遠の行方「遠い記憶(14)」:2017/03/11(土) 15:48:12
「ま、何にしても、そういうことなら官府訪問の予告のたぐいは、今そうして
もらっているように引き続き俺に言ってくれていいぞ。何ならこれからは毎日、
午前中は朝議が終わったら見学に行って、午後は俺んとこに来ると流れを決め
ておくとかな。だからどうだってわけでもないけど、そう言っておけば明らか
に俺への報告のためって名目になるから、周りも納得しやすいんじゃないか。
おまえも黙って動き回るよりは気が楽だろう」
「ありがたいことでございます。ただこれまで伺った各部署の責任者にはどう
も賄賂の催促と受け止められたようで」
「へ?」
 驚く六太に白沢は片眉を上げ、おどけたように続けた。
「本当に勉強のつもりでいるのですが、こちらの出方を探られております。む
ろん厄介事にならぬよう、懺悔のためと正直に伝えておりますが、どこまで信
じてもらえているやら」
「……まあ、無理だろうなあ……」
 六太はつい腕組みをして唸った。実際、あちこちで賄賂のやりとりが蔓延し
ているのだから、訪問先の官府にとっては自然な発想なのだろう。
「あまり否定するのも逆効果でしょうから、贈られたものは素直に受け取って、
すべて主上に献上することにいたしました。これまた主上には笑われてしまい
ましたが」
 曠世に言いつけてきっちり作成した目録とともに献上しているとの話だった
が、尚隆は現物には関心を寄せなかったものの、どのような品や金額が賄賂に
使われたのかについては興味を示したらしい。
「それでせっかくなので相談させていただきたいのですが、大抵は曠世を伴っ
ているのです。しかし官府に赴く際はあえて他の者を――宮城で用意された胥
徒を――伴ったほうがよろしいでしょうか」
「うーん」
 六太は考え込んだ。確かに腹心と見なされている下吏だけを伴って白沢が現
れれば、密かに他の官と顔をつないで何かを企もうとしているように見えるだ
ろう。
 だが。

723永遠の行方「遠い記憶(15)」:2017/03/11(土) 15:50:14
「別にそこまで気にしなくてもいーんじゃねえの?」へらっと笑って言う。
「尚隆だって勝手にやれと許可したわけだろ?」
「はい」
「だったら王の許可はあるんだから気にすることはない。なんたってあれでも
雁の最高権力者だ。もっとも実際は王の権威なんかあんまりないけどな」
 六太が冗談のようにして笑い飛ばそうとすると、白沢は先ほどまでのやわら
かい表情を曇らせて沈黙した。
「……どうした?」
「驚きました」
 白沢はぽつりと漏らした。「主上の周囲は敵ばかりだったのですね」と。
 敵、という激しい表現に六太は少しひるんだ。敵も何も……すべて尚隆の民
なのだが。
「なのに主上はあれで、思いのほか宮城内の状況を把握しておられる。手足と
なる者はほとんどおらぬようなのに」
 そう漏らしてから六太の複雑そうな表情に気づいたのだろう、「つまらぬこ
とを申しました」と話の区切りでもあったので辞去しようとした。
 六太は彼を送りながら、努めて朗らかな態度で接した。元州の事件のさなか、
尚隆は元州とつながっているとわかっていて、光州から新たに三公六官を迎え
た。もともとそんなでたらめをやる呆れた王なんだから白沢が気にすることは
何もない、あいつは自分で墓穴を掘ってるんだから、と。
「それと官府への訪問の予定や報告以外にも、思うところや気づいたことがあ
れば俺に言ってくれ。そりゃ、何か身になる助言をしてやれるわけでもないだ
ろうけど、それでも誰かに話すと考えもまとめやすいだろ。もともと俺の直属
なんだから、遠慮はいらない。これからの国のためにも忌憚のないところを聞
かせてほしい。あと曠世だっけか、これまで通り、俺のところにだって遠慮せ
ずにいつでも連れてきていいんだぞ。せっかくだから大学の話なんかも聞かせ
てくれよ。俺、行ったことないし、ちょっと楽しみだ」
「お気遣い感謝いたします」
 白沢は頭を下げ、退出していった。

724書き手:2017/03/11(土) 15:52:47
なんだか予定に反して随分間があいてしまいました。
また忙しくなってしまったので続きはいつになるか未定。
今回まとめて載せたぐらいの量なら、さほどかからないとは思いますが。

……というか全然色気がない……。

725永遠の行方「遠い記憶(16)」:2017/03/14(火) 21:50:36

 こうして、気になる点がないでもなかったが、白沢とはまずまず良い関係を
構築できたのではないかと六太は思った。どうせ尚隆は六太だけでなく官の言
葉も聞かずに勝手をするのだ、しばらくは尚隆のやることに目をつぶっている
と約束したことでもあるし、そのぶん暇だ。
 むろん靖州侯たる六太にも政務はある。しかし宰輔に実権がないと言われて
いるのは、首都州は実際のところ州の宰相たる令尹が仕切っているからだ。六
太の仕事は現状、朝議や儀式等で王の傍らに侍るのを除けば、書類に承認の署
名や押印をするのが主体。時間はたっぷりあったから、数日後の午後、さっそ
く白沢が下吏の曠世を伴って仁重殿を訪問したのを喜んで迎えた。
 胸襟を開いていることを示そうと、六太はあえて、尚隆が建物を解体させて
周囲がみすぼらしくなった庭院を臨む房室に席を設けた。もちろん場そのもの
はきちんとしつらえられているし、女官も数人控えている。開け放たれた窓か
ら見える風景もあからさまに寒々しいわけではないから、礼を失しているとか
相手を軽んじているように見えるわけではない。ただ宮城にしてはちょっと質
素なだけだ。そうして尚隆が半数もの建物を解体して石材や木材として売り
払ったことを、率直にというよりはむしろ滑稽な話として大げさに話した。
「あいつ、いつもこんな調子ででたらめなんだよ。官も呆れて物も言えないっ
て感じでさ。元州と比べてがっかりしたろ。頑朴は関弓と違って活気もあって
綺麗だったもんな。元州城だって――」
「――畏れながら!」
 六太は曠世にも席を作って白沢の傍らに座らせてやっていたのだが、その曠
世が突然強い声を上げて六太の言葉を遮った。
「畏れながら台輔に申し上げます。ここ関弓より頑朴が栄えて美しかったのは、
主上が富を関弓に集めなかったからと拝察いたします。それは地方にも平等に
心を砕いておられるゆえではないでしょうか。宮城が元州城よりみすぼらしい
のも同じこと。凡庸な王であれば単純に自分の住まう首都を優先して整備する
ところを、主上はご自身が贅沢をなさることより、華やいだ風景や活気に満ち
た賑わいでご自分の目を楽しませることより、いまだに明日の食にも事欠く切
実に貧しい地域を少しでも助けることを優先しておられるのです」
「は……」

726永遠の行方「遠い記憶(17)」:2017/03/14(火) 21:52:36
 六太は目を丸くして相手をまじまじと見た。思い詰めた様子の曠世は、むし
ろ六太を睨む勢いでこわばった視線を向けている。白沢は小さく溜息をつくと、
曠世に「控えなさい」と叱責した。
「いや……別に構わない、け、ど」
 六太は白沢に取りなしながらも口ごもった。曠世は何か言いたげだったもの
の、いったん飲みこむことにしたらしい。謝罪するように深々と頭を下げたあ
と、しばらく口元をぎゅっと引き結び、六太が瞬きながらも見つめているうち
に再び口を開いた。
「ご無礼いたしました。畏れながら台輔に伺いたいことがございます。お許し
いただけるでしょうか」
「あ、ああ。何だ?」
 白沢の着任の挨拶のときは、曠世はただ六太を畏れ敬っていただけに見えた。
だが今は敵意とまでは行かずとも気圧されるぐらいには鋭い覇気を放っており、
六太は困惑を隠せなかった。
「台輔は斡由の射士だった男、妖魔を飼っていた駁更夜と古くからのお知り合
いだったと伺いました。だから更夜が斡由の命で台輔をさらったとき、台輔は
斡由の言いぶんに理解を示して元州城にみずからお留まりになったのだと。宮
城におられた台輔はいつ、元州の射士とお知り合いになったのですか?」
「ああ、そのことか」
 六太は何かほっとしてうなずいた。確かに不思議に思われるかもしれない。
二十年近く前の懐かしい出会いをちらりと思い浮かべ、六太は我知らずほほえ
んだ。
「十八年ぐらい前に一度会ったんだよ。息抜きに使令に乗って元州の黒海沿岸
あたりを飛んでたら、例の妖魔に乗って飛んでた更夜とすれ違ってさ。びっく
りして追いかけたんだ。まだ更夜は十かそこらで、斡由に拾われる前で。ずい
ぶん汚い格好をして腹を空かせてた感じだったから、一緒に飯でも食おうって
誘ったんだ。ちょうど餅の袋を持ってたし」
 そう答える。曠世が何かを待つようにしばらく黙っていたので、六太は首を
傾げた。
「――えっと?」
「それで……?」
「うん、それで。それでいろいろ話しながら、一緒に餅を食べたんだ」
「……は?」

727永遠の行方「遠い記憶(18)」:2017/03/14(火) 21:55:00
 曠世の表情が驚愕に彩られるのを、不思議な思いで見返す。長い沈黙のあと
で、曠世はようやく口を開いた。
「それ、で……餅を、食べて」
「うん?――うん」
「さほど長い時間ではありません――ね……?」
「そ、う――だな。うーん、半刻(一時間)もなかったかな?」
「十ばかりの子供の時分に一度、半刻ばかりともに餅を食したから。だから十
八年も経って更夜の仕える斡由が内乱を起こそうとしても信用なさった、と?」
 六太は黙った。黙らざるを得なかった。ようやく相手の言いたいことがわ
かったからだ。
 確かに――客観的に見ればそれだけだ。それだけだった。それだけで六太は
無条件で更夜を信用した。
 きっと何を言っても相手には理解されまい。そんな思いのまま顔を伏せ、膝
の上で拳を握りしめる。
 だって更夜は六太だったのだ。罪なくして親に捨てられた六太だったのだ。
 だから――ああ、だから。
 暗い顔をして何も言い返さない六太に、曠世は表情をいっそうこわばらせた。
そうして押し殺すような声で「たったそれだけであの男を信用したのですか」
と吐き捨てた。
「曠世、控えなさい。台輔に無礼だ」
 ぎり、と歯を食いしばった曠世を、再び白沢がたしなめる。実際、下吏ふぜ
いが宰輔にこんな物言いをしたら、死罪を申しつけられても抗弁はできない。
侍っている女官らも顔色を変え、これ以上の無礼があれば取り押さえられるよ
うに身構えた。
 白沢は溜息とともに、六太の許しを得て曠世を退出させた。意気消沈した六
太に、残った白沢は「実は」と説明した。
「州城の行方不明者の中に、曠世の大伯母と兄がおりましたのです。他の者と
同様、私物をすべて置いたまま姿を消しました」
「それは……」
 六太は絶句した。

728永遠の行方「遠い記憶(19)」:2017/03/14(火) 21:59:15
 不明者はまず全員が更夜の妖魔に食われたのだろうと推測されている。曠世
は州府に幾度も捜索を訴え出、門前払いをされ続けていたらしい。ようやく調
査が行なわれることになったものの、生存の見込みは薄い。そうして聴取の過
程でたまたま白沢の目に止まり、紆余曲折を経て、こうして供をするに至った
のだという。
 道理で斡由に批判的だというわけだ、と六太は暗い思いで納得した。斡由に
処分されたらしいからには、曠世の親族はもともと斡由に否定的な立場だった
のだろう。その影響を受けたにしろ、州政府の仕打ちに憤ったにしろ、元州の
もとの執政陣に対して曠世が恨みをいだいているのは想像に難くない。
「しかも両親は曠世が幼い頃に亡くなり、官吏だった大伯母の援助のもと、年
の離れた兄に育てられたようなものだとか。そんなあの者にとって、駁更夜は
もちろん、斡由に従っていた拙官も家族の仇なのです」
「仇……」
 六太は呆然と呟いた。着任の挨拶に訪れた際、更夜をかばった六太に愕然と
した彼の表情が脳裏に蘇った。
「そのことは、尚隆は……?」
「知っておられるようですな。主上への使いは曠世に命じておりましたが、聞
けばいろいろと声をかけてくださっているようで。大学での聴講を許可してい
ただけたのもそのせいかもしれません。おかげでこの短期間で、曠世はかなり
主上に心酔していると言ってもよろしいかと」
「そうなんだ」
 意外に思いながらも、だからか、と得心する。だから尚隆をおとしめるかの
ような六太の発言にも過剰に反応したのか。
「曠世には不明の大伯母と兄以外に身寄りがございません。しかしながらその
ことと、台輔への無礼を許容することは違います。若いとはいえもう少し分別
があると思ったのですが、もう御前に出さないほうが良いようですな。次から
は別の者を――」
「いや、構わない」六太は即座にきっぱりと返した。「むしろちゃんと話し
合って理解を深めたほうがいいだろう。曠世だっていつまでも暗い感情に囚わ
れていたくはないはずだ」
 曠世の苦しみや悲しみはそれとして、少しは更夜のことも理解してほしい。
甘い考えかもしれないが、六太はそう願わずにはいられなかった。

729書き手:2017/03/14(火) 22:01:51
久し振りのせいか、早速前回の投稿内容に誤り(原作との矛盾)がありました。
話の筋には影響ないので、気づいたかたもスルーしていただければ幸いですw


またしばらく間隔が空きます。

730名無しさん:2017/03/17(金) 01:07:31
よくぞ更新してくださいました!待ってました!
続きを楽しみにしています!!

731永遠の行方「遠い記憶(20)」:2017/03/25(土) 15:29:40

 最近の六太は三日に一度の朝議にもだいたい出席している。今日も冬官主体
の朝議のあと、昼餉を挟んで広徳殿での政務を終えた六太は、仁重殿に戻る途
中で朱衡と行きあった。拱手して挨拶したのち笑みを浮かべた朱衡は「台輔も
ようやく心を入れ替えたようでけっこうなことです」と満足の体だった。
「尚隆はいなかったけどなー」
 六太は立ち止まって向き直ると肩をすくめた。特段発言することのない六太
にとって、朝議は暇な時間でしかない。朱衡は少し呆れたような顔をしたが、
出席しているだけましだと思ったのだろう、何も言わなかった。
「ちなみに今日は三公のいる日じゃなかったけど、普段白沢もまじめにやって
るぞ。そうそう、白沢が元州から連れてきた下吏な、斡由が始末した被害者の
遺族らしい」
 相手が白沢に懸念を覚えているのを知っていたのでそう教えると、さすがに
朱衡は驚いた顔になった。
「それは……まことでございますか」
「うん。だから斡由に従っていた白沢も、その下吏の――曠世にとって仇なん
だと。あえてそういう、自分に厳しい目を持つ官を連れてきたそうだ」
 朱衡が考えこむ中、六太は「朱衡は曠世と話をしたことあるのか?」と聞い
てみた。尚隆から声をかけられているというぐらいだから、何かと尚隆の元を
訪れている朱衡も見知っているのではと思ったのだ。何となくその評価が気に
なる。
「いえ。そもそも拙どもは基本的に後宮で主上とお会いしておりますので、お
そらくその者を見たこともないかと」
「そっか」
 さすがに尚隆も、腹心の部下だけを入れている内密の執務室にまで白沢やそ
の従者を招いているわけではないようだ。

732書き手:2017/03/25(土) 15:31:44
ある程度書き溜めたので、しばらくの間
推敲しつつ思わせぶりに1レス単位でちまちま出していきます。
また矛盾があるかもしれないけど、もういいやw

733永遠の行方「遠い記憶(21)」:2017/03/26(日) 12:01:18
「何でも尚隆から、大学で一部の講義を聴講する許可も得たらしい。まだ若い
し、元州に戻ったあとで役に立つだろうと白沢が判断したそうだ。それなりに
優秀なんだろうな」
「……主上に取り入っているわけですか?」
「違う」警戒を露わにした朱衡に六太は笑って否定してみせた。「むしろそい
つは何でか尚隆に心酔している。白沢が奏上する際の使いに曠世を使ってるそ
うなんだけど、なんか尚隆は曠世といろいろ話をしてやってるっぽいんだ。こ
の間も白沢と一緒に来たときに、頑朴や元州城に比べて関弓や宮城はみすぼら
しいだろと話を振ったら、尚隆が富を関弓に集めずに地方にも気を配ってる証
拠とか何とか、すごい勢いで抗弁されてさ。まいったよ」
 六太が軽い態度で困ったように頭を振ると、朱衡は小首を傾げて「それはそ
の通りでは?」とあっさり返した。
「……まあ……そうかもしれないけど」
 不承不承同意する。
「そうだ、聞いてるだろうけど、白沢は今後のために官府を見学して回ってて、
直属の上司である俺のところに都度報告に来てる。もし気になるなら、その場
に朱衡も同席するか? 大半は単なる雑談だけどな」
 朱衡は微笑して「その機会がありましたら、ぜひ」とうなずいた。

 次に白沢が仁重殿に訪れたとき、先日の六太の取りなしがあったためか、連
れていたのはまた曠世だった。気になって白沢の挨拶の合間に彼に目をやると、
こわばった表情で六太の胸元を見つめていた。前回のことがあったせいか、さ
すがにいきなり目を合わせるような無礼はしないらしい。
(そうやって反感を丸出しにされてもなあ……)
 内心で溜息をつく。
 いつものように女官にお茶などを用意させ、曠世も席に着かせて、白沢と報
告という名の雑談をする。更夜のことをどうやってわかってもらおうか考えあ
ぐねていると、ふと白沢が神妙な面持ちで言った。

734永遠の行方「遠い記憶(22)」:2017/03/26(日) 21:27:14
「こう申しては何ですが、宮城には不心得な輩が多いですな。彼らが懐にする
金銭の半分でもあれば、市井の民の暮らしはもっと楽になるでしょうに」
 宮城の諸官の現状を憂えているようだ。斡由を妄信していたとはいえ清廉な
官も多かった元州城と比べているのだろうと想像し、六太も居心地の悪い思い
は禁じ得なかった。
「何しろ尚隆がいまだに官を御しきれてないからな。冢宰と三公六官は白沢を
除けばもと光州の連中だし、上がああだと、どうしてもな。――そういえば」
最近、帷湍から聞いた話を思い出してにやりと告げる。「元州の謀反のとき、
尚隆は市井に王が賢君だとか何とか大げさな噂を流したそうだけど、あれ、内
容を変えてまだ続けてるらしいぞ」
「ほう。今度はどのような内容で?」
「王がどれほど民のことを思ってるか、ってやつだな。その延長で、頑朴の漉
水沿岸以外の堤の工事が遅れてることもいろいろ言い訳して誤魔化してる。実
際は何もやってねーんだけどな」
「そうですか……」
 白沢は難しい顔で黙りこんだ。落胆しているのかもしれない。傍らの曠世は
と言えば、本日は控えているだけだ。
「それで官が文句を言えば、相変わらず『不満は俺を選んだ六太に言え』で済
ませてるもんなあ。俺には実権はないっつーの」
 そうして時間が過ぎて暇を告げた白沢を、いつものように六太は房室の扉の
あたりで見送った。白沢のあとに続いた曠世は、六太の前を通るとき、ひとり
ごとのように「主上もお気の毒に」とつぶやいた。
「えっ?」
 その声音の冷ややかな調子に思わず目を瞬いた六太だったが、曠世は何事も
なかったかのように退出していった。

735永遠の行方「遠い記憶(23)」:2017/03/27(月) 19:04:50

 穏やかに日々を送る中で、何だろう、と六太は訳のわからない不安に駆られ
る。
 顔を合わせる際に向けられるようになった、あの、どこかさげすむような曠
世の目。
 そもそも六太は常世に来て以来、ずっと大事にされてきた。宮城の官吏たち
は内心ではろくに王も麒麟を敬っていないだろうが、少なくとも表面上は礼儀
を尽くしているし、言葉も選んでいる。だから六太は、そういった負の感情を
まっすぐ向けられることに慣れていなかった。
(親族を亡くして八つ当たりでもしてるのか。でも斡由の独裁は俺のせいじゃ
ない。強いて言うなら、なかなか全土を治められない尚隆のせいだ)
 雲海に張り出した露台の上、高欄に上って座りこみ雲海の下を覗き見る。ど
こかへ出かけていたらしい尚隆が先ほど禁門から帰城したのも、六太はそこで
ぼんやりと見ていた。そうやって息抜きばかりしている王のどこに弁護の余地
があるというのだろう。確かに六太は、尚隆がいいと言うまで目をつぶってい
ると約束したけれども……。
 ふう、と吐息を漏らして、傍らの柱に寄りかかる。
(元州の謀反は、たまたまうまく転んで収拾できた。でも堤もそうだけど、他
の部分の整備もできていない……)
 王ひとりで何でもかんでもできるはずがない。でなければ国土が州に分けら
れ、州ごとに州侯が置かれる意味がない。斡由が実際にやったことはともかく、
言っていたことは正論だ。
 そうやって物思いをしていたせいか、朝議に向かう途中で久しぶりに姿を見
せた尚隆が「なんだ、変な顔をして。拾い食いでもして腹の具合がおかしいの
か」と失礼なことを言ってきた。むっとした六太は相手の正装の長い裳裾を踏
みつけてやった。尚隆は「おお」と笑ってわざとよろけながら、あっさり六太
の足をのけてしまったけれども。




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