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タクトの世界

1タクト:2007/06/15(金) 09:24:44
初めまして
皆さん、初めまして。指揮者の形態模写を永年やり続けています好田タクトです。
このたび、オフィス・ライスの米田社長、といっても彼一人だけでやっている私設プロダクション兼マネージャー、の尽力を得て、長年の願望でした私のホームページを開設する運びとなりました。
手作りページですので、なかなかシッタモンダしていますがどんどんおもしろく、そして出演情報を充実させていきますので、訪問された皆様、長い目でかわいがってやってください。

さて、私の所属する、オフィス・ライスという会社名は、気づかれた方も多いとは思いますが米田君の米からとって名づけました。
社長は、プロダクションの主力商品であるDVD製作のために、ハイヴィジョンの業務用のカメラを大枚はたいて先週購入しました。
そしてそれにともない、編集の為のパソコン、ソフト、印刷システム、デザイン製作も出来るよう設備も整えました。本気です。
芸人さん、演芸場関係の方、音楽、演芸、講演、演劇など、公演・イベント関係者、結婚式、式典などをテレビ並みのきれいな映像で記録を望まれる方は、どこよりも安くきれいに丁寧に編集までいたしますので、ぜひご相談ください。

では、げんきくん時代の合言葉「ゆうきリンリン、パワーぜんかい、あしたもげんき!」でこれからもよろしくお願いします。

2タクト:2007/06/15(金) 10:18:48
本のお話です
自分が以前書いた「クラシック音楽夢レース」の話をしますね。

あの本を出した時は、すごい怪本が出たということで自分で言うのもなんですけど、評判になり「エノキドイチロウの意気揚々」や「吉田照美のやるきまんまん」のゲスト出演して、ラジオ番組なのに指揮者の物まねをさせられたり、共同通信社や毎日新聞に一面に取り上げられたり、なんか普段では味わえない体験をさせてもらいました。
三省堂本店やブックファーストなど各本屋や百貨店でサイン会をするのですが、普通にやってもおもしろくないということで、芸をして人を集めようということになり、本屋側も宣伝になるわって快諾されて、まず親友のシベリア文太が最初に芸をやって5分ほどで「限界です」と下がってきて、指揮者芸を5人ほどしたらビックリするほど人が集まってきてきて、「では今から本を買ってくださーい!」といったら蜘蛛の子を散らすみたいに皆去って行ったなあ。
店長には「台風後みたいに見事に散りましたなあ」
難波のNGKの前にあるジュンクドウでやった時には、以前所属してた時にお世話になった吉本芸人、めだかさんや内場さんなどが大挙応援にかけつけてくれたので、警官まででてきて「何がありましたんや」って大騒ぎになりました。
でも肝心の本は表紙が僕が朝比奈隆の真似で馬にのって指揮をしてる写真なので、クラシック音楽本のなのに競馬コーナーに平積みされたりしてたから、それを僕が勝手に戻したりしてました。
数年前はクラシック音楽は一部の愛好のジャンルのように言われてましたから、「のだめカンタービレ」の貢献は大きいですね。
先日、新日本橋亭で行われた「三遊亭遊吉の会」に今度6月29日に横浜関内ホールでゲスト出演することもあって、見に行ってたら久しぶりに「クラシック音楽夢レース」の担当編集者と会いました。
それだけでも懐かしくてうれしかったのに、今度執筆依頼を頼まれている出版社の方と懇親ということがわかっって2度びっくり。
業界って狭いなあと思いました。
また、がんばって執筆してみようかな、という気になっています。

3yゆ〜こです:2007/06/15(金) 11:00:06
祝HPアップ
以前何度か浅草の東洋館におじゃましていました。
タクトさんのパフオーマンスには音楽と指揮者に対する愛にあふれていて心惹かれます。
今度はコンビのお二人の新しい芸風を是非観たいです。
HPもなかなかわかりやすくて直球の想いが伝わってきておもしろいです。
暑くなりますが、お体きおつけてタクトさんだからできるパフオーマンスを繰り広げていってください。

4:2007/06/15(金) 21:34:07
開設おめでとうございます
ホームページ開設おめでとうございます。ゆうきりんりんパワーぜんかいのNHK教育テレビ「あしたもげんきくん」のときから、ずっとタクトさまのファンです。東洋館の舞台のときは、何度か指揮者のパフォーマンスを拝見しました。東京ユニットのコントもおもしろくて、日頃のストレスが一気に吹っ飛んでしまいます。5月5日には、銀座のヘブンアーティストのイベントにも出かけました。それぞれの指揮者の特長を生かしていて、感動しました。今後のご活躍を期待しています。

5タクト:2007/06/16(土) 00:04:58
ミー子の話
今日このホームページ開設の告知をして、一日で150件以上のアクセスがあって正直ビックリクリクリクリックリ(浜根兄さん、ギャグ使わさせてもらいました)です。
「好田タクトの世界」でワード検索申請しているので10日後ぐらいには載るでしょうから、アクセス数もまた増えるかもしれません。
改めて、インターネットの告知力には驚いています。

ところで、わが家のアイドル、パンダ猫のミー子が思わぬ人気でブレークの予感です。
前から猫を飼いたいと思い、周りに言っていたら、浅草で芸人がよく飲みに行く「金華園」の方の紹介で、生後2ヶ月のミー子と出会いました。
「どんな猫が希望?」と聞かれたので、「白い子猫」と言ったんです。
最初は本当に白くて、でも父親がシャムだからいずれ色は出てくるかなと思ってたんですが、みるみるうちにパンダみたいになってきました。
ミー子の名前は、「ミー、ミー」と泣くからです。
芸があって、風太もビックリ、長時間2本足で立つんです。
相手してやったら、一緒にカンフーみたいに踊るので、「これは売れる!」と直感したんですが、なんせ人見知りが激しいのです。
よく、キーボード漫談の牧田博さんが家に遊びに来てネタの練習をするのですが、「くだらない、くだらない」と得意のフレーズを劇場でする時以上に激しく1階でするもんだから、ミー子はずっと2階の物陰に隠れてブルブル震えています。
しかし、来客がない時はミー子の天下です。
2メートル近い蛍光灯の紐にも飛びつくし、僕にもアタックしてきます。
「げんきくん」の時などは、僕の赤い服の背中には猫のアップリケが縫い付けてあってルルちゃんと呼んでいたぐらい、僕は前から猫好きだったので今は幸せです。
でも猫って、あんまり抱きしめられたくないんですね。
そのくせ寝てる時は平気で人の胸に乗ってくるので、金縛りにあったのかと目が覚めたら、よく猫が僕の目の前で「フー」って唸っています。
でも、このパンダ猫って珍しいですよね。
世に出せば、僕より売れるでしょう・・・。

6タクト:2007/06/16(土) 02:06:54
ギャラの話
とは言っても、もう今は週刊誌やテレビとかであからさまにギャラや収入、賞品の内訳を記事にしたり、話をする人が多いので、皆さんの方が詳しいぐらいだと思います。
そこで、僕は笑える話や、運のない自分の体験をちょっと書いてみようと思います。

僕が最初にテレビに出たのが、1984年2月、TBS「ビートたけしのお笑いサドンデス」というお笑い勝ち抜き番組です。
豪華な賞品に目がくらんでの応募でしたが、当日、司会の三田寛子さんが
「本日からチャンピオンの賞品が変わりまして、今までは車とか海外旅行でしたが、本日からはビートたけしさんからすばらしい芸名がもらえます」
何すんねん。でもそこで画用紙に書かれた芸名を今も使わさせてもらっています。

1985年6月29日 読売テレビ 「百万円 爆笑エンターティナー全員集合」
予選を勝ち抜いた8組での決勝大会。
私は相も変わらず「指揮者物まね」で出場。対戦相手はトミーズさん。
審査員の香川登枝緒さんが、
「かたや正統派漫才、かたや音楽ネタ。どちらも甲乙つけがたい戦いやわなあ」
司会者の巨人さんが、
「では会場の100人の一般審査員のみなさん、点数をどうぞ!」
「トミーズ92点、好田タクト8点」
きっちり甲乙ついてるっちゅうねん!
この番組でダウンタウンさんが、浜田さんがSMの格好でムチを振ってビシビシやっているところに、ハゲカツラでステテコ姿の松本さんが出てきて「ビシビシ言うな!」 というネタをやったら、審査員の藤本義一さんが文句をつけた。
松本さんが怒って、
「こんな番組二度と出るか、ボケー!」
生放送なので、スタッフがあわてた、あわてた。
お陰で僕はドサグサにまぎれて弁当4つも食べれた。
夜、事務所の社長(当時僕はKAプロにいた)が、
「タクト、ようがんばった。飲みに連れてったる」
てなことで、ごちそうしてくれた。
しかし社長の支払いを横目で見ながら、ギャラが6千円だったので「ギャラより高い飲食代」を実感。
「あーあ、飲むより現金に換えてギャラにしてくれた方がよっぽどええのに・・・」

僕は大阪時代は4畳半の安アパートに住んでいました。
「貧乏数珠つなぎ」という番組(貧乏芸人がさらに貧乏な芸人を紹介していく)では、僕で数珠が切れたこともあった。
フジテレビの「さんまのテレビの裏側全て見せます」に出た時は、
吉本の社員から、「好田くん、明日全国放送に出したるわ」と言われ、
「それお笑いですか?お芝居ですか?」
「いや、貧乏・・・」
なんかいやな予感するなと思いながら、母親に、
「明日、全国放送のゴールデンの生番組に出れるで」「じゃあ、親戚中に言うとくわ」
で、当日、司会のさんまさんが、
「今、吉本にはこんな悲惨な芸人がいます」
続いて僕が住んでいる阿倍野のアパートがドアップで映し出され、
「ここが大阪で一番安いアパートです!」
翌日、同じアパートの住人から、
「あの番組見たけど、あんたが恥じかいたんちゃうで。私ら全員恥かいたんやで」と言われ、親戚から責められた母親は、
「誠一君にもうそんな世界やめさせって責められたわ」
とひんしゅくを買いまくり、しかもギャラが振り込まれていない!
会社に文句を言いに行ったら、
「あほ! お前を映したんやない。お前のアパートを映したんや」

テレビ朝日の「貧乏芸人グランプリ」に出た時は、ギャラはなし。
しかし賞品がワープロとかカメラとかで思いのほかよかった。
大川興行さんや電撃ネットワークさんは、そんな番組でもきっちり笑いを取っていたなあ。

その類では、友達のシベリア文太なんかは双璧でしょう。

7タクト:2007/06/16(土) 11:08:59
東京国立博物館の話
僕のここ数年はまっていることの一つに、国宝や仏像を見ることです。
国宝とは、文化庁が国内にある重要な文化遺産と認定した重要文化財12561点から特に国の宝になる最重要な文化財、1073点を指定したものをいいます。指定率はわずかに9パーセント。
だから国宝は、なかなか見れる機会が少なくしかも公開時期も数年に一ヶ月間程度というのが多いので、それを逃すと一生見損なう可能性があります。
もちろん僕も全ての国宝を見たく、日夜東奔西走しているわけですが、そんな文化遺産を積極的に保存し公開する博物館が国立博物館です。
寺院や個人の所有している美術品もよく国立博物館に管理を委託しているケースもあるので、ここは京都や奈良の寺院を除けばまとまって見れるすごい場所なのです。
ここには、年間パスポートという優れものがあって一年間4千円、前までは3千円だったのに・・、で購入すれば東京、奈良、京都、九州の国立博物館が出入り自由なのです。
しかもだいたい1500円する企画展が6回まで入れます。
僕みたいに、演芸場やジェグザーの行き帰りにぶらっと寄るものからすれば元どころか、数十倍のお得感覚です。
それに日本美術、とくに絵画などは照明に弱く、せいぜい一ヶ月展示すればまた数年間はお蔵入りです。
照明に平気な油絵の西洋美術とは、展示期間も全然違います。
一ヶ月ぶりに訪れても、入れ替えた美術品がけっこう見れます。
だから、マニアの間では「東博で会いましょう」となるわけです。
東博を把握すれば、秋口は東洋館(寄席ではなく谷口氏設計による東博無いの建物)ではアジア至宝展があったり、新しく指定された重要文化財・国宝を定期に公開してたり、講演会も無料だったり、とにかく素晴らしい時間が過ごせます。
芸人はよく舞台が終われば飲みに行きますが、僕はチャリンコで東博通いです。
では、皆さん「東博で会いましょう」

東京国立博物館
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00

文化庁・文化遺産
http://bunka.nii.ac.jp/Index.do;jsessionid=6358870A44EE9648D4EB3F96123DB0FC

8キチダくん:2007/06/17(日) 11:08:48
HP開設おめでとうございます!
好田タクト様
ご無沙汰しております。
HPが開設されたのを知りました。心からお祝い申し上げます。
長いこと連絡が取れずにいましたので、
本日開設を知り、早速投稿させていただきます。
インターネットで活躍の情報をときどき見せていただきながら
東洋館にお邪魔したこともあります。
ご挨拶に行くことはできませんでしたが。。。
私も現在東京にて生活しております。
初心を忘れることなく、がんばっていらっしゃるタクトさんに敬意を評し
私もがんばっています。
東博に行けばいつかは会えますかね?

9タクト:2007/06/17(日) 12:27:43
げんきくんの話
もう10年以上前になりますが、私はNHKで「あしたもげんきくん」という番組に出ていました。
日本中を旅するちょっとマヌケな発明家、というキャラクター設定で、けっこうハチャメチャな番組でした。
かなりエピソードは多いのですが、今日は今まで秘密にしていたちょっと危うい話を「祝ホームページ開設記念」として解禁しますね。

前から私を知っていたらしいディレクターから話があり、番組のオーディションを受けた。
課題と自分のネタをやった後、スタッフが質問してきた。
「タクトさんの生活状況はどうですか?」
「家賃が2万5千円、健康保険とか合わせても4万円で生活できます」
「あっ、それなら大丈夫だ」
えっ? 何が大丈夫なん? と心に思いながら、しばらくして「げんき君決まりました」。
そしてギャラをもらった時に、言われた意味がわかった。

当初私は大阪弁がどうしても抜けず、しかも標準語を一生懸命使うので一種キテレツな言葉になり、番組の中でよく子供たちに言われた。
「げんきくん、なまっとるべ」
読売新聞の放送塔に、「おもしろい方言を使うお兄さん出現!」と載ってしまった。
注目されて私はまんざらでもなかったが、NHKが黙っていなかった。
「標準語に直させよう」
ついに私は恵比寿にある「アナウンスアカデミー」となるところに強制収容させられてしまった。アナウンサーを目指す若者たちと一緒に地獄の特訓を受けさせられのである。
アナウンサー、それは女性の憧れ。しかも私の基礎クラスは女29人に男1人(私)。
やがて私の華麗な関西弁は、教室に愛と笑いをふりまき、教官は頭を抱えて歓喜した。
3ヶ月後、逞しく成長した私の言語は見事に成果が見られず、NHKの人に、
「げんきくんを学校に行かせたのは、NHKにとって、お金をドブに捨てたようなものだ」
そのことを学校に言ったら、
「じゃ何かね、うちの学校はドブかね?」
「でももう僕は卒業です。どうしたら標準語になりますか」
「きみの場合は、東京で彼女でも作って毎日話すればいいんじゃない?」
「なるほど! で、どうすれば彼女ができるんですか?」
「そんなのは自分で考えろ!」

番組も2年目に突入する頃には町で歩いていてもママさんや、親子連れには顔をさす様になってきた。
あるとき、近所にある中野のレンタルビデオ屋に行ったら、借りたい映画がもうレンタル中。魔がさして、アダルトコーナーの「人妻、口内暴力」(こんなんだったと思う・・)をとって、恥ずかしいから一般映画のビデオに挟んで受付に行った。
2人スタッフがいて、お兄さんの方に並んでいたが、もう一方のママさん風の女性受付に「こっちぇどうぞ」と言われ、しぶしぶレンタル手続きをしたら、目が合って、
「げんきくん?」
「・・・はい」
「へ〜、げんきくんも見るんだ」
「・・・・夜もげんきくん・・」

NHKさん、ごめんなさい。

10タクト:2007/06/18(月) 01:45:23
滝の話
私は自称「滝博士」です。
訪れた滝は400以上で、そのことが週刊誌の記事になったこともあります。
ちょっとした名のある滝なら、高さとか言い当てることも出来ます。
20歳から乗り始めたスーパーホークRというバイクに寝袋を荷台にくくりつけて、暇を見つけては気になる滝を見に行き、行ったらよく滝口まで登ってしまってました。(刈谷俊介か)
なぜ、滝か?と聞かれてもうまく答えられませんが、若い時は金もないし休みも人とは逆で孤独な貧乏旅をするのにはバイクはうってつけで、ぶらりと当ても無くまわるうちに、滝を見てビビッときたのでしょう。
日本は降水量が多く、地形の高低差があるので名瀑が生まれやすいのです。
当時の吉本新喜劇は、10日間ごとの興行で、上席、中席、下席と呼んでいて、一年目はそれこそ365日休みが無かったのですが、そのうちに京都花月がなくなり、新喜劇の縮小傾向もあって、出番のない席も出てきました。
そんな時は梅田花月の進行の原くんと彼の車で旅に出たりもしたのですが、彼は進行という仕事があるため、いつも休みが重なるとは限りません。
私はバイクでソロツーリングを大好きな滝探検に使っていたのです。
20年以上前は滝の本や写真集は皆無で、実は日本100名滝やグリーン運動などはここ15年ぐらいの前から言われ始めたことなのです。
だから地図を見たり、沢登り記録などを図書館で捜して、ここは絶対いい滝がありはずだとめぼしをつけて、何時ごろに家を出れば滝に着くかとか予定を立てて、夜明け前から家を出るのです。
よく滝の名所や3大瀑布とか言われますが、滝に関しては看板と実力はずれがあります。
「華厳の滝」などは、たしかにかっこいい人気滝だけど、まわりの岩盤は崩れてきて111メートルあった高さも97メートルに落ち込んだし、コンクリートで周りを固め、上の中禅寺湖には水をためる力もなくなってきたので人工調整したりして、ぼくらマニアからは評価を下げざるをえません。
逆に「三条の滝」などは水量日本一を誇るだけあって、地響きがすごいのなんの。

タクトが薦める滝は、
・称名滝(高さ350メートルは世界第8位、もちろん日本一。雨に日に行けばすごい)
・笹の滝(那智の滝より感動する。バイクで行けばアプローチは簡単)
・飛竜賀老の滝
・苗名滝
・不動七重滝(手前にちゃちな滝がるので、勘違いしないで奥へ進もう。とにかく美瀑)
・大杉谷(日本の秘境だ!)の一連の滝群
・鈴鹿流ヶ滝
・千尋の滝

NHKの「げんきくん」が、日本中をまわるのでロケ日程が月から金まででだいたい一日予備日があるので、よく担当ディレクターを引っ張りまわしたり、自由時間をもらったりしていっぱい滝を見回ったなあ。中野D,堀内D,高橋D,松原D,小畠D,三宅D・・・、本当に皆さん、滝めぐりにつき合わさせてすみませんでした。

残念なこともありました。
僕は10年ぐらいかけて滝の写真集を何冊も自家製で作っていたのですが、井筒和幸監督が「東方見聞録」という映画を作るのに滝のロケ地を決めるのに参考にしたいとかで、僕は滝の写真集を全部監督に貸してあげたのです。
しばらくして監督が所属していた監督集団の会社「ディレクターズ・カンパニー」が倒産して、写真集がどこにいったかわからなくなってしまったとのことです。
原宿の事務所に行ってももう中がむちゃくちゃで、一緒に木下ほうかが探してくれたのですが見つからず、それ以降、自分の緊張感が途絶えて、滝の写真を録らなくなりました。
本当に貴重なめずらしい写真がいっぱいあったのに・・・。
で、後にはビデオを録るようになったのですが、もうそれも最近はやっていません。
世間には滝のDVDとかも出だしたしね。

ま、それでも今でも国内をウロチョロするときは滝巡りはしますけどね。

11タイコ屋さん:2007/06/18(月) 02:27:31
遅ればせながら…☆
HP開設おめでとうございます!!
開設告知のメールありがとうございました。

しばらくタクトさんの舞台を見てないので、近々にまた遊びに行きます!!

12りこ:2007/06/18(月) 21:14:02
私も・・・
 東博大好きです。毎週月曜日に東博から届くメールマガジンを楽しみにしているくらいです。東博にあるお宝の数々、企画展の充実した展示は、もうヨダレが出ちゃうくらい魅力的ですね〜。
 魅力的といえば、好田さんの指揮者物まねですよねっ。東洋館でナマの好田さんを拝見したことがあります。客席がとても盛り上がって、好田さんの熱演に男性ファンがおたけびをあげていたような・・・ファン層の幅広さを実感した瞬間でした。
 待望のホームページができて、うれしいです。また、おじゃましま〜す。

13タクト:2007/06/18(月) 23:53:47
今日の北海道新聞に出ました
本日付け、6月18日の北海道新聞朝刊に、記事掲載されました。
記事を書かれた岩野裕一氏より、8日の東洋館で行われた「おもしろ音楽会」を見に来られ、その時の事を含め僕のことを記事にしますとの連絡をメールでいただきました。
そして、今日出番のため浅草東洋館の楽屋にいたところ、野菜吹き漫談のはたのぼるさんから「あんたのことが、北海道新聞に載っているらしいよ。今、原一平さん(寅さん物まね)が北海道に行っていて、連絡があったよ」と教えてくれました。
ただ、記事の内容はまだ見ていません。
が、すごくいいように大きく取り上げられているそうです。楽しみ、楽しみ・・・。

ここで、我が恩人で、キューピットでもあります岩野裕一氏のことを本人の了解なしにちょっと話させていただきます。
岩野さんは、クラシック音楽の解説者として、また熱烈な朝比奈隆さんのルポライターとして著作物も多く、テレビでの解説でも活躍されています。
今もBSフジで毎週木曜日の午後1時から「日本フィルコンサート・よみがえる幻の映像」
のわかりやすい解説でもおなじみです。
実は某出版社の編集長でもあります。

岩野さんとの出会いは、去年の3月「東京のオペラの森」で東京文化会館ロビーで開催されていた写真展「ヴェルディの旅」の写真家の木之下晃さんとともに現れました。
僕はヴェルディの格好をして案内していたのです。
僕は前から岩野さんのことを知っていたので、そこで挨拶できたのはすごくうれしかったのですが、その後交流はありませんでした。
僕のような芸はクラシック音楽の愛好家、演奏者からはおふざけのように写って嫌がる人もいるから、岩野さんにも嫌われたのかなあと勝手に思い込んでいたんです。
ところが岩野さんのほうはしっかり僕のことを憶えておいてくれていて、あるとき急に連絡があって、しかも3月に滋賀県栗東で指揮者の秋山和慶さん、大阪フィルの人達と共演する話を持ってきたのです。
え、えっ!? 小澤征爾と並ぶ斎藤秀雄門下、世界的指揮者の秋山和慶さんと共演!?
まじで緊張しましたよ。
でも心配をよそに、当日は大成功。舞台も盛り上がって主催者もお客さんも出演者もみんな喜んですばらしい一日になりました。
そして何よりも秋山和慶先生にすごく仲良くしていただき、ストコフスキーが来日した時に秋山先生が世話をしたせいもあって指揮者のくせやエピソードも教えていただき、最後にはお笑い部門・特例として、なんと弟子を名乗っていい(ま、しゃれだろうけど)とまで言ってくれました。
その後、先生の演奏会にはちゃっかり楽屋に遊びにいく我が厚かましさ。
ここだけの話、秋山先生は、実はむちゃくちゃ鉄道マニアでかばんから出るわ出るわ、鉄道雑誌が・・・。
だから秋山先生を招聘したければ、鉄道コンサートにすれば一発ですよ。クライバーが車とすしと舞妓で落ちたように・・・。こりゃ失礼。
また大阪フィルの打楽器とヴァイオリンの中谷夫妻は、大フィル辞めても吉本行って音曲夫婦漫才で喰っていけると確信しました。

そんなこんなで、岩野さんともすっかり仲良くなり、しかも神奈川フィルの指揮者、マルティン・シュナイトというクラシック界の幻の至宝まで教えてくれて、もう新しい追っかけまで作ってくれました。
そして僕の方は、岩野さんを演芸界、しかもテレビとは無縁の名人たちの世界へ引き込みつつあります。
岩野さんには、ぜひ現代のディアキレフ、つまり稀代の興行師になってもらいたいものです。
またすごく顔が広くて、各オーケストラとの交流も凄いんです。
おかげで、またコンサート通いが増えそうです。
ちなみに、岩野さんの大学の後輩の井坂さん(音楽プロデューサー)にも凄く僕はお世話になっています。
井坂さんの夢は東京に定席の歌劇場をつくることだそうです。
井坂さんは「のだめカンタービレ」の漫画本の後ろにアドバイザーとして名前が載っていますね。

なんか、いっぱいばらしちゃいました。
僕はこの方たちと、これから世の中を驚かすようなことを仕掛けていきたいと思っています。
ブラボー!

14タクト:2007/06/19(火) 03:12:51
声優の話
先日、田中真弓主演の「へっぴり腰で行こう」を見に銀座・博品館劇場へ行ってきました。
真弓さんから直筆で案内をもらったからにゃ、行かないわけには行きません。
実は、僕は田中真弓さん主宰の「おっ、ぺれった」に出ていた頃があるんです。

声優としての田中真弓さん、元気な少年役で主人公を演じることが多く、そのジャンルでは野沢雅子さんと双璧でしょう。
出会いは、ぼくがなべやに所属しててしばらくして真弓姉さんが事務所を移ってきたんです。
それで真弓さんのイベントを司会で手伝ううちに、真弓姉さんに特にかわいがってもらうようになり、途中からNHKのお兄さんをやることもあいまって、竹田エリさん(元NHK歌のお姉さん)、寛孝さん(演出家兼)が中心になっている「おっ、ぺれった」に入れてもらってお芝居を一緒にするようになりました。
なんせ声優中心のメンバーなので、永井一郎さん(波平の声でおなじみ)や仲村秀利さんもいたので、本読みの段階でもう完成されてました。
目をつぶって聞いていると、あ、あの声、この声とおなじみの贅沢な世界でしたね。
真弓姉さん、寛孝さん、エリさんと4人ではコントもしました。
渋谷ラママのコント大会では、肝心なところで音響がでなくなりみんなが右往左往してたところに、僕がとっさに「おっぺれった、ピーンチ!」と叫んだら館内大爆笑。
逆に、永六輔さんがその年に見た劇団ベスト2に選んでいただき、そのお披露目で永さんの会でジャンジャンでコントをした時は大すべりしたこともありました。みんなすごい力んでました。永さんは「こんなはずじゃ、ないんですよ、ほんとに」と言ってました。
その後、僕はげんきくんも事務所も辞め、大道芸で海外に行ってしまったので「おっ、ぺれった」とはお別れしてしまったんですが、何かと3人にはずっと気にかけていただき、今でも交流が続いています。

野沢雅子さんとは、埼玉の川越サンバ祭りで川越市長とともに審査員をしたことがありました。当時、川越ケーブルテレビで「タクトの川越ぶらぶら」という番組を持ってたから呼んでくれたのでしょう。
その時に、年輩のスタッフの方が野沢さんを知らないものだから、
「おばさんがこんなとこに入ってきちゃダメだよ!」
「あら、ごめんなさい・・」
で、実際に司会者が野沢さんを呼んで、野沢さんが、
「ぼくゴクウ、ぼく鬼太郎!」と、いつもの声でしゃべると、何千人もの観客が、
「ウワーッ!!」 (大歓声)
野沢さんを注意したおじさんが一言、
「あのあばさん、すごいんだ・・」

今思うのは、ベテランの声優さんはあくまでも本業は役者、舞台で演技することをすごく大切にしているように思えます。
永井さんが言ってました。
京大出て広告代理店で働いた後、けっこう遅くになって役者になって、それでも食うのが大変で、声優は食べるためにやった。あくまでも僕は役者って。
真弓姉さんに今までのなかで特に気に入っているのは?と聞いたことがあった。
「天空の城ラビュタ」のバスーって言ってましたよ。

真弓姉さん、博品館劇場で6千円で満席なんて、凄いですね。

15キチダくん:2007/06/19(火) 08:34:46
Re: チケットのお願い
タクトさんへのお返事です。7月9日は行けそうです!チケットはどのように購入すれば良いのでしょうか…?お知らせ下さい!

16タクト:2007/06/21(木) 17:45:57
タクト音楽祭開催の話
「タクト音楽祭」開催です。

前からやりたかった生楽団(オーケストラ)を寄席の板に乗っけて、タクト流おもしろコンサート「タクト音楽祭」を開催することにしました。
ひょうんなことから出会った、小林クロードさん率いるアンフィニ・オーケストラと私、タクトが浅草東洋館というベタベタな寄席小屋でやるミスマッチコンサートです。
目指すは、50年代からイギリスで流行った面白コンサート・「ホフナング音楽祭をぶっつぶせ!」
ホフナングを超える世界一ユニークなものにしたいと思います。
実は、1988年5月、吉本時代に「もう旧難波花月つぶして、NGKつくるから若手でも花月でなんかやりたいやつは申し出ろ」てなことで、
「タクトフィルハーモニーコンサート・イン難波花月」というのを間寛平さんとか吉本新喜劇若手とミュージカルやバレエなど大挙出演して伝説のジョイントコンサートを一度したことはあるんです。
もちろん、今回はそれに負けないものにします。
東京ユニットでの相方、森はじめさんにも手伝ってもらいます。
地方からでも来やすいように、日曜に開催します。
11月4日(日)6:00開演を考えています(約2時間・休憩15分位)。
文化庁・芸術祭の参加公演にするつもりですので、明日締め切りまでに書類をいっきにしあげて文化庁に持って行きます。

がんばります。来てね。

アンフィニ・オーケストラのH.P
http://infini-jp.org/

17キル美:2007/06/25(月) 10:07:35
麻布十番寄席
タクトさん、どうもお疲れ様でした♪
もっと色々お話したかったですね。

HPスゴイですね!ちょくちょく覗いてまーす♪

http://blog.goo.ne.jp/kilubi2006/

18タクト:2007/06/26(火) 15:18:46
シベリア文太の話
先日、シベリア文太から電話があってので、彼の家へ遊びに行って泊まって翌日に麻布十番寄席に直接行きました。
シベリア文太とはもう20年以上の付き合いなのです。

文太は僕の数ヶ月後に当時崩壊寸前だった吉本新喜劇に入ってきたので、ちょっとだけ後輩になります。
僕はその後吉本を離れ、彼はそのまま吉本にいて、九州吉本に行ったり(カンニングの竹山さんやヒロシさん、博多華丸大吉さんたちと一緒にやってた)、その後東京にきて寛平さんの付き人を7年ほどやってました。
芸名のシベリアはネタが寒いので、シベリア、文太は当初、菅原文太の物まねをよくやっていたからです。その前は、「越後屋文太」福井県出身だから、そう名乗ってました。

文太は、本名が玉村輝彦(なんか言いにくいたいそうな名前)なので、僕は彼のことを玉ちゃんと呼びます。
玉ちゃんは僕のことを、もう20年以上の付き合いなのにいまだに「兄さん、兄さん」と呼んでくれます。
でも、僕がしょっちゅう「いらんことを言う」「いらんことをする」らしく、すぐに関係が逆転して「もう!」とか言われながら偉そうにされます。
玉ちゃんに限ったことではないのですが、僕はどうも先輩らしくできないので、どこの世界でも後輩や年下から「言いやすいわあ」と、すぐ偉そうにされます。
特に玉ちゃんは、普段は無口で他の芸人からは言われっぱなしなのですが、僕だけには、「言いやすいねん」と僕は彼のサンドバックになり、彼のネタ練習から遊びまでストレス発散相手になります。

その玉ちゃんが、15年ぐらい前に九州吉本を離れ間寛平さんの付き人になることになり、東京に住む為に、中野にある僕の目先にあった6畳一間の安アパートに引っ越してきました。
僕は当時、「げんきくん」のおかげで風呂付に引っ越せてましたから、お風呂も洗濯も僕のところでできるからです。。
合鍵を渡していたので出入り自由にしてたのですが、玉ちゃんは僕に悪いと思ったらしく、「風呂や洗濯するときは、100円払いますわ」
「じゃあ、これに入れて。玉ちゃん資金にしょう。僕は手をつけへんから、もし玉ちゃんが生活に困った時にこれを使うことにしよう」
と取り決めたのですが、だんだんルーズになっていきます。
玉ちゃんは、100の代わりに付き人で取ってきたテレビ局の弁当を持ってきて、
「これでええやろ。あ、汁がもれてるがな」
と言いながら、幾つもの弁当を持ってきてくれます。僕も
「しゃあないなあ」
「東京のテレビ局の弁当は違うわ」
「げんきくん」のロケは4泊5日なので、金曜日に帰ってくるのですが、時々早まって木曜日に帰ってきます。
夏の時期にロケ先から帰って来て家の鍵を開けたら、中からすごいクーラーのきいた冷気とともに、僕のベットで気持ちよく寝てた玉ちゃんがガバッと起きて、
「明日帰ってくるんとちゃうん!」
玉ちゃんは東京に来てからも、貧乏芸人を扱った特番にしょっちゅう出てました。
普段はしないのに、公園の蛇口で水を飲んだり、僕の家にも取材に来てました。

また玉ちゃんは、カミカミ芸人(口跡が悪く訛っている上によくカム)なので何を言っているかわからない。
玉ちゃんが、「めし食いに行こう」と言ったら、
「虫くいに行こう」と聞こえたり、
バイトが電話でのクレーム処理をしているのですが、一番のクレームが、
「今話をした人が何を言ったかわからない」
このエピソードは、ココリコがさんまさんの番組で言ってました。

シベリア文太、寒空はだかさん、冷蔵庫マン(ワハハ本舗の飯塚俊太郎さん)、僕は3人とも仲がいいのですが、その3人が集まって風呂屋で営業したのですが、さぞ見ているお客さんは湯冷めしたことでしょう。

お互い言い合っているのですが、この世界で一番心の許せる仲のいい間柄です。
2年前に玉ちゃんは結婚式を挙げたときも、司会をした僕以外の芸人の出席者は師匠である間寛平兄さんだけでしたから。
しかもお互い売れません。
ところが最近、玉ちゃんが関西中心にブレイクの兆しが見えるのです。
人のいい玉ちゃんは、島田しんすけさんからかわいがってもらうようになり、「しんすけクラブ」でレギュラーになって、顔が知られるようになってきました。
そして、去年の「寒い芸人ナンバー1決定戦」という特番で、(第一回の優勝者はトミーズ健さん)、並みいる吉本芸人を抑え第二回チャンピオンになってました。
その番組のDVDを泊まりに行った時に見せられたのですが、もう全然年季と(すべりかたの)実力が違うわ、と思いました。

「シベリア文太」 近いうちに必ずあなたのお茶の間へ笑いの宅急便を届けることになるでしょう。
しかもクール便で。

19タクト:2007/06/27(水) 01:50:54
シベリア文太より物言い
(大相撲の土俵下の審判部長、九重親方風の言い方で)
「前回のシベリア文太の話について、本人より物言いが出ましたのでご本人よりご説明いた します。
 兄さん、アパートは 四畳半で、大阪の番組は「クイズ紳助くん」でっせ!
 (玉ちゃんからのメールをそのまま貼り付け)
 よって、行事差し違えで、シベリヤマ文太の勝ち〜!」

お詫びにいくつか、相撲ネタを書きます。

「貴乃花は右利き、輪島は左利き、では武蔵丸は?」
「・・・・ワイキキ」

幕内力士に両国国技館の席を取ってもらうように頼んだら、満員だからって断られた。
そんなはずないやろ、セキトリなのに・・。

二日酔いの力士に対して、行事がいう言葉
「はきけよい、残った、はきけよい、残った・・」

千代大海のように太ってきた妻に言う言葉
「やせたいかい?」

相撲取りがミュージカルに挑戦したら、当然やる演目は、
「ウエスト・サイド・フトーリー」

ちなみに、僕の友達が両国のローソンでバイトをしていますが、夜になると何人もの相撲取りが大量に食べ物を買っていくそうです。

20タクト:2007/06/27(水) 04:28:15
アルト君の話 1
いよいよ大御所、アルト先生の登場です。

アルト君は僕の漫才時代の相方です。
正式には「千田アルト」と言います。(こう言うとアルト君は嫌がります)
前回、シベリア文太との付き合いは20年になると言いましたが、アルト君との付き合いはもっと古くかれこれ23年になります。
僕が20歳の頃、お笑いの世界に入りたかった時に、松竹で名をはせた漫才師「のるかそるか」の船にのるか師匠の口添えでKAプロ(作家秋田実が作った老舗プロダクションで、関西では吉本、松竹、KAが劇場も持っていた)に入りました。
その時に、漫才がしたかったので会社で引き合わされたのが17歳の橋口君でした。
最初、「女の子?」と思うほど両性的な不思議な印象を受けましたが、同時にプライドが凄く高い人でした。
それもそのはず、もう彼は中学生の時から松竹のお笑い学校に通っていて、横山たかし師匠の弟子でしたから一端の芸人意識を持っており、僕のようなアマチュアと組まされること自体が納得できなかったのでしょう。

僕はKAプロに入ることが決まったと同時に自分で応募したTBSの「ビートたけしのお笑いサドンデス」でチャンピオンになり、現在の芸名をもらいました。
その時、セット裏でお笑いの世界に入りたいことを太田プロの財津敏郎さんという方に打ち明けたら「たけし軍団に入る?」と言われ、「もう先約が・・・」 今となってはその時が僕の最初の分岐点だったんだろうなあ。
とにもかくにもその番組でもらった芸名をそのまま使うことになり、僕は「こうだタクト」で決定。相方の橋口君の芸名はそれに合わすことになり、
KAの藤井社長がいきようようと、
「わしゃ、昨日寝ずに考えた。これじゃ!」
と、紙に書いて差し出したのが、
「千田アルト」
「好田タクト・千田(せんだ)アルト、アルトタクトの誕生じゃ!」
アルト君の顔がみるみる曇り、2人になった時に、
「俺、もう芸名考えていたのに・・・」
「どんな芸名?」
「みよしの右京・左京」
「・・・・」
「なんか俺、タクトさんのおまけみたい。俺の方が漫才知ってるのに・・」

てなことで、アルトタクトは船出しました。
そして感じたのです。アルト君は漫才の天才だってことを。
アルト君は35キロしかありません。
鼻筋も通っていて声も高いので女の子みたいです。
彼が喋ると会場の女の子が
「かわいい〜!」もう大騒ぎ。ネタにいけません。
実際アルトタクトは本当によく受けました。
組んですぐにお笑い勝ち抜き番組・MBSの「笑わなあかん夜」の出場が決まりました。
その番組では、一週合格するごとに一万円賞金が上積みされていく。
5週合格すると毎日放送からレギュラーがもらえる。
岸さん(松尾貴史さん)、山田雅人さん、森脇健児さん、吉本のヤンキースさんなどとともに合格し続けていったが、誰も5週合格する前に番組は終わってしまった。
玉造奉納寄席があって、その翌日に番組の収録があったから、
「一週目はスーツやったから、明日はラフなかっこうで行こうな」
と取り決めておいたのに、アルト君はそのまま友達の家に遊びに行き、翌日そのまま局に入ってきた。
「アルト君、何でスーツなん?」
「昨日、帰ってへんねん」
「どうすんのん」
「大丈夫や、アンバランスがおもしろいねん」
番組で漫才終わった後、司会のべカコさんが、
「それにしても衣装バラバラやなあ。こっちはスーツで決めてるのに、きみは普段着やな」
「そうです、こいつ汚れですわ」(会場大爆笑)
なんでやねん、約束破ったのお前やろ・・・
今考えれば、「そうです、ぼく汚れです、コラっ!!」と笑いで切り返すぐらいの余裕があればいいのですが、とにかく相方のやることにいちいち腹立てていました。
桂米朝さんから、
「5歳と7歳の漫才やな」
それでも小浜さんや米朝さんからお褒めの言葉を頂いていたのです。

ある時、日テレの「お笑いスター誕生」のオーディションの通知が事務所にあった。
会社は事務所の先輩芸人、数組を推すつもりだったが、自信のある自分たちは
「僕たちにも受けさせてください」「おまえらまだ早いやろ」「とにかく受けさせてください」と、強引に割りこまさせてもらい、
実際にオーディション会場での僕たちの漫才は最初から最後まで爆笑の渦。
最初は他の会社の芸人から気にもとめられなったのに、漫才終わった後は僕たちを見る皆の目が明らかに変わってました。
赤尾さんというプロデューサーから、
「たしかに一番受けてたけど、荒削りだな」
心の中では、受けりゃいいんちゃうん、と思いながら、
「次回がんばります」

でもアルトタクトは半年しか続かなかった。
僕がビジネスとして割り切れば、もっと大人になればよかったのだけど、両方とも漫才のイニシアチブを取りたがったためうまくいかなかった。

コンビというのは、組んで5年以内はまだ完成してないけれど割とチャンスが巡ってくるものなんです。
おそらく、完成していない危うさ、勢い、パワーというものがけっこう魅力となっておもしろく出るものなのでしょうか。
しばらくして上手になったんだけど、息も合っているんだけどなんかおもしろくなくなったって言われることってけっこうあるんです。

アルトタクトの一番最初の仕事は着ぐるみでした。
現場に行って、かわいいパンダとブサイクな犬のぬいぐるみが用意されていた。
どちらもパンダに入りたがったので、ジャンケンして勝った僕がパンダ、アルトが犬。
あんのじょう、パンダは大人気。
通りすがりの親子が、
「ねぇパパ、パンダは何を食べるの?」
「笹とか草とか食べるよ」
次の瞬間、のぞき口、空気孔でもあるパンダの口に、子供が草を入れてきた。
前が見えず且つ息苦しく、かといって手で取ることもできず、もがきくるしむ私に、
「パンダちゃん、おいしい?」

次回は、吉本、そして東京に出てからのアルト君との話をしますね。

21タクト:2007/06/28(木) 14:04:42
出演時間のお知らせ、代演の話
今わかっている分の、僕の出演時間を書いておきます。

6月29日
「三遊亭遊吉の会」
横浜・関内ホール(小)開演6時50分
僕の出番は7時40分ごろだと思います。
まだ席が余っています。ぜひ来て下さい。20分めいいっぱいします。

6月30日
浅草東洋館・特選寄席
指揮者芸:1時20分(15分間)
コント東京ユニット:2時40分(15分間)
この日は、夕方から同劇場で若手の雷ライブがあるため、開始・終演が一時間繰り上げ。

7月9日(月)
「東京演芸協会・夏祭りお笑いフェスタ」
三宅坂 国立演芸場 開演6:00
   僕は指揮者芸で6:10分ごろで15分間します。
チケットまだまだ残っています。買ってチョ。

7月10日(火)
浅草東洋館・特選寄席
指揮者芸とコント東京ユニット、両方入っていますが、
コントはこの日のトリですので、4時過ぎになると思います。(時間未確定)
東洋館に関しては、スケジュールにリンクしている「東洋館HP」で確認してくださいね。

7月11日(水)
上野公園五條天神前 12時から2時まで、ヘブンアーティストの活動として大道芸をします。

7月15日(日)
東洋館中席 コント13時30分
  16日(月)
東洋館中席 コント13時

7月18日(水)
東洋館中席 コント13時
そのまま、上野に走って、
「夏祭 お笑い大行進 8時間スペシャル」
上野・水上音楽堂みずどりのステージ(開演午後12:00 終演午後8:00)
コント東京ユニットで、6時に(6分間)出ます。
チケットまだまだ残っています。買ってチョ。

7月19日
「馬車道おき楽シアター」
横浜・関内ホール(小)
オオタスセリさん、だるま食堂さんがやっている会です。
僕は昨年末のクリスマススペシャルに次ぎ、2度目の出演です。
時間はまだ未確定ですが、6時半ごろの出番ではないでしょうか。

7月20日(金)
浅草東洋館・特選寄席
指揮者芸のみで、12時から1時ごろの間の出番になるはずです。
そのまま、西新宿に走って、
「アンフィニオーケストラ演奏会」
アンフィニオーケストラを指揮します。
会場は、西新宿三井ビルディングです。(新宿三井ビルとはまったく違う建物です)
この日は5時30分です。

7月21日(土)
「アンフィニオーケストラ演奏会」
3時開演
アンフィニオーケストラを指揮してのおもしろ演奏会です。
会場は同じく、西新宿三井ビルディングです。(新宿三井ビルとはまったく違う建物です)
会場のH・P
http://www.mitsuifudosan.co.jp/home/jan_company/news/1999/990427.htm
ちなみに、アンフィニオーケストラの主催者の小林クロードさんのホームページは、下記です。
日本サロンコンサート協会
http://salonconcert.com/salon/

7月29日(日)
上野広小路亭・演芸協会定席
東京ユニット 13:30(15分間)

7月30日
特選寄席・時間未定

7月31日(火)
余一会(東洋館の方は未定・コントと指揮芸両方)
余一会・浅草演芸ホール 6時35分(コント・15分間)

「余一会」とは、演芸場は10日間ごとにプログラムを組む為、31日のある月は、その31日に特別番組の興行を組む為、そう名づけられるようになったそうです。

8月以降のほぼ決定の予定
8月3日
仙台での地元オーケストラを指揮
8月4日から6日まで3日間
仙台での寄席に出ます。コントとピン芸両方です。
8月17日
四谷「こたん」でのライブハウスでの初リサイタル 共演:寒空はだかさん、東京ガールズ
9月9日 江戸川雑学大学 講師として講演
9月23日 町田森野住吉神社奉納寄席

実はこれ以外に僕はまだけっこう寄席の出番があるんです。
それは「代演」(だいえん)です。
本来の出演者が何らかの理由で急に出れなくなり、主催者の許可を得てピンチヒッターを頼んでくるのです。
それも前日か当日にいきなり頼まれることが多いんです。
理由は、「子供の参観日と重なった」(前からわかっているだろう・・)
「急に仕事が重なった」(営業をとるんかい・・)
ま、いろいろです。
先日も演芸協会の定席で丸山おさむさんから代演を頼まれました。
トリ前と深い出番で、しかも使っている音源が急遽出なくなるおまけ付き。
満員の寄席は大爆笑でしたけど・・・。
代演を頼まれるには理由があります。
住んでいる所が墨田区なので、自転車ですぐに浅草や上野に行ける事、
適度に受けること、
でも一番の要因は僕はニコニコしてるので芸人や寄席側から頼みやすいことでしょう。
(そういえば「げんきくん」をやっているころには週刊誌に「なぜ受ける人畜無害の人」として紹介されたことがあったなあ。人はともかく畜はないだろう・・・)
前にもキセル漫談のひびきわたるさんから言われました。
「タクト、よく出てるなあ」「全部、代演ですよ」「・・・・」

このホームページのスケジュールに載っていないのに、僕が演芸場やお笑いライブで見かけたら「代演」だと思っておいてまちがいないです。

22タクト:2007/06/30(土) 01:58:22
親知らずの話
今回は、親知らずを抜いた時のトホホの話です。

おとつい、親知らずを抜きました。
約束の時間に近くの町の歯医者に行きました。
今は医療も進歩しているから、痛くないだろう・・、と気持ちを強く持って。
治療が始って一時間半ぐらいしてから、医者が、
「無理だわ・・」
  えっ?
「好田さん、もう根っこから別れてるから、うちでは抜歯は無理です。紹介状かくから、医科歯科大の口腔外科に行ってくれます?」
「こうくう?」
たらいまわしって、15年ぐらい前に親知らず抜いた時と一緒やんけ・・・。
とにかく、急ぎ指定された口腔外科のある医科歯科大に行きました。
連絡がついていたので早速医療室に通され、そこには教授らしき偉い先生一人とその周りに生徒?と思われる若い医者が数人僕を待ってました。
レントゲンを撮って、その現像をみて何やらボソボソ相談。
偉い先生が、
「好田さん、痛かったでしょう。もう大丈夫ですから。さ、早くやって」
若い助手の一人が、早速僕の親知らずの治療にかかりだした・・。
  おい、おまえがやるんちゃうんかい。若い方がやるんかい?
助手は明らかに不慣れで、それを見た教授は、
「おい、早くやってやれよ。患者も困ってるよ」
「ばか、そこじゃないだろう!」
  えっ、ええっ??
助手はどんどん汗だくになり、時折、
「あっ!」
  おいっ、あっ、て何だよ!
幾ら麻酔がきいているといっても・・・
「もういい、俺がやるよ」
最初からやれよ!
それでも一時間ほど格闘して、最後に教授は晴れやかに、
「無事終わりましたよ」
・・・何が、無事だよ。
「好田さん、今歯を抜いたところがボコッと穴が開いてて鼻の奥の空洞までトンネルになっ ている状態なんです。
 5日ぐらいしたらカサブタが出来て自然とふたになります。
 で、注意して欲しいのは、この5日間ほど風船を膨らましたり、楽器を吹いたりしない  でほしいのです。かさぶたがとれちゃうから・・」
「あの、吹かなきゃいけないのですが・・・」
「トランペットか何か?」
「いえ、ホース」
「ホース?」
「それとじょうご・・・」
「・・・・・」

だから、今日の「遊吉の会」でのゲスト出演と、明日の東洋館の特選寄席のなかで吹く、ホースとじょうごの演奏は、僕にとって命がけの演奏なのです。

23タクト:2007/06/30(土) 04:08:05
吉本新喜劇の話
僕は1986年3月に吉本新喜劇へ入団した。

その前の2年間は、阿倍野にあるKAプロに所属して、向かいにある「酔虎伝2号店」(店長は元KAのマネージャーで海原千里万里担当)でバイトをしながら年に1,2回事務所に来るテレビのオーディションでチャンスを掴むというあんばいだった。
KAの社長が時々、「タクト、昼間ひましてるなら花月に行って勉強してこい」と言うのだが、劇場は見るもんやなしに出るもんやろう・・・という気持ちが日に日に強くなってきた。
なんで、吉本入らずにKA入ってもたんやろか?
吉本って入るの、難しいのかなあ・・・
一度吉本にダメもとで尋ねてみよう、といきなり何のつてもなしに当時心斎橋の横、心斎橋2丁目劇場がまだ南海ホールって名乗っていて、その8階にある吉本の本社に行ってみた。
受付で、「すみません、吉本の芸人になりたいんですが・・・」
と女性に言ったら、戸惑った表情で、
「ちょっとお待ちください」
奥から、背の小さい男性が現われて、
「きみ、タレントなりたいの? うち養成学校つくっているから、そのNSCに行き」
「はあ」
「なんか、テレビでも出たことあるん?」
「・・・はい。これその時の台本です」
僕が見せたのは、前年、85年6月29日に読売テレビで4時間半の生放送で行われた
「百万円 爆笑エンターティナー全員集合」
全国から予選を通過して8組の決勝戦で日本一のお笑いを決める、吉本以外では松竹も全滅して、僕は無名のダークホースで出場した特番。
その男性は、富井さんっていう吉本の実力者で、しばらく台本見た後、
「きみ、いまどこか所属している?」
「はい、KAプロにいます」
「吉本に移ってこれるん?」
「大丈夫だと思います」
「で、うちで何がしたいん?」
毎日劇場に出れると思い、「吉本新喜劇に入りたいです」
「あかん、あかん。あんなとこ行ったら10年出遅れるでえ」
「はあ」
「まあええわ、影山君、この子、吉本に入れたって」
やはり吉本の社員の影山さんを紹介されて、
「いつから来れる?来れるようになったら言いに来て」

その後、KAプロに行って、藤井社長に
「吉本に行きたいんです」
「なんでや、なにが不満や」
「毎日バイトするより、毎日劇場出てる方がいいと思います」
他のマネージャーから、
「うちにいた方がチャンスがあると思うけどなあ」
夜、社長が酔虎伝に来て、
「わかった。今はもうテレビ押さえている吉本の時代やろ。がんばってやってこい」
「ありがとうございます」

その月に、KAプロをやめて、酔虎伝のバイトも辞めて吉本に移った。
その時はまだあった旧難波花月の進行(舞台袖にいて、舞台の準備や補助をする)を10日間やったあと、吉本新喜劇の研究生として舞台に立った。
影山さんに、
「とにかく我を出すな。大人しくして先輩たちにかわいがってもらえ」
僕は言われるまま、極力自分のピン芸を封印して、新喜劇に慣れようとした。

当時の新喜劇は、20代はほとんどいなく、40代以上の役者さんが主流で花紀京師匠、岡八郎師匠が座長、平師匠、原師匠、寛平兄さん、木村進兄さんなどが中心のそうそうたるメンバーがバリバリで出ていた。
普通、芸人になるのは養成学校に行くか(吉本だったらNSC),誰かの弟子になって食い込んでいくかのどちらかだが、僕みたいなお笑い番組あがりは、岡八郎師匠から見れば気にいらないらしく、かなり強くあたられた。
逆に、将棋ができることがもう一人の親分格の花紀京師匠にはまり、花紀師匠は僕をつかまえては、
「待っとんたんや。はよ将棋しょう」
先輩たちの化粧道具、スポンジ洗いをするため新喜劇開始の2時間ぐらい前に若手は楽屋入りして来るのだが、花紀師匠は僕と将棋がしたいために、もう劇場開始時間から将棋盤を並べて待っている。
「師匠、いろんな用事をしなきゃいけないんで・・・」
「そんなん、他の奴にまかしたらええ」
芝居が始まるまで、将棋を何番も指し、
「もたれ降りました。トリ(新喜劇の前の演者)あがります」
「花紀師匠、もう芝居の準備を・・・」
「まだ大丈夫や、ううん・、そう来るか・・・」
周りの先輩も気を使って、本来僕がやるべき芝居の準備や用事をやってくれる。
「好田は将棋をやっとったらええ。僕らも花紀師匠が機嫌がええからその方がありがたい」
「はあ・・」

知ってます?
当時は、難波花月は朝日放送で、梅田花月は毎日放送からの中継で、テーマ音楽も違っていた。
皆がなじんでいる、トランペットのフンワカ、フンワカ・・は難波花月のテーマ音楽です。

そんな新喜劇は、もう古いと、しだいに会社からも世間からもスポイルされ、お客さんもその前の漫才が終わったら帰ってしまい、新喜劇の緞帳があがったころには、千人入る劇場に50人ぐらいしかお客さんが残っていなかったことも多かった。
逆に当時の吉本の若手芸人は「4時ですよーだ」のダウンタウンさん中心に若い人達に圧倒的な人気を誇っていて、南海ホールは、心斎橋2丁目劇場となって若者のお客でごった返していた。

こんなこともあった。
梅田花月でのこと。
芝居までまだ時間がある。新喜劇の団員各自のんびりくつろいでいたところへ、お茶子(楽屋を切り盛りするおばちゃん)のアナウンス、
「サブロー・シローさんがまだ入ってきてません。新喜劇、先、お願いします」
「エエーッ、急に何やねん!」
芝居の楽屋は大あわて。
気持ちよく寝ていた浜裕ニ(チャーリー浜)さんは、準備が大変な役。
「せわしないなー、もう!」
しばらくして、お茶子、再びアナウンス、
「サブロー・シローさん、入られました。新喜劇、あとでお願いします」
切れた浜兄さん、
「ええかげんにせぇ! わしら、いったいなにしてん?」
横にいた木村あきらさんがポツリ、
「なんもせぇへんかったから、こうなったんちゃいまっか」

吉本新喜劇は、再編成の道へ確実に進んでいた。
そんな時に僕はいたんです。
              (以下、次回へ)

24タクト:2007/07/02(月) 09:12:18
エッセイ形式にしました
「タクト通信」は私のエッセイ形式にしました。
皆さんに楽しんでもらえるように、一生懸命書き込んでいきます。
問い合わせ、感想は「問い合わせ」のページのメールでお願いいたします。
これからもどうぞよろしくお願いします。

25タクト:2007/07/04(水) 11:19:49
問い合わせのアドレスが変わりました
好田タクトへの「問い合わせ」先のアドレスが変わりました。

 メール:office-rice@apost.plala.or.jp

 TEL:03-3619-2577

 FAX:03-3614-4649 (僕のギャグが寒いので、サムイヨ ヨロシク)

私に出演依頼をご希望の方、出演公演のチケットをご購入希望の方、その他なんでも、お気軽にメールかFAX(いたずらはダメよ)でお問合せください。
また、「好田 タクト」「東京ユニット」のDVDも近いうちに作製しますので、こちらも出来たらこの連絡先で承りますね。

チケット手配方法は2通りです。
前もってチケット郵送の場合は、メールかFAXで内容をお知らせください。
住所、名前、電話番号、公演名、希望枚数を明記して送ってください。
チケットだけ前もって郵送します。
お金は当日、終演後僕を呼び出すか、受付に渡してくださいね。
もう一つの方法は、名前と枚数だけ事前に教えていただいて、当日会場受付で渡す方法でも構いません。

7月5日のFM浦安『ファイヤーダンスの木曜どうでさ〜す!』
にゲスト出演して、暴れてきます。
浦安市内では20時〜20時58分生放送!インターネットのWEBラジオでは翌日より随時聞けます。

7月20日、21日の「アンフィニオーケストラ演奏会」では指揮しますが、入場は無料ですので、遊びに来てね。
今回は小規模編成で、もちろん僕は指揮者形態模写でおもしろコンサートになる予定です。(演目の真ん中20分ぐらいかな)
会場は、西新宿三井ビルディングです。(新宿三井ビルとはまったく違う建物です)

20日(金)は5時、21日(土)は3時開演です。

会場のアクセス H・P
http://www.mitsuifudosan.co.jp/home/jan_company/news/1999/990427.htm
ちなみに、アンフィニオーケストラの主催者の小林クロードさんのホームページは、下記です。
日本サロンコンサート協会
http://salonconcert.com/salon/

8月24日の代々木国立オリンピック大ホールでの指揮は、大きな編成のオーケストラを振ることになります(楽しみ・・)

11月4日の東洋館でのコンサート「タクト音楽祭」に向けて、本の執筆、ネタ作りと積み上げていきます。

8月31日はトリプルヘッダーですが、夜の四谷こたんというライブハウスの老舗でのライブは、こういうライブハウスでは自身初の冠ライブなので、ぜひ皆さん来て下さいね。
もちろん、今月の9日の国立演芸場、18日の上野水上ステージのチケットも割り引きますので時間がある方は連絡ください。

23日の日テレでのパフォーマンスは無料です。

追伸:このタクト通信を読み返せば、けっこう誤字脱字がありますね。でも修正方法がないので、あとはみなさんの想像力でフォローしてくださいね。

では、会場でお待ちしています。遠慮なしに僕に声をかけてください。 楽屋にも案内しますね。

26タクト:2007/07/06(金) 07:06:04
リニューアル「ミー子の部屋」
ホームページの中にある「ミー子の部屋」をリニューアルしました。
「ミー子曼陀羅」の各ミーコ仏はクリックすると、ありがたい拡大写真が拝めます。
「南ミャ阿ミャ陀仏・・、ナミャーホウレンゲキョ・・、」とミー経ではお唱え下さい。
カーテンよじ登りミー子とか、拝みミー子など珍しい写真もありますが、秘仏になっておりますので、時期がきましたらご開帳いたします。
では、皆さんご唱和ください。
「1、2、3、ミー!」

27タクト:2007/07/06(金) 15:18:18
吉本リーグの話
今度は芸人になってからの野球の話をします。

僕が吉本に入ったころぐらいから、どんどん芸人の数が増えてきました。
確か当時所属タレントが177名いる、なんてことが本で書かれてました。(今はもう千名ぐらいいるんじゃないでしょうか)
で、芸人で野球好きな人はかなりいます。
ほとんどは平日の朝9時ごろにプレイボールです。
金がかからない上に、終わった後で喫茶店やサウナでウダウダ言うのも楽しみです。
またそれがみんなの貴重な情報交換の場だったりします。
梅田での田園、サウナだったらニュージャパンは昼までだったら半額の400円。難波だったらロマンス。
喫茶店でウダウダやってるときに、
「あ、もう花月いかなあきません。先輩のスポンジ洗いですわ」
「なんや、売れっ子やな」

芸人で売れると自らの球団を持つようになります。
それが群雄割拠のとき、丁度僕が新喜劇入った頃に「吉本リーグ」が発足されました。
6チームが総当たり戦。
外人枠は2名まで。
この場合の外人は、芸人でない人(確かに外の人だけど・・)
甲子園経験者とかで戦力補強しています。
さすが吉本。八方師匠の深夜番組でちゃっかりシーズン経過を放送してました。
ちなみに僕はオール巨人師匠の弟子の三浦君によりき球場で場外ホームランを打たれたところが放送されました。

僕の所属チームはWヤングさんとこの「チョットキーターズ」。
平川師匠のネタで「ちょっと、聞いた〜?」から名づけられたのでしょう。
実際には相方の丸兄(まるにい、佐藤武志兄さん)が仕切っていました。
丸兄には公私とも本当にお世話になって、その関係は今もずっと続いています。
僕は野球経験者なので、ほとんどキャッチャー。
ピッチャーは岡ゆうた兄さんの横手投げのすしボール、よくベース上でワンバウンドするので捕りにくかった・・・や、中野兄さん、丸兄も投げましたが、エースは早田真平兄さん。
KAプロ時代からの先輩(漫才で鉄平・真平)です。
真平兄さんは日大付属の野球部でしたから、すばらしい球を投げ込んできました。
しかも左腕で牽制球もうまい。
まあ、調子のいいときは本当に気持ちのいいピッチングでしたが、ノミのような心臓なので、ランナーが出たりすると突如みだれる。

ボタン師匠&八方師匠の(アホナーズって名前だったかな)チームはヤンキースさん、はじめけいすけさんなど師匠を慕う若手、弟子の30名ほどで構成されていて層が厚く厳しいのが自慢です。
試合開始前からも江坂球場横のバッティングセンターで打ち込みをやってくるほど気合十分です
かたやうちらは人数ギリギリでのびのび野球。
芸人として活躍しているのも丸兄のぞけば、ゆうた兄さんぐらいです。
ショートの貴志さん(物まねのトリュフ)、サードの永田君(作家)も他球団では出番がなく無償トレードでわがチームにきて花が開きました。
うちはみんなが一発狙い。
新喜劇の先輩で花紀師匠の弟子の武内兄さん、間寛平兄さんの弟子の一平兄さん、歌手のおかさんも2ストライクからでもブンブンバットを振り回してましたから。
(僕は一応4番でした。エヘッ)
その2チームが結構いい試合をするから野球はわかりません。

強かったのがほとんど9名丁度で来るさんま師匠のチームです。
Mr.オクレさん、村上ショージさん、ジミー大西さんが劇場で見せない真剣な表情で本気で野球をやります。
ジミー大西さんは野球経験者だったので、確かにうまかったです。
僕はちなみに2盗しようとするジミーさんを刺したことがあります。
僕は芸人としては影が薄かったので、よく外人だと思われてたと思います。
ちゃらんぽらんさんの大西さんもいい球を投げます。
落語家チームともよく対戦しました。
なんかキーターズとチームカラーが似ていて、気を使わなかったのを覚えています。
照明の桜木さん、としろうさん、音響の斉藤さんはじめ進行の青山くん、ピノッキオくん、原くんなど主に劇場スタッフで構成されている梅田花月チームには助っ人でよくいきました。
吉本新喜劇のチームもあります。
新喜劇チームは集まりが悪く、野球はたまにしかしないのですが、やるときは滋賀県とかにも遠征します。
寛平兄さんがピッチャーをしたのですが、まっすぐないい球を投げるのにはびっくりしたのを覚えています。

ま、野球は本当に楽しかったです。
朝早くバイクで野球道具を乗っけて球場に向かい、昼に劇場に入る。
吉本時代の一番の思い出ですね。

28タクト:2007/07/12(木) 12:32:01
吉本新喜劇やめよっかなキャンペーンの話
私論になりますが、お笑いから見る「売れる」現象について話してみたいと思います。
売れない自分が言うだけに説得力はないでしょうけど。

僕は1986年3月に吉本新喜劇に研究生として入って、2年間は365日休みがありませんでした。給料は定額で何ぼ舞台に出ても税込み月8万円。(先輩たちはもうちょっと条件がよかったです)
僕の生活費は家賃は安く、花月へは自転車か中型バイクで行くし、飯は楽屋にいる限り先輩たちが奢ってくれるので困ることもなく、無駄使いをしないので、むしろ貯金ができたぐらいです。
ただ、困ったことは僕はNSC出身者でもなく誰かの弟子でもないので、新喜劇の先輩達が僕に目をつけ、半分食べかけてた後のラーメンを僕に「食え」とよこし、その奢ってくれた(!?)ラーメンを食べている僕の耳元で、
「どや、俺の弟子にならんか?」
普通、弟子入りはなりたい者が申し出て、師匠が許可するもんやろうに・・。
当時の吉本新喜劇は団員数は40名ぐらいで、20代は数名で、その上はいきなり40代以上で平均年齢が高く、人気もなく過渡期でした。
10日間ごとの興行は上席、中席、下席と呼んで内容とメンバーが変わる。10日目のそれぞれでの花月での最終公演が終わると、すぐに次の花月への稽古に各自が向かう。
本読み一回、舞台立ち稽古一回、研究生はその後、楽屋に行って先輩達の衣装確認などを徹夜でやる。そして翌日初日に早めの楽屋入りしてもう一度全員で読み合わせ。そして本番。みんながもう台詞を覚えている。もちろん初日は舞台袖には作家がプロンプター的な意味も含めてデンと腰掛けている。
「なんですぐ台詞おぼえられるんですか?」と先輩に聞いたら、
「何回もやってると、だいたい流れがわかってくるんや。あの先生の本(脚本)はこんな台詞回し、こういう流れ。あ、またこのパターンか、と」
だから時々、活性化のために外部の人気劇団、例えば南河内万歳一座の内藤先生とかがきて脚本・演出するともう新喜劇は大パニック。よう揉めてたなあ。「新喜劇わかってへん」なんて言われてた。変えるために呼ばれたのにね。
テレビ録画取りは、6日目ぐらいにあるのでそれまでは割りと忠実に芝居を固める。録画取りが終わるとどんどん遊びだす。
それでも当時は、吉本もライバル会社の松竹新喜劇も人情劇をベースに出演者も作家も芝居心、役者魂を持っていたので、筋のしっかりした笑いもある感動的な舞台を作っていました。でも人気は、漫才やダウンタウンさんたちの2丁目人気に押されて、片隅に追いやられてました。
そうこうするうちに、京都花月がなくなり、難波花月も取り壊しが決定し、朝日放送の収録もなくなり、新喜劇の一演目の出演者も20名近くから13名ぐらいに縮小されたりして、若手、ベテラン関係なくみんなの出番がどんどんなくなってきました。
僕も給料が3年目からは定額8万円が廃止され、出演ごとの払いに変わりました。
そして梅田花月でのある日、
「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン? おい、俺達のことが載ってんで! 新喜劇なくなるんやて、なにー!」
スポーツ新聞を読んでいた先輩が急に叫びだした。
そうです。吉本本社は新喜劇の劇団員には知らせず、メディアにリークして「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン!」を展開し始めたのです。
吉本新喜劇を続けるかどうかは、皆様のアンケートで決めます。ということで、解体、改革、再編成を外的要因の手法に求めたのです。
実際、新喜劇は花紀京師匠、岡八郎師匠が座長として意見も強く会社も気を使ってましたから、劇団内からの自浄努力では改革は難しいと判断したのでしょう。
すぐに肩たたきは始まりました。
「今辞めたら、給料3か月分出すぞ」
劇団が潰れるかもしれない。もし残っても自分達の出番は?
漫才するもの、松竹新喜劇に行くもの、廃業するもの。
僕も選択を迫られたので、アルト君を吉本に呼んで漫才をしようかという気になってました。
実際に僕も暇になってきたので、すごく仲良くなった内場勝則兄さんと僕のバイクの後ろに乗っけて泊りがけのツーリングに行ったり、けっこう貧乏遊びをしてました。
で、僕は吉本をその期に辞めたのですが、そのいきさつは後日話すとして、その後の新生吉本新喜劇は、見事再生したのです。
メンバーの3分の2を入れ替え、勢いのある心斎橋2丁目スタッフと出演者、ダウンタウンさんや今田・東野さんたちを大挙新メンバーに加え、旧メンバーは脇を固めて、藤井隆さんや山田花子さんなども入ってきました。
内場兄さんは新座長です。
そして「ギャグ百連発」など、テレビを最大限に活用してブームを起こしました。
劇団の変化を見ていて思いました。
  芝居も役者も前の方がしっかり作っていたと思う。でも、元気が違うわ。動物園みたいな感じでも、とにかく若さと勢いがあるわ。吉本、いや大崎さんって上手やなあ。

どこの組織でも大企業でもそうでしょうが、吉本のような大きなところにも例外なく派閥、グループというのがありました。
それぞれのマネージャー(会社の制作部の社員)には、お気に入りのお抱え芸人、タレントがいて、そのタレントが売れるとマネージャーの評価もあがり、出世につながるわけです。
お抱えの芸人への興味がすぐに変わったり、使い捨ててとっかえひっかえする社員もいれば、まったくの新人時代から原石のように大事に面倒を見てあげながら一緒に夢を実現していく社員もいます。
「おまえ、けっこうええと思うけど、○○さんの息がかかっとるしなあ」
なんてことをあからさまに言う人もいました。
クリエーターにとっても情熱のある社員(パートナー)と出会えると意気にも感じるし、自分の気づかない能力を引き出してくれたりします。
編集者と作家との関係にも似てて、才能ある芸人とセンスのある社員がタッグを組んでこそ大きな業績が残せていけるものだと思います。
(逆の悲劇もあるでしょうけど)
正直、最初の頃は芸人は仕事を選べないし、確たるヴィジョンも持っているわけでもありません。
ギャラや売り込みも芸人が自らやるよりも、餅は餅屋で交渉ごとはマネージャーや会社がやる方が値打ちも下がらず、相手からも足元が見られず、強気な交渉でいい形になることがおおいと思います。
「ギャラ? 何ぼでもええです」
  ああっ、本気にせえへんかなあ。いっぱいくれるやろかなあ・・・。
それにそんなことに長けている出演者は、組織に頼らずすぐに独立して自分でやりたがると思います。
ただ、海外では自分を演出する、交渉する、ヴィジョンを持つというのはめずらしくない、むしろ大切な才能の一部になっているとも思うし、日本でもこれからそういうことが必要になっていく気がしますが。
俯瞰的に物事を見るということが、感性で仕事をやる人が多い芸ごとの世界では意外と欠けている人が多いんです。
いい物を作ることと、やっていることをビジネス化、世の中の需要と結びつけて商品化することは別の次元です。
江戸時代から明治にかけての日本美術の世界、芸術品から大量生産の工芸品に変わっていったように。
才能ある人が一人(一組)飛び出すと、周りも引っ張られます。
ダウンタウンさんもそうですし、その前の漫才ブームの時も、そのまた前のやすきよ、コメディーNo.1、カウスボタン・・・。
よくお笑いでは10年ごとにブームが来ると言われますが、ブームじゃなしに面白いことに世間が気づかなかっただけなんです。
お笑いだけではありません。
クラシック音楽のピアノの世界での「ハンガリー三羽烏」コチシュ、ラーンキ、シフ。
プロレスでの馬場、猪木、大木。又はアントニオ・ロッカとブルーノ・サンマルチノ。
プロ野球での王、長島、野村。
ビートルズ・・・・。
傑出した才能とは、どの世界でも割りと同じ時期に同じ場所で生まれるものなんです。
才能が才能を刺激させ、ライバルになり、質が高まっていく。
よく吉本の笑い話で、ちょっと売れかけた芸人に社員が、
「おまえらみたいなん、なんぼでもふって沸いてくるんじゃい」
また、ある大物芸人は、
「最後は人間性や」
とこの世界でトップでいる心構えを言ってました。
吉本はいつの時代にも売れっ子が複数はいて、ますます層が厚くなっています。
あれほど人気がなかった吉本新喜劇も、「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン」を経て、ギャグ百連発で仕掛けて、今やブランド化しています。
吉本新喜劇などは、それこそ売れっ子は次々と出てくると思います。
それは歌舞伎やオペラ、タカラヅカと同じように形式美が支持されているのだと思います。
だからイレギュラーはだめなんです。
客のイメージする、期待する範囲の中で、それでもって少しだけリアル感を持たせていく。
だから脇を固める9人がきちっと振ってこそ、一人のボケが生きてきます。

内場兄さんによく言われます。
「好田は、一番しんどいときにおまえがおったんや」
ま、でもあの時に上京したから、「げんきくん」にも出会えたし、海外での活動もチャレンジできたのでしょう。

「才能」という言葉は好きではないし、定義もあいまいですが、ひとつ言えることは、「売れっ子」の近くにいてかわいがられることも今のテレビ全盛時代には「才能」のひとつなのでしょうね。

29タクト:2007/07/12(木) 18:07:32
初漫才のネタの話
アルト(以下ア)「アルトです」
タクト(以下タ)「タクトです」
ア・タ「よろしくお願いします」
ア「僕、最近、スランプやねん」
タ「スランプ?」
ア「そう、スランプ」
タ「あぁ、郵便局でペッタン押すやつかいな」
ア「それは、スタンプ」
タ「じゃあ、土を掘るやつ?」
ア「それは、スコップ」
タ「タラッタラッタラッタ、うさぎのダンス〜」(踊る)
ア「それは、スキップ」
タ「ううぅ、わがしもべを出て来〜い」(壷をこするまね)
ア「それはアラジンと魔法の、ランプ」
タ「なんもやる気おきひんわ〜」
ア「それはスランプや!」(怒るように)
ア・タ「それでええねや、名コンビ!」(2人で見合わせて、ガッツポーズ)
ア「とにかくスランプやねん」
タ「そんなもん、歌、歌ったら一発や」
ア「歌を歌うの?」
タ「気が晴れる」
ア「どんな歌?」
タ「山寺のおしょうさん」
ア「童謡かいな」
タ「山寺の〜」(歌いだす)
ア「ポポポ」
タ「おしょさんが〜」
ア「ポポポ」
タ「マリはつきたし、マリはなし〜」
ア「ポポポ」
タ「猫をかんぶくろに蹴っこんで〜」
ア「ポポポ」
タ「ポンとけりゃ」
ア「ポン」
タ「にゃんと泣〜く」
ア「ニャン」
(ア・タ2人揃えて)「ポンニャポニャポニャ、ポンニャポン」
ア「ポン、俺、ポンとニャンばっかりや」
タ「気、晴れたやろ」
ア「晴れへんわ! 俺が先に歌うわ」
タ「どうぞ」
ア「やまでらの〜」
タ「ポポポ」
ア「おしょさんが〜」
タ「ポポポ〜マリはつきたし、マリはなし」
ア「ポポポ」
タ「猫をかんぶくろに蹴っこんで〜」
ア「ポポポ」
タ「ポンとけりゃ」
ア「ポン」
タ「にゃんと泣〜く」
ア「ニャン」
(ア・タ2人揃えて)「ポンニャポニャポニャ、ポンニャポン」
ア「やめさせてもらうわ」


どうです? これがアルトタクトの初漫才の時の台本です。
そしてそれからも、困ったらすぐこのネタに入ります。
最初に作ったネタを、ずっと使うなんて本当に進歩ないわ。
東京ユニットの森さんにこのネタ、やりませんかと言ったら、怪訝な顔をされました。
ポイントは、アルト君側の「スタンプ、スコップ、魔法のランプ」と語尾をピッ、ピッと切って歯切れよく盛り上げていく。
歌は振りをつけて楽しく。
ま、2分もないので宴会とかでどうぞ。
誰もやらんとは思うけど・・・。

30タクト:2007/07/12(木) 19:50:52
痴漢専用車両の話
通勤時間帯限定だけど、都心の列車の一番前車両は「女性専用車両」になっています。
それは、通勤ラッシュの混雑時には痴漢も多くて、その車両を設けることで痴漢防止にしようということらしいのです。
「ダメだよ、大騒ぎしちゃあ。ちょっと触られたぐらいじゃ、我慢しなきゃ。痴漢は我慢できないんだから」という森さんの小言が聞こえそうです。
そこで、今度の参議院選でのマニュフェスト。

「みなさま〜、私が当選したあかつきには、都心の電車には一番前は女性専用車両、一番後ろは痴漢専用車両を設けます。車両も同じピンク色です。萌え系です。金八先生は言いました。腐ったみかんは排除されても、また新しいところで周りのみかんを腐らす。それじゃあ、本当の解決にはなりません。痴漢を排除するんじゃなしに、痴漢を積極的に受け入れる。痴漢車両にはバイトでやとったきれいどころの姉ちゃん「コンパニオン」を適度に配置します。お客5人にコンパニオン1人ぐらいがいいのではないでしょうか。自由に触らせますが、指名が多い(この場合は触られる回数、エロポイント)コンパニオンは給料がアップします。時にはハーフもいて、知らずに触ったら「当たり〜!金賞よ」と言われます。18歳以上専用で、60歳以上は半額です。敬老の日は老人が、成人の日は20歳が、勤労感謝の日はサラリーマンが無料開放デーです。8(エッチ)のつく日は半額です。車内にはリラックスして痴漢に励める音楽、ベートーベンの交響曲第3番「エロイカ」を流します。また、朝のラッシュ時でのコンパニオン勤務は、夜しか働けない水商売の姉ちゃんの雇用促進にもつながります。お客の常連者には痴漢テクニック認定制度があります。トイックならず、ドイック(どう行く?のしゃれ)です。高得点者は手に職をつけたということで、国が責任を持ってその指先を活かした職業に斡旋します。マッサージやエステ、マジシャンです。ミスター・エロックの誕生です。乗車には普通乗車切符とは別に、特急券が必要です。駅を飛ばすからです。特急券をお持ちでない方はエロリストとして即刻逮捕です。痴漢車両の売り上げは、年金問題に充当します。どうか、どうか、その清き、清き一票をこの痴漢専用列車導入をマニュフェストに掲げる、自由淫手党にお入れください!」

どうでしょう、今度の参議院の比例選挙で通らないかしら。
えっ、非礼だって? こりゃまた、失礼しやした。

31タクト:2007/07/13(金) 00:41:51
寒空はだかさんの話
(かしまし娘の登場唄の替え歌で)

こちら小粋な寒空はだか〜、
誰が呼んだが知らないが〜、
いろんなライヴで見かけます〜、
力の抜き方、素敵です〜。
ベリー・グッド〜、ベリー・グッド〜・・・。

粋な芸人さんを紹介します。
寒空はだかさんです。
僕がはだかさんを最初に見かけたのが、ワハハ本舗の稽古場で、『喰始のショービジネスの作り方』のネタ見せを喰始さんにしているときに、喰さんの横でずっと楽しげに話しているので、「あ、関係者か?」とちょっと警戒をしたのを覚えています。
で、その回は寒空さんは舞台をしなかったのですが、後で芸人だとわかって、そのうちにいろんなところで一緒に出る機会があって、話をするようになりました。
噛めば噛むほど味が出るという感じで、どんどんはだかさんのスタンス、力の抜き加減に魅力を感じるようになり、興味を持つようになりました。
まあ、無口です。
柔らかいです。
飄々としてます。
僕の昔の漫才の相方、アルト君にすごく似ています。
(これには正直びっくりした)
醸し出す空気が芸人というより、ミュージシャン、いや、旅人かな・・・。
でも実は落研出身なんですよね。
オペラとか誘うと意外と見に来ます。
僕の知人にも、熱狂的な寒空ファンが数名います。
歌も出しています。
名曲です。
なぜかいろんなライブでゲストとして呼ばれるときに一緒に呼ばれます。
舞台はよう受けます。
汗水たらしての熱演!ではなしに、粋に勤めます。
今年の2月に寒空さんのソロライブにゲストで呼ばれたときに、
「タクトさん、普段演芸場でしゃべっているしゃべりは一切いりませんから、淡々と指揮者の物まねだけいっぱい演りきってください」
こういう注文はまずありません。
でも本質を突かれたなあ、と思いました。
僕は大道芸、特に海外でやるときは一切しゃべりはなしで(まあ、フランス語とかしゃべれないけれど)、装飾なしで淡々と指揮者物まねに徹するんです。
だから、お客さんに感じ取ってもらうしかないんです。
マイクがある寄席は、今はもう半分以上はしゃべりっぱなしですから。
今月、7月19日も一緒です。

●07/7/19.木「おきらくピープル音楽会
〜とびっきりのB級ライブ〜」
出演:山田晃士、寒空はだか、好田タクト
時間:19:00開演
場所:関内ホール・小ホール
料金:予約2500円、当日3000円
問:045-640-6633サウスピア
http://www.south-pier.com/okiraku/okiraku.html
http://www.south-pier.com/comingsoon/comingsoon.html

とにかく、魅力のある「寒空はだか」さんです。

◆寒空はだか私設ウェブサイト<第一阿房結社>
http://www.geocities.jp/hadasamu/

♪たわー、たわー、東京タワーにのぼったわー。「東京タワーの歌」♪VSCD283

今度は、押上にできる「新タワーの歌」も披露してね。

32タクト:2007/07/15(日) 10:40:49
世界指揮者人名辞典の話
ついに、私のホームページで指揮者芸の動画を短い時間ですが採り入れる事ができました。
「タクトの夢シアター」がそれです。
今年の6月8日の「おもしろ音楽会」と10日の「特選寄席」からの舞台でどちらも浅草・東洋館で収録したものです。だから背景が屏風なのです。
指揮者芸は本当は生のオーケストラでやるほうが、演奏解釈も楽団との反応も含めて全然おもしろくなるのですが、そういう機会は最近でこそ増えてきましたが、なかなかありません。
寄席やテレビ、大道芸でやるときは録音した音楽に合わせて一人で演じるのですが、ときどき音響さんとのタイミングがずれたり、寄席小屋では袖で音のスイッチを押すはずの落語家さんがいなくて(おそらく師匠とかが来て、お茶だしとかの為に楽屋に行っているのでしょう)、指揮棒を振り下ろした時に音が出なくて、「あれれ?」とか言いながら自分で袖に行って音響のスイッチを入れに行ったりします。もちろん客席は爆笑ですけど、まあ、これも寄席の面白さのひとつなんでしょうね。
そこで今回は、私の指揮者芸とその指揮者の話です。

レパートリーは30人ぐらいは作ってきたでしょうか。
同じ指揮者でも、レバインとか小澤征爾はいくつかの曲を使い分けますし、テレビなどでは、「5分で4人ぐらいやってくれ」とか言われたりしますので、フックト・オン・クラシックスのようなテンポある名曲数珠つなぎのような曲でオムニバスのようにやるときもあります。
でも原則的にはその人の演奏録音を使っています。
その中で何人かの指揮者を紹介しましょう。

「カルロス・クライバー」・・・音楽をまるで子供のように扱う。表情豊かで楽しそうな指揮ぶりは、大道芸にうってつけ。ファンは熱狂するが、一般の人は「この人誰?」 ベートーヴェンの交響曲第7番でこの20年やってきたのだか、最近「のだめ」ブームのせいでまたやる機会が増えてきた。

「小澤征爾」・・・有名指揮者なのでよく「トリ」に登場させる。困るのは同じ曲でも演奏や指揮ぶりが毎回違うこと。コツはストローを吸うみたいに口をすぼめる。

「ヘルベルト・フォン・カラヤン」・・・即席カラヤンふう指揮の仕方。?頭はリーゼント。?背筋を伸ばし顎をひき目をつむる。?風呂のお湯をかき混ぜるみたいに。?時には激しくひじを曲げずに空手チョップ。

「ジェームス・レヴァイン」・・・1998年、関口宏さんが司会をするTBSテレビ「はばたけペンギン」の最終回でシティ・ボーイズが薦める芸人として(他はモロ師岡、ユリオカ超特Q)出演したとき、レヴァインの物まねが一番受けてたなあ。コミカルで分かりやすいからかなあ。

「レオポルド・ストコフスキー」・・・1994年、横浜野毛大道芸で作家の筒井康隆さんとジャズの山下洋輔さんに一番気に入ってもらい、平岡正明さんの本でも紹介してもらった物まね。タクト通信の「北海道新聞に載りました」の回で書いたように指揮者の秋山和慶先生(一応私は特例の弟子)からストコフスキーが来日した時に秋山先生が世話をしたせいもあって指揮者のくせを教えていただき「もっと指先を揉むように・・」とアドバイスをもらいちょっとリニューアルした。観客に肩を借りて登場するが、かなりデフォルメして演じている。一度静岡で夜の大道芸でパッフェルベルのカノンでしっとり演ったら、それを前で見ていたばあちゃんが泣き出して「感動した」と3万円も投げ銭してくれた。ごめんなさい、本当はこんな指揮者じゃないかもしれないんです・・と複雑な気持ちになった。パリでお気に入りの彼のカツラを盗まれたので(いったい何に使うねん?)、今はアルノンクールやカール・ベーム、ゲルギエフと同じカツラを使っている。

「朝比奈隆」・・・神戸フィルハーモニックみ知人がいたので遊びに行ったとき、指揮者の朝比奈千足(ちたる)さんの前でやったら、「うちの親父はそんなに円運動ばっかりしてない」と怒られた。大フィルの人に直接聞いた話ですが、「屋台の焼きそばをかき混ぜるよう」にするといいそうです。晩年は勘違いも多くてブルックナーの交響曲などでも平気で繰り返しするところをしなかったり、ある意味で楽団員は目を離せず緊張したらしいです。

「エフゲニー・ムラヴィンスキー」・・・巨匠タイプは個人的には好きだが受けない。激しい曲でも崩さないムラヴィンスキー、途中で腕組みするスヴェトラーノフ、マタチッチ、ベームなど愛着あるが客は散る。だがたまに熱狂的なファンがいて、どこかで私のことを知って、私のチェリビダッケの物まねを見たいが為に静岡の結婚式に呼んでいただき、すごく盛りあがったこともありました。

僕はそれぞれの指揮者のカツラを手に入れたくて、笹塚にある丸善かつらで働いたことがあります。二期会の助演をやっていたときに、そこのカツラ屋さんを知ったのです。だから劇団四季の「美女と野獣」のあごひげや胸毛をつくったこともある。そういう小道具集めも大切です。
以前のように2,3時間もぶっ通して何十人もの指揮者を続けてパフォーマンスすることはなくなりましたが、この指揮者芸は、並行してコントや「げんきくん」などの活動をしているときでも、ずっとやり続けてきました。そしてこれからもやり続けます。
最近ではNHK交響楽団の齊籐 真知亜さん(さいとう まちあ・ ヴァイオリン)とも懇親にしていただくようになったので新たな知識も取り入れていきます。イッセー尾形さんの「都市生活カタログ」のように、それぞれの人間味みたいなものを感じてもらえる舞台を目指していきます。
今度みなさんが演奏会などに行くことがありましたら、ぜひとも指揮者の動きにも注目してください、とはいえ、肝心の音楽もお聴き忘れなく。


追伸:今、Wヤングの丸兄から電話があって、今日の「笑点」に出るそうです。(もちろん収録)。若い方が丸兄(佐藤武志)です。見てあげてね。僕は今日は浅草東洋館の出番があるのですが、丸兄は今日、東洋館に見に来ます。その後、丸兄の方の吉本の舞台が終わったら一緒に遊びに行きます。

33タクト:2007/07/16(月) 07:15:54
花月の素敵な人たちの話
僕は吉本には4年ちょっとしかいなかったし、全然実績も残さなかったので僕自身のおもしろい話はありません。でも、ホームグランドである劇場、花月(かげつ)にはずっと出入りしていたので、僕の目の前で出くわしたエピソード、素敵な師匠、芸人、スタッフの話はけっこうあります。
今回はそのいくつかを。

「高石太兄さん」・・・吉本新喜劇の先輩で、かなりの太っちょで舞台の端から端までヘッドスライディングをして、滑って摩擦したおなかを出して「あつあつあつ!」というカルトなギャグをする兄さん。僕は太兄さんにたいそうかわいがられた。ある時、兄さんに「うなぎ弁当買ってってくれ」と言われ、急ぎ花月の近くの店から弁当を買っていったら、「これどこのうな弁や」「いず○やです」「アホ!うな弁はたに○わがうまいんや。買いなおせ」と言われ、最初から店名を言ってくれたらええのにと思いながら、今度はたに○わのうな弁を買って来て、両方の包装紙を開けてお茶を入れてたら、太兄さん、興奮しながらいず○やのうな弁をとって食べながら、「やっぱりたに○わや。見てみい、米の立ち方かて違う」。あの、それいず○やなんですけど、とも言えず、「おまえはそっち食え」と僕はたに○わのうな弁をいただいた。またある時は、太兄さんが芝居の稽古でいつものようにアツアツギャグをしようとしたら、花紀師匠が、「太、それ芝居に関係あるか?芝居の邪魔になるからやめ」と言われて、シュンとなって僕の近くに来て「京やんと一緒やったら、やりたいことできひん」。が、若手の僕らがギャグでも入れようものなら「まだ早い」と真っ先に注意してた。アツアツ音頭というレコードも出して、僕らはアツアツ隊として横で踊らされたし、一度赤川きくお兄さんとコンビを組みかけた時は、コンビ名が「高石太のアツアツショー」。赤川兄さんが「僕の名前はどこにありますの?」と聞き返したら、「の、がそうや」と言われコンビ結成は幻となった。

「滝あきら師匠」・・・当時でも結構な年配で、(一人でしゃべる話芸)漫談家でした。出番が早いので、まだ僕以外誰も来ていない新喜劇の楽屋にしょっちゅう遊びに来て、気さくにしゃべってくれるんです。最初こそ緊張しましたがすぐにやさしい師匠のファンになりました。ネタが、「三船敏郎、ビールのCMで下唇についたビールの泡をふっと吹いて、テロップが男は黙ってサッポロビール。このギャラがなんと一億円でっせ!泡吹いて1億円。うちの親父、泡吹いて死んだがな」とか、「神田正輝と聖子ちゃんの結婚式よろしおましたな。聖子ちゃん抱きかかえられてましたわ。あれで集まった祝儀、3億円やて。正輝、かわいい聖子ちゃん抱いて3億円。わて、ソープで姉ちゃん抱いて3万円取られた、いやそのあのね・・」 その滝師匠がヤングオーオーに出たらしい。そのことを梅田花月の楽屋で僕に言うので、僕も「師匠もメジャーですね」「そやろ、そやろ」そして滝師匠の出番、僕は3階の新喜劇の楽屋横にある照明室から師匠の舞台を見る。いきなり「ヤングオーオーでおなじみの滝あきらです」一回出ただけやのに・・・。

「レオナルド熊師匠」・・・花月では時々、東京の芸人さんを招聘することがある。そんな時は、なぜか僕に世話係が回ってきました。「もう、かえろうよ」の松鶴屋千代若・千代菊師匠にも10日間ついたし、レオナルド熊師匠が新喜劇にゲストで来たときもお手伝いをしました。実は初日、熊師匠はすごく緊張してました。そしておとなしかったんです。でも3日目あたりからどんどん自分の台詞を面白くしていって、楽日には本当に大爆笑にしてました。「いやあ、東京にはこんなのはないわ」とか舞台で言って、お客さんの自尊心もくすぐった笑いも取ってました。その時に楽屋のテレビで「お笑いスター誕生」のサバイバルシリーズでコントらぶこ〜るが優勝した模様が流れていて、らぶこ〜るの森はじめさんを指差して「これはオレの弟子だ」。まさかその森さんと20年後にはコンビを組んでコントすることになろうとは。

「パーレカズさん」・・・ジャグリングやバランス芸を一人でするおじさんパフォーマー。胸元にピンマイクをつけて激しい芸をするのだが、途中一回舞台を引っ込むところがある。その時にピンマイクがオンなのに、「あ〜、しんど」 その声が花月中に響き渡ったのはいうまでもない。

「一陽斎蝶一師匠」・・・マジックの大御所で、「せっしょやな」が口癖。僕はある時から一時期、後見(こうけん・舞台に一緒に出てマジックのお手伝いをする係)を頼まれるようになりました。新喜劇の出番もなくなってきたし、師匠から頂くギャラが新喜劇よりもいい。でも、そんなに必要かな、と思えるぐらいたいしたお手伝いはしなかったです。なにせ、アシスタントの女の子もいるんですから。ロマンスの喫茶店で師匠が「好田くん、今度使うマジックは大掛かりやでえ。アメリカからすごい高い金払って買ってきたんや」 で、実際の舞台でいよいよ佳境に入ってその大掛かりなマジック、人が入れる箱の中に棒状の蛍光灯がいっぱい刺のように仕掛けられている。そこにアシスタントの女の子がわずかな隙間に入って戸を閉めてふたをする。師匠が箱の横のハンドルを回す。中から女の子が「あかん、あかん、いたい、いたい」って言っているのに、蝶一師匠、汗びっしょりしながら無理やりハンドルを回す。パリンという音がした。そして一度、扉をあけると女の子が消えている。そしてまた扉を閉めてハンドルを回すと女の子が無事生還。横にいる僕は見逃さなかった。女の子の脇から血が出ているのを。

「マジカルたけし師匠」・・・枝雀さんの兄弟のマジシャン。壷に仕掛けられている水をいたずらな芸人が捨ててしまった。それを知らないたけし師匠が舞台で「さあ、これで水が出てくれば拍手喝さい・・、水が、水がでえへんがな!」

「原くん」・・・当時、梅田花月の進行をやってた原君としょうっちゅうプロレスごっこをしていた。KWA(カゲツ・レスリング・アソシエーション)というチャンピオンベルトまで作ってた。「好田はん、早よ降りてきてえな」と原君に言われたら、「トリあがりました」と他の劇団員に知らせてすぐに上手舞台裏手へ。12分一本勝負。青山君も加わることもあった。新喜劇が始まる前に板付けなので舞台につくのだが、先輩達に「なんや、芝居始まってないのに、汗びっしょりやな」と不思議がられた。部隊の最後になる新喜劇の先輩達の後片付けの為に最後まで楽屋に残っているので、お茶子(楽屋の世話をするおばちゃん)とはすごく仲良くなった。なんば花月のお茶子さんには、「好田くんはやさしすぎるわ」と、ほめ言葉でもないようなことをよく言われたなあ。僕、まだやめんとやってますよ・・・。

NGKができたての時、外人大道芸人が来ました。「アホンダラ ミーンズ サンキュウ」、坂田師匠のアホ歩きを覚えさせて「ジャパニーズ トラディショナル フォーマルウォーク」・・・。

確かに、個性の強い芸人さんは多いですけど、みなさん懐に入ればやさしい方ばかりでしたね。それに、寄席小屋は第二の家みたいな拠り所になっている人たちも多いと思います。今の吉本は正直わかりませんけど。

34タクト:2007/07/16(月) 17:34:51
上京の話
本人がブログに書き込む内容なんてものは、自慢か愚痴か言い訳(謝罪)ぐらいなもんだって寒空さんのブログに書かれていたけれど、なるほどって思いますね。自分もできるだけ俯瞰的に書き込みができればと思いながら、読み返してみれば結構恥ずかしくなって書き直したくなります。
ま、めげずに今回は上京するきっかけのことを思い出しながら、正直に書いてみようと思います。

新喜劇の出番が減ってはきましたが、まだ次の選択が決まったわけではなく、杉本美樹姉さんを座長に、僕、木下ほうか(今映画界で名バイプレーヤーとして活躍中)、玉村輝彦(シベリア文太)、岡貴敏、堀田正子、野村明美の新喜劇若手のメンバーで「ウディガ」というユニットも結成していたがその活動もじょじょに先細り。
僕は最初に新喜劇に入る時に、「できるだけ、今までやってきた自分の芸のことは封印して、新喜劇の中でおとなしくしながら先輩達にかわいがってもらえ」と言われたことも、あんまり意味を感じなくなってきていた。
 よく花月では売れっ子の漫才さんが仕事を掛け持ちするので出番になってもまだ劇場入りに間に合わないことがある。そんな時は急遽、誰か緞帳前でつなぐのだが、僕は先輩芸人をとっさにつかまえて積極的に出て即席漫才とかをしたりした。
「動物何匹言えるか勝負しょう。先輩から、せ〜の」
「犬、猫、虎、うさぎ、いのしし、パンダ、恐竜・・」
「ブー。10秒でたった8匹?僕なんか3秒で50匹言えるわ」
「3秒で?よっしゃあ、せ〜の」
「犬25匹、猫25匹、合わせて50匹」
とか、
「一年生でもできる足し算問題ね。バスが花月から発車しま〜す。最初は5人乗ってます。次の停留所で3人乗ってきて2人降りました、次の停留所では1人乗ってきて4人降りました。・・・(いくつかくり返す)」
「大丈夫?」
「わかった、はい、はい!」
「慌てないな。さて問題です。とまった停留所はいくつでしょうか?」
こんなんでもじっちゃんばっちゃん中心の花月の客は充分笑うのです。僕はこんなネタを山ほど整理して知ってました。だから、即席の漫才でもわりとクイズネタなんかで客を笑かすことができるのです。でも緞帳前でつないだ後、新喜劇の楽屋に戻ったらベテラン先輩からは「もう芝居やめてピンしたらええねん」と嫌味を言われる。劇場支配人なんかは一度受けるのが分かると、「好田くん、つないでくれるか」と次から次へよく頼んでくるのだが、そのつど芝居の中では「芝居もできんくせに」と白い目で見られる。
若者のメッカになっている2丁目劇場にも出たりしたが、変に受けたりして、袖でいる作家さんは「もっとやれ」と煽られ、次から次へオリジナルネタをやり切ってしまって、玉ちゃんに「兄さん、調子乗ってやりすぎや。次からどうしますねん」と言われる始末。
それになんとなく、新喜劇に在席していることで2丁目の芸人と距離を感じ、それでも木村君(今、活躍しているキム兄)とか何人かは話が合うのだが、逆に給料を保証されて新喜劇にいる僕たちは「K軍団」とか呼ばれ、ハングリーの2丁目芸人たちから見れば違う派のグループのようにとらえられていたと思う。
 また自分と会社の嗜好の違いも感じていた。社員の人と好きなお笑いの話をした時に、「僕はルイド・フェネスやモンティ・パイソン、ベルギー・コントが好きですねん」「誰やそれ?」って言われるし、吉本のベタベタな笑いが一番みたいな会社の風潮に、
  ほんとうにおもしろいんかなあ、吉本って。テレビがあるから、才能ある芸人が集まってきているだけちゃうかなあ。
と生意気にも思うようになっていた。
 なんば花月を借り切って、オーケストラとお笑いのコラボをやった時に、例えばバレエネタで「風呂屋のボレロ」(ベジャール風)ジョルジュ・ドンのように手をくねくねしながら皿を回しながら出てきたりしても「なにわけのわからんことを」って感じだった。
 ある時、ネタ見せを梅田花月でやることになった。持ち時間一組5分で、上位4組には花月の10日間の出番がもらえる。もう自分を抑えるのは嫌だと思い、新喜劇の担当社員に「出たいんですけど」「好きにせえ」。
  久しぶりにピン芸ができる!
エントリーはピン、漫才、落語など合わせて3,40組はいたでしょうか。月亭かなめさんの司会のもと、僕までの10組ぐらいは固くて客席にいる芸人や関係者達を起こすことはできない。
  もっと、明るく楽しんでやらんと、伝わらんのに。
僕はネタ自体は、ウルトラマンとゾフィーの会話とか、銭形平次の歌を同じところをくるくる回る、たわいもない内容だったが客を巻き込むのはうまかったので、大爆笑の連続。5分間が沸きに沸きっぱなしだった。
翌日、みんなから「すごかったなあ」とか、原君にも「好田はんには負けたなあ」、ハイヒールのモモコさんにも手をたたいて誉めて頂いた。
  どうみても、ぼくが一番受けてたやろう。
で、結果発表が数日後にあって驚いた。最優秀賞は原君で、僕は上位4組にも入っていない。めったなことでは怒らない僕だが、さすがに担当のKさんに噛みついた。
「どうして、僕の名前がないんですか?」
「おまえ、新喜劇におるやろ。だからおまえは除外や」
  もう嫌だ。派閥で評価が決められるなんて、たまったもんじゃない。花月でもどこでも、じっちゃんばあちゃんでも若者相手でもどんな状況でも絶対受ける自信はあるのに・・・。
 他の多くの社員から「好田は評価されとる」と励まされても僕はもう吉本でがんばることには、急速に気持ちが冷めていった。

その後、アルト君を吉本に呼んで漫才を再結成したりしたが今ひとつだったり、アルト、シベリア文太、原君と4人で島流しみたいと思いながら九州の大衆演劇に一ヶ月参加したり、(お世話になったのは「葵好太郎劇団」)、なんか惰性で時間をすごすようになっていた。まだその頃は九州吉本はなかった。
それでも大衆演劇の参加はそこそこ楽しかった。毎日、芝居の演目が変わる。だんだんと僕も要領が分かってきて、ちょっとした舞台での遊びもした。
僕達は4人セットが多かったのだが、ある芝居の場面で、相手の親分役に、「ちょっと待った!そこの4人、ここを通すわけにはいけねえ」と足止めを食う場面なのだが、ここで僕は、
「ちょっと待っておくんなせぇ。あっしはともかく、ここにいる3人はあっしのかわいい子分でさぁ。ここは子分だけでも見逃しておくんなせぇ」 いきなり僕の子分にされた3人は顔を真っ赤にして、舞台降りた後で僕に「いつから俺ら子分になった?」

ある時、テレビガイドを読んでいたら東京のお笑いライブの記事を見た。
第3金曜日に渋谷のラママというところで「コント大会」というのがやっている。
試しにネタ見せに受けに入ったら、すぐ舞台に立たせてもらって、そこでむちゃくちゃ受けた。
主催者のコント赤信号のリーダーこと渡辺正行さんが、「うちに来ない?」
このひと言で、

  東京かあ・・・、どんなとこやろ。

35タクト:2007/07/17(火) 07:32:44
コント大会の話
  どこでお笑いするねやろ?
新宿西口の高層ビル群を見上げならその無機質なコンクリートに冷たさを感じ、大阪だったら北と南しかない猥雑さがそれこそ山手線の各駅にあるメガロポリスの迫力に圧倒される。
ただため息しか出てこない。
  えらいとこに来てもたなあ。

 毎月一回行われる渋谷のラママの「コント大会」に毎回出るようになって半年。そのつど青春18切符とか夜行高速バスで通いながら、ついに渡辺正行さん(以下リーダー)の事務所、なべやにお世話になることになった。
「吉本やめたい」
「芸人やめるんか?」
「いえ、東京でやってみたいんです」
「じゃあ、東京吉本もできたし紹介したろか。吉本辞めるのもったいないで」
吉本辞めるって言ったら、わりといろいろな社員や芸人さんにひき止められたのには意外な気がした。
  吉本って去るものは追わず、みたいなとこあるし、僕なんかなんの実績もない端っこ芸人やのに。それでも少しは買ってくれている人がいたんやなあ。
 結局、きちんと挨拶して吉本を辞めるのに半年かかってしまった。事務所移るの3回目や。もう、これで最後にしよう。
 住むところは中野坂上の4畳半の風呂なしアパート。自転車で中野ブロードウェイとか新宿にも行けて、町自体には住み心地のよさを感じた。
早速、バイトを見つけて、毎日事務所に電話をかけて「なんかないですか?」と予定を聞いていく。
なべやに入って驚いたことは、事務所の所属タレントの多さ。劇団七曜日に30人ぐらいの団員がいるし、お笑いタレントもけっこういる。後には田中真弓さんなど声優さんも入ってきた。同じ時期には、今ではバナナマンとして活躍している日村君も当時は高校出たてで同級生と「陸上部」というコンビで入ってきていた。後にはバツグンや長井秀和君も入ってきた。
リーダーはコント大会でめぼしい芸人を見つけると、声をかけていくので、「なんや、僕だけじゃなしに、けっこういろんな人に声をかけているんや」と思った。それでもリーダーは当時はレギュラー10本ぐらいかかえる超売れっ子だったのでテレビとのパイプが深く、いろんな仕事が事務所に入ってきていた。
バラエティやドラマのちょっとした役や観客として盛り上げるひな壇などもあった。僕もマジカル頭脳パワーの人文字君や出題者役はよくやった。「どうなってるの」の再現フィルムや2時間ドラマ、お笑い番組なども経験させてもらった。テレビの現場で勉強させようという事務所の考えもあったのだろう。
「じつは僕、漫才やっているんです」とリーダーには言っていたので、アルト君にも上京してきてもらい、なべやに所属してもらった。住む所も同じ中野坂上。ただし、彼は生活レベルを落とさないので、家賃8万円以上もする新宿の夜景が見えるマンションに引っ越した。
「人間、ブランディ傾けながら夜景を見るぐらいの余裕がないと」と言ってたけど、バイトが僕と同じ新宿ニューシティホテルのフロント夜勤だったし、高い家賃を払うために馬車馬のごとくバイトをしていたので、結局は新宿の夜景を見てゆったりなんてほとんどできてなかったけど。
 アルトタクトの東京での漫才の再スタートは、最初は順調でした。
コント大会のネタ見せは野方にあるなべやの稽古場でするのだが、それこそ100組ぐらい受けに来る。しかし超ハードなスケジュールであるはずなのにリーダーができるだけ見てアドバイスもする。これには頭が下がった。どうしても来れない時は、植竹さんという作家の先生が代わってみていた。僕達はなべや所属だったせいもあって、ネタ見せで落とされることはなかった。
コント大会の構成は一本ネタと呼ばれる制限なしにしっかり自分のネタができるコーナーと、ゴングショーと呼ばれる会場の客が5人以上手を上げるとその場で退場の2つに分かれる。一本ねたは爆笑問題とかピンクの電話などのレギュラー組や、ゲストで呼ばれた芸人が多かったが時々ゴングショーからの抜擢もあった。
アルトタクトはゴングショーでの扱い。アルト君が最初に「アルトで〜す」とかん高い声で話すと会場の女の子がいっせいに「かわい〜」となってあとは何を言っても爆笑の渦。人気も出てきて時には一本ネタにも抜擢されることもあった。会場外ではアルトはサインをねだられることも多くなった。しかしだんだんと拒否反応をしめす客も出てきた。アルトのキャラクターだけで客がざわつきネタが前に進まず前に陣取っているミーハーな女の子だけがキャーキャー喜んで後ろで立っている男性客が覚めた目で「またこれか」という表情が感じられてきた。漫才でコント大会に出るようになって1年ぐらいたつ頃には、僕らが出てきて「アルトでしゅ」「タク・・」もうこの時点で5人以上の客が手を上げている。2人が舞台に出るか出ないかのうちにゴングが鳴らされて退場する様子にまた客が笑う・・・。僕らはたまったもんじゃない。せっかく練習してきたのに。
「俺、タ、しか言ってないわ」
「アルト君、その声をやめて普通に出てよ」
「これが俺の声や!」
アルトの個性を抑えるようにしたら、今度は漫才に迫力がでない。もともと横山やすしを大師匠に持って芸風をも尊敬しているアルトは本当はすごく男っぽい性格なのだ。だから両性的な部分にばかり注目が集まり漫才そのものを評価されないことに一番悩んだのは彼自身だったと思う。ご意見番の元ひょうきんディレクターの永峰先生から「アルトを活かしきっていない」と言われたこともあった。そんなこんなでまともにネタまで行く前に退場させられ続けるコント大会にしだいに2人は嫌気がさしていった。
特にアルトはべじたぶるでテレビ演芸5週勝ち抜いてチャンピオンにもなってことがあるから、なんでこんな扱いをという自負もあったはずだ。
それと僕自身が感じることがあった。中高生の女子が大半を占めてちょっとしたギャグにもキャーキャー言う客席に、
  お笑いライブなのになにかアイドル探しみたい・・・
コント大会の打ち上げはラママでそのまま行われる。華やかで売れっ子の芸人達はリーダーの周りに集まってワイワイやっている。僕らは関西から来たということもあってなんか溶け込めず、端っこでチビチビやっている。近くにいたのはカッポレポッケ(後のピロキさん)、ドグラモグラ、金谷ひでゆきさん、男同士(江頭さんは後に売れっ子。すごく腰の低い人だった)、アインシュタインウエズさんなど地味でホッとするような人たちばっかりだった(ゴメン、僕がそう感じていたので)

コント大会は4時間近くの長丁場。
その日も自分の出番が早くに終わってラストまでまだまだ時間がある。キャーキャーいっている会場を背中に、冷めながら夜の渋谷をぶらついた。ハチ公前に人だかりがある。見るとふんどし姿で裸で芸をやっている。
  大道芸か・・・
「人間美術館」 その白塗りの芸人は均整の取れた体でいろいろな美術作品を模写している。モナリザ、ミロのヴィーナス、考える人、ゲルニカ・・・
何もしゃべらないのだが、客を引き込んでの迫力は誰一人その場を離れない。そしてすごく受けている。投げ銭にはすごいお金が集まっている。テレビの世界とは180度違う、なんのレッテルもなしに裸一貫で芸だけで多くの人を集めている。

  かっこええな。

36タクト:2007/07/17(火) 12:13:26
アルト君の話 2
いよいよアルト先生の話、第2回です。

「久しぶり〜、元気にしてた?」
「そっちこそ」
僕がKAプロを辞めて吉本に行ってから、アルト君とはしばらく会っていなかった。僕も新喜劇に入っての2年間は休みなしだったし、アルト君の「ベジタブル」という新しい相方での漫才も見る機会がなかった。ただ住んでいるところは同じ阿倍野の2丁目と4丁目なのでお互い目と鼻の先だから、こうしてばったり道で出くわさない方が不思議なぐらいだった。
「タクトさん、久しぶりにうち来うへん?将棋しょう」
「将棋?」
  アルト君が将棋するんか?僕がしょっちゅう新世界の通天閣下の将棋センターへ指しに行ってることを、おじんくさいって冷やかしてたくせに。確かに僕以外は日雇い人夫とかブラブラしてるおっさんしかおれへんし、そこは名人坂田三吉をお膝元におくケンカ将棋の世界だったからな。
「タクトさん見て見て、生恵幸子師匠が歩いてはるわ」
「僕のアパートの斜め前に住んではるねん」
「ほんまあ」
「このドロガメー!」
「あははは、好きやなあ」
視力が悪くて時計が見えない人生幸朗師匠に、終了30秒前の合図の幸子師匠お決まりフレーズをうれしそうに聞くアルト君。

「アルト君、いつから将棋好きになったん?」
僕より少しだけ広いアルト君のボロアポートの部屋で将棋を指しながら聞くと、
「タクトさんにできるぐらいやったら僕にもできるやろ。あれ見て」
壁に飾られてあるのは将棋連盟から授与されたアマチュア4段の認定賞状。
「すごいやん!」
  そうか、前に僕に負け続けたんがよっぽど悔しかったんやな。でも4段はすごいな。本も相変わらず多いなあ。呉智英、本多勝一・・・。評論ばっかりや。
「タクトさん、文章うまくなりたかったらこの「日本語の作文技術」一冊読んだらもうええわ」
「漫才はどない?」
「・・・・。今度、ABC新人コンクールに出るわ」
「すごいやん!」
「これ見る? 「テレビ演芸」。テレビ朝日のお笑い番組や」
ピンクの電話に負けるまで、5週連続勝ち抜いている。審査員の糸井重里さんも高信太郎さんも絶賛している。
「すごいやん!」
  いつのまに。僕なんか新喜劇でくすぶっているのに。でもなんか元気ないなあ。

もともと仲はいいし、お互い尊敬もしているのでまたちょくちょく遊ぶようになった。ほとんどは将棋で、もう僕はめったにアルトに勝てなくなった。
ベジタブルの漫才も見に行った。松竹系のライブでトリをとっていた。
「どうやった?」
「おもしろかったで」
「ネタは?」
「ネタは・・・、あんまり印象ないなあ」
「そうやろ」
  順調にいっているんとちゃうん、漫才。
「もの足りひんねん」

アルト君はいつも猫を飼っていた。
「ミューミュー借りるで」
「いじめんといてよ」
ミューミューと散歩をする。外に行くのが恐いらしく震えている。公演で前のベンチにミューミューを座らして向かい合った。
「ミューミュー、こわい? はい、こっちに飛び込んで」
と、僕のひざに抱きつけるようにひざを突き出した。
「ミャー!」
ミューミューは僕のひざではなしに、顔に飛び込んできた。僕は後頭部からバックドロップのように後ろにひっくり返った。
ミューミューに子猫が生まれた。
「タクトさん、むっちゃ赤ちゃん、かわいいねん。もらいに来て」
もらいに行ったら、アルトがくれようとしたのはミューミュー(親猫)だった。

アルト君に聞いた。
「となり、どんな人が住んでるん?」
「どろぼう。本物やで」

しばらくしたら、アルトは水商売(スナック)で働くようになった。すぐに雇われ店長になってすごく景気もよくなっていた。高そうなブランドバックを常に持っていた。

「もう一度、アルトタクトやろか」
  もう一度、アルト君と漫才をやれる。でも天才アルトの良さを僕が引き出せるかな。ただアルトが好きなのは横山やすしさん。アルトの大師匠。だから本当は舞台で相方とがっぷりよつにぶつかりあえる激しい漫才をしたいはず・・・。

アルト君の師匠の横山たかし師匠に挨拶に行った。
僕の顔を見て、「まじめそうやなあ」
アルト君が、
「そうやねん。タクトさん、まじめすぎるねん。バクチとかもっとしい。芸の肥やしになるから」
たかし師匠が、
「バクチなんかせんほうがええ」

「吉本、いややなあ」というアルト君を説得して吉本に引き込んだ。丸兄の「丸ちゃん劇場」にも参加させた。漫才は全然やれる機会がなかった。練習しようと集まっても、「開店までに準備しとかなあかんねん」とずっと店のお金の計算をしていた。たまに吉本へアルト君が行くと、けっこう顔が売れているのでしょっちゅう他の芸人とケンカしてた。ますますアルト君は会社に行くのを嫌がった。
大崎さんの前で漫才をする機会があった。
練習もしていないからかみ合わない。
「がっかりしたなあ」と言われ、
アルト君は「もう吉本、ほんまにいやや」

フラワーショーが大好きで、粋な生き方を好むアルト君。三味線を習いに天王寺村にもいっている。そしてむちゃくちゃな金銭感覚。
一ヶ月、九州の大衆演劇に参加することがあった。中間温泉劇場と博多劇場に泊り込みで行ったのだが、最初に行ったパチンコ屋で熱くなり、2日で一か月分のギャラをすってしまった。いつまでも一発終了台を打ち続けるアルト君に店の人が「もうやめたら。出えへんよ、ここ」

東京のなべやに行くことになった。
アルト君には悪いと思うが、どんどん勝手にこっちが決めていった。実は東京行きは、アルト君に水商売を辞めてもらってもう一度本気で漫才をしてもらいたい、という気持ちも僕にはあった。
しばらくして、アルト君は東京に来た。
なべやの中では、僕よりもいろんな人と仲良くなりかわいがられるようになった。

37タクト:2007/07/26(木) 15:18:28
野崎村の話
「本当に急な話で恐縮なのですが、今日(7月24日火曜日)国立劇場大劇場での歌舞伎公演にもしよかったら、一緒に行きませんか?「新版歌祭文」の上演で、タクトさんが言っていた中村松江さんもご出演です」
「行く、行く、タクト、行きまーす!」(アムロ風に)
二つ返事でいざ、国立劇場へ。

  おお、神様、日頃の行いがいいと、こんなサプライズ・プレゼントをくれるのね。ぼくのスケジュール、空いてたし、ま、けっこう空いているけど。でも、玉太郎さん、いや昨年の4月に六代目「中村松江」に襲名されたから、今は松江さんだ。玉太郎と言う名はそのとき息子さんが襲名したんだ。その松江さんともう2年近く話してないなあ。日頃は歌舞伎を見に行っても大向うからしか見ないし、楽屋はなんか遠慮があって行かないけど、今日は挨拶に行かないわけにはいかないだろう。誘ってくれた方も紹介したいし。
そういえば職人倶楽部の集まりも最近ないなあ。

ぼくが以前、クラシック音楽本を出させていただいた出版元に大平さんという方がいた。大平さんは多才な方で、今は保険代理業などの会社もつくり、自身はミュージシャンやマラソンなどもチャレンジする。その太平さんから、
「ぼく、こんな集まりを作っているんですよ。タクトさんも入らない?」
それが、「職人倶楽部 元気座」だ。ふれこみは、
「自らの世界を探求し歩みつづける“職人”たちの集まり」
メンバーは、その後に大変お世話になっている落語家の三遊亭遊吉師匠、日本人初の大リーグ審判員を目指して渡米している平林岳さん(西武の東尾監督を初退場させたことでも有名)、イッセー風靡セピアと同行してニューヨークでも演奏した津軽三味線ブームの草分け的存在紺谷英和(こんや ひでかず)師匠、そして歌舞伎の中村玉太郎(現松江)さん、名優六代目中村東蔵さんの息子さんだ。
「すごいメンバーですね。ぼくが入るの気後れするなあ」
「そんなことないない。それにみんな、シャイなのでぼくがいろいろ応援も含めてまとめてあげたいんですよ」
それからは、太平さんの音頭のもとよく集まって飲み会しながらお互いの交流をした。遊吉師匠や紺谷さんと一緒に仕事もさせていただいた。その大平さん自身が忙しくなってきて、最近では遊吉師匠の落語会で偶然一緒になるぐらいで、なかなかみんなが以前のようには集まれなくなっていた。
  今日は、いい機会だわ。

そんなことを思い巡らしているうちに、半蔵門駅に着いた。駅横のヴェローチェで待ち合わせた方と一緒に国立劇場へ歩く。
「やっぱり子供が多いわね」
「夏休み入ったしね」
今日の公演は、国立劇場が定期的に催している歌舞伎鑑賞教室なのだ。大劇場に入った。
  いい席じゃない!
目の前に花道がある。時間が来て まず解説「歌舞伎のみかた」が始まった。花道の「七三」の位置にある「スッポン」と呼ばれる小ぶりのセリ穴から解説する役者が出てきた。
  あ、松江さんだ!
「ようこそ、みなさん、本日は国立劇場へおこしくださいました」
十二支を元に、歌舞伎の決まりごとや江戸時代の風習などをわかりやすく実演して解説していく。途中からは客で来ていた小学6年生2人を舞台に上げて、馬に乗せたり、猪に化けさせて演技指導したり、松江さんのソフトな語り口とアドリブもあいまって一時間の解説は場内大爆笑。
「演芸場よりおもしろいわあ」
「こんなのを、特番でやったらいいのに」
最初松江さんが登場した時はこっちがドキドキしたのに、盛り上がる観客を見ながら心の中で、
  松江さん、ほんま、かっこええわ!
  よ、加賀屋!

休憩の後、近松半二作、義太夫狂言の世話物の名作「新版歌祭文・野崎村」(しんばんうたざいもん・のざきむら)の上演が始まった。この時に配られた「親子で楽しむ歌舞伎教室・新版歌祭文・野崎村」に書かれたあらすじ。

 ここは(大阪郊外)野崎村。お百姓さんの久作の家では、娘のお光、うれしそうにそわそわ。今日は、大好きな久松との結婚式の日なのです。
 ところが久松の恋人のお染が、久松を探してやってきました。
お光は、お染のことを久松の彼女に違いないと思って、意地悪します。
 何も知らずに別の部屋から出てきた久松と久作。久作のために、久松は肩をもみ、お光はお灸をすえて親孝行。
 その時家の外のお染に、久松が気が付きました。目と目で互いに合図をする二人に、お光はやきもちを焼きます。
 久作も、お染が来ていることに気が付きます。久作は、久松とお染を、二人だけにしてあげようと、嫌がるお光を別の部屋に連れて行きます。
 二人きりになったお染と久松。お染は、久松が勤めるお店のお嬢様です。お互いあきらめられない二人は、一緒に死のうと相談するのでした。
 二人の相談を聞いていた久作が出てきて、何とか二人の決心を思いとどまらせます。その時、奥の部屋から花嫁姿のお光が出てきました。
 花嫁の綿帽子を取ると、なんとお光は、髪を短く切り、晴れ着の下は尼の姿です。お光も、久松とお染の相談を聞いていて、二人の命を助けるために、自分の幸せをあきらめる決心をしたのでした。
 家の外でこの様子を全部聞いていたのは、お染を追ってきていた、お染の母親のお常でした。お常は、お光の思いやりに感謝して、お染と久松を連れて帰ることにしました。
 せめてものけじめに、今はお染と久松を別々に帰すことに。
 お染は船で。
 久松はかごで。
去っていう二人を見送るお光は、悲しさに、泣きくずれるのでした。

最後のクライマックスの場面、舞台中央の土手にのお光、上下の両花道に久松とお染。この三角形のなかでかかる「野崎村」の曲をご存知ですか? もし知らない方がいたら、今すぐ図書館へGO!
借りてきたCDかカセットの中の「野崎参り」の曲を聞きながら、この場面を創造してください。

  なんと、日本人の作る曲の美しいことか!

こんな悲しい場面に、こんな明るさを混ぜあわせた曲調。
私はいまだに、クラシック音楽をも含めた古今東西の名曲の中でも最も美しい曲のひとつがこの「野崎村」の曲だと思っている。演芸場でも、自分の出囃子にたまにこの曲をかけてしまう。以前は、ある大名人の落語家の出囃子だったんだけどね。

もうひとつ参考に、昔、インフルエンザのような感染症の強い風邪を「お染風邪」と呼んだことがあった。よく「伝染」って言う言葉があるでしょう。それぐらい、「お染久松」の話はみんなにお馴染みだった。だから風邪(お染風邪)が流行ると、家の玄関や軒下には「久松るす」という貼り紙をした。

また、「野崎村」にやられちゃった・・・。少し流れる涙を照れくさく感じたので、トイレで顔を洗ってしゃきっとした。
今回の歌舞伎に誘ってくれた方は、NHK「芸能花舞台」の司会アナウンサーなので劇場のあちこちで関係者やお客さんに挨拶をされている。ぼくが「終わったら楽屋に行きましょう」と言ったことが、かえって気を使わさせてしまったかなあと思いながら、松江さんの楽屋部屋へ。
「玉太郎さん、いや、松江さん、ご無沙汰してます。タクトです」
「ああっ・・、えっ?」
すぐにぼくの横にいる方に気づかれて、丁寧に挨拶されてた。

帰りにおいしい欧風カレー屋で食べながら、
「お染役をやった芝のぶさんて美しいわ。要チェック」
そんな声を聞きながら、
  ほんま、死ぬほどの恋って一回ぐらいしたいわ。でも、そういうのに出てくる男って、色男やし美男子やからなあ。俺みたいに「大盛り」注文するやつは論外やな。

38タクト:2007/07/27(金) 00:01:04
追悼 たんごしんさんの話
たんごしんさんが死んだ。

東京ユニットの相方である森はじめさんのマンションで、今まで自分達がやってきたネタをDVDで一緒に見てたら、森さんの携帯が鳴った。
「はい、はい・・、きっと、演芸協会でまとめてやると思うよ。はい、はい」
「何か、あったんですか?」
「たんごしんが死んだ」
「えっ? えっ!?」

農村漫談「たんごしん」
昭和42年、栃木県より上京。デン助劇団座付き脚本家・青砥四郎師の弟子となる。 そして師の身の回りの世話をする傍ら、通行人の役などで舞台経験を数多く踏み、その後、浅草東洋劇場にてコントを勉強、お笑いの世界に入る。
 昭和56年、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の2代目チャンピオンに輝き、漫談の座を築く。
 舞台では栃木訛りの《農村漫談》として、ピンクのつなぎの服に、黒の長靴、サンローランのスカーフといった、個性豊かなスタイルで、一躍お茶の間の人気者となり、NHKTV《演芸広場》の司会やTBSTV《街かどテレ11:00》のレポーター、またテレビ朝日《ゲラゲラ45》のアイキャッチャー等でレギュラーとして出演。
 その他、演芸バラエティー番組やドラマ・CM等にも出演し、現在は芸の幅を広くするため、タキシードに長靴(?)という独特なスタイルに変身。なおかつ、栃木訛りに都会的なセンスも身につけ司会に漫談に活躍(東京演芸協会の紹介文)。
 「さなぎとかたつむりが相撲をとって、負けたかたつむりは勝ったつもり」 「勝ったさなぎはもっと偉くなって町長になる」。
 「ブタがテニスをやっていてびっくりした。わけを尋ねた・・・」「隣の家でブタが二匹テニスやってんだ。ブタにテニスを仕込むのは大変ですよ。びっくりして隣の旦那にきいたら・・・」「ブタじゃねえ、おらんちの嫁と娘だ」
 「ばあちゃんと二人で冬道を歩いていたら、手袋が落ちていたの。思わず拾おうとすると『ばしっ』てばあちゃんがはたいて『いくら貧乏だからって、心まで貧しくすんな、一生懸命生きていこう』って」「しばらくすると、また手袋が落ちていたの。するとばあちゃんが『おい、さっきの手袋拾ってきな』」
 「皆様と楽しく過ごして来ましたが、もうお別れの時間となりました。それでは皆さんさようなら・・・・。帰ろう」
 この寂しそうな「帰ろう」でまた客席が笑う・・・。

ぼくは浅草の演芸場に出始めた頃、なぜかたんごしんさんとよく出番が連なった。
たんごさんは舞台袖に早めから来て、イスに座ってぼくの舞台を見ている。
  たんごさんって、背が高くてすらっとしてるなあ。でも無口で厳しそうな人だなあ。
その最初の印象はすぐに消え去った。ある日、ぼくとたんごさんの出番の間にあるベテラン芸人が出た。その芸人の舞台を袖で一緒に見ながら、たんごさんがポツリ。
「こいつ、みんな人の真似ばっかり。自分というものがないんか。受けないしさ」
「・・・ぼくもあんまり受けないです」
「おまえは自分の世界を持っているから、ええ」
当初、ぼくは全くしゃべりを入れず、大道芸と同じスタイルで20分間(7年前は20分か25分が持ち時間)淡々と6人ほどの指揮者を模写していた。そして寄席でのスタイルに悩んでいた。  えっ? ほめられたの?
たんごさんは、ほとんどネタらしいことをしない。ただ、笑っている。
「なに、な〜に、なんで、そんなにおかしいんよ」(栃木弁で)
それなのに、どんどん客席の笑いが増幅していく。
  すごい芸風や・・・。
それから時々話をするようになった。意外と気さくな人だった。そして、しばらくはたんごさんとは出番の日が合わなくなったので、姿を見なくなった。
昨年、久しぶりに東洋館でたんごさんと会ってびっくりした。ぼくはコントをするようになっていたので、森さんに、
「たんごさん、やつれましたね」
「家庭が大変みたいよ。病人みたいでしょ。ま、うちの協会の芸人は病人っぽいのがいっぱいいるけどね」
でも森さんはたんごさんの芸をすごく高く評価していた。

人が死ぬって、どういうことだろう。
ぼくは、身近な人が亡くなるという体験がほとんどなかった。小さい時に父を亡くしたこと以外は。
父が亡くなった時に、鮮明に記憶している心情。
「全然、悲しくないやん」
ぼくは父は大好きだった。でも、忙しく毎日朝から晩まで働いていたので、ほとんど遊んでもらった記憶はない。覚えていることは、テレビでコメディーNo。1の坂田師匠が出てきたら、「アホがうつる」とチャンネルを変えられたことぐらいだ。
父の葬式の時、和尚さんが、
「では、家族の方からご焼香をしてください」
ぼくは慣れない正座をして足が痺れていたので、立とうとしたとき全然足がいうことが利かず思わず前のめりに倒れてしまった。
その事情を知らない親戚の人たちは、涙ぐみながら、
「まあ、誠一君、かわいそう。よっぽどつらいのね・・」
学校では、しょうもないことを言って友達を笑かしていたら、先生がしんみりと、
「好田君を見習いなさい。お父さんがいないのに、こんなに明るく振舞って・・」
  えっ? ぼくはそんなに不幸なのか?

ところがここ数年、身近な人の死に立て続けに出く会わすようになった。先輩、知人、恩人、身内・・・。
たんごしんさんの死にも、不思議と落ち着いて聞いた。
死の世界ってどんなだろう。
ヒエロニムス・ボッスの「快楽の園」みたいなのか。
入り口は恐山、仏が浦、浄土が浜、高野山、熊野、高千穂のどこかにあるのか?
自分自身が強烈に死を意識するようになった。

  最近、頭が痛いし、高血圧で下が120切れないし、父がぼくと同じぐらいの時に脳溢血で倒れたし。 絶対、体のあちこち悪いはずや。
でも、今倒れたら、世の中に何も残さずに死んでしまうことになるなあ。せめて、芸だけでもやり切ったといえるぐらい、燃焼しょう。いつ死ぬかわからへんし。
その点、画家や音楽家はええなあ。作品が後世に残っていくし。芸は・・・、残るがな、DVDで。
よっしゃあ、コントや指揮芸をDVDに記録して売ったろ。他の芸人にも、「生きているうちに、あなたの素晴らしい芸をDVDに残しませんか?」と誘って、うちでDVD作らせてもらおう。 儲かるがな。こりゃ、簡単には死に切れんわ。

39タクト:2007/07/29(日) 07:36:08
アルト君の話 3
さあ、アルト君の話、最終回(副題:アルト、新たなる旅立ちの巻)です。

「行く? もう行かなあかん時間やで」
「ほんまやなあ・・・」
将棋を指してる2人の横には、アルト君のミッキーマウスの時計の針が、今日のコント大会ネタ見せ開始の時間を指していた。
「ネタは?」
「ネタは・・・すし屋に聞いてくれ」
「あかんわ、ほれ」
「あっ、ずる〜」
「タクトさん、いつもここ、悪手やで。一回銀ひかな」
「もう一丁、なんでやろな」
   また、コント大会すっぽかしてしもた・・・。

「アルト君、東京でやっているコント大会以外のお笑いライブや。興味あるやつある?」
ぼくが書いてきたリストを見ながら、
「この見番寄席ってのは?」
「これ、もとKAプロの人が仕切ってやっているんや。ええ会やとは思うけど・・。じゃあ大川興行さんのは?」
「ううん・・。こうしてみると意外とないなあ」
1991年当時は、まだお笑いのライブは少なかった。今は各事務所の主催するライブも多く、ブームの影響からか芸人の数も相対的に増えたので、それこそ寄席も含め毎日のようにどこかでお笑いライブをやっている。会を続けていくのは大変だろうけど。
東京・吉祥寺でやっている「アーバン寄席」に出た。ブッチャーブラザーズさんが主催、高信太郎さんご意見番のライブ。
お笑い好きならご存知の方も多いとは思うけど、ブッチャーブラザーズさんは若手芸人を育てるのがうまく、数年前にはサン・ミュージックでダンディ坂野さんや、九州吉本から来たカンニング竹山さん、ヒロシさんなどを見事に再生させて売れっ子にした。
当時からも面倒見がよく、来るものは拒まず親切に各芸人にアドバイスしてあげていた。そのブッチャーブラザーズさんから、
「うちのライブで、初出場が最優秀とるのは快挙だよ。おめでとう」
高信太郎さんはアルト君を見るなり、
「懐かしいねえ。どうしているのか心配してたよ」
しかし、2回目からはブッチャーブラザーズさんにも、
「キャラクターばっかりで、ネタが全然できていない」
と、冷淡に言われた。
起死回生にやったネタが、水泳ネタ。アルト君が、
「ぼく、水泳苦手やねん」
「練習したらええやん」
「どこで?」
「ここで」
「ここで? どうやって?」
「こうするんじゃあ」
と、アルト君をぼくがひょいと持ち上げ、ぼくの胸前に両手で持ち上げられたアルトが手を伸ばして横たわり、
「何さすねん」
「いくぞ〜、まずはクロール」
「はっ、はっ、」
「息継ぎして〜、波が来た〜」
「ぷは〜」
軽いアルト君が、まるで人形のように前後するものだから観客が大笑い。
最後の落ちが、アルト君が「もう、練習じゅうぶんや」
「そうか」と言って、ぼくが手を離してアルト君が地面にバタンとたたき落ちる。
「痛、痛〜!ええ加減にせえ!」
久しぶりの大爆笑を背中に聞きながら、舞台を降りたぼくはうれしそうにアルト君に、「アルト君、ようがんばったなあ。迫真の演技や」
「ほんまに痛いねん!」
診断の結果、腕の骨が折れていて全治2ヶ月。それからしばらくはギブスをはめる生活を送ることになった。
バイトもできないし、本当にアルト君は生活に困ったと思う。

ちょうどその頃、NHKの「あしたもげんきくん」のげんき君役がぼくに決まった。月の半分がロケに拘束される。
「アルト君、ごめんなあ。活動思うようにできんで」
普通は怒っても当然なのに、アルト君は、
「漫才、やめようか。タクトさん、最近大道芸の方がおもしろく感じられているみたいやし」
  見抜かれていた。自分が漫才に限界を感じ、指揮者芸で大道芸することにやりがいを持ち始めていることを・・・。
「ぼくのことは心配せんといて」

  ほんまにぼくと出会って、アルト君はよかったんか? ほんまにアルト君の才能を閉ざしたのはぼくと違うやろか。 違う相方と漫才やっていたならもっと売れっ子になっていたんとちゃうやろか・・・。ごめんなあ、アルト君。

自責の念をすごく感じながら、アルトタクトは解散した。

しばらくして、ぼくはなべやも辞めた。アルト君は漫談をやっていたが、ぼくは事務所を離れてしまったのでアルト君のその後の音沙汰を聞かなくなった。

一年ぐらいたって、アルト君から急に連絡があり会うことになった。
「タクトさん、げんき?」
えっ? スーツ?
「ぼくなあ、今、出版社に勤務してんねん。編集の仕事やってんねん」
名刺を渡された。
「けっこう大きそうな出版社やん。簡単には採用されへんやろ。どうやったん」
「新聞に募集広告が載ってたんや。凄い競争率やったわ。採用されたの、ぼくだけや。これ、ぼくが手がけた本」
「将棋界がわかる本!?」
「島朗(しまあきら)八段と作った本や。もう5刷やで。むちゃくちゃ売れてるわぁ」
パラパラめくる。棋士の給料から遠征のしくみ、奨励会の入会方法、全国棋士マップ、各タイトルの歴史としくみなど、各ページすごくおもしろい。ほんとこれなら将棋のしくみや不思議にこたえる本やわ。
「これ、おもしろいなあ」
「そやろ。他にも幾つもの企画が進んでるわ。なあ、タクトさん、今度、原稿書く気ない?」
「ぼくが? できるやろか」
それで、アルト君の薦められるままに共著として出したのが、『もうひとつの上方演芸・吉本以外のタレント名鑑付』だ。
 本によっては、ほとんどがアルト君が書いたものもある。その後もつぎつぎとヒット作を連発するアルト君。
しかし理想を追求するアルト君は、その出版社と袂を割った。そのため、ぼくはアルト君から第二弾として、クラシック音楽本を頼まれ執筆していたが、宙に浮き、「どうしてくれるん?」と聞いたら、
「大丈夫や。これだけユニークな内容やったら、出版社に直接飛び込んでいき。どこか乗ってくれるから」
実際、講談社などはK部長が内容を気に入っていただき、親切な対応と応援をしてくれたけど、結局最終会議で、他からの意見がちょっとユニークすぎるということで見合わされた。でもその時、すごく励まされたので自分は意を強く持った。ただ、やっぱり出版社がキングベアー出版に決まるまでは、書上げから3年かかってしまった。この時、尽力してくれたのがブッチャーブラザーズのリッキーさんだった。
 アルト君は、その後作家として独立し「右尾祐佑(みぎおゆうすけ)」のペンネームでミニコミ誌を発行したり、ルポライターとして精力的に今も活躍中である。

とまあ、ここまでは比較的かっこいい部分のアルト伝説だったが、本来の気質が横山やすし師匠を尊敬し、その行き様を地でいく破天荒なアルト君。いっぱいエピソードがあります。そのいくつかを最後に公開。

?家賃滞納大王
 半年家賃滞納を3回くり返している。そのつど、ぼくが深夜に借り出されレンタカーで本当に「夜逃げ」を決行する。

?仕切り大王
 元来が男っぽく、輪の真ん中で仕切りたがる性格。HISの新宿店オープニング記念特価で、一人往復3万円でロサンゼルスにぼくたち仲間4人で行くことになった。英語もしゃべれないのに意気揚々と先頭を切って進むアルト君。エスカレーターに乗った。他の3人が見たいものがあったので、乗らずに見ていたら、
真っ赤な顔してアルト君が戻ってきて怒鳴った。
「何してんねや! 恐いやろ、一人やったら! よそ見せんと、ちゃんとついて来い!」

?やりすぎ大王
 実はアルト君は双子。KAプロ時代に事務所から素人として、兄貴と「カルーセル・マキの相談部屋」というちょっとエッチなテレビ深夜番組に出た。「悩み事があったらお姉さまに相談しなさい」というカルーセル・マキを真ん中に挟んで、両方から攻める双子。エンジン全開のアルト君、「お姉たま、お姉たま」といいながら胸に顔を埋める。「やめ、やめ〜!こいつら、もう嫌だ〜」と胸にしがみつくアルト君にカルーセル・マキは激怒した。

?いたずら大王
 兄貴とその恋人のエッチ場面を聞かしてくれと頼むアルト君。兄貴は「じゃあ、押入れに隠れとけ」。暗闇のなかでアバンチュールを楽しむ2人。我慢しきれなくなったアルト君はそっと押入れから抜け出し、兄貴と一緒に触りだす。「えっ、えっ!? 手が3つあるー!」急いで電気をつけてまたびっくり、「顔が、顔が2つあるー!」 そこには恋人と同じ顔が2つ並んでいた。


※お断り・・・今回の「アルト君の話 3」は、アルト君の沽券にかかわる内容を含んでいるため、本人から「こんなん書いて、反則やわ」と申し出があったら、すぐに削除しなければいけません。閲覧はお早めに。

※参考・・・前回の「アルト君の話 2」で出てきた「フラワーショー」とは、松竹芸能所属のゆり、ばら、ぼたんによるトリオ名です。今はゆり、ばらのお2人で活躍されています。

「アルト・タクト」時代のプロフィール写真です。(向って左がアルト、右がタクト)

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000060.jpg

40タクト:2007/07/29(日) 11:00:30
東京ユニットの動画が「夢シアター」に追加!
私が森はじめさんと組んでいるコント「東京ユニット」。
いくつか持ちネタがありますが、その中で「万引きコント」と「柔道コント」の2編を、ほんの一部ですが動画プログラムとして「タクトの夢シアター」に追加しました。
ホームページ全体の中に取り込めるデータには限界がありますので、「世界指揮者人名事典」から2作品、「東京ユニット」から2作品、それぞれ一部ですが4本立てで「タクトの夢シアター」は当分上映していきます。

「東京ユニット、もっとちゃんと見たいなあ」
という方は演芸場へ。
「そんなの暇ないし、遠くて行けないなあ」
という方には、DVDをついに完成しましたので、私のホームページの「お勧め商品」のページから「ハジメワールド・へらずぐち」をご指定してご購入ください。
今なら、一枚2,000円です。
このDVDの中には、「万引きコント」15分、「柔道コント」22分がカットなしで入っています。他には森さんの放談など。(収録は今年6月東洋館)

近日中には、私、好田タクトのDVDも出来上がる予定です。

41タクト:2007/07/29(日) 21:22:36
今日の「オーケストラの森」を見よの話
皆さん、ほんとに急ですが今放送(2007年7月29日午後9時10分)しているNHK教育テレビ「オーケストラの森」をぜひ見てください。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮ハンス=マルティン・シュナイト
(神奈川フィルハーモニー管弦楽団 音楽監督)
このコンビは今、奇跡的な音楽を作っています。
もし番組を見られたら、あなたも奇跡の生き証人になるでしょう。

http://www.kanaphil.com/

もちろん、このコンサートは収録当日に岩野さんと永岡さんとぼくは見にいっています。
現存する団体では、オスロフィル&マリス・ヤンソンスやバーミンガム市交響楽団&サイモン・ラトル、ミュンヘン・フィル&セルジゥ・チェリビダッケなどの歴史的コンビを越える可能性が一番近いコンビです。

再放送はひょっとしたら、数ヵ月後の土、日曜日の午後あたりにあるかもしれませんが、今、NHKオンラインを見たかぎりではわかりませんでした。

絶対、見たほうがいいですよ。

http://www.geocities.jp/butsuzou28/index.html

42タクト:2007/08/01(水) 23:53:37
神様が死んだ 2. ゴッチイズム
「みなさん、カールと言えば、」(カールコールをご一緒に)
「カール、カール、」
 (ひじを垂直に折って陸上短距離を走るマネ)
「それは、カール・ルイスや!」※オリンピック9個金メダリスト
「カール、カール、」
 (禿げヅラ、黒メガネでヨボヨボ指揮者のマネ)
「それは、カール・ベームや!」※20世紀後半の世界最高指揮者
「カール、カール、」
 (お菓子のドアップ)
「それは、カールや!」
「カールと言えば、わからんか?」(と言いながら、つま先を立てたジャーマンスープレックスをする)
「みなさんご一緒に、神様、カール・ゴッチや!!」

カール・ゴッチさんが亡くなった。享年82歳。

《カール・ゴッチ》(プロレスラー)
関東芸人がブッチャーブラザーズの子供達と呼ばれるように、アントニオ猪木を祖とする新日本プロレス系のほとんどのプロレスラーはゴッチの子供達と言われている。しかしゴッチ自身は団体の拘りはなく、フロリダ州タンパにある自宅を訪ねてくるレスラー達には誰にでも熱心に指導(馬場門下の全日本プロレスの渕正信など)、逆に弟子たちの多くはゴッチを利用して有名になるとゴッチの下を訪れなくなったため、ゴッチ先生は寂しさのあまりインタビューでかつての弟子たちにいやみを言った。晩年は「教え」という名目のもと、酒のつまみに過去の自慢話をいっぱい聞かされるので、鈴木みのるなどは西村修と2004年ドーム対決時には「ゴッチイズム追求−原点−なんて言っているけど、あいつはただ、おやじのしゃべり相手になってただけじゃねえか」。(かくいう私も昨日、浅草演芸ホールの出番のあと、白山雅一先生に付き合えと言われ、2人で浅草のミスター・ドーナツで閉店12時までコーヒー2杯だけで延々と先生の過去の話を聞いた。神様とはそういうものである)
また指導力を買われ、日本のいくつものプロレス団体にコーチや顧問として招聘されるが、けっこう気難しいので意見が食い違うと文句を言ってすぐおさらばした。ギャラの要求も高くて貪欲だった。苦労したからねえ。
ゴッチ式のトレーニングはほとんど器具を使わず苛酷なので、ビリーズブード・キャンプよりダイエット効果が高い。生前のDVD作っておけばよかったのに。
ゴッチのファイトスタイルは、レスリング技術を主体とする「正統派」で、派手さが無く、興行が盛況に至らないため、プロモーターには「売れない」と煙たがられていた。「独り善がりでプロレスを理解していない人間」か「妥協無き真のプロレスラーでありシューター」という風に、プロレスラーとしては評価が真っ二つに分かれていた。
レスリング技術の高さは群を抜いており、インドのクシュティ、日本の柔道、ロシアのサンボを含む世界中のあらゆるレスリングに精通、「朝目覚めてから夜眠るまで常に『素手でいかに効率良く人を殺せるか』を考え続けている」と言われていた。地味なスタイルと言われるが、ゴッチのジャーマンスープレックスホールドはもっとも軌道が美しいと称えられており、ミスタージャーマンのスープレックスは広重の「亀戸天神」の橋のように反りぐあいが芸術品である。
またゴッチは宮本武蔵を尊敬しており、五輪書を愛読し、武蔵の心境に近づくために、プロレスラーとして試合をすることがなくなってもトレーニングを欠かさず、食えないときは清掃の仕事などで食いつないでいた。その孤高の生き様と美意識と気難しさは、前回のエッセーで書いた指揮者のチェリビダッケと酷似している。
欧米よりも日本での評価が圧倒的に高く、いまなおゴッチは「プロレスの神様」、その教えは「ゴッチイズム」として継承者を名乗るレスラーは多数いる。

「では、ただいまよりタクト流、カール・ゴッチの輪廻転生、はじまり、はじまり〜」 コン、コン、とアホダラ教みたいに唱えてください。

「神様カール・ゴッチ。しかしその神様ゴッチは鉄人テーズに勝てずじまい」 ※鉄人ルー・テーズはバックドロップの名手で20世紀最強のレスラー。そのテーズにゴッチは1963.9.〜1964.11.の間に9回対戦、全てNWA世界戦でテーズの6勝(反則ふくむ)3分けだった。

「テーズは言いました。リング上での殴り合いではダニー・ホッジを除けば誰にも負けない、と」 ※鳥人ダニー・ホッジ、伝説的な職人で国際プロレスではテーズに4連敗した日本人レスラーに代わりテーズを破りTWWA王者になった。しかもジュニア・ヘビー級。

「ホッジが一番恐れた相手、それは、ヒロ・マツダ」 ※アメリカではダニー・ホッジとマツダのNWAジュニアヘビー級王座戦は史上最高のジュニアの試合と称され、各地でメインイベントを張った。ヘビー級がメインを張るのが通常だった当時のマット界では革命的な出来事である。

「マツダに猪木は卍固め、マツダ散る」 ※プレ日本選手権・優勝決定戦・昭和53年12月16日(東京・蔵前国技館)60分1本勝負 A猪木(23分6秒 卍固め)マツダ 闘魂アントニオ猪木が優勝を飾る。しかし猪木が本当に強かったのは、豊登の東京プロレスに参加した22歳ごろで120キロの体はキングコングみたいな鋼鉄の体で、今の藤田和之も真っ青。新日設立後は実は糖尿に苦しめられていた。

「猪木は馬場に16連敗」 ※東洋の巨人ジャイアント・馬場は猪木に16連勝。昭和38年8月16日東京・リキ・スポーツパレスでの3本勝負は2-0のストレート勝ち。馬場はプロ野球あがりであの巨体だから、プロレス入団時の身体能力は群を抜いていた。馬場の全盛期も実は日プロ時代で海外遠征時(世界3大タイトル連続挑戦時期)だと思う。

「PWF連続防衛の馬場の足元をすくったのは、なんと流血大王キラー・トーア・カマタ」 ※ゴッチの影に隠れていたが、カマタさんも今月23日に心臓発作で、カナダ・サスカチュワン州サスカトゥーンでなくなっていた。70歳だった。

「カマタを破ったのは、人間風車ビル・ロビンソン」 ※ビル・ロビンソン、人間風車の異名をとり、特に日本プロレス史上において最高の人気と実力を備えたレスラーの一人。当時無敵を誇っていた猪木との60分フルタイム1−1の引き分け。翌年1976年7月、鶴田との60分フルタイム1−1の引き分け。24日のジャイアント馬場とのPWFヘビー級選手権はほとんど見せ場を作れないまま完敗(スコア2-1)。猪木がようやく引き分けた相手に完勝することで、全日自らのステイタスを守ったといわれている。そしてこれが日本におけるロビンソンの初2フォール負け。U.W.F.スネークピットジャパンのヘッドコーチとして来日、高円寺に引越しするところを1999年8月放送の「タモリ倶楽部」で挨拶回りをする様子に笑った人も多いはず。

「ロビンソンが勝てなかった相手、ドン・レオ・ジョナサン」 ※モルモンの暗殺者、人間台風とも呼ばれ怪力を生かしたハイジャックバックブリーカーを得意技とし来日時も日本勢を大いに苦しめた。196センチ、140キロなのにトンボも切り、本気でやったら世界最強のシューターだと言われていた。往年の人気レスラー。現在海運会社社長。

「そのジョナサンを破ってチャンピオンになったのが、我らがゴッチ先生」
1962年9月14日オハイオ州コロンバスにおいてドン・レオ・ジョナサンを破りオハイオ版AWA世界ヘビー級王者を獲得。

私自身のプロレスにまつわる話はいっぱいあります。
吉本時代の「モーレツしごき教室」に来ていたレスラーにチョップをもらったこと、JWPの山本社長はお笑い出身(永井寛考さんの仲良し)から裏方に入ってバイトをしてたこと、北尾光司のマネージャーのSさんからビガロとの裏話など面白い話はけっこうある。でも、今回は「神様」の話です。

ゴッチについて思うこと。じつはゴッチはパワー・ファイターだと思う。アーム・ロックを片手で持ち上げたり、打撃を評価しなかったり。ボクの家には他のプロレスファンと同じく膨大なプロレス映像がある。DVDだけでも300枚は越える。後の初代タイガーとなる佐山聡がデビュー一年目で裸足でマーク・コステロとの格闘技戦、前田対アンドレなど。その中でも流智美さんのや国際プロレス、AWA映像、60年、70年代のアメリカンプロレスなどの映像の中でゴッチの試合を見ていると、ゴッチは本当はパワー・ファイターだと確信できる。そして不器用な選手でもあると。
ゴッチイズムとは、相手にあわさない、時代に惑わされない、頑固イズムではないだろうか。

その、「神様」が死んだ。
今、ご冥福のテン・カウントが打ち鳴らされる。

43タクト:2007/08/03(金) 10:49:23
11/4は文化庁芸術祭参加公演に決定
告知が6つあります。

8月4日(土)、5日(日)、6日(月)の3日間、仙台で行われる地域寄席に出ます。
「荒町喜楽亭 落語長屋」
場所:宮城県仙台市若林区荒町 宮城文化服装専門学校4F(毘沙門天すぐそば)客席は約60席
入場料:前売券2,000円、当日券2,500円 チケットのお求めは幸洋堂(荒町小学校向かい) ?(市外番号)266−3331 ぼくのH.Pを見たと言ってくださいね。
時間:4日(土)、5日(日)午後2時と午後5時、
   6日(月)午後2時と午後6時 開場はいずれも30分前
出演者:伊達春風(声帯模写)、青年団(コント)、田辺俊之介(講談)、立川三四楼(落語)、好田タクト(指揮者形態模写)、森はじめ(放談)、東京ユニット(コント)、地元からティーライズ、吉原亭遊鶴 です。 一日2回公演ですので、コントとピン芸をそれぞれ一日2回(コントは万引きと柔道の2種類用意)ずつやらないといけません。がんばります。

11月4日、東洋館(6:30開演)で行います「タクト音楽祭」(オーケストラと演芸のコラボ)が、芸術祭審査委員会の審議の結果、平成19年度(第62回)文化庁芸術祭参加公演に決定しました。他の参加公演を見ているとすごい師匠たちの公演ばかりですが、ボクのほうは気にせず、力まず、世間が見たことのないような公演にできればと思っています。チケット売れるといいのですが・・・。ぜひこの日はお友達お誘いのうえ見に来て下さいね。

その前哨戦というわけではないのですが、今月8月24日(金)に国立オリンピック記念青少年総合センター大ホールで、午後7時開演で行われる「CABARET」(キャバレー仕立ての楽しめるクラシックコンサート)に指揮者としてオーケストラを相手に数曲ふります。もちろん、世界指揮者人名事典です。
入場料は3,000円です。チケットが手元にありますので、ぜひボクから買ってください。広告はホームページのスケジュールにリンクしています「アンフィニオーケストラ」でも出てきます。
http://clainfiniproject.blog103.fc2.com/blog-entry-5.html

8月31日は四谷コタンでのライブです。
そこのマスターから「タクトさんたちのライブをしましょう」と言っていただきました。が、題名すら決まっていません。
でも、寒空さんたちとの自分たちの手作りライブですので、いい会にしたいです。夏休み最後の思い出に、ぜひ。
四谷こたん
http://www5f.biglobe.ne.jp/~YotsuyaKotan/

オオタスセリさんと、また夢の競演が実現します。

○10月18日〜21日 下北沢 小劇場楽園(約90席)
    『日替わり☆スセリ劇場 』《予約開始9/11》
   前売り2500円 当日2800円  開場各30分前   全6ステージ予定ですが、ぼくが出るのは19日です。
19日19時半「クラシックの夕べ」ナビ 永六輔・ゲスト齋藤真知亜・好田タクト
齋藤真知亜(まちあ)さんは、ご存知NHK交響楽団の第一ヴァイオリン奏者です。前回の赤坂でのスセリの会で、ボクは初競演しました。楽しみです。席が少ないので、売り切れが予想されます。
予約はボクよりも、直接スセリさんのブログやメールからのほうが確実だと思います。
 ♪ご予約はこちらに→ suseri524@yahoo.co.jp
スセリさんのブログは、http://suserin.exblog.jp/

先ですが、12月28日に銀座で行われる、福岡詩二師匠のプロデュース「おかしな音楽空間」に今年はでれると思います。
おそらく、オオタスセリさんもご一緒です。
昨年は、12月は国際フォーラムで「のだめフェスティバル」(一日3ステージ×10日間)で大忙しで、「おかしな音楽空間」は断りましたが、今年はそんなバブルはもうないでしょうから、バッティングもないでしょう・・・。

「タクト通信」でこまめに書き込んでいます私のエッセー、いかがでしょうか? エッセー(小説も)は「・・・の話」、告知はそのままの題名で書いています。例外は7/6の「パフィーの世界」(小説なのに、題名だけにした)。実際15年以上前のお笑い事情など、若い人はぴんと来ないかもしれませんができるだけ当時の状況をわかりやすく書いたつもりです。
次回からは、大道芸や海外での話なども書いていきますね。なんせ私は19カ国72都市をぶらぶらしてましたからよろず話はいっぱいあります。
ま、いろんなジャンルをタクト流切り口でどんどん書いていきます。

44タクト:2007/08/10(金) 22:36:37
芸人DVDショップオープン!
遂にショップがオープンしました。
私のホームページの中のお勧め商品(DVD)のページから、一番下のりんご「芸人DVDショップ」をクリックしてください。

http://6928.teacup.com/tact/shop

出たでしょう。遂にオフィスライス制作のDVDが。
「森はじめ」さんのが1枚と、「牧田博」さんのが2枚、計3種類のDVDがここから購入できます。
特にわが相方、森さんのDVDは最初「2008年元旦発売!」の予定が、もう出来上がってしまったため緊急先行発売しちゃいました。記録はハイヴィジョン映像です。
「こりゃ、来年からは定価は2,500円にするつもりだけど、今年いっぱいはサービス期間で2,000円にするわ!」
と、森さんは出来たてのDVDを見ながら、すごく嬉しそうに叫んでいました。最初面倒くさがっていた仙台での寄席出演もDVDが売れるとなると大はりきりで、舞台も全力投球、帰りのお客様へのDVD販売も全力投球でした。だから何十枚も売れてホクホクでした。
評判もいいです。コントも2つ入っています。
これからもどんどんいろんな幻の芸人にアプローチして、商品の種類を充実させていきますので、楽しみにしていてください。


それから、私のミクシィがあります。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=4680451

ノブ兄さんが作ってくれた「好田タクトふぁん倶楽部」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=939892

こちらもぜひ遊びに来てくださいね。

45タクト:2007/08/12(日) 19:28:56
或る『タクト日記』伝
一日、一日、何か体験しながら過ぎていきます。
そんなたいした出来事はないのですが、ちょっとつぶやいてみました。

自分のことを前から知っている人に最近、よく言われる言葉。
「げんきくん、やっているときは爽やかだったのに・・・」
そして避けられないメタボ症候群。
以前は何ぼ食べても太らなかったのに、最近は・・・。
ということでメタボ改善のためにも一念発起。
「ジェグザー」というフィットネスクラブの会員になりました。
ちょうどその頃、友達から、
「好田、今、何やってる?」
「息」
「ええねん、そんなんわ。売れない芸人まだやってるん?」
「うん」
「ふだん暇やろ。ちょっと助けてくれ」
ということで友達の経営する会社の営業を空いている日に手伝うことになりました。
朝タイムカードを押して「営業に行ってきま〜す」と言いながら、その足で毎日ジェグザーに行っていました。
が、それがばれて、友達から「助けにならん」ということで身を引くことになり、ジェグザー代も払うの大変だから辞めたら、リバウンドしました。
今だったら、レナード・バーンスタイン作曲の名作ミュージカルに出演できます。
 『ウエスト 再度 太ーリー』(ウェスト・サイド・ストーリー)

一週間ぐらい前からユーチューブに私の指揮者ネタをいくつか入れてみたら、世界中からすごくたくさんのアクセスがありました。
おそらく指揮者のスペルを入れて検索してきた熱狂的な音楽愛好者の方たちなのでしょう。
「バッド・ムービー!」
「ファック!」
など、励ましのコメントが寄せられました。
会ったこともない世界中の人たちにこんなに喜んでもらえるなんて、ユーチューブやミクシーって凄い、凄い!

毎月、10のつく日(10,20,30)と31日は東洋館では特別メンバーによる興行『特選寄席』の日。
ボクは指揮者芸15分と、コント15分、ほとんどがこのパターンでの出演依頼です。
同じ寄席に違う芸で2度出るのは、僕と相方の森さんだけです。
もう何十回、いや百回以上は出たでしょうか。
出番を組むKさんにも「タクトさんはおそらく、東洋館の特選寄席に一番出ていると思いますよ」と言われたことがありました。
こんなにいっぱい出て、しかも指揮者芸は変わり映えもしないから客も飽きるかなと思っていたら、どっこい最近は「見に来たよ」と声をかけられ、やってるときも「感激したらブラボーって声援してくださいね」「ブラボー!」「まだ、早い」てな感じでなんか身内みたいになってきました。
特に東京ユニットでは、「待ってました!」と声もかけられます。
ただ、寄席で何ぼ受けてもテレビからの出演依頼はありません。
それは、もう演芸担当のテレビ屋は寄席に見に来ないからです。
先週、仙台での寄席で一緒になった稲井さんというテレビ東京の演芸プロデューサー、もう一線を引かれたのですが、その稲井さんが「寄席に実際に足を運ぶ最後のテレビ制作者がボクだ」と言っておられました。
ま、今のテレビは吉本や在京プロダクションとべったりだから、外野の芸人はなにを言っても遠吠えのようにしか思われないけれどね。
その稲井さんが、一度「テレビ嫌いの寄席芸人」という番組を作ったらしいんです。
早野凡平さんとか出たんだけど、こんな骨っぽいテレビ屋ともっと前から知り合いたかったなあ。
まあ、これからも地道に全力投球していきます。
しかしボクはともかく、相方の森さんは糖尿を患っているから出番が重なるとしんどいらしいのです。
東洋館は若手もいますがベテラン芸人が多い劇場です。そんなベテランは森さんと同じ持病の方がかなりいます。
しかしみなさんプロです。舞台に命を懸けています。
師匠たちが劇場に来て、ため息混じりに言う言葉。
「今日も無事来ちゃったよ。糖尿館」

寄席あがりで、東京国立博物館に行ってこようかなとも思いますが、今日はペルセウス座流星群が出現のピークを迎える日です。晴天に恵まれれば、1時間に30個を超す流星が見られる可能性があります。国立天文台(長野県と山梨県境野辺山)は、
「13日明け方が狙い目になる。今年は13日がちょうど新月で、月明かりに邪魔されない最高の条件で観察できる」
 ペルセウス座流星群は、スイフト・タットル彗星が軌道上に残したちりが、地球の大気圏に飛び込んで光るために起こる現象です。ペルセウス座にある「放射点」を中心にして、四方八方に飛び出すように見えます。
世界的には日本時間の13日昼が活動の最盛期になると予想されますが、その前後数日は出現が続きます。
明石の天文科学館のふもとに住んでいたボクは、けっこう地学っ子です。共通一次試験も習ってもいない地学で受験しました。だから今日のような夜はワクワクします。
国立天文台は、同流星群に合わせ「夏の夜・流れ星を数えよう」キャンペーンを実施しているみたいだから、青春18切符でも使って行ってこようかな。行ったらガキばっかりだったらいやだな。
そういえば、流れ星が流れている間に願い事を3回唱えればかなうって言いますよね。
無理だわ、とも思えますが、
「金くれ金くれ金くれ」とか、「彼女彼女彼女」
こんな感じだったら一気に言えますよね。
何を願おうかな、と自分の欲望をニタニタ考えてたら、テレビでスケートの岡崎朋美さんが宿坊で修行する番組が流れていました。
和尚さんが、「あなたの願い事はなんですか?」
岡崎朋美さんいはく。
「みんなが幸せになることです」

また、一日一日、ダラダラと過ぎていきます。

46タクト:2007/08/15(水) 19:01:16
場所をわきまえろの話
森はじめさんのところへ行って打ち合わせ。
それが終わって帰ろうとしたら、森さんが、
「一緒に出よ。タバコ買いに行きたいから」
森さんは清澄白河駅のすぐ上に住んでいて、家の前は赤札屋。2人して入った。
「お兄さん、明日の出番、なんのネタします?」
「万引きやろうか。暑いから動くネタ、しんどいし」
「ボクも万引きだと助かります。指揮芸と衣装重なるから荷物楽やし」
「万引きやろう、万引ききちんとやろう。受けええよ」
「ボクも万引きやっていておもしろいですわ。万引きしましょう」
「万引き、万引き・・・」
周りの人たちがジロジロぼくらを見る。
はっ、とした。ここはスーパーのど真ん中。
大きな声で「万引きしょう」の連呼はまずかった・・・。

47タクト:2007/08/22(水) 13:16:04
私のDVDが完成しました。
前に話してました、私のDVDが完成しました。
ホームページ内にある「お勧め商品」から下にありますりんごのマーク「芸人DVDショップ」をクリックしてください。
「牧田博」さんと「森はじめ」さんと私「好田タクト」の欄が表示されます。
「好田タクト」の「商品一覧へ」をクリックすると、3種類商品が出てきます。

http://6928.teacup.com/tact/shop/01_01_01/

「詳しい説明」をクリックすると、あまり詳しくはないと思うのですが説明がでます。
一つは完成したばかりのDVD  2,000円です。
あとは、押入れに眠っていた著者割引で買っていた「クラシック音楽夢レース」(本)と、1990年に自主制作したVTR(ビデオテープ)。内容は出演者に”木下ほうか”や”シベリア文太”など豪華キャスト(?)でやった1990年5月21日ビブランシアター・ライブ、それに1988年5月14日難波花月(旧)でやった(もちろんほうかと文太も出ている)「ふろ屋のボレロ」計115分の「お宝ビデオ」(すべて私の演出)です。だって、世に出ていないシロモノですから。
かなり笑える内容になっていると思います。
本とビデオは各1,000円で、無くなり次第終了です。

どうも自分のことを宣伝するのは苦手です。
よろしくお願いします。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000087M.jpg

48タクト:2007/08/22(水) 23:41:24
美術好きの旅人にはこの一冊の話
今年のお盆は、なんでも史上最高の海外旅行ラッシュだそうで6万人近くの人が海外へ脱出したそうな。
日本では多治見と熊谷では40.9度という、体温よりはるかに高い国内最高気温を記録したそうな。
暑さに逃れて海外へ行きたい。しかし、金がない。
そんな雰囲気を楽しめる涼しいところは・・・!!
「そうだ! 美術館に行こう!」 (JRのCM「京都へ行こう!」みたいね)
というわけで、今、日本は世界的に見ても美術館の動員力はすごいんです。だから、西洋絵画の企画展がそこらじゅうで催されるんです。
でも、ちょっと今だけ夢をもってください。


前にも話したことがありますが、私は1995,96年と2回、ヨーロッパで半年間ずつ、昼は指揮者形態模写の大道芸、夜は歌劇場かコンサートに通うという旅をしました。
とは言っても、 実際は大道芸がしやすい街は限られていて、普通の街では日曜以外はなかなか大道芸は出来ません。日曜は宗教上の理由で本当に多くの店が休むので、街が自由な雰囲気の歩行者天国になります。それに雨が降ったときも大道芸はできません。
で、大道芸ができない時はどうするか?
美術館に行くんです。 しかもヨーロッパは安いんです。
その時に、この本は本当に役に立ったなというのがあります。

『ヨーロッパ美術館ガイド』(書籍情報社)

B6サイズ302ページだからポケットにも入る。ヨーロッパ中の美術館のどの部屋にどの絵があるか端的に説明していて情報量がすごい。
他に館内の見取り図、開館日時場所、巻末には用語と画家・彫刻家の詳細小事典が載っていました。
今でも発刊されているのかどうかわかりませんが、本当にコンパクトな名ガイドだと思いました。
この本が指針となって、今まで気にも留めなかった美術の世界にのめりこみ、もう全てと言っていいぐらいヨーロッパの美術館へは行きました。
日本に帰っても美術好き熱はますますヒートアップして、図書館で美術本を見まくり、ついでに日本美術も大好きになってしまった、この本が全ての源なんです。

さあ、この『ヨーロッパ美術館ガイド』をめくって、ヨーロッパの美術の旅をしてください。
ムリーリョ、ゴッホ、ルノワール、マネ、モネ、ボッス、フェルメール、ダリ、カラヴァッジオ、ダ・ビンチ、ラファエロ、ティエポロ・・・、みんな、あなたが来るのを待ってますよ。

美術好きで旅が大好きなあなた、役に立ついい話でしょう。
でも、この話には大きな欠点があるんです。
それは、“落ち”がないんです・・・。 (そんなん、いらんてか)

49タクト:2007/08/24(金) 01:46:11
タクトの美術得々情報の巻
8月22日の『美術好きの旅人にはこの一冊の話』の反響がわりとあるので、もう一発美術の話をします。
ただし今回は、エッセーでもなんでもないただの『タクトの得々情報』なのであしからず。


オルセーの裏技をひとつ。

オルセーはもちろん入場ゲートがあるのですが、右手側に荷物預け場所があるんです。
そこは中からも預けられるんです。
端的に言えば、入場ゲートを通らずに荷物預かり場所から素通りすれば館内へ入れるんです。
「えっ!?」という感じでした。もう10年前だけどね。

それから、お得な美術館パスがあります。

まずは、パリ パリのカルト・ミュゼ(ミュージアム・パス)

http://www.parismuseumpass-japon.com/

ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿などの人気の高い観光スポットでは、入場券を買うために切符売場に並ぶことが少なくありません。
その不便を解消するのが、「パリ・ミュージアム・パス」。
これは、パリとパリ郊外にある60カ所の主な美術館・博物館や史跡で有効なフリーパス券。
ぼくの時は1,3,5日間各パスがあって、ぼくは5日間コースで日本円で当時で2700円ぐらいで購入しました。
今は、2,4,6日各コースになっているみたいですね。
このパスを入場時に提示するだけで、お好きな施設に何度でも入れます。
ぼくはパリでルクサンブール宮殿横のユースホテルを拠点にしてまる3週間かけて、リストの美術館全制覇しましたよ。(自慢が入っている)
アラブ博物館とか凱旋門、世紀末画家のモロー美術館、においを集めた博物館(名前忘れた)などマニアックなのもありましたね。
そしてこのパスには、秘密の使い方があるんです。うふふ・・、3週間つかえる技が・・・おっと、これ以上話せません。

日本では、まずは、東京「ミュージアム・ぐるっとパス2007」

http://www.museum.or.jp/grutto/index.html

この「東京・ミュージアム ぐるっとパス2007」は、都内56の美術館・博物館や動物園・水族園などが入場無料です。(たまに企画展や一部では割引扱い)
これは便利でお得です。なんせ有効期限が2ヶ月ですから。
もう、4つぐらい行けば元を取れるでしょう。上野なんかは密集してますしね。
料金は一冊(チケット束になっている)2,000円
「ぐるっとパス2007スタンプラリー」も実施していて、グッズがもらえます。ぼくは一昨年版で5点セットをもらいました。ここのリストの美術館、博物館、水族館、動物園はほぼ制覇しました(2個ぐらい遠方は残した)が、正直子供向けの博物館もあるんです。そんなのは適当に。休みに行ったら大変よ、ガキの歓声で。
でもこのパスは2ヶ月有効なので暇人にはかなり遊べます。

関西もあります。

http://www.museum.or.jp/gruttoKANSAI/index.html

「ミュージアム ぐるっとパス・関西2007」がそれです。
パスには、無料入場券22枚、割引券59枚がついています。
大阪・京都・滋賀・兵庫・奈良・和歌山にある博物館施設、65館(博物館、美術館、ギャラリーなど)を利用できます。
一冊 1,000円  (3ヶ月間有効)
【参加施設内訳】
大阪エリア 22施設/京都エリア 18施設
滋賀エリア 4施設/兵庫エリア 9施設
奈良エリア 10施設/ 和歌山エリア 2施設
(合計 65施設)

確かに、美術好きにはたまらないパスだけど、暇人でないとちょっとこれらのパスはね。

当日急にというのなら、やっぱり格安チケットでしょう。
または新聞屋から主催の美術券をもらうか。ぼくの場合はアルト君。
これらの中にある、デパートの美術展は侮れませんよ。
ぼくは3年前に、東京の三越日本橋店で開催された「琳派展」を300円ぐらいで購入(定価は900円ぐらいだった)して行ったら、内容の充実ぶりにびっくりたまげた。
特に驚いたのは入り口に入ってすぐ左に、一双屏風で俵屋宗達作、『雷神図屏風』があったんです。これは、有名な国宝『風神雷神図屏風』とはまったくの別物で、雷神図だけの絵なのですがすごい堂々とした迫力ある絵だったんです。
どうも最近発見されたので、まだこんなすごい絵が、国宝にも重要文化財にも指定されてません。
あらゆる図書を探してもその絵はまだ載っていません。
こんな未知との遭遇もあるんですね。

以上がタクトの美術館・得々情報でした。
それと、前回薦めた本、『ヨーロッパ美術館ガイド』(書籍情報社)はもう廃刊みたいですね。良書なのに、残念!

えっ? また、“落ち”がない?
いいんです、パリに行けばミレーが代わりに『落ち穂拾い』してくれますから。

50タクト:2007/08/25(土) 03:22:52
ぶら〜ぼの話
最近、ミクシィの日記の書き込みを小まめにやっていて、その内容が『タクト通信』と重なることが多いと思います。
どちらかしか見れないという人のことも考えてしまって、両方に掲載することが多いですが、必ずしも内容がすべて一緒というわけではありません。
時々はこちらの『タクト通信』でしか書かないエッセイも入れていきますのでよろしくお願いします。
ただし、今回の「ぶら〜ぼの話」はエッセイではないのでミクシィの日記にも載せました。

昨日、国立オリンピック記念青少年総合センター大ホールで催された、「CABARET」(キャバレー仕立ての楽しめるクラシックコンサート)で世界指揮者人名事典として生オーケストラを相手に指揮してきました。
けっこう、この日を迎えるにあたりプレッシャーがありました。実際、アンフィニオーケストラとは過去3回共演して指揮はしていますが、今回は規模も倍になり、かなり達者なプロ(ドイツのオーケストラで首席フルートを5年やっていた新谷しのぶさんやトランペットの壽山忠身さん)も加わっているし、新しいメンバーも多いので協力してくれるかなと心配していたんです。
でもそんなのは杞憂に終わりました。
プログラムを見て、「あっ、最後の出番だ。もう腹をくくるしかない」
ボクの指揮する演奏は3人の指揮者でのトリッチトラッチポルカをやった後、最後はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。
演奏中、ぐんぐんスウィングしていくのがわかり、最後の音がホールに鳴り響いた後、少しの静寂があって、最後、お客さんのかなりの方々が、
「ブラボー!」
と叫びながらスタンディングオベーション(お客が立って拍手をする)してくれました。
(これはビデオにも撮っているので、いずれは皆さんの前にお見せする機会もあると思います)
帰りでの大雨で、讃岐うどん「はなまる」で105円のかけうどんに天かすとカツオ節を山ほどかけて店員に怪訝な顔をされながら、1時間半粘って雨がやむのを待つのも、心地よい高揚感が残っていたので苦になりませんでした。
お忙しい中、来ていただいた皆様(本当に忙しい人は来れないと思うけど)、どうもありがとうございました。
こちらからも、お礼の意味をこめて、
「ぶら〜ぼ!!」

森さんの入院の件で、皆様に心配をしていただいて本当にありがとうございます。
森さんの話だと、8週間入院予定だということです。
ボクは、時々見舞いに行って、この際だから「東京ユニット」の新ネタを幾つか作って、復活した暁には、「復活ライブ」が出来るぐらいに仕込んでいきたいと思います。
だから、皆様、森さんの退院を心待ちにしておいてください。

51タクト:2007/08/25(土) 13:00:21
うれしいコメントの話。
ぼくの高校時代のブラスバンドで一緒にやっていた、その時はクラリネットを吹いていた女性で、今は「いきものがかり」のボーカルとだいたひかるの区別がつかないようなチャーミングな友達がいるんですが、ほんとうにうれしいコメントを送ってくれたので、今回はそのまま彼女が書いてくれた文をコピーして貼り付けます。
ぼくは気が小さいので、ちょっとした批判めいたことでも落ち込むし、こんなことを書いてくれたら俄然元気がでます。自分だけで楽しめばええやん、と思われますよね。でもうれしいんです。

(以下、友達のコメント文)

先日、偶然ネットで発見しマイミクに承認しあった高校時代の友人好田タクト氏が出演されるというのでコンサートに行って来ました。
たまに東京に出てくるという関西人はいても、案外阪神間から東京に移住している友達は少なく、東京在住の友達を見つけると嬉しいものです。

好田氏とは学生時代、そんなに話をいっぱいしたという記憶はないのですが、今でいう「不思議くん」系のキャラだったと思ってました。
あんまり怒ったところも見たことないし人の悪口を言ってるところも見たことないし女の子にもてているところも見たことがない(笑)。
高校出たあとでお笑い系に進んだと聞いたときは正直ちょっとびっくりしたという感じ。あんまり目立つポジションよりも隅っこの方でニコニコ笑って全体を見ている感じだったっけ。

最後に直接会ったのは高校の部活の顧問の定年退職飲み会だったかな。
そのあとは上の子がテレビで見ていたNHK教育番組の「あしたもげんきくん」という、教育番組なのか深夜放送ネタ番組なのかよくわからないわりと変な番組。

現在は指揮者の形態模写という、クラシック音楽の中でもごく一部のマニアにしかわからないであろう芸をするという、おそらく世界でただ一人のジャンルの芸人。
何年か前に彼が出した本を夫が見つけて買ってきました。
「クラシック音楽夢レース」
うちの夫ですら(ハードなオタ)よくぞこんな指揮者を…と言うものまで紹介されていて、変な本です。マニア向け。

んで、参宮橋の国立オリンピックセンターの大ホールで棒を振るというので行ってきました。

正直、学生券も出ているコンサートなんでレベルはそんなに期待してませんでしたが、なんとこれが思いもかけずハイレベルな楽団で少人数なのにホールをガンガン鳴らしておりました。
でもNPOなんですかね、この母体が。だから宣伝あんまりしてないのか入りが悪くて三分の一くらいでした。もったいない。
そんな感じで好田氏は2曲を振りました。
私は詳しくないんでイマイチですが、トリッチトラッチポルカでは3人の指揮者の形態模写メドレー。会場からは笑いが沸きますが、よく考えると有名な指揮者ってわりと雰囲気だけで棒を振ってるなという部分が見事に表現されていて、つまり楽団員は「指揮者なんてイラネーよ」と「のだめ」にあったようなことを思っているのかなと思わせる感じが出ていました。
2曲目がニュルンベルグのマイスタージンガー。
こんな小編成(めいいっぱい集めて30人くらい)でワーグナーできるんか?と思いましたが、これができるんだね。上手いオケだと。
最晩年の朝比奈隆で、これは本人の熱烈なファンが見たら怒るだろうけど、そうでない人間が見たらあまりの芸達者に笑えるものでした。
曲の中盤くらいになると気がゆるんで自分のスタイルが出そうなもんですが、一貫して「朝比奈隆」が振っておりました。
お見事!
ああ、一流の芸人やなぁと思ってしまいました。
音楽室の隅っこでチューバ抱えて大人しくしていた彼とは思えぬ雄弁なステージになんか、お母さんの心境にすらなってしまいました。


出演依頼はどうぞご本人に。

52タクト:2007/08/27(月) 02:11:35
ボクの感覚がずれているのか・・・の話
26日になっても、暑さが続く。
中学校の時、お盆の頃、夕方、半そでで外に出たらすごく寒い思いをした。

  あ、お盆を境に夏は終わるんやな・・・

その時に覚えた確信は、この温暖化の現代では完全に崩れさってしまった。

暑い中、秋葉原までカートリッジ用詰め替えインクキット6色セットを買いに自転車で行く。
DVD自主制作などのためにプリンター機で印刷をするのには、このタイプが一番安上がりだ。
シベリア文太から「兄さん、ほんま、ドケチノフ・セコセコビッチやな」という声が聞こえてきそうだ。
しかし、ない。どこにも、ない。
インターネットで調べて来たつもりだったのに。

  もう、暑くてたまらんがな!

結局、ヨドバシカメラにあるのは分かっていたので、散々安い店で探した挙句、ヨドバシでそれを買った。
そして急ぎ、次の目的地へ。


「遅いなあ、ちゃらんぽらんの冨好君、お前と会うの楽しみにしとったのに・・」
と、Wヤングの丸兄に毒づかれながら5656会館5階の浅草花月のなかへ。
ボクは招待券で入ったので席は一番後ろ。
満席ではないがわりと埋まっている。はとバスコースにもなっているのだろう。
なにげなくチラシに書いてある入場料の金額を見てびっくり。
  4,500円? 高っ!
浅草花月の興行は2時間。一日3回興行を打つ。もちろん入れ替え制。
最初は若手漫才が4連発だ。10分づつ演じる。テレビで見る顔も一組いた。

  おもろないなあ。ボクの感覚がずれているのかなあ。

Mr.マサヒロさんのマジック。ここから各自持ち時間15分。

  懐かしいなあ。そう言えば、新喜劇の今岡まきこ姉さん、後見やってたなあ。

ちゃらんぽらんさんが出てきた。テンポのある漫才で、客席がかなり起きてきた。

  昔、よく世話になったなあ。大西さん、7月の上野ミズドリ水上ステージで行われた東京演芸協会の総出演のイベントにひょっこり来て言うてたなあ。「東京で勝負かけるねん」 今から勝負かけるんかあ・・。 確か今、両国に住んでいるんちゃうかなあ。

Wヤングさんの登場。迫力ある漫才に場内大爆笑。

  先日、日テレで放送された『笑点』でのネタとちゃうなあ。さすがやなあ。考えて見ればWヤングって、やすきよと並ぶ漫才の横綱やってんもんなあ。丸兄は2代目の相方でそれでももう組んで23年たつんやなあ。平川師匠にもさっき挨拶しといてよかった。「東京きたら、ずっとキミがいるなあ」って言われたなあ。そして師匠は「さっき東洋館に前に行ったんや。懐かしい名前が並んでたなあ」やっぱり、浅草ってベテラン芸人が似合う町なのかなあ。ボクはなんやろ。

ネタの中で、丸兄が平川師匠に、
「ほんま、ええ人ですよ、このアホは」「ええ声してるなあ、死にぞこないやのに」 けっこう遠慮なしだ。
散々暴れまわった挙句、「うちら正統派漫才やのに」 どこがや!

ぼんちさんの漫才、桂三枝師匠の落語と続いて興行は終わった。
帰り、丸兄を待っていたら吉本の社員と出てきた。
「新喜劇にいた好田ですねん」と、丸兄が社員に言ったら、
「あの時は、かわいらしい顔しとったなあ」
丸兄に、後で、
「あの方、どなたでしたっけ?」
「忘れたんかいな。○○さんや」
  18年という歳月はおそろしいなあ。

浅草の居酒屋に丸兄と入った。
「冨好君も東京に来るみたいや」
「家族いるんでしょう?」
「ちゃらんぽらんは両方奥さんおるよ。子供もおるわ」
続けて丸兄は、
「東京はええわ。好田がおるし。東洋館の看板見たで。忙しそうやな」
「いいように見えるだけですよ。みんな、全然暇ですよ」
「じゃあ、来月も頼むわ。野球見に行きたいなあ」

丸兄といい、今や吉本新喜劇で一番偉いと言われる内場勝則兄さん、スーパー座長と人は言うけれど、どうしてこう内弁慶なんだろう。ほんま、ようボクを誘うわ。
他に会う人おらんのかいな。
内場兄さんなんて、奥さんの未知やすえ姉さんから、
「好田君、あんまりウッチーに酒飲まさんといてよ。好田君とやったら遠慮なしやから」

ま、誘われるうちが花なんでしょうけど。

53タクト:2007/08/30(木) 19:33:56
森さんの病室が変わりました。
先日、コント「東京ユニット」の相方の森さんが緊急入院されたのを話しましたが、その病室が変わりました。

B棟460号室(相部屋)です。

ただし、9月4日は手術の日なので、この日は面会に行っても会えないと思います。

入院先の病院は、JR京葉線新浦安駅(東京ディズニーランド舞浜駅の次)ちかくにある順天堂大学付属病院。
(住所 )千葉県浦安市富岡2丁目1番1号   047(353)3111

面会時間は、午後2時から8時までです。
暇を持て余していますので、見舞いに行かれたら喜ばれると思います。
ボクは見舞いに行く時は、チャリンコで行ってます。

明日8月31日は、「四谷こたん」でのライブです。
東洋館の出番の後、コタンに向います。
夜7時開演です。おもしろいです。ぜひ来てね。

執筆活動もいよいよ本気モード、しばらくは「タクト通信」のエッセイはお休みです。

54タクト:2007/09/01(土) 01:58:53
とりあえず、ホッ・・・の話
「四谷こたん」でのライブ、無事終わりました。
思った以上のお客さんがきてくれて、ほっとしています。

昼は東洋館の出演、夜がコタンとダブルヘッダーでした。
コタンでは50分間、いつもとは違う形でめいいっぱい演じました。
共演の寒空はだかさん、東京ガールズさんも熱演されてよく受けられていました。

これからも、四谷コタンでの活動も、大切に頑張ってやっていきたいと思いました。

55タクト:2007/09/01(土) 13:19:14
『タクト音楽祭』のチラシ公開中。
『タクト音楽祭』のチラシが私のホームページのトップページで公開しています。

http://www.geocities.jp/butsuzou28/index.html

チケット受付開始は、まだ未定です。
後日また詳細します。

56タクト:2007/09/08(土) 09:34:12
『江戸川雑学大学』講演
最近、部屋で缶詰になって執筆に追われていますので、書き込みがおろそかになっていて申しわけございません。
それなのに、告知だけはしっかりします。

9月9日(日)に「江戸川雑学大学」で2時間、講演します。
大道芸もすることになると思います。
観覧は自由ですし、無料ですのでお時間がある方はぜひ聞きに来てください。
おもしろい内容になると思います。
以下は「江戸川雑学大学」のホームページに記載されていた内容です。

お問い合わせ先

【事務局】

江戸川区一之江6-17-16

代表 小棚木隆光

Tel03-3651-4562

Fax03-3652-4693

日 時:9月9日(日)Pm2:00〜Pm4:00
会 場:都営新宿線「一之江駅」西出口駅前広場
テーマ:「クラシック音楽をもっと楽しく」<大道芸と講演>
講 師:東京都認定・東京都ヘブンアーティスト 好田タクト先生
○演芸番組・NHK教育TVの出演や吉本新喜劇に入団経験をもち、浅草東洋館や都内の寄席に定期的に出演されている。フランス、パリでのノンテール国際演劇祭にも招待されており、世界各地で大道芸をやりクラシック音楽の魅力を伝えたいとオーケストラの指揮者を形態模写で本物のように汗だくで熱演されます。
わざわざ一之江に来てくださり大道芸の披露と講演に出演してくださいます、お楽しみに

57タクト:2007/09/09(日) 19:43:32
きょうの講演のお礼と、タクト音楽祭の出演者・プログラムについて
今日の「江戸川雑学大学」に、来ていただいた方々、ありがとうございました。
「ホームページとか見て、来た人」って話をしたら、何人か手があがったので、改めてネットパワーに脱帽。
そして、わざわざ来ていただいて私の2時間の講演を拝聴していただいた方々、江戸川雑学大学のスタッフの皆様にも心から感謝いたします。
ありがとうございました。

11月4日の「タクト音楽祭」のチラシ、ポスターのデザイン作りが最終段階に入っています。
そこで、出演者のプロフィールと、プログラムを原稿から抜き出してご案内します。

<出演者>

・名和美代児(なわみょうじ) 日本一の名司会者。水前寺清子、三橋美智也、村田英雄、大月みやこなどの専属司会をつとめ、昭和のテレビ・ラジオでも活躍した。今回は、司会と、神業ともいえる「汽車音まね」でオーケストラと対峙する。東京演芸協会理事。

・森はじめ コントの神様。コントらぶこ〜る時代には、日本テレビ「お笑いスター誕生」でチャンピオンになった。師匠のレオナルド熊譲りの円熟味のある芸風は今がまさに旬。好田タクトとのコンビ「東京ユニット」は、寄席ではトリ(最後)での出番が多い。

・福岡詩二 ヴァイオリン・パフォーマー。浅草の芸をずっと守り続けてきた一人。大道芸の名人としても知られ、野毛大道芸の草分けでもある。大正演歌の顔も持つ。東京演芸協会理事。東京都認定へブン・アーティスト。

・京本千恵美 世界的に活躍している、日本有数の女性コメディアン。パントマイム等の身体的なコメディーは、各方面の評価も高く、ブレーク中のオオタスセリさんのライブでも、欠かせないキャラクター。東京都認定へブン・アーティスト。

・大飼道雄 テノール歌手。クラシックからポップスまで幅広い活動。日本人離れした歌唱力にどぎもを抜かれてください。

・クロード小林 アンフィニ・オーケストラの音楽監督。ベルリンでのプロオーケストラ演奏活動を経て、帰国後、1900年初頭からヨーロッパで流行った、サロン型オーケストラの普及に努め、観客とより近くになる演奏会を目指している。好田との出会いは、寄席通いをしていた小林氏が、「なんだ、これは」と、声をかけたことから始まった。

・アンフィニ・オーケストラ 海外オーケストラ在籍経験者や、国際コンクール入賞者を演奏者に揃える、サロンスタイルのプロオーケストラ。好田は何回か指揮をしたことはあるが、クラシック音楽側のオーケストラが寄席の舞台に上がって演奏するのは画期的なこと。アウェイ状態で、どんな演奏会になるのか、団員でもわからない。

・好田タクト 世界で唯一、著名な指揮者の形態模写を永年やり続けている。東京演芸協会会員。東京都認定へブン・アーティスト。著書「クラシック音楽夢レース」(キングベアー出版)、「もう一つの上方演芸」(たちばな出版)。今回、この音楽祭にあわせて、新たな本が出版されるという噂が・・・?

<メニュー>

・世界指揮者人名辞典 小澤征爾、朝比奈隆、カラヤン、ジェームス・レヴァイン、カルロス・クライバー、ストコフスキーもどきが多数登場。曲はワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、パッヘルベルのカノン等。
・京本千恵美の白鳥の湖、他
・迷ヴァイオリニスト カーネギーホール演奏再現。
・ホースとじょうごとオーケストラのための狂騒曲
・天国と地獄 JR編
・東京ユニット「万引きコントとその後」生オーケストラ入りバージョン
・名人対決 汽車音楽は発車できるのか?
・ラデツキー行進曲、星条旗を永遠なれ、お客様参加協力型。
・オペラーマン参上 プッチーニ「誰も寝てはならぬ」、タイム・ツー・セイ・グッドバイ、大阪弁の魔笛。          Etc・・・

・開場時間の6時から、オープニング演奏で皆様をお迎えいたします。
音楽祭は約2時間 終演は8時半の予定です。

       (なお、メニュー、出演者は変更の場合もおおいにございます)

58タクト:2007/09/21(金) 08:49:57
脱稿しました。
しばらく、BBSの書き込みができなくてすみませんでした。
依頼されていました原稿が、なんとか脱稿しました。

この20日間、演芸の仕事以外はずっと缶詰。
睡眠時間も3時間に抑えて、特にこの3日間は不眠不休でした。

おそらく、出版は11月の「タクト音楽祭」には間に合わせてもらえると思います。
各書店の店頭にも並ぶと思いますので、どうぞ楽しみにしていてください。

今回、勉強になることが多々ありました。
ひとつには、エッセイ集などを短期間で書く方法のひとつを編集者から教わったことです。

まず、内容が予想される目次の題名を細かく立てる。
50とか100とか。
MDなどに口頭で録音し、あとで口頭筆記を自分でする。
実際、口頭筆記はしなかったが、全体の目次を立てるのはかなり効果があった。
目次を立てないと、書き始めは順調でも必ず詰まる。
目次を立てると、書くことが浮かばなかったら飛ばして、書きたいところから書く。
パズルみたいに、徐々に全体が埋まっていくようにする。
ずっと目次を意識していると、書きたいことがあるとき、ぱっと浮かんでくるものです。

どうです。これから何か書こうとしている方、ぜひ一度、お試しあれ。

本に関しての詳細は、また後日書き込みます。

59タクト:2007/09/21(金) 08:53:44
さあ、再始動。
眠い目をこすって、いざ東洋館へ。
劇場スタッフに、早速「タクト音楽祭」のポスターを何枚か貼ってもらい、チラシを置く。
楽屋に入って、ニュースペーパーさんと挨拶。
安倍退陣で、安倍、小泉、麻生、福田物真似の政治ネタで今、テレビの出演、新聞の取材とすごく忙しい。風が吹いている。
舞台をつとめ、ロビーでお客としばし歓談。
帰りに浅草のいくつかの店に置きチラシを頼む。

家に帰り、しばらく相手できなかった猫と、ねこじゃらし。
西新宿に行って、アンフィニと打ち合わせ。
「絹16・ぎゅっと渦」をやっている下北沢空間リバティに行って、音楽祭のチラシ入れ。
会場で木村まりさん、寒空はだかさん、だるま食堂さん、スタッフと挨拶。
25日は私の出番だ。オオタスセリさんも一緒。気合が入る。

夜、新宿で大阪からルミネ出演に来ている吉本のWヤングの丸兄と、シベリア文太と3人で魚民で飲み、麺通団のうどんで締め。
夜中、昼間あれだけ眠たかったのに、目が冴えてしまっている。
完全に生活サイクルが変わってしまった。

今日から、「タクト音楽祭」に向けてチラシを配りまくつもり。
いいものを提供したい。

60タクト:2007/09/23(日) 13:02:22
♪『タクト音楽祭』チケット受付開始
♪『タクト音楽祭』のチケット受付を開始します。

日時:11月4日(日)6:00PM開場

場所:浅草東洋館(浅草演芸ホール右隣入口)

料金:3,000円

チケットの申し込み:03−3368−2043、E−mail:ticket@art-music.net

今回は、日本サロン・コンサート協会のチケットシステムを利用しています。
公演名、お名前、人数をお知らせください。
振込先をお聞きの上、振り込んだ時の控えを会場にお持ちください。それでチケットと交換の照合になります。
もしくは、チケットを郵送します。
わからない点がございましたら、ホームページにあるオフィスライスからのメールか、私に直接(メールでもかまいません)ご連絡ください。
ご返事いたします。

チケット買っていただける方や、告知していただける方がいらっしゃったらぜひご紹介ください。
どこへでもかけつけます。

生オーケストラと浅草芸人のミスマッチ。文化庁芸術祭参加公演。

<出演者>

・名和美代児(なわみょうじ) 日本一の司会者
・森はじめ コントの神様。好田タクトとのコンビ「東京ユニット」の相方
・福岡詩二 ヴァイオリン・パフォーマー
・京本千恵美 日本有数の女性コメディアン
・大飼道雄 テノール歌手。
・クロード小林 アンフィニ・オーケストラの音楽監督
・アンフィニ・オーケストラ サロンスタイルのプロオーケストラ。
・好田タクト この音楽祭にあわせて、本が出ます。

<公演メニュー>

・世界指揮者人名辞典 小澤征爾、朝比奈隆、カラヤン、ジェームス・レヴァイン、カルロス・クライバー、ストコフスキーもどきが多数登場。曲はワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、パッヘルベルのカノン等。
・京本千恵美の白鳥の湖、他
・迷ヴァイオリニスト カーネギーホール演奏再現。
・ホースとじょうごとオーケストラのための狂騒曲
・天国と地獄 JR編
・東京ユニット「万引きコントとその後」生オーケストラ入りバージョン
・名人対決 汽車音楽は発車できるのか?
・ラデツキー行進曲、星条旗を永遠なれ、お客様参加協力型。
・オペラーマン参上 プッチーニ「誰も寝てはならぬ」、タイム・ツー・セイ・グッドバイ、大阪弁の魔笛。          Etc・・・

・開場時間の6時から、オープニング演奏で皆様をお迎えいたします。
音楽祭は約2時間 終演は8時半の予定です。

みなさまのご来場を心からお持ちしております。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000105.jpg

61タクト:2007/09/25(火) 09:48:38
東京国立博物館の熱い日
昨日、出版社のかたと打ち合わせ。
書き上げた原稿が没の嵐。うっっ・・・。
手直しもけっこうあって、まだ数日は地獄の日々が復活。
でもこだわりの中でのプロセスなので、これは当然、さあ最後のがんばりだ。

23日(日)は町田森野住吉神社で、奉納寄席に行ってきた。
二つ目になられた談奈さんの司会のもと、講談の貞秀さん、福岡詩二さん、だるま食堂さんとご一緒。
みんな気心知れた人ばかり。
お母様のあとを引き継がれた美人の娘さんが、東京プロデュースセンター(興行会社)を仕切っていくことになりそうだ。
だるま食堂さんは、いまや女性コントとしては日本一の貫禄。10月下旬にはお芝居もされます。

今日は、下北沢にあるしもきた空間リバティで「絹16・ぎゅっと渦」の本番。
オオタスセリさん、寒空はだかさんも出る。私もがんばります。まだ、当日券も出ると思いますので、ぜひ来てね。開演8時です。

これからは、美術に興味のない方はスルーしてください。

いま、東京国立博物館は一年で一番熱い時期です。
それは、今年も、秋の中国美術の名品展として「中国書画精華」と「東洋の名品―唐物」が開催されているからです。

日本には古くから中国の書画、名画が舶載され、それらは日本美術にも大きな影響を与えてきた。
それらはもう中国には伝わることがなく、今日、日本においてのみ伝世しているものも少なくない。
中国の芸術の神髄、唐・宋・元・明・清の歴代の書画が東洋館で(寄席小屋ではない)、「東洋の名品―唐物」は本館で陳列されている。
期間は2ヶ月だが、入れ替えがあるので1ヶ月だけの展示もある。

はっきりいって、ラインアップがすごすぎる。

梁楷の三幅対のほか、伝胡直夫の夏景山水図(久遠寺蔵)、伝毛松の猿図、青磁下蕪瓶(アルカンシェール美術財団蔵)、青磁茶碗(銘 馬蝗絆)など、唐物の名品がおしげもなく出展されている。展示作品は以下のとおり。

国宝 夏景山水図 伝胡直夫筆 南宋時代・13世紀 山梨・久遠寺蔵
国宝 雪景山水図 梁楷筆 南宋時代・13世紀
国宝 出山釈迦図 梁楷筆 南宋時代・13世紀
国宝 雪景山水図 伝梁楷筆 南宋〜元時代・13〜14世紀
国宝 青磁下蕪瓶 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀 東京・アルカンシェール美術財団蔵
重要文化財 二祖調心図 伝石恪筆 南宋時代・13世紀(2007/9/30まで展示)
国宝 十六羅漢図(第三尊者) 北宋時代・10〜12世紀 京都・清凉寺蔵(2007/9/30まで展示)
国宝 十六羅漢図(第五尊者) 北宋時代・10〜12世紀 京都・清凉寺蔵(2007/10/2から展示)
重要文化財 寒山拾得図 伝顔輝筆 元時代・14世紀(2007/9/30まで展示)
国宝 紅白芙蓉図 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197)(2007/10/2から展示)
重要文化財 山水図 李在筆 明時代・15世紀(2007/10/2から展示)
重要文化財 四万山水図 文伯仁筆 明時代・嘉靖30年(1551)(2007/10/2から展示)
国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆 南宋時代・12世紀(2007/10/2から展示)
花卉雑画巻 徐渭筆 明時代・万暦3年(1575) 高島菊次郎氏寄贈(2007/10/2から展示)
国宝 碣石調幽蘭第五 唐時代・7〜8世紀
国宝 古文尚書巻第六 唐時代・7世紀
国宝 世説新書巻第六残巻  唐時代・7〜8世紀
国宝 王勃集巻第二十九・三十 唐時代・7〜8世紀
行書虹県詩巻 米ふつ筆 北宋時代・崇寧5年(1106)
王史二氏墓誌銘稿巻 黄庭堅筆 北宋時代・11世紀
楷書玄妙観重脩三門記巻 趙孟ふ筆 元時代・14世紀

いまでこそ、日本の国宝(絵画)は雪舟や俵屋宗達、狩野永徳、尾形光琳などが幅を利かせているが、幕末まではなんといっても、梁楷や牧谿、李迪が第一位だった。

今回のなかでも、『紅白芙蓉図 李迪筆』と『雪景山水図 梁楷筆』は特に秀逸だ。
これを見ることができれば、いつでも死ねる?

しかも、常設会場での展示だから、600円。(先日の敬老の日はただだった)。パスポートを持っていればもちろん何回も行ける。
しょうもない、美術展に多くの人にまみれていくよりも、はっきり言って全然価値がちがう。

この期間は、東京国立博物館が秘かに勝負をかけている、「熱い時期」なのだ。

62タクト:2007/09/28(金) 06:14:53
没原稿供養。第二回「コンバットマーチ」の話
没原稿の第二弾です。
時間のない方は、スルーしてください。
なお、母校の明石南高校はいまは吹奏楽の名門で、普門館(吹奏楽の甲子園)にしょうちゅう出ています。


      コンバットマーチ


コンバットマーチ・・・《(和)combat+march》野球で、応援団が味方のチームや選手のために吹奏する応援曲。

私たちの世代は、少年時代には梶原一騎作・川崎のぼる画の「巨人の星」というスポ根野球漫画がテレビで3年間放送されたこともあって、すごく人気があってその影響でまわりでもかなり野球少年が多かった。
私も中学時代は野球部だったが、明石南高校というところに入学して一年生のときの担任が音楽の高橋先生だった。
その高橋先生から勧誘を受けた。
「好田、音楽好きやったらブラスバンドに入れへん?」
「じゃあ、僕はフルートが好きやから、フルートやりたいです」
「よっしゃ、よっしゃ」
中学時代の野球仲間からは、
「好田、高校でも一緒に野球やろうや」
「あかん、あかん。兵庫県なんか滝川とか報徳とか東洋大姫路とか強い私立がいっぱいあんのに、公立が甲子園いけるわけない。
僕は好きな音楽するわ」
で、私はブラスバンドに入り、野球部は私が2年生のときに夏の甲子園に出てしまった。

ブラスバンドに入ったら、高橋先生は、
「好田、フルート経験者でいっぱいやねん。
 運動やってた好田にはこれがええわ。合奏では大事な楽器や」
と与えられた楽器がチューバ。
うつぼかずらのような形で最低音を受け持つでかい楽器だ。
しかも写真撮られたら、広島の古葉監督みたいに顔が半分隠れる。
そして野球部を応援するときには、ミッキーマウスの絵などが張られたスーザフォーンというむちゃくちゃ重たい楽器を肩から担いで演奏することになる。
後ろの女の子から、
「好田君、見えへんやないの!」
「無理ゆうなよ。俺、こういう楽器やねんから・・・」

県の予選であれよあれよと勝ち抜いていく野球部をアルプススタンドから応援しながら心の中で、

  もう充分やろう。楽しんだやろ・・・

願いむなしくわが母校の野球部は、後のドラフトで巨人に一位指名された好投手林を擁する市立尼崎を決勝戦で1−0で破ったのだった。
なんでも県立高校が甲子園に出るのは60年ぶりだとかで(古くは明石ー中京の延長25回があった)、明南(母校の愛称でめいなんと呼ばれている)は大騒ぎ。
「いよいよ甲子園や! 応援頼んだで!」
「吹奏楽コンクールと日にちが重なってます・・・」
「アホ! 甲子園とコンクールどっちが大事や!」

明南は1回戦は不戦勝。
2回戦は東北ナンバーワンの安積(あさか)商業。
もうこれまでやろう・・・。
奮闘する野球部。しかも真夏の炎天下。延長14回・・・
アナウンサーが、
「甲子園球児は大変ですねえ」

  俺のほうがもっと大変じゃ・・

僕の楽器は本当に大変なのでいつも汗ダクダク。
今だったら「ハンカチ王子」だ。
もう何百回吹いただろう。心のこもっていないコンバットマーチを。
アルプススタンドからの僕の願いもむなしく、明南はまたも勝って3回戦へ。
そこで日大山形に敗れて、やっと私の夏も終わったのだった。

二学期が始まって、野球部で大活躍した同じクラスの細田君が、しょっしゅう私を家に呼んで、しばらく遊んだ後、お菓子が出てきて、
「じゃあ、そろそろあれ見よか」
いつも見せられるのは、甲子園で3塁打を打った細田君の雄姿が写ったビデオだった。
そこには私の吹く心のこもっていないコンバットマーチも、しっかりと録音されていた。

63タクト:2007/09/29(土) 14:10:17
10月30日に実業之日本社から私の新刊が、800円で発売
★10月30日に実業之日本社から私の新刊が、800円で全国書店にて売り出されます。

本のタイトルは火曜日に決定します。
「タクト音楽祭」は、新刊お披露目コンサートにもなります。
ちょっと、今から急な展開でドキドキしています。

「タクト音楽祭」のチラシ、またはチケットご希望の方は、お問い合わせのメッセージ欄に住所と名前を書いて送ってくださいね。
ちなみに、東洋館や上野広小路亭など、お世話になっている寄席にはチラシはもう置いています。

64タクト:2007/09/30(日) 17:23:16
『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』
今度でる本のタイトルです。
これでいくと、編集長が言っていました。

実業之日本社
じっぴコンパクト(新書のシリーズ名)

好田タクト著
『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』
税込定価800円
2007年10月31日全国書店にて発売予定

立ち読みだけせずに、買ってね。

11月4日の『タクト音楽祭』でも販売予定ですが、混雑するとどうなることやら。

65タクト:2007/10/02(火) 22:03:27
『お笑い大行進』あります
今度の日曜日に目黒で催される東京演芸協会の『お笑い大行進』、自分の『タクト音楽祭』のほうに必死で、告知しそこなっていました。

★「東京演芸協会創立四十五周年記念特別公演」
  秋祭り
 『お笑い大行進』

 平成19年10月7日(日)
 目黒区民センター(JR目黒駅(西口)、東急目黒駅より徒歩10分)
 開場 12:00 開演 12:45 終演 20:00(出入り自由)

 東京演芸協会の芸人総出の記念演芸です。ウクレレ漫談「あ〜、いあんなっちゃった、おどろいた♪」の会長の牧伸二はじめ、野菜漫談はたのぼる、松鶴家千とせ、原一平、ミスター梅介、サムライ日本、ぶるうたす、あさひのぼる、三増紋也など、はっきり言って「懐かしい味」オンパレードです。
7時間もありますので、日曜の午後はたまには、「昭和のレトロ」、名人芸(?)オールウェーズに浸りませんか。なんせ東京演芸協会60名の芸人が一堂に揃って出るのもそうそうありません。
私は今回は、「東京ユニット」の相方の森さんが入院中ですので、ピン芸の指揮者芸「好田タクト」で出ます。出番は、13:50頃だと思います。いつもはこういう会は、芝居とかにも駆り出されて忙しいのですが、今回は『タクト音楽祭』の告知だと割り切っています。
出番以外は、『音楽祭』の前売りなどの受付をするためにロビーで暇していますので、どうぞ会場に来た方は私と遊んでやってください。

出演者は、10枚ずつチケットを持っています。
入場料は3,000円ですが、私はまるまる券を残してしまったので、半額の1,500円でいかがでしょうか。メッセージでお知らせください。取り置きチケットにしておきますので、会場でそのまま券を受け取って入ってください。あとでロビーで私と会いましょう。
しかし、日にちが過ぎるのは早いなあ…。
「大行進」、なんかすごい、行進やなあ。
どうぞ御慈悲あるお笑い好きのみなさま、よろしくお願いします。

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66タクト:2007/10/02(火) 22:16:23
『日替わり☆スセリ劇場』・第二幕「クラシックの夕べ」に出陣
ごぞんじ、いま、ブレーク中のオオタスセリさんのライブに、出させていただきます?

『日替わり☆スセリ劇場』

10月19日(金)19:30開演 (開場30分前)

下北沢小劇場 楽園 (本多劇場 裏向かい 地下一階)?03−3466−0903

前売 2,500円  当日 2,800円 全席自由 日時指定

ご予約 絹産業・きむら 03−5856−3200 suseri524@yahoo.co.jp

第二幕 「クラシックの夕べ」

ゲスト 永六輔、NHK交響楽団第一ヴァイオリン 齋藤真知亜、好田タクト

永さんのナビで、N響の齋藤さんの演奏、私の指揮(?)、オオタさんの歌とコントが合体。
この出演は、すごく名誉なことです。だから、少しでも応援団がいて、アウェイ状態じゃなくなるとうれしいのです。でも私には友達が…。
ぜひ、怖いもの見たさでお越しください。
いまから、プレッシャーと期待でワクワク、ドキドキです。
予約はしていったほうが、いいと思います。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000118.jpg

67タクト:2007/10/11(木) 11:13:36
斉藤れをさんの話
斉藤れをさんが死んだ。
日曜日の東京演芸協会の「お笑い大行進」の楽屋で、「変死だってさ、れを変死」とニュースのように言っている芸人がいた。
なんでも、今月2日に死んでいたところを介護人が発見したらしい。
インターネットで、れをさんのプロフィールを見つけた。

「斉藤 れを」
1935年10月27日、東京都世田谷区生まれ。
昭和35年、新宿ミュージックホールにコメディアンとしてデビューし、初舞台を踏む。
その後、軽妙な芸風でコメディー・軽演劇・ボードビルをこなし、
浅草・新宿・池袋などの各劇場で大活躍をする。
また、「大坊・小坊」の名で漫才コンビを組み、大いに名を
馳せる。
しかし、昭和53年に志すところあり、大道芸を研究し、そ
の芸の深さに心酔し「バナナの叩き売り」、「ガマの油売
り口上」などを軸として、現在関東はもちろんのこと、
全国的に各種イベントで大活躍中である。

しかし、実際は活躍中ではなかった。
芸人仲間で、「れをさん、ボケてる」という人が多くなり、ここ2年ほどは演芸場にも出なくなった。
ぼくはけっこう仲が良かった。というよりかわいがられた。
それは、れをさんがクラシック音楽大好きだったからだ。
僕の指揮芸を見て、「いいねぇ、いいねえ!」
でも、演芸場出たてのときはぼくはしゃべりも入れなかったので、それほど受けていたわけではなかったのだが、楽屋で「勉強になる」なんて、れをさん、牧会長の前で言ったりするものだから、逆に「れをさん、もうやめて」と心の中で思ったりもした。
れをさんは、「今度、ブルーノ・ワルターをやってくれ」
「そんな、マニアックなリクエスト、客にもいないですよ」
「いいんだよ、わからないやつぁ、俺が見たいんだ」
でも、話が長くなるから、はい、はいと生返事していた。
数年たって、話をしていたら急にれをさん泣き出したりしたから、
  あれ、れを師匠、精神的にもろいのかな
と、思うようになった。
しばらくして、演芸場で見なくなった。協会も辞めたと最近知った。そして、先日知ったれをさんの死。
世間は誰も知らない。

東京ボーイズのリーダーの旭 五郎さん(あさひ・ごろう、本名大内重昭=おおうち・しげあき)が8日に亡くなった。63歳。
テレビでも歌謡漫談グループとして活躍してたし、ボーイズバラエティ協会副会長も務めていたので、こっちはけっこう大きなニュースとしてとり上げられている。

 11月は、4日が「タクト音楽祭」、6、8、10日が国立演芸場定席(私の出番は1:15から15分間指揮者芸)、20日が舞踏家に呼ばれてゲスト出演、25日が【第5回 GO!ヒロミ44’の帰ってきた漫談日本一決定戦】出演:GO!ヒロミ44’、元気いいぞう 、みつまJAPAN’、殿方充 、好田タクト、マキタスポーツ(未定)、猫ひろし(未定)
なんと、一貫性のない出演プログラムなんだろう。
もちろん、合間には寄席も出るし、大道芸もするし、東京ユニットのコントも少しづつしていきます。
たぶん、出版イベントも入っていくので、全国の書店に回ることになると思います。前回の出版の時もそうだったので。そのときは、シベリア文太に手伝ってもらって全国をまわった。もう、玉ちゃんは売れっ子になってきたから、無理やろうな…。

「あなたのことを永六輔さんと木村まりさんが、先日のラジオで話してたわよ。それもかなり長く」って何人かの人に言われました。でも、ぼくそのラジオ聞いていないのです。少しでも、「タクト音楽祭」につながるとうれしいのですが…。

68タクト:2007/10/11(木) 12:00:56
「みゃあ」の話
朝、ブルータスさんから電話がかかってきて、
「タクト、きょうの東洋館、俺の代わりに出てくれない?」
「えっ? ぼく今日出番ですよ。東京ユニットで中入後に出ますよ」
「だから、そのあとにピンで出てよ」
「えっ? 続けてですか…? そんなこと、していいのですか?」
「いいよ、いいよ。おまえ、コントとピン、やっていることかなり違うし、劇場とか協会の変更手続きはやっとくから、頼むよ」

急きょ、3時から東京ユニットのコント(森さん入院していたから2か月ぶり)と、そのあとすぐ、3時15分から指揮者芸。そのあとには、牧伸二会長の出番が続く…。
着替えどうするんだろう。
それに、お客もびっくりしないかな?
寄席に出たい芸人、いっぱいいるのにこんな連チャン、みんなに何か言われないかな…。
ま、僕の責任ではないけどね。
そして東洋館が終わったら、急ぎ、国立小劇場、それからオペラシティでオーケストラの鑑賞。昼には、浅草の各お店へ「タクト音楽祭」のポスター貼り…。ハードだなあ。


昨日の夜は、アンフィニ・オーケストラのクラシック寄席の日でした。
楽団のみなさま、お疲れ様でした。
第二水曜日は浜松町の「サン・ミケーレ」というイタリアンレストランで、クラシック寄席をやっていて、ぼくもよく出ます。昨日の夜も満席で、お客さんの予約申し込みを満席のためにかなり断っていました。

猫のミー子がテンションが高くて困っています。
壁に爪とぎをするから、怒ろうとしたら手に持っているスパゲティをひっくりかえしてしまい、ノートパソコンがスパゲティだらけになってしまった。
その様子を見ていたミー子は、つぶらな瞳で、
「みゃあ?」

69タクト:2007/10/12(金) 09:43:20
(無題)
きのうの上岡敏之指揮(ピアノも弾いた) のヴッパータール交響楽団は、すごい演奏会でした。
演奏終了後も、スタンデヒングオベーションが鳴りやまず、一度引っ込んだオーケストラも再度出てきて、指揮者とともに定位置でカーテンコール。アンコールもないのにだ。
私は長らくクラシックのコンサートを見てきたが、再度オケが登場して並びなおしてカーテンコールにこたえるなんて見たことがない。
それだけ、お客が熱狂したのだ。
まさしく朝比奈隆の再現だった。
上岡さんも、自分の手兵の楽団だけに本当に上岡の世界を作り上げていた。特に「悲愴」交響曲。
音楽関係者も多数きていたので、おそらく上岡争奪戦は熾烈を極めるだろうが、私はマルティン・シュナイトが22年かけて礎を築いたこのオーケストラと、上岡のコンビでいつまでも一緒に歩んでほしいと思った。
「タクト音楽祭」の案内を音楽関係者やご招待したど真ん中猫さんたちに、しまくった。

東京ユニット復活。
すごくよく受けた。
森さんも幸せそうだった。
ぼくは指揮者芸もあったので、楽屋から出るのが遅くなったが、森さんはずっと待ってくれていて、待っている間すごく饒舌だった。
よっぽどコントができたのがうれしかったのだろう。
ぼくもうれしかった。

内藤が亀田弟を破って防衛した。
終わってのコメントをテレビのニュースで聞いていて、清々しさを感じた。

朝ドラの「ちりとてちん」が早くも面白くなってきた。
朝ドラはいつも、エンジンがかかるのが遅いのに。

今日の日記の結論。
「地道の積み重ねが、すごい世界を作る」

私も、きょうも地道に「音楽祭」と新刊の案内状を書きまくります。
新刊の本の装丁、素敵ですよ。
近々、アップしますね。

70タクト:2007/10/13(土) 13:08:54
新刊の装丁
昨日、シュナイト指揮・神奈川フィルの演奏会を聴きにみなとみらいホールへ実業之日本社の編集長と行ったら、「今度の『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』の装丁、こんな感じだよ」とデザインをコピーしたのをもらいました。
巷より一足早く公開します。
本屋に行ったら、この表紙の本を見つけてくださいね。

きのうの演奏会の感想?
音楽評論家の宇野功芳(うのこうほう)ばりに言えば、

「上岡敏之指揮・ヴッパータール交響楽団も凄かったが、私はシュナイト指揮・神奈川フィルをとる!」

そうです。きのうは歴史的な演奏会でした。
一緒に行った人も、「マタチッチの演奏会以来の感動!」と本気で涙を流しておられました。
もう、筆舌には尽くせません。
ほんとうに、すばらしい演奏でした。
気になったのは、シュナイトは譜面台の上に写真らしきものを置いていたこと。
なにか意味があったのでしょうか。
それと、いつもは柔和な表情でシュナイトは指揮をされるのですが、いつもいじょうに厳しい姿勢で緊張感を持って指揮をされていたような気がします。
ソリストの松田奈緒美(ソプラノ)さんもすばらしかったですね。
おそらく年末の年間音楽評論では、評論家の方々は上岡敏之指揮・ヴッパータール交響楽団の来日演奏を上位に押して、今回のシュナイト指揮・神奈川フィルのは気にもとめてくれないのでしょうが、ほんとうのいい演奏がこんな身近にあることを私たちは感謝しないといけないと思いました。(生意気言ってすみません)
シュナイトを新刊のなかに書いておいてよかった、とつくづく思いました。

同行の方が音楽ジャーナリストなので、今度の新聞記事に書くからということで一緒に楽屋に行きました。
なんと、きのう見たヴッパータール交響楽団の方々が来ているではありませんか。
考えてみれば理解できます。
ヴッパータール交響楽団はシュナイトが22年間手塩に育てた楽団ですから。
空き日でかつての師匠を訪ねにきたのでしょう。
ヴッパータール交響楽団のコンマスは、白い髪の女性なので一発でわかります。
同行のジャーナリストがうれしそうにシュナイトさんと話をされていました。
私はぽつんと廊下の後ろで待ってました。
最後に神奈川フィルの事務局の方を紹介されて、
「えっ? 好田タクトさん? 私、あなたの『クラシック音楽夢レース』愛読してますよ」
ですって。
よかった、本を出しておいて。
もちろん、今度の本もおもしろいですよ。

きのうは心地よい気分で午前様帰りになりました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000125.jpg

71タクト:2007/10/20(土) 01:42:29
凄まじいスセリライブの話
『日替わり☆スセリ劇場』の「クラシックの夕べ」に出た。
凄まじかった。
感激した。

午後5時に劇場入りだったので、4時半に入ったのだが、入った瞬間すごい緊張感。
ギリギリまで、スセリさんと永六輔さん、齋藤真知亜さん、それに永井寛孝さんが舞台を詰めていたのだ。
「えっ? ぼくは遅れてきたのか?」 と思ってしまったほど。
じつは、この日まで自分が何をするのか知らされていなかった。
こんな感じでと、全体の流れと自分のやることを聞き、齋藤真知亜さんに一回だけ音楽を打ち合わせて本番。

90分間、お客さん笑いっぱなし。沸きまくる客席。
キャーキャー、ミーハーな客ではもちろん、ない。

  なんだこれは。こんな受けてるライブ、最近見たことないな。

と思えるぐらい、客を休ませない。
正直、思った。

  こんな受けている舞台に自分が出ていって沈まらせたらどうしょう…。

私は舞台に出る前はプレッシャーを受けないのだが、今日は緊張した。
しかし杞憂だった。
永さんまでもが、ブラボ−!と叫んでくれた。

私はそんなに舞台を出たわけではなかったが、それでもこんな素敵な舞台に出れたことを誇りに思った。

オオタスセリさん、ありがとうございました。
永六輔さん、ありがとうございました。
齋藤真知亜さん、ありがとうございました。
スタッフだった木村まりさん、永井寛孝さん、WAKAさん、すべてのスタッフの皆様、ありがとうございました。
お客様として来ていただいた声優の田中真弓姉さん、指揮者のどまんなか猫さん、寒空はだかさん、ヒロよっしーさん、すべてのお客様、ありがとうございました。

私は思った。
私は今日一日だけ、それも一部の参加だったが、スセリさんは日替わりで、5回もこんな舞台を創るのか。
なんとすごい、迫力のある、素敵な舞台人なんだろう。

凄まじいスセリライブ。
これは、お笑いの金字塔になるかしれない。

72タクト:2007/10/21(日) 08:45:38
1976年のアントニオ猪木 狂気の源
きのうの昼は、前日舞台に立った下北沢小劇場「楽園」で観客席から「スセリ劇場☆新作発表」を見た。
ぶっちゃーさんも来ていた。
ぼくは一番後ろから見ていたのだが、笑ってしまった。
一生懸命演じるオオタスセリさん、それを腕組みしながら微動だにせず見つめるブッチャーさん、その2列後ろがぼくの席。

  なんか、ネタ見せしているみたい…
  ぶっちゃーさん、若手芸人をたくさん育ててきた時のように、またダメだししているかな…。

ライブが始まる前に隣の席の男女の年輩のお2人が話をしている。
「森はじめさん、保険に入って一ヵ月後に骨折したんですよね」
森さんの話だ。どうやら、ぼくのことに気がついていないらしく、まさか相方が隣の席にいるなんて思ってもいないのだろう。
思わず、耳がダンボになってしまった。
ぶっちゃーさんが帰り間際に挨拶をしていたので、作家の○○さんだわかった。

スセリ劇場はきょうが最終日。
新作発表のときこそ、ほんとうのスセリさんの狂気が見れる。
その最後のチャンス。
当日来た人をまず断ることはないと思うので、休みの人は行かれてみてはいかがですか。一応電話してみたほうがいいかも。
楽園の電話番号03−3466−0903(本多劇場隣、地下。北沢2−2−6)

下北沢を久しぶりに歩いてみた。
劇場も増えている。
前は3つの劇場、駅前→スズナリ→本多劇場が劇団の階段みたいなものだったが、もう8つぐらい劇場があるそうだ。
店も随分増えて、かなり奥まで賑やかだ。人も多い。
活気あるなあ。率直な感想。

夜は前日競演したN響の齋藤真知亜さんがオーケストラを指揮をするので、池袋にある芸術劇場大ホールに行った。
2千人近く入る劇場が満席だ。
すごいなあ。
軽妙でソフトな語り口の齋藤真知亜さんの解説が入って、おおいに盛り上がる。
しかし指揮は静かながら狂気のマエストロに変身。
コンサート終りで楽屋にいったら、やさしいパパ真知亜さんに戻っていた。
帰りしなに、指揮者の津田先生と中華料理屋へ入る。
執筆活動をしていて、夜食を重ねることで一気にリバウンドしたのに、こう毎日人と食べていいのだろうか…。
でも、津田先生の勧めてくれた店はうまかった。
津田先生に指揮を習うことを約束して、JRに乗った。

車両故障かなにかで遅れが生じていたので、ホームのベンチで読みかけていた「1976年のアントニオ猪木」を読みふけった。
リアルタイムでこの時代のプロレスを熱く見ていた私は、この本を読みながら記憶が鮮明なことに我ながら驚く。
そして、猪木の狂気ぶり。

きょう、日曜は赤羽劇場。
森さんと「東京ユニット」でコント2本。
森さんは怪我をしているから、動きの負担をかけないようにしないと。

そういえば、吉本新喜劇の内場勝則さんから電話があった。
「今、静岡に来ているけど、こっちで大道芸ワールドカップいうのやるんやな。好田でているんか、と思ったんやけど」
「ぼく数年前まで、6年間ぐらい続けて出てたけど、今は行ってません」
「そうか、また来月そっちに行くから、会おうな。音楽祭もやるんやな。シベリア文太からチラシもらったで」
「じつは、文太は音楽祭に出てもらうんです。客入れとかも含めて…」
てな感じで、私の周りはもう古い人ばかりです。
内場兄さんは、凄く仲良くて吉本新喜劇ではスーパー座長とか呼ばれてもう一番偉くなってしまったけれど、じつはすごくシャイで趣味は山登りです。
Wヤングさんの丸兄、内場勝則さん、オオタスセリさん、シベリア文太、ぶっちゃーさん、田中真弓さん、寒空はだかさん、相方の森はじめさん、牧田博さん、齋藤真知亜さん、津田さん、クロード小林さん…。
ここ2日間、お話した私の尊敬する人達。
みなさん普段はシャイな人達ばかり。
その静けさが狂気となって舞台に転化されるのでしょうか。

73タクト:2007/10/22(月) 03:29:02
予感…
NHKのBS1で放送される「世界のドキュメンタリー」は秀逸な作品があって、時々見ているのだが、おもしろそうな予感のする番組が10月25日(木)午前0:10〜1:00に放送される。

<シリーズ世界の子どもたち>
ヘラクレス 初めての休日

ポーランドのバイトム、炭鉱の町では閉山後、失業者が増大し、ストリートチルドレンが急増した。その一人、ヘラクレス少年は失業中の両親を支えるため鉄くずを拾って生計を立てていた。
そのいたいけな少年にワルシャワのある夫婦が休日をあげたいと申し出、初めての都会生活を楽しむ。
夢のような休日の後、ヘラクレス少年が失業中の家族のもとに帰るまでを追ったドキュメント。

なんと罪つくりなことをするのだろう。
しばらくはテレビを見ないつもりだが、この番組だけは気になるのでチェックしている。

74タクト:2007/10/24(水) 09:13:37
謙虚な話
きのう、墨田区の青色申告会のイベントで、『花形演芸会』というのに出た。
会場の曳舟文化センターは、自転車で5分で行けるところ。
神田きらりさんが最初に出て、私、最後がペーソスさんの順。
持ち時間がそれぞれ25分間。
私の最後の指揮者、朝比奈隆が終わったらお客さんのかなりの人がスタンディングオーベーションをしてくれて拍手喝さいをいただいた。
出口で「前のスセリさんの会で見て気に入って、あなたをまた見に来たよ」という人がいて、名刺をもらうと放送作家の人だった。
楽屋でペーソスさんと久しぶりに話をした。
8月に「横浜関内おきらくシアター」でご一緒して以来だ。
ペーソスさんは50代の2人組のミュージシャンで、出版社の編集者の顔を持っている。
そのお一人の集英社の方は、物静かな人なのだが、私の「世界一楽しい〜」の本を読んで、「この本は…、売れると思う。いま、クラシック音楽本はコーナーも設けられているから、いい場所に置いてもらえれば、手に取った客は買うと思う」と言われた。
もう一人のボーカルの方は、「家内がタクトさんを気に入っていて、世田谷にも見に行ってたよ」とうれしいことを言っていただいた。

すごい人ほど謙虚だという話を2つします。

以前、吉本にいたときに九州の大衆演劇に、シベリア文太、アルトら4人で参加した。
正直、島流しにあった気分もあいまって、大衆演劇をバカにしていた部分があった。
その座長の葵好太郎さんが、普段は物静かなのだが芸と演技が凄いのなんの。
お客を沸かし、納得させる力をまざまざと見せつけられた。
「世の中には、ほんとうに達者な人が知らないところにいるものだな」と思った。
それでも芸では食えないので、夜の店を経営していた。

NHKの「あしたもげんきくん」をしていた時、カメラマンが一斑、ドラマ班から来る。
なぜか「げんきくん」は、ドラマ班から巨匠が息抜き気分で来ていた。
普段は大河ドラマや朝ドラを撮っているチーフカメラマン、名人たちだ。
偉そうにする人もいるのだけど、たいていは「普通のオッサン」だ。
吉田秀夫さんという、佐々木昭一郎作品で数々の国際賞、特に「ユートピアノ」では、イタリア賞、国際エミー賞、ギャラクシー賞、テレシネ最優秀撮影賞、ニューヨーク世界テレビ祭・INPUT、ベネチアテレビ祭などその年の世界の賞を独占した名カメラマンが来たことがあった。
ほんとうに楽だった。
「げんきくん」は子供と探検したりする番組なので、若いカメラマンは15分番組なのに150分ぐらい撮影する。保険をいっぱい撮るのだ。
しかし、吉田さんは2ロール(30分ぐらい)で、あとで見直したら全部使える。拾い絵もちゃんと撮っている。絵を見ていてもぶれないから全然酔わない。
こちらの動きを前もって察知して、リテイクを繰り返させない。
本当に名人だった。
でもふだんは普通の人だった。むしろ謙虚な方だった。

今、演芸場とかに出ていて、時々テレビタレントが来る。
楽屋で、けっこう自慢気に話をしている。
で、舞台を出るとテレビの与太話をするぐらいであまり受けない。
なんぼ偉そうにしていても、本番になればはっきりするのに。
自分も逆にそういう風に見られないように、謙虚に生きていきたいものだ。

75タクト:2007/10/25(木) 05:40:49
追悼、ピーチク師匠。
晴乃ピーチク師匠が亡くなった。

先日の齋藤れをさんに続きこのような話をするのは、すごくつらいものがあります。

晴乃ピーチク師匠は、仕事も一緒によく行きました。
一番最初は、もう数年前で浦安にある健康センターで、漫才の順子・ひろし師匠などと一緒でした。
東洋館でもよくかわいがってもらいました。
「エンタメ・特選寄席」にぼくはよく出ていて、晴乃ピーチク師匠も出番が多く、出番も前後することが多かったです。
「きみの芸は、ほかにないから、絶対いい」っていつも励ましてくれました。
コント「東京ユニット」をぼくがすることになり、その舞台を見るためにピーチク師匠は、早く来たり、自分の出番が終わってもぼくたちの舞台を見るために残ってくれたり、ほんと恩人でした。
舞台袖でいすに座って見てくれて、楽屋や帰りの劇場のロビーでもよく話をしました。
いろいろな業界の裏話も楽しく教えていただきました。
話好きのやさしい師匠でした。
新宿でのピーチク師匠の展覧会を見に行ったら、ほんとにうれしそうでした。
ほんとは大師匠なのに、まるで仲間のように接していただきました。

なんか、つらいなあ。

晴乃ピーチク氏(はるの・ぴーちく、本名・直井利博=なおい・としひろ=漫談家)。23日、肺がんで死去。82歳。
1954年、漫才の「晴乃ピーチク・パーチク」を結成し、「見たかや聞いたかや」のギャグで人気を集めた。73年にコンビを解消し、似顔絵を即興で描く漫談家として活躍した。90年、文化庁芸術祭賞を受賞。

76タクト:2007/10/27(土) 09:11:41
英会話学校の話
英会話学校最大手のNOVAが、会社更生法の適用を申請した。
負債総額は439億円。全国に約900の教室を展開し、生徒数は約41万8000人(今年3月末)。語学学校の破綻(はたん)としては過去最大となった。

じつは、私はヨーロッパの大道芸の旅から帰ってきたあと、8ヶ月間執筆活動をしたがすぐには本(前の本がそれ)にはならず、貯金もなくなり、芸人とサラリーマンの2足のわらじを履いていたことがあって、ラド・インターナショナルカレッジ日本校という英語学校の広報をやっていたことがあるのです。
隠すつもりも無いのですが、あまり自分から話すことも無い過去の経歴です。

お恥ずかしい話ですが、芸人として出世しないぶん、営業成績はよかったです。
独協大学に始まり、国学院、中央大学、東海大学、青山学院など、32大学の生協やお店にNOVAやECCなど大手英会話学校から私の学校に提携契約を変えていただいたり、加盟していただいたりしました。
また自分のお金でマイ・レッスンやニュース・ウィークに広告を打ったので、私の関連した売り上げは億単位にまでなって、あっというまに管理職までいったのですが、それがまちがいのもとでした。
どんどんサラリーマンのほうが忙しくなり、接待とかで60キロしかなかった体重もみるみる太ってきて、芸事がなおざりになりました。
人にも騙されて、あるとき6年間勤めた学校を、4年前にスパっと辞めて貧乏農場に逆戻りしました。
その後、ほとんどの大学生協は、「好田くんがいなくなったから」ということで提携を解除したらしいのです。

しかし、入ってみて思ったのですが英会話業界は問題があるな、と思いました。
ラドは、NHKのお兄さんをしていた時に、NHKの契約指定校にもなっていたのでディレクターが通っていて学校名は知っていたのですが、入社してびっくり。
広報には男性がほとんどいなくて、8割以上が女性。
しかも女性のほうが営業成績がぜんぜんよく、離職率も高く、強烈な勧誘がはびこっていました。
「どうして、こんな強い勧誘をしないと、成り立たないのだろう」
それはNOVAとかの大手が、安さとCMイメージ戦略拡大路線を敷いていて、多くの小さな学校は駆逐されていき、生き残りのために強い勧誘をする悪循環が生まれていました。
大手スーパーの地元進出と似通っているのかもしれません。
「入学しても、満足しなかったら、辞めるのは目に見えてる」
と、途中解約が可能となった消費者保護法がひかれた時点で私は強く感じていたのですが、古い体質の会社上層部は私の意見には耳を貸してもらえませんでした。
「それだったら、必要な人にそのまま提案できる市場をつくろう」
と思い、みんなが個人成績を追いかける中で、大学や企業、書店そのものにターゲットを変えました。
「そんなの、無理に決まっている」と他の社員からは白い目で見られたのに、実際に市場が開くと社長含め、いろんな営業所の管理職が擦り寄ってきました。
私の営業哲学は、押さない、勧誘はしない、提案をする、でしたが、この考えはこの業界には浸透させることは無理でした。
幾つもの大学でトラブルを起こし、クレーム処理に追われ、自浄能力がないと感じて、私を信じて契約してくれた大学側にももう迷惑をかけるのは嫌だと思ってこの業界を辞めました。

NOVAは、一時1レッスン1050円、1〜3人の少人数制ってやっていたでしょう。(3人揃っても4千円にもいかない)
そんなやり方で、講師料や家賃、光熱費、広告、会社の運営費が捻出できるわけない。
講師の質も問題でした。
ただ英語を喋れることと、英語を教えるノウハウを持つことは別問題なのに、外国人は全てオッケーという低賃金で集めるやり方も、世間から見ればベルリッツなどの優秀な先生との質の差を見分けるのは、テレビ大好きの日本人相手には、CM戦略のNOVAから見れば「日本人にはテレビCMでオッケー」という舐めた発想はあったと思います。
実際にNOVAの隆盛をみればそうなったし。
とにかく生徒を集めて、他のライバル校を駆逐していき、市場独占になったらイニシアチブを握れるという発想があったと思います。
また、NOVAはお互いがもしもの時に助け合う、全外協や民外協にも入らない独自路線をひいていたから、倒産した学校の生徒の他の学校への受け入れもないのが基本。
業界では、「NOVAはやばい」とは囁かれていました。
でもNOVAが潰れると、英会話業界に世間の拒否感が広がり、生徒が集まらなくなるという杞憂があって、みんな目をそむけていました。

亀田問題も、もし亀田が勝っていたらいまだに持ち上げられて、内藤は悔しさだけが残る形になっただろうし、NOVAのテレビCMでイメージ戦略に踊らされていたときもそう。
テレビ局は一番儲けたのだろう。
ダメになった時点で攻撃側にまわる。
本当の問題は、テレビを絶対視する日本の生活にあると思う。


『タクト音楽祭』へカウントダウンが始まった。
全力でいくしかない。

77タクト:2007/10/28(日) 10:43:22
役に立てば…。
前回、NOVAを含めた英会話学校のことを書いたら、ミクシィのほうに一日で千件のアクセスと、メッセージでの問い合わせが幾つもあって答えていくのが困難なので、もし、お役に立つ情報になればと、再度、英会話学校の倒産時の対処法を書いてみます。
ただし、ぼくは法律家(弁護士や消費者センター)でもないので、ここに書いたことは自信が持てないし、絶対と思われても困ります。
あくまでも、NOVAで困っている人達の少しでもお役に立てれば、その参考にという程度で捉えてください。
大切なのは、回りに同じ状況の人を見つけて相談して、区や市の無料法律相談室や消費者センター、また被害者の会などに行かれるのがいいと思います。
そして、質問やメッセージをもらってもこの件には答えられませんので了承してください。
なんかおせっかいなことを自分でもしていると思います。

パンフレットや入会のしおり、クレジット契約の控え、入会申し込みの裏など、英会話学校の案内があれば、それを見てください。
そこに「(社)全国外国語教育振興協会(略称:全外協)」もしくは、「民間語学教育事業者協議会(略称:民語協)」加盟と書いてあったら、もし倒産した時に生徒を救済して、ほかの英会話学校がお互いにレッスンを継続させるみたいです。
最近ではNCBがわりと大きな倒産で、その時にこの両協会が生徒を受け入れましたよね。
ほとんどの英会話学校はこのどちらかに加盟しています。
ただ、NOVAはこの全外協や民語協にも入らない独自路線をひいていたから、倒産した学校の生徒の他の学校への受け入れもないのが基本。
ただNOVAみたいな大きすぎる学校が潰れると、英会話業界に世間の拒否感が広がり、生徒が集まらなくなったり、中途解約者が広がるのを恐れて全体で救済する、という発想が起きるかもしれません。
前の銀行の不良債権問題みたいに。でも、ちょっとだけの望みですが。

レッスン料は何十万円もするので、返還されなければそれこそ大変です。
分割でクレジットで組んでいる場合は、抗弁権が使えるので、支払いを急いでクレジット会社に言って停止したほうがいいと思います。
閉鎖されたのに、お金だけが引き落とされるなんて、おかしいでしょう。
一括だと戻らない可能性があります。
でも分割時のあの利率は高すぎるので、特に説明員は一括を勧めるので、こういう状態になったらその説明員はけっこう罪だと思います。
大学の生協や企業でクレジットを組んだ場合は、そこのお店が肩代わりしてくれる場合があるかもしれません。(NCBやトーザはそう)
でもNOVAの生徒は多いので、そこの店の体力の問題や、被害の規模にもよるかもしれません。
書店や広告、テレビCMなんかは、おそらく逃げ口上が、
「うちはあくまで場所や枠を提供しただけ。それからのことは責任は負えない」と逃げるでしょう。
でも、考えてみれば、
「おたくが宣伝しているから信用したのに。いっぱい広告料もらっておいて。全然しらんぷりはひどいんちゃう?」
ぐらいは言いたいですよね。
宣伝するぐらいだったら、中身の商品ぐらい責任を一緒に持て。もうそちらの言うことは信用せんぞ!ぐらい言いたいですね。

実際に今回のNOVA問題で動かれた方がいますので、それが参考になると思います。以下はその内容です。

消費生活センターにまず電話をしたら、「NOVA」と聞いただけですぐ「書類はありますか?それを持っていらしてください」といわれると思います。それだけ向こうも問い合わせが多いみたいです。

必要なのは、クレジット契約をした時の控え、印鑑、クレジット会社から送付された支払い明細書(ハガキでした)です。あとは手元に残っているレシート、領収書の類を全部持って行きます。
集められる書類すべてを持って行くということです。
書類を確認してもらい、支払い停止依頼をする為に抗弁書(フォームが用意してありました)を書きます。一つずつ確認してもらいながら書き、コピーをとって、契約書の控えのコピーと一緒に封筒に入れ、宛名を書き、封をするところまで一緒にやってもらいます。
週明けには配達記録で(記録を残すため)送ります。
ニュースでクレジットの会社に自動引き落としを中止するよう呼びかけがあった話をしましたが、確実ではないので次のことをするように言われます。(クレジット会社の電話も繋がるかどうかわからない、クレジット会社によって対応が異なるとの理由からです)

1.抗弁書を配達記録でなるべく早めにクレジット会社に送る。
2.口座をカラにする。もしくは引き落とせない位の残高にしておく。
3.銀行に行って、引き落とし停止手続きが出来るか相談してみる。

ただし、3の銀行の場合は、場合によっては断られる場合もあるようです。同口座でたくさんの引き落としがある場合などが考えられるようです。ですが、このNOVAのニュースは金融機関にも知れ渡っていることなので、「断られることはないと思いますが」とセンターの方の対応。
とりあえず、NOVA関連のローンであることを証明するために、契約書の控えを持って銀行へ行く様に言われます。

人によっては、来週が引き落とし日だったら、おそらく間に合わないだろうから、口座の残金をなくすことが一番安全だと思います。

とにかく、まずは全国どこにでもある消費生活センターに相談してください。ただ、今後のことはNOVAの動き次第なので、手を打ったらあとは見守るしかないようです。でもクレジット会社から何かあればすぐ連絡をセンターとすることになります。

倒産となった場合、お互い請求も支払いもナシ!といった形で終わるか、ちゃんと清算して終わりとなるか…全ては今後のNOVAの対応次第になります。


NOVAが前から指摘されていた問題は入学時においてしなければならない、途中解約と倒産時の説明不足です。
最初900レッスンで60万ぐらいで契約させて、
「1レッスあたり1500円ぐらいよ」と説明しながら、100レッスンぐらい使って辞める時には、
「100レッスンは、30万円コースだから、解約手数料と合わせて20万円が返ってきます」でしょう。
普通、使ったレッスンが9分の一だったら返ってくる金額もそれ相応に、9分の8ぐらい返って来てほしいのにね。
入学時に学校がもしおかしくなったら、という説明義務も訪問販売法とかでしなきゃならないけれど、してないない可能性があると思います。
意外とそういう情報の役割は、2チャンネルが内部告発も含めて役割があったのでしょうけど、企業にとったら耳の痛い話は困るから、2ちゃんねるも萎みましたしね。
おそらく、学校内部はみんな意欲のあふれた人達の環境だったと思います。
そういう情報って、一番生徒や現場の先生に流れてこないのですよね。不安がるから。


先生も被害者だと思います。
ほんとうに責任があるのは、そのコマーシャルを流したテレビ局や入学時や継続時に説明に不足があった会社側だと思います。
金額も高いから、迷惑をうけるのは生徒さんたち。
債権の問題も、銀行や取引業者から先で生徒への返還はいつも最後で、結局は一番つらい思いをする。
なんか、日本の構図っておかしいなあと思います。
英語を学ぶことは、すごく意義があるのに、これでみんなの気持ちが萎えてしまうのは不幸なことです。

78タクト:2007/10/29(月) 13:52:40
フェルメールと「ボクは五才」の話
画家の話。

先日、久しぶりにNHKのディレクターを訪ねた。
私がNHKのお兄さん時代にお世話になったディレクターだったが、、もうりっぱなプロデューサーになっていて、新日曜美術館や世界美術館紀行、美術の時のNHKスペシャルを作っていた。
昔話や、今度の新刊の話、そしてもちろん美術の話で盛り上がった。
いま、国立新美術館に「フェルメール 牛乳を注ぐ女とオランダ風俗画展」という作品が来ているオランダの画家、フェルメールの話にもなった。
なんせ、フェルメールは世界に34点しかない。
私は10年前、ヨーロッパで大道芸の旅をしていたときに偶然にオランダで「大フェルメール展」、ほとんどのフェルメールの作品を集めた二度とない展覧会を偶然見て、この画家に魅了され、感動したのを覚えている。
日本でも、フェルメールはかなり人気が上がってきている。

映画の話。

「ボクは五才」という映画をご存知だろうか?
今の40才台の人は、映画館や小学校の体育館などで見てけっこう感動した人も多いのではないだろうか。
私も小さい時、母に連れられて町の映画館で「ボクは5才」を「ママいつまでも生きてね」と同時上映で見て、両作品に感動した。
そして今も、ミクシィのプロフィールにも『好きな映画』の欄に書き込んでいる。
たしか、ダウンタウンの松本さんも一番好きな映画のはずだ。
私たちの世代の珠玉の名作なのだが、いまはほとんど存在自体知られていない。
もちろん、DVDなんかにもなっていない。
その「ボクは五才」が上映される!

【ダイニチ映配特集】
・2007年11月4日(日)〜12月15日(土)
・ラピュタ阿佐ヶ谷(東京)にて
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/dainichi/
・アクセスマップ
http://www.laputa-jp.com/annai/index.html#3

「ボクは五才」の上映は11/7(水)〜13(火)のみみたいだ。

『ボクは五才』

・製作/大映(京都撮影所)
・配給/ダイニチ映配
・公開/1970.09.23
・カラーワイド/90分

・製作/永田秀雄
・監督/湯浅憲明
・脚本/高橋二三
・撮影/森田富士郎
・音楽/菊池俊輔
・美術/上里忠男
・照明/美間博
・編集/菅沼完二
・出演/岡本健 宇津井健 左卜全 北林谷栄 ほか

*キネマ旬報さんによる解説ページ
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=19368

この日記を見た95%の人達は、この映画を知らないと思う。
でももしこの映画を見たら、そのうちの95%の人達が気に入ると思う。

79タクト:2007/11/02(金) 09:14:19
本が出ています。
私の本が、10月31日から発売されています。

実業之日本社

じっぴコンパクト(新書のシリーズ名)

好田タクト著

『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』

税込定価800円


前回は8ヶ月間、今回は20日間の執筆期間でした。
どのページからでも読めるようになっていますが、真ん中ぐらいからだととっつきやすいと思います。

この本で、みなさまが元気になってもらえれば最高です。
一切難しいことは書いていません。
人物に焦点をあてながら、お笑いの要素をふんだんに入れているので、寝ころびながらゲラゲラと笑って半日で読めます。

感想を聞かせてね。
そして、おもしろかったらレビューにも推薦してね。
ああ、ドキドキする…、てなことはなくなってきたかな。



追伸:

11月1日発売の「週刊新潮」11月8日42号に、私の記事が写真付きで載っています。
138ページの下半分に、
『浅草「東洋館」でオザワセイジを振る「好田タクト」』という題名で、新刊のこと、今度の「タクト音楽祭」のこと、東洋館のことが載っています。
ちなみに、上半分は『「東宮御所」職員を感激させる「愛子さま」の記憶力』というので、皇太子妃殿下ご夫妻、長女愛子さまが写真付きの記事で載っています。
皇太子妃殿下と愛子さま、ぼくの記事も読んで「タクト音楽祭」を見に東洋館に来てくれないかなあ…。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000139.jpg

80タクト:2007/11/02(金) 16:19:54
足が動かん! 一時、大ピンチ!
昨日のリハーサルは、出演する芸人も楽団員も、お互いが知らない領域だったから、みんな目を白黒しながら一気に作品を仕上げていった。
「迫力あるねぇ」
「贅沢だね〜」
と、みんなの声と表情を見て、私も手ごたえを感じながら稽古場を出たのだが、どうも左膝に違和感がある。
「(怪我をしている)森さんのが、移ったわ」
と軽口を言っていたが、夜になると痛みが増してきて、左足がまったくゆうことがきかない。
階段の上り下りもほとんどできない。
ほとんど眠れない。
「時間がたてば、元通りになるやろ…」
朝になれば、もう完全に足がおかしい。
こんなの初めて。
頭真っ白。
大パニック。
「シャレにならん…。音楽会中止になるのか…」

  大ピンチ!

朝9時に急ぎ、墨東病院など総合外科にかけつけるが、先生が足りなくて3つ目の病院に行って、初めて診察してもらった。
レントゲンをとって、左膝を見ながら、先生は、
「膝の関節炎にかなり水が溜まっている。そりゃ、歩けんわ」
「とにかく、4日に足が動かせるようにしてください!」
と、緊急小手術。
かなりの黄色い水が私の左膝から、抜き出された。
痛み止めの座薬をもらって、いまは徐々に回復している。
足は引きづるかもしれないが、なんとか舞台には立てそう。
こんなこと初めて。
けがで舞台や仕事を休んだことなんてない。
かなり動揺したが、もう大丈夫のはず。

新刊の感想があまり聞かれない。
面白くないのかなあ…。
売れてないのかな…。
でも、こればっかりは神様のみぞ知る。

『タクト音楽祭』は、いよいよ明後日です。
来られる皆様は、おのおの好きなペットボトル(中身入り)を持参してください。
たしかに、東洋館は乾燥しているし、館内で買えば高い。
でもそれではないんです、本当の目的は。
中身は全部飲んでしまわないで、演奏会の最後まで少しとっておいてください。
約束ですよ。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000140M.jpg

81タクト:2007/11/04(日) 10:26:38
タクト音楽祭開演です
英語と日本語の場内アナウンスが終わった後、幕前でシベリア文太が宣言します。
「ただいまより、タクト音楽祭開演です」

今宵一夜限りの宴。
この2時間に、いままでやってきたすべてを出します。
ロビーには、すでに出版社から新刊が300冊届いています。
昨日も、日刊スポーツ、テレビ東京、NHKと新たに取材の申し込みを受けました。
永六輔さんも急きょ、見に来られることになりました。
当日に来た人もすべて入っていただきます。
会場に来ていただいた、すべての観客に刺激と驚きと感動をお見せします。
小さな空間が、宇宙に変わります。

「ただいまより、タクト音楽祭開演です」

82タクト:2007/11/05(月) 04:19:24
ありがとうございました。
『タクト音楽祭』無事終わりました。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
勇気を出して、公演をやってよかったと思います。
何人かのお客様には、立ち見になって申し訳ありませんでした。
昨日の皆様との出会いを大切に、これからも自信を持ってがんばっていきます。

83タクト:2007/11/05(月) 13:12:11
きょうのサンスポ、日刊スポーツ…
きのうの「タクト音楽祭」の記事が、きょう5日付のサンケイスポーツの25面に、写真付きで大きく取り上げられています。

日刊スポーツにも写真付きで記事が出ています。

かなりのプレスが来てましたので、きっと他にもあるはずです。

yahhoニュースに出てます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071105-00000000-sanspo-ent

点が広がっていくみたいで、みなさんに感謝します。

84タクト:2007/11/06(火) 21:49:16
種明かし…
きょうは、国立演芸場の出番でした。
ワハハで仲良くなった勝丸さんの代演(まだ数日ある)でしたが、何回もあがっている国立なのに、ちょっと感覚がつかめなかったです。
劇場関係者は、よかったとは言ってくれたのですが、自分でまだまだと実感しました。

取材が続きます。明日は週間朝日と朝日新聞、それからひょっとしたら日曜の「ザ・サンデー」という番組に、音楽祭の映像が流れるかもしれません。
こういうのでテレビ嫌い(出るほう)が少しでも、なくなればいいのですがね。
ま、一時の騒ぎに振り回されることなく、私は地味に生きていきます。
8時半になれば、スーパーの半額弁当を買いに行くし、浅草や秋葉原までは自転車で動きます。
ただ時間がなくて、今回の音楽祭に来ていただいた方へのお礼のメールがなかなかできなくて、今晩、ちょっと夜更かししてやろうかなと思っています。

ひとつ、今回の『タクト音楽祭』の種明かしというか、裏事情をお話ししましょう。
よくみなさんに「練習たいへんだったでしょう」と聞かれます。
じつは、芸人と演奏者の合同練習は11月1日の3時間だけなんです。(しかも詩二師匠は1時間遅れてきた。本番の日も30分遅れてきて、さすがに切れかけた…)
演奏側は小林さんとの事前での曲目選定、長さ、解釈などを2人で詰めていき、芸人の出し物は全部だんどりを私がとってあげたので、出演者(音楽・芸人両方)たちはどんな形でそれぞれの作品が出来上がるか、1日までイメージがついてなかったと思います。
だって、芸人は練習しないもの。
アンフィニも練習日を設けたら、その費用がかさみますから。
自分だけが、ジグソーパズルを組み立てるみたいに出来上がりは初めから想像できていました。
あとは、本番、私の言ったとおりにやってくれたら私の思い通りの作品になるはず。
だから、芸人さんにはみんなに、
「なんぼ受けても、絶対伸ばしてはダメ。増やしてもダメ」と徹底させました。
詩二師匠が、もう一度子守唄を繰り返そうとした時も、袖でダメだしだしましたから。
プロデュース的な部分は、思い描いた通りでした。


そういえば映画「ボクは五才」が、明日から上映でしたね。
行きたいな…。

85タクト:2007/11/07(水) 03:19:16
みなさんにお願いがあります。
みなさんにお願いがあります。

今回、『タクト音楽祭』を開催して痛切に感じたことがあります。
それは、メディアの影響力の大きさです。
開演日ギリギリまでチケットは全然売れませんでした。
出演者にはノルマ一切なしにしていたら、本当に出演者みんな、まったくチケットを売ってくれなかったんです。
私一人の手売りには限界があります。
「客席の半分も埋まればいいだろうな…」
と覚悟をしていたら、永六輔さんが、この会が面白くなるような予感をされたんでしょうか、ラジオで何回も大きく取り上げてくれたり、直前になって週刊新潮や幾つかの雑誌、新聞が記事にしてくれたので、本当に当日が伸びたのです。
連動で他のメディアも興味を持ってくれて、当日に取材申し込みがすごく多かったのです。
『タクト音楽祭』は終わりましたが、私の新刊『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』(実業之日本社)は、いままさに勝負の真っ只中なんです。
本のサイクルはすごく早くて、今は私の新刊は平積みされているみたいですが、話題にならずに売れなかったらあっという間にジェット返品(封を開けずにそのままニッパンやトーハンに返品されること)です。

みなさんにお願いというのは、私の自著『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』を読まれた方は、正直な感想でけっこうですから各ネットのレビューに載せていただきたいのです。
私みたいな有名人でない人間は、いまの日本ではなかなか振り向いてくれません。
それだけ日本は他人の評価から、物事が動き出す国なのです。
ぜひこの短い期間に、本をまず読んでいただいてから正当な評価をみなさんから受けたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

https://img.shitaraba.net/migrate1/8130.tact/0000147.jpg

86タクト:2007/11/08(木) 22:48:55
参戦! 【第5回 GO!ヒロミ44’の帰ってきた漫談日本一決定戦】
きょうの国立演芸場は、前日とうって変わって違和感もとれてほんとうによく受けました。
お客さんは団体が入っていなかったので、それほど多くはなかったのですが、何人もの人が「ブラボー!」と叫んでくれたし、ツボは全部はまって笑っていたし、先輩の師匠方にもお褒めの言葉をいただき、ここちよかったです。
寄席小屋は、どこも一緒かなと思ってしまいました。
今回の舞台の出番の順序は、漫才の笑組さん、落語の五明樓 玉の輔師匠、そして私、そのあとが柳家 小満ん師匠、ボーイズの灘康次とモダンカンカン師匠、落語の桂 ひな太郎師匠、奇術の松旭斎 すみえ師匠、トリが落語の春風亭 正朝師匠。
考えてみれば、すごいメンバーの中でやらさせていただいてます。
楽屋でも親しく接していただきますし、お茶を自分で入れようとしたら、「前座さんの仕事」って入れてくれます。
お茶このお姉さんもやさしく、表に出ようとしたら私の靴(999円の黒靴!)まで揃えてくれます。
正直、小心者も私は落ち着きません。
舞台に出ているときが、一番ホッとします。

しかし、ホッとしていられません。
今月後半には、お笑いの異種格闘技戦に出ます。
これは、かなり強敵です。
2ヶ月ぐらい前でしょうか、久しぶりに、GO!ヒロミ44さんと交流を持ったときに、「タクトさん、私のライブに出ません?」と言われ、GO!ヒロミ44’さんには興味があったので、申し出を受けてしまいました。

3年ぐらい前に、ワハハ本舗の「喰始のショービジネスの作り方」というお笑いライブに出ました。
初出演なのに、いきなりトリを任されて、しかも受けがよかったのでそれ自体は気持ちのいい体験でしたが、この時に生で GO!ヒロミ44’さんと出会いました。
「こんな凄い芸風を持った人がいるんだ」
私はめったに笑わないし、他の芸人にも惚れることも少ないのですが、このアングラで強烈なGO!ヒロミ44さんの芸風に、かなり惹かれました。
みなさんは、下半身露出する部分や、宗教ネタなど平気でするGO!ヒロミ44’さんの狂気の部分に目がいきがちでしょうが、この方は凄い高度なしゃべりのテクニックを合わせ持っています。
声の高低や間が天才なんです。
たぶん、私が東京に来て一番興味を持った芸人の一人かもしれません。
生き様もすごそうです。
ただし、『タクト音楽祭』に見に来た人は、腰を抜かして私まで嫌いになる可能性があるので、ユーチューブや、GO!ヒロミ44’さんのホームページから無料配信の映像を見て、それで免疫を作れる人なら大丈夫だと思います。
では、そのライブの告知です。
私の芸は、この会に限ってはまったく通用しない気がします。
楽しみ半分、ドキドキ半分でしょうか。


【第5回 GO!ヒロミ44’の帰ってきた漫談日本一決定戦】

2007年11月25日(日)

(会場)池袋手刀(03)5951−1127
(地図)http://www.chop.jp/

(開場)18時〜*(秘蔵DVD鑑賞会あり)
(開演)19時〜

(前売)2千円
(当日)2200円*別途1ドリンク

(メール予約)info@chop.jp
*必ず氏名・連絡先・希望枚数・目当ての芸人名を明記の上、お申し込み下さい。

(CAST)

GO!ヒロミ44’

元気いいぞう
みつまJAPAN’
殿方充

好田タクト

マキタスポーツ(未定)
猫ひろし(未定)

87タクト:2007/11/10(土) 19:15:21
柳家小満ん師匠の時そば
朝、文化庁に郵送する芸術祭参加公演後の写真、提出資料を作成する。
雨の中、前かご上にいつものことながら大きな荷物となる指揮者芸の衣装・小道具の入ったボストンバックを乗せ、片手に傘をさしてマイ自転車でよたよたと浅草に向かう。
途中、オリンピックというスーパー前で、ママチャリの前と後ろにガキンチョをのせたおばさんがブレーキをかけずに、「あぶない、あぶない!」と叫びながらこちらへ突進し、危うくこっちが転倒しそうになる。
「危ないのは、そっちやろ!」と言うこともできずに、気を持ち直して東洋館へ。
東洋館へ入ろうとしたら、入場するために並んでいるお客さんに「タクトさんでしょ」と声をかけられる。ちょっとうれしい。
11時10分という超浅め(早め)に出番を変えてもらった。
まだ客入りの少ない中、めいいっぱい舞台をつとめ、急ぎ、国立演芸場へ。
チャリンコは浅草におきっぱなしで、地下鉄でむかう。
楽屋口から入り、神棚に手を合わせ、自分の名前の書かれた木札をかえす。これは楽屋入りしたという証拠。
勝丸さんの代演の楽日だ。
今回の代演依頼はボクはテストされているのだと思う。
国立演芸場に出るのに値するかどうかという。
出番前に、3月30日の仕事依頼をされた方が、偶然ぼくがここを出るのを知って、楽屋に訪ねて来た。
そうか、もう来年のスケジュールを考える時期なのか…。
この仕事依頼は、ボクのあるマイミクがその方を紹介してくれたのだ。ありがたいことだ。

15分間、いつもの指揮者芸をする。
ここではボクが指揮するときに、ピンスポットに照明を変えてくれる。
贅沢なことだ。
客はかなりの反応。
ブラボーの声援も飛ぶ。
最後の朝比奈隆が終わった時に、拍手が手拍子に変わり、なんと客席がアンコールになった。
自分でもビックリ。
でも持ち時間を越えるわけにもいかないので、スゴスゴと指揮者道具をのせたカートを押しながら、舞台をはける。
袖で、お囃子のお姉さんが拍手をしてくれ、楽屋に戻ったら、笑組さんには
「アンコールに答えればよかったのに」と言われ、怖いと思っていた柳家小満ん師匠にも、
「今度はベートーベンのかっこをして、耳が聞こえないので、音楽とずれた指揮をしてみれば」と笑顔で話しをしてくれた。
劇場関係者にもみんなに喜んでもらい、担当の方には「次には音を…」なんて言ってくれるから、また呼んでくれるかなと思ってしまった。
『タクト音楽祭』にも来ていただいた方なので、「コントのほうの東京ユニットもよろしくお願いします」とは言ったが、まずは指揮者芸からみたいな感じだった。
なんとか森さんと二人で、食えるようになりたい。
旧難波花月のときもそうだったけど、ここの劇場スタッフもけっこう厳しい感じがしていて、その職人のような方々に話かけられると、なんか認められた気がしてうれしいものだ。
担当の方が言いにくそうに、「ちょっと受けすぎかな。ここは落語中心の劇場なので…」
「ボクは、まだ受けを調整できるほど技量はないです。もう必死です」と言ったが、たしかにこういう話は聞いたことがある。
落語は聞かせる芸だから、ひざ(前)で受けすぎるのは具合が悪い場合があるらしい。

じつはオペラにも同じような考えがある。
モーツァルトやヴェルディなどのオペラは、歌手中心だったので一曲一曲歌うごとに、声援や喝采をもらっていた。
そのつど、芝居は止まり、歌手は観客に応えていた。
それにごうを煮やしたワーグナーは「楽劇」という、芝居中心で演目の間には一切観客の拍手をいれさせない音楽を作った。
「ちゃんと聞いて、芝居の世界に入って」というわけだ。
お客が起きるのを嫌う。
落語を聞く空気が変わるのを嫌う。
ただ僕の場合は、客をいじるわけでもないし、荒らすわけでもないから落語の師匠方はすごく好意的だ。
だからきっと独演会にも、ときどきひざで使ってくれるのだろう。
担当の方に言われて、逆になんか気分が高揚した。

柳家 小満ん師匠が「時そば」を25分かけて演った。
ほんとうに、おそばがおいしそうだ。
おなかがなった。
お囃子のお姉さんが、「ね、名人でしょ」と僕に言った。
ほんとうにそう思った。
そば一つ食べる演技に、こんな感動をしたのは初めてだ。

浅草に戻って、自転車で家に帰った。
浮かれた時には落とし穴があるものだ。
6時になって、ピッチが鳴った。
「兄さん、5時半に待ち合わせやろ!」って、この前、タクト音楽祭で幕前で開催宣言してくれたシベリア文太からだった。
「ごめん!すっかり忘れてた。もう、家に帰ってもたわ」
悪いことをしたなあ。
今までは、スケジュールなんて詰まっていなかったから、記憶していても大丈夫と思っていたが、ここのところ一日に複数の予定が入りだしている。手帳を買わなきゃ。
でも、あしたは何もない。
「ボクは5才」を見に行こうか、美術館に行こうか、音楽にしょうか…。
こんなときに、一緒に出かける女性もいない。情けない。
ま、この年で女性と一緒になんて言っているほうが、情けないか。

音楽祭でもらった花で、部屋が埋め尽くされている。
幸いミーコも花にはいたずらをしないので、すごく花に囲まれて幸せ。
ちょっと自慢げに思われるかなあ、きょうの日記。

88タクト:2007/11/12(月) 12:15:32
史上最高の映画「ボクは五才」
ついに「ボクは五才」をラピュタ阿佐ヶ谷に見に行った。
1970年公開だから、37年ぶりに見たことになる。

感動した。
もう説明はいらない。
けっこう入っていたお客さんも、みんな泣いていた。

この映画は、「母を訪ねて3千里」の日本版で「父を訪ねて4百キロ」という人が多いけど、全然、こっちのほうが上を行く。
こんな素晴らしい映画を作れる日本人の感性に改めて脱帽。
しかし、こんな珠玉の名作が保存の状態が悪く16ミリフィルムでしか再演できない、もうほとんど闇に葬り去ろうとしている現実に愕然。
日本のトキのように、この映画をなくしたとき日本の大きな財産が消え、人々は初めて失ったものの大きさに気づくことになる。

89タクト:2007/11/12(月) 12:40:03
対談・ミュージカル・ソウの名手!都家歌六(みやこやうたろく)師匠
今回、本を出すにあたって、原稿で採用されたのと没になったのをあとで冷静に見てみると、やっぱり没にされたのは、何かが足りなかったりそれなりの理由があったのだと思っています。
また私は国語の通知書はずっと3だったし、一回2をとったこともあった(これは、先生に反発して期末試験をボイコットしたため)。それでも本が出せるのだから、必ずしも本が出ることと学校の成績とは別の次元なのかもしれない。

一時、削除しましたが、のこぎり弾きの名手、歌六師匠との対談を今回のBBSに載せようと思います。


     対談・ミュージカル・ソウの名手!

私がよくお世話になっている師匠、都家歌六(みやこやうたろく)師匠が、演奏するために使う楽器はなんと「のこぎり」。実は海外では「ミュージカル・ソウ」と呼ばれ、ハチャトリアン、オネゲル、ミヨー、ヘンシュ、黛敏郎らがこの楽器のために曲を書いているぐらい、のこぎりは楽器としてりっぱに認知されている。
 現在、この楽器のみを独立して寄席芸にした第一人者、都家歌六師匠にのこぎり音楽の魅力についてうかがってみた。

好田タクト(以下タクト)「師匠は実は、落語家なのですよね」
都家歌六師匠(以下歌六)「そうだよ。昭和二十六年、二十歳のときに三代目桂三木助師匠(故人)に入門したんだ。そのあと故四代目三遊亭円遊門に移って、昭和四十四年に八代目都家歌六で真打になったというわけ」
タクト「じゃあ、なんでのこぎりを」
歌六「家族を持ったのが大きなキッカケだな。もう三十歳過ぎて、自分一人ではないし、なんとか嫁せがなきゃいかん。しかし当時、上には名人級の師匠連中が大勢いた。個性を出さないことには商売にならない。そんなとき、こののこぎりと出会って習うことにしたんだ」
タクト「えっ、先生がいたんですか?」
歌六「もう亡くなられたが、高島巌さんという方。高島先生は、のこぎり音楽における我が国のパイオニア的存在だった」
タクト「のこぎり音楽の起源と歴史について教えてください」
歌六「この楽器の起源に対する説はいくつかある。北米インディアンの土着楽器説、十九世紀初めにスカンジナビアで演奏された説。最も有力視されているのは一八五〇年頃、南米の部族が歌の伴奏としてのこぎりをマレット、つまり木づちで打ち鳴らしていたのを、ドイツの行商人が応用して「歌うのこぎり」として売り出し、ヨーロッパやアメリカに流行らせた説。この頃に、のこぎりを弦楽器の弓で弾く奏法が考えられて定着したみたいよ」
タクト「当時はどんなところで演奏されていたのですか?」
歌六「サーカスやバラエティ・ショーでの需要が多かったみたい。特に一九二〇年代のアメリカでは、ボードビリアンと呼ばれる寄席芸人の人気芸の一つだったんだよ。ミュッセール&ウエストフアル社の演奏用のこぎり、『ミュージカル・ソウ』は、年間に三十万挺以上が売れたらしい。おもしろい記録では、一九二八年にクライバーというのこぎり奏者がベルリン国立歌劇場管弦楽団と共演しとる」
タクト「へぇー、それはすごい。では、現在活躍中ののこぎり奏者を教えてください」
歌六「のこぎり奏者のことをソウヤーと呼ぶんだよ。ロサンゼルス・フィルハーモニーのメンバーで世界的なソウヤー、ギド・ラメル、デビット・ワイズ、モーゼス・ジョシア、ミュージカル・ソウの本『スクラッチ・マイ・バッグ』を出したジム・レオナードなど。ちなみにジムの本には、私が写真入りで載っとる」
タクト「日本でののこぎり音楽の人気はどうなのでしょう。師匠はテレビでよく見かけますが」
歌六「最初のうちは奇抜な珍芸としておもしろく見られていたけど、今や、見るだけでなくやってみたいという人が増えたね。特に若い人が習いたがる。新鮮で刺激があるんでしょう」
タクト「協会を設立されていますね。師匠はそこで教えているのですか?」
歌六「平成五年に「日本のこぎり音楽協会」を創って初代会長にはなっているけど、教えるのはあとの者にまかせている。実は、私は楽譜から覚えたんではなしに、もっぱら自分の耳を頼りに体で覚えていったんだよ。でも、今の人は楽譜にも強いし、教え方にもメソッドやシステムを確立したいと思っているんで、その作業はまかせているんだよ」
タクト「古典芸能や大衆演劇、落語の世界では、口伝えや先輩の芸を盗むという習慣がありますよね」
歌六「私は自分の耳には絶対の自信を持っているんだ。小さいときから音楽が大好きで、この耳が納得できる域まで自分ののこぎり音楽を高めていきたい。妥協もしたくないし」
タクト「音曲芸についてどうお考えですか?」
歌六「確かに寄席やイベントで演奏するのは、客あっての仕事だから喜ばすことも大切だろう。笑いも必要。でも、そのために音楽がおろそかになってはいけないと思っとる。音楽的にも高いレベルのものをやりたいんだよ、私は」
タクト「師匠は大のクラシック・ファンでもありますよね。収集と研究もすごい」
歌六「落語レコードの収集では、テレビ『開運!なんでも鑑定団』で超高値がついたぐらい有名になっちゃったけど、実は、落語に劣らずクラシックに関するレコードや資料の収集も、金に糸目をつけずにやってるよ」
タクト「師匠にはトスカニーニをはじめ、貴重なビデオや録音テープを送ってもらいありがとうございました」
歌六「あんたの芸の参考になると思ったからね。実際、クラシック音楽の世界はエピソードがたくさんある」
タクト「では、師匠の一番好きな音楽家は誰ですか?」
歌六「ハイフェンツ。私ののこぎりもハイフェンツの域に近づければ」
タクト「話は変わりますが、ちなみに古今東西を通じて、最高の落語家は誰だと思いますか?」
歌六「『魚売人』の収録が残っている、大正元年に死んだ四代目橘家圓喬!」
タクト「落語からのこぎり演奏へ芸のジャンルを変えるとき、抵抗がありませんでしたか?」
歌六「逆だよ、逆。落語をしているときのほうが苦痛だったよ。私は人一倍観察力があったから、先人たちの名人芸と自分の芸を比べて、落語に対して頭打ちを感じていた。その点、のこぎりは全く新しい世界だった」
タクト「のこぎり音楽のどの部分に一番魅せられました?」
歌六「やっぱり音色だな。あの哀愁を帯びたビブラートはなんともいえない」
タクト「師匠のレパートリーはクラシックからポップスまで幅広いですけど、歌曲やアリアが多いですね」
歌六「音色がソプラノやテノール域に近いんだろうね」
タクト「ぼくなんか、ポルトガルの民謡『ファド』を連想します。切なくて、もの悲しくて・・・」
歌六「でも、明るい曲も多いんだよ。まあ、これからも何でも挑戦していくけどね」

  (新宿三丁目末広亭近くの居酒屋にて)

90タクト:2007/11/15(木) 13:20:39
賞味期限の話。
賞味期限の問題があちこちで起きている。

私の近くの激安スーパーはすごい。
2階の端っこに8割引ぐらいの投売りコーナーがあるのだが、そのキャッチフレーズが、

「賞味期限が過ぎていますが、大丈夫です」

この言い切る潔さ。
廃棄処分にするより、よっぽど良心がある。

91タクト:2007/11/18(日) 07:53:16
新聞配達の話。
ぼくの家は、母子家庭だったのでぼくと妹は奨学金もらいまくり兄弟だった。貸与型の日本育英奨学金(いま問題となっている未返済の人とは違って、大変だったけどちゃんと30歳までに返しましたよ)以外に、ライオンズクラブ奨学金、竹中育英奨学金(以上2つは支給型)ももらい、それに県立高校在籍時は授業料免除生徒で、免除制度利用者としては兵庫県では第一号でもあった。
でもそれらは生活費や学費に消えてしまい、レコードを買ったりするためのこずかいがほしいときは、学校に見つからずこそっとバイトするのには新聞配達はうってつけだった。
その後も読売新聞奨学生をやって進学したので、新聞配達はのべでしたらかなりやったことになる。
ちなみに19歳の時の関西の読売新聞奨学生が参加する、新しいお客さんを開拓する「夏休み拡張コンクール」は、ぼくは200件の新規契約を達成し(関西一位)、それまでの当時の記録を塗り替え、その報奨金で中型バイクを買った。

でも実際はこの仕事はきれい事の世界ではなく、荒っぽさと孤独もともなう割の合わない仕事でもあった。
朝、というより夜中午前3時に起きて本社からトラックで持ってくる朝刊の新聞3千部を受けて、バイトのおばちゃんたちに手配し、自分の区域や代配をし、不配があれば持って行き、朝8時ごろまでは販売所にいた。
夕方も午後3時に販売所に行き、夕刊を配り、そのあとは翌日の朝刊に差し込むためのチラシ準備、25日過ぎからは夜には集金と、一日中新聞配達業務に携わっていた。
ぼくが配備された直売所は、オーナーはなまけもので現場には出てこず、専業員もいなかったので学生のぼくらがし切ってやっていた。ちょっと大人びた気になって、5千円ほど割り増しされた特別手当でごまかされて…。
ぼくも本業の学業はおろそかになり、お金の入るおもしろさにどんどん生活は流されていった。
奨学生の女の子(数は少ない)なんかは、最初は純粋に地方から出てきて学業との両立にがんばるのだが、運悪く劣悪な販売所の環境だったりするとどんどん生活が乱れる子もいた。

ただ個人的には、この仕事は性に合った。
闇夜から静まり返る、眠っている町の中を動く孤独な感覚が好きだった。
四季の季節感を直接肌で感じる、鋭さが何か研ぎ澄まされている感じがした。
犬にも吠えられるし、マンションから投身自殺した死体を発見したこともあったが、自然と語らいながら、星空の中を駆け巡り、やがて朝焼けの光の中に自分が立つのが気持ちよかった。
夏は上半身裸で、冬は凍った地面にバイクがスリップしないように、マンションの階段から滑らないようしながら、駆け抜ける。
(今だったらダイエットにもいい。当時はぼくは55キロしかなかった)
その頃に読んだ中上健次の小説が、この新聞配達青年を題材にしており、のちの映画化にもなった「19歳の地図」に無性に共感した。

今、夜中の3時4時に目が覚める。まだ2時間ぐらいしか寝ていない。
でもそのまま起きて動いてしまう。

闇夜に孤独な中で作業するのが、すごく楽しい。

92タクト:2007/11/19(月) 08:41:17
カリスマたちの舞台裏 オペラ編
  カリスマたちの舞台裏 オペラ編 練習初日の稽古の一喝

 その日の彼は少し緊張していた。歌劇「蝶々夫人」の練習の初日だったからだ。新人の彼は、もちろん早めに稽古場に着いた。今回の公演の演出家が、すでに腕組みしながらイスに座っていた。
  噂どおり、恐そうな先生だなあ。失敗しないようにしよう。
 しばらくして、「おはようございます」という声とともに、メンバーが集まってきた。コレペティトールと呼ばれるオペラの稽古をするときの下稽古を担当するピアニストもいた。
 なにやら演出家が事務局の人に怒っていた。
「そんなことで「蝶々」が振れるか、わしゃ帰る!」
 演出家はいきなり大声で怒鳴ったかと思うと、ものすごい剣幕で稽古場を出ていった。
 彼はびっくりした。事務局の人の話では、手違いで指揮者の隠田さんが今日の練習に来られないらしい。それが演出家には気に入らなかったのだ。
「時々やるのよね、こうやってみんなの気を引き締めようとするんだから」
 さして動揺もしていなかった、ソプラノ歌手がぽつりと言った。
「稽古は明日からにします」と事務局の人のひと言で稽古は解散になった。

 次の日、稽古場には談笑する指揮者と演出家の姿があった。しかし、歌手たちの間には今度いつ自分たちが怒られるかもしれないと常に緊張感が張りつめていた。彼はなぜかカリスマの指揮者、レナード・バーンスタインの言葉を思い出していた。
「感情を露にする、怒りを見せることは時には必要なことです。大変だと分かっていても奏者にそれを厳しく要求する。彼らは何とかしようとがんばるだろう。そしてチームワークは生まれ、私に対しては慎重になる」
  そ、そうか。カリスマとはいきなり怒ることなんだ。それも無理難題で・・・。
 そういえば、喜劇役者の大御所、花紀京さんも岡八郎さんも急に怒ってたなあ。さっきまで笑っていたというのに。

93タクト:2007/11/21(水) 06:22:05
「レコード芸術」の12月号に掲載中。
クラシック界の権威ある雑誌「レコード芸術」の12月号(発売中)の383ページの下に、私の新刊のことが掲載されていただいています。

94タクト:2007/11/22(木) 08:34:46
八大悪女伝説の話。
きょうは午前中は、毎水曜日行っている予定をこなして、昼過ぎにいったん家に帰る。
夜は、アンフィニ・オーケストラと「クラシック寄席」の日。
いつもは第二水曜日だが、今月だけは第三水曜日。
アンフィニ・オーケストラの楽員たちと何人かの芸人と世界中を回って、世界中の人達を笑いに包むのが夢。
実現できそうな気がする。
『タクト音楽祭』や『クラシック寄席』はその試金石。
というわけで、アンフィニやクラシック音楽にちなんだ、オペラのエッセイを載せますね。
オペラには、悪女がたくさん登場しますよ。
女性は怖いですね〜(タラ〜)。


??????????    八大悪女伝説


 演劇、音楽、美術など多分野の才能が終結して作り上げられるオペラは、総合芸術だと言われている。しかし、「名曲」と呼ばれている作品の中には、文学的完成度から見ると稚拙で矛盾だらけの「何じゃ、こりゃ」と思えるものもけっこう多く存在する。台本が弱いのに、なぜみんなから支持されるのか。
 答えは「音楽」にある。うまい歌手がすべてを帳消しにしてくれるとまでは言わないが、セリフや動き、心理描写、ドラマ展開までが「歌と音楽」に集約されているのだ。オペラは、音楽への依存度が高く、だからこそ「音楽劇=歌劇」なのだ。音楽がすばらしいとそれだけで聴き手の心を揺さぶり、ましてや音楽と歌手とドラマが見事に溶け合った舞台を見たならば、あなたの心は間違いなしに、オペラの魔力に引き込まれるだろう。

オペラによく登場する悪女。そのなかでも選りすぐりの悪女が出てくるオペラを紹介しよう。題して、「八大悪女伝説」。きみも彼女たちに近づいたらやけどをするよ。

アドリアナ・ルクブルール(チレア作曲)

パリの人気女優アドリアーナの恋人マウリッツオは、社交界のブイヨン公爵夫人からも迫られている。嫉妬と侮辱に燃える侯爵夫人は、花に毒薬を仕込む。恋人からの贈り物だと思ったアドリアーナは絶息。登場人物は実在した。女二人の闘いが見所だ。侯爵夫人、毒を仕込むのはやり過ぎだぞ。

カルメン(ビゼー作曲)

スペインのセビリヤにある工場に勤めるカルメンは自由奔放な情熱女。気まぐれな彼女は、竜騎兵伍長で純情なホセを誘惑し、悪の道に誘い込む。闘牛士を新恋人にするカルメンを、逆上したホセは刺し殺す。世界一ポピュラーなオペラ。アグネス・バルツァというカルメン名人が健在している。

サムソンとデリラ(サン=サーンス作曲)

ペリシテ人の英雄サムソンの怪力を封じるため、ヘブライ人は美女デリラを差し向ける。サムソンは彼女の色仕掛けで捕らえられるが、最後の力で神殿を破壊する。第二幕第三場の「あなたの声に心は開く」は、歌劇史上屈指の誘惑アリア。

サロメ(リヒャルト・シュトラウス作曲)

ユダヤ王女で少女のサロメに欲望を抱くヘロデ王は、「七つのヴェールの踊り」を踊らせ、望みのものを与える。サロメが望んだものは、恋心を抱く預言者ヨカナーンの首だった。その首にキスをする。マリア・ユーイングはサロメ役でほんとうに全裸になった。

タンホイザー(ワーグナー作曲)

愛欲の女神ヴェーヌスの世界から帰還した騎士タンホイザーは、清純なエリーザベトと出会う。過去を悔いるタンホイザー。エリーザベトの死がタンホイザーを肉欲地獄から救い出した。悪女ヴェーヌスの官能場面は、ストリップ顔負けの過激演出が多い。サロメと並んで、おやじが双眼鏡片手に勝負を賭けるのはココだ!

ポーギーとベス(ガーシュイン作曲)

1930年代のアメリカ。困っていた情夫ベスをかくまい、看病したり、元気づけたりする献身的なポーギー。彼が留守中には、前夫と寝たり、麻薬に手を出し売人と駆け落ちするベス。さんざん世話になり愛を確かめ合ったポーギーを裏切る、寂しがり屋さんのベス。「サマー・タイム」の歌は有名だ。

マノン(マスネ作曲)

十八世紀パリ。天使のように美しいマノンは、騎士デ・グリューと一緒になるが、贅沢と自堕落ゆえに、売春はするわ、警察に追われるわで、最後は北米で死ぬ。

ルル(ベルグ作曲)

踊り子ルルが画家と戯れるところを見た夫は発作で死ぬ。ルルの実態を知った画家は自殺する。ルルと結婚した博士は、ルルに撃たれる。博士の息子と一緒になったルルは売春婦になり、息子は客に殺され、ルルも殺される。ルルを愛した男たちの悲劇のオペラ。


ね、悪女もいろいろでしょう。困ったことには、本人に「悪女」という自覚が全くないということだ。

95タクト:2007/11/22(木) 09:43:49
好色八人男の話
最近は夜空を見上げると、星がすごく多くてきれい。
月の光も思いっきり輝いている。
まだ街の明かりで少しさえぎる部分はあるけれど、都会の夜空もずいぶん透き通って星が輝いて見えるようになってきた。
では、今回は前回の逆でオペラの「好色八人男」の出番です。




         好色八人男



 夜の淑女たちには不思議ともてる、スケベでしゃきっとしない男たち。不幸はいつも女性側。惚れなきゃいいのに。そんな色恋ざたの名作オペラを紹介する。

カヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ作曲)

 恋人のトゥリドゥが、前の恋人ローラと仲の良いことを嫉妬したサントッツァはローラの夫アルフィオに告げ口してしまう。ミサのあと、アルフィオと決闘して殺されたトゥリドゥ。彼は死を覚悟していた。

蝶々夫人(プッチーニ作曲)

ほんま、ピンカートン、無責任な遊びはあかんで。淫行罪で逮捕する!

椿姫(ヴェルディ作曲)

 パリの高級娼婦ヴィオレッタに、愛の告白をする田舎貴族アルフレード。純粋さに惹かれた彼女は一緒に暮らすが、財産は減っていく。アルフレードの父に息子と別れるよう請われ、再びパリに戻る。肺の病で床に臥しているヴィオレッタ。真実を知ったアルフレードが駆けつけたとき、彼女は静かに息を引きとる。

トスカ(プッチーニ作曲)

 歌姫トスカに欲望を抱く警視総監スカルピアは、トスカの恋人カヴァラドッシを難癖つけて捕らえ、拷問する。恋人の命と引き換えに貞操を要求されたトスカは、スカルピアを刺殺したが、恋人も殺され城壁から見を投げる。「トスカ」、「椿姫」、「カルメン」は世界三大オペラなんだって。登場する建物は今もローマに実在している。

ドン・ジョヴァンニ(モーツァルト作曲)

 希代の女たらしドン・ジョヴァンニ。ある夜、娘にイタズラしたことに怒った父親の騎士長を殺してしまった。彼は懲りずに、従者とつるんで次々と女を誘惑。復讐を誓う女たち。最後は、殺した騎士長の石像が、彼を地獄に連れ去る。ドン・ジョヴァンニが関係した女性はなんと二〇六四人! 1%分けてくれ。

ファウスト(グノー作曲)

 悪魔メフィストフェレスに魂を売って若さを得た老博士ファウストは、美しい娘マルグリードをもてあそび、身ごもらせ捨ててしまう。兄も殺され、わが子を殺したマルグリードは神に救いを求め息絶える。美女と乱痴気から戻ったファウストは悪魔と地獄へ落ちる。
最後には救いがある。宝石の歌など名曲多い。

フィガロの結婚(モーツァルト作曲)

 主人であるアルマヴィーヴァ伯爵は、従僕フィガロとの結婚を控えた侍女スザンナを狙っていて、初夜権の行使も考えている。それは大変と、おませな少年、長い独り暮しに悩む伯爵夫人、実の息子とは知らずフィガロの結婚を企む女中頭などが種々入り乱れての大騒動珍解決。古今東西歌劇中一、二位の人気。

リゴレット(ヴァルディ作曲)

 町の領主マントヴァ公は大の女好き。日夜一緒に乱交する道化リゴレットをよく思わない公爵の家来たちは、道化の愛娘ジルダを誘拐。公爵から辱めを受ける。復讐を誓うリゴレットは、公爵殺しを殺し屋に依頼。しかし、公爵への思慕を捨てきれず、ジルダは身代わりとなる。リゴレットは娘の死骸を見て絶望する。

 先頃、名テノールのパヴァロッティ氏が亡くなった。パヴァロッティが歌うマントヴァ公爵の「女心の歌」、風の中の羽のように〜♪の高らかな歌声が今も私の耳から離れない。追悼。

96タクト:2007/11/23(金) 11:44:36
すてきな一日。
17年前に、NHK教育テレビの「あしたもげんきくん」のげんきくん役に無名のぼくを抜擢してくれたプロデューサーと15年ぶりに会った。

一度、名古屋に転勤されて、また本局勤務になった。
今月初めに、偶然NHK内の本屋で出たばっかりのぼくの著書「世界一楽しい タクトクラシック音楽館」を偶然見つけ、即買って、読んで涙が出たそう。
それでネットで検索してぼくのホームページを見つけ、そこからメッセージが送られてきて、連絡を取り合いきのう15年ぶりに会うことになった。
「ぼくは、その日の夜は三遊亭遊吉師匠の落語会に聞きに行くんです」
「三遊亭遊吉さん?私の隣に住んでいる人です。一緒に行きましょう」
なんでも、隣に噺家が住んでいて、家族の団欒がよく聞こえてくるのだが、きちんと会って挨拶したことがなかったので、前から会う機会を望んでいたそう。

午前中からの2つの取材を終え、3時半にNHKエデュケーショナルへ。
ぼくは本当に自分でも良くないと思っているのだが、げんきくんで数年間お世話になった各ディレクターとほとんど連絡が途絶えていた。
海外に行ったり、年賀状を出さなかったりで不義理をしてしまう。
それらの人達の近況を教えてもらったり、久しぶりに会ったりして、またありがたいことに新番組のお話も打診された。

夕方に局を出て、遊吉師匠の会がある新日本橋亭に行った。
師匠の落語をニ題、合間にはボクが好きで舞台も一緒になったことがある桧山うめ吉さん(美しい女性)も出ていた。
遊吉師匠の奥さんも来ていたので、プロデューサーとの交流ができた。

帰りに2人で居酒屋に入った。
こうしてお酒まで飲んで、じっくり話をしたのは初めて。
「好田くんにげんきくんをやってもらって、ほんとうによかったのか、恨んでいないのかとずっと思っていた」
と言われたので、
「とんでもない。あの番組との出会いはぼくには財産ですよ。あれで、自分の次に進むべき道が開けましたから。やっていた内容も、どこにも負けない自信がありました。ほんとうに感謝しているんです」
そうです。世間から見れば小さいことかもしれませんが、ぼくが「げんきくん」をやっていなかったら、途中で息切れして芸人をやめていたかもしれない。
ぼくの大切な恩人。

遊吉師匠の落語を聞きながら、朝「ちりとてちん」を見ながら実感した。
15年以上の時の隔たりが、点が線となって結ばれていき、新しい出会いが生まれて輪が大きく広がっていく。

地味な出来事かもしれないけれど、ぼくには2007年11月22日はすてきな一日。

97タクト:2007/11/25(日) 05:48:38
先哲の言葉
?????????????????? 先哲の言葉


一、努力のないところには幸福はない、決断のないところには解決はない。

一、賢い人は知っていることしか言わぬ、愚かな人は知らないところまで口を出す。

一、他人の短所を責めてはならぬ、自分の欠点を許してはならぬ。

一、知ることがむずかしいのではない、おこなうことがむずかしいのである。

一、善の芽は育てねばならぬ、悪の芽はたやさねばならぬ。

一、苦しみが残していったものを味わえ、苦難もすぎてしまえば甘い。

一、涙とともにパンをたべた人でなくては人生はわからない。

98タクト:2007/11/26(月) 07:23:19
日本一になったの話
きのう、池袋手刀で行われた【第5回 GO!ヒロミ44’の帰ってきた漫談日本一決定戦】に初参戦した。
なんとお客さんが選ぶという方式で、私が日本一(!)になった。

素直に、うれしー!


会場となった池袋手刀(ちょっぷ)は満席。
ここんところはGO!ヒロミ44’ のカリスマ人気も手伝って、ずっと満席が続いているとのこと。
GOさんのいっぱい用意されたCDやDVDも早々と完売していた。
GOさんに誘われての初めての参加だったが、不安が的中した。
ぼくの前に出ていた演者を見ていて、ありきたりのネタではまったく通じない異常で独特の雰囲気、目の血走った真剣な客たち。
まるで、GOヒロミ教の信者たちの集会みたいだ。
「こりゃ、苦戦するかも…。ま、いつもどおりやるだけ」

でも、実際に舞台に立ったら作り物のトークは受けないが、本音のトークはほんとうに客席の反応がよく、またライブハウスなので音響がすごく響いて指揮者芸も演じやすかった。
とはいっても、それほど受けたとは思えず客も「誰?この人」って感じだった。
このライブに合う合わない芸風というのがあるのだろう。
GOさんのライブは以前は長井秀和君(なべや時代に一緒)や鳥肌みのるさん(東洋館で一緒)、もちろん猫ひろしさん(今回はインフルエンザ)も参戦していたり、今回の出演者も一筋縄ではいかない強者ばかり。
第3回、第4回とGO!ヒロミ44’さんが連続チャンピオンになっているそうだ。
で、今回の結果は…、なんと私が日本一。
終りの打ち上げでは、芸人ともお客さんとも仲良くなれて、何人かには「すごくおもしろかった」とか「感動した」とか言ってもらえて、マイミク同士になることも約束しあった。
なかには、「タクトさんの書いた『もう一つの上方演芸』をすごく愛読してます」なんて言ってくださった方もいて、さっそくマイミクになっていただいた。
編集者のアルト君(マイミク)もさぞうれしいことだろう。

今回、参加してよかったなあ、とつくづく思った。
それにしても、GOさんの芸はやはりすごかった。
ぼくはほんとに一ファンになってしまう。
狂気もネタも迫力あるが、歌も声のトーンも間もすごく達者だ。
ほかの出演者で、ぼくが好きになった芸人さんの何人かの感想。
元気いいぞうさん、いいなあ。すべておもしろく聞かせる歌。
みつまJAPANさんのあい変らずの狂気ぶり。
みつまさんが芸風で悩んでいることを言っていたが、このままやればすごい世界ができるからがんばってと言ってしまった。
だって世間が気づかないだけだもん。
ま、みつまさんに限らず今回の芸人はみなそうだけど。
殿方充も切れ味あったなあ。
初めて殿方さんと一緒になるので期待していたらその通りの方でした。
原田16才さんも明るかった。
本人は「ぼくだけがテレビに出るのを意識している」なんてシャレで言っていたけど、どうみても僕たちと同じ種類の芸人だろう。
チャーリー東京さんが77歳なのはビックリした。

GOさんに第六回も出てと言われてしまった。
新しいネタ、そんな簡単にできないのに…、でも言われてちょっとうれしい。
GOさんとは12月7日のワハハ本舗の「喰始のお葬式」で一緒になる。ま、今回の出番はネタじゃなさそうだけど。

GO信者のみなさん、これからもよろしくね。


月末まで寄席の出番がないから、京都や奈良に仏像を巡る旅にでも行ってこようかな。
それと、今日か明日の「週間朝日」に著者紹介でまる一ページ出るので、みなさん今度こそ中を確かめて見てね。

99タクト:2007/11/26(月) 07:50:16
ウルトラマンの矛盾
日曜は午前中も夕方もいまも男の子たちを喜ばせる特撮ものが放送されていますね。
また、仮面ライダーやウルトラマンなどは懐古ブームもあってDVDレンタルも大人気ですね。
しかし、前からあの手の番組の内容に矛盾な箇所がいくつもあって気になっていたのです。
今回は「なんか違うだろ・初代ウルトラマン」です。

早田隊員がウルトラマンに変身して、カラータイマーが鳴った時、石坂浩二が大学時代にバイトでやっていたナレーションの声で、
「ウルトラマンの太陽エネルギーは地球上では3分間しか生きられない。がんばれウルトラマン!」
てなことを言ってますが、ぼくは全作品ウルトラマンの出ている時間を計りました。
なんと、第7話の「ベラージの青い石」のアントラーでは、番組開始19分20秒から22分54秒まで3分34秒かかっていることを発見。
第28話「人間標本5.6」のダダのときに至っては、番組開始18分38秒から24分40秒まで、6分2秒も地球にいます。
ちなみに短いのは、怪獣最強といわれるレッドキングの出る第8話「怪獣無法地帯」で、開始22分40秒から24分26秒でわずか、1分46秒。決め技も首投げ一発でレッドキングは失神。スペシューム光線を出すまでもなし。
レッドキングの着ぐるみは頭部を取り替え、体色を青く塗り直して怪獣アボラスとして第19話「悪魔はふたたび」で再利用されたのち、もう一度頭を作り直して第25話「怪彗星ツイフォン」に再登場しています。
再登場のときは健闘して、番組開始19分33秒から21分59秒までウルトラマンと戦っており、2分26秒かかって最後は八つ裂き光輪の餌食になっています。
しかし、なんで怪獣ナンバー1がレッドキングなんでしょう。
2位はゴモラ。
ちなみに、ゴジラにえりまきを巻いて襟巻怪獣ジラースというのもあるし、ウルトラマンが宇宙に行って、回転したらまわりの星まで回転していました。
ちなみに着ぐるみの中に入っていたのは、ウルトラセブンの天城隊員の役の人です。
顔は広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像がモデルで、きたないのときれいな顔など3種類があり、4人の脚本家が交互に作っていました。

ちなみに仮面ライダーにも納得できない流れが。
ライダーが番組前半に出てきて、ショッカーに箱に閉じ込められ爆破されたのに、番組最後に出てきて、怪人が、
「ライダー、おまえ死んだんじゃなかったのか?」と聞かれ、
「ばかめ、ライダーは不死身なのだ! トォー!」って復活したのも納得できなかったなあ。

100タクト:2007/11/27(火) 07:15:52
「週刊朝日」(12月7日号)の109ページに載っています。
きょうから発売されている「週刊朝日」(12月7日号)の109ページ「ひと」に、著者インタビュー記事として、私と著書『世界一楽しい タクトのクラシック音楽館』(実業之日本社)が、まる一ページ紹介されています。

見てね。




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