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タクトの世界

33タクト:2007/07/16(月) 07:15:54
花月の素敵な人たちの話
僕は吉本には4年ちょっとしかいなかったし、全然実績も残さなかったので僕自身のおもしろい話はありません。でも、ホームグランドである劇場、花月(かげつ)にはずっと出入りしていたので、僕の目の前で出くわしたエピソード、素敵な師匠、芸人、スタッフの話はけっこうあります。
今回はそのいくつかを。

「高石太兄さん」・・・吉本新喜劇の先輩で、かなりの太っちょで舞台の端から端までヘッドスライディングをして、滑って摩擦したおなかを出して「あつあつあつ!」というカルトなギャグをする兄さん。僕は太兄さんにたいそうかわいがられた。ある時、兄さんに「うなぎ弁当買ってってくれ」と言われ、急ぎ花月の近くの店から弁当を買っていったら、「これどこのうな弁や」「いず○やです」「アホ!うな弁はたに○わがうまいんや。買いなおせ」と言われ、最初から店名を言ってくれたらええのにと思いながら、今度はたに○わのうな弁を買って来て、両方の包装紙を開けてお茶を入れてたら、太兄さん、興奮しながらいず○やのうな弁をとって食べながら、「やっぱりたに○わや。見てみい、米の立ち方かて違う」。あの、それいず○やなんですけど、とも言えず、「おまえはそっち食え」と僕はたに○わのうな弁をいただいた。またある時は、太兄さんが芝居の稽古でいつものようにアツアツギャグをしようとしたら、花紀師匠が、「太、それ芝居に関係あるか?芝居の邪魔になるからやめ」と言われて、シュンとなって僕の近くに来て「京やんと一緒やったら、やりたいことできひん」。が、若手の僕らがギャグでも入れようものなら「まだ早い」と真っ先に注意してた。アツアツ音頭というレコードも出して、僕らはアツアツ隊として横で踊らされたし、一度赤川きくお兄さんとコンビを組みかけた時は、コンビ名が「高石太のアツアツショー」。赤川兄さんが「僕の名前はどこにありますの?」と聞き返したら、「の、がそうや」と言われコンビ結成は幻となった。

「滝あきら師匠」・・・当時でも結構な年配で、(一人でしゃべる話芸)漫談家でした。出番が早いので、まだ僕以外誰も来ていない新喜劇の楽屋にしょっちゅう遊びに来て、気さくにしゃべってくれるんです。最初こそ緊張しましたがすぐにやさしい師匠のファンになりました。ネタが、「三船敏郎、ビールのCMで下唇についたビールの泡をふっと吹いて、テロップが男は黙ってサッポロビール。このギャラがなんと一億円でっせ!泡吹いて1億円。うちの親父、泡吹いて死んだがな」とか、「神田正輝と聖子ちゃんの結婚式よろしおましたな。聖子ちゃん抱きかかえられてましたわ。あれで集まった祝儀、3億円やて。正輝、かわいい聖子ちゃん抱いて3億円。わて、ソープで姉ちゃん抱いて3万円取られた、いやそのあのね・・」 その滝師匠がヤングオーオーに出たらしい。そのことを梅田花月の楽屋で僕に言うので、僕も「師匠もメジャーですね」「そやろ、そやろ」そして滝師匠の出番、僕は3階の新喜劇の楽屋横にある照明室から師匠の舞台を見る。いきなり「ヤングオーオーでおなじみの滝あきらです」一回出ただけやのに・・・。

「レオナルド熊師匠」・・・花月では時々、東京の芸人さんを招聘することがある。そんな時は、なぜか僕に世話係が回ってきました。「もう、かえろうよ」の松鶴屋千代若・千代菊師匠にも10日間ついたし、レオナルド熊師匠が新喜劇にゲストで来たときもお手伝いをしました。実は初日、熊師匠はすごく緊張してました。そしておとなしかったんです。でも3日目あたりからどんどん自分の台詞を面白くしていって、楽日には本当に大爆笑にしてました。「いやあ、東京にはこんなのはないわ」とか舞台で言って、お客さんの自尊心もくすぐった笑いも取ってました。その時に楽屋のテレビで「お笑いスター誕生」のサバイバルシリーズでコントらぶこ〜るが優勝した模様が流れていて、らぶこ〜るの森はじめさんを指差して「これはオレの弟子だ」。まさかその森さんと20年後にはコンビを組んでコントすることになろうとは。

「パーレカズさん」・・・ジャグリングやバランス芸を一人でするおじさんパフォーマー。胸元にピンマイクをつけて激しい芸をするのだが、途中一回舞台を引っ込むところがある。その時にピンマイクがオンなのに、「あ〜、しんど」 その声が花月中に響き渡ったのはいうまでもない。

「一陽斎蝶一師匠」・・・マジックの大御所で、「せっしょやな」が口癖。僕はある時から一時期、後見(こうけん・舞台に一緒に出てマジックのお手伝いをする係)を頼まれるようになりました。新喜劇の出番もなくなってきたし、師匠から頂くギャラが新喜劇よりもいい。でも、そんなに必要かな、と思えるぐらいたいしたお手伝いはしなかったです。なにせ、アシスタントの女の子もいるんですから。ロマンスの喫茶店で師匠が「好田くん、今度使うマジックは大掛かりやでえ。アメリカからすごい高い金払って買ってきたんや」 で、実際の舞台でいよいよ佳境に入ってその大掛かりなマジック、人が入れる箱の中に棒状の蛍光灯がいっぱい刺のように仕掛けられている。そこにアシスタントの女の子がわずかな隙間に入って戸を閉めてふたをする。師匠が箱の横のハンドルを回す。中から女の子が「あかん、あかん、いたい、いたい」って言っているのに、蝶一師匠、汗びっしょりしながら無理やりハンドルを回す。パリンという音がした。そして一度、扉をあけると女の子が消えている。そしてまた扉を閉めてハンドルを回すと女の子が無事生還。横にいる僕は見逃さなかった。女の子の脇から血が出ているのを。

「マジカルたけし師匠」・・・枝雀さんの兄弟のマジシャン。壷に仕掛けられている水をいたずらな芸人が捨ててしまった。それを知らないたけし師匠が舞台で「さあ、これで水が出てくれば拍手喝さい・・、水が、水がでえへんがな!」

「原くん」・・・当時、梅田花月の進行をやってた原君としょうっちゅうプロレスごっこをしていた。KWA(カゲツ・レスリング・アソシエーション)というチャンピオンベルトまで作ってた。「好田はん、早よ降りてきてえな」と原君に言われたら、「トリあがりました」と他の劇団員に知らせてすぐに上手舞台裏手へ。12分一本勝負。青山君も加わることもあった。新喜劇が始まる前に板付けなので舞台につくのだが、先輩達に「なんや、芝居始まってないのに、汗びっしょりやな」と不思議がられた。部隊の最後になる新喜劇の先輩達の後片付けの為に最後まで楽屋に残っているので、お茶子(楽屋の世話をするおばちゃん)とはすごく仲良くなった。なんば花月のお茶子さんには、「好田くんはやさしすぎるわ」と、ほめ言葉でもないようなことをよく言われたなあ。僕、まだやめんとやってますよ・・・。

NGKができたての時、外人大道芸人が来ました。「アホンダラ ミーンズ サンキュウ」、坂田師匠のアホ歩きを覚えさせて「ジャパニーズ トラディショナル フォーマルウォーク」・・・。

確かに、個性の強い芸人さんは多いですけど、みなさん懐に入ればやさしい方ばかりでしたね。それに、寄席小屋は第二の家みたいな拠り所になっている人たちも多いと思います。今の吉本は正直わかりませんけど。




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