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タクトの世界

27タクト:2007/07/06(金) 15:18:18
吉本リーグの話
今度は芸人になってからの野球の話をします。

僕が吉本に入ったころぐらいから、どんどん芸人の数が増えてきました。
確か当時所属タレントが177名いる、なんてことが本で書かれてました。(今はもう千名ぐらいいるんじゃないでしょうか)
で、芸人で野球好きな人はかなりいます。
ほとんどは平日の朝9時ごろにプレイボールです。
金がかからない上に、終わった後で喫茶店やサウナでウダウダ言うのも楽しみです。
またそれがみんなの貴重な情報交換の場だったりします。
梅田での田園、サウナだったらニュージャパンは昼までだったら半額の400円。難波だったらロマンス。
喫茶店でウダウダやってるときに、
「あ、もう花月いかなあきません。先輩のスポンジ洗いですわ」
「なんや、売れっ子やな」

芸人で売れると自らの球団を持つようになります。
それが群雄割拠のとき、丁度僕が新喜劇入った頃に「吉本リーグ」が発足されました。
6チームが総当たり戦。
外人枠は2名まで。
この場合の外人は、芸人でない人(確かに外の人だけど・・)
甲子園経験者とかで戦力補強しています。
さすが吉本。八方師匠の深夜番組でちゃっかりシーズン経過を放送してました。
ちなみに僕はオール巨人師匠の弟子の三浦君によりき球場で場外ホームランを打たれたところが放送されました。

僕の所属チームはWヤングさんとこの「チョットキーターズ」。
平川師匠のネタで「ちょっと、聞いた〜?」から名づけられたのでしょう。
実際には相方の丸兄(まるにい、佐藤武志兄さん)が仕切っていました。
丸兄には公私とも本当にお世話になって、その関係は今もずっと続いています。
僕は野球経験者なので、ほとんどキャッチャー。
ピッチャーは岡ゆうた兄さんの横手投げのすしボール、よくベース上でワンバウンドするので捕りにくかった・・・や、中野兄さん、丸兄も投げましたが、エースは早田真平兄さん。
KAプロ時代からの先輩(漫才で鉄平・真平)です。
真平兄さんは日大付属の野球部でしたから、すばらしい球を投げ込んできました。
しかも左腕で牽制球もうまい。
まあ、調子のいいときは本当に気持ちのいいピッチングでしたが、ノミのような心臓なので、ランナーが出たりすると突如みだれる。

ボタン師匠&八方師匠の(アホナーズって名前だったかな)チームはヤンキースさん、はじめけいすけさんなど師匠を慕う若手、弟子の30名ほどで構成されていて層が厚く厳しいのが自慢です。
試合開始前からも江坂球場横のバッティングセンターで打ち込みをやってくるほど気合十分です
かたやうちらは人数ギリギリでのびのび野球。
芸人として活躍しているのも丸兄のぞけば、ゆうた兄さんぐらいです。
ショートの貴志さん(物まねのトリュフ)、サードの永田君(作家)も他球団では出番がなく無償トレードでわがチームにきて花が開きました。
うちはみんなが一発狙い。
新喜劇の先輩で花紀師匠の弟子の武内兄さん、間寛平兄さんの弟子の一平兄さん、歌手のおかさんも2ストライクからでもブンブンバットを振り回してましたから。
(僕は一応4番でした。エヘッ)
その2チームが結構いい試合をするから野球はわかりません。

強かったのがほとんど9名丁度で来るさんま師匠のチームです。
Mr.オクレさん、村上ショージさん、ジミー大西さんが劇場で見せない真剣な表情で本気で野球をやります。
ジミー大西さんは野球経験者だったので、確かにうまかったです。
僕はちなみに2盗しようとするジミーさんを刺したことがあります。
僕は芸人としては影が薄かったので、よく外人だと思われてたと思います。
ちゃらんぽらんさんの大西さんもいい球を投げます。
落語家チームともよく対戦しました。
なんかキーターズとチームカラーが似ていて、気を使わなかったのを覚えています。
照明の桜木さん、としろうさん、音響の斉藤さんはじめ進行の青山くん、ピノッキオくん、原くんなど主に劇場スタッフで構成されている梅田花月チームには助っ人でよくいきました。
吉本新喜劇のチームもあります。
新喜劇チームは集まりが悪く、野球はたまにしかしないのですが、やるときは滋賀県とかにも遠征します。
寛平兄さんがピッチャーをしたのですが、まっすぐないい球を投げるのにはびっくりしたのを覚えています。

ま、野球は本当に楽しかったです。
朝早くバイクで野球道具を乗っけて球場に向かい、昼に劇場に入る。
吉本時代の一番の思い出ですね。




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