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物語スレッド

270二つの遺作・前編(5/10):2008/01/08(火) 20:47:42
「彼女が…狂って殺人癖を持っちまった娘な。あいつが歌うたびに【それ】は姿を現したらしい。
 時には彼女の叔父の手にある時は渡り、彼女の叔母、従兄弟、祖父母…最後には両親の手に渡った。
 どんなに俺達がその前にダインの遺産を手にしようとも、俺達の気配を察するが如くそいつらは手をすり抜けていく。
 そして…必ず決まって、最後には彼女を刺し貫いた」
「彼女を?・・・彼が、助けたのに?」
彼女を助けるために、彼は死んだのではなかったのか?
否、一族であると言う事は、例え助けた相手であっても、関係ないということなのか。
「刺し貫かれた彼女は、いつも決まって死ぬ寸でで息を吹き返した。…狂ったままでな。
 案外、彼女が【ギュルヴィ】なのかもな。もう一人は嬲られた後あの山の中に埋められ、
 暴れ狂うダインを何らかの方法で縊り殺して、首だけ持って下山したのかも」
「そうだとして・・・何故首だけを?」
「さあな・・・彼を殺した時に、彼女は呪いに掛かっていたのかもしれんな。それとも…彼を騙した後悔からだったのか」
焚き火に照らされた彼の表情は、火の影にあてられているとは言えども、非常に暗い表情だった。
今となっては分からない事実。気狂いとなってしまったのなら満足な受け答えもなかったろう。
そんな中で、この疑問に答えてくれるかどうかなど――言うまでも無い。
結局彼女は【ギュルヴィ】だったのかもう一人なのか。恐らく永遠に分からないのだろう。
ただ分かるのは、【ダインスレイヴ】は彼女を締めくくりにしたいのだ…でなければ彼女ばかりに受身はやらせないはずだ。

271二つの遺作・前編(6/10):2008/01/08(火) 20:48:22
「まあ兎に角、その呪いの掛かった歌姫は羽の片方を手に入れたと同時に、
 自分の両親や守役だった数人のウヴァロバイトを殺し、完全に姿をくらましたんだよな。
 …ある鍛冶職人に彼の羽を加工させて剣にしたまでは分かったんだがな。
 鍛冶職人が死体となっちゃ、次の目的地がどこだか皆目見当もつかん」
…しばらくして先ほどまでよりは多少明るい声の彼の言葉は、えらくとんでもないものだった。
いつも苦痛を受け入れる側だった彼女が、転じて苦痛を与える側となったのだ。
先ほど【ダインスレイヴ】は彼女で締めくくろうとしたと考えたが、あれは全くの見当違いだったのか?
・・・いや、彼曰く一族はもう彼女で最後のはずだそうだ。だとすると最後のために何かもっと別の事をしようとしているのか?
「恐らく今度が最後になる・・・長としては今度こそ事が起こる前に何とかしたいようだし、俺だってそうだ。
 これ以上死が続くと冗談抜きで【忌民】項目内に入れられかねん。
 …しかも、それがダインの所為って言うのがな・・・正直食い止めたいんだよ。俺としては。」

272二つの遺作・前編(7/10):2008/01/08(火) 20:49:23
「…親しい知り合いなんですか?」
「まあ行くとこまで行っちゃいないが、恋人同士ではあったな」
酷く懐かしそうな声で・・・えらくとんでもない事を聞いた気がする。
10年ほど前の話らしいから・・・彼の外観から考えると彼とダインではそれなりの年齢差があったはず・・・っていやそういう問題以前に・・・
「…………………………………………………………………………………はい?」
ええと・・・この人・・・男・・・だよな・・・?
先ほどまでとは何か雰囲気が妙になってきた・・・しんと、身じろぎの音すら響きそうな森の中、自分達は一体何の話をしている?
「いや別に男じゃダメってワケじゃないんだぜ?女でも普通にイケル口だしな。
 ただな…うちの村じゃ男も女もそう変わらない容姿をしててだな・・・
 それ位美形とか醜悪とかそういうのじゃなくてな…そうだな…分かりやすく言うと…女はどんなに胸が絶壁でも、
 見たら【この人は女性だ】と分かるものがほとんどだろう?
 その容姿や、雰囲気の差別化が皆無といっていいんだよな。
 勿論体の造りの違い云々はあるんだけどなぁ・・・どうなってんだかな」
「……………………………………………はあ………………………………………………」
心底がっくりしたと言わんばかりのため息が森に響く。

273二つの遺作・前編(8/10):2008/01/08(火) 20:50:02
「村の女ばっかり見てるとなぁ…人間の女っていいよなー可愛いようん。なんかさわさわしたりふにふにしたくなる。
 腰つきとかさぁ・・・がっしとじゃなくってすらぽちゃっとしてる感じがまたたまんないんだよなー。
 身体全体とかさぁあの雰囲気・・・あれだ。樫の樹とか鉱脈みたいな感じじゃなくて
 こう、もっと柔らかい、焼きたてのパンみたいな感じがなぁ・・・」
「…………………………………………………」
突然酔っ払いの寝言みたいなことを言い出した彼は、人間の女性がウヴァロバイトの女性よりいかに素晴らしくて、
そんな彼女らに言う願望をぐだぐだと半刻ほど連ね始めた
・・・僕らは一体、この暗い森の中で、一体何の話をしている?

**

「えーでもさー何か可愛い子とか見てたら思わね?こう頭なでなでとかぎゅーとかさぁ…」
彼は言ってる事が完全に酔っ払い親父になりきっていた。半刻前はあれほど重い話をしていたと言うのに
「正直・・・分からなくは無いですが、実際に見知らぬ子にやったら泣かれますし、あまりそういった方面には興味は・・・」
「・・・もしかして、あんた男方面オンリー?」
「いや何突飛な発想してんですかあんたどこぞのアハツィヒ・アイン崇拝者ですか
 第一そちらはもっと興味は無いですし女性に関してはもっと紳士的に」
「あー悪い悪い。冗談だって。てか……

 ……あんたには余裕が無かったはずよな。そこまで心理的に大らかになれるだけの」

274二つの遺作・前編(9/10):2008/01/08(火) 20:50:27
言葉は、唐突だった。

この男と話していると、本当に雰囲気の流転が激しい。
牧歌的(?)な一族の話から、血みどろの遺物の話、はてや酔っ払いの戯言、そして・・・
そこでやっと、私は疑問点に到達できた。そうだ。何故これを最初に疑問に思わなかったのだろう。
「・・・あの、これだけ色々な話をして頂けた事には非常に感謝してます。
 獣に襲われていたところの私を助けていただいたことも、今こうして食事に誘っていただいたことも。
 ですが・・・先ほどのダインスレイヴの件、あそこまで何故私に教えたんですか?一族の汚点である話ですよね?
 下手に知れ渡れば、先ほど仰っていた様に【忌民】の仲間入りは避けられませんよね?」
自分の間抜けさに、ほとほと嫌気が差す。
ここに来てやっと、私はこの男が恐ろしくなった。
そうだ。あんな話まで話す事はなかったはずだ。
起こってから何百年も経った事なら兎も角、聞けば10年も経っていない話だ。
そんな、本当に成功するかしないか分からない事を、何故私に話す?目的は?まさか・・・
「あの・・・重ね重ね言いますが、私はそっちのケはこれっぽっちも・・・」
「ああ。それは大丈夫。だってお前さん羽生えて無いし」
「そこですかい」
いや突っ込みを入れている場合ではない。ますます謎が増えていく。この男は一体なんだ?一体自分に何をさせようとしている?

275二つの遺作・前編(10/10):2008/01/08(火) 20:51:07
「俺の目的はな。本来ダインの遺産の捜索じゃなかった・・・あんたなんだよ。俺の本来の目的は
 街道であんたが騒ぎを起こしてたのは、幸運としか言いようが無い。まさか、あんな所で出会えるなんて思ってなかったからな。
 ついでに言うと、獣に襲われたとき助けたのは偶然じゃない。
 ・・・あんたに、話しとか無ければならないことがあった。今までの話と共に。」
私は余計に困惑し、恐怖が全身をうぞうぞと包むのを感じた。この場から今すぐ逃げたしたいと頭が叫びだすが、
目の前のウヴァロバイトは、私が手も足も出なかった獣を難なく屠り、今さっき食った夕飯にまでした猛者だ。逃げられるとは到底思えない。
困惑した私が次に聴いた言葉は、私を益々凍りつかせた。

「…我が父の呪いは酷いものだったようだな。あの様子だと」

(続)

276二つの遺作・前編・お詫び:2008/01/08(火) 20:56:42
>>267の7行目
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に?がれていたそうだ。)
になってますが
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に『も』がれていたそうだ。)
になります。漢字変換していたのですが反映されない字だったようです。申し訳ありません。

277二つの遺作・後編(0/20):2008/01/10(木) 01:25:54
・またの名をティルヴィングの事。そのまたの名を鳥使いの話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1158817867/38
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1152717733/265の続きになります。
・これに関する私の話は、この回で終了となります。
・なまえなんてかざりです。えらいひ(ry

278二つの遺作・後編(1/20):2008/01/10(木) 01:26:38


大魔女トルソニーミカは其を一瞥して言った。「これでは対価にはならないね」と。
自分の手を握る父の手から、しんしんと落胆と悲しみの情が伝わってくるのを感じたのが、
恐らく、覚えている限りの自分の最初の記憶だ。
父と魔女と自分。母はそこに居なかった。何故だろうと自分に問えば、
身体の奥から「母は別の父と一緒に暮らし、もう自分達とは会わないんだよ」との答えが返ってきた。

279二つの遺作・後編(2/20):2008/01/10(木) 01:26:59
其は薄い緑の光を発していた。魔術的な光なのかそれとも宝石の貴な光なのか、その光は様々な人間を魅了した。
幼い自分の目から見ても要領の良くない父は、事あるごとに其を奪われ・・・奪った人間を破滅させて、其は父の元に返ってきた。
ある男は火の不始末を起こし、自分の家を全焼するだけではなく、隣近所2件の家まで延焼させて、その責任を問われた。
ある女は其を別の人間に奪われそうになり、自慢の美しい顔に酷い傷を作った。
別の父は母との間の子は事故でかたわとなり、今まで居た村に住めなくなった。

其が帰ってくる時は、決まって父は暴力を振るわれた。
「あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ」と皆、口を揃えて言った。

不思議なことに、石のもたらす災厄は、人を殺すには至らないものだった。
しかし、生きている限り続く傷跡を、確実に残すものばかりだった。

280二つの遺作・後編(3/20):2008/01/10(木) 01:27:18
恐ろしくなった父は其を古物商に売り払った。
古物商はしばらくして、偽の遺物を金持ちで売った罪で捕まり、親切な役人が其を父に返してくれた。
父は借金をし、その対価に其を高利貸しに渡した。
高利貸しは、屋根の上から盗んだ物をばら撒くという変人な賊に襲われ、其は空から父の元に返ってきた。
世界のいやはてで大魔女トルソニーミカの住む庵にも行った。
しかし其は結局父の物のままだった。
(・・・よくよく考えると、父はよくこんな恐ろしい事をしたものだと思う。
 何らかの力が其に備わっているとはいえ、どう考えても其は呪われているとしか思えないのに)

281二つの遺作・後編(4/20):2008/01/10(木) 01:27:44
ある時父は言った。死ぬ時は、それと共に自分を燃やしてくれと。
これは血に添って伝えるべき遺物ではなく、今生で消し去るべき呪物なのだから
其を生み出したのは、自分であるが故に、おそらく其は死ぬまで自分から離れる事は無いのだと。
ティルヴィング・・・勝利と共に破滅を相手に贈る其は、名の通り父の手から離れるたびに、誰かに一瞬の栄誉と一生の破滅を贈っていった。
父以外の全ての人間――――それは、私自身も例外ではなかった。

私は誰よりも其を知っていた。其は父以外の全てに婀娜な視線を向け、牙を剥く物だと知っていた。
しかし年を取るにつれ、世界を見聞きするにつれ、子供の無邪気が薄らぐにつれ、それを欲する気持ちは抑えられなくなっていく。
父が何百回目かに、其を海に投げ捨てた時に、その抑えていた気持ちが爆発した。
高い崖の上からだった。下には岩が海からいくつも突き出していた。空は今にも雨を呼びたがっていた。
だけどあの瞬間――――雲からひと筋差し込んだ光が、其の緑の悲鳴を伝えた瞬間、


崖の上から、自分は其を手に取ろうと、身を躍らせた。

282二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:11

死んだはずだった。まず助からないはずだった。それを承知でやった。
しかし、自分は目を覚ました。海に突き出した岩の一つに、服が絡みついたという恐ろしい奇跡のお陰で
次にした事は、あの緑が何処に行ったのかを探す事。緑は自分の手の中にあった。

父の姿は、何処にもなかったことに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

283二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:59
そこからどう生きて帰ったのかは、よく覚えていない。
肉が岩にぶら下がっていると気づいた一羽の【鴉】(明らかに従来の【烏】の大きさの範疇を超えていた)が、
其と引き換えに自分を崖の上に連れて行ったはずだ。
其が手から離れていく時、一瞬悔いたが直ぐ気を取り直した。
其はまだ自分をどうしようと言う意思はない。あればあのまま自分は死んでいた。
そうでなかったという事は・・・其はまた、自分の元に戻ってくる。其れを確信できたからだ。

其が自分から去った瞬間、頭の中を駆け巡ったのは、疑問だった。
何故父が此処に居ないのか。父は何故石と共に、自分と共に崖から身を躍らせたのか。其は何故父ではなく自分を選んだのか。
分からない。分からない。わからない。
はっきりいえる事はただ一つ。結果的にかもしれない。故意ではなかった。けれども


自分が、父を殺したという事だ。

284二つの遺作・後編(7/20):2008/01/10(木) 01:29:39
思ったとおり、其は程なく自分の下に戻ってきた。
【鴉】はへしゃげ、あらぬ方向に羽を、足を曲げられた状態で、自分の下に文字通り「墜ちて来た」からだ。
普通なら死んでいるはずでも、細く息をしていたのは流石は魔女の使いといったところだったのだろうか。
其の為に自分が殺したモノは父だけで十二分だと感じた自分は、やれるだけの方法で【鴉】を介抱した。
お陰で魔女の手先として扱われ、行く先々で今まで味わったことの無い差別を受けることになったが
、父を殺した報いの一つだと思えば何でもなかった。
【鴉】の完治には2年掛かった。飛べるようになるまで1年掛かった。
飛び立つ時、カラスは何か言いたげに自分の顔をじっと見つめたが、やがて大空を気持ちよさそうに飛び立っていった。
…あの時
【鴉】は気づいていたのかもしれない。私が殺して欲しいと願っていたことに。
【鴉】は結局自分を殺さなかった。恐らく自分を傷つけた私だが、迫害の中守り、癒した事に恩を感じてくれたのか、
それとも気まぐれか、其が操ったのかはもう分からない。
ただ薬や食料を求めて、たまに村を町を、背に【鴉】をおぶった姿はかなり強烈だったらしく
【鴉】が居なくなった後も迫害は多少続いた。
(知らない町や村に行ってもいらん二つ名で呼ばれるくらいだ。)
しかし、そんな状況の中でも其は元気だった。【鴉】はそっちの方面では(特にインパクト的な面で)自分を守っていてくれたらしい。
どれだけ隠し持っていても其は必ず彼らの目に触れ、奪われては帰ってくるの繰り返しの日々が続いた。
父の時との違いは、帰って来る時にボロボロにされるのではなく、奪われるときに徹底的にボロボロにされる所だが。
(正直、生死の狭間を漂ったのは一度や二度ではない。)

285二つの遺作・後編(8/20):2008/01/10(木) 01:30:58
今日もそうだった。関所を通るために街道を渡る必要がどうしても出てきてしまい、
其はあいも変わらず通り過ぎる人々を、覆った布の下からチラチラと輝いて魅了する。
関所を無事超えられて安心した所で襲われたのは、最早運命という名のお約束としか言いようが無い。
・・・いや、正確には自業自得だ。分かっている。分かっているのだ。

其を、人々の目の前で落としてしまったのだ。
晴れた日の元で、それは外に出られた喜びから、燦然と輝きを放つ
そもそも落としたのはスリにぶつかられたからだった。財布は守れたが、
しかしもっともやってはいけない事を私は行ってしまった。
スリはすぐさま其を取ろうと地面に飛び掛った。
私は落とした其をすぐさま拾うと、今まで散々其狙いの人間達に鍛えられた自慢の足で逃げようとする。
しかし、スリはそこらのスリよりは上級のスリだったらしく、私を捕まえると其を奪おうと必死だ。
だが其処は関所の近く。騒ぎを聞きつけて関所の兵隊達が寄ってくる。助かったと思った。が、私の考えは甘かった。

286二つの遺作・後編(9/20):2008/01/10(木) 01:31:32

空から、彼らはやってきた。

黒い羽をはためかせ、【烏】達は其を奪おうと、団子になった私とスリに一斉に襲い掛かってきた。
どうやら其は地上だけでなく、空のモノ達も魅了するらしい。私は身を縮め必死に耐えたが、
私に馬乗りになったスリは、そのお陰で【烏】の一斉攻撃を受ける。

そうやっている内に、兵達がやってくる。どうやら前に助けた【鴉】とは違うらしい。
別の人間達がやってくる事に気づいた【烏】達は、悔しそうな声を上げて空に帰っていった。

身を縮めていた私は傷は多少で済んだが、スリの方は酷い有様だ。
うずくまったまま動かないスリに近づこうとしたとき、誰かが叫んだ。

魔男だ。魔男がいるぞ
かつて【鴉】を従えた者がここにいる。
口々に叫ばれて、それを聞いた兵達が険しい表情を見せて、誰がこれ以上其処を通っていられるだろうか。
しかし、森の中に姿を隠しても、【烏】に襲われたときの血の匂いが獣達を引き付ける。
それをあざ笑うかのように、其はぬとりとした湿った光を放った気がした。

287二つの遺作・後編(10/20):2008/01/10(木) 01:32:41


「俺の親父が死ぬ前、俺にある一つの約束をさせた…
『我が羽を追え。我の生涯の汚点を。
 あれはもう我では無くなったが、我との繋がりが完全に絶たれた訳ではない。
 …我が過ちを我の手で正せない我を、許してくれ』とな」
凍りついた私の前で、男の話は続く。
手の中で【ティルヴィング】が熱を持っていくのが分かる・・・いや、これは私の手の熱なのか?
「俺の親父の羽は、物心ついたときはまだ2つあった。それが片っぽなくなったのはそう・・・
 …俺の【滑空】の儀式の少し前だから、20年以上前になるはずだ。」
20年以上前となると、私がまだ母の腹の中に居た頃の話になる…まだ、誰もが幸せだった時代の話。
つまり、自分が生まれる頃には、呪いは既に始まっていたのだ。
男は今までと打って変わった、何の感情も見えない顔と声だった。
月は真夜中をとうに過ぎたと告げていた。森もすでに眠るように静まり返っている。
その中で、焚き火の明かりは、彼は、私は、まだ始まりに過ぎないと感じていた。
静かな声で、淡々と話は続いていく。
「ある時、父は背中に幾つもの矢で貫かれた姿で村に帰ってきた。三日三晩生死の境を彷徨い、
 この世に戻って来た時、自分で自分の羽を、祖父の羽から削り取った斧で叩き折った。
 正気を失ったのかと思ったよ…そこからまた命の境目を漂い、帰ってきた父は別人みたいになっていた。」
オン、オンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオン怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨
手に持っていた其から、音が私の体に響いて行く。ヒビいて、いく。
「体を動かしても大丈夫になった位に…父は羽をどこかへ持っていった。
 今考えると鍛冶職人のところか、自分でその剣を打ったみたいだがな。
 ・・・そして、あんたの親父さんの所に持っていった。」
「父を…知っているんですか?」
「・・・人の良さそうな人だった。誰かを傷つけるような事ができるようにはとても思えなかった。だから
 ・・・理解できなかったな。あれほど親父が憎悪の念を、送っていたのかが」
彼の父上には悪いが、自分もそう思う。
それ位、気が弱く、優しい父だった。
小さな幸せを求めていた。母と、私と、父の小さな家庭の幸福。
叶わないと知りながらも、父が求めていたのはそれだけだった。なのに。
「結局俺の親父と、あんたの親父の間に何があったのか、聞く事は叶わなかった。
 ただ、病に倒れて死ぬ直前まで『許してくれ』『あの剣で呪われるべきは自分だったのに』とずっとうわ言の様に言っていた。」
ふと、記憶の奥底で何かがうごめく。
父と逃げるように暮らしていた日々、売りに出しても戻ってくる【ティルヴィング】を見つめながら言っていた
『…そうか。分かったよ。やっと分かった。』と。
今思うと、あれからしばらく、父はその剣を捨てる事は無くなった。
だが、自業自得とはいえ、目の前に迫る呪いを受けた者達を、彼らからの報復を目の当たりにし、
父はまた剣を捨てる事を繰り返すようになったのだ。
「その呪いは【継続】である。長はそう言っていた。
 呪われた本人自身を【変質】させ、その存在を【断絶】する呪いではなく、
 呪った本人のその周りに不幸を招き、それを結果的に――あんたの親父さんに不幸を招かせる事と言うのが
 【ティルヴィング】の大まかな【呪い】らしい。最終的に、【ティルヴィング】の刃で自身の命を奪うまでに追い詰めることが。」
確かに、合致する点は幾つも当てはまる。父自身の不幸は間接的で、周りの人々しか知らないのだ。
【ティルヴィング】が直接どう作用して、不幸に墜ちたかは。
…『あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ』。恐らくそう言う事なのだ。

288二つの遺作・後編(11/20):2008/01/10(木) 01:33:04
「…何故それを、今私が持っていると思うんですか?」
しばらくの沈黙の内、私が訪ねた言葉には、何故か怯えが入っているように感じる。
至極真っ当な疑問のはずだ。今までの彼の話には、私がそれを持っていると言う証明が無いのだ。
なのに・・・何故こんなに怯えている?何を、そんなに、恐れて、いる?
「俺達は【亜人】だ。背に自分達の種族の証明を持つ。
 俺達が自らを数える時、一人、二人ではなく、一羽、二羽と数えるのは、それだけ翼を重要視している証だ。
 死が訪れても俺達は翼から逃れられない…【ウヴァロバイトの遺】がそれを証明している。
 …遠い昔、ある長が言った。『過ちに備えるために、翼を血で繋ごう』と。」
・・・翼を・・・血で繋ぐ?
「【ウヴァロバイトの遺】には2種類あるって言ったよな。片方は守護、片方はその真逆を司ると。
 俺達はそれ程数は多くない。だから、【ウヴァロバイトの遺】が生み出されると言う事は、俺達がこの世界に存在すると言うことを
 恒久的に証明する存在が誕生する事になる…その中で、守護と真逆の物が生み出されるって事は、死活問題なんだよ。
 俺達の種族の名が、世界に脅威として残るか否かを決定する。【忌民】の件もあるしな。
 …その為にその長はある掟と、一つの【魔術】を用意した。
 『もし血を連ねるものから【呪】が出た時、速やかに禍根を断つべし』と。
 血に連なる者が【遺】を遺した時、俺達はそれを何処に在るのかを探知する事の出来る【魔術】だ。
 ウヴァロバイトは一人残らずその【魔術】を刻み込まれ、血によってその術を繋いでいった。
 ただ、混血もあったようで、今の俺達が分かるのは祖父の代まで直接の血の繋がりの【遺】までなんだがな。」
つまり、この男には、もう分かっているのだ――――今この手に、其が握られている事が。

289二つの遺作・後編(12/20):2008/01/10(木) 01:33:27
「ただ今回の2つはやっかいでな…【ダインスレイフ】はダインの遺骸自体が其と化したお陰で、見つけようにも見つけづらい。
 …翼以外の部分が【遺】化するなんて前代未聞だからな。
 しかも今回は、守役だった彼の一族は…長の分家は【ダインスレイフ】に皆殺しにされたときてる。
 長達が古文書室引っくり返して、術の強化を思索しているが、間に合うかどうか正直危うい・・・そして」
真っ直ぐに目を見られた私は、まさしく蛇に睨まれた蛙だ。
「【ティルヴィング】はもっと不可解だった。何度も持ち主が目まぐるしく変わるのは理解できる。
 だがある時、【ティルヴィング】の存在が明らかに【消失】したんだよ。
 …俺はその時、てっきり間に合わなかったと思った。
 お前の親父さんに、とうとう【ティルヴィング】は親父の恨みを、役目を果たしたのだと。
 だから3年経ったある日、【ティルヴィング】の存在が復活したのには本気で驚いた。
 【ダインスレイフ】の事態も異常だったが、こちらも明らかに異常だ。
 しかも…今ここで【ティルヴィング】を握っているのは親父の知り合いではなく、その知り合いにそっくりな、息子らしき男ときてる」
そこでやっと、怯えの正体を、私は理解した。
――――懺悔を、恐れているのだ。自分の犯した罪を、ここで話さなければならないのだ。
彼に、伝えなければならないのだ。彼の父が一体、どんな【呪】を遺してしまったのかを。
沈黙は長いものだった。このまま夜が明けてくれればと、いっそこれが夢ならと思った。

290二つの遺作・後編(13/20):2008/01/10(木) 01:33:57
「父は・・・崖から落ちたんです…私を助けようとして…」
切れ切れになりながら、私はその物語を始めた。
終わった時、彼も私も傷つくのは避けられないだろう。理解はしていた。それでも
・・・話さずには、いられなかった。



話し終わった後の静寂は、たまらないものだった。
長い長い話の果て、精も魂も尽き果て、うなだれた私の頭に、大きな手が乗る。
無言で撫でられたその感触は、いつかの父の手を思い出させた。
分かっているはずだ。彼だって傷ついている。
恋人だった男は四肢を切り裂かれ、呪物となり
父の形見もまた、多くの人を傷つける存在となっていた。
悲しいのは私だけではない。私だけではないのだ・・・・
・・・それでも、涙は止まらなかった。

291二つの遺作・後編(14/20):2008/01/10(木) 01:34:15

まるで溺れて掴んだ藁のようにしていた其を、包んでいた布をゆっくり剥いで彼に見せる。
それは普通の剣よりは幾分か短めの造りだった。革ごしらえの鞘、所々金で飾られた柄、
鞘から抜いた透き通る緑の刃は、飾り物の剣のようにも思えるが、その鋭さは焚き火の元で見ても明らかだった。
剣の根に彫られた【ティルヴィング】の名を見て、彼はゴクリと喉を鳴らす。

「父上の名前だったんですね・・・【ティルヴィング】は」
「明るくて、豪快で、でも厳しくて・・・良い人だった。」

292二つの遺作・後編(15/20):2008/01/10(木) 01:34:47


「燃やすんですね…この剣も。」
「…形見の品だがな。【ウヴァロバイトの遺】は【人鉄】や【思念鋼】のような上等な品じゃない。
 彼らは過去、現在、未来を持つが、【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない…翼に込められた【想い】は、移り変わる事は決して無いんだ。
 呪物は呪物でしかなく、それ以外の何かに変わる事は、無い。」
そういって彼は、懐からいくつか色のついた粉の入った袋を取り出した。ぶつぶつと何か呪文を唱えながら、炎に粉を振りかけていく。
聞けば、清めの為の塩を中心とした、儀式用の貴品らしい。
普通の炎ではウヴァロバイトが燃える事は無いが、これらの組み合わせで、滓も残さずに燃やし尽くすことが出来るという。
色粉が燃えるたびに、炎の色はだんだんと白に近づいていく。
――――これで、全てが終わる。私は呪いから解放され、自由になるのだ。
そう。だからもっと明るい気持ちにならなければならないのだ・・・なのに、この不安は一体なんだ?
「あんたには本当に迷惑かけた…あんたの親父さんにも。」
そう言う彼の口調は優しい。だが私の頭の中に響くそれは、どんどん大きくなっていく
違う。そう、何かが違う。何かが決定的に間違っている。
彼が手を差し伸べる。剣を渡してもらうために。
白い炎は酷く美しい。その中で、彼の瞳が爛々と輝いている―――――――――彼らのように
叔父、叔母、あの日の【鴉】、これを・・・【ティルヴィング】を欲した者達のように
彼も魅了されたのか?この緑に。彼も彼らのようになるのか?自身を欲で滅ぼすことになるのか?

293二つの遺作・後編(16/20):2008/01/10(木) 01:35:11

「……………違う」
違う。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
思い出せ。本当に思い出せ。隅の隅まで、奥底の奥底まで。
彼らに何があったのか何処で知った?父は陰惨な事が起こっているのを、幼い私には知らせてなかったのでは?
父よりも先に知っていた事はなかったのか?あの【鴉】は自分の【何】を見ていた?
――――本当に自分は直接【ティルヴィング】の呪いを覗かなかったのか?
思い出せ、思い出せ。あの日あの家を燃やしたのは?彼女を襲ったのは?弟になるの子をかたわにしたのは?


あの緑は、何時から自分の全てとなっていた?

294二つの遺作・後編(17/20):2008/01/10(木) 01:35:33

剣が、自分の手から、離れる――――そう、それは間違いだ。それは、あってはならない事。
それは私のものなのだ。そうだ。父のものであったのなら、それは私に継がれなければならないのだ。
「よせ!」
彼が叫ぶ。知ったことではない。これはもう私のものなのだから。
かかって来るのなら斬れば良い。今までもそうしてきた。これからだってそうするだろう・・・【ティルヴィング】と共に在れるのなら。
彼が迫る。私は剣を鞘から引き抜く。
恐らく彼は強い。だが知ったことではない。最後に【ティルヴィング】と私が在れば良い。
焚き火の残り火がふっと消え去り、私は森の中を走る。ウヴァロバイトではあの大きな羽が災いして、ここではそう大きな動きは出来まい。
彼は恐らく空から来る降りてきた所を斬れば良い簡単だ簡単なことだ今までだって散々斬ってきたのだ男も女も子供もあの【鴉】だってそうだこれがあれば何でも出来る何も怖いことなどあるはずが無い怖くは無い決して怖くは無いのだそうだそうだ斬る斬るこれまでだってそれだけだったこれからだってそうなのだ
案の定空から降りてきたさあ斬れ斬ってしまえ糞糞糞糞この馬鹿力め森から空へ私を連れ出すだとだがこれだと私だけでは無いお前も満足に動けまい叩き落してやる私も落ちる?知ったことではない最後に私と【ティルヴィング】があればそれで良いのだその為に怪我など惜しまんよさあ墜ちろさっさと墜ちろ墜ちてしまえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
暴れる私の目に、彼が映る。何かを必死に耐える表情が見える。
かれはだれだ?そうだウヴァロバイトだ。けものにおそわれていたわたしをたすけじぶんのしゅぞくのことをはなしのろいのはなしをしそしてそしてそして




「………………………………………………やめろ!!もうやめてくれ!!あんたの息子なんだぞ!!
 俺や俺の親父への復讐だろうが!!そのために、自分の息子も死んだって構わないのか【ティルヴィング】!!」

295二つの遺作・後編(18/20):2008/01/10(木) 01:36:36

次に目が覚めた時、自分が涙を流していたことに気づく。
多分それは、何かが、自分の中から、永遠に失われたのを悟ったからだ。
自由になったというのに、この孤独は何だろう・・・晴れやかな気持ちだが、どこか寂しいと感じている。
明け切らぬ空の下、【ティルヴィング】は自分の近くに落ちていた。
しかし其はもう、自分の知っているあの、ぬとりとした輝きを放つことは無い。
「・・・予測してなかった情報が入って、【呪い】その物が自分を否定したみたいだな」
声は後ろからだった。振り返ると、彼は近くの岩に体をもたれる形で座っていた
腹部から、血を流して。
ぞっとして立ち上がろうとすると、その手がぬるりとしている事に気づく―――まさか
「結果的にそれで正しかったみたいだな・・・
 【息子】である俺を刺したと言う情報は、【ティルヴィング】にとって完全に計算外だったらしい・・・
【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない・・・その瞬間に翼に込められた憎悪、殺意、
 そういった中に、父性を司る何かが多分混っていて・・・」
「それは後で聞きます!!いいから喋らないで!!」

296二つの遺作・後編(19/20):2008/01/10(木) 01:36:56
まだそれ程時間は経っていないようだが、これ以上血を流すのは危険すぎる。
ウヴァロバイトの口癖は『翼に殺される』だ。このまま横たえて村まで医者を探しに行けば、
弛緩した彼の体から翼がもげてしまう方が早いかもしれない。
持っていた血止めの薬を塗りこみ、強く布で巻く。東の方から割合強く、飯を炊く匂いがする…人がいる。
空の上で暴れているときに、かなりの距離を移動していたのだ。好都合なことに。
「・・・こら。無茶するな・・・これ位寝てりゃ治る」
彼が弱く笑うのに気づく。思っていた以上に彼は重い。けれど、持てない重さではない。
「子供の言い訳じゃないんですから、そう言う馬鹿な事は言わないでください。
 助かりますよ・・・助けます・・・あの日の男も女も、戦士も、【鴉】だって死ななかったんだ。
 今度だって死にません・・・絶対に」
あの日に誓ったのだ。もう二度と、誰かが自分のせいで死ぬ事は、させてはならないと。

297二つの遺作・後編(20/20):2008/01/10(木) 01:37:15
「・・・肩だけでいい。まだ歩ける。」
彼が降りるそぶりを見せて、肩を貸す形になる。出発しようとして足に当たったそれに気づく―――【ティルヴィング】
全てはここから始まった。彼も私も。この遺作から始まったのだ。
彼に失礼だと思いつつ、鞘を足で蹴り上げて掴み取る。彼がぎょっとした表情をするが、私は「平気ですよ、もう」と言った。
これにはもう、何の力も無いのだから。

朝日が森から顔を出す。光が森を覆っていく。
一歩一歩、急く気持ちを抑えながら、確実に人のいる方へと歩いていく。
これ以上誰も死なせはしない。そんな事はあってはならないのだ。
彼だって、まだ二つの遺作の内、片方しかまだ手にしていない。そんな状態で死ぬのは・・・彼だって望んでいない。
その為にも、彼を助けなければならない。絶対に。

森を抜け、視界が広がる。
村はもう、目の前に在った。

298終わりに―ある鳥使いの話―:2008/01/10(木) 01:37:58
その男はこの世にまたと無い宝石や、秘薬を持っていた為に色んな人に狙われ、
たまりかねた彼は、【魔女】から条件付で、一羽の【鴉】を借りた。
条件とは、【鴉】を空に飛ばせないこと。必要以上に人里に降りない事。
空を飛ばない【鴉】に守役としての意味があるのかと男が問うと、魔女はあっけらかんと言った。
「背負ったらいいんじゃない?」
成程と思って男は背中に【鴉】を括り付けて、たまに町や村に姿を現した。
背中にくくりつけられた【鴉】はおとなしかった。普通の【鴉】とは思えない大きさや、たまに発するあの不気味な声は子供達を怖がらせたが、
それ以外に人に危害を加える様子は無い。
魔女からの契約とはいえ、あの鴉があんなに大人しいなんて、男はきっと【鴉】を魅了する薬か何かを使ったんだ
いいや、【鴉】をくくる紐に何か秘密があるんだ。いやいや、あの男自身も、【魔女】の血統か何か、【魔男】の類なんだと大人達は噂した。

何年かたち、【鴉】が契約を終え、彼の背中から姿を消した後も、【魔男】の類だ何だと言われる男の側には誰も近寄らない。
ただ、彼がこの世にまたとない【緑】の宝物を持っているという噂が広まると共に、彼を襲う人間がちらほらと出てきた。
もっとも、その全てが悉く酷い目にあったので、彼が【魔男】の類だと言う噂は益々広がり、
人々は恐れおののくと同時に、【魔男】の一人を討ち取って名を上げようという人間まで出てきた。
そんな日々にうんざりしたのか、男はある日、別の【鳥】を捕まえて、自分の側に置いた。
緑色の硬い羽を持つその【鳥】は【ウヴァロバイト】と呼ばれる【亜人】の類で、並の戦士なら易々と吹き飛ばす強さを持っていた。
これで襲われることは無いと安心した彼だが、どうもその直後に【緑】の宝物を何者かに盗まれたらしく、
それ以来、宝物狙いで彼を襲う人間は居なくなった。
彼はと言うと、元々自分のものだった宝物を奪われた事に腹を立て、
【鳥】と共に宝物の在り処を探しているらしい。


ちなみにこれ、そう何百年前の話じゃないから。ちょっと前に「彼」らしきのを見たよ。
何かガラの悪いのに絡まれてる女の子助けたりしてたなぁ。
【鳥】も見たよ。ガラ悪いの投げ飛ばしてたり、女の子見て鼻の下伸ばしてた。噂を知ってたら彼らに手を出そうとなんてしないんだけどなぁ。
彼らはこれから西に向かうらしい。めっぽう強い歌好きの鬼が、【緑】の宝物を持ってるらしくって、そいつが西の方に居るんだと
宝物がどんなのか見てみたい?止めときなって。この鬼は人の血と涙を見ることが趣味な食人鬼でさ、並みの奴だと食料にされちまうって話だよ?

299ロズロォの懺悔(15):2008/01/15(火) 01:17:11
 「……起きて良いぞ」
 数日後の深夜、冷たい灰色の石造りの壁の医務室で、私がそう声をかけると寝台に横たわっていた娘はムクリと上半身を起こす。それはさながら死者の蘇生のようにも、早すぎた埋葬よりの目覚めのようにも見えた。
「食料も持ってきた」
 そう言ってスープの器とパンを差し出すと、娘は私からひったくるようにしてそれらを受け取り、そして飢えた獣のような勢いで食事を平らげた。
「全く、昼間はずっと寝てるのにすごい食欲だな」
 私が皮肉混じりに言うと、「案外体力使うんだよ」と娘は答えた。
「ずっと身体を動かさないでいるのって疲れるし、お腹も減るんだよ」
「そういうものなのか?」
 多分、彼女の言う通りなのだろう。
 結局、他の囚人に怪しまれるといけない、という理由で、私が彼女の元を訪れるのはいつも決まって深夜になってからだった。だからそれまで彼女はこの医務室の寝台の上で死んだように身動き一つせずに仮死状態を装ってずっと横たわっているのだ。多分、私が居ない時に牢役人が監視に来ることもあるだろうが、彼らにも気付かれじまいのまま今日までやり過ごしているということになる。大した役者だ、と私は改めて彼女に舌を巻く。
「それより先生……」彼女は俯きながら言う。「また『実験』をしたんだね」
「あぁ」
 その日の晩も私は所長の用意した被験者の娘を一人、『実験』で殺していた。『実験』は成功の目処が立っていたが、やはり麻酔としての【草】なしに被験者を施術の最期まで生き延びさせるのは難しかった。
「分かるものなのか?」
「匂いと雰囲気でね……ずっと戦場を逃げていたから、他人を殺したばかりの人はなんとなく分かるんだよ」
「牢名主と同じことを言うんだな?」
 私の言葉に「誰それ?」と娘が聞いてきたので、「いや……」と私ははぐらかした。
 どうせ説明したところで分かるわけは無いし、おそらく二人は永遠に顔を合わせる機会など無いのだろうから……。
「……それで、私もいつかは先生の『被験者』になるんだ?」
 娘は俯いて静かな口調で言った。
「いや、それは……」
 しかし私は否定の言葉を言い切れない。
 娘の言葉は事実だ。私が娘をこのような形で保護することが出来るのも、いつか彼女を被験者として使うことが前提であり、いつまでも生き延びさせることや、彼女を解放してやることなど出切るわけは無い。所詮、私は罪人の医師(ロズロォ)なのだ。
「……」
 私は言葉に詰まり、彼女と同じように俯いて囚人棟より遥かにマシとは言え、やはり薄汚れている床を見た。
 二人の間にどうしようもない沈黙の空気が漂う。

300ロズロォの懺悔(16):2008/01/15(火) 01:18:05
「いいよ、先生にだったら」
 沈黙を破るようにして言った娘の言葉に、私はハッと顔を上げる。そこには娘の笑顔があった。
「ここに連れてこられた時から、生きて帰れるとは思ってなかったから……どうせ殺されるんだったら……私を助けてくれた先生に殺されるならいいよ、諦める」
 そう言った、その笑顔には歳相応の無邪気さと、そして歳に似合わぬ諦観があり……
「そんなことを言うな!」
 だから私は思わず彼女を叱責していた。しかし、それは、これ以上にないぐらいに無責任な叱責だった。私に彼女が救えない以上、彼女にそれ以外のどんな結末が待っていると言うのだろう?
「……済まなかった」
 私は言ったが、私の言葉をどのように解釈したのか「ううん、良いんだ、先生の言う通りだよね。最期まで諦めちゃ駄目だよね」と娘は明るい声で、精一杯作っているのだと鈍い私にも分かる明るい声で言った。
「そうだ、諦めるな。人生は最後まで分からない」
 かつて教会の神父は私に「嘘は大罪の一つだ」と説いたが、その言葉が正しいのならば、その時の私は、死ねば地獄より他に行く所の無い、否、地獄すら受け入れてくれるのかが怪しい大罪人だった。
「でも……あたしは諦める以前の問題で、罰が欲しかったんだ」
 彼女は声を落として言った。
「罰だって?」
 私が聞くと、「そう、罰」と娘は言う。
「取り返しのつかない罪に対する罰……あの世に行ってからじゃなくて今それが欲しかったんだ」
「……どういうことなんだ?」
 おそらくそれは聞いても意味の無いことのはずだったが、私は身を乗り出して聞いていた。娘はそんな私の目をジッと覗き込むようにして見つめていたが、やがてプッと噴出した。
「先生ってやっぱり不思議な人だね」
「……そうなのか?」
 私には私が何者なのか既に分からなくなっていた。だから、娘がそれを教えてくれるかもしれないと思い、一縷の望みとばかりに彼女の方にさらに身を乗り出す。
「うん、おかしな人」
 そう言って彼女は唐突に私の頭を掴み、そして優しくその胸に抱いた。
 私は……それを拒まなかった。
 私の耳元に彼女の心臓の鼓動と、突然のことに、そして久々の女性の柔肌の感触に激しく波打つ私の心臓の鼓動が交互に響きあうのが聞こえる。
「あんな残酷なことが出来るのに、あたしには優しくしてくれる。暖かくしてくれる。怖い人のはずなのに先生と居ると落ち着く……」
「買い被らないでくれ!」
 私は彼女の胸元から頭を離し、彼女から視線を切り離すようにして逸らし、叫ぶようにして言った。

301ロズロォの懺悔(17):2008/01/15(火) 01:19:03
「私は、無辜で無抵抗の娘達を切り刻んで悦ぶ悪党だ!、鬼畜だ!、罪深い人間だ!。君が思ってくれるような善良な人間じゃないんだ!。罪人なんだよ!。今や本当の意味で罪深い罪人なんだよ!。だから……」
 ……優しくしないでくれ
 言いたいのはそれだけのことなのに、なのに私にはその言葉が言えない。
 望んでいる、渇望しているのに、喉まで出掛かっているのに私にはその言葉が言えない。
 それを言ってしまったら、何かが本当に終わってしまいそうで、私にはその言葉が言えない。
 ……私は!、私は?、私は!!
「罪深いのはあたしも同じだよ」
 その私に囁くように彼女は言う。私は彼女の言葉にそっと背後を振り向く。間近に彼女の顔があった。
「私ね、お母さんも、お姉ちゃんも弟も、みんな見殺しにしたんだ。あたしが今生きているのはそのおかげ」
「だが……それは戦争で……」
 私が言うと彼女は首を横に振って言った。
「無力な事だって、無知な事だって、運の悪い事だって結局は罪は罪なんだよ」
「でも、それは……」
 私は彼女の言葉を否定しようとする。
 しかし結局そこに続ける言葉を思いつくことが出来ずに言葉に詰まり、結局私は何も言えなかった。
 黙っている私の傍で、彼女は言葉を続ける。
「お母さんは草の民の軍隊があたし達の街を襲った時に、あたし達姉弟を隠していて、自分が隠れる暇が無くて死んだんだ……あたしに出来たのはお母さんが兵隊に嬲られるように切り刻まれるのを物陰に隠れて、怯えながら見ている事だけだった」
「……」
「お父さんはその頃とっくに戦争で死んでいたから、お母さんが死んで、お姉ちゃんとあたし達、戦争から逃げるため、住んでた街から逃げ出したんだ。でも、逃げている間に、飢えで弟は死んじゃって……弟は、ずっと『お腹減った』と言ってたんだけど、結局、あたし何も出来なかった。出来たのは倒れて動けなくなった弟を最期まで見守ってあげることだけだった」
 前線が悲惨なことになっている、というのは街に居た時に私も耳にしていたことだったが、ここまで酷かったというのは初耳だった。
「それで、結局、あの街、フォリカに落ち着いて、あたしを養うために色々と仕事を探してくれたんだけど、結局女手を必要とする仕事ってなかなか無くて……あっても、身元の知れない難民なんて雇ってくれる所なんて無くて……それで、あたし達、その日のパンも買えないぐらいに困窮していって、お姉ちゃん、とうとうその手の元締めに頼み込んで街頭に立つことになったんだ」
 「街頭に立つ」という言葉が街娼、所謂低級娼婦になることだという意味の言葉だということぐらいは世間に疎い私でも知っている。
「『これからはもっと良い暮らしをさせてあげられるかもしれないからね』とお姉ちゃん言ってた。けれど、結局そうはならなかった。お姉ちゃん、翌日の朝に冷たくなって帰って来たんだ」
 そう言った娘の頬を一筋の涙が伝うのを私は見てしまった。努めて明るく振舞っている彼女にとって、それがどれだけ彼女の心の傷になっているかは察して知るべきことだった。
「観てたお姉ちゃんの『同僚』の人が言ってた。沢山の傭兵達が一度にお姉ちゃんのお客になろうとして、お姉ちゃん抵抗したんだけど、変な【草】みたいなもの飲まされてぐったりして、そのまま傭兵達に良いように弄ばれてそのまま動かなくなったって」
 「人形作り」だ、と私は悟る。あの【草】は服用後、全身の神経を一時的に弛緩させるのだ。
 ……それじゃ、彼女のお姉さんは、私が作った「人形作り」で死んだのかもしれないじゃないか……

302ロズロォの懺悔(18):2008/01/15(火) 01:19:55
 そう悟った時、私の中で何かが崩れた。
 顔から血の気が引き、心臓の鼓動が急激に早くなり、額をとめどない汗が流れて落ちる。
 握った拳の指と指の間から漏れた汗が拳を、そして腕を伝って地面に落ちる。
 口の中がカラカラに乾き、それでも無理矢理搾り出して飲み込んだ唾が喉を伝っていくのが自分でも分かる。
「……許してくれ!」
 私は、喉の奥から搾り取ったような掠れた声で彼女に言い、跪いて彼女に頭を下げていた。
 私は……今になってやっと分かったのだ。私がここに居るのは、あのおぞましい実験に従事させられているのは、世の中に疎かったからでもなく、運が悪かったからでも、力が無かったからでもなかった。私は、罪悪感を感じることも無く罪を犯していた、ただそれだけのことだったのだ。
「先生、どうして謝るの?」
「私は……私は……私は……」
 君のお姉さんが死ぬ原因になった【草】は私が作ったものなのかもしれないんだ。
 言ってしまえば楽になれるのかもしれないのに、私には何故かそれが口に出来ない。
 何故なのだろう……いくら考えても私には分からなかった。
「許してくれ……」
 だから私は謝り続ける。
 取り返しがつかないことなど分かっている。
 謝ったところで単なる自己満足にしかならないことも分かっている。
 けれど、今の私にはそうすることしか出来ないのだ。
「先生?」
「許してくれ!」
 今度は私が泣き出す番だった。
 罪悪感と悲しさと、そして罪に気付かなかった自分勝手さと愚かさに無性に腹が立って、私は涙を流し続けた。
 心の痛さを久しぶりに、いや、おそらく本当の意味で初めて知った瞬間だった。
 娘は寝台から立ち上がり、私の前に座り込むと優しく、そして力強く私の肩を抱いて言った。
「許すよ、先生」
「……」
「世界の誰もが先生を許してくれなくても、先生がどんな悪人でも、神様が許してくれなくてもあたしが先生を許すよ」
「君は分かっているのか?私は……」
「辛いこと、言わなくても良いよ」
 そう言われて、私の頬を新しい涙が伝って落ちた。
 それは悲しいからでもなく、怒りから来るものでもなく、ただ嬉しいからだった。
 ……嬉しくても人は泣けるのか
 私は、ようやくそんな当たり前の事に気付き、感情の赴くままに涙を流し続けた。
 そんな私の背中を彼女は優しく、まるで母親が子供にそうするように撫でてくれた。

303ロズロォの懺悔(19):2008/02/02(土) 03:12:25
 「それで先生、彼女の容態はどうなのです?」
 それから数日して所長室に呼び出された私が開口一番所長に聞かれた言葉がそれだった。
「だいぶ良くなってきたようです。意識を取り戻すときもあります」
 私はなるべく所長から視線を逸らさないようにしてそう答えた。視線を逸らす場合は大半嘘をついている、という医師(ロズロォ)時代の経験からだった。嘘を吐くのに、ましてやこの所長のような人間に嘘を吐くのならば徹底したほうが良い。人生の経験だ。
「それは良かった」
 所長は目元に笑みを浮かべて言う。
 その、一瞬でも気を許してしまいそうになる笑みが今の私には何よりも恐ろしいものだった。
 次の瞬間には、一体彼の口から、いかなる本人が自覚していない悪意の台詞が紡ぎだされるというのか?。私は心の中で思わず身構えた。
「それでは彼女もそろそろ『被験体』として使えるということでしょうかね?」
 そして彼の口から発せられた言葉は、何より恐れていた一言だった。
「それは……」
 私は言い澱むが、その間にも所長は「実はまずいことになりましてね」と話を続ける。
「『被験者』の回収が思ったよりもフォリカで問題になってしまったのですよ。『娘攫い』の噂が立って、夜半にあまり人がうろつかなくなってしまったのです。おまけに部下の一人が『被験者』の回収中に姿を見られてしまいましてね、昼にフォリカの行政府から詰問の使者が来ました。上手く誤魔化しましたが、これからは『被験者』を集めるのは以前より難しくなるでしょうね」
「……」
「それでも『実験』は続けなければならないのですよ。この実験のために随分と多くの命が散りましたからね。彼女達のためにも、先生も今更中止には出来ないでしょう?」
 まるで『実験』を中止することが悪だとも言わんばかりに彼は言ってくる。
 私は黙った。元より反論する権利など私にあるわけがない。
「次の『実験』は彼女が目を覚まし次第ということになりますが、そうこうしている間にフォリカの行政府からの査察が入る可能性もあります。この国ではありがちな話ですがね、彼らと私達とでは『上』が違うのですよ」
 『上』が違う、というのは管轄しているのが地方領主か、中央政府、つまり帝国本体かということだ。
 この国、北方帝国は基本的に地方領主の寄り所帯で、中央政府の権限が常に地方領主より上回るとは限らない。中央政府としても管轄のことで地方領主と揉めたいと思わないのが本音だ。そのため、どこか中央政府の施政が地方領主に対して引け腰なのは否めないところだった。
「我々は帝国の管轄化にある組織です。もしフォリカの行政府の査察が入って、彼女が見つかるようなことになれば問題になりかねない。そうなる前に証拠は隠滅しなければならない。ご懸命な先生ならば、我々の事情も察してくださるでしょう?」
「隠滅ですって?。それはつまり……」
 所長は何も答えない。言うまでもない、ということだろうか?。だが、言わんとしていることは分かる。所長にとって彼女の存在など、物と変わらないのだ。
「待ってください。そんな……」
「1週間待ちましょう」所長は静かに宣告する。「フォリカの行政府から査察の使者団が来るとすれば、だいたいそのぐらいです。1週間彼女の容態を見て、回復しないならば彼女は処分します」
「そして回復したならば彼女を『被験者』として実験を行うわけですね」
 「その通りです」と所長はにこやかに答えた。
「もしフォリカの行政府に今回の実験の件が分かれば私も、そして貴方もただでは済まされない。私は責任を取って中央政府に更迭されるだけで済むでしょうが、貴方の場合は……」
 私の頭を不吉な未来が過ぎる。
 「殺人医師(ロズロォ)」と群集に罵られながら刑場まで引き立てられ、そして処刑吏に苦しませられながら縊り殺される自分の姿だ。
 滑稽かもしれないが、私はこの期に及んで自分の身が可愛かった。折角生きながらえた自分の命を、できれば明日へ明日へと延ばしたかったのだ。
 自分が罪深いことは既に知っている。
 全ての者にとって許されざる者であることも分かっている。
 私が生きながらえることよりも、死んだ方が喜ぶ者が多いことも、頭のどこかで分かっている。
「分かりました……それまでに最善の手を尽くします」
 そう答えてしまった私を、私は憎んだ。自分に憎まれ、そして見捨てられたものにいかなる生の権利があるというのか?。
 それでも、尚、私は生きたかった。

304ロズロォの懺悔(20):2008/02/02(土) 03:13:21
 「随分と顔色が悪いな、医師(ロズロォ)さんよ」
 こっそりと囚人棟に戻った私は、突然暗闇からかけられた声に思わず身を竦めた。
 暗闇の中、突然蝋燭の灯がともり、牢名主の顔が姿を現す。嘲笑に似た笑みに口元を歪め、笑顔に緩めたその顔の中でその目だけは相変わらず微塵も笑っていない。どうすれば、どのような人生を歩めばそのような顔になれるのか?。そう疑問を抱かずにはいられない顔だ。
「えぇ、ちょっとありましてね……」
「こんな夜更けに囚人棟を抜け出して何の用だったんだ?」
 ゾクリ、と、牢名主の言葉に心臓が氷で掴まれたような悪寒を感じた。私は用心深く、全員が寝静まっていることを確認してこの囚人棟を抜けていたはずだ。だが、実際にはこの通り、囚人棟を抜け出したことを知られていた……
 ……危険だ、彼に真実の一片でも悟られるのは危険だ
 私の中で、私の勘が危険の兆候を告げる警鐘を鳴らしていた。
「いえ、牢獄への来客の方に急患がありまして。それで牢役人に呼ばれまして」
 バレてくれるな、と私はありったけの神に祈りながら嘘を吐く。
 フン、と鼻を鳴らして牢名主は言った。
「それでそのお客様は死んだわけだ」
「それは……」
「おまけに血が飛び散る大手術だったようだな?」
「……」
「しかもそのお客様は女だったわけだ」
 心臓が早鐘の様に鳴り、私には何も答えられない。
 何かを言い繕わねば、と私は思うが、真っ白になった私の頭は何も良い言葉を思いついてくれない。
「知らなかったぜ、この牢獄にはそんなに頻繁に女の客が訪れて、しかもそんなに頻繁に血が飛び散るような手術が必要な急患になって、しかも必ず死ぬわけだ」
「知って……いたのですか?」
 冷静であれば、迂闊、としか言いようの無い、全てを肯定してしまう台詞を私は口にした。
 その言葉に、「あぁ、知っていたさ」口元をさらに歪め、牢名主は言った。
「あんたが頻繁に囚人棟を抜け出して、牢役人に連れて行かれていることを、だいぶ前から知ってたさ。おまけに返って来る度に血の匂いをさせていて、人を殺した雰囲気を漂わせている……普通に考えりゃ、あんたは役人に連れて行かれてそこで人殺しをしている、ということになるな」
「……」
 私は絶句する。
 彼の考えは決して間違えているわけではない。殺意があって殺人を犯しているわけではない、とは言え、私が人を殺しているという事実は変わりが無いのだ。
「何故、分かるか?って顔してるな。分かるさ、俺も『ロズロォ』だったからな」
「貴方が?」
 彼の言葉に私は驚く。凡そ医師(ロズロォ)と程遠い雰囲気のこの男が医師だったとは……
「まぁ、もっとも俺は、あんたとは違う意味の『ロズロォ』だがな」
「……?」
 首を傾げる私に、ふ、と鼻で笑いながら視線を逸らし、「督戦兵だったんだよ、俺は」と彼は答えた。

305ロズロォの懺悔(21):2008/02/02(土) 03:14:05
 草の民との戦争末期の話だ。
 戦争初期において名戦術家であった当時の皇帝パトゥーサが敗死した時点で予想はついていたとはいえ、傭兵を主体とした北方帝国の軍隊は各地で敗走を続けた。
 その敗走は、戦って負けるという問題ではなく、傭兵達が草の民の軍隊の姿を見ただけで先を争って逃げ出し戦闘にすらならない、という有様だった。
 状況を重く見た軍上層部はある一つの選択を迫られることになった。
 戦線を離脱しようとする逃亡兵を処刑することにより、彼らを戦場に縛り付けるための部隊、すなわち督戦隊の創設である。
 彼らは正規軍人や傭兵達の中でも戦闘技術に卓越した者から選ばれ、そして常に黒い鎧と仮面、そして帽子に身を包み、容赦なく逃亡兵を、まるで狩りで獲物を狩るかのように狩っていった。その行動に容赦はなかった。
 またその一方で、その頃戦線では物資が不足しており、医薬品も例外ではなく、医師達は負傷兵の治療すら満足に行えない状態で、彼らに出来ることは医療所に運ばれてくる負傷兵を見殺しにするか安楽死させることだけだった。
 傭兵達は「戦場に残って負傷して医者に殺されるのも、戦場から逃げて督戦兵に殺されるのも同じことだ」と言う意味で、何時の頃からか、督戦兵のことを、死を呼ぶ医者、という意味で『ロズロォ』と呼ぶようになった。

306ロズロォの懺悔(22):2008/02/02(土) 03:19:57
 「……戦場では敵も殺したが、味方も随分と殺した。場合によっては、もう助からない民間人を楽にしてやるために殺した。男も、女も、老人も、場合によっては子供も殺した。だからだな、血の匂いと、人を殺した奴の雰囲気は敏感に察知できるようになった」
 だからなのか、と私は悟る。
 彼から幾ら話を聞こうと、彼が体験してきた全てを知ることはできないだろう。だが、彼が経験してきたのが正に『地獄』だったのだろうことは私にも分かることだ。
 そして、あの娘も同じような『地獄』を経験してきたのだ。
「何故、督戦兵になったのですか?」
 私は思わず、どうせ答えてくれるわけはない、愚にもつかない質問をしてしまう。
 だが、彼は「金だよ」と私の質問に答えてくれた。
「当時の俺は金が必要だった。病弱な妻と幼い子供がいたからな。二人を養うための金が欲しいから俺は傭兵になり、そしてもっと金が貰えるというから督戦兵になった」
 同じだ、と私は思った。
 私も自分の家族を養う金が欲しくて【草】作りに手を出し、もっと金になるから、という理由でここに投獄されるような禁制品の【草】作りに手を染めた。
 だが、彼と私では一つだけ違う点があった。
「金になるのだったら俺は悪魔にだってキュトスの魔女どもにだって俺は命を売っただろうよ。そのことに恐怖も感じなかったし、後悔もしなかった。戦場で、かつての仲間を、そして俺と同じ立場の傭兵達を殺す度に心が軋んだ音をたてることにだって俺は耐えた。仮面越しに同じ仲間のはずの傭兵達から、恨嵯と恐怖と軽蔑の目で見られる度に、悲鳴をあげる自分の心も俺は押さえつけた。自分の非道な行為に捨てたはずの良心が自分を苛むのも、戦場に出回っていた【草】で無理矢理押さえつけた」
「……」
「俺には続けるしか無かった。俺には守るべき家族がいて、俺が手を汚すことで家族が生きていけるなら、その罰が地獄に落ちることでも、戦線が本当に崩れたときにどさくさに紛れて他の傭兵達から袋叩きにあって殺されることでも構わなかった。だが、罰は全く予想外の形で俺に落ちた」
 囚人棟のどこかから吹き込んだ隙間風に吹かれて、蝋燭の炎がゆらぎ、牢名主の顔の影が変わった。
「戦争が終り、俺は急いで家族のもとに向かった。身も心もボロボロだったが、家族が生きててさえくれれば、俺はどうでも良かった。たとえ、二人の顔を見た瞬間に命が尽きても、俺は神も運命も恨まないつもりだった。けれど、俺を待っていたのは死んだ子供の墓と、【草】で廃人同然になった女房だった」
「何が……あったのです?」
 私が聞くと、フンと鼻を鳴らし、「給料が支払われなかったからさ」と牢名主は答えた。
「俺が文字通り身も心も削って傭兵として働いた分の給金は、一銭たりとも支払われなかったんだよ。だから、子供は栄養失調で死んで、女房は罪悪感のあまりに心を病んで【草】に走った。子供を養うために街頭に立つような真似もしたのに、そんなことになったんじゃ【草】に逃げたくもなるわな。よくある話だ」
 よくある話、と鼻で嗤う様な口調で言いながらも、その声にはわずかなりとも怒気が篭っていた。
 もう一度牢の中に隙間風が吹き、一瞬だが闇の中に牢名主の顔が浮かび上がる。
 表情こそ笑顔だったが、その目は微塵も笑っておらず、鋭いまでの殺意の光が篭っていた。そして、もし、蝋燭の明かりがもっと明るければ、彼の手が抑え切れない感情のあまりに震えているのも私には見えたはずだ。
 ……この国、北方諸侯による連合帝国の政府が彼らに支払うべき給料を反故にしたからですよ……結果、彼らは各地で暴動や略奪を行い、憲兵や地方軍隊、そして中央政府から派遣された軍隊に逮捕された……
 私は所長の言葉を思い出す。
 あの時は、まだ他人事だったその言葉が現実の重さを携えて私の目の前にあった。

307ロズロォの懺悔(23):2008/02/02(土) 03:21:54
「政府には窮状を訴えなかったのですか?」
 私の問いに「そんなことはすぐにやったよ」と彼は答える。
「すぐに俺は政庁に訴えでたさ。しかし、役人共は俺のような見すぼらしい傭兵崩れには会おうともしなかった。それでも俺は何度も何度も政庁に足を運んだ。そして、ようやく役人に会えたと思ったら、彼が答えた言葉は『北方諸侯による連合帝国政府は今回の戦争費用に対して徳政令を発布し、一切の借財の返還を行わない』というものだった。お人よしの俺は、騙されて、裏切られて、そして徒に手を汚しただけだったんだよ」
「……」
「女房が死んだのはその晩だった。俺は何も出来なかった自分と、約束を反故にした政府に対して怒り、頭に血が上り、気付いてみれば……」
 政庁の建物に火をつけていた、と彼は言った。
 それはこの国では立派な反逆罪、そして扇動罪だ。この国では反逆罪と扇動罪に対する刑罰は漏れなく死刑と決まっている。
 しかし……
「俺はすぐに衛兵に逮捕され、投獄されて裁判を待つ身になった。死罪は覚悟していたし、望むところだった。神だって、せめてあの世で家族にもう一度会わせてくれるぐらいのことをしてくれるだろう、そう考えていた。その後だったら地獄行きだろうが、なんだろうが構わなかった。でも、そうはならなかった」
「代わりに終身刑でこの牢獄に投獄されたわけですね」
 「あぁ」と彼は頷く。
 突然吹いた強い風が、囚人棟の壁に当たり、大きな音を立てた。その音のおかげで、その後の沈黙が先程よりもずっと深く、まとわりつくような沈黙に感じられる。
「あの世で女房や子供にすら会う機会すら奪われた俺は長いこと抜け殻のように服役していた。もう、何もかもどうでも良かった。だが、その態度と、『ロズロォ』だった時に染み付いた独特な気配と雰囲気、つまり染み付いた血の匂いの濃さと、戦場から抜けても尚身体から離れない死のにおいのおかげだろうな、気が付けば俺はここで牢名主になっていた。そして……」
 ギロリと鋭い目で彼は私を睨む。その顔には最早笑顔は浮かんでいない。
「そして、お前が来た。【草】作りの罪で投獄された囚人と聞いて、俺は最初お前を問答無用で殺すつもりだった。死んだ女房と子供へのせめてもの手向けにとな」
 もはや殺意と憎悪を隠していないその声と顔に、私は恐怖を感じて思わず一歩後ろに下がる。
「あんたが作った【草】で女房が死んだのかどうか、なんてどうでも良かった。【草】作りの医師(ロズロォ)を、その犯した罪を懺悔させながら無残に殺すことが出来れば、それで少しは気が晴れると、そう思ったんだ」
 しかし、あの時私は殺されずに、今もこうして生きている……
 額を伝う汗と、乾いた喉を落ちていく唾を感じながら、「何故、私を殺さなかったのです?」と私は聞いた。
「お前があまりに間抜け面をしていたからだよ」彼は嗤うようにして言った。「何故自分がここに送られてきたのか分からない、そんなキョトンとした顔をしていたからだよ。それを見て俺は、これでは復讐にならない、と思ったのさ。多分、あの囚人のように殴り殺しても、自分に何が起きたのか分からないうちに死ぬだけだろう、楽にしてやるだけだろう、そう思ったのさ。だから、止めた」
「……」
「だが、諦めたわけじゃなかった。何度かカマはかけたのさ、『【草】を作れるか?』と聞いたのもそのうちの一つだ。もし、しゃあしゃあと『作れる』と答えたら、俺はその場でお前を殺すつもりだった」
 正直者が救われるというのはあながち嘘ではないらしい。
 もっとも、そこで救われたことで私はあの悪魔のような実験に手を染めるようになったわけだが……

308ロズロォの懺悔(24):2008/02/02(土) 03:22:42
「そしてその晩からお前は牢役人に連れ出されるようになった。その行き先は役人棟だ。しかも、それからすぐに毎晩のように血と女の死の匂いを漂わせて帰って来る様になった。それも一日や二日じゃない、何日もだ」
「なぜ私の行き先が分かったんですか?」
 私は聞いた。役人棟の場所はこの囚人棟からは見えない場所にあるはずだ。なのに、何故私が役人棟にいったことを知っているのだろう?。
 彼は口元を歪めると、胸元から小さな鏡を取り出し、そして立ち上がると窓から他の囚人棟に対して蝋燭の光を反射させて見せた。その光に応えるようにして他の囚人棟のある位置から光が返ってくる。
「役人やお前達が思う以上に各囚人棟の牢名主は常に連絡を取り合っているんだよ。まぁ、知っているのは一部の人間だけだからな。おまけにここには役人の息のかかった奴もいるからな。それが誰かも知ってはいるんだが、逆に利用することを考えてわざと泳がせている」
 彼は鏡を胸元に戻し、椅子に座ると、「さて、医師(ロズロォ)さんよ」と私に向き直って聞いてきた。
「あんたは、役人の所で毎晩何をしていたんだ?」
「私は……」
 私が口ごもっていると、「答えな医師(ロズロォ)!」と突然どすの利いた声で彼は言ってきた。
「どうせ俺達に関係することなんだろう?。だったら俺にも聞く権利がある。言っておくが、見え透いた嘘を言ったりしたら、この場で叩き殺すからそのつもりで答えろ!」
 その気配に、私はおののいた。彼が本気で言っていることに気付いたのだ。
 私は今までにあったことを、所長に【草】の精製の代わりに囚人達に施術を行うことを提案してしまったことを、その日から役人達が被験者の娘達を攫ってきて、私は彼女達に『実験』を行っていたことを、そして草の民の娘に会ったことを、一週間以内に彼女に『実験』を行わねばならないことを、全て喋った。
 だが、それは決して牢名主に恐怖を感じたからだけではない。私は……彼女を救う一縷の望みを彼に求めたのだ。
「ふん、あの所長が飛びつきそうなことだな」
 私の言葉に、嗤うようにして牢名主が鼻を鳴らした。
「それで、お前は自分で庇護している娘を、命惜しさに売り飛ばしたわけだ。随分と生き意地が汚いんだな」
「……」
 私は何も答えられない。それは真実だからだ。でも……
「それで、お前はどうしたいんだ?。所長の言うことを聞いて彼女を殺すのか?」
「私は……」
 そう答えてから、私は暫くの間を置き、つい先程の出来事を語った。

309ロズロォの懺悔(25):2008/02/02(土) 03:23:59
 暗い医務室の中、私は俯いて娘が、私の持ってきた食料を貪るように食べている様を見つめていた。
「どうしたの先生、今日はやけに無口だね」
 そんな私を見て、彼女は言う。
「私が無口なのはいつものことだ」
 私は、自分の本心を悟られまいと、無理に笑顔を浮かべて言う。
 本当のことなんて言える訳がない。ここまで面倒を見て、「君は一週間以内に私の『被験者』になるか、殺されるんだ」なんて、どの面を下げて言えるというのか?。
 ……やっぱり、あの時牢役人を呼んで『実験』を行うべきだったのか?
 私は、中途半端な正義感を抱いてしまった自分を呪いながら思う。あの時冷酷に徹していれば、今こうして悩むことも無かった筈なのに……
 ……今更正義感を持ったところで、私は救われない人間なのに……何で?
 私は下唇を噛む。
 どうして心が痛むのだろう?。あれだけの鬼畜な行為を行って、今更自分が善人だとでも言うのか?。だとしたら私は見下げた馬鹿もいい所だ。
 ……おまけに「最後まで希望は捨てるな」だって?……希望を奪ったのは……絶望を与えようとしているのは誰だと思っているんだ!
 そして私は思う、この娘にさえ会わなければ、と……もしこの娘に会わなければ、今頃私の罪悪感は磨り減り、『実験』は快楽の手段と化すか、さもなければ実験に何も感じなくなっているかのどちらかで、今のように自分の罪深さを思い知ることも無かっただろう。なのに……
 ……神よ、貴方はどこまで残酷なのですか?
 私は蹲り頭を抱えた。すると、
「先生。私、とうとう先生の『被験者』になるんだね」
 寝台から身を乗り出した娘が静かな口調で私に言った。
「何を……馬鹿な……そんなことが……」
 この期に及んで嘘を吐こうとする私に、娘は優しく微笑んで言う。
「先生、嘘をつくのが下手だからすぐに分かるよ」
「……!」
 私は娘から目を背けた。
 もう、彼女の顔は直視できなかった。
 そして、彼女の口からこれ以上私に優しい言葉がかけられる事が耐えられなかった。
 だから私は呟くようにして言っていた。
「嘘を言っているのは君も同じじゃないか……」

310ロズロォの懺悔(26):2008/02/02(土) 03:24:39
 彼女が小さく息を呑むのが私の耳にも聞こえた。だから、よせばいいのに、この件は最後まで黙っていようと思ったのに、思わずそれを大きな声で口にしてしまっていた。
「嘘なんだろう、君のお姉さんが元締めを通して街頭に立っていたというのは!……君のお姉さんは元締めを通さないで街頭に立った!。だから傭兵達に乱暴されて殺された!……それが真実なんだろう!?」
「……!!」
「この手の商売は客とのトラブルが付き物だからな、どんな弱小の元締めだって用心棒の一人ぐらいは雇うものだ。傭兵達だって、用心棒がいると知ってて迂闊にトラブルは起さない。そんなことをして後々厄介ごとになるより、元締めを通してない私娼を好き勝手にした方が割がいいからな。死んでも、どうせ私娼はその殆どが流民の類だ。何のあとくされも無い」
 私がその事に気付いたのは、後になって所長の言葉を思い出したからだ。
 ……女でも娼婦の類だと色々とややこしいことになる
 帝国直轄の役人でもそうなのだ、これがただの傭兵であれば、戦争で頭がおかしくなっている相手でもない限り言わずもがなだ。
「君は『同僚』の人が言っていた、と言ってお姉さんの死に様を教えてくれたが、それは嘘だ。君が見たのはお姉さんの死体だけだろう?」
 私の言葉に、彼女は顔を青くして唇を震わせていた。
 止めるべきだった……せめて、そこでこれ以上何かを言うのを止めるべきだった。
 なのに……
「君の言うお姉さんが遭わされた目というのは、本当は君が遭わされた目なんだろう?。君も元締めを通さないで街頭に立って傭兵達に乱暴された……そうなんだろう?」
 彼女は何も喋らない。
 今彼女がどんな顔をしているのか、顔を上げない私には分からなかったし、私は彼女の顔を見たくないと思った。
 今彼女の顔を見たら、私は謝ってしまうだろう……そして、そんな私を彼女は許し、そして彼女は私に優しい言葉をかけてくれるだろう。それが私には耐えられなかった。
「どこで……気付いたの?」
 震えた声で彼女は言う。
「君から話を聞いた後さ。私だって多少は世の中に明るい。だから少し考えればそのぐらいの予想はつく」
「そっか……分かっちゃったんだ」
 寂しそうな声で彼女は言う。予想外にも彼女は私の乱暴な言葉に怒っていないようだったが、きっと内心は穏やかではないに違いない。
 ……これで良いんだ……これで……自分を殺す男を……私のような罪深い人間を『許す』なんて間違えている
 私は、そう思って自分を納得させようとしたが、言った自分の言葉に後悔して唇を震わせていた。
「じゃあ、先生にあの言葉、もう言えないね……こんな汚れた女なんか、先生、軽蔑しているよね……嫌っているよね……汚らわしいと思っているよね……」
 呟くようにして言う彼女の言葉に、私は思わず逃げるようにして医務室から走り去った。
 私は走って、走って、役人等の廊下を駆け抜けた。ただ感情の赴くままに、理性などではなく「逃げたい」という欲望の赴くままに、現実から目を背けるために……そして気付けば雪の中にいた。
 私はその場に座り込む。
 そんな私に雪は容赦なく降り積もる。
 冬はまだ終わってはいなかったのだ。
 ……私は罪深い
 雪の冷たさを全身で感じながら、今更ながら私は思う。
 ……でも、罪深いから分かる……彼女に罪はない……なのに彼女は自身を罪だと思っている……理不尽を罪に対する罰だと思って受け入れようとしている……
 それは間違えている、と私は思った。彼女が罪深いというのなら、世の中が間違えている。
 ……罪に対しては罰が与えられなければならない……罪のない人間に罰が与えられてはいけない……
 当たり前のことに、やっと私は気付く。
 だから……
 ……だから、私は……彼女を助けたい……この身が破滅しても……どんな罪に晒されても……

311ロズロォの懺悔(27):2008/02/02(土) 03:25:29
 「そうかい、それがあんたの結論か」
 牢名主はどこから手に入れたのか、酒の瓶を机の上に置き、やはりどこから手に入れたのか分からない器を二つ机の上においてそれに酒を注ぎ、そしてそのうちの一つを私の方に押してよこした。
 私は、目の前に置かれた酒の器を眺めながら、「やっぱり彼女を助けたいんです」と呟くようにして言った。
「彼女が不幸なまま死ぬのは間違えてます。理不尽です。そんな理不尽を肯定してはいけないと思います」
「世の中はとかく理不尽なものだ」
「頭でそれが分かっていても、やっぱり私にはそれが許せない」
 私は机を叩いて、叫ぶようにして言った。
 牢名主は、そんな私を静かな眼で見ている。
「でも、私には彼女を助ける力がない……私が彼女への『実験』を拒否したところで、彼女は殺されるだけだ……私は……」
 ……私は無力だ
 そのことがどこまでも悔しかった。そして、そのことがどこまでも罪深く感じられた。
「私が……恐怖から逃げるためにその場しのぎのことを言わなければ、彼女は……いや、他の娘達だって不幸になることは無かった。それだけじゃない、私が、いくら生活に窮したからと言って【草】さえ作らなければ、いや、最初からこの国、北方帝国で医者(ロズロォ)をすることさえ選ばなければ、誰も傷つかなかったんだ……」
 私の声は最早叫び声になっていた。
 事実それは叫びだった。
 私は、最初から全ての選択を間違えて、そしてそのことによって全ての人を不幸にしてしまったのだ。
 ……私は……私は!……私は!!
 もう感情が昂ぶり過ぎて言葉にならない。
 だから、私は頭を掻き毟り、そして机に一度渾身の力で頭をぶつけ、その拍子に半ば中身の零れた器の中身を一気に煽った。
 熱いものが喉を通り過ぎて体内に落ちていく。
「その気持ちに偽りはないな、医者(ロズロォ)」
 静かな声で言った牢名主の言葉に、私は即座に頷く。
 牢名主は、暫く私の目を見ていたが、「それなら」と言って口元を緩めた。
「俺達も自分の身を守る準備をしないとな……」
 牢名主は自分の器にもう一度酒を注ぎ、それを一気に煽ると、胸元からあの鏡を取り出した。

312言理の妖精語りて曰く、:2008/02/02(土) 17:14:49
そうですか

313ワンテクスト リザードマンの皮1:2008/02/06(水) 00:03:33
音は無い。静謐に充ちた闇の中、それでも光景が判然としている。
それは、薄暗いモノレッドの石壁が延々と続いている洞穴の中の事だった。
体温が変動しやすいのは彼の種族の特性だ。季節に関わらず冷え込みが激しい地下でのこと、暖をとる為に熱糧の定期的な摂取は欠かすことが出来ない。
耳まで裂けた口の端で、舐めるようにして溶かしていくそれを横目で眺める。
自分の赤く長い舌が飴玉じみた携帯食を絡めているのが顔の両側に付いた巨大な眼球から見て取れた。
その目玉は大きい。とても。
顔の側面についているのだが、目玉が大きくてよく動く為か、真後ろ以外の死角は存在しないほどだ。
ディザウィアーは三階層のコロニーに来て未だ一年目という新参で、安全な最下層(グラウンド・ゼロ)の揺り篭(クレイドル)で戦士としての訓練を終えてようやく上層に配属されるようになったばかりだった。
ディザウィアーの仕事はいつの日も変わらない。
来たものを狩り、その持ち物を奪い、肉を運ぶ。
徒党を組んで狩る場合もあるが、そしてこの界隈ではもっぱらそれが常道とされているが、
彼、ディザウィアーは単独で狩る事を好んだ。
獲物である侵入者達は通常四人から五人の集団だ。単身襲い掛かれば不利は否めない。
ましてや、この三層にまで到達する事が可能な技量を持った戦士ともなれば、なおさらだ。

それでも、ディザウィアーは独りサーベルの刃を研ぐ事をやめない。
彼は、常に独りで狩りをするのだ。

傍から彼を見れば目が爛々と輝いているのがわかるだろう。無明の闇の中、闇を見渡す、否、闇を照らす光輝の瞳はディザウィアーたちの種族でも珍しいとされる強者の証だった。
魔的な素養が強いと言ったのは何時か出会った魔術師だったか。いずれにせよ彼にとって弱者は糧にし踏みつけるためだけにあるのだ。

そら、獲物が来た。
足音より先にその目が捉えたのは松明の明かりだった。「人間」たちは魔術の明かりや松明がなくては闇の中を歩く事ができない。
それが自分達の敵を引き寄せる悪手だと知りながらも、そうせざるを得ない。
愚かな、愚かな人間たち。

隊列を組んで歩く、硬い鎧を纏った戦士たち。
三人の背後には線の細い身体を長衣に包んだ魔法使いが歩いている。
四人の侵入者。身の程知らずな冒険者たちを、ディザウィアーはせせら笑った。

ディザウィアーは、鞘を押さえてサーベルをすらりと抜き放った。
この地獄のような赤竜の古巣(レッドトーン・モノリス)の中層で、地獄の番人が牙を剥く。
さあ、狩りの時間だ。

314ワンテクスト リザードマンの皮2:2008/02/06(水) 00:03:50

視界に映る獲物は四、爛々と光る二つの輝点を確認するや否や、彼らの挙動が精練された戦士のものに変わる。
殺意。先にぶつけたのはこちらだ。故に等量以上の敵対意思は圧し掛かるように鱗の上を圧迫する。
躊躇い無く、疾駆する。
眼前、先頭の戦士が咆哮を上げた。
否、それは吼えたのではなく背後の人間達への指示や鼓舞の合図だったのかもしれない。
だがディザウィアーには人間の言語など分からないし、分かろうとも思わない。
翻すは抜き身の刃。薙ぎ払うは踏み出した空間。
湿った大気が鋭い音を鳴らした。
戦士の直剣とこちらの剣がかみ合う高調音。真横から突き出されるのは援護の槍。
それを、ディザウィアーは避けることもなく無視した。
鍔競り合う刃を、一気に押し込む。

刎ねるような金属音。
同時に二つ。

ひとつは、ディザウィアーの刃が戦士の刃を叩き折った音。
もうひとつは、ディザウィアーの首に突き出された槍の穂先が砕けた音。
戦士たちが、高く鳴いた。それは驚愕の声だろうか。このディザウィアーの硬質鱗は程度の低い金属などでは絶対に貫けないという厳然たる事実。冒険者達が絶対の絶望と恐怖に塗れ、死に逝く最大の原因たる、最硬の鎧。

屠る。驚愕から立ち返る機会など与えぬ。鱗人の放つ斬撃は瞬く間に敵手二人の首を跳ね飛ばし、攻撃の機会を窺っていたもう一人の戦士の槍を斬り飛ばすと、一閃して殺害。

瞬間的な殺戮だった。ものの数秒で、三人。
ディザウィアーの電撃的な速攻には、今まで幾人もの冒険者達が餌食となった。
その歴戦とも言える彼の勘に、隔靴と火が点る。爆発的な直感が彼を爬虫類的な柔軟性で臥せさせた。

刹那、爆散する直上空間。耐え難い熱の嵐がディザウィアーの背を、後頭部を焦がす。
魔法使い、彼の天敵。
その鱗を突破し、爆砕し凍結し飛散させて殺害し得る、唯一警戒するべき対象。
だが、一度の回避が成功さえすれば恐れるには足りず。
しなやかに跳ね上がる。眼前の魔法使いにはまるで地を這って接近してきたように見えたであろう、前方への瞬間的跳躍動。
それに次ぐ、斬撃。
血しぶきが飛び、脆い魔法使いの肉がどうと倒れる。

狩りは速やかに終了した。都合十秒ほどである。
今晩の豊かになるだろう食卓を思い描きながら、ディザウィアーは狩りの成果を隠していた袋に詰め、力強い腕で担いで巣へと戻っていった。

315ワンテクスト リザードマンの皮3:2008/02/08(金) 22:58:28
どさりという鈍い音、獲物を巣に下ろすディザウィアーはようやっと一息を入れて人心地つく。それは一日の労働が終わったと言う心地の良い証だ。
お疲れさん、という声と共に、屠殺場では姉が既に解体用の鉈を手に待っている所だった。鮮烈な赤い鱗を持つ姉は表に出れば標的となりやすい。
美しいと言うことはそれだけで狩られる要因になる。狩るか狩られるかの瀬戸際の中、ディザウィアーたちは適材適所を謳いつつどうにか絶対数の少ない戦士の配置をやりくりしていた。
単独で要所を任せられると言う事は、即ち優秀だという証明だ。
ディザウィアーに対する皆の信頼は、篤い。
「今日はまた偉く大猟だね。 群をまるごと狩れるのなんてそう無いよ?」
「人間は群で狩った方が旨みがある。 こちらが単独と見ると油断することも多い」
「だからって、あんまり無茶しないの」
軽い力で頭を叩かれる。姉と二人で暮らしてもう随分になるが、ディザウィアーは唯一の肉親にだけは絶対に頭が上がらない。
それはこうして彼が帰るべき家を任せているということ以上に、血なまぐさい闘争が報われる唯一の実感を与えてくれる存在だからだろう。
「ディザウィアーは奥間でくつろいでなよ。私はちゃっちゃと食事の準備するから」
姉、シュィルプフゥは細身に似合わぬ膂力で獲物の入った袋をまとめて背負うと、そのまま奥へ運んでいった。
楽しげに揺れる尻尾を見ながら、ディザウィアーは暖かな家庭の空気にそっと息を吐き出した。

316ワンテクスト リザードマンの皮4:2008/02/09(土) 15:11:15
食事の後、ディザウィアーたちに来客があった。
「いやあどうもどうも。ご無沙汰しております」
頭に手をやりつつ遜って頭を下げるのは、鱗を大分赤茶けて変色させた老年の男性だった。
古い既知、それも揺り篭時代の教師であるャイソァブはやや声の張りなどを減じさせていたものの、かつてと変わらぬ様子で玄関口に佇んでいた。
少し前に教師としての役割を退き、隠居するなどと風の噂に聞いたものだが、さて一体どういった用向きだろうか。ディザウィアーが不思議に思いつつもそれを表に出さず、精一杯の歓待をしてみせると彼はたいそう喜んでくれた。
暫し歓談を交わして時を過ごす。ふと会話が途切れ、雰囲気がつと切れになった。
やや間を於いて、老人が固くなった声で、言葉を放つ。
「今日はちょっと、残念な知らせをお伝えしなくてはなりませんでねえ」
歯切れが悪いャイソァブは、どこか後ろめたげにちらちらとディザウィアーの背後を窺っていた。なにかの罪悪感、あるいは、自分達にとって負の要因となる知らせであろうかと予感する。
ディザウィアーは勘のいい男だった。予測は大抵的を射る。
「最近、ここら辺での獲物の数が減っていることに気付いてますかな?」
「何のことでしょう? 私はそのように感じた事は、今のところありませんが」
「そうですか。 ですが、あなたの担当猟域以外での侵犯者たちの数は、確実に激減しているのですよ。
原因が、わかりますか?」
「さあ・・・」
理解はしかねたが、直感的にこれは危険だ、とディザウィアーは感じていた。
何か、自分を中心としたよからぬことがおきているのだと鋭敏な戦士の本能が叫んでいる。
だが、どうにも自体が掴めない。となれば、やはり対処も出来ないのである。
「あなたねぇ・・・、ちょっと、調子に乗りすぎちゃったんですよ」
続く言葉は、彼にとって理不尽とも感じられる内容であり・・・・・・そして納得せざるをえない内容でもあった。
「あなたは強い。強すぎる。どんな侵犯者が複数でかかっても確実に仕留め、あるいは撃退してきた。
あなたが優秀な戦士だというのは誰もが認める事実だ。我々も、そして侵犯者たちも」
最後の言葉を強調して、かつての恩師は言った。
「はっきり言いましょう。侵犯者たちの間で、あなたは有名人だ。恐らく賞金すらかけられている」
愕然とした。人間達の社会構造がどのようになっているか、それはかつてこの老人から教わった事だ。
侵犯者・・・・・・人間達は征服的狩猟によってその生態システムを構築している。
労働階級に戦士や魔法使いたちがあり、それを統括する互助組織のようなものが存在するらしいことが、今までの研究でわかっているという。
互助組織は様々な種類の侵犯者たちを送り出し、一人から五人程度の群単位で緑鱗人の巣穴を襲撃してくるのである。
彼らはこちらの巣穴を侵略し、略奪し、徐々に徐々に踏破してくる。一度の侵入で巣内部の情報を探り、その情報を共有しあって連携して襲撃してくるのだ。
恐るべき、我らの天敵。天敵に対抗するために戦士たちの育成が続けられているが、圧倒的な物量で攻め立ててくる侵犯者たちには劣勢を強いられている。
そんな中で、勝利を続ける自分は侵犯者達にどう見えているのか。
そんなことは、全く気にかけていなかった。
「もはや侵犯者たちの中であなたを倒す事が一種の目的になりつつある。今後殆どの侵犯者たちがあなたの担当する範囲に侵攻してくるでしょう。
だが、それはまずい。いままでバラバラに侵入してきていたからこそ我らは対抗し続けられた。だが今度こそもうだめだ。我らは一網打尽にされてしまうでしょう」
ではどうすれば、と言いかけて、その対処が自分に求められている事に気付く。
老人の目は、いまや苛烈に煌々と光っていた。
「あなたには、責任を果たしていただく」

317<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

318ワンテクスト リザードマンの皮5:2008/02/21(木) 18:32:43

進軍。
怒涛の如く猛然と突き進んでくる対前の人の群の進撃は、正にそう形容するに相応しかった。
正に軍隊であるかのような侵犯者たちの鬨の声は荒ぶる彼らの魂を獣じみた熱でもって鼓舞している。げに恐るべきはその士気の高さか。
剣を、槍を、弓を、杖を、殺意と興奮で塗れた意思は遠く離れたこちら側にも物質的なプレッシャーすら伴って襲い掛かってくる。
ディザウィアーは、かつて無い脅威の波に圧倒されかけていた。

無数の人を内包してなお余りあるその大空洞は、彼らの巣窟の最深部にして放棄された居住空間である。
対峙した人間たちは明確な敵意を以ってディザウィアーに立ち向かってくる。
そう、立ち向かってくるのだ。
手に構えるは幾多の戦器。

成就の槍、王竜の斧、白眉なる呪剣(イアテム)、血染めの血戦矢、黒爪(ディルノラフ)・・・・。
目を見張るほどの異形、それらは万の雑兵を散らして止まぬ最悪の呪いの武装たちだ。
その全てを相手取って、ディザウィアーは立ちはだかる。
それは、蟻と象との決戦だった。

これはなんだ、とディザウィアーは牙を噛む。
まるで現実感のない、それでいて絶望的な圧力だけは確かに感じられる、そんな状況下。
鱗の一枚一枚が告げている。あの刃のうちどれか一つでも触れれば即座に彼を死に至らしめる凶器であると。彼の強靭な鱗など紙のように突き破られるのだと。
予感ではなく予測。
確信に満ちた戦慄が全身を駆け巡り、前進を躊躇わせている。
自分は、此処で死ぬ。

そう、贄となり、侵犯者どもの餌食になるのだ。
残虐な波濤が目前に迫り、ディザウィアーは肉体に染み込んだ戦士的な感覚が独りでに動き出すのを自覚した。意識は既に肉体の操作を手放した。現世に在るのはただ反射的不随意的な自己防衛本能のみである。
緑色の巨躯が身構える。全身をばねのように撓ませて、あらゆる殺意に反応できるよう、一瞬一刹那でも生存の可能性を引き伸ばすために殺意に殺意で以って応じる腹積もりなのだ。

愚かだ。そして無謀だった。どこか他人事のように空虚な思考の中で、彼はそう酷評して。
直後、飛び跳ねた。
恐るべきは蜥蜴人の俊敏性か。こればかりは如何なる人間の英傑でも追随できぬ、爬虫類的な柔軟性が可能とする超絶の跳躍移動。
押し寄せる軍勢は、地を這う様に疾飛したディザウィアーを見失う。
彼らが屠るべき標的を見つけたのは、断末魔の声を上げる同胞が三人倒れ臥した瞬間のことであった。

その時、ディザウィアーは既にして敵軍の真っ只中に潜り込んでいた。
蹂躙が始まった。

319<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

320<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

321ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 00:52:59
血を浴びつつけるディザウィアーの肉体はかつて無いほどに熱く高ぶっている。
だが同時に、昂揚する自身に対する疑問が湧く。
何ゆえに、自分はこのような昂ぶりを覚えるだけの余裕を持って戦えているのか?
いかに歴戦にして屈強無比なる鱗の戦鬼といえども、侵犯者たちが総力をもって排除せんとすればひとたまりも無いはずなのである。
であるにもかかわらず、自分は未だ無傷であり優勢である。
波打つ軍勢をなぎ倒しつつ、止む事のない斬撃の嵐をディザウィアーはなんとか凌げている。
それは何故なのか。

それは、気付けるはずもない事実であり、閃くはずのない直感であった。
だがしかし、その時天啓のごとく舞い降りた凄絶な悪寒はディザウィアーの背筋から尾の先までを一瞬のうちに駆け巡り、次いで信じるのもおぞましい確信を抱かせるに到った。
刹那、ディザウィアーは任じられた戦場を放棄する事を即座に決意した。転進し、翻った尾の一撃で軍勢をなぎ倒す。
ひるんだ侵犯者たちの隙を突いて、人間には到底追随できぬほどの速度で疾駆する。
彼が向かうのは、自らの巣である。
赤い回廊、灼熱に滾る外界よりも熱く、その身の内を焦燥に焼いて鱗の民は吼え猛る。
回廊を繋ぐ門を越え、喧騒と怒号に満ちた居住空間を潜り抜け、血に塗れながら邪魔者を駆逐しながら突き進む彼の眼は、真っ直ぐに一点を目指していた。
やがて、その足はたどりつく。
彼の家。

最愛の、姉のもとへ。
無残な姿に変わり果て、力無く横たわる肉塊の下へ。

322ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 01:21:16
老人は言った。

「つまるところなあ、連中の目的はわしらを滅ぼす所なんかないありゃあせんのよ。むしろ生かさず殺さずで搾取することこそが奴らの思惑でな。
侵犯者たちはわしらを殺し、その持ち物となにより皮を剥いで持ち帰るのじゃ。
知っておろう、奴らに襲われたものたちの末路、無残にも肉をむき出しにされた屍を。
何に使うのかは知らんがのぅ。侵犯者たちは己らの利益のため、わしらを狩っておるのじゃよ、結局の所はの」
ディザウィアーは目を見開いたまま、未だ忘我の中でその声を右へ左へ、聞き流している。
老人の声は、続く。
「やつらがとりわけ欲したのは、わしらの中でも最も美しく丈夫な、世にも珍しい皮じゃった。
いかなる刃も通さぬ鱗、しなやかな柔軟性・・・・・・、つまりは、おまえさんとこの血族の皮じゃよ。
だがまあ、わしらとしては守護者たるお前さんを失うわけにはいかん。
だからなあ、まあお偉いさんがたは侵犯者と取引して、珍しい皮を一つ融通する事で侵攻の手を緩めてもらうよう手を打ったと、つまりそういうことじゃな」
耳障りな声を、ディザウィアーは認識し続ける事を止めた。
彼の瞳には、もはや何一つ映りこむ事は無く。

やがて、ディザウィアーは一切の思考を放棄した。

歓喜する声と絶望の悲鳴が聞こえたような気がしたが、ディザウィアーにとってはすでにもう、全てがどうでもいいことだった。




323不思議の国のザリス 1:2008/04/17(木) 03:03:45
急がなくちゃ。急がなくちゃ。
ザリスはとにかく全力疾走で生きてきた。
(車いすだからほんとは走れないんだけど。)
とんでもない妹に追いつくために走ってるのか、
どうしようもない妹から逃げるために走ってるのか、
もう自分でもよく分かってないのだ。
何だか昔おとぎ話で聞いたウサギみたいだと思った。
あのウサギも、たしかアリスという名前の女の子に追っかけられるのだ。
「あ、今の表現いいかも。私は暗闇を疾走するウサギ・・・と。」
すかさずマイ詩集ノート(3冊目)にメモメモ。
そしてそんな自分のイタいうしろ姿(猫背気味)を想像して絶望。
中二病患者ザリスは今日も忙しい。

324不思議の国のザリス 2:2008/04/17(木) 03:07:49
いつから中二病だったのか。ザリスは自分でもはっきり覚えてない。

気がついたら何だか中二病だったのだ。しかも重度。むしろ末期。

妹を師匠にするという屈辱、日々のイジメかよって感じの修行。

そういった何やかやのストレスになんかもう叫びたい!っていう衝動と、

名家の長女たる私はイタいことなんてしないのよ!っていうプライド。

二つの思いが左右の天秤に乗っかってずんずん大きくなり、

いつしかザリスはヤジロベーみたくフラフラと微妙なバランスをとる日々。

「あぁ・・・内包するこの苦悩が崩壊したとき、きっと世界が滅びるのね」

そして我ながら恥ずかしいセリフを口にして赤面。

ザリスはキョドキョドと辺りをうかがって、誰もいないのを確認した。

325不思議の国のザリス 3:2008/04/17(木) 03:10:23
どうしてこうなってしまったのだろう。
ザリスだって昔はポジティブだったのだ。
なんてったって魔術の名門に生まれた天才。
小さい時から努力に努力を重ね、
3歳にして庭の大樹を消し炭にするほどの火力を有するザリスは一門の期待の星。
ザリスが頑張って新しい力を手に入れると、みんなホメてくれた。
「努力は報われる」って言葉はあまりにチープ過ぎて何か気に食わないけれど、
世の中がそういうふうに出来ているって事実だけは心地よかった。
実際ちょっとひねくれてしまった今でも努力と研究は嫌いじゃない。
とにかくあの頃の自分は、どんな高い壁だって乗り越えられる気がした。
それが・・・それが、あの妹が産まれたばっかりに!きいいい!!

326不思議の国のザリス 4:2008/04/17(木) 03:11:40
そういえば、どうにも引っかかる記憶がある。
庭でいちばんの木をついに燃やすことが出来たあの日。
ザリスはここ数日のライバルこと庭の木をやっつけて上機嫌。
ちょっと本気モードになればかなうもの無しのザリスの前に、
突然変な奴が現れてこう言った。
「すごいわねぇザリスちゃん。あなたはその年齢にして既にどんな困難でも乗り越えようとする。そして困難を乗り越えるたびに強くなれることを知っている。でも、気をつけなさい。あなたが強くなろうと思えば思うほど、あなたは無意識に困難を呼び寄せる。ザリス、あなたは総受けです。それは即ち我が父アルセスと同じ属性。あなたに世界を支える器なくば、暗黒エネルギーに飲み込まれてしまうことでしょう」
変な奴は言いたいこと言って消えた。
急に受けとか言われても何のことやらサッパリ分からないザリスは、
結局今まで通り、力を求めて努力し続けることにした。

327不思議の国のザリス 5:2008/04/17(木) 03:13:01
それからしばらくして、妹のアリスが産まれた。
アリスはなんと産まれて3日でお屋敷を一族もろとも真っ白な灰にした。
才能の差は歴然だった。
ザリスは愕然としたけれど、それでも気を取り直して、一応妹をホメてみた。
それに対して、生後3日のアリスはきっぱりとした口調でこう言った。
「五月蠅い。この程度でおだてるな無能。」
ザリスの人生はだいたいこのへんをピークに、転落を始めていったのだった。

328不思議の国のザリス 6:2008/04/17(木) 03:14:55
紀神アハツィヒ・アインは溜息をついた。
「やっぱり・・・こうなるとは思ってたけどね」
ザリスは運命を変える力があまりに強すぎた。
ザリスの障害を求める心―暗黒エネルギーが周囲の人間に強く影響し、ついに越えられない壁という存在、すなわちアリスをこの世界に生み出したのだ。その意味で真に力があるのはザリスのほうだった。アリスはザリスを貶めるための装置に過ぎない。
ザリスは困難を乗り越えることよりも、困難を求めることに魅入られてしまった。それがザリスの人生最大の計算違いだったと言える。
「受け攻めは調和をもって安定する。総受けの者あれば総攻めの者が現れるは道理。それにしても報われない話だこと」
ザリスは自分を走り続けるウサギに例えた。
それは本人の意図しないところで、的を得ていた。
最初にウサギが全力で走らなければ、アリスはこの世界には来なかったのだから。


おしまい。

329海の息子シャーフリートの話(1):2008/06/25(水) 00:53:55
亜大陸の海に悪魔が現われたらしい。悪魔は魚介類を採りつくし、海底を傷つけて荒らす。
漁業を営む人々は現在進行形で大きな損害をこうむっているという。
草の民のロエデウィヤ族の族長ウムースは単なる噂か御伽噺に過ぎない、と最初は
思っていた。だが、遠方の友人が生活に困り自殺してしまったとの知らせを
受け取って考え直した。亜大陸方面の情報を積極的に集め、他の部族とも情報交換を
するよう勤めた。そうしているうちに一つの事実が浮かび上がった。
悪魔は少しずつ北上し、自分達が住む場所に接近しているのだ。

ロエデウィヤ族、フェルダム族、カフラ族、ブーウ族の族長や長老、智慧者が集まって話し合うことにした。
しかし中々結論が出ない。すると会議の場に東方風の身なりをした槍を持つ男が現われた。
男はグーヤット・アティパーンと名乗ると、「海から英雄が生まれ、この地に流れ着く」と言った。
前触れもなく現われたのため場に集った者達は警戒して殺気立ちさえしたが、グーヤットは
特に気にする様子もなくすたすたと歩き去っていった。来る時とは逆にあまりに
隙だらけであったので逆に手を出すことができなかった。ウムースの息子オシューを除いては。
オシューはグーヤットが会合の行われる大テントの外に出たところで
そのたくましい腕でがっしりと彼を掴んだ。しかしグーヤットは体勢を全く崩すことなく
よろめきさえもせず、そのまま歩いていく。オシューはそのまま引きずられる形で
集落の外れまで突いていく羽目になった。異国の槍使いを掴み、全身と両足で踏ん張って
引きとどめようとするも敵わず引っ張られていくその姿を部族のほとんどの人に見られてしまった。
オシューとしては恥ずかしくてしょうがないのだがここで引き下がるわけにもいかない。
初めから諦めて手を離しておけばよかったとかそういう問題ではない。

330海の息子シャーフリートの話(2):2008/07/11(金) 00:59:10
旗色が悪くなったらすぐさま逃げる。人目を気にして勝負を捨てる。
彼にとってそんな考え方は本当に下らない、むしろ男たる者にあるまじきものだ。
自分はこの怪しい男を引きずり返したい、ただそれだけの理由でオシューはしがみついていた。
誰が見ていようがどう思われていようが関係ない。
けっきょくオシューの負けではあった。気付くと集落の外れの茂みにまで
引きずられてきていた。そこには固めのススキを集めて作ったらしいねぐらとも
言い難いものが建てられていた。荷物が重ねられているのを見ると、どうやら
ここで過ごしていたらしい。いくらこんな外れとはいえ、荷物を置き去りにするのはどうか、
と言うと、グーヤットは「見張りを残しておいたから大丈夫なんだよ」とやや砕けた口調で返した。
「ほら、あそこあそこ」とグーヤットが指を向けた先に目を凝らしてみると
草むらにひとのかたちがうっすらと浮かんできた。
「草みたいに肌塗ったり草を巻きつけたり、ちょっとやりすぎじゃないのか?」
本人は認めたがらないだろうが、そこにはひとかげを見つけられなかったことへの悔しさが混じっていた。
すると「変装じゃねえって。元からなんだよ」めんどくさそうにひとかげが発言し、
一歩前に踏み出した。「この声、女か?影の輪郭からじゃよくわからん」
少し近づいただけでかげと周囲が全く別なものであることははっきりした。
「いい具合に距離がとれてて光の加減とかも絶妙で見えにくかっただけだろうさ」
その肌は緑色。その質感を見て、オシューはできたてつやつやの香草入り緑餅を連想した。
「おい手前。いま何考えてた……」少し意識が外れていた隙に緑餅女がオシューの顔のすぐ真下から睨み上げていた。

少しのやり取りでオシューの性格をつかんでいたのか、彼が変な切り返しをしないうちに
「あー、紹介する。彼女はセデル=エル。わが旅の同行者だ」グーヤットは早口ぎみに口を挟んだ。

331アルカ・アライブ・アリステル:2008/10/29(水) 22:54:40
掬い取れば無限にその柔らかさを得られる泉があるかのように、さながら春野を舞う胡蝶を思わせる女の歩みはひたすらに静けさをたたえていた。
薄い栗色が柔らかなウェーブに乗って、肩にかかる髪は彼女の表情をわずかに影で覆わせている。頬の稜線、顎の丸み、その全てに平凡な柔らかさを備えた女は、しかしその瞳の色のみが凶器じみた鋭さで持って眼前の全てを威圧し続けていた。
アリス・アインシュタインの瞳は極めつけの凶眼だった。アリスはそれを生来から自覚していたし、自身の印象を強固にするために利用する事を厭わない。故にこそ今の彼女が存在し、泰然と歩むその姿に恐れおののく者どもの姿がここにあるのだ。
第三艦橋は常にない静寂を保っていた。
いや、静寂は押し付けられたものだと言ったほうがより正確かもしれない。それは一人の女によってもたらされたものであり、静謐さを常に周囲に振りまき続ける彼女は、その暴力的な静けさでもって周囲を支配し屈服させるのだから。
無数の情報窓が虚空に開いている。ビデオの高速再生、記録の中の花が開くように、早回しのデータが花開き散っていく。
その概要を眺めつつ、変わらない苦境にアリスは嘆息する。

冥王。
大地の眷属にして、大地より離反した者たち。
生まれながらにしてその素質を保有していたアリスは金色の紀と契約し、方舟(アルカ)に集う冥王の眷族の一員となった。
冥王らは現在、大地散逸派と呼ばれる猫的集団と協調し歩を合わせている。
猫と竜の戦争、即ち猫竜戦争と後の世に呼ばれることになる争いがあった。
王猫ウェラナバイエと言竜エルアフィリスの反目は、元を正せば世界のあり方についての見解の相違が原因である。
「散らばった大地」こそ至上と唱える大地散逸派と、「ひとつなぎの大地」を正常な世界と唱える大地球化派のイデオロギー対立は日に日に深刻化し、
神々をも巻き込んだ球化戦争の果てに大地が球となったのはアリスの記憶にも新しい。
大地が球となった後も大地を崩壊させるべく最後まで戦い抜いた猫たちは、しかし同じく最後まで戦い抜いた竜たちの奮戦により敗北を余儀なくされる。

332アルカ・アライブ・アリステル:2008/10/29(水) 22:55:09
散らばった大地の時代、致命的な問題とされたのは資源の枯渇と文明の伝達子(ミーム)が衰退していくことだった。
あらゆるミームは異なるものと接しなければ自壊し、文明は単純化しやがて近親婚を重ねた一族のように亡びを迎える。
交易を困難にする大断層は人々を飢えさせ、やがてより単純な世界を求めさせた。
球化の後、あらゆる種族はその快適さに味を占めていく。
曰く、揺らがぬ大地のなんと暖かな事か。
安定と秩序を欲する人々、竜的思想に凝り固まった彼らに対し、猫的な混沌思想は異質で少数に過ぎたのである。
アリスは思う。
眼前のデータの群の中には、ここ最近の地上の資源の動き、即ち猫側に供給される石油バレルの総量がグラフとなって表示されていた。
右肩下がり。一体何?が残されているのか、細かい数値を数えるのをアリスはやめた。
猫たちが保有する残り僅かな浮遊大陸(散らばった大地の時代のわずかな名残だ)にはもはやわずかな石油資源も残されていなかった。

猫たちは欲望と必要の赴くままに地上で資源を輸入していた。
暫く前まではそれすら許容されていた。
だが、昨今のエネルギー問題と環境の激変は猫へのバッシングを生み出す。
地表温暖化。
温室効果ガスが生むオゾンの破壊はやがて竜的人々の批判を生み出し、猫たちへの致命的な敵意となって形となる。
「緑に満ちた世界を考える会」の竜王たちはエントロピー増大効率の低下を唱え、「健全なる対症療法」をもって自然の崩壊を遅延させるべきだと主張する。
その筆頭はいまやエルアフィリスではなく、一人の矛盾を司る竜である。
言竜エルアフィリスと同格の竜、ロワスカーグ。
化石資源を用いたリサイクル、根本的解決には程遠い環境対策をしつつも、広い視野で眺めて地上の知性種の未来に繋がる環境政策を唱え続ける矛盾を貫き守る竜。
いまや地上において最も勢力を持つに至った「緑に満ちた世界を考える会」の会長であるロワスカーグはいまや世界五大宗教のひとつである竜神信教すらも吸収して猫たちの最大の敵となっている。
そして同時に、アリス・アインシュタインの最大の敵でもあるのだ。
享楽を貪ればいいのに、となんとはなしに思う。
竜の龍理に対し、猫たちの抽象性に満ちた猫写はこうだった。
「延命策ではなく、抜本的解決を図りたい。なんかすごいアイディアで。世界に革命を!」
なお、具体案は一切示されていない。
そんな彼らを、アリスはいとおしいと思う。


アリスがこれから対峙しなくてはならないのは、「現在の球の世界を創りし」創世竜第六位、矛盾竜ロワスカーグであり、そして彼に付き従う竜神信教第六位の巫女、ザリス・アインシュタインである。
ザリス。
その名を思うたび、アリスは暗い、疼痛を伴うような熱を額に覚える。
矛盾竜をその手で討ち果たし、竜の巫女として認められた冥王たちに対抗する英雄の一人。
そして。
アリスの唯一の肉親。彼女のただひとりの姉が、ザリスだ。

333海の息子シャーフリートの話(3):2009/05/24(日) 23:34:08
「紹介する価値なんてあるのか?勝手にしがみついてきた男だろう。むしろ紹介してほしくはない」セデル=エルは頬を膨らませて
不快をあらわにする。「いやいや、途中でダレなかっただけ立派だよ。意地だけではできんことだ。
もしかしたら『彼』の戦友になっちゃったりなんかするかもしれんよ」
グーヤットはオシューに視線を移す。「なんだよ」
「う〜ん。ガタイは当然として……面構えもなかなか。並ぶと画的に映えるだろうねえ」
「だから何なんだよ。さっき言ってた海から沸いてくるとかいう英雄のことか?」
「他に誰がいるのかね?私?」
「認めたくは無いが有りそうなのはそっちだ」
あからさまにニヤリとするグーヤット。
「気持ち悪いからその顔はやめろ。で、その英雄さんはどこにいるんだ?
そろそろ乗ってる船が到着するのか?」
「いや、まだいない」
「は?」意味がわからなくなって思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「部族の偉い皆さんの前で言った通りだ。これから生まれてくるんだよ」

334海の息子シャーフリートの話(4):2009/06/06(土) 01:10:54
「くだらないな。これ以上話を聞く気にはなれんぜ。あんた、腕は立つかもしれんが頭の中は可愛そうだな」
「っふ、じきに君も認めざるを得なくなるのさ……そんなことを言ってられるのも固定観念をぶち壊されるまでだぜ。
とはいえ、現時点ではこれ以上言い連ねても確かに無駄だ。でも明日また来るよ」
「やめとけ、今度こそ袋叩きにされるぞ」
「それでもやらなきゃならん使命なのさ。私にとってはね。別に怖くもない相手だし」
「今の、聞き捨てならんが捨てるしかないのがカンに障る……とっととどっかに行け!ついでに明日来るのはやめろ。嫌だから」
一方的に話を切り上げるとオシューは回れ右をして去っていった。
「どうおもう?」
しばらくしてグーヤットは傍らの餅娘に問うた。
「反応が典型的過ぎて、どうもな」
「やっぱり?」

335海から生まれたシャーフリートの話(1):2009/11/27(金) 17:03:18
昔々、あるところに草の民の一部族。ロエデウィヤ族の住む漁村がありました。
そこでは皆のしゅうが頭を抱えていました。
悪魔が海で暴れていて、漁に出ることができないからです。
「海に行ってもおかしな形の魚しかとれない」
「おれもあんな魚ははじめて見る。長老がたも知りはすまい」
「乗り手が海に落ちたら最後、群がって鮫みたいに食ってしまうらしいぞ」
「じゃあアハツさんの船がまだ帰ってこないのは」
「縁起でもないことを言うなよ」
「案外ハザーリャ神の館に招かれて上手い飯を振舞われているかもしれないぞ」
「縁起でもないことを言うなよ」
このままでは埒が明かないということで週末にウムース村長の家に集まることになりました。

そして週末。村長の家は男達でいっぱいでした。かれらはみな一家を抱える家主であり、
悪魔を倒し、海を元に戻す方法があるなら、と期待に目を輝かせてみました。
「よく聞いてくれ。この事態を打開する方法は……まだ見つかってない。
戦士を雇おうと街に行って見たが、岸のあちこち、陸のあちこちでおかしな
ことが起こっているとかで、人手が足りんそうなのだ」村長の言葉に
空気が凍りつきました。このままでは収入を得ることもできず枯れ死んでしまいます。
「その代わり、魔剣を買ってきた」
村長は麻袋から赤い刀身の剣を取り出し、おもむろに野外に出ると一振りしました。
刃で薙いだあたりに電光が走りました。かなり値の貼る買い物のようです。
「……これは苦しい判断だ。この剣を誰かに持たせ、船に悪魔のもとに向かい、倒してもらうという計画だ。
途方も無い話だと重々承知している。しかしこれしか方法は無い」
ここで村長は言葉を切りました。男達の反応を見ることにしたのです。
「ウムースも思い切ったことをしたもんだ」
「待っていても萎んで、どのみち終わりだ……」
「変な魚釣ってもアレは不味くて売れやしない」
「忌々しい悪魔に一泡吹かせるのに賭けても悪くない」
「そもそもどうしてこうなったんだろう」
「今更魔剣を納屋で腐らせるのもなあ」
「剣を持ったことのある奴も、ましてや誰も訓練受けてないだろ」
「そもそも賭けなきゃどうにもならない状況になってんだろ」
ここで「何だと!」と声があがりました。感情がぴりぴりするのも仕方が無いことですが迷惑です。
村長は無言で合図を送ると取っ組み合いかけていた二人に屈強な男達の腕が集まり押さえ込みました。
「悪いな。これから大切な選抜をやらなくちゃいけない。その方法は喧嘩ではない。
あえて希望者は募らない。村の男全員で腕相撲をし、村の運命を預ける相手を決める。
期日は明日。そこの二人は一晩で頭を冷やしておくように」

336海から生まれたシャーフリートの話(2):2009/11/27(金) 17:05:57
翌朝、二人は十字路でばったり会いました。でも頭は冷えていたので取っ組み合いにはなりませんでした。
「昨日は悪かったな。ラプド。殴りかかったりして」
「お前の親父さんは大変なことになってるってのに、どうかしてたのはこっちのほうだ。オシュー」
二人はいっしょに村長の家に向かいました。
「二人とも、落ち着いているようだな。何よりだ。わしもお前らには期待している。」
「村長さん、ひとつ質問があるんだが……腕相撲大会で勝った奴に悪魔を殺しにいかせるのはいいとして
悪魔の居所の見当なんてついているのか?」
「わしらが街で手に入れてきたのは魔剣だけではないぞ。情報もだ。大陸のあちこちで
悪魔が現れているらしくて、街中では出没情報やら目撃談が飛び交っているんだ。
他の村からもうちのような境遇の連中が来ていて、そいつらと情報を付きあわせて割り出したのだ。」
「それ、本当に頼りになるのか?オシューも何か言ってくれ。俺はなんだか不安になってきた」
「俺も不安だが、ここはもう信じるしかない。どだい、腕っ節の良いだけの素人に魔剣持たせるのだって無茶な話なんだ」
「耳が痛いな……だがわしの魔剣選びは、自分で言うのも何だが的確だ。それについては選抜の後でみなに伝える予定だ。」
ウムース村長は準備のために家の中に入りました。二人が野外で待っていると村中の男たちが集まってきました。
女たちや子供たち、力仕事のできない老人たちも一緒です。
彼らが固唾を飲んで待っていると、村長の家の扉が開きました。でもウムースの姿は見えません。
「おーい!どうしたんだ村長さん。早く出てきなよ!大事な話なんだろ!」

「出てくるとも!」その瞬間、集まった村民は目を見開きました。何も無いところから白い布が捲りあがり、
そこに村長の姿が現れたのです。「どうだ!吃驚しただろう!村の運命を一つ明るくする、魔法の外套だ!」
おお、と観衆から声がもれます。
「魔法ってのは、凄いな!」とラプドもわくわくした様子です。「あれは一回着てみたい!」
興奮が止まぬうちに村長は続けます。「これから選抜腕相撲大会を開始する!
優勝者には魔剣と外套を託し、悪魔殺しに向かってもらうことになる。
その先には多くの苦難が待ち構えているだろう。しかし、もし我々の夢を叶えたなら
ロエデウィヤ族の歴史に名を残す英雄としていき続けることができるだろう!

……と、これは未婚者限定ではあるが、わしはそんな勇者に義理の息子になってもらいたいと思っている!
悪魔殺しの勇者には、わが娘との結婚を許可させて頂く!さぁ、シェデレル出てくるんだ」
村長の美しい娘がゆっくりと家の中から出てきました。男達の脳天から何かが吹き出てくるのが見えるようでした。
「うひょーっ!うほーっ!これは手を抜いてなんていられねぇなあ……見ろよ、みんな目つきが違ってる。
悪いがオシュー、対戦でぶつかったら全力で潰させてもらうからな……」
ラプドはすっかりシェデレルの姿に見惚れています。
「目がすっかりトロけているな」そういうオシューも顔面がゆるむのを抑えられませんでした。

337言理の妖精語りて曰く、:2015/08/30(日) 23:43:27
むかしむかし、全ての雪がまだ心臓のようにふるえ、時間もまだ今のように人を惑わしてはいなかった頃、
トープテンナは、地獄には愛が満ちているという信仰を抱き、悪行の限りを尽くし、地獄に落ちました。
そこでトープテンナは求めるものに出会いました。地獄には愛と詩と音楽が満ちていました。
しかし生き物は、それらに耐えられるようにはできていませんでした。
そこでトープテンナは生き物を変えて、愛と詩と音楽に耐えられるような存在にしようと思いました。
トープテンナは地獄の主と呼ばれ恐れられました。
トープテンナの新しい生き物たちは次々と地獄から地上に這い出しました。
それ以来、地上では雨が降り止まなくなりました。
草ももう昔とは違い、緑色の舟のようには輝かなくなりました。
雪はひっそりと鼓動を止め、ただのきらきらしたかたまりになってしまいました。
それはどうしてなのか誰にもわかりませんでした。
殺してください、殺してくださいと懇願する小さな蠅たちが現れるようになりました。
愛と詩と音楽に耐えられるような生き物は、きっと地上に現れてはいけなかったのだろう、
とトープテンナは考えました。このとき、はじめてトープテンナは後悔しました。
トープテンナは、いまも後悔しています。

338リディ日記(1/6):2017/03/21(火) 01:55:47
今日から日記をかくことにしました。
ジュヒーフィン先生からのめいれいです。
ノローアーのもじのれんしゅうのためだそうです。
ことばなんて口を使えばいいのにノローアーはふべんだなぁと思いました。
とりあえず今日のことをかきます。
おきてごはんを食べてジュヒーフィン先生のところにいきました。
ジュヒーフィン先生のところに行くとしどうがはじまります。
いろんなしゅぞくといっしょにいても大じょうぶなようにれいぎがいるんだそうです。
でもつまんないので近くにいたおやつを食べていたらジュヒーフィン先生に目とかつめとかをグリグリされました。
すごい痛かったです。
次からは気をつけようと思いました。
かえりに近くのうねうねをちぎって食べました。おいしかったです。
もってきたおやつを食べながらねました。

339リディ日記(2/6):2017/03/21(火) 01:57:03
日記は天気をかかないとだめだそうです。
あとすごい痛かったです。ではなくすごく痛かったです。じゃないとだめだそうです。
ノローアーごはむずかしい。
あと気温ってどうすればいいのかよくわからないです。天気はミィスがかってたのでミィスです。
今日もジュヒーフィン先生のところにいきました。
今日はいつもみたいなれいぎじゃなくてまじゅつをおしえてもらいました。
まじゅつは二種るいあるらしいです。
でもまじゅつは二種るいが何種るいもあって分かりませんでした。
まじゅつって何の役に立つのかよくわからないのでつまらないです。
あとうねうねはかじっちゃだめだそうです。
しかたがないのでかえるときはそのへんにいたおやつでがまんしました。

340リディ日記(3/6):2017/03/21(火) 01:58:31
ジャシィテュヒリードゥの日。気温-196℃。

気温はヌシオさんに聞けば教えてくれるそうです。ヌシオさんはいると思えばそこにいるのでべんりだと思いました。
今日はジャシィテュヒリードゥが勝っていたのでジャシィテュヒリードゥの日です。
近くにいた朝ごはんを食べて今日もジュヒーフィン先生のところに行きました。
そうしたら今日はいつもいるはずのおやつがいませんでした。
ジュヒーフィン先生に何でおやつがいないのか聞くとお前が全員倒したからだと言われました。
わたしはジュヒーフィン先生の指どうのときにもうおやつが食べられないと分かってすごく悲しくなりました。
わたしが悲しくてないているとジュヒーフィン先生から顔をグリグリされました。
すごく痛かったです。
それからしかいをなくしたときのたいしょほうを教えてもらいました。
目が見えなくなったから今日は休みになると思ったのにすごくがっかりしました。
指どうがおわってからかえりにまたヌシオさんに会いました。
教わったとおりにあいさつをしたらスィートポニーをくれました。
すごくおいしかったです。

341リディ日記(4/6):2017/03/21(火) 01:59:55
ミィスの日。気温1203℃。

ジュヒーフィン先生からお前の日記はすごくを使いすぎだと言われました。
次からは気をつけようと思いました。
今日もジュヒーフィン先生のところに行きました。
そうしたらいつもみたいな指どうではなくちがう所につれていかれました。
そこにはすごく大きいやつがいました。
黄色のしるを出している体がぼこぼこしたやつでした。
なんだか長い名前を言われたのでわたしもリディラヴィヤガソルディルと言ってはんげきしました。
名前の長さは負けないです。
でも相手のやつの名前は覚えられませんでした。
わたしが困っているとジェフとよんでくれとでかいやつが言いました。
でもジュヒーフィン先生はジェフさまとおよびしろと言っていました。
あとでグリグリされるのはいやなのでわたしはジェフさまとおよびしました。
あいさつがおわるとジュヒーフィン先生はわたしをここにつれてきた理由を言いました。
なんと敵と戦えと言うのです。
わたしはびっくりしました。
だってわたしは今まで一回も戦いなんてしたことはありません。
なのでそんなことは無理だと言いました。
そうしたらジュヒーフィン先生はこっちをにらみつけてきました。
こわいです。
なのでしかたなく戦うことにしました。

342リディ日記(5/6):2017/03/21(火) 02:00:59
戦う所は広くて丸いところでした。
ジュヒーフィン先生につれられて戦う場所に行くときにやっぱり無理だとジュヒーフィン先生に言いました。
そうしたら今まで通りにやるだけでいいと言われました。
そんなこと言われても困ります。
今までやったことなんてジュヒーフィン先生のつまらない話を聞きながらおやつを食べていただけです。
こんなことになるならまじめにジュヒーフィン先生の指どうを受けていればよかったと後かいしました。
わたしを戦いの場所までつれてくるとジュヒーフィン先生はどこかに行ってしまいました。
はくじょうだと思いました。
敵がやって来るまでの間わたしは生まれて初めてきんちょうしました。
どうやって戦えばいいのかなんて分かりません。
わたしはジュヒーフィン先生みたいにすごく数のするどいトゲトゲは持っていないのです。
どうすればいいのか分からないのでますますきんちょうしました。
そしてしばらく時間がたつとなぜかごはんが出てきました。
きんちょうをごまかすためにわたしはそのごはんを食べました。
それなりにおいしいごはんだったのでふつうならもっと味わってから食べたかったのですがきんちょうしていたのですぐに飲みこんでしまいました。

343リディ日記(6/6)完:2017/03/21(火) 02:02:04
いつ敵がやって来るのかどきどきしていると急にジュヒーフィン先生がもういいと言ってきました。
何がもういいのかちょっと分からないです。
なのでわたしはいつ敵が来るのか教えてほしいとジュヒーフィン先生に聞くとジュヒーフィン先生はめずらしくきげんが良さそうにジェフさまに笑顔をむけていました。
ジュヒーフィン先生の笑顔は気持ちが悪いなぁとわたしは思いました。
ジェフさまとジュヒーフィン先生が何かを話してからジュヒーフィン先生はわたしに帰るぞと言ってきました。
わたしは何を言っているんだろうと思いました。
でもちょっと考えたらようやくどういうことなのか分かりました。
今日の出来事はジュヒーフィンのじょうだんだったのです。
そもそもわたしみたいな子どもに戦いなんてさせるわけがありません。
今日はふだんがんばっているわたしにごはんをごちそうするためのジュヒーフィン先生なりの思いやりだったのです。
わたしはそれを真に受けてしまってごはんを急いで食べてしまいました。
すごくもったいないことをしたなぁと思いました。
なので次にごはんを食べさせてもらうときはもっと味わってから食べようと思いました。
帰った後はそのへんにいたおやつを食べながら寝ました。

 ―クリアエンドの七体の一体。『厄闇姫』『喰変貴種』『災魔の合挽』リディラヴィヤガソルディルの研究資料より


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