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物語スレッド

1言理の妖精語りて曰く、:2006/07/13(木) 00:22:13
物語のためのスレッドです。

・このスレッドでは断片的な情報ではなく、ある程度まとまった「物語」を扱います。
・小説風、戦記風、脚本風など形式は問いません。
・何日かかってもかまいませんが、とりあえず「完結させる」ことを目指してください。
・自分が主な書き手となるつもりか、複数人のリレー形式か、メール欄にでも明記しておくと親切です。
・名前欄か一行目に物語のタイトルや話数を入れておくと、後でまとめやすいです。

230オーリェントでのこと(1/2):2007/09/03(月) 00:36:47
 昔、オーリェント(東の国のこと)にはイェル族とイス族とがいた。イェル族は
平和を重んじる穏健な部族、イス族は名誉を重んじる勇猛な部族だったが、
このふたつの部族はお互いに相争うことなく、互いを尊重していた。めったに
ないことだったが、ふたつの部族の間で結婚する男女がいると、それは両方
の部族でめでたいこととされ、合同で婚姻の儀式をとりおこなうならわしだった。
 イェル族にフィリスという娘がいた。あるとき、フィリスは彼女の兄であるサレ
ムを殺せという彼らの神である主の宣託を受けた。フィリスはそのようにした。
そこで、彼女の恋人でありサレムの友であったイス族のラエルは激しく怒り、
彼女を問いただした。そのおぞましい肉親殺しが主の考えによるものだと知る
と、イス族であるラエルは嘆いた。そこで暗い夜の空の悪霊たちが彼にささや
くと、ラエルはそれを信じ、主を信じるのをやめた。ラエルは自らの部族のもと
へ帰り、イェル族のフィリスが兄サレムを殺したことを言いふらして、悪霊たち
を褒め称え、激しく主をののしった。部族の半分のものがラエルに従って主を
信じるのをやめ、半分は悪霊たちを信じて主をののしる彼らを憎んだ。そこで
彼らは殺し合い、全滅した。怒りのあまり強き霊となったラエルは、自分にささ
やいた悪霊たちに従い、部族の死んだ霊たちに呼びかけ、全員が悪霊たちの
仲間となった。イスの霊たちは、自分たちに破滅をもたらしたイェル族とフィリス
を憎み、それを滅ぼし、イェルという部族の名とオーリェントの土地を呪った。

231オーリェントでのこと(2/2):2007/09/03(月) 00:37:55
 そこでイェルのものたちは諸世界をさまよう霊となってオーリェントを去った。
そこで彼らは今ではたんに流浪の霊たちと呼ばれる。流浪の霊たちは彼らの
主を信じ、主の考えによって流されたサレムの血がやがてオーリェントを祝福
して、自分たちはふたたびイェル族となってオーリェントに戻れると信じた。そ
こで彼らは今では、オーリェントの土地のことをイェルサレムと呼んでいる。
 イスの霊たちは、悪霊たちに従ってオーリェントの地から飛び去り、暗い夜の
空のはるかなむこうに去っていった。ラエルは悪霊たちによって、部族を束ねる
イスラエルという新しい名前を与えられ、またかつてのイスの部族であった霊た
ちはラエリアン、つまりラエルを信じるものたちと呼ばれるようになった。
 フィリスとその家のものは、フィリスのおこないによってイスのものたちから
憎まれ、追いやられた。彼らをあわれんだパンゲオンの国のラヴァエヤナは
フィリスの家のものたちを自分の館に呼び込んだ。そこでフィリスの家のもの
たちは流浪をやめたので、パンゲオンの国のものたちはフィリスの家のもの
たちをイェルの人びとと呼んだ。
フィリスは流浪の霊たちとイスの霊たちの両方にあまりにも強く呪われていた
ので、ラヴァエヤナは彼女を館に入れることを拒んだ。フィリスは嘆き、パンゲ
オンの国のものたちにその悲しみをささやきかけた。彼女がパンゲオンの国の
ものたちにイェル・ア・フィリスとして知られているのはそのためである。
 パンゲオンの国のものたちは、ラヴァエヤナの館に入ったイェルの霊たちか
らオーリェントでのことを聞き、悪霊たちのあまりに強く激しいのを恐れたので、
パンゲオンの国では悪霊たちはイスの大いなる種族と呼ばれる。

232カーズガンの憤怒(裏)(3):2007/09/09(日) 03:24:49
 君が好きだった。
 君の笑顔が好きだった。
 君の怒った顔が好きだった。
 君の泣いた顔が好きだった。
 君とカーズガンと三人で馬を走らせるのが好きだった。
 僕とカーズガンとでわざと意地悪をして、二人で先に馬を走らせて、君が僕らに必死に着いてくる姿を見るのが好きだった。
 君の声が好きだった。
 君の笑った声が好きだった。
 君の怒った声が好きだった。
 君の泣いた声が好きだった。
 君と一緒に居るのが好きだった。
 君とカーズガンとで三人、たわいも無い話に興じるのが好きだった。
 僕は君を愛していた。
 だというのに……
 
 
 幕舎の中、ハルバンデフは足元に転がる二つの死体を見つめていた。
 ……僕は……
 その目は大きく見開かれ、冷や汗が額を伝って落ちる。
 血塗れの剣を握っているその手は震え、口の中がカラカラだった。
 幕舎の外からは悲鳴と、人馬の嘶き、そして集落が燃える音がしていた。
 ……僕は……殺してしまった……
 今更込上げてきた罪悪感に、彼は思わず一歩後ずさる。許されるのならばこの場から走ってどこまでも逃げてしまいたかった。
 ……僕は、取り返しのつかないことをしてしまった……
 どうしてこんなことになってしまったんだろう?、とハルバンデフは考える。
 自分が悪いのは分かっている。でも……
 ハルバンデフの頭の中で、つい半時間前の出来事が思い起こされた。

233カーズガンの憤怒(裏)(4):2007/09/09(日) 03:25:30
 「カフラの集落が燃えているだと!?」
 ハルバンデフは怒鳴るようにして物見の兵に聞いた。
「馬鹿な、集落は占領するだけで手をつけない段取りだったはずだぞ!」
 戦闘前の会議では、ハルバンデフ率いる寡兵がカフラの主力を引き付け、その間に主力部隊がカフラの集落を襲撃してこれを占領し、主力軍の背後を絶ち、あわよくば降伏勧告を行い彼らを降伏させるという手はずになっていた。
 この数年の戦争による勢力拡大によって既にその力は凌駕したとはいえ、カフラは依然として強大な、そして豊かな部族だ。これを滅ぼすのではなく、取り込んだのならば草原の制覇も容易になる、というのがハルバンデフの主張だった。
「はい。しかし、実際にカフラの集落では略奪が始まっておりまして……」
 物見の兵の言葉に、「誰だ!、命令を出したのは!?」とハルバンデフは声を荒げて言う。
「はぁ……族長様、貴方のお兄様です」
「馬鹿な!!」
 ハルバンデフは絶句した。
 決して兄は族長として愚鈍な人間ではない。むしろ戦略というものぐらいは分かっている人間のはずだった。
「しかし、事実です」
「もう、良い!」
 ハルバンデフは物見の兵から踵を返し、自分の愛馬に跨った。
「閣下、どちらへ参るのですか?」
 その姿を見て、副官が慌てたように言う。
 「カフラの集落だ」とハルバンデフは答えた。
「兄にその真意を問いただす。そして、馬鹿げた行為を止めていただく」
「しかし……」
「私が戻るまで勝手に兵は動かすな。もし戦闘になったのなら防戦に徹しろ。まともに戦えばすぐに蹴散らされるぞ。なにせ敵将は……」
 カーズガン
 彼はその名前を思い出す。今は敵味方に分かれているが、かっては友、いやまるで血を分けた兄弟のように仲が良かった男。その実力を彼は知っている。彼に戦い方を教えてくれたのはカーズガンなのだ。
「では、せめて護衛を……」
「不要だ」
 そう言うと彼は愛馬を走らせた。
 愛馬は彼の意思を汲んだかのごとく、疾風のように草原を疾走する。
 敵陣の脇を潜り抜け、やがて見覚えのある光景が彼の目の前に現れる。
 カフラの集落だ。
 幼い日、内乱で滅びかけた部族を救うために彼が人質に出された場所。
 決して良い思い出ばかりがそこにあったわけではなかったが、悪い思い出ばかりでもなかった。
 少なくとも人質であるはずの彼を、カフラの部族は仲間として受け入れてくれたのだから。
 だが、そのカフラの集落は今正に灰燼に帰そうとしていた。
 集落のあちこちからは既に煙があがっていたのだ。
「兄上、貴方は……」
 嘘だと信じたかったが、物見の兵の言葉は本当だったのだ。
 彼は唇を噛み、カフラの集落へと愛馬を走らせた。

234カーズガンの憤怒(裏)(5):2007/09/09(日) 03:27:04
 集落の中では既に略奪と放火、そして殺戮が始まっていた。
 別に草の民の戦争において珍しい光景ではない。おそらく他国の戦争においても珍しい光景ではないだろう。
 だが、ハルバンデフは目の前に繰り広げられる光景に愕然とした。
 ……燃える、燃える……カフラが燃える。
 燃えているのはカフラ族の集落だけではなかった。彼自身の記憶でもあった。
 カフラの集落が燃えることで、そこにある彼自身の幼い時分の記憶もまた燃えて灰燼に帰そうとしていたのだ。
 ……止めなければ
 ハルバンデフは騎手を返し、必死で兄の姿を探した。
 だが、兵達の中を探せど兄の姿は見つからない。
 疲れ果てたハルバンデフの前に現れたのは見覚えのある幕舎だった。
 カーズガンの幕舎だ。
 カーズガンがハルバンデフより二歳早く成人した時に与えられた幕舎で、彼はよくこの幕舎に遊びに来てはカーズガンと他愛の無い話や悪ふざけに興じていた。
 ……いや、俺とカーズガンだけじゃなかったな。
 彼は仲間達の顔を思い出す。
 ……いつだって、俺はここで一人じゃなかった……寂しくなかった……それはカーズガンと……
 彼は一人の少女の顔を思い出す。
 人質にばかりの時、一人孤独にしていた彼に声をかけてくれた少女……カーズガンと一緒にいつも彼の側にいてくれた少女……
 あの頃、彼は彼女が側に居る生活が当たり前だと信じて疑わなかった。
 だから、彼が成人した後に、故郷から祝いの言葉も迎えも来ない彼を部族の一員として認める意味で彼女が許婚として与えられた時もそれが当たり前のことであるようにしか感じられなかった。
 けれど婚礼を前にして突然故郷から迎えの使者が来て強引に引き裂かれてから彼は気付いた、自分は彼女のことが好きだったのだと……
 幕舎の中から人の呻く声がしたのはその時だった。
 ……まさか!?
 ハルバンデフは悪い予感に胸騒ぎがするのを感じて愛馬から降り、幕者の入り口をくぐる。
 そこにいたのは彼の兄である族長と、そして彼に組み伏され犯されている一人の女だった。
「族長、ここにおりましたか……」
「ハルバンデフか?」
 そう言って、族長は行為を中断し、上半身を起こす。
 その時、彼は見てしまった、族長の下にいる女の顔を。
「君は!?」
 間違いなかった。その女の顔には面影があった、幼い日から一緒だったあの少女の面影が……
 女は力なく顔を上げると、その視界に彼の姿を認めて、ハッと目を見開いた。
 彼女にも、彼が誰であるか分かったのだ。
「持ち場を離れて何の用だ?」
「族長、どのようなおつもりです?。カフラの集落を焼くとは。カフラは制圧して、敵の主力を挟み撃ちにするための拠点にするという段取りだったではありませんか」
「だから制圧しているではないか」
 そういう兄の言葉は間違えていない。
 草の民にとって制圧するとはそういう意味なのだ。
「しかし……」
 その時だった、ハルバンデフが兄の背後に忍び寄る女の姿に気付いたのは。
 女は、族長が腰にしていた剣の柄に手を伸ばしていた。
「族長!」
 慌てて彼は兄と女の間に割って入り、兄を庇う。
 だが、女は兄の剣をその鞘から抜いていた。
 女は暫くハルバンデフの顔を見ていたが、やがて声にならない声で何かを呟くと、その顔に笑顔を浮かべ、そしてその剣で自分の胸を突いた。

235カーズガンの憤怒(裏)(6):2007/09/09(日) 03:28:27
「……!!」
 今度は声にならない声を上げるのは彼の番だった。
 彼はその場に座り込み、這うようにして女の側に寄った。
 女は既に絶命していた。
 その顔には絶望も悲嘆もなければ、苦悩もない。ただ静かな安堵と微笑みがあるだけだった。
 まるで身体の中で何かが砕け散ったような痛みが、彼の胸を苛む。
 それは涙を流したくても流せないほどの痛みだった。
「族長、いや兄上、貴方はこのカフラをどうしたいのです?」
 静かに肩を震わせながらハルバンデフは聞く。
「知れたことだ。滅ぼすんだよ、全てをな。お前がムルサクにそうしたようにカフラも滅ぼすのだ。そうすれば我々に逆らう部族は草の民にはいなくなる」
 兄は、脱いだ上着を着込みながら言った。
 彼の論理は、草の民としては間違えてはいなかった。
 力があるものが全てを手にし、力の無いものが全てを失う。それが草の民の論理だ。
 しかし……
「ふん、それにしてもカフラの女は貞操を守ると聞いていたが本当だったな」
 その言葉に、彼の中で何かが崩れた。
 ……こいつはラサだ
 悠然と幕舎を出ようとする兄の背中を見て、ハルバンデフは悟る。
 ……俺から全てを奪い、理不尽だけを押し付けるラサだ
 だが、そのラサに彼は今日の今日まで従ってきた。
 自分の故郷はラサだと、自分はラサだと信じてきたからだ。
 だから理不尽な命令にも従い、それらをこなし、全てに耐えてきた。
 だが、それは間違いだったことをハルバンデフは悟った。
 ……俺は、ラサではない……カフラでもない……俺は……全てを取り上げられた生きる屍だ……そして、そういう風にこいつらにされたんだ。
 だからハルバンデフには迷いは無かった。
 彼は内なる何かにその身体を捧げ出すようにしてとり憑かせ、そしてその感情と衝動の赴くままに兄に斬り付けた。
 何度も、何度も、彼はその剣の刃を兄の身体にめり込ませ、兄が息絶えても尚、何度も切り刻んだ。
 途中、兄は彼の名前を呼んだのかもしれない。だが、その声はハルバンデフの耳には既にして届かなかった。
 彼は、まるで淡々と作業をこなすかのように兄を斬って、砕いて、そして壊し続けた。
 彼が我に返ったのは、幾度目かの返り血を浴び、兄が血塗れの肉片と化したのに気付いた時だった。
「族長?」
 返事は無い。
 ……僕は……何をしたんだ……何をしてしまったんだ?
 肩で息をしながら彼は呆然と目の前の肉の塊を見下ろす。
 ……僕は……族長を殺してしまった?
 その時になって初めて、彼は自分の罪に気付いた。
 ……僕は、彼女を守れなかったばかりか、取り返しのつかないことをしてしまった!
 呆然と立ち上がる彼の背後で誰かが幕舎の入り口を開けた。

236カーズガンの憤怒(裏)(7):2007/09/09(日) 03:29:11
「ハル……バンデフ?」
 その誰かの声にハルバンデフは力ない顔でゆっくりと振り返る。そこにいたのは、すっかり大人びた顔になっていたが、カーズガンに間違いなかった。
 ……あ、カーズガン?
 彼は、お互い敵同士になったことも忘れて、その身をカーズガンに委ねようとした。
 彼には必要だった、自分を受け止めてくれる誰かが。
「……!!」
 しかしカーズガンは見てしまった。彼の足元に転がる死体のうち、女の死体を。
「どうして……どうしてなんだ!」
 叫ぶように、そして責める様にしてカーズガンは彼を問い詰めた。
 ……あぁ、そうか
 ハルバンデフは今更思い出した。彼女は、今はカーズガンの妻だったのだ。
「何故だ、何故殺した、ハルバンデフ!」
 ……殺した?……誰を?……あぁ、そうだったな
 自分が殺したようなものだ、と彼は気付く。
 あの時兄を庇わなければ、あの時幕舎に入らなければ、あの時このカフラの集落に来ようとしなければ、あの時もっと別の作戦を立案していれば……
 後悔は山ほどある。
 けれど、確かなことは、自分が彼女を殺してしまったようなものだ、ということだった。
「答えろ、ハルバンデフ!、何故殺した!」
 ……答えられるわけないじゃないか
 彼は思う。
 どう言い訳したって、自分が彼女を殺してしまったようなものなのだ。それをどう詫びれば良いというのか?、どう懺悔すれば良いというのか?、どう後悔すれば良いというのか?、どう償えば良いというのか?
 どうやったって、何の罪も償えるわけは無いのだ。
 これから死ぬまで罪に怯えていくしか方法は無いのだ。
「彼女は……」
 そう言って、カーズガンは肩を震えさせて言葉に詰まる。
 ……彼女は?
 ハルバンデフは、そのカーズガンの言葉の続きが聞きたかった。
 だが、その言葉の続きを聞くことはなかった。
 突然カーズガンが彼に斬りつけて来たからだ。
 あわててハルバンデフはその斬撃を、兄を斬ったばかりのその剣で受け止める。
 それは重い斬撃だった、彼が幼い日にカーズガンから剣の稽古をしてもらった時に受けた剣撃より遥かに……
「ハルバンデフ!」
 カーズガンは幾度もその名前を叫びながら、彼に斬撃を加える。
 一撃受けただけで手は痺れ、受け止めた剣が折れてしまいそうな、それは思い斬撃だった。
 その一撃、一撃を受けながら「……あぁ、そうか」と彼は悟る。
 ……君は、こんなにまでカーズガンに愛されていたんだ……幸せだったんだ……
 自分の奪ってしまったもののあまりの重さに、そして罪の重さに涙が出そうだった。
 やがて、カーズガンの凄まじいまでの斬撃で剣に皹が入った音を聞いたとき、「……違わないよ、彼女を殺したのは僕だ。だから殺してくれ、カーズガン」と彼は呟いていた。
 ……殺してくれ、カーズガン……僕は取り返しのつかないことをしてしまった……僕は彼女が好きだった……幸せになって欲しかった……なのに、それどころか僕は彼女の命を奪ってしまった……だから僕を殺してくれ
 だが、彼に課された運命は、彼を命を終わりにはしてくれなかった。
「誰かいるのか?」
 兵士の一人が、そう言って幕舎に入ろうとしていたのだ。
 カーズガンは振り返ると、無言のままその兵士を真っ二つに斬った。
 思わず彼は肩膝をつき、肩で息をした。
「今は生かしてやる、ハルバンデフ。だが、次はその首を必ず貰う!。必ずだ!。お前は俺が必ず殺す!」
 その声に顔を上げると、そこには憤怒に彩られた、カーズガンの真っ赤に染まった顔があった。
 最早、その顔には兄弟以上に仲が良かった親友の顔はどこにも無かった。
 踵を返し、幕舎を後にするカーズガン、やがて幕舎の外からは、幾つもの剣戟と悲鳴、そして鉄が肉を切り裂く音が聞こえてきた。
 ハルバンデフは倒れている女の死体の元に這い寄り、「ごめん」と言って、その身体を抱いた。
「ごめん、ごめん、ごめん……」
 両の瞳から涙を溢れさせ、肩を震わせながら、彼はその言葉をかさかさになった唇の奥から搾り出す。
 ……君が好きだった……誰よりも好きだった……愛していた……なのに僕は君を守れなかった……それどころか……
 だが、今となってはどんな謝罪の言葉も彼女の耳には届かない。全ては手遅れになっていた。
 ……だから、僕は……
 そっと彼は、彼女の冷たくなった唇に自分の唇を重ねる。
 一瞬、懐かしい感触と思い出が彼の心を締め付けた。
 やがて彼は立ち上がり、そして側にあった燭台に火をつけて倒した。
 炎は幕舎に瞬く間に燃え広がり、全てを覆い尽くす。
 彼はそれを見届けると、幕舎を後にした。

237カーズガンの憤怒(裏)(8 完):2007/09/09(日) 03:30:11
 戦いはラサ族の勝利に終わった。
 その後ハルバンデフがカフラの部族を制圧していた部隊の副官を探し出し、すぐに兵達に略奪を止めさせ、カフラの主力部隊に攻撃を加えさせたからだ。
 自分たちの集落の陥落に浮き足立っていた、そして指揮官のいないカフラの主力部隊はあっけなく敗北した。
 戦いの勝利に酔う、ラサの兵士達が自分たちの族長の姿がないことに気付いたのは戦いが終わって暫くしてのことだった。
 捜索の後、焼け落ちた幕舎の一つから族長の証である金の腕輪をした焼死体が発見された。
 ハルバンデフはこれに「カーズガンによって殺された」と宣言したが、同じ幕舎からカーズガンが出てきた姿を何人もの兵士が目撃していたので、誰もこれを疑わなかった。そして、ハルバンデフは「族長の息子が成人するまで自分が代理として族長を務める」ことも宣言したが、今までの功績からこれに異を唱えるものはいなかった。
 戦いに勝利しながらも族長を失い、喜び半分、悲しみ半分の複雑な心情の兵達の姿を見て「滅ぼしてやる」とハルバンデフは密かに呟いていた。
 ……滅ぼしてやる、俺から全てを奪ったラサを……いや、草の民を……
 その為になら何でもしてやる、と彼は思った。
 手段は選ばないつもりだった。その方法が、ラサの族長になることなら、いや草の民の覇者となることなら、悪魔に魂を売ってでもそうしてやるつもりだった。
 ……頂点まで登らせて、そして深い、深い奈落へと、絶望の底へと突き落としてやる……
 それがハルバンデフの誓いであり、復讐だった。
 ふと、ハルバンデフがカフラの近くにある懐かしい丘陵に目をやると、そこには二人の少年と、そしてその後を付いてくる少女の姿があった。
 だが彼は知っていた、それは幻想だということを。
 その幻想は眩しく、彼がどんなに手を伸ばしても最早届かない幻想だった。(完)

238言理の妖精語りて曰く、:2007/11/15(木) 20:29:46
/*******************************
以下は関連のあるテキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/248
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%eb%a5%a6%a5%d5%a5%a7%a5%a6%a5%b9
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1179766218/l50
*******************************/
 今は昔、納豆神に仕える1人の戦士がいた。この戦士は日夜納豆神のために技を磨いていたのだが、ある日、お告げを受けた。納豆神曰く「3匹の子猫を捕まえられたらお前の信仰心に報いて力を授けよう」
 こうして戦士は3匹の子猫を求めて旅立ち、間もなく発見できたのだが、戦士にとっては意外な問題が起きた。猫は納豆を苦手としたので子猫たちは逃げてしまった。もちろん戦士は追跡するのだが、子猫といえども幻獣王子と名高い猫の眷属に代わりはない。追って逃げられ、戦士と3匹の子猫は世界の果てまで行ってしまった。
 こうなると信仰篤い戦士も疲労困憊で一休みすることにした。休憩に食べるのはもちろん納豆なのだが、1人の魔法使いとその従者らしき竜によって邪魔をされてしまった。戦士は空腹も忘れて怒ったが、そこまでして食べようとするならば、納豆神の恩恵を分け与えるべきと考え、ともに食した。すると魔法使いと竜は感謝を表して一袋の薬を差し出した。これこそが猫を招き寄せる万能薬だった。
 こうして戦士は3匹の子猫を捕らえ、納豆神に報告をした。すると戦士の目前に一膳の納豆が現れた。この納豆を食すると戦士の喉が変化し、その声は敵には恐怖を、味方には勇気を喚起させるようになった。
 これこそが吶喊の戦士ルウフェウスの由縁話という。

239言理の妖精語りて曰く、:2007/11/16(金) 19:05:29
/******
縦スクロールSTG+『魔女の宅急便』のつもりが、『BLAME!』になってしまいました。
以下は関連するテキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/261
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%af%a5%ed%a5%a6%a5%b5%a1%bc%b2%c8
http://flicker.g.hatena.ne.jp/Niv-Mizzet/20070618
******/

 白い壁を登りながら私は左右を見た。どちらも壁が際限なく広がっている。下をみると白いものが広がっている。雲だ。私は任務のために部隊を率いて紀元槍を登っているところだった。
 任務は紀元槍の倒壊を防ぐことだ。紀元槍は天蓋を支える柱なので、もし倒壊したら、天蓋の墜落によって地上全域が粉砕されるだろう。まさしく世界の終わりだ。先行している兵士が私にハンドサインを送ってきた。『敵を発見、数は無数』
 私は望遠鏡をのぞく。視界に世界の終わりを招く者たちが映った。それを私たちは【蟻】と仮に呼ぶが、まさに外見は巨大な蟻そのものだった。しかしこの【蟻】は土にささやかな住まいを作るのでなく、紀元槍に大穴を穿ち、世界を危機に晒すものだ。私は兵士たちにハンドサインを送る。『総員、戦闘準備』
 上から液体が降ってくる。暖かい。雨でなくて血だ。先行した兵士がやられたせいで隊に動揺が広がる。動揺を収める間もなく若年兵が恐怖の混じりの怒号を上げて発砲を開始した。なんて馬鹿なことを! 【蟻】たちはこちらの存在に気づいて白壁を降りてくる。
 「指示に従え、火線を集中しろ、【蟻】を近づけるな。持ちこたえられたら勝ちだ」叫ぶがむなしくも兵士たちの統率はとれない。紀元槍の壁面だから逃走者が出ないのが幸運だが、蟻を倒さないと撤退できないから不運でもある。
 「なんて大群だ。あんな規模みたことがない!」と古参兵の叫びが聞こえた。白い巨壁を【蟻】は黒く染めながら侵攻してくる。どうやら大物の巣と遭遇してしまったらしい。なんて不運だ。
 嘆こうとしたとき、衝撃に背中を押されて壁にぶつかった。同時に上空が爆発した。【蟻】の死骸と紀元槍の破片が脇を落ちていった。上空をみると何か飛んでいる。それはインメルマンターンを決めて再び【蟻】にアプローチをかける。望遠鏡で確認する、それは青白灰色の航空迷彩をまとっていた。クロウサーだ!
 「クロウサーだ! クロウサーが来たぞ。総員、銃を構えて格好をつけろ。空飛ぶ奴らに壁に張り付くヤモリの意地をみせてやれ!」
 兵士たちに統率が戻る。火線の集中とクロウサーの援護によって【蟻】が後退を始める。クロウサーはバレルロールしながらサインを送ってくる。『これよりこの区域を爆撃する。撤退せよ』
 眼下を見やると光った。次の瞬間、すれ違い、衝撃波にあおられた。空をあおぐと航空迷彩をまとった空飛ぶ魔法使いの一群が編隊を組んでいた。私は兵士に撤退を命じる。

240言理の妖精語りて曰く、:2007/11/16(金) 19:12:17
>>239
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b5%c2%a4%ce%bb%d2
関連テキストの追加です。

241ある歴史書の一節からの引用:2007/11/17(土) 16:41:49
/*****
アルセスのキュトス殺害に関連させようとおもったのに完全に逸れてしまいました。
以下は関連テキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/269
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%bf%c0%cc%c7%a4%dc%a4%b7%a4%ce%c9%f0%b6%f1
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%e1%a5%af%a5%bb%a5%c8
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%d6%a5%ea%a5%e5%a5%f3%a5%d2%a5%eb%a5%c7 http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%bd%a5%eb%a5%c0%a1%a6%a5%b0%a5%e9%a5%e0 http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b6%e4%a4%ce%ca%aa%b8%ec http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%e1%a5%af%a5%bb%a5%c8%a4%c8%cb%e2%bd%f7
*****/
 ハイダルマリクの消滅によって中原一帯に権力の空白地帯が生まれた。それまでハイダルマリクつまりメクセト王の配下にあった諸王は自国を再編成し、これを終えた国々から順にかつてハイダルマリク跡地周辺の穀倉地帯への入植を開始した。この戦争こそが後の都市国家群戦争で、またこの勝利者こそが後生で二大祖国と呼ばれる都市国家なのだが、この小話では無数に存在する敗者の1人に焦点を当てたい。炎帝五天将の1人、”問い示す魔女”セレクティフィレクティへ。
 セレクティフィレクティは竜による治世をなすべく焔竜メルトバーズを王に擁立して焔竜大戦の開戦を宣言したが、都市国家連合を提唱した組織ブリュンヒルデと激突、ディーク・ノートゥング率いる第2支隊によって殺害された。ディーク・ノートゥング第2支隊とは現代において特殊部隊と呼ばれる存在で、戦力として星見の塔所属の魔女トミュニがいた。
 ブリュンヒルデ交戦記録においてはトミュニはセレクティフィレクティと戦闘後にMIA(作戦行動中行方不明)となるが、セレクティフィレクティの死亡は確認された。この戦闘と連携してブリュンヒルデは焔竜メルトバーズ討伐作戦を開始、松明の騎士ソルダ・グラムによって【氷血のコルセスカ】が発動され、焔竜メルトバーズは決して解けることの冷凍状態になった。
 なお、この戦闘で使用された【氷血のコルセスカ】は1032英雄の用いた神殺しの兵器で、焔竜大戦の遠因となったハイダルマリク消滅つまり天廊戦争の開戦者メクセト王の武具であった。歴史の皮肉といえるかもしれない。

242アルセス・アルセス:2007/11/19(月) 19:31:40
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お題です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/375
以下は関連データ群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192888939/693
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%bb%e3%82%b9
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%a2%a5%eb%a5%bb%a5%b9
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e7%b4%80%e5%85%83%e6%a7%8d
http://poti.atbbs.jp/flicker/src/1193916035605.jpg
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Earthesは紀元槍を必要とした。キュトスを殺害して以来、永遠にも近い歳月のあいだ、蘇生方法を探したが、紀元槍を使用することで可能と判った。なんと回り道をしたのかと呆れながらキュトスを蘇生させたのだが、成果が気に食わなかったので、もう一度キュトスを殺害した。
 どうやらこの紀元槍ではキュトスを復活させられないらしい。というわけで Earthesは紀元槍を手にすると世界を消去した。Earthesと紀元槍だけを残して真っ白になった。すべて空白になった。
 Earthesはおもった。さっきの世界の紀元槍は不適切だったが、次の世界の紀元槍はどうだろうか。
 消去されたときと同じ手軽さで世界は創造された。頭上に白い空があり、Earthesの足は白い大地を踏んでいた。そしてアルセスはこの世界の紀元槍を探した。
 平面のような大地に一本の棒が立っていた。これこそが紀元槍でEarthesは手に取ったのだが、途端に世界の端っこまで吹っ飛ばされた。
 どうやら何者かが罠を仕掛けたようだ。創造されたばかりの世界に誰がいるというのか。Earthesは誰何した。
 「槍持神へ手を出せるのは槍持神に他ならない。ぼくはAllcaseだ。Earthes、お前には紀元槍を渡さない。絶対にだ」
 Earthesは目を剥いた。槍持神と世界は対の存在とはいえ、再創造した世界にもうひとりの自分が出現するとは想像しなかった。
 「この世界は私の創造したものだ。だからこの世界は私のもので、お前の汚らしい手に握られた紀元槍も私のものだ。さあ、さっさと私に寄越せ」
 「断る。お前はキュトスをまた殺す。ぼくもキュトスがいたら必ず殺す。だからキュトスは造らせないし、造らない。彼女を殺したくない」
 「被造物が創造主に猪口才なことを!」とEarthesは世界を一足飛びでまたぐとAllcaseへ紀元槍で突いた。しかしこの一撃をAllcaseは左手から出した剣で止めた。
 Earthesは唇を歪める。世界の要素を抽出して建造したのか、道理で頑丈なはずだ。Allcaseの剣には世界を構成する元素の1つが刻み込まれていた。この剣を折るには世界を破壊するだけの力が必要だった。
 「Earthesよ、この世界にお前の居場所はない。立ち去れ。ここでお前の望みは叶えられない」
 Allcaseはそう宣言するとEarthesを突き飛ばし、そのすきに空へ紀元槍を投げ放った。
 空をあおいでAllcaseは「剣の雨が降る」
 Earthesは紀元槍を追って飛んだ。すると白い空が爆発した。Allcaseの紀元槍は保有する世界の要素すべて剣に変えて放出した。切っ先の輝きがEarthesの目を射た。
 この程度の攻撃どうってことないとEarthesは回避しようとしたが、1本の剣に目を留めると、自ら剣の雨へ突進した。
 Earthesは無数の剣に切り刻まれながら飛び、剣の一本に腕を伸ばした。
 「キュトス!」
 叫んだEarthesの胸をキュトスの刻み込まれた剣が貫く。
 剣の雨は降り続く。Earthesの死体もばらばらと大地に散った。白い世界がぽつぽつと赤く染まる。剣の雨は突き立って大地を墓標で埋め尽くした。やがて雨は止む。Allcaseは墓標を縫うようにして歩き、剣の突き立った胸像のようなEarthesの遺骸からキュトスの剣を抜いた。
 同時にEarthesは消滅した。Allcaseはキュトスの剣を手にしたまま、この空白を見つめ続けた。そして唇を強く結ぶとキュトスの剣を大地に埋めた。するとそこから芽が出て一本の樹木となった。Allcaseはこの木を抱き締めた。
 「暖かいよ、キュトス」
 Allcaseの頬は涙で濡れていた。

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sin again
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243魔法少女モアイVS魔法少女触手VS魔法少女狙撃手:2007/11/22(木) 18:45:14
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こちらはお題です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/411
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/412
以下のテキストは参考にしたものです。
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e9%ad%94%e6%b3%95%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%8d%e3%82%86%e3%82%89
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b0%d1%b0%f7%b2%f1
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 目の前には高層ビルが建っている。ビルの足下から頂上を見上げると首が痛くなってしまうほど巨大だ。私は自動ドアをすり抜けてロビーに入る。ちょうどエレベーターが来たので乗り込む。中は私1人だ。私は最上階のボタンを押す。私の姿はハードシェルのトランクを持ったキャリアウーマンとロビーの受付嬢に見えたはずだが、最上階についたのは都市迷彩でカモフラージュされた狙撃兵だ。
 最上階は空調などの機器を配置されたエリアだった。私は民間人の偽装と長銃やマットを持ち込むのに使ったトランクを捨てる。任務の結果がどうなろうとこの世界には私は二度と足を踏み入れないだろう。遺棄しても問題ない。
 私は屋上への扉を開けた。突風にあおられる。雲を突くようなビルだけある。私は屋上の縁に近づくと、マットを敷いて、この上で狙撃姿勢を取った。伏射で狙撃するからマットがあると身体が格段に楽だ。些細な工夫だが。
 『こちらフィルティエルトだ』と無線でバディのニースフリルに連絡『狙撃地点に到着した。そちらはどうだ』
 『こっちもポイントに到達。いつでも支援できるよ。目標はきた? 来たみたいだね』
 私はスコープを覗き込む。これはニースフリルの搭乗する火力支援車とリンクしているのであちらにも映像が見えている。遙か眼下のビルの屋上で2人の少女が対峙していた。2人とも奇妙な格好をしていて、片方はどういった理由か不明だが、頭部をモアイ像のようなマスクで隠していた。隠蔽にしては奇妙だ。もう片方は丈の長いインバネスコートを守っている。このコートはあまりにサイズが大きいので腕を持ち上げると裾が垂れ下がった。
 インバネスコートの少女が右腕の袖を垂れ下げた。どうやらモアイ少女に指でも突きつけているようだ。スコープで口の動きを覗く。『イアイア! ここで会ったが百年目。まとめて片付けてやる』と動いた。なんかインスマス顔の娘だな。
 『どう?』とニースフリル『激突するかな』
 『うむ』と私。『気恥ずかしい挑戦状を送った甲斐があったというものだ』
 『そうね。魔砲少女フィルティエルトちゃん』
 『任務中にからかうな、阿呆。少女なんて年齢でないし、そもそも私はもう自活している。少女ではない』
 私とニースフリルは現在、星見の塔から魔法少女委員会へ出向している。この魔法少女委員会からの命令で今回の狙撃を行うことになった。倒すのはあのモアイ少女だけなのだが、直接対決するには強力すぎたので、別の魔法少女と戦わせて力を削ぎ、奇襲をかける手はずになっている。
 そのような事情で私は2人の魔法少女に挑戦状を送りつけた。残念なことに私の名前で。本当はニースフリルの名前を借りるはずだったのだが、当然ながら彼女もまた嫌がり、仕方なくじゃんけんで決めたら負けてしまった。おもわずその場にいない姉妹の名前を借りようかとおもったが、ムランカやヘリステラに知れたら後が面倒なので辞めた。とりわけムランカはユーモアを非常に良く解するから面倒だ。

244魔法少女モアイVS魔法少女触手VS魔法少女狙撃手:2007/11/22(木) 18:46:22
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長文でエラーしたので分割しました。
続きです。
*****/
 『始まったよ』とニースフリル『モアイ少女が変身する!』
 『なに。あの外見で変身してなかったのか。意外』
 モアイ少女はロッドのようなものを差し上げると七色の光に包まれて恍惚とした表情を浮かべた。対してインスマス顔の少女はすでに変身を済ませているらしく接近する。インスマス顔の少女がコートをはだけて内側を晒したとき、私は眉を寄せた。
 『気色悪いね』とニースフリル『あれの生まれはシンガーポールのルルイエかな』
 『まず間違いない。映像リンクは悪いが切らないぞ』
 『うん。判っている。それに、これすぐ終わるから』
 すぐ終わる? 戦闘というものは開始までの時間が長いのであって銃火を交えるのは一瞬だけだ。そういう意味かとおもったが、違った。インスマス顔の少女は怖気を催すほど大量に触手を放つ。シーフード系の触手は変身中のモアイ少女に絡みつき、その動きを奪った。モアイ少女は触手で絡め取られ、毛糸玉のような有様になった。しかし隙間から猛烈な光がもれる。どうやらモアイ少女がまだ抵抗しているようだ。おそらくすぐに形勢は逆転するだろう。
 私はスコープを操作する。レーザーポインターの輝点が触手玉に浮かんだ。
 『対地ミサイルぶっ放せ』
 『了解』
 唸る風音にミサイルのモーター音が混じった。任務は終了するかのようにみえたが、触手玉がほどけ始める。私は舌打ちをして引き金を絞った。
 大口径弾が轟音とともに大気を引き裂き、絡み合う魔法少女たちに命中する。ミサイル弾着までの時間を数えながら私はさらに引き金を絞る。
 弾丸の雨。そして高空から襲いかかるミサイル。ほどけた触手からモアイ少女の顔が見える。私と目があった。気づかれた。私は銃を捨て逃げる。

245トラペゾヘドロン、降下:2007/11/24(土) 14:22:18
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http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/451
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 「なんということだ、ニースフリル」とぱりっとしたキャリアウーマン風の女性がいってくる。狙撃のフィルティエルトのめずらしいぼやき「あと一週間で星見の塔に戻れるというのにこんな事件に巻き込まれるなんて
 星見の塔から魔法少女対策委員会へ出向して半年、経った。あと一週間で出向期間が終わって帰るはずだったのにこのままでは足止めを食らってしまうかもしれない。いや、一生帰れないかも。
 魔法少女対策委員会の調査部門は輝くトラペゾヘドロンの出現を確認した。輝くトラペゾヘドロンはなんだかよくわからないが、異世界からこれのある世界へものを召還する機能を持っていて、結果的にその世界に混乱をもたらすものだ。まあ普通ならちょっとした争いが起こるくらいなのだけど魔法少女が大量発生して殺し合うこの世界は安定性を欠いているから外部からのちょっとした力で崩壊してしまう。そうなったらどうなるかわからない。世界の終末となるかもしれないし、外部への移動不能な幽閉世界となるかもしれない。わかっているのは悪いことが起こることだけだ。
 「くそう。なんだ、あの魔法少女対策委員会の報告は。ターゲットの降下予想エリアが全世界だとは。ふざけてやがる」
 「仕方ないよ。トラペゾヘドロンの放つエネルギーでセンサーの大半が機能不全に陥ったんだから。でも方法がないわけじゃない。というか勝手にやってくれる連中がいる。ほら欲しがっている奴らがいるだろ」
 「なるほど。殺し合いに明け暮れる魔法少女連中ならトラペゾヘドロンの力を求めるということか」
 「そういうこと。魔法少女たちの集まる場所がターゲットの降下地点さ」
 フィルティエルトと私はジープに乗り込む。運転を任せると私はPDAを起動させる。魔法少女対策委員会のセンサーは無効化された。でも魔法少女たちの戦闘が行われるなら情報はかならずメディアに流れる。それから降下地点を予測する。
 「見つけたよ、意外と近い!」
 私が場所を告げるとフィルティエルトはハンドルを切る。私は詠唱を開始する。車に魔法的加速を与えた。「間に合え」

246少女司書の帰還(1):2007/12/16(日) 01:37:32
少女は図書館にいた。いつからなのかはわからない。気付いたときにはすでにいた。
薄暗くて天井の高い荘厳な図書館で、あちこちにある本棚には、背表紙に何も書かれていない、同じ厚さの白い本が壁のように並んでいた。
図書館はでたらめに広かった。どこまで続いているのか、どれだけ部屋があるのか、本が何冊あるのかわからなかった。
所々に美しい彫像や絵画が飾られていたが、少女はそれらに注意を払わなかった。
図書館を利用する人はいなかった。しかし、司書は数え切れないほどいた。

少女も司書の仕事を持っていて、白い表紙の本を頭の上に載せて、図書館を右に左に歩き回った。
少女は幼かったが、他の司書達に負けないぐらいがんばって仕事をしていた。
司書達の仕事は、白い表紙の本を、自分が運ぶべきだと思った場所に運ぶことだけだった。
誰も自分の仕事に疑問を持たなかった。司書達はひたすら働いた。

少女はある時、階段にけつまずいて転び、4冊の白い表紙の本を落とした。
すぐに涙を堪えて立ち上がり、服の埃を払った。倒れるときについた膝と肘が痛かった。
本を取ろうと手を伸ばしたとき、その白い表紙の本の中身に目がいった。文字の羅列があった。
しかし少女は本を閉じ、また4冊を重ねると、頭の上に載せて歩き始めた。

しばらく歩いてから、少女は自分が運ぶべき場所がわからなくなってしまったことに気付いた。
こんなことは今までに無かった。少女は混乱した。転んだ拍子に忘れてしまったのかと考えた。
近くの部屋の中の椅子に座ってしばらく途方にくれていた。他の司書は現れなかった。
そのうち、少女は先ほど落とした白い表紙の本の中のことを思い出した。文字の羅列だった。
しかし何故か気になって仕方が無かった。少女は4冊のうち1冊を手にとって、本を開いた。

少女は本を読んだ。少女の見たこともない文字だったが、どういうわけかゆっくりとだが本の内容が頭に入っていった。
本には様々なことが書かれていた。
4つの月。地獄の門。悪魔の騎士。海と大陸。巨大な槍。ゴボウの調理法。氷柱の神々。
白い炎に包まれる森。草原の民。神に挑んだ数多の英雄達。犬と狼と猫。納豆。単眼の母。
ページごとに書かれている内容はバラバラだったが、それでも少女は貪るように本を読んだ。
白い表紙の本の中にあったのは文字の羅列ではなく、世界だった。

247少女司書の帰還(2):2007/12/16(日) 01:38:16
どれほどの時間が経ったのか、少女は4冊の本を全て読み終え、嘆息した。
自分の周りで巨大な本棚に収まり、壁を作っている白い表紙の本全てに
こんなに素晴らしいことが書かれているのかと思い、身震いした。
もう完全に仕事のことは忘れ去っていた。本棚から一冊本を取り、読もうとした。

その時、少女は自分の近くの椅子と机に、一人の女性が座って、何かを本に書き付けていることに気がついた。
部屋の中に入ったときは確かに誰もいなかった。女性は顔を上げずに尋ねた。
「何をしているのですか?」
少女は面を食らった。しどろもどろになりながら答えた。
「私は階段で転んで、仕事を忘れてしまって……どうしていいのかわからなくて、それで、本を読んでいました」
「本を読んでいた?」
女性はゆっくりと顔を上げた。美しい女性であった、ように少女には思われた。
「貴女は司書でしょう?」
「そうです。すいません」
少女は自分が叱られているのだと思い、すぐさま謝った。
「仕事に戻ろうと思うんですけど、その、仕事が思い出せないんです」
「仕事がわからないのなら、何もしなくても構いませんよ」
女性は顔に全く表情を作らず、口をほとんど動かさずに静かに言った。
少女は自分があきれられているのだと思った。涙が出てきそうになった。近くの椅子に座って、目を瞑り、何もしないことにした。

248少女司書の帰還(3):2007/12/16(日) 01:38:48
しばらくして、突然女性が尋ねた。
「貴女は本を読んだ。ここが何に見えますか?」
その言葉を聞いて、少女ははっとして目を開き、辺りを見回した。
一瞬のことだった。図書館は音もなく膨張し、張り裂け、煙のように消え失せた。
そして、少女は自分と女性が4つの月と星々が輝く夜空に浮かぶ椅子に座っていることに気付いた。
4つの月の前には大地に突き刺さった槍が見える。神々の世界。本の中にあった世界。
白い表紙の本の壁は、今や無数の光の玉となり、揺らめき辺りを照らした。

少女は呟いた。
「館なんて無かった。本も」
「そういうことです。よくぞ気付きました。あなたは司書にしておくには勿体ないようです」
女性は無表情だったが、少女には確かに彼女が喜んでいるように感じられた。
「あなたは、館主さんなんですか?」
少女は尋ねた。どうも彼女は司書ではないらしいと感じていた。
「そうです。この図書館も随分と広くなりました。司書がいないと不便でなりません」

女性が小さく何かを呟くと、本だった光が矢のように動き、少女の目の前で集まり、大きな淡い光の塊となった。
「餞別を与えましょう」
すぐに光は消え、少女が今まで幾千と見てきた、しかし読みはしなかった、白い表紙の本が残った。題名はやはり無かった。
「あなたのものです。では、貴女に暇を与えます。帰りなさい」
女性は再び、空に浮かぶ椅子と机で、書に何かを書き付け始めた。
少女は戸惑った。自分が誰で、ここがどこか、見当も付かなかった。帰るべき場所も知らない。
待って、と言おうとしたが、その前に自分の身体が支えを失ったことに気付いた。椅子が消えた。バランスを崩し、頭が下になった。
水の中を沈む石のように、ゆっくりと夜空から落ちていった。星と月が下へと流れていった。自分の本が近くに見えた。
恐怖は無く、むしろ心地よかった。


少女は目を覚ました。いつもの自分のベッド。
昨日のいつもの一日が終わって、ひどく長い夢を見ていた。また今日もいつもの一日を過ごす。
そう思っても何の差し支えも無いと感じていた。自分の枕の側に置かれた、白い表紙の本に気付くまでは。

249少女司書の帰還(クルマルル・マナンの考察):2007/12/16(日) 01:39:38
以上が泥酔した我が師、オルザウンから得られたリィ・エレヌール・コロダントに関する物語である。
私もエレヌールと交流が無かったわけではないが、彼女はほとんど自分の身の上を語らなかったし
私自身、そんなことに興味を抱いていなかった。

やはり、物語に登場する『白い表紙の本』が、オルザウン禁忌集の編纂において
大きな意味を果たしたことは疑う余地がないように思われる。
エレヌールは超人的な勘と推理力の持ち主ではあったが、それにせよ糸口が無くては
禁忌集における常識を覆すような事実に行き当たることは不可能である。
彼女の功績は、伝説に聞く『神々の図書館』の知識の断片があってこそだったのであろう。
無論、禁忌集の事実は、限られた点からその全貌を掴み取る想像力と、無数の実地調査によって支えられているものであり
仮に私なぞがその『白い表紙の本』を授かったとしても、使いこなせずに終わっていたであろうことは間違いないだろう。

エレヌールが『槍のタングラム』の公演の日、どこに消えたのかには諸説がある。
槍の外の混沌に弾き出された。永劫線に触れた。劇場の中で【人類】の逆魔法を発動させ、消滅した。
これらの説が最も有力とされているが、どれも根拠の無い憶測に過ぎない。
以上の物語を聞いたとき、私の脳裏にはある一つの仮説が閃いた。
私は、完全なる『槍のタングラム』は観客の協力を得て初めて発動する大規模な魔術であり、それによってエレヌールは
『神々の図書館』に舞い戻ったか、『神々の図書館』を模倣した自分の図書館を作ったのではないかと思う。
もっともこの仮説も、以前の彼女が図書館というものに拘泥していたところがあるという曖昧な事実と
酔っぱらいの長話のみによって支えられる、頼りないものに過ぎないのだが。
しかしながら、理由もなくいきなりエレヌールが槍の外に出たと主張するよりは理にかなっているのではないか。

250少女司書の帰還(クルマルル・マナンの追記):2007/12/16(日) 01:40:26
追記
『白い表紙の本』であるが、私はもちろん、師やニースフリルといったエレヌールの盟友達もその本を見たことはなかったようだ。
エレヌール自身、「自分が望めばいつでも手元に現れる」「読むのにページを捲っていく必要は無い」と語っていたことから
『本』というのは便宜上彼女がそう読んでいただけであって、実際は言語の妖精か何か
彼女の心の中にある形の無いものだったのではないかと推測される。


追記その2
彼女が『槍のタングラム』を執筆し始めた時期と、『白い表紙の本』を入手した時期が同じだと考える。
その時期に4つ、全ての月が同時に上り、かつ槍がそれらの方角に見える地域は、かなり限られてくる。
そして、その地域の中には、『書物の女管理人』を意味するリ・エレヌール・コロダントという古い言葉を持つ一部族がいた。
酔っぱらいの妄言の中の友人の話の夢の中の光景について考察するだなんて、目眩がしてくるが。
これは偶然であろうか。


追記その3
「ラヴァエヤナが司書を雇っている時点でエレヌールのジョークに決まってるじゃん」
久しぶりに会ったニースフリルが私に浴びせた言葉である。
私がラヴァエヤナに関する神話を読む限りでは、彼女は合理的な考えの持ち主で、また全能では無かったように思われる。
よって、ラヴァエヤナが司書を雇うことは、それほど不自然なことでも無いと私は感じる。
しかし、ニースフリルの言葉である。そうでないことを祈るしかない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

追記その74
どうも私は追記を多く書きすぎるらしい。しかし反省はしていない。
付け足すことがあれば、いくらでも書いていくべきであろう。
だが、そういった意見にも一理ある。いずれこれらの追記も本文にまとめて書き直すかもしれない。


追記その75
あの雌犬め。

251ロズロォの懺悔(1):2007/12/24(月) 23:32:58
 --いつからだろう、私が【草】に手を染め始めたのは?
 覚えている限り、私の病院が本業の他にこっそりと【草】を作るようになったのは私の父の代からだったと思う。
 当時、私の一族は新天地を求めて祖国リクシャマー帝国を離れ、北方帝国へ来たばかりだった。
 リクシャマー帝国において貧乏医者としての借金に負われる毎日に飽き飽きしていた父は、まだ発展途上の北方帝国ならば一山当てることも可能だろう、と家屋財産を処分して北方帝国へ家族を引き連れて移住した。だが、北方帝国で待っていたのは父の予想を裏切る現実だった。
 確かに北方帝国はまだまだ未開の土地だった。
 しかしその開発権は既に国の中枢を担う央機卿を初めとする昔からの貴族や領主達、そして各国の有力商人達に占有されており、私達のような他国からの流民が入り込む余地など無かった。また、労働人口も既に過剰状態にあり、北方帝国に来ても特筆する技術でもない限り職にありつけるのは稀なことだった。首都ソフォフの城壁の周辺には、そうして外国から来たものの職にあぶれた人々が貧民窟を作っており、それは子供の私から見ても荒んだ世界に見えた。
 そのような中で父は医師としての仕事を見つけ、小さいながらにも診療所を開く事ができたのだが、幸運の女神はいとも容易くその時点で私達家族を見捨てた。覚えている限り客らしい客が来たことは殆ど無かった。北方帝国ならば……同じ事を考える医者は父だけではなかったからだ。
 私達はすぐにリクシャマー帝国にいた頃と同じように、いやそれ以上に困窮するようになった。日々の糧にすら困るようになり、一欠けらのパンすら口に出来ない日が幾日も続く有様だった。
 下の妹が死んだのはそんな時だった。
 死因は栄養失調だった。
 ささやかな葬式の最中、父は始終黙りこくっていたが、きっとその時既に父は決意していたのだと思う、医師としての良心を金で悪魔に売り渡すことを……
 それから程なくして、父は地下にある薬工房に篭るようになり、診療所には稀に客が訪れるようになった。
 子供の私から見ても、彼ら、あるいは彼女達はあからさまに怪しい客だった。彼らは外套のフードを深く被っているか、あるいは仮面で顔を隠していた。その客に対して、父はこっそりと握らせるようにして何かを渡していた。客は必ず大金を、とても普通の診療で支払ってもらえるようにない大金を毎度置いていった。その金で私達家族はなんとか普通の生活ができるまでに潤った。
 父が何をして、そのような大金を稼いでいたのか?、それを知ったのは私が成人した時だった。
 その時分、私は父の跡を継ぐべくロズゴール王国の医学大学へと留学し、6年を経て卒業して北方帝国に医者として帰ってきた時だった。その時、私の家にも私を外国の大学に通わせて卒業させるだけの蓄えはあった。
 父は、その時になって初めて家の地下にある薬工房を見せてくれた。
 それは半ば気付いていた事実だった。
 父は、貴族が宴会や馬鹿騒ぎのパーティに使うための【草】を作り、私達の生きて行くための財を養っていたのだった。
 父は私に言った、「ロズゴールやリクシャマーなりに行って貧しいながらも医者としての人生を全うするように」と。
 しかし若かった私はそれを選ばなかった。
 ささやかな私利私欲を得たかったからではない。私なりに正義があったからだった。このようなことでしか医師としての生を全うできないこの北方帝国の医術の世界を変えてみたいと思ったからだった。

252ロズロォの懺悔(2):2007/12/24(月) 23:34:03
しかし父が他界し、四年、五年と年月が過ぎ、蓄えが底を尽きるにあたり、結局私は挫けた。
 その頃には、私にも養わなければならない家族があったのだ。
 私は父のつてを伝い、結局【草】作りに手を染めるようになっていた。一度だけ、今回だけ、と思いながらも、結局はどっぷりと【草】の精製に浸かるようになっていた。
 --いつからだろう、私の客層が変わるようになったのは?
 最初、私の客は貴族の使いだと言う者ばかりだった。
 その中には貴族ではなく、成金の豪商の類や、噂を聞きつけてなけなしの稼ぎを一時のスリルに身を任せるためにはたいた庶民もいたに違いない。だが、私はそれを気にしなかった。
 だが、ある時を境に私の客層は明らかにガラリと変わった。
 【パトゥーサの遠征】と後に呼ばれる戦争が起きたからだった。
 その時、政府は草の民への侵攻の主力兵力を成す傭兵が、戦闘のために使う各種の【草】を入手することを、公でこそ無かったが看過した。当然、売りさばくことに対してもだった。
 だから私もその時流に乗って、【草】を大量に精製し、彼らに【草】を大量に売りさばいた。それはこの時代の医者の大半が行ったことだった。
「草の民の娘っ子は華奢なわりに激しく抵抗するって噂だしなぁ」
 傭兵達は、そんな下卑た話をしながら私から【草】を買っていったが、私は気にしなかった。いつも愛想笑いを浮かべて彼らにそれを売った。【人形作り】のような禁制の【草】を作ることも躊躇しなかった。役人には稼ぎの中から僅かな金を握らせて鼻薬を嗅がせてあったとは言え、今にして思えば私は何かが麻痺していた。
 【パトゥーサの遠征】が失敗に終り、逆に北方帝国が草の民から侵攻されるようになっても私の仕事は変わらなかった。北方帝国の主力は依然として傭兵であり、彼らが戦場において各種の【草】を必要とすることには変わらなかったからだ。その【草】がどのように使われるか、など私には興味の無い話だった。
 私は、私と私の家族が今日を行きぬき、明日を生きるための金があれば良かったのだ。
 --そしていつからだろう、時代が変わったのは。
 私の医療所の扉が乱暴に叩かれたのは、ある朝早くのことだった。
 眠い目をこすりながら妻が扉を開くと、なだれ込むようにして武装した役人達が私の医療所へと入ってきた。何が起きたのか分からず呆然とする私達の目の前で、役人達は診療所の中を全て引っくり返し、私達の寝室や子供達の部屋の布団まで引き剥がしていった。
 やがて役人達の一人が「ありました」と私の工房の中から叫んだ。彼が見つけたのは生成中の【草】とその材料だった。
「この男をしょっぴけ」
 役人の隊長らしい男が言うと、体格の良い役人が二人私の腕を掴み診療所から引きずり出そうとした。
「待ってくれ」
 私は言い、普段から鼻薬を利かせているその街ではそれなりの顔役である役人の名前を出した。私だって世間と言う物が多少なりとも分かっていたつもりだった。多く稼いだときにはそれなりの額を彼に寄付していたし、それを怠ったことは一度だって無かった。
 しかし役人達は私に何も答えずに粛々と私を診療所から外に連れ出し、地下の工房から見つけた証拠品の数々を持ち出した。
「何かの間違いだ!、私は!!」
 騒ぎ立てる私に、役人は小声で、耳元で囁くようにして言った。
「時代は変わったんだよ」

253ロズロォの懺悔(3):2007/12/24(月) 23:35:10
 「時代は変わったのです」
 役人の詰め所の小さな石造りの、殺風景な面会室の中、取調べと称した拷問ですっかり顔が腫れ上がった私を前にして私の弁護人は言った。
「草の民のハルバンデフ王が謀反で殺された話はご存知でしょう?」
 私は頷く。それは1年以上前の話だ。
 一時期は国土の大半を奪われ、帝都ソフォフも包囲された戦争だったが、戦線からも遠く、戦火にすぐに巻き込まれる心配の無いその街に住んでいた私には、戦争などどこか遠い国の話にしか聞こえず、また国家にとって最大の仇敵の死も他人事にしか感じられない話だった。最近この街にも引き上げてくる傭兵や、草の民の難民が増えた、と感じる程度にしか私は感じなかった。
「次期王として選ばれたアルプデギン王は政府に対して講和を申し入れました。戦争状態の終結と、引き換えに今まで占領していた地域の返還を申し入れたのです。当然、政府はこの申し出を受けることを決定しました」
「戦争は終わったということですか」
 弁護人は私の言葉に首を縦に振った。
「戦争は終り当面の外敵は無くなりました。今度は国家の敵は内側に巣食う病巣となったのです。つまり暴動や略奪を働くかつての英雄である傭兵達と、その傭兵達や民衆に【草】をばら撒いた【草】作りの職人達等々、国内の治安を乱す者達です」
「冗談じゃない!」私は叫ぶ。「私達は国家の命令で【草】を作ったようなものじゃないか!」
「政府はそんな命令は下しておりません」溜息混じりに弁護人は答える。「ただ看過しただけです」
「私達が作った【草】のおかげで今まで軍は戦線を維持できたようなものじゃないか!」
 傭兵を主体とした北方帝国の軍隊が弱く、各地でハルバンデフ相手に惨々たる戦果だったのは国民ならば誰もが知ることだ。しかし……
「それは結果としてです」
 そう言われては私に返す言葉などなかった。
「それに、宜しいですか?。貴方には貴方のお父様の代からの【草】作りの容疑と、禁制品の【草】の中でも最も厳重に禁制されている【人形作り】の精製・販売の疑惑がかかっております。これは帝国の刑法に照らし合わせても重罪です。正直、貴方を極刑から免れさせることが可能かどうかも難しい状態です」
 【人形作り】、乙女すら娼婦に変えると言われた向精神性の【草】だ。全身の神経を麻痺させる効果もあることから難病患者の手術にも麻酔として用いられることが多いが、高い催眠効果もあることから先代皇帝の時代に後宮での寵妃による皇帝暗殺未遂事件、所謂【三月事件】に用いられてからは所持はもちろん、届出の無い精製に対しても厳罰が処せられていた。
「私は、あれに対してはちゃんと精製の届出は出していた」
「えぇ、それは役所の記録にも残っております。裁判の際にもそれは有利な証拠になるでしょう。しかし問題はその使用目的です。貴方は傭兵達に対してそれを大量に販売した」
 それは事実だった。各種の【草】に紛れて、私は高値を付けて【人形作り】も傭兵達に売りつけた。
 戦線には碌な医者が居ない。だから重傷者に応急処置として鎮痛剤として使うことや、まともな医者の居る陣営まで負傷兵を連れて帰るために使うということが販売の名目だった。しかし、実際にそれらが戦場でどのように使われるかなど私の知ったことではなかった。
 金にさえなれば、私は良かったのだ。
「それに私の他にもっと大規模に堂々と【草】を精製している連中は沢山いたじゃないか?。国営の施薬院や医局だって【草】を、それも【人形作り】やそれ以上の【草】を精製して売っていたじゃないか?。彼らは責任に問われているのか?」
 弁護人は再び深い溜息を吐いた。
 吐き出された溜息が白い息となり、部屋の空気に溶けていく。
 その沈黙の間を置いて弁護人は答えた。
「先ほど時代は変わったと申し上げました。いかなる時代の変化においても祭儀と生贄の羊は必要なのです」
「つまり、私は運が悪かったと……」
 弁護人は何も答えず席を立った。
 部屋を後にした弁護人と入れ替わりに役人達が入ってきて項垂れる私の両腕を掴んで私を椅子から立たせる。
 難しいことでもなんでもなく、考えるまでも無く、つまりはそういうことだった。
 
 
 それから一月ほどして開かれた法廷における、食糧不足の北方帝国でどうすればこうまで太れるのだろう?と思うぐらいに体格のいい裁判官が私に下した判決は「医師(ロズロォ)オアフターナ・ディズナに禁制品の【草】を多数精製・販売したことを理由とした終身刑を宣告する」というものだった。
 死刑にならなかったのは弁護人が頑張ってくれたからだろう。
 程なくして修道院を通じて妻から離縁状が届いた。
 私にはただうなだれてそれにサインをするより他に術が無かった。

254ロズロォの懺悔(4):2007/12/29(土) 02:59:34
 私が流刑地として送られたオルドナは北方帝国でも南のほうにあるフォリカという街の近くにある場所だった。
 しかし南の方とは言え、温暖なリクシャマー帝国やロズゴール王国に比べればそこは遥か北に位置し、季節も晩秋ということもあり、決してそこは温暖な場所とは言いがたかった。
 また、私の搬送に使われた馬車は、人を搬送するにはあまりに粗末なもので、車輪もあまり手入れはされていないのだろう、進む度に酷く揺れた。
 私は馬丁や囚人護送の役人に幾度かその事を訴えたが、彼らは囚人の言うことなど取り合ってられぬとばかりに無言で、私は寒さと酷い乗り物酔いに堪えるしかなかった。馬車には私と同じ囚人がもう一人乗っていたが、彼は非常に愛想の悪い男で、旅の間一言も私と口を聞くことが無かったので、私は孤独とも戦わねばならなかったのだ。
 そうこうしているうちに2週間ほどかけて馬車はオルドナの牢獄に着いた。
 そのオルドナの牢獄を最初に見たときに私が思ったのは、これは牢獄ではなく檻に違いない、というものだった。
 後で知ったことだが、元は砦だったというその牢獄は周囲を高い壁で囲まれ、全ての窓には堅い金属製の鉄格子が取り付けられていた。壁の最上部に斜め内側向きに柵が設けられており、それは囚人を投獄するためというより、何か危険な猛禽を飼っているように見えた。
 やがて馬車は大きな門を潜って牢獄内部へと入っていったが、そこは外見以上に陰鬱な場所だった。
 高い壁のおかげで昼間だというのに殆ど日が差し込まないその牢獄は、中央に大きな円形の広場があり、その広場を囲むようにして粗末で薄汚れた囚人棟が何件か建てられ、役人達の施設は牢獄から離れた壁の付近にあった。何の為に?と私は、最初、この牢獄の施設の配置に疑問を感じたが、馬車から眺めている限りではひどく粗末な格好の囚人達の姿を何人か見ることが出来ても、役人達の姿を見ることは殆ど無かったことから、役人達にとってこの牢獄の囚人達は危険な猛禽なのではなかろうか?という考えにすぐに行き着いた。
 だとしたらとんでもない場所に私は投獄になったのかもしれない、と私は思ったが、すぐに後で知ることになるのだが、その考えは間違えてはいなかった。
 進むとき以上に乱暴な動作で馬車は囚人棟の一つの前で止まり、役人は馬車に乗り込むと、まるで家畜でも扱うかのように私を乱暴に馬車から引きずり降ろした。私は地面に倒れこみ、激痛のあまりしばらく息すらできない有様だった。そしてようやく息ができるようになってから顔を上げると、いつの間にかそこには囚人たちが私達を囲むように人垣を作っていた。
 清潔とは程遠い粗末な格好をした彼らの誰も彼もが落ち窪んだ、そしてギラギラとした目をしていて、まるで猛禽の類に囲まれたような感覚を肌に感じ、私は思わず身震いしてしまった。彼らが同じ人間だと、私には感じられなかったのだ。
「二番棟牢名主いるか?」
 役人が言うと、私達を囲んだ男達の中から一人の体格のいい男が「へいへい」と横柄な口調で現れた。囚人とは思えない堂々とした態度の男だった。
「新入り2名だ。今日から面倒を見ろ」
 そう言うと、役人はまるで物でも扱うように私ともう一人の男の身体を男の方へと押し出した。牢名主はたたらを踏む私の身体を受け止めると、ふぅんと値踏みするように二人を上から下まで舐めるように見まわし、「新入りども、今日からお前は俺達の仲間だ。よろしくな」と言った。それは驚くほどに愛想の良い声で、その顔には満面の笑みがあったが、私は気付いた、その目は微塵も笑ってはいなかったのだ。
「これが書面だ、読んでおくようにな」
「そうしますよ、気が向いたらだけどな」
 そう言って男は役人から私の書類をひったくるようにして受け取った。
 役人はその男の態度に怪訝そうに顔を歪めたが、それ以上何も言わず、まるで逃げるようにして馬車に乗り込んでその場を後にした。
 役人達が居なくなった後で、書類を読んでいた男は、「そうか、あんた医師(ロズロォ)か」と私を見て言った。
「まぁ、あんたは色々と使い道がありそうだな」
 男はそう言って愛想のいい笑顔を浮かべたが、その笑顔が私には何よりも邪悪なものに感じられた。

255ロズロォの懺悔(5):2007/12/29(土) 03:00:32
 それから先に繰り広げられたもの、それは私がこの牢獄に来て最初に来て見たおぞましいものだった。
 私と共に護送されてきた囚人、彼は特に技能を持たない強盗で、そのことが私と彼の未来を分けた。
 囚人たちは私達を囚人棟に入れると、囚人棟の一番大きな部屋の中でそのもう一人の囚人を囲み、そして牢名主が質問を始めた。彼は恐る恐るその質問に答えたが、答えた次の瞬間には別の囚人に殴られていた。私はその有様に目を大きくして驚いたが、牢名主は眉一つ動かさずに次の質問をする。彼はそれにも答えたが、また別の囚人に殴られた。
 それからも牢名主は彼に次々と質問をし、それに対して彼が何かを答えるたびに理由を付けては彼は殴られ続けた。それは私刑以外の何物でもなかった。
 やがて彼は地面に倒れたが、それでも囚人達は彼を立たせ、理由をつけては殴った。意識を失うと水をかけて起してまた殴り、やがて彼が意識を失っても殴り続けた。
 その間、私は震えながら壁を背にしてその光景から目を背けられずにいた。それはまるで猛禽の群れが哀れな獲物に一斉に襲い掛かるのに似ていた。
「おい、医師(ロズロォ)さんよ」
 やがて牢名主の男に呼ばれて、私は我に返った。
「この男、動かねぇ、ちょっと見てくれるかな?」
 言われて私は震える足で、牢名主の指差す方向に、人ゴミの中を掻き分けて恐る恐る近づいた。
 そこにあった物を見て、私は思わず吐きそうになった。
 男の四肢と首はあらざる方向を向いており、その顔は原型を留めていなかった。また、粗末な服から覗いた肌は内出血でどす黒く変色しており、服の下で破れた腹から内臓が飛び出ているのがありありと分かる有様だった。あちこちが腐って穴が開いている木製の床は彼の血で濡れていた。拳だけで人はこうまで破壊できるのか、と戦慄するぐらいにそれは見事な破壊の有様だった。
 私は震える指で彼の首筋に触れたが、当然のことながらもう既に彼に脈は無い。
「死んでます」
 私が震える声で言うと、牢名主は「そうか」と冷静な声で言った。
「お前達、歓迎式は終りだ」
 牢名主が言うと、囚人たちは三々五々と自分の部屋に戻っていった。
 部屋には呆然とその場に座り込む私と、悠然と腕を組んだ牢名主、そして息絶えた囚人の骸だけが残された。
「おい医師(ロズロォ)さんよ」
 唐突に声を掛けられ、私は思わずビクッと身構える。
「奥の部屋に死体袋がある、それにその死体を詰めてその部屋に運んでくれないか?。もし一人で運べないんだったら、他の奴に手伝わせる。それが終わったらお前の部屋を案内する」
 それはあまりに手馴れた指示だった。
 きっと、こんなことは日常茶飯事なのだ。その事に気付き、私は改めて自分の投獄されたこの場所に怯えた。
 
 
 翌日、役人が私達の囚人棟を訪れ、牢名主は私と一緒に来た囚人の死を告げた。
「またか……」
 役人はそう言うと囚人の中から数名を選んでその死体を運ぶ準備をするように牢名主に告げると、そこから逃げ去るようにして立ち去った。
 囚人達のうち数名が入り口で死体袋を用意して待っていると、やがて武装した兵士達が囚人棟にやって来て、囚人達に死体を運ぶように言った。囚人達は兵士達に連れられてどこかへと消える。
「気になるのか?」
 いつの間にか私の背後に立っていた牢名主が言うので、私が頷くと彼は「この牢獄の地下に川が流れているんだ」と教えてくれた。
「死体はそこに流すんだ。その際、この牢獄に常駐している司祭が簡易的にだが葬式もしてくれる」
 死んでも神には困らないというわけだ、と牢名主は言った。
 生きていることが幸せとは限らない、死ぬことが唯一の幸せなのかもしれない……と私は運ばれていくその囚人の死体を見ながらボンヤリと思った。
 そしてそれは間違えてはいなかった。

256ロズロォの懺悔(6):2008/01/02(水) 03:51:38
 やがて私がこの牢獄に来て初めての冬が来た。
 元いた街では、この時期空から降る雪に、年甲斐も無く子供達と共に心躍らされることも少なくなかった。しかし、雪と言う物がここまで人の心を陰鬱にするものだということを私はここに来て初めて知った。
 雪を降らすのは灰色に塗られた空だ。それはまるでこの牢獄に天井が出来たようだった。
「青い空があんなにもありがたいものだったなんて」
 私は凍えた指に息を噴きかけながら呟く。
 正直極限状態だった。
 薪のような燃料すらろくに与えられない状態では、元々粗末な作りの囚人棟においては暖をとるのも難しく、毛布もまるで質の悪い紙の様に薄くてボロボロで、また食事も常に冷めたものしか与えられない。そこに追い討ちを掛けるような陰鬱な灰色の空……明日もこの日が続くのか、いや明後日だって……気分は滅入っていくばかりだった。
 それは私だけではなかったらしく、元から殺気だっていた囚人達をさらに殺気立たせた。
 囚人達は些細なことで喧嘩を始めるようになり、彼らはどこで手に入れたのか刃物まで持っていて、それを使っての決闘沙汰や人傷沙汰になることも珍しくなかった。囚人達はと言えば、その騒ぎがこの陰鬱な気分を紛らわせてくれるとばかりにその喧嘩を囃し立て、誰一人として喧嘩を止めるものはいなかった。それは仕方ないことなのかもしれなかったが……。
 喧嘩が終り、片方が倒れて戦闘不能になると「医師(ロズロォ)」と牢名主が言い、私は倒れた方の怪我を、囚人棟の粗末な治療道具で治療する。治せる傷には限界があったが、何もしないよりはマシなはずだった。
「【草】を作れないか?」
 牢名主からそう話を切り出されたのは、この一連の喧嘩沙汰で初めての死人が出た晩だった。牢名主のその一言に、囚人達の視線が一斉に私に集まる。
「あんた、娑婆で【草】作りをしてここに投獄されたんだろ?。だったらそこらに生えてるもので【草】を作れないか?」
 しかし私の返事は決まっていた。
「無理です」
 怪訝そうに牢名主は片眉を上げる。しかし、私は自分の手が震えて汗でびっしょりになるのを感じながら「無理です」と再び答える。
「私も元は【草】作りの職人でしたから、ここに来て機会を見ては生えてる植物等を調べてました。この囚人棟に有るもの全てを調べていたんです。でも、【草】を作れる材料はここには有りませんでした」
「そうかい」
 牢名主が答えるのを聞いて、私は以前ここに一緒に来た囚人のことを思い出し、自分も同じ運命を辿るのではないかと身構えたが、彼の口からは続く言葉は無かった。どうやら私の説明に納得したらしい。
 私はホッと胸を撫で下ろし、すっかり定位置になった広間の隅に座り込み、そして安心感からかいつの間にか眠りに落ちた。
 
 
 誰かに身体を揺り動かされて目を覚ましたのは、夜半の頃だった。
 囚人棟の明かりは既に消され、辺りは静寂と、時々聞こえてくる囚人達の寝息と、そして漆黒の闇に包まれていた。
「起きな、先生。ここの主がお呼びだ」
 それは囚人達の一人の声だった。
「主、牢名主が?」
 半ば寝ぼけながら言うと、その声は言った。
「いや、もっと上だ」
 見ると囚人棟の入り口が開いていて、コートを羽織った牢役人が二人入り口で待機していた。

257ロズロォの懺悔(7):2008/01/02(水) 04:07:52
 「この牢獄が特殊な牢獄であることは、先生も薄々気付いてらっしゃるでしょう?」
 私の前で痩せた背の高い貴族風の壮年の男、この牢獄の所長が言った。
 私が牢役人に連れてこられた場所は囚人棟から離れた役人達の施設にある、こんな牢獄のどこにこんな部屋があったのだろうと思わせるような豪奢な装飾の部屋だった。そこでこの所長は「先生、よく来たね」と、この牢獄に来て初めて人間らしい言葉をかけ、酒棚から街に居た頃でもお目にかかったことの無いような高価そうな酒を、同じく高価そうな器に注いで私に手渡して言った。
 私は所長に手渡された酒を用心深く眺めながら、「はい……」と俯いた猫背のまま答えた。
 実際、一週間も経たないうちに私はこの牢獄がただの牢獄ではないことに気付いていた。囚人達が喧嘩等で怪我をする度にその身体を看ていたので、彼らの身体に刀傷や矢傷が多いことから、彼らの大半が元傭兵達だということに気付いていた。
 私がその事を言うと、「半ば正解だと言えますね、先生」と所長は答えた。
「正確には、先生以外の全員が元傭兵の犯罪者なんですよ。そしてこの牢獄は政治的に非常に重大な意味を持つ場所なのです。その意味が分かりますか?」
 私は首を横に振った。私は医術と金儲け以外には世間のことには疎かった。「でしょうね」と彼は答える。
「元々彼らは、いや中には生来の犯罪者も居るでしょうから、彼らの大半が何故犯罪に至ったか?、は分かりますか?」
 やはり私は首を横に振る。
「この国、北方諸侯による連合帝国の政府が彼らに支払うべき給料を反故にしたからですよ。結果、彼らは各地で暴動や略奪を行い、憲兵や地方軍隊、そして中央政府から派遣された軍隊に逮捕された。本来、この国において暴動を起したり略奪行為を行った場合、問答無用で処刑されるのが法の決めた刑です。しかし、彼らはそれを執行されることなくこの牢に繋がれている。何故か分かりますか?」
「北方帝国の軍事力の主力が依然として、流民から募兵した傭兵だからですか?」
 そのぐらいの世間の常識は私も知っている。
 政府が傭兵に対して支払うべき給料を反故にして、その結果起きた暴動や略奪の犯人を迂闊に法に基づいて処刑した場合、次から募兵を行っても兵士は集まらなくなる。しかし、当面の草の民という敵は居なくなったとは言え、依然としてリクシャマー帝国を初めとする旧宗主国である西方諸国という仮想敵は存在し続けているのだ。

258ロズロォの懺悔(8):2008/01/02(水) 04:09:01
「だから簡単に彼らを処刑は出来ない。しかし無罪にすることも出来ないので、この場所に投獄している。そういうわけですか?」
「さすが先生は頭のお良ろしい方だ」そう言って所長は上品な仕草で笑った。「その通りですよ。そして彼らに迂闊に死なれても困るのです。少なくとも、国民達が彼らの存在を忘れるまでね」
 私は掌に汗をかいている事に気付いた。私ともう一人の死んでしまった囚人、彼がここに投獄された本当の理由は……。
「その為ならば普通の犯罪者の一人や二人死のうと構わない、そういうわけですか?」
「簡単に言えばそうですね」
 いとも簡単に笑顔で所長が答えたのを聞いて、私は口の中が乾いていくのを感じた。目の前のこの人物は人の死など何とも思っていない人物で、それは私に対しても例外ではないのだ。そして私がここへ投獄された理由は……
「まぁ、先生、私はね、きっかけはどうあれ先生のような人物がこの牢獄へ来たことを嬉しく思っているのですよ」
 ……嬉しく?
 私は額を伝う汗を感じながら、何も答えずに僅かに顔を上げて所長の顔を見る。人当たりの良さそうな満面の笑み。しかし、この笑みの下にどれだけの悪意が潜んでいるというのだろう?。
 ……これならあの牢名主の方が何倍もマシだ。
 私は思う。
 そう、その時の私には、あの顔は笑っていても目が笑っていない牢名主の方が何倍も悪意が分かり易くて、まだ人間としてマシに思えたのだ。
「それで先生、この牢獄にある材料では【草】は作れないと囚人達には答えたそうですが?」
「はい、そう答えました」
 そう答えながらも、何故、そのことを彼が知っているのだ?と私の中で疑問が鎌首を上げる。だが、考えてみればそれほど難しいことじゃない。つまり、あの囚人達の中には所長の耳になっている密偵がいるのだ。
「それは非常に残念な回答です、先生。彼らをおとなしく出来るのであれば【草】の生成ぐらいは看過しても構わなかったのです。この牢獄にある全ての機器や材料を使っても構わない。まぁ、原材料の搬入はできませんがね」
「寛容ですね」
 私は皮肉交じりに言った。たとえ牢獄とは言え、【草】作りを公的に認める発言が、政府の役人から聞けるとは思っていなかったのだ。
「寛容ですよ」しかし大したことはないとばかりに所長は答える。「彼らが暴動さえ起さなければ、私は私の権限でできることを全て認めるつもりです。彼らが暴動を起して大量に死ぬようなことがあればそれこそ政治問題になりますからね。そうならないのならば私は何でもしますよ」
「その為に玩具にする犯罪者を運び込むこともですか」
「えぇ」
 満面の笑顔で彼は答える。
 私は思い知る。真の悪とは悪意の無い、そして自らが善だと信じて疑わないで悪事が行える人間のことなのだと。そしてその悪は、自らが悪だと分かって悪事を行う悪より遥かに恐ろしい悪なのだ。
「しかし、その囚人の中に貴方のような頭の良い、しかも医師(ロズロォ)の技術を持った人間がいた。実に幸せなことです」
 彼は私の肩に手を置く。その手の冷たさと、その悪を目の前にして私は怯み、そして負けた。
「厳密に言えばあれは正確な回答では有りません」
「と、申しますと?」
 私は震える声で彼に答える。
「【草】は作れないわけではないのです。厳密に言えばなんとか作れます。しかし、それは昂神経の【草】で、服用が過ぎると静かなる死に至ります。現在の状況でそのような【草】を精製すれば現状を悪化させるだけです」
「そうなりますねぇ」
 失望したような口調で所長は私の傍から離れる。
「では先生、この刑務所のこの状況下において、最悪の事態を防ぐ方法は何かありませんかね?」
 私は額から流れる自らのひや汗に気付き、そして掌の上の器を弄んだ末に、その酒を飲み干した。
「方法は……あります」
 そして私が言った言葉は、私が後で後悔する事になる、最低な、そして利己的な言葉だった。
 幾ら怯えていたとはいえ、私はなぜあんな言葉を言ってしまったのだろう?。

259ロズロォの懺悔(9):2008/01/04(金) 01:46:51
 その日は何時にもまして寒い日だった。
 空は何時もより暗く、雪は激しく降り続けていた。
 囚人達はあまりの寒さに喧嘩をする気も失せたのか言葉少なげに静かに身を寄せ合っていたが、やがて、一人、また一人と己の寝室に帰っていった。酔って寒さを紛らわせることが出来る酒があるわけでもないが、こういうときはさっさと寝てしまうべきだと考えたのだろう。
 私も他の囚人達に違わずそんな一人で、早々に自分に与えられた部屋に戻って薄い毛布に包まった。
 寒さのせいでなかなか眠りに付くことは出来なかったが、それでも眠りは足元から訪れ、やがて全身を包もうとしていた。
「起きな、先生」
 身体を揺すられたのは、そんな頭が半分眠りについていた頃だった。
 見ると、私を起したのはこの前と同じ囚人で、彼は「お役人がお呼びだ」と私に言った。
「私に?何のようだ?」
「さぁな、そこまで俺は知らない。まぁ、他の囚人達が起きる前にさっさと行くんだな」
 見ると、この前と同じように外套を羽織った数人の牢役人が囚人棟の入り口で待っていた。
 
 
 牢役人に連れて来られたのは、この前の所長室とは違う剥き出しになった石壁の部屋だった。
 灯りは天井から吊り下げられた幾つかのランプだけだったが、それでも囚人棟よりは遥かにそこは明るく、また暖かった。
 私が何事かと立ち竦んでいると、所長が何人かの牢役人を引き連れて姿を現した。
「やぁ、先生、夜分お休みのところを申し訳ございません」
「いえ、それは構いませんが……私にどのようなご用件ですか?」
 私が言うと、所長はあの満面の笑みを浮かべて「準備が整いましたので、すぐに先生に実験に取り掛かっていただきたいと思いましてね」と答えた。
 「実験」という言葉に「まさか……」と私は思わず口にする。
 ……まさか、本当に「あれ」をやれというのか?
 私は背筋が冷えるのを感じた。
 私が「あれ」を提案したのは、幾らなんでも所長も躊躇するだろうと考えたからだった。まともな人間ならば「あれ」の話をしただけでも嫌悪感を抱くだろうし、ましてやこの牢獄はなるべく人に死んでもらっては困るという事情を持った牢獄なのだ。きっと却下されるに違いない、私は考えていた。
 しかし……
「まぁ、いきなり囚人達に試すわけにはいきません。そこで被験者になる人間を連れてきた次第です」
 所長がそう言うと牢役人達は、今まで気付かなかったが、牢役人達に囲まれるようにして立っていた頭から外套を被った小柄な人物の両腕を掴んで私の方へと押し出した。その小柄な人物は踏鞴を踏んで私の胸に倒れ掛かった。その瞬間に外套のフードが脱げ、それが娘、それも年端もゆかない少女であることに私は気付いた。
「あなた方は……」
「まぁ、流民の貧民窟で娘がかどわかされてそのまま帰ってこない、なんてことはよくあることですからね。これが男や、女でも娼婦の類だと色々とややこしいことになるのですが、ただの娘ならば特に問題にもなりませんよ。暫くの間家族が騒ぐでしょうが、そのうちその騒ぎも静まって、それで終りです」
 私は思わず一歩後ろに退いたが、その瞬間に指先が何か金属に触れる。恐る恐るその指先の感触の元に視線を動かすと、そこには各種の手術道具が揃っていた。
「先生の素晴らしい施術のための準備はこの通り揃えさせていただきました。さぁ、先生、心置きなく『実験』を行っていただきたい。別に今回失敗しても、また被験者を探してきますよ」
 私は恐る恐る自分の胸の娘の顔を見た。その顔は、何が起きたのかは分からないが、これから自分は大変な目に遭うのだ、ということを察して怯えた目をしていた。
 私は……その目を直視できずに顔を背けてしまった。
 ……出来ない、こんなことは人間のやることじゃない!
 そう言って、自分のこの牢獄における立場が決定的に拙くなるのを覚悟でこの仕事を断るならその時が最後の機会のはずだった。しかし、私はまたもや恐怖に負けたのだ。
 私は、どこまでも弱くて情けない人物だった。

260ロズロォの懺悔(10):2008/01/04(金) 01:48:03
 私が所長に提案したこと、それはロズゴールの医学大学で何度か論文を読んだ治療方法を囚人達に施すということだった。
 それは外科手術によって頭蓋を切開し、そこから脳を切開して興奮しやすい精神状態を改善する、というもので、私はそれを血の気の覆い数名の囚人に施せば全体的な人称沙汰も減るだろう、と提案したのだ。
「しかし、危険な手術ですし、私も理論を知っている程度ですので実行するためには幾度かの実験が必要です。成功までには何人かの犠牲がでることも考えられます」
 そう但し書きを付けるのも忘れなかった。
 この特殊な状況下にある牢獄で、囚人達を実験台にすることを所長はしないだろう、と考えたのだ。
 だが、その時の私は外から被験者を、それもあんな、まだ幼い娘を連れてくるとは考えても無かった。
 
 
 それから数時間後、私は牢役人に両腕を掴まれたまま囚人棟に戻った。
 そうでもしなければ私にはまっすぐ歩くことも出来なかった。
 囚人達がすっかり寝込み、あちこちから寝息が聞こえてくる中、私はフラフラとした足取りで寝室に戻り、そして吐いた。
 施術は失敗だった。
 鎮痛用の【草】も使わず、娘が暴れないように寝台に固い皮紐で括りつけて目隠しをしただけの状態で行われた施術の結果、痛みに耐えかね、娘は息を引き取った。苦悶に満ちた死に顔だった。
 私は寝台に潜り込み、こんなことは忘れてしまおう、と所長から「好意」でもらった酒に口をつけて眠りに落ちようとしたが、あの娘の、血塗れになった、そして涙のこびり付いた死に顔が忘れることが出来ず、眠ることなどできなかった。
 ……私は、なんてことをしてしまったのだ……そしてなんてことをしようとしているのだ?
 行った罪過とこれから行う罪に怯え、私は主神フォドニルに、そして思いつく限りの魔路神群の神々に祈ったが、心は一向に晴れなかった。

261ロズロォの懺悔(11):2008/01/05(土) 16:29:09
 それから数日毎に私は夜中に起され、所長はその度に新しい被験者を用意していた。
「貧民窟で行方不明になる娘など、毎日珍しいことではないのです」所長はいつもの笑顔で言う。「なんでしたら、数人の被験者を用意して『実験』まで我々が飼育していても構いませんよ」
 つまるところ、彼には家畜も貧民窟の人間も普通の犯罪者も区別がついていないのだ。どれが入手し易くて、どれが管理が易しいか、ただそれだけの問題でしかなかったのだ。
 教会で、神父は「神の名の下に人の命は平等だ」と説いていたが、それは明白な嘘だということを私は思い知った。
 だから、その現実の恐ろしさに、私はただただ現実から逃げるようにしてあの悪魔のような「実験」を続けた。
 娘達はいずれも「実験」途中で息絶え、私は毎晩のように所長からもらった酒に酔い、そして吐いた。
「医師(ロズロォ)さんよ、あんた最近やつれたな」
 牢名主からそう指摘されるほどに私は目に見えるほどにやつれ、そして一気に年老いた。
 この牢獄に入る前には少々福々しかった私の両頬の肉は削げ落ち、黒かった私の髪の毛はすっかり白くなっていた。
 どんなにきつく瞼を閉じても娘達の顔は目から離れず、また断末魔の悲鳴は鼓膜に張り付いたように剥がれなかったからだ。
 こんなことは、出来るのならばすぐにでも止めたかった。止めるべきだった。
 しかし、私がそれを止めなかったのは、あの所長の純粋な「悪」に恐怖したことと、そして私自身の内に燻った医学的な興味が背中を押したからだった。認めたくは無いが、私は次第にあの「実験」にとり憑かれていったのだ。
 正義感や罪悪感が擦り切れたわけではない。ただ恐怖に背中を押されて仕方無しに「実験」に取り組んでいる内に、だんだん「実験」そのものを面白いと感じ始めたのだ。
 そのうち私は「実験」で娘達が死んでも何とも思わなくなり、夜、囚人棟の寝台に帰ってから己が行為に嫌悪して吐く事もなくなった。代わりに、どこで「実験」が失敗したのかを考え、次はどのように施術をするか寝台で薄い毛布に包まりながら一生懸命考える夜もあるぐらいだった。正直に言って、次の「実験」が待ち遠しくて眠れない夜もあった。
 そして次第に「実験」に慣れていった私は、あと何度か「実験」を行えば理論の実践の目処が立つようになっていた。
 そんな時だった、あの娘が私の前に現れたのは。

262ロズロォの懺悔(12):2008/01/05(土) 16:31:29
 季節は厳しかった冬にもそろそろ終りの目処が見え始めた頃だった。
 所長は何時ものようにあの石造りの部屋で牢役人を従えて私が連れてこられるのを待っていた。
「やぁ、先生、お待ちしておりましたよ」
 そう言って背後の牢役人達に合図を送ると、彼らは私の方に対して新たな被験者の背中を押す。
 たたらを踏みながら私の胸元に倒れ込む被験者。
「怖がることは無いんだ、お嬢さん」
 精一杯の優しい口調で私は彼女の肩を掴む。それもいつものことだ。
 だが、その日、その娘が他の今までの娘達と違ったのは、彼女の肩は震えていなかったことだ。
 今までの娘達は必ず肩を震わせていて、中には怯えて暴れる娘もいた。
 だが彼女は大人しかった。あまりに大人しすぎた。
「……?」
 私は訝しみ、彼女の外套のフードを剥いだ。おそらく草の民の娘なのだろう、褐色の肌と黒い髪の娘は怯えた顔もしていなければ、恐怖に今にも泣き出しそうな顔もしていなかった。
 ただ、そこには静かな、まるで諦観しているかのような表情があった。
 彼女は、この後の自分の運命を知っているというのだろうか?。いや、そんなはずはない。「実験」のことは所長の他には一部の牢役人しか知らないことで、牢獄の外の人間が知っているわけは無いのだ。
 ……多分、かどわかされてここに来た時点で自分がろくな目に遭わないだろうことを悟ったのだろう
 私は勝手にそう解釈して自分を納得させると、牢役人に彼女を寝台に縛り付けるように言った。
 牢役人達は彼女を寝台に寝かせ、革紐で彼女を縛りつける準備にかかった。ここまでは今まで通りだった。しかし……
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”……」
 突然彼女は悲鳴を、それも地獄の底から響くような悲鳴を上げて暴れだしたのだ。
 それは恐怖のあまりに自棄になってあげる悲鳴とも違った。
「先生、これは……」
「いかん、発作だ!」私は慌てて彼女に近寄ると人工呼吸を始めながら言った。「多分この娘は何かの持病持ちだったのでしょう。これでは『実験』どころではない」
「先生……」
「とにかく、処置は施します。悪いのですが場を外してもらえますか?。おそらく今の彼女は僅かな音にでも反応して症状を悪化させる状態にあります」
 私はそう言って所長と牢役人達を部屋の外に出した。
 彼らの足音が遠ざかるのを聞き、私は人工呼吸を中止し、苦しそうに暴れる彼女を暫く眺めていたが、「それで……」と我ながら唐突に話を切り出した。
「それで、いつまでその芝居を続けるつもりだ」
「あ、分かった?」
 今までの発作が嘘のように、彼女はケロリとした顔で上半身を起した。
「私も端くれとは言え医者(ロズロォ)なんでね、嘘の発作と本物の発作の区別ぐらいは見てつくよ」

263ロズロォの懺悔(13):2008/01/05(土) 16:32:17
 とは言え、私が医者でなければ騙されてしまいそうなほど、彼女の演技は卓越したものだった。その演技に限って言えば帝都の劇場で看板女優になれると言っても過言ではない。
「あたし、難民生活が長かったからね。発作のふりや死んだふりは自信が有るんだ。これで戦場を生き延びてきたから」
「……それで咄嗟にここでは発作のふりをしたわけか。てっきり君はここに来た時点で諦めているものだと思ったのだがね」
 もしそれも演技だったとしたら彼女は度胸がある天才だ。
 だとすれば、ここで「実験」の被験者として殺してしまうにはあまりに惜しい、と私は思った。
「あんたの言う通りだよ。ついさっきまで諦めていたんだ……どうでも良いや、って。でも、最後の最後になって、あたし、怖くなっちゃって……」
 彼女を買い被っていたことに気付いて失望しながらも、「それが普通だ」と私は答えた。
 確かに彼女は卓越した発作と死んだふりの演技が出来ることを除けば普通の娘だった。草の民であることを除けば、今まで被験者にしてきた娘達と何の変わりもなかった。なのに……
「確認するが、今の君は、死にたくない、と思っているんだな」
 何故か私は確認していた。私のすべきことは牢役人達を呼んで、今度こそ彼女を寝台に縛りつけ、さっさと「実験」を済ませることだというのに……
 彼女は私の申し出に驚いたように目を丸くして黙っていたが、「どうなんだ?」と私がもう一度聞くと首を縦に振った。
「……分かった」
 そう言うと私は彼女に寝ている振りをするように言って牢の外にいる所長達を呼んだ。
 やがて私の声が届いたのか、遠くから所長達の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「先生、彼女は……」
「治療を施しました。今は寝ています」
 私は精一杯の真顔で、眉一つ動かすことなく答えた。
 私は思ったことが顔に出てしまう方で、嘘は苦手だった。だが、この時の私の演技は多分堂に入っていたと思う。
「なるほど。しかしどうしたものでしょうな、あれでは『実験』に使えそうに無いでしょう?。処分しますか?」
 さらっと怖いことを言ってのけると、牢役人の中から一人、体格のいい男が剣を手に一歩前に踏み出した。
「いや、あの娘は私に任せていただけませんか?」私は慌てて言う。「あれは被験者としてはなかなかの良い素材です。ただあのような病気を抱えているだけで、決して治療できない病気ではありません。ですから病気を治療した後に『実験』に使えば『実験』は大いに前進すると思います」
 所長は暫く私の顔を見ていたが、「良いでしょう」といつもの満面の笑みを浮かべて言った。
「先生の『実験』が進展するのであればそのぐらいは看過しましょう。先生も男でしょうからな」
「……」
 所長が何を勘違いしたのかは知らないが、どうやら彼女の当面の危機は去ったらしい。
 私は胸を撫で下ろした。
「それでは彼女には役人棟の医務室を使っていただきましょう。彼女の治療目的ならば、見張りの牢役人に申し出てくれればいつでも役人棟への出入りを許可しますよ」
「ご厚意感謝いたします」
 私が頭を下げると、「ただし」と所長は言葉を続けた。
「『実験』は継続してもらいますよ。実は今晩はもう一人被験者を用意しておりましてね……」

264ロズロォの懺悔(14):2008/01/06(日) 02:37:13
 翌日、囚人棟でまた一人囚人が死んだ。
 自分の皿の盛りが他の囚人より少なかったとか、そんな些細な理由が原因の喧嘩で命を落としたのだ。
「全く、少し暖かくなったと思ったらすぐこれだ」
 私が囚人を診察してその死亡を告げると、牢名主は頭を掻きながら溜息混じりに言った。
「そんなに運河で魚の餌になりたいのかね、全く」
「運河で?」私は牢名主の言葉に首を捻る。「死体は牢獄の地下の川に捨てられるんじゃないんですか?」
「あぁ、医師(ロズロォ)さんは知らないんだったな」牢名主は死体を入れる死体袋を他の囚人に取って来させながら言った。「あの川は運河に通じているって噂があるんだ。ここにいる囚人達の何人かが戦時中にこの牢獄、当時は要塞だったんだが、に篭って殺された兵士の死体が運河に浮かぶのを見たって言っている。当時要塞は草の民に包囲されていたから死体を遠く離れた運河にわざわざ捨てに行ったというのは考えづらいしな。だから、そういう可能性がある、というわけだ」
「しかし、要塞の外で死んだ敵兵を草の民が運河に捨てたのかもしれませんよ」
 私が言うと、「それはねぇよ」と牢名主は答えた。
「ここから運河までどれだけ距離があると思ってるんだ?。俺が草の民だったらそんな手間とるよりさっさと穴掘って埋めるかそのあたりに晒すよ」
 なるほど彼の言う通りだ。だが、それなら……
「でもあくまで可能性だ」私が何かを言う前に、それを遮るようにして彼は言った。「いくらあの地底の川の水温が見た目よりは暖かいからと言って、その川から脱走しようとは思わないな。普通に考えて、運河に辿りつくまでに水没して溺死するか、結局運河には通じていなくて地底湖あたりで藻屑だろうからな」
 そう言うと、牢名主は他の囚人に死体袋を奥の部屋に持っていくように言い、別の囚人に牢役人を呼びに行かせた。
「ところで医師(ロズロォ)さんよ」
 唐突に牢名主は言った。
「あんた、最近血の匂いがするぜ」
「……」
 私はその言葉に心臓が止まるほど驚き、暫く黙った後に「囚人達の治療を日々行っていますから」と半ば言い訳になっていない言い訳の言葉を口にした。
「死臭もするんだがな」
「それは……」
 私は必死になって言い訳を考え付こうとしたが、「まぁ、良いんだがな」と言って牢名主は立ち去った。
 ……助かった
 そう思いながらも私は、この「実験」は完成を急がなければならない、と考えた。

265二つの遺作・前編(0/10):2008/01/08(火) 20:43:50
・またの名をダインスレイフの事。そのまたの名をあるウヴァロバイトの話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1158817867/38の続きになります。
・これに関する私の話は、後編で終了となります。
・なまえなんてかざりです。えらいひとには(ry

・・・旅の途中に出会った、大きな緑の翼を持つその男に、私は命を救われた。
訳在ってまともな街道を通れなくなった為、盗賊や獣に襲われることを私は覚悟していたが
空から助けが来る事は、完全に覚悟の範疇外だった。
男は私を取り囲み、どう料理してやろうかと嗤う獣達をその緑石の羽と長い腕で易々と屠り、
今日はまともな宿と食事にはありつけない私に、豪勢な食事を振舞ってくれた・・・あの獣達は、香草と焼くと結構なご馳走になったのだ。

ウヴァロバイトの妖人は、その硬い、凶器にもなりうる羽を持つ事から、街等で見かけることは滅多に無い。
女性は産婆として見る事は本当にたまにあったが、鉱山町を避けて通っていた私にとって、ウヴァロバイトの男性は非常に珍しかった。
(彼曰く、男性も女性もそう変わりない姿かたちをしているそうなので、
 もしかしたら私の見た産婆の中に、男性がいたかもしれない、そうだ。)
食事を大体平らげた私達は、ウヴァロバイトについての様々な事を語り合った…と言っても、私が知っているウヴァロバイトの話は非常に少なく、
ほとんど彼の語りを私が聞いている形ではあったのだが。

266二つの遺作・前編(1/10):2008/01/08(火) 20:44:33
その男は、武器を探していた。
【ダインスレイヴ】と呼ばれるそれは、ある一人のウヴァロバイト―話に聞くと、長の一族の一人だったそうだ―の
翼から作られた武器【ウヴァロバイトの遺】であると言う。
【ダインスレイヴ】…彼らの言葉で【ダインの遺産】という意味だ。
彼は、村の何人かとある鉱山に出稼ぎに行った時、盗賊の一味に襲われた。
子供でも成人の人間の戦士並みに強いウヴァロバイト達にとって、盗賊如きそこまで障害ではないのだが、
運悪くその時、数人の人間の鉱夫達も一緒だったのだ。
殆どの鉱夫は彼らのおかげで逃げおおせたが、二人が盗賊に捕まった。しかも女性(鉱夫の中に女性が?と聞くと、鑑定士の者たちだったらしい)
ダインはグループの中ではまだ若く、正義感に溢れていた。仲間の制止を振り切り、盗賊たちの後を追い…

戻ってきたのは、身も心もぼろぼろになった女性の一人と、苦悶に満ちたダインの首だった。

267二つの遺作・前編(2/10):2008/01/08(火) 20:45:19
何があったのかと尋ねると、鑑定士の一人である片割れは、実は盗賊の情婦で。
たびたび鉱夫のグループを縄張りに誘い込み、奴隷として売り飛ばしていたらしい。
今回はウヴァロバイトがいるという事で通常の倍の人数で襲い、囮も使う入念さだったそうだ。
鉱夫は確保できなくてもウヴァロバイトを2、3人でも確保すれば、羽の売り上げだけでしばらく食っていけると力も入っていた。

しかし、釣れたのは若いウヴァロバイトのみ。当てが外れたとがっくりきていた隙に、ダインは暴れるだけ暴れた。
そして盗賊の慰み者にされていた彼女を助け、逃げる最中、彼女をかばって首を刎ねられたのだ。
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に?がれていたそうだ。)

必死に逃げてきた彼女と共に鉱夫やウヴァロバイト達は悲しみにくれたが、それはすぐに恐怖に変わった。
首だけのダインの口が、叫んだからだ。

「例えハザーリャが貴様らを許そうと、振り子のエアルが終末と共に顕れても、
 その魂在り続ける限り呪いは続くと思え!!ギュルヴィの血に連なるものたちよ!!」

聞いた瞬間、女性は蒼褪めて卒倒した。
彼女もギュルヴィの…彼を欺き死に追いやった奸婦の血に連なる者だったからだ。

268二つの遺作・前編(3/10):2008/01/08(火) 20:45:51
ウヴァロバイト達は鉱夫らを麓の村に下ろすと、急いで盗賊の巣らしき元に飛んだが、既に遅く
血と肉でまみれた巣には、ダインの死体はなかった。
ギュルヴィらしき女性の姿もなく、彼女が誰かと共に彼の死体や盗賊の財宝の類を持ち出して逃げたのは明らかだった。

戻った村でも、呪いは現れていた。
助けた女性が、彼の首を抱え、一緒に山を登った鉱夫達を縊り殺していた。
彼女から首を引き離し、保管していたウヴァロバイトも殺されていた。
満身創痍の彼女がウヴァロバイトまで殺せたのは、ダインの首が力を与えていたのは間違いない。
その場にいたウヴァロバイト全員で彼女を取り押さえ、数人のウヴァロバイトの死と共に取り戻したその首は、血にまみれて薄ら笑いを浮かべていたそうだ。

女性はその後、狂った気を正気に戻すことも出来ず(ガロアンディアンの予防局に連れて行くことも提案されたが両親がそれだけはと言ったらしい)、
殺人癖を持つ呪われた娘がいるということで、彼女の一族は酷い差別を受け、没落した。
ウヴァロバイトの一族は、長の血を連ねるものから【呪い】が発生した事を重く受け止め、
残るダインの遺産…ダインの死体を探し出し、骨の一片毛の一本まで消滅させる事を神々の名の下に誓った。

そして今に至る。

269二つの遺作・前編(4/10):2008/01/08(火) 20:46:54
*

「…では【ウヴァロバイトの遺】は彼の羽だけではなく、彼【そのもの】という事で?」
その話が終わったのは、そろそろ月達が【槍】と交わりそうな位置に来そうな時だった。
彼の生い立ちや一族の話に始まり、風習や行事と様々な事を面白おかしく話していた彼は、
【ウヴァロバイトの遺】の、特にこの話になった時は、流石に顔を曇らせていた。
「滅多に無いんだがな・・・。そこは流石長の一族といったところだ。
 普通なら羽に集中するらしいんだがそれだけで収まりきれなかったらしい。」
「そこまで・・・凄まじかったんですか・・・。」
こう言った話の恨む側の話は本当に悲惨なものが多い。恨まれる側の報復に比例するが如く。
もう今となっては分からないが・・・盗賊に捕まった時、恐らくそれは酷い嬲りを受けたのだ。
長の一族の一人と言う立場も忘れて、そんな恐ろしい呪いの言葉を吐くくらいに。
「見つけるのも途中まで結構簡単だったしな。
 ギュルヴィの一族関連で血の匂いのするところ辿っていけば、大概見つかったし」
「…没落した一族の元にですか?」
腹を何か冷たいものに掴まれたようにぞっとした。
一族からそのような奸婦が出たと言う事、そして狂いの娘がいるで名誉も地に落ちたろうに…
本当に蛇のようだ。どこまでも追って、追って、最大限苦しめるため、その為に、あるときに暗闇の中から音も無くぬっと姿を現す。

270二つの遺作・前編(5/10):2008/01/08(火) 20:47:42
「彼女が…狂って殺人癖を持っちまった娘な。あいつが歌うたびに【それ】は姿を現したらしい。
 時には彼女の叔父の手にある時は渡り、彼女の叔母、従兄弟、祖父母…最後には両親の手に渡った。
 どんなに俺達がその前にダインの遺産を手にしようとも、俺達の気配を察するが如くそいつらは手をすり抜けていく。
 そして…必ず決まって、最後には彼女を刺し貫いた」
「彼女を?・・・彼が、助けたのに?」
彼女を助けるために、彼は死んだのではなかったのか?
否、一族であると言う事は、例え助けた相手であっても、関係ないということなのか。
「刺し貫かれた彼女は、いつも決まって死ぬ寸でで息を吹き返した。…狂ったままでな。
 案外、彼女が【ギュルヴィ】なのかもな。もう一人は嬲られた後あの山の中に埋められ、
 暴れ狂うダインを何らかの方法で縊り殺して、首だけ持って下山したのかも」
「そうだとして・・・何故首だけを?」
「さあな・・・彼を殺した時に、彼女は呪いに掛かっていたのかもしれんな。それとも…彼を騙した後悔からだったのか」
焚き火に照らされた彼の表情は、火の影にあてられているとは言えども、非常に暗い表情だった。
今となっては分からない事実。気狂いとなってしまったのなら満足な受け答えもなかったろう。
そんな中で、この疑問に答えてくれるかどうかなど――言うまでも無い。
結局彼女は【ギュルヴィ】だったのかもう一人なのか。恐らく永遠に分からないのだろう。
ただ分かるのは、【ダインスレイヴ】は彼女を締めくくりにしたいのだ…でなければ彼女ばかりに受身はやらせないはずだ。

271二つの遺作・前編(6/10):2008/01/08(火) 20:48:22
「まあ兎に角、その呪いの掛かった歌姫は羽の片方を手に入れたと同時に、
 自分の両親や守役だった数人のウヴァロバイトを殺し、完全に姿をくらましたんだよな。
 …ある鍛冶職人に彼の羽を加工させて剣にしたまでは分かったんだがな。
 鍛冶職人が死体となっちゃ、次の目的地がどこだか皆目見当もつかん」
…しばらくして先ほどまでよりは多少明るい声の彼の言葉は、えらくとんでもないものだった。
いつも苦痛を受け入れる側だった彼女が、転じて苦痛を与える側となったのだ。
先ほど【ダインスレイヴ】は彼女で締めくくろうとしたと考えたが、あれは全くの見当違いだったのか?
・・・いや、彼曰く一族はもう彼女で最後のはずだそうだ。だとすると最後のために何かもっと別の事をしようとしているのか?
「恐らく今度が最後になる・・・長としては今度こそ事が起こる前に何とかしたいようだし、俺だってそうだ。
 これ以上死が続くと冗談抜きで【忌民】項目内に入れられかねん。
 …しかも、それがダインの所為って言うのがな・・・正直食い止めたいんだよ。俺としては。」

272二つの遺作・前編(7/10):2008/01/08(火) 20:49:23
「…親しい知り合いなんですか?」
「まあ行くとこまで行っちゃいないが、恋人同士ではあったな」
酷く懐かしそうな声で・・・えらくとんでもない事を聞いた気がする。
10年ほど前の話らしいから・・・彼の外観から考えると彼とダインではそれなりの年齢差があったはず・・・っていやそういう問題以前に・・・
「…………………………………………………………………………………はい?」
ええと・・・この人・・・男・・・だよな・・・?
先ほどまでとは何か雰囲気が妙になってきた・・・しんと、身じろぎの音すら響きそうな森の中、自分達は一体何の話をしている?
「いや別に男じゃダメってワケじゃないんだぜ?女でも普通にイケル口だしな。
 ただな…うちの村じゃ男も女もそう変わらない容姿をしててだな・・・
 それ位美形とか醜悪とかそういうのじゃなくてな…そうだな…分かりやすく言うと…女はどんなに胸が絶壁でも、
 見たら【この人は女性だ】と分かるものがほとんどだろう?
 その容姿や、雰囲気の差別化が皆無といっていいんだよな。
 勿論体の造りの違い云々はあるんだけどなぁ・・・どうなってんだかな」
「……………………………………………はあ………………………………………………」
心底がっくりしたと言わんばかりのため息が森に響く。

273二つの遺作・前編(8/10):2008/01/08(火) 20:50:02
「村の女ばっかり見てるとなぁ…人間の女っていいよなー可愛いようん。なんかさわさわしたりふにふにしたくなる。
 腰つきとかさぁ・・・がっしとじゃなくってすらぽちゃっとしてる感じがまたたまんないんだよなー。
 身体全体とかさぁあの雰囲気・・・あれだ。樫の樹とか鉱脈みたいな感じじゃなくて
 こう、もっと柔らかい、焼きたてのパンみたいな感じがなぁ・・・」
「…………………………………………………」
突然酔っ払いの寝言みたいなことを言い出した彼は、人間の女性がウヴァロバイトの女性よりいかに素晴らしくて、
そんな彼女らに言う願望をぐだぐだと半刻ほど連ね始めた
・・・僕らは一体、この暗い森の中で、一体何の話をしている?

**

「えーでもさー何か可愛い子とか見てたら思わね?こう頭なでなでとかぎゅーとかさぁ…」
彼は言ってる事が完全に酔っ払い親父になりきっていた。半刻前はあれほど重い話をしていたと言うのに
「正直・・・分からなくは無いですが、実際に見知らぬ子にやったら泣かれますし、あまりそういった方面には興味は・・・」
「・・・もしかして、あんた男方面オンリー?」
「いや何突飛な発想してんですかあんたどこぞのアハツィヒ・アイン崇拝者ですか
 第一そちらはもっと興味は無いですし女性に関してはもっと紳士的に」
「あー悪い悪い。冗談だって。てか……

 ……あんたには余裕が無かったはずよな。そこまで心理的に大らかになれるだけの」

274二つの遺作・前編(9/10):2008/01/08(火) 20:50:27
言葉は、唐突だった。

この男と話していると、本当に雰囲気の流転が激しい。
牧歌的(?)な一族の話から、血みどろの遺物の話、はてや酔っ払いの戯言、そして・・・
そこでやっと、私は疑問点に到達できた。そうだ。何故これを最初に疑問に思わなかったのだろう。
「・・・あの、これだけ色々な話をして頂けた事には非常に感謝してます。
 獣に襲われていたところの私を助けていただいたことも、今こうして食事に誘っていただいたことも。
 ですが・・・先ほどのダインスレイヴの件、あそこまで何故私に教えたんですか?一族の汚点である話ですよね?
 下手に知れ渡れば、先ほど仰っていた様に【忌民】の仲間入りは避けられませんよね?」
自分の間抜けさに、ほとほと嫌気が差す。
ここに来てやっと、私はこの男が恐ろしくなった。
そうだ。あんな話まで話す事はなかったはずだ。
起こってから何百年も経った事なら兎も角、聞けば10年も経っていない話だ。
そんな、本当に成功するかしないか分からない事を、何故私に話す?目的は?まさか・・・
「あの・・・重ね重ね言いますが、私はそっちのケはこれっぽっちも・・・」
「ああ。それは大丈夫。だってお前さん羽生えて無いし」
「そこですかい」
いや突っ込みを入れている場合ではない。ますます謎が増えていく。この男は一体なんだ?一体自分に何をさせようとしている?

275二つの遺作・前編(10/10):2008/01/08(火) 20:51:07
「俺の目的はな。本来ダインの遺産の捜索じゃなかった・・・あんたなんだよ。俺の本来の目的は
 街道であんたが騒ぎを起こしてたのは、幸運としか言いようが無い。まさか、あんな所で出会えるなんて思ってなかったからな。
 ついでに言うと、獣に襲われたとき助けたのは偶然じゃない。
 ・・・あんたに、話しとか無ければならないことがあった。今までの話と共に。」
私は余計に困惑し、恐怖が全身をうぞうぞと包むのを感じた。この場から今すぐ逃げたしたいと頭が叫びだすが、
目の前のウヴァロバイトは、私が手も足も出なかった獣を難なく屠り、今さっき食った夕飯にまでした猛者だ。逃げられるとは到底思えない。
困惑した私が次に聴いた言葉は、私を益々凍りつかせた。

「…我が父の呪いは酷いものだったようだな。あの様子だと」

(続)

276二つの遺作・前編・お詫び:2008/01/08(火) 20:56:42
>>267の7行目
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に?がれていたそうだ。)
になってますが
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に『も』がれていたそうだ。)
になります。漢字変換していたのですが反映されない字だったようです。申し訳ありません。

277二つの遺作・後編(0/20):2008/01/10(木) 01:25:54
・またの名をティルヴィングの事。そのまたの名を鳥使いの話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1158817867/38
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1152717733/265の続きになります。
・これに関する私の話は、この回で終了となります。
・なまえなんてかざりです。えらいひ(ry

278二つの遺作・後編(1/20):2008/01/10(木) 01:26:38


大魔女トルソニーミカは其を一瞥して言った。「これでは対価にはならないね」と。
自分の手を握る父の手から、しんしんと落胆と悲しみの情が伝わってくるのを感じたのが、
恐らく、覚えている限りの自分の最初の記憶だ。
父と魔女と自分。母はそこに居なかった。何故だろうと自分に問えば、
身体の奥から「母は別の父と一緒に暮らし、もう自分達とは会わないんだよ」との答えが返ってきた。

279二つの遺作・後編(2/20):2008/01/10(木) 01:26:59
其は薄い緑の光を発していた。魔術的な光なのかそれとも宝石の貴な光なのか、その光は様々な人間を魅了した。
幼い自分の目から見ても要領の良くない父は、事あるごとに其を奪われ・・・奪った人間を破滅させて、其は父の元に返ってきた。
ある男は火の不始末を起こし、自分の家を全焼するだけではなく、隣近所2件の家まで延焼させて、その責任を問われた。
ある女は其を別の人間に奪われそうになり、自慢の美しい顔に酷い傷を作った。
別の父は母との間の子は事故でかたわとなり、今まで居た村に住めなくなった。

其が帰ってくる時は、決まって父は暴力を振るわれた。
「あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ」と皆、口を揃えて言った。

不思議なことに、石のもたらす災厄は、人を殺すには至らないものだった。
しかし、生きている限り続く傷跡を、確実に残すものばかりだった。

280二つの遺作・後編(3/20):2008/01/10(木) 01:27:18
恐ろしくなった父は其を古物商に売り払った。
古物商はしばらくして、偽の遺物を金持ちで売った罪で捕まり、親切な役人が其を父に返してくれた。
父は借金をし、その対価に其を高利貸しに渡した。
高利貸しは、屋根の上から盗んだ物をばら撒くという変人な賊に襲われ、其は空から父の元に返ってきた。
世界のいやはてで大魔女トルソニーミカの住む庵にも行った。
しかし其は結局父の物のままだった。
(・・・よくよく考えると、父はよくこんな恐ろしい事をしたものだと思う。
 何らかの力が其に備わっているとはいえ、どう考えても其は呪われているとしか思えないのに)

281二つの遺作・後編(4/20):2008/01/10(木) 01:27:44
ある時父は言った。死ぬ時は、それと共に自分を燃やしてくれと。
これは血に添って伝えるべき遺物ではなく、今生で消し去るべき呪物なのだから
其を生み出したのは、自分であるが故に、おそらく其は死ぬまで自分から離れる事は無いのだと。
ティルヴィング・・・勝利と共に破滅を相手に贈る其は、名の通り父の手から離れるたびに、誰かに一瞬の栄誉と一生の破滅を贈っていった。
父以外の全ての人間――――それは、私自身も例外ではなかった。

私は誰よりも其を知っていた。其は父以外の全てに婀娜な視線を向け、牙を剥く物だと知っていた。
しかし年を取るにつれ、世界を見聞きするにつれ、子供の無邪気が薄らぐにつれ、それを欲する気持ちは抑えられなくなっていく。
父が何百回目かに、其を海に投げ捨てた時に、その抑えていた気持ちが爆発した。
高い崖の上からだった。下には岩が海からいくつも突き出していた。空は今にも雨を呼びたがっていた。
だけどあの瞬間――――雲からひと筋差し込んだ光が、其の緑の悲鳴を伝えた瞬間、


崖の上から、自分は其を手に取ろうと、身を躍らせた。

282二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:11

死んだはずだった。まず助からないはずだった。それを承知でやった。
しかし、自分は目を覚ました。海に突き出した岩の一つに、服が絡みついたという恐ろしい奇跡のお陰で
次にした事は、あの緑が何処に行ったのかを探す事。緑は自分の手の中にあった。

父の姿は、何処にもなかったことに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

283二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:59
そこからどう生きて帰ったのかは、よく覚えていない。
肉が岩にぶら下がっていると気づいた一羽の【鴉】(明らかに従来の【烏】の大きさの範疇を超えていた)が、
其と引き換えに自分を崖の上に連れて行ったはずだ。
其が手から離れていく時、一瞬悔いたが直ぐ気を取り直した。
其はまだ自分をどうしようと言う意思はない。あればあのまま自分は死んでいた。
そうでなかったという事は・・・其はまた、自分の元に戻ってくる。其れを確信できたからだ。

其が自分から去った瞬間、頭の中を駆け巡ったのは、疑問だった。
何故父が此処に居ないのか。父は何故石と共に、自分と共に崖から身を躍らせたのか。其は何故父ではなく自分を選んだのか。
分からない。分からない。わからない。
はっきりいえる事はただ一つ。結果的にかもしれない。故意ではなかった。けれども


自分が、父を殺したという事だ。

284二つの遺作・後編(7/20):2008/01/10(木) 01:29:39
思ったとおり、其は程なく自分の下に戻ってきた。
【鴉】はへしゃげ、あらぬ方向に羽を、足を曲げられた状態で、自分の下に文字通り「墜ちて来た」からだ。
普通なら死んでいるはずでも、細く息をしていたのは流石は魔女の使いといったところだったのだろうか。
其の為に自分が殺したモノは父だけで十二分だと感じた自分は、やれるだけの方法で【鴉】を介抱した。
お陰で魔女の手先として扱われ、行く先々で今まで味わったことの無い差別を受けることになったが
、父を殺した報いの一つだと思えば何でもなかった。
【鴉】の完治には2年掛かった。飛べるようになるまで1年掛かった。
飛び立つ時、カラスは何か言いたげに自分の顔をじっと見つめたが、やがて大空を気持ちよさそうに飛び立っていった。
…あの時
【鴉】は気づいていたのかもしれない。私が殺して欲しいと願っていたことに。
【鴉】は結局自分を殺さなかった。恐らく自分を傷つけた私だが、迫害の中守り、癒した事に恩を感じてくれたのか、
それとも気まぐれか、其が操ったのかはもう分からない。
ただ薬や食料を求めて、たまに村を町を、背に【鴉】をおぶった姿はかなり強烈だったらしく
【鴉】が居なくなった後も迫害は多少続いた。
(知らない町や村に行ってもいらん二つ名で呼ばれるくらいだ。)
しかし、そんな状況の中でも其は元気だった。【鴉】はそっちの方面では(特にインパクト的な面で)自分を守っていてくれたらしい。
どれだけ隠し持っていても其は必ず彼らの目に触れ、奪われては帰ってくるの繰り返しの日々が続いた。
父の時との違いは、帰って来る時にボロボロにされるのではなく、奪われるときに徹底的にボロボロにされる所だが。
(正直、生死の狭間を漂ったのは一度や二度ではない。)

285二つの遺作・後編(8/20):2008/01/10(木) 01:30:58
今日もそうだった。関所を通るために街道を渡る必要がどうしても出てきてしまい、
其はあいも変わらず通り過ぎる人々を、覆った布の下からチラチラと輝いて魅了する。
関所を無事超えられて安心した所で襲われたのは、最早運命という名のお約束としか言いようが無い。
・・・いや、正確には自業自得だ。分かっている。分かっているのだ。

其を、人々の目の前で落としてしまったのだ。
晴れた日の元で、それは外に出られた喜びから、燦然と輝きを放つ
そもそも落としたのはスリにぶつかられたからだった。財布は守れたが、
しかしもっともやってはいけない事を私は行ってしまった。
スリはすぐさま其を取ろうと地面に飛び掛った。
私は落とした其をすぐさま拾うと、今まで散々其狙いの人間達に鍛えられた自慢の足で逃げようとする。
しかし、スリはそこらのスリよりは上級のスリだったらしく、私を捕まえると其を奪おうと必死だ。
だが其処は関所の近く。騒ぎを聞きつけて関所の兵隊達が寄ってくる。助かったと思った。が、私の考えは甘かった。

286二つの遺作・後編(9/20):2008/01/10(木) 01:31:32

空から、彼らはやってきた。

黒い羽をはためかせ、【烏】達は其を奪おうと、団子になった私とスリに一斉に襲い掛かってきた。
どうやら其は地上だけでなく、空のモノ達も魅了するらしい。私は身を縮め必死に耐えたが、
私に馬乗りになったスリは、そのお陰で【烏】の一斉攻撃を受ける。

そうやっている内に、兵達がやってくる。どうやら前に助けた【鴉】とは違うらしい。
別の人間達がやってくる事に気づいた【烏】達は、悔しそうな声を上げて空に帰っていった。

身を縮めていた私は傷は多少で済んだが、スリの方は酷い有様だ。
うずくまったまま動かないスリに近づこうとしたとき、誰かが叫んだ。

魔男だ。魔男がいるぞ
かつて【鴉】を従えた者がここにいる。
口々に叫ばれて、それを聞いた兵達が険しい表情を見せて、誰がこれ以上其処を通っていられるだろうか。
しかし、森の中に姿を隠しても、【烏】に襲われたときの血の匂いが獣達を引き付ける。
それをあざ笑うかのように、其はぬとりとした湿った光を放った気がした。

287二つの遺作・後編(10/20):2008/01/10(木) 01:32:41


「俺の親父が死ぬ前、俺にある一つの約束をさせた…
『我が羽を追え。我の生涯の汚点を。
 あれはもう我では無くなったが、我との繋がりが完全に絶たれた訳ではない。
 …我が過ちを我の手で正せない我を、許してくれ』とな」
凍りついた私の前で、男の話は続く。
手の中で【ティルヴィング】が熱を持っていくのが分かる・・・いや、これは私の手の熱なのか?
「俺の親父の羽は、物心ついたときはまだ2つあった。それが片っぽなくなったのはそう・・・
 …俺の【滑空】の儀式の少し前だから、20年以上前になるはずだ。」
20年以上前となると、私がまだ母の腹の中に居た頃の話になる…まだ、誰もが幸せだった時代の話。
つまり、自分が生まれる頃には、呪いは既に始まっていたのだ。
男は今までと打って変わった、何の感情も見えない顔と声だった。
月は真夜中をとうに過ぎたと告げていた。森もすでに眠るように静まり返っている。
その中で、焚き火の明かりは、彼は、私は、まだ始まりに過ぎないと感じていた。
静かな声で、淡々と話は続いていく。
「ある時、父は背中に幾つもの矢で貫かれた姿で村に帰ってきた。三日三晩生死の境を彷徨い、
 この世に戻って来た時、自分で自分の羽を、祖父の羽から削り取った斧で叩き折った。
 正気を失ったのかと思ったよ…そこからまた命の境目を漂い、帰ってきた父は別人みたいになっていた。」
オン、オンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオン怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨
手に持っていた其から、音が私の体に響いて行く。ヒビいて、いく。
「体を動かしても大丈夫になった位に…父は羽をどこかへ持っていった。
 今考えると鍛冶職人のところか、自分でその剣を打ったみたいだがな。
 ・・・そして、あんたの親父さんの所に持っていった。」
「父を…知っているんですか?」
「・・・人の良さそうな人だった。誰かを傷つけるような事ができるようにはとても思えなかった。だから
 ・・・理解できなかったな。あれほど親父が憎悪の念を、送っていたのかが」
彼の父上には悪いが、自分もそう思う。
それ位、気が弱く、優しい父だった。
小さな幸せを求めていた。母と、私と、父の小さな家庭の幸福。
叶わないと知りながらも、父が求めていたのはそれだけだった。なのに。
「結局俺の親父と、あんたの親父の間に何があったのか、聞く事は叶わなかった。
 ただ、病に倒れて死ぬ直前まで『許してくれ』『あの剣で呪われるべきは自分だったのに』とずっとうわ言の様に言っていた。」
ふと、記憶の奥底で何かがうごめく。
父と逃げるように暮らしていた日々、売りに出しても戻ってくる【ティルヴィング】を見つめながら言っていた
『…そうか。分かったよ。やっと分かった。』と。
今思うと、あれからしばらく、父はその剣を捨てる事は無くなった。
だが、自業自得とはいえ、目の前に迫る呪いを受けた者達を、彼らからの報復を目の当たりにし、
父はまた剣を捨てる事を繰り返すようになったのだ。
「その呪いは【継続】である。長はそう言っていた。
 呪われた本人自身を【変質】させ、その存在を【断絶】する呪いではなく、
 呪った本人のその周りに不幸を招き、それを結果的に――あんたの親父さんに不幸を招かせる事と言うのが
 【ティルヴィング】の大まかな【呪い】らしい。最終的に、【ティルヴィング】の刃で自身の命を奪うまでに追い詰めることが。」
確かに、合致する点は幾つも当てはまる。父自身の不幸は間接的で、周りの人々しか知らないのだ。
【ティルヴィング】が直接どう作用して、不幸に墜ちたかは。
…『あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ』。恐らくそう言う事なのだ。

288二つの遺作・後編(11/20):2008/01/10(木) 01:33:04
「…何故それを、今私が持っていると思うんですか?」
しばらくの沈黙の内、私が訪ねた言葉には、何故か怯えが入っているように感じる。
至極真っ当な疑問のはずだ。今までの彼の話には、私がそれを持っていると言う証明が無いのだ。
なのに・・・何故こんなに怯えている?何を、そんなに、恐れて、いる?
「俺達は【亜人】だ。背に自分達の種族の証明を持つ。
 俺達が自らを数える時、一人、二人ではなく、一羽、二羽と数えるのは、それだけ翼を重要視している証だ。
 死が訪れても俺達は翼から逃れられない…【ウヴァロバイトの遺】がそれを証明している。
 …遠い昔、ある長が言った。『過ちに備えるために、翼を血で繋ごう』と。」
・・・翼を・・・血で繋ぐ?
「【ウヴァロバイトの遺】には2種類あるって言ったよな。片方は守護、片方はその真逆を司ると。
 俺達はそれ程数は多くない。だから、【ウヴァロバイトの遺】が生み出されると言う事は、俺達がこの世界に存在すると言うことを
 恒久的に証明する存在が誕生する事になる…その中で、守護と真逆の物が生み出されるって事は、死活問題なんだよ。
 俺達の種族の名が、世界に脅威として残るか否かを決定する。【忌民】の件もあるしな。
 …その為にその長はある掟と、一つの【魔術】を用意した。
 『もし血を連ねるものから【呪】が出た時、速やかに禍根を断つべし』と。
 血に連なる者が【遺】を遺した時、俺達はそれを何処に在るのかを探知する事の出来る【魔術】だ。
 ウヴァロバイトは一人残らずその【魔術】を刻み込まれ、血によってその術を繋いでいった。
 ただ、混血もあったようで、今の俺達が分かるのは祖父の代まで直接の血の繋がりの【遺】までなんだがな。」
つまり、この男には、もう分かっているのだ――――今この手に、其が握られている事が。

289二つの遺作・後編(12/20):2008/01/10(木) 01:33:27
「ただ今回の2つはやっかいでな…【ダインスレイフ】はダインの遺骸自体が其と化したお陰で、見つけようにも見つけづらい。
 …翼以外の部分が【遺】化するなんて前代未聞だからな。
 しかも今回は、守役だった彼の一族は…長の分家は【ダインスレイフ】に皆殺しにされたときてる。
 長達が古文書室引っくり返して、術の強化を思索しているが、間に合うかどうか正直危うい・・・そして」
真っ直ぐに目を見られた私は、まさしく蛇に睨まれた蛙だ。
「【ティルヴィング】はもっと不可解だった。何度も持ち主が目まぐるしく変わるのは理解できる。
 だがある時、【ティルヴィング】の存在が明らかに【消失】したんだよ。
 …俺はその時、てっきり間に合わなかったと思った。
 お前の親父さんに、とうとう【ティルヴィング】は親父の恨みを、役目を果たしたのだと。
 だから3年経ったある日、【ティルヴィング】の存在が復活したのには本気で驚いた。
 【ダインスレイフ】の事態も異常だったが、こちらも明らかに異常だ。
 しかも…今ここで【ティルヴィング】を握っているのは親父の知り合いではなく、その知り合いにそっくりな、息子らしき男ときてる」
そこでやっと、怯えの正体を、私は理解した。
――――懺悔を、恐れているのだ。自分の犯した罪を、ここで話さなければならないのだ。
彼に、伝えなければならないのだ。彼の父が一体、どんな【呪】を遺してしまったのかを。
沈黙は長いものだった。このまま夜が明けてくれればと、いっそこれが夢ならと思った。

290二つの遺作・後編(13/20):2008/01/10(木) 01:33:57
「父は・・・崖から落ちたんです…私を助けようとして…」
切れ切れになりながら、私はその物語を始めた。
終わった時、彼も私も傷つくのは避けられないだろう。理解はしていた。それでも
・・・話さずには、いられなかった。



話し終わった後の静寂は、たまらないものだった。
長い長い話の果て、精も魂も尽き果て、うなだれた私の頭に、大きな手が乗る。
無言で撫でられたその感触は、いつかの父の手を思い出させた。
分かっているはずだ。彼だって傷ついている。
恋人だった男は四肢を切り裂かれ、呪物となり
父の形見もまた、多くの人を傷つける存在となっていた。
悲しいのは私だけではない。私だけではないのだ・・・・
・・・それでも、涙は止まらなかった。

291二つの遺作・後編(14/20):2008/01/10(木) 01:34:15

まるで溺れて掴んだ藁のようにしていた其を、包んでいた布をゆっくり剥いで彼に見せる。
それは普通の剣よりは幾分か短めの造りだった。革ごしらえの鞘、所々金で飾られた柄、
鞘から抜いた透き通る緑の刃は、飾り物の剣のようにも思えるが、その鋭さは焚き火の元で見ても明らかだった。
剣の根に彫られた【ティルヴィング】の名を見て、彼はゴクリと喉を鳴らす。

「父上の名前だったんですね・・・【ティルヴィング】は」
「明るくて、豪快で、でも厳しくて・・・良い人だった。」

292二つの遺作・後編(15/20):2008/01/10(木) 01:34:47


「燃やすんですね…この剣も。」
「…形見の品だがな。【ウヴァロバイトの遺】は【人鉄】や【思念鋼】のような上等な品じゃない。
 彼らは過去、現在、未来を持つが、【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない…翼に込められた【想い】は、移り変わる事は決して無いんだ。
 呪物は呪物でしかなく、それ以外の何かに変わる事は、無い。」
そういって彼は、懐からいくつか色のついた粉の入った袋を取り出した。ぶつぶつと何か呪文を唱えながら、炎に粉を振りかけていく。
聞けば、清めの為の塩を中心とした、儀式用の貴品らしい。
普通の炎ではウヴァロバイトが燃える事は無いが、これらの組み合わせで、滓も残さずに燃やし尽くすことが出来るという。
色粉が燃えるたびに、炎の色はだんだんと白に近づいていく。
――――これで、全てが終わる。私は呪いから解放され、自由になるのだ。
そう。だからもっと明るい気持ちにならなければならないのだ・・・なのに、この不安は一体なんだ?
「あんたには本当に迷惑かけた…あんたの親父さんにも。」
そう言う彼の口調は優しい。だが私の頭の中に響くそれは、どんどん大きくなっていく
違う。そう、何かが違う。何かが決定的に間違っている。
彼が手を差し伸べる。剣を渡してもらうために。
白い炎は酷く美しい。その中で、彼の瞳が爛々と輝いている―――――――――彼らのように
叔父、叔母、あの日の【鴉】、これを・・・【ティルヴィング】を欲した者達のように
彼も魅了されたのか?この緑に。彼も彼らのようになるのか?自身を欲で滅ぼすことになるのか?

293二つの遺作・後編(16/20):2008/01/10(木) 01:35:11

「……………違う」
違う。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
思い出せ。本当に思い出せ。隅の隅まで、奥底の奥底まで。
彼らに何があったのか何処で知った?父は陰惨な事が起こっているのを、幼い私には知らせてなかったのでは?
父よりも先に知っていた事はなかったのか?あの【鴉】は自分の【何】を見ていた?
――――本当に自分は直接【ティルヴィング】の呪いを覗かなかったのか?
思い出せ、思い出せ。あの日あの家を燃やしたのは?彼女を襲ったのは?弟になるの子をかたわにしたのは?


あの緑は、何時から自分の全てとなっていた?

294二つの遺作・後編(17/20):2008/01/10(木) 01:35:33

剣が、自分の手から、離れる――――そう、それは間違いだ。それは、あってはならない事。
それは私のものなのだ。そうだ。父のものであったのなら、それは私に継がれなければならないのだ。
「よせ!」
彼が叫ぶ。知ったことではない。これはもう私のものなのだから。
かかって来るのなら斬れば良い。今までもそうしてきた。これからだってそうするだろう・・・【ティルヴィング】と共に在れるのなら。
彼が迫る。私は剣を鞘から引き抜く。
恐らく彼は強い。だが知ったことではない。最後に【ティルヴィング】と私が在れば良い。
焚き火の残り火がふっと消え去り、私は森の中を走る。ウヴァロバイトではあの大きな羽が災いして、ここではそう大きな動きは出来まい。
彼は恐らく空から来る降りてきた所を斬れば良い簡単だ簡単なことだ今までだって散々斬ってきたのだ男も女も子供もあの【鴉】だってそうだこれがあれば何でも出来る何も怖いことなどあるはずが無い怖くは無い決して怖くは無いのだそうだそうだ斬る斬るこれまでだってそれだけだったこれからだってそうなのだ
案の定空から降りてきたさあ斬れ斬ってしまえ糞糞糞糞この馬鹿力め森から空へ私を連れ出すだとだがこれだと私だけでは無いお前も満足に動けまい叩き落してやる私も落ちる?知ったことではない最後に私と【ティルヴィング】があればそれで良いのだその為に怪我など惜しまんよさあ墜ちろさっさと墜ちろ墜ちてしまえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
暴れる私の目に、彼が映る。何かを必死に耐える表情が見える。
かれはだれだ?そうだウヴァロバイトだ。けものにおそわれていたわたしをたすけじぶんのしゅぞくのことをはなしのろいのはなしをしそしてそしてそして




「………………………………………………やめろ!!もうやめてくれ!!あんたの息子なんだぞ!!
 俺や俺の親父への復讐だろうが!!そのために、自分の息子も死んだって構わないのか【ティルヴィング】!!」

295二つの遺作・後編(18/20):2008/01/10(木) 01:36:36

次に目が覚めた時、自分が涙を流していたことに気づく。
多分それは、何かが、自分の中から、永遠に失われたのを悟ったからだ。
自由になったというのに、この孤独は何だろう・・・晴れやかな気持ちだが、どこか寂しいと感じている。
明け切らぬ空の下、【ティルヴィング】は自分の近くに落ちていた。
しかし其はもう、自分の知っているあの、ぬとりとした輝きを放つことは無い。
「・・・予測してなかった情報が入って、【呪い】その物が自分を否定したみたいだな」
声は後ろからだった。振り返ると、彼は近くの岩に体をもたれる形で座っていた
腹部から、血を流して。
ぞっとして立ち上がろうとすると、その手がぬるりとしている事に気づく―――まさか
「結果的にそれで正しかったみたいだな・・・
 【息子】である俺を刺したと言う情報は、【ティルヴィング】にとって完全に計算外だったらしい・・・
【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない・・・その瞬間に翼に込められた憎悪、殺意、
 そういった中に、父性を司る何かが多分混っていて・・・」
「それは後で聞きます!!いいから喋らないで!!」

296二つの遺作・後編(19/20):2008/01/10(木) 01:36:56
まだそれ程時間は経っていないようだが、これ以上血を流すのは危険すぎる。
ウヴァロバイトの口癖は『翼に殺される』だ。このまま横たえて村まで医者を探しに行けば、
弛緩した彼の体から翼がもげてしまう方が早いかもしれない。
持っていた血止めの薬を塗りこみ、強く布で巻く。東の方から割合強く、飯を炊く匂いがする…人がいる。
空の上で暴れているときに、かなりの距離を移動していたのだ。好都合なことに。
「・・・こら。無茶するな・・・これ位寝てりゃ治る」
彼が弱く笑うのに気づく。思っていた以上に彼は重い。けれど、持てない重さではない。
「子供の言い訳じゃないんですから、そう言う馬鹿な事は言わないでください。
 助かりますよ・・・助けます・・・あの日の男も女も、戦士も、【鴉】だって死ななかったんだ。
 今度だって死にません・・・絶対に」
あの日に誓ったのだ。もう二度と、誰かが自分のせいで死ぬ事は、させてはならないと。

297二つの遺作・後編(20/20):2008/01/10(木) 01:37:15
「・・・肩だけでいい。まだ歩ける。」
彼が降りるそぶりを見せて、肩を貸す形になる。出発しようとして足に当たったそれに気づく―――【ティルヴィング】
全てはここから始まった。彼も私も。この遺作から始まったのだ。
彼に失礼だと思いつつ、鞘を足で蹴り上げて掴み取る。彼がぎょっとした表情をするが、私は「平気ですよ、もう」と言った。
これにはもう、何の力も無いのだから。

朝日が森から顔を出す。光が森を覆っていく。
一歩一歩、急く気持ちを抑えながら、確実に人のいる方へと歩いていく。
これ以上誰も死なせはしない。そんな事はあってはならないのだ。
彼だって、まだ二つの遺作の内、片方しかまだ手にしていない。そんな状態で死ぬのは・・・彼だって望んでいない。
その為にも、彼を助けなければならない。絶対に。

森を抜け、視界が広がる。
村はもう、目の前に在った。

298終わりに―ある鳥使いの話―:2008/01/10(木) 01:37:58
その男はこの世にまたと無い宝石や、秘薬を持っていた為に色んな人に狙われ、
たまりかねた彼は、【魔女】から条件付で、一羽の【鴉】を借りた。
条件とは、【鴉】を空に飛ばせないこと。必要以上に人里に降りない事。
空を飛ばない【鴉】に守役としての意味があるのかと男が問うと、魔女はあっけらかんと言った。
「背負ったらいいんじゃない?」
成程と思って男は背中に【鴉】を括り付けて、たまに町や村に姿を現した。
背中にくくりつけられた【鴉】はおとなしかった。普通の【鴉】とは思えない大きさや、たまに発するあの不気味な声は子供達を怖がらせたが、
それ以外に人に危害を加える様子は無い。
魔女からの契約とはいえ、あの鴉があんなに大人しいなんて、男はきっと【鴉】を魅了する薬か何かを使ったんだ
いいや、【鴉】をくくる紐に何か秘密があるんだ。いやいや、あの男自身も、【魔女】の血統か何か、【魔男】の類なんだと大人達は噂した。

何年かたち、【鴉】が契約を終え、彼の背中から姿を消した後も、【魔男】の類だ何だと言われる男の側には誰も近寄らない。
ただ、彼がこの世にまたとない【緑】の宝物を持っているという噂が広まると共に、彼を襲う人間がちらほらと出てきた。
もっとも、その全てが悉く酷い目にあったので、彼が【魔男】の類だと言う噂は益々広がり、
人々は恐れおののくと同時に、【魔男】の一人を討ち取って名を上げようという人間まで出てきた。
そんな日々にうんざりしたのか、男はある日、別の【鳥】を捕まえて、自分の側に置いた。
緑色の硬い羽を持つその【鳥】は【ウヴァロバイト】と呼ばれる【亜人】の類で、並の戦士なら易々と吹き飛ばす強さを持っていた。
これで襲われることは無いと安心した彼だが、どうもその直後に【緑】の宝物を何者かに盗まれたらしく、
それ以来、宝物狙いで彼を襲う人間は居なくなった。
彼はと言うと、元々自分のものだった宝物を奪われた事に腹を立て、
【鳥】と共に宝物の在り処を探しているらしい。


ちなみにこれ、そう何百年前の話じゃないから。ちょっと前に「彼」らしきのを見たよ。
何かガラの悪いのに絡まれてる女の子助けたりしてたなぁ。
【鳥】も見たよ。ガラ悪いの投げ飛ばしてたり、女の子見て鼻の下伸ばしてた。噂を知ってたら彼らに手を出そうとなんてしないんだけどなぁ。
彼らはこれから西に向かうらしい。めっぽう強い歌好きの鬼が、【緑】の宝物を持ってるらしくって、そいつが西の方に居るんだと
宝物がどんなのか見てみたい?止めときなって。この鬼は人の血と涙を見ることが趣味な食人鬼でさ、並みの奴だと食料にされちまうって話だよ?

299ロズロォの懺悔(15):2008/01/15(火) 01:17:11
 「……起きて良いぞ」
 数日後の深夜、冷たい灰色の石造りの壁の医務室で、私がそう声をかけると寝台に横たわっていた娘はムクリと上半身を起こす。それはさながら死者の蘇生のようにも、早すぎた埋葬よりの目覚めのようにも見えた。
「食料も持ってきた」
 そう言ってスープの器とパンを差し出すと、娘は私からひったくるようにしてそれらを受け取り、そして飢えた獣のような勢いで食事を平らげた。
「全く、昼間はずっと寝てるのにすごい食欲だな」
 私が皮肉混じりに言うと、「案外体力使うんだよ」と娘は答えた。
「ずっと身体を動かさないでいるのって疲れるし、お腹も減るんだよ」
「そういうものなのか?」
 多分、彼女の言う通りなのだろう。
 結局、他の囚人に怪しまれるといけない、という理由で、私が彼女の元を訪れるのはいつも決まって深夜になってからだった。だからそれまで彼女はこの医務室の寝台の上で死んだように身動き一つせずに仮死状態を装ってずっと横たわっているのだ。多分、私が居ない時に牢役人が監視に来ることもあるだろうが、彼らにも気付かれじまいのまま今日までやり過ごしているということになる。大した役者だ、と私は改めて彼女に舌を巻く。
「それより先生……」彼女は俯きながら言う。「また『実験』をしたんだね」
「あぁ」
 その日の晩も私は所長の用意した被験者の娘を一人、『実験』で殺していた。『実験』は成功の目処が立っていたが、やはり麻酔としての【草】なしに被験者を施術の最期まで生き延びさせるのは難しかった。
「分かるものなのか?」
「匂いと雰囲気でね……ずっと戦場を逃げていたから、他人を殺したばかりの人はなんとなく分かるんだよ」
「牢名主と同じことを言うんだな?」
 私の言葉に「誰それ?」と娘が聞いてきたので、「いや……」と私ははぐらかした。
 どうせ説明したところで分かるわけは無いし、おそらく二人は永遠に顔を合わせる機会など無いのだろうから……。
「……それで、私もいつかは先生の『被験者』になるんだ?」
 娘は俯いて静かな口調で言った。
「いや、それは……」
 しかし私は否定の言葉を言い切れない。
 娘の言葉は事実だ。私が娘をこのような形で保護することが出来るのも、いつか彼女を被験者として使うことが前提であり、いつまでも生き延びさせることや、彼女を解放してやることなど出切るわけは無い。所詮、私は罪人の医師(ロズロォ)なのだ。
「……」
 私は言葉に詰まり、彼女と同じように俯いて囚人棟より遥かにマシとは言え、やはり薄汚れている床を見た。
 二人の間にどうしようもない沈黙の空気が漂う。

300ロズロォの懺悔(16):2008/01/15(火) 01:18:05
「いいよ、先生にだったら」
 沈黙を破るようにして言った娘の言葉に、私はハッと顔を上げる。そこには娘の笑顔があった。
「ここに連れてこられた時から、生きて帰れるとは思ってなかったから……どうせ殺されるんだったら……私を助けてくれた先生に殺されるならいいよ、諦める」
 そう言った、その笑顔には歳相応の無邪気さと、そして歳に似合わぬ諦観があり……
「そんなことを言うな!」
 だから私は思わず彼女を叱責していた。しかし、それは、これ以上にないぐらいに無責任な叱責だった。私に彼女が救えない以上、彼女にそれ以外のどんな結末が待っていると言うのだろう?
「……済まなかった」
 私は言ったが、私の言葉をどのように解釈したのか「ううん、良いんだ、先生の言う通りだよね。最期まで諦めちゃ駄目だよね」と娘は明るい声で、精一杯作っているのだと鈍い私にも分かる明るい声で言った。
「そうだ、諦めるな。人生は最後まで分からない」
 かつて教会の神父は私に「嘘は大罪の一つだ」と説いたが、その言葉が正しいのならば、その時の私は、死ねば地獄より他に行く所の無い、否、地獄すら受け入れてくれるのかが怪しい大罪人だった。
「でも……あたしは諦める以前の問題で、罰が欲しかったんだ」
 彼女は声を落として言った。
「罰だって?」
 私が聞くと、「そう、罰」と娘は言う。
「取り返しのつかない罪に対する罰……あの世に行ってからじゃなくて今それが欲しかったんだ」
「……どういうことなんだ?」
 おそらくそれは聞いても意味の無いことのはずだったが、私は身を乗り出して聞いていた。娘はそんな私の目をジッと覗き込むようにして見つめていたが、やがてプッと噴出した。
「先生ってやっぱり不思議な人だね」
「……そうなのか?」
 私には私が何者なのか既に分からなくなっていた。だから、娘がそれを教えてくれるかもしれないと思い、一縷の望みとばかりに彼女の方にさらに身を乗り出す。
「うん、おかしな人」
 そう言って彼女は唐突に私の頭を掴み、そして優しくその胸に抱いた。
 私は……それを拒まなかった。
 私の耳元に彼女の心臓の鼓動と、突然のことに、そして久々の女性の柔肌の感触に激しく波打つ私の心臓の鼓動が交互に響きあうのが聞こえる。
「あんな残酷なことが出来るのに、あたしには優しくしてくれる。暖かくしてくれる。怖い人のはずなのに先生と居ると落ち着く……」
「買い被らないでくれ!」
 私は彼女の胸元から頭を離し、彼女から視線を切り離すようにして逸らし、叫ぶようにして言った。

301ロズロォの懺悔(17):2008/01/15(火) 01:19:03
「私は、無辜で無抵抗の娘達を切り刻んで悦ぶ悪党だ!、鬼畜だ!、罪深い人間だ!。君が思ってくれるような善良な人間じゃないんだ!。罪人なんだよ!。今や本当の意味で罪深い罪人なんだよ!。だから……」
 ……優しくしないでくれ
 言いたいのはそれだけのことなのに、なのに私にはその言葉が言えない。
 望んでいる、渇望しているのに、喉まで出掛かっているのに私にはその言葉が言えない。
 それを言ってしまったら、何かが本当に終わってしまいそうで、私にはその言葉が言えない。
 ……私は!、私は?、私は!!
「罪深いのはあたしも同じだよ」
 その私に囁くように彼女は言う。私は彼女の言葉にそっと背後を振り向く。間近に彼女の顔があった。
「私ね、お母さんも、お姉ちゃんも弟も、みんな見殺しにしたんだ。あたしが今生きているのはそのおかげ」
「だが……それは戦争で……」
 私が言うと彼女は首を横に振って言った。
「無力な事だって、無知な事だって、運の悪い事だって結局は罪は罪なんだよ」
「でも、それは……」
 私は彼女の言葉を否定しようとする。
 しかし結局そこに続ける言葉を思いつくことが出来ずに言葉に詰まり、結局私は何も言えなかった。
 黙っている私の傍で、彼女は言葉を続ける。
「お母さんは草の民の軍隊があたし達の街を襲った時に、あたし達姉弟を隠していて、自分が隠れる暇が無くて死んだんだ……あたしに出来たのはお母さんが兵隊に嬲られるように切り刻まれるのを物陰に隠れて、怯えながら見ている事だけだった」
「……」
「お父さんはその頃とっくに戦争で死んでいたから、お母さんが死んで、お姉ちゃんとあたし達、戦争から逃げるため、住んでた街から逃げ出したんだ。でも、逃げている間に、飢えで弟は死んじゃって……弟は、ずっと『お腹減った』と言ってたんだけど、結局、あたし何も出来なかった。出来たのは倒れて動けなくなった弟を最期まで見守ってあげることだけだった」
 前線が悲惨なことになっている、というのは街に居た時に私も耳にしていたことだったが、ここまで酷かったというのは初耳だった。
「それで、結局、あの街、フォリカに落ち着いて、あたしを養うために色々と仕事を探してくれたんだけど、結局女手を必要とする仕事ってなかなか無くて……あっても、身元の知れない難民なんて雇ってくれる所なんて無くて……それで、あたし達、その日のパンも買えないぐらいに困窮していって、お姉ちゃん、とうとうその手の元締めに頼み込んで街頭に立つことになったんだ」
 「街頭に立つ」という言葉が街娼、所謂低級娼婦になることだという意味の言葉だということぐらいは世間に疎い私でも知っている。
「『これからはもっと良い暮らしをさせてあげられるかもしれないからね』とお姉ちゃん言ってた。けれど、結局そうはならなかった。お姉ちゃん、翌日の朝に冷たくなって帰って来たんだ」
 そう言った娘の頬を一筋の涙が伝うのを私は見てしまった。努めて明るく振舞っている彼女にとって、それがどれだけ彼女の心の傷になっているかは察して知るべきことだった。
「観てたお姉ちゃんの『同僚』の人が言ってた。沢山の傭兵達が一度にお姉ちゃんのお客になろうとして、お姉ちゃん抵抗したんだけど、変な【草】みたいなもの飲まされてぐったりして、そのまま傭兵達に良いように弄ばれてそのまま動かなくなったって」
 「人形作り」だ、と私は悟る。あの【草】は服用後、全身の神経を一時的に弛緩させるのだ。
 ……それじゃ、彼女のお姉さんは、私が作った「人形作り」で死んだのかもしれないじゃないか……

302ロズロォの懺悔(18):2008/01/15(火) 01:19:55
 そう悟った時、私の中で何かが崩れた。
 顔から血の気が引き、心臓の鼓動が急激に早くなり、額をとめどない汗が流れて落ちる。
 握った拳の指と指の間から漏れた汗が拳を、そして腕を伝って地面に落ちる。
 口の中がカラカラに乾き、それでも無理矢理搾り出して飲み込んだ唾が喉を伝っていくのが自分でも分かる。
「……許してくれ!」
 私は、喉の奥から搾り取ったような掠れた声で彼女に言い、跪いて彼女に頭を下げていた。
 私は……今になってやっと分かったのだ。私がここに居るのは、あのおぞましい実験に従事させられているのは、世の中に疎かったからでもなく、運が悪かったからでも、力が無かったからでもなかった。私は、罪悪感を感じることも無く罪を犯していた、ただそれだけのことだったのだ。
「先生、どうして謝るの?」
「私は……私は……私は……」
 君のお姉さんが死ぬ原因になった【草】は私が作ったものなのかもしれないんだ。
 言ってしまえば楽になれるのかもしれないのに、私には何故かそれが口に出来ない。
 何故なのだろう……いくら考えても私には分からなかった。
「許してくれ……」
 だから私は謝り続ける。
 取り返しがつかないことなど分かっている。
 謝ったところで単なる自己満足にしかならないことも分かっている。
 けれど、今の私にはそうすることしか出来ないのだ。
「先生?」
「許してくれ!」
 今度は私が泣き出す番だった。
 罪悪感と悲しさと、そして罪に気付かなかった自分勝手さと愚かさに無性に腹が立って、私は涙を流し続けた。
 心の痛さを久しぶりに、いや、おそらく本当の意味で初めて知った瞬間だった。
 娘は寝台から立ち上がり、私の前に座り込むと優しく、そして力強く私の肩を抱いて言った。
「許すよ、先生」
「……」
「世界の誰もが先生を許してくれなくても、先生がどんな悪人でも、神様が許してくれなくてもあたしが先生を許すよ」
「君は分かっているのか?私は……」
「辛いこと、言わなくても良いよ」
 そう言われて、私の頬を新しい涙が伝って落ちた。
 それは悲しいからでもなく、怒りから来るものでもなく、ただ嬉しいからだった。
 ……嬉しくても人は泣けるのか
 私は、ようやくそんな当たり前の事に気付き、感情の赴くままに涙を流し続けた。
 そんな私の背中を彼女は優しく、まるで母親が子供にそうするように撫でてくれた。

303ロズロォの懺悔(19):2008/02/02(土) 03:12:25
 「それで先生、彼女の容態はどうなのです?」
 それから数日して所長室に呼び出された私が開口一番所長に聞かれた言葉がそれだった。
「だいぶ良くなってきたようです。意識を取り戻すときもあります」
 私はなるべく所長から視線を逸らさないようにしてそう答えた。視線を逸らす場合は大半嘘をついている、という医師(ロズロォ)時代の経験からだった。嘘を吐くのに、ましてやこの所長のような人間に嘘を吐くのならば徹底したほうが良い。人生の経験だ。
「それは良かった」
 所長は目元に笑みを浮かべて言う。
 その、一瞬でも気を許してしまいそうになる笑みが今の私には何よりも恐ろしいものだった。
 次の瞬間には、一体彼の口から、いかなる本人が自覚していない悪意の台詞が紡ぎだされるというのか?。私は心の中で思わず身構えた。
「それでは彼女もそろそろ『被験体』として使えるということでしょうかね?」
 そして彼の口から発せられた言葉は、何より恐れていた一言だった。
「それは……」
 私は言い澱むが、その間にも所長は「実はまずいことになりましてね」と話を続ける。
「『被験者』の回収が思ったよりもフォリカで問題になってしまったのですよ。『娘攫い』の噂が立って、夜半にあまり人がうろつかなくなってしまったのです。おまけに部下の一人が『被験者』の回収中に姿を見られてしまいましてね、昼にフォリカの行政府から詰問の使者が来ました。上手く誤魔化しましたが、これからは『被験者』を集めるのは以前より難しくなるでしょうね」
「……」
「それでも『実験』は続けなければならないのですよ。この実験のために随分と多くの命が散りましたからね。彼女達のためにも、先生も今更中止には出来ないでしょう?」
 まるで『実験』を中止することが悪だとも言わんばかりに彼は言ってくる。
 私は黙った。元より反論する権利など私にあるわけがない。
「次の『実験』は彼女が目を覚まし次第ということになりますが、そうこうしている間にフォリカの行政府からの査察が入る可能性もあります。この国ではありがちな話ですがね、彼らと私達とでは『上』が違うのですよ」
 『上』が違う、というのは管轄しているのが地方領主か、中央政府、つまり帝国本体かということだ。
 この国、北方帝国は基本的に地方領主の寄り所帯で、中央政府の権限が常に地方領主より上回るとは限らない。中央政府としても管轄のことで地方領主と揉めたいと思わないのが本音だ。そのため、どこか中央政府の施政が地方領主に対して引け腰なのは否めないところだった。
「我々は帝国の管轄化にある組織です。もしフォリカの行政府の査察が入って、彼女が見つかるようなことになれば問題になりかねない。そうなる前に証拠は隠滅しなければならない。ご懸命な先生ならば、我々の事情も察してくださるでしょう?」
「隠滅ですって?。それはつまり……」
 所長は何も答えない。言うまでもない、ということだろうか?。だが、言わんとしていることは分かる。所長にとって彼女の存在など、物と変わらないのだ。
「待ってください。そんな……」
「1週間待ちましょう」所長は静かに宣告する。「フォリカの行政府から査察の使者団が来るとすれば、だいたいそのぐらいです。1週間彼女の容態を見て、回復しないならば彼女は処分します」
「そして回復したならば彼女を『被験者』として実験を行うわけですね」
 「その通りです」と所長はにこやかに答えた。
「もしフォリカの行政府に今回の実験の件が分かれば私も、そして貴方もただでは済まされない。私は責任を取って中央政府に更迭されるだけで済むでしょうが、貴方の場合は……」
 私の頭を不吉な未来が過ぎる。
 「殺人医師(ロズロォ)」と群集に罵られながら刑場まで引き立てられ、そして処刑吏に苦しませられながら縊り殺される自分の姿だ。
 滑稽かもしれないが、私はこの期に及んで自分の身が可愛かった。折角生きながらえた自分の命を、できれば明日へ明日へと延ばしたかったのだ。
 自分が罪深いことは既に知っている。
 全ての者にとって許されざる者であることも分かっている。
 私が生きながらえることよりも、死んだ方が喜ぶ者が多いことも、頭のどこかで分かっている。
「分かりました……それまでに最善の手を尽くします」
 そう答えてしまった私を、私は憎んだ。自分に憎まれ、そして見捨てられたものにいかなる生の権利があるというのか?。
 それでも、尚、私は生きたかった。

304ロズロォの懺悔(20):2008/02/02(土) 03:13:21
 「随分と顔色が悪いな、医師(ロズロォ)さんよ」
 こっそりと囚人棟に戻った私は、突然暗闇からかけられた声に思わず身を竦めた。
 暗闇の中、突然蝋燭の灯がともり、牢名主の顔が姿を現す。嘲笑に似た笑みに口元を歪め、笑顔に緩めたその顔の中でその目だけは相変わらず微塵も笑っていない。どうすれば、どのような人生を歩めばそのような顔になれるのか?。そう疑問を抱かずにはいられない顔だ。
「えぇ、ちょっとありましてね……」
「こんな夜更けに囚人棟を抜け出して何の用だったんだ?」
 ゾクリ、と、牢名主の言葉に心臓が氷で掴まれたような悪寒を感じた。私は用心深く、全員が寝静まっていることを確認してこの囚人棟を抜けていたはずだ。だが、実際にはこの通り、囚人棟を抜け出したことを知られていた……
 ……危険だ、彼に真実の一片でも悟られるのは危険だ
 私の中で、私の勘が危険の兆候を告げる警鐘を鳴らしていた。
「いえ、牢獄への来客の方に急患がありまして。それで牢役人に呼ばれまして」
 バレてくれるな、と私はありったけの神に祈りながら嘘を吐く。
 フン、と鼻を鳴らして牢名主は言った。
「それでそのお客様は死んだわけだ」
「それは……」
「おまけに血が飛び散る大手術だったようだな?」
「……」
「しかもそのお客様は女だったわけだ」
 心臓が早鐘の様に鳴り、私には何も答えられない。
 何かを言い繕わねば、と私は思うが、真っ白になった私の頭は何も良い言葉を思いついてくれない。
「知らなかったぜ、この牢獄にはそんなに頻繁に女の客が訪れて、しかもそんなに頻繁に血が飛び散るような手術が必要な急患になって、しかも必ず死ぬわけだ」
「知って……いたのですか?」
 冷静であれば、迂闊、としか言いようの無い、全てを肯定してしまう台詞を私は口にした。
 その言葉に、「あぁ、知っていたさ」口元をさらに歪め、牢名主は言った。
「あんたが頻繁に囚人棟を抜け出して、牢役人に連れて行かれていることを、だいぶ前から知ってたさ。おまけに返って来る度に血の匂いをさせていて、人を殺した雰囲気を漂わせている……普通に考えりゃ、あんたは役人に連れて行かれてそこで人殺しをしている、ということになるな」
「……」
 私は絶句する。
 彼の考えは決して間違えているわけではない。殺意があって殺人を犯しているわけではない、とは言え、私が人を殺しているという事実は変わりが無いのだ。
「何故、分かるか?って顔してるな。分かるさ、俺も『ロズロォ』だったからな」
「貴方が?」
 彼の言葉に私は驚く。凡そ医師(ロズロォ)と程遠い雰囲気のこの男が医師だったとは……
「まぁ、もっとも俺は、あんたとは違う意味の『ロズロォ』だがな」
「……?」
 首を傾げる私に、ふ、と鼻で笑いながら視線を逸らし、「督戦兵だったんだよ、俺は」と彼は答えた。

305ロズロォの懺悔(21):2008/02/02(土) 03:14:05
 草の民との戦争末期の話だ。
 戦争初期において名戦術家であった当時の皇帝パトゥーサが敗死した時点で予想はついていたとはいえ、傭兵を主体とした北方帝国の軍隊は各地で敗走を続けた。
 その敗走は、戦って負けるという問題ではなく、傭兵達が草の民の軍隊の姿を見ただけで先を争って逃げ出し戦闘にすらならない、という有様だった。
 状況を重く見た軍上層部はある一つの選択を迫られることになった。
 戦線を離脱しようとする逃亡兵を処刑することにより、彼らを戦場に縛り付けるための部隊、すなわち督戦隊の創設である。
 彼らは正規軍人や傭兵達の中でも戦闘技術に卓越した者から選ばれ、そして常に黒い鎧と仮面、そして帽子に身を包み、容赦なく逃亡兵を、まるで狩りで獲物を狩るかのように狩っていった。その行動に容赦はなかった。
 またその一方で、その頃戦線では物資が不足しており、医薬品も例外ではなく、医師達は負傷兵の治療すら満足に行えない状態で、彼らに出来ることは医療所に運ばれてくる負傷兵を見殺しにするか安楽死させることだけだった。
 傭兵達は「戦場に残って負傷して医者に殺されるのも、戦場から逃げて督戦兵に殺されるのも同じことだ」と言う意味で、何時の頃からか、督戦兵のことを、死を呼ぶ医者、という意味で『ロズロォ』と呼ぶようになった。

306ロズロォの懺悔(22):2008/02/02(土) 03:19:57
 「……戦場では敵も殺したが、味方も随分と殺した。場合によっては、もう助からない民間人を楽にしてやるために殺した。男も、女も、老人も、場合によっては子供も殺した。だからだな、血の匂いと、人を殺した奴の雰囲気は敏感に察知できるようになった」
 だからなのか、と私は悟る。
 彼から幾ら話を聞こうと、彼が体験してきた全てを知ることはできないだろう。だが、彼が経験してきたのが正に『地獄』だったのだろうことは私にも分かることだ。
 そして、あの娘も同じような『地獄』を経験してきたのだ。
「何故、督戦兵になったのですか?」
 私は思わず、どうせ答えてくれるわけはない、愚にもつかない質問をしてしまう。
 だが、彼は「金だよ」と私の質問に答えてくれた。
「当時の俺は金が必要だった。病弱な妻と幼い子供がいたからな。二人を養うための金が欲しいから俺は傭兵になり、そしてもっと金が貰えるというから督戦兵になった」
 同じだ、と私は思った。
 私も自分の家族を養う金が欲しくて【草】作りに手を出し、もっと金になるから、という理由でここに投獄されるような禁制品の【草】作りに手を染めた。
 だが、彼と私では一つだけ違う点があった。
「金になるのだったら俺は悪魔にだってキュトスの魔女どもにだって俺は命を売っただろうよ。そのことに恐怖も感じなかったし、後悔もしなかった。戦場で、かつての仲間を、そして俺と同じ立場の傭兵達を殺す度に心が軋んだ音をたてることにだって俺は耐えた。仮面越しに同じ仲間のはずの傭兵達から、恨嵯と恐怖と軽蔑の目で見られる度に、悲鳴をあげる自分の心も俺は押さえつけた。自分の非道な行為に捨てたはずの良心が自分を苛むのも、戦場に出回っていた【草】で無理矢理押さえつけた」
「……」
「俺には続けるしか無かった。俺には守るべき家族がいて、俺が手を汚すことで家族が生きていけるなら、その罰が地獄に落ちることでも、戦線が本当に崩れたときにどさくさに紛れて他の傭兵達から袋叩きにあって殺されることでも構わなかった。だが、罰は全く予想外の形で俺に落ちた」
 囚人棟のどこかから吹き込んだ隙間風に吹かれて、蝋燭の炎がゆらぎ、牢名主の顔の影が変わった。
「戦争が終り、俺は急いで家族のもとに向かった。身も心もボロボロだったが、家族が生きててさえくれれば、俺はどうでも良かった。たとえ、二人の顔を見た瞬間に命が尽きても、俺は神も運命も恨まないつもりだった。けれど、俺を待っていたのは死んだ子供の墓と、【草】で廃人同然になった女房だった」
「何が……あったのです?」
 私が聞くと、フンと鼻を鳴らし、「給料が支払われなかったからさ」と牢名主は答えた。
「俺が文字通り身も心も削って傭兵として働いた分の給金は、一銭たりとも支払われなかったんだよ。だから、子供は栄養失調で死んで、女房は罪悪感のあまりに心を病んで【草】に走った。子供を養うために街頭に立つような真似もしたのに、そんなことになったんじゃ【草】に逃げたくもなるわな。よくある話だ」
 よくある話、と鼻で嗤う様な口調で言いながらも、その声にはわずかなりとも怒気が篭っていた。
 もう一度牢の中に隙間風が吹き、一瞬だが闇の中に牢名主の顔が浮かび上がる。
 表情こそ笑顔だったが、その目は微塵も笑っておらず、鋭いまでの殺意の光が篭っていた。そして、もし、蝋燭の明かりがもっと明るければ、彼の手が抑え切れない感情のあまりに震えているのも私には見えたはずだ。
 ……この国、北方諸侯による連合帝国の政府が彼らに支払うべき給料を反故にしたからですよ……結果、彼らは各地で暴動や略奪を行い、憲兵や地方軍隊、そして中央政府から派遣された軍隊に逮捕された……
 私は所長の言葉を思い出す。
 あの時は、まだ他人事だったその言葉が現実の重さを携えて私の目の前にあった。

307ロズロォの懺悔(23):2008/02/02(土) 03:21:54
「政府には窮状を訴えなかったのですか?」
 私の問いに「そんなことはすぐにやったよ」と彼は答える。
「すぐに俺は政庁に訴えでたさ。しかし、役人共は俺のような見すぼらしい傭兵崩れには会おうともしなかった。それでも俺は何度も何度も政庁に足を運んだ。そして、ようやく役人に会えたと思ったら、彼が答えた言葉は『北方諸侯による連合帝国政府は今回の戦争費用に対して徳政令を発布し、一切の借財の返還を行わない』というものだった。お人よしの俺は、騙されて、裏切られて、そして徒に手を汚しただけだったんだよ」
「……」
「女房が死んだのはその晩だった。俺は何も出来なかった自分と、約束を反故にした政府に対して怒り、頭に血が上り、気付いてみれば……」
 政庁の建物に火をつけていた、と彼は言った。
 それはこの国では立派な反逆罪、そして扇動罪だ。この国では反逆罪と扇動罪に対する刑罰は漏れなく死刑と決まっている。
 しかし……
「俺はすぐに衛兵に逮捕され、投獄されて裁判を待つ身になった。死罪は覚悟していたし、望むところだった。神だって、せめてあの世で家族にもう一度会わせてくれるぐらいのことをしてくれるだろう、そう考えていた。その後だったら地獄行きだろうが、なんだろうが構わなかった。でも、そうはならなかった」
「代わりに終身刑でこの牢獄に投獄されたわけですね」
 「あぁ」と彼は頷く。
 突然吹いた強い風が、囚人棟の壁に当たり、大きな音を立てた。その音のおかげで、その後の沈黙が先程よりもずっと深く、まとわりつくような沈黙に感じられる。
「あの世で女房や子供にすら会う機会すら奪われた俺は長いこと抜け殻のように服役していた。もう、何もかもどうでも良かった。だが、その態度と、『ロズロォ』だった時に染み付いた独特な気配と雰囲気、つまり染み付いた血の匂いの濃さと、戦場から抜けても尚身体から離れない死のにおいのおかげだろうな、気が付けば俺はここで牢名主になっていた。そして……」
 ギロリと鋭い目で彼は私を睨む。その顔には最早笑顔は浮かんでいない。
「そして、お前が来た。【草】作りの罪で投獄された囚人と聞いて、俺は最初お前を問答無用で殺すつもりだった。死んだ女房と子供へのせめてもの手向けにとな」
 もはや殺意と憎悪を隠していないその声と顔に、私は恐怖を感じて思わず一歩後ろに下がる。
「あんたが作った【草】で女房が死んだのかどうか、なんてどうでも良かった。【草】作りの医師(ロズロォ)を、その犯した罪を懺悔させながら無残に殺すことが出来れば、それで少しは気が晴れると、そう思ったんだ」
 しかし、あの時私は殺されずに、今もこうして生きている……
 額を伝う汗と、乾いた喉を落ちていく唾を感じながら、「何故、私を殺さなかったのです?」と私は聞いた。
「お前があまりに間抜け面をしていたからだよ」彼は嗤うようにして言った。「何故自分がここに送られてきたのか分からない、そんなキョトンとした顔をしていたからだよ。それを見て俺は、これでは復讐にならない、と思ったのさ。多分、あの囚人のように殴り殺しても、自分に何が起きたのか分からないうちに死ぬだけだろう、楽にしてやるだけだろう、そう思ったのさ。だから、止めた」
「……」
「だが、諦めたわけじゃなかった。何度かカマはかけたのさ、『【草】を作れるか?』と聞いたのもそのうちの一つだ。もし、しゃあしゃあと『作れる』と答えたら、俺はその場でお前を殺すつもりだった」
 正直者が救われるというのはあながち嘘ではないらしい。
 もっとも、そこで救われたことで私はあの悪魔のような実験に手を染めるようになったわけだが……

308ロズロォの懺悔(24):2008/02/02(土) 03:22:42
「そしてその晩からお前は牢役人に連れ出されるようになった。その行き先は役人棟だ。しかも、それからすぐに毎晩のように血と女の死の匂いを漂わせて帰って来る様になった。それも一日や二日じゃない、何日もだ」
「なぜ私の行き先が分かったんですか?」
 私は聞いた。役人棟の場所はこの囚人棟からは見えない場所にあるはずだ。なのに、何故私が役人棟にいったことを知っているのだろう?。
 彼は口元を歪めると、胸元から小さな鏡を取り出し、そして立ち上がると窓から他の囚人棟に対して蝋燭の光を反射させて見せた。その光に応えるようにして他の囚人棟のある位置から光が返ってくる。
「役人やお前達が思う以上に各囚人棟の牢名主は常に連絡を取り合っているんだよ。まぁ、知っているのは一部の人間だけだからな。おまけにここには役人の息のかかった奴もいるからな。それが誰かも知ってはいるんだが、逆に利用することを考えてわざと泳がせている」
 彼は鏡を胸元に戻し、椅子に座ると、「さて、医師(ロズロォ)さんよ」と私に向き直って聞いてきた。
「あんたは、役人の所で毎晩何をしていたんだ?」
「私は……」
 私が口ごもっていると、「答えな医師(ロズロォ)!」と突然どすの利いた声で彼は言ってきた。
「どうせ俺達に関係することなんだろう?。だったら俺にも聞く権利がある。言っておくが、見え透いた嘘を言ったりしたら、この場で叩き殺すからそのつもりで答えろ!」
 その気配に、私はおののいた。彼が本気で言っていることに気付いたのだ。
 私は今までにあったことを、所長に【草】の精製の代わりに囚人達に施術を行うことを提案してしまったことを、その日から役人達が被験者の娘達を攫ってきて、私は彼女達に『実験』を行っていたことを、そして草の民の娘に会ったことを、一週間以内に彼女に『実験』を行わねばならないことを、全て喋った。
 だが、それは決して牢名主に恐怖を感じたからだけではない。私は……彼女を救う一縷の望みを彼に求めたのだ。
「ふん、あの所長が飛びつきそうなことだな」
 私の言葉に、嗤うようにして牢名主が鼻を鳴らした。
「それで、お前は自分で庇護している娘を、命惜しさに売り飛ばしたわけだ。随分と生き意地が汚いんだな」
「……」
 私は何も答えられない。それは真実だからだ。でも……
「それで、お前はどうしたいんだ?。所長の言うことを聞いて彼女を殺すのか?」
「私は……」
 そう答えてから、私は暫くの間を置き、つい先程の出来事を語った。

309ロズロォの懺悔(25):2008/02/02(土) 03:23:59
 暗い医務室の中、私は俯いて娘が、私の持ってきた食料を貪るように食べている様を見つめていた。
「どうしたの先生、今日はやけに無口だね」
 そんな私を見て、彼女は言う。
「私が無口なのはいつものことだ」
 私は、自分の本心を悟られまいと、無理に笑顔を浮かべて言う。
 本当のことなんて言える訳がない。ここまで面倒を見て、「君は一週間以内に私の『被験者』になるか、殺されるんだ」なんて、どの面を下げて言えるというのか?。
 ……やっぱり、あの時牢役人を呼んで『実験』を行うべきだったのか?
 私は、中途半端な正義感を抱いてしまった自分を呪いながら思う。あの時冷酷に徹していれば、今こうして悩むことも無かった筈なのに……
 ……今更正義感を持ったところで、私は救われない人間なのに……何で?
 私は下唇を噛む。
 どうして心が痛むのだろう?。あれだけの鬼畜な行為を行って、今更自分が善人だとでも言うのか?。だとしたら私は見下げた馬鹿もいい所だ。
 ……おまけに「最後まで希望は捨てるな」だって?……希望を奪ったのは……絶望を与えようとしているのは誰だと思っているんだ!
 そして私は思う、この娘にさえ会わなければ、と……もしこの娘に会わなければ、今頃私の罪悪感は磨り減り、『実験』は快楽の手段と化すか、さもなければ実験に何も感じなくなっているかのどちらかで、今のように自分の罪深さを思い知ることも無かっただろう。なのに……
 ……神よ、貴方はどこまで残酷なのですか?
 私は蹲り頭を抱えた。すると、
「先生。私、とうとう先生の『被験者』になるんだね」
 寝台から身を乗り出した娘が静かな口調で私に言った。
「何を……馬鹿な……そんなことが……」
 この期に及んで嘘を吐こうとする私に、娘は優しく微笑んで言う。
「先生、嘘をつくのが下手だからすぐに分かるよ」
「……!」
 私は娘から目を背けた。
 もう、彼女の顔は直視できなかった。
 そして、彼女の口からこれ以上私に優しい言葉がかけられる事が耐えられなかった。
 だから私は呟くようにして言っていた。
「嘘を言っているのは君も同じじゃないか……」

310ロズロォの懺悔(26):2008/02/02(土) 03:24:39
 彼女が小さく息を呑むのが私の耳にも聞こえた。だから、よせばいいのに、この件は最後まで黙っていようと思ったのに、思わずそれを大きな声で口にしてしまっていた。
「嘘なんだろう、君のお姉さんが元締めを通して街頭に立っていたというのは!……君のお姉さんは元締めを通さないで街頭に立った!。だから傭兵達に乱暴されて殺された!……それが真実なんだろう!?」
「……!!」
「この手の商売は客とのトラブルが付き物だからな、どんな弱小の元締めだって用心棒の一人ぐらいは雇うものだ。傭兵達だって、用心棒がいると知ってて迂闊にトラブルは起さない。そんなことをして後々厄介ごとになるより、元締めを通してない私娼を好き勝手にした方が割がいいからな。死んでも、どうせ私娼はその殆どが流民の類だ。何のあとくされも無い」
 私がその事に気付いたのは、後になって所長の言葉を思い出したからだ。
 ……女でも娼婦の類だと色々とややこしいことになる
 帝国直轄の役人でもそうなのだ、これがただの傭兵であれば、戦争で頭がおかしくなっている相手でもない限り言わずもがなだ。
「君は『同僚』の人が言っていた、と言ってお姉さんの死に様を教えてくれたが、それは嘘だ。君が見たのはお姉さんの死体だけだろう?」
 私の言葉に、彼女は顔を青くして唇を震わせていた。
 止めるべきだった……せめて、そこでこれ以上何かを言うのを止めるべきだった。
 なのに……
「君の言うお姉さんが遭わされた目というのは、本当は君が遭わされた目なんだろう?。君も元締めを通さないで街頭に立って傭兵達に乱暴された……そうなんだろう?」
 彼女は何も喋らない。
 今彼女がどんな顔をしているのか、顔を上げない私には分からなかったし、私は彼女の顔を見たくないと思った。
 今彼女の顔を見たら、私は謝ってしまうだろう……そして、そんな私を彼女は許し、そして彼女は私に優しい言葉をかけてくれるだろう。それが私には耐えられなかった。
「どこで……気付いたの?」
 震えた声で彼女は言う。
「君から話を聞いた後さ。私だって多少は世の中に明るい。だから少し考えればそのぐらいの予想はつく」
「そっか……分かっちゃったんだ」
 寂しそうな声で彼女は言う。予想外にも彼女は私の乱暴な言葉に怒っていないようだったが、きっと内心は穏やかではないに違いない。
 ……これで良いんだ……これで……自分を殺す男を……私のような罪深い人間を『許す』なんて間違えている
 私は、そう思って自分を納得させようとしたが、言った自分の言葉に後悔して唇を震わせていた。
「じゃあ、先生にあの言葉、もう言えないね……こんな汚れた女なんか、先生、軽蔑しているよね……嫌っているよね……汚らわしいと思っているよね……」
 呟くようにして言う彼女の言葉に、私は思わず逃げるようにして医務室から走り去った。
 私は走って、走って、役人等の廊下を駆け抜けた。ただ感情の赴くままに、理性などではなく「逃げたい」という欲望の赴くままに、現実から目を背けるために……そして気付けば雪の中にいた。
 私はその場に座り込む。
 そんな私に雪は容赦なく降り積もる。
 冬はまだ終わってはいなかったのだ。
 ……私は罪深い
 雪の冷たさを全身で感じながら、今更ながら私は思う。
 ……でも、罪深いから分かる……彼女に罪はない……なのに彼女は自身を罪だと思っている……理不尽を罪に対する罰だと思って受け入れようとしている……
 それは間違えている、と私は思った。彼女が罪深いというのなら、世の中が間違えている。
 ……罪に対しては罰が与えられなければならない……罪のない人間に罰が与えられてはいけない……
 当たり前のことに、やっと私は気付く。
 だから……
 ……だから、私は……彼女を助けたい……この身が破滅しても……どんな罪に晒されても……

311ロズロォの懺悔(27):2008/02/02(土) 03:25:29
 「そうかい、それがあんたの結論か」
 牢名主はどこから手に入れたのか、酒の瓶を机の上に置き、やはりどこから手に入れたのか分からない器を二つ机の上においてそれに酒を注ぎ、そしてそのうちの一つを私の方に押してよこした。
 私は、目の前に置かれた酒の器を眺めながら、「やっぱり彼女を助けたいんです」と呟くようにして言った。
「彼女が不幸なまま死ぬのは間違えてます。理不尽です。そんな理不尽を肯定してはいけないと思います」
「世の中はとかく理不尽なものだ」
「頭でそれが分かっていても、やっぱり私にはそれが許せない」
 私は机を叩いて、叫ぶようにして言った。
 牢名主は、そんな私を静かな眼で見ている。
「でも、私には彼女を助ける力がない……私が彼女への『実験』を拒否したところで、彼女は殺されるだけだ……私は……」
 ……私は無力だ
 そのことがどこまでも悔しかった。そして、そのことがどこまでも罪深く感じられた。
「私が……恐怖から逃げるためにその場しのぎのことを言わなければ、彼女は……いや、他の娘達だって不幸になることは無かった。それだけじゃない、私が、いくら生活に窮したからと言って【草】さえ作らなければ、いや、最初からこの国、北方帝国で医者(ロズロォ)をすることさえ選ばなければ、誰も傷つかなかったんだ……」
 私の声は最早叫び声になっていた。
 事実それは叫びだった。
 私は、最初から全ての選択を間違えて、そしてそのことによって全ての人を不幸にしてしまったのだ。
 ……私は……私は!……私は!!
 もう感情が昂ぶり過ぎて言葉にならない。
 だから、私は頭を掻き毟り、そして机に一度渾身の力で頭をぶつけ、その拍子に半ば中身の零れた器の中身を一気に煽った。
 熱いものが喉を通り過ぎて体内に落ちていく。
「その気持ちに偽りはないな、医者(ロズロォ)」
 静かな声で言った牢名主の言葉に、私は即座に頷く。
 牢名主は、暫く私の目を見ていたが、「それなら」と言って口元を緩めた。
「俺達も自分の身を守る準備をしないとな……」
 牢名主は自分の器にもう一度酒を注ぎ、それを一気に煽ると、胸元からあの鏡を取り出した。

312言理の妖精語りて曰く、:2008/02/02(土) 17:14:49
そうですか

313ワンテクスト リザードマンの皮1:2008/02/06(水) 00:03:33
音は無い。静謐に充ちた闇の中、それでも光景が判然としている。
それは、薄暗いモノレッドの石壁が延々と続いている洞穴の中の事だった。
体温が変動しやすいのは彼の種族の特性だ。季節に関わらず冷え込みが激しい地下でのこと、暖をとる為に熱糧の定期的な摂取は欠かすことが出来ない。
耳まで裂けた口の端で、舐めるようにして溶かしていくそれを横目で眺める。
自分の赤く長い舌が飴玉じみた携帯食を絡めているのが顔の両側に付いた巨大な眼球から見て取れた。
その目玉は大きい。とても。
顔の側面についているのだが、目玉が大きくてよく動く為か、真後ろ以外の死角は存在しないほどだ。
ディザウィアーは三階層のコロニーに来て未だ一年目という新参で、安全な最下層(グラウンド・ゼロ)の揺り篭(クレイドル)で戦士としての訓練を終えてようやく上層に配属されるようになったばかりだった。
ディザウィアーの仕事はいつの日も変わらない。
来たものを狩り、その持ち物を奪い、肉を運ぶ。
徒党を組んで狩る場合もあるが、そしてこの界隈ではもっぱらそれが常道とされているが、
彼、ディザウィアーは単独で狩る事を好んだ。
獲物である侵入者達は通常四人から五人の集団だ。単身襲い掛かれば不利は否めない。
ましてや、この三層にまで到達する事が可能な技量を持った戦士ともなれば、なおさらだ。

それでも、ディザウィアーは独りサーベルの刃を研ぐ事をやめない。
彼は、常に独りで狩りをするのだ。

傍から彼を見れば目が爛々と輝いているのがわかるだろう。無明の闇の中、闇を見渡す、否、闇を照らす光輝の瞳はディザウィアーたちの種族でも珍しいとされる強者の証だった。
魔的な素養が強いと言ったのは何時か出会った魔術師だったか。いずれにせよ彼にとって弱者は糧にし踏みつけるためだけにあるのだ。

そら、獲物が来た。
足音より先にその目が捉えたのは松明の明かりだった。「人間」たちは魔術の明かりや松明がなくては闇の中を歩く事ができない。
それが自分達の敵を引き寄せる悪手だと知りながらも、そうせざるを得ない。
愚かな、愚かな人間たち。

隊列を組んで歩く、硬い鎧を纏った戦士たち。
三人の背後には線の細い身体を長衣に包んだ魔法使いが歩いている。
四人の侵入者。身の程知らずな冒険者たちを、ディザウィアーはせせら笑った。

ディザウィアーは、鞘を押さえてサーベルをすらりと抜き放った。
この地獄のような赤竜の古巣(レッドトーン・モノリス)の中層で、地獄の番人が牙を剥く。
さあ、狩りの時間だ。

314ワンテクスト リザードマンの皮2:2008/02/06(水) 00:03:50

視界に映る獲物は四、爛々と光る二つの輝点を確認するや否や、彼らの挙動が精練された戦士のものに変わる。
殺意。先にぶつけたのはこちらだ。故に等量以上の敵対意思は圧し掛かるように鱗の上を圧迫する。
躊躇い無く、疾駆する。
眼前、先頭の戦士が咆哮を上げた。
否、それは吼えたのではなく背後の人間達への指示や鼓舞の合図だったのかもしれない。
だがディザウィアーには人間の言語など分からないし、分かろうとも思わない。
翻すは抜き身の刃。薙ぎ払うは踏み出した空間。
湿った大気が鋭い音を鳴らした。
戦士の直剣とこちらの剣がかみ合う高調音。真横から突き出されるのは援護の槍。
それを、ディザウィアーは避けることもなく無視した。
鍔競り合う刃を、一気に押し込む。

刎ねるような金属音。
同時に二つ。

ひとつは、ディザウィアーの刃が戦士の刃を叩き折った音。
もうひとつは、ディザウィアーの首に突き出された槍の穂先が砕けた音。
戦士たちが、高く鳴いた。それは驚愕の声だろうか。このディザウィアーの硬質鱗は程度の低い金属などでは絶対に貫けないという厳然たる事実。冒険者達が絶対の絶望と恐怖に塗れ、死に逝く最大の原因たる、最硬の鎧。

屠る。驚愕から立ち返る機会など与えぬ。鱗人の放つ斬撃は瞬く間に敵手二人の首を跳ね飛ばし、攻撃の機会を窺っていたもう一人の戦士の槍を斬り飛ばすと、一閃して殺害。

瞬間的な殺戮だった。ものの数秒で、三人。
ディザウィアーの電撃的な速攻には、今まで幾人もの冒険者達が餌食となった。
その歴戦とも言える彼の勘に、隔靴と火が点る。爆発的な直感が彼を爬虫類的な柔軟性で臥せさせた。

刹那、爆散する直上空間。耐え難い熱の嵐がディザウィアーの背を、後頭部を焦がす。
魔法使い、彼の天敵。
その鱗を突破し、爆砕し凍結し飛散させて殺害し得る、唯一警戒するべき対象。
だが、一度の回避が成功さえすれば恐れるには足りず。
しなやかに跳ね上がる。眼前の魔法使いにはまるで地を這って接近してきたように見えたであろう、前方への瞬間的跳躍動。
それに次ぐ、斬撃。
血しぶきが飛び、脆い魔法使いの肉がどうと倒れる。

狩りは速やかに終了した。都合十秒ほどである。
今晩の豊かになるだろう食卓を思い描きながら、ディザウィアーは狩りの成果を隠していた袋に詰め、力強い腕で担いで巣へと戻っていった。

315ワンテクスト リザードマンの皮3:2008/02/08(金) 22:58:28
どさりという鈍い音、獲物を巣に下ろすディザウィアーはようやっと一息を入れて人心地つく。それは一日の労働が終わったと言う心地の良い証だ。
お疲れさん、という声と共に、屠殺場では姉が既に解体用の鉈を手に待っている所だった。鮮烈な赤い鱗を持つ姉は表に出れば標的となりやすい。
美しいと言うことはそれだけで狩られる要因になる。狩るか狩られるかの瀬戸際の中、ディザウィアーたちは適材適所を謳いつつどうにか絶対数の少ない戦士の配置をやりくりしていた。
単独で要所を任せられると言う事は、即ち優秀だという証明だ。
ディザウィアーに対する皆の信頼は、篤い。
「今日はまた偉く大猟だね。 群をまるごと狩れるのなんてそう無いよ?」
「人間は群で狩った方が旨みがある。 こちらが単独と見ると油断することも多い」
「だからって、あんまり無茶しないの」
軽い力で頭を叩かれる。姉と二人で暮らしてもう随分になるが、ディザウィアーは唯一の肉親にだけは絶対に頭が上がらない。
それはこうして彼が帰るべき家を任せているということ以上に、血なまぐさい闘争が報われる唯一の実感を与えてくれる存在だからだろう。
「ディザウィアーは奥間でくつろいでなよ。私はちゃっちゃと食事の準備するから」
姉、シュィルプフゥは細身に似合わぬ膂力で獲物の入った袋をまとめて背負うと、そのまま奥へ運んでいった。
楽しげに揺れる尻尾を見ながら、ディザウィアーは暖かな家庭の空気にそっと息を吐き出した。

316ワンテクスト リザードマンの皮4:2008/02/09(土) 15:11:15
食事の後、ディザウィアーたちに来客があった。
「いやあどうもどうも。ご無沙汰しております」
頭に手をやりつつ遜って頭を下げるのは、鱗を大分赤茶けて変色させた老年の男性だった。
古い既知、それも揺り篭時代の教師であるャイソァブはやや声の張りなどを減じさせていたものの、かつてと変わらぬ様子で玄関口に佇んでいた。
少し前に教師としての役割を退き、隠居するなどと風の噂に聞いたものだが、さて一体どういった用向きだろうか。ディザウィアーが不思議に思いつつもそれを表に出さず、精一杯の歓待をしてみせると彼はたいそう喜んでくれた。
暫し歓談を交わして時を過ごす。ふと会話が途切れ、雰囲気がつと切れになった。
やや間を於いて、老人が固くなった声で、言葉を放つ。
「今日はちょっと、残念な知らせをお伝えしなくてはなりませんでねえ」
歯切れが悪いャイソァブは、どこか後ろめたげにちらちらとディザウィアーの背後を窺っていた。なにかの罪悪感、あるいは、自分達にとって負の要因となる知らせであろうかと予感する。
ディザウィアーは勘のいい男だった。予測は大抵的を射る。
「最近、ここら辺での獲物の数が減っていることに気付いてますかな?」
「何のことでしょう? 私はそのように感じた事は、今のところありませんが」
「そうですか。 ですが、あなたの担当猟域以外での侵犯者たちの数は、確実に激減しているのですよ。
原因が、わかりますか?」
「さあ・・・」
理解はしかねたが、直感的にこれは危険だ、とディザウィアーは感じていた。
何か、自分を中心としたよからぬことがおきているのだと鋭敏な戦士の本能が叫んでいる。
だが、どうにも自体が掴めない。となれば、やはり対処も出来ないのである。
「あなたねぇ・・・、ちょっと、調子に乗りすぎちゃったんですよ」
続く言葉は、彼にとって理不尽とも感じられる内容であり・・・・・・そして納得せざるをえない内容でもあった。
「あなたは強い。強すぎる。どんな侵犯者が複数でかかっても確実に仕留め、あるいは撃退してきた。
あなたが優秀な戦士だというのは誰もが認める事実だ。我々も、そして侵犯者たちも」
最後の言葉を強調して、かつての恩師は言った。
「はっきり言いましょう。侵犯者たちの間で、あなたは有名人だ。恐らく賞金すらかけられている」
愕然とした。人間達の社会構造がどのようになっているか、それはかつてこの老人から教わった事だ。
侵犯者・・・・・・人間達は征服的狩猟によってその生態システムを構築している。
労働階級に戦士や魔法使いたちがあり、それを統括する互助組織のようなものが存在するらしいことが、今までの研究でわかっているという。
互助組織は様々な種類の侵犯者たちを送り出し、一人から五人程度の群単位で緑鱗人の巣穴を襲撃してくるのである。
彼らはこちらの巣穴を侵略し、略奪し、徐々に徐々に踏破してくる。一度の侵入で巣内部の情報を探り、その情報を共有しあって連携して襲撃してくるのだ。
恐るべき、我らの天敵。天敵に対抗するために戦士たちの育成が続けられているが、圧倒的な物量で攻め立ててくる侵犯者たちには劣勢を強いられている。
そんな中で、勝利を続ける自分は侵犯者達にどう見えているのか。
そんなことは、全く気にかけていなかった。
「もはや侵犯者たちの中であなたを倒す事が一種の目的になりつつある。今後殆どの侵犯者たちがあなたの担当する範囲に侵攻してくるでしょう。
だが、それはまずい。いままでバラバラに侵入してきていたからこそ我らは対抗し続けられた。だが今度こそもうだめだ。我らは一網打尽にされてしまうでしょう」
ではどうすれば、と言いかけて、その対処が自分に求められている事に気付く。
老人の目は、いまや苛烈に煌々と光っていた。
「あなたには、責任を果たしていただく」

317<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

318ワンテクスト リザードマンの皮5:2008/02/21(木) 18:32:43

進軍。
怒涛の如く猛然と突き進んでくる対前の人の群の進撃は、正にそう形容するに相応しかった。
正に軍隊であるかのような侵犯者たちの鬨の声は荒ぶる彼らの魂を獣じみた熱でもって鼓舞している。げに恐るべきはその士気の高さか。
剣を、槍を、弓を、杖を、殺意と興奮で塗れた意思は遠く離れたこちら側にも物質的なプレッシャーすら伴って襲い掛かってくる。
ディザウィアーは、かつて無い脅威の波に圧倒されかけていた。

無数の人を内包してなお余りあるその大空洞は、彼らの巣窟の最深部にして放棄された居住空間である。
対峙した人間たちは明確な敵意を以ってディザウィアーに立ち向かってくる。
そう、立ち向かってくるのだ。
手に構えるは幾多の戦器。

成就の槍、王竜の斧、白眉なる呪剣(イアテム)、血染めの血戦矢、黒爪(ディルノラフ)・・・・。
目を見張るほどの異形、それらは万の雑兵を散らして止まぬ最悪の呪いの武装たちだ。
その全てを相手取って、ディザウィアーは立ちはだかる。
それは、蟻と象との決戦だった。

これはなんだ、とディザウィアーは牙を噛む。
まるで現実感のない、それでいて絶望的な圧力だけは確かに感じられる、そんな状況下。
鱗の一枚一枚が告げている。あの刃のうちどれか一つでも触れれば即座に彼を死に至らしめる凶器であると。彼の強靭な鱗など紙のように突き破られるのだと。
予感ではなく予測。
確信に満ちた戦慄が全身を駆け巡り、前進を躊躇わせている。
自分は、此処で死ぬ。

そう、贄となり、侵犯者どもの餌食になるのだ。
残虐な波濤が目前に迫り、ディザウィアーは肉体に染み込んだ戦士的な感覚が独りでに動き出すのを自覚した。意識は既に肉体の操作を手放した。現世に在るのはただ反射的不随意的な自己防衛本能のみである。
緑色の巨躯が身構える。全身をばねのように撓ませて、あらゆる殺意に反応できるよう、一瞬一刹那でも生存の可能性を引き伸ばすために殺意に殺意で以って応じる腹積もりなのだ。

愚かだ。そして無謀だった。どこか他人事のように空虚な思考の中で、彼はそう酷評して。
直後、飛び跳ねた。
恐るべきは蜥蜴人の俊敏性か。こればかりは如何なる人間の英傑でも追随できぬ、爬虫類的な柔軟性が可能とする超絶の跳躍移動。
押し寄せる軍勢は、地を這う様に疾飛したディザウィアーを見失う。
彼らが屠るべき標的を見つけたのは、断末魔の声を上げる同胞が三人倒れ臥した瞬間のことであった。

その時、ディザウィアーは既にして敵軍の真っ只中に潜り込んでいた。
蹂躙が始まった。

319<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

320<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

321ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 00:52:59
血を浴びつつけるディザウィアーの肉体はかつて無いほどに熱く高ぶっている。
だが同時に、昂揚する自身に対する疑問が湧く。
何ゆえに、自分はこのような昂ぶりを覚えるだけの余裕を持って戦えているのか?
いかに歴戦にして屈強無比なる鱗の戦鬼といえども、侵犯者たちが総力をもって排除せんとすればひとたまりも無いはずなのである。
であるにもかかわらず、自分は未だ無傷であり優勢である。
波打つ軍勢をなぎ倒しつつ、止む事のない斬撃の嵐をディザウィアーはなんとか凌げている。
それは何故なのか。

それは、気付けるはずもない事実であり、閃くはずのない直感であった。
だがしかし、その時天啓のごとく舞い降りた凄絶な悪寒はディザウィアーの背筋から尾の先までを一瞬のうちに駆け巡り、次いで信じるのもおぞましい確信を抱かせるに到った。
刹那、ディザウィアーは任じられた戦場を放棄する事を即座に決意した。転進し、翻った尾の一撃で軍勢をなぎ倒す。
ひるんだ侵犯者たちの隙を突いて、人間には到底追随できぬほどの速度で疾駆する。
彼が向かうのは、自らの巣である。
赤い回廊、灼熱に滾る外界よりも熱く、その身の内を焦燥に焼いて鱗の民は吼え猛る。
回廊を繋ぐ門を越え、喧騒と怒号に満ちた居住空間を潜り抜け、血に塗れながら邪魔者を駆逐しながら突き進む彼の眼は、真っ直ぐに一点を目指していた。
やがて、その足はたどりつく。
彼の家。

最愛の、姉のもとへ。
無残な姿に変わり果て、力無く横たわる肉塊の下へ。

322ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 01:21:16
老人は言った。

「つまるところなあ、連中の目的はわしらを滅ぼす所なんかないありゃあせんのよ。むしろ生かさず殺さずで搾取することこそが奴らの思惑でな。
侵犯者たちはわしらを殺し、その持ち物となにより皮を剥いで持ち帰るのじゃ。
知っておろう、奴らに襲われたものたちの末路、無残にも肉をむき出しにされた屍を。
何に使うのかは知らんがのぅ。侵犯者たちは己らの利益のため、わしらを狩っておるのじゃよ、結局の所はの」
ディザウィアーは目を見開いたまま、未だ忘我の中でその声を右へ左へ、聞き流している。
老人の声は、続く。
「やつらがとりわけ欲したのは、わしらの中でも最も美しく丈夫な、世にも珍しい皮じゃった。
いかなる刃も通さぬ鱗、しなやかな柔軟性・・・・・・、つまりは、おまえさんとこの血族の皮じゃよ。
だがまあ、わしらとしては守護者たるお前さんを失うわけにはいかん。
だからなあ、まあお偉いさんがたは侵犯者と取引して、珍しい皮を一つ融通する事で侵攻の手を緩めてもらうよう手を打ったと、つまりそういうことじゃな」
耳障りな声を、ディザウィアーは認識し続ける事を止めた。
彼の瞳には、もはや何一つ映りこむ事は無く。

やがて、ディザウィアーは一切の思考を放棄した。

歓喜する声と絶望の悲鳴が聞こえたような気がしたが、ディザウィアーにとってはすでにもう、全てがどうでもいいことだった。




323不思議の国のザリス 1:2008/04/17(木) 03:03:45
急がなくちゃ。急がなくちゃ。
ザリスはとにかく全力疾走で生きてきた。
(車いすだからほんとは走れないんだけど。)
とんでもない妹に追いつくために走ってるのか、
どうしようもない妹から逃げるために走ってるのか、
もう自分でもよく分かってないのだ。
何だか昔おとぎ話で聞いたウサギみたいだと思った。
あのウサギも、たしかアリスという名前の女の子に追っかけられるのだ。
「あ、今の表現いいかも。私は暗闇を疾走するウサギ・・・と。」
すかさずマイ詩集ノート(3冊目)にメモメモ。
そしてそんな自分のイタいうしろ姿(猫背気味)を想像して絶望。
中二病患者ザリスは今日も忙しい。

324不思議の国のザリス 2:2008/04/17(木) 03:07:49
いつから中二病だったのか。ザリスは自分でもはっきり覚えてない。

気がついたら何だか中二病だったのだ。しかも重度。むしろ末期。

妹を師匠にするという屈辱、日々のイジメかよって感じの修行。

そういった何やかやのストレスになんかもう叫びたい!っていう衝動と、

名家の長女たる私はイタいことなんてしないのよ!っていうプライド。

二つの思いが左右の天秤に乗っかってずんずん大きくなり、

いつしかザリスはヤジロベーみたくフラフラと微妙なバランスをとる日々。

「あぁ・・・内包するこの苦悩が崩壊したとき、きっと世界が滅びるのね」

そして我ながら恥ずかしいセリフを口にして赤面。

ザリスはキョドキョドと辺りをうかがって、誰もいないのを確認した。

325不思議の国のザリス 3:2008/04/17(木) 03:10:23
どうしてこうなってしまったのだろう。
ザリスだって昔はポジティブだったのだ。
なんてったって魔術の名門に生まれた天才。
小さい時から努力に努力を重ね、
3歳にして庭の大樹を消し炭にするほどの火力を有するザリスは一門の期待の星。
ザリスが頑張って新しい力を手に入れると、みんなホメてくれた。
「努力は報われる」って言葉はあまりにチープ過ぎて何か気に食わないけれど、
世の中がそういうふうに出来ているって事実だけは心地よかった。
実際ちょっとひねくれてしまった今でも努力と研究は嫌いじゃない。
とにかくあの頃の自分は、どんな高い壁だって乗り越えられる気がした。
それが・・・それが、あの妹が産まれたばっかりに!きいいい!!

326不思議の国のザリス 4:2008/04/17(木) 03:11:40
そういえば、どうにも引っかかる記憶がある。
庭でいちばんの木をついに燃やすことが出来たあの日。
ザリスはここ数日のライバルこと庭の木をやっつけて上機嫌。
ちょっと本気モードになればかなうもの無しのザリスの前に、
突然変な奴が現れてこう言った。
「すごいわねぇザリスちゃん。あなたはその年齢にして既にどんな困難でも乗り越えようとする。そして困難を乗り越えるたびに強くなれることを知っている。でも、気をつけなさい。あなたが強くなろうと思えば思うほど、あなたは無意識に困難を呼び寄せる。ザリス、あなたは総受けです。それは即ち我が父アルセスと同じ属性。あなたに世界を支える器なくば、暗黒エネルギーに飲み込まれてしまうことでしょう」
変な奴は言いたいこと言って消えた。
急に受けとか言われても何のことやらサッパリ分からないザリスは、
結局今まで通り、力を求めて努力し続けることにした。

327不思議の国のザリス 5:2008/04/17(木) 03:13:01
それからしばらくして、妹のアリスが産まれた。
アリスはなんと産まれて3日でお屋敷を一族もろとも真っ白な灰にした。
才能の差は歴然だった。
ザリスは愕然としたけれど、それでも気を取り直して、一応妹をホメてみた。
それに対して、生後3日のアリスはきっぱりとした口調でこう言った。
「五月蠅い。この程度でおだてるな無能。」
ザリスの人生はだいたいこのへんをピークに、転落を始めていったのだった。

328不思議の国のザリス 6:2008/04/17(木) 03:14:55
紀神アハツィヒ・アインは溜息をついた。
「やっぱり・・・こうなるとは思ってたけどね」
ザリスは運命を変える力があまりに強すぎた。
ザリスの障害を求める心―暗黒エネルギーが周囲の人間に強く影響し、ついに越えられない壁という存在、すなわちアリスをこの世界に生み出したのだ。その意味で真に力があるのはザリスのほうだった。アリスはザリスを貶めるための装置に過ぎない。
ザリスは困難を乗り越えることよりも、困難を求めることに魅入られてしまった。それがザリスの人生最大の計算違いだったと言える。
「受け攻めは調和をもって安定する。総受けの者あれば総攻めの者が現れるは道理。それにしても報われない話だこと」
ザリスは自分を走り続けるウサギに例えた。
それは本人の意図しないところで、的を得ていた。
最初にウサギが全力で走らなければ、アリスはこの世界には来なかったのだから。


おしまい。

329海の息子シャーフリートの話(1):2008/06/25(水) 00:53:55
亜大陸の海に悪魔が現われたらしい。悪魔は魚介類を採りつくし、海底を傷つけて荒らす。
漁業を営む人々は現在進行形で大きな損害をこうむっているという。
草の民のロエデウィヤ族の族長ウムースは単なる噂か御伽噺に過ぎない、と最初は
思っていた。だが、遠方の友人が生活に困り自殺してしまったとの知らせを
受け取って考え直した。亜大陸方面の情報を積極的に集め、他の部族とも情報交換を
するよう勤めた。そうしているうちに一つの事実が浮かび上がった。
悪魔は少しずつ北上し、自分達が住む場所に接近しているのだ。

ロエデウィヤ族、フェルダム族、カフラ族、ブーウ族の族長や長老、智慧者が集まって話し合うことにした。
しかし中々結論が出ない。すると会議の場に東方風の身なりをした槍を持つ男が現われた。
男はグーヤット・アティパーンと名乗ると、「海から英雄が生まれ、この地に流れ着く」と言った。
前触れもなく現われたのため場に集った者達は警戒して殺気立ちさえしたが、グーヤットは
特に気にする様子もなくすたすたと歩き去っていった。来る時とは逆にあまりに
隙だらけであったので逆に手を出すことができなかった。ウムースの息子オシューを除いては。
オシューはグーヤットが会合の行われる大テントの外に出たところで
そのたくましい腕でがっしりと彼を掴んだ。しかしグーヤットは体勢を全く崩すことなく
よろめきさえもせず、そのまま歩いていく。オシューはそのまま引きずられる形で
集落の外れまで突いていく羽目になった。異国の槍使いを掴み、全身と両足で踏ん張って
引きとどめようとするも敵わず引っ張られていくその姿を部族のほとんどの人に見られてしまった。
オシューとしては恥ずかしくてしょうがないのだがここで引き下がるわけにもいかない。
初めから諦めて手を離しておけばよかったとかそういう問題ではない。


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