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( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

1 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:23:38 ID:fCDwqofo0

オレンジデー祭参加作品です。

210 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:03:06 ID:yBkR092c0

一体何なのかと横を見ると、どこか見覚えのある赤毛の女性が、こちらに指を立てていた。
人間違いでもされたのだろうか。

だが、ちょうどいい、彼女に場所を聞こう。もしかしたらここの学生かもしれない。
そう思って口を開きかけた瞬間、彼女はもの凄いスピードでこちらに近付き、ガッと私の両肩を掴んだ。

ミセ;゚―゚)リ「きゃっ!い、いきなり何を――」

从; ゚Д从「ア、アンタ!!"ミセリさん"だろ!?そうだよな!?」

私の肩を乱暴に揺らしながら、彼女は何故か私の名前を大声で呼んだ。
もしかして、どこかで会ったことがあるのだろうか。それとも、ヴァイオリニスト時代の私のファンか何かだろうか。
確かにどこかで見たような気もするが、記憶のどこを引っ張りだしても答えを出そうになかった。

211 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:05:07 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「そ、そうですけど、あの、アナタは…?」

从; ゚∀从「や、やっぱりそうか!!そうだよな、もう、”そのまんま”だもん!!」

一体何の話をしているのか、私にはさっぱり分からなかった。
どうしてか非常に興奮している彼女に恐怖を覚えた私は、肩から手を離してもらおうと身動ぎをする。
だが、彼女は急に肩を放してくれたと思うと、私の手を掴んだまま突然走り出した。

ミセ;゚Д゚)リ「あ、あの!あのあのあの!?な、何ですか!私、用事が――!!」

从; ゚∀从「分かってる!!アンタも”アレ”を見に来たんだろ!?こっちこっち…ちょっと!退いてくれー!!」

ミセ;゚―゚)リ「え!?あの、列は!?これいいの!?」

彼女は私の手を握ったまま、さっきまで私を悩ませていた謎の長蛇の列を堂々と抜かしていく。
その勢いを保ちつつ、私達は綺麗な白い壁の建物に入った。

212 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:06:04 ID:yBkR092c0

棟の中には広く、木の温もりを感じられるお洒落な空間が広がっていた。
だが、そんな内装をゆったりと楽しむ暇もなく、赤毛の少女は私の手を痛いくらいに握りながら全力疾走をやめようとはしてくれない。

勢いよく階段を上がっていく彼女に振り落とされないよう、必死についていく。
病み上がりの上、ここ一ヶ月まともに部屋から出なかった私には相当にきつい。
階段を上がりきってぜぇぜぇと肩で息をしていると、いつの間にか赤毛の女性はいなくなっていた。

どこに行ったのかと視線を彷徨わせると、彼女はとある男性と話をしていた。
短い黒髪が特徴的な、落ち着いた雰囲気の青年。
何故だろう。赤毛の女性もそうだが、私は彼にもどことなく見覚えがあった。

(;`・ω・´)「―――!」

青年は私と目が合うと、幽霊でも見たかのような顔をする。
その次の瞬間、彼は受付らしきスペースを飛び出したかと思えば、ずんずんとこちらに近付いて来た。

213 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:06:48 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「あ、あの…?」

(;`・ω・´)「……ミセリさん、ですか?」

赤い女性と同様、彼もまた、初対面である筈の私の名前を口にした。
別に、知らない人から声をかけられること自体には耐性がある。
だがそれは、地元を歩いている時に父の知り合いに「堂島家の一人娘」として呼ばれたり、音楽の仕事やコンクールの場で「ヴァイオリニストの堂島ミセリ」としてだ。
父も家も音楽も関係がない人たちから、エスパーみたいに名前を当てられたことなど皆無。

鬼気迫る彼の表情に、私は無言のままコクコクと頷く。
しばらく品定めでもするかのように彼は私の顔をじっと見ると、「着いて来て」と小さく呟いた。

ミセ;゚―゚)リ「え?あ、あの…列、並ばなきゃ…」

(`・ω・´)「大丈夫です、貴女だけは。このまま自分について来て下さい」

青年の有無を言わさぬ迫力に黙ったまま、私たちは列の横を堂々と通り、奥の部屋に続くドアをくぐる。
すると、入ると同時に、真っ白な壁に立てかけられてある無数の絵が目に飛び込んできた。

214 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:07:52 ID:yBkR092c0

(`・ω・´)「……多分、ここに来たかったのですよね?」

(`・ω・´)「ここが、卒業制作のブースです」

ちらりと壁にあるいくつかの絵に素早く目を通す。。
絵の右下にあるプレートは、絵の著者の名前と所属学科。絵のタイトル。そして作者コメントらしき文章が書かれている。
そのどれもが、作者コメントが大部分を占めていた。
自分の手で生み出した作品の解説をしたい気持ちは、絵と音楽という違いはあれど、同じ表現者として私にも多少理解出来る。

絵を見ながら歩いていた途中、とある作品に目が留まる。
それは絵ではなく、木で出来たオブジェだった。
どうやら、ここには絵以外の芸術作品もまとめて展示されているらしい。

215 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:08:26 ID:yBkR092c0

だが、私がそのオブジェに目を止めたのは、その作品が気に入ったからとかそういった理由ではなかった。

作品のオブジェを支えている台座。その側面に貼られたプレートには、他の作品と同じように著者の名前は作品タイトルといった情報が羅列されている。
他の作品と違ったのは、その下。
プレートの下に、「奨励賞」と書かれた文字と、綺麗な花を模したオーナメントがつけられている。

(`・ω・´)「…あぁ。そんな感じで、大学が選んだ良い作品には何かしらの賞がつくんです」

私の静止に気付いた青年が親切な説明を加えてくれる。
「他にもほら」と彼が示した指の先には、確かに他の作品より目を引く絵やオブジェ、写真などがある。
その作品たちの前には、特に多くの人がたむろしていた。

216 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:08:53 ID:yBkR092c0

ふと、私の足がほんの一瞬だけ立ち竦んだ。

ここが卒業制作の作品が展示されている場所。
ミルナが最後に遺した絵が、ここのどこかにある。
それは分かっている。私の足が止まった理由はそんなんじゃない。

ミルナは、私との”最優秀賞を取る”という約束を守るために、文字通り身を削って作品を描いた。
彼の絵の魅力は私が一番よく知っている。
絵について何の知識もない素人の私が見ても、思わず息を忘れてしまうような魅力が彼の絵にはある。

けれど、もし、万が一、何の賞も取れていなかったら。
大学の人たちに見る目がなかったら。
彼が最後に遺した絵に、「価値がない」と判断されてしまっていたら。
そう思うと、途端に怖くなったのだ。

217 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:09:20 ID:yBkR092c0

(;`・ω・´)「ミセリさん…?」

青年が不思議そうにこちらを見る。
すると、彼の背後にある通路から、また見たことのある人物がこちらに歩いてくるのが見えた。

( ´W`)「…お。よかったよかった。やっと来たね、ミセリさん」

ミセ;゚―゚)リ「……白髭、先生」

ミルナの葬式以来の顔に、私は少し気遅れしてしまって頭を下げるのがワンテンポ遅れる。
あの日から家族とすら真面に話していなかったこともあって、どう挨拶したものか一瞬判断に迷ってしまった。

218 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:10:05 ID:yBkR092c0

(`・ω・´)「あとはお願いしてもいいですか、先生」

( ´W`)「あぁ、もう大丈夫。…よし、じゃあ行こうか、ミセリさん」

青年は私と白髭先生に深々と一礼をした後、入り口へと戻っていった。
その礼儀正しさに少しポカンとした後、先生は私に「こっちだよ」と声を掛けて歩き出す。
真直ぐに伸びた背筋を早足で追いかける。

ミセ;゚―゚)リ「あ、あの、私、見たいのがあって……」

( ´W`)「うん。だから、それはこっち」

( ´W`)「ちょっとイレギュラーがあってね。一番奥にあるんだ」

私の話を聞いてくれているのかいまいち判然としないまま、彼はピカピカに磨かれたローファーと共にどんどん奥へと進んでいく。

219 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:10:34 ID:yBkR092c0

こんなことをしている暇はない。この展示は確か午後五時まで。
私がこの大学に着いた時、既に午後四時を過ぎていた。
つまり、どう計算してもあと一時間もない。

他の絵や作品に僅かでも興味を示したのがよくなかった。
私はまた、優先順位を間違えた。
早く、早くしないと見れなくなる。今日を逃せばもうきっと、見ることは出来なくなってしまうのに。

ミルナが、最後に遺した絵が。

220 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:12:38 ID:yBkR092c0

( ´W`)「まぁ、どこの美大も基本的にそうだけど、うちの卒業制作の作品って、一般公開されるんだけどね」

どう話を切り出そうかと私が悩んでいるその最中。
目の前を歩いていた白髭先生は、講義でも始めるかのような落ち着いた声を発した。

( ´W`)「その中でも良い作品は大学が宣伝したり、学生の子たちが他の学校の子に教えたりして色んな所に広まるんだ」

( ´W`)「だから、話を聞きつけた近所の人が物見遊山に来ることもそんなに珍しくない」

( ´W`)「けれどねぇ…まさか、流石にこんなことになるとは思わなかったな」

先生の足がピタリと止まる。
彼の視線の先には、数多もの人たちが何かの作品に集まっていた。

221 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:13:00 ID:yBkR092c0

( ´W`)「アレだよ」

よく見れば、学生らしき人がずっと続いていた列の人を順番に呼んでいる。
どうやら棟の外まで出来ていた列は、あそこにあるらしい作品を見たい人たち用の列だったらしい。

だから何だ、という冷たい感情が浮かんだ。

申し訳ないが、私は人気な絵なんてものに興味はない。
私が見たいのは上手い絵でも、高い価値がついた絵でもない。
今の私にとっては、”モナリザ”ですら紙屑同然だ。

222 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:14:17 ID:yBkR092c0

ミセ; ー )リ「あの、だから私の見たい絵は、ミルナの……」

( ´W`)「すいません。少し退いていただけませんか」

細い体から、低く、それでいて広がる声が響いた。
絵の前に沢山いた人たちが一斉にこちらを振り返る。
その数秒後、その殆どの人たちが何かに気付いたような顔をした途端、蜘蛛の子を散らすようにサッとはけていった。

またこれだ。
この大学に来てからどいつもこいつも、私の顔を見た途端、急に驚いた顔をする。
なんとなく、昔のことを思い出す。
大学に通っていた時、自分がただ教室に入っただけで、知りもしない同級生たちが一斉に私の方を見る時の不快な感覚。

なんだか懐かしささえ覚える。
実家に戻って、ミルナと出会ってからは久しく忘れていた感覚だった。

223 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:15:05 ID:yBkR092c0

( ´W`)「……さ、存分に見てきなさい」

先生に軽く背中を押され、私はゆっくりと前に出る。
さっきまで人の背中や頭で全く見えなかった、どうやら相当に人気らしい絵。

どうしてこんな作品を見なければいけないのか。
私が見たい作品はもう決まっているのに。
それ以外、全くもってどうでもいいのに。

怒りすら混じった感情を抱えながら、私は奥へと進んでいく。
私の歩が進むたびに人が左右に避け、彼らの姿で全く見えなかった奥の作品の、その全貌が明らかになる。



その途端、私の内で蠢いていた全ての感情が消し飛んだ。

224 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:17:31 ID:yBkR092c0



目に飛び込んできたのは、一枚の”鏡”だった。

225 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:19:16 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「……え…?」

瞬きで視界がリセットされ、私はすぐにその間違いに気が付く。

違う。鏡じゃない。あれは絵だ。
とても大きなキャンバスで描かれた、一枚の絵。
ここに至るまでの道中にあったどの絵よりも、作品よりも、大きな絵だ。


そこには”私”がいた。


絵の中心に描かれているのは、紛れもなく私だった。

226 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:20:05 ID:yBkR092c0

薄桃色の暖かな背景。
その全体、散らされるように描かれた、数えきれないほどの桜の花弁。
絵の手前には、観客の比喩のようにも受け取れるように描かれた、青いビオラ。

そして何より、強い既視感のある大きな桜の木を背景にして、楽器を持った私が立っている。

桜が舞う春の空の下、泣きたくなるくらいに綺麗な笑みを浮かべた私が、ヴィオラを弾いている。

そんな絵だった。

227 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:22:26 ID:yBkR092c0

一瞬なのか、百年なのか、どれくらいの時間が経過したのか。

絵に意識をもっていかれた私は、酸素不足一歩手前にまで陥るギリギリ、なんとか呼吸を思い出してはっとする。
まるで、深海に引きずり込まれたような、重力すら異なる全くの別世界に入り込んだような。
そんな、今まで経験したことのない感覚だった。

鏡と見紛うほどに、それでいて、私本人よりもずっと美しく、楽しそうに描かれた”私”。
こんな状況は知らない。全く身に覚えがない。

だって、私があの桜の木の下で、アイツの前でヴィオラを弾いたのは、満月が明るい夜だった。
今、目の前にある絵は違う。
あの絵に描かれている私は、月が輝く夜ではなく、日が煌めく昼に描かれている。

この約束は、未来は、状況は、なかったものだ。なくなってしまったものだ。
私が、私のせいで消えてしまった筈の未来。

それが、どうして今ここにあるのか。

228 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:22:55 ID:yBkR092c0

はっと、絵の右下に目をやった。

展示された絵の詳細についての情報が載っている、白のプレート。
その下に、『最優秀賞』と書かれた文字と共に、金色の華々しいオーナメントが飾られている。

だが、私にとってそんな飾りや文字はどうでもよかった。
足を震わせたままなんとか絵に近付き、プレートに書かれた文字を見る。

229 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:23:32 ID:yBkR092c0

『芸術学部 造形学科 洋画専攻 四年』。

作者名の欄に書かれている名前は、『河内ミルナ』。


タイトルは、 『ヴィオラ』。

230 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:24:42 ID:yBkR092c0

認識した情報に、息が詰まりそうになる。
ゆっくりと、視界がぼやけているように感じる。

震える手で、プレートに書かれた文字をゆっくりとなぞりながら、更にその横に目を移す。
作品の説明などが並ぶ筈の、作者自身のメッセージが書かれる筈の箇所。

そのスペースには。

他の絵のプレートとは違う。
一瞬、何も書かれていないと錯覚してしまうほどに、白い余白の目立つ箇所。


その、スペース、には。

231 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:27:07 ID:yBkR092c0





『   ミセリさんへ    大好きです   』

232 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:28:32 ID:yBkR092c0


ミセ* ー )リ「…………馬鹿、じゃない の」


急に、目に何か、違和感のようなものを感じた。

汚れかなにかが入ったのだろうか。すぐに取らなければ。
そう思い、鞄の中に手を入れる。
だが、いくら中を探っても、目当ての物は出てこない。

233 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:29:48 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「……………呼ぶ なら、直接 」

ミセ* ー )リ「ちょくせつ ちゃんと 呼び なさい、よ」

いつも肌身離さず身に着けている物なのに。大切にしている物なのに。

一体、どこにやってしまっただろう。
記憶を辿る。どこかに落としたのだろうか。どこかに置いてきたままなのだろうか。

そういえば、最後に使ったのは、一体いつだっただろうか。

ミセ* ー )リ「こ んな……こん な、形、で 」

234 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:30:25 ID:yBkR092c0

手の甲に、何か薄いものが感触が走った。
目当てのものかと思い、鞄から取り出し、視線を下げる。
だが、それは探していたものではなかった。

青いビオラが挟まった、綺麗な一枚の栞。


それを見て、私はやっと全てを理解した。

235 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:31:48 ID:yBkR092c0

ミセ* )リ「   なま え 、ねぇ、ミルナ ちょく、せつ―――」

どうして忘れていたんだろう。

そうだった。思い出した。
私が、子どもの頃に姉から貰って、ずっと大切にしていたハンカチは。
彼と二人で出かけた、あの涼やかな秋の日から。



ずっと。

236 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:32:20 ID:yBkR092c0


ミセ* Д )リ「 ねぇ………!!!」





ミルナに、貸したままだったんだ。

237 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:32:47 ID:yBkR092c0



――――もう、限界だった。

238 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:34:15 ID:yBkR092c0


ミセ*;Д;)リ「ああぁあああああっ!!!ひっ、あ、ああぁ ああ ぁ あああ…!!!」

ボロボロと、あの日の嵐のような涙が溢れた。

ミセ* Д )リ「ああぁあぁ…うあぁ、ひっ あぁ あぁぁ」

私は泣いた。
人前で、公衆の面前で、恥ずかし気もなく、子どもみたいに泣き喚いた。

天井を仰いで泣いた。
床に額をこすりつけて泣いた。

喉が文字通り引き裂かれるほどに、大声で、泣き続けた。

239 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:35:40 ID:yBkR092c0

あぁ、今更になって、やっと分かった。

ミセ*∩Д;)リ「ミル  ナぁ…あぁ、あぁあ……ああぁぁ……!!」

私が、彼をどう思っていたのか。
どうして彼の姿を見ると、心がざわつくのか。
どうして彼の二言三言に、やけにイラついたり、嬉しくなったりしたのか。

本当に今更だ。
もう、なんの意味も、価値もない、あまりにも遅すぎる答え。
でも、やっと分かったんだ。もう遅いけど、みっともないけど。

これだけ時間がかかって、何もかも手遅れになって、年甲斐もなく大声で泣いて。

やっと、今更、分かったんだ。

240 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:36:07 ID:yBkR092c0

答えは、呆れるくらいに単純だった。

いや、本当はとっくに、心のどこかで分かっていた。
なのに私はずっと、気付かない振りをしていた。

私は。ずっと、ずっと前から。
彼のことが。絵描きが。河内ミルナのことが。
家族よりも、自分よりも、音楽よりも、ヴィオラよりも、何よりも。

241 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:37:07 ID:yBkR092c0


ミセ*^ワ^)リ ( ゚д゚ *)


私は、ミルナのことが好きだったのだ。

242 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:37:55 ID:yBkR092c0

彼の描く絵が好きだった。
絵を描く時の、彼の指先が好きだった。
私が無茶を言ったときの彼の困り顔が好きだった。
時々、眠そうにしながら掃除をしている彼の横顔が好きだった。
私のヴィオラを聴いている時の、彼の閉じた瞳が好きだった。

何もかもが、その全てが、彼が、ミルナが。

ただ、世界で一番、大好きだっただけなのだ。

243 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:39:07 ID:yBkR092c0


ミセ* Д )リ「―――ず、あぁ あ い るい……こんな …ズルい……!!!」

ミセ*;Д;)リ「ズルい、よ!!アンタ… !! ズルい、 ズルいズルいズルい!!!」

ミセ*つД;)リ「言え よぉ…!!!ちょく、せつ、なまえ  だっ て やく、そく  」

ミセ* Д )リ「  ……呼ぶってっ…いっ  あ、うぐっ…あぁぁ……」

ミセ*;Д;)リ「あぁああぁ……っ ひっ…あぁ、ああぁ……〜〜〜あぁああ…!!!」


言葉が声にならず、全てが水になって流れていく。
天国に届きっこない慟哭が、みっともなく溢れていく。


好きだった。本当に、心の底から大好きだった。

244 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:40:02 ID:yBkR092c0

本当はずっと期待してた。
病気が治ったら、ずっと貴方と一緒にいられると思ってた。
あの日、京都に帰ってきた時、「うちでずっと働かないか」って、本当は言うつもりだったんだ。

嘘じゃない。貴方に絶対、嘘はつかない。
本当だ。本当なんだ。
人として、友人として、女の子として、私は、君のことを大事に想ってたんだ。

245 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:41:14 ID:yBkR092c0

ミセ*;Д;)リ「ああぁあ…あぁ、 あぁぁ……!!!」

貴方と話すのが楽しかったんだ。
貴方の絵が、何より綺麗に見えたんだ。
貴方と仲直り出来た時、人生で一番ホッとしたんだ。
貴方が私の絵を描いてくれた時、人生で一番嬉しかったんだ。
貴方にひどいことを沢山言ったの、いつかちゃんと謝らなきゃって、本当はずっと思ってたんだ。

もう、何を言っても、思っても、ミルナには届かない。
今更気付いても、分かっても、理解しても、もう遅い。

だって、もう、彼はいない。
死んでしまったから。彼のことを何も知ろうとしなかった私が、追い詰めてしまったから。

246 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:42:12 ID:yBkR092c0

顔を上げて泣き続ける。
涙でぐちゃぐちゃになった視界の奥。
キャンバスの中心で、桜の木の下で、ヴィオラを弾く私。

あぁ、そうか。これも、そうなんだ。

この絵は私だ。こことは違う、どこかの世界の私だ。
訪れる筈だった未来で、約束を果たした私の、彼から見た姿だ。

ミルナは私のことをこんな風に見てたんだ。
ミルナは、私のことを、こんなに綺麗に見てくれてたんだ。


なのに、私は。

247 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:42:58 ID:yBkR092c0

泣き声がずっと反響する。
眼球に溜まった水が溢れて、ほんの一瞬だけ視界に光が戻る。
視線の先、楽しそうにヴィオラを弾く私が映る。
それが、また、あまりにも、綺麗すぎるものだから。

私はまた泣いた。
ずっと、ずっと、血液も心臓も、全部流れ出るくらいに泣き喚いた。


ずっと、ずっとずっとずっと。
失恋した少女みたいに、みっともなく、ただずっと泣き続けた。

248 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:43:33 ID:yBkR092c0

*


気が付くと、私はどこかのソファーに寝ころんでいた。
上体を起こし、キョロキョロと周りを見る。なんだか高校の職員室に似た、そんな部屋。

( ´W`)「―――起きたかい」

白髭先生がカップを片手に持ってこちらに近付いてきた。
差し出されたカップからは暖かな湯気が立ち上がり、爽やかなレモンの香りがした。

249 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:44:13 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「……ありがとう、ございます」

自分が発した声に自分で驚く。
老婆のような、ひどくしわがれた声。
渡されたレモンティーを飲むと、ピリッとした鋭い痛みが喉を走った。

ゆっくりと喉を潤しながら、私は先生から事の顛末を聞いた。

ミルナの絵が、最優秀賞を勝ち取ったこと。
それが口コミで広がり、高名な画家や金持ちの目に留まったことで、大学の予想を遥かに上回る人気が出てしまったこと。
そして、泣いていた私は結局、電池を抜かれた人形のように突然、泣き疲れて眠ってしまったこと。

250 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:44:49 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「………あの絵は」

( ´W`)「うん?」

ミセ* ー )リ「ミルナの絵は…『ヴィオラ』は、どうなるんですか」

私の質問に、先生は自前の白いひげに触れながら何か考える素振りを見せる。
少し言い辛そうにした彼は、私の無言の抗議に耐えかねたのか、ゆっくりと口を開いた。

251 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:45:42 ID:yBkR092c0

( ´W`)「…本来、卒業制作の作品というのは大学が端金で買い取るか、処分される」

( ´W`)「だが今回のミルナ君の絵は、例外中の例外だ。既に一介の美大生の作品に対してとは思えない値段の高額請求がいくつも大学に来ている」

( ´W`)「ただ、売却の許可を示す本人がもうこの世にいないし、絵の所有権の相続するような身内も彼にはいない」

( ´W`)「まぁおそらく、権利は大学に帰属したとみなされて、大学が誰に売るのかを決めて……」

ミセ* ー )リ「―――あなたが」

「もう充分だ」とでも言うかのように、私は先生の言葉を遮った。
それだけ聞ければ、もういい。
処分という言葉が出てきた時は肝を冷やしたが、それなら、私がしたいことは、まだ出来る。

ミセ* ー )リ「先生が、一旦、買い取ってくれませんか」

私の申し出に、先生は口をポカンと開けたまま黙り込む。
そんな姿も意に介さずに、私は止まらず話を続けた。

252 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:46:32 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「先生が買ってください。私がお金を貯めるまで、誰にも、あの絵を奪われないように」

ミセ* ー )リ「いつか…いつか、何年かかるか分からないけれど、いつか、十倍以上の値段で、私があの絵を買い取ります」

ミセ* ー )リ「だから、お願いできませんか」

「この通りです」と、大した中身も詰まっていない頭を下げる。
とんでもない。下手をすれば何かしらの法律に違反していそうな頼み事。

だが、私は正気だった。
正気のまま、本気で、その内容の突飛さを理解していながら口にした。

253 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:47:41 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「私は、恵まれてた。お金持ちの堂島家の娘として生まれて、お金に困ったことなんてない。買ってもらったヴァイオリンもヴィオラもピアノも、値段を気にしたことすらない」

ミセ* ー )リ「……だから、ミルナの気持ちは、最後の最期まで分からなかった」

金欠なんて、私はなったことがない。
だから、理解も共感も出来なかった。お金のために働いたミルナの気持ちが分からなくて、私は一度、彼に怒った。

けれど、それは違う。今なら分かる。
間違っていたのはそもそも、ミルナではなく、私だった。

私が、ミルナを理解しようとしなかったのだ。

254 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:48:52 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「私…何も知らないんです。ミルナのこと。今も、全く、全然」

ミセ* ー )リ「アイツの好きな食べ物も知らない。好きな映画も、本も、花も、曲も、故郷の景色も、なんにも」

ミセ*;―;)リ「アイツが病気だったことも、家族がもういないことも知らなかった」

ミセ*;―;)リ「……アイツは何度も、私のことを知ろうとしてくれてたのに」

口にして、その残酷さにようやく気が付く。
彼と過ごした一年と約10か月という、長い期間。
その間、私から彼に歩み寄ったことなど、ただの一度もなかったということに。

それでも、知りたいと思った。
とっくに終わってしまったけれど、そんなことをしたって彼は帰ってこないけれど。
自分の何を棄てても、河内ミルナという人間を、知りたいと思ったのだ。

255 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:49:21 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「でもせめて…せめて、あの絵は私のお金で、買いたい」

ミセ* ー )リ「私が自分で稼いだお金で、ミルナのことをちゃんと理解した上で、私が、あの絵の価値を決めたい」

頭を上げることなく、懸命に頼み込む。
今の私には何もない。音楽の技術だって、この二年でひどく落ちてしまった。
また昔のような演奏が出来るようになるまで、気の遠くなるような時間がかかるに違いない。
仮にまた上手くなれたとしても、私の演奏に価値が戻るかは分からない。

それでも。

256 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:49:51 ID:yBkR092c0

( ´W`)「……私が買うのはいい。元々、私も購入希望者の一人だ」

( ´W`)「けれど、今の時点でもう最高購入予定価格は、数百万を超えている。このままいけば一千万以上…君が家の力を借りずに買える金額にはとても収まりきらない」

ミセ* ー )リ「それでも、お願いします」

先生は、心からの親切心で言ってくれている。
当然だ。世間から見れば、実家の後ろ盾がない今の私など、ちょっとヴァイオリンやピアノが上手いだけの世間知らずの箱入り娘に過ぎない。
そんな小娘が、自分の力であの絵を買えるようになるなどと、大言壮語にも程がある。

それでも、私は頭を下げることをやめなかった。

257 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:50:52 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「――あの絵は、ミルナの人生なんです」

去年の夏、手術を受けると決めた私に、彼がはっきりと言った言葉を思い出す。
「人生全部で貴方を描く」。真直ぐに私の目を見ながら言ってくれた、告白よりも嬉しい言葉。

ミセ* ー )リ「アイツが…ミルナは、自分の人生全部を使って、私を描いてくれた」

ミセ* ー )リ「だから、私もそうしたいんです。私、アイツみたいになりたいんです」

ずっと考えていた。
もし、私がミルナに想いを伝えるなら、どうやって伝えるだろうかと。

258 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:51:34 ID:yBkR092c0

言葉はダメだ。そんなに語彙がある方ではないし、そもそも、言葉なんかじゃこの想いは語りきれない。
絵もダメだ。私にはミルナみたいに、綺麗な絵を描く技術はない。

自分が持っているカードを漁って、ダメなものを切り捨てていって。
最後に残ったカードが、それだった。

唯一、私が胸を張って、ミルナに捧げられるもの。
彼が、一番最初に褒めてくれたもの。

ミセ* ー )リ「ミルナが、人生全部で私を描いてくれたから」

だから、私は。
私も、ミルナみたいに。貴方みたいに。

259 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:52:13 ID:yBkR092c0



ミセ* ー )リ「私は」



ミセ*゚ー゚)リ「――私の人生全部で、彼を、弾きたい」

260 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:52:41 ID:yBkR092c0

これが、私の出した結論だった。

どれだけかかるか分からない。
もしかしたら文字通り、私がしわしわのお婆ちゃんになるまでヴィオラを弾いても、足りないかもしれない。
けれど、それでもよかった。いっそのこと、そうなって欲しいとまで思った。

私の人生そのものを、弦に、曲に、音楽にしたい。
彼のための音楽を、彼を主役にした曲を奏でたい。
私の全てを捧げてそれが出来た時、きっと私は、ミルナのことを理解できるだろうから。

261 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:53:07 ID:yBkR092c0

頭上から、小さな呟きが聞こえた。
私はゆっくりと顔を上げ、困ったように笑う先生の顔を見る。

分かっている。これは、なんの意味もないことだ。
成せたところで何も生まれない。昔の私が嫌悪していた、何の生産性もない行為。

けれど、それでもいいんだ。それでいいんだ。

意味はないだろうけど、価値はあるだろうから。
私は、好きな人みたいになりたいから。
あの絵みたいに綺麗なものを、私も生み出してみたいから。

262 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:54:07 ID:yBkR092c0

礼を言い、別れの言葉を告げて部屋を出る。
窓から見える景色はすっかりと黒へと変わっている。

外に出る。ざわざわと、春の夜風が草木を撫でる音がする。
上空には、いつかを思い出させるように、煌々と輝く満月が浮いている。


なんだか、懐かしい匂いがした。

263 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:54:47 ID:yBkR092c0

*


春の陽光煌めく空の下。
自然が数晩かけて敷いたピンクのカーペットの上を、私は転ばないように慎重に歩いていた。
何せ荷物が荷物だ。
台車を引きながら何も気にせず歩けるほどまで、この庭の道は流石に整備されていない。

長い時を過ごした筈の実家の庭。
けれど流石に五年以上も離れていれば記憶というのは薄まるもので、私は既視感と新鮮味という矛盾を抱えながら、庭の奥にある一本の木を目指した。

264 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:55:20 ID:yBkR092c0

昔から変わらない、私の身長なんかとはとても比べ物にならない大きさの、一本の桜の木。
三月の末を迎えたそれは、嘗て見た時と同じように、見事な満開の桜を携えている。
時折、暖かな陽気を含んだ春の風が枝葉を撫で、はらりと雨のような花弁を降らせる。

頭上を見上げれば、ちらほらと見える白い雲の隙間から、清々しいほどに青く澄み渡る空が見える。
晴れてよかった。そう思いながら、私は踊るような足取りで桜の木へと歩みを寄せた。

265 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:55:56 ID:yBkR092c0

荷物を粗方置き、桜の木の前に立つ。
そしてそのすぐ傍にある、大学を卒業した私が勝手に作った、木製の椅子に腰かけた。

国有数のホールに置いても、何ら違和感を生じさせないであろうコンサートチェア。
手すりやクッションまである本格的な観賞用の椅子は、本当は私のために作ったものじゃない。

この席は、とある人のために十年前から用意していた予約席だ。

だが、予定時刻まではまだ少し余裕がある。流石にここまで歩いてくるのは疲れた。
それに、先に約束を破ったのは向こうだ。
なら、ちょっとくらい私が占拠したってアイツは文句を言わないだろう。

266 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:56:58 ID:yBkR092c0

腰を落ち着けたまま、私は一冊の音楽雑誌を取り出した。
『ハロー・サン』という記者の名前が左下に小さく書かれているのを確認し、予め挟んであった栞の部分を開く。

『天才ヴィオラニストの世界ツアー、ウィーンでの公演にて無事終了』と書かれた見出しの見開きの部分。
そこに自分の名前が載っていることを確認しながら、冒頭から目を滑らせていく。
『ヴァイオリニストとしても』だの、『ザルツブルク公演でのコンマス』だの、随分と前のことまでよく取り上げたものだと感心しながら、私はじっと文章を読み進めていった。

あと数行、そう思ったところで、隣に置いていたスマホのアラームが鳴った。
せっかく昔から贔屓にしてくれている記者が書いてくれた記事なのだ。
最後まで読みたかったが、仕方がない。また後日に続きを読むとしよう。

好きな人から貰ったビオラの栞を丁寧に雑誌に挟み込み、本を閉じる。
折れたりしないよう丁寧に鞄に入れた私は、椅子から勢いよく立ち上がった。

267 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:57:43 ID:yBkR092c0


ミセ*゚ー゚)リ「――よしっ。じゃあ、やるか!」

腕まくりをし、公演の準備を始めていく。
物を片付け、邪魔な雑草を刈り、”堂島ミセリ”が演奏するに相応しいステージを順調に整えていく。
本当は使用人にも手伝ってもらおうかとも思ったが、まぁ、ここまで宣言通り一人で歩いてきたのだ。

自分が決めたことくらい、最後まで、自分の手で終わらせたい。

桜の大木から少し離れたところに椅子を置く。
そしてもう一つ。ここまで何とか持ってきた台車に積まれた、大きな長方形。
私の身長すら軽く超すそれを慎重に立て、後ろに支えを用意し、幾重にも刻まれた布を解いていく。

そして、誰も座っていない椅子のすぐ隣。
予め敷いてあったブルーシートの上に、汚れないよう慎重に置いた。

268 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:59:16 ID:yBkR092c0

ミセ*゚ー゚)リ「………うん」

ミセ*^ー^)リ「やっぱり、良い絵ね」

とある美大に通っていた学生が十年以上前に描き、その年の卒業制作の作品として展示された絵。
その絵には様々なコレクターや収集家が購入希望を出したものの、最終的に“2000万円”という耳を疑うような額で、とある大学教授に購入された。

その絵のタイトルは、『ヴィオラ』。

豊かな色使いで描かれた、春の陽気と暖かさ、それでいて、力強く華美な美しさ。
手前に描かれた青の花や、無数に舞い散る桜の花びらの描写もまた、全体の景観を損なうどころか、自然の新たな魅力を上手く表現している。
何より人々の目を惹いたのは、その中心に描かれている、ヴィオラを弾いている少女の姿。

四季の一つを閉じ込めたとすら評されるその魅力と、それを表現するために懸命に磨かれた技術。
そして、ただの美大生が描いたその絵に非常に高額な値段がついたことから、当時、大きな話題となった。

269 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:05:26 ID:yBkR092c0

だが、この絵が話題になったのはその一度だけじゃない。
もう一度だけ、この絵にスポットライトが当てられた時がある。
それも、つい最近のこと。

一ヶ月前、購入者が展示依頼すら断り続けて保管していた『ヴィオラ』は再び表舞台に現れ、テレビやネットニュースでも大きく取り上げられた。
どんな金持ちや外商に説得されても絵を手放さなかった大学教授が、日本に帰国したばかりのとある音楽家の女性に、二つ返事で『ヴィオラ』を売却したのだ。

購入した女性が『ヴィオラ』につけた値段は、なんと3億。
元の購入金額の15倍。人一人が一度の人生で稼ぐと言われている、生涯賃金と同等の値段。
その事実に、再び芸術界隈はざわついた。

270 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:06:43 ID:yBkR092c0

購入した女性は『ヴィオラ』を購入した理由を尋ねられた際、インタビューでこう答えた。

ミセ* ー )リ『なんで買ったのかも何も…そもそもこの絵は十年前に私が、好きな人から貰ったものなの』

ミセ* ー )リ『私はただ、私自身でこの絵に、分かりやすい価値をつけたかっただけ』

ミセ*^ー^)リ『――世界ツアーのギャラ、消し飛んじゃったわ』

なんて、笑いながら、なんでもないことのように答えたという。

271 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:08:10 ID:yBkR092c0

準備が終わり、改めて置いてある『ヴィオラ』と、空いている椅子を改めて見つめる。
絵の中には、まるで恋する乙女みたいな顔で、楽しそうに楽器を奏でている少女。
そして、椅子の上には、誰もいない。

ミセ*゚ー゚)リ「…ごめんね。随分と時間かかっちゃった」

誰も何も腰掛けていない椅子に、優しい声色で話しかける。

ミセ*゚ー゚)リ「……アンタがいない十年、長かったわ」

ミセ* ー )リ「それなりに色々あったけど…まぁ、そういう話はまた今度でもいっか」

ミセ*゚ー゚)リ「アンタが聴きたいのは、きっと、こっちでしょ?」

置いていたカーボンケースを開き、中に保管されていた楽器を取り出す。
「ヴィオラ」。3億もの値段が付いた絵と、同じ名前を持つ楽器。
どんな楽器よりも優しく、広く響く音を出してくれる、私の大好きな楽器だ。

272 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:09:25 ID:yBkR092c0

桜の木の下に立つ。
この日のために用意したドレスが、桜から漏れた陽光を白く反射している。

私の前には、誰も座っていない、コンサートホール用の椅子が一脚だけ。
観客も、伴奏も、指揮者すらもいない。
もういない誰かさんのためだけに捧げる、私の人生全部を籠めたソロ・コンサート。

273 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:09:53 ID:yBkR092c0

ヴィオラと弦を持ち、私はゆっくりとお辞儀をする。
日本だけでなく、海外公演でも数えきれないくらいにした、演奏開始前のお辞儀。

弦を構え、ヴィオラに当てる。
曲目は、初めて彼に会った時、気まぐれに弾いていた曲。
ブラームス 〈ヴィオラ・ソナタ〉 第二番。

目を瞑り、深呼吸をする。
誰もいない椅子に、一枚の花弁がひらひらと落ち、着陸したその瞬間。

花びらが地面に落ちるような速度で、私はゆっくりとヴィオラを弾いた。

274 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:11:26 ID:yBkR092c0


――私は結局、彼のことを何も理解できなかった。


何も言えなかった。何も伝えられなかった。
何も出来ないまま、彼は私の前からいなくなってしまった。

彼が私のことを、本当はどう想ってくれていたのか。
どういう意味で、『ヴィオラ』の解説欄に「大好きです」なんて書いてくれたのか。
彼は一体どんな気持ちで、あの『ヴィオラ』という絵を描いたのか。
彼はどんな心地で、私のヴィオラを聴いてくれていたのか。

本当のところは何も分からない。
こうして、長い年月をかけてみたけど、結局彼の気持ちは分からないまま。
私は、彼みたいには成れなかった。

275 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:12:23 ID:yBkR092c0

ずっと先の未来、もしも天国で君に遭えたら、どんな顔をして、何の話をしよう。
君がいなくなってから、そんなことばかりを考えてヴィオラを弾く十年だった。

君の好きな花が知りたい。
君のお気に入りの本が読みたい。
君が泣いた映画が観たい。

本当は、君が私のことをどう想ってたのか、知りたい。
そんな、叶う訳のない願いを抱いたまま。
貴方だけを胸に抱いたまま、この十年を生きてきた。

きっと、この生き方はこれからも変わらない。
私はこの先ずっと、もういない貴方を想いながら、とある絵と花に縋りながら息をするのだろう。

276 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:13:22 ID:yBkR092c0

振り返れば、ずっとそうだった。

彼は最初からずっと優しかった。
怒らないとか、逆らわないとか、そういうことじゃない。
私なんかに「優しい」と言える人で、自分の弱さや醜さにも、きちんと立ち向かえる人だった。

ずっと、私だけが貰うばかりだった。
ハンカチも、押し花の栞も、絵も、想いも、笑顔も。
何もかも、私はただ貰うばかりで、私が彼にあげられたものなんて何もない。


だけど。

277 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:15:05 ID:yBkR092c0

もう遅いけれど。今更だけれど。
もしもまだ、彼に、私の想いが届くとしたら。

きっと、歯の浮くような言葉よりも。
世界中で使い古されたような文章よりも。
こっちの方が、きっと君は、喜んでくれるだろうから。

ヴィオラを弾く。
誰もいないソロを慰めるように、暖かな風に乗った花びらが舞う。

うっすらと目を開く。
椅子の上には誰もいない。
もういない貴方への、きっと届かないラブソング。

278 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:16:30 ID:yBkR092c0


ミセ*;ー;)リ


最後の一音の響きが、止んだ。


目を閉じる。花びらに紛れて、一滴の雫がポトリと落ちる。
ヴィオラから弓を放す。
一歩進んで、誰もいない椅子に向かってゆっくりとお辞儀をする。


春風に吹かれて揺れる桜の木々が、拍手みたいな音を鳴らした。

279 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:19:07 ID:yBkR092c0


人生に名前をつけるとしても、”希望”って言葉は違うと思う。


この世に生を受けて早三十年と少し。
主観的に見れば十二分に長いと思えるその時間の半分を、私は”妥協”という非常に響きの悪い言葉で満たしてしまった。

逃げた学校。嫌な観客。告げられた病。毎日惰性で読む本。諦めた未来。すっかり埃の被った弓とヴィオラ。
全部を諦めた振りをして、当時の私は生きていた。

どれもこれも、昔の自分が思い描いていた理想にはまるで届かないほどに遠ざかった。
かと言って、全てを諦めるにはあまりにも死が近かった。
そんな中途半端な位置で、足掻くこともせずただ怖がっているだけの人生だった。

このひどく情けない生き方はきっとこれからも変わらない。
今日も、明日も、人生最後の日の私も、ずっとこの形容し難い燻りを抱えながら、全てに納得している振りをして息をするのだろう。

280 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:19:30 ID:yBkR092c0

――そう思っていた。
彼に出会うまでは。

281 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:21:42 ID:yBkR092c0

素敵な言葉と想いを貰った。
花の魅力を教えて貰った。
綺麗な青花の栞を貰った。
泣きそうになる程に、美しく描かれた絵を貰った。

彼と比べれば、私の人生はとても他人様に誇れるものじゃない。
好きな人に、ひどいことをたくさん言った。ひどいこともたくさんした。
そして、最後の最期まで私は、想いの一つすら伝えられなかった。

もっとヴィオラを弾いてあげればよかった。
もっとたくさん話をすればよかった。
もっと、彼の笑顔を見たかった。

詰まらない意地で、他でもない私自身のせいで、大好きな人を失った。
こんな後悔だらけの人生を称するのに、間違ったって”希望”なんて言葉は選べない。

282 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:23:00 ID:yBkR092c0

……それでも。

それでも、もし、そんな人生でも何か一つ、こんな私にも一つ、誇れるものがあるとするのなら。
私達の人生に名前を、タイトルをつけなきゃいけないとするのなら。

私達の人生が、一つの絵だとするのなら。
一つの音楽だとするのなら。
一つの物語だとするのなら。


そのタイトルは、そう、きっと―――。

283 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:25:15 ID:yBkR092c0



( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ


〜おしまい〜

284 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:26:23 ID:yBkR092c0
終わりです。

めちゃくちゃ遅刻しましたマジすいませんでした。

285 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 02:33:53 ID:yBkR092c0

青いビオラの花言葉
・純愛

286名無しさん:2024/05/01(水) 17:47:54 ID:FwJJSyz60
乙乙
夏の京都×お嬢様×絵描きなんて素敵…シチュ萌えだわと思っていたらうわあぁぁ!!
悲しいけれど、ラストの色合いが淡く綺麗でとても良かった。
町並みや卒展等の色んな説明が入っているのもお出かけ気分で楽しかった。

287名無しさん:2024/05/01(水) 21:48:40 ID:nxfZc3nw0
乙!!

288名無しさん:2024/05/03(金) 22:35:34 ID:NDvChG1A0
心を震わされた…
めっちゃ良かったです乙

289名無しさん:2024/05/06(月) 14:20:36 ID:uFBcu.Ag0
乙!
綺麗だったけど、どうしても二人で幸せになるルートはなかったんかなと思ってしまう…

290名無しさん:2024/05/07(火) 15:14:50 ID:8F/EXrik0

綺麗なお話しでした。
ミルナとミセリには二人で幸せになって欲しかった……

291名無しさん:2024/12/20(金) 05:04:57 ID:GwUyoSTg0

プチ番外編

『プリンと細君のようです』

292名無しさん:2024/12/20(金) 05:06:57 ID:GwUyoSTg0

桜の一片にも思えるような白い影が一粒、頬を滑った。
全身を隈なく包む冷気よりも一際冷たい感覚に一瞬意識を奪われる。
数年前に妻から貰った手袋越しに頬を拭うと、右手の指先には微かだが小さな氷の結晶が付着していた。
雪だ。それもおそらく、初雪。

まだ十二月に入ったばかりなのに、という考えが浮かんだ自分に苦笑が浮かぶ。
自分が生まれ育った地域では十一月には雪が降って当たり前だったというのに。
こちらに移り住んで早十年、いつの間にか京の都という雅な土地に思考すら染め上げられてしまったらしい。

( ゚д゚ ;)(……しまった、まずい)

左手にのしかかる重さに、はっと意識を引き戻された。
初雪に気を取られている場合ではない。一秒でも早く家に戻らなくてはいけないのに。
手に持っている箱の中身が崩れないように注意を払いながらも懸命に早足で歩きなれた道を進んでいく。
駅から徒歩数分の場所を選んで購入した我が家である筈なのに、何故だか今は嫌に遠く感じた。

293名無しさん:2024/12/20(金) 05:08:06 ID:GwUyoSTg0

時が経つにつれ段々と視界が白くなっていく。今年初の雪であるというのに初手から随分な大立ち回りだ。
普段なら愛しの我が子たちと共に外の一望を願うところだが、一秒でも早く家に着きたい今の状況ではそうも願えない。
最初に送った連絡が確か17時過ぎのもの。それが20時までもつれ、今の時刻は21時にさしかかろうとしている始末だ。一秒たりとも呆けている時間などないのに。

仕事が終わってすぐに飛び乗った電車は確か8時15分発だった。二十数年を共にしてきた自分の体内時計を信じるならば、今の時刻は間違いなく21時をとっくに過ぎているはず。
希望的観測を頼りに「20時までには家に着きそう」なんてメッセージを飛ばした自分に腹が立つ。
念のために電車内で訂正のメッセージを送ったが、既読こそ付いたものの、スタンプすら返ってこない。

嫌な予感が汗という具体的な形となって首筋を伝う。外は雪が降るほどの気温である筈なのにまるで真夏のような汗のかきようだ。
八年という経験則と、もうすぐ三十の大台に乗る直感が脳内で激しく警告音を鳴らしている。

怒っている。間違いなく。それも相当に。

294名無しさん:2024/12/20(金) 05:09:12 ID:GwUyoSTg0

ようやく家の玄関前に着いた頃には、道路は所々白くなっていた。
外気温のせいで白く濁る息を整え、大きな音がたたないよう慎重に扉を開く。

( ゚д゚ ;)「…た、ただいまー……」

リビングにすら届かないであろう声量で、形ばかりの常套句を述べた。
いつもなら返ってくるはずの言葉や、舌足らずで元気な声は少しも聞こえない。
もう寝てしまったのだろうか。少し残念に思いながら革靴を脱ごうとした、その瞬間。


|-゚)リ「………えり」

Σ( ゚д゚ ;)「うわっ…!?」

リビングに繋がる廊下の向こうで、壁から顔の半分だけを覗かせている妻の姿があった。

( ゚д゚ ;)「た、ただいま……」

驚きで逸る心臓の鼓動を感じながら、改めて妻に声をかける。
妻はじっと恨めしそうに僕の顔を見た後、サッとリビングに消えていった。

295名無しさん:2024/12/20(金) 05:11:00 ID:GwUyoSTg0

ネクタイを緩めながら洗面所でサッと手洗いうがいを済ませ、おずおずとリビングに入る。
二つあるうちの片方だけ白い灯りがついた部屋の中、妻は仏頂面で炬燵を兼ねた食卓前に座っていた。
炬燵の中に半身入っているとはいえ、その威圧感はまるで緩和されていない。

ミセ# ー )リ「……」

( ゚д゚ ;)「えっと……こ、子どもたちは…?」

ミセ# ー )リ「とっくに寝たわよ。20時までは頑張って起きてたけどね」

結婚する前を彷彿とさせるような冷たい声が暖かい筈の部屋内を一気に満たす。
外で降り始めた初雪などまるで比べ物にならない視線で射抜かれながらも、言い訳の一つも出てきそうになかった。

近日を振り返ってみれば当然だ。
残業に次ぐ残業で家事の一つも碌に出来ていない。いつも帰ってくるのは夜遅く、家を出るのは朝早い。子どもたちと真面に会話をしたのだってずっと前だ。
挙句の果てに、「早く帰れる」などとメッセージを送ったにもかかわらずこのザマである。情状酌量は見込めない。

296名無しさん:2024/12/20(金) 05:14:33 ID:GwUyoSTg0

( ゚д゚ ;)「ご、ごめん。ギリギリで、手が離せない仕事が入っちゃって…」

ミセ#゚―゚)リ「連絡の一つくらいも送れないくらいに?」

ぐうの音も出ない言葉に何も発せず立っていると、氷のような視線が僕の左手へと移されるのが見えた。
今更すぎるとは思ったが、このまま黙って冷蔵庫に仕舞う訳にもいかない。
僕は下手に言葉を紡ぐことを諦め、炬燵を兼ねた食卓の上に紙袋を置いた。

ミセ#゚―゚)リ「……なに、それ」

( ゚д゚ ;)「そ、その…偶にはいいかなと思って…」

些細なことでは破れないだろう立派な紙質で出来た袋から取り出されたのは、数人分のスイーツであった。
表面が黄金色にキャラメリゼされたプリンに、二歳になった上の子でも食べられるビスケットの詰め合わせ。
お洒落なフランス語で店名が書かれた菓子たちをテーブルの上に並べていく。

妻と、上の子の好物だ。

297名無しさん:2024/12/20(金) 05:16:10 ID:GwUyoSTg0

ミセ#゚―゚)リ「…こんなの買う余裕はあったんだ?」

( ゚д゚ ;)「い、いや!ちがっ…!」

弁解の旨を叫ぼうとした途端、隣の部屋で眠る二人の子どもたちを思い出し慌てて口を閉じた。
前に玄関を開ける音で下の子を起こしてしまった前科があるのだ。再び寝るまで必死に寝かしつけながら妻に睨まれたあの夜は、出来ればもう体験したくない。

( ゚д゚ ;)「…一度、17時には出られたんだ。それで、駅で色々買ってから帰ろうと思って」

( ゚д゚ ;)「でも、トラブルが起きて、電車に乗る前にまた戻らなきゃいけなくなって…」

( -д- ;)「……本当に、ごめん」

何を口にしたところで言い訳だ。仕事を理由にしたところで、家のことを全て彼女に任せっきりにしたことには変わりない。
何より、呼び戻された時点ですぐに連絡の一つでも送るべきだったのだ。細かな連絡を疎かにし、どれくらいの帰宅になるのかも正確に伝えなかった。
どう見たって弁論の余地はない。完全に非は僕にある。

298名無しさん:2024/12/20(金) 05:17:02 ID:GwUyoSTg0

ミセ*゚―゚)リ「……」

ミセ*- -)リ「………座りなさい」

しばらく無言で話を聞いてくれていた彼女は、炬燵に入ったまま机をトントンと指で叩いた。
許してくれたのだろうか。少し怯えながらも、妻の対面にあたる位置にそっと足を入れようとした。
その瞬間。

ミセ# ー )リ「…馬鹿。こっち」

不満そうな表情には一切変化がないまま、妻はすぐ隣の机をトントンと改めて叩く。
子育てをしながらも現役でプロの演奏家を務めている彼女の指は、昔から変わらずしなやかだった。

299名無しさん:2024/12/20(金) 05:18:27 ID:GwUyoSTg0

( ゚д゚ ;)「…え?」

ミセ# ー )リ「はやく」

動揺しつつ、ゆっくりと炬燵から足を出して彼女の隣に移動する。
将来、子どもたちが大きくなることを想定して買ったテーブルだ。大の大人が二人並んで入っていても、少々狭くは感じるが然程不便にはならない。
これで正しいのだろうか。そう不安になりながらも、妻の横に体を入れた。

ミセ*-o-)リ「…あー」

並んで炬燵に入ると、妻は何も文句を言わず、その小さな口をぱかっと開いた。
何をご所望なのかさっぱり分からないまま、じっと妻の顔を見る。
既に時刻は夜だ。お風呂だって済ませているだろうし、後は寝るだけといった状況の筈。
化粧だって落としきった後だろうに、昔とほとんど変わらないように見える容貌に思わず見惚れてしまう。

ミセ# ー )リ「………んっ!」

「本当に年をとっているのか」なんて呆けたことを考えていたのも刹那、妻は苛立ちを隠そうともしないまま前にあったプリンを手に取り、テーブルに音をたてて置き直した。
部屋に響く音にびくついた次の瞬間、プリンに付属していたプラスチックのスプーンもまた軽く机に叩きつけられる。

わざとらしい程に存在を強調されたプリンとスプーン。
わざわざすぐ隣まで移動させられた意味。

ミセ*-o-)リ

そして、再び口を開けて待機しているだけの妻。

300名無しさん:2024/12/20(金) 05:19:02 ID:GwUyoSTg0

( ゚д゚ ;)「………」

「まさか」なんて言葉が思い浮かぶも、口にはせずに仕舞い込んだ。
出会った頃に比べれば彼女はずっと素直になったし、僕だって人としてある程度は成長した自負がある。今の彼女が自分に求めている行動について、確信に限りなく近いレベルで予想はついている。

だが、この年でまさか、こんなことを要求されるとは。

プリンの蓋を開け、スプーンで掬う。
零れないよう慎重に持ち上げ、妻の口へとゆっくり運ぶ。
すると、彼女はどこか満足そうに口を閉じ、嬉しそうにもぐもぐと咀嚼した。
しばらく味を楽しんだ後、再び彼女は目を閉じたまま口を開く。

どうやら、自分の予想はちゃんと合っていたらしい。

( ゚д゚ ;)「……あの…?」

ミセ*-〜-)リ「せっせと手だけ動かしなさい」

付き合いたてのカップルくらいしかしなさそうな行為に些か恥ずかしくなり、思わず声を発してしまう。
結婚する前だって、こんなテンプレート染みたことは碌にしなかった。
誰にも見られてないとはいえ、もう二児の父親となった身だ。流石に羞恥心というものがある。

301名無しさん:2024/12/20(金) 05:20:09 ID:GwUyoSTg0

ミセ*-o-)リ「…寂しがってたわよ。二人とも」

プリンを掬おうした途端、背筋が伸びるような声が発された。
生まれてまだ一年にも満たない赤子と、もう二歳になり舌足らずながら言葉を話すようになるまで成長した上の子。
夜は家に帰るのが遅く朝は家を出るのが早い最近は、寝顔しか真面に見られていない。

ミセ*- -)リ「今日だって"おとしゃんが来るまで寝ない"、なんて言って」

( ゚д゚ )「……」

ミセ*-o-)リ「ほら、手は止めない。あーん」

( ゚д゚ ;)「え、あ、ごめん。あーん……」

妻の口へと懸命にプリンを運びながら、脳裏に浮かぶのは二人の子。
いや、今に限った話じゃない。仕事をしている時も、出勤中も帰宅中も、考えているのは家族三人のことばかりだ。

302名無しさん:2024/12/20(金) 05:21:40 ID:GwUyoSTg0

恵まれている自覚はある。
興味のあった仕事は出来るし、少ないが絵の仕事も貰えている。何より自分の心臓なんかよりもずっと愛しい存在が三人も家で待ってくれている。
幸福だ。ゆったりと死を待ちながら筆を動かしていたあの日々とは比較にならないくらいに恵まれている。自惚れかもしれないが、そう思う。

なのに自分は今、それを毎日蔑ろにしている。
過去に一度は諦めたはずの幸福を手にできたのに、それを護る努力を怠っている。
仕事などという一単語が理由になり得るはずもないのに。

( -д- )「……ごめん」

ミセ*- -)リ「謝るなら私じゃなくて子どもたち。勘違いしてるなら言うけど、二人とも寂しがってるんだからね」

ミセ*゚ー゚)リ「昔から変に自虐的な考えするでしょアンタ。父親として、するべき自惚れはしなさいよ」

心を見透かされたのかと思い、一瞬スプーンを落としそうになる。
慌てて両手で持ち直し妻の方を見るも、口をむぐむぐと動かす彼女の目は閉じたまま。
まぁ、目を開いているかどうかなんて本当に関係がないのだろう。僕のことについてなら、僕自身より彼女の方がずっと詳らかに見てくれているのだから。

303名無しさん:2024/12/20(金) 05:24:11 ID:GwUyoSTg0

ミセ*゚ー゚)リ「昔、もう嘘つかないって約束したでしょ。そのつもりがなかったとしても、結果的に嘘になることだって許さないんだから」

ミセ*゚ー゚)リ「今後は遅くなりそうならもっと、こまめに連絡するように!」

( ゚д゚ )「…気を付けます」

悪戯っぽく笑う妻の表情を見て、ふと、昔のことを思い出した。
付き合うよりも更に昔。一介の絵描きと、病弱なヴィオラ弾きのお嬢様の話。
夏の終わり頃、車椅子に乗っていた彼女と交わした約束の一つ。
結婚した今でも、あの時の約束は全て有効なままであった。

ミセ*-o-)リ「よろしい。じゃ、あーん」

( ゚д゚ ;)「あ、これは続けるんだ…」

てっきり腰を据えて話をするきっかけ作りだと思ったのだが、甘い物は別らしい。
チビチビと少しずつあげていた筈なのだが、プリンの体積は既に5分の1もなくなっていた。
まぁ結構良さげな店で買ったし、そもそもそんなに大きなプリンでもなかったから当然といえば当然か。

304名無しさん:2024/12/20(金) 05:25:32 ID:GwUyoSTg0

ミセ* ー )リ「……もういっこ、念のために言うんだけど」

( ゚д゚ )「ん?」

ミセ* ー )リ「…分かってるとは思ってるけど、一応、その……」

口のすぐ前までプリンを運んだが、妻は食べようとせずに俯いたまま。
何だろうかと手を少し引っ込め、彼女の言葉に耳を傾ける。
最近はこんな風に二人でゆっくり話すこともなかった。今回は良い機会だろう。そう思い、黙ったまま二の句を待つ。すると、少し躊躇いがちに妻はゆっくりと口を開いた。



ミセ* ー )リ「――寂しがってるのは子どもたちだけだなんて、思わないで、よね」

305名無しさん:2024/12/20(金) 05:27:17 ID:GwUyoSTg0

コトンと、小さな音が鳴った。

テーブルに力なくスプーンと、一口サイズのプリンが転がる。
すぐに拭くための手も動かないまま、僕はじっと妻の顔を見つめていた。

ミセ;*゚ー゚)リ「ちょ、ちょっと、零さないでよ」

( ゚д゚ ;)「ご、ごめん…今日、一番、ビックリしたから」

端にあったウェットティッシュを手に取り、慌ててテーブルの上を拭く。
既にプリンの容器の中は、僅かに残されたカラメルが揺れるだけであった。

ミセ*゚ー゚)リ「カラメル…勿体ないし、捨てるのもアレだし、飲んじゃうわ」

( ゚д゚ ;)「えっ、これも?」

ミセ*-o-)リ「炬燵から手出すと寒いのよ。ほら、はーやーく」

一瞬だけ見せてくれた恥じらう様子から一転、妻の顔がすっかり見慣れた平常のものへと変わる。
手を炬燵から出さないまま口だけを開き、ねだる様は子猫や雛の類だ。

306名無しさん:2024/12/20(金) 05:28:41 ID:GwUyoSTg0

……ふと、小さな悪戯心が芽生えた。

思い返せば、二人目が生まれてからは特にそういうこともしていない。
それについさっき、やたらと可愛らしい言動で心を惑わされたばかりだ。
父としてはいくらでも情けなくなる覚悟はあるが、妻と一対一の夫としてはこのままというのも少し悔しい。

( д )「…もうちょっと口閉じてて、零れちゃうから」

妻の口が更に小さくなったことを確認して、プリンの容器を手に取った。
そして彼女の口に近付けることなく、音を立てずにかつ迅速に、中に入っているカラメルを自分の口へと流し込む。
容器を置き、絹のような手触りの髪と頬をさらりと撫でつつ首の後ろに手を回す。
何か違和感を覚えたのだろう。妻の目がうっすらと開かれそうになった、その瞬間。

被せるように、唇を重ねた。

307名無しさん:2024/12/20(金) 05:29:49 ID:GwUyoSTg0

ミセ;* - )リ「――っ!?」

途端に慌てふためく妻。だがお構いなしに、彼女の口内へと甘ったるいカラメルをゆっくりと流し込む。
溢れないように舌を絡めながら、自分から逃げられないようにしっかりと彼女の華奢な体を抱きしめたまま。飲み込みやすいよう、少しだけ自分の方が上になるように傾けつつ。

最初の方だけ聞こえた小さな呻き声も、瞬く間にささやかな水遊びみたいな音に変わる。
妻の後頭部に回していた右手を移動させ、喉の部分にそっと押し当てる。カラメルが彼女の喉を通るたび、握ればたちまち折れてしまいそうな細く白い首がびくびくと跳ねるのが分かる。
繋がっていたのは果たして数秒か、数十秒か。互いの口内に何もなくなったことを舌で確認した後、ゆっくりと妻の唇から口を離した。

ミセ;* Д )リ「――っ、は、はぁっ…」

水面から浮き上がったかのように呼吸が荒くなっている。
お風呂上りみたいな紅潮した頬と、少しの潤いを携えたとろんとしている瞳。
ちょっとした仕返し程度のつもりだったのだが、どうやら効果は十二分にあったようだ。

308名無しさん:2024/12/20(金) 05:31:24 ID:GwUyoSTg0

( ゚д゚ )「……僕も一応、念のために言うんだけど」

彼女の背中に回した左腕から力は抜かないまま、しっかりと目を見て口を開く。
ずっと昔、とある女性をメインに描いた絵に、作家コメントとして書いた言葉。
その後、付き合う時も、プロポーズした時も、決まって必ず口にした言葉。

( ゚д゚ )「――大好きです、ミセリさん」

口にしたことは人生でもほんの数回。にもかかわらず、不思議と口馴染みのあるフレーズ。
そう簡単に口にすべきではないと分かっていても、何度だって伝えたくなる、心臓が痛くなる言葉。

ミセ;*゚ー゚)リ「……!」

妻の目が一瞬だけ大きく見開かれる。
その後、どこか泣きそうな顔をしたかと思えば、ぽすんと僕の胸に彼女の額が乗せられる。

ミセ;* ー )リ「……私も」

ミセ;* ー )リ「ちゃんと、大好きだからね。ミルナの、こと」

顔は上げられないまま、心臓に直接言葉が届けられるみたいな声が響く。
下を向く。初心な少女みたいにゆっくりと顔を上げた妻と視線が重なり、どちらからともなく笑い合う。

309名無しさん:2024/12/20(金) 05:32:06 ID:GwUyoSTg0

明日は別に休日じゃない。
次の朝だってきっと我が子たちの寝顔に後ろ髪を引かれながら家を出て、仕事に追われて、子どもたちが寝静まった夜中にやっと帰ってくるに違いない。
絵の仕事だってあるから、次に家族との時間をちゃんと取れるのはもっと先になるだろう。

それでも。
家に帰ってくれば、妻がいるなら。子たちがいるなら。
どれだけ仕事が辛くても。忙しくても。休みがなくても。

明日も頑張れそうだと、そう思った。


〜おしまい〜


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