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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?
1
:
名無しさん
:2018/05/24(木) 03:19:28
.
2
:
要
:2019/06/08(土) 03:48:37
はい。
https://zawazawa.jp/kenkakai/
3
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2019/08/18(日) 21:38:52
千尋くん見ていますか?お元気ですか?三食ちゃんと食べてますか?
ホントに心配してます。連絡ください。
4
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2019/08/18(日) 23:05:06
夕方の街を歩いていて、街頭の下で佇んでいるオジサンを見ました。ハンマーヘッドシャークって知ってますか?あのサメみたいに目が異常に離れている顔つきです。
何かを必死に書き綴っているような動作をしていて、メモでも取ってるんだなーと思ったんですが、よく見るとペンを持っていない。それどころか紙すら持っていない。
手を何か摘まむような形にして、ツメを立てて手のひらに一生懸命擦り付けてるようでした。理由とか動機は全く不明なんですが、まぁ何ですかね?自分の手のひらの上で摩擦熱で火を起こそうとしているんじゃないか、みたいな感じです。ゴシゴシやってる訳です。
ただその勢いが異常なんです。狂気を感じるぐらい。ツメが剥がれるか手のひらの皮が剥がれるかという勢いで、目を見開いて、周りを全く意に介さず、一心不乱に。
それでたまに”ングッ!”とか”フヒッ”みたいな声を上げるんですよ。
横目で通り過ぎるときに、オジサンの唇の端から涎が垂れていくのが見えました。
気持ち悪いじゃないですか。恐らく50過ぎの浮浪者みたいな恰好をしたオジサンが。悪夢です。精神障碍者なんだと思います。
動物以下だなと思いました。というと語弊がある言い方なんですが、動物は行動原理がシンプルな分、明白なんです。行動と動機付けが。
野良犬が必死に地面を掘り続けていても”気持ち悪い犬だ”なんて思いません。
人間固有の複雑な行動原理や欲望を社会的な圧力の中で昇華することに失敗した結果、不均衡な複雑さが産み出す整合性を無視した異端、
そういったものを目に見える形で見させられるのは、いい気持ちではありませんでした。
他の通り過ぎる人たちも、ちらりとそのオジサンを見ただけで、何かを察したような感じで、すたすた横を歩いて行きました。
”ああ、この人キチガイだな、みんな見なかったことにしましょうね”っていう、健常者だけが感知できるある種の共有認識みたいなものってありますよね。
でもそういうのを感じる瞬間って不思議と不快じゃないです。むしろ、愉悦を覚えます。”自分はマトモな側にいる”って思えるからでしょうか?
驕りですね。自分がソッチ側にいない保証なんて何処にも無いのに。
5
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2019/08/18(日) 23:15:44
千尋くんの事を思い出したのは、ちょうどその時でした。気持ち悪いオジサンを見た時、周囲の人々と無意識の共有認識で繋がった時、残酷な優越感が脳みそにドーパミンをどぷどぷ分泌し始めた時。
脳みそと記憶って不思議ですよね。だって自分でももう覚えていないような何年も前の、ネット掲示板の赤の他人にまつわる漠然とした記憶が、日常のふとした瞬間を契機に、暗い洞窟に灯りを照らしたようにパッと閃きはじめるんですから。
覚えていないというのは妙な言い方でした。実際は覚えているんだけど、とっくの昔に意識的な関連付けを放棄していて、今では脳みその片隅に「千尋」と「キチガイ」っていう”付せん”のついた箱があっただけ、っていう状態でしょうか。
で、今回たまたま”キチガイ”というワードで検索を始めた脳みそが、たまたま気まぐれでその埃のカブった箱を見つけて、「こんなんあったでー」ってことで持ってきたっていう事なんでしょう。
でも、キチガイっていうキーワード自体は頻繁に検索にかけられているはずなんです。なぜ今回に限って”千尋”がヒットしたんでしょうか?わかりません。
おそらく、”千尋”には”キチガイ”以外の索引が付けられていて、それも複合的に検索結果として現れたというところだと思います。
この文章を千尋くんが読むことは無いでしょう。おそらくもう千尋くんは死んでるでしょうから。何も無い人生に絶望してクソ垂れ流しながら首吊って死んでるんだと思います。そうじゃなくてもあまり興味はないです。いずれにせよ結果は同じでしょうから。
でももし、万が一、この文章が千尋くんに届くことがあるのであれば、これだけは覚えておいて欲しい。
世界の片隅、見も知らぬ浮浪者のキチガイが手のひらを擦り続けていて、その光景を見る度に、千尋という名前を思い出す人間が居るんだということ。千尋くんの人生は全くの無価値というわけでは無かったということ。
そして今、”千尋”という単語に新たに”浮浪者”、”ハンマーヘッドシャーク”という関連付けが加わったということ。これだけは忘れないでほしい。
6
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2019/08/18(日) 23:42:13
センパイTribal Trapって超DOPEじゃないッスか?マジパキッってんスけど
https://www.youtube.com/watch?v=xt544bCPqAw
7
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/06(金) 23:22:14
10年ぐらい前喧嘩サイトに書き込みしてたのは中学生のころで、そのあとしばらく無職でブラブラしてた頃があって、ある日、海外の幻覚物質に関するドキュメンタリーを見て凄く興味が湧いた事があった。
それはアイオワスカというアマゾンの部族が宗教的な儀式で飲用する幻覚剤で、現地に自生する特別な植物を煮詰めて作られる。
死にかけの野良犬がひり出した下痢みたいな色で味も最悪なんだけど、何か特別かというと、これを飲むとマジクソブッ飛ぶらしい。
いやぶっ飛ぶなんてもんじゃなくて、もう脳みそパキパキのチンポバキバキで意識が宇宙とコネクトされて自我が時空を超越し超自然的な悟りの境地を得られるらしい。
なんてったって頭に孔雀だかなんだかの羽付けた半裸のシャーマンが前歯カチカチ言わせて痙攣しながらアヘ顔で涎垂らしてんだから間違いない。
その幻覚体験は強烈で、一度経験すると人生観が180度変わると言われている。
これはやるしかないと思って、ネットで色々調べたけど、ツアーに参加する方法がよく分からなかった。
ちょっと英語が出来るので海外圏のネットを調べると同じような事を質問しているRedditが有って、そこを見ると毎年参加してるから連れてってやるぜ!っていうファンキーなアメリカ人がいた。
ダメ元でメッセージ送ってみると、「日本人からメッセージが来るなんて思いもしなかった、インターネットってすげー!」みたいな謎の感動してて、既に何人かと約束してるから現地空港で会えるならついでに一緒に行ってもいいと言ってくれた。
ペルーの空港で落ち合ったあと、車で何時間もかけてアマゾン川の近くにある町まで行った。同行してたのはオタクっぽい無口のアメリカ人の男子学生と、自称ミュージシャンの日系のカナダ人のおじさんで、
お前は何してんのと聞かれて「自分探し中です」って言いたかったけど英語が分からなかったから"i'm looking for myself"って答えたら、超ディープな事言うね〜って感心された。
ガイドと思われる現地人の斜視で銀歯のおっさんとも会って、儀式は夜から始まるから適当に時間潰して、あと全部吐くことになるからメシは食うなみたいなことを言われた。
夜になると茅葺の小屋にほかのツアーの団体と一緒に集められてサークルを作ったあと、シャーマンが呪文的な詠唱したり、鐘を鳴らしながらロウソクを付けたり消したりいかにも儀式っぽい事をするのを眺めた。
その後、一人ひとり汚い陶器のコップを手渡されて一気に飲むように促された。めちゃめちゃ苦くて喉を通らないけど、気合いで飲み干した。
全員が飲み終わると、明りが消されて聞こえるのはシャーマンの歌、木が風で揺れる音、参加者の唸り声だけ。
しばらくすると幻覚作用が効いてきたのか、参加者たちが前後にゆらゆらしだしたり、布団に横たわって苦しそうな声を出したりし始めたけど、
俺は特に何も感じなくて、ただ背筋の寒気と、眠いけどどうしても眠れない時みたいな目の奥が疼くような感覚だけがあった。
それでもじっとしてると、何か頭頂部からすーっと引っ張られているような、見えない手に脳みそをつかまれて魂を抜き取られているみたいな感じがあって、
ついに来たか!?と興奮していたらすぐに元の感覚に戻ってしまって、ついでに全く無意識のうちにうんこを漏らしていることに気が付いた。
もうどうしていいか分からなくて、小学生みたいに手を挙げてシャーマンの人に「すいません、うんこ漏らしました」とジェスチャーでアピールした時の、彼の無関心と失望が入り混じった視線は今でも忘れられません。
とりあえず外に出るよう促されて、無言で水の入ったバケツと紙を数枚渡された。目の前でドアをピシャっと閉められてちょっと心が痛かったです。
パンツ脱いで綺麗にした後、うんこまみれのパンツをどうしたらいいか分からなかったので、手で地面を掘って埋めました。
もうその時点で儀式や幻覚や解脱体験とかはどうでもよくなっており、ただ具合の悪さとうんこを漏らしたという事実だけが重く自分にのしかかっていました。
帰りの道中のことは余り覚えてないけど、みんな気を使ってその話題は触れないようにしてくれて、カナダ人のおじさんは帰り際に「まだ若いんだから頑張れ」的なことを言ってくれた。
あとで知ったのはアイオワスカの幻覚作用には個人差があって、何も感じない人は本当に何も感じないそうだ。
まぁ、そんなことはどうでもいいし、もう二度とアマゾンに戻ることは無いんだけど、わざわざ日本からアマゾン川までやってきてうんこ漏らしたパンツを埋めていった日本人は歴史上俺しか居ないだろうなぁ、と思うと幾ばくか感慨深いものがありますなぁ、と思いを馳せたくなった次第でございました。
8
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/08(日) 00:48:06
なんとなく
>>2
の掲示板を眠い目しぱしぱさせながらセンチメンタルな眼差しで眺めてたら考えてたこと
喧嘩サイトは廃れたが、喧嘩という行為が廃れた訳ではないし、廃れることは未来的にも無い。旧来的な方式としての意味で今ある喧嘩というスタイルは絶滅していくかもしれないが、喧嘩という行為の核にあるコンセプトは人間の感情と交流のあり方に基づいているので、人間が社会性を保ち続ける限り消滅することはない。
端的に言えば、「喧嘩」という行為は、人間同士の社会的な関係における衝突という一種の禁忌を、合意形成を確認した上で楽しもうという”健全な”営みである。
一般的に人間社会において平和を乱し混乱をもたらす衝突行為は忌避されるべきイベントであり、能動的に衝突を起こそうとする存在は危険分子として忌み嫌われる。
衝突行為が日常化してしまうと、社会の秩序が乱され、正常な機能が出来なくなる。衝突行為は非生産的であり、真っ当な社会の維持と発展を阻害する悪魔である。
一方で、禁忌とされるものに魅力を感じ、抑圧と発散に愉悦を覚える者が一定数存在するのも事実である。そして、そういった欲望の顕在化は”社会不適合者”として排除されてしまう事に繋がる。
だけど、世の中には、相手を完膚無きまでに論破して敗北を認めさせる事に快感を覚える者もいれば、徹底的に人格否定の煽りを入れて相手の自尊心を粉々に踏み潰す事に執念を燃やす者もいる。
しかしそういった行為は平穏と規律を重んじる社会の観点から見た上で認められてはならない犯罪行為である。それら行為を合法化する為の場所が彼らには必要であった。その場所が喧嘩サイトなんだと思う。
「人をナイフでぶっ刺したら楽しーよね!」という異常者が他の異常者を呼び集めて、「お前、俺のことをナイフでぶっ刺していいから、俺もお前のことナイフでぶっ刺していい?」という契約を結んでお互いをナイフで刺し合うのが喧嘩という行為であり、それら異常者の隔離場が喧嘩サイトなのである。
余談だけど、異端に好奇心を覚えるというのは青少年の人格形成期に良く見られる現象で、多くの喧嘩師が比較的若い年齢のうちに喧嘩サイトに寄せ集められているのは、体制に対するアンチテーゼに一種の羨望を覚えたがる繊細な中二病のお子様達にとって喧嘩というアンダーグラウンドな世界観とその仕組みが魅力的に映るからではないかと思う。
9
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/08(日) 01:09:40
喧嘩サイト、という場所は、一般人の目から見ると非常に奇妙な場所に映るはずだ。議論がしたいから建設的なディベートに興じる訳でも無いし、誹謗中傷が飛び交うがお互いを心の底から憎しみ合っている訳でも無い。
「お互いゼロの関係性から進んで意図的に軋轢を生じさせ、時には品性下劣な語彙で罵倒しつつ、それでも最低限のルールには従いながら論理的攻防に興じる」というのは、どこか滑稽でありながら競技的でもあり、哲学的な部分がありつつも幼稚である、非常にアンバランスな光景だと思う。
しかしそのアンバランスさも、彼らにとってのコミュニケーションのあり方の一つであって、一般社会的に不適合な行為であるという事を自認した上で、自らの嗜好を正当化出来る環境を構築してきたというプロセスは理に適ったものである事を否定することは出来ない。
興味深いのは人が集まるコミュニティには一定数、言論的な熾烈さを好む層がいて、そういう人たちがいわゆる喧嘩界とは全く無関係ながら、典型的な「喧嘩的行為」に特化した局所的なコミュニティを形成してたりする事で、詳しく調べたら喧嘩の普遍性を語る上で貴重なサンプルになりそうだと思うし、もし誰か頭のネジ外れたキチガイが本当に喧嘩板を復活させたい!とか思うなら、そういう所から始めたほうがいいと思う。
なぜ喧嘩サイトが廃れたかという点に関して、SNSの台頭に伴う「ネット上の群衆意思決定の容易化」と、5chに代表される匿名文化が複合したことによる相乗効果が要因の一つかもしれない。
人を貶め蔑んでチンポをシゴきたい異常者は今や、わざわざ相手の同意を得て喧嘩という形式的なやり取りに興じる必要は無い。相互の同意に基づいていた衝突行為の正当性が、「群衆によって非中央集権的に決定された攻撃対象としての偶像(アイドル)の正統性」に形を変えたからだ。
「誰を攻撃しても社会的に許されるのか」という合意形成を追及する為に匿名文化が人間の感情を扇動し熾烈化させ、SNSの情報の奔流が群衆の意思決定を今までに無かった速度で加速化させる事によって、今のネット上には常に「あらゆる批判が許されるイージーターゲット」で溢れかえっている。
昔で言うところのチャットとか掲示板の役割がTwitter等のSNSで置き換えられつつある今、大衆に迎合するだけで人間の闇の部分にかかわる欲求を満たす事が出来る環境からすれば、個人間の関係に拘らなければならない上に、勝敗という絶対的な格付けに向き合わなければならない喧嘩サイトにおける喧嘩という形式は、ただ冗長で厄介なだけの時代遅れの遺物なのかもしれない。
それでも俺は、喧嘩板の何でもありなプロレス感、論理ガチガチの頭デッカチのメガネ君と、金髪鼻ピアスのチャラ男と、ちん毛生えかけの小学生と、ネクタイシワシワのくたびれたサラリーマンが一同に介してクソみたいな下らねー議論に花咲かせてる、みたいな空間が好きだったな。
10
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/08(日) 01:16:04
千尋くん、元気にしてるのかなぁ…心配だよぉ
11
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/08(日) 23:24:42
何ていう名前だっけ おでんっていう名前の人?あの人もいつか自殺するんじゃないかって思って見てたんだけど、まだ生きてるのかな。ADHDのハムスターみたいで見てて楽しかった
12
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/14(土) 21:16:47
Seikoさんの投稿を読んでいたら考えが頭の中に漂い出したのをちょっと言葉にしてまとめてみたくなりました。それだけなら別に投稿することは必要でもないのだが、出来上がった文章が誰かに読ませたい感じのものにならないとも限らず、もしそうした時に誰に読ませるのか考えると、喧嘩師とか喧嘩界とかそういうことに関心がありよく知っているような人で、ものをよく解する人、それが第一に浮かんだ条件で、第二に文章の出来上がる経緯に関わる人であること、第三といってはおかしいかもしれないが読んで貰う人は一人でも、一人だけなどということはない、それでもう有難いものだと感じるので一人でよい。
と考えて、それならseikoさんに読んで貰えるようなところに投稿すればよいと思いました。まぁ、これから書く文章がどういう質のものになるのか知れませんから、上の文も無駄になるかもしれないが、そうでない場合が望ましい。
ところで、このサイトは喧嘩サイトと呼べるかどうかも決めかねる場所のように僕には思われます。喧嘩など何年も起こっていなさそうだし、書き込みもまばらである。千尋教本堂とあるがよくわからない題名です。そんなところに僕は初めて書き込むわけで、失礼しますとかお邪魔しますとか言えたものかどうか。勝手に書き込むというしかなさそうだ。それなので、seikoさんには読んで貰えたら嬉しいが、投稿に対しどう返事をして貰うかについて期待するところは特段ありません。お返事下さればもちろん嬉しいです。
あと、僕は千尋氏ではありません。
以上前置き。
13
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/14(土) 21:20:59
僕は喧嘩サイトにseikoさんより結構遅い、2011年とかそんな頃に投稿し始めたので、また投稿を日常的にしていた期間は僕自身が喧嘩をしてそれを楽しく思う期間という風ではなかったので、喧嘩サイトというものへの見方が、態度の点で相異なるものがあるだろう。
喧嘩は見て面白いものではあったが、やって面白いものとは違った。何故なら僕はどう喧嘩すれば楽しめるか知ることをついに得なかったから。
そのことを研究しないでもなかったが、結局喧嘩をして楽しめる時はなかった。
見て楽しむのが喧嘩への、それも現在進行形だった喧嘩よりも、過去の、そのとき既に当事者達が去った後のものだった喧嘩に対する僕の楽しみ方だった。
それで、僕には当時からしても昔の喧嘩師達への親しみの気持ちが持たれた。彼らへの関心が生じた。勝手なことだ。
僕は一々彼らの名を挙げたり、行状に言及したりするのを正しい行為とも、今望ましい行動とも思わず、無意味だと感じるので、これから書くだろう彼らに対する感想めいたものは漠たるものに留まるであろうと認める。
不正確な認識など当事者がこれを認めて気分を害するかも知れない事柄もあるいは出るかもしれぬ。
恐れ入りつつ僕の旧喧嘩界住人たる者としての背景を言った次第。
喧嘩サイトが廃れたとseikoさんは述べたが、どうも僕にはそんな気がしない。
まず、yayなる交流用サイトで喧嘩界隈と名がつくものが繁盛しているらしいと聞いたことがその一つの訳であろう。
Yayの他にも、今より多少古い流行に於いてのことだろうが、何とかチャットとやらがそうだったらしい。
何とかチャットはとりあえずチャットだが、yayはチャットとは、また掲示板とも形式が違うサイトだと見受けられるもので、そういう場所にも喧嘩が文化らしい恰好のものとして、その一角に於いてであれ、認められているのはダイナミックな観あることである。
どういう経緯で喧嘩の文化が発したのか、現状その文化がどうなのかは知らない。
どんなものにもせよ、喧嘩がここにいわれている喧嘩同様に行われ、行う人どもが活況を呈するための人材になっている、らしい。
昨年ちょっと見に行った時は、なんだか掲示板の喧嘩みたいなあれが目指されているんだなと感じられた。
掲示板で喧嘩をしていた人がそこの界隈の地位を得ているのでもあるようだ。
さて他の訳とは、喧嘩サイトが廃れていなかった頃とはどのぐらいの時のことで、また、何時でも、今というか廃れた時点と比べてそんなに盛り上がっていたものであろうかというのが僕には判然としないことだというのである。
喧嘩に情熱を燃やした人はいない訳でもなく、いっぱいいたことであろうし、名だけ挙げるなら沢山挙げられたのが当時だろうとはいえ、一回喧嘩するだけならそれは誰だって情熱を燃やすというか、むかつきとか、相手に当人の言い分を呑ませたいとか、そんな訳でむきになる気味合いを持つものだろうし、喧嘩をしてしまうきっかけというのも他愛なく、宣伝の文でも見て訪問した際につい書き込んだのが噛み付かれたとか、そのぐらいであるのがあり得る。
名が多く挙がるのに、その中で本当に喧嘩師の一人前の資格がありそうなのはどのぐらいの割合になるかわからない。
資格ある人というのは今でも僕が名を思い浮かべられる人達だろう。
Seikoさんはどういう意味で廃れたといったか、わからないが、人が多く来て書き込みをしていった時期をそうでない時期と比べていったのか、一人前といえる喧嘩師が頻りに投稿をする気分を保ち続けていられた時期をそうでない時期と比べていったのか、さようの二つの場合を僕は考えている。
前者なら、それは流行り廃りの流行りが風邪のように起こってやんだだけなのではないか?
後者なら、それは媒体の性質を比較して論ぜられる問題であるより、込み入ったものを検討して個々人に取材し考えてようやくわかるものの多く含まれた問題ではないか?
僕はそう思った。
なお、後者についてこう付け加えたい。
媒体の性質は無論問題の内にある何事かの要因なのではあるようだと考えるのは自然なことだ。けれども、僕はどうも知っている人、喧嘩師達のことを考えると、媒体が新たに世に出て大衆を作り、人間活動の新しい様相を現しめたことというのは、どのぐらい大事な事実なのだろうと思う。
「何だかんだ言って、喧嘩師の人達ってツィッターで(or5ちゃんねるで)炎上事件の実況に居合わせたり参加したりするのにあまり気を取られてはいないんじゃない?」と思う。
14
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/14(土) 21:22:35
ここまで書いて、趣旨がseikoさんのいうところの趣旨と相反するのではなさそうだと改めて認めたので、ちょっとまた付け足しの文を趣を変えるつもりで書きます。
何というか、seikoさんがいう「人間の闇の部分にかかわる欲求を満たす」ことの捌け口になりそうな事は例えば炎上事件についてツボをついた投稿を人が行ったのを読みに行ったり、自分でそんなつもりの投稿を巷へ放ったりすることだと思うが、一度喧嘩の味を占めた喧嘩師達はそれを喧嘩の代替物と見なして落ち着いていられるのかな?って思った。
欲望が発散するような形で爆発せず事態が収まるというか、わざわざこれを練り上げなくても過ごして行かれるご時世になったので、なんというか人の中にあったものが退化していく条件を得ている訳のものか。それは大いにあり得る説だ。
ただし、喧嘩師達はそんな内実の動機から初め喧嘩に手を染めたにしろ、文字を連ね文を綴っての応酬に明け暮れる中で、何かその行為に、行為による結果に、新たな自分の楽しみ方のありようを見出したものではないのかなとも思う。
それが喧嘩に依らずとも行われ得るもので、且つ喧嘩の球根的なのも別の捌け口に植えればよいならば、喧嘩師は離れて行くのが自然の成行なんだなと…やっぱりseikoさんの説に異論が出来ない。
なんだか独り納得してしまったが、書いてしまったものは読書感想文のつもりでここに置いて行きます。
15
:
ヌー兄∞§(~q~)§∞〔靑〕
◆14duqX5056
:2021/08/15(日) 04:24:15
小雨が降りだした
16
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/15(日) 13:42:59
>>13
の補足
喧嘩サイトが廃れたというのはよく考えれば当たり前の現実描写に過ぎず、現に喧嘩専門に設けられた場所がどこも不人気なのである。
僕は喧嘩サイトを喧嘩界隈と取り違えてそれと気付かずに立言した。お粗末。
17
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/16(月) 01:07:53
うおおおお人がいたぁあああああああああああああああああ
誰に読んで貰いたい訳でも無いけど暇潰しがてらに駄文をツラツラ書いて誰か反応してくれたらオモロイなーと思ってたんだけど、まさかこんな廃墟に生者が訪れるとはたいへんおどろきました。
失礼ながらお名前を存じ上げないのでコップさんがどの世代の人なのかは分からないけど、読んでる限り平成喧嘩塾が身内のダベリ場化して畢竟が意識高い系の人材集めて意識高い風の喧嘩サイト作り始めてた頃かな?年代別の記憶がかなりあやふやなので自信が無いです。
なんにせよこんな秘境の地をチェケラしてる相当な喧嘩フリークであることはお見受け致しましたのでこんなわたくしからで良ければ幾ばくばかりのリスペクトをご査収頂ければ幸いです。
というかサハラ砂漠のど真ん中みたいなこんな場所で誰かに文章を読んで貰えるってかなりエクスタシー感じますね。昨今では中々味わえない感覚なので新鮮でした。ありがとうございます。
まず謝らなきゃいけない箇所なんですけど、俺が言ってた喧嘩サイトっていうのはあくまで”俺が知ってる”喧嘩サイトという狭い範疇の言葉でしか無かった。まさか誰かが読むとは思ってなかったので、言葉の定義を自己完結させて説明を端折ったり飛躍した論理で物事を語ったりしてる所があったと思う。ごめんなさい。
もし現状、”旧来のしたらば掲示板喧嘩と良く似た形式で言論行為を嗜んでいるインターネッツ”というものが存在しているのであれば、広義で言えばそれ等は喧嘩サイトに含まれるのかも知れないが、俺が意味する所の喧嘩サイトには当然含まれていませんでした。
もう少し具体的に言語化するなら、「2000年代から2010年代初頭にかけて隆盛を極めた、毒殺天国や平成喧嘩塾を代表とする主にしたらばレンタルサービスを利用した掲示板群」といったところでしょうか。語弊を避けるため、以後これを「旧喧嘩界」と呼称します。あ、コップさんがよろしければ「自己顕示欲が爆発した社会不適合者の掃き溜め」とでも呼んでもらってもかまいません。
「やってもつまらんけど、見てて面白い」っていうのは、スゲー共感できる心理で、例えば暇な時間無限にありますみたいな粘着クソニートと喧嘩なんて誰もしたくないんだけど、そいつが笑顔MAXで他人にネチネチ張り付いてるのを見るのはめっちゃ楽しかったりする。背景のある他人同士の議論を観戦するのも、人間の感情の機微が伺えたりして興味深かったりする。そういう対立構図が散発的に起きていく中で醸成されて行く掲示板の雰囲気って別のコミュニティじゃ中々お目にかかれない。
俺の理屈から言えば、コップさんは「ナイフで人を刺すキチガイじゃなくて、刺されてる人を見るのが好きなキチガイ」っていうだけであって、喧嘩師としての本質や動機はプレイヤーとそれほど変わりはないんだと思います。
自分の論理や煽りで相手を屈服させる事に楽しさを覚える暴力主義のゴリラなんじゃなくて、他人の心理や行動原理を観察したり、新たな見地を得ることが好きな共感力の高いタイプなのではないでしょうか。いずれにせよ誹謗中傷上等の世界に進んで身を置く/置いていたキチガイであることに変わりはないんですが。
旧喧嘩界でもそういう人は珍しくなくて、自ら率先して議論を吹っ掛けるよりも、喧嘩師をポケモン図鑑みたいにアイテマイズしたり、ログを保管して分析するのが好きな奴らはたくさんいたし、むしろそういう人達こそが旧喧嘩界の世界観の構築に大きな貢献してたんじゃないかなぁ。
そしてそういう人たちを含めた多様性、もっと言うとコップさんが列挙しているような「名前も浮かべられないような有象無象」の存在の多さ自体が「廃れていない環境」の適切なイメージになると思うんですが、いかがでしょうか。
情熱を燃やしてリロードボタンを連打して相手のレスを待ち続ける者もいれば、一度のやり取りで満足して二度と来ない者もいる。人間の総数が増えれば増えるほど個性は多様化され、凡庸な書き込みも増えていくものです。その中で「資格があるもの」として認められるには、それ相応に突出していなければならないでしょう。そうやってコップさんが今でも名前を思い浮かべられる人物が存在する、という事実そのものが「廃れていなかった過去」の証明になるというふうには考えられませんか。
18
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/16(月) 01:09:55
別の世界で旧喧嘩界とはルーツの異なる生態系が発展しているというコップさんの指摘に関しては、まったく異論がございませんし、むしろそれがインターネットにおけるコミュニティのあるべき姿だと思います。
わたくしは、喧嘩は人間のサガだ!みたいなワイルドで突飛な主張をしていたと思いますが、もうすこし掘り下げると、
人間には一定数、本来禁忌とされるはずの衝突行為を自発的に楽しむ異端な存在がいるものと仮定した上で、ある程度の規模の(特に言論活動を旨とする)コミュニティが存在する場合、そういった存在らがコミュニティからの本質的な排除を避けるために自発的に副次的なコミュニティを形成し決められた枠組みの中で欲求を発散しあう、という構図は旧喧嘩界の影響力の関与に関わらず起こりうる筈だ、と俺は捉えています。
それらの小規模なコミュニティがいかにして旧喧嘩界のような大きなダイナミズムを携えて存在感のある世界観を構築できるか、という問題はまた微妙に別の話になってくると思うんですが、
俺の中では、例えば沸騰するヤカンの中でグツグツ煮えたぎるお湯があったとして、プツプツ消える小さい泡がそういったマイナーな喧嘩サイトで、たまに出来る大きな気泡が旧喧嘩界みたいなイメージでした。
どれだけ大きかろうがいずれにせよ泡が弾けるのは目に見えているんですが、俺の言っていた「喧嘩サイトが廃れる」というのは、旧喧嘩界の泡が弾けただけじゃなくて、ヤカンの温度自体が下がって、ふつふつ沸き立つ気泡も減ってて、沸点ギリギリになってるように見えない?みたいな話にもなっています。
もちろん現状をあまり知らないのでもしコップさんのおっしゃっている様な場所がマイナーどころかめちゃめちゃ栄えていて「どこが廃れてるんだよ何言ってんだこのハゲ」みたいな事なんだったらマジで申し訳ないです全部忘れてください。
コミュニティが維持するためには風通しを良くして、新鮮な風が入るようにしなくてはならないと思います。末期の旧喧嘩界では窓が締め切られたような閉塞感で、顔ぶれがほとんど変わらない状況でした。
身内感が強くなれば馴れ合い中心になって喧嘩は飽きが加速化していくし、年齢層も上がればネット上の言葉遊びに費やす時間が減っていくことは当然のことでしょう。もし仮に未だに平成喧嘩塾が存在していて塾長とSelciaが二人きりで連日連夜喧嘩に勤しんでいるなんて事があれば冗談抜きで誰もが精神状態に異常を来たしていると思うでしょう。
自分はその「風通しの悪さ」の要因のひとつが情報の奔流により群衆の合意形成を迅速化するSNSの台頭にあるのではないか?と問題提起したつもりでした。既存の喧嘩師がTwitterに流れていったのが原因だ、と言いたいのではありませんでした。
具体的な話をすると、少し前のネットだと割とクローズドな関係性の比較的少人数のチャットやSNSが流行ってて、MSNチャットとかもなちゃとなんかのコミュニティから人が流れてきたりしてたんだけど、
今だとTwitterのフィードやトレンドを眺めてるだけで攻撃対象のアイコンが明白だし、いわゆるキャンセル・カルチャーが蔓延る環境の中で、一対一で他人をピックアップして言論的に攻撃するという行為(かつ”される”というリスクを背負わなければならないこと)に新鮮さや魅力を感じる人が減っているんじゃないかなぁと思ったわけです。
もちろん何の統計学的なデータも根拠も無いただのうわ言なので実地的な検証が必要なのではというコップさんの指摘はとっても正しいです。
>喧嘩師達はそんな内実の動機から初め喧嘩に手を染めたにしろ、文字を連ね文を綴っての応酬に明け暮れる中で、何かその行為に、行為による結果に、新たな自分の楽しみ方のありようを見出したものではないのかなとも思う。
実は個性的な文章を綴ることが目的で喧嘩は手段に過ぎないと考えている人間ほど長生きしてて、末期には「とりあえず奇を衒って文章書いて自己陶酔したい」っていう奴ら(オレも含む)しか残ってなくて中々混沌とした様相を呈していた記憶があります。
でも自分は旧喧嘩界の復興なんかには余り興味が無かったので半分開き直りで、死にゆく喧嘩板でとうの昔に息絶えた屍を眺めて昔に思慮を馳せながらオナニーでだらだら物書いて自分が楽しければそれでよくね?と思ってました。なので他人の読書感想文も大好きです。ありがとうございました。
19
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/16(月) 01:11:12
>>15
おまえ、千尋をどこにやった??
出せ!
20
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:31:33
お返事ありがとうございます。
こちらの返信が大分嵩張ってしまったので、箇条書きらしく一つの書き込みにつき一つの引用とそれへの返事を述べることにします。
21
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:31:49
>うおおおお人がいたぁあああああああああああああああああ
どうも(^^)ゞ
22
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:32:21
>誰に読んで貰いたい訳でも無いけど暇潰しがてらに駄文をツラツラ書いて誰か反応してくれたらオモロイなーと思ってたんだけど、まさかこんな廃墟に生者が訪れるとはたいへんおどろきました。
どういたしまして。
23
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:32:46
>失礼ながらお名前を存じ上げないのでコップさんがどの世代の人なのかは分からないけど、読んでる限り平成喧嘩塾が身内のダベリ場化して畢竟が意識高い系の人材集めて意識高い風の喧嘩サイト作り始めてた頃かな?年代別の記憶がかなりあやふやなので自信が無いです。
「多分その時期よりは少し後です。少しというのはそんなに喧嘩界隈の歴史上の特記に値
する事件が起こらなかった間がその時期と僕が訪れた時期との間に挟まっているという感
覚でいったつもりのものです。今引用した部分よりも少し後であなたが述べているように、
僕は「喧嘩フリーク」の端くれでした。それなので訪れた初めてより前のことをいくらか知
っている」…こう書くつもりでしたが、途中で、そういえば「喧嘩城」だの「ぷるぷるマン
ボー」だの、幾つか掲示板が栄えていた(いや、栄えていたのか?)時期が挟まれていたなぁ
と思い出したのです。僕は「乱気流」が連日スレッドが埋まり、「平成喧嘩塾」が三代目?
ぐらいで開始した辺りが、初めて訪れた頃と合っているのではないかなと思います。「***」
****************(思うところあり伏字にしました)。
24
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:33:21
>なんにせよこんな秘境の地をチェケラしてる相当な喧嘩フリークであることはお見受け致しましたのでこんなわたくしからで良ければ幾ばくばかりのリスペクトをご査収頂ければ幸いです。
戴きました。m(__)m
25
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:33:48
>というかサハラ砂漠のど真ん中みたいなこんな場所で誰かに文章を読んで貰えるってかなりエクスタシー感じますね。昨今では中々味わえない感覚なので新鮮でした。ありがとうございます。
どういたしまして。(^^)
26
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:34:30
>まず謝らなきゃいけない箇所なんですけど、俺が言ってた喧嘩サイトっていうのはあくまで”俺が知ってる”喧嘩サイトという狭い範疇の言葉でしか無かった。まさか誰かが読むとは思ってなかったので、言葉の定義を自己完結させて説明を端折ったり飛躍した論理で物事を語ったりしてる所があったと思う。ごめんなさい。
なるほどそうでしたか。僕にとってこそ、その病(やまい)は気を付けられるべきものなのだ
ろうと自ら戒めます。それでもところどころ現れがちと思いますので、目についたのは是非
教えてもらえたらなと思っています。そのつもりで書いているといってもよいぐらいで、乱
文を呈することをお許し願いたい所存です。
27
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:35:07
>もし現状、”旧来のしたらば掲示板喧嘩と良く似た形式で言論行為を嗜んでいるインターネッツ”というものが存在しているのであれば、広義で言えばそれ等は喧嘩サイトに含まれるのかも知れないが、俺が意味する所の喧嘩サイトには当然含まれていませんでした。
>もう少し具体的に言語化するなら、「2000年代から2010年代初頭にかけて隆盛を極めた、毒殺天国や平成喧嘩塾を代表とする主にしたらばレンタルサービスを利用した掲示板群」といったところでしょうか。語弊を避けるため、以後これを「旧喧嘩界」と呼称します。あ、コップさんがよろしければ「自己顕示欲が爆発した社会不適合者の掃き溜め」とでも呼んでもらってもかまいません。
seikoさんに倣って「旧喧嘩界」の呼称を以後僕も使いたく思います。
旧喧嘩界は大体喧嘩専門と名実ともに認められた掲示板、あるいは喧嘩師が間借りして物
騒な書き込みの続くスレッドを維持していても怒られないような掲示板がその舞台だった
のではないかと思います。ところで、もしツイッター喧嘩界隈なるものがあるなら、「掲示
板」に相当するものは喧嘩師某のアカウントなどというものよりも、タイムライン、ツィー
トが流れるのですが、どのツィート、誰によるツィートが流れるのかを決定出来る、いわば
一人一人の庭のようなもの、すなわちこれになるのではないでしょうか。そうすると誰が見
ても同じであろう掲示板とは違って、景観の点に於いて完全に同じである場所は見つから
ない訳です。喧嘩師Aと喧嘩師Bとがやり合っている状況は彼らのやりとりを見た者には
同じように認められるのである筈ですが、喧嘩師CがAの評判をしたり、喧嘩師Bが別の
機会に喧嘩をAに売ったりすることがあるとして、それらを一幅の内に収め得る仕組みは
あくまで個々人に属するものとなります。少なくともツィッターで完結する限りはそうで
す。それがしかし、togetterというものがあって、ツィートを拾って、Aさんのもの、Cさ
んのもの、Bさんのものと、その誰の手によるか、いつ投稿されたかに拘らない、ないし束
縛されない仕方で順々に並べられるものがこれです。ある人はこれを熱心に利用し、「まと
め」を当人と誰それとの喧嘩の過程について作り、題名に「何とかさん敗北www」みたい
なものを文字にして並べて、ある時は年に(月に?)何個も、公にしていたものでした。記念
のつもりで、ご満悦と見受けられましたが、こんな例があるように、掲示板らしい仕掛も出
来ないものではないもののようです。もっとも、掲示板はtogetterよりも仕組みが簡潔であ
り、編集者たる者を要しつつその者の能力や嗜好の如何で「まとめ」が中立的にも贔屓然た
るものにも、面白くもつまらなくもなるtogetterは掲示板を模倣するにも限度があるので
はあります。何か、喧嘩界隈みたいなものは世界観を作るために素材が共有され得るにもな
るべく同じような材料があることが望ましいものだと思いますが、ツィッターはそうして
みると、舞台としてはどうなのだろう?と考え込むのでした。
追記
チャットなんかはツィッターと同じように、いやそれよりもっと事件や文章が消えやすい
ですよね。なんだかチャット喧嘩師の評判をする類のものを見ると、ただランキングだけが
あって、それがちょっと謎めいた感じを覚えさせるようでした。チャットを訪れたらSラ
ンクの何某さんに会えるのかな?という謎めいたものへの興味がむしろそれで搔き立てら
れたりもしたんですが、ツィッターなどはそういう憧れが持たれにくいですね。なんだか一
人で呟いてばかりの幽人さながらの人のツィートが非常に面白いとか、そういう興味はあ
るのでしょうが。
28
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:35:59
>「やってもつまらんけど、見てて面白い」っていうのは、スゲー共感できる心理で、例えば暇な時間無限にありますみたいな粘着クソニートと喧嘩なんて誰もしたくないんだけど、そいつが笑顔MAXで他人にネチネチ張り付いてるのを見るのはめっちゃ楽しかったりする。
対岸の 火消しのけんかも 見ものなり お粗末
29
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:37:30
以降、改行を無くします。
>>27
がwordで見るのと違って大分見にくかった…すみません。
30
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:37:48
>背景のある他人同士の議論を観戦するのも、人間の感情の機微が伺えたりして興味深かったりする。そういう対立構図が散発的に起きていく中で醸成されて行く掲示板の雰囲気って別のコミュニティじゃ中々お目にかかれない。
>俺の理屈から言えば、コップさんは「ナイフで人を刺すキチガイじゃなくて、刺されてる人を見るのが好きなキチガイ」っていうだけであって、喧嘩師としての本質や動機はプレイヤーとそれほど変わりはないんだと思います。
何だかね、歌舞伎で人が死んだり傷つけられたりしても、その出来事自体が起こらなければ…なんて後悔する気持ちにはなりません。まあ、歌舞伎を観ることはあまり(っていうか、youtubeで昔のものを観るぐらいしか…)無くて、親しみのないものが例えに浮かんだ訳なんですが、故なく傷つけられて気の毒な人が登場人物にあるのでも、それは筋立て上、後になって身内の人や家来の人が加害者に復讐を遂げるとかで、そういう勧善懲悪の物語の起こりになるだけ。あるいは心中に至る男女の仲が材料でも、どうにか救ってやりたいと思うのでもない観賞態度が普通です。義憤とか同情とかは少なくとも歌舞伎の作に対しては、その元の出来事なり、それと似た現実の事件なりに対するよりも、目方でいえば少なく、質も違っていることが大概なものでしょう。当たり前、過去を過去として傍観するわけですから、目の前現に進行している事態に会うもの、体験した過去を悔やみつつ思い出すものとは自ずから異なる。作中認められる旧時代の習俗や一般的な価値観の野蛮さ、いやな感じなどは、想像を逞しくすれば観る人にも感じられるだろうが、彼はそれを改革しようなどと思う筈が無い、そういう底のものです。現代の社会のある場所に起こる出来事、事件などを目撃者がどうかして世論の俎上に上げようとするのとは、歌舞伎を観て起こる気持ちや、観てから取られ得る行動の動機は別な様子があります。僕は喧嘩板の過去の喧嘩など見ると、なるほど、彼らは望んでやっていることでもあろう。未成年の、まだ子供が後先を十分に慮らずやっているのではあるが、それに忠告など加えようもない。ハンドルネームをつけた人々の営為なのである。面白い点さえある。是非を言うにも及ばない。読んでいて面白いなあ。そんな気持ちで見る自身の態度を自覚する時があります。なにも刃傷沙汰や性に関わる暴力の現場などと、文字の喧嘩とは、後者はいろいろあれ、同日に論じられないのが大概の事ではあるが、これがもし喧嘩界隈を復興して人を集めて喧嘩させようなんぞと思う日に遇ったなら、後者も、よくない。よいとはすぐにいえません。前者についてはフィクションの形で創作し得るが、後者はフィクションのつもりで当事者達が演じるのがなかなかそうはいかない成行が思われます。一人だけで書くのと、二人でやるのとは、物語、現に創作しつつある物語から途中連続的に受ける影響が作者に於いて相異なる。Aがばかと言ってBがなんだこのやろうと答えればBは腹を立てるであろうしAは再び物言いをするであろう。そんな風に悲劇を演じたつもりが実際の悲劇に陥らないとも限らず、当事者は演者から犠牲者に落っこちないともわかるものではない。喧嘩界隈再興にあたって、やっぱりそんなことも思われるんですね。ちょっと息を吹き返させてやりたいなと思うことは僕にも度々ありました。その時の僕はこういった考えを念頭に置かずのんきにおりました。無感覚の罪ですね。つまり、seikoさんいうところの「刺されてる人を見るのが好きなキチガイ」が僕に該当するのは、どうも、よっぽど気を付けないと免れ得ないものでしょうね。僕は自覚するところ「人が刺し合う劇を看るのが好きなキチガイ」である。しかし、それは気持ちの上で、実際は過去の喧嘩を看るにしろ「ほんとうに人が刺され合ってる」のが、思い込んでいたより深刻なのであったものかもしれないと、思えば当初の気持ちに安んじていられない所以を認めます。喧嘩界隈を再興するなどとなれば尚更です。
31
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:38:49
>自分の論理や煽りで相手を屈服させる事に楽しさを覚える暴力主義のゴリラなんじゃなくて、他人の心理や行動原理を観察したり、新たな見地を得ることが好きな共感力の高いタイプなのではないでしょうか。いずれにせよ誹謗中傷上等の世界に進んで身を置く/置いていたキチガイであることに変わりはないんですが。
当時を思えば僕は前者に憧れないでもなかったが、「技量」がそうさせなかったのである。また、何か嫌なことを言われて(そういうことは度々あったのだが)、やりこめたいとか、何なら駆逐したいとは一時強く感じもしたのだが、もしそれを想像の範囲で最も強く、すなわち暴力的なやり方で実際にやれるものだったら、僕はためらいを覚えたことかと思う。あるいはそうでなかったかもしれませんね。これは当時の僕を弁護しようと置く言葉なのではありませんが、あの時、僕はある種の「煽り」をある人に向かって言おうとして、ためらい、ついに言わなかったことがありました。他方で、僕は非常に酷い、今になってみれば悪人の(人非人の)言葉だと言うしかない言葉を文字に作って人へ向け、殴りつけたようなことがありました。総括すれば僕は人の下等なありようを自ら選んだのであったし、「暴力主義」を隠れ喧嘩師として奉じた訳のものでもある。後者はさて、妥当するか判断するに迷いが持たれます。喧嘩界隈、面白いもんなあ。喧嘩師、楽しい人物が多かったもんなあ。それはそうと、ある人物の行動原理や心理を一面あるいは全てに足らない面より見て楽しみ、その他の面を顧みずに安んじることが、特に傍観者でいるのなら良い態度なのだとは思われないです。彼に関わるのなら、まあやりようにも限度があるのだし、攻撃される立場に我がある事なのなら、やってやる義理も無い。親切にする要はありません。彼に関わらないでもいい傍観者の態度で、ないし条件でものを言う人間がうるさくその非を咎め、欠点をあげつらい、未熟を嗤って一向反省しないでいる様子は、腹が立つものなのです。自分には。見てしまったものを思考の過程にほ(う)り込んで納得させることは人間にはけだし許されるはずのことです。それを常習にするのが、どうも卑怯であるようです。傍観者は一言忠告してやるぐらいが最低限望ましいと思います。よっぽど話の通じないやつを目の前にしたものならばともかく。さて、僕はもし自分が喧嘩師として参加し、喧嘩界隈に於いて活動するのなら、正しく人の心理や行動原理を言い当てた言葉、要を得て誇張を斥けた言葉を誰かに向け発したいものだと思います。てきめんに煽られたら相応に煽り返してやりたいとつい思い、そうしてしまうのも、どうも自分自身未だこれをやましめるに足らざる未熟さがあるようなのですが、幸いにして僕には今喧嘩師たろうとする気概がなく、その動機も自らの内に認められない。いや認めないでもないが、面倒がはるかにまさるものなのです。
追記 忠言は苛烈にしてよくものを言い当てたのがしばしば見られるが、これは両立し得るばかりか、然るべくして両立するのでも往々にしてある。僕はその価値を肯定します。
32
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:39:21
>旧喧嘩界でもそういう人は珍しくなくて、自ら率先して議論を吹っ掛けるよりも、喧嘩師をポケモン図鑑みたいにアイテマイズしたり、ログを保管して分析するのが好きな奴らはたくさんいたし、むしろそういう人達こそが旧喧嘩界の世界観の構築に大きな貢献してたんじゃないかなぁ。
まさに。
33
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:39:42
>そしてそういう人たちを含めた多様性、もっと言うとコップさんが列挙しているような「名前も浮かべられないような有象無象」の存在の多さ自体が「廃れていない環境」の適切なイメージになると思うんですが、いかがでしょうか。
同意をいいたいです。
34
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:40:16
>情熱を燃やしてリロードボタンを連打して相手のレスを待ち続ける者もいれば、一度のやり取りで満足して二度と来ない者もいる。人間の総数が増えれば増えるほど個性は多様化され、凡庸な書き込みも増えていくものです。その中で「資格があるもの」として認められるには、それ相応に突出していなければならないでしょう。そうやってコップさんが今でも名前を思い浮かべられる人物が存在する、という事実そのものが「廃れていなかった過去」の証明になるというふうには考えられませんか。
妥当なお考えだと思います。ちなみに、僕は先日書いた際、「何だかんだいって、名のある喧嘩師どもは昔も今も喧嘩を喧嘩板でしているんじゃない?」と考えたり、「いや、昔はきっと早いペースで、また頻りにやっていたのだろう。今はぽつぽつと見られるのみであるのか。」と考えたり、色々と思い直したのです。僕は「喧嘩フリーク」ですが、昔の喧嘩など見る時、ただ文字を眺めるだけで、数字、つまり日時には目もくれませんでした。年ぐらいは気にしましたが、そんなわけであったから、AさんがBさんと2008年ある場所で喧嘩していて、2010年これとは違う場所でも喧嘩しているなあ。おやっ2011年にも妙な所で噛みつき合ってるぞ。などと出来事を眺めていました。常連みたいな人は何だかんだ言って今まで喧嘩界隈の動脈を移動するものであり続けていたもので、どうも昔に比べて今の喧嘩界隈は動脈が短くなって静脈が長くなったようだぞ。などと思われるのですが、彼らをおいてまた喧嘩界隈に間々出現した人々というのは、バイキンか(失礼)、食い物か(失礼)、薬剤(失礼)か、害になったにせよ益になったにせよ、一過性に溶けて消えるだけのもの(大失礼!)だったので、それしきのものという認識、軽視する傾きが無いでも無かったもののようです。オンラインゲームであるクランが一時は栄えていたがその時を昔に去らして(変な言い回しでしょうか?)、たまに人が二三人会合した時に遊ぶぐらいが上々というありさまを呈するようになった、そんな場合には誰が見ても昔が盛りの時期で今が衰える過程なのでしょう。オンラインゲームは空間と時間とをその要素とするものですので、そこの様子を体験の上で見る者でも、傍観の下に見る者でも、空間と共に時間それもhour単位minute単位をもっていえるような時間を気にしない訳にはいきません。人数が変わらないでも会う機会が減ったならそれは時間の観点をもって考えて廃れたものとみなせます。ところが、喧嘩界隈を見るところの僕は、時間ということをあまり気にしないで、もっぱら空間におけるログの有無を見て、量を見るにしても時間を軸にした比較などをもってするのではなく、何となく見たものなのでした。さようの偏頗なる見方が僕にとってあることを自覚したので、栄えたのがいつで衰退がいつからのことかと論ずるのを、あとの方では控えた筈なのですが、自覚するまではこれに囚われて考えをなし思いをなしていたために、ああいう物言いがあったのであります。
35
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:42:26
>別の世界で旧喧嘩界とはルーツの異なる生態系が発展しているというコップさんの指摘に関しては、まったく異論がございませんし、むしろそれがインターネットにおけるコミュニティのあるべき姿だと思います。
同意をいいたいです。
36
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:42:47
>わたくしは、喧嘩は人間のサガだ!みたいなワイルドで突飛な主張をしていたと思いますが、もうすこし掘り下げると、
>人間には一定数、本来禁忌とされるはずの衝突行為を自発的に楽しむ異端な存在がいるものと仮定した上で、ある程度の規模の(特に言論活動を旨とする)コミュニティが存在する場合、そういった存在らがコミュニティからの本質的な排除を避けるために自発的に副次的なコミュニティを形成し決められた枠組みの中で欲求を発散しあう、という構図は旧喧嘩界の影響力の関与に関わらず起こりうる筈だ、と俺は捉えています。
「いじめ」が起こるコミュニティの類よりは、「本質的な排除」がなされるコミュニティは健全なのでしょうね。そもそも不健全であるのなら、「異端な存在」は相手を選ばず、少なからぬ場合に於いて弱い者を選び、「いじめ」て、周りにも認められるのをいいことに自ら改めることをしないものであろうと想像されます。然らずんば「異端な存在」にもいろいろあるので、弱い者「いじめ」が好きな者もあれば、何だか公文式でもするように強い者をひしゃげさせてさらに強い者へ牙を剥きたがる類の者もあるでしょう。なにか人間と彼の発する言葉という区別を設けて、人間のありようよりも彼の言葉の方へ関心がある者は、もし異端的気質が備えられているのであっても、そもそも取り柄のない言葉には関心を向けず、もっともらしいが欠陥があるのであったり、いかにも大股に雑な論理を着て歩いている底のものであったりに強く関心を持ちそうです。いや、どうなんでしょうか?胡乱なことをいったもののようです。
37
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:43:37
>それらの小規模なコミュニティがいかにして旧喧嘩界のような大きなダイナミズムを携えて存在感のある世界観を構築できるか、という問題はまた微妙に別の話になってくると思うんですが、
>俺の中では、例えば沸騰するヤカンの中でグツグツ煮えたぎるお湯があったとして、プツプツ消える小さい泡がそういったマイナーな喧嘩サイトで、たまに出来る大きな気泡が旧喧嘩界みたいなイメージでした。
>どれだけ大きかろうがいずれにせよ泡が弾けるのは目に見えているんですが、俺の言っていた「喧嘩サイトが廃れる」というのは、旧喧嘩界の泡が弾けただけじゃなくて、ヤカンの温度自体が下がって、ふつふつ沸き立つ気泡も減ってて、沸点ギリギリになってるように見えない?みたいな話にもなっています。
「いずれにせよ泡が弾けるのは目に見えている」と、seikoさんが言ったのには異論があります。喧嘩文化というか、言い方をここで作れば「喧嘩師の世代」なるものについて、一つの世代から次の世代へと受け継がれるミームのようなもの、喧嘩の仕方というか、「煽り」のスタイル、スマートな殺し文句、恰好良さの演出などといったものは、考えられるのではないでしょうか。そういうものが世代から世代へ引き継がれ、場所が成り立ち続けることはあり得ない訳ではないのだと、考えられるのではないでしょうか。というのは、僕が意気込みに於いては、ある時期そうだったので、当時の僕自身よりも能力を備える人が同じように意気込んで臨んだなら、それは、全然駄目だった僕とは違い、彼には可能なことで、実現され得る場合もあるのではないか?と思う訳で、そういったのです。泡が弾けても、あるものはより小さくなりつつ水草にでも付着し、ひょっとするとそこにまた合流するものがあって、あるいは気泡が水草の呼吸の作用で出るものを吸収して…などというと言葉の綾に過ぎないのかも知れませんが、如何にしてか、弾けたのが弾け尽くすのではなしに、見方に依っては継承される。そんなことは無いでもないと、想像を出来るのではないでしょうか。いえ、「泡」が喧嘩サイトの大小さまざまにあるのをいったものだと捉えられますので、もしそうならちょっと僕の例え話は要領を得なさそうな感じが覚えられるものではありますが、まあ、つまり「喧嘩界隈」はどうかすれば一場の盛りのたびに新たなるものを産み出し、それを次に伝えてまた生産するもののためになるというサイクルを持てるのではないかという訳のお話です。
追記 水温がseikoさんの述べた場合と僕の述べた場合とで大違いですね…(^^; /なんだか「異論」といったのが全然異論でなさそうなのが先にした書き込みと同じことを繰り返すようで恥ずかしいです。同じ水はいずれ気泡を出し尽くす。新たに注がれる水が無いといけないのです。僕が言った「ミーム」は新たな水によく溶け込むものですから、それが全然無くて、古い水がただ煮立てられて年月を閲するばかりの様子をいったはずのseikoさんの言にもし何か付け加えることがあるのなら、古い水には水を注ぎ、それで温度は下がるかもしれないが泡はともかくもよく出るものであろうと期待して面倒を見てやるのがいいのだろうという至極当たり前の言がその第一でしょう。僕は恐らく「泡」がいうところの「喧嘩サイト」をサイトという仮構物に限らずサイトの内容みたいなものも含めて表され得る比喩と思ったものなんでしょうが、きっとseikoさんは個々別々の喧嘩サイトが多く人を呼んで後にはスパムまみれのスレッドばかりになるというその「物」をいったものなのだと推されますので、異論といったのがそういう異同を弁えない軽率な語であった訳なのでした。何だか書きながら納得する調子でございまして、恐れ入る次第です。
38
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:44:06
>もちろん現状をあまり知らないのでもしコップさんのおっしゃっている様な場所がマイナーどころかめちゃめちゃ栄えていて「どこが廃れてるんだよ何言ってんだこのハゲ」みたいな事なんだったらマジで申し訳ないです全部忘れてください。
なんだか結構栄えていますが花は咲か(え)ずといったところか、それか雑草が一面に靡いて花なんどもところどころに見付けられるのだが、よく見たら雄しべも雌しべも無い花であったり、造花が挿してあったりするのである。といった風情なものでした。なんだか無性生殖みたいな気味悪い殖え方で顔つきが似たり寄ったりの作りになった奴ばらが起こって群舞しているらしく見受けられました。印象はこのようにそう褒めたい感じのするのではありませんでしたが、どうも今もわちゃわちゃした場所なのであるそうです。前に述べた喧嘩師の人が長くそこに留まっているようなので、彼が小便をし、それを栄養に育った草があるいは徒花ならざる一箇をもつに至ることもあるべきか。大便でもよろし。…尾籠ですみません。orz
39
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:44:55
>コミュニティが維持するためには風通しを良くして、新鮮な風が入るようにしなくてはならないと思います。末期の旧喧嘩界では窓が締め切られたような閉塞感で、顔ぶれがほとんど変わらない状況でした。
>身内感が強くなれば馴れ合い中心になって喧嘩は飽きが加速化していくし、年齢層も上がればネット上の言葉遊びに費やす時間が減っていくことは当然のことでしょう。もし仮に未だに平成喧嘩塾が存在していて塾長とSelciaが二人きりで連日連夜喧嘩に勤しんでいるなんて事があれば冗談抜きで誰もが精神状態に異常を来たしていると思うでしょう。
こわいっす ((^^;
さて、二人いて彼らが喧嘩している時一方が他方を揶揄するのも、それは揶揄したような、戯画化したような見方に囚われた場合があり得て、なんというか、もしその二人が馴れ合いをして行って互いの素性性格などを理解し合う関係に進んでゆくものとすれば、そうしてある程度理解し合ったのを喧嘩などで一人が他方を揶揄し、からかう文句をもって言うのは、コミュニケーションとして、何だかつまらないっていうことはあると思います。わかりきっていることならわかりきっていることで、嘘なら嘘で、「煽り文句」の賞味期限が短いものになるのは、その内容が何も話し相手を驚かせるものでないからなのだと言えそうです。煽り文句で、ふとした驚きを覚える。それは、相手と自分との間に交渉が未だ深くないのであるのに、何か言い当てられたがゆえの驚きでもあるでしょう。また、相手が自分の事を全然言い当ててるのではないが、そういう相手であればこそ、煽り文句の威力がいや増す訳のものでもあるでしょう。畏怖を覚えさせるのでもあるでしょう。そういう、コミュニケーションのいまだ尽されない状況ならではの怖さというのが喧嘩板の場所における外連味であったかもしれないと、seikoさんの文を読んでいて考えました。「論理的攻防」は出来ないでもないですもんね。どんな間柄にしろ可能だといえます。それでも、論理的攻防が喧嘩の形をとらないことが特に親しい間柄にある人々に於けるありがちなことだというのは、一面論理的攻防が議論と似て非なるもので、議論はどんどん双方が新たな考証の材料を知識から、あるいは活字など外部の知の実りから持ち寄って、結論に於ける、より高みに近いところへ昇っていこうとするものであるが、論理的攻防は「こういったけどそれならこんな考えは出来ないよね?」みたいな牽制的言辞に往々にして必要の役割が与えられて、相手の可能性を潰すとでもいうような文章がしばしば行われるのであるし、そういったものを自制しても論理的攻防がよりそれらしくあった頃の文章の書き方、作文作法などといったもののしっぽを中々萎れさせられずに、めんどくさい文章が意に反して出来上がってしまうというようなことを呼ぶものでもあるであろうから、彼は時宜に合い、これは合わないという対照が出来ているのではないか。議論を喧嘩と偽ってやっていけば案外喧嘩板として体裁が保てて行けるのではないかと思わないでもなかったものですが、やっぱり、議論は七面倒で、千里の道をゆく如きものにもなり、互いに互いの身体を杖にして支え合って行かねば、これが続かない場合が認められるのでもあるでしょうから、掲示板に延々と連ねて、その景観がおもしろいものになったかというと、どうもそんな気が今はしないです。なにか昔の人が何かを評して簡約にして肯綮に当たる言を吐いたりしたのは、古典に見えていまびとの模範にもなり得るのでしょうが、語彙が全体に観念的で、そのしがらみによって当時いえたのが真理の一部分を偏見につづめたものなのである場合もそうしたものの内に認められるのかもしれないと、つい思いましたが、そういう古い語彙でなにかお互いを決めつけあって恬としているような時代ずれのしたやりとりなど、案外喧嘩に適当するのではないかと思います。「コスプレ」のつもりで、軍人調の人格、大正の文学青年風の人格、他にもいろいろあるだろうものを作り上げてやってみるとか、その向きの文体など借りてきて遊んでみるとか、喧嘩を楽しむにはさようのやり方があるのではないでしょうか。ばかとか、死ね!とか言ったりするのは、どうもばかとしかいいかねるやつをさしていうのはあるだろうけれども、ちょっと死ねというのは誰に言うにしても不穏なので、くたばれと言ってみようと、あるいは誰かが思いついたりするかもしれません。それは「くたばれ」という語が「死ね」という語に比べ、なにかフィクショナルなふぜいで響いて、人格の奥底を掻こうとする指の触感のようなものを感じる度合が少なく、言う人が安心して言い、聞く人もさほど興奮をさせられず聞けるというだけの語の背景を持っているからです。そういう語を喧嘩板に流通させ、うまい具合に喧嘩の虚構と実感される何かの由来するところとを止揚せしむること、あるいは無きにしもあらずか。
40
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:45:21
>自分はその「風通しの悪さ」の要因のひとつが情報の奔流により群衆の合意形成を迅速化するSNSの台頭にあるのではないか?と問題提起したつもりでした。既存の喧嘩師がTwitterに流れていったのが原因だ、と言いたいのではありませんでした。
なるほど。喧嘩界隈に縁が無かった人が縁を持つにも、SNSの存在ゆえの(平等になされる)競合というより、SNSの特性ゆえの彼に有利で此に不利であるところの競合があるために、どうもその可能性が少ないのだと述べておられたと理解しました。改めて同意いたします。
41
:
コップ
◆kfj4n92PLw
:2021/08/16(月) 13:45:51
>具体的な話をすると、少し前のネットだと割とクローズドな関係性の比較的少人数のチャットやSNSが流行ってて、MSNチャットとかもなちゃとなんかのコミュニティから人が流れてきたりしてたんだけど、
>今だとTwitterのフィードやトレンドを眺めてるだけで攻撃対象のアイコンが明白だし、いわゆるキャンセル・カルチャーが蔓延る環境の中で、一対一で他人をピックアップして言論的に攻撃するという行為(かつ”される”というリスクを背負わなければならないこと)に新鮮さや魅力を感じる人が減っているんじゃないかなぁと思ったわけです。
ありようをよく観察しておられると思います。喧嘩は駒と駒とのぶつけ合いですが、下は兵隊から上は王様までくるめて一個の作品として、すなわち自我をそのものとして呈するものとして、駒の一切合切を作り上げる必要がそのためにはあるものでしょう。相手を攻撃するにも、ばかの一言でも、そう言えるだけの人格の訓練されたところが無いといけません。さもなければ、変なやつを見ても迷惑だなと思ってつい見て過ぎるだけで、やあねえとか言って立ち去るのが関の山でしょう。ある場所に、あるものを自己の代表として遣るには、そのつもりがないといけませんし、喧嘩板のような場所にやるなら、文字で自分の仮の姿を描いて相手にわかってもらい、相手がそうするのを自分でも受け取って人間関係を育み、維持し、時にはあえて破るという活動の場所である「比較的少人数のチャットやSNS」で、そうしたことに慣れている者が、より要領よくやれるのであろうとは考えられるものなんですね。角が生えた動物どうしで角が長いのと角が短いのと争えば長い方が大抵勝つのですが、長いのと、そもそも生えてないのとは、勝ち負けが生じる底の争いをそもそもしません。それは、生えてないやつは争いを角でするということがわからず、長い者に迫られても、ためらわず逃げていくからなのです。短くとも角の生えているやつはきっと挑んだり、挑まれたらこれを受けて立ったりすることでしょう。それは角が生えているからには、ただ邪魔と思ったり、拾った兜のように尊いものと思ったりせず、とにかく自分の持ち物であり身体の一部であり自分自身なのだと思うという訳のことだと思われます。以上は思いついた例え話です。実際どうかといえば、例え話は例え話として認められるものに過ぎず、実際の動物の生態や性質と比べれば滑稽なものかもしれないと思われますので、例え話の指向あるいは雰囲気だけでも伝わったならよいなあと思います。
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