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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?

31コップ ◆kfj4n92PLw:2021/08/16(月) 13:38:49
>自分の論理や煽りで相手を屈服させる事に楽しさを覚える暴力主義のゴリラなんじゃなくて、他人の心理や行動原理を観察したり、新たな見地を得ることが好きな共感力の高いタイプなのではないでしょうか。いずれにせよ誹謗中傷上等の世界に進んで身を置く/置いていたキチガイであることに変わりはないんですが。
当時を思えば僕は前者に憧れないでもなかったが、「技量」がそうさせなかったのである。また、何か嫌なことを言われて(そういうことは度々あったのだが)、やりこめたいとか、何なら駆逐したいとは一時強く感じもしたのだが、もしそれを想像の範囲で最も強く、すなわち暴力的なやり方で実際にやれるものだったら、僕はためらいを覚えたことかと思う。あるいはそうでなかったかもしれませんね。これは当時の僕を弁護しようと置く言葉なのではありませんが、あの時、僕はある種の「煽り」をある人に向かって言おうとして、ためらい、ついに言わなかったことがありました。他方で、僕は非常に酷い、今になってみれば悪人の(人非人の)言葉だと言うしかない言葉を文字に作って人へ向け、殴りつけたようなことがありました。総括すれば僕は人の下等なありようを自ら選んだのであったし、「暴力主義」を隠れ喧嘩師として奉じた訳のものでもある。後者はさて、妥当するか判断するに迷いが持たれます。喧嘩界隈、面白いもんなあ。喧嘩師、楽しい人物が多かったもんなあ。それはそうと、ある人物の行動原理や心理を一面あるいは全てに足らない面より見て楽しみ、その他の面を顧みずに安んじることが、特に傍観者でいるのなら良い態度なのだとは思われないです。彼に関わるのなら、まあやりようにも限度があるのだし、攻撃される立場に我がある事なのなら、やってやる義理も無い。親切にする要はありません。彼に関わらないでもいい傍観者の態度で、ないし条件でものを言う人間がうるさくその非を咎め、欠点をあげつらい、未熟を嗤って一向反省しないでいる様子は、腹が立つものなのです。自分には。見てしまったものを思考の過程にほ(う)り込んで納得させることは人間にはけだし許されるはずのことです。それを常習にするのが、どうも卑怯であるようです。傍観者は一言忠告してやるぐらいが最低限望ましいと思います。よっぽど話の通じないやつを目の前にしたものならばともかく。さて、僕はもし自分が喧嘩師として参加し、喧嘩界隈に於いて活動するのなら、正しく人の心理や行動原理を言い当てた言葉、要を得て誇張を斥けた言葉を誰かに向け発したいものだと思います。てきめんに煽られたら相応に煽り返してやりたいとつい思い、そうしてしまうのも、どうも自分自身未だこれをやましめるに足らざる未熟さがあるようなのですが、幸いにして僕には今喧嘩師たろうとする気概がなく、その動機も自らの内に認められない。いや認めないでもないが、面倒がはるかにまさるものなのです。
追記 忠言は苛烈にしてよくものを言い当てたのがしばしば見られるが、これは両立し得るばかりか、然るべくして両立するのでも往々にしてある。僕はその価値を肯定します。


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