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習志野原の掲示板2022-2
「陸上自衛隊×新京成電鉄」と謳った松戸駐屯地の桜並木ライトアップは、満開とはいきませんでしたがかなり咲いた状態での開放となり、「新京成」としての最後を飾れました。ライトアップは当然夜間ですが、開放は日中もしているかと思いきや夜間だけなんですね。ライトアップする時間帯の内一部というところでした。
くぬぎ山の改札前から角々に隊員が案内に立っていましたが、門のところで手荷物検査を受けるとあとは踏切の警備要員と、非開放エリアに入らないように立っているだけ。暗くて足元も不安定なんですが、入門したらけっこうハードでした。
迷彩色のユニフォームを着た隊員を見て、不謹慎にも元自衛隊員の某芸人を思い出しましたが、これは本物です。
土曜日は雨上がりで寒く、手荷物検査のところにはストーブも置かれていましたね、そして門の手前の線路際、また踏切は撮り鉄がすずなり状態でした。平成に入るころまでは新京成唯一の警報機あり、遮断機無しの第三種踏切でしたが、今は遮断機があります。(線路側からの侵入防止でゲートがあり、休日は閉まっています)
ライトアップ区間のさらに2/3程度とささやかなスペースですが、飲食可となっており、何組か暗いなかお弁当を開いている人を見ましたが、コンロなどの使用は不可と、この気候だと宴会気分にはならないな、という感じでした。以前は電車から「酒保」が見えましたが、今もあるとしても桜とは反対側だし営業させても仕方がないんでしょうね。グッズ発売とかもすれば面白いんですが。
都内へ出る用事があり前後の関係で新鎌ヶ谷からアク特に乗りましたが、到着時点で立客多数、都交5500系だったので荷物置き場もない車内はカオスでした。しかも乗った車両は9割がたインバウンドという状態です。しかし皆さん手慣れた感じで乗っており、旅慣れた人、乗り換えアプリなどを使いこなせる人なんでしょうね。
インバウンド勢の降車で驚いたのは東松戸。新鎌ヶ谷よりも多く、埼玉方面やTDRといった目的地でしょうか。アク特の停車駅発表時には少なからぬ疑問を持ちましたが、大きく育っています。
青砥、押上、浅草で大方降りてしまうのはいつも通りです。そして遅れ気味だったのかもしれませんが青砥で5分停車してスカイライナー、本線快特と接続(あるいは通過)するのですが、発車時刻に来たのは通過のライナーで、本線快特からの接続は取りませんでした。都交や京急に遅れを持ち込みたくないのでしょうが、片接続でいいのなら青砥5分停車というような無駄なダイヤはすべきではないですし、それが必要というのであれば接続を取って欲しいですね。
飯田線自体が巨大な赤字ローカル線でありJR-Cが新幹線で莫大な利益を出せる会社ゆえ存廃等の問題が生じていないというのが真実であり
天竜峡-本長篠間は人跡稀なところを通る状況で、東栄町や浜松天竜区の人口密度(その天竜区で二俣地区を除いたら)からすれば鉄道が
あるだけでも奇跡という状況です。肥薩線の矢岳越え区間が代替交通の措置無しで長期不通で問題になっておらず、函館山線も黒松内⁻長万部間は
もはやこの地域に公共交通は必要ないとして代替バス設定なしでの廃線になる可能性大という中、会社自体に余裕がなければ同様の措置が採られかねないでしょう。
そもそも新城市の人口さえ今世紀に入り加速度的に減少しており5万2~4千で安定しているイメージだったのが4万割れが見えているところまで
減っており、本長篠駅のある旧鳳来町に限れば2000年に1万5千だったものが7千人台へ半減ですから、毎時1~2回程度の便数が今まで維持されていた
こと自体が凄いことだったといえます。厳しい見立てをすれば飯田線で鉄道としての存在意義があるのは新城以南と、松本や諏訪への都市圏輸送が
機能できる駒ヶ根以北(それより南はきめ細かく設定された駅が仇になった時間がかかりすぎ)飯田付近の区間はリニアの二次交通としての
活用される可能性はありますし、南信の中心都市である飯田(の人口が10万を割ったのも衝撃ですが)までの鉄道網は長野県としても維持したいでしょうが
あまり先行きは明るくなさそうです。リニアとの連携にしても山梨県駅では身延線との接続を一蹴していますし、接続駅ができるのか
できたとしても新花巻や佐久平のような二次交通としての価値があまりない形態が関の山と思われます。
ただ中間部廃止となるとJR-Cのネットワークとしては長野県側が孤立してしまいJR-Eが引き受けるとも思えないので
結果として現状維持なのでしょうが、そうなると何かと批判されがちな国鉄分割の思わぬプラス面ともいえそうですが。
飯田線は極端に乗客がいないわけでもなく、地味に乗っているんですよね。空いているように見えても何気に2〜3両編成ですから、バスに直すとかなり混みあう計算ですし。広域輸送は既に高速バスへシフトし終わっていますし、南部では道路事情もまだまだよくなく飯田線が最速と、亜幹線クラスのニーズがあります。BRT化も考えられますが、連接バスで高頻度運行とか、大船渡線BRTより一段多い輸送量を捌く必要があります。
そのなかで「段落ち」が発生している区間の根元側はさらに乗っているわけで、本長篠駅それ自体が乗降者数が多く、新城以遠としてみたら本長篠まで、というのは合理的です。まがいなりにも特急停車駅でもあり、運転の都合で乗降者数が少ない駅まで走っているというありがちなケースではないだけに。仕方がないけど中部天竜まで走らせて、という結果になればまだ利用者にとっては悪くはないんですけどね、延伸される距離が長すぎます。
バスが再編と言いながら新社のサイトがなく旧社のサイトを案内されるのに対し、ドッグランは京成側のサイトに移行しています。まあ旧URLをクリックすると新URLに飛ぶからまだマシとはいえ、アドレス登録を変更してくださいという案内は困りものですね。予約や予防接種済み確認とかでNot Foundになったら目も当てられません。新京成の交通事業以外で唯一のB to Cだっただけに、イマイチな対応です。
まあ京成側としてはなんで犬なんだよ、と思っているのでしょうが、結構人気の施設ですから、会社側都合での経営者変更は会社側がフォローすべき事象であり、そこがストレスなく移行できているかが気になりますね。知人に犬を飼っていてここの会員という人がいますが、どうなったかが気になります。
ドッグランは2023年に新京成の広告代理店子会社が京成の同業に合併されて以来京成のものですが、ドッグランの名前から新が取れたのは今年のことですね。
新京成のその会社はかの模型館もやってたはずですが、もしこれが合併まで生き残っていても合併を乗り越えられたかどうかはわかりませんね。
そういえば旧船橋新京成習志野と旧レインボー船尾の名前の違いは同一事業者になるからとどちらか片方に寄せ、ついでに自衛隊(前)が習志野駐屯地に改称されていますが、違うままの鎌ヶ谷と白井は配給所前がウエストにしかないとか、鎌ヶ谷大仏に駅がつくつかないの差が放置されていますね。
またまたエリア外ですが私が折に触れて訪問している地域なので・・・
三陸鉄道の2024年度決算は過去最悪の経常赤字になる見通しです。
震災以降の利用が戻らないことに加え、燃料費などコスト増が重くのしかかる状況ですが、現地の交通体系が大きく変わったことで構造的な「三鉄離れ」になっています。
復興道路としての三陸道(三陸北道路)の全通は自動車交通の夜明けとなりましたが、電車ごっこ派には評判が悪いとはいえ、じゃあ三陸道がない状態が良かったですかと言えば、地元は100%否と答えるでしょう。
悩ましいのは道路交通で流動が対応しているとも言えないわけで、流動自体が回復していないのです。三陸道の整備で高速バスも設定されましたが、最小限の本数を維持するのがやっとです。
三陸鉄道にとっての問題は、津波被害を受けて沿線が高台移転に踏み切ったこと。リアス式海岸の付け根を縫うようにトンネルで結んでいた路線はR45に対する競争力は高かったですが、同様のコンセプトで整備された三陸道には勝てません。
そしてリアス式海岸の奥に存在する集落が需要地だったので三鉄も使われていましたが、高台移転で駅は集落から離れました。問題は高台移転した集落にアクセスするバスも維持できないくらい利用者が減っていることですが、ミニマムを守るということになれば三陸鉄道ではなくバスになるでしょう。それくらい中途半端になりました。
ドッグランは京成になってたんですね。であれば早い段階でURLを変えるとかできなかったのかな。
さすがに毎日行くような施設ではないですから、そろそろ行くか、とスマホでアクセスしてあれっ、となりかねません。
まあ新アドレスに飛ぶからいいようなものの、前にも書いた通り会員登録と予防接種記録とその確認済記録がサイトにありますから、これが表示できないと入場できません。
代理店会社も合併当初は合併新会社としてのURLから元来からの京成の会社のサイトと旧新京成子会社のサイトを事業所のサイトとして再利用していました。
ドッグランはご存知の通り新京成側でしたから旧新京成の方に内包されていましたが、これも新京成合併を控えた頃には現行アドレスを入れると「test」しか表示されないページが開けました。
バスが事業体としては大合併しても旧新京成組を除いて概ね営業所単位のサイトとして残っているのを含めある意味「お家芸」なのかもしれません。
ちなみにこの再編の中で旧新京成のコンビニ部門は京成化で初めて自前のサイトができていたりしますが、京成化で駅構内の催事出店的なものへの窓口機能は失なわれたようで、コンビニ業態の記述のみになっています。
たまにラッシュピーク後のアクセス特急、品川10時頃着に乗りますが
インバウンドに北総通勤客に青砥で本線快速から接続待ちをするため、青砥発車時にドア閉め再開閉するくらいの
混雑で日本橋までラッシュ時と変わらない混雑です。
アクセス特急の前に出る本線特急もスーツケースが目立ちます。
あと22時以降船橋から乗ると成田のホテルに泊まると思われるインバウンド客もいますね。
本線もインバウンド客のおかげで今の本数がキープされるといいのかもしれません。
管理人様がブログに書かれていた通勤定期廃止論の批判はもっともですが、
現実問題として事実上の通勤定期廃止というシナリオは現実味を帯びています。
JRの通勤定期は国鉄時代からの伝統で割引率が高く特に多くの利用者が選択する6か月は割安でしたが
今春のJR北海道、九州両社、来春のJR東日本の改定案はいずれも通勤6か月が平均3割、区間によっては4割近い大幅値上げです。
値上げ後でもまだ50%強の割引率ですが今後さらに割引率を引き下げる動きが出れば、休暇や出張により定期券を使用しない日を考慮すれば
定価を都度払った方が安いということになります。
もちろん経路上での途中下車自由や休日に私用で乗る場合も通用というのは定期券の大きな利点ですが、
それらの利用が考えられないような区間であれば関係なく、地方都市や大都市圏でも郊外の方ほどその傾向は強まります。
現状でも定期券の割引率が低いバスについては通勤日数×往復普通運賃により実費支給とする企業は多くあり
通勤定期そのものの廃止はあまりに乱暴で世論の反発も強いでしょうが割引率を見直していくことで事実上廃止というシナリオは考えられます。
企業が支給する通勤手当はおいそれと廃止できないと思いますが、外資系企業の特に管理職になると通勤手当、家族手当といった属人的な手当を排し
このポストの報酬はいくらという賃金制度を採るケースはあり、仮にそれが広がれば事業者は最近傾向を強めている
選ばれる沿線のために通学定期運賃を低く抑えるという手法を通勤定期にも適用する、あるいは定期ではなく
ハウスカード連携のIC乗車券利用を優遇することでの囲い込みという傾向を強める戦略を採るでしょう。
Covid19で在宅勤務(という名の自宅待機)が続いた時期には企業も「実費精算」にしていましたね。
東葉高速は回数券があるので回数券との逆転現象が月20日までの往復で発生してしまうため、出張や有休を考えると6ヶ月定期でも「割高」になるわけで、現時点では差額が僅差なので定期券代の支給ですが、格差がつくと実費精算もありえるでしょう。営業職なんかは通勤と外回りの区分がつきにくいので全部合わせての実費精算もあり得ます。
海外だと福利厚生メニューとして定額支給というケースが目立つわけですが、それが成立するのはクルマ通勤であったり、通勤鉄道の運賃が非常に安かったりするからです。区間制(距離制)で高額になる近郊鉄道で通勤する人は限定的で、それが可能なくらいの高給取りがその太宗です。(実費支給となる日本人駐在員もお得意様)
だから職住接近で、しかし家賃がバカ高いからシェアハウス(ルーム)というのが一般的です。
日本でこういう変更を行えば、確保できる人材は能力なのか資金力なのか、という本末転倒状態になります。あるいは近郊部、さらには地方部への移転を促進する効果があるかもしれません。どうころんでも今の通勤鉄道にとっては減収の予感でしかないですが。
成田空港も斯くやというくらいに都心部から遠くて嫌われる広島空港ですが、大きな変革が起きていました。
これまでターミナルのリムジン到着側から送迎バスだったレンタカー営業所(八天堂カフェのそば)が第二駐車場に移動し、そこにカープールと6社共同のカウンター施設(のりんちゃい)を設けています。実は旧営業所との半分くらいの距離感ですが、ターミナルビルからまっすぐ連絡通路を整備したことでターミナルの一角、という印象を出しました。駐車場のほうは第一駐車場を一部立体化してキャパを維持したようですが、あとは無人状態で貸渡や返却が可能なカーシェア対応になっているかですね。Covid19以降、リムジンが満足にあるのは広島市内向けのみで、航空便とリムジンが対応しているケースが少なくなり、レンタカーの営業時間外の夜便は需要が高いのですが足がなく、泣く泣くタクシーを使っているという悲鳴も聞こえており、少なからず新幹線にシフトしているようですから、最終便で到着して借りられる、返却して朝一に乗れる、というメリットが打ち出せれば空港の利便性も大きく改善されます。
余談ですが、広島空港近辺にGSは1軒しかなく、「この場所で驚きの価格」と謳うGSはレギュラーがリッター200円超えの「驚きの価格」だっただけに、レンタカー会社も広島空港返しなら計算で支払ったほうが安いですよと勧める始末でした。
この阿漕なGSが廃業してGSは無くなりましたが、レンタカー各社もふもとの旧本郷町内などでの給油で満タン返し扱いとしてくるようになったので、丸く収まっている格好です。旧本郷町内のGSは三原旧市街や福山市内に比べると安いですから。
それこそ空港近辺の件のGSとの価格差はリッター20円を下りませんでしたから。
万博にあれこれケチをつけていますが(爆)、ブルーインパルスだけはと見に行ったら手痛いしっぺ返しを食いました。
まあ大阪城公園界隈は混みあっていましたが法円坂の難波宮跡の公園は空いていました。谷四から歩いてすぐと決して不便ではないのに。このあたりは関西圏の大阪には不案内な人がメインだったんでしょうね。大阪城近辺なら法円坂はすぐ思いつくはずですから。南西方面に位置しますから絶対に進路直下ですし。
帰りは梅田(東梅田)まで大トロを使いましたが、相変わらずインバウンドが多いですね。大きなスーツケースにベビーカーという定番?スタイルも多く、若い家族が思い切って海外旅行という感じが初々しいです。なんだかんだと言って関西圏の観光客は欧米系が結構多く、ネットにありがちな中国ガー、というのは言うほど多くないですね。まあよく見ればけっこういますが、同じアジア系で溶け込んでいるのと、慣れた観光客という感じで行動がスマートな人が多いです。身軽ですし。
そうそう、桜のシーズンに神戸市内の桜の名所に行きましたが、こちらはさすがに国際都市だけあって観光客というより住民(駐在員)といった感じの外国人が目立ちましたね。インドやマレーの民族衣装を持ち出して撮影会をしているグループとか、日本人よろしくレジャーシートを敷いて宴会とか。こちらは欧米系のほか東南アジア、南アジアが目立ちましたね。
その万博で、中学校の修学旅行に組み込んでいた船橋市内の中学校5校がメタンガスのリスクを問題視してUSJに切り替えたというニュースが出ていました。大阪府市の公立学校が強制的に?万博見学に駆り出されるのが問題視されていますが、船橋から万博とは。下見もできない中で、メタンガスはともかく会場内の移動、休憩、アクセスと未知数が多すぎてよくいったんは決めたもんです。なお学校行事とした場合キャッシュレスが懸念されますが、交通系や流通系も使えるので、逆に「お小遣い上限」がはっきりわかります。(その意味では高齢者も流通系が使えるから案外と親和性は高い)
そして船橋というと、公団の徳洲会で毎度の高齢者踏み間違い事故により多数の負傷者を出す事故が全国に報じられました。
この手の事故ではなぜか突っ込んだクルマが結構奥深くまで走りこむんですよね。ガラス張りが災いして壁面で止めきれないのですが、ここで食い止める仕掛けがあってもよさそうです。あと踏み間違いも怖いですが、病院って結構構造的に玄関先に車寄せがあり、スペースの問題で直前まで右カーブを切りますよね。切り方が甘いと建屋に接近して最悪は突っ込みかねませんし、踏み間違い以外の要因で事故りそうなシチュエーションです。
御存知かと思われるかつ習志野原から大幅に外れる話題で恐縮ですが
ttps://blog.goo.ne.jp/info/close.html
管理人様が3年前にteacupから移行したgooブログが今年の11月でサービス終了が決まってしまったようです
このままデジタルデータが消え続ければ、今後1990年代後半以降の文化や風俗の研究に多大な支障が残るであろうことが予想され、何より今後容易に偽史の流布や歴史修正が可能になりかねないという危惧もありますね
たった3年でとは、いよいよ「オールドネット」の退場時期ですかね。
発信者がはっきりしている発信のツールがどんどん追いやられているのをみると、デマ発生源として社会を蝕むSNSのような信用のないツールでしか情報発信ができない、という流れは、陰謀論ではないですが「不都合な真実」を排除する緩慢な検閲が完成しつつあるんでしょう。都合のいい範囲だけで遊ばせてもらえる。それはメディアにおいても同様で、一定の意向に従った方向性を持つ記事が溢れるという姿が一般的になるのでしょう。「オールドメディア」とかいいながら、その実は受け身のまさにオールドメディアになり果てつつあるわけで、なんという茶番か。
AIとか発信者もコンテンツも、画像や動画ですら信じられなくなる時代において、検証とその拡散を防ぐということもあるんでしょうね。当局公認のSNSで楽しむ分にはなんの不便もないデジタル化された隣国を笑えません。皮肉なことに今年の大河ドラマはある意味「言論、表現の自由」がテーマになっているというのに。
さて交通の話題です(笑)
久々に大トロに乗りましたが、万博対応の企画乗車券でさすが大阪、と唸る商品が出てきましたね。
磁気券の1日乗車券がバスも使える代わりに夢洲に行けないとセコく出ているのに対し、デジタル乗車券では1日券、2日券が磁気券の1日券より高くて地下鉄だけだけど夢洲に行けるという微妙な価格設定です。
さすが大阪と唸ったのは、1日券、2日券とも東京メトロ同様の時間縛りになっていますが、1日券が24時間ではなく26時間になっていること。大阪に到着して購入したというシチュエーションでみると、当日とあと半日、夜からの利用でも当日と翌日、という感じで「おまけ」の部分が地味に効いてくる感じです。
>>656 にありますgooブログの件でニュースサイトを覗くとFC2もwebの方は終了と出ていましたが、機能面で重複するFC2ホームページに一本化の名目とあり、安泰かまでは不明ですが一応こちらは全廃ではないようです。
また今のところFC2はサービスの整理をしつつもブログは廃止の話は今のところないようですし、後継に使うのもありかもしれません。
そういえば、京成のアプリが併合当日の深夜の間に松戸線に対応しましたが、位置情報を見ると京成の他線とはソース(指令)が異なるのか京成津田沼で他線が「映り込む」現象がありませんでした。
くぬぎ山の本社ビルから社名が消えても指令の機能が残留している、と思われます。
FC2は生き残りますが、とかくエロ方面での問題プラットフォームという印象が強く、契約関係に入っていいのかな、という思いはあります。まあこのしたらばもたいがいですが、書き込み型コンテンツのラストリゾートはグレーな面がある空間だけになってしまうのでしょうね。そうなると「その筋」の一撃で全滅もあり得ますが。
有料でも残す気がない、というあたりにコストガー、ではない事情も見えているような気がしますが、少なくとも誰かが「望ましい」と思う環境下でのみ許されるという事態と手遅れが来たようです。
統合間近な段階までの様子を見るに、看板だけ架け替えという方針がありありとしていましたね。
バスの様子を見ても、2026年度から、という方針なんでしょう。じゃあそこまで待てば、という話ですが、法務や税務で何か待てない事情があったのでしょう。あるいは2025年度にもう一段のサプライズか。
NHKのニュースでごみ処理におけるリチウムイオン電池の発火問題をやっていましたが、これ、機内では充電だけでなく電源としての利用も含めて禁止とする航空会社が続出しています。要は使用しないで静穏にすべし、ということですが、スマホやPCの電源はそれなりにメジャーな製造者の手を経ているからOKなんでしょうが、場合によってはそれも不可になるかもしれませんね。まあその昔はドアクローズから降機まで携帯は電源を切るルールでしたから、十分あり得ます。
で、今回の万博はスマホに頼り切ったことで、電池切れリスクの問題が高まり、充電スポットにも限りがありますから、バッテリー持参を推奨しているんですよね。それこそ使用状態を前提としますから。協会が主張するような入場者数となったときに発火や発煙事故でも起きた日には、とんでもないパニックになりかねません。Wifiの問題もそうですが、トラブルシューティングというか、リスクの洗い出しとその対策というイロハのイすらやっていないようです。
だから編隊飛行でいいから飛んでおけばよかったのです。それこそ千里や枚方まで行かずとも夢洲の前を何回か往復するだけでもよかったのです。
大阪府知事がブルーインパルスのリベンジを要請したそうですが、どこまで国にたかる気か。そりゃ「善男善女」は見たいでしょうが、350億円の巨費を投じた大屋根リングが素晴らしいのと一緒で、金さえあれば何でもできるのです。そして我が国にそういう余裕はあるのか。能登半島地震と水害の避難所がようやくすべて閉鎖されたというニュースがありましたが、生活再建どころかこれからという人がいるわけで、ただでさえ資機材と人出を吸い上げて、なお資金もですか。
防衛省も「前向き」とか露骨な回答は論外です。少数与党を支える第二自民党に媚を売りたいんでしょうが、税金を垂れ流して歓心を買う姿勢では参院選で悲惨な目に遭うでしょう。
逆に万博の赤字は大阪府市で負担する、という条件を課したら一気に支持が上がるでしょうし、それくらいの「ディール」をすべきです。明確でルール通りの意思決定も怪しいままに維新が言い出した万博の赤字を負担することになっているわけで、政権与党とはいえ国に対する背任です。
長期運休が続くいすみ鉄道ですが、運転できなくても時計の針は進むわけで、キハ52が目前に迫った全検を通さずに引退することが発表されました。結局10年持たずに引退したキハ28に続き、14年での引退と、取得費用は確かに安かったでしょうが、新車を入れていればまだまだ使えていたわけで、前社長の道楽はどれだけの流出を招いたのか。そしてようやく道楽の後始末が終わりますが、運転再開のめどが立っていない最悪の状態を脱出できないほどの苦境です。
たすきがけプロジェクトが事実上始動できない状態ですが、気になるのは小湊もまた体質改善に背を向けていること。
ハイブリッド化など今後の方向性が大きく変わるなかで正解が見通せないとして、ショートリリーフとしてキハ40を導入しましたが、これも場当たりというか、気動車の方向性であればJR東日本を見るしかないわけで、ハイブリッドが手に余るのであれば、久留里線にも導入されたE130系をベースにした新車でしょうに。あるいはキハ100系の置き換え近し、というのは誰の目にも明らかでしたから、キハ40の譲渡よりもキハ100の譲渡を狙うべきでした。
新車がなかなか入らない、という意味では近鉄がひどいですね。21世紀の通勤車両として「シリーズ21」を導入しながら置き換えどころか少数派で、21世紀も四半世紀が経とうとするところでようやく新車8A系です。赤は古い、という印象を一新したいのか、敢えてシリーズ21塗装ではなく赤系にしましたね。大トロの二番煎じのようなデザインですが、待ったなしの通勤車置き換えを早期に完了させるのであれば、デザインよりも生産性、コストダウンが最優先です。大手私鉄や地方中小でも、デザインには目を瞑った格好の新車が目立つ中、一番余裕がなさそうなのにカネの掛けどころが問われます。
同様に古参が跋扈する南海は8300系(泉北9300系)の増備が継続しているだけ近鉄よりマシですが、車齢60年超えという驚異の存在があるわけで・・・
南海は「サザン」の10000系がひと世代前の車両をベースにしていたことで、いまなお車齢55年程度の通勤車を自由席車両として併結するしかない状態ですが、今から20年くらい前の段階でその自由席車は京成赤電よりも古臭く、スルKAN3daysでの家族のお出かけでしたが、家人の感想は「特急なのにナニコレ」でした。
そう考えると京成は3500系こそ車齢50年超で、それに次ぐ3600系もいますが、大半が3700系以降で(3400系も足回りは古いがアコモは3700系準拠)、いつの間にか大手私鉄のなかでも若い車両を揃えている会社になっています。グループ標準車という概念とか、かなり先端を行く感じになっているのは意外です。
有楽町線延伸(豊洲-住吉)が半蔵門線経由で東武線に直通することになりました。
有楽町線の線形としてはいったん豊洲まで南下したあと北上と大回りですが、半蔵門線と合わせて城東(墨東)の南北方向の交通軸となります。東西線とも東陽町で交差するため、門前仲町での大江戸線にくわえ、有楽町線支線経由で豊洲に出て、ゆりかもめや新木場方面と湾岸エリアへのアクセスが改善されます。このあたりは京葉線利用とのトレードオフになる面もあるので、流動が大きく変わる可能性もあります。
豊洲での有楽町線本線への乗り入れがあるかですが、よしんばなくても豊洲駅構内で東武本線と東上線が並ぶことになり、大正期の東上鉄道併合後、西板線計画で接続を図ったものの大師線しか完成せず昭和初期に失効して以来、約100年の時を経て「接続」が実現します。
なお現在本線と東上線のやりとりは秩父鉄道経由になりますが、豊洲で接続となると、車両の方向が逆になります。
おそらく検査等のやりとりは地下鉄経由になるのでしょうが、そうなると数からして東上線の編成を全部ひっくり返す必要が出てきますね。とはいえ大量の車両を寄居、羽生経由で方向転換というのも厳しく、検査入場時は編成が逆になるのを甘受して豊洲を通す直通はしないようにするでしょうか。
東武乗り入れで有楽町線視線の亀有、野田方面への延伸はかなり可能性が低くなった感じです。東武乗り入れを前提にした10連の運行が前提ですから、輸送力過剰でしょう。一つあるとすれば、有楽町線ではなく「メトロセブン」を前提にするやり方でしょうか。TXまでの放射路線を縫う格好で環七東側をフォローする。既存路線は環七との交点に駅がないため、交差ポイント付近は環七から離れないといけないのが建設コスト増にもなるので実現可能性を下げていますが。
しかし大阪が明らかに需給バランスとしては過剰な今里筋線を整備したことで、おおさか東線と合わせた南北軸を成立させていますから、都市計画として整備したい区間です。(大阪市の東側は環状線の外側に今里筋線(いまざとライナー)、千日前線、おおさか東線、大阪モノレール延伸部と放射路線を結ぶ方向(環状方向)の鉄道整備が活発です)
万博関連で関西ではいろいろ波及効果を狙った企画や商品が出ています。
地味に目玉なのが京都国立博物館の「日本、美のるつぼ」で、教科書的な美術品を揃えており、何気にこういう機会はなかなか無いだけに興味をひきます。
一方姫路城もデジタルチケット限定で時間指定の予約ができるようになっており、これは助かります。
鉄道関係もデジタルチケット限定ですが色々出ています。ただ玉石混交というしかないようで、阪急が2wayチケットと称して阪急京都本線系の全線と、JR西日本がJR京都線全線、奈良線京都-稲荷間、嵯峨野線京都-嵯峨嵐山間が1日フリーで1300円とかなり使い出がある設定なのに対し、阪神がおでかけ1dayと称して阪神全線(神戸高速線は除外)、JR西日本は環状線とゆめ咲線、大和路線の今宮-JR難波、JR京都線大阪-新大阪が1日フリーで1400円と、少なくとも金額が逆じゃね、といいたくなるような値付けです。
兵庫方面は総じて渋く、JR神戸線の姫路までと和田岬線、環状線などは上記と同じでJR東西線尼崎-京橋もフリー、神戸市交と神鉄で三宮から有馬温泉、ポートライナー全線が乗り放題で2日間4600円と、沿線施設入場券込みとはいえ微妙な価格です。姫路城が入っているのはいいですが。北近畿の3day4800円は相野以北の現地フリーのみと、相野までの交通費を考えるとこれもどうかという値付けです。
鉄道版ビワイチの2日で2800円は京都から乗れて敦賀まで行けるのでこれは有効ですし(北陸三セク3社フリーとの組み合わせが最強?)、堺フリーも上記環状線エリアに阪和線鳳まで(東羽衣線は除く)、阪堺全線、南海が堺と中百舌鳥まで(汐見橋線は除く)と堺市内バスに現地特典付きで1000円は破格でしょう。各社や自治体が知恵を絞った感が出てますが、値付けは商才の有無が出た格好です。
姫路最終の「のぞみ」での停車駅案内が駅側では「・・・名古屋、京都からの各駅です」と西明石などを案内していないのですが、総武快速線も佐倉以遠行きだと「都賀からの各駅です」となるわけで、律儀に見えますが、一方で新日本橋と馬喰町は列挙されますね。上りだと「東京からの各駅です」であり「錦糸町からの各駅です」ではありません。
関西ではT電がかつては「明石-高槻間快速」だったのが「西明石-高槻間快速」となっており、停車駅の連続ではなく系統としての区切りを優先するようになっています。まあ巖根や永田などの通過駅があるからと千葉から袖ケ浦、大網までの停車駅を列挙するのもどうかという話で、阪神、山陽の直特(黄)のように、「・・・御影、神戸三宮から板宿までの各駅、月見山・・・」という柔軟な対応がいいでしょう。(おかげで元町から高速長田までの4駅を列挙する直特(赤)よりすっきりしています)新幹線だと「さくら」が結構複雑で、新下関から久留米まで連続停車でも列挙するのに、その先は熊本からの各駅です、と端折ります。
場所が場所だけに見に行けないのですが、新下関始発岡山行きの「ひかり590号」はどう案内してるんでしょうね。厚狭以外の各駅に停車しますが。新下関では「新山口からの各駅」、新山口から先は「各駅」でしょうかね。
あとは下りの「ひかり591号」で、新大阪始発の博多行きですが、新尾道と厚狭以外の各駅に停車します。
いすみのキハ52が実働10年程度で引退したわけですが、当時の公募社長が手柄顔で話してますね。
国鉄時代のこだわり、とか言ってますが、じゃあ車内も国鉄時代かというとそうではないわけで、大糸線時代、要はJR西日本時代の雰囲気なわけで、1銭にもならない撮り鉄向けの企画で、大枚叩いて乗りに来る乗り鉄から見たら「見掛け倒し」という顧客満足度を基準にしたら最悪の商品だったわけです。それで実働10年。税金の使い道としてそれは妥当かは明白です。いわんやキハ52のあとに導入して先に引退したキハ28なんかは申し開きもできない存在です。片運転台で必ずキハ52と併結しないといけないような車両ですし。
いみじくも語っている通り、ムーミン列車というヲタ相手ではない普遍的なコンテンツがあって、多くの乗客が満足していたわけです。ところがヲタもヲタ、撮り鉄に舵を切り、ムーミンも銭になる飯能のほうになびいてしまったという最悪の結果です。ムーミンをつなぎとめて、テーマパークは飯能だけど、列車はいすみ、というような棲み分けを図れなかったのか。それこそ全編成をムーミンにしてもよかったのです。車体自体は無味乾燥の規格品でコストを下げ、ラッピング勝負です。それなら費用対効果も高いですし、普遍的な利用者への訴求になります。
当時の公募社長が流れ着いた大井川がいい例です。撮り鉄が喜ぶような往年のSLを忠実に再現、というような企画ではなく、冷静に考えたら際物もいいところなトーマスが大当たりしているわけです。姥桜のコスプレというヲタから見たら顔をしかめる企画が普遍的な利用者には大ウケだったのです。「会社」が声掛けしたからキハ52を譲ってもらえた、と裏話を書いていますが、「会社」としてどうコンテンツを整備するのか、と考えたときに、これまでの施策は「会社」の立ち位置で考えていないと言えるわけで、「会社」が何をすべきかを理解してないという結果でしょう。理解していたとしたら社長自らが「税金で電車ごっこ」であり、一種の背任にもなりますから。
>>670
金沢での「はくたか570号」の停車駅放送は驚きました。
「停車駅は 上越妙高までの各駅と 長野から軽井沢までの各駅と 高崎・大宮・上野・東京です」と、
「各駅」が二回も出てくる放送は初めて聞きました。
自分が降りたい駅がどの主要駅の間にあるのか把握していないと分からないので不親切だと思います。
ここまで停車駅が多いなら、いっそのこと、通過駅を列挙したほうが早い気もするのですが。
「飯山、安中榛名、本庄早稲田。熊谷を除く各駅に止まります」(笑)
ひかり590号は新下関では「新山口からの各駅」、新山口からは「各駅」ですかね。
ひかり591号だと新倉敷までは「福山までの各駅、三原から新山口までの各駅、新下関、小倉」でしょうか。福山は「三原から新山口までの各駅・・・」、三原から徳山は「新山口までの各駅・・・」という感じ。
山陽は通過駅を書いた方がよさそう。590Aは岡山行き、591Aは博多行きだから、列挙されてなくても岡山、広島、小倉といった主要駅の停車はわかるでしょうし。
北陸新幹線も列挙されていない主要駅は富山くらいですからね。富山通過の新幹線は無いですから大丈夫でしょう。
ANAが国内各空港の3レターコードを記したマグカップとシールを空港のANAフェスタで発売するそうですが、なぜか関西の3空港だけがありません。かつてはあったのですが今は総て閉店となっているからでしょうが、他空港で3空港分を発売してほしいですね。Covid19を理由にしての撤退ですが、関空が2022年、伊丹と神戸が2023年の撤退と集中しており、大家の「関西エアポート」との間に何かあったんでしょうね。
いろいろ揃う中で、「ITM」「KIX」「UKB」がないのは寂しいです。主要目的地の羽田や成田で売って欲しいですね。
あるいはカウンターで発売とか。神戸ではガチャを売ってますし。
そうそう、神戸空港の国際チャーター便がスタートしましたが、使い勝手が悪い2タミはいまのところ国際線専用です。
国内線は1タミを死守してほしいですね。
エリア外ばかりで恐縮ですが、関空のラウンジが国内線に続き国際線も共有化した件で、JALは総ての上級会員が上位のラウンジを使えるようになったのに対し、ANAはダイヤモンドだけ上位で、あとは下位のラウンジだけという塩対応です。
SFCで上級会員を量産したツケが回ってきたとも言えますが、マイルをためても国際線の特典航空券の値上げが続き、C席以上はY席との差額が倍増という信じられない改悪ですから、修行どころか既存会員も年間1万円の会費の価値がないとして退会の可能性もありますね。それでも手間とカネがかかる会員の整理を優先というのでしょうが、利用自体が減少するリスクがありますからね。企業の海外出張もウェブ会議で事足りることが多く、厳しく厳選するようになってますし、そもそも法人契約でもJALの攻勢がすごいですからね。法人会員のポータル経由の予約だと国内線国際線ともラウンジ利用可とか、国内線ではクラスJの料金無料とか、魅力的ですし、企業側にもメリットを出して囲い込まれるケースが多いと聞いています。
ジャーナル最終号が、各書店で売り切れのようで・・・。
近くの書店で店長に尋ねましたが、追加入荷時期未定とのこと。
店長も「他誌に比べると読ませる記事多かったのに、残念ですねぇ」と。
万人受けする雑誌でもないのに、商品の特性をよく把握してるもんだと感心しました。
>>673
エリア外の停車駅の話題続きですみません。
東北新幹線にも「白石蔵王のみ通過する仙台行きやまびこ」というのがありますね。それでも「白石蔵王以外の各駅」はおろか「福島までの各駅」とすらせず、頑なに「上野・大宮・小山‥」と列挙するのは、近郊電車と違い万一にも誤乗があればダメージが大きいので解りやすさ重視かもしれません。
東北道栃木県下で、逆走車が起因する正面衝突事故と、それに起因する事故渋滞後方の玉突き事故で、複数の死者が発生するという事案が発生しています。
今回の逆走車は、黒磯板室IC上り線の出入路が平面交差している箇所で、直進せずに誤って左折し、仙台方向へ逆走を開始してしまったものと観られています。
同様の構造は、身近な箇所にもありますね。そう、東関道四街道IC下り線です。
地方部の高速道では、こうした構造のICは結構見受けられますが、これまではあまりこうした構造が逆走発生の原因であるような報道を観ませんでした。
本線合流部で「あ、間違えた」でUターンして逆走開始、ってケースよりも、出入路平面交差部での誤って左折のほうが、ケースとしては多そうな気がするんですが・・・。
ちょうどそのニュースを見ていた家人がこの構造は危ないと叫び、私は咄嗟にこれ東関道四街道と叫びました。
新直轄なんかけっこう多くある構造なので、そこまで多発していないのは構造ではないと言えるのか、あるいは新直轄はICエリアでも片側1車線が多いからさすがに気付くのか。逆走進入になるところにセンサー式ゲートをつけるしかないでしょうね。正規の方向はいったん停車を強いられて厄介ですが、ゲートの位置とセンサーの距離を開けて無停車で進めるようにするか。エスカレーターの逆乗りのようにセンサーでの制御が最適な気がします。
というわけで新年度初の習志野原でしたがピンクが一斉に青くなった様は違和感を感じます。
自動放送も「京成電鉄をご利用いただき」となっていますし、LCDのイラストも京成パンダに。ただ「このドアが開きます」
で降車するしんちゃんの動画は京成パンダとはならず、ただの矢印です。
さりげなく京成の停車駅案内が貼られていたり、駅の券売機の料金表も京成モードとか、「京成千葉線」として有無を言わさず京成化していますが、乗務員や駅員が京成の制服というのが一番寂しいですね。京成の制服一式をそろえるのもタダじゃないですし、普通は会社が支給(貸与)しますが、それくらいのコストは払ってでも「京成」の一員とするということなんでしょう。バスも京成バス千葉・・・でしたね。そうそう、深夜急行のポールと平和交通の深夜急行のポールも消えていました。
5月号は普通に買えましたし、最終号も当日お昼だとこれも普通に買えましたが、夕刻以降なんですかね。入荷量は心持ち多い感じでしたが。売り切れたらそれで配本は終わりともうのですが、追加入荷があるんですかね。別冊では増刷、三刷と発行した記録はありますが、最終号とはいえ定期便で増刷をかけるのか。であれば余計に最終号らしい誌面にしてほしかったです。
帰りは5分繰り下げになったリムジン朝2便を試すつもりですが、所要時間は5分繰り下げで済むのか否や。そして京成本線からの乗り継ぎ状況はどうなのか。
そして往路はスカイマークでしたが、ちょうどネットメディアで搭乗時の荷物の上げ下ろしが遅延の原因という記事が出ていましたが、荷棚に上げるという「当然の行為」すら咎められる時代というのもなんだかなですよ。ANAなんか荷物は荷棚に上げずに前の座席下に入れてくださいと要請を始めていますが、こんなのダイヤをタイトに設定して搭乗時間が不十分という航空会社側のエゴじゃないですか。一方でキャリーケース(小型スーツケース)の持ち込みを許容するから、自力では挙げられないような客が難儀して糞詰まっています。リュックサックになったとしても持ち手とキャスターがついていたらソフトバッグでも持ち込み不可、とすべきでしょう。これを排除したら相当早くなります。
まあANAのように預け荷物の返却が異様に遅い、降機開始後10分以上というのが乗客が預けたくない志向になる原因です。
グラハンがいないとかもっともらしいことを言っていますが、じゃあスカイマークはなぜ可能なのか。到着ゲートが遠いせいもありますが、普通に歩いてきたら回転台がすでに回っており荷物も見えます。慌てて走ったら警備員に走るとセンサーが反応します、と止められましたが、おかげで荷物とターンテーブルの最終ストレートで競争する破目になりました。
ANAの場合は後方席のバス連絡で最後の1台になってしまったことがありましたが、そこでターンテーブルに到達したらベルが鳴って回り始めたのを見て、最後の客が来ておもむろに回し始めるのか、と疑いましたね。
そして頭を抱えたのがリムジンで、引き換え証を確認して渡すのだから時間がかかりすぎます。最後の1個だっため到着後5分は優にかかっており、新幹線がアレだから荷物があるときは特に空路にしているというのに、これでは話になりません。1個1個順に乗客が名乗りを上げるまで待つというのも無駄です。いったん全部降ろして名乗りがあったものから確認して引き渡すべきでしょう。
北千葉道路東側最後の未開通区間である押畑-大山間ですが、土屋地内のイオンの裏手、根木名川を渡るところでぷっつりと工事が切れています。西側のR408までは橋脚が並び、大半に鋼桁が架けられているというのに、東側は整地すらない状態です。丘陵があり空港線と交差すると思しきあたりは少し手が入っていますが、そこから取香川をどう越えるのかが見えません。
その先R51との交差部には構造物が見え、背後の丘陵内もかなり手が入っています。そして最後の構造物がある場所は丘が切れて谷越しに成田JCTが見えるわけで、位置的には空港道の直進として作りそうですが、R295側に接続しないと料金所との絡みが厄介で、どうするのか。でもまだ見えません。
連休前半、日立市〜いわき市まで出かけ昨日帰ってきたのですが、
日立中央ICから16時半頃常磐道乗ったところ、千代田石岡で発生した事故渋滞で
友部〜土浦北1時間半、友部JCT手前で柏まで2時間以上と表示が…
思い切って東関道鉾田へ向かい、下道で潮来を目指しそこからまた東関道で千葉北経由で帰りました。
田野PA〜千葉北まで2時間弱でした、下道区間も快調で常磐道迂回ルートとして使えそう。
下道区間所々で東関道工事してました。これ全通すると友部から北や宇都宮、那須も東関道経由になりそうですね。
習志野市の都市計画道路整備のHPを見たところ
実籾3丁目〜しょいかーごまでの4車線化工事期限が令和13年度まで伸びているではありませんか。
ショックを受けています、武石からの渋滞にあと7年も付き合うのかと。
平日朝だと実籾アンダーパスまで渋滞伸びているのが、電車からよく見えます。
もしかしてアンダーパスの4車線化のほうが先に開通してしまう気がしなくないです。
忘れられがちですが、八潮陥没事故の草加松戸線の新道一部通行止めの影響で、
それ以降、往年の渋滞箇所の一つ戸ヶ崎交差点の渋滞が復活してますね。
四方向全て右折レーン無しの典型的な千葉県の交差点という感じなところです。
とはいえ新中川橋は利用可能なのが救い
対面通行の場合、往々にして先行車に頭を押さえられてストレスと時間が貯まり続ける感じです。
R51でも鹿嶋から大洗までの2車線区間で数ヶ所追越車線があるもののこれも長いわけで、下道で行くと決め打ちだとR51も選択肢になるけど、という感じです。
こういう「安全運転」のクルマに限って追越車線がある区間になると飛ばして抜かせまいとして、対面通行区間ではノロノロというのがお約束で、先日は一般道の峠越えの登坂車線でトレーラーを抜こうと走行車線に居座ったはいいが全く速度が上がらず延々と終了まで並走という話にならないケースもありましたね。AIとかの技術革新とETCをベースにした双方向通信を活かして、対面通行区間の走行具合で追越区間(登坂車線区間)での追越車線走行の可否や強制的な登坂車線選択を指示するようにしてほしいです。こういう「邪魔」の排除で案外と流れるようになりますからね。
令和13年度(2031年度)ですか。老後の楽しみにとっておくというか、生きていないリスクも考える時期です(爆)
南行きはしょいかーごから片側2車線にして幕張まで流す、という選択肢はないんですかね。その妥協案が出来れば大きく変わるはずですが。
さてr54の旧道経由が「復活」した件ですが、当日応答があったという報道があっただけにトラックの吊り上げ作業の失敗(敢えて断言します)が悔やまれます。トラックのヘッダー部分の構造への無理解としか思えないような吊り位置に加え、ワイヤーの結び方も問題だったようで、ネット界隈でお盛んな「現場は大変」「現場は頑張った」という思考停止もさすがに批判されていますが、まだ横行しています。
戸ヶ崎経由とはまた頭を抱える事態ですが、一方でその昔と違うのはR298があるわけで、谷塚と松原という違いはあるものの、その昔のように代替ルートは三郷橋、という絶望的状況と比べたら全然違います。
新京成が京成松戸線になったわけですが、「京成松戸線」という緩和措置すらなくなってますね。すべてが「京成電鉄」ですから。千葉中央行きが「京成線直通」のとの交互表示だったものが松戸線も京成線だからと交互表示が消えました。京成津田沼方面、と入れればいいのにそれもないですからね。
あと細かいところでは新鎌ヶ谷の自動放送での乗り換え案内が、合併前は「北総線、成田スカイアクセス線、東武アーバンパークライン」だったのが「成田スカイアクセス線、北総線、東武アーバンパークライン」となっており、当たり前ながら「自社」優先になっています。
くぬぎ山にあるLCDの発車案内の電車近接表示も、ピンクのN800系を模したイラストが、青のN800系となっています。まさかこの色味が塗り替え後の姿になるのか。くぬぎ山にいる3両の全面銀色(無塗装状態)のN800系がどう化けるのか。
一方80000系と8900系はこれまで千葉線直通ではなかったため種別表示がなかったのですが、松戸線内でも「普通」の種別表示を行うようになったため、種別を掲出しています。
ちなみにさすがに「京成線」と新しい表示にしている中で、松戸駅の構内(ラチ外)通路などの一部で「新」の字だけを消した手抜きバージョンがやはり出ています。まあ東急で二子玉川園を二子玉川に改称した際、「園」の字だけを消した字幕とかいかにも手抜きという対応に比べると、ラインカラー(カンパニーカラー)も変えるために全部刷新した今回はまだマシなんでしょう。
習志野市の都市計画道路整備の話題が出ていますが、
八千代市では令和14年3月31日の事業期間で新しく新木戸上高野原線
(275m)が事業化されましたね。佐倉市も井野酒々井線には前向きなので
令和10年代に接続が見れるかもしれません。
生きている間に船橋市側の開通も見届けたいですが。
京成グループのバス再編第1弾で登場した「京成バス・・・」の各社ですが、共通して新会社のフロント広告(前掛け)をつけています。今回再編の対象とならなかった京成バス本体はつけておらず、まあ当然ではあるもののグループのバス事業再編という慶事への協賛くらい欲しいところです。
ところでたまたまなのか、津田沼で旧レインボーの神崎線を見たんですが、前掛けがついていませんでした。
京成バス千葉セントラルの前掛けが当然あると思っていたのに意外でした。千葉交通もイーストの前掛けを付けていただけに。
あと、津田沼北口の案内板を見て気づいたのですが、千葉3社すべてに乗れる停留所ってないんですね。
そう、船橋はセントラルとウェストがありますが、津田沼はセントラルとイーストです。新京成がウェストだったら揃い踏みだったんですけどね。津田沼のイーストは旧ちばグリーンの深夜急行ですが、ここからの乗車もできます。(ただし運休中)深夜急行、高速バスという意味では東京駅がウェスト(旧ベイシティ)、セントラル(旧船橋新京成、旧海浜)、イーストが(旧ちばグリーン、千葉交通)と揃う停留所でしたが、セントラルになった2社は既に廃止になっており揃い踏みにはなりません。
印内習志野台線としては八千代市境まではほぼ完成しているだけにここはつながるんでしょうね。
ただし習志野駅の踏切から駿河台の間は生きてる間は無理でしょう。完成形が全く見えませんから。
南本町馬込町線、馬込町古和釜町線も厳しいですね。
といういか、南本町馬込町線の船橋駅付近から東海神駅付近までを除くと、完成形が見える都計道というものがないんですよ。船橋は。現道拡幅にしても船取線の4車線化延伸は影も形もないですし。
道路ついでに余談として、三咲三差路のr57の突き当りに整備される住宅地、十字路化を懸念していましたが、三咲三差路につながる部分は歩道になっています。ロータリーにはなっていないようですが、一種のクルドサックのような仕立てです。
京成松戸線になったことでJR津田沼駅の案内がどうなるかと思っていたらまさかの消滅です。
いわゆる「野良」サインですが、京成線、特に京成津田沼への乗り換えは遠いよ、という案内で、当駅は新京成新津田沼駅の乗り換え駅で、京成線は幕張本郷で、というものでしたが、消えています。まあ京成津田沼まで歩くことを考えたら、新津田沼から京成津田沼もさることながら、幕張本郷から京成津田沼に戻り、大久保方面に行っても早いですからね。船橋での乗り継ぎを見落とすようであれば、幕張本郷→京成津田沼でも遠く感じないでしょうし。
代わって何ヶ所も掲示があったのが始発快速の整列位置の指南。1本だけ1番線始発が入るのでその案内も兼ねていますが、長年乗車位置の左側に次発、という整列という不文律が通用しなくなったんでしょうね。書いてないから俺様ルールでこっちが正しい、という非常識な客が増えてきたんでしょう。発車時刻を明記しての案内になっていますが、書いてなければ何をしてもいいという風潮で、常識で考えればわかるはずが通用しない時代という末法状態です。
そして始発快速も前半戦は東京止めが多く、行って品川と、始発に乗るインセンティブを低めています。
NEXなど特急を増やし、始発快速を間引く格好で、利用者減を快適乗車ではなく、混雑を維持したまま本数減としたい意向が透けて見えます。朝から目が疲れるサイネージの光の暴力を受け続ける欠陥車両での通勤ですからね。
船橋市道路整備プログラムでは南本町馬込町線は船取線までは次の10年間で事業化
を予定しているようですね。
その先00-008号まではあまり立て込んでいないので、生きている間に延伸を
期待したいところです。
もともとは船橋市総合都市交通計画の案があり、そこでは南本町馬込町線、
馬込町古和釜町線、印内習志野台線の一部が優先整備区間でしたが、あまり
にも厳しい状況だからかパブリックコメントに至らずにお蔵入りしてしまった
ようですね。その後に出された船橋市地域公共交通計画でも印内習志野台線は
優先的整備・拡幅区間(検討中)になっていましたが、船橋市道路整備
プログラムでは今後 10 年以内に事業着手する路線からは外れてしまいました。
せめて296の代替路線として、普通にすれ違うことが難しいポイントは拡幅
などの整備が必要だとは思われますが・・・。
船橋市道路整備プログラムの発行は2023年なので、「今後10年」とある次期事業期間は2033年度ということですかね。あるは1月発行なので2022年度の発行となり、2032年度が期限か。それでメニューから除外となると厳しいですね。南本町馬込町線が2030年度末ですからようやくできるかどうかで(長津川遊水地から斎場入口まで)、その先馬込町古和釜町線は断念状態です。
現在事業中も松ヶ丘のバス通りが2027年度から2028年度末、印内習志野台線が2028年度末と大概です。逆に西浦藤原町線(3.4.22号線)は船橋ICを跨ぎ越す区間が2025年度中にできることになっていますが、合鐵の敷地内とか京葉道路の交差部とか全く見えません。これができると西浦交差点から行田方面に抜けられるので、市松道路との分散とか効果が期待できるのですが。
あとは地道に交差点改良ですね。高根木戸近隣公園のところの改良がメニュー化されていますが、変則交差点区間の4車線化を公園敷地を削って捻出する予定であり、少しは好転するでしょう。交差点改良はあとは三咲三差路のr57のクランク状に進行するところと、県民の森の交差点、さらに古和釜十字路ですかね。古和釜十字路は楠が山、金堀方面からの交差点改良と、宮本町古和釜町線の整備終了区間の間を木戸川側に新道とすれば革命的に変わるでしょう。近隣公園も含めてアンデルセン渋滞対応として早期に解決すべき箇所です。
船橋市都市計画マスタープランでは、八木が谷地域の項で、
三咲三叉路等の交差点の改良を千葉県に要請します、とあるので
期待はして待つしかないですね。
古和釜十字路も渋滞はひどくなる一方なので、おっしゃるような対策が
期待されますね。
京成は元から案内では路線名を言わない傾向があったように思います。
松戸線になってもことごとく「京成線」や「京成電鉄」しかないのは他線のそのやり方を踏襲しただけじゃないかと推測しています。
現状、入口の看板で律儀に路線名入れているのは新鎌ヶ谷だけで、あとは社名だけです。
ちなみに、社名が京成化された券売機は、
・京成連絡は自社化され、「⚪︎⚪︎から/京津津田沼→xxx円区間」が「⚪︎⚪︎→xxx円区間」に変更
・新京成時代は発券に対応していなかった千原線区間の発券に対応
・定期券は新京成時代と変わらず松戸線発のみ発券に対応
といったところでした。
クランク状になっている交差点を拡幅で対処は付け焼き刃感が否めないですが、しないよりはマシなんでしょうかね。
かと言って三咲三叉路絡みは直線化は大掛かりになるのでまだしも、高根台のは公園の切り取り範囲を拡大すれば直線化できそうに思えますが。
三咲絡みで余談ついでですが、三咲は下水の整備のエリアには含まれているようですが、私の最寄りで最近できた宅地に大穴から移ってきた知人曰く未だに地下水が通っておらず、未だに浄化槽を埋め込んでいるようです。
道の整備も当然大事ですが、道の計画とかでやるだけ無駄足になるとかならまだしも、そうでもないなら他のインフラもおざなりなのはいただけません。
交差点改良が地味に効いている反面、船取線と交差する側の芝山団地入口交差点のように直進車が満足に流れないという謎現象をどうにかしたいですね。左折で歩行者待ちというのでもないのに流れないというのは、ドライバーの要因大であり、サグでの「速度低下注意」と一緒で注意喚起すべきでしょう。
三叉路が向き合う格好のクランク交差点は千葉県北西部あるあるで、他県のそれがどんどん改良されているのが羨ましいです。クランクの中間部を4車線、せめて3車線化して右折レーンを極大化しないといけないのですが、それすらできていません。
なお高根木戸近隣公園のところのクランクは信号を白紙見直しすることで改善できるはずです。信号サイクルが成田街道方面からくる都計道がなかった時代のままで、公団側から来て突き当りを右折するとそのまま左折矢印が出て右折後の信号左折で坂下に至ります。これが40年くらい前までの習04のルートでしたが、現在の主流である左折して都計道へ右折のコースは信号が連動していないのですぐ詰まります。これの捌け残りで松ヶ丘のバス通りを直進するクルマも通れなくなっての渋滞と最悪ですし。
近隣公園を削っての十字路化は可能ですが、そうすると近隣公園が事実上なくなります。屈曲や急カーブを排するとなると、東側の児童用遊具の広場も、西側のストレッチ器具が置いてある広場もなくなりますから。残るは野球場とテニスコートだけで、木々も大半が伐採でしょう。近所では北習志野第3号公園が房総半島台風の暴風で木々の多くがなぎ倒されており、森林の確保という意味でも難しいです。
どうしても十字路化というのであれば、習志野台側からの突き当たりとなる高根台中学校と西隣の西集会所、西ショッピングセンターをぶち抜く格好で建設するほうがいいでしょう。上記3施設は1960年代前半建設の築60年選手で老朽化も激しく、現道側に移転して集会所は中学校の体育館と併設(大穴中と海老ヶ作公民館のような感じ)、そして西ショッピングセンターも改築したほうが良いでしょう。高根台中は公式には避難所になっていますが、東日本大震災の時に耐震性の問題があり避難所としては適さないという話があったと子供さんを通わせていた保護者に聞いたことがありましたから。
確かに京成は「○○線」という案内はあまりしませんね。「○○方面」ということが多い気がします。
「本線」もSA線開業時に大々的に案内されるようになった表現で、そもそも「上野線+空港線」でしたから。
とはいえ松戸線は出自が大きく違うわけで、そこで「京成電鉄」と一緒くたになってしまうと悲しいですね。
当たり前と言われればそれまでですが、電車とバスの塗装以外、あらゆる新京成カラーが1夜にして消えたわけで、そこまで徹底するかという感じです。別に残してもいいじゃんとしか言いようがない電車型自販機も併合を前に消えましたし、変わったところでは自販機そのものが消えたところもあります。
ところが新京成時代の鳥居型駅名標が残っているわけで、閉鎖された8連用空間の習志野のほか、前原のそれも残っています。前原はギリギリ6連エリアに建っているのでしげしげとみることができますね。(古いデザインの「鳥居」というと、阪神電車の甲子園(降車ホーム)と住吉も長く残っていましたが、住吉は新デザインになって継続しています)
流動と習04の経路を考えると理想は確かにショッピングセンター側を潰して成田街道・実籾方面へ繋ぐ方と直線化する方が向いてそうですね。
中学はいっそ第一小跡が使えればその方がよさそうな気がしますが、残念ながらすでに後継の用途で使っているようですし。
ところで中学といえば、確か去年あたりから市立のはジェンダーレス化の流れが押し寄せ制服ごと改定されたようですが、高校はそれをせずに対応したために、「実物」に遭遇するとえらい不格好です。
京成の鳥居型駅名標はちょくちょく残っていたような印象がありますが、新デザインになることもなく放置とか場合によっては撤去されていた気がするので前者を踏襲するとかなんでしょうかね。
といっても鳥居型は旧新京成のは丸ゴシックの活字なのに対し、元からの京成のは手書き感があった気がします。
>>697 を読み返していたら地下水と書いていましたが、下水の間違いでした。
京成の「鳥居」は1987年の4駅改称が決定したことを機に丸ゴシ化していますが、4駅(葛飾、センター競馬場前、国鉄千葉駅前、京成千葉(現千葉中央))は最後まで旧タイプの「墨痕鮮やかな」書体でした。葛や葉の草冠の真ん中が空いている旧字体チックな筆致でしたね。ちなみに鳥居の下部の広告はノーシンでした。阪神は産経新聞でしたね。なお東成田の未使用ホームにある「成田空港」の電照駅名標の広告は千葉銀行でした。
高根台は第一〜第三まで3つ小学校がありましたが、第一が団地の高齢化と建て替えで複式学級になる規模にまで小さくなり、廃校になった結果、第二と第三しかない状態です。いっそ第三に集約し、中学は第二に移転すればいいんですけどね。第二も1学年で複数の学級ができるかどうかという規模でしたし。若い世代が多い団地から戸建てやマンションになったエリア(怪獣公園の周辺)やアートヒルは第三が近いですし。
もともと「船橋市」の小学校としては最奥だった高根小と三咲小(二和向台駅脇)があり、1961年に高根台第一が分離、1962年に第二が出来て、1972年に第三を分離となっています。
1971年に大穴小、さらにそこから1977年に大穴北小と分離しています。第二小からは1968年に古和釜小が分離しているため、相当な広域の母体だった第一ですが、2007年に消えました。なお「古和釜小」はもともと古和釜十字路付近に豊富小の分校として存在しましたが、1968年に廃校となり、同時にいまの松が丘が独立し第二からの分離の形で古和釜小が出来ています。(豊富小には分校がいくつかあり、今の小室交差点バス停は「分校入口」だった)
このエリアは旧八栄村(東葛飾郡)、旧豊富村、旧二宮町(いずれも千葉郡)の接点で、高根(二和、三咲)は八栄、大穴、古和釜(松が丘)、坪井は豊富、習志野原、飯山満は二宮となっており(七林は八栄の飛地)、1950年代の合併後は旧境を跨いで学区が再編されています。
三咲といえば、二和向台の近所にある三咲小と三咲郵便局って今の感覚だと釈然としない感がありますが、まあ過去の経緯といったところなんでしょうかね。
三咲といえる三咲にある郵便局は三咲東ですし、所在地的には大穴北でも裏門側はほぼ三咲な大穴北小も考えようによっては捩れと取れなくもないです。
かと言ってどれも場所トレードしてどうにかできるような場所もないですし、現状維持以外での現実的な解決法は名前だけどうにかするってところでしょうか。
くぬぎ山で「京成色」化されつつある8800とN800ですが、8800について下馬評では側面は赤電や3400みたいな帯になると思われていたのが、まさかの3000のような細帯になるようです。
オリジナルの茶帯の太さが細かったのを意識した可能性もありますが、フィルムを貼るタイプのようなので単純にコスト面という可能性も無きにしも非ずかもでしょうけど。
ネット上の反応も非難轟々に近しい感じでしたが、直後に東急の塗装変更の話題が出ると流石にそっちよりはマシと一部では手のひらを返すのも現れてはいましたが。
船橋市の本下水は絶望的になるくらい整備が遅れていますからね。三咲は整備予定のままですし。ただ人口ベースではカバー率が9割を超えたことにはなっています。とはいえ5割を超えたのが2006年と遅く、平成元年で23%とこれは少なすぎます。まあ市の公式で「少しずつ拡大」と開き直っていますから仕方がないんでしょう。
新京成の外側は高根台、習志野台の団地と大穴南くらいという時代が長かったです。逆に内側は高根台でも7丁目とか西習志野とかまさかのエリアで整備が今世紀になってから、いや、2010年代というケースが少なくないです。
昔から大穴南在住の知人に聞くと、1970年頃の戸建て住宅街の開発時には都市ガスと簡易水道(自治会単位で井戸水を水道として供給)、浄化槽という組み合わせで、1980年前後に県営水道が入り、下水道は1990年代だったはずと言っていました。まあ都市ガスが当初からあっただけマシで、周囲ではプロパンしかない地域も少なくなかったはずですし、水洗トイレだっただけでも幸せだったと言っていましたね。
別の知人の話だと、住宅地の顔をしているエリアに整備されたマンションが地下に浄化槽を持っているというケースも少なくないそうです。
新金線の旅客化問題でBRT化のプランもあるそうです。
これ、意外と面白いわけで、環七との交点にジャンクションを設ければ、シャトルセブンの高度化が図れます。またリムジンバスもさらに便利な系統になります。
環七から新小岩駅までの専用道を確保できますから、葛西、一之江から新小岩という速達系統が生まれますし、羽田リムジンも小岩でなく新小岩としたほうが速く乗り継げますしバックグラウンドも広がります。(小岩もそっちのほうが速い)
亀有系統もBRT経由金町としたほうが速いでしょうね。亀有固有の需要が多ければ亀有ですが、常磐線沿線に需要が広がっているのであれば金町でしょう。
二和にある三咲小の件ですが、あの位置がかつては三咲に属していた、というのではなく三咲にあった三咲小が戦後移転してきたようです。八栄村時代からの三咲小があった位置はどう探しても出てこないんですよ。戦時中は工兵と山砲の連隊が置かれて三咲国民学校は三咲神社と星影神社に分かれていたそうです。戦後お役御免となった軍の無線局跡に引っ越したのが今の位置だそうです。図書館に行かないと無理ですね。
ついでにいうと、r57がクランク状になっているあたり、r288も含めて明治中期には桜並木があったそうで、「三咲桜」として東京から観桜客が押し寄せたそうです。
今につながる桜の名所である御滝公園は新京成の観光名所として売り出していましたが、ピクの2020年7月号の「人を乗せた貨車」という江原光昭氏の記事だと、初富どまりだった1950年代前半、桜のシーズンに薬園台-三咲間を増発(延長)するために、三咲-初富を折り返し運転とし、工事用に確保していたSLが牽引する有蓋無蓋の貨車を使った臨時列車の設定があったそうです。
1977年に刊行された30年史に記載がわずかながらあるそうですが、これは図書館にあったはずで、実際を見てみたいですね。
>>708
いつも読ませていただいております。
手元に三咲小学校百十周年記念誌がありましたので読んでみました。
八栄村時代の校舎ですが、「明治33年に」「二和88番地に校舎を作り」という記述がありました。現在の地図では二和東2丁目9番の周辺になるのかと思います。校名は八栄第二尋常小学校だったそうです。その後明治44年に道を挟んで向かい側の三咲358番地に移転したようです。現在の地図では三咲1丁目11番周辺でしょうか。
三咲小卒業生さん、ありがとうございます。
三咲駅西側の十字路の南方(滝不動方)ということですね。
1944年や1947年の航空写真だと通りの東側(三咲1丁目側)にはそれらしき土地が見えますが、一方でここに工兵や山砲の連隊があって、学校自体は星影神社と三咲神社に仮住まいしたとあるわけで、連隊が駐屯するには狭すぎるので、ごく一部なんでしょうね。(連隊は大隊-中隊-小隊の編成の複合体) 大久保の軍用地で騎兵連隊2個分ですし、津田沼の千葉工大も鉄道連隊1個分ですから、それくらいの土地がいります。
もともと二和にあって、校名も村名から八栄で、その時期に三咲に移転して、国民学校になった際に三咲を名乗り、戦後二和の現在地に移転ということですから、複雑ですね。
ちなみに新学制になって1947年に高根小と三咲小に中学校を併設し、1949年にそれを統合して御滝中が発足したそうです。
高根台中は1961年ですからそれまでは御滝中の学区だったんでしょうね。そして古和釜中は高根台中からの分離ですが、1954年までは古和釜や大穴は豊富村だったので1947年に発足して1954年に船橋市立になった豊富中のエリアのはずです。
大穴中も古和釜中からの分離なので、いったん豊富村エリアに御滝中の学区が広がり、分離していったのでしょうか。
小学校は前にも言った通り古和釜は豊富小の分校の管轄でしたが、1968年の古和釜小発足時には高根台第一、第二と豊富から移管とあり、1961年の高根台第一、62年の第二の学区にいったんなっています。古和釜小は1971年発足の大穴小の学区も含んでいますが、1954年の豊富村合併と1961年の高根台街びらきの間を挟む学区の変遷はけっこう行ったり来たりがあったのでしょう。
5分繰り下がった朝の津田沼リムジン2便ですが、京成津田沼で20人程度の乗車で半分以上が京成本線からの乗客でした。
5分繰り下がったことでEV経由でも余裕あるアクセスとなっており使えるようになりましたが、羽田2タミ到着は6時前と影響はほぼない感じでした。ただ並行するR357は塩浜で千鳥町立体までの渋滞で、高速も6時台に高谷手前と葛西手前で事故渋滞が発生と、交通量が加速度的に増える時間帯だけにリスクは高まっています。今回の道中も主だった信号のほとんどで信号待ちがなかったことも大きく、2タミ6時ちょうどは覚悟しないといけないでしょうね。
気になったのはせっかく「必殺仕訳人」を投入しながらダメダメだったこと。おそらく新人(新配属)の教育も兼ねているんでしょうが、松戸線始発が到着して列が形成されたら荷物の受付と予約の確認を始めないとスムーズな乗車にならないのに動かなかったこと。本線始発が来てから始めていましたが、2人とも荷物と予約確認の真っ最中にリムジンが到着してしまいました。個人情報保護法絡みで「お名前よろしいでしょうか」と聞くのも現場に即しておらず、「予約番号とお名前お願いします」とすればサクサク進むのですが(過去の仕訳人はこうしていた)、伝承がされていません。さらにバスのドアが開いているのに「ご予約の方からご乗車ください」と言わないから先頭の人が動かず(慣れた人ほど運転手が降りてこないからまだ乗れないと思う)、少し経って運転手が降りてきて乗車させるように促していましたが、正直いって手際がよくないです。荷物もバス横の位置に集めていないからどこに置けばいいかわからずそれらしい位置に置き去りとなり、ターミナル別のタグはあるとはいえ、積み込みの手順も悪くなります。
それでも定刻の5時20分には余裕をもって客扱いを終えていましたが、荷物が少なかったという「特殊事情」でしょう。
次発の35分発を待つ人はほとんどおらず、間際にイチかバチかで駆け込んで、という客がいなくなったのも大きいですね。
間際組と次発待機組の合計よりも今回のほうが多く見受けられたことから、ダイヤ改正で「戻った」という感じですね。
芝山から松が丘のバス通りも船22の廃止でエビス通りと公園前の間のバス路線が途切れました。
ここは宮本町古和釜町線という都計道でもあるんですが、まだ事業期間が4年くらいあるとはいえ、ほぼ完成形が見えてきました。何ヶ所か路側帯と歩道が取れない未完成の場所があるものの、走行環境としては影響が少ないですから。
で、この通り、妙に葬儀屋が多いんですよね。芝山団地から高根木戸駅までの間に5社6軒。ちょっと入ったところにもさらにあるわけですが、高齢化が進むエリアとはいえあんまりな感じです。知人が以前高根木戸駅周辺は妙に床屋が多いと言っていましたが、今も結構あるとはいえ、時代は床屋から葬儀屋という感じで、高齢化で散髪の頻度が低下し、さらに人生の終焉を迎えるケースが多くなったということでしょう。このエリアの町内会では敬老会のお祝いの対象がどんどん繰り下がっていると聞いたことがありますが、もうあとは後期高齢者になって初めて祝ってもらえるという感じです。
葬儀屋もNIMBYとは言いませんし必要なものですが、家族葬をうたう小規模施設が多数、というのも葬儀屋が多いという印象につながっています。それでいて火葬場は公営(都内は民営のようですが)で船橋市だと馬込斎場になるため、「空き待ち」が深刻なようです。タイだと寺が火葬場も持っているので心配はないようですが、さすがに火葬場となるとNIMBYどころじゃない反発になるんでしょうね。とはいえ高根木戸も今回びっくりしたんですが、「駅前葬儀場」なわけで、バス通り側にダイレクトに出入りする動線になっているのもどうなのか。バッファーとなるエリアがないようで、そのまま人通りも多い歩道と交差してバス通りに乗り出すわけですから。
旧新京成バスですが、習04がほとんど使い物にならないというか、北習志野からだと18時台終バスという現状にびっくりです。夕方に緑枠、つまり最終1本前の表示を出したバスを見て時刻表を確認して驚いたわけで、確かに高根公団、高根木戸、北習志野の徒歩圏ではありますが、特に北習志野ベースで見たら東葉線から電車でなくバスで、という需要があるはずで、運転手不足で歩けなくはない路線を犠牲にしているのかもしれませんが、需要に背を向けた格好です。
まあ旧新京成バスは高度成長期の気分で運行しているきらいがあり、団地などの路線をコミュニティ路線風に再編するでもなく、次第にニーズと乖離してきた感じでしたが、それが加速していますね。まあ公園前までは古和釜線があるから東集会所前、七号通り、五号通り、診療所前の4停留所が単独停留所であり、ならば見捨てるか、という感じなんでしょう。他社、他都市ではもっと団地や住宅地の中を走る路線になっているわけで、滅びるべくして滅ぶ途上という感じです。
あとはセントラルとして船橋に入る芝山北習線(旧豊富線)ですが、北習志野発の船23がひどく、平日18時台、休日17時台が事実上の最終です。そのあと平日は2時間半、休日は1時間半あとに終バスが出ますが、これでは使えません。
なお船23は船橋発は平日休日ともにありますが、船橋行きは平日こそありますが、休日は9時台が最後であとは全部東船橋行きです。16時台に1本だけ船橋行きはありますが、こんな上下の区間が非対称なダイヤで誰が使うのか、という話です。
1954年の豊富村合併前は大穴、古和釜、坪井以北は豊富村なので豊富小の学区のはずです。
豊富小の沿革を見ると、1968年に古和釜分校が廃止され、1974年に八木が谷が外れたとあります。豊富中の学区もその時期に変更されており、1968年に大穴、古和釜、坪井が学区から外れたとあり、八木が谷も1976年に外れています。
八木が谷があまりにも遅すぎますが、八木が谷小の沿革を見ると1973年に三咲小からの分離で発足(1976年までは三咲小併設)、1977年に八木が谷北小を分離とあるので、早い段階で八木が谷の西部は三咲小の学区になり、残る部分が1974年に移管でしょうか。あるいは三咲小の分離と同じタイミングでしょうか。(三咲小の沿革は明らかな誤りが散見されるので)
1968年の豊富小からの分離は同年発足の古和釜小で、その後1971年に大穴小、1975年に坪井小が分離しています。高根台第一小の発足は1961年ですから、大穴小が高根台第一小からの分離であれば1961年に豊富小から高根台第一小への移管になるので豊富小の沿革に書いてあるはずで、だとすると大穴地区は全域がいったん古和釜小で受けたことになります。大穴小の学区は全部が古和釜中だったことも考えると古和釜小の学区だったという方が話が通りますが、大穴南の人に高根台からの分離だったという話を聞いたことがあり、そこはどうだったのか。古和釜小の沿革を見ると1971年の移管は161名とあり、今の大穴南の当時の人口を考えると少なすぎますし。(大穴小は発足時に1学年4〜5クラスはあった)
そして中学校がややこしく、1961年に高根台中が発足し、1968年に古和釜地区が豊富中から移管され、1972年に古和釜中が分離しており、こちらは豊富→高根台→古和釜→大穴という流れです。
なお高根台中は御滝中からの分離のはずで(高等小の関係から新学制発足時に三咲小、高根小に中学校を併設後、合併して御滝中が発足)、学区がかなり広いですが、長らく北部エリアは古和釜、豊富しかない状態が続き、八木が谷とかバス(今の船09など)で御滝中に通学していました。
ちなみに習志野原エリアは旧二宮町なので、二宮中から習志野台中が分離し、二宮小から薬円台小が分離し、そこから習志野台第一小、第二小と分離しています。(習志野台、西習志野のほか前原、飯山満、芝山は旧二宮町)
習04の早じまいダイヤの件ですが、一方で操車場との出入庫便と思われていた高02が案外と本数を確保しています。
松が丘地区からは船22の廃止で高根木戸に出られなくなった反面、高根公団に出られるようになったため、徳洲会病院へのアクセスのほか、商業施設としてはカスミとリブレ京成が商圏になった格好です。
一方で割を食ったのが高根木戸のイオンですが、廃止が決まってから下り側に上屋とベンチが新設されたように松が丘方面との利用は少なからずあったわけで、電車乗り換えもさることながら高根木戸イオンの重要な商圏でした。
イオンが合理化を発表するたびに近隣住民が気をもむというのが恒例行事になっていますが、今回のバス路線変更が決定打になる可能性が高いですね。京成的には系列のリブレ京成の方が可愛いですし。
ただ高根公団のスーパーは食品スーパーなので、衣料品など日用品も扱う高根木戸イオンがなくなると津田沼まで行くか、最短でも北習志野のダブル西友になるので、地味に不便になります。なんだかんだと言ってこまごまとした日用品や衣料品が入用になった際に身近なところで手に入るというのは大きいですから。
あと、新高根や芝山からのアクセスという意味では高根木戸イオンの重要な商圏であり、高齢者が多く、また道路事情もあり、クルマでの行き来のメリットが少ないだけに、バスで直接行けない飯山満のマミーマートしかなくなると不便です。
新高根のマルエツが残っていればまた違っていたんでしょうが。
そう考えると、松が丘にもう少しスーパーがあればと思いますね。バス通りから入ったところのマルエツとバス通りのコープくらいで、古和釜側に大きめの食品スーパーがあればけっこう流行りそうなんですが。
その意味では北部は商業不毛ですね。CNT中央や白井、そして緑が丘や坪井で事足りるのでしょうが、道路事情もあり地味に不便です。
8800系の「新塗装」をネットで見ましたが、3400系とグレーの部分は同じとはいえ、赤帯が細く(それでも青帯よりは太い)、だいぶ印象が違いますね。新3000系と同じと言われればそれまでですが、新3000系の登場時に感じた「弱さ」をここでも感じました。京成色になるとはアナウンスされていましたが、そもそも普段京成色を見ていない沿線住民も多いわけで(特に松戸口)、ジェントルピンクからの変更は必要以上の反発を呼びそうです。京成色を知っている人も京成色になることを「歓迎」はしていませんでしたから。
なおN800系が登場時の塗装になったり、8800系が茶帯の旧塗装、京成直通開始時の塗装になっていますが、8900系のリバイバルは無いんですかね。赤帯とピンク帯の2種類となればうれしいのですが。
バスは東京も含めての4社の新塗装が再編告知のポスターに出ていましたが、統一感を出すためか「色違い」の域であり、悪くはないんですが地味ですね。共通利用ができないのであれば、識別しやすく大胆に色を変えてほしかったですね。
新京成の「股裂き」とレインボーのセントラル化でウェストとセントラルは両社並行区間が目立つだけに。
あとセントラル(海浜)とイースト(シティ)も臨海部で重なっていますし、KBSと市川営業所は重なりがほぼないですが、ウェストのエリアにKBSの柏井線が深く入り込む格好はレインボーの白井線のような状況です。
統一感と京成色の強化であれば、法人格を分ける必要があったの?という話です。間接部門のコスト増が不可避ですし。
津田沼リムジンのレポートありがとうございます。5時20分発だと余裕ありますね。
ただ間合い4時間確保の為なのかわかりませんが宗吾初電は元に戻してほしいです。
松戸線は間合い4時間なんて意識してないですし。利用者多い津田沼〜佐倉だけでも従来通りの初電、終電かせめて
北総と同レベルでないとどんどん高齢化で衰退していきます。
やたら下総松崎の建て替えがニュースになっていますが、昔からのいかにも「駅」という建屋から、停留所然とした「雨風しのぐ程度」のものになるわけで、発表をそのまま記事にしているのがありありですね。
JRWでも紀勢線初島駅が3Dプリンターで製作というのがニュースになったけど、あれも素寒貧な出来上がりだし。
個人的には5時15分発に戻すというか、10分発でもいいんですが(苦笑)
6時15分頃の便に乗れればコスト面がかなり違ってきますから。
まあ京成本線の利用を考えると、京成本線ダイヤが現状という前提で5時20分は止むなしですが、であれば京成津田沼発車を厳守するように手際よく客扱いをしてほしいですね。あとは高速での走りをきびきびと。第二走行車線をベースに、追越車線も活用する運転手だと満足いく時間に着きますが、そうでないと5時15分発の時代で6時近いとか、ここは高速の道路事情に大差がないだけに(渋滞は無い)、運転手の能力がはっきり出る部分です。
松戸線からだと3本目が5時35分になったことで松戸線2本目(京成津田沼5時23分着)からの乗り継ぎが現実的になっているのは大きいです。ただしこのあと4本目、5本目への接続が10分未満という部分が残念ですが、軽装なら何とかなる感じです。
そういえば始発に乗った際、なぜか北習志野の東葉線階段前となるドアのところに多くの人が立ってました。
北習志野4時52分着で乗り継ぎは5時3分の三鷹行きですから寸秒を争うような接続でもないはずで、なんでそこまでして立ってたんでしょうね。
エリアの食い込みは未来永劫このままというのも考えづらいので、おそらくは京成バスの分割再編時かその前後、遅くても数年以内にはその辺の整理もするんじゃないかとは思います。
臨海部や柏井線は路線単位が適している考えられる一方、白井車庫はやはり車庫単位の移管が適していそうです。ですが桐畑が絡む路線に関しては市川移管もありかって気もしますし、そのついでにファイターズタウンと絡めるようにするのもよさそうです。
ttps://www.asahi.com/articles/AST3Y52S6T3YUDCB00MM.html
ところで、この記事によると塗装はコスト面とはしていますが、その一方でラッピングでの復刻も示唆されてはいるようです。
それでも赤電・青電色の前例を考えれば鋼製車に関しては塗装をする可能性もなくはなさそうですが、穿った見方をすれば8900以降のステンレス世代に、下手すれば元新京成車でない京成車にクリーム色に茶帯のラッピング復刻というのもありえます。それこそ、8連で「穴」に入れるのにすら(まあそれはそれで見てみたいのでかまいませんが)。
新京成のアドレスを入れると今まで鉄道関連とバス関連とコンビニ関連でそれぞれへのリンクがありましたが、いつのまにか京成電鉄へのリダイレクトに変更されたようです。
ですが京成のサイトからはバスやコンビニのサイトへと辿るのは簡単な作りではないので、後者はともかく前者に関してはいささか不親切さを感じます。
8900の帯は初代の青紫+ピンクと2代目というか初代の青紫+紅色というのがありますが、これネット上の反応を見る限りもし片方だけだと荒れそうだなというのを感じはありますね。
まあそれを回避するというのは多分なさそうですが、実態としてはステンレス車の場合塗装というよりフィルム、というイメージがある割に先頭車の顔が鋼製だったりFRP製だったりする(京成系は前者)ので意外と塗装の必要もあるからというのもありそうです。
まあ帯自体はフィルムでも下地色については塗装なので、N800は復刻色でも顔は3000などと同じ銀色なのに対し、8900は白いのでそのために白い塗料を用意をしたくないのでしょう。8900も京成色になればおそらく顔も銀色でしょうから。
新京成が京成カラーをまとうのは仕方がないとしても、リバイバルで「ウソ電」はどうなんでしょうね。
JRなんかは割り切って185系に80系とかE531系に401系とか撮り鉄が喜べばそれでいいというようなレベルになっていますが、赤電に青電カラーというのはギリギリセーフ(旧3000系は青電塗装で登場)でしたが、京成車に新京成カラーはさすがにダメでしょう。まあ新AE系にトリコロールや茶系塗装をしないか心配ですが。
ウソ電の走りとしては、1999年の総武快速線、横須賀線からの113系撤退時にサロに緑帯を「復活」させた編成の登場ですかね。当該は等級帯廃止後に帯無しで新製されたサロでした。
京成バスが合流するとさらに厄介ですね。レインボー白井車庫のほか、KBSも船橋ベースなのでセントラルよりもウェストのほうがいいんですが。京成バスも市川営業所(柏井)がウェストですからファイターズタウン線がウェストになる方向ですし。そもそも船橋新京成(習志野)とKBS、レインボーはウェストでよかったのでは。あるいはセントラルとイーストを合わせた東西2社のみでも。千葉は東西2社、あと東京と茨城という地域分社です。(それと独立王国の小湊)
なお一般的に検索で旧社名を入力して返された検索結果にアクセスしますが、バスは旧社名で出てきて、クリックすると京成バス千葉セントラル船橋営業所(KBS)のように簡便的に変更された各社サイトが出てきます。新京成はバスページの鏡がそのまま振り分け用に残ってますね。
ドッグランはそのまま京成ドッグランに飛び、電車も京成のトップに飛びます。
関鉄は茨城ホールディングにぶらさがりますが従来通り。ただしこれまで吸収されたという社告は掲載していたがそれ以外の情報は残っていたパープルとグリーンの共通サイトは社告だけになりました。(時刻表等は関鉄サイト内)
しぶとく合併社告のページを残しているのを見ると、京成の再編もそうあるべきでしょうね。
船橋新京成を股裂にするならレインボーもやるべきだったとしか思えないですが、事実上の営業所でありながら格の上では車庫でしかなかったのが痛手だったんでしょうかね。
船尾は船橋だったので現在の新都心なのでセントラルでもいいのですが、それで言えば白井は松戸だったのでやはりウエストでしょう。ただ付け替えるとしても元鞘の現京成松戸よりはエリア的には鎌ヶ谷が適していそうですが。
3700以前のグループ共通化前の形式のに「新京成の復刻」をすればウソ電以前のコスプレレベルですが、3000や3100だとグループ共通世代ですから8900以前のならともかくまあN800や80000の復刻であれば許容範囲でしょう。
もっとも復刻するとしても8900以降の塗装より8800以前のそれの方が扱い上も目玉になりそうではありますが。
京成バス再編でも会社境界になった船橋ですが、二宮町、豊富村が千葉郡でそれ以外の旧船橋市が東葛飾郡と郡境も市内を走る格好です。隣の八千代は千葉郡ですが、東側の阿蘇村は印旛郡で、市内に郡境が走ります。勝田台駅のすぐ近くに佐倉との市境がありますが、印旛郡としてみれば地続きという感じなんでしょう。
これらはかつての下総国でしたが、郡も旧国も入り乱れて、というと広島県東部ですね。いまの三原市がそれで、備後国に属する御調郡のエリアは三原駅から至近の山陽線の頼兼トンネル、呉線の沼田川橋梁までであり、それ以遠は安芸国に属する豊田郡でした。当初は東側が豊田郡、西側が賀茂郡でしたが、1956年に大規模なトレードが発生し、北側を賀茂郡、南側を豊田郡になる格好で再編されました。約半世紀後の平成の大合併で本土側の両郡は三原市と東広島市になり、賀茂郡は消滅、豊田郡も島嶼部の大崎上島町だけになるという大胆な再編になりましたが、三原市は御調郡をベースに、豊田郡と賀茂郡にわたる国境と郡境の市になっています。端っこがかすめている、というのではない状態で2国3郡での構成は珍しいのではないでしょうか。(政令市レベルだと横浜と大阪、神戸が2国4郡。千葉市も2国2郡だが旧山武郡(上総国)土気町のみ)
新都心や長沼ベースのセントラルですから、KBSと船橋新京成(習志野)、レインボーはエリア自体が独立していて、それがウェスト側に重なっています。いっそベイシティ、トランジット、船橋新京成、レインボーでウェスト、京成バスの市川、松戸と松戸新京成でノース、とでも分ければよかったか。将来小湊と九十九里、中央でサウスとし、東南西北中を揃えると。
某wikiのバスHDの記事にある変遷の図がまあまあよくできてるなと思って色々覗いてみたら、旧千葉中央の一時期と東洋バスGって同じ親玉だったことがあったみたいです。
旧千葉中央はそこから現小湊のバスの前身への戦時統合を回避、現東都G(都区内のベージュ色車体のタクシー会社、マロウドホテルの親会社)を経て京成G入りしたとのことでした。
もっとも、記述からは同時期に両方持っていたかまではわからずじまいでしたが。ただその経緯故、エリアへの食い込み方も段違いというのもありビートラ系や東武系以上に京成系になっていないのが惜しまれます。
中央バスはなかなか独特ですからね。京成入りも戦時統合ではなく、東都からの譲渡ですし。
八千代の東洋との関係は同じオーナーですが、地域性よりもオーナーの意向で各地に路線という黎明期のスタイルでの展開ですね。最大の交通集団であった西武や東急もそういうところがありました。社名が同時期にどちらも「東洋」というのは、経営統合を考えていたのでしょうか。
県内の戦時統合は東武が総武鉄道、京成が小湊鉄道、というような大手による統合は別として、中小の統合はあまりうまくいっていないというか、資本が十分でなかったんでしょうね。小湊系だった袖ケ浦自動車を中心とした統合にしても、個人経営のバス会社が混じっており、相当小規模な事業者が戦時中まで残っていたわけです。しかも戦時中もかなり遅かったですし。
八千代の東洋は阪東と同時期なんですね。北総台地のアクセスとして阪東が我孫子線方面を選び、東洋は京成線を選んだ格好です。干拓前の印旛沼に架橋できずに対岸の佐倉市域にはアクセスできず、新川が流入するところまで行って大和田に向かうという歴史があります。(印旛沼から花見川への流路完成は1960年代後半。江戸後期の老中水野忠邦による工事があと一歩のところで失脚失敗となって120年余りのあとです)
このオーナーは長柄村長からの政界入りであり、地元の篤志家、という感じなんでしょうね。誉田から長柄、茂原への路線が振り出しで、移転前の本千葉(現千葉中央)に乗り入れて大網街道を地盤にしていますが、長柄、茂原は茂原街道経由の小湊の地盤でした。潤井戸などにも進出していますが、メインの動線とはずれていますからね。
金曜の東西線勝田台終に久々に乗りました。
浅草線終電1本前、コロナ前の通特佐倉スジからの乗り換えでしたが、浦安までは朝ラッシュなみの混雑で西船橋には5分弱遅れ。
15年くらい前は、東陽町以東は同じ終電で遅れは酷かったですね。
浅草線も新橋〜日本橋ドア閉め再開閉を繰り返し、コロナ前に近い状況です。
東葉線に入っても5両目に乗っているせいか、北習でてもほぼ空席なく緑が丘で空席が出てきた混雑でした。
金曜ということもあり終電目掛けて帰る層もいるわけで、金曜くらい通特佐倉あってもいいのではと思いました。
もちろん八千代中央から八千代台まで歩きました(爆笑)
それにしても深夜のタクシー台数だいぶ減りました。
深夜帯は深夜急行の廃止もあり、酔って立ち往生という危険な状況になりますね。
酔客に配慮する必要はない、現場の人が深夜勤を強いられてかわいそう、というようなネットあるあるの勇ましい声も出るんでしょうが、夜の街の復調こそが景気回復を実感させるものです。確か政府もタクシードライバーにヒアリングして景気動向をチェックしているはずで、運転手がお茶を挽いているようでは景気も何もあったもんじゃありません。アプリで呼ぶことへのシフトはあるかもしれませんが、時間が読めず時間指定だと結構な手数料が必要と、しきりに宣伝していますが、その実はそれしかタクシーを使う手段がなくなれば、極力使わないようにするシフトが深度化するだけでしょう。
公共交通が衰退し、タクシーも高くて捕まらない(それが空港や新幹線駅でも)、という状況下でレンタカーシフトが進んでいるようです。このところレンタカーの予約が取れないというまさかの事態も増えてきています。イベントがあるでもない平日とか、ビジネス需要がシフトしているのか。安全衛生としては自分で運転するというのは極力回避したいですが、タクシーがつかまらない、アプリで呼ぶとコストが半端ない、となるとレンタカーもやむなしという会社が増えたか。
夜の街はそっちの利用者より従業員の方がタクシーには嫌われているというのも実はあったりしますが(利用者は場所さえ選べば客層はコントロールできるものの、従業員は押し並べて客層が低い)、それでも他に行くところがないとやはり空車が押し寄せてきますね。
アプリは即時配車の利用率はそれなりに高くなっているようですが、予約はそこまで普及している印象はないですね。即時と異なり行灯が選べないとか、決済方法の融通がききにくいというのもありそうですが。
もっとも、アプリは電話呼びの無線比で迎車料金がやや高めだったりするほか、予約の場合予約料がアプリ会社に全部持っていかれる構造だったりと、これらの構造ゆえにドライバーサイドでは必ずしも手放しでは歓迎されていないというのもあったりします。
東京臨海部の貨物線に関するプレジデントの転載記事がYahooに出てました。
越中島貨物駅から深川線、晴海線と伸びる東京都所有の貨物線の話ですが、そこに興味深い記載が。
1957年の朝日新聞に豊洲から晴海(月島)、築地を通り汐留から新橋までの新線計画が出ていたそうです。
貨物船中心の晴海埠頭の旅客船入港も視野に入れた旅客化も計画とあります。ちなみに小名木川線(越中島支線)は新金線ともども総武線の支線ですが、記事では常磐線の引込線とあり、常磐線から総武線や臨海部を結ぶ貨物線と一般には認識されていたようです。
また同年の東商の機関誌には晴海通りの晴海地区にビル街を設け、国鉄が汐留に抜ける貨物線を計画し用地買収もとあるようです。深川線から晴海橋梁を経て晴海埠頭までの貨物線が開通したのは翌1958年。東京都による整備ですが、あとは隅田川から東京湾になるあたりを越えるだけという感じになっています。
その「月島線」の整備機運で出てきたのが千葉県で、1958年の読売新聞に当時の千葉県がまとめた「新臨海鉄道計画」で深川線から分岐し、行徳経由で船橋で総武線と接続し京葉地域との利便性を図ることが提案され、のちに県知事になる友納副知事が定例会見で、月島線は国鉄が1958年に着工し、千葉県も今の京葉臨海鉄道区間を1959年に着工し、引き続き行徳線と京葉海岸線を手掛けたいという内容を報じたそうです。
有名な京成の黒歴史である東陽町-千葉寺間の湾岸新線が公表されたのは1967年刊行の55年史で、そこでは免許申請中とあります。しかしそれに先立つこと9年、千葉県が豊洲付近を起点とした「行徳線」「京葉海岸線」を計画し、国鉄の手による月島線などを経て新橋(汐留)に至る目論見があったようです。
なお歴史としては1960年頃には大井埠頭起点の京葉線の原型となる計画があり、東京外環状線計画に組み込まれています。
京葉線は1975年に蘇我口から開業しており(当初は当時の川鉄専用線経由)、1980年代前半には東京港トンネルに相当する区間が完成しています。1986年に西船橋-千葉みなとの旅客営業、1988年に新木場-西船橋、南船橋の旅客営業開始を経て1990年の東京駅開業に至ります。
京成の計画はともかくとして、国鉄や千葉県による貨物線計画が1950年代からあり、1960年頃には一体化して国鉄の東京外環状線計画(武蔵野、小金、京葉線)となり、1970年代に西船橋以西(以北)が断続的に開通しています。
なおwiki情報だと1957年に西武線から常磐線の区間が建設決定し、1964年に公団D線として指定されています。
そうなると戦後は絶え間なく国鉄の新線計画が見え隠れした格好で、相当遅くまで貨物線計画だったとは言え、京成がほぼ完全並行する湾岸新線はどういう勝機があって申請されたのか。それは巷間言われる通り同時期のオリエンタルランド開発を巡る京成社長、千葉県知事と三井不動産社長の丁々発止が影響しているのでしょうが。TDRの開業は1984年ですから、歴史のように見える京葉線前史から見たら一続きのような時期ですし。
>>728
東洋バスの設立についてですが、国立公文書館デジタルアーカイブで「東洋バス株式会社申請一般乗合旅客自動車運送事業の経営(新規)免許について」という昭和23年の旧運輸省の文書がネットで閲覧できるようになっています。この文書は大変興味深いので識者の皆様にも是非見ていただきたいのですが、この文書には「何れも地元の有力者」という「発起人九名」の氏名がありますが、某wikiにある元国会議員の氏名は無さそうです。むしろ、初代の公選千葉県知事が関わっていると書かれています。このあたり、某wikiは出典が無く検証が困難で、単に東洋バスと東洋交通の混同ではないかと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか。
道路公社の道路大好き。道路事情最悪な場所に救世主的に公社の道路があるケースが多くてお金払ってでも使いたくなるケースが多いですね。
しかも、償還後キッチリ無料化してくれるから良心的だと思う。
また、そういった不便な箇所以外に、重要高速自動車国道や国道の未開通区間に割って入るように開通してる公社の道路が
入り乱れ感を醸し出していて面白い。例えば山陽道の未開通区間は、
緑看板の国道2号、公社の山口宇部道路が存在してるのでかえって山陽道未開通区間を推進しずらくなってるのかな?
伊豆縦貫も、本来の東駿河湾延伸区間を差し置いて伊豆中央道、修繕寺道路が暫定から本路線になりそうなのも面白い
東洋バスに関する貴重な情報ありがとうございます。
公文書館アーカイブを見ました。1948年の東洋バス免許交付ですね。国鉄幕張駅から宗像村吉田までの路線。3年後に岩戸までの延伸が申請されていますね。
申請者(発起人代表)は千葉市内の遠山七郎氏ですが、もともとの代表は川口為之助氏とあります。
1947年の第1回千葉県知事選に出馬、当選して民選初代知事となったことで発起人から外れたそうです。千葉開発株式会社の姉妹会社として設立されたとあり、また元知事は上志津出身で北総台地の開発にも尽力とあることから、旧印旛村エリアに縁があるエリアの有力者でした。知事在任の最終年には川鉄千葉の計画申請がなされており、千葉県発展の基礎を築いた政治家といえます。奇しくも上で触れた友納知事が「中興の祖」「開発大明神」と言われて京葉臨海工業地帯などを次々実現させていますが、そうした千葉県の戦後の出発点でした。ちなみに遠山氏は千葉合同無尽、のちの千葉相銀から京葉銀になる金融機関の専務取締役でした。
なお川鉄千葉の水利は印旛沼であり臼井に取水口があります。東洋バスを設立した理由でもある印旛村エリアの交通を妨げていた印旛沼は農林省主導で干拓を進めていたため、水利を必要とする工業化を司る通産省との間で綱引きがあったようです。水野忠邦から戦時中の利根川増補(利根川放水路計画)まで頓挫していたおかげで水利が確保されていたという偶然もあります。
これは運輸省の公文書ですから間違いがあろうはずもなく、Wikiにある木島氏設立は誤りですね。
また最初の路線を大和田-岩戸としていますが、幕張-吉田であり、ルートや経由地も付図に明記されておりはっきりしています。岩戸延伸はヤミ開業をしていない限り変更許可が下りた1951年です(1950年申請)。これも免許交付と延伸許可の関係がはっきりしており、Wikiにある記載は誤りで、そこで一説扱いの印旛村関係のネット資料のほうが正しいです。
(続く)
(承前)
ルートは幕張から今のr57〜r262で北上し(当然大踏切時代の旧道)、八千代台駅のところからR296までは旧道に入り、新川を渡った下市場から北上しています。当時新川は水野忠邦の工事が頓挫して以降横戸、花島を経ての花見川との接続は未完成で、上流はこてはし台の東側になります。そこから阿蘇局(阿蘇村の中心。米本集落)に向かってはR16に埋没した道路とその西側に現れる旧道経由。さらに下宿から今の東京成徳大経由で保品を経て阿蘇橋(阿宗橋)を渡ってすぐの宗像村吉田が終点となります。(Wikiでは下宿から保品を直結する道がないとありますが、添付の参謀本部地図(地理院地図)には道路が記載され、路線が通ることが明記されています)
地図には阿蘇橋は描かれていませんが、橋がなければバスは走れないため、1948年までのタイミングで架橋されたのでしょう。地図は参謀本部版の応急修正のはずですし(大久保や習志野に兵舎が見える)。路線が吉田で終わっているのは、地図ではそこから岩戸までの道路がどうも谷津田を越えるところで自動車交通未整備のようでもあり、その整備を待っての岩戸延伸ではないでしょうか。道があれば宗像村の中心である岩戸まで最初から運行するでしょうし。なお阿蘇橋のところには敗戦後まもなく同地に駐屯していた陸軍部隊により木橋が架橋されたそうで、バスはそれを通ったのか、コンクリートなどの永久橋が架けられたのか。
なお阪東バスの開業は1949年であり、宗像村関係では木下から大廻経由岩戸方面の路線があります。六合方面との連絡を考えても東洋が岩戸まで走らせない意味は無く、逆に東洋が宗像、六合の入口である吉田で止まるのであれば阪東が吉田までで開業していたでしょう。木下-大廻-岩戸線につき戦時中に京成が個人経営路線を買収した模様ですが、戦時中でもあり燃料規制の中で京成が運行した実績があるかは不明です。阪東が岩戸から印旛沼に近い師戸までの路線を開業させたのは1951年のようで、その時点で宗像以北は阪東になっています。なお阪東は1958年に東武の傘下に入っていますが、印旛郡北部をブルーオーシャンとみたのか。逆に京成はライバルに楔を打ち込まれた格好になっていますが、その後の展開を見るに東武(阪東)に任せてもやむなしという認識のエリアだったようです。
(続く)
(承前)
阿蘇橋が戦後すぐの開通として、瀬戸から佐倉へ抜ける印旛大橋が1958年(干拓完成で廃橋)、岩戸から臼井に抜ける船戸大橋が1963年の開通ですから、戦前の京成は船戸大橋の開通を想定していたのでしょうか。この位置は印旛大橋の位置と違い新川の「河口」でもあり幅は狭めですから架橋位置としては適地です。そして京成は千葉から臼井を経て印旛沼畔までの路線も運行していましたから。なお阿蘇橋経由を京成が考えていたとしたら当然免許を取得しているでしょうから東洋の免許は普通に考えて下りないと考えたら、逆説的に京成の阿蘇橋経由は無いといえます。
船戸大橋開通後は阪東が師戸以北、京成が岩戸以南と分け合っていましたが(師戸ー岩戸間は重複)、時代が下がると臼井まで阪東になっています。Wiki情報だと1949年の阪東創業当時に木下から瀬戸経由佐倉までの路線が開通とあります。このルートでの印旛沼への架橋は上記の通り1958年の印旛大橋まで待たないといけないはずで、渡船連絡だったのか、あるいは簡便的な橋が架かっていたのか。ただこの位置は干拓前の印旛沼本体で距離があるので、木橋などでの対応はあまり考えられません。
あと気になるのは阪東が佐倉線から撤退したのが1994年とされていますが、都市交通(→なの花交通)が六合路線を開始したのが1997年とあり、この3年間はどうカバーしていたのか。1994年は日医大病院の開院時期でもあり、送迎バスで代替だったか。2000年の印旛日本医大駅開業で「イーバス」が整備されるまで送迎バスはけっこう高頻度で運行されていましたし。
ちなみに東洋バスは一時期岩戸から北上し印旛中学校まで延びていました。さらに印旛日本医大駅まで乗り入れましたが、岩戸までの短縮を経て、阿宗橋(阿蘇橋改め)止めとなり印西市域への乗り入れは終了しています。(宗像村+六合村→印旛村+本埜村→印西市)
余談ですが、東洋バスは下宿からr4を経て神崎橋から船穂、武西、谷田、神々廻を通り白井中学校への路線もありました。これらの路線は大和田駅始発で運行され、のちに勝田台駅始発になっています。米本、小池経由小室駅行きもあり、勝田台から千葉ニュータウン方面(残念なことにCNT中央と印西牧の原にはアクセスしてない)へ路線を持っていた時代がありました。
京成公式が押上-成田空港間の有料特急を2028年度目途に運行開始と爆弾発言です。
都交や京急とは書いていませんが、直通前提でしょう。そうなると3200系の有料バージョンでしょうね。
京急の1890系とパラレルな存在で成羽直通特急なのか。ただSA線経由となると線路容量が厳しいのでどうするか。アク特が20分ヘッドまで枠があるはずなので、新しい特急が40分ヘッドで入るか。アク特置き換えだと本線が事実上快速だけなので無料列車がさらに悪化となり、エコノミー派はバス一択になってしまいます。
本線経由で「シティライナー」復活であれば嬉しいんですけどね。
本線からの空港輸送は事実上津田沼から各駅停車ですし。松戸線沿線だと新鎌ヶ谷からSA線が使えますが、成田山など成田市内へも40分ヘッドの快特だけとか不便ですし。
エコノミー派がバス一択としましたが、県内だとそうもいかないわけで、津田沼以東各駅の快速一択じゃあ厳しすぎます。
このあたり、幕張地区のリムジンを一部津田沼に振り向けてくれないですかね。検見川浜、稲毛海岸の方々は海浜幕張にご足労頂くということで。香澄交差点からR357で中瀬交差点を経て海浜幕張駅へ。あるいはベイタウンやホテル経由でも構いません。ただ現行で幕張から1200円だから津田沼は1300円として海浜幕張から終点の1ビルまで45分ですから津田沼だと1時間でしょうか。そうなると電車で京成津田沼から695円(ただし快速だと小一時間)、新鎌ヶ谷からアク特922円、SLで1722円(ただし28分)との微妙なコスパがありますが。
SA線経由だとSLとの速度、アコモの差が出てきますよね。160㎞走行の全車有料車とするのか、一般車併結の120㎞運転とするのか。アク特併結で20分ヘッドが落としどころでしょうが、一般車4両だと激混みでしょうね。スーツケースも散乱する阿鼻叫喚で。都交、京急の営業政策や料金設定もあるわけで、車両よりも制度設計がネックな気がします。
具体的な話が中期計画第二期(D2)で出てますね。
「押上特急」は押上をベースにするという位置づけですが、あの設備で折り返し(or八広まで引き上げ)と整備は非現実的でしょう。そして中期第三期(D3)では新型SLを長編成で検討としていますが、10連対応は可能なのか。SA線の複線化がメニューに上がっていますから、長編成化よりもフリークェンシーの向上のほうが利便性が高いはずですけどね。SA線経由全線にわたり10連運行対応が必要になるだけに(空港-成田-宗吾も)、またイブモニ対応もありますから。
あるいは「押上特急」で瀬踏みして、新型SLは6+4の分割として押上方面行きの新設とか。(イブモニは6連か4+4)
高砂の改良は車庫移転と連立化が見えてきたのか。高砂-江戸川の連立とありますし。あとは地域開発として、新鎌ヶ谷の県営鉄道用地活用、新津田沼の旧ヨーカドーのイオンとの再開発が上がっていますが、イオンとは包括的に不動産で手を組むようです。物件は京成、運営はイオンとなるため、京成が資産にかかるリスクを負いますが。リブレ京成とイオンの連携とありますから、リブレがMAXVALUEになるのか。いや、コーヨーやマルナカ、カスミのような独立系イオングループで終わるのか。
なお新3200系が90両投入とあります。初代3200系が「開運号」用を含めて88両ですから奇しくも同程度。こうなると3700系も相当数置き換えになりますね。追加次第というか、おそらく運用が縮小する分もあるでしょうから、新3200系の追加増備で新3000系以降に統一されそうです。まあそれが2030年ごろとなれば、新3000系の第1陣が2003年ですから結構な経年になりますが。
あっ、松戸線車両を忘れていました。
3100系オリジナル(=80000系)は作らないとなると、松戸線の8800系、8900系は何で置き換えるのか。
乗り入れ制限を解除して運用を効率化しても現行の両系列の運用は捻出できないわけで、かといって新3200系からの玉突きでは3500系、3600系、3400系ですからあんまりです。8800系は鋼製で40年近く、8900系もSUSですが30年越えですから、2030年をゴールにした長期計画での絵図面はどうなっているのか。
赤電の先例に倣い、貫通編成の新3300系を出して松戸線と北総、CNT鉄道(ただし独自形式)を置き換えるかですね。新3200系はギミックの関係で自重がギリギリでサービスやアコモにしわ寄せがきていますし、高コストですから。
中期計画みました。
押上特急びっくりですが、確かに朝ラッシュ終わりかけの空港発の特急に乗ると、
スーツケースが多く浅草くらいまでインバウンド客がよく乗ってます。同じく日中快速乗ると浅草まで乗り通すんですよね。
需要はありそうです。日本着いてまず浅草なんですね。寺なら成田山でも良いのにと思ったり。
押上特急出来ると、本線も毎時3本から2本へ減らされそうですね。
本線に対する施策はほぼない中期計画ですね。
先日八千代市長選があり、東葉値下げと京成沿線活性化候補者がうたってましたが
東葉は通学定期値下げはいいますが、京成については皆具体案無いですし、ダイヤがこの5年で劣化したのも気づいてなさそうです。
確か東葉開通前まで勝田台→小室行きのバスありましたね。米本団地経由
北口からも津田沼駅行きの京成バス乗ったことあります。
岩戸ってどこだろって子どものときずっと疑問に思ってました。京成の東中山行きも同じくらい疑問でした。
90年より前と思いますが、千葉駅から勝田台までもバスあったような記憶があります。
京成系は千葉県内の水戸街道側というか常磐線側というか、タクシーの区域でいうところの東葛交通圏は比較的手薄なイメージがあります。
タクシーであればほぼ全域に近しい分布(野田配置でありながら帰庫地流山扱いのタクシーウエストは元をたどれば旧朝日枠)ですが、バスは流山や柏には足を伸ばす程度でほとんど松戸市内、鉄道に至っては旧新京成である松戸線のみで当然松戸市内のみといった具合ですし。
流石に完全に規格が異なっている今となっては野田線の旧船橋線区間は仮に今更返されても困りますが、バスに関しては東武でイーストをセントラルに編入してまで手元に残すぐらいであればいっそ阪東や茨急と共に京成に手放してくれた方が良さそうな気さえしましたね。
3200の新造分は3500・3600・3400の代替分に対して多すぎるという計算は、8800の未更新編成と8900の分を加味すると辻褄が合うと言われていますね。
ただ例のギミック的に松戸線に直接入れる意味はないという見方もあるので、3000の6連を捻出したうえで玉突きさせるのもやはり有力視されています。
過去のメディアに対する回答として旧新京成車を3200で代替する趣旨の発言がありましたが、直接代替ではなく玉突き代替でもそれに背いてはいないでしょう。
3700の6連(3828・3838)が虎の子なのでこっちを混ぜ込んでくる可能性ならなくもなさそうですが、流石に3500・3600・3400は今更回してくることはないでしょう。
ちなみに3500を代替する以上は芝山が影響を受けるわけですが、こちらこそ後継問題が出てきます。もっとも、芝山籍でも運用上は京成扱いになりますし、乱れた時のうっかり直通を防ぐ観点とかでも3200から一本捻出するのでしょう。
北総やNT向けが3100ベースをすっ飛ばしてはいますが、3200のギミックの一部でもある「令和の6M構成」をベースに8連固定も高コストすぎますし、最適解が難しいですね。
もっとも新京成をどうにかした以上は北総やNTも何かしらの形でどうにかされてもおかしくはないですが。完全子会社のNTはとのかく、三セクとなっている北総がネックですけども、上下分離の下にさせるのが関の山でしょうかね。
もし京成に車両の保有を一本化させ、若返らせてかつ虎の子の整理もする、となれば80000(中間車増車)と7300・9100(中間車減車)というウルトラCができなくもなさそうですが。
ちなみに色違い並べツアーが出てきている8800ですが、先に入場したN800より先に出てきそうな感じです。N800や80000に関しては機器類の差異を減らす改修が含まれている可能性もあるかもしれないです。
押上特急は都交が消極的であろうことも理由に含まれそうな気はしますね。
かつてのAE100にしろ穴向こうの2100にしろ先頭車が微妙に長いことがネックの一つではあったようですが、かといって一般車ベースでLCカー化したとしてもクロス状態での運用を認めるかは未知数ですし。
押上特急をスカイライナーと称していない一方で当該ページのイメージイラストを見る限りは少なくとも車体は一般車ベースではなさそうに見えます。
松戸線8800系、8900系のうち千葉線直通対応の8800系だけ置き換えというのもセコい話ですし、徒に車種を増やすだけでしょう。玉突きで新3000系をくぬぎ山へ、というのはN800系との共通性を考えるとあり得ますね。ただ新車直接投入がなくなる予兆かもしれませんが。
3700系世代の転属はどうでしょう。松戸線を掃き溜めにする気ならあり得ますが、新3000系の転属で置き換えて、80000系との2本立てにするほうが理に適っています。芝山車はそもそも新ターミナルの整備であのエリアがどうなるかによっては路線の存続意義すらなくなるでしょう。
東武の縄張りですが、歴史的経緯がありますからね。陸上交通事業調整法(実は現行法)、国家総動員法、陸運統制令に基づく戦時統合の結果ですから。「習志野原」から印旛沼、という存在が東葛と京葉を分けていましたら、当時の線引きはそれなりに合理的でした。東武(総武)が船橋に達していましたが、黎明期の新京成バスが柏駅まで入ったり、京成バスも流山から野田まで行っていたのは、ある意味東武の「越境」に対する「補償」かもしれません。
我孫子線沿線では印旛郡になる木下では白井方面、船尾方面のバスが京成に吸収されていますが、戦後の阪東は木下から小林経由で設立されて東武系になったというのは面白い現象です。印旛沼の東岸になる松崎、甚兵衛までは成田から千葉交通が来ており、東葛飾郡だった布佐以西を固めた阪東が「飛び地」を持った格好ですから。
東武バス(旧イースト)の大半は総武鉄道のバス部門でもあり、東武吸収後に沼南から鎌ヶ谷まで進出したのが最大版図でしょうか。松戸から五香、六実、藤ヶ谷経由白井は戦前からの京成の基幹路線ですが、松戸市(当時は新京成開業前)は京成という縄張りのおかげでしょう。藤ヶ谷(沼南)が微妙で、柏からの東武の縄張りですが京成が堂々と縦貫しています。東武が鎌ヶ谷や折立(富塚)まで行けたのはこのあたりのギブアンドテイクでしょうか。レインボーがアリオまで行くようになったのはその縄張りを久々に破った格好です。(レインボーに引き継がれたローカル路線にエリア境界となる名内橋までの路線があった)
東武も埼玉県や茨城県側とは限定的というか別会社での乗り入れというケースが大半ですが、京成グループ入りとなるとエリアまるごととなるので統合によるシナジー効果などのメリットは無さそうです。藤ヶ谷や手賀方面を旧レインボーにするくらいですかね。規模的に「千葉ノース」と出来るくらいでしょうか。
八千代を巡る京成バスは実は奥深いですからね。戦前からの旧レインボー神崎線があった反面、大和田は東洋が押さえ、結局八千代市よりも軌道系交通不便地域であった千葉市の現花見川区域をどうカバーするかと悩んだ結果の路線網がありました。いわゆる千葉三線(津田沼-畑町―千葉、津田沼-広尾十字路-千葉、津田沼-長沼-四街道)があり、それらが八千代方面に伸びる格好で前2者は八千代台、後者が勝田台に至っていました。モノレール開業でスポーツセンター発着になったり、内陸バスになったりとしましたが、生き残っているのは勝田台方面だけです。
高校生の頃、津田沼から長沼経由草野車庫に乗ったことがありますね。東金御成街道経由で長沼からR16とド幹線ですが(大久保付近で脇に入るが)、実籾あたりからは閑散としていました。これらの千葉でのターミナルは京成千葉(現千葉中央)の西口高架下で、東口(表側)の高架下は小湊や京成の東金方面のターミナルとして三宮の神姫のようににぎわっていましたが、西口は閑散としていました。
この中で異色なのが萱田線で、広尾十字路から大和田、萱田を経て睦中学校、八千代西高校へ至る路線。一時期は緑が丘のすぐ北まで来ていたようで、そこからくねくねとした経路で最後は京成千葉と、一度乗っておけばよかったルートです。
当初は旧大和田町の外れまでの運行で、旧睦村域に路線が伸び、昭和後期には草野車庫で分断、その後スポーツセンター乗り入れと盛り返しましたが東葉開業で八千代中央以遠が廃止、以南も1999年で廃止ということで、平成初頭まで生き残っていました。
一方の成田街道は早い段階で衰退したようで、最後は勝田台行きとして残りましたが、昭和後期には消えています。
まあ八千代台であれば津田沼から三山、日鉄溶接経由の便が多く走り、東電、花見川団地経由の系統もありますから、成田街道沿いに限定される路線は人気がなかったんでしょうね。新木戸までは新京成、京成があり、そこから東洋のエリアですし。
投稿規制について一部変えております。
松戸線が掃き溜めと化すか、は京成のスタンスがまだ読み切れていない以上、結論はまだ出ないですね。
一応効率化すれば所要編成は減らせるとはされていますが、これが本線との一体化なのか、それとも一部で噂のある千葉・千原線系統のみの一体化(本線系他線との分離)なのか。
あとは北千葉道路のくぬぎ山の抜け方や検査機能の宗吾集約があるかどうかもありそうですが、くぬぎ山の車庫の縮小とかがあれば本数を減らさざるを得ないもなくはないでしょうから。
松戸線の車両問題でくぬぎ山の用地問題は確かにありますね。留置線ではなく工場部分が外環用地にかかっているわけで、それは微修正が可能とはいえ、レイアウト変更を伴わなくても工事期間中の仮線とか影響は不可避です。
高砂連立で高砂車庫をどうするか。中期では宗吾の強化が謳われていますから宗吾に集中となると、くぬぎ山だけは残すという意味も薄れます。北総の印旛車両基地も中途半端ですが、全検は宗吾で実施しており、くぬぎ山も同レベルに縮小するかもしれませんね。ただくぬぎ山があるから現行の早い始発と遅い終電が実現しているわけで、無くなるということは無いでしょう。
効率化という意味では労組会館とゴミ捨て場を移転して単線区間の極小化と複線での千葉線直通が可能と思われるので、松戸線と千葉線を終日直通運用として分離するということは考えられます。1974年の暗黒ダイヤ改正まで、津田沼での緩急接続と千葉線接続を成立させるには、片方向3個列車が必要なのに1面2線なので、いったん引き上げ線に入る「車両交換」と称する運用がありました。千葉線の存在はダイヤの制約になることを考えると完全分離したほうが良いでしょうね。本線の緩急接続駅と再定義すれば、八千代台方面への速達列車が前提の話になりますから本線にとっても悪くないでしょうし。
(千葉線直通普通に本線快速が追いついて相互接続後、両列車とも各駅停車で出ていく、という非常に後ろ向きダイヤなら本線、千葉線、緩急接続が成立する)
ウェブ版東洋経済の記事がポータルに出ていましたが、柿岡の地磁気観測所と常磐線の交流電化という有名な話です。
大手町に合った観測所が「人里離れた電気と無縁な」柿岡に移転したというのに15年程度で直流電化による電車計画に悩んだというところで出てきたのが一部方面では有名な「筑波高速度電気鉄道」だったそうです。
鉄道省は許可を出したが気象庁は猛反発、財界も観測所移転を進言する状態でしたが、30km圏内は直流電化は不可という内規がこの時固まったそうです。当時は大手町からの移転から15年程度でしたから移転も選択肢でしたが、今は100年以上の年月が経って観測の連続性の問題が生じ(移転すると前のデータが参考扱いになる)、柿岡ありきの対応になっています。
内房線沿線にも国土地理院所管の地磁気観測所がありますが、気象庁のように国際的なデータ観測網でないこともあり、房総西線の館山電化時には特殊な対応で影響範囲を極小化してクリアしています。それであれば直流電化や直流化は可能ですが、コスト問題があり常総線は電化を諦め、TXは守谷以遠を交流電化にしています。
筑波高速度電気鉄道が実体があり着工に至るレベルであれば柿岡からの移転があったかもしれませんし、そうなっていれば常磐線方面の発展は大きく変わっていたでしょう。デッドセクションは草野-四ツ倉か小高-原ノ町だったでしょうね。
そして京成はこの免許を使っての上野延伸が出来なかったわけで、良くて千住付近から相互乗り入れ、悪くて押上ルートでの都心到達の模索が続く、となっていたでしょう。あるいは湾岸新線がもっと切迫したものとして計画され、それが基幹ルートになっていたかもしれません。
津田沼モリシア(旧サンペデック)の再開発でデベロッパーが事業を一時中断すると発表しています。
テクニカルな問題ではなく事業の前提に疑義が生じたとする趣旨で長期化もあり得るため、閉鎖したモリシアの一部再開も考えているというまさかの事態です。
閉鎖されて寂しげな姿をさらしていますが、パルコのように解体にすら至らなければ南口に廃墟というあり得ない事態になるわけで、「津田沼戦争」で名を馳せた商業都市が信じられない転落です。
都心回帰とはいえ、総武緩行線、総武快速線にメトロ東西線が乗り入れ、少し離れていますが京成もあるという津田沼の、しかも駅前のポテンシャルは疑いのないところですが、資機材や人件費の高騰が厳しいとはいえ、そうした事業費サイドのエスカレーションを販売やオペレーションサイドで回収できないのか。都心のマンションの高騰はまさにその転嫁の結果ですよね。リセールバリューの期待値も大きいですが、そこは水物ですから。
そう考えると、都内でも中野サンプラザの再開発が迷走していますが、近郊とは言え津田沼ですら足元の物価上昇を適切に転嫁しての開発(回収)ができないという結論なわけで、それが誰もが知る大手ですらという県内の発展という意味では絶望的な出来事といえます。
755だけ名前が消えました。アクセス設定もそうですが、なんで途中で変わるのか・・・
某予備校へ行ったので、モリシアといいますか旧ダイエーにはよくお世話になりました。
再開発中断寂しいですね。船橋も西武跡地再開発始まるのに時間かかりましたね。
それにしてもパルコもないですしJR津田沼駅前が寂しいです。
ただ東武船橋を見ると、ここ10年でテナント化が大きく進みましたね。
先日の八千代市長選で京成沿線活性化をどの候補者も政策にあげてましたが、
津田沼でさえこの状況なので厳しいですね。京成が頑張ってダイヤ面で工夫してほしいです。
まあ東洋バスと東洋交通というのも同一県内というか市内で紛らわしかったですね。
中国山地のエリアで備北バス(岡山)と備北交通(広島)とか、淡路島と神戸市内にみなと観光(全く別法人)とか今でもあるとはいえ。
中央バスのほうの「木島」は「島」で、東洋バスの現社長の木嶋は「嶋」なんですけどね。Wikiの中央バスの項目にはしきりに「嶋」が現れているあたり、混同しているのかもしれません。
東洋交通はいったん東都自動車傘下になって京成入りしたという話になっていますが、東都の会社沿革には一切出てこないんですよね。有名な政商絡みなんで黒歴史かもしれませんが、逆に有名であっておかしくないので。
なお日の丸が都自動車を取り込んだのを縁に茂原に地盤を持っていますが、房総は地味に魅力なんですかね。あとは日の丸が京成タクシーを取り込み、帝都に譲渡とか、タクシーまで見るとなかなか複雑です。
川口元知事を担ぎ、またオリエンタルランドで共闘した三井不動産の江戸社長と友納知事の旧制高校時代の同窓だった赤城議員が属していた川島派のトップが行徳出身の川島正次郎です。成田空港が富里で紛糾した後三里塚に決めたその人という扱いです。
政治家というより権謀術数に長けた寝業師でしたが、ついたあだ名が「おとぼけの正次郎」という塩梅でした。
これで思い出すのが元祖「選挙ゴロ」というべき人物ですが、選挙運動への制約や泡沫候補の排除の原因といえる1963年の総選挙でいわゆる「背番号候補」を次々立候補させています。そこで「おとぼけ正二郎」なる候補者を立てようとして当てこすりだけの通名はアカンと却下されたというエピソードがありますが、なんともユニークなあだ名です。なんでも本人が「ほとけの正次郎」だろ、と混ぜ返したという話もあるわけで、まさに「おとぼけ」です。しかも自分をあてこすった候補者を擁立しようとした選挙ゴロに政治資金を提供して傘下の右翼団体に反共活動をさせていたとか、昭和中期らしい話です。
まあ当時の選挙ゴロも川島もプロレスですから、足元の選挙ゴロの行動に比べたらかわいいものです。
「押上特急」はイメージ図を見るに西武40000系か小田急60000系かそれとも折衷型かという感じです。
都交直通がないとなると押上折り返しですが、現状副本線は40分に1本のアク特とH特の緩急接続のみなので40分ヘッドで入れることは可能です。ただしそれをするとアク特の20分ヘッド化は将来に向けて断念ですからね。一部指定席だと丸く収まるとはいえ、そうなると余計に押上折り返しが意味不明というか利用者不在の批判になります。
まあ首都圏各社がクロスシートならカネをとれるという悪弊に染まって久しいですが、押上特急がL/Cであれば京成よ、お前もか、という感じになってしまいます。関西の有料サービスがアコモにも気を遣うというか、アコモをウリにしているのを見ると、椅子が前向きになれば追加料金、という首都圏スタイルは阿漕ですし、利用者も飼い慣らされてどうするという感じです。
関西では京阪「プレミアムカー」に続き阪急も「プライベース」が登場しましたが、料金500円に対する満足度は高いですね。京阪はもともと8000系の完成度が高いところにダブルデッカーがあり、さらに「プレミアムカー」とアコモは独走状態です。JRもAシートはそれなりに吟味はしていますが定価840円の時点で見劣りしますし、のれんで区切っただけの「うれしート」に至っては話になりませんが、「うれしート」は指定席扱いで閑散期料金があるので需要が高い通勤時に思わぬディスカウントになります。一方で阪神の「らくやんライナー」は200円でも黒歴史でしたが、2027年登場の新3000系に有料車座席導入がアナウンスされており、これは「プライベース」と競合するだけに期待できます。
都内の再開発の迷走といえば五反田のTOCもそうで、建て替えから一転存続して営業も再開していますね。
東急バスが送迎バスを出していましたが、再開の煽りで専属専用車でない車両を専用車化しています。
もっとも、TOCの場合は駅前というには無理があるレベルに駅から離れていますが、それでも第二京浜と中原街道の分岐点といえる位置にあり廃墟化すれば否応無く衆目に晒される場所です。
近くの旧ゆうぽうと跡がJPビルとして建て替えられていますが、大崎広小路の駅前というのもありこっちも中断していたら目も当てられなかったでしょうね。
大崎があれだけ大化けしたというのに五反田が乗り遅れた格好ですね。
いっそ大崎から山手通り、第二京浜という感じでシャトルバスを運行して、ビル群や立正大をカバーするようにしたら流行るかも。五反田は駅周辺のごみごみとした飲食店街が魅力で、おしゃれすぎる大崎ではなく夜は五反田、という大崎界隈の勤め人も多いですけどね。まあ以前駅の西側で大企業が引っ掛かった地面師の事件があったくらい魑魅魍魎もいるようですが。
ここ最近アクセス規制で書き込みできず話題に乗り遅れてしまった感がありますが
管理人様のご対応に感謝いたします。
再開発の迷走例である中野サンプラザですが建て替えにこだわる必要があったのか。
築年数50年超とはいえ閉鎖直前にイベント参加で訪れた際は施設の老朽化や陳腐化はほとんど感じられず
改修して活用で問題なかったように思えます。このまま計画が宙に浮けば駅前に巨大な廃墟が聳えるという
非常にまずい状況に陥りかねず、中野区が再開発を急ぐべきは木密地域の方であった筈です。
そしてZOZOマリンスタジアムを閉鎖し新球場を現メッセ駐車場に建設という計画がぶち上げられましたが
こちらも現球場の改修では不都合があるのか。駅から中途半端に遠いのは事実であり新球場は
メッセ西側の駐車場に予定されていますが、幕張豊砂まで10分以上かかりそうでそこまで利便性が向上するとも思えません。
交通の問題と言うのであれば海浜幕張からZOZOマリンまでの屋根付き動く歩道の整備がベストであり
駅のペデストリアンデッキからアパホテルまで人工地盤の歩行者専用動線がありながら
球場まで僅かに届いていないという残念な点の改良を含めて実施しても新球場建設や
国際大通りへの軌道交通機関導入よりは格段に安く済む筈ですし、動く歩道は瞬間風速的な多客需要では
非常に威力を発揮します。現状ではこのような催事対応で比較的長い距離の導入例がなく、何からの形で施設があっても
事故防止の名目で多客時に運行停止としてしまうケースがありますが、平面を動く以上
斜面を動くESより本質的には安全な筈であり、昇降部での転倒を検知して非常停止させる技術は確立していますから
多客時こそ活用すべきなのは明らかです。
短時間に利用が集中する施設でない例での導入例としては神戸医療センター(各種医療施設が集積している)から
市民広場駅までのものがありましたが、ポートライナーの空港延伸線開業時に医療センターの前に新駅ができて
無用の長物化し撤去されてしまいました。千葉市であれば大森台駅から仁戸名緑地の地下を通って
がんセンター等の医療施設群までというような導入は考えられ、周辺住民にも活用してもらうことで
定時性に難がある大網街道のバス路線から千原線利用へのシフトを促すといったことは考えてよいでしょう。
現状の大森台はバリアフリー対応されていないなど、京成が鬼っ子であった千原線にはいかに経費をかけたくないかを
具現化したような状況ですが。
年1〜2回ロッテの試合を観に行きますが、去年から帰りのバスの終了制限が厳しくなってきます。
延長等で遅くなっても試合終了後30分は運転とかでしたが、今や試合がやっていても22時10分で幕張本郷行きのバスは乗車受付終了です。
22時超えることはめったにありませんが、運転手不足の余波の影響受けてます。
先週金曜ですが夜都内に用があり在宅から渋々出たのですが、たまたま船橋でしおさい東京行きが発車するタイミングで
7〜8割は席埋まってました。客層もビジネス客が多く需要はあるんですね。
やはり銚子まで高速ないのが大きいのか、鉄道が選択肢として残りますね。
中野サンプラザもさすがに築50年超ですからね。耐震性は大丈夫そうですが、一方で東日本大震災を経ているわけで、「2回目」はどうなのか。以前神戸で住んでいた住居には震災で出来たクラックがあり、次はヤバいと言われていて、結局建て替えで追い出されましたが、耐震性の評価における「2回目」以降はどう評価しているのか。
中野サンプラザの問題はユニークな形状が高いランドマーク性を持つ反面、フロア構成がホールなど専門性の高いものを含むため潰しが効かないわけで、生産性が低いという問題もあります。津田沼モリシアも習志野文化ホールがある中央棟が活かしきれなかったわけですし。
マリンスタジアムは経年劣化というか、一般的な経年よりも短サイクルで劣化してしまう立地条件が大きいでしょう。
鋼製、コンクリートのどちらも塩害が天敵であり、試合を左右するような海風が吹き荒れるということは当然塩分が細かい飛沫となって球場を蝕んでいます。ただ建て替え場所がメッセ駐車場というのがいいかというと別問題で、出来るかどうかは別として、仮設球場を建てて、現在地に新球場を建てるというほうが良いでしょう。あの立地は「マリーンズ」の愛称と一心同体の関係ですからね。唯一の海辺の球場というのはやはりセールスポイントです。
なおラストワンマイルのアクセス手段ですが、動く歩道は悪手でしょう。大規模イベントにおける定石としてのバッファ空間としても機能しているわけですが、輸送量、輸送力が硬直化する動く歩道だとバッファ空間が海浜幕張駅前に限定されてしまいます。あとは海辺という特殊事情もありますが、屋外での運用におけるメンテナンスの問題。ポーアイの動く歩道も停止しているケースが多いうえに、運転中のものも最末期は軋み音と細かい振動がかなり大きかったわけで、人工島(ポーアイ二期)の中央部で塩害リスクは比較的低いとはいえ、無視できないうえに風雨によるダメージは屋外の宿命です。
開放感とは相反しますが、海浜大通りのところの交差点からマリンスタジアム前に向けて一面の人工地盤からスロープとして、海浜幕張駅方面からの流動を大きく受けるようにすればかなりかわるでしょうね。
メッセ駐車場は幕張豊砂徒歩圏とはいえ、幕張本郷方面をどうするのか。仮設暫定ならまだしも、本設で恒久化となるとどうか。イオンなどの駐車場が「イベント開催時は当店利用者以外は特別料金」となるのでしょうが、モールという性格上、スタジアムとモールの利用が両立するわけで、モールだけの利用を排除できませんから、「当店利用で優遇」で野球観戦客が埋め尽くすリスクを排除できません。甲子園球場の横にあるヨーカドー甲子園店では試合中に駐車券操作をすることで特別料金対象を解除できますが、そういう複雑なシステム導入は利用者へのしわ寄せでもありますし。
海老川新駅の着工式がありましたが、バス路線の再編はどうなるんでしょうね。医療センターの移設も伴いますから医療センター線の存在意義が大幅に減りますが、一方で海老川新駅発着への短縮は、東船橋駅発着に短縮して利用と利便性を負いに損なった故事から何も学んでいないわけです。ただ医療センターから市内各地という意味では医療センター駅から各地の路線需要が増えますから、これまでなかったうえに廃止短縮された豊富線(芝山北習線)の設定とかも必須でしょう。
鉄道にしても、市内の流動を考えて北習志野駅での相互接続の意義が高まるわけで、10分ヘッドの松戸線と15分ヘッドの東葉線をどう組むか。午前と午後でメイン流動が逆になるはずなので、ダイヤパターンを平行移動させるとかのテクニックが必要でしょうね。
医療センターには関係ないですが、深夜帯には敢えて長時間停車して全方向の接続を取るというような京都市交の「シンデレラクロス」的なダイヤも。
そういえばロッテ(とヤクルト)は球場が新しくなりますが、他球団で熱中症問題が出ているらしいにもかかわらず新球場に屋根はないらしいですね。
まあつけるとしてもドームよりは開閉式屋根とかのがよさそうですが。幕張のはコスト面が主な理由だそうですが、花火が名物だからというのもあるんでしょうかね?
球場ついでですが、二軍のねじれはロッテ側は君津が移転先となったことで片方は解消の見通しですが、ハムの方は報道こそあっても球団側は否定しているみたいですけども。
旧医療センター線はどうなんでしょうね。新医療センター自体は経路上にありますが、新駅ができるとなると位置的に経由させた方がよさそうに見えますし。
r288を走らせ続けるよりは所要時間の短い経路という立ち位置はあった気がするので、この経路自体の廃止はない気はしますが。
日ハム二軍は一種の保険でしょう。エスコンが当たったのでリスクは下がりましたが、集客力のある首都圏をマーケットにする大義名分は手放さないでしょう。きつねダンスという集客ツールを鎌ヶ谷で披露していますしね。
猛暑日が当たり前になった昨今、オープンエアの球場は厳しいのは確かです。昔のようにナイターがメインという時代でもないようで、平日でもデーゲームのほうが集客できる、という判断も出てきていますから。とはいえオープンエアの良さは確実にあるわけで、マリーンズの特徴として継続してほしいアイテムです。
(旧)医療センター線は速達性、定時性があるはずとはいえ、船橋から津田沼を経由しないで短絡する、というメリットが時間も値段も失われており、2wayを維持するだけの需要があるかというとそれも微妙です。
グリーンハイツ線と、経路変更がありそうな芝山北習線で需要をカバーし、金杉台線、小室線は夏見線を立て替えて本数を確保して(旧)医療センター線を減らすか。門前薬局のほか、門前クリニックもありますが、それが需要にどの程度つながるか次第でしょう。あるいは船20の設定で見えてきたように、循環系統の新設があるかもしれませんね。あまり足の長い乗客が乗らなくなったという感じもしますから。
バスは商売っ気がないというか、基本的に往年の路線を使っていますよね。沿線(沿道)や流動といったニーズの変化は安明らかに発生していますが、それについて行っている感じがしません。ところで数少ない「変化」であるイオンモール船橋の有料送迎バスですが、令和に入り千葉シーサイドが担当していた金杉台ルートが京成バス千葉ウェスト(旧船橋新京成鎌ヶ谷)になっていますが、それを足掛かりに夏見バイパス経由を作るといった展開をするでもないわけです。バス停の位置や名前も揃える気がないという謎状態ですし。
09系礼賛の記事が出ていましたが、「走ルンです」と言われているけどいい電車なんだよ、といくら主張しても、なぜそう言われるようになったか、ヲタの戯言で終わらずに人口に膾炙したかが書かれていません。
寿命半分とか言われましたが、実際に車両が早期に劣化したからこそ「走ルンです」の蔑称が定着したわけです。
歪み、ズレ、今までの電車では相当な経年車にならない限り発生しなかった劣化が発生してしまい、「寿命半分」を証明した格好になりました。
その後のE217系でも類似の事象が発生しましたが、E231系、E233系と「決定版」になることで209系の持つ問題点は解消されています。長寿のはずのSUS車でありながら、転属できたのは房総ローカルでそれも全体の3割強と、大多数は17年で廃車になっています。初期のSUS車が半世紀以上経っても問題なく走っているのに対し、必要な強度を確保できればその分板厚を薄くできる、ということで歪みやすい躯体になったのでしょうか。インドネシアを含めて転属先がなかったという事実が何を物語るかです。
同様の問題が顕在化していたE217系はそれでも25年から30年は持ったわけで、インドネシアでの政治問題がなければインドネシアで第二の人生を送っていたはずでした。その意味では通常の車両とは全く逆のコンセプトで攻め切った209系は、過ぎたるは及ばざるがごとしのことわざを地で行ったわけで、しかしE231系以降の「決定版」に大きなデータを残しました。
せめてもの慰めは躯体を「決定版」使用で新製された500番台の存在でしょうね。103系のトラブル続出でE231系が確立する直前に在来車の延長線で登場したという仇花のような系列ですが、登場から四半世紀を経てまだまだ活躍しています。
ロッテとヤクルトは奇しくも二軍がどちらも埼玉から転出するのが決まっていますが、施設老朽化の他に保護権の関係から埼玉にあるが故に主催試合が西武の許諾が必要という事情の解消もあるらしいとか。
同じ理由で日ハムもロッテの許諾が必要というのもあるようですが、同じ理由でプロモーションもそこまで大々的には行えないという聞いたことはあります。が、それを差し引いても首都圏のメリットはあるって判断なんでしょうね。
まあ他球団の一軍と被らずかつ首都圏という条件だとほぼ北関東だけですし‥‥
経路の見直しなどのような抜本改正に踏み込むかどうかは良くも悪くも運営体勢が変わった今こそやりどきな感じもしますが、どうなんでしょうね。
松戸は縁がほとんどなかったのでイメージもあまりありませんが、鎌ヶ谷や習志野はあまり“寄り道”のない路線設定のイメージがあります。ゆえにむしろ夏見線をバイパスに振り替えてみるとかはあってもよさそうな気もしますね。
ちなみに、バスのウエストは元のベイシティとトランジットを含む影響からかOLCの出資分があるようですが、一方でリゾートキャブを取り込んだタクシーのセントラルにはそれはないようです。
209以降今に至るまで続く走ルンですシリーズですが、元祖の209が順当に数を減らした一方で地方線区向けの形式(E127・701)は元祖に近いはずの構造ながらほとんど未だ健在ですが、機器更新こそしていてもやはりと言いますかガワは見事なまでのくたびれっぷりですね。
もっとも、悲惨なのは東急製より川崎製の方で、そもそもが姉妹形式であるりんかいの70-000は言うに及ばず、工法の同じ都交の6300もベコベコ具合は瓜二つです。
ロッテは浦和から君津に移転しますが、日ハムの鎌ヶ谷を活用できないんですかね。
千葉県はロッテの保護地域とはいえ、球団1つだけでどうこうとはならないわけで、二軍球場としては知名度が高い鎌ヶ谷に相乗りすることで営業面でのプラスもあるでしょうに。逆に日ハムは首都圏のメリットを知り尽くしているわけで、他に例がない後楽園、東京ドームのダブルフランチャイズを長年守り続けましたよね。札幌というブルーオーシャンが確実になるまで。千葉で熱狂的な知名度があるロッテと組むことで、一軍並みの集客力を期待できるケースもあるでしょう。
その意味では二軍をコンテンツにするケースは増えていますよね。二軍を「独立」させるまでは難しいようで、TBS時代の横浜が失敗していますが、阪神が二軍の拠点球場を鳴尾浜から阪神大物駅すぐのSGLスタジアムに移転して集客力を意識した方向性を打ち出しています。(オリックスが完全に逃げたグリーンスタジアム神戸への移転案もありましたが、神戸市が相変わらずダメダメで尼崎市に持ってかれてます)
旧船橋新京成バスの系統新設に対する鈍さが利用を減らしている面が強いです。船橋市の交通不便地域対応での路線をいくつか運行しているのに、そこから何も学んでいないですからね。路線の設定、運行とか、どうすれば流行ってどうしてはダメなのかデータが蓄積されているのに。過去四半世紀で「新規」といえるのは先般の豊富北経由くらいで、あとは入出庫兼用の高根公団駅-古和釜十字路くらい。廃止された深夜急行は珍しくアグレッシブでしたが。新鎌ヶ谷関係を一時期整備しましたが結局消えています。道路事情は確かに悪いですが、クルマも基本は同じ条件ですからね。抜け道すら満足に無いのが千葉県北西部ですから、バスだけが苦戦する理由はありません。
夏見バイパスを無視し続けるのもそうですし、豊富エリアの工夫がなく需要地を無視する直行ルートの存在とか、松が丘エリアから高根木戸、船橋方面への需要の切り捨てにしても44年前の東船橋駅開業時に船橋駅直通を全滅(激減)させたことの繰り返しです。習04と高01の直通化も全く考えていませんよね。北習志野駅をターミナルにすればこれまでバスに乗るという発想もなかったアートヒルのエリアに訴求するのに。船22を廃止して船23にした件も、回り込んで北習志野駅に出るのなら、新高根から高根公団駅に出たほうが需要があるでしょう。スーパーが2軒、徳洲会病院もあるし。
E127系も新潟支社は総てE129系になってますよね。浜川崎支線組は周辺総てが4扉車なので早晩E131系化でしょう。一方トキめきの主力ですが、こちらもしな鉄のように置き換えが迫るんでしょう。しな鉄がE129系の自社バージョンですから、トキめきもE129系ならしな鉄も含めた相互乗り入れが視野に入ります。
長野支社は全車健在ですが、篠ノ井線と大糸線穂高以南は輸送力不足だし、211系同様減車のうえE231系の付属編成をメインに、大糸線北部はE129系でしょうか。総てE129系で4連も投入すればベストですが、インドネシアの中古禁止からE231系以降の転用先確保が必須ですから。中央東線や高崎地区の211系置き換えだけでは相当数の余剰が出ます。205系だけで800両の受け皿だったインドネシアというマーケットが消えたのは痛すぎます。
701系もそろそろ、という車齢ですが、仙台地区のE721系が広まりませんね。標準軌用もあるわけですが、719系というもっと古参もいますから。E721系をE235系世代にアップデートした新系列車を考えているのか、あるいは奥羽線のような気動車化を検討していて置き換え計画がまとまらないのか。電車走行を削減して、電路系のコストをJR貨物により多く持たせようとしているかもしれませんね。これでJR貨物が対抗してDF200牽引を持ち出したら笑えますけどね。
躯体の歪みは川車(当時は川重)の2シートに有意に発生していた感じがありますね。見えない妻面にビートを入れて強度を確保とかしてましたが、換気問題による側窓の開閉式改造も強度確保(側板の撓み)に影響している気がします。
この工法が他社に波及せず、当の川車も工法を変えていますからね。これと日立Aトレインの側扉脇の握り棒のデザイン変更(掴めない→掴めるへの変更)は「行き過ぎ」の典型例です。
あと鎌ヶ谷は鎌ヶ谷でアクセスの貧弱さ(コルトン→ガナーズの規格の貧弱さもさることながら、Fsの系統記号を設定したりポールに装飾したりしてタイアップのある割に京成がやる気ない)も課題はありそうです。
そもそも新京成以外の京成系も路線の大再編のイメージがあまりないのですが、まあトップをすげかえたり、再編後の営業所間で中間の背広組をガラポンしたりしたところでその辺が変わる可能性は低いんでしょうね。
地方向けのストレート車体世代の大半は川崎2シート車体が比率的に高かった気がしますが、一方で房総に209を寄せ集めた時に優先的に弾いて淘汰されたのは初期の空気式ドアエンジン車で、次いで川崎製だったような。
まあそれで若返らせても東急製側も相応にへたってはきていますから、E131化されない区間用もE231か何かを回すのでしょうけども、どうなんでしょうね。ワンマン区間拡大でE131化の線もありますが、最大でも6連までという制約があり、減車も懸念されます。
そういえばこれはJRに限らず気動車全体の問題ですが、建機類ですらある程度の規制があるとされているのに、気動車はエンジンにはまったくないそうで、カミンズは本国では型落ち、コマツのもKL-相当程度らしいですね。
今月からの新ご当地ナンバーで江戸川がありますが、これに稲毛出身の某タレントが苦言を呈したところから始まって、やれ分断だのどうのと飛躍した評論というかコラムがありましたが、まあ実態は船橋市川と同期の江東葛飾への便乗でしょう。
くだんのコラムに対するコメントでは江戸川は歴史的には足立より葛飾だからというのがありましたが、そこまで深く考えているのは区サイドにはいない気がします。
船橋はいわゆる習志野原だから陸運局が船橋市習志野にあって習志野、というのがが釈然としない、のとは似て非なる感覚と思われますし、「歴史的葛飾」が理由であれば葛飾ができる時に相乗りしそうですし。
文中で触れられていた「足立のイメージが悪い」は確かにありそうですが。習志野はナンバーのイメージこそよくなくても習志野原に含まれる地域全体のイメージまでも悪いとまではいきませんが、足立は正直どちらもよくないですから。
なお文中では残される墨田・台東・荒川について「機運がない」とのことでしたが、少なくとも墨田についてはQ&Aにて「登録台数が足りない」と回答しており、これについても決して機運がないわけではないとツッコミがありました。
外部反応には「3区で『隅田川』でいいんじゃないか」という趣旨のものもありましたね。
アクセス規制に巻き込まれ少し乗り遅れてしまいましたGWに宇都宮のイベントに参加しその際にLRTの状況も観察してきました。
3日の3622Eラピッドで向かい、新幹線が軒並み満席の連休初日朝とあってはこちらから溢れた行楽客が流れ込んで混雑するかと予想を立て
04年春、本当の意味での東武快速が健在だった最後のGWに鬼怒川に行った際は
特急が当然満席でしたので快速を利用しましたが浅草で満席、北千住乗車組は全く着席できず人いきれを延々と下今市まで載せていったと記憶しており
ラピッドがどのような状況か、600ポイントで買えるロザを奢ろうか迷いましたが混んでいても
後続の普通は空いているだろうという可能性に賭けました。
千葉方面から通算扱なら迷わずロザにするところでJREポイント交換に限っては乗り換え1回に限り可としてくれればと思います。
賭け自体は的中で東京では1ボックスを占拠でき、上野での動きが少ないことに衝撃を受けましたが赤羽と大宮で大量の乗車があり立客も相当数出ます。
しかし久喜で追い抜いた1530Eはガラガラであり宇都宮で12分差でしかないので結局は快速への狙い乗車が多かったのか、
そうであれば鉄道利用の行楽需要も高が知れていると感じます。
ただし宇都宮での日光線接続は時間が短く駅のアナウンスが催促し走る客も20人程度、東武特急が満席であれば
立席利用は不可なのでないのと同じであり、東武快速亡き今その場合はJR日光線利用が東武一般列車に勝りますので
そうした利用はあるのか、しかしそうであるとすれば20人はあまりに寂しい数字です。
イベントの時間まで余裕があるのでLRT乗り場に行きますと丁度グリーンスタジアム行の臨時快速が出るところ、
せっかくなので快速を体験してみようと衝動乗りします。乗り場係員が快速であることをしつこく連呼していますが、
見送る客は少なく停車駅が認識されすっかり根付いたのか。座席が7割程度埋まる乗車率で出発、スピードは遅く停留所をゆっくり通過していくのでやはり軌道では急行運転の速達性は限定的と感じます。過去に急行運転が行われた例は多くありますがいずれも速達サービスではなく運航効率化を目的とした混雑時の一部停留所休止というのが適切です。
ベルモールの開店時刻に当たることもあり半数弱が下車し残りは部活動の大会があるグリーンスタジアムまでの乗車が大半で快速運転そのものや停車駅は理に適っていますがLRTは遅いと感じさせない心理的な効果はあるにしてもスピードはもう少し頑張りが欲しいと感じます。一方で帰途の普通便は運賃やフリークエンシーといった面で地方都市での公共交通では及第点以上といえるため、
短区間の利用も多くすっかり根付いた感じであり、同様に信用乗車方式も定着しています。
現金払い客は一定数いて停留場に乗車証明書発行機が置かれていました(宇都宮駅にはありませんが、ここからであれば最高運賃なので不要という始発地で整理券を発行しないバスと同じ考え方でしょうか)
ただ運転士の負荷軽減を考えるのであれば証明書ではなく紙の乗車券の券売機を設置して正しい区間を買うかは信用乗車としてもよいと感じます。
帰途はイベント会場のオリオンスクエア至近である東武駅から東武で行きましたが
株主優待券1枚で船橋まで行ける利点はあるもののやはり時間がかかりすぎます。リバティ編成を活用して昔の国鉄に多かった
多層建て特急を運転してくれたら宇都宮〜船橋の特急などが実現しそうですが難しいでしょうか。
さすがに宇都宮から千葉県内への利用は多くないでしょうが、宇都宮発の浅草編成と日光発の船橋編成、それに田島発の浅草編成を
栃木だけ9連対応にできれば可能であり、あとは車内で座席移動して特急料金通算ルールをと妄想してしまいました。
ご当地ナンバーは百害あって一利なし、即刻廃止すべき愚かな施策です。記載事項や体裁を微修正して、新デザインに変更のうえ再交付という洗い替え、棚卸をすればいいんですよ。地名部分は都道府県のみ47種類。陸運局も都道府県名です。
種別分類は3桁あれば払出時の枯渇はありえません。デザインはシンプル。見栄えが悪い、恥ずかしいからと言って軽が黄色は嫌というようなわがままは徹底排除です。記念ナンバーやご当地ナンバーで黄色に加え、業務用の緑ナンバーもわかりづらくなっており、IDという本来の目的損なう愚行の果ての状態です。
国民サイドとしても、事故などの目撃情報が不正確になるリスクがあるわけです。お絵描き状態でナンバーが見づらい、細分化された地名も土地勘がないと記憶に残りません。都道府県ならさすがに認識率は上がりますから。
枠で黄色や緑を表わして、というようですが、そこを発行時期のサインとし、一定年数が経過したら同じ番号を払い出せる、あるいは洗い替え、棚卸を行う基準として、天ぷらナンバーに代表される不正を防ぎます。
これも登録時にマイナンバーを使えば自動ですからね。居住と無関係の「本籍地」を排除し住所情報は住民票住所に一本化すれば、課税情報もそうですし、一部課税情報にもなる自動車の所有情報(兼自動車諸税の請求情報)も連動します。
軽自動車、原付などの制度も統一させていく必要亜があります。特に原付はなんで基礎自治体に任せているのか。登録自治体内でしか運転不可ならまだしも。国家レベルでの登録が必須です。ここをしっかりすることで電動キックボードなどいかがわしい乗り物の管理や規制も徹底できます。
ファイターズタウンはアクセスルートの分散でしょうね。
京成的には嫌でしょうが東武鎌ヶ谷がメインで、渋滞を考えると北総大町。あとはJR市川大野、船橋法典ですね。
距離は長くなりますが、東葉海老川新駅から現医療センター、運動公園、啓明高校、桐畑経由も考えられます。
主要駅アクセスはガナーズや木下街道が絡むので、定時性の問題もあり難しいでしょうね。
北初富から新鎌ヶ谷というルートが各社丸く収まるし分かりやすさという意味でもいいんですが、北初富の十字路がどうしようもないですからね。東武鎌ヶ谷ルートを新鎌ヶ谷まで持っていく手もありますが、船取線が厳しいです。
「走ルンです」は状態のいい車両だけ、という結果なんですね。E217系も2シート工法車を中心にベコベコ組がありましたから、400両弱の輸出予定だった数字も実はフルだったんでしょう。赤道直下での第二の人生を見たかったですけどね。
エリア関係では東葉1000系の輸出話で商社が現地政府との間で贈収賄のスキャンダルを起こしてしまい、一部を除き不調に終わっていますが
五香たかねが復活します。
従来からの中山ゆかりとコラボが発表されています。公式に「京成電鉄の制服に着替えた五香たかね」とあり、新規採用扱いなのか転籍なのか、いずれにしても復活です。
五香たかねは五香駅勤務という設定ですね。由来に五香のほか高根公団と高根木戸としており、高根木戸のみならず高根公団にも復活、進出するのか。実家が鎌ヶ谷の梨農家で鎌ヶ谷大仏に慣れ親しんでいる、という設定はなんとなくあるあるですが、駅員が極小化しているなかでの駅務掛の設定はだんだん厳しくなりそう。
神戸市に引き取られた旧北神急行の北神弓子などに次いでの「移籍」ですが、南海泉北線は「せんぼくん」は継続したものの、鉄道むすめの和泉こうみはどうなっているんでしょうね。鉄道むすめの公式では五香たかねが京成電鉄として京成の制服で出ていますが、和泉こうみは泉北高速鉄道として出ていて、注釈で4月から南海泉北線、この制服は現在ありません、となっており、過去の人扱いですから。
地域名がどうのこうの、という視点であればそもそもそれすら全部番号にするというのも手ではありますね。いっそ平仮名すらなくし国際用との一本化でもよさそうですが。
抵触対策であればそもそもの制度を車両に対する紐付けから所有者に対する紐付け(乗り換えであれば番号を継承)に変えるという手もありじゃないかとは思います。
そもそも軽が分類上5(乗用)や4(貨物)に内包されているのがおかしいわけで、三輪用でなくした時点で7(乗用)や6(貨物)を軽用にしていればそもそも色で区別する必要すらなかったはずです。
さらにいえば軽四の高速料金を二輪相当に優遇しているのも正直意味不明です。例の色問題では高速の料金所が区別しにくいからとクレーム入れた結果枠がついたとも言われていますが、その必要がなくなればいいわけで。
新京成のキャラは元から合併前の段階で「現行の制服では」と言われていたので、絵師サイドによるティザーもありましたが、無事公式発表されて引き継ぎが確定した格好です。
元からの京成のキャラも当初は駅員だった気がしますが、いつのまにか運転士になってますね。
いずれ北総を、となれば前に詰めて元新京成を車掌に上げて北総のを京成の駅員にする、とかでしょうね。
旧泉北の方もいずれは引き継がれて出てくるとは思いますが、まあ旧新京成のと違って事前にどうするとも出てはなかったはずですから、さてどうなるか。
ちなみに車体色が初っ端から変えられた旧新京成と社名表記を変えてとりあえずそのままな旧泉北という対比のされ方もされることもありますが、単に検査と被ったかそうでないかってところでしょうね。
駅名標では新京成のような過渡期仕様すらなかったわけで、検査周期がくればあっさり色が変わるのはおそらく一緒でしょう。もっとも、元新京成もそうですが、効率化を図れば所要編成数は減らせるそうですが。
ところで、鉄道むすめは変わったところでNewDaysの販売員のキャラがいたりもしますが、運営元が再編された今も旧社名表記かつオレンジ色の旧制服のまま変わってない、なんてのもありますね。
結局「(小)旅行」という概念すら消えつつあるかもしれません。本来はそういう「クセ」をつけるように誘発してそれを維持する努力が必要ですが、交通事業者、そして観光地にもそういう「汗をかく」習慣がなくなっています。富裕層やインバウンドというわかりやすくまとまった支払いをする客を向いた商売に慣れてしまったんでしょうね。
東武の「リバティ」の活用も野田線(柏、船橋方面)に「日光・鬼怒川は遠くないよ」という誘発をする気がないんでしょう。文字通り機械的なんでしょうが、券売機で西若松まで買える、運賃案内に出ている、という「売り込み」に魂が入っていません。まあエコノミー派は栗橋乗り換えなんでしょう。そして朝の2本の急行で十分と。栗橋からだと1時間ちょっとですから通勤車でも気にしないと。どうせ車窓など見ないでブラインド降ろしてスマホとにらめっこですし。
宇都宮のLRTは輸送力増強を本気で考えるべきでしょう。設備の改装が大変ですが、ワンサイズアップの5車体連接車の導入とか。あとは質実剛健として食パンタイプのデザインにしてキャパを少しでも増やすとか。HRTでも成立し得たレベルですから。そういう意味では金沢の北鉄両線の接続話も、やるならLRTでの直通ではなくHRTでの「地下鉄」です。
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ナンバーを全部数字にするとIDとしての視認性が著しく低下します。今のメイン4桁はよくできていますし、地名との組み合わせがわかりやすい地名ということで機能すれば覚えやすいです。6〜8桁の数字よりも2〜4文字の地名に4桁の数字のほうが記憶に残ります。都道府県に収斂させるチャンスだった際に、希望ナンバー制というご当地ナンバーに先立つ愚行を導入していますが、これにより本来は同時期に払い出されることが少ない同じ4桁番号が氾濫するというIDとしては致命的な事態になっています。五輪など国際イベントで投入されるバスや公用車にイベント開催の西暦が同じ4桁ナンバーで付けられていますが、好意的にメディアも報じていますね。愚かしいことこの上ありません。
そうした視認性の一つが「色」であり、運送における資格問題となる二種免許を示す緑ナンバーとともに、通行料金のみならず、税金や車庫証明などの法律上の区分(あと安全基準も)がある「軽自動車」というジャンルを残すのであれば、黄色ナンバーで区分することは合理的です。なお百の位は希望ナンバー制がなければ問題なかったのですが、普通乗用車に5と7のほか、6を充当すればまず枯渇は無いでしょう。
京成は運転士と車掌でコンビを組みようですから、ここで男性キャラ(三陸鉄道の「鉄道ダンシ」みたいなシリーズ)があれば、いろいろと話が膨らませて話題を作れますけどね。
ところでこのシリーズ、京阪以外の関西私鉄がないですね。東京の企業だからといういけずじゃないとは思いますが。
まあ関西でも京阪は「現物」での「おけいはん」という隠し玉がありますから別格ですが。
船橋市を「住みたい街」上位と持ち上げておいてインフラが貧困と叩き落す記事がありましたが、まあ話半分ですね。
そもそも上位になった理由が割安というお得感に過ぎず、それこそインフラや各種環境を理由とした選択ではありません。
戸建てが三咲駅徒歩15分圏内で4LDK2890万円というのは船橋でも安いほうですが、現状は記事が指摘するような弊害もあり、「安かろう・・・」が否めません。
道路インフラの貧困はその通りですし、バスの問題は道路事情以外は結局(旧)船橋新京成のやる気に帰結しますよね。ただ船橋市も知恵を出すこともなく現状追認です。
一方医療インフラについては、市内の医師がほかの6割と言いますが、周辺を見たら広域で競合する医療施設を誘致して共倒れになるくらいなら、というところでしょう。「市内」は医療センターとセコメディックくらいですが、セコメディックを含めて北総線沿線に大きな医療施設が並んでいるわけで、市外も含めたインフラで見るべきでしょう。
なお船橋市は今後、8階建て以上のマンションの多くを既存不適格にしてしまったツケを払うことになります。
誰かがスピンアウトしないと成立しない建て替えがそもそも可能かどうか。増床で負担軽減どころか、既存住民全員分の個数が確保できませんから。築年数が経過するとリセールバリューにも影響しますからね。都心回帰は止まらないなかで真っ当な買い手がつくのか。割安だけが取り柄では住民の質が悪化して急速なスラム化が不可避です。
高度成長期の公団住宅も建て替えではなく補修でお茶を濁しており、これらも築60年前後であり将来はどうなるのか。
その直後の世代になるミニ開発の住宅群も今後は「負動産」ですし。その意味では賃貸で住むにはいい街ですが、資産としては微妙な街です。
今夏も青春18は「夏の乗り放題」ですね。機械的な期間設定ではなく利用開始を7月19日(土)にして3連休をカバーするようにしたのはいいんですが、終了日を1日繰り上げて9月9日(火)までというのも何という杓子定規か。9月の平日1日でどれだけ使われるかくらいわかりそうなものですけどね。週末に絡む利用という意味では、7月18日(金)から9月8日(月)としたほうが同じ日数でも使い勝手が飛躍的に上がったんですが。
こうしてみると北東パスが俄然輝くわけで、7月1日から9月30日までで、青い森、IGR、北越急行にも乗れて、新青森-新函館北斗間は特定特急券を別購入で利用可能と、青春18が連続有効になったことで同じ方面で使い終わるケースが多くなることを考えると、3日間10000円の青春18と7日間11530円の北東パスはバグを起こしている感じです。
7日間だと週末2回は不可能ですが、お盆期間など休日が多い時期、あるいは有休取得を前提にしたら、2日間を2回という使い方でもいいわけで(間の3日間は初乗りでも使えばその分得になる)、旧青春18を4日分使うのと比較しても2000円も差がない(しかも一部三セクや北海道新幹線ワープでお釣りがくる)という結果になります。
JRCですら「乗り鉄☆たびきっぷ」があるというのに、ポイントでお得というまやかししかできないJRWは全く食指が動きません。まあ万博協賛で関西圏の期間限定商品には見るべきものがありますが、ICOCA還元型などデジタルチケットが多く、また山陰方面のようにインバウンドには大幅割引かつ広域フリーなのに、日本人にはエリアは狭く普通列車のみとふざけた対応が露骨です。
東京BRTのデジタルチケットの案内で、国内外のオンラインエージェント向け、というところに「OTA向け」とあります。もちろんOnline Travel Agentの略ですが、「国内外オタ向け」に見えてしまいます(爆)
海外渡航用とも言われる国際ナンバーだと地名が当然アルファベット(千葉絡みだと習志野がCBN、船橋がCBFなど、都道府県2文字+地域名1文字)だったりしますが、まあ現状維持にしろ都道府県に整理するにしろ漢字や平仮名の代わりにアルファベット化はありじゃないか感はありますがね。
現状金属板ですが、ICタグか何かを仕込んだプラスチック板とかに移行すれば封印を廃することもできそうですが。もっとも封印が不正対策という割に登録車でもネジのうち一本だけですし、軽や二輪にははなからありませんから、新たに設定するよりはなくても防犯が成り立つようにした方が得策でしょう。
軽というジャンルはメーカー的には売れ筋でしょうが、世界的にはガラパゴスの典型例でもあり、将来的にはなくなるべきジャンルです。原付一種が二種の出力を抑制させたものに変わりましたが、境目やかかる規制含め原付全般に見直しは必要でしょう。
軽四ですら統一的な基準がある番号の付け方ですが、原付類は桁数も四桁以外に五桁や三桁があったり、平仮名に至っては自治体ごとに互換性すらない有り様です。
その辺の是正含め、陸運局に一本化は賛成です。ついでに以前移行を断念したと言われる寸法比1:5の「欧板」は希望者に払い出していいとは思いますが。
ららぽーとが北館の一部が秋に建て替え完了、手前のビビットもららぽーとの仲間入りするようです。
さらに渋滞がひどくなりそうです。競馬場工事のときに道路拡張して欲しかった。
ららアリーナ、競馬場もあるのに船橋競馬場駅前やバス乗り場も
昔のままですね。京成や船橋市も整備する気はないでしょうけど、駅からの歩道も広くないですし連休中とか歩きづらいです。
>>791 を書いてて思い出しましたが、以前原付二種に国際ナンバーもつけた個体に遭遇したことがありまして、見たら「CBN」(習志野)と数字だけ、といった感じでした。遭遇したのは首都圏どころか関東ですらありませんでしたが。
船橋は医療センターとセコメディック以外にも北習志野の花輪とか、高根公団の徳洲会、新船橋の船橋総合、海神の船橋中央と総合病院はそれなりにあるイメージですが、逆に中小のクリニックに乏しいような印象です。
まあリストか何かで見た時に一応それなりにあるにはあった気もしますが、一方で街中で見る印象もないです。単に目立たないだけかもですが。
スカイライナーに関する記事が出てましたが、宗吾の増設がSL9連化対応とあるそうで、まさかの9連化のようです。
ただ中間駅、特に出発信号機がある駅が9連に対応しているかですね。そう考えると対応はSA線経由に限定し、本線経由のイブモニは「押上特急」で対応でしょうか。本当は6+3でイブモニにも対応、また需要が多くない時間は6連というフレキシビリティが欲しいですが。
「押上特急」は都交乗り入れは考えていないとありましたが、まあ「公式回答」でしょう。
ただ差別化が難しいわけで、湯川以遠の複線化が実現すれば今でもアク特の最速は50分ですから同等の所要でしょう。SLでも40分程度。「押上特急」は160㎞運転をしないという話であれば特急料金を取るに足る差がつくのか。スーツケース対応やアコモ重視の「指定席」に過ぎない存在になってしまうでしょうね。SLを全部日暮里-2ビルを基本無停車にして「押上特急」が中間駅対応というのが美しい姿ですが、中間駅需要を拾うとなると日医大と湯川くらいしか差がつけられません。東松戸の武蔵野線乗り換えは無視できませんし、CNT中央も需要の発地としてあるでしょう。その意味では「一部指定席」がベストにも見えるんですけどね。
国際ナンバーですか。日本で見ないので恥ずかしながら知りませんでした。地名とひらがながアルファベット化ということですが、ナンバーが自作(私製)とあるのは本当なんでしょうか。国際免許証は免許センターで発行されるように公的機関が発行するんじゃないんでしょうか。先方の国で走行するのですから私製はあり得ないと思うんですが。
ひらがなをアルファベット1〜2字というのは発生時に共通しますからいいんですが、地名が判じ物ですね。これこそ都道府県47種類に統一すれば2文字でこなせるはずなのに、3文字の存在とかカオスです。ここが2文字なら国内もアルファベット化がわかりやすく可能になるんですけどね。
まあ地名やひらがなは残してもいいでしょう。中国では漢字一文字で省か直轄地を示しますが、ダブりが発生しないように古来の地方名を使うケースもあります。日本では都道府県名のほうがわかりやすいですが、中国だとその一文字で誰もがわかる、ということも多いため、そっちになってるんでしょうね。(上海市は「沪」。北京-上海の鉄道は京沪線、京沪高速鉄道となる)日本でも旧国名を活用してダブりを解消すれば1文字化も可能でしょう。(福島福井福岡のダブりは福井が「越」、福岡が「博」とか)
ららぽーと界隈は交通を考えずに話を進めたんでしょうね。競馬場用地もまず若松の左折レーン設置と右折レーン2車線化とか抜本的対応につながるのですが申し訳程度の左折レーンだけです。西行きの浜町2丁目右折レーン(ららぽへの右折)も本線まで伸びるクルマで本線が塞がり、若松南北方向に影響とひどいです。
船橋競馬場駅も旧駅を利用したバス乗り場をもう少し改修できないのか。というか、それこそポーアイじゃないですが動く歩道を整備できないか。京葉道交差部が面倒ですが。あるいは若松の処理能力を極大化して(南北方向のアンダー設置や右左折レーンの拡張)、船橋競馬場駅から浜町2丁目を経て湾岸道路南側までの区間でLRTかBRTを設置して大量輸送を図る。
沿道施設の協賛で無料運行として水平エレベーターにすればいいんですよ。無料なら少し歩いても文句は出ないでしょう。
国際ナンバーの自作例は定かではありませんが、JAFに頼むと一時渡航用の書類とともに入手可能らしいですね。
(基本は国内用と同じ2:3サイズですが、欧州用と同じと思しき1:5サイズの例もあるにはあるようですが、これがそこから入手できるものなのかは不明です)
ただ、米韓は一時渡航であれば国内用での乗り入れが相互に可能だとかで、韓国のハングル入りナンバーがそのまま走っているのを見たことがあります。
韓国は地域対立が尋常じゃないとかで事業用登録以外から地域表示が消えたナンバーだったりしますが。
なお韓国は1:5サイズへの移行をしましたが、主にそれがはまらない車両向けには従来サイズのものを払い出しているそうです。
中国のは本土がほぼ全土で似たシステムのようですが、意外と省ごとに細かい違いがあるらしいですね。
あとは香港とマカオはイギリスとポルトガル準拠の別システムで、越境には越境先のナンバーも必要と複雑なようです。
そういえば、旧新京成バスのバスロケサイトの時刻表として西船橋駅が入っており、鎌ヶ谷大仏行きが選択可能になっているのが白井車庫ないし白井線移管のフラグではないかと話題になっているようです。
同じく廃止されたはずの八千代緑が丘駅も検索すると出てくるので廃止された深夜急行の残滓かとも思ったのですが、こちらは津田沼駅しか候補がないので残滓よりは神崎線の区間便か八千代緑が丘以南の持ち替えの線もあるかもですが。
>>798 の文字化け部分ですが、“ざんし”です。
神崎線についてですが、関連する動きかは不明ですが、準スクールバスとなっている直通便の八千代緑が丘以南が10月で廃止になるそうです。
結果的に同一事業者となったため乗り継ぎの扱いは変わりないとは思いますが、もし印西から習志野西に持ち替えとなるとしれっと津田沼線に移管(緑03の事実上の復活)もなくはなさそうな気もします。
船橋競馬場駅ですが、駅の改札から降りず14号の海側に降りれるといいのですが
送迎バスがガソリンスタンド脇から出てくるところ、歩道橋避ける徒歩客と重なり結構危ないです。
歩道橋渡った空き地をバス乗り場にするか、整備してほしいですが土地もないですし難しそう。
というか船橋市も京成も問題視してなさそうです。タダなんだから文句言うなとか
白井線はウェスト(船橋新京成鎌ヶ谷)でしょうね。セントラル(KBS)の柏井線は微妙に被りません。京成バス直営(市川)のFs系統は木下街道の一部区間で被りますが、これはウェスト持ちになるのはまず間違いないので問題は無いかと。
柏井線は霊園から先で京成バス直営(市川)と被りますが、まあ目くじらを立てる話じゃないでしょう。旧新京成の北習志野付近での被りよりはマシです。
柏井線沿線はそもそも下総中山に出たいのか、というエリアでもあり、富貴島線をそのまま若宮に向かわせた方が需要がありそうです。そこまでしなくとも、白井線の大仏以南をウェストにするのなら、柏井線もウェストに移籍でしょう。
逆に西白井線をセントラル(レインボー)に移籍したほうがすっきりしますね。
神崎線は緑が丘分断でしょうね。なお習志野西は習志野に統合でしょう。地上設備や車両の統合、共通化は再編の最大の目的ですから。セントラル(船橋新京成習志野)が緑が丘に復活するのなら、育の杜を習志野西持ちにするとともに、坪井経由北習志野といった路線が出来ればいいんですけどね。ウェストと股割きになったので難しいですが、緑が丘か日大前からアンデルセンといった路線もあっておかしくないのですが未だに出来ません。大規模イベントで臨時運行があっただけです。豊富北エリアの事業所需要もあるはずですが、まあこれは華為が米中の鞘当てで当初予定の規模と程遠いものになったのが全てです。
そういえば西白井線という名前自体はウエスト鎌ヶ谷とセントラル印西白井の両方にありますが、鎌ヶ谷のは西白井駅に接していますが、白井のはナンバリングみたいなバス停が西白井を冠しているだけなんですよね。
仮に管轄を一本化するとしたら、片方か両方の路線名を変えたり、白井の方のを西白井駅に接着させたり、あとは白井車庫移管で同一化できれば七次台、あわよくば小室駅からアリオなんてのもよさそうな気もします。
旧レインボーのほうの西白井線は白井工業団地やアリオへの経路にありますが、新鎌ヶ谷を起点とする需要がどの程度か。
旧新京成の西白井線と統合して、西白井駅をベースに大山口、西白井、折立、七次台を循環する系統のほうが明らかに利便性が高いでしょう。一部を循環させずに工業団地やアリオに向かわせる程度で。
アリオへの便はどのくらい乗ってるんでしょうね。どうしてもアリオへ、というのなら高柳から船取線経由というほうがマシでしょう。旧沼南町からのコミバスしかない区間ですし。沼南支所のバスターミナルに乗り入れれば、会社がどうのではない公共交通としてのあるべき姿にもなります。
ローカル輸送ならコミバス化して(柏、松戸、白井、鎌ヶ谷の4市共同になりますが)、新鎌ヶ谷から高柳、藤ヶ谷、白井工業団地、神々廻、白井駅、西白井駅を経て新鎌ヶ谷というような大循環とか。
いずれにしても旧レインボーは旧新京成に続きウェストとセントラルで持ち替えが必要でしょう。
先週いわき市で午前中だけ参加すればよい学会があったため、終了後に原発事故の影響で復興が著しく遅れている地域を
観察しようと、双葉まで出かけてきました。双葉駅の周辺は新しい建物も一部あるものの「あの日」がフリーズドライされ
廃墟化した病院や店舗、人の生活の気配がなく工事関係車両だけが行きかう街路という状況はあの日を街並みから感じることは
ほぼ不可能になった多くの被災地とあまりに対照的です。
無料のレンタサイクルという太っ腹なものがあり漸く蘇り始めた街の空気を感じつつ十数分で
災害伝承館へ。この種の施設は被災地にいくつもありますが、原発事故に特化した展示であり
当時を知る方の生の話を聞くこともでき、様々な家族の形災害の中での葛藤を知ることができましたが
警備の方との雑談で
隣には関係機関のオフィスや店舗、土産物店の入る交流センター(展望台から太平洋が望めます)、温泉施設や
工事に携わる方のための単身者向け住宅があり、交流センターの飲食店やコンビニなど市場規模からして商売になるかとも思えますが
単身男性の住民が大半という人口構成といこともあり厚生のためにこれらの施設は必須でしょう。
帰途は双葉16時48分の682Mに乗りましたが千葉県方面に帰るとなると
いわきで31分待ってひたち26号に乗ると日立で682Mを追い越すものの
水戸から先は結局同じ448Mに乗り継ぎであり、そうであれば682Mで勝田まで行き
20分待ってときわ82号が最速になり、まさかの18きっぷでもないのに双葉から勝田までの普通列車利用となりました。
大半の住民が帰還していない原発事故の影響を強く受けた地域で5連は当然ガラガラで楽にボックスを占拠できます。
Jヴィレッジはサッカー業界関係者らしい乗車も数名あり、駅近くある広野から下校する高校生が乗って漸く普通の
ローカル列車らしくなりますが混雑には程遠く、いわきで3分の2が入れ替わるものの仙台以外の東北県庁所在地を凌ぐ人口を
擁する都市にしては地域利用が少なすぎる感じで、高校生も多くは湯本や泉で降りて行き県境では再び閑古鳥。
常磐線の主要駅のイメージが強い高萩での動きが少なく車窓から見る駅前も衰退著しいことが読み取れ、
並行するR6の整備水準が高いと言い難い(バイパス化されていない2車線路で日立の市街地流入部はいつも混雑)のに
鉄道も選ばれないというのは先の震災と原発事故で地域全体が衰微してしまったと感じます。
どっと乗ってくると予想した日立でも席が6割程度埋まるくらいで立派過ぎる駅舎を持て余していると感じますが
常陸多賀や大甕での乗車が結構あり立つ客でも現れ多くは水戸まで乗るようです。
勝田で乗り換えたときわ82号はえきねっとの予約画面ではガラガラなのかと思われましたが
直前予約が多いのか、土浦出発時で半分強席が埋まります。JREポイントがあれば720ポイントで乗れ
E657のアコモは上々で普通列車2本抜きですからひたちに比べて不人気と言われるときわのコスパも上々でしょう。
柏で3分の2が席を立ったのは想定外でこれほどの需要があるなら、夕方以降の上りひたちは停車させてもよいと感じますが。
仮にそうなると、いわき〜柏は200㎞に届かず1,280ポイントと更なる神対応ですしそれならいわきで31分待ってひたち26号にしたのですが。
福島浜通りでも大熊、双葉と富岡北部はまだ帰還困難区域ですから。R6を通るとわかるとおり、未だに脇道は封鎖されており、通れるところも検問所があります。R6に面した家屋の封鎖は無くなり、高線度区域を理由とした駐停車禁止の看板もなくなりましたし、空間放射線量も相当下がったとはいえ、0.1マイクロシーベルトはあるわけで、影響はほとんどないとは言いながらも他地域とは10倍以上の差はあります。14年という歳月が経ってもまだ影響は小さくないことを痛感しますが、さしものセシウム137も半減期の半分まで来ており、「正しく恐れる」ことでまず問題は無いでしょう。
帰還困難区域でなかった富岡南部や広野は廃炉工事などの需要に対応することで経済を再建しています。一方で北側の浪江や南相馬のうち小高区はそうした需要から取り残されている面が強く、政策的に研究、実験設備の建設もありますが、泥臭いなりに地に足がついた経済が見える南側との格差を感じます。そして原町区から北は仙台を向いた都市圏、経済圏として津波被害からの復興を進めており、別物のような感じです。
常磐線で残念なのは大野、双葉両駅を棒線化したことで、これで夜ノ森から浪江間の15㎞あまりでの交換が不可になっています。区間複線化されていた区間を含みますが、非常時の通路確保という大義名分で単線化されたうえに棒線化です。線路脇に道路を整備すればいいのにダウンサイジングというのは結局税負担と維持管理コストが嫌という本音が露骨です。ネットダイヤで30分は間隔が必要で、普通列車を特急が追い上げる(特急発車後に普通列車が出る)というダイヤを組もうとすると、対向側はさらに間隔が空くというわけで、1時間に1本見当より多くの電車は難しくなっています。
常磐線特急の「使えなさ」は常に感じるところで、水戸、勝田以外は柏からいわきまで毎時1本しか使えません。土浦はもっと「ひたち」を停めてほしいですけどね。特に土浦で分割併合のため長時間停車するのでひたち野うしくや龍ヶ崎市退避で、もう1本が土浦退避とかひどいですが、一方で土浦は普通の先着が多く(「ひたち」退避)、これも不便です。
それでもかつてのように水戸での乗り継ぎ通算があればいいんですが、単純合算ですから結局延々と水戸以北で普通に乗るケースが目立ちます。
全車指定席化による新料金体系はJR西日本のそれと違いメリハリがあって文句がないだけに、ダイヤが残念です。
特快ももともと神立以北には使わせない、という強い意思がありましたが、減便、停車駅増加とやる気がないです。「通勤特急」も減車減便ですし、じゃあグリーン車というと特急に比べてコスパが悪いわけです。企画商品があった時代は「神」でしたし、無くてもまだコスパは悪くないですから。
牛久あたりまではグリーン車に誘導したいんでしょうが、それじゃ遅いんですよ。特急で早く行きたいんです。都心側が上野ではなく東京、品川と延伸されたことで、特急の「価値」も上がっています。品川から牛久まで50分、そりゃ特急に乗りたいです。柏だって30分を超えますからね。
西武とJRの秋津連絡線活用による直通運転の報に驚いた翌日、より具体的なソースを掲げてJRがE657系を改造した仕様の夜行列車運行を発表しました。
なんと全車を個室車に改造という意気込みぶりで、編成定員は600人から120人と5分の1になります。
個室は1人用、2人用、4人用が用意され1人用と2人用は上級室も設定、運行区間やダイヤ、料金は未定とのことですが
グリーン車扱(寝台車としなかった理由が今一つ不明ですが昼行列車としての運行も想定しているか)ということで
WESTEXPRESS銀河と異なり時刻表に掲載される臨時列車扱い(1編成しかない以上定期列車は不可)と思われます。
未定とされている部分はアレコレ推測するのは鉄道ファンの楽しみですが、まず耐雪仕様への改造の有無が気になるところ
しないとなれば冬期は一ノ関以北や新潟県への運行ができず上野〜仙台間一択になります。一方改造する場合、しないとしても夏期は
電化区間であれば車両限界の問題がある中央本線方面以外は可能ですから、日本海縦貫線経由の青森発着もアリということになります。
パブリリックスペースとして立派なラウンジを設けるようで、寝るだけの運行時間では些か勿体なくJR東日本の範囲でそれなりの
長時間運転となるとやはり行き先は青森一択でしょうか。そして種車がE657ということでやはり常磐線経由の可能性が高く
まさしくゆうづるの復活ということになります。IGRや青い森の通過に関しては北斗星等で実績があり両社にとっては線路使用料が貴重な収入源でしたから
断られる理由はなさそうです。また全個室車とう構成から深夜の営業停車は行わないことが確実ですが、それ以外の部分の停車駅はどうなるか。
ゆうづるなど往年の常磐線経由青森特急はあくまで東京と青森や北海道の連絡に主眼が置かれ常磐線内は水戸と平だけというような必要最小限の停車駅でしたが
誘客のためやさほど高速性が求められないことを考慮すれば柏、土浦、日立くらいは停車させるべきであり、新幹線が並行しない
常磐線ルートで沿線発着の需要を狙うのが賢明といえます。ヨンサントウ以前、常磐線が北海道連絡の主役だった時代の柏は普通列車すら通過でしたから青森行きが停まるとなれば史上初となります。
もう一つ気になる料金の方はサフィールの個室車で採用されている完全室料制になると考えられ営業面でもそれが妥当といえますが
そうするとますますそれなら寝台料金扱いでよいのではと思えてきます。サフィールの4人室は11,200円ですが乗車時間を考えますと
それより高い設定になるのは当然ですが、願望を込めて4人室が2万5千円程度(実はカルテットと同水準なので良心的な価格)
2人室は1万5千円程度、1人室は9千円程度と予想してみます。
まあ2人室はデュエット、1人室はソロと同じようなアコモでプレミアム仕様の1人室もロイヤルよりは落ちる感じに見えますが、
昨今の社会情勢を考えればこれらより多少高くても受け入れられるでしょう。
価格面で言えば夜行バスと勝負する路線ではなく、バスが対応できないハイエンド志向の夜行需要の取り込みというのが狙いといえ
上野〜青森でも常磐ルートなら10時間なので「実用的な」夜行便として機能させることができますし、競合交通機関の価格が高騰する
最繁忙期なら少々強気の値付けも考えていると思われます。ただハイエンドを志向するのであればバスでは真似できないシャワーの設置があれば
なおよいと感じますが。
一方で収益面に目を向けますと定員が120人というのが辛く、1列車から得られる収益は相当強気の価格にしてそれが受け入れられたとしても
新幹線や昼行の特急には遠く及ばないというというのが現実であり、鉄道ファンが憧れるような夢の夜行列車を走らせるのはカシオペアの価格では厳しく
四季島の価格でないと算盤が合わないというのも真実であり、銀河同様に列車単独での採算性は追求せず
飛行機かバスかはたまた自家用車という層に鉄道という選択肢を提示することが狙いなのかと思えます。
西武とJRの秋津連絡線は面白いですね。ただ実需として多そうな所沢と大宮方面は新秋津構内でのエンド交換が必要で、エンド交換がなく進行できる府中本町方面は何気に国分寺への自社線ルートと被るわけで、南武線や武蔵野南線経由横浜方面が本命と、行楽列車の行き来になりますね。東武の栗橋連絡よりはコンパクトで日常的な直通になりそうですが。
ラビューの乗り入れを期待する向きも多いですが、地味に本数がある4000系を改造した行楽列車が出そうです。あるいは置き換えが迫る「小江戸」のNRAの残存編成を活用か。
JREが貧富両極端な施策を発表しましたね。
夜行はJRWの「銀河」のようなエコノミー席がない仕様というのが強気ですが、グリーン個室で夜行というのがどこまで受け入れられるか。かつてのJRCのユーロライナーや「銀河」のクシェットのように事実上の寝台車、という仕様ならいいんですが、座席然としていたらどうか。いや、それが受け入れられれば夜行なんて、座席夜行なんて、という事業者無謬がまたはしごを外されますが。
そしてJRE版青春18(乗り放題きっぷバージョン)というのんびりきっぷ。青春18でも北東でもないけどほとんど価格差は無いし制約だけは一番きついという商品ですが、超繁忙期以外の全日有効というのは太っ腹です。青春18と週末パスとキュンパスの最大公約数的商品ですね。平日旅行の誘発になりますし、いつでもとなれば有給取得のハードルも下がります。
これで青春18の命運も、という声も聞こえてきそうですが、青春18よりも北東との棲み分けが気になるわけで、約3割高いが期間は倍以上、エリアも倍とは言いませんが北海道や三セク付きで、料金別払いで北海道新幹線も、とコスパが段違いです。約3割高いけど値ごろ感という意味では同じ水準といえますし。
青春18や北東の期間を外しての発売でよかったと思うのですが、まさか北東も含めて置き換えとなったら厳しいですね。
そうそう、秋津連絡線でディズニーランドへ一直線、という妄想が溢れてますが、有楽町線直通で新木場に行って2駅ですが・・・
京葉線東京開業前は立川から武蔵野線経由舞浜行きという「メルヘン立川」という快速がありましたが、東京開業であっさり消えましたね。167系グリーン車発生品座席のアコモ車で全車指定。むさしの号ルートで武蔵野線に入り、東京外環状線を半周以上回っていました。なおこのグリーン車発生品のいわゆる「メルヘン車」はさすがに救済臨には基本入らず、よほど需給がタイトにならない限り入りませんでした。(湘南色以外の応援は通常は簡リクのアコモ車。運が悪いとボックスのモントレー車)
もちろん大回りルートの臨時もありましたが、中央線松本方面の夜行で、大回りしても時間調整のうち、という列車でした。
のんびりきっぷが9千円ということで秋の乗り放題パスが価格据え置きという僅かな希望は消え失せました。
週末パスの後継商品と見る向きという頓珍漢な論評がありますが、そうであれば
有効範囲を関東甲信越、南東北三県までとする代わりにエリア内の週末パスで乗れる関係私鉄、3セク通用
新幹線or在来線特急は特急券購入で1回限り利用可という条件で3日9千円ならまあ評価でき活用したいと思いますが
これでは北東パスの劣化版でさえない、尤も北東パスも社会人になると7日の連続休暇なら海外に目を向けてしまい
東北や北海道への旅行に費やすのはお金ではなく休暇の機会が勿体ないと感じてしまう方が多いでしょう。
学生時代には5日有効ではなます自由席が無条件利用可の時代、現在と同じ効力になった時代双方で一度ずつ北東パスを
使用しました。当時は北海道内の普通列車のダイヤが今よりはずっとまともでしたし普通列車も悪名高い701系の一方で
くびき野や妙高のようなサービス列車、自由席なら追加料金不要のリゾートあすなろなどがありましたし
仙台からリゾートみのり、きらきらうえつ、くびき野を繋いで乗った際はJR-Eは何と良心的なと感じました。
1回目の旧制度の時代に利用した際ははまなす4連泊という猛者に出会い仰天したのですがあの方は今どうしているのかと思います。
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週末パスというか遅れてきた三連休パスにおける土日きっぷの週末パス化の劣化バージョンです。
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休むという意味では超繁忙期以外の毎日というのが強く、週末パスを何でもない週末に使えたのに比べてそれ以上の効果があります。もちろん1日4500円分で2日でおしまい、というのは、速達列車が乏しく首都圏以外では本数もイマイチのJRE管内で元が取るのは困難ですが、有休が取れて3日間ならまあ悪くは無いでしょう。他社ですが「ずらし旅」のコンセプトです。
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欲を言えば何かしらの制限があっていいから、新幹線や特急の料金購入での利用可を追加してほしいですね。
磁気券に実装できるかは不明ですが、1日2回まで100㎞以内の利用は可能とか。別紙に記載(発券時に別紙も挿入して「替」のような感じで記載とか、手書きで記載とか)という感じで管理は可能なはずです。
神戸からの遠出となるとSKYで金曜夜便で目的地に入り、土日をかけて回り神戸に戻るか、日曜夜便で帰るという感じですね。仙台、新千歳、長崎が使い勝手がいいです。時間的には鹿児島線も有力ですが、鹿児島空港からの足がないので高くつくので使えません。2日だと広域フリーより現地特化型のフリーですね。あるいはベタに個札。買い方次第で目くじらを立てるような高くつくこともないですし。
長距離フェリーは乗るだけでいっぱいいっぱいなので行程が組みづらいです。太平洋フェリーは閑散期の割増なしの時期に上級船室を取れればコスパが高いですが、名古屋まで新幹線で苫小牧から札幌近郊を少し回る程度で新千歳から帰って金曜そう半休で2泊3日という感じ。
何回か乗ったのは東京九州フェリーで、東行きだと金曜夜の新幹線で間に合い、土曜夜に横須賀について千葉に行けて、月曜早朝便で帰るというパターン。西行きは新門司到着後移動できる先が狭いので1泊したうえに飛び飛び型の青春18なき今は神戸に戻るコスパが悪いです。東行きは新幹線代がかかりますが、西行きはそれにホテル代が単純加算のイメージです。
新日本海フェリーは苫小牧東港の使い勝手の悪さが気になります。寄港便を使ってみたいのですが、南千歳土曜17時50分が微妙に中途半端なのと、敦賀月曜5時半着が早すぎというよりもっと早ければ朝の新快速でそのまま出社できるのに、というヲタな悩みが。新潟で降りて高いけど空路という手もありますが。
舞鶴-小樽便は北行きは退社後連絡バスが絶妙ですが、小樽着が遅くて微妙。南行きは小樽発が遅くて効果的ですが、舞鶴着から三宮行きバスはあるけど遅延時の不接を宣言しており、万が一の時は深夜の舞鶴で投げ出されるリスクがあります。
鉄道に正直食指が動かず、長距離フェリーが魅力的に見える今日この頃ですが、日数がかかるだけに踏ん切りがつきません。
唯一東京九州フェリーは東行きが乗りやすいのですが、値上げしてしまいました。
R16を延々とと言うのは案外需要がないわけで、旧沼南町にしてもR16経由の阪東に対し、旧道経由の東武がきちんと需要をつかんでいます。また勝田台から米本団地経由の小室行きにしても消えましたからね。
国道経由でという需要で最も期待できるのは通学輸送ですが、秀明にしろ松陰にしろ英和にしろスクールバスがありますから、一般路線バスとする意味があまりないです。R16はもともと何もないところに作った新道なので、「沿線」の需要があまり期待できません。米本団地やこてはし台のように駅から団地や学校を結ぶというようなスタイルでないと無理ですね
船橋市長選が今月ありますが、8日に開催された立候補予定者による公開討論会でまず論点とされた市内の道路交通の問題で、各候補の回答は「ダメだこりゃ」というしかないものでした。
千葉県北西部、特に船橋市の道路交通の貧困さは我が国でも特異的なダメダメさですからね。
政令市以外では人口最多の規模という「称号」をもつ船橋市でありながら、道路事情は劣悪の一言。まさに喫緊の課題ですが、各候補ともこの問題に対する具体的解決策を持ち合わせていません。満足な道路がない、あるいは小手先ではあるが右折レーンなどの施策もない、という課題に対する回答がないわけです。唯一幹線道路の整備を訴える候補がいましたが、国や県に働きかけていくという人任せのスタンスです。確かに国道や県道が問題ですから管理者に働きかけていくしかないのは事実ですが、そんな百年河清を待つようなスタンスでは22世紀になってもできません。市が権限を持つ、言い換えれば市が責任を負う政令市に準じるといって良いくらいの都市規模を持つ船橋市の市長になるというのであれば、もっと主体的に、具体的に行動しないと話になりません。
住宅地化した地域に子供のお絵かきのように地形も無視した予定線がまっすぐ引かれた都市計画道路をどうするのか。
物心ついたころから変わらない計画、進まない計画を横目に歳を取った市民が人生の終焉を迎えてもなお完成どころか着手もできない、という船橋市の都市計画に誰も責任を取ってくることがなかったわけで、それに対する姿勢もみせない候補では話になりません。
船橋の道の貧弱さは千葉北西部の中でも屈指で、新しい高規格な道も周辺より少ないのもあって見劣りが半端ないですが、結果的に低規格な道でも空いている時になれば速度だけは出ていたりするのですが、片側1車線ですらない、いわゆる生活道路でやるとかならまだしも、よくあるはみ出し禁止ありの片側1車線の道で移動オービスをやっているようです。
高根小の隣の公民館の前で桜ヶ丘方面に向けてやっており、場所的にGH方面との交差点を過ぎて間もない位置で、右折車の寄せが甘かったり大きかったりすると心理的に「回復加速」したくなる位置にあり、おそらく小学校の目の前という大義名分はあるにしても流石にやり口が汚すぎるように思えます。
高根小のところでですか。あそこ30㎞制限ですかね。だとしても20㎞オーバーも難しいように思えるんですが、船橋署はよほど暇なのか。
神戸市内、特に都心部の臨海部ではまっすぐで中央分離帯完備の4車線道路でも「市内全域」の補助標識を付けて40キロ制限で入れ食い状態とか、右折レーン、右折矢印信号完備の交差点で1ヶ所だけ全方向転回禁止で脇道側で待ち構えてるといった「取り締まりのための取り締まり」が横行していますけどね。そのくせ左折するパトカーが横断歩道を渡ろうとしていた歩行者を待たずに曲ったとか自分に甘すぎます。
八千代でも、東葉高速のメトロとの合併を謳っていた現市長は5月の選挙時には通学定期の補助とだいぶトーンダウンしてました。
現実的でない案だとようやく気がついたんですかね。東葉高速は線内利用だと確かに高いですが、都内駅までだとそこまで割高感はないので。
また京成沿線の活性化や再開発も公約にあげてましたが、こちらも具体的な案はないです。あっこっちも八千代台駅の高架化して緑が丘のようにすると初当選時言ってましたが
費用便益の観点から出来なかったようです。初電、終電をコロナ前に戻すよう京成へ要請とか現実案を出してほしいです。
船橋市長選で現職に挑む格好で元首相が推す候補が出ています。元首相同様松戸線沿線側の地盤であり、旧市街側の勢力とのせめぎ合いという格好です。とにもかくにも地元で絶大な支持がある元首相の支持があるというのは大きなアドバンテージですが、市議としての経験はあるが市長に足る手腕があるかどうかは未知数です。元首相にしても県議から代議士と議員としてキャリアを積んできたわけで、満を持しての格好で行政の長としての首相になっています。
その絶大な支持がある元首相ですが、ここにきてその政策がどうも微妙です。立民の政策自体が微妙過ぎますが、リベラル系保守派としての安定感があったわけで、旧民主党政権時代でも宇宙人や自称原子力の専門家とは一線を画していたのが嘘のような状況です。
個人的な政策、政見ではなく党としての方針というのかもしれませんが、保守だとしても「右の売国」とでもいうべき政策が並んでいますね。皇位継承で女系継承を容認しているのは決定的に支持できませんし、選択式夫婦別姓にものめりこんでいます。そういったイデオロギー的な話よりもダメなのが年金制度改革で、厚生年金の流用もさることながら遺族年金の大改悪があるわけで、いったんは上程を断念しかけた政権与党の背中を押して上程させたという一点をもってして最悪の行動といえます。
制度改定がある2028年度に30歳未満の国民に影響だからと有権者の多くは無関係ですよ、と他人事にしていますが、子供たちの世代を直撃するわけで、30歳以上の未亡人は終身年金が5年のみと、平均寿命を考えたら期間、すなわち支給額総額が1割未満になります。まだ30代ならやり直せますが、中高年だと非正規が関の山。晩婚化で子育て真っ最中ですから、中高年で子供が18になって支給停止となったらどうするのか。一億総活躍、死ぬまで働け、ということですが、それを支える次の世代を誰が作る気になるか。こういうメリットも、と謳う内容には所得制限の廃止とか、富裕層がますます富む内容です。
与党ですら上程を一時は躊躇うほどの内容を元首相が出したわけです。厚生年金の流用もひどく、社会保障と税の一体化の比ではない改悪です。
俗な言い方をすれば、元首相もヤキが回った、というところに見えますね。
JR4社がコメの販売を始めるようですが、自社サイトで予約、という誘導もさることながら、ポイント還元で実質・・・という毎度の「釣り」が目立ちます。ポイントだから自社で使わないと意味がないのはもちろん、そのポイントを誰が負担しているのか。結局eコマースの参加者に負担させて、というありがちなやり方だったら文字通り「人のふんどしで」となります。
備蓄米の随意契約に参入していますが、餅は餅屋じゃないですが、コメを普段から扱っている流通事業者に任せればいいんですよ。会員になってeコマースで、という囲い込みじゃなく。
高根小と公民館のあたりは桜ヶ丘側から来れば信号に引っかかるまいと加速するのは多いですし(今はスクランブルなので歩行者信号を予告代わりに使えない)、逆は逆で下り坂に入るまでに流れの早い時のr288並みの速度に気づいたらなっているパターンはありますからね。
一昔前の実用車とかそれこそ背の高い軽のような車重の割に出力が微妙な車種ならともかく、そうでないのなら特に引っ張らなくても案外簡単に達しうるので、まあやはり暇というか手軽に手柄が欲しいんでしょうね。
ちなみに緑台の交番にいるパトカーもパトライトの上が若干仰々しいのが止まっていることが多いですが、中に詰めているわけでもないのでおそらく巡回や交代の道中で噛む気なんでしょう。
そのくせ都内ですらようやく重い腰を上げた自転車だったり(それでもまだまだ不十分ですが)、夜に出没するいわゆる珍走は野放しですから、噛んでも楯突いてきにくいのを選んでもいるのでしょう。
しかし都市計画道路とかどうする気なんでしょうね。
たとえばr288の三咲界隈だと滝不動方面に抜ける道との間に線が引かれていた気がするのですが、それこそここ二十年以内にできた宅地がモロに影響を受けるわけで。
これならまだr288の全線片2化とかのがまだ幾分か現実的そうな気がするところです。あとは船橋市内なら三咲・高根木戸・習志野・前原あたりの松戸線連続立体化とか。
新京成時代に恒例だった高校野球県大会トレインが今年も実施されます。8800系1編成が対象とのことですが、松戸線になっても独自企画としてやるんですね。いちご狩りは変革期ということで京成グループ全体という建付けで継続していましたが、なしとぶどうもやるでしょうね。ただ「京成松戸線」と言いながら現場では「松戸線」の表示を見ないだけに、いつまで松戸線だけ、というような企画が残るかです。なしにしても京成全線で見れば市川市がありますし、グループ全体で見れば白井市も入りますから。
船橋市長選に先立ち実施された松戸市長選は松戸氏が当選しました。
この段階で松戸市の松戸市長と船橋市の松戸市長が併存という非常にややこしい事態になっています。
船橋市長選で現職が落選すれば単純化されますし松戸の松戸だけになって分かりやすくなりますが(爆)、そのために落選してもらうというわけにもいかないわけで、どうなることやら。元首相が推す立民候補も地元でも知名度は限定的で、全市で知られているというと微妙なところがありますから。
船橋の地道はあまりスピードを上げる気になりませんし、けっこう飛ばしていると思ってもスピードが出ていなかったということもしばしばというくらい道路事情が悪いです。高根小のところでネズミ捕りとなると、瞬間最大風速で捕まえていますよね。昔首都高の出口ランプの下り坂でネズミ取りをしていて取り締まりのための取り締まりと批判を浴びて警察トップがそういう取り締まりは不適と答弁したことがありましたが、まだやってるのか、というところですね。
船橋の渋滞ポイントでダメダメなものはありすぎてセレクトしようがないレベルですが、その一つにR464の小室付近があります。まず東行きがR16とのジャンクション部分で車線変更不可となっているため、R16内回りから来たクルマが左車線を進むしかなく、その先でのR16外回りからの合流を含めて「壁」になっています。合流連続箇所のSカーブを危険とみているんでしょうが、普通はそこを黄色線の左側に白破線を引いて左から右への車線変更を可能にするのですが、もう何十年も変化がなく渋滞するに任せています。
西行きはジャンクション自体がないのですが、小室交差点方面への分岐の線形が悪く、著しい減速をしないと底を擦るという感じです。ここで左折の流動が多いだけに、順調に左折できるような線形改良、出来れば左折車線が必要です。このあたりは北千葉道路西側の専用部の終点と絡みますが、専用部から一般部に出てから接続する格好になるはずで、ここを改良しないとさらに悪化しそうです。
忖度メディアに総武線が市川付近まで迂回する理由に行徳の舟運業界の反対が原因と出てましたね。
確かに明治期の「通運丸」時代の行徳、野田、関宿、銚子航路との競合はあったでしょうが、行徳の「本丸」ともいえる部分は通らないわけです。行徳の舟運は昭和に入るまで続き、大戦直前の燃料統制で廃止されるまで続いています。
まあ総武線が旧行徳町の放水路以北(以東)エリアである大洲や大和田も見事に避けているので行徳町が反対したということになっているのでしょう。
一方で地形を見れば現行のルートは至極当然です。そもそも江戸時代の房総往還、佐倉街道までひも解いても市川での渡河ですから。千住で日光街道から分岐して今の京成線に沿う格好で市川橋付近に至る佐倉街道に対し、両国橋から東進し、小松川から市川橋に向かう現在のR14のルートが江戸時代中期に確立しています。どちらも江戸川区中南部を避けていますが、要は江戸川(利根川)と中川に挟まれた低湿地帯の回避です。行徳自体が江戸川左岸に張り付くような集落で、浜側は塩田です。その河口付近に開けたのが今の浦安で、砂州の標高が高い部分に集落が出ています。
中川が高砂付近で真っ直ぐ南下する新中川になる前は見事に蛇行して東京湾に向かっており、もともと武蔵と下総の国境だった両国橋というくらいの街外れが本所など市街化していますが、旧中川のところで途切れます。総武線のルートが迂回を始めるのはまさにそのあたりです。近世以前の街道は市街化する前の墨東地区を避けていたのが、市街化で街道が通っています。
市川橋付近への迂回をしなければ今の京葉道路のルートに近くなりますが、国府台付近まで広がる北総台地が消えて河道が広がっているエリアです。旧行徳町最北端は今の市川市大洲ですが、その名の通り砂州でした。明治後期の水害で江戸川放水路が建設されるような水害常習地でもあり、明治期の技術でこのルートはあり得ません。
なおもし直進ルートで総武鉄道が開業したとすると大災難というか大試練があったわけで、1917年のいわゆる「大正6年の大津波」(高潮)で大被害を受けていたでしょうね。当時市川駅南口も浸水したという記録があり、相当な区間が高潮で壊滅したと思われます。この時に行徳塩田が大被害を受けて衰退して昭和初期の塩田整理でいったん消滅し、戦時期に国産塩確保で細々復活したものの1949年のキティ台風でとどめを刺されています。ちなみに浦安は今の元町地区しかなかった時代で「大正6年の大津波」では全町水没という大災害になっています。
迂回の説明としては、軍関係の利用を念頭に置いたというほうが正しいでしょう。
国府台に教導団(下士官養成学校)が置かれ、また戦後国立病院となって今につながる陸軍病院もありました。当然習志野原の騎兵関係の諸施設や佐倉、四街道の部隊関係もあったわけです。
余談ですが、習志野原エリアは台地ですが、低地については水害リスクがあります。首都圏においてはこの「大正6年の大津波」「キティ台風」のほか、利根川本流が決壊した「カスリーン台風」については記憶しておくべき災害といえます。なお利根川放水路計画の中止は利根川の計画高水量を数合わせで賄えるとしただけで、花見川など数合わせでも足りない箇所があります。
松戸線連立ですか。妄想として前原を出て地下化して成田街道を交わし、JR津田沼駅直下に入り、そのまま京成津田沼に向かうというルートを考えたことがあります。新津田沼の(当時)新京成のビル群の価値を下げるから無理とは思いましたが、その旗艦格のヨーカドーが閉店したし、津田沼の徒歩連絡がガンですから思い切ってもいい時期かも。
地味に効き目があるのは三咲駅前後。ただここは三咲駅西側の十字路改良で解消できそうですから、そっちがベストか。
高根公団から高根木戸を連立化したうえで駅統合というのも面白いですけどね。長年閉店のうわさが絶えないイオンがなくなったら駅の存在意義がかなり減ります。バスも松が丘に行かなくなりましたし。ただここも道路側は頻繁に赤になるイオン前の横断歩道であり、連立化までするようなものでもないです。EV付の歩道橋にするほうが安くて実効性があります。
暫定税率の廃止法案を審議を全くせずに廃案にしようとした衆院の委員長が議決解任されて
野党の委員長にという前代未聞の時代が起こりましたが、これを与党側が数の暴力と非難するのは
ブーメランでしかない辺り来る選挙がますます不穏になってきたといえます。
法案の是非は各種議論があり提出案の7月1日施行は実務が間に合わないという与党の主張は全くその通りであり
野党側もこの法案がそのまま成立することを意図していないのは明白ですが、一連の動きは選挙前の野党側作戦勝ちといえます。
管理人様がたびたびブログで指摘しているように本来であれば一般財源化した際に暫定税率部分を取りやめるのは税の基本からいえば
当然のことであり、当初暫定税率廃止をセットに主張していたのを引っ込めた公明党、後に政権奪取後に旧民主党がトリガー条項を付与した上での廃止をした筈が先の大地震対応での財源確保というやむを得ない面があったとはいえ
無期限凍結という悪手を打ってしまったことは後継政党の立憲、国民両党とも反省すべきことです。緊急時対応のカネを出す話では頻りに既得権化させるなと叫ぶ
財政健全化論者がこの対応にダンマリというのは嗤えることであり、トリガー条項凍結は3年ないし5年というような有期としておくべきでした。
当時と異なりガソリン以外の燃料で走る自動車が増えつつある今燃料課税の比率が高いことが公平性の観点から問題となることは明白であり
車体課税の方に比重をシフトさせるのが妥当ですが、今後の社会構造の変化を考えますと交通需要、建設業界の労働力双方で従前の同水準であることを
前提とすべきでないことは間違いなく暫定税率廃止とのバーターで道路整備計画の大幅な見直しが不可欠です。
もちろんまだまだ道路整備が必要な箇所は全国に数多くありますが、真の理想を求めた場合大都市の都心部は大半が道路になってしまいかねず
どこまでの水準を求めるのか、それが至極便利と言い難い物でも受け入れられるのかどうかということを考えなければいけないことは間違いありません。
松戸線連立の候補として鎌ヶ谷大仏の木下街道との交差点は効果的だと思いますが
いかがでしょうか?
このような道路整備も全国の計画を各論で考えると議論百出になってしまうわけですが、
長年課題になっている大型プロジェクトの代表格といえる新湾岸道路は1高架建設案、2地下建設案、3現道改良案が
掲げられました。結論としては1は環境や景観、航路支障などの課題が多すぎ、2は建設費用が莫大すぎ
どちらにしても千葉市や市原市から浦安市以西への通過流動を引き受けたとしても現状で東関道を通過している分がシフトするだけで
費用対効果も疑問なため、現実的には3一択でしょう。
R357は近年確実な改良が進み、塩浜立体も躯体が出来上がってきましたし千葉西署入口〜稲毛浅間神社のオーバーパスも計画がありますから
あとは船橋市内の4連信号部分の抜本改良となると連続アンダーでしょうか、これは相当な難工事ですが全くの新道建設よりは遥かに安上がりであり
ここまでやればこれをもって京葉間の道路は完成という判断を受け入れるというのが落としどころでしょうか。
あとは北千葉道路が全通すればその間の住宅地域は問題は多々ありますが強制クリアランスでもない限り抜本的な改善は望めず
小改良と社会の変化による交通需要減による改善に期待というのが現実的な解になるといえます。
松戸線立体化で鎌ヶ谷大仏近辺、は木下街道が相変わらず詰まる問題には多少はよさそうですが、木下街道に交差する道も、と考えると焼石に水感もします。
船橋にもやる気があれば三咲と滝不動の間ぐらいまで引っ張ってもよさそうでしたが、そうでない場合で初富から鎌ヶ谷大仏まで引っ張っただけとかだと地上に戻るあたりで越境してしまう、とかもありえたかもしれません。
それを防ぐために北初富の逆で木下街道の北側寄りに駅を移そうにも、いくら道の真上でもホームが作れるとはいえ事実上一体化しているバスの車庫の兼ね合いもありそうですし。ホームの長さありきの奥行きでしょうから、そこまで考えるとまるっと北側にあった方がよくなりますが、影響範囲の広さ的にも大掛かりすぎでしょうね。
これがもし三咲を南側にずらすと想定した場合だと、r288の真上にホームを作る半ずらしでもr288の南側に集約する全ずらしでも、西側はモロとしても東側に関してはヤオコーと昔コンビニの入っていた雑居ビルぐらいで影響を抑えられそうですが。
東西線の混雑問題に関する記事が出ていましたが、まあ表面をなぞっただけですね。
南砂町の2面3線化はカネをドブに捨てるような対応というのもわかっていない。電車の渋滞が問題ですが、その根源は茅場町から大手町までの3駅連続主要ターミナルの連続でそこが1線しかないから客扱いと信号開通待ちより詰められないし、それがダイヤ上の運行間隔以上になることもしばしばということに目を瞑った対応だということ。2線化するなら本来は東陽町であり、茅場町でしょう。茅場町にバッファーがあれば、その先日本橋と大手町はそれなりに降車した後なので停車時間も短くできますから効果は大きいですし。
過去の分析では東西線の西船橋延長は総武線のバイパス以上の目的は無かったわけで、製塩業が消滅したあとはレンコン畑(泥田)が広がるだけの行徳地区に需要はありませんでした。当時の新京成沿線のように住宅公団が開発するということもなかった時点でお察しでしょう。なお東西線の西船橋開業は行徳の製塩業が完全に終焉したキティ台風から「わずか」20年後で、歴史のように見えてそうでもないのです。(行徳航路の終焉からも四半世紀しか経っていない)
あとは設備投資をケチった末路ということ。西船橋開業時には複々線を想定した設備であり、上下線(AB線)とも外側にもう1線作ることを想定していました。原木中山と葛西の待避線構造は内側を優等線とする複々線化に対応していましたし、妙典になった下妙典信号所もそう。行徳は2面4線化を想定した構造ですし。国鉄の「五方面」と同様、大手私鉄各社も複々線化を都市交通審議会における地下鉄計画とリンクさせて進めており、東西線(東京5号線)は営団単独事業ですが、当然輸送力増強は想定内のはずでした。
黎明期の問題よりも重大なのは営団が民営化されたことで首都の公共交通整備という使命を放棄したこと。公共として整備された既存設備でいかにして稼ぐかというネコでもできる経営に閉じこもることを許した運輸行政の失政です。2008年の副都心線開業で大規模整備は打ち止めということを許したことと軌を一にして東西線の改良工事も減速しています。九段下の改良もどこへいったのやら。
湾岸道路の船橋区間ですが、R357本線をアンダー連続にすると5㎞の壁が出てきてタンクローリーなどの通過が出来なくなります。ですから基本は交差側の立体化で処理するしかありませんが、それでもR357本線の支障時間が劇的に短縮されれば渋滞の削減、消滅は可能でしょう。アンダーと河口部架橋やオーバーパスへの上り下りがサグになって期待したほどの効果が出ないリスクはありますが、それでも現状よりはマシです。それこそ道路財源を「復活」させて年間6兆円の資金を優先的に集中配分すれば早期完成は可能ですし、渋滞による損失を考えたら早期に回収できるといえます。
栄町、日の出はアンダーで、浜町2丁目、若松は交差側のアンダーという感じでしょうか。後者は本線側の支障を最小限にするため右左折レーンの拡充による交差点通過台数の極大化。浜町2丁目と若松間は片側3車線化を実現したいところです。
船橋市域以外での様子を考えると、新湾岸道路を巨費をかけて建設するまでのことは無い気もしますから。
鎌ヶ谷大仏の木下街道がありましたね。くぬぎ山のR464も地味に渋滞ポイントですが、北千葉道路が出来ればそっちに移行する流動ですから。ただ鎌ヶ谷大仏は連立で巨費を投じるくらいなら、交差点改良でしょう。r59本線を踏切手前から井草の先までアンダーにして通過流動を逃がし、かつ西白井方面との合分流と輻輳も分離すると。同時に鎌ヶ谷大仏交差点を全方向改良することは必須です。(特にr59からは右左折流動がメインになる。西白井方面とは直進流動もある)
バス関係は「側道」経由になり、踏切除去もできませんが、連立のコストと工期を考えるとこちらのほうがマシかと。
そもそも燃料関係の税金も軽油だけ地方税であとは国税、しかもガソリンに至っては事実上の二重課税ですしね。
以前ナンバーの話題になった時にすべて陸運局に一本化すべきというのがありましたが、税金についても登録車は国税でそれ位が地方税というのがありますね。この辺も一本化した方がよさそうです。
加えて、車関係の税金は固定資産税とは逆進的な経年課税なのも問題ではありますが。コロコロ乗り換える手合いは仮にこの辺が是正されても変わらなさそうでしょうし。
道路特定財源の問題、そもそも道路整備のための目的税の一般財源化という「ネコババ」が税体系全体にあるのに加え、道路整備の実を上げるために税率を上げるという「暫定税率」の上乗せを一般財源化の際に継続したという「ネコババにも程がある」という状態が、悪代官でもそこまではしないというレベルになっています。しかも消費税導入時に道路財源の税金部分に課税と、二重三重の課税となっており、「百姓と護摩の油は・・・」をモットーとした江戸時代の老中ですら「網してまた網する」二重課税を否定していたことを考えると、およそ近現代の政府とは思えない状況です。
暫定税率の廃止も魅力的ですが、道路特定財源としての復活と道路整備の加速化、そして配当などの外部流出を筆頭にした不合理をもたらす民営化の中止のほうが国民生活にとって効果が大きいです。国が全株式を持っている状態ですから株主の意思で収公することに反対する人はいません。株を割り当てられて一儲けを企む金融市場に気を遣う必要などありません。
減税を期待している人には悪いですが、年間6兆円近い収入です。道路整備、維持管理など「道路財源」として確保すれば、高速道路、有料道路の償還や値下げも可能ですから、多くの国民が直接間接のメリットを享受します。
民営化で安くなるどころかETCの割引が改悪されています。高速道路整備も「新直轄」として税金がつぎ込まれていますが一般財源なので制約も大きいです。道路の維持管理も明らかに予算不足で、最近必死になって積雪時の立ち往生ガー、と言っているのも、そもそもその昔は性能の高いスタッドレスなどなかったわけで、除雪がしっかりしていたから走れていたという当たり前の話を無視しています。予算不足で利用者側に対策を転嫁した結果の破綻といえますから。
「カシオペア」引退記念の商売が盛んですが、車内で提供された弁当の「復刻版」が限定で販売されます。
まあそれはいいんですが、内容を見るとうーんとしかいいようがないですね。外法12センチ強の立方体に近いサイズで都合3段重ですが、まあ小さめです。この時点で税込8100円(本体7500円)ってどうよ、という世界ですが、じゃあそれに相応しい内容かというとこれも微妙です。
「トワイライトエクスプレス」向けに作られた有名な金沢駅の加賀野立弁当が税込1万円(本体9260円)の弁当として世間を驚かせましたが、老舗料亭の大友楼の作で、名物治部煮も入っての内容、しかもお値段が1.2倍強なのに容積は「カシオペア」の倍以上ですから、満足度という意味ではどうなんでしょうね。少なくとも水菓子までついた金沢のほうが料理としても圧倒的に見えますが。ちなみに今でもこの弁当は注文販売をしています。
「カシオペア紀行」も行程のあれこれを分解して考えると、特に食事は相当ボッているとしか言いようがない値付けでしたが、弁当もやっぱりという感じだったんでしょうか。まあこれは食事付きの「紀行」ではなく一般列車としての運行時だったんでしょうけどね。
まあそれでも万博会場の「究極のえきそば」のように、税込3850円(本体3500円)と驚きの価格ながら実食すると満足感が高い、というものであればいいんですけどね。さらにはかつてフレンチの有名店で1人15000円のコースがワインのフルボトルと食前酒を付けて税サ込みで1人当たりで倍近くなって目を回したことがありますが、その時も料理やワインなどは満足度が非常に高く、それ以上の店に出会っていませんが、そういう一期一会になり得るんなら文句は言いません。
京成電車が地味だが好調という記事が出ていましたが、まあ渡航客という全区間を使う金脈が大きいですね。
そして千葉線以外は必ず著名な寺院があるお参り電車というのが創業時からの強みです。押上も元々は浅草狙いでそこには浅草寺、最初の目的地柴又は帝釈天、成田はもちろん新勝寺、上野線なら寛永寺と、そりゃ特急が「開運」、急行は「護摩」となるわけです。
船橋逸走問題はありますが、一時期ほどじゃなくなってますし。ただ独占区間である八千代、佐倉エリアの足腰が弱っているのをどう立て直すかですね。同様に明石逸走があり東播の独占区間で稼ぐという山陽電車は東播の事業所需要を囲い込むべく特急やS特急の特化を進めていますが(荒井、白浜の宮や別府への停車と朝下り、夕上りS特急の設定)、こうした取り組みが京成に見られません。
スカイツリーに浅草寺とインバウンド受けするスポットと成田空港という送り込み関係にあるのも大きいです。
あとは鉄道ではないが結構業績を下支えしているであろうのがバスでしょうね。LCCバスに加え、湾岸道路経由の羽田系統とアクアバスがありますから。一方で不動産や流通でパッとしなかったおかげで深手を負わなくて済んでいます。
車や燃料に限らず嗜好品の類とかもそうですが、正直消費税が二重課税でなくても載っていることが納得しかねるところです。額はともかく、消費税分までそれぞれの税だけ、だったらまだ納得いくといいますか。
たとえば、車や燃料関連だけでなく運賃の類も消費税から道路特定財源の別の税のみにするとか。まあ道路と銘打ちながらも鉄道とか海・空には使ってもいいとは思いますけどね。
京成電車といえば京成千葉中央駅の時刻表で松戸行が20分間隔で記載されてましたが
相互直通運転を開始したのでしょうか?
>>844
新京成時代からの片乗り入れのままです。
ありがとうございました
船橋市長選は現職が圧勝しました。対立軸は医療センター移転問題くらいとはいえ、従来のような明らかな共産候補もいないことから批判票を対立候補が集めやすい構造だったのですが、ほぼ半分を現職が集めています。
自民党から県議に出ていた候補は保守分裂を招きかねませんし、立民候補は地元で絶対的に強い元首相が推していたんですが、立民候補が現職の半分程度と、現職が圧勝です。これで松戸と船橋の市長が松戸さんというややこしい状態が当分続きます。こうなったら合併でいいじゃないか、といいたくなりますが、松戸と船橋は接していないんですよね。市川、鎌ヶ谷、白井が間にあります。
立民候補の結果は元首相をしても立民として押し出すと支持が伸びないとみるべきか、近時の政策で元首相自体の支持に翳りが出ているとみるべきか。同日の都議選でも立民は議席を伸ばしましたが、自民の議席減はもっぱら都ファと国民が獲得した格好です。野党第一党である立民の伸び悩みは根強いアレルギーに加え、国民のようなわかりやすく利益につながる政策を打ち出せなかったことでしょう。正論で利益誘導で動く有権者の票を失ったというより、年金問題など直接的な不利益が見えるからといえます。船橋市長選もここでしょうね。現職に対する多選批判で若い候補を立てましたが、通常ならかなりいい線を行く選挙手法が通じなかったですから。
いよいよ「ポスト青春18」が出そろいました。
JRCが「JR東海☆夏の乗り放題きっぷ」を2日間3900円で発売です。ただしEX予約で熱海〜米原間に到着して、予約画面から連動するe5489での購入とハードルが高いですが、発地を限定していないので、三河安城→名古屋で成立するようです。
なおエリア外から見れば、東側は小田原→熱海の自由席、西側は京都→米原の自由席で成立します。なお受け取りは熱海、米原、亀山以外の境界駅では受け取れません。
7月19日から9月10日(有効最終日)までの通用とまさに青春18とかぶせており、青春18代替商品という色彩が強いです。
EX予約縛りが厳しいですが往路のみの制約で、実はこの制約、「ふじのくに・・・」の各企画券と同条件で、けっこうお値打ちな商品なので、このシリーズが今後出てきそうです。
関西圏だと朝一の「ひかり」に京都からでは大阪周辺からしか乗れませんが、新大阪からで払えば可能。30分後にも「ひかり」はあります。東京へ向かい、翌日折り返すとか。米原から特快浜松行きに連絡なので、東京着は14時20分頃。翌日の出発も遅めにすればなんとか東阪間往復の実用に足ります。まあSKYの安い便を上手に拾えば往復でその差は5000円前後ですから、やはりJRCエリアを乗り歩くのが一番お得なようです。
クルマ関係だとガソリンは揮発油税が消費税の二重課税なのに、軽油は軽油引取税に消費税はかかりません。どちらも石油石炭税には二重課税となります。(灯油も同様に石油石炭税がかかり消費税が二重課税)
結局廃案になりましたが暫定税率廃止法案、与党は財源はどうだ、7月からとは急過ぎる、とか言っていますが、そもそも「暫定的に」「目的税」を増額していたのが恒久化したうえに一般財源化とインチキにも程がある状態です。
1974年から半世紀以上暫定の名のもとにふんだくることを前提にした歳出を削減すべきであり、それが財源です。特に2009年の一般財源化以降は本則部分はともかく、暫定部分は徴収する根拠がありません。租税法定主義で法律もあります、といっても、それが妥当な法律なのか。法律の体裁があれば何をしてもいいわけではありません。
ちなみに当時読売が「定着しているから」という驚愕の理由で暫定税率込みの一般財源化を肯定、主張しており、まあネコババの手先というかお先棒を担ぐ性悪メディアは永遠に許してはいけません。そのくせ自分たちは消費税の軽減税率適用と納税の義務も満足に果たしていませんから。
燃料代高騰への補助金で販価を下げるというのも、業者へ一義的には支給されるわけで、消費者に満額の波及は無いです。
だいたい神戸市内でも昨日の段階で店頭掲示のレギュラーがリッター162円から170円と至近距離で大差がつき、しかもなかには店頭掲示は会員でフリーはより高いのが相場なのに掲示162円で実際158円だったという店もあり、15円くらいの大差があると考えると、同じような場所での業者間としては明らかに不明朗であり、補助金が活かされているとは到底言い難いだけに、暫定税率の廃止が望ましいです。よしんば「本体」が上昇したとしても、それは受け入れざるを得ないでしょう。イラン問題でホルムズ海峡が閉鎖されて原油が暴騰したとして、じゃあ175円でとどめるために何十円、100円という補助金を突っ込むのか、という話です。正当な価格は払い、理不尽な税金はなくすべきです。
万博会場で3850円の「えきそば」を提供して炎上した姫路のまねきですが、まあ批判しておいて何を言うかというでしょうが、実食した感想は払う価値はあったというものです。ただし万博の現場で駅弁の立ち売りとかの動画を流しているように「庶民派」を謳う会社ですから、いかに見合いの価値であってもあの値段での提供自体に問題ありと思っています。
ちなみにお値段の大半を占める神戸牛は質のみならず量でも攻めており、温泉卵ですき焼き風に味変も可能。器は小さく見えますが麺は駅と一緒で肉の量目がそのままボリュームになっています。お出汁のほうは肉の味に卵を崩すのでそこはあまり意味がなかった感じです。器に至っては輪島塗と一目でわかる、というわけでもないので・・・
そのまねきですが、崎陽軒とのコラボで出した「関西シウマイ弁当」が定番化しています。定番の「シウマイ弁当」の面々そのままに関西風になっているわけで、技ありの一品です。そして万博でおぎのやとコラボして「関西峠の釜めし」を提供していますが、これも姫路駅で発売するそうです。こちらは具材が最初から関西テイストに変化していますが、杏はそのままとかこだわりも十分。ご飯はえきそばのスープ(まあ関西風のうどんつゆですが)で炊いたそうです。
そのニュースを見て、釜めし1つが1950円とあり、かなり乗せたな、と思ったんですが、今は本家も1つ1400円なんですね。
ちなみに関西シウマイ弁当は1200円で本家は1070円というのよりは高いですが、まあ妥当かなというしかないですね。ただ諸物価高騰の折、駅弁もおいそれと手が出なくなりました。以前米子で総じて1500円越えという状態に驚きましたし。
まあ物価高騰と階層分化でこうした「高額商品」が当たり前になってますね。
安い朝のスカイマークによく乗りますが、羽田1タミで早朝からやってる「あさごはん」屋さん、1食2000円だけど早朝から結構な行列です。
神戸でも有名どころの喫茶店のモーニングが1000円超えは当たり前で、近所の名もない喫茶店のランチが1500円はするというのを見ていると、それに手が出ない自分がいるわけです。
とはいえぼったくりかというとそうではないわけで、羽田の「朝食」も内容は2000円ならお値打ちといえるレベルですから、お値打ちとは分かるがその絶対値に躊躇するという状態です。制限区域内のお店は明らかに割高ですが。
廃止が決まっている久留里線末端区間ですが、代替バスは1日13往復と現行の8.5往復に比べると大幅に増えます。存続する久留里以北が17往復ですからモードチェンジを無視したら久留里での「段落ち」がないようにも見えそうです。
ただこのエリアの交通というと「アクシー」「カピーナ」であり、対東京、対千葉の乗客が乗れなくなっても困るとはいえ、そこまで混むとも思えませんから、区間利用の解禁と二次交通の充実のほうが有効でしょう。広域的には木更津鴨川急行と「アクシー」特急便の融合もあるでしょうね。なお久留里線関係では圏央道木更津東ICそばの道の駅うまくたの里を市原鶴舞のように交通ターミナル化して、久留里線の残存区間の存廃もにらんだ体系を確立すべきでしょう。
なお二次交通としては名水など名物の多い久留里市街地(雨城)や、亀山から養老渓谷、粟又の滝、大多喜方面。絶体絶命のいすみも特に大多喜以西は観光地を縫うR465やr81をトレースしてバス化して、久留里線との回遊ルートも構築と。一時期あった社会実験での久留里と小湊線を結ぶバスとか、もう少し観光に力を入れるべきエリアでしょう。ヲタ路線で遊ぶ暇はありません。
千葉県と関係ない話題ですが管理人様がたびたびブログに書かれている北陸新幹線の米原ルート推しですが、
小浜ルートが、小浜から亀岡、彩都を経て新大阪に入る直線的なルートであれば建設距離が短く大阪府内以外は市街地の用地確保も不要(亀岡は千代川を新京都に改称して
嵯峨野線連絡で対京都需要に対応)、時間短縮効果や東海道新幹線途絶時の代替ルート機能という点で資する部分が多かったのですが
京都府が京都駅接着にこだわり、市街地の大深度地下という世界の高速鉄道で類を見ない設計では建設費が増大し、地下線では高速運転できず
京都市の方が反対姿勢という泥沼化、極めつけは大阪府の負担を引き出すために京阪奈学研都市側にルートを引き込んで結果として誰得のような歪な線形になってしまうという結果を招きました。
直線ルートであっても亀岡新駅周辺や彩都周辺、さらに日本マチュピチュ、絶望が丘と揶揄される豊能町内に新駅を設置して再開発事業をすれば
遠郊オールドタウンの再生例となり得た可能性がありますし、京都府や大阪府も一定の協力はできる(京都府に対しては千代川以東の嵯峨野線完全複線化と快速増強も提示)計画でした。
現計画ルートとの比較であれば米原ルートがあらゆる点で勝りますがJR-W,JR-C両社とも直通にきわめて否定的であり
米原乗り換えとなると価値が激減します。滋賀県は北陸本線を並行在来線としない、県としての負担なしというのであれば
反対しないでしょうが、このような条件を受け入れることは整備新幹線スキームを覆すもので、佐賀県がそのスキームなら
フル規格で結構で言いだしかねず、これまで建設費負担や並行在来線引き受けに応じた各県はうちの立場はどうなるのか言いだして収拾が
つかなくなります。
また米原ルートを建設するのであれば、敦賀から山沿いを貫通して新設駅は設けず小倉寺遺跡付近にデルタ線を構築するのが建設費が最小となり合理的でしょうが
この場合名古屋方面に向かう便は滋賀県を素通りであり、TBの多くはそうではないかと言ってもそのための建設費負担は承服できないのは当然です。
信号システムは金沢ないし富山以南を東海道山陽新幹線と同じCOMTRAC化して金沢か富山で系統分断でしょうか。
分断したとしても東海道経由での東京直行便が走るのであれば北陸新幹線の沿線自治体は反対しないと思われます。
ただし技術的に双方の信号システム対応の車両が不可能とは思えず、JR-W所有の一部車両だけは双方に対応させるという解決策はありそうです。
東海道新幹線の線路容量の問題も難点ですが、北陸系統は東海道全区間で毎時1本まで臨時列車の設定も不可、障害発生時は最初にスジを抜く
という条件であれば何とかねじ込むことは可能であり、そうなりますと障害発生時は現状と同じ敦賀乗り換えですから
エスケープルートとして在来線もJRが保持する理屈はつきます。とここまで調整ができても東海道経由で東京から金沢や富山への直通便が走ると
なったらJRーEは黙ってなさそうで利害関係者が多岐に渡る点の調整が最も安上がりな米原ルートでも困難を極めるのは悩ましいところです。
シンプルイズベストでしょう。そして兵は拙速を貴ぶと。米原は琵琶湖側に腹付けで「仮駅」を設置して乗り換えとする。リニア大阪開業時点で大幅に容量が空く段階で直通化を踏まえた本設にする。これでいいんです。直通しなくても同じ駅で乗り換えというのは東京や大宮があるわけで、直通すれば便利だけど同じ駅で乗り換えというのは決して悪くはないです。中京方面は本設時点でもスイッチバックの直通をしない限りは乗り換えですが、小浜ルートなどあらゆる案が乗り換え前提ですから、だったら一番近い米原がベストです。京都を通さないと中京圏はもちろん京都も不便。京都経由にしたら市内挙げての反対をどうするか。桂川が妥協案に見えますが、対中京圏をどうするつもりか。東北新幹線が未だに上野止まりというような感じです。
対関西の多くがJRCに流れるのを嫌がるでしょうが、一方で普通に出発サイドの需要地となる湖東、湖南地域があるわけで、それこそ栗東新駅が本来カバーするはずだったエリアです。滋賀県がそれを葬ったことでJRWは需要を享受できているわけで、それを深耕化したほうがいいです。対関空やミナミ、神戸方面をにらんだ「はるか」やAシートの活用も出てきますよね。
西武高田馬場の「闇市マーケット」が解体されていますが、西武がこの土地を活用するにしても狭すぎるわけで、それだったら今の「住民」から然るべき賃料を取った方がよほど利益になるはずです。にもかかわらず所有権を主張するばかりか立ち退きまで迫ったというのはなぜか。
これ、西武新宿線とメトロ東西線の直通計画が絡んでいるのかもしれませんね。
かつて新井薬師前-落合に新線を建設してつなげるという計画があと一歩のところまで進んでいましたが、地下に新線を作り、かつ落合-高田馬場の経営主体と収入の問題が生じます。西武がこの区間を3種にすればいいとはいえ、 新線区間の建設費回収もあるし、けっこう厄介です。
それを高田馬場まで地下線とし、そこから早稲田までの間で東西線に合流する。その際に必要な用地が例のエリア。ということはないのでしょうか。西武の客もみんながみんな東西線ではないわけで、高田馬場から山手線両方向、さらには高田馬場で降りる客もいるわけです。別線経由だと停車駅の設定など難しい面があるわけで、だったら下落合と中井は既存に任せて地下線を通過するというスキームが取れるのも意味があります。西武としてコンコースを置いて、山手線にも乗り換えられると。新宿線自体が中井から野方の間を地下化しますし。
>>854
米原での直通は非現実的かと思われます。>>853 で言及されたCOSMOSとCOMTRACに加えて、脱線防止ガードの形状、DS-ATCとATC-NSの互換性など、両者は相違点がてんこ盛りで、直通には車両やシステムの改修に莫大なコストが発生することは間違いありません。
更に、仮にそれらの課題がすべて解決できたとしても、今度はそれが最大限効果を発揮できそうなのは東京駅を跨いだ相互直通でしょう。実際に、北陸も含めた東北系新幹線の車両の向き、1号車の位置は東海道と揃っているわけで、国鉄時代に相互直通を意識していたからとも聞きます。
さて、そうなると、もし米原で直通した場合、1号車の向きが東海道とは反対になってしまいます。まさかプラットホームの号車案内表示を次に来る車両に応じて切り替えるわけにもいかないでしょうし、確実に旅客案内上で混乱を招きます。
昨日大阪出張帰りに飛行機で帰ってきたのですが、第一ターミナル18時20分の津田沼リムジンに
乗りましたが、京成津田沼に20時前に着くという、金曜の湾岸線をなめてました。
浦安まで55分、千鳥町付近も混んでおり谷津船橋降りたのは1945分回ってました。
かといって京急ルートも京成本線直通もなぜか1時間以上穴が開くタイミングなんですよね。
北総行き乗っても良かったんですが、乗り換えあるとリムジンで良いかとなりますね。
それに羽田→京成津田沼で95分は、初めて経験しました。
軌間が異なる、車体の規格(寸法)が異なる、というような差異でないわけで、悪いですけど決め事の世界です。
分割民営化の最大の失敗は保安装置その他で各社独自の規格を許容したこと。上下分離で運行会社を導入して鉄道がV字回復、という欧州の事例は日本では現状不可能なばかりか、分割した各社間の相互乗り入れすらできなくなっています。これはひとえに監督官庁、すなわち国がグランドデザインを持たなかったが故の失政であり、1980年代後半はそういう発想がなかったとしても、各社間で「枝分かれ」が始まった時期には複数の会社による運行といった今につながる体制が各国で見え始めており、共通のインフラで複数の事業者が競合する、という進化系に対し、分断されたインフラをそれぞれの事業者が運行する、という退化が進行した結果です。
コストガー、を理由にして改善や進化を拒否した車両の横行もそう。整備新幹線は260㎞上限だからとデチューンした車両とか、急勾配は走れないとか、そうそう、自社線内は270㎞上限だからと300㎞上限区間に乗り入れる会社が285㎞上限の車両を新製して増備しましたよね。無駄なようであっても全国視点で融通が利くというのはそれこそネットワークのメリットを生かせます。在来線でも415系、457系、485系といわゆる「三電気方式」を基準にしたはずが、JRになったとたんに自社エリア以外は走らないとばかりに651系は50Hz、681系は60Hzのみ対応と、一般定期列車用車両で三電気方式は653系だけですから。JR九州に至っては485系から直流機器を撤去して関門トンネルすら通過できなくしましたし、ここを走行可能なのは国鉄時代からの415系のみというふざけた状態です。ちなみにこの撤去は国鉄最末期からスタートしてますが、1986年11月ダイヤ改正で下関行き「にちりん」を設定しながら、直流対応機器を外した編成を充当してしまい小倉で気づいて運休という珍事がありました。国鉄は交流専用編成の運用を徹底するのではなく、直流対応機器を搭載することで対応しています。
米原から東海道新幹線に乗り入れるとしたら、今決定して開通即乗り入れだとしても17年後の話です。リニア大阪開業が20年後の2045年で最大8年前倒しを目指すということですから時期が被ります。なお小浜ルートは京都市の官民寺社を説得できたとしてもさらに10年はかかるわけで、「リニア後」の話です。
当然N700系シリーズやE7/W7系は代替わりしているわけで、「リニア後」を見据えた設計になっているでしょう。そこに乗り入れ対応を踏まえた共通化を織り込むことは何ら不自然ではないですし、逆に好機として当然の世界です。
逆編成の問題もそれは設備側を対応させるだけ。ウルトラCとしては、米原、そして東海道乗り入れは東海道と編成順序を合わせた編成として、北陸新幹線を双方向に対応すること。現行の編成は下り方先端に優等車両を集めた格好ですが、東海道などのように上り方に集めた「つるぎ」専用編成にすればいいでしょう。幸か不幸か新幹線の全車指定席化が進んでおり、指定された車両に乗ってもらうだけになっています。特に「つるぎ」は接続する「サンダーバード」「しらさぎ」が全車指定席であり、敦賀以北だけの利用を除くと指定を取るのが前提になっています。(新幹線だけ自由席でも同額)
東京を跨ぐ直通も魅力的ですが、JRCとJREのどちらかが総とっかえ、どっちに寄せてもJRWは北陸新幹線を総とっかえとさすがに非合理ですからね。ただ東京またぎの需要は思ったよりあるわけですが、今の体制はEX-ICやえきねっとチケットレスでは連絡改札を通過できないという呆れ果てた状態で、まずそこの障壁からですが。関西にいると高崎や宇都宮という北関東までの需要が結構あるのを見ていますけどね。
金曜とはいえ平日夕方の湾岸線がそこまで混みましたか。1タミから京成駅まで95分とは驚きです。
メインの渋滞箇所にもよりますが、大井連絡線経由やレインボーブリッジ経由で箱崎から京葉幕張とか、ゲートブリッジ経由とかはしなかったんですね。あとは葛西浦安、千鳥町湾岸市川のR357とか。いきなり羽田の中をぐるぐる回って空港西から羽田線に入ったこともありました。
荷物があるときは時間がかかっても覚悟のうえでリムジンですし、無いときは品川から総武快速線か、そのまま京成線に特急系で直通するか、泉岳寺段階で続行なら乗り通しですね。ただ夕方は先日も使いましたが、京急線内は急行しかなく(旧北エア急)、乗り通すと品川や泉岳寺で時間調整停車も少なくなく、都交内各駅停車だしと。
エンドが逆、は在来線では武蔵野線→京葉線で例があることですから、新幹線でもできなくはないんじゃないでしょうか。
通過運転しない、とかであれば向きにどうしてもこだわるのであればスイッチバックにするというのも手ですけども。
まあもっともJRは分割が細切れすぎるのがすべてのケチのつけどころの元凶でしょう。旅客貨物関係なく東西で二社あれば十分だったはずです。
まあそれを言い出せば軌間云々とか周波数云々とかでキリがないですが。ただ周波数は鉄道以外の面でも、安定性のためには(できれば高い方=60で)統一されるのが望ましいですが。
私も眠っていたので記憶が定かではないのですが、
新木場まで50分の看板みたので、ゲートブリッジ経由のほうが早かったですね。
ただ浦安→谷津船橋、千鳥町あたりが混み気味でした。
京急で帰ると、コロナ以降の幾度のダイヤ改正で泉岳寺、押上、高砂で時間調整が体感増えましたね。
羽田→京成津田沼が常に70分台で直通があれば使い道出てきますが…現実は難しく。
他への影響を考えたら敦賀ー富山間の「逆編成」対応が一番簡単でしょう。(需要喚起を考えると上越妙高まで)
長野方面直通と列車の性格が違いますから、乗車位置を分けたほうがかえって混乱しないでしょうし。
米原での乗り入れを考えると大阪方自由席のほうが理に適ってますね。米原乗り換えでも連絡通路は複数設置でしょうから、大阪方に寄せれば自由席もグリーン車も揃います。
高速交通は地域振興よりも広域流動をまず考えないといけません。それが出来ていない典型が東九州道の宮崎県から鹿児島県の区間で、もともと九州道が縦貫道としての性格で人吉など肥薩線に沿ったルートとなり、宮崎へはえびので宮崎道が分岐となっています。そして小林から宮崎まで短絡せずに都城経由となっており、鹿児島と宮崎の相団の流動としてみるとなんとも無駄なコースです。
ところが東九州道は加治木で九州道から分岐後、もうすぐ都城という末吉財部から東から東北の都城や宮崎に背を向ける格好で南下してしまい、鹿屋、志布志と大回りして日南から宮崎に入ります。九州道どころじゃない迂回で、急ぐドライバーは永遠にえびの回りで、東九州道は他エリアでは正直高速道路網がカバーしないレベルのエリアを迂回します。ここまでの無意味なルートは他に例がないですが、仮想すれば、秋田道が北秋田市(秋田空港、鷹巣)あたりからいきなり五能線沿線に向かい、深浦、鰺ヶ沢を経て浪岡五所川原道路に接続という感じでしょうか。いや、五所川原から黒石に出て東北道接続というレベルでしょうか。あるいは八戸道が三沢から海沿いに六ヶ所村に向かい、野辺地を通ってみちのく有料に入るようなものか。そして北陸新幹線の小浜ルートは九州道、舞鶴ルートは東九州道レベルの迂回です。
夜半のエア快、その昔は全部京急線内急行が今は5本中3本が京急線内快特なんですね。ただ1本は品川と泉岳寺で時間調整都合5分と、快特あるいはエア快にしたことで短縮されたはずの時間をすべて吐き出しています。全部羽田からですから意識はしているでしょうに、「満席便にヒヤヒヤするくらいなら」と売りだしたらいいのに。まあ休日ダイヤでは1本もなく、しかも本線直通すら快速が細々あるけどそれも西馬込始発。都交線内各駅のアク特も夜の4本のうち羽田は2本(京急線内快特)ですから全く使う気にもなりません。
羽田発の予約導入が徐々に広まっているようですが、時間が読めないだけに予約はリスクが高いです。余裕を持たせれば普通に空港で買えますし。埼玉方面まで上がってからのAラン、Cラン降りと、木更津からのAラン、Cラン降りでは所要時間が全然違いますが、どれを採用するかは読めませんからね。
鉄道のシームレス化というとまず思いつくのが軌間でありインドが多種混在の弊害が
生じている例(ただし主要幹線は広軌で統一)として挙げられます。
日本は電化率が比較的高く電化区間でも直流と交流が混在し交流の周波数が東西で異なるため
電化方式の違いや電化と非電化の差異といった問題があり今となって考えれば在来線に関しては交流導入は失敗であった面があります。
新幹線は高速性を追求するために標準軌、交流25KVとして在来線との互換性が全くない規格にしたのは
やむを得ない面もあったとはいえミニ新幹線方式を実用化し平成初期までに
互換性確保とここまでは良かったのですが、そこから先は保安装置の高度化と
事業者毎の独自方式導入で結果として地図の上では世界的に見ても稠密な鉄道ネットワークが
形成されていながら実はぶつ切れになっていたいうのは日本の鉄道史における失敗といえます。
保安装置は太古の昔いずこもタブレット方式であった時代はほぼ問題にならず
旅客列車以上に貨物列車では国鉄私鉄間の乗り入れが何の問題もなく行われたいたのが
気が付いたらJR-Wの社長が北陸新幹線と山陽新幹線の信号装置等はまるで異なり直通など
絵空事と言い切ってしまうようになったのは明らか後退で、それに乗って妄想乗り入れ乙と
叩く手合いが多いのは嘆かわしいことです。
事業経営をやる気云々という精神論で論評することは甚だ不適切なのですが
軌間の問題で言えば京成は浅草線直通のために全線標準軌化に踏み切り、
同時期に近鉄は伊勢湾台風の被災を好機と捉え名古屋線を標準軌にしており
これらは今日でも英断と評されます。
それらに比べて新幹線の保安装置統一はどうしても無理な話なのか、もちろん高密度の列車運行が求められる東海道山陽と
冬期の天候対策が重要な北陸上越で求められる要素が異なると言えばその通りですが双方に対応できるシステムは技術的に不可能なのか、あるいは可能であっても
コスト面から不適切なのか。この辺は技術的な話になってしまうので信号、保安系のプロの方がこのレスをご覧になっていたら解説をお願いしたいところですが
その京成の英断によって実現したといえる羽田、成田の三直ルートですが
管理人様ご指摘のとおり土休日ダイヤの夜間は時間がかかりすぎで
夜遅い時間にまさかの京成本線内普通利用が一番早いというパターンがあります。
平日にしても夕方が京急線内急行ばかりなのが残念で(空港線途中駅からの乗車は結構あるので
夕方こそ空港客と沿線客の分離が必要です)夜が更けてくる頃に3本ある
アク特〜京成区間特急の便に乗れそうであれば羽田のラウンジやトイレで少々時間調整しても
狙い乗車しますがそれ以外はという感じです。この3本、特に三番手は羽田から京成津田沼まで70分台ですから
千葉線乗り換えの場合平面移動だけで自宅最寄り駅に帰れるというのは魅力的であり
荷物が膝の上に乗る30Lのザック程度であれば十分選択肢になります。
ただ平日の場合京成本線直通以外の便ですと、青砥から本線優等では絶対着席できず
西馬込から来る系統に乗り換える方法も五反田でほぼ満席に近くなっていて
泉岳寺乗車は少し賭けになるのが難点です。
クルーズトレインには三電気どころか新幹線にも対応の四電気としているわけですから、出来ない理由は「ケチ」なだけです。EDCで非電化区間でも大丈夫、電化区間ではパンタグラフ集電という考えられる動力源のすべてに対応していますから。普通の国の普通の公共交通ならそれは一般列車に実装させるものであり、第三軌条と架空線方式を車上切替でノンストップ走行というのも高速鉄道から通勤鉄道まで普通にあります。新幹線相当の高速列車であれば普通にというか原則が多電源方式ですから。そうそう、EDCにしても電気式DLが第三軌条の集電靴を装備して電化区間ではELになるデュアルパワーなる機関車もありますよ。約70年前から米国東海岸で実用化されています。
直流1500V、軌間1067㎜で保安装置の問題で乗り入れができません、っていうのはヲタは直通できない理由はこれだ、とドヤ顔で語りますが、常識人なら「なんで?アホちゃう?」となります。ダメなシステムに知悉しても社会の役には全く立たないわけです。北海道のローカル線存廃問題で、国防を理由に挙げて廃止反対を訴える人が少なくないですが、全国の幹線区間、主要都市間で直通運転に制約があるということは、それこそ有事の際の輸送に影響するわけです。まさか有事の際はそういう制約を無視して目視と手信号とかで走らせるというのでもない限り。
まあそうせざるを得ないケースも出てくるでしょうが、今のJR各社の体制だとマニュアル(制度)にない作業手順は無理、となって何の役にも立たないのが関の山でしょう。制度としては指導式、スタフ閉塞とか残っていますが、技能伝承も出来ていないでしょうし。そうなると1ヶ所でも途絶えたら使い物にならなくなる鉄道は有事対応としては最悪の交通モードになりますね。災害時の道路交通の「復旧」の柔軟性を踏まえると。
ミニ新幹線で奥羽線関係が幹線鉄道網から切り離されましたが、それもあって新庄-院内が約半世紀ぶりに非電化に戻るような退歩も進行しています。電気施設を負担したくないから、交直流車を入れたくないからと気動車化するケースも多いですよね。(後者は国鉄時代からの悪弊でしたが)
おかげで幹線輸送におけるクリティカルポイントが非常にわかりやすくなっており、それこそ有事の際にはもっとも狙われやすいはずですが、対応をしているようには見えません。そんななんちゃってネットワークに頼るくらいなら、道路網と自動運転の組み合わせのほうがよほどマシでしょう。高速道路は二重化が進み「ラダー効果」を前面に押し出していますけど、鉄道は互換性のない新幹線による二重化どころか在来線の劣化で「1.5重化」がせいぜいです。
バスやトラックは人手不足と言いますが、汎用性のある大型免許の取得者は多いですし、普通免許まで拡大すれば誰もがアクセスできます。潰しの効かない、そして細分化されている鉄道の運転免許に頼るよりよほど持続可能です。免許取得の支援をするにしても、大型免許のほうが輸送のあらゆる分野で役に立ちますから。
万博期間の振興策の成果次第で存廃が問われる加古川線西脇市-谷川間ですが、どうもというかやっぱりというか芳しくないようです。地元の主張もかなり苦しく、若狭湾沿岸の原発銀座に何かあった際の避難先に西脇市があるから維持という主張が真顔で出てくるあたり、万策尽きた感があります。
だいたい谷川駅から西脇市へ、という前提として舞鶴、綾部、福知山と電車を乗り継いで来る話になっていますが、だったら舞若道から北近畿豊岡道で氷上まで突っ走るほうがよほど早いです。谷川駅は同じ車両で直通しようとするとスイッチバックどころか3回方向転換が必要です。(福知山線から下り本線に入り、引上線に入り、加古川線ホームに入り、加古川線へ)これで一刻を争う避難の役に立つわけもないです。
バスは輸送力が、というでしょうが、加古川線の輸送力はバスにも劣ります。
小浜などから綾部-福知山を除くと単線のルートです。電車の運転士を確保するよりバスの運転手をかき集めるほうが現実味があります。
近年夜間エア快1本目から格下げした特急があるのですが、
エア快格下げはやむ得ないんですが、なんと高砂でスカイライナーの通過待ち
するので10分近く遅くなってます。北総線へ行くスカイライナー通過待ちって理解出来ないのです。
あとエア快ですが、20時くらいから夜間にかけて40分毎くらいでいいんじゃないかと.21〜22時付近に集中してます。
土日ダイヤにある朝6時台の578K快特羽田行きもダラダラ走ってます。ダラダラ走るくらいなら快速でいいのでは。
こういったあたり含め、本線が重視されていないです。
そもそも平日ダイヤでも20分に3本の特急系と4分刻みの都交を揃えるために「早特急」「遅特急」となって3分40秒の差が発生しています。とはいえそういう規制がない休日ダイヤでの時間調整しまくりダイヤはひどいわけです。見てみると、この快特が単独で「遅特急」になる必要はないわけで、都交線内で前を走る北総線(急行羽田空港行き)との間隔を保つための調整にも見えます。ここは都交線内で1本増発すれば6時半からほぼ5分ヘッドになり、時間調整を排して北総線が走ることで品川で10分ヘッドに揃えられます。快特は手前で時間を繰り下げればよさそうですね。東中山で追い抜く普通と合わせて繰り下げは可能そうですし。
こうした時間調整はかつては西武池袋線がお家芸で、石神井公園、ひばりヶ丘での接続を確保するためにあえて急行系がゆっくり走っていることが目立ちました。同じ停車駅なのに妙に遅い電車がありましたから。
関西でも加古川での緩急接続のために新快速が減速していますね。土山、東加古川、宝殿と通過追い越しすればスジは立ちますが、あえてそうはしていません。緩急分離型のヲタ受けのいい私鉄各社と一線を画した緩急接続前提のダイヤで一気に中間エリアの需要を総ざらえしてすることで、都市間は圧倒的に速く中間も、ということで地滑り的勝利になりました。
それに慌てて中間駅重視に踏み切ったものの、戦略的な停車駅設定は一定の効果を上げましたが、都市間ではさらに格差が開いてしまったわけです。阪神間では阪急も阪神も昔の快急や急行と同等ですから。阪急に至っては快急を停車駅そのままで「準特急」とする「切り下げ」を行っていますし。
宇都宮ライトライン開業で再編(削減)されたJRバス関東の水都西線が廃止の危機に立っています。
宇都宮(作新学園)から芳賀町管理センターまでの間はライトラインと被るということで大削減されていましたが、そこから市塙、茂木も諦めるようです。
ライトライン試乗時に二荒山神社のあたりから茂木まで乗りましたが、宇都宮の大通り方面に直通すると言いながら、ライトラインに乗って宇都宮からバスに乗ったほうが早くて安い、という状態でしたし、バスのルートが迷走して結局ライトラインが短絡というのも使えなさに拍車をかけています。
芳賀や清原から市塙への路線が残ればまあ何とか公共交通は残りますが、それもダメだと電車とフィーダーで、という軌道系交通の時だけ通用する乗り換えOK理論の破綻でしょう。ホンダ関係の需要が太くて大成功のように見えるライトラインですが、その効果は周縁部には及んでいないとも言えますから。
忖度メディアに騙されました(苦笑)
水都西線の廃止は作新学院-宇都宮駅-芳賀町工業団地管理センターー祖母井-茂木の本線系統で、しかも管理センター以西は平日2往復、休日3往復の免許維持路線状態。茂木口は平日4.5往復、休日3往復だけです。
市塙は清原市民センターから平日10往復、管理センターから平日3往復、休日は市塙発管理センター行き片道3本だけですが、芳賀(祖母井)は管理センターから平日芳賀行き12本管理センター行き10本、休日8往復(平休日とも8往復は芳賀町中心部で循環運転)とあり、廃止対象とはなっていません。(芳賀町の公式)
休日のフォローがあれば、ライトラインのフィーダーに徹する、ということであり、フィーダー路線は変化がないのであれば、フィーダー路線方式が成功していると言えます。
いやいや、騙されました。
まあ、ライトラインを堪能して、水都西線で茂木に出て別の角度から沿線を見て、茂木からSL列車で下館に出て、というお楽しみコースが成立しなくなりますけどね。それくらいの弊害です。真岡鉄道のSL列車は本来SL列車に充当例はない50系とはいえ、オリジナルで空調もなく、窓を開けて楽しめるというシンプルながら満足度が高い列車です。乗ってるように見えて真岡からの往復で楽しむ人も多く、下館口では心配になるくらい空いていました。DLを連結して真岡に戻る客車普通列車で締める、という手もあります。
「7月5日」は何事もなく過ぎました。まあ災害への備えを見直すいい機会であったことは間違いなく、汲み置きの雑用水の入れ替え、飲料水の補充、カセットコンロの確認とか「予言」が外れでも意味がある対応はしました。そうそう、昨年のルミナリエで買った防災グッズセットも。
余談ですが、災害の想定として、転倒してくる家具を置かない部屋と狭く区切られた洗面所エリアをセーフティーゾーンとしています。前記はその裏返しでタンス部屋が存在して危険にみえますが、詰め詰めなのでタンスが転倒できない(爆)というオチがあります。なお昔住んでいた団地サイズの集合住宅では天井が低く、タンスが転倒できない(対角線の長さが天井までの高さより長い)、という安心の構造でした。天井崩壊の支えにもなりましたし。
流鉄にJRC211系5000番台が入線します。2連組4本の譲渡を受けたそうですが、これまでの供給源だった西武にも2連組があるものの、2連というか4連は2000系までで、最近は8連あるいは10連固定で、4連組は小田急から譲受という状態に、他社を当たった結果のようです。JRCは211系のあと313系という2〜4連の「大票田」があるわけで、119系を導入したえちぜん鉄道をはじめ、20m車がの入線が可能な地方鉄道にとっては心強い供給源になりそうです。あるいはメトロ日比谷線じゃないですが、20m車の入線可能性を再検討し、大規模な改良工事が必要でなければ20m車の運行を可能にして313系争奪戦に参加したほうが得かもしれません。
「新京成」が滅んで四半期が経ちましたが、未だに「新京成に乗って」とか「何分の新京成で」とか言ったり、LINEなどに書いてしまい、「おっと松戸線」と直したりします。
大昔の旧国鉄の分割民営化で、それまで山手線とかの総称として「国電」が定着していて、国電から営団に乗り換えて、といった感じで会話をしていたのが、「E電」の不人気で結局路線名で呼ぶことが定着しましたが、今回はどうなるんでしょうね。
新京成沿線民としては「京成線」「京成電車」というと京成津田沼の先の元からの京成線ですが、京成は「京成電鉄」を強調しているけど識別という意味でもあまり善手とはいえません。
「京成松戸線」を押し出すかと思ったら上述のように消極的で、「松戸線」も「E電」ほどじゃないですが微妙に定着しているようには見えない表現です。まあウェストとセントラルの股裂きになったバスはさらに厄介で、「新京成バスに乗って」をどう表現するのか。これは各社同じ問題になるわけですが、沿線民の動向はどう収斂していくんでしょうね。
広電がいよいよ8月から駅前大橋経由に移行しますが、比治山下経由が通り1つずれるためここも移設だったんですね。
循環線構想が実現した際に旧線が復活するようですが、段原は広大病院方面とのバスの基幹ルートでカバーしているエリアなので、最初から比治山の東西で住み分ける新ルートだけのほうがいいでしょう。
気になるのは1号線(紙屋町経由宇品)での快速運転の試行。そもそも広島駅から紙屋町の間は団子運転で電車の渋滞が恒常化しているわけで、通過したから早く着くというものではありません。それどころか前がつかえて発車できないうちに信号が変わって、というケースも多く、仕方がなくもう一回ドアを開けて、ということもしばしばですが、電停に停まっていながら快速だからドア扱いしません、という理不尽な状態の発生が容易に想像できます。
これによる時短効果は1分とのことで、今はなきポートライナーの快速運転(2駅通過で1分半の短縮)よりも意味がない快速です。
新宿西口が大きく変わります。南北のクルマでの移動ができないようになり、真ん中が副都心方面と行き来する歩行者用の通路となるようで、地下のみだった通路が二層化します。バスは青梅街道方面が北、甲州街道方面が南と南北に分かれます。
この新宿西口、バスのアイランドがあり、地下とのループ状のアクセス路があり、換気施設が突き出すというスタイルはその昔は実に近未来的な光景でした。
ところがある時この原型ができた時を知り仰天したわけです。漠然と淀橋浄水場が無くなり副都心計画の整備が始まった1960年頃かなと思っていたんですが、そんな「新しく」はなかったのです。地下構造物こそありませんがバスのアイランドとデパートが取り囲むような構造、この原型が出来たのはなんと戦前です。
新宿西口の都市計画決定は1934年。関東大震災の帝都復興計画をベースにした新宿駅の計画にあった東横電鉄の新宿延伸用の用地に京王帝都が入っていますから、駅も道路も昭和初期の計画です。
ちなみに東京の街区は帝都復興計画がベースであり、戦災復興の計画ではありません。(戦災復興はGHQが規模縮小を強引に進めたため、帝都復興計画への復旧がせいぜいだった)
道路は帝都復興計画を受けた道路計画が昭和初年に決定されての整備ですから100年近く前の話です。(環七や環八が数十年がかりで完成といわれるのはこの経緯)
最近では新橋界隈の「マッカーサー道路」がようやく完成を話題になりましたが、本来は帝都復興計画が下敷きで、「環二」という名称もこの道路計画から来ています。戦後の独立以降、昭和から平成、令和とグランドデザインがない首都です。
軌道の急行運転となると宇都宮LRTですが実際に乗った感としては停留所通過時の速度が遅く
せっかくの緩急接続可能な停留所も活用していないため速達性という点では残念でありやるのであれば
朝夕限定で清原工業団地地区までノンストップの特急便を運行すれば通勤、用務客にとってはプラスになり
普通便も一定の本数を確保すればダイヤとしては問題ないのですが。
一方過去に大都市の軌道で実施された急行運転はいずれもラッシュ時に利用の少ない停留所を閉鎖扱いとして
運行効率を高めるもので戦時体制下での実施が多かったことから利用者の要望より輸送の円滑化を優先できた時代の産物と
言われることが多いですが、京都市電は戦後取りやめになった後、1962年から再開されて1978年の全廃時まで継続されました。
概ね半数弱の停留所が閉鎖されましたが、急行停車停留所間でも500M程度の間隔ということもありさほど苦情はなく
未だ日本が若かった時代(78年は戦後生まれの人数が戦前戦中生まれを逆転した年、すなわち同年の年齢中央値が33歳、現在は49歳)ですから
300M程度余計に歩かされても文句言わなかったということでしょうか。ただ広電の都心部は停留所間隔が短すぎる感があり
隣接停留所と100M 少々しか離れていない胡町と立町は廃止してもよいのではと思えます。
新宿の西口が南北で分離ですか。
車での通過には元から適しているとは言えませんでしたが、それでもまったく通れなくなるというのは複雑ですね。上野でも動物園側の口の前を通る道をぶった斬っていましたが。
道の開通に時間かかるのは収容に手間取ってというパターンが多いイメージはあります。環6.5こと補助26号こと都r420とかだとこの前下代田東から三宿・池尻が開通しましたが、下代田東から三角橋(東北沢駅手前)までと逆に五本木から目黒郵便局の間はまだ未開通ですし。
こっちでも確か小室の方に何かの事業所のせいでなかなか開通しない道とかあったはずですが、都内のそれは地権者が複数に渡っているというのもあるでしょうね。
そうそう、東小松川(京葉交差点)近辺でも拡幅に手間取っているのはその辺の事情もあるようで、本来なら拡幅のみならずオーバーパスも通すつもりのようですが、これに加えて橋の架け替えも重なって伸びに伸びているみたいです。
流鉄の211(ただし東海独自世代)ですが、確かに頭数の面では豊富とはいえ、車体幅が新たなネックとなる可能性も皆無ではないでしょうね。流鉄は導入前に幅の増える分を現在いる西武中古に仮設の突起をつけて試運転したようですし。
同じく東海独自世代の211を入れた三岐はナローゲージ路線についてはナローゲージのまま新車を入れるか改軌して中古車を入れるか検討中のようですが、なぜか改軌先が1067ではなく1435となっており、車体の寸法をあまり拡大せずに入れることができる出玉がおそらく後者の方が多いのではないかという推測はできますが、果たして‥‥
新京成が京成ではなく西武が獲っていたらというIFを話し合ったことがありますが、現在の西武の支線格への扱いとさほど変わらず、地方にある系列よりはマシな程度になるんじゃないかって感じにはなりましたね。
飛地になるので直轄化はされず、20m車は走れるようにはしても新車は入らずに黄色い西武車の墓場が関の山で、今後枯渇すれば自称「サステナ車」で賄って終わりではないか、そして編成は短いが運転間隔は現実(=新京成)とさほど変わらず、唯一マシになりそうなのは津田沼の位置ぐらい、と。
銀山町から紙屋町の間、八丁堀が斜交いに設置されているので、単純廃止は電停間が長くなったり短かったりとうまくいきません。八丁堀を対面式にして紙屋町のようなロングサイズの電停にして「八丁堀西」、交差点東に胡町を寄せてこれも対面式のロングサイズにして「八丁堀東」として立町は廃止(八丁堀西に統合)というくらいでしょうか。八丁堀西と東とすることで、福屋と天満屋、三越にとってもわかりやすく、行きやすくなります。
銀山町もロングサイズにして(これで前後の横断歩道からアクセスできる)、ここは薬研堀、八丁堀東は流川とこれもわかりやすくなります。快速は電停停車中に客扱いしないというのは利用者の理解を得られないでしょうから無理でしょう。
速達化が望まれるのは中心街ではなく宇品でしょう。5号線は宇品から皆実町六丁目まで無停車とか大胆に速達化して、宇品から広島駅への速達化を図る。途中は7号線がカバーし、あるいは3号線の宇品乗り入れ復活もあっていいでしょう。
だいたい余所者が途方に暮れるのが広島駅と宇品の間の時間距離。時刻表上で5号線で30分、1号線に至っては50分近くかかります。当然ここから遅れも加算されます。なまじ「広島港」と言っているからそんなに遠いのか、という話になります。
本当は皆実線区間でも速達化したいですが、そうなると循環線が各停便になるので、比治山下で片接続にするか、段原から的場町を回り込んだ稲荷町でホーム替わっての乗り換えとあまりうまくいかないので、そこは諦めるしかないですが、宇品地区だけでも突っ走れば5分以上の短縮は期待できます。駅前大橋ルートでの短絡もありますから現行比ざっくり10分短縮ならかなり効果が出そうです。
新宿西口は甲州街道の南口から初台までの間の渋滞があるがゆえに西口を南北に縦断するルートに価値が出てしまっています。東西通り抜けにしても、西側では青梅街道が流れますが、東側は御苑トンネルの威力で甲州街道が速いというちぐはぐがあり、副都心で青梅街道と甲州街道をスイッチすれば速いのですが、甲州街道の南口以西がダメダメとなっています。
放射側の基幹ルートで山手線のラインを無理なく抜けるルートだけに他に回るというのも非現実的で、ルートを想定してそこに誘導し、ストレスなく走れるようにする、という施策が望まれます。
戦災復興で名古屋の100m道路や広島の平和大通りのような後世に残る整備を果たした都市もありますが、東京はダメでした。戦争中の収容で防火帯になった外縁部も農地解放の名目で払い下げてしまい、30年くらい経って今度は大規模公園を整備するから買収と無駄な行動を繰り返しています。東京五輪の時に青山通りから大山街道のR246は整備されましたが、それ以外はそれこそ帝都復興事業の貯金を食いつぶすような整備でした。首都高も河川の埋め立てや上空を利用しましたし。
東京五輪を契機にするどころか、直後に美濃部都政となって12年間停滞したことが致命的で、今なお祟っています。鈴木都政以降、30年から50年遅れで整備されたというケースが多いです。
日ハム2軍は結局鎌ヶ谷を撤収しますね。1軍との距離が近くなって入れ替えがやりやすくなりますが、自軍を含めてイースタンのスケジュール実行時の時間やコストが大変です。2軍に力を入れているというと阪神もそうですね。西宮市の鳴尾浜から尼崎市の大物に移転。阪神電車からもよく見えますし沿線利用者にとってはより身近になります。
北海道の球団を千葉にとどめるというのにそもそも無理がありますが、これまでの関係を思うと、鎌ヶ谷市や千葉県がどのくらい「引き留め」に力を注いだんでしょうね。札幌ドームを巡る騒動が示すように、地元であってもドライに切る反面、相思相愛であれば北広島市のようにいい関係を築きますから、鎌ヶ谷市との関係がどうだったか気になるところです。
小さな話ですが、京成バスのFs系統は今後西船になるんですかね。
ただ西船橋駅ベースの路線で「西船」系統は旧KBSの船橋方面だけで、京成バス本体は行田団地を含めてFsです。旧レインボーは系統番号がないし、旧KBSの柏井方面は西船発着が1往復だけだから「中山」ですし。
211系も2連は限定的なので(3連以上を短縮してというわけにもいかない)、流鉄があらかたかっさらった格好です。岳南にも、といううわさが出ていますが、213系しか2連は無いわけで、ロング化したとしても吉原地区の都市内電車としての用途には向かないでしょう。なんとか現有車両を延命して2連組が豊富な313系まで待ちたいところですが。
車両限界の話は、ホームであればまだ何とかなるのでは。裾絞りとはいえホーム面は従来サイズですし。イズッパコからJRCの乗り入れてくるところのホームを分岐側オーバーハング対応で削ったように、やればできるという世界ですから。
三岐北勢線を改軌して、という話は驚きですね。挟幅1435㎜となるとどこが出し手か。京阪大津線700系なら全長なら同等、幅員も25㎝程度と手直しを押さえられますが、築30年のロートルです。しかもサイズがそれだけ小さいとなると北勢線はナロー3〜4両で8編成ですから、4連を組む必要も出てくるでしょうから、10編成20両ある700系だけでなく5編成10両あるで築40年の600系も必要になりそうです。
三岐に移管した際、高速化、近代化の名目で国の制度をたんまりと注ぎ込んでナローのままで経過し、もし標準軌化となっても国費はじめ税金の大量投入は不可避ですから、だったら最初から標準軌化でしたし、それって何の電車ごっこ、というくらいの浪費です。
鎌ヶ谷の球場は2018年時点では2047年頃まで使う予定と答えていたのが一転老朽化や地理面を理由にした移転発表でしたから、まあ地理面はともかく老朽化は実質方便でしょう。
最近他の二軍球場ではナイター設備が整備されつつあるようですが、鎌ヶ谷は周辺への配慮(主に梨園)とか道路事情でナイターの検討が見送られてきた経緯があるようですし。
二軍(以下)の球場は軒並み屋根がない以上熱中症対策とかで最も有効なのはナイター化ぐらいで、おそらく他球場で進んでいるのもその絡みでしょうから、今まで見送ってきた理由からも(推定できる)本当の理由は口にできなかったと思われます。
跡地をどうするかは未定としながらも関係は維持するとしていますが、道路を考えると球団にしろ親会社にしろいい使い道も思いつきません。
球場自体は市営化して草野球場として再利用できれば御の字、といったところかなとは思いますが。球団の広報施設でも併設、とかだと市営化と矛盾しそうですけど。
旧海浜(セントラル高浜)の美浜線が旧シティ(イースト新港)の出洲港線として移管されるようです。結果的には会社再編前のプラウドシティ線移管(シティ→海浜)とはトレードになりましたが、これを考えると細かい移管は今後もありそうです。
旧バスシステム(セントラル船橋)の飛地と化している柏井線とか、市内線あたりは旧トランジット(ウエスト塩浜)のが適していそうですし、白井車庫は言わずもがなな上に例の意味深な時刻表データがありますから。
久々に大型粘着が来てしまい皆様のお目汚しになっています。
2022年のブログ移転時にトップ記事のコメント不可機能を忘れていたら、まさかのコメントを頂きましたね。
しかもご丁寧にもコメント不可機能を付けたら手当たり次第にコメントとわかりやすいです。一方でGooは編集側によるアク禁措置が出来ないので、手動管理するしかないですが、まあどうせGooバージョンは9月末までですし、ブログの仕様としては迷惑行為として「通報しました」になるので一気に詰みます。
私自身大阪シティバスの系統番号なんていつ書いたか、というくらいの遠い昔ですから、いったいいつの話を粘着かと思うくらいの書き逃げですが、当の事業者が系統は(数字)とするだけで(数字)号系統とは書いていませんからね。系統番号を間違えていたらさすがにダメですが、そういうコメントでもないから、単に「〇〇系統はおかしい、〇〇号系統と書かないのはケシカラン」ということなんでしょう。事の本質に爪の先程の影響があるとも思えませんが、拘らないといけないんでしょうね、こういうコメントを付ける人の住む世界では。
そういえばそれこそ20年前というレベルの大昔に「こんな意見は関西鉄道趣味界では通用しない」とドヤ顔で批判されたことがありましたが、全く髪の毛一筋ほどの考慮もする気がありませんでしたし、それで何の影響もなかったですね。まあ座席に荷物を置いて隣席ブロックをして咎められたからその駅の利用者が客層が悪い、優等列車を止める必要はない、と平気で言うような人の批判でしたから、「通用しない」ことが常識人の証として胸を張れましたけどね。
そういえば二軍どころか一軍でも楽天のデーゲームが批判されてましたね。東北は涼しいという先入観なのか、梅雨末期ということで7月のデーゲームを組んだのはいいが、灼熱地獄で選手の生命にかかわる問題という批判が出ています。
確かに大物の阪神新二軍球場も照明設備がありますから、イースタン、ウエスタンとして収益化を図っているNPBにとっては照明設備がないのは困るということなんでしょう。しかしそうなると浦和を去るロッテも鎌ヶ谷を使うという選択肢はないわけで、いよいよ跡地利用の話になります。
草野球というとあんまりに聞こえますが、確かにそれでも御の字ですね。
まあ我らが船橋はハコモノを作ったはいいが維持更新が出来ずに終了という持続可能どころじゃない話のスポーツ施設がありましたよね。大穴の市民プール。滝不動の屋根付きゲートボール場はなんとか継続していますが。
またエスカレーター通せんぼキャンペーンが始まりますね。処理量が計算できない頭が悪い人間ですぅ、と言っているに等しい人が賛同する愚かなキャンペーンです。
立てばいい、じゃないんですよ。首都圏のような流動が多い駅では両側に立つと処理できずにホームやコンコースが溢れて危険な状態になります。あるいは頭の悪い事業者の例として、山陽新幹線の駅でESは「通常より遅くしています」という使えない機械だけというケース。足元が覚束ない人はEVを使えばいいのに、無用な配慮で歩くより相当遅い状態です。コンコースからホームまで2分以上かかるケースもあるわけで、待合室で到着案内を聞いて進みだすとギリギリとか、嫌がらせをしているような駅が目立ちます。
先日は山陽新幹線の駅で、コンコースからホームに上がるガラガラのESで高齢者がどっかと立ちふさがってました。荷物を右側においてのやり口から見て確信犯でしょう。
そして上がりきったところでまっすぐ進まず横移動して進路をふさぐわけで、自分は急ぐ客を咎めて正義のつもりでしょうが、既に新幹線が到着しており(当駅で退避)、迷惑どころじゃありません。その荷物は金属製のかご付き台車と呼ぶべき代物で、自分では絶対に網棚に上げられないとしか見えません。人の邪魔して、座席の前においてリクライニングの邪魔をするか、隣席ブロックでしょうね。多重迷惑です。
ちなみに横移動しての邪魔をスルーしようと横に出たら、こんどはホーム売店の店員が何も考えないで突っ込んできました。店にまっすぐ行きたかったんでしょうが、ESの上り口は電車に向かって客が前後に散らばるというのに、それを塞ぐように(要は横移動した高齢者ジャマーと何も考えない店員の挟み撃ち)歩く店員と、前者はまだ客ですが、後者は客の邪魔までしてまっすぐ歩く必要があるのか。
エキナカが正義と勘違いし、混みあう通路をかき分けて台車で移動するケースとか、形を変えて尊大な国鉄時代の駅員などが蘇った格好です。
最近の暑さがえげつないが故に広島だと選手側が真夏のデーゲームは勘弁してほしいと球団に要望を入れたなんて話も聞こえて来ましたが、今度神宮と場所を入れ替えるラグビー場は逆に屋根を載せることに批判が出ているようで。
まあその批判の中身は脳筋思考丸出しもいいところのもので、曰く天気がどう荒れようがそれに打たれながらやってこそ、みたいなものでした。
今回場所は入れ替わりますが、所有者(球場は神宮、ラグビー場は行政法人)や名前(神宮と秩父宮)まで入れ替わるかどうかは今のところ発表はありませんけども。
大穴の市民プール閉鎖後、跡地は多目的運動広場になりましたが、しれっと運動公園のプールが市民プールになっているようです。
滝不動のゲートボール場は確かに残ってはいますが、通る時間の関係もあるのでしょうが、ここ数年利用者がいるのを見た記憶がありません。
屋根付きゲートボール場はそれこそ10年単位の昔に屋根を支える柱の老朽化で使えないという話を聞いていましたが、ネットで見るとまだ閉鎖とかはアナウンスされていないので細々と使ってるのかなと思いました。当時も(当時の)老人には大人気とはいえゲートボールというニッチなレクリエーションにあんな立派な施設を、と陰口が絶えなかったわけですが、末路というにふさわしい現状です。
市民プールも船橋市の特性として松戸線沿線(つい新京成沿線と書いてしまおうとする)という独立性の強いエリアがあるわけで、金杉は大回りになるので大穴にも、というのは市民サービス上も当然のはずですが、あっさりと捨てましたよね。高根台や習志野台の再生というお題目を掲げているのなら、沿線価値の一助になるはずですが。
ラグビーの件は、すみません、私も脳筋思考の側です(爆)
というかラグビーって独自の「お作法」があって、見る側もそれを守って楽しむというスポーツですからね。コマーシャリズム全盛で観戦する側に寄り添いすぎるようになったと思うくらいですから。まあ良く言えば融通無碍、改革路線で、悪く言えば基本ルールや用語すらあっさり変更する、というスポーツであることも独自です。
天候が悪かろうが実施するというのは英国系のスポーツの特徴で、その典型がゴルフでしょう。さすがにクマが出たら中止になりますが、素人のラウンドでもゴルフ場がクローズにならない限りはキャンセル扱いになるので決行なので、休日にゴルフに出かける面々が当日の天気予報を見て愕然としているのはお約束の光景です。
ラグビーも2019年のW杯では台風襲来当日の試合が中止になりましたが、台風一過となった横浜は必死の復旧作業で決行しました。そうそう、1987年の「雪の早明戦」もそうですよね、朝方までの大雪は積雪となり午前中まで降り続きましたが必死の除雪で14時のキックオフに間に合わせましたから。なおその時は観客のことは二の次で、ラグビーは悪天候でも実施という認識でしたが、大雪だけは想定外で、風雨の中ではプレイが出来ますが、積雪ではどう考えても無理なので、前代未聞の中止かと思いましたから。
なお神宮と秩父宮は位置は変わりますが、由緒を考えると名称変更はないでしょう。「スポーツの宮様」の異名を取った秩父宮雍仁親王ですが、特に関係が深かったのがラグビーで、親王は戦前花園の建設を提案し、東京におけるラグビー専用競技場の建設をサポートしているため、薨去後にその業績を記念して「秩父宮ラグビー場」と改称したという経緯があります。
コマーシャリズムは時代の流れとはいえ、サッカーとは違うんだ、というラグビーファンのプライドを見事に叩き壊してくれました。2003年のトップリーグの発足時、スタンドであれこれ観客にパフォーマンスさせていたのを見て愕然としましたから。それでもハーフでサイドは後退しますからホーム側とかアウェイ側という概念はないですし、スタンドでも敵味方入り乱れてますが、トラブルもなく応援しています。2015年のジャパンが南アに逆転勝利した世紀の大番狂わせの試合でも、狂喜乱舞するジャパンの応援団とぼうぜんとする南アの応援団が混在していましたし。ユニフォームレプリカを着たりフェイスペイントをするといった悪弊はサッカー業界から移植されてしまいましたが。
ルール変更はどうなんだろう、というのもありますよね。トライが4点から5点になったとか、キック合戦で勝負がつくのが興ざめだからトライ重視は分かりますが(柔道も「一本」重視になりましたよね)、得点体系を変えるのはなかなかないですよ。バレーボールのサーブ権制度廃止と並ぶ変更です。あとはペナルティキックをタッチに蹴り出した時のラインアウトがマイボールになったとか、フェアーキャッチとか、ゲームの流れを大きく左右する(戦法を変えてしまう)変更もありました。シンビンは分かりやすく良い変更ですが。
観戦者もある程度場数を踏まないとルールや面白みがわからない難点がありますが、分かってくると観戦者にも一体感を感じられます。敵味方なく良いプレーには拍手する、倒れた選手が復活したら拍手する、というのはスタジアム一体で沸き起こりますし、ペナルティがあるとレフェリーが笛を吹く前にスタジアムからため息が起こりますし。小旗を振りながらそういう応援をするのもいいものです。
流鉄の211系は東海製造の6000番台ですから運転席の窓が縦方向に長く直後の座席が展望席になっています。
18きっぷ改悪前は通用期間中の211系運用でほぼ確実に鉄道ファンの展望席狙いがいましたしロングシート、トイレなしが不評だった本系列で
数少ない長所でした。利用が集中しがちな373系運用における視界の広い窓側席は数多くあるのに対し211系運用の展望席は1席だけなので
実は遥かに確保難易度は高めでした。流鉄入線後もしばらくはここが特等席になるでしょうか。
最近のトレンドや流鉄の台所事情からしますとこれに気づいて追加料金を求める指定席などとやりそうなのが気がかりですが。
北海道では花咲線で海側、窓側の席を指定席キハ54で追加料金に(壁と対面のハズレ席もありますし)、釧網線ではH100系のボックス部に座るのに
別料金を取りそれでも払う人は一定数いますが正直ここまで来ると市場主義だけで肯定すべきか疑問です。
まあ釧網線と花咲線は2両に増結しての指定席設定ですから阿漕度は低いですね。JR九州が肥薩(山)線で「いさぶろう」「しんぺい」を特急化した時、地元専用と旅行者用に自由席が設置されましたがそれが木のベンチという阿漕極まる状態でしたが(のちに自由席は共通化してクッションが付いた)、それよりはマシです。
ただし釧網線のようにH100系となるともともと座席がキハ54などの1両分ですから、増結してようやく以前と同等なので、かなり阿漕です。
旅行というのはコト消費の古典的代表ですが、着席サービスを蔑ろにするのは論外として、景色を眺めるという楽しみも別料金というのはあんまりでしょう。ロング化を擁護する事業者無謬というか工作員が大きな窓越しに景色が見れるとかほざいていましたが、現実は対面に座る人が景色も見ないでスマホでお楽しみということでカーテンを全閉ですからね。なまじ窓が大きくカーテンが1枚になってしまうと1人そういうのがいると景色が全滅です。
まあ事業者が景色を愛でるということへの配慮がないというか、それに無頓着な乗客も合わさると最悪です。
福井で車窓を見せずにVRでお楽しみ、というバスが走っていますが、そんなので旅行に出る意味があるのか、と言いたいですね。あるいはそのレベルだと旅行という行動にアクセス、アプローチを楽しむという要素が消えてしまい、それで満足する層だけの限定的な娯楽になるでしょうね。ただでさえ旅行に出る余裕もなくなっているという逆風が今後ますます強くなるというのに。
景色に関しては航空が昔から「見せない」ことを徹底していますよね。大型の共用スクリーンで映画を上映していた名残でシェードを下げさせる航空会社もありますし、あるいは787のような電気式で窓の透過度を上げ下げするケースでは一斉不透明モードにしています。睡眠時間の確保のためという建前でしょうが、真っ暗にするからシェードを上げたり透明度を上げると光が入って迷惑になるのであり、薄暗い程度にすればそこまで目立たず、睡眠も観光も両立できるはずですが。
大穴にあった市民プールは確か私が保育園だかの頃にクラスごと通園バスに押し込められて連れて行かれた記憶がありますが、記憶が正しければ自分のクラス以外に利用客はいなかった気がします。
敷地内に小学校以上のような常設のがなかったというのもあり、そこに連れ出されるか都度仮設のを敷地内に展開するか、みたいなスタイルでした。
まあ私自身は筋金入りの金槌なので、保育園時代のただ水に浸かればいいみたいなのはまだしも、小中で体育でやるのは正直嫌いというか苦痛でした。ビート板があっても泳げた試しがなかったですし。
ルール変更で柔道について触れられていますが、武道やそれに類するもので国際化などで色々変わったのを片仮名やローマ字にして揶揄、というネタがどこかにあった気がしますが、それで言えば「伝統武道の柔道と五輪競技のJUDOは別物」といったところでしょうかね。
競技自体が国際化ではなく競技人口が国際化、という意味で「神事の相撲と外国人力士が跳梁跋扈するSUMOは別物」とも言われていた気がします。
ラグビーでリーグワンの外国人出場資格を国際基準を2つに分ける格好で「制約」していますね。
協会筋が中高生などのラグビー人口を増やすために日本人の出場機会増加が必要と主張したが故のようですが、まあなんというか、純ドメというか一昔前の協会の体質がまだ残っていますね。大学ラグビーを頂点としたOBのボス交で物事を決める体質が滲み出ています。
それの成れの果てが1995年W杯での惨敗という壊滅的状況であり、そこからジャパンが立て直してきた30年間をぶち壊す格好です。代表に外国人が多すぎる、という批判も俗耳に入りやすいですが、ラグビーの代表は、一度ジャージに袖を通したら簡単には変えられない、というラグビー特有のルールを無視しています。なぜ彼らは桜のジャージに袖を通す、すなわち母国の代表になる道を諦めたのか。プロ野球の「助っ人」のような片手間気分はもちろん、サッカーのような招集されて母国のナショナルチームに出る、というような所属意識もありません。
そして外国人選手にもまれることでジャパンのレベルアップを図る。指導者もそう。先日の新プロジェクトXにもなっていましたが、平尾の苦闘はまさにそこにありました。その成果が2015年のジャイアントキリングであり、そして2019年の決勝トーナメント進出です。2023年のW杯は不満が残る結果でしたが、それでも予選プール2勝であり、上を見据えている人が多いからこその不満です。1991年から2015年まで予選プールですら1勝もできなかった低迷期を忘れたような奢りでしょう。日本人がとか言い出す協会筋は。
久々に京成松戸線に乗ったら京成色が結構目立ちますね。
京成色になったN800系を見たら遠目には新3000系であり、まさかの臨時で運用に入ったのか、と思ったくらいです。前面の車番も新京成時代と違い新3000系流の大きな文字になっています。
8800系は鋼製車の京成塗装ということで、線の細さはありますが3400系や赤電のイメージを彷彿とさせます。
そして80000系の京成塗装はけっこう幕板の青が目立ちますが、これは京成に新3100系の原型車がいないので、世が世なら、という塗装になっています。
まだまだジェントルピンクも目立ちますが、新京成末期の入場車は復刻塗装となっているようで、ジェントルピンクを早期に消す意思が見て取れます。8900系がどうなるかですが、青と赤ならもともとピンクから微修正された時の塗装なので、それを復刻して京成カラーと言いはるか、あるいはN800系のような新3000系もどきになるのか。
成田街道方面に用事があってしかも炎天下に歩く破目になったんですが、「自衛隊前」が「習志野駐屯地」になってたんですね。津田沼線の初期から折り返し停留所の名称としてお馴染みだっただけに驚きです。その旧「自衛隊前」改め「習志野駐屯地」のポールには船橋新京成時代の路線図が残り「自衛隊前」となっていますが、よく見ると「習志野営業所」とあり変更していないようですが、改称した停留所でそれはあんまりです。
「郷土資料館」のポールのほうは「習志野駐屯地」とあり「習志野西営業所」とありますが、ピンクなんですよね、カラーが船橋新京成時代のままです。電車はシャカリキになって新京成色を消そうとしていますが、バスは違うようです。
なお現在高根公団駅ロータリーが工事中の影響でバス停が移設されていますが、習04、高02用のポールが白地の船橋新京成バスタイプではなく、黄色っぽい地にスポンサーを記入するところと周囲を紺色にした、ようは「タクアン」カラーを引きずる伝統的なタイプのバス停を使っています。習志野車庫に在庫がなかったのでしょうが、まさかの再登板です。
プロの世界でも近年はパワハラとかと絡められるようになったこともあり、過度な脳筋思考は糾弾されるようになりつつありますが、かくいう私の出た高校もここ数年の間に脳筋らしい不祥事を起こしたとこだったりします。
まあ私自身は当時の部活は文化系というかいわゆる芸道の類だったので辛うじて脳筋要素とは無縁でしたが、「大会の類があり、参加単位が個人(部員)単位ではなくチーム(部活ごと)単位」という条件を満たした途端、文化系でもその要素を帯びてくる傾向にあると思います。
まあいわゆるブラバンのことですが、それのような脳筋文化系と運動系は身なりに対して厳しいという共通点があります。もっとも、私のところの場合脳筋文化系の場合着崩しの類がNGになるぐらいで、運動系にありがちな超短髪まで求めてくるとかはないようでしたが。
特に野球とかでは応援に駆り出されるあたり親和性も高いと捉えられますが、一方で同じく駆り出されるチアをやるダンス部は運動系と思うと比較的着崩しに寛容だったように見えました。
新京成車の京成色化は8800に関しては検査のついででやっているようですが、N800や80000は狭義の塗装変更が前面部分のみ(側面はフィルム)ということもあり検査周期とは関係なくやっているようです。
もっとも3000や幻に終わった3100の本線仕様に見える両形式ですが、窓枠が黒いままだったり、アンテナが形状が違うなど外観の差異は意外と残っているほか、内装はほぼそのままかつ唯一N818は合併後初めて扉上をLED→LCDに換装しましたが、内容は京成化されずに背景がネイティブ京成車にあるような3050旧色のような模様が入ったものにされず合併前換装組と同じもののままです。
合併までに生き残った独自形式は京成色になる前に代替されるのも当然いるでしょうが、とりあえず次の3200の1.5本分が入ってもまだ京成側の3500などの方が代替の優先順位が高いはずですし当分安泰でしょう。
ただN800以前は金属板の車番とは別に80000と同じ位置にも車番を書き足していますが、板を残すのであればそっちは車番のままではなくいっそ京成の筆記体ロゴにでもすればいいのにって感じもします。新しい位置の車番も、3000までのようなプレートを模したステッカーとかにすればよかったのに感もありますが。
ちなみに合併の前日かそれぐらいから塗り替えが始まった新京成(8800でしたから実際は検査と重なっただけでしょうが)に対し、車体の社名表記だけ先行で変わっただけで合併を迎えた泉北も、案の定というべきか検査で塗り替えが始まったようで。
帯の貼り方はまだしも色使いは共通化していることや、合併以前から泉北から逆輸入した中古車は南海色でしたから、先行の表記のみの段階ではどっちに転ぶかは予想が割れていたようですが、旧型車も色を変えるスタンスが勝ったようです。
バスは色変えが必死ではないのは単純に台数もバス停ポールも多すぎてそれどころではないもありそうです。
一応新車導入と並行して既存車の塗り替えもやってはいるようですが(旧タウンはロゴなくしたら真っ白なのを利用して安直にロゴ貼っただけなんてのもありますが)、加えて範囲調整が済んでいないというのもありそうな気がしますし。現京成バス領も入ればその分もありますから。
ただ出所が違う場合どうするのかというのは気になりますが。たとえばバスロケ等からの状況証拠から予想される、少なくとも旧レインボーの鎌ヶ谷大仏以南や八千代緑が丘以南の移管ですが、車両もとなると旧レインボー車を旧習志野に送って旧習志野車を鎌ヶ谷に送る、というのもありえますし。
80000系の京成塗装化は新3200系準拠という見立てですが、「欠番」となった新3100系原型車のデザインがまずありきなんでしょう。新3200系がそれを踏襲する格好でお披露目となり、80000系は「幻の」原型車が登場した格好です。
見ていて気になるのは新3000系とそれに準拠するN800系は幕板直下に細い青帯を入れていますが、新3200系と80000系は幕板から雨樋の下まで青をベタ塗していること。どう見ても野暮ったく青が必要以上に主張しています。
車番はホームドア普及で見えなくなってしまうことへの対応であり、阪神や阪急も車端部上部に追記しています。
ただあからさまに取って付けた感が強くデザインへの配慮もないだけに、もう少しどうにかならないのか。その意味では京成の3500系以降の戸袋部の窓の上端部に近い位置への設置は時代を先取りしており、筆記体ロゴの社名掲示と合わせてアクセントになっているのが現代に生きています。
これは京成流を普及させたいところですが、京成自体が3100系(3150系)以降戸袋部への掲示を止めてしまい、筆記体ロゴは無理にしても「K'sei Group」のロゴも合わせて幕板方面に追いやってしまうのはデザイン的にもどうなのか。3200系は色使いもチープな感じが否めませんし。
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「日本交通」は東京のタクシー会社と大阪、鳥取のバス、タクシー会社がそれぞれ存在感を持っていますが、大阪弁天町に営業所と車庫があり、老舗の特急バスもあることもあり、関西で「日本交通」というと大阪、鳥取系を指すのが一般と思っていました。
ところが神戸市の阪神春日野道からほど近いところに、東京の「日本交通」の営業所があります。
ジャパンタクシーで東京でお馴染みの「Go」の広告を付けた車両が並んでおり、建屋には「東京・日本交通」と東京のそれであることを高らかに宣言しています。直近買収などで進出したようですが、車庫のある場所にタクシーの営業所ってあったっけ、という感じで、旧法人の拠点とは別の位置に拠点を構えたようです。
神戸だとサブローバスが大阪系の日本交通で、舞鶴や福知山への高速バスもありますが、そこに東京の「日本交通」が「N」の行灯とともにやってきたわけで、どうなることやら。
2週間前の金曜ですが
久々に津田沼終で帰宅しました(苦笑)
タクシー待ち列が折り返して半端なく混んでましたし、ちょっと小腹が空いたのでラーメン食べて
1時半過ぎに再度タクシー列に並びましたが40人待ち、何よりもタクシーが来なく2時過ぎにようやく乗車できました。
五反田から帰宅でしたが、次回以降は勝田台終で帰るように反省です。
3100のような塗り分けだと、細帯を踏襲して雨樋を青くしているのでしょうけど、あそこまで太いのであれば逆にそっちを赤くしてもいいのではって気もします。
逆に腰部が単色ですし、上が赤くて下が青い、の方を踏襲して逆のがよさそうですが。
関西圏に進出している桜にNの日本交通(紀尾井町)ですが、以前は京都にも進出していましたが手放しています。
兵庫は一旦は縮小しましたし、関西での本拠である大阪も子会社化した系列の一部を大阪メトロに売却したりなど、やはり縮小傾向と思われていましたが、今年に入ってからむしろ拡大しだすなど動きは謎です。
泉州地域に至っては直系グループすらなく提携会社のみだったりしますが、関空が欲しかったとかでしょうね。こちらは子会社にしましたが、千葉でも京成から買った館山を畳んでおきながら成田に再進出しているぐらいですし。
東京日交の再進出はアプリの普及もあるでしょうね。特に神戸地区はアプリが普及するまでは無線配車とチケットで兵協、神協の牙城でしたから、我が道を行く体力がある第一とMK、駅構内に乗り場と待合室を構える阪急、阪神以外は商売が難しかったです。それにしてもタクシーがつかまらない、呼ぶしかない、というときに迎車料金、予約料金と積み重なるわけで、さらにアプリだとアプリ料金と、宣伝では気軽に使おうと言っていますが、ちょっとの距離でも下手をしたら2000円レベルというお大尽の乗りものになっています。暑さ寒さに雨降りとなるとやっぱりタクシーと呼びたくなりますが、1000円単位で浮くと考えたら我慢を選びたくなりますね。ましてや公共交通があれば。そう考えるとレンタカーやカーシェアに流れますね。
夜遊びしての帰りも大変ですね。津田沼で2時過ぎまで待つというのは20世紀末までの話でしょうに、需給バランスが完全に崩れてますね。そう考えると一時の徒花になってしまいましたが、深夜急行バスの存在は神でしたね。近郊在住という時間距離のハンデなく宴席に出ることが出来ましたから。2次会で軽く飲んでからカラオケに行ってもまだ家に帰れた時代が懐かしいです。
ところで早朝の津田沼リムジンですが、係員が常態化しましたね。ただひとときの中高年女性の時のような手際の良さが見られないのが残念ですし、見ていて「違うそうじゃない」と言いたくなります。実際運転手が自分の思っている段取りにならないレスポンスに思うところがあるような反応が見て取れることもありましたし。
そして2番目の便が5分繰り下がって京成本線の宗吾始発受けが復活したことで、改悪前の状態が戻っているようですね。間仕訳人と運転手の会話でどうも当該が満席で発車したこともあるようで、2台口もあった往時のレベルにはまだまだでしょうが、やはり宗吾始発を受けないのは失敗でした。なお大荷物を想定してか電車との接続が冗漫気味なこともあり、発車間際に着いてしまった次発予約組がそのまま乗り込むケースも目立ちます。予約しているので次発に積み残されることは無いのですが、無予約が溢れるのを恐れてか、どうも積極的に前便に乗せてしまうようです。
一方オレンジの会社が羽田発の予約を拡充させていますが、京成バスのサイトでは津田沼リムジン羽田発の予約はリムジンバス予約Webへと誘導していますが、リムジンバスのサイトでは千葉方面は未対応となっています。近々に実現するのでしょうが、いろいろ厄介ですね。5分前まで予約変更が可能とありますが、結局発売期限が5分前なのでそれと連動した格好です。
しかし予約変更が必要な状況は航空機の遅延が原因であり、出発時点で遅延確定であれば予約変更は出来ますが、飛行中に遅れることも多々ありますし、沖止めでバスとかサテライトとか、荷物が出てくるのがとてつもなく遅かったとか、到着時に事前に時間を読むのはけっこう難しいです。着陸段階で急いで変更というのも忙しないわけで、しかも会員登録して券売機で決済、発券しなければ先払いなので、予約便に乗れなければ大惨事です。
さらに予約対象路線では近郊便や都内便も含めて座席指定を導入しており、予約は座席を選べるが券売機購入は自動割当と、かつての「セントラルライナー」のような先着順ではなく購入タイミング次第で席の良し悪しが決まるという理不尽が発生します。予約誘導でしょうが、航空機受けの全車指定は利用者の受けが悪いことはNEXなどの実態で分かっているでしょうに。
上記のように変更期限と購入期限が5分前ですが、そうなると航空機の遅延で予約変更やノーショーが多発した場合、その空席を購入する手段がありません。空席は購入期限である5分前を過ぎて確定しますから。そうなると空席多数なのに「満席便」として出発するバスが多発しますが、そこはどうなるのか。既に人気系統である葛西線では予約がスタートしていますが。予約枠を限定して当日客を救済するのかもしれませんが、勝手にあてがわれた座席ですからね。本来電車を避けて高くて遅くてもリムジンバスという志向が強かった女性客の受けは相当悪くなります。せめて定員制予約でしょうに。予約時や変更時のステップも減りますから一刻を争うときに有効ですし。
八千代台にある深夜急行のバス停ですが、わざわざ社名を京成バスイーストと変更しています。
当面の間、運休しますって5年経ちますが。
津田沼からのタクシー代もコロナ前までは3000円しなかったですが
4000円近くて財布が痛いです。
深夜急行復活出来ないのであれば、金曜限り通特佐倉復活ないとこの先も同じ過ち繰り返しそうです。
佐倉がギリギリ都内通勤圏と思うんですよね。
まあアプリで呼ぶにしろ電話で呼ぶにしろ、迎車料金は避けては通れないですが、かろうじて予約料金は時間を指定した予約でなければかからないのが普通ではあります。
ただ、この迎車料金は都区内では元から固定で別途の形でしたが、周辺ではスリップ制といい迎え先まで向かう間にあらかじめ決まった距離(会社や区域によるものの首都圏近辺では1kmか2km)までは回るという制度でした。
近くから来たか遠くから来たかでメーターを倒した段階ですでに回った分が変わる仕組みで、結局迎車距離が運賃に直接影響することや、それの分が迎車料としてはっきり書かれるわけではないので不透明というのもあり、固定の迎車料に転換されたと思われます。
千葉はタクシーは全県展開に近いのは京成とエミタスの2強状態で、北西部に限ればmyもそれなりの規模といったところですが、意外にも他地域からの進出は数はともかく規模は大きくないんですよね。
全国どこにでもいるに近しい第一も市川と浦安ぐらい、イースタン(梅田交通系)も船橋・松戸・稲毛、日本交通と東京MKも成田だけ、といった具合で、一都三県展開だった飛鳥は千葉県はエミタスに手放しましたし。あと一応みさきタクシーが岩槻タクシーの系列でしたが。タクシーの系列でタクシーに限らなければ以前房総半島でバスやってた日の丸や、くぬぎ山に貸切バスの車庫がある東都もありますが。
逆は京成系の帝都を除けば印西の都市交通が東京タクシーとしてそこそこの規模で進出していたり、エミタスも遠縁の三ツ矢観光系を含めれば都内や埼玉に出ています。都も以前は都内にもタクシーがありましたが今はそっちはハイヤー一本ですし、檪山交通は日本交通に成田と板橋(板橋は実質枠のみ)を手放した後に茨城の系列会社を都内に再進出させましたが、その系列会社ごと大阪の日本城に手放しています。
千葉にあるのに東京と名乗っているところがある、という耳が痛い?CMを関西ローカルで繰り出しているのが姫路セントラルパークですが、グローバル視点では大阪も姫路も一緒、だってクルマで55分という主語を大きくしたCMを流しています。
55分は中国池田からということは指摘してはいけませんが、その一環で岡山も一緒というバージョンがありますが、これは逆効果では。岡山ICから80分と結構あるわけですが、姫路は岡山だとなると大阪や神戸からだと「向こう側」になってしまうわけで、足が止まってしまいます。
まあこの手の自虐系は「ひらパー」が嚆矢ですが・・・
KK線廃止の影響でC1外回りの江戸橋〜浜崎橋の渋滞悪化してますね。
せっかく前世紀に整備した江戸橋〜京橋拡幅後、車線減少が無くなり渋滞解消し江戸橋信号も廃止され
利便性の大幅向上が台無しになっていて本当にくやしい。というより落胆。
首都高に対する関心、興味が薄れました。
旧新京成バスの習志野車庫は習志野西営業所になりましたが、バス停名も「習志野西営業所」になっていたんですね。
近接して京成バスの「習志野出張所」がありますが、名は体を表わさないと言わんばかりの状態です。京成バス側のセントラル合流時には「習志野営業所」になるんでしょうが。
そうそう、ジェッツ仕様のピンク基調の円盤だった浄水場バス停は、ウェスト独自?のデザインになっているようです。というか独自デザインがあるのか、という状態ですから、レアな存在です。
京成塗装化が進む旧新京成の車両ですが、ふと気づいたのが、新京成時代は8800系が途中からドア部の帯を廃して、ジェントルピンク化の際も8900系以降は無塗装、8800系は白色塗装としていましたが、京成塗装化で京成の各系列同様ドア部にも帯が配されるようになりました。JRを嚆矢にシール塗装が導入されて、心無い乗客による「剥がし」は別として、ドア部は開閉時に擦れて剥がれやすいという懸念なのか帯を省略するケースが大半になっていますが、京成は頑なに帯を配していました。
さて京成松戸線はホームドアと無縁のようにみえますが、新津田沼の京成津田沼方面ホーム端部付近が養生された格好になっていました。通常この状態はホームドアの設置か、という段階ですが、本格導入なら反対側の松戸方面ホームと思うところ、お試しで設置なのか。あるいは別の工事というのが正解なんでしょうが。
サイネージが「光の暴力」となっているE235系ですが、グリーン車も普通車並みの「光の暴力」を受けるハズレ席がありますね。壁に向かう左側最前列に案内表示器がありますが、普段なら便利な各種情報も、グリーン車だとモロに目の前です。しかもなまじリクライニングさせると「目の前」になるわけで、情報が何度も切り替わり、停車駅が近づくと矢印を増やす格好の「動画」チックな降車口案内と忙しく、目を瞑る以外に解消法がありません。
それでもまだ総武快速線は停車駅が限定されていますが、同じアコモの中央快速線は停車駅も多く頻度も高いですからこれは地獄です。せめて極力天井に沿う格好で位置を上げられなかったのか。まあそのうち背ずり背面にサイネージを設置したりして。イニシャルコストは高いですが、広告料収入でがっぽりですから。既に航空会社は印刷で広告を入れていますし。
ところでグリーン車の車内検札がなくてただ乗り状態が横行していると批判が出ていますが、先般横須賀線内から津田沼まで延々とグリーン車に乗りましたが、アテンダントが確認に来たのは東京を出てからでした。平日の夕方ですが、頭上のランプが赤のまま降車した人も少なくなかったですが、大船から、いや、最悪でも横浜から確認しないのは、人手不足を理由にしてはいけない怠慢でしょう。正しく購入したら馬鹿を見ます。
今般グリーン料金が改悪されて100㎞超が設定されましたが、もとからの50㎞超も含めて、正しい確認をしないと全くの無札ではないが距離の誤魔化しが多発するでしょう。しかも「車内料金」制度が廃止になり、正しく購入するしかない事前購入の必要性が無くなったわけです。特にモバイルだと乗車後の購入が可能で、アテンダントが来なければ50㎞までの料金でズルが可能です。
グリーン車連結区間が増え、特に中央快速線という本数も段違いの路線に導入したことで、アテンダントの数が絶対的に足りないのは火を見るより明らかですが、それが「正直者は馬鹿を見る」結果になっているのですから、JREの対応は論外です。
まさかの津波警報に県内でも内房線、外房線や銚子電鉄で運休となっていますが、大げさなと思う反面、「3.11」以降、大津波警報が出た能登半島地震以外では一番大きな規模の津波が観測されていますから油断できません。
津波の波長、サイクルがかなり長いようで、第二波、第三波と波高が大きくなっているのも気になります。夜に入り東北で19時台に70〜80センチの津波を観測していますが、津波警報が注意報になった後の20時過ぎには館山で60センチと全く分かりません。関西でも夕方に天保山で30センチを観測しており、上記最大波高の津波はまだ到達していないので、深夜に警戒が必要でしょう。さすがに大きな被害は出ないと信じたいですが、30センチを超えると足を容易に掬われるとも言われており、1メートル近くなると洒落にならないでしょう。
「3.11」の1年前のチリ地震で大津波警報が出ましたが、津波警報となった東京湾内湾ではお台場をゴールとする東京マラソンが予定されており、地盤が高いから大丈夫と開催を強行しています。この時は何ともなかったのですが、1年後の「3.11」では東京湾内湾でも津波被害を出しています。東京マラソン開催を正当化するために、東京湾奥では津波はない、と学者を引っ張り出して鎮静化に努めたわけですが、「3.11」では船橋など浸水被害が出ています。これも「津波はない」という公式回答を覆せないから注意を周知することもなかったわけで、行政が自ら為にする意見を発信することもある、ということは記憶すべきでしょう。
昨日夕方駅まで用があり、ちょうど京急車の三崎口行きが来るタイミングでした。快速金沢文庫行きの行き先が目に入りました。
1500形でしたので車両交換でもするのかと思っていたら、優等は文庫以南見合せになっているのを夜のニュースで知りました。
総武快速も東京分断してたみたいで地味に影響出てますね。
逗子線、久里浜線は全列車、本線も堀ノ内以遠が全列車運休でしたね。
逗子線は相模湾側、久里浜線も東京湾の外側に面するのでリスクが高く、本線も浦賀付近は湾口だし、ということなんでしょう。関西でも和歌山がどうも市内が危険区域となったようで、和歌山や和歌山市に関する区間が全滅でした。阪和線の和泉砂川以南、南海線もみさき公園以南が運休でした。
短中距離路線であればリムジンバスに限らず高速バス全般で座席の指定までは必要ないですし、定員制(どちらにしても定員に達したら乗れませんが)で
特に不都合はないと思うのですが。
座席配置上どうしてもできてしまうハズレ席、具体的には足を伸ばせない最前列、
リクライニングの角度が浅い最後列、まして補助席利用の場合などでも容赦なく当てがいぶちでは利用者の反発が想定されます。
せめて補助席になる場合は200円引きといった対応が求められるでしょう。
高速バスの車両も40年の歴史で進化した面がある一方で黎明期を脱した頃の鈴木文彦氏の著書『はじめての高速バス』に解説のある
席の当たり外れはコストとの兼ね合いでなかなか解消されません。座席数を犠牲にしてしまえば解決しますがそれはバス会社の台所事情が許さない状況で
そうであれば定員制の方が合理的なのは明らかです。管理人様が仰る通り空港発は飛行機の時間との関係で予約制が採りにくく
ノーショーの問題もあり(ただし問題になると予約時にカード決済必須に改悪される可能性も)導入するのしても
宇都宮のような比較的長距離の路線、満席の可能性が高く乗れない場合のリスクがある夜遅い時間帯の津田沼、葛西等の人気路線
それに混雑に加えて予約変更が生じにくい休日午前のTDR線といったところまででしょう。
空港発の予約制は「はるか」が無理と悟って運行開始から4年で自由席連結にしていますよね。片方向だけの全車指定にしないで都心発にもフレキシビリティを持たせています。
都心までノンストップであれば定員制で座席指定をしないという空港発リムジンのような対応がベストですが、空港需要だけで列車の維持が困難で途中駅利用も重視しているので、座席指定にせざるを得ない状態です。号車指定でも対応できますが、マルスのロジックを組みづらいのでしょう。(定員制は立席特急券(これも実は指定席の一種)で実装しているはず)
先週土曜、千葉あずさで日帰り山梨旅行してきました。
行きは錦糸町までは2割程度、帰りは新宿から先は3分の1程度の乗車率でした。
新宿大月間は行きも帰りも満席でした。
大月からレンタカー借りて、勝沼、明野、清里と回ってしました。
本当は甲府まで行きたかったですが、大月までだと休日おでかけパスやホリデーパスの範囲でしたので
中央道の混雑とおさらば出来て快適でした。まぁ台風来る予報が出ていたこともあり道路は空き気味でしたが
中央道のSA少なさと八王子〜勝沼間が苦手です、この日も勝沼までは下道使いましたし。
船橋まで京成でいこうとしましたが、休日おでかけパスもあり
家族4人なら津田沼まで車止めました。ヨーカ堂の駐車場が1日1000円になっており再開発が完了するまでは
使えそうです。
JR西日本が2024年度の区間別輸送密度を発表しましたが、敦賀乗り換えとなった北陸線が大きく数字を落としています。
湖西線はほぼ横ばいにとどめているだけに、米原口の減少が際立っています。一方で小浜線や越美北線など新幹線による入り込みの受け皿となる線区、またその好影響としての既存区間の入り込み増もあってか北陸地区の数字は好調で、首都圏からの入り込みとの明暗を分けた格好です。
中国山地のローカル線はこれ以上落ちようがないと思いきや、トロッコ列車が2023年度で運行終了となった木次線の減少が厳しく、特に出雲横田以南は芸備線の絶望的な区間とほとんど一緒の水準まで落ちました。母数が小さいとはいえ、1/3以下への減少ですから。木次線全体ではこの末端区間の減少見合いが全線で減った格好となっています。芸備線は落ちようがないのか横這いで、2025年度からはテコ入れも始まるので、全社ワーストは木次線になりそうですが、テコ入れからも取り残されており、県境をまたぐことから自治体間の連携もイマイチで、観光列車の手仕舞いが縁の切れ目になるようです。
木次線といえば「冬眠」で有名ですが、JR東日本が山田線で「秋休み」を採用します。
落ち葉による空転防止を理由に上米内から川内まで10月から11月にかけての1ヶ月半、全列車運休となります。実際には川内-茂市間運休もあるので、上米内-茂市間が運休とみていいでしょう。
山田線では「106急行」との共同経営を実施しているため、わざわざ山田線を選択するインセンティブは極めて低くなっています。ただし同じ共同経営でもJR四国の牟岐線とは違い青春18などの特企券での利用が出来ないので、10月というと「秋の乗り放題」ですが、その扱いはどうなるのか。つながっていないから三セク乗車可、とまでしているのに、会社事情で運休しても救済なしなのか。
この区間での空転は頻発していますが、だからと言って全面運休はやる気が全くないわけです。「106急行」への収斂を目指してなし崩し的に運転をしないようにしていますね。回送列車は走るとあるので、最低限の線路状況の確認はするようですが、何かあったらこれ幸い、という発想が透けて見えます。
津田沼までクルマで来て千葉「あずさ」ですか。我が家だったら全区間クルマで行ってしまいますね。
中央道がどうしようもないですが、清里あたりまで行くのであれば上信越道経由も選択肢になりますし。ただ相当前に八ヶ岳高原に友人とクルマ数台を出して遊びに行った際、選択をミスって往路は上信越道が事故渋滞、時間も早いし往路の件もあるからと中央道にした復路は交通集中の酷い渋滞と、裏目ばっかりでした。
下道はけっこう使う方ですが、八王子から勝沼の間は使いませんね。大垂水峠から相模湖畔の隘路とストレスがたまります。まあ今はまだ良くなりましたけどね。学生時代に友人のクルマに便乗して下道で行った際、コーナーごとといって良いくらいの頻度で花束が置かれている大垂水峠を見て夏休みながら納涼大会状態でした。かつてこの区間はあまりの事故の多さに一部の自動二輪が通行止となったくらいですから。
自分も中央道で過去八王子JCTまで3時間半かかったり、勝沼まで5時間かかったこともあるのと、
通勤ラッシュ前に発車する千葉あずさに憧れがありました。こっちは仕事へ行く満員電車乗るのにと、あずさ乗る人は楽しそうで。
休日帰りですと過去小仏トンネル渋滞を避けるために、下道降りてもあんまり変わらないですね。
千葉から山梨方面は難儀ですね。
Gooブログのサービス終了に伴う移転先は既に確保していますが、公式にはまだ未公開(10月1日に運用開始)とはいえどうも検索で引っかかるようで、早くもコメントまでつく有様です。まあ「移管」になるので9月30日までの書き込みを最後にトランスファーしないといけないので並行しての運用はしていませんので、公開はしない運用です。
で、付いたコメントが例の粘着というか、管理人も見ていないところで(爆)憂さ晴らしというあたりが正面切って物も言えないネット界隈あるあるというかネット弁慶そのものです。些末な話、故意にやってる表現を論って「ボク物知りなの」とでも言いたい承認要求なのか。全文表示をする価値もない話なのでこっちに書きますね。
関西私鉄の都市間ノンストップはヲタ受けはいいけど緩急接続を原則とした新快速にボコボコにされているとかつて批判しましたが、まあ関西のヲタは大好きな私鉄を批判されるともうだめなんでしょうね、罵詈雑言の嵐でしたが、現実は関西私鉄も緩急接続に転じるどころか阪急神戸線のように需要が多い駅に積極的に停車するなど、沿線の涵養を第一にしています。「経営」の判断であり、ヲタの戯言がいかに現実と乖離しているかです。
それを根に持っているのか、京葉線の通勤快速廃止反対は矛盾している、と鬼の首を取ったように騒いでいるようですが、そりゃ終日京葉線の優等が通勤快速の停車駅だったら反対しますよ。逆に速達性が必要なのに海浜幕張以遠各駅として運用を減らす姑息な手法を批判しています。東西線の朝ラッシュ時の全面通快化もそうです。優等を必要とする区間と沿線利用の目配りなんですが、それすら理解できないようで。関西私鉄のような都市間流動を分担するケースは、全区間優等で緩急接続による途中駅需要の取り込みがベストであり、漸減型は途中から各停というスタイルがベストです。
かつての近鉄大阪線や南大阪線のように、急行が遠方までノンストップで、下位優等となる準急はやたら停車して速達性に欠ける、という緩急分離は利用者のニーズに応えていません。逆に西武池袋線のように、石神井公園、ひばりヶ丘、所沢と各停になるポイントを使い分け、全線優等の快急もある、というのが王道でしょう。(練馬の問題がありますが)
やたら停まる下位優等が利用者の支持を得ない例としてはかつての京成急行であり、東急東横線の急行でしょう。京成はこれから優等になるというのに船橋で逸走してしまうし、東横線は経済ルートとしての志向以外の東横間直結ニーズに応えていませんでした。
一方で都市間流動に特化するニーズが高い時間帯には別途設定というのが京葉線通快であり、関西でも京阪の快特「洛楽」はその典型で、中書島、丹波橋停車に続き、枚方市、樟葉に停車するようになった特急に対し、行楽需要が際立つ時間帯に往年の特急と同様に京橋から七条までノンストップで走ります。これは需給を読みきった好プレーですが、ヲタが懐かしむ往年の特急だけにすると、激混みの急行と座席定員程度でゆったりとした特急という格差になって沿線の恨みを買うだけです。
阪急が「京とれいん 雅洛」を設定し、淡路から桂まで無停車で都市間流動を吸収しているのも同様というか、京阪の成功を横目に見ての対応です。「プライベース」も「プレミアムカー」の二番煎じですし。そうそう、ここもかつては激混みの急行と優雅な特急という格差が怨嗟の的でしたね。十三から大宮まで無停車の時代です。(通勤時のみ高槻市停車の通特)
これくらいの分析もできないでいちゃもんを付けられても時間の無駄ですね(苦笑)
まあターミナルを出た後の大阪市内や東大阪などのエリアに優等が停車するのを蛇蝎のごとく嫌うのもわかりやすいというか、関西あるあるですね。そういう関西ならではのニーズに応える運用をしてきた私鉄も、そうしたエリアを無視して自社開発の住宅街から快適に輸送する、という露骨な姿勢でしたが、都心回帰の流れもありいまや時代に取り残されているという現実も見えないようですし。
話を元に戻して・・・(爆)
小仏トンネルはなんであんな手抜きにしたんですかね。上下とも渋滞するのに対応は上りだけ。しかも1車線増やすだけです。相模湖ICからの登坂車線をそのまま延伸するのですが、トンネル区間は1車線だけの増設。トンネル出口では新設車線の合流もあるから車線変更禁止区間を設置するとのことです。
1車線でも増えればマシとはいえ、1車線ぽっきりの「新ルート」は鈍重なクルマが来たらそれだけで処理能力を落とします。登坂車線の本線化ですから、特に遅いクルマがそのまま進むことになりますが。しかも小仏トンネルの東京都側出口付近がピーク(サグ)ですから、上り新線はトンネル出口まで1車線で上り一方という最悪の構造です。そして車線変更禁止状態で合流しますから走行車線の負荷が高く、小仏手前の登坂車線終了地点がトンネルの先に移っただけです。そしてすぐに八王子JCTですから、やれやれと車線変更するクルマに対し、追越車線から圏央道に向かうクルマがピンポイントで交差することになります。
下りも相模湖IC手前の上り坂に登坂車線を追加するだけで小仏トンネルはいじりません。実にやる気のない改良です。
本来ベストは名神天王山方式で、上下とも左右両ルートの8車線化。最悪でも東名大井松田-御殿場や中央道上野原-大月の拡幅のように現道を下り左右ルートにして3車線の上り本線の新設です。山側に3車線の新道は難しいとはいえ、下り線となる谷側に新設するよりは現実的であり、なぜそれをしなかったのか。下手をしたら壮大な無駄になる可能性もあります。
ちなみに新東名の海老名南JCT-御殿場JCTと浜松いなさJCT-岡崎SA間は民営化推進委の難癖で4車線で建設されたため、将来6車線化するには全面的な「右ルート」「左ルート」を採用するしかなくなっています。それ以外の区間と新名神の亀山西JCT-大津JCTは6車線で着工していたため、例の「猪●ポール」「●瀬ブロック」で封鎖した区間が大半で、すぐに6車線化が可能でした。ただ現道を利用する2+2の左右両ルートを1+2にするという馬鹿な話もあるようで、北千葉道路掘割部開通時の地上部の大混乱のような事態になるでしょうね。(余談ですが北千葉道路のwikiは誰に忖度したのか掘割部の建設で混雑を招いたようなデタラメを書いていますね。片側2車線を1車線に縮小したことを一切書いていないインチキ辞典です)
木次線の話も続けますと(爆)、「奥出雲トロッコ」の代替となった「あめつち」は非力なキハ40がベースなので出雲横田までしか行かず、奥出雲の観光をといっても出雲横田は37分で折り返すという地元に対して塩対応です。
芸備線の「最後のチャンス」にも乗っかる気もなく、利用実績は実は芸備線よりもシリアスという状況では、芸備線よりも早く朽ち果てるでしょう。だいたい出雲横田で備後落合行きを受けて三井野原までバスが出るとか(さすがに帰りは時間がずれている)、だったらとっととバス転換でしょう。しかも災害運休中は乗客4人がMAXのセダンタイプのタクシーで代行できる輸送規模です。
ちなみにJR西日本の公式で「あめつち」の運行計画が出ていますが、鳥取-城崎温泉間の運行ダイヤで、餘部に停車とあり、ドアは開くが餘部発着での乗降は出来ないとあります。「地上」まで往復できる停車時間かは不明ですが、鳥取-出雲市間の運行では御来屋の停車に対し「停車時間がわずかなので車内もしくは列車の近くでお楽しみください」と注記があるくらいですから、そこそこの停車時間はあるのでしょう。しかし餘部停車の説明で、「列車待ち合わせ停車中にドアが開きます」とはいったいどういうことか。餘部は1面1線の棒線駅ですよ。何を待ち合わせるのか。
JR西日本の輸送密度、先を越されてしまいましたw
注目した点は北陸新幹線の区間別輸送密度で在来線時代の北陸本線は南に向かうにつれて輸送量が多くなる傾向でしたが、
新幹線は上越妙高〜富山間がJR-W区間では最多であり、
金沢で段落ちし福井で切っても南側の方が少なくなり在来線時代と逆になっています。
対首都圏の長距離流動は福井まで長野経由になった面が大きいですが、湖西線や北陸本線の残存区間の減少を見ますと
敦賀乗り換えが嫌われていることが明らかです。
富山の段差はさほどではありませんが高速バスの撤退や企画乗車券のために北陸域内の流動を取り込んでいるためであり
強気の定価を払うしかない金沢〜福井間はそれなら3セク利用でもという選択になります(金沢〜富山は企画券利用だと新幹線と3セクは
40分と600円の差、金沢〜福井は50分と1,800円の差)
敦賀開業前の予想では対関西・中京の流動が多い金沢以南は先に向かって流動が太くなる盲腸線になると言われており
それ故に敦賀駅の立派過ぎる造りや車両基地の設置だったのですが完全に裏目に出ています
特に対中京で新幹線利用は全く支持されておらず高速バスの他、自家用車へのシフトも相当多いと考えられます。
この点に関しては大都市側からの需要は「そもそも運転免許を保有していない」「運転免許は保有しているがぺーパー」といった
自家用車のシフトしようがない層が一定割合ありツアーバスはここをうまく掘り起こしましたが、
中京では関西に比べてそうした層は少なく自家用車シフトが起こりやすかったことも大きな理由といえます。
このスレを見返していて昨春4月5日に敦賀延伸リポートを投稿した際に
「富山〜黒部や福井〜武生といった区間で地域輸送のための鉄道が2つ必要かという
議論が早晩起きることが予想されます」と書きましたが、富山地鉄が部分廃止の検討を発表しました。
本線側の廃止検討区間はあいの風に駅を増設すればそれで救済可能であり
そうした駅の利用者も対富山ではあいの風の方が早くて安いですから有難い話です。
問題になるのは上市高への通学ですが、富山県は県立高校の大規模な統廃合を検討しており
同校は近年定員割れが続きのためその対象になる可能性が高く期間を限定してスクールバス運行で
済みそうです。ただ路線網が分断されることで施設の維持管理コスト増大が懸念され
離れ小島になる新魚津以東は電化設備も廃止しE210系や819系準拠のハイブリッド車か蓄電池車の運行に切り替え
新魚津であいの風と線路を接続し直通とするかもしれません。
これであれば社会情勢に適したまさしく地方型の発展的解消と言える施策です。
一方立山線は地鉄の路線で最も沿線人口が希薄でありアルペンルートの行楽輸送だけで
存在意義がある状況で、バス転換しても採算が取れない輸送量ですから廃止は止む無しでしょうか。
アルペンルートは西側からのピストンが多く東側と利用者数の差がありますが
鉄道ファンとしては乗り物めぐりの東側が面白くしても、景色であれば美女平〜室堂の高原バスが
ハイライトでありここを外してはという感じですからそうした流動になるのは当然です。
時刻表だけ見ているとイメージできませんがこの区間が高原バスであるように、富山県側から室堂までは
車道が通じており、利用者の多さゆえに立山ケーブルがボトルネックになっているのですが
そうであれば岩峅寺かそれこそ富山北口から室堂までの直通バスを運行してしまう方が効率的であり
一時は施設が老朽化しているケーブルカーを廃止してロープウェイ化する構想がありましたが
そうであればいっそ室堂以西はバス1本にしてしまう方が便利で建設投資も不要となります。
室堂までの立山有料道路は一般車の通行は禁止ですが観光バスは通行可能で
アルペンルート入込数の相当な割合は観光バスで大都市からそのまま室堂へ向かう流れです(高いツアーだと東側の乗り物巡りが含まれバスが室堂から扇沢へ回送されるものがあります)
岩峅寺では用地が確保しにくいのであれば県道(室堂まで一本道)に隣接する横江まで存続し
ここを交通結節点にするという方法もありますし、多客期に限って黒部宇奈月温泉などまで行くバスも設定し
利用者の分散を図れる、このような柔軟性はバスというモードの特長です。
敦賀絡みの減少は確かに気になるというか心配になるレベルです。越美北線どころか小浜線も小じっかり、というあたり、敦賀までがっつり首都圏からの入り込みが潤し、中京圏と関西圏からの激減を補う、という感じです。それでも「サンダーバード」はまだ大丈夫ですが、「しらさぎ」が壊滅的です。小浜ルートだとこれが恒久化するわけで(京都乗り換えでも大深度地下だから遅いですし、桂川案だと話になりません)、ただでさえ一体感がない「中部地方」という概念が消滅しそうです。そして北陸新幹線の大迂回ルートを主張するくらいなら、小浜線の改善を図って首都圏からの入り込みを舞鶴まで、としたほうが効果的でしょうね。
まあ当面どうしようもない状態が続くわけですが、まさかの乗り換え2回となった「しらさぎ」の改善は必須です。
乗り換えの手間や時間はどうしようもないのであれば、「値引き」対応しかありません。「しらさぎ」の全列車名古屋発着で改善されると思っている人が少なくないですが、米原口では名古屋「しらさぎ」が3連増結していたわけで、米原乗り換えが主流でした。米原乗り換えは変化が無いのに激減の原因は敦賀の不便さもありますが、乗り継ぎ割引が無いのに3列車分の特急券を払うという値上げでしょう。ここで「しらさぎ」の少なくとも米原以北の快速化は有効なはずです。全車指定席快速として料金は指定席券だけとする。名古屋方面は特急のままでもいいですが、特急区間との通し乗車の場合は特急券(グリーン券)を払えば快速区間は無料とする(今もこのルールありましたっけ)、とすれば「値下げ」のインパクトを出せます。
ヲタ叩きヲタが「18乞食が埋め尽くす」とわめくでしょうが、敦賀以北が三セクになったことで18きっぷ利用者の入り込みは激減していますからね。まあ発狂している人への配慮で、特定の企画乗車券での乗車不可とすればいいでしょう。それは輸送人員回復に水を差すだけですが。
>>936
しらさぎの利用促進、値上がりの激変緩和措置としては既に [EXサービス限定]乗継きっぷ という商品がe5489で販売されています。
米原発着の新幹線をEX予約で購入した人のち、EX旅先予約からe5489に移動するとひと手間かかりますが、
その価格はまさに破壊的で、米原〜敦賀は500円と特急指定席なのに普通列車より安くなり、福井は2160円と新在双方の特急料金がほぼ不要になるレベルです。
あまりの安さゆえ、EX予約のリニューアルで新たに設定された前日まで予約・自由席限定のEX早特1と組み合わせれば、
乗り換えの手間さえ厭わなければ新大阪や京都からでもサンダーバードの定価はおろか企画乗車券より安くなり得るまでになっています。
ただ、惜しむらくは名古屋近辺ではJR東海区間を含まないe5489を受け取れないため、
乗換駅である米原の券売機が激しく混雑し、繁忙期は乗車駅証明書を渡してしらさぎに乗車し、
敦賀の乗り換え改札にある券売機で受取という運用がしばしば行われているようです。
北陸や近畿からの利用ならば乗車する駅で受け取っておけば問題ないのですが。
[EXサービス限定]乗継きっぷは不覚にも>>937 のレスで存在を知ったのですが
たしかに予約手続きをweb上で2回行い、東の方だと米原での受け取りという手間はあれど
EX早特1組み合わせれば東京からでも敦賀が11,590円、福井は13,190円です。
これに対し長野経由のトクだ値1は敦賀が14,530円、福井は14,040円であり、敦賀は完全に米原経由に軍配
福井は850円差と2回乗り換え等の手間は意見が分かれるところでダイヤ次第でしょうか。
なお飛行機は前日まで購入できるJALのセイバー、ANAのフレックスとも羽田⁻小松が13,000円強ですので、
これはどこに住んでいるか、目的地がどこか、あとはポイ活、マイラー党であれば主に貯めるプログラム次第でしょう。
なお東京から対福井は既存事業者の高速バス路線がなく旧ツアーバス系の路線はありますが競争がないせいか
3列席の便ですと12,000円前後が相場のようでこの価格ですと正直夜行バスを選択する動機はありません。
その商品は知りませんでした。e5489であれば王道の「サンダーバード」の「北陸・関西チケットレス」だもんで。
当日でも安く、7日前ならなお安く、大阪からだと敦賀乗り換えの1回乗り換えで指定席ですから。
京都だと自由席に組み合わせれば安くなりますが当日で690円安いものの「7」だと830円高いです。なによりも「サンダーバード」は指定席ですから。
岐阜羽島以東の東海道新幹線がターゲットなんでしょうが、チケレス不可で受け取り必須、しかも米原縛りでは話になりません。そのエリアならEX予約はJRC経由でしょうが、e5489の登録までとなるとハードルがこれでもかと高いです。
ただJRCは自社在来線予約システムを持たずにえきねっととe5489に丸投げの姿勢を示していますから、最低でも新幹線停車駅、さらに当該列車の停車駅での受け取りを可能にしないと、自社で誘導して受け取れませんは無いでしょう。
特急停車駅の無人駅化も進みますが、全車指定席化など指定席誘導を図るのであれば、乗車駅での購入ができないのはありえません。それがある以上は、車内料金という概念の導入は許されません。あるいはチケレスの導入は必須です。
前も指摘しましたが、「スーパーはくと」「スーパーいなば」が全車指定席化されましたが、「上郡-智頭」の指定席特急券を智頭急行の駅以外で買えません。そして「スーパーいなば1号」が上郡を発車する時間、まだ智頭急行の上郡駅は開いていません。社線内だけのキップは買えない、という理由でしょうが、「原始的不能」は絶対におかしいです。
そうそう、ネット予約が受け取り必須で、窓口少ない、大行列で絶賛大不評だったJR九州ですが、QRコード方式に完全に舵を切ってますね。「みどりの改札機」と名付けて浸透を図ってますし、ローカル駅では駅に掲出(要は張り紙)のQRを読ませて緑が出れば入場、グレーになったら出場という仕立てです。
JR四国が「しこくスマートえきちゃん」を展開していますが、なんのことはない、JR各社ですらICカードよりもQRやチケレスになびいています。
今年のお盆休みは山の日が月曜日ということもあり、本来の「月遅れ盆」から見ると前倒し気味の休み事情です。しかも集中豪雨で九州を中心に大幅乱れで散々な前半戦です。
そうした中をかいくぐってそのまま帰宅と羽田に降り立ったんですが、タイミングが悪く22時40分の津田沼リムジンの発車5分前になりバスはいるのにきっぷが買えず(カウンターも昔は融通を利かせてましたが最近はすげなく断っています)、しからばと50分の葛西はとみると△なので操作したら満席扱い。どういうことなのか。
結局23時15分の最終津田沼リムジンにして30分以上待つ破目に。なお京急が品川での人身事故で混乱中のようで、ロビーの発車案内は沈黙。待つしかないようです。そして京急経由はアウトオブ眼中のはずの葛西リムジンは23時20分の最終が30分前、ようは50分発が出て間もなくに満席という大惨事。満席便の連鎖で後ろがない最終便に積み重なったようです。
リムジンは1タミから30数分とまあそこそこ早かったんですが、松戸線は昔は0時8分だったのが0時11分までないので有難迷惑な早着です。
23時10分発の時代であれば23時55分に乗れる可能性が高かったんですが。
と思いながら改札に行くと京成吸収で登場した(追加された)松戸線と千葉線の案内に23時55分発が残ってます。スーツケースをもって急ぐのは大変かつ危険でしたが何とか乗り込むと、車内放送で接続待ちとのこと。
まさに羽田で見た京急のダイヤ乱れの影響で本線に遅延が出て、接続予定の電車を待っているとのこと。結局5分遅れで出ましたが、北習志野での東葉線受けも楽になってますね。
今回松戸線の車掌が本線の遅延受けと明言したわけで、松戸線当該は松戸終ということで接続を取りました。
過去の経験では松戸終が接続を取って待ったとかそれと思しき遅れの記憶がなく、1回あったかどうか、というくらいです。同じ京成線となったことで接続指定にしたようなら、他線接続も5分程度ならなんとかなりますし、いい方向性です。
いろいろあった吸収合併ですが、これは明らかにプラス効果のようです。
京成が新京成のフルーツ狩りイベントや、北総・東葉・東武と共催のウォーキングイベントを継承して開催しているようですが、前者はともかく、後者は東武ほどではないものの余所者感が拭えない感じがします。
東武に抱く余所者感は野田線の経緯によるところが大きいですが、京成に関しては、今の本社こそ市川(京成八幡)ですが、押上にあった頃の印象が残っているからといったところですが。
そんな京成ですが、旧新京成車の塗り替えは思った以上に進行しており、80000はすでに塗り替え2本目が復帰、8800も塗り替え2本目が出るのを待つばかりの状態です。
8800は帯の太さこそ違えど3300以前や3400のような「鋼製車体向けの現行塗装」を踏襲していますが、今思えば新京成最末期となったジェントルピンク塗装でも8900以降のように、側面での白は帯に徹して、その上は京成色みたく灰色でよかったのでは感があります。まあ色が少ない方が塗るのが楽だった、というだけなんでしょうけど。
話は変わりますが、今年の夏の甲子園は某校の事件とあまりにも遅すぎる出場辞退の影に隠れて市船が出場していましたが、案の定というべきかなんというか、半ば安定ともいえる初戦敗退の憂き目にあっています。
サッカーでは強豪のイメージがある市船ですが、甲子園では私が生まれて数年後に4強になったのが最高位で、強いは強いんでしょうがその中ではパッとしない印象が正直あります。某板の言い回しで言うところの「なお市」(なお市船は敗れた模様)がしっくりくるぐらいには。
千葉って強いイメージがありますが、案外勝ってないですよね。
それこそ全国制覇は1967年と1975年の習志野、1974年の銚子商の3回で半世紀遠ざかっています。
この連覇のイメージが強いわけですが、記録を見ると1980年代は低迷期で、90年代に優勝こそないですが毎年健闘していましたが、その後は今世紀に入ると25回中11回が初戦敗退、8回が1勝のみと馬群に沈むどころじゃない状態です。
千葉の場合、市船が体育科が全県から集めているとかありますが、一部都内や他県もいますが基本的に県内出身者で「野球留学」がないのが「原因」でしょうね。中学生のクラブは強いですが、他県強豪校に進む生徒が多いようです。
とはいえ「郷土の代表」と言いながら「外人部隊」ではしらけるだけです。今大会もそれは「鉄板」ですよね。地元がいないのはもう当たり前で、民族系学校を母体にしながら野球部は日本人が大半という学校もありますし。
そう考えると千葉県代表は頑張ってますよ。もう少し結果を残してほしいですが。
まあメディアとその系列である高野連が主催する商業大会ですからね。世界大会の日本代表を頂点にプロ、ユースとピラミッドを築き強い代表を育てる、という他競技のような正直さがなく、教育だなんだという建前と美化、そして意味のない郷土代表というメディアの販売促進ツールとして、ガラパゴスに安住してますから。教育であれば高校総体の一競技であるべきですが、それは拒否し、じゃあ「世界一」を目指すかというとそうでもない。故障対策、猛暑対策であれこれやってますが、これも「高校野球」の限界を示しています。いい季節にセミプロ勢の全国大会と割り切れる日が来るかです。
久々に津04に乗ったんですが、今更ながらまず驚いたのは運賃の高さ。花輪病院から乗ったんですが津田沼駅まで350円。坂道を登って北習志野駅入口からでも320円です。運賃区分を多段階化して停留所1ヶ所違うと大きく差が出るということは無くなりましたが、全体的に高いです。かつては薬園台高校まで、習志野台三丁目まで、終点までと3区分だった記憶が。当時は習志野台三丁目が最寄で、電車+北習志野駅からのバスより安かったので津04を愛用していましたが、いまは北習志野駅経由が現金370円、津04が320円とまだバスが安いとはいえ、電車と違い100円近い上昇です。駅間相互だと倍以上はさすがに差がつきすぎです。
お盆の日中という特殊条件ですが、前原のクランク状交差点改良でだいぶスムーズになった印象。ただ駅前通りエリアからの乗り通しはほとんどいませんね。習志野台三丁目から日大習志野高校でほとんど降りてしまいます。
気になったのは津田沼行き側は「京成バス千葉セントラル」の円盤で旧新京成、旧レインボーの両方を掲出して1本だけという停留所が目立ったこと。あとこれも今更ですが旧レインボーに停留所名を揃えてますね。「前原角」の復活のほか、「薬園台」を「丁目」に関しては地名通り「薬円台」にしています。
北習志野駅まで歩くのがしんどいのと、津田沼での徒歩連絡を厭ってバスにしたんですが、バスから降ろされたのは旧西友側のかなり手前で、電車だけなら半分以下で済んだだけに、もやもやが募りました。
停留所名変更に伴い停留所にある路線図もシールで改訂されていますが、習06と津04に関して、「習志野車庫」から「習志野西営業所」への改称に伴い、津04側は「北習志野団地入口」から同じ行としてシールの対象となっていました。
最下段は「東部公民館入口」まで至ってますが、「前原角」までにしなかったのが謎です。放送で「津田沼十字路」と言っていたような気もしたので、近い将来の改称でしょうか。そして習06側の「習志野西営業所」の下にある「習06」の横がちょうど「習志野駐屯地」ですが、習06側のシールがここで終わらずに停留所5つ分「空白」が続いています。
シールだってタダじゃないですから、「東部公民館入口」ももったいないですが、習06側の5停留所分はもっともったいなく、まさかの「延伸」でしょうか。来春の第二次再編後は今の習志野出張所への統合は必至ですから、「習志野西営業所」への「枝線」は廃止となり、習志野出張所改め「習志野営業所」になるのでしょうが、あと5つとなると、東習志野7丁目を回って三山車庫か、あるいはまさかの「ユトリシア」か。もちろん本設にすればいいんですが、シールをこのサイズで大量発注し、使いまわすと考えたら、この微妙な差が何かを示しているはずです。
余所者感というか、放置感がありますね。
吸収直後はまだあった駅や車内の広告が自社広告を除きほぼ消えています。中吊りで大仏のヴィンテージショップが目立つ程度。駅貼りは全滅です。広告が取れないと収入源ですが、力を入れていないのか。吸収前の「顧客」は逃げたのか、それとも別の事情があるのか。全部が全部というのは非常に不自然ですし、普通は新規をあたりますから。
グリーン車の料金収受の問題、今のシステムに切り替わった04年当時の「安い労働力が豊富にある」という前提での設計であり
当時は若者の就職難のニュースが頻繁に取り上げられていました。結果として正社員の車掌1人の人件費で非正社員のGA2人を賄えるという
発想が採られ、飛び込み乗車は事前購入より割高という制度の導入も日本初であり、こちらはその後多くの事業者が類似の制度を導入しました。
蓋を開けてみると追加料金を払ってでも快適に利用したいというニーズは多く、同じ列車の利用で快適性という付加価値しかない点で
特急より劣ると私自身は考えていたのですが、結果的には全部の列車にグリーン車があるよいう状態が需要を掘り起こしたといえます。
便数の限られる特急やライナーでは利用したいときにタイムリーに列車がない、目的駅に停車しないという場合選択肢になり得ず
多くの利用者にとっては待たずに乗れる普通列車で快適な車両の方が嬉しかったということでしょう。
一方で人力による運賃収受は前述のように安い労働力が豊富という全体に依拠しており五方面の全列車に乗務させるとなれば
これまでの前提は成り立たなくなるのは自明です。対策として二つの方法が考えられ、一つは需要が限られる末端区間の無料化(区間だけでなく時間帯によって差を設けてもよい)する
例えば平日の10時から16時と20時以降、土休日の終日に関しては料金を課すのは昔の近郊区間(中央線方面は立川以東)に限定するというような
取り扱いにする方法、もう一つは検札体制を大幅に縮小し必要人員を省減する一方、検札時はその場でのモバイル決済なども認めず
料金の支払いがされていなければ問答無用で不正と扱い高額のペナルティを請求する方法です。後者は九広鉄路の一等で実施されており二等との連結部に
追加料金不払いのまま乗っていた場合は高額のペナルティを課すという注意書きがこれでもかとされていますが、日本では難しい面が多いといえますから
やはり前者の方法が適切でしょう。
グリーン車の区間開放は料金を払って利用している側の理解を得られないでしょう。ライナー列車の降車エリアでの開放はありますが、あくまでターミナルでの着席確保の対価という整理ゆえの理解であって、「優等車両」はさすがに無理でしょう。もちろん「グリーン開放」というケースは国鉄時代からありましたが、これは列車や区間を限っての「ボーナス」「乗り得」であり、恒常的にこの区間は無料というのは厳しいでしょう。特に昨今の国民の公平性、潔癖性の要求度の高さもあり、正直者が馬鹿を見る様なシステムは事業者への評価に直結します。
じゃあどうすれば、というと事業者がアテンダントを雇用するしかないです。集まらなければ当然時給を上げる。コスト高で赤字なら値上げするしかないですが、それで閑古鳥は自業自得です。まずは1両減車(普通車置き換え)でしょね。E231系以降は共通化できるはずで、インドネシアという大口の譲渡先もなくなった今、普通車置き換えの編成替えも十分可能でしょう。あるいは車掌をグリーン車に常駐させると。ドア扱いもグリーン車の車掌室から行えばいいのです。都市型ワンマンは運転台から見てドア扱いしていますから、最後尾である必要もないでしょう。そして車掌が検札するのです。
現在IC(モバイル)料金とそれ以外に分けていますが、車内料金の復活させて、極端に高くして事前購入を促すしかないですね。さらにIC(モバイル)とそれ以外でも分けると。まず事前購入が当然とすることで「あわよくば」を極小化します。車内料金を一律「プラス1000円」とすればいいでしょう。モバイルでも検札時に購入したらIC(モバイル)料金+1000円とするのです。何もなければ紙の料金+1000円としてざっくり2000円となればリスクも大きいし、検札のインセンティブもますでしょうね。
京阪のプレミアムカーのうち3000系使用列車に着いて2両に増結(一般車の減車)というニュースが出ていましたが、インバウンドをはじめとする消費性向の高い観光客が多い線区でもない限り、こうした料金徴収車両の今後は厳しいでしょう。
デフレからスタグフレーションとなり、物価に所得が追いつかない状態で、そういう「付加価値」に払える人は限りなく少なくなります。ポイント収入が軌道に乗ったことで利用が増えたか、と思っていたJR西日本の「らくラクはりま」も夜の下りはガラガラというレベルでない空きっぷりのままです。
運用を複雑化したくないとはいえ、中央快速線レベルの路線で全列車連結としたことで、収入の期待値は1個列車あたりにするとダダ下がりでしょう。上越、北陸新幹線でグランクラスを全列車連結としたはいいがサービス提供側が足りず「シートサービスのみ」という付加価値がない状態で高価な料金ではそりゃ閑古鳥という先例もあるのに同じような愚を繰り返した格好です。
お盆休み明け、早朝の津田沼リムジンは混みあっていたそうです。
京成津田沼5時20分発の第2便は京成松戸線からの乗客が先陣となりましたが、既に予約でいっぱいという案内が仕訳人からなされて、未予約に並ぶ人が驚いていたそうです。しかも5時35分発も満席で、50分発まで空きがないということで、さすがに30分の余裕を早朝から見ている人は少ないでしょうから大惨事です。
仕訳人は続行便の可能性も匂わせていましたが、確定できないのかはっきりせず、遂には未予約の乗客が予定の時間に羽田に着けないとパニックを起こしていたそうです。まあその時刻であれば続行便があれば茜浜を当然出発しているはずで、確実な案内をしてほしいですね。結論から言うと続行便が出たそうですが、もし乗れないと判断してタクシーを使ったりしたらその万円単位のムダ金に誰が責任を取るのか。
続行便は京成津田沼始発の扱いだったそうで、袖ケ浦団地線のルートから右折して駅に着けたとのこと。
予約未予約合わせて京成津田沼発は総て続行便に詰め込み、本便はギリギリまで待機して救済したようですが、その段取りがうまくいかなかったようで、車外スピーカーで仕訳人が呼ばれるという一幕も。
5時35分発の予約客が結構並んでいましたが、正座席がまだ空いている続行便に乗るかどうか聞けばいいのに乗せなかったそうです。5時35分も満席で続行便が出なければ積み残すしかないだけに、少しでも繰り上げて空席を作るべきでしょう。羽田も混みあっていたそうで、であれば早めに到着することは願ってもないことでしょうに。
なお羽田の混雑ですが、スマートレーンが処理迅速化という触れ込みですが、現実は真逆ですね。カバンから出さずに検査可能と言いますが、これほど遅くなっては意味がありません。しかも検査前、検査後とも「渋滞」しており、スマホなど貴重品をトレイにおいてゲートを通過しても荷物はしばらく置き去りです。もちろん係員が目配りしているとはいえ、盗難とか不慮の事態が起きない保障はありません。明らかに処理能力が低く、ストレスフルな状態では企画倒れというしかない状況です。
あと羽田に着いた際、東空交の地上係員がトランクから荷物を出しますが、2タミ到着時になぜか1タミの荷物を歩道に並べ始めました。発車を待つ車内から「あれ?荷物が出ている」と声が上がったそうですが、運転手が確認、注意することはなかったそうです。2タミの荷物も出された後、1タミの荷物が積み戻されましたが、トランクが違う(通常3ヶ所あり、ターミナルごとに分けてる)、さらにタグが付いてるのに何で間違えるのか。最近帰りだけでなく行きもタグをつけるようになりましたが、たぶんトラブルが頻発しているんでしょうね。荷物の取り違えではないレベルの。羽田では荷物番号は見ていなかったそうですから。
余談ですが、羽田発の多く、また羽田行きでもまれに航空会社の荷物タグが付いたままになっていますが、その状態でバス側の荷物タグをつけています。リムジンの到着時にタグを外すケースが多いのですが、航空会社のタグも一緒に外してしまったのを見たことがあります。
これは絶対にやってはいけないことで、内際乗り継ぎの場合、羽田で荷物を受け取って翌日の便に乗り継ぐ際でも、タグは乗り継ぎ全区間で発行されています。もちろんカウンターで発行しなおすことは可能ですが、タグを外した状態で翌朝の国内線チェックインの際に国際線区間でのタグが必要と言われたことがありますから。その後乗り継ぎ利用をした際にタグを注意深く見ると、国内線区間も記載されており、その状態でバーコードが発行されてスーツケースに貼られていました。ですからこれが無くなると厄介な話になるわけです。
昨日まで2泊で金沢へいってきました。往復とも臨時金沢かがやきへ乗ったのですが往復とも車内販売なしでした。
臨時列車とはいえ月の半分は運転日がありますが、やはり2時間半だと需要も少ないんでしょうね。のぞみもないので同じですね。
敦賀かがやきはあるようですが、廃止になりそうですね。
松戸線は京成になりましたが、本線で謎適用している間合い4時間は適用しないんですかね。
今更ながら千葉線の上り最終は、松戸線最終に連絡しているんですね。ただ北習志野で勝田台終にギリ間に合わないですね。
京成に吸収されたあとはさすがに「新京成」とは言えず、さりとて「京成」だと津田沼から向こうのイメージが強いわけです。取り敢えずは「京成松戸線」「松戸線」と言ってますが、現地の案内等とはまた違うんですよね。
京成は「〇〇線」という案内をあまりしないわけで、北総と被る「成田スカイアクセス線」くらいでしょうか、船名を使うのは。あとSA線との対比で京成本線という用語を使うようになっています。
電車の放送だと「京成電鉄」ですし、各線が集まる京成津田沼での乗り換え案内も「成田空港方面」「上野、押上方面」「千葉、ちはら台方面」として線名は掲げていません。松戸線の案内をどう言っているかはまだ聞いていないのですが、「松戸方面」の可能性が高いですね。京成線だと本線などのイメージが強いうえに、津田沼から総武線に乗り換えるのに京成津田沼から京成線経由と勘違いされそうです。
SA線でのアク特が「北総線の大町、松飛台へは・・・」と律儀な案内をしていますが、他社は〇〇線、自社は××方面という感じですからね。時が経てば「京成(線)で・・・」で松戸線方面も事足りるようになるんでしょうが、やはり津田沼口でのJRか京成かの区別に使う路線名だけに勘違いを招きそうです。
小仏トンネルの渋滞は専ら週末に発生する行楽型であり季節波動も大きいためどこまでコストをかけるべきかが悩ましいところです。
この方面の行楽地で最も大きいな流動があるのは富士五湖地域であり、それゆえ富士吉田支線の開通は1969年と非常に早い時期であり
実は大月ジャンクションができたのは大月以西の勝沼方面が開通した1977年と支線側の方が先輩格です(ただし中央道は当初南アルプスを貫通し
東阪を最短距離で目指す計画)
現時点で事実上富士吉田支線と一体であ東富士五湖道路が新御殿場まで開通済であり、新東名のミッシングリンクが解消され
新御殿場から東京方面に向かえるようになりますと道路規格や新御殿場までは通行料不要ということでこちらを選択する動機が生じるため
結果として交通が分散されることが見込まれます。ただし現時点でこのルートにシフトが進むと海老名以東は新東名がないため
大和トンネルの渋滞悪化が懸念されるところで、横浜環状南線が開通が待たれます。こちらが開通すれば帰宅先が横浜市南部から湾岸ルートが
早い千葉県方面も移行するでしょう。ただし現状でも休日朝の海老名JCT合流部における圏央道の渋滞が生じていて、これが寒川方面から
東名下りに大量流入となれば悪化は確実で、この点の解決策である新湘南BPと西湘BPの直結は数キロでありながら未だ着工に至ってません。
とはいえその間のR134は拡幅で大幅に混雑緩和されていますし、行楽目的で千葉県京葉地域から富士五湖を目指すなら横浜南環状ができれば
湾岸〜横環南~新湘南〜R134〜西湘BP~箱根新道〜芦ノ湖スカイライン〜箱根スカイラインで御殿場に向かう方が断然景色も良くドライブを楽しめますから
確実にこちらを選びます。
中央道方面は他方面と違い下道が機能していないのが問題です。東名であればR1とR246、関越ならR254とR17,東北はR4とR294,常磐はR6となりますが、中央道に並行するR20のスペックの低さが祟ります。それこそ奥多摩から丹波山を経て塩山とか、上信越佐久からR141、上信越東部湯の丸からR254など、という大迂回も有名です。
御殿場からのルートもありますが、そもそもこのスペックの低さで中央道方面の入り込みが抑制されている面も否めないわけで、山梨県などの経済に寄与するという意味でも中央道の強化は必須でしょう、ちなみに鉄道で見ても中央線はスペックが低く、他方面のように100㎞強の県庁所在地など拠点都市に対し普通列車の分担がなく事実上戦力外というのはその象徴でしょう。沼津、高崎、宇都宮、水戸へは特急や新幹線もありますが、近郊都市からの流動もあり、普通列車で行く流動が少なくないですから。このあたりは東京から50㎞強で山岳地帯に入るという地形的制約(=人口集積の激減)もあります。
横浜環状南線(圏央道)を前提にすると、素直に湾岸〜横浜環状南〜新湘南〜圏央〜新東名で新御殿場でしょう。
それでも中央が機能したら優位性があるのは山中湖までで、河口湖など4湖は中央経由でしょう。もっとも厚木から新東名経由の破壊力がどのくらいあるかで決まりますね。新東名経由で伊勢原BSから足柄SAのカーブ、勾配のストレスが無くなれば積極的に志向しますが。東名間、東阪間の高速バスの一定数が中央道経由だったのが、新東名の御殿場以西開通でほぼ全部が新東名経由になったように。
箱根から富士五湖も風光明媚な周遊ですが、両方となるとちょっとおなか一杯気味です(苦笑)
箱根なら沼津や伊豆半島方面と合わせて、というのが定番ですし、現地での移動時間も少ないでしょう。仙石原から山中湖までがちょっと冗漫でドライブが中だるみします。
伊豆箱根方面だと海沿いのR135から西湘の移動にストレスがなければ完璧です。新湘南から西湘へのR134もそう。ここが快適なら、ターンパイクから伊豆スカイラインというルートと往復組み合わせるのが醍醐味ですね。
もちろん往年のように西湘が早川につながらず「休日午後大渋滞」の早川口経由を思えば全然楽ですが。
管理人様のブログで書かれた東阪間の航空ダウンサイジングの最大の要因は実質所要時間の逆転と考えられます。
新幹線が品川基準で2時間20分まで高速化した一方で飛行機は保安検査の締め切り時刻を20分前に早めたことで
事実上5分の所要時間増になりこれによって空港へのアクセスや乗降機の時間を考慮した場合、
両都市の都心間で実質所要時間が逆転しています。2010年頃までは10ないし15分飛行機に分があり、
東阪間ではその10分15分にダイヤモンドの価値があるという立場の方が移動需要に一定数含まれています。
それ故に羽田伊丹線は社会的地位が高い方の利用も多く30分程度しか水平飛行がないにも関わらずJALのFクラス、
ANAのPクラスが全便に設定があるわけです。こうした層にとって新幹線の個室は価値が高かったと考えられ品川新駅開業、
のぞみシフトの影で個室が消えたことは飛行機を選ぶ理由の一つであったかもしれません。
実は東海道新幹線開通で飛行機の東阪線が大打撃を受けた際、保安検査の省略や航空券の機内発売を行うことで
出発時刻の数分前に空港に到着しても搭乗できるようにするという構想があったのですが流石に今の社会情勢では受け入れられないでしょう。
その後98年に羽田空港京急乗り入れを機に東阪シャトル便の取組があり、一時は3社協力で終日ほぼ30分ヘッドというダイヤを実現しましたが結局は尻すぼみで
そしてこれ以降羽田空港のアクセスは大きな改善はなく、むしろCOVID19によって行われた京急やモノレールの減便、リムジンバスの路線廃止などが旧に復していない一方で
新幹線の方は新横浜への東急乗り入れによってダイレクトにアクセスできる地域が大きく拡大したことも追い風です。
もちろんCOVID-19によるビジネス需要の減退によりその依存度が高い飛行機の打撃が大きかったこと、これは以前私が掲示板に書いた通り
「仕事はリモート大歓迎、自分のカネを使う楽しみはリアルがいいというのが大多数の本音では」という仮説が証明されたといえ
テレワークやリモート会議は一定程度根付いたのに対し、オンライン飲み会や音楽ライブの配信チケットは
ほとんど聞かれなくなった、すなわり消費者は受け入れなかったというのがその証左でしょう。
一般的にイメージされるビジネス需要は飛行機と新幹線でほぼ100%であり、高速バスや自家用車は極めて少数ですが、
広義のビジネス需要といえる、学生の就職活動はバスの利用は多く、さらに言えばマイナーなアイドルグループ(メジャークラスは前述の10分にダイヤモンドの価値になりますが)
ハイエース乗り合いで東阪間の移動というのは珍しくないようで、一人頭のコストは高速バスよりずっと割安になる利点があります。
これも演者の側ですからまさしくビジネス需要と言ってしまえばその通りであり、ホワイトカラーのビジネスマンだけをイメージすると見えてこない部分です。
今年もサンキューパスが出ますね。まあ帰宅して土日両方これに充てるという家族無視の対応をしないと利用できないのがネックですが。他社線フリー区間がすっきりと京成となっているのが目新しいです。
いすみの長期運休が注記されていますが、房総半島南部はE131系2連の詰込みと食指が動かないのも事実で、いまさら京成や北総の乗り歩きでもなく、2日も何するの、というのが正直なところです。
昭和時代、カネに汚いさまを称して「銭ゲバ」と言うことがありましたが、JR西日本の施策はまさにそれ、箍が外れた感じです。万博終了時のダイヤ修正にあわせて、例の「うれしート」を拡充しますが、207系、321系のロングシート車に導入すると発表されました。新快速のAシートのようなアコモの違いは全くなく、のれんで仕切るだけで指定席券を払えば座れます、という阿漕な商売です。今回JR宝塚線からJR東西線経由学研都市線の系統に導入ですが、環状線のように3扉化をするでもなく、4扉ロングに設定と、国鉄時代にも例がないぼったくりです。
首都圏におけるLCシートを使った座席提供が付加価値という心得違いが関西に来るとアコモの付加価値は無く純粋な座席確保で有料と歪み切ったわけですが、設定が最後尾車両のドア間となっています。この場合、1両の座席定員の3割が有料化されるということもあり、優先座席の設定をしないそうですが、それはそれでおかしい話です。高齢者や障害者を立たせてでも料金収入ということに他なりません。あるいは座りたければカネを出せ、ということでしょう。乗客の健康や生命を人質に取った施策です。
オールロングシートの優等列車は定期列車では全国的にも空前絶後であり、臨時列車(団体扱いは除く)でも記憶にありません。1970年代を中心に設定された京急の海水浴臨「ミュージックトレイン」くらいでしょう。これはぼったくりというよりも、冷房付き編成を充当し、かつ三浦海岸でのステージに出演する歌手が渋滞回避もあり同乗して車内を巡回する目的から貫通編成が必須となり、セミクロスシートの旧600系(非貫通4連×2)ではなくロングシートの旧1000系が充当されたという特殊事情です。そして2000系の登場以降は貫通編成なので2000系になっています。
急激に旅行への意欲が失せてきますね。
神戸から西に向かっても姫路から先はドア間4列でワンマン用機器に押されて補助席も少ない欠陥車両「Urara」がのさばっており、座れるかどうかも怪しい行程では足が止まります。
九州ではドア脇の1列を外してドア間3列という車両が当たり前になってます。アコモはもちろん、車窓ですら楽しませないという車両が多く、東北や北海道では風光明媚な側に大型トイレや機械室というこれでもかという嫌がらせの横行。
さりとて特急が充実しているかというとそうでもない。
事業者側のお仕着せで楽しむしか許されないどころか、ぼったくり豪華列車では客用の酒をスタッフが飲んでたとか、上から下までどこまでもむしり取るしか考えていないような事業者にカネを落としていたと思うとやりきれないですね。
そうそう、コストガー、と言い張る事業者無謬が湧いてきますが、商売の基本である「代金回収」を積極的に放棄して収入が減ったも何もあったもんじゃありません。ワンマン運転は運転手による運賃授受が大前提のはずが、ICカード化とともに全扉開放でノーチェックです。簡易改札機にタッチしないと次から使えなくなるから、という性善説ですが、それでどれだけの逸失があると考えているのか。代金回収業務が大甘だった大手事業者から三セクなどになって厳しくしたら売り上げが急増というケースは枚数にいとまがないわけで、よく三セクになって「V字回復」とか言いますがその実態はそういう情けない事態です。
JR九州は不動産業として上場したようなもので、鉄道事業はかなり厳しいです。
JR西日本がライバルとなった福北間は特急減便、快速の区快化と、敵に塩を送るどころじゃない状態を九州随一の都市間輸送の舞台で進めています。まあ快速でお安く、といってもオールロング化や座席激減改造で二度と乗るか、という状態です。だったら高速バスか高いがコスパで新幹線です。
特急も「都市間輸送」になっておらず、「近郊輸送」で何とか客数を集めている感じです。
嫌な気配を感じるのが車両の整備、というか整美で、水戸岡デザインは当初は見栄えもいいし話題にもなりますが、それが10年、20年となるとひどい状況です。傷や汚れが目立ちますが、普通以上に必要な清掃やメンテが出来ていない証左です。
国鉄型車両も残っていますが、そこまでひどくは見えないわけで、JR化後の車両はデザイン優先で華奢な印象も強いだけに、余計に目立ちます。
これが足回りや動力、電力系にも同じ状況となると運行の維持、安全に直結するわけです。
貧すれば鈍するを地で行ったのがJR北海道ですが、他人事ではないでしょう。
福岡〜北九州間は競合関係があるようで実はあまりなく、実際には北九州市のどこが出発、目的地になるかでの棲み分けと言った方が正しく根底にある北九州市の衰退によって需要自体が細ってきていることで、在来線と高速バスは20年前に比べて相当サービスの劣化が進んでいます。
博多〜小倉両駅周辺という点の移動であれば新幹線のスピードが圧倒的でのぞみの自由席はこの区間の利用率が最も高いことは珍しくありません。
そして小倉が相対的に地盤沈下を免れていることこそが、スピードと並ぶ新幹線の強みになっており、JR-Wが特定特急料金廃止という愚を犯さない限り優位は揺るぎません。
これに対し在来線特急は北九州市の西の核である黒崎の需要をほぼ独占できるのが強みでしたが、その黒崎地区が地盤沈下著しいことが
福北間の利用減の主因です。高速バスは3ルート合わせて毎時4~5回運行がありますが小倉からの利用は少なく(新幹線の6割の運賃で所要時間は4倍以上)
途中停留所から福岡に向かう需要が主体です。特に人口集積のあるモノレール沿線からは乗り換えなしの利便性もあってほぼバス一択という状況です。
ただ10年前までは運賃が千円と格安であり、便数も毎時8回程度というスケールで全国最強の高速バスと言われた
時代もありましたがこちらも劣化しています。ほぼ同距離の東京〜成田空港に千円運賃のLCCバスが登場した際はこの水準を根拠に安すぎではないという意見が
ありましたが現状ではこちらが1,350円の一方で成田空港の方は1,500円ですからまだ西鉄は頑張っていると評価すべきでしょうか。
在来線快速は以前は特急を補完する役割でしたが北九州市の衰退でその需要が消失したため普通を削減した救済のための停車駅増加が進み、現在ではほぼ都市間輸送の役割を果たしておらず
そのこともあっての座席削減にロング化であり、長距離を乗るのは通学定期の学生だけという状態になってきています。
また鹿児島本線の駅の数が大幅に増えていて、今や快速といえど昔の普通より駅数が多いような状態ですが、
この部分に関してはかつて西鉄軌道線が担っていた需要の相当部分がJR側にシフトしたとはいえ、鹿児島本線の北九州市内区間は
前述した都市の衰退が進んだにも関わらずJR発足の頃を上回る水準にあるのはこのことが大きな理由です。
福北間の新幹線は既に「のぞみ」全車指定席化という愚策が始まっていますけどね。かつては下りだけですが普通車全車自由席扱いとか膨大な区間利用に対応し、さらに誘因するというプラスのスパイラルだったんですが。東海道新幹線でも朝の新横浜からの上りは普通車全車自由席扱いというローカルルールがありますが、福北間も同様のローカルルールを残すべきでした。
小倉の一極集中は、本州からの「玄関口」が小倉となり、また九州への入り込みが航空中心になったことで、門司(大理)が衰退し、対本州、対福岡の両面で小倉が拠点となったわけです。一方で北九州市を構成する小倉以外の4市は地盤沈下が著しいわけで、政令市といえば100万都市ということで福岡に先駆けて政令市になりましたが、今や人口は90万人と平成の大合併で政令市になったグループとあまり変わりません。ただ、北九州市成立以降は吸収合併は無く、オリジナルの都市圏でこの規模を維持できているのは地力を感じます。
確かに高速バスは砂津、小倉駅から福岡へ直行したスーパーノンストップが早々に消えており、速さならカネを出して新幹線なんでしょう。一方で天神などへの直通という意味では高速バスに分があるわけですが、その意味では小倉駅周辺からは九州道までが「遠回り」になるというジレンマを抱えています。北九州空港〜モノレール沿線〜小倉駅〜福岡天神〜博多駅というよな系統が棲み分けという意味でも有効に思えます。
余談ですが、三宮のいかりスーパーのレジ前についで買いを誘うお菓子が置いてありますが、その一つが「くろがね羊羹」です。シンプルな小豆のダークレッドを「くろがね(=鉄)」に見立てたのかと思いきや、八幡製鉄所の栄養補給食品がルーツだそうです。メーカーの製品には乾パンもあり、これは塩分も補給できるとのこと。縦長で細身のパッケージは作業着の胸ポケットに収まるサイズだそうです。サイズの割に重いのも特徴です。
八幡製鉄所もかなり縮小され、遊休地を使ったスペースワールドも閉園と景気のいい話が聞こえてきませんが、戸畑地区には高炉も残り、戸畑、八幡を結ぶ「くろがね線」も有名ですね。
サンキューちばフリーパスはどの程度売れているのか気になるところです。
管理人様ご指摘のとおり2日で4千円弱、すなわり1日2千円ですから小湊や銚電まで足を伸ばせば容易に元が取れる一方
観光目的の場合、複数名では価格、機動力両面で自家用車が圧倒的に便利です。
もちろん先のレスで書いた通り自家用車が選択肢になり得ない層が相当いるため
こちらへのアプローチが狙いと思われますが、特急は便数減に自由席廃止、快速や普通はクロスシートに乗れる可能性が大幅低下に減車
各地の路線バスも減便続き、いすみの代替バスにしても土休日ダイヤで小湊とまともに接続するのが2往復だけでは
相当工夫しないと使いこなせません。ただ関西に住んでいる鉄道全線完乗を志した友人は千葉県内の未乗路線一掃には最適な商品
(関西人の場合以外に千葉県のローカル線あたりが最後まで残ることは多い)と話していましたが。
またこの商品を使うのであれば都内からの利用だと県内の観光エリアに一泊でしょうが、そうであればアプローチのうち片道は
東京湾フェリーと考える向きは多そうであり、久里浜港までのバスは注釈付きで別払いでもやむを得ませんが。
都区内発に関しては久里浜経由を認めるべきでしょうし、認めるのであれば横浜市内発も同額設定で発売し総武線経由との選択可にした方が
よさそうです。
確かに往年の「東京湾フリーきっぷ」の性格も持てばバリエーションも増えますから商品のリピーターも増えるでしょう。参加各社にとっては自社に乗らなくても収入になる眠り口銭が増えますし。県内バージョンと東京湾拡大版という2パターンで売れば販促にもなるでしょうね。
あとはこういう商品に合わせた臨時列車の設定。特急券や指定席券をプラスして使ってくれる層を増やせば、誘発効果を極大化できます。沿線にお金は落ちませんがそれこそ「取り敢えず1周」という感じで「久里浜-浜金谷」の快速を運転するとか。E235系になっての実績はありませんが、E217系時代には君津以南4連とはいえ乗り入れ実績がありますし。
関西の乗客は関東より付加価値にシビアなので、都市鉄道において基本運賃に追加払いを求めるような
列車や車両は受け入れられにくいというのがこれまでの通説であり、関西国鉄の普通列車G車は80年に廃止され
同年には近鉄が特急偏重ダイヤは不当と沿線住民から提訴されたことがありますが、ここ10年で急速に潮目が変わった感があります。
同じ列車の中で特別料金を徴する車両というと関西では長らく南海サザンの指定席車だけで、これも明石海峡大橋開通によって四国連絡の役割が
低下してからは朝夕以外は指定席車は閑古鳥でした。
さすがにロングシート車で特別料金は論外であり定着しないことを願いたいですが、付加価値は十分といえど京阪のプレミアムカー2両化の方も
そうなると一般車は6両となり、今のダイヤでは12分間隔の特急が枚方市や樟葉の需要を引き受けますから輸送力不足が懸念されます。
もちろん座れる可能性が低ければ相対的に別料金を払う動機が強まりますが、10月から京阪は運賃値上げも予定されており
従前の短中距離と長距離の不均衡はそのままで、プレミアムカー料金は一律では他路線との競合がない中間部からの利用に関しては独占企業が牙を剥いたと評されかねません。
リリースにはプレミアムカーの隣の一般車は混みあいますとしゃあしゃあと書いていますが、そのうち混雑を理由にロング改造も懸念されます。
とはいえ普通の方も昼間はガラガラは昔の話で4連化以降は結構混みあっているという話も聞くところですが、
谷町線とする並行する守口市以南では高い、混んでいる、最大12分待ちでもはや良いところがないのですが
こちらについては独占だからということでもなく、競争相手に行ってしまえということなのでしょうか。
そういえばJR-Eの値上げもそうした姿勢が見て取れる区間は結構ありますし、COVID-19以降、全国的に各社の改悪でもダイヤ、運賃両面でそうした事例が増えています。
>>967
ロングシートで追加料金となると阪神のらくやんライナーがありましたが、需要の多そうな忘年会シーズンにもかかわらずまったく定着しませんでした。
京阪のプレミアムカー料金は、100円だけですが枚方市や樟葉を発着する場合は京阪間乗り通しより安くなっており一律ではありませんが、乗車時間を考えれば半額でもおかしくないところ、不公平感は否めません。
京成津田沼到着時の車掌アナウンスは、松戸線といいますね。
千葉、ちはら台方面と松戸線乗り換えと言ってました。
この猛暑で出勤時は浅草線まで乗り通すことが多いのですが
船橋、八幡で席に辿りつけないと新橋まで立ちっぱなしは辛いです。
逆に帰りは座れるので楽です。ただ行きの混雑に対して夜間帯の帰りは空き気味なんですよね、
特急も津田沼以東各停で良いのではないかと、津田沼以東各停なら快速にしてしまうのが近年のダイヤ改正ですが。
八千代台くらいだと快速でもそこまで気になりませんが、佐倉、成田は遅く感じますね
関西の有料着席サービスは京阪のプレミアムカーが流れを作ってくれたおかげで、追加料金を払いたくなるようなアコモという「常識」があります。阪急のプライベースはいい意味での競争が起きており、ワンコインという料金水準もありお値打ち感もあります。一方でそれらに並行するJRのAシートは完全に中途半端で、その場徴収でワンコインだった登場当初であれば真っ向勝負だったのに、一見だと840円とほぼ7割増で、e5489のチケットレスで600円とまだ高く、ポイントで300ポイントと実質300円を謳いますが、ポイント獲得時の支出があるわけで、その分もコストとすれば割引率は高くありません。
阪神の「らくやんライナー」は阪神間ではなく青木までという中途半端さに加え、ロングシートに200円か、ということで速攻で黒歴史化しましたが、新型車両3000系に設定されるとアナウンスされている有料座席はどうなるか。らくやんライナー、要は「うれしート」レベルでは見向きもされないことを思い知っているはずです。
阪急が「特急系」にプライベースを設定する準備作業として快急の準特急化を進め、神戸線への導入環境整備を進めていますが、おそらく阪神と同時期でしょうね。そしておそらく同水準のアコモでしょう。播州直通の強みはありますが、阪神間では新快速一択でしょうから。
Aシートも特に夜はなかなか苦戦している感じですが、「うれしート」はどうなのか。JR神戸線では朝の上り快速に設定されていますが、新快速に姫路から三ノ宮の間で4回抜かれるうえに、快速の主戦場である舞子、垂水には朝の外側快速は停まりませんというか停まれません。どういう客層を想定しているのかわかりかねる状態です。
黒歴史になった「らくやんライナー」ですが、あらゆる面で中途半端でした。まず神戸三宮まで行かない。御影、いや、魚崎にも行かない青木止まり。阪神間にこまめに停まって集客のつもりでしたが、西宮まではまず座れる急行がありますし、西宮から先は急行に乗れば(次の特急系も含めて)西宮で普通に乗り継げ、しかもまず座れると、200円だって払う価値なしです。座席一緒でダイヤは遅く、着席確保の意味すらないと存在意義がありませんでした。
3000系でデビューする優等車両がどうなるか。阪急のプライベースに劣るのであれば阪神間で乗る人はいなくなります。一方でプライベースのレベルと料金で姫路までとなると今度は安すぎます。複数料金帯となると面倒が増しますが、販売は阪急に丸投げというかプライベースと同じ手法にすれば対応できそうです。
津田沼以東各駅、あるいは快速化はあまり賛成できませんね。というか対都内では総武快速線あるいは東西・東葉線ですから、数少ない京成利用のインセンティブが高い成田方面(成田山、空港)で大半が津田沼から各駅では気が滅入ります。
対都内でも快速はどうか。特急より多い停車駅は利用がそこそこ多い駅とはいえ、津田沼-高砂で3駅プラス、上野行きはさらに1つというのは実際の所要時間以上にストレスになります。総武線並行区間での緩急結合による掘り起しは諦めて、津田沼以東各駅の特急としたほうがまだマシです。
勝田台以遠各駅の通特は中途半端で、津田沼以遠各駅(+3駅)のほうが受益者が多いです。これと現行快特の2本建てというシンプルな種別のほうがいいでしょう。もちろん空港に行くのは快特のほうです。成田空港新ターミナル開業時には、本線、SA線とも新ターミナルに入り、SL,アク特、快特を各毎時3本としたいです。
管理人様がブログで書かれてた防犯カメラの有用性は概ね認めるところですが、左派の批判の根底にあるのは
1,969年京都府学連デモ事件の判例であり「みだりに容貌を撮影されない権利」すなわり肖像権が日本で初めて認められた判例として
有名ですが一方でデモ参加者を警察官が令状なく、参加者が撮影を拒んでいても撮ってよいとするものであり、
これが同意のない撮影は違法とされていれば当然防犯カメラの設置も非常に困難だったといえます。
一方一部のマナーの悪い撮り鉄による危険な場所に立ち入っての撮影は半世紀以上前、上記判例の頃から鉄道雑誌で問題視する投書が見られ
今に始まった問題ではないのですが、ここ最近は危険を生じる、運行に支障のある箇所での撮影禁止(これらは当然のことですが)に加えて
「乗務員や他のお客様を撮ること」を禁止事項に掲げる事業者が出てきています。もちろん鉄道施設内せの撮影は法律ではなく規則で規定できる話ですが
こうした動きが広がれば近い将来、鉄道の撮影は禁止が原則、特に事業者が許可したフォトスポットや有償のイベントに限って可能といった事態に
なってしまうのではと危惧されます。子どものスマホ教育について書かれたサイトで「他の人を勝手に撮るのは犯罪だよ」と教えよという記述のあるwebサイトがありましたが
仮にそうなれば鉄道という不特定多数が利用する場所での撮影はそれ自体が法律上アウトになりかねない(前面写真でも運転士の顔は映ります)ことになりますし
こうした誤った記述はしてはなりません。
もちろん先の判例と今ではあまりに状況が異なる、一昔前のプロ仕様レベルの撮影機材を誰もが持っていて、
撮られた画像はその瞬間世界中に広がってしまう時代であると主張されればそれは一理あるのですが、そうであれば
どこがどのように管理しているのか不明な防犯カメラなど論外、少なくとも顔が認識できない画質に限るべきという議論になります。
一方で従前の鉄道事業者の対応は私的な撮影は自由であっても営利目的の撮影は相応の手続きによることを求めていたところ、
近年は個人でも動画投稿サイトで一定の収益を得られる時代になり、そうなるとこれは営利ではないか、とはいえ個人の動画投稿者が
いちいち取材撮影許可など取りませんし、そもそも個人に対してはそうした許可を出さない事業者も多く線引きが難しくなっている面があり
そうなると安直な対応は撮影そのもの原則禁止になってしまいかねないことが懸念されます。
議論としてはブログの方に書きましたが、今はなき拙サイトでは、2005年の開設時にサイトポリシーとしてこれらの論点に言及しています。当時の記載を転載すると以下の通りです。
◆画像について
他者の著作権の支配下にある著作物については、このサイトにおいて発表するための引用として正当に主張しうる範囲で画像による紹介をする場合があります。
鉄道車両や駅舎などの構造物については、他者の著作権、意匠権の支配下にある場合がありますが、一般に公開している、また撮影を制限されない公共空間から撮影したものについては、著作権法46条により紹介可能と考えます。
画像における肖像権の問題については、基本的に個人の特定が可能でない形態で紹介することになります。
ただし、もともと公共の場所において風景の一部として個人が映りこんでいる場合に肖像権は認められていなかったこと、また、その画像の使用目的が「公共の場所における風景」もしくは「公共の場所にある建築物など」の紹介を通じて、このサイトにおける表現となる場合、どちらの権利が優先されるかについて明確な指針が出ていないため(ex:メディア報道における「通行人」の処理など)、「風景の一部として」サイトの表現の趣旨に沿った内容である場合に限り、個人の容姿が分かる画像を管理者の責任において紹介することがあります。
(参照)プロバイダ責任制限法対応事業者協議会「名誉毀損・プライバシー関係ガイドライン」から、プライバシー侵害に必ずしも該当しないものとしての事例抜粋。
「行楽地等の雰囲気を表現するために、群像として撮影された写真の一部に写っているに過ぎず、特定の本人を大写しにしたものでないこと。」
ついでに言うと、「公開情報」についても事業者がオープンにしていないのに、という自主規制には基本的に賛成していません。これらのポリシーは、このサイトの1コンテンツであるブログと掲示板は継続しており、現在でも適用されている認識で運営しています。
◆「未公開情報」の取り扱いについて
いわゆる「プレスリリース」前の「未公開情報」については、一般の目に触れる場所での実見、また一般的な問い合わせなどで入手したものについては「公表情報」として扱います。また、事業者側のリリースに依らない形態でのメディアでの報道、議会での議事録など公的な情報源に依るものについても「公表情報」に準じます。
なお、メディアでの報道をもって公表とする判断基準を管理者は支持しません。これは通常事業者はメディア向けにプレスリリースを配布した時点で「公表」と認識していること、さらに事業者が公表したプレスリリースにつき、報道するか否か、いつ報道するか、どういう内容で報道するか、という点につき、事業者ではなくメディアの恣意が介在しています。
そのため、一部事業者のようにリリースと同じタイミングでリリーステキストをサイトで公開していない限り、リアルタイムで情報を掴むのは困難ではありますが、プレスリリースの時点をもって公表という判断が妥当だと判断します。
松戸線って言ってるんですね。元から京成は「方面」と違いを見せていますが、「新京成線」という部分を差し替えただけなんでしょうね。完全に京成線仕様にすると面倒だったりして。
さてくぬぎ山でのサンクスフェスタ、京成松戸線名義で継続しますね。
案内で気になるのは普段松戸線で見られない車両の展示ということで、ポスターにはこの時点では合成でしょうが、3600系、3150系、3200系が映っています。まあこれだけ来るとなったら送り込み、返戻の回送だけでも「祭り」は必至で、800系退役時にささやかに撮り鉄が出張っても驚かれたくらいの沿線ですから、開業以来の砲列となるかもしれません。
一方でランチパックとのコラボ商品、3種類あるパッケージの1つが8800系です。新AE系と3200系は分かりますが、8800系とは・・・ ジェントルピンクではなく京成カラーですが、N800系にしなかったのはぱっと見3000系だからか。
津田沼以東各停の特急…急行というネーミングで妄想します。
夜間エア快も改正の度に格下げよる本数減、京成区間快速化と時短メリットがありません。
思い切って廃止して20時以降は昼間同様20分間隔で浅草線からの優等があればなと思います。
NEXCO東日本の8/29リリースによると、既に6月から運用を停止した北海道・東北に続き、9月から他の同社管内全域でもSA/PAのハイウエイ情報ターミナルの運用を停止するようで。
https://www.e-nexco.co.jp/news/important_info/2025/0829/00015251.html
代替としては、スマホで「ドラとら」を見よ、とありますが、スマホの小さな画面で見るよりも、大きなディスプレイで表示されたほうがわかりやすいですし、何よりデータ通信料を利用者に強いるものです。
これは、JR東日本の「駅の時計は更新しません」との方針と相似形で、SA/PAの商業施設化やエキナカ推進で家賃収入で儲けますが、利用者の利便性の設備投資は最低限のものしかしません、と言ってるようなものですな。
SA、PAの件はブログでと思っていたら先を越されました(苦笑)
これ、今はなき拙サイトでも折に触れて批判していましたが、遂にここまでやるかという感じですね。
というかJRはまだ輸送というサービス全般を利用者に対して提供するビジネスですから、昨今東北新幹線で頻発しているトラブルとか安全にかかわる部分について、経営資源を副業に振って安全対策を疎かにしたとして総て事業者が責任を負うスキームです。
ところが高速道路はそうではないわけで、事故やトラブルの責任はすべて運転者など当事者が負います。事故を起こしてもそのほとんどは「過失」で処理されるというのに。しかし運転ミスの原因が何か、というとき、適切な情報が提供されていなかった、ということが原因になるケースは多分に存在します。そしてその情報の提供者は高速道路会社とその関係者です。通行止や事故渋滞など著しい不利益をドライバーにもたらす情報が正しく提供されていない状態で進路変更等が起因する事故が発生する、あるいは事故には至らなくとも著しい不利益が発生する。十分あり得ます。
特に高速道路のネットワーク化が進んだことで、広域迂回という回避策が当然存在するわけで、それこそ東京に向かう際に通常なら新名神〜伊勢湾岸〜新東名ですが、名神〜中央もあり得ますし、中央から長野〜上信越〜関越もありえます。極端なケースでは北陸〜上信越もありますし、過去に東阪間の移動で北陸経由で迂回したこともあります。
こういう情報がスマホで即座にわかるのか。SAの一覧性のある大画面で見ての判断でしょう。実際広域でルートが分かれる手前にはかなり広域の情報が出ていますから。
今回NEXCO東日本が情報提供を完全に止めますが、現状でも東北エリアは廃止済みですから、東北と常磐、磐越や北関東でのスイッチとか判断が困難になっています。SAの情報であればルート、支障箇所、所要時間と総ての一覧性が確保されていますが、サイトとなるとページは跨るし、検索では「おすすめ」だけですからね。将来予測が出来ません。この時点で「渋滞の芽」が出来ているとかの情報も見えなくなります。
要は高速道路会社は「安全二の次」「商売優先」という宣言をしたわけです。廃止をする会社ではないですがNEXCO中日本は地図の配布を廃止しました。SAやPAの情報を得る手段が消えました。サイトなんか紙の足元にも及ばない代物です。
混みあって満足に休憩もできない休憩施設で、一般道の数倍の確率で事故が発生する高速道路の安全が担保できるのか。ドライバーの責任ではなく、走っても休めない、情報も得られない、というインフラが許されるのか。
長年バリアフリー対応を拒みながら、エキナカ整備を決めたとたん整備したような鉄道会社なんてまだ可愛い話です。
熱いですね。
成田―スカイツリー、30分台で 京成、28年度にも新型特急
共同通信がスクープのように報じていますが、5月に発表した中期計画に出ている話で、社長インタビューということですが、中期発表時の一部メディアによる補足解説(質問への回答?)の域にも達していない新味のない情報です。
アッと思ったのがアク特からの移転ではなく、青砥停車のSL乗り継ぎからの転移なんですね。運転開始の効果の比較は。
青砥停車SL乗り継ぎが現状であれば、10分程度の時間短縮です。押上折り返しで都交や京急に行かないとなると400億の設備投資に見合う効果は?となりますね。
青砥の対面接続で、座れなくてもノンストップで青砥-押上間はたったの5分。決して広くない押上ホームにスーツケースを転がすインバウンドが狙い乗車で集中するよりも、青砥まで来た快速や特急で行くというほうが混雑緩和になるでしょう。
京成は京成津田沼の自動放送では松戸線関係も方面で案内しているようですが、車内の肉声放送では「松戸線」が出てきた、ということでしょうか。
京成の方針はおそらく方面案内でしょうから、いわゆる現場判断でやっているものと思われますが、方面での案内でも特段不都合があるとも思えないところなだけに、謎というかなんというか。
もっとも、京成の車掌は案内にばらつきがある印象もあり、たとえば新京成時代の千葉直の戻りだと、本線系統の“穴に入る”直通では省かれることの多い直通先の路線名が省かれずに「新京成線直通」は言うのが多かったり、その割に方面は言うのと言わないのがいたり、本線系統では「各駅停車」と言うのを松戸行きでは省くのは多かったりというイメージがありました。
そういえば、イオンが三咲(東郵便局の近く)にr288沿い初のまいばすけっと(いわゆる、「都民が連想する方のイオン」)をオープンするそうで。
まいばすけっとというと、つい数年前までは都内か神奈川の開けたエリアにあるぐらいのイメージでしたが、近年千葉や埼玉にも数を増やしつつあるわけですが、いくらここ数年で宅地化が進んでいるとはいえこんなところに作るとは意外でした。
洋上風力発電を落札した大手商社が撤退するということで千葉県知事が激おこですが、建設コスト爆上がりという理由があろうとそれは許されるのか。本件は入札時に他社より大幅に安い売電額が決め手になったわけで、いったん落札して辞退というのは落札できなかった企業への妨害になりますし、他社だったら出来ていたかもしれないと考えると、実行不可能な落札で競合を排除したことは事業そのものへの妨害とも言えます。
ですから通常は入札辞退は札開けの前までに行うことが大前提で、万が一落札者がどうしても事態というのであれば、一定期間入札参加禁止など厳しい処分を伴います。そう考えると、この大手商社は当然厳しいペナルティを違約金とは別に負うべきです。個人的には風力発電には全く賛成できないのですが、落札してその後の状況が目論見と外れたからと言って辞退はあり得ません。
まあ自治体関連では給食事業とか激安受注で首が回らなくなることが少なくないですが、激安受注自体は今後の商売を踏まえた「撒き餌」でもあるわけで一概に否定できないとはいえ、それを実行することが大前提です。
問題になっているケースは事業停止とか事実上事業どころか会社が継続不可能という「ペナルティ」を払っていますよね。そう考えると大手商社は涼しい顔をして後足で砂を掛けることが出来るわけで、それを許さない仕組みが必要でしょう。契約期間の1割の収入を補償するとか(事業開始後は1割、開始前は2割というような傾斜もありでしょう)、安易な退場(逃げ)を許さないようにするために。
中組倉庫(古!)のあたりにまいばすけっとですか。まさか三咲三差路の建売に刺激とは思えませんが、確かに三咲の奥から小室方面は食品スーパーが手薄ですよね。CNT中央や緑が丘、津田沼の大規模店に行くまでもない日常の買い物に困るわけで、三咲駅前にヤオコーがありますが、渋滞もありクルマだと微妙ですし。そうなると白井か緑が丘ですかね。ランドローム(スーパームラコシ)が強いですが、いかんせん道が貧弱です。
イオン系はモールとまいばすけっとに再編するのが経営効率的にはベストですが、薬品や日用品、特に普段使いの衣料が客層的に外せないわけで、まとめ買いをしない高齢者向けというまいばすけっとにスーパーの2階を少し加えたような店舗形態でしょうね。高根木戸なんかはそういうスタイルになれば採算性も上がるでしょう。
ちなみにドラッグストアがそうした需要を侵食していると言いますが、品揃えはコンビニにも劣り、全国ブランドではなく聞いたことがないような安売りブランドが多いわけで、スーパーのPBなみの「安心感」がないんですよね。ベストなのは小規模モールで食品スーパーとドラッグストアが並んでいるスタイル。餅は餅屋で得意分野に特化して連合軍で勝負、という方が消費者にとってもありがたいです。
ところがどっこい、昨今の郊外型ドラッグストアで、アオキ、コスモス辺りは下手なスーパーよりも豊富な品揃え(多分「まいばす」より上では?)です。
家人がアオキを愛用してますが、其処で薬を買ったのを見たことがありません(笑)。
私が普段行っているドラッグストアはそこまでではないもので(苦笑)
広島県下の親族の家の近所のドラッグストアも微妙でした。医薬品や関連雑貨は神戸の市街地にあるドラッグストアより豊富でしたけどね。ドラッグストアも100均もスーパーと比較すると、食品はもちろん雑貨類も安かったり高かったりとまだら模様なのが悩ましく、ワンストップでスーパーで買うことが多いです。
今朝の車掌さんは、北習志野、新八柱、松戸方面松戸線はお乗り換えとアナウンスでした。
裁量に任されてそうですね。
先週金曜河口湖方面へ出かけました。
6時15分頃実籾アンダーパス通過したのですが、既にr262渋滞は始まってました。1本東の迂回ルートを取りましたがからやま近くのr57合流ポイントで
渋滞してました。武石インター前のファミマに寄ったので京葉道路右折レーンに並べず、やむ無く湾岸習志野へ向かいました。
既に両国JCT先頭に渋滞していたのでレインボーブリッジ経由で良いかと思いましたが、
湾岸線の渋滞にモロはまりました。新木場まで湾岸習志野から60分くらいで新宿付近を810過ぎ通過でした。
平日なんで中央道は大して混んでませんでしたが、平日だと中央道までが大変ですね。
三咲界隈のスーパーは、かつて農協があった方の通りにリブレやBig-Aがありましたが、前者は閉店の後業務スーパーとマツキヨの折半出店に(マツキヨは駅寄りの隣の建物にあったので、実質復活)、後者はr57の二和寄りにあったTSUTAYA跡に移転、といった趣なので、四つ巴の半数が脱落した格好ですが、まいばす参戦で三つ巴復活、ただ場所はばらけたので駅近集中よりは戦えそうです。
逆に二和界隈がBig-Aの移転で、r57の三咲の教習所のある通りとの交差点から、御滝公園のある通りとの交差点の間に、Big-A→カスミ→マルエツと三つ巴かついずれもイオン傍系という布陣です。
ただ、私の家ではマルエツ行くなら二和ではなく桜ヶ丘のに行きましたし、バスで行くにしろ車で行くにしろ、メインは船橋まで行ってヨーカドーという感じで、私の周辺の「ヨーカドー=津田沼」という認識とは異なっていましたが。
湾岸線からだと大井から山手トンネル西新宿経由だとどうだったかですね。京葉道に拘るのであれば幕張からR14で幕張ICという手も。まあ新木場まで平日朝7時台で60分は平常運転かも。昔マイタウンダイレクトなどの各路線朝便を試した時もそうでしたから。湾岸線区間全線渋滞でそんなもんでしたが、ダイヤがほぼそれを織り込んでいたのに驚いた記憶があります。
二和向台のマルエツは昔からありますよね。クルマがなかった我が家ではもっぱらムラコシでしたが二和のマルエツまで歩くなんてこともありました。公団のリブレ(京成ストア)がパッとしなかった時期になります。
マルエツは地味に店舗があり、桜ケ丘はまだ新しい店舗で、公団の8号通りの奥(公団エリアの北隣)とか、習志野駅近くとか。あとこれは閉店しましたが新高根とか、ジャスコが出来る前に高根木戸の西口?側にありました。習志野駅近くとか
まいばすけっとは中央通り沿い、北習志野駅入口の公団側にありますね。
そしてカスミは公団にもありますが、どれもこれもイオン系なわけで、商流があからさまに見えます。「イオン系」はイオンではないのでイオンにある商品がないとか中途半端ですね。神戸だとダイエー、グルメシティ、コーヨー、マルナカとイオン系があるのにイオン本体は?という状況です。
イオン系はグループ内の資本政策で屋号が変わるんですよね。神戸市内だとマルナカからダイエーになったりします。
あとイオン系になると商流が同じになるのでどっち行っても大差がないという問題が。三原市だと中心街の2大SCとしてイオン三原とフジグラン三原がありますが、フジのイオン系入りでどっちもどっち状態です。だったらイズミ(ゆめタウン)が来てくれた方がマシです。非イオンとしてフレスタ(三原市内は旧ミハラスーパー)やエブリイがありますが、差があり過ぎます。
習志野原エリアから高根台、大穴方面は津田沼一択という感じです。
バスがあり道路もそれなりにしっかりつながっている三咲から先は船橋に出るという選択肢が出てくるのでしょうね。滝不動から手前だと津田沼経由になるから津田沼を無視して船橋は無いんですよ。
あと習志野原エリアだと緑が丘が見えてきます。東習志野もヨーカドーがあった時代は行ってましたが、今は行きませんね。電気屋くらいでしょうか。
リージョナルな小売業の話題で盛り上がっているところ恐縮ですが、
秋の乗り放題パスがお値段据え置きで今年も発売されます。
東日本のんびり旅パスが9,000円で登場した時点で、確実に18きっぷ3日用と同価格の1万円に値上げと予想できましたので
これは嬉しい予想不的中になりました。
18きっぷが大改悪された今、5日用よりやや高い日単価で3日であればまあ使いようはありますが
やはり価格面以外でもダイヤと車両両面で改悪が進んだことや並行在来線の3セク化もあり利用価値は低下しています。
首都圏からですと駆け込み万博での利用もありそうですが、JRの路線がある限り乗り放題の利点を活かせるのは
宿泊費の安い郊外都市に宿を確保してもその分の交通費がかからないことにあります。少しエリアを外すだけで全然違うと傾向は
ダイナミックプライジングの普及で当たり前になっています。
日本に限らず北米や西欧の大都市で都心部にこだわると狭い部屋にこの宿泊料となるのが少し郊外にしただけで
コストパフォーマンスが格段に高くなりますから、観光名所を巡るだけで意外に元が取れないと言われる乗り放題チケットはこうした使い方ですと
価値が上がります。
こんばんは。ご無沙汰しております。
そうですね。。。私の父方の祖父母が自分の幼少期から大穴南の方に住んでいましたが、祖父は仕事に出るときは滝不動から新京成で津田沼軽油でした。
また、祖父母の家に遊びに行く時も総武快速線で津田沼〜高根公団〜バスで大穴小学校と行ってました。
なので船橋へのダイレクトというイメージはなかったですね。
あと、思い出話ですが祖父母の家に夏に遊びに行ったときは大穴市民プールに毎年言っていたのが懐かしいです。
秋の乗り放題は設定当初の趣旨が隠れているんでしょうね。鉄道の日記念ということが。そこが改悪後の青春18とは違うんだという説明にもなるはずです。ただ大人運賃の層にとっては全く同じ条件での価格差って、という話になるわけで、家族連れの誘引も兼ねて子供運賃設定を新設した青春18を「(春夏秋冬の)乗り放題きっぷ」としてリニューアルしそうです。
改悪で利用が大幅減ですが、Covid19以降の利用減少傾向を踏まえると縮小均衡志向のはずで、売ればそれなりに儲かるけど利用を極力減らす、という方向性でしょうね。そうやって需要を洗い直して不採算路線の廃止にも持ち込みたいでしょうし。
自社商品への誘導もあるでしょうが、唯一JR西日本だけがポイント前提のクソ商品しかメニューに上げていません。ポイントの部分だけ切り出して7割引きだなんだと謳い、忖度メディアがすごいお得と持ち上げるという様式美ですが、実際には「実支払金額」/「ポイントを生み出した支払の正規料金」+「ポイントで購入した商品の正規料金」ですからね。商品に拠りますが、還元率は平均で1%ですから、ポイントの割引率が50%だとしても100円支払って102円分乗れる、というレベルです。
ホテルの件ですが、週末に動くしかない社会人の場合、観光地だと割高、商業地だと割安なんですよ。都市部はホテルがそこそこあるだけに値崩れも期待できますが、郊外や地方部は堅調です。もちろん都市部より郊外のほうが総じて安いのですが、大企業の事業所がある場合は出張者、それも工場関係の長期滞在も多く稼働率も高いので高止まり傾向が強いです。全国平均がベースの宿泊手当を企業が支払うケースも少なくないですし。もともとホテルも多くないので、完全に売り手市場です。
JR西日本もポイントじゃない乗り放題券を出しますが、KANSAI MaaS経由のチケットレス(QR)です。Tabiwaほどじゃないですが、不要の設定をしても商品宣伝がプッシュされるようなウィルスアプリ必須という時点でポイント並みのダメ商品です。
しかも2日間連続で4000円、1日2000円とるというのにその自由周遊区間は狭いわけで、いわゆるアーバン区間全線フリーに最末期は近江鉄道全線、さらに選択制で私鉄の観光地への着地フリー型企画券が付いた「1dayパス」が1日限りとはいえ3600円だったのに比べると見劣りどころじゃありません。ちなみに「1dayパス」は「おまけ」が少なかった時代(2010年代前半)は2900円でしたからね。
今回の商品の自由周遊区間は、ICOCA導入前の大阪近郊区間に和田岬線と琵琶湖線(長浜まで)を足しただけ。敦賀や柘植に行けて和歌山線にも乗れた「1dayパス」とは段違いです。
万博の桜島シャトルの完全予約制、実施4日前にアナウンスというのはひどすぎますね。万博の入場予約を決めた時点でロクに空いていないうえに地下鉄は乗るまで2時間コース(闇の中を延々と歩く)ですから、桜島シャトルの無予約枠は希望の光だったわけです。それが完全予約制です、でももう空いていません、では話になりません。バスは唯一神姫バスが無予約を貫いていますが、夏休み前の段階で最終バスの1時間半前に全便満席でお断り(並ばせない)、というレベルでした。
桜島シャトルの乗り場は6ブースあり、予備枠入れて7ブース。21時台にかけての運行は5分ヘッドで最大4台口でしたから、これを6台口にするだけで輸送力は5割増しです。一般路線車で立席ありですから40人程度の乗車で4台口を6台口にすれば1時間あたり約1000人の輸送力増強になります。20時台から22時台にかけて3000人の輸送力増強はそれでも地下鉄5本分程度とはいえ、あの行列から3000人消えたらかなり違います。運転手手配の問題はありますが、「オールナイト万博」の時に延長運転含めて確保できており、いわんや最初から準備出来ていれば対応可能でしょう。
完全予約制にするのであれば同時に予約枠を広げて受け入れないと、地下鉄しかない、と絶望するでしょう。しかし昨日から今日の様子を見るに、予約枠が一気に増えた感じもなく、また直前予約に対応して一部枠の予約開始を留保している様子でもないわけで、それで他の選択肢が無い状態でトラブった瞬間に詰むという悲惨なトラップが待っています。
なお地下鉄が果てしなく遠い件、これは地下鉄の輸送力不足ではないわけで、各列車とも夢洲を出る際には立客がさらっと乗っているレベルです。これ、駅コンコースに降りるESと大階段がボトルネックなんですよね。退場者処理という意味では完全な設計ミス。バッファを置く必要もない状態ですから地下鉄の輸送力を無駄にしているだけです。しかもベビーカーや車椅子対応のEVは致命的に少ないわけで、地上からコンコース、コンコースからホームの両方とも大行列です。
アクセス問題、パビリオンの予約受付がそれでも全く取れないという批判はさておき、30日前、7日前とか来場予約のタイミングに合わせて予約枠を設定することで、前もって予定が決まっている暇人優先にならないような制度設計になっているのに、アクセスが何も考えないような状態で、それで完全予約制ですから。それこそ此花区民が西九条、弁天町経由か天保山渡船経由で夢洲駅(東ゲート)との間を行き来しないといけないようなまさかの状態です。
そして何度も言いますがKANSAI MaaS経由の問題。というかMaaSというのであれば、共通プラットフォームであるべきなのに、WesterにTabiwaにKANSAI MaaSとか器作って魂入れずの典型です。そしてうっかりインストールするとチャイムを鳴らして宣伝がプッシュされてくるというウィルス同然のアプリ。チケットレス、キャッシュレスでこうしたアプリを使わざるを得ない社会になってしまったことで、企業などもこれまでセキュリティ上一切認めてこなかった業務用以外のアプリインストールをこうした交通系については容認せざるを得なくなっていますが、それがこのクソ仕様ですからね。事業所とかマナーモードでは気づかなくて仕事にならないケースもあるのでチャイムとバイブも盛大に、という設定にせざるを得ないのに、こういうウィルス仕込みでは社会の迷惑です。通知不要にセッティングしているのに送り付けてくるとか、設定のアイコン自体がないとか、迷惑だろうが送り付ける気満々の設定にくわえ、一部間違えていましたので再送します、ともっともらしい理由を付けて結局2回送りつけて
注目を引くというセコい手も使ってますし。
なお交通系のQRの問題として、スマホのオンライン画面提示縛りがありますね。スクショやプリントアウトだと読み取り時のキャンセル(使用済みへの変更)が出来ないし、画面目視で乗せるケースもあるので、自由席制だとダブりを把握できないのでこうなるんでしょうが、チケットチェック時に一斉にアクセスするわけで、フリーズリスクをどう考えているのか。乗り場が地下とかも。以前JR四国の「スマえき」のフリー乗車券を使いましたが、ローカルの超大トンネルを出たところの駅で提示するという無理ゲーがありましたからね。停車しても圏外が解けないような駅でした。
ただこれも万博の入場ではフリーズや接続できない事象が頻発してスクショやプリントアウト推奨になりましたよね。せめて読み取り機タッチを徹底すればキャンセルは可能なはずですから、そうあるべきでしょう。
台風15号が西日本から東日本へ太平洋岸沿いに東上するというあまりないルートで通過しました。勢力が小さく、四国山地を越えられないということもあったんでしょうが、まあそもそも1000ヘクトパスカルと熱帯性であるから定義に拠って台風となりましたが、爆弾低気圧などの温帯低気圧のほうがよっぽど凶悪です。
それでも煽り官庁と煽りメディアは必死になって「災害級」「警報級」と煽ってましたが、まあ台風というよりも集中豪雨であり、実際には台風本体は想像通り「驟雨」レベルで強風域にあっても突風が吹いたかな、というレベルでした。
なお問題なのは台風に先立って流れ込む雨雲で、台風を位置とともに煽ることはかえって逆効果です。早々に大雨になるわけで、実際関西では昨夜半から今日未明がピークで、東海地方はこれからというところで既に降水量が増えて新幹線などが運転見合わせになっています。煽るにしてもタイミングが全然あっていません。
さすがにこのレベルだと交通事業者も「身勝手運休」とはいかないわけで、可能性を述べるにとどまりました。
そしてJR西日本は一部ローカル線の運休を予告していましたが、始発から平常運転となっています。
走らせないほうが儲かる路線ですからそのまま放置かと思いましたが、これはちゃんとしていますね。都心の重通勤路線でも台風一過の平日朝にそのまま計画通りの間引き運転を平然とやらかすJR東日本に比べたら月とすっぽんです。
ということで台風一過で明日は天気回復です。
スレも新スレに移動します。
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