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プロレス・格闘技クリッピング▲6▼

1さらばサイモン:2007/03/10(土) 14:00:32
クリッピングが大素敵。
プロレス・格闘技クリッピング
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1132763826/
プロレス・格闘技クリッピング▲2▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1140241291/
プロレス・格闘技クリッピング▲3▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1148182284/
プロレス・格闘技クリッピング▲4▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1154468379/
プロレス・格闘技クリッピング▲5▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1163033562/

2名無し部員:2007/03/11(日) 08:07:49
【HERO’S】柴田が山本粉砕宣言!「ボッコボコにする」
 12日ゴングのHERO’S名古屋大会に向けた会見が10日、名古屋市内で行われ、HERO’S初陣となる柴田勝頼が、柴田の師匠船木誠勝氏との対戦をブチ上げた山本宜久に、粉砕宣言だ。

 この日、山本が新弟子時代から遺恨を持つ船木氏に対し、「柴田君の技はボクには通用しないから、師匠に出てきてほしい」と、00年5月に引退した船木氏との対決を要求。だが、05年1月に退団した新日本で棚橋、中邑と新闘魂3銃士として期待された柴田は「挑発には乗らない。相手をボッコボコにするだけ」と言い切った。桜庭和志は「練習に専念したい」と会見を欠席した。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031102.html

3名無し部員:2007/03/11(日) 08:09:21
「オレはいい」蝶野が社長就任否定

初のプロモート興行に集まったファンに手を振る蝶野



 新日本・サイモン社長の辞任表明から一夜明けた10日、敵対していた蝶野は次期社長就任を否定した。自身初のプロモート興行であるこの日の幕張大会で、次期社長就任について聞かれ「社長就任?オレはいいよ」と完全否定。逆にサイモン社長に「サイモンもかわいそうだ。やりたくないのに社長になったんだからね」と同情的だった。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/01.html

4名無し部員:2007/03/11(日) 08:10:20
GBH圧倒!ブラック曙が大暴れ

真壁(下)に襲い掛かる曙は、蝶野になだめられる



 【新日本】初のブラック軍入りした曙が大暴れした。メーンの6人タッグで登場し、リングインから真壁に突っかかる。その後も突っ張りからのボディーアタック、蝶野との連係を見せて天山らGBHを圧倒。最後は蝶野が12分19秒、体固めで石井を仕留めた。心強い仲間を得た蝶野は「横綱を真っ黒くしていきたい」と完全な軍団入りを勧める。曙も「黒い方がいい。少し暴れ足りないし、まだまだこんなもんじゃない。蝶野さんと組んでいきたい」とブラック軍入りを示唆していた。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/02.html

5名無し部員:2007/03/11(日) 08:10:54
19年前の恨み…山本が船木挑発

 【HERO’S】12日の開幕戦(名古屋市総合体育館)で柴田勝頼と対戦する山本宜久が、柴田の師匠・船木誠勝を戦いに引きずり出す意気込みを口にした。「船木さんには19年前の僕の気持ちがある。UWFの時のことは忘れていない」。因縁については口を閉ざしたが、先輩から猛烈な“しごき”を受けたことは想像に難くない。「向こうのチームは2人しかいない。柴田が負けたら誰が出るの?って感じ」。将を射るために、まずは馬を射る。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/03.html

6名無し部員:2007/03/11(日) 10:28:57
柴田が20キロ減量成功!格闘家で再出発
※画像クリックで拡大表示


血マメができた右手をグッと握り締める柴田勝頼 元・新闘魂三銃士の柴田勝頼(27=ARMS)が格闘家に生まれ変わった。10日、初参戦するHERO’S開幕戦(12日、名古屋レインボーホール)の会見に出席。師匠の船木誠勝(37)とのマンツーマン特訓で、新日本時代から20キロ近い減量に成功したことを明かした。対戦相手の山本宜久(36)の挑発を軽く受け流す余裕も見せるなど、心身ともに完全リセットした「ニュー柴田」でリングに上がる。

 会見場に現れた柴田の顔は、1日の参戦会見時より細く、鋭さを増していた。絞り切った体は85キロを下回っていた。

 103キロだった04年の新日本時代から20キロ近く減量したことになる。それでも「意識はしていない。船木さんの言った通りにやったらこうなった」と本人は淡々と話した。

 真の格闘家を目指し、05年9月から約1年半、修行僧のような生活を続けてきた。練習時間は1日1時間ほどだが、1分の休みも取らずに動き続けた。

 食事は鶏の胸肉などを決まった時間に、決まった量だけ食べる。一般男性の平均が15〜20%とされる体脂肪率は7%。スポーツ選手の限界と言われる5%に迫った。

 新日本時代は棚橋、中邑とともに「新闘魂三銃士」と呼ばれ、将来のスター候補だった。だが05年1月に自分の理想と会社の方針のずれを感じて退団。その後、参戦したビッグマウス・ラウド(BML)で船木と出会い、格闘技に目覚めた。昨年8月にBMLを退団。「(プロレスと)2つはできない」と、総合格闘技専念を船木に直訴した。

 精神面でも成長していた。対戦相手の山本からの「プロレスラーなら体はでかくするもんだろう」との挑発を、「それは個人の自由ですから」と冷静に切り返した。新日本時代の04年、K−1の武蔵戦(KO負け)前に「キング・オブ・スポーツはK−1」と挑発され、乱闘を仕掛けた子供っぽさは消えていた。

 プロレスラー時代に武蔵戦のほか、03年の天田ヒロミ戦(K−1ルールで対戦しKO負け)など格闘技を経験しているが、今回の戦いをあくまで「デビュー戦」という。心身ともにこれまでの自分とは全く違うという自負がある。「まずは試合を見てください」。12日に格闘家・柴田がベールを脱ぐ。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168009.html

7名無し部員:2007/03/11(日) 10:30:21
プロレスの証言者 藤波辰爾(4)
 1971年(昭和46年)5月に藤波は待望のプロレスデビューを果たした。その直後にはアントニオ猪木の付け人に指名された。入門から1年。目の前に、初めて明るい未来が見え始めた。しかし、このわずか半年後、突然の転機が訪れた。同12月、師匠と慕っていた猪木が会社乗っ取りの容疑で追放処分を受けた。藤波は迷わず猪木の後を追った。

 藤波「当時は中堅選手が若手に酒を飲ませていじめる『指導』がまかり通っていた。猪木さんはそれを止めてくれた。付け人としてもきっちり仕事をしていれば怒られなかった。『猪木さんが呼んでる』と言われて、夜逃げ同然で猪木さんの事務所に転がり込んだ」。

 翌72年3月6日、猪木は新日本プロレスを旗揚げした。すべてゼロからのスタートだった。当時18歳の藤波は団体が軌道に乗るまでの約半年間、事務所のソファをベッド代わりに生活した。猪木の自宅に道場を建設するため、作業員と一緒に資材を運んだ。練習後は街をはいかいして、ポスターを張り、チケットを売り歩いた。

 藤波「猪木さんは後援者を回って支援をお願いしていたし、当時の奥さんの美津子さんも女優なのに宣伝カーに乗って来場を呼びかけていたね。オレも負けられないと思っていた。この団体を大きくしてやるという気持ちが強くて。レスラー生活の中で最も充実していた時期だったね」。

 その強い責任感はリングの上の藤波も成長させた。旗揚げ戦は第1試合でメキシコ人のエル・フリオッソ。3〜4年してようやく外国人との対戦が許されるこの業界では異例の大抜てきだった。人材不足という事情もあったが、藤波自身も急成長していた。浜田広秋(グラン浜田)ら弟弟子が入門すると、さらに力がみなぎった。

 浜田との一戦は新日本の第1試合として定着した。シングルで47試合も戦った。ほとんどが藤波の勝利だった。手抜きのない全力ファイトは評判になった。翌73年には後のライバル木村健悟、キラー・カーンらが入門。前座のリングが熱く活気づいてきた。その分だけ藤波も発奮した。

 藤波「生え抜きの責任感があったね。猪木さんの一番弟子という意地もあった。ふがいない試合をすると猪木さんに殴られるから。自分もボコボコにされたことがあった。今は年俸制だけど、あのころは1試合ずつファイトマネーが支払われていたから、試合に出るためみんな必死だった」。

 旗揚げから2年半後の74年12月、メーンイベンターへの登竜門として「カール・ゴッチ杯」が誕生した。この若手NO・1を決める大会が、藤波のプロレス人生の大きな転機になった。苦しみながらも勝ち進み、決勝では相撲出身で二回りも大きかった後にキラー・カーンと名乗る小沢正志にフォール勝ち。もう以前のひ弱な藤波ではなかった。

 藤波「決勝は初めてテレビで放送されて極度に緊張したよ。小沢よりレフェリーを務めた猪木さんが怖かった。下手な試合はできないなって。その猪木さんが試合後こう言ってくれたんだ。『おう、いい試合だったよ』ってね」。

 この大会の優勝で藤波は海外武者修行の切符を手にした。大会の冠にもなったカール・ゴッチの故郷ドイツ遠征が決まった。この初の海外修行が、藤波を一気に世界へと羽ばたかせた。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070311-168063.html

8名無し部員:2007/03/11(日) 10:31:37
「ちょいワル」横綱曙が誕生/新日本
<新日本:千葉大会>◇10日◇幕張メッセ国際展示場10ホール◇2558人

 「ちょいワル」横綱が誕生した。曙(37)が蝶野、中邑と組んで、石井、真壁、天山と対戦した。蝶野に弟子入りした曙は、いすを振り回すなど、ワルぶりを発揮。最後は得意のボノボンバーから蝶野のシャイニングケンカキックの好連係で石井を仕留めた。

 相撲時代からあこがれていた蝶野とのタッグを前に、ここ数日は興奮して眠れなかった。蝶野からは「ブラック横綱だ」とヒールぶりに太鼓判を押された。「気持ちを前面に出す、蝶野さんのスタイルを勉強する。真っ黒に染まっていきたい」と、「ちょいワル」から「ワル」への進化を決意した。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168012.html

9名無し部員:2007/03/11(日) 10:32:06
フロントのゴタゴタ気にせず試合/新日本
<新日本:千葉大会>◇10日◇幕張メッセ国際展示場10ホール◇2558人

 サイモン猪木社長(33)の辞意表明から一夜明けたが、現場への影響はほとんどなかった。この日は蝶野の初のプロモート興行だったこともあり、普段より観客は多かった。「うちの選手はそんなことは慣れっこですから」と蝶野。フロントのゴタゴタは日常茶飯事とあって、気にした様子はなかった。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168014.html

10名無し部員:2007/03/11(日) 16:43:50
サイモン余波なし!新日は一枚岩だ

天山(左)にフライングショルダーアタックを見舞う蝶野=幕張メッセ  新日本プロレスは揺らがない-。サイモン・ケリー猪木社長(33)の電撃辞任発表から一夜明けた10日の幕張大会は“黒のカリスマ”蝶野正洋(43)がプロモーターを務めた。蝶野自らがメーンに出場した大会にファンは大満足。黒一色の興行を成功させた新日本は、サイモン・ショックのないことを証明した。

 社長が辞めても、新日本全体の熱が冷めることはなかった。サイモン社長の辞任発言の余波もなく、詰めかけた満員のファンは純粋に興行を楽しんだ。

 蝶野が全面プロデュースした大会は大成功だった。サイモン社長は電撃辞任を発表した翌日の興行だったが「偶然重なったっていうだけ。レスラーとしてだけではなく、行動を起こさないといけないというのは去年からあったこと」と、団体の将来を以前から案じていただけに影響はなかった。

 試合前は演出家としてバックステージを奔走。関係者との打ち合わせの末、客席付近には黒いハーレーを9台並べる“らしい”演出で度肝を抜いた。また、試合では“黒の総帥”の顔もみせた。曙、中邑と組んでメーンに登場。試合を完勝で飾り、超満員の歓声を受けながら「リングに上がって試合するだけの方が楽。でも興行当日を迎えて、裏方の大変さをみせてもらった」と充実の表情を浮かべた。

 蝶野がリング上でマイクを握ると「次期社長ー」という絶叫も響いた。「社長?いやないない」と、本人はきっぱりと否定したが、今後も同種の興行を行うことを示唆するなど「新日本はオレが立ち直らせる」と宣言した前日の言葉にうそはない。

 この日ばかりは、永田も「(辞任は)関係ないなと思った。ここまで素晴らしい興行を作ってくれた蝶野さんに、敵ながら感謝したいね」と率直に賛辞を送るしかなかった。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/11/0000267047.shtml

11名無し部員:2007/03/11(日) 16:44:17
予告通り!中西が越中のケツ割った
 サイモン・ケリー猪木社長(33)の電撃辞任発表から一夜明けた新日本・10日の幕張大会は、中西が越中を野人ハンマーで葬り、NJC1回戦を突破した。2・18両国国技館大会では越中のヒップアタックにまさかの敗戦。NJC発表会見では越中の縦に割れてるケツに、横から野人ハンマーをたたく“越中のケツ十字割り”宣言でリベンジを誓っていたが、言葉どおりの試合運びとなった。完勝に「シャー!」と笑顔で絶叫。11日名古屋大会では「IWGPタッグにも勝ってやる」と大森と組んでのトムコ、バーナード組とのタイトル戦へ向けても自信満々だった。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/11/0000267049.shtml

12名無し部員:2007/03/11(日) 16:44:39
ブラック勧誘受諾…曙“黒い横綱”に
 サイモン・ケリー猪木社長(33)の電撃辞任発表から一夜明けた新日本・10日の幕張大会は、曙はメーンで登場すると試合開始と同時に215キロのボディーアタックで先制攻撃するなど勝利に貢献した。試合後、蝶野から「横綱がOKなら。白い横綱、黒い横綱が両方あっていいと思う」とブラックへの勧誘を受けた曙。「黒の方がいい」と汗だくの巨体を揺らしながら笑顔で誘いを受け入れた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/11/0000267050.shtml

13名無し部員:2007/03/12(月) 07:04:21
蝶野作戦勝ち2回戦へ…新日本・名古屋大会 ◆新日本・名古屋大会(11日) 春のG1「NEW JAPAN CUP(NJC)」の1回戦で“黒のカリスマ”蝶野正洋(43)と長州力現場監督(55)が激突。蝶野が頭脳作戦を駆使して勝利し、2回戦進出を決めた。

 1回戦屈指の好カードは、蝶野の作戦勝ち。長州の必殺技、リキラリアットをケンカキックで迎撃し、長州に「もっと打ちたかった」と言わせる完ぺきな封じ込めに成功。頭に攻撃を集中したが、最後は狙いを変えて丸め込んた。蝶野は「1回戦だから、勝つことを優先しないと」と振り返った。NJCの優勝者は、4月の大阪大会でIWGPヘビー級王者、棚橋弘至(30)に挑戦する。新日本の顔役の蝶野だが、意外にも1度しか同ベルトを巻いていない。蝶野の悲願は成就するのか。

 ◆バーナード組新王者 IWGPタッグ選手権は、蝶野軍の最強外国人コンビ、ジャイアント・バーナード(32)、トラヴィス・トムコ(30)組が中西学(40)、大森隆男(37)組を破り、新王者に輝いた。同王座の外国人政権は約13年ぶり。トムコは「防衛戦はいつでもいい。永田とアングルでもいいぞ」と豪語。蝶野軍は、中邑真輔(27)もNJCを勝ち上がり、名古屋にブラック旋風が吹き荒れた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070312-OHT1T00044.htm

14名無し部員:2007/03/12(月) 07:07:14
稔“メキシコの刺客”下しV2

 【新日本】稔がエル・テハノJrを腕ひしぎ逆十字で破り、IWGPジュニアヘビー級タイトルの2度目の防衛に成功した。序盤は先シリーズに負傷した右肩、ひざのじん帯損傷などの影響に苦しんだが、底力でルチャ・リブレの名手からタップアウトを奪取。試合前、田口隆祐が同級のベルトに挑戦することを表明したが「新日本脇役軍団の誰が来てもいい。オレはムチャクチャ強えぞ」と王者の風格を漂わしていた。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/12/03.html

15名無し部員:2007/03/12(月) 07:11:28
3/11 愛知大会〜2大タイトルマッチ調印式
3月11日愛知県体育館大会の全試合開始前、第5試合で行なわれるIWGP Jr.ヘビー級選手権試合と、第9試合IWGPタッグ選手権試合の調印式が行われた。

■IWGP Jr.ヘビー級選手権試合
まずは、ジーンズにTシャツ姿で、頭にカウボーイハットを被った挑戦者のテハノが入場。続いて、C.T.U Tシャツとジャージ姿の稔が、IWGP Jr.ヘビー級のベルトを持って入場。リングに上がると、それぞれ決戦に向けての意気込みを語った。
 
テハノ「今回は100パーセント、稔選手からベルトを獲ります。私としては(IWGPタイトル)2回目の挑戦(前回は2006/12/10愛知でのIWGP Jr.タッグ挑戦)。必ず勝って、ベルト姿をメキシコのファンに見せたいと思います」
稔「ここまで来たら何もいうことはない。その代わり、今日は壮大なテーマがあります。メキシコ対名古屋。タコス対エビフリャー(エビフライ)。愛知県の人間がどえりゃー驚く試合をしてやります!」
 
そして、両選手は調印書にサイン。テハノが稔に近づいて凄むが、稔はそれを軽くいなし、リングを降りた。
■IWGPタッグ選手権試合
先に入場したチャレンジャーチームのバーナードとトムコは、チャンピオンチームのワイルドチャイルドが入場してくると、席を立って静かに鋭い視線を送る。そして、両チームはタイトルマッチへ向けて、それぞれ意気込みを語った。
 
トムコ「1つだけ言える事は、バーナード、トムコがチャンピオンに相応しいという事。1年間、新日本で闘ってきて1度も中西、大森の試合を見た事は無い」
バーナード「ここで何かを言うとしつこくなるので、コメントは差し控える」
大森「ここでは気の利いた事は言えないので、中西選手に代わりたいと思います(観客大爆笑)」
中西「オイ! オマエらな、こないだの両国(2/18)で永田とカート・アングルに負けとるやろう。俺たちに挑戦させてもらえるだけもありがたく思え。中西学の(一本足)ハンマー、大森隆男のアックスボンバーで、ブッ飛ばしてやるから。挑戦させてもらえるだけでもなぁ、ありがたく思え、コラ!」
 
 コメントを終えた中西が目の前の机を倒すと、4人は一斉に立ち上がって静かに睨み合う。一触即発の状況の中、バーナードとトムコは調印書を受け取って、立ったままでサイン。そして、バーナードはエプロンに出ていた中西に調印書を渡し、サインを要求。中西はエプロンで、大森は場外で調印書にサインし、両チームはそのまま引き上げて行った。

■コメント
中西「アイツら、随分興奮しとるみたいやの」
大森「アイツら、試合前の方が威勢がいいんじゃないか。試合でその威勢のいいところを、俺ら相手に見せてみろ!」
中西「昨日、NEW JAPAN CUPで越中詩郎を俺は飲み込んどるんじゃ。今日はアイツらの事を、一応アメリカから来た“黒船”やと思ったるよ。“侍”越中詩郎を飲み込んだ中西学が“野人”から“野武士”になって、アイツらを斬りきざんでやるよ。俺には(一本足)ハンマーがある。大森隆男にはアックスボンバーがある。アイツらを料理してやるよ」
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6607

16名無し部員:2007/03/12(月) 07:12:17
*第51代王者稔がルチャ対決〜地元愛知でV2達成
IWGPジュニアヘビー級選手権〜稔(王者)vsエル・テハノJr .(挑戦者)

 王者・稔に挑戦したのは、メキシコからやって来た血統書付きルチャ戦士〜エル・テハノJr .。今シリーズ行われた前哨戦は2対1でテハノがリード。自信たっぷりのテハノJr .は序盤からスピード感のあるルチャの攻防でクールな稔に熱い闘いを挑む。空中殺法やメキシカンストレッチを駆使したテハノの攻撃に、稔もコーナーに登り場外へのムーンサルトアタックで反撃。テハノは必殺技トルネード・テキサスで稔を叩き付けるがカウント2。そしてテハノのミサイルキックを迎撃した稔が、雪崩式フィッシャーマンバスター、テラマエ485と畳み込み、最後は逆十字でテハノからギブアップを奪った。稔はV2達成。
 控え室でC.T.Uメンバーからの祝福を受けた稔は「テハノが素晴らしい選手だということは分かっていた。同じプロレスだけどルチャリブレと日本のプロレスは別物。だから、“ルチャリブレ黒帯初段”の俺が、もうちょっとアイツのフィールドに入っていくべきだったかな。次は海外へ行きたいですね。ずっと前から言っているTNAと、あとは久々にアレナメヒコへ。アレナメヒコでトップ選手とやりたい。次期挑戦者は誰でもいいですよ。全日本Jr.でもいいし、今、交流のあるDRAGON GATEでもいい。まぁ、誰が来たって負けないですよ。なぜなら、俺はむちゃくちゃ強えぞ! このスットコドッコイ!」とコメントした。
http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0311_01.html

17名無し部員:2007/03/12(月) 07:22:49
 *中西はコメントブースに姿を現わすがイスの上に倒れこんでしまい、井上と平澤に抱きかかえるように控え室の奥へと運ばれた。
 大森「オイ、後味悪いな! 俺らもあんな事を言っていても、デカい外国人2人と思いっきりやれることを楽しみにしていたんだよ。最後、アイツらはあんなデカい体して、(中西を)2人でやって(攻撃して)いるんだよ。どういう事だよ。俺らを倒すのに、体がデカくたって2人でなきゃ1人を倒せないのかよ。俺は納得いかねぇぞ。ベルトを取られたなんて絶対思わねぇ!」


http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0311_01.html

18名無し部員:2007/03/12(月) 07:34:46
 田口「サムライさん、ありがとうございました。タッグのベルトをもう1回、僕らの腰に巻きましょうよ」
 サムライ「ちょっと待て。お前はタッグを狙うよりシングルを狙ったほうがいい。今日の(IWGP Jr.ヘビー級選手権で)稔とテハノの買ったほうに、お前が挑戦すればいいんだよ。お前がやれよ。分かったか?」
 田口「分かりました。じゃあ、サムライさん、僕にコーチしてください。僕に教えてください。サムライさんの全てを」
 サムライ「いいよ。俺でよかったら、20年分のキャリア分をお前に教えるよ」
 田口「全て叩き込んでください。挑戦しますよ。サムライコーチ、サムライジムです」
 サムライ「サムライジムとして、俺が田口をコーチしますから。コイツは近い将来、チャンピオンになる素質があるんだ。俺のジムでコーチしますから、近い将来、ベルトを巻いた姿を見れますよ」
 田口「お願いします。絶対ベルトを取ります」
 サムライ「必ずコイツを鍛えますから」
 田口「(自分がサムライジムの)門下生第1号。第2号、第3号と増えるかもしれないですよ」
 サムライ「とにかく頼むぞ」
 田口「はい!」

 外道「大喜びしてんじゃねぇよ。ベルトはどこにある? 俺たちの腰にある。2本(IWGP Jr.タッグ&IJタッグ)だ! 2本」
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6607

19名無し部員:2007/03/12(月) 09:03:03
サイモン社長
テーマ:ブログ
いい意味なのか、悪い意味なのか、また、プロレス界にちょっとした騒ぎが…。
そんな中、新日本プロレス社長のサイモンさんが辞意を表明したという。
うーん、何となく、気持ちはわかります。
社長という肩書ではありますが、多分、仕事的には、「社長」という仕事はあまりさせてもらえてなかったんじゃないかな…わかりませんよ、わかりませんが、そんな感じがしますわ。
サイモンさんって、自分が新日本にいた時社長になられたんですよ。
大変な時期に社長にされたんですよね。したのは、はい、その通り、猪木さんでがす。
サイモンさん、自分、人間的には、好きなんです。いい人だと思います。純粋にプロレスが好きだし。それだけに、新日本の社長になった時、正直、ならないほうがいいのに…って思ったもんです。精神的にもつかなあって。んで、その人のよさが苦しめるんじゃないかなあって。
かなり、この一年、二年、苦しんでたと思います。新日本の社長という重荷を肩からおろし、サイモンさんらしく、のびのびと次の仕事してもらいたいものです。
ただ、裏に猪木さんがいるからなあ。
でも、自分が信じる道を頑張って歩んでいって下さい。
お疲れ様でした、そして、ありがとうございました。
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027704148.html

20名無し部員:2007/03/12(月) 11:40:40
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長州がサイモン社長辞任「残念」/新日本
<新日本:愛知大会>◇11日◇愛知県体育館◇9000人

 新日本の長州力現場監督(55)が、サイモン猪木社長の辞任について初めて口を開いた。「盛り上がってきているから、もう少し結果を見てから判断してもよかった」と早すぎる決断を残念がった。サイモン社長に説得されて05年10月に現場監督に復帰したが、徐々に考えの違いが大きくなり、埋められないほどになった。会社のコミュニケーション不足は認めたが「あとは上の方の問題」と問題の解決をフロントに預けた。それでも「最後は自分1人で苦しんだのかもしれない」と社長の心境を思いやった。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070312-168495.html

21名無し部員:2007/03/12(月) 11:44:23
バーナード、トムコ組がタッグ新王者

IWGPタッグ王者に輝いたバーナード(左から2人目)とトムコ(同3人目)=愛知県民体育館  新日本「Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION NEW JAPAN CUP」(11日・愛知県体育館)、IWGPタッグ戦は肉弾相打つ攻防の末、挑戦者バーナード、トムコ組が王者のワイルドチャイルド(WC=中西、大森組)を撃破し、外国人コンビとしてジュラシック・パワーズ(ノートン、ヘルナンデス組)以来、13年ぶりの王座奪取。新王者は2・18両国大会で敗れたアングル、永田組を挑戦者に指名した。

 人間離れした肉体を誇る4人の永遠に続くかと思われたモンスターバトルに終止符を打ったのは、トムコのアシストを受けたバーナードの超高角度パワーボム。念願のベルトを巻いた新王者組は永久政権を宣言。「永田とアングル来い!ヤツらもいいチームだがイージーだ!」と、両国の借りの返済に乗り出した。

 一方、WCは中西が1人で立てず、一言も話せない大ダメージ。8日のNWAインターコンチネンタルタッグに続く王座転落で丸腰になったWCの今後に大森も言葉がなく、チーム存続が危ぶまれる。
http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/12/0000267843.shtml

22名無し部員:2007/03/12(月) 11:44:50
ブラック中邑が悪党軍団ぶっつぶす
 新日本「Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION NEW JAPAN CUP」(11日・愛知県体育館)、石井の介入もあってGBHの矢野に苦戦したブラックの中邑だが、イス攻撃を跳び蹴りで撃墜すると奪ったイスで矢野の頭部を打ち抜き、ランドスライドでトドメ。「1人ずつGBHをつぶす。次の天山も楽勝、楽勝。真壁もつぶされたらGBHは解散しろ」と、ブラックと競合する悪党軍団に通告していた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/12/0000267849.shtml

23名無し部員:2007/03/12(月) 11:45:13
蝶野が割り切って長州を丸め込み

必死の形相で長州を攻める蝶野  新日本「Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION NEW JAPAN CUP」(11日・愛知県体育館)、本隊とブラックのボス対決となった長州-蝶野戦は、右の人さし指が抜けながらもシャイニングケンカキックを2度にわたってノーカウントでキックアウトして意地を見せた長州を、「まだ1回戦。丸め込みでもいい、勝つことに専念しないと話にならない」と割り切った蝶野がスクールボーイでピンフォール。「勝負をつけるのは次の機会だ」と、再戦に含みを持たせていた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/12/0000267841.shtml

24名無し部員:2007/03/12(月) 11:45:36
長州力がサイモン社長辞任に苦言
 新日本の長州現場監督が11日、9日に辞任表明したサイモン社長に「盛り上がってるだけに残念。もう少し結果を見ても良かったのに。物事を決めるのが早すぎる」と苦言。「現場と会社で、もうちょっとコミュニケーションが取れれば違った。サイモンの気持ちと言葉がとらえられなかった」と、反省の弁も出ていた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/12/0000267850.shtml

25名無し部員:2007/03/12(月) 23:26:28
ベルト奪取!第50代IWGPタッグチャンピオン“バーナード&トムコ”〜一夜明けコメント
■3月11日愛知大会において、中西&大森組を破りタッグ王座を奪取した最強外国人タッグ〜バーナード&トムコ。本日、帰京中に立ち寄ったパーキングで、青空に堂々とそびえ立つ富士山をバックに、一夜明けた心境を語った。

トムコ:「昨日は寿司パーティーで祝杯を上げたよ。俺達が来日したのは新日本のチャンピオンになるため。当初の目標が果たせてよかった。バーナードは素晴らしいパートナー。これからも2人で、いつ、どこで、誰からの挑戦でも受けてやる。」

バーナード:「まだ興奮してるよ。トムコはレスリングのパートナーとしてだけでなく最高の友人でもある。そのトムコとチャンピオンになれたことがとても嬉しい。
 次の挑戦者に関して、俺の視野に入っているのは飯塚。1月の大会(1月31日川越)で飯塚に獲られたから、タイトルマッチでリベンジしたい。」

トムコ:「俺が新日本の中で決着をつけたいのは永田。両国大会(2月18日)では不覚にもギブアップしてしまったが、今度はそう簡単にはいかないよ。カート・アングルでも飯塚でも誰でもいい。パートナーを決めて挑戦して来い!
 今、俺は日本語や日本の文化について勉強している。フジヤマはとても美しい。なぜ世界遺産に認定されていないのか不思議だ。俺達はこのフジヤマと同じ、日本最高峰、いや世界一のタッグチームだ。」

バーナード:「ついに俺達はフジヤマの頂上に到達した。バーナード&トムコは最強チーム!」
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6612

26名無し部員:2007/03/13(火) 00:11:05
サイモン社長 2
テーマ:ブログ
やっと今日、確定申告、無事終わりました。シリーズで地方回ってましたからね、ちょっと準備が遅れ、バタバタとしてしまいましたが、何とか間に合いましたですよ。
確定申告される方、大丈夫っすか?あさってまでですよ。
さて、昨日、サイモン社長の事を少し書いたら、あたたかいコメントいただきました、ありがとうございます。
サイモン社長を悪者にされたくなかったんでね、凄くうれしいっす。
新日本プロレスって、藤波さんの後、草間って人が社長になったじゃないですか。猪木さんが知人に紹介され、猪木さん権限で社長になったんですよね。草間社長って、自分が有名人になっちゃったって勘違いされた人て、ある部分では凄く仕事できる人でしたが、その勘違いが悪く、社員、選手からは全然ダメでしたね。この頃から新日本をやめたいって社員、増えてきたんじゃないかなあ。
聞いた話ですよ、あくまで聞いた話として。人から人へ伝わる時って、話がちとふくらんだり、その人の主観が少し含まれたりしますからね。
草間さんって、猪木さんがコントロールできるだろうと思い社長にしたと。確かに経営手腕に期待したのもあったと思うんですが、そこも、あったのかなあとは思います。
しかし、草間社長、ある時期、猪木さんからの申し入れ、要求を断ったんですね。これは事実です。本人からも違う役員の方からも聞きました。事実的にはその後、社長変えられたんです。
その理由、猪木さんがコントロールできると思ってた人がコントロールできなくなったからということで、社長をおろされたかどうかは、真実かどうかはわかりませんが、そうゆう憶測はできますわな。
確かに経営状態は悪かったので、そっちと、社員、選手とうまくいってないという理由付けはできたと思うんです。
そして、新たな社長になった、いや、この場合、ならされたのがサイモンさんなんです。
当然、猪木さんが草間さんをコントロールできなくなったから切り、コントロールできる、娘婿のサイモンさんをもってきたと、みんなが考えてしまうのは当然でしょう。
この起用には、あの悪名高き、猪木事務所がからんでたかもしれません。サイモンさんなら、猪木事務所もコントロールできる、新日本から金を引っ張れると。事実、そういった動きもありましたし(まあ、草間社長の時からですが)、猪木事務所に関しては、日をあらためて書きますわ。
ですから、最初っからサイモンさん、つらい立場だったと思いますよ。
でもね、昨日書いた通り、サイモンさん自身は純粋でとても人間的にいい人なんですね。新日本のプロレスが本当に好きで、特に八十年代の新日本プロレスがね、新日本を
なんとかもう一度盛り返したいって、本気で思っていたと思います。ただ、人が良すぎるために、いろいろ利用されやすかったと思うんですね。それに、社長としての意見、考えが反映されてたかというと、決してそうではなかったですよ。少なくとも、自分が新日本にいた間、やめるまでは。実際、いろいろ話しましたし、サイモン社長がおっしゃって、会話の中でですよ、いいなあってアイデア、あまり実現してなかったすもんね。
また、猪木さんが株を売り、ユークスさんが親会社になってからは、よりその傾向が強くなったんじゃないですかね。
確かに、最悪の事態は免れたので、よい事だとは思いますが、サイモン社長の権限はよりなくなったのかもしれません。
猪木さんをつなぎとめておくため、サイモンさんを社長のままでいさせてる…なんて、噂話もでてたのは事実です。
お飾り社長にされてたのかもしれませんね。わかりませんが…。
自分はね、サイモンさんが自ら望んで社長になったんじゃないんじゃないかなと思ってまして、でもなったからには、なんとかしようと、苦しんで、頑張って、なやんで、頑張って、心折れ、でも踏ん張ってやってこられたと思います。
もう、心も身体も限界だったかもしれませんね。
多分、この社長辞任には、猪木さんがからんでるとは思いますが、それは横においといて、そのプロレスを思う純粋な気持ちをだせる地位で伸び伸びと仕事してもらいたいでございます。
新日本やめられたら、電話しようかな。

それにしても、わからないのは猪木さんの行動。猪木さんのマネージメント権、新日本が、ユークスがもってんですよね、高いお金払い、買い取ったはずなのに…。株を売り金にし、マネージメント権売り金にし、んで今回の事…さすがって言っていいんでしょうか?
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027777506.html

27名無し部員:2007/03/13(火) 04:43:20
衝撃! プロレスラー・柴田勝頼が秒殺KOデビュー=HERO'S

 ニューヒーロー誕生の予感! 「HERO’S 2007開幕戦〜名古屋初上陸〜」が12日、愛知県・名古屋市総合体育館レインボーホールで行われた。第5試合には総合格闘技デビュー戦となったプロレスラーの柴田勝頼が山本宜久と対戦。柴田は左ミドルで先制されたが、すぐに右ストレートを叩き込み、これで倒れた山本に右フックを連打してわずか9秒でTKO勝ち。師匠である船木誠勝氏と勝利の喜びを分かち合った。

 試合後、リング上でマイクを持った柴田は「格闘技ファンのみなさん、はじめまして柴田です。プロレスファンのみなさんお久しぶりです。自分と船木さん、ここから出発します」と総合格闘家・柴田勝頼をアピール。出会い頭の決着で、依然未知数な部分は否めないものの、キャリアと体格差をものともしない勝ちっぷりで今後に期待を抱かせた。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20070313-00000002-spnavi-fight.html

28名無し部員:2007/03/13(火) 04:47:24
■柴田 「なるべくしてなった。このリングに上がったのも必然」

――試合の感想は?

 イメージ通り。ずっとこの展開をイメージしていた。

――鼻血が出ているが

 よく分からない。興奮したんじゃないですか(笑)。

――右ストレートの感触は?

 たぶん拳が折れたので、魂の一発が山本選手に伝わったと思う。練習通りにやっただけ。相手がでかいとか小さいとか関係ない。しょせん相手も人間。俺も人間だけど。今日でやっと鎖がはずれた。

――船木氏には試合後に何と言われた?

 落ち着けと。ここから始まるんだと。やっとスタートできたと思う。

――どこへ向けてのスタート?

 自分が磨いだ刀、武器を磨いていく。今後も総合をやっていく。「ARMS」は今日、スタートしました。

――今までレスリングをやっていたり、そういうものがすべて今回の試合につながった?

 なるべくしてなっているというか、やるべくして上がっているリングだと思う。船木さんと今日リングに上がったのも、すべてが必然だと思う。

――前田SVに試合後、あいさつしていたが

 あいさつしましたけど複雑な気持ちだと思います。あと狂犬レスラーと言われているが、できれば狂った拳というニックネームに変えてほしい(苦笑)。

――緊張はしなかった?

 あの薄いグローブで思い切り人間の顔を殴れるということでワクワクしてしまって、その気持ちが先行してしまった。まったく緊張しなくて、名古屋入りしてからも時間があれば昼寝ばかりしていた。

――今後は総合に専念するのか

 決めつける必要はないと思う。今日、格闘家・柴田勝頼が誕生した。「格闘家=柴田=プロレスラー」。これでいいんじゃないかと思う。この先は予想不可能。

――HERO‘Sにはトーナメントというものもあるが

 これで見えてきたと思う(笑)。ちょうど85キロですし。以上です!
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/200703/12/a08.html

29名無し部員:2007/03/13(火) 04:51:10
 前田日明スーパーバイザー(SV)の愛弟子・山本宜久と、船木誠勝氏が総合格闘技を叩き込んできた柴田勝頼のプロレスラー対決が実現する。山本は、「1年くらいの練習でどこまで闘えるかは、実際に闘ってみれば分かる」と挑発し、「船木さんとは19年前から因縁がある」と告白。柴田は、「あまり語ることはない。リングの上で語る」とこれを受け流し、山本は「若さがない。プロレスラーらしくビッグマウスでも吐けっつーの」と見下した。柴田は、「もうそんな時代じゃない」と反撃。二人の舌戦は止まることがなかった。

 1R、山本は左ミドルキックを放つ。その直後、柴田の右フックがテンプルの辺りにヒット。山本が尻餅をついたところに、柴田は右のパンチを次々と打っていく。動きが止まった山本を見たレフェリーは、ゴングを要請。マイクを握った柴田は、「格闘技ファンの皆さん、始めまして柴田です。プロレスファンの皆さん、お久しぶりです。自分はここからが出発です」と絶叫した。■
http://www.hero-s.com/03eventresult/20070312/05_yamayoshi_shibata/05_yamayoshi_shibata.html

30名無し部員:2007/03/13(火) 09:27:39
柴田、新天地戦右ワンパンチ勝利…HERO’S 2007開幕戦 ◆HERO’S 2007開幕戦 ○柴田勝頼(1回9秒 パンチ連打→TKO)山本宜久●(12日、愛知・名古屋レインボーホール) 船木誠勝トレーナー(37)とプロレスラー・柴田勝頼(27)=ARMS=の師弟コンビが圧巻のHERO’Sデビューを飾った。柴田が山本宜久(36)=フリー=にわずか9秒でTKO勝ちした。

 あっという間の決着だった。柴田は、山本のミドルキックを物ともせずに右ストレートを発射。倒れた相手に10発のパンチを浴びせ、レフェリーが試合を止めた。柴田は「イメージ通り。(右手の)骨が折れたけど、魂の1発が伝わったと思う。今日からARMSがスタートしました」と痛みを感じさせない口調で振り返った。船木トレーナーとの二人三脚で肉体改造した男が、今後のライトヘビー級(85キロ以下)戦線で台風の目になる可能性を秘める。「(総合もプロレスも)1試合でも多くやりたい。行けるとこまで行きますよ」と決意を表明した。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20070313-OHT1T00033.htm

31名無し部員:2007/03/13(火) 09:28:17
【HERO’S】9秒で決めた!初参戦の柴田が感涙の瞬殺劇
 2007開幕戦(12日、名古屋市総合体育館レインボーホール、観衆=7910)HERO’S初参戦の柴田勝頼が、山本宜久を9秒殺。敵の左ミドルキックに対し、カウンターの右ストレートでこめかみを打ち抜いてダウンを奪うや、11連打でトドメを刺した。「右拳は折れたが、魂の一発が伝わった。格闘家・柴田の誕生です。Lヘビー級トーナメントが見えてきた」。師匠の船木誠勝氏からも祝福を受け、「船木さんに教わったことを出しただけ。自分が磨いた武器を初めてきょう出せた」と目を潤ませた。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031301.html

32名無し部員:2007/03/13(火) 12:53:52
柴田 9秒決着で本格デビュー

開始早々、山本宜久からダウンを奪い猛攻する柴田勝頼=レインボーホール  「HERO’S 名古屋大会」(12日・名古屋市総合体育館レインボーホール)、柴田は「魂の一発が山本選手にも伝わったと思う」と振り返った。

 「薄いグローブで思い切り人の顔を殴れるというのはどういうものなのか。ワクワクが先行して緊張しなかった」という柴田。左ミドルを防ぐと同時に放った右ストレートで山本の頭部を打ち抜く。拳が骨折したのが分かったというが、崩れ落ちた山本に間髪入れず折れた右拳でパウンドを11連発。レフェリーが試合を止めるまで、わずか9秒の出来事だった。

 船木誠勝氏の指導を受ける中で「取りに入った刀、磨いてきた武器」を使うために選んだ総合の道。過去、ブラジルで総合を、新日本でK-1を経験したが、この日は総合格闘家としての初戦、船木氏とのチーム「ARMS」としての初陣という点で、極めて重要な一戦だった。

 最高の結果に「きょう総合格闘家・柴田勝頼が生まれた。やっと鎖が外れた感じがした。やっとスタートできる」と笑顔。谷川氏は「ダントツで良かった。雰囲気もある。ものすごくイメージが強い」とこの日のMVPに認定し、船木氏に7月開幕の85キロ級トーナメント出場をオファーした。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/13/0000268772.shtml

33名無し部員:2007/03/13(火) 12:54:24
柴田が9秒殺でデビュー/HERO’S
<HERO’S:名古屋大会>◇12日◇名古屋市総合体育館レインボーホール◇観衆7910人

 元新闘魂三銃士の柴田勝頼(27=ARMS)が衝撃的な秒殺で、HERO’Sデビューを飾った。山本のこめかみを右ストレートで打ち抜いた。さらに、倒れた相手へ上から11連打を浴びせ、1回9秒TKO勝ち。拳の骨が折れたほどの会心の一撃に「魂の1発が伝わった」と胸を張った。また「トーナメントも見えてきた」と、ライトヘビー級(85キロ以下)の頂点に立つという目標を掲げた。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070313-168909.html

34名無し部員:2007/03/13(火) 13:42:59
脱・猪木ダーッ!新日再生のウラ技とは…
“因縁”の草間元社長に支援要請


新日本プロレスから猪木色が一掃され、草間氏(下)再登板の可能性も
 アントニオ猪木の娘婿で現社長のサイモン猪木氏(33)が辞任の意思を表明し、完全に「猪木色」を払拭することになった新日本プロレス。新生・新日は、猪木氏が“追放”した元社長で、千葉県流山市の市長選に立候補している経営コンサルタントの草間政一氏(56)に支援を要請するという裏技を繰り出した。新日の場外因縁バトルはプロレスの“筋書き”を超えた波乱の展開となってきた。

 「やっぱり(アントニオ)猪木さんのやっていることはおかしい。今回、サイモン社長が辞めれば新日プロは猪木氏と完全に縁が切れる。ならば協力しようかと思った」と語る草間氏。

 猪木氏に請われ、2004年に赤字が続いていた新日プロの社長となった草間氏=写真下=は、1年足らずで黒字化を実現しながら、猪木氏に突然解任される。

 両者は報酬の未払い問題で泥沼状態になり、サイモン氏が社長の椅子に座る。だが、サイモン社長が4月の定期株主総会までで辞任する意志を表明して事態が急変した。

 サイモン社長は辞任の理由を、自分の意志が現場に反映されない−などと説明。だが、現場では「社長のやり方にあきれていた」(格闘技ジャーナリスト)という。

 サイモン社長は辞任後、アントニオ猪木が設立する新団体イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)に参加するともみられている。

 猪木氏は最近になって、新日選手やスタッフをIGFに引き抜く動きをみせ、すでに何人かの猪木派スタッフを引き抜いているため、「ホント恩知らず」(同プロ関係者)という批判もある。

 草間氏は現在、市長選の準備を進めているが、4月7日には選挙事務所に人気のメカマミーら複数のプロレスラーを集めて餅つき大会などを開催する計画だ。そうしたなか、新日側は同月9日に新日プロが流山市で行う興行に、地元の利をいかして営業的に協力して欲しいとアプローチをかけてきたのだ。

 草間氏は、自分と同様に猪木一族に翻弄される古巣に「できるだけ協力する」と回答。その代わりに、7日の餅つき大会に新日の人気選手派遣を求め、9日の興行時はリング上で流山市民にアピールする機会を設けてもらうという。

 レスラー応援団のパワーを結集して、宮崎県知事選挙のような無党派の風を吹かせようと狙う草間氏。市長選の結果次第では、「新日は草間さんに社長就任を要請するかもしれない」(格闘技ジャーナリスト)との見方さえ出ている。




ZAKZAK 2007/03/13

http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_03/g2007031302.html

35名無し部員:2007/03/13(火) 16:20:26
アーニー・ラッドさん死去
掲載日: 2007年03月13日





新日本プロレスにてA猪木とNWF王座をかけて戦ったこともあるアーニー・ラッドさんがお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

新日本プロレスリング(株)

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6615

36名無し部員:2007/03/14(水) 07:23:20
柴田、ポスト桜庭だ!…HERO’S KOデビュー
決戦から一夜明け、会見を行った(左から)船木トレーナー、柴田、所、前田氏
 HERO’S開幕戦(12日)でKOデビューしたプロレスラー、柴田勝頼(27)=ARMS=が13日、“ポスト桜庭”に指名された。名古屋市内で一夜明け記者会見が開かれ、HERO’S実行委員の谷川貞治・FEG代表取締役(45)は柴田のスター性を絶賛。桜庭と並んで、7月開催予定のHERO’Sライトヘビー級トーナメントにエントリーされる最有力候補となった。

 不敵な面構えと物おじしない闘争心。谷川氏は柴田にほれ込んだ。「生かさないともったいない。皆で応援してあげて下さい。(ミドル級の)須藤元気や山本“KID”徳郁のような存在になってほしい」。ビデオリサーチ調べによる平均視聴率は12・1%。数字には結びつかなかったが、人材難だったライトヘビー級の新戦力発掘という収穫があった。

 山本宜久(36)のテンプルをとらえ、ダウンを奪った右ストレートは、打撃不得手とのプロレスラーのイメージを払しょくする一撃。だが、自身も逆に薬指の付け根を負傷。当て所がずれる未熟さを残したが「人間の頭って硬いんだな、と思いました。折れてはいなかったんで2週間後くらいに練習を始められると思う」と一夜明けてもじっとしていられないようだ。

 8選手が競うライトヘビー級トーナメントの日本人枠は2人を予定。エースの桜庭和志(37)に次ぐ2番手として最有力候補となったのが、柴田だ。谷川氏は「(それまでに)何戦かやらせて経験を積ませてあげたい。韓国で試合を組むなど、経験の場を与えたいと思います」と強化指定選手にする考えだ。柴田も「ぜひ出たい。試合が決まればけがも早く治ると思います」とその気。かつて新日本プロレスで“新闘魂三銃士”の一人に数えられた男が、客を呼べる総合格闘家を目指して突っ走る。

 ◆所K―1参戦 谷川氏は総合格闘家の所英男(29)=チームゼスト=を「K―1 MAX」に初参戦させる考えを明かした。12日はメーンイベンターを務め、安廣一哉から腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちしたが、主催者として苦手な打撃を徹底的に磨いてほしい考え。「立ち技の試合に出るつもりで練習すれば(打撃も)変わってくる」と話した。早ければ4月4日の世界最終選抜で前座デビューする可能性もある。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20070314-OHT1T00020.htm

37名無し部員:2007/03/14(水) 07:24:07
永田、キック一発蝶野破壊…新日本・八王子大会 ◆新日本・八王子大会(13日) 春のG1「NEW JAPAN CUP(NJC)」2回戦で、優勝候補同士の永田裕志(38)と蝶野正洋(43)が激突。IWGPヘビー級王座奪回に燃える永田が、秘策のロケットキックで蝶野を撃破し、準決勝進出一番乗りを決めた。

 永田の一瞬の機転が勝負を決めた。終盤の撃ち合い。ロープに飛んだ永田は、ジャンプし、右足を蝶野の顔面にたたき込んだ。ナガタロックやバックドロップホールドは出さず。それでも強敵の蝶野を倒せるところが、永田の強みだ。「カウンターの撃ち合いだったので、一瞬のひらめきがあった。勢いを加速したのは大きい」と手応え十分の様子だった。

 NJCは、IWGPヘビー級王者、棚橋弘至(30)への挑戦権がかかる。ファンの間では、永田に期待する声が高まっており、蝶野との一戦でも、永田への声援が上回った。「普段なら蝶野一色でしょう。そういう声に応えないといけない」。ミスターIWGPと言われた男が王座返り咲きへ、大きな壁を越えた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070314-OHT1T00019.htm

38名無し部員:2007/03/14(水) 07:24:29
バーナード、また中西撃破…新日本・八王子大会 ◆新日本・八王子大会(13日) 2大会連続の中西狩りで、準決勝に進出した。11日の名古屋大会でIWGPタッグ王者を奪ったばかりの中西を迎え撃ち、バーナードライバーをたたき込んで完勝。「中西には、おとついも、今日も勝ったぞ。次は永田か? ヤツも中西と同じ運命だな」と豪語。IWGP王者・棚橋が本命と予想する昨年の覇者が、着実に歩を進めている。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070314-OHT1T00018.htm

39名無し部員:2007/03/14(水) 07:27:48
【HERO’S】柴田勝頼7月に桜庭戦浮上…Lヘビー級T
HERO’S初陣を飾った柴田は一夜明けて、右拳の骨折もなく、7月に桜庭戦での激突も視野に入れた(撮影・川田尚市)
 12日のHERO'S初陣を9秒殺で飾った、柴田勝頼(27)が13日、名古屋市内で会見し、07年HERO'Sライトヘビー級(85キロ)トーナメント参戦を正式表明した。負傷した右拳は折れておらず、実行委員の谷川貞治FEG社長(45)も、桜庭和志(37)と並んで、柴田に早くもトーナメント出場を当確。両雄が7月の1回戦で激突する可能性も急浮上だ。





 仕切り直しの総合格闘技デビュー戦を9秒TKO葬で飾り、柴田の自信は確信に変わった。

 「ようやく何かが始まる実感がある。武器を磨き、次に備える。Lヘビー級トーナメントにも出たい」

 キャリア15年で体重も14キロ重い99キロの難敵・山本宜久(36)を前夜、右ストレート1発で意識を刈り取った。骨折を覚悟した右拳はレントゲン撮影で「折れてないと分かった」と2週間後に練習再開を決めた。

 05年1月に退団した新日本では、棚橋弘至、中邑真輔との新闘魂三銃士として期待されたが、その後04年K−1日本GP王者・天田ヒロミ、03、04年K−1世界GP準優勝者・武蔵との異種格闘技戦はいずれも敗北。今回は2年前に元パンクラス王者・船木誠勝氏(38)に師事し、万全を期した。

 「きのうが総合格闘家としての本当の初陣。今後はどんどん試合していきたい」。

 6月開催の米国大会参戦も検討しながら、7月開幕のLヘビー級トーナメントをめざす。谷川氏も「プッシュして、日本で1番有名なプロレスラーにしたい。桜庭選手との対戦も当然ありえる」という。プロレス界で異端児扱いされた若きサムライが、総合格闘技のド真ん中を突っ走る。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031402.html

40名無し部員:2007/03/14(水) 07:28:58
中西NJ杯2回戦で敗れる/新日本
<新日本:東京大会>◇13日◇東京・八王子市民会館◇719人

 中西学がニュージャパン(NJ)杯2回戦で、ジャイアント・バーナードに敗れた。今大会で優勝すればIWGPヘビー級王座の挑戦権が得られたが、その夢も消えた。相手を得意のアルゼンチン式背骨折りで担ぎ上げるなど奮闘したが、最後は13分5秒、バーナードライバーからの片エビ固めに沈んだ。中西は8日のNWAインターコンチネンタルタッグ王座陥落、11日のIWGPタッグ王座陥落に続く6日間で3度目の悪夢となった。

 NJ杯2回戦のもう1試合は、永田裕志が蝶野正洋を下し、18日の尼崎大会でバーナードと決勝進出を争うことになった。

 中邑真輔は6人タッグで相手組の真壁から左ひざへいすを使った集中攻撃を受けた。反則勝ちになったものの試合後は立ち上がることもできず、仲間のトムコに担がれて退場。うめき声を残し、医務室に消えた。15日の福島・相馬大会では天山とのNJ杯2回戦が控えるが、不利な状況に追い込まれた。

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070314-169272.html

41名無し部員:2007/03/14(水) 07:29:35
馬場組に挑戦のアーニー・ラッドさん死去
 NFLサンディエゴ・チャージャーズの花形選手から、プロレスラーに転身したアーニー・ラッドさんが11日(日本時間12日)、胃がんのため米ルイジアナ州フランクリンの自宅で亡くなった。68歳だった。63年2月にデビュー。204センチ、148キロの巨体から繰り出す、ネックハンギング・ツリーを得意とした。全日本では80年7月にブルーザー・ブロディと組み、馬場、鶴田組のインターナショナルタッグ王座に挑戦。新日本でも猪木とNWF王座をかけて戦った。牧師として活動していた。(デーブ・レイブル通信員)
http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070313-168914.html

42名無し部員:2007/03/14(水) 07:30:07
永田が蝶野撃破で4強一番乗り

 【新日本】ニュージャパン杯は永田が4強一番乗りを決めた。13日、準々決勝で蝶野と対戦。互いに意地の張り合いからキックの応酬で場内は大盛り上がり。最後は永田が17分25秒、ロケットキックからの片エビ固めで勝利をものにした。18日の準決勝の相手は、昨年Vのジャイアント・バーナード。「優勝するためには通らなければいけない相手」と覚悟はできている。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/14/03.html

43名無し部員:2007/03/14(水) 07:30:30
柴田が7月トーナメント出場へ

HERO’Sデビュー戦一夜明け会見を行った柴田勝頼。右拳は脱臼だった



 HERO’S開幕戦で白星デビューを果たした柴田勝頼(27=ARMS)が、7月のライトヘビー級(85キロ)トーナメントに出場する可能性が出てきた。一夜明け会見が13日、名古屋市内で行われ、谷川貞治FEG代表が「桜庭と柴田は7月から始まるトーナメントに出したい」と出場させる意向を示した。

 柴田も「トーナメントに出たいし試合が決まればケガもよくなる」と前向きだ。柴田は山本をわずか9秒、右フック1発で沈め潜在的な能力の高さを証明した。試合で痛めた右拳も脱臼と診断され、約2週間で練習を再開できる見込みだ。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/14/01.html

44名無し部員:2007/03/14(水) 07:31:46
邪道&外道がIJタッグ初防衛に成功! /3月13日DRAGON GATE後楽園大会試合結果

DRAGON GATE「Road to MEMORIAL GATE TOUR」
3月13日(火) 東京・後楽園ホール
■試合経過
新日本が誇る“タッグ二冠王”邪道&外道が、IJタッグ次期挑戦者決定戦(2/24 DRAGON GATE桂スタジオ大会=相手は土井成樹&Gamma)を制したCIMA&横須賀を迎え撃つ初防衛戦。
 横須賀に照準を絞った王者組は、邪道がイス&木づち攻撃、ロープを掴んだ“反則”コブラツイスト、雪崩式ブレーンバスター。外道はスイングネックブリーカードロップから座り込んだ横須賀の顔面へトラースキックをクリーンヒットさせる。
 一方、横須賀も観衆の「享(すすむ)」コールを受け、ジャンボの勝ち!(ラリアット)を邪道にお見舞いするが、邪道もラリアット応戦。ここからラリアット合戦に発展すると、相打ちに終わり、共にパートナーにスイッチする。 
 CIMAは、外道にリバースインディアンデスロックを極めながら、邪道をバックドロップで投げる荒技を披露。そして、コーナーを背にした外道へ横須賀と共にダッシュ。横須賀は外道にジャンボの勝ち!を放ち、CIMAは外道に行くと見せかけて、場外の邪道へトペスイシーダを発射した。
 終盤、勝機と見たCIMAは得意のマッドスプラッシュ(開脚式フロッグスプラッシュ)で邪道へダイブ。だが、両膝を立ててこれを迎撃した邪道は、すかさずクロスフェースオブJADOを極める。横須賀が間一髪で救出するが、これで勢いに乗った王者組はトレイン攻撃からスーパーパワーボムをCIMAに炸裂させ、再び邪道がクロスフェースオブJADOへ。
 ロープに必死で手を伸ばすCIMAを邪道は自身の体を回転させてマット中央に戻し、CIMAの顔面をさらに絞め上げる。外道に押さえられた横須賀はカットに入れず、これでCIMAはタップアウト。王者組が初防衛に成功した。
 
 試合後、邪道は「俺らのIJタッグ、挑戦するヤツいねぇのか? こんな腰抜けばっかりのクソインディーじゃ、誰も来ねぇか。お前らも、こんなつまんねぇプロレスを観に来ないで、新日本プロレスに観に来いよ」と、ドラゲーの選手、ファンをコケにする発言を連発。さらに邪道は、かつて新日本マットで小川直也が言った台詞をマネして「ドラゲーファンの皆さん、目を覚まして下さい!」と言い放った。 
 入場時に王者組を拍手で迎えたドラゲーファンも、さすがに激怒。大ブーイングが飛ぶ中、邪道は「横須賀、勝負に2度はねぇんだ。素直に負けを認めろよ」と、横須賀を小バカにして外道と共に意気揚々と引き揚げた。
 
■試合後コメント
外道「おい、CIMA! 今日は口が回らねぇな、オイ! 存分によぉ、(邪道の)クロスフェース(オブJADO)を味わっただろ、この野郎。今後1週間、テメェは口聞くんじゃねぇ!」
邪道「おい、こんなもんか。敵うわけねぇだろ。無理に決まってんだろ。弱すぎるって、本当に!」
外道「お前らのしょぼい会社にはよぉ、この腐ったベルト2度と戻さねぇぞ!腐っても、オメェらには戻さねぇ、この野郎!」
邪道「(次は)ストーカー市川(DRAGON GATE所属の選手)で十分だ」

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6617

45名無し部員:2007/03/14(水) 18:55:07
プロレスの証言者 藤波辰爾(6)
 1978年(昭和53年)1月23日、藤波辰巳(当時)はWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得した。24歳の快挙は、世界中を驚かせた。東洋の無名レスラーが米国の聖地マジソンスクエアガーデンで頂点に立っただけでも十分にインパクトがあったが、それ以上に王者エストラーダを沈めた必殺技が、何よりも衝撃的だった。

 「ドラゴン・スープレックス・ホールド(飛龍原爆固め)」。相手にフルネルソンを決めたまま、原爆固めの要領で後方に投げ、そのままフォールした。これまで誰も考えたことがない大技だった。実は藤波自身もこの試合で初めて出した技だったという。

 藤波「試合の1週間前に師匠のカール・ゴッチから『相手を背後から羽交い締めにし、そのままスープレックスで投げる技もある』といわれただけ。練習もしていない。ただ試合ではゴッチさんに習った技を1つは出そうと思っていたから、自然と体が動いた」。

 試合後の控室は大騒ぎになった。歓迎や祝福ではない。受け身の取れない荒技に、バックランドやスヌーカら当時のトップ選手たちが「あんな技を使われたら死んでしまう」と拒絶反応を起こしたのだ。実際に同年3月の凱旋シリーズ最終戦では恐れをなしたエル・カネックが試合当日になって対戦を拒否して逃亡する事件も起きた。

 当時180センチ、93キロのレスラーとしては小柄な藤波は、なぜ練習もせずに「飛龍原爆固め」を決めることができたのか。それはゴッチ直伝のブリッジ特訓の成果だった。壁に背中を向け、2歩前に出て体を反らせ、壁づたいに手をつきながら床に手を着く。そこから再び体勢を元に戻す。その練習を一日中、何百回もやらされた。その結果、柔軟で可動域の広い、足、腰、背筋の筋力がついたという。

 米国での試合は日本でもテレビ中継されていた。同3月の凱旋帰国シリーズで藤波ブームが起きた。「飛龍原爆固め」を期待して会場にファンが押し寄せた。そこで藤波はさらにファンを驚かせる大技を披露した。同3月3日のマスクド・カナディアンとの凱旋試合。場外に落ちた相手めがけ、リングの上からロケットのように飛び込んだ。

 「ドラゴンロケット」という日本初公開の飛び技だった。実はこの技もぶっつけ本番だった。メキシコ遠征で見た「トペ・スイシーダ」と呼ばれる技で、衝撃が大きすぎて、大けがをする可能性もあるため、当時はメキシコでも使い手が少なかった。藤波もメキシコでは使ったことはなかったという。

 藤波「メキシコでは使う勇気がなかった。でもがい旋試合だったからね。自分のできる全部を出そうと思っていた。大きな賭けだった。そしたらきれいに決まったの。4、5メートル飛んだんじゃないかな。手と足がまっすぐで、後でテレビを見たらウルトラマンが飛んでいるみたいだった。あれでジュニアのブームが起きたんだろうね」。

 藤波は2つの異次元必殺技で世界のスターダムに駆け上がった。巨体をぶつけ合う従来のプロレスのイメージを破壊、日本になじみの薄かったジュニアを定着させた。大げさな言い方をすればプロレスに革命をもたらした。

 藤波「自分は米国で徹底してレスリングを学んだ。腕を取るバリエーションだけで10種類以上知っていた。だからいろんな場面に対応できたし、大技も出せた。今の選手は技を知らないから、すぐに殴ったり、蹴ったりになる。でもプロレスは本来レスリングで打撃ではない。本来のレスリングをやればK−1にもPRIDEにも負けませんよ」。【来田岳彦】

[2007年3月14日8時11分]

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070314-169301.html

46名無し部員:2007/03/14(水) 18:55:36
武藤が年内にもアングル戦実現!?
 全日本の武藤敬司(44)が、レスリング五輪金メダリストのカート・アングルら、米国第2の団体TNAのトップ選手と、早ければ年内にも対戦する。JCWフィラデルフィア大会(14日)参戦のため、米国遠征中の武藤は12日(日本時間13日)、フロリダ州オーランドでTNAのアンディ・バートン副社長、現場最高責任者のジェフ・ジャレット常務らと会談。両団体の業務提携に合意した。

 高級車で送り迎え、高級ホテルを用意されるなど、VIP待遇で迎えられた。さらには武藤の参戦だけでなく、武藤が推薦する選手も常時受け入れるという破格扱い。将来的には若手選手の交換留学に発展させる計画だ。武藤は「向こうからは『米国に住まないか』とまで言われた。全日本が掲げる世界進出に向けて、慎重かつ大胆にいきたい」と話し、今後の定期的な参戦も視野に入れた。
http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070314-169331.html

47名無し部員:2007/03/14(水) 18:55:55
猪木の新団体が新会社を銀座に登記申請
 アントニオ猪木の新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」が14日、新会社を東京・銀座に登記申請する。この日までに、モンゴルの国会議員で、元関取の旭鷲山氏の弟バトサイハン氏からモンゴル選手の大会出場オファーも受けた。6月26日の旗揚げ戦に向け態勢を固めていく。新たなブログ(http://blog.antonio-inoki.net/)も開設された。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070314-169336.html

48名無し部員:2007/03/14(水) 18:56:12
永田ペースで難敵蝶野を突破/新日本
<新日本:東京大会>◇13日◇八王子市民会館◇719人

 新日本の永田裕志(38)が難敵の蝶野を突破した。ニュージャパン杯2回戦で、相手から神経戦を仕掛けられた。それでも場外戦に誘われても深追いせず、自分のペースを崩さない。17分25秒、ロケットキックからの片エビ固めで振り切った。試合中には大ナガタコールが起きた。「いつもなら蝶野一色なのに、ファンからの追い風を感じる」と手応えをつかんだ。18日の尼崎大会での準決勝ではバーナードと対戦。技と頭脳で決勝へ勝ち残る。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070314-169333.html

49名無し部員:2007/03/14(水) 18:58:35
中邑選手・越中選手欠場のお知らせ
掲載日: 2007年03月14日





中邑真輔選手が、頚椎損傷及び左足関節靭帯損傷の為シリーズ全戦(15日そうま・18日尼崎・21日後楽園大会)欠場となります。尚、NJCトーナメントは不戦敗となります。

また、越中詩郎選手が右足負傷の為、15日(木)そうま大会を欠場とさせて頂きます。尚、越中選手につきましては、3月18日(日)尼崎大会にて復帰予定です。

中邑選手、越中選手のファイトを楽しみにしていたファンの皆様にお詫び申し上げますとともに、ご理解の程よろしくお願い致します。

3月15日(木)そうま大会変更対戦カードは、下記リンクにてご確認下さい。
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6619

50名無し部員:2007/03/14(水) 18:58:55
永田&バーナードがベスト4進出

中西(下)にボストンクラブをきめるバーナード=八王子市民会館  ニュージャパンカップ2回戦2試合が13日・新日本の八王子大会で行われ、永田が蝶野を、バーナードが中西をそれぞれ破り、3・18尼崎大会の準決勝に進出。昨年4・30尼崎大会で決勝を争った2人が、同じ会場で再び激突することになった。

 永田-蝶野は、02年10月6日のIWGP戦で60分フルタイムの死闘を演じたこともあるプロレス名人戦。「かけ引きやフェイントのかけ合い」(永田)を制したのは「一瞬ひらめいた」永田のロケットキックだった。

 「クリアできて勢いが加速した」という永田の前に立ちふさがることになったのはバーナードだ。11日・名古屋大会で中西をパワーボムでKOしてIWGPタッグ王座を強奪した勢いは衰えず、この日も中西をバーナードライバーで撃沈。「きょうも中西に勝ったぞ!次の永田も同じ運命だ」と、ほえまくった。

 昨年の決勝戦はバーナードが永田をバーナードライバーで沈めたが、永田にも優勝してIWGP挑戦という大目標がある。永田は「ベルトを狙う上ではスカせない相手」と、フンドシのひもを締め直していた。
http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269669.shtml

51名無し部員:2007/03/14(水) 18:59:18
中邑 連覇に暗雲…左ヒザ負傷
 13日に行われた新日本の八王子大会で、中邑つぶしをねらう真壁が、左ヒザ破壊に成功。イスで3回殴った後、ヒザの上にイスを置いてアトミックボムズアウェーを投下した。戦闘不能の中邑はトムコの肩に担がれて退場し、ノーコメントで医務室に直行した。中邑は2回戦で天山、順当なら準決勝で真壁-というGBH包囲網が敷かれており、左ヒザに爆弾を抱えた今、NJC制覇に暗雲が漂ってきた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269678.shtml

52名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:11
柴田を“ポストKID”に指名

一夜明け会見に出席した柴田勝頼(左)と船木誠勝トレーナー=名古屋市内のホテル  君こそスターだ!HERO’Sの谷川貞治プロデューサー(45)が13日、名古屋市内で、12日・名古屋大会で山本宜久(36)を9秒殺する鮮烈なデビューを飾った柴田勝頼(27)をポスト“KID”に指名。大々的に売り出す方針を明らかにした。

 7月には85キロ級トーナメント(T)が開幕予定だが、谷川氏は桜庭と並んで柴田に「出したい」と当確印。特に柴田には「プロレスラー=柴田ってくらいにプロモーションして一番、知名度があるプロレスラーにする。KIDや(須藤)元気のようになって欲しい」とゾッコンで、報道陣へのアピールも忘れなかった。

 新日本時代は棚橋、中邑との新闘魂三銃士として売り出され、プロレス界での知名度が高い柴田だが、HERO’Sはゴールデンタイム、プライムタイムで放送される。山本“KID”徳郁や須藤元気のようなジャンルを超越したスターになることも可能だ。

 柴田は「ぜひ出たい。試合が決まればケガ(右手薬指脱臼)も早く治る」と、85キロ級T出場を熱望した。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269665.shtml

53名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:35
邪道&外道が初防衛
 ドラゴンゲート(13日・後楽園大会)、IJタッグ選手権はIWGPジュニア・タッグ王座も保持する邪道、外道の2冠コンビがCIMA、横須賀組を退けて初防衛を飾った。CIMAをクロスフェース・オブ・JADOで仕留めた邪道は「腰抜けばっかりだ。ほかに挑戦者はいないのか」と挑発。新日本との対抗戦に敗れた横須賀は「何回やっても自分が取り戻す」と奪回を宣言した。25日の津大会では、ライガーがフジイのオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦する。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269677.shtml

54名無し部員:2007/03/14(水) 19:00:54
「週刊ゴング」休刊…39年の歴史に幕
 39年の歴史に幕-。1968年に月刊誌として創刊され、84年から週刊となったプロレス専門誌「週刊ゴング」が14日発売号を最後に休刊することが13日、分かった。

 発行元の日本スポーツ出版社によると、バブル崩壊後の慢性的な経営環境の悪化に加え、2月19日にコンピューター関連機器会社「アドテックス」をめぐる民事再生法違反容疑で同出版社の前社長・前田大作容疑者(51)が逮捕されたことが致命的となり「最悪の事態に追い込まれた」という。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269676.shtml

55名無し部員:2007/03/14(水) 19:01:11
アーニー・ラッドさんが死亡していた
 “毒蜘蛛(どくぐも)”“ビッグキャット”などのニックネームで親しまれていたアーニー・ラッド氏が全身がんのため10日に死去していたことが13日、分かった。米メディア「SLAM!sports」(電子版)などが報じた。68歳だった。

 1960年代にNFLのサンディエゴ・チャージャーズで活躍していたラッド氏はひざの故障が原因で引退。その後、プロレスラーに転身し、65年には“テキサスの帝王”フリッツ・フォン・エリックからテキサス州王座を獲得し、一躍黒人選手のスターの座に駆け上った。

 74年には新日本リングにも上り、猪木の持つNWF王座に挑戦。80年には全日本のリングで故ブルーザー・ブロディ組、故馬場、故鶴田組の持つインタータッグにも挑戦したが、86年に現役を引退していた。
http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/14/0000269675.shtml

56名無し部員:2007/03/14(水) 19:36:49
 長州力
 そうか、ゴングは39年か…。俺が(デビューして)33年だから、もっと長かったわけだよな。一言で言うと、いろんな面でゴングさんにはお世話になりましたね。いいこともあれば、ぶつかったこともあったよな、うん。
 週刊って割りを食っているよな。いまは知りたい情報を次のうちにネットで知ることもできるからな。俺からしたらネットとか携帯サイトは必要悪だもんな。
 毎日、毎日、それを見てさ、全部の人間がそれを求めているわけじゃないと思うんだけどな。今日のことは明日や一週間後でもいいと思うよ。今日中に知らなきゃいけないことじゃないと思うんだ、俺なんかマッチメイクしていてそう思うよ。
 でも反対にチャンスじゃないか。全くいまと違ったものを作れば。こんなの逆手に取ればいいんですよ。
 Tシャツの洗い方ですよ。いまのプロレス週刊誌のTシャツには飽きてる部分もあると思うから。別のものを着てみないと。このシャツ面白いなと思えばそれをきればいいんだし、反対に発想の問題だよ。
 みんなゴングでやってきたことが財産になっていてさ、他になにもないだろ? まあ、この業界は裏切りが多いけどさ、また集まってやればいいんだよ。今までよりももっと面白いものをやればいいんだよ。ゴングという名前には価値があるよね。でもその名前を持っている人間がその意味がわからなければ、全く意味のないことだからね。また何かの形で手助けに鳴るんだったら、言ってきて下さいよ。
 まあ、これで終わりじゃないんだからさ、また会おうよ。
(週刊ゴング 3/28 No.1168)

57名無し部員:2007/03/14(水) 20:55:33
 長州力現場監督
「昨日(9日)、俺が休んでる間にいっぱい電話が入ってたんだよ。その名前(アントニオ猪木)が出てくるのであれば、動いているんだなと。俺はそういうものを自分で経験してきているからな。ジャパンとかWJとかで。それはシンドイですよ。反対にこの業界全体に面白いことを起こしてくれれば、そういう風が吹くという期待は大きいよね。ただ『あそことウチは違う』とか、『違う発想を打ち出す』とか、『ウチには独自のカラーがある』とか言ったって、それはもうダメですよ。ウチだって固まってないでしょう。(選手たちの)契約の1年間は動かないけど、ただ、みんな必死になってやっているだろうし、契約もサイモンの名前だから、当然いろんなトラブルが起きるだろうけど。そこのところが分からないけどね。昨日から携帯にいろんな名前が入ってたけど、返事はしていないですよ。ここ(幕張の会場)に来たら『サイモンが辞めた』って。いや、遅かったと思うよ。かえってタイミングが悪すぎる。せっかく穏やかに(選手たちの)契約が終わったのに、何でそういうものが噴き出すのかなと。(2年前、サイモンに頼まれて新日本の現場監督に復帰したことが)それはもう、俺は今、こういうスタンスですから。俺は俺、スタンスはスタンスですから。(猪木が)1人で出来るわけじゃないから。そして揉めて出ていった人間も、またそこに集まるだけで、繰り返しですよ。女郎蜘蛛だよ」
(週刊ゴング 3/28 No.1168)

58名無し部員:2007/03/15(木) 07:44:01
白い野人に女性ファン1000人興奮

白いタイツで登場した中西に女性ファンも大歓声



 【ひなバトル】1000人の女性から熱い視線を浴びたのは第4試合に行われた新日本の6人タッグマッチだった。チョイ不良(ワル)ミドルチームは飯塚、永田、そしてなんと白いパンツにシューズを履いた中西だ。普段は真っ黒なパンツを愛用。ストロングスタイルを貫く野人がホワイトデーのこの日ばかりは白い野人に変身した。試合は時間切れ引き分けに終わったが中西は「ホワイトデーなんで。昔もはいていたので懐かしい気がして」と10年ぶりの白いパンツに満面の笑みだった。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/15/05.html

59名無し部員:2007/03/15(木) 07:46:28
スカイパーフェクTV! Presents「第2回スペシャルナイト☆ひなバトル!!」新日本プロレス提供試合結果
3月14日(水)恵比寿・ウェスティンホテル東京
スカイパーフェクTV! Presents「第2回スペシャルナイト☆ひなバトル!!」
第4試合(15分1本勝負)
△田口隆祐
 棚橋弘至
 井上 亘
(イケメンチーム) 15分00秒
時間切れ引き分け 永田裕志△
中西学
飯塚高史
(チョイ不良ミドルチーム)


※新日本プロレス提供試合

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■試合経過
 “イケチョイ「力」の戦い”として各団体の提供試合が行なわれ、新日本のレスラーは第4試合に登場。“ホワイトデー”にちなんで、中西は真っ白なショートタイツ、リングシューズを着用して入場。会場の女性たちからは、別の意味で大歓声が沸いた。
 コール時に多くの紙テープが飛んだ棚橋と永田の先発でゴング。会場の「棚橋」コールにジェラシーを燃やした永田は、リングを降りて帰ろうとするが、飯塚に連れ戻されてリングイン。
 棚橋の張り手でスイッチの入った永田は、エルボー合戦から強烈なニーリフトを棚橋の腹部にお見舞いした。
 “チョイ不良チーム”は田口に照準を絞り、永田がミドルキック3連発、中西はコーナー最上段からのチョップ。さらに永田は、ショルダーアームブリーカーから鬼の形相で腕固めを極める。
 苦しい田口だったが、中西にハンマースローされるとロープに飛び乗り、そのまま中西の方を向いてドロップキック。ようやく反撃に成功し、棚橋の元へ。 


 中西のボディスラムを切り返した棚橋は、ドラゴンスリーパー。中西も棚橋を強引に持ち上げて脱出しようとするが、体勢を戻した棚橋は、ファイナルカットを炸裂させる。
 試合時間残り2分。井上は勝負を決めるべく、飯塚にミサイルキック、ストマックブロック、キチンシンク、スピアーと一気にラッシュ。一方、飯塚もバックの攻防からロープへダッシュした井上の首をスリーパーホールドで絞め上げ、ギブアップを迫る。 
 飯塚のドロップキックが永田に誤爆したのをきっかけに、田口は永田にミサイルキックを発射。続いてのスリーアミーゴは、3発目で背後に着地されるが、すぐに永田のバックを取ってジャーマンスープレックスホールド。これは惜しくもカウントは2に終わる。
 試合時間残り10秒で必殺の“どどん”の構えに入った田口。だが、永田はこれを不発させ、ブレーンバスター。ここでゴングが鳴らされ、時間切れ引き分けとなった。この結果を受け、“イケチョイ「力」の戦い”は2勝1敗1分けでイケメンチームが勝利した。

※その他の提供試合の結果は以下の通りになります。


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第1試合(15分1本勝負)
○アンソニー・W・森
 B×Bハルク
(イケメンチーム) 1分27秒
フジイの誤爆→エレガントマジック 望月成晃×
ドン・フジイ
(チョイ不良ミドルチーム)


※DRAGON GATE提供試合
第2試合(15分1本勝負)
○日高郁人
 大森隆男
(チョイ不良ミドルチーム) 11分04秒
変型横入り式エビ固め 佐々木義人×
崔 領二
(イケメンチーム)


※ZERO1-MAX提供試合
第3試合(15分1本勝負)
○丸藤正道
 杉浦 貴
(イケメンチーム) 13分29秒
不知火→エビ固め 潮崎 豪×
力皇 猛
(チョイ不良ミドルチーム)


※プロレスリングNOAH提供試合
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6621

60名無し部員:2007/03/15(木) 07:48:28
中邑離脱 IWGP挑戦消えた 新日本の中邑真輔(27)が、けいつい損傷と左足関節じん帯損傷のため21日までのシリーズ全戦を欠場することが14日、発表された。「NEW JAPAN CUP(NJC)」2回戦(15日、福島・相馬大会)の天山広吉(35)戦は不戦敗となり、IWGPヘビー級王座挑戦が消えた。

 中邑は、3日のNJC開幕前から首に違和感があったという。13日の八王子大会での真壁刀義(34)の凶器攻撃で、首の悪化に加え、左足首を負傷。NJC優勝者は4月13日の大阪大会でIWGP王者・棚橋弘至(30)へ挑戦できるため「どうしても出たい」と訴えたが、新日本の関係者は「ドクターストップです。会社としても、負傷が選手生命にかかわる場所なのでストップした」と説明した。また、越中詩郎(48)も右足首負傷で相馬大会を欠場する。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070315-OHT1T00044.htm

61名無し部員:2007/03/15(木) 07:49:59
イケメンvsチョイ不良ミドルに女性1000人大興奮!=ひなバトル

 ホワイトデーに贈る女性プロレスファン限定のスペシャルワンナイトイベント、スカイパーフェクTV!Presents「第2回スペシャル☆ナイト ひなバトル!!」が14日、東京・ウェスティンホテル東京で開催された。
 各団体のイケメンレスラーだけを集めて開催された昨年から、今年は“イケメンvsチョイ不良(ワル)ミドル”の新テーマのもと、各団体のイケメンとチョイワルが世代を超えたバトルを披露。さらに、ひなバトルでしか見られない勝負服ファッションショー、美容家IKKOさんとの“場外バトル”、ホワイトデーにちなみに各レスラーからマシュマロのプレゼントなど、集まった1000人の女性ファンにはたまらない夢の一夜となった。

 第1部「力の戦い」では各団体提供試合が行われたが、ここで魅せたのはノア勢だ。チョイワルのはずの杉浦が、なぜかイケメンの丸藤と入場。リングアナにも「イケメン、杉浦貴」とコールさせ、無理やりイケメンチームになってしまったのだ。杉浦&丸藤の新イケメンコンビは入場からIKKOさんに花束を渡し、ほっぺにチューをするなどつかみからIKKOさんのハートをがっちりキャッチ。「頑張って〜」というIKKOさんの後押しを受けた新イケメンチームが終始ペースを握り、最後は丸藤が必殺の不知火で25歳なのにチョイ不良ミドルにされてしまった潮崎を沈め、IKKOさんに捧げる愛の勝利を挙げた。
 2月14日に行われたひなバトル結団式会見から「IKKOさん狙いで」と予告していた丸藤&杉浦だが、宣言どおりIKKOさんはこの“イケメン”コンビにメロメロ。特にIKKOさんが杉浦に「優しそう〜」と猫なで声を送ると、開幕式の時点で「IKKOさんに欲情している僕がいます」とカミングアウトしていた杉浦は「やさしいよ〜」と甘い語り口で返したのだった。
 さらに杉浦は、単にイケメンと呼ばれたいから丸藤と電撃合体したのではなく、本心は「ノアでも丸藤と組んでいきたいから今日は無理やりタッグを組んだ」とのこと。丸藤も「杉浦さんはイケメンだし、優しいし、心強いです」と全面信頼だ。ある意味このタッグ生みの親であるIKKOさんにちなみ、このタッグは『チーム・IKKO』と命名。ホワイトデーに生まれた新イケメンコンビが、ホームのノアリングで大暴れしそうだ。

 第2部「美の戦い」では各選手がデートに行くならこの服というコンセプトのもと、自前のファッションで勝負。ドン・フジイの“大阪ミナミを闊歩する金融業者”という破壊力抜群の黒尽くめのファッションに、中西学の純白のシャツに漆黒のスーツ、永田裕志の肌身離さず持ち歩くセカンドバックと、ここは貫禄を見せたチョイ不良ミドルが女性ファンの支持を受けて快勝した。
 また、エンディングではレスラーからマシュマロのプレゼントがされ会場の興奮もピークに。女性プロレスファンにとっては忘れられない一夜となったに違いない。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070314-00000033-spnavi-fight.html

62名無し部員:2007/03/15(木) 11:53:02
プロレスの証言者 藤波辰爾(7)
 WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王者になった藤波は、黄金のベルトを抱えて約2年9カ月ぶりに帰国した。1978年(昭和53年)3月1日、羽田空港には100人を超える報道陣とファンが待ち構えた。日本プロレス史に初めて到来した「ジュニア時代」の幕開けだった。

 日本にも小柄なレスラーはいたが、藤波の衝撃的な登場まで、100キロ未満の「ジュニアクラス」は認知されていなかった。長い歴史の中でタイトル戦はNWAジュニアヘビー級王者が、5度来日して防衛戦を行っただけ。それだけに藤波が米国のリングで見せたパフォーマンスは新鮮に映った。スピーディーで、華やかで、見たこともない必殺技…。プロレス界の構図がガラリと変わった。

 藤波「力道山時代から続く、大きな男たちが体をぶつけ合うプロレスに、ファンは飽きかけていたんだろうね。新日本も猪木さんの異種格闘技路線がマンネリ化していた。起爆剤が必要だったし、ファンも新しいものを求めていた。時期的にもよかった」。

 同3月3日から始まった凱旋(がいせん)シリーズは、どこの会場も藤波目当てのファンで満員になった。藤波も毎試合、期待に応える激闘を演じた。米国で初公開した飛龍原爆固めに続き、ドラゴンロケット、ドラゴンスクリューなど斬新な必殺技を、リングの上で惜しげもなく出して防衛を重ねた。その人気はアントニオ猪木をもしのぐほどだった。

 同10月20日、宿敵チャボ・ゲレロとの10度目の防衛戦(大阪大会)は、中継するテレビ朝日が藤波の試合だけを放送した。ジュニアがヘビー級を超えた事件だった。この試合は藤波のジュニア時代を代表する名勝負になった。ドラゴンロケットをかわされて、客席のパイプいすで額を深く切った。フラフラになったが、大流血の中で最後はコブラツイストで逆転勝ち。ファンを熱狂させた。

 藤波人気はプロレスのファン層も大きく変えた。会場や宿舎には「追っかけ」といわれる若い女性ファンが殺到した。バレンタインデーには段ボール箱6個分のチョコレートが届いた。ジュニアの藤波は「でかくて怖そう」という従来のプロレスラー像とはまるで違っていた。均整の取れた肉体に整った顔立ち。そして洗練されたファイトスタイルに、プロレスを知らないファンの目をリングに振り向かせた。

 藤波「オレは普通の体格だったし、アメリカから帰ってきたばかりのころは髪を七三に分けていたからね。サラリーマンの代表みたいに思われたんじゃない? 馬場さん、猪木さんはお父さん世代のファンをつかんだ。オレの時は女性ファンが増えた。また、大きくないオレを見てプロレスを志した若者も多かった」。

 日米をまたにかけて藤波はWWWFジュニアヘビー級王座を23連続防衛。79年10月に1度、剛竜馬に敗れたが、2日後にベルトを奪還すると再び20連続防衛を記録した。80年にはNWAジュニアと合わせ2冠王になった。2カ月に1、2度は米国での防衛戦をこなした。年間約230試合というハード日程だった。

 藤波「米国の試合に行くときは往復ファーストクラスで、1試合4000ドル(当時約80万円)ももらった。やりがいがあったし、気分も乗っていたから疲れは感じなかった。あのころにドーム大会があったらもっと多くのファンの前で試合ができただろうな、なんて最近思ったりするんだ」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070315-169802.html

63名無し部員:2007/03/15(木) 11:54:00
杉浦“新イケメンチーム”で大暴れ

IKKO(中)にキスをする丸藤と杉浦(右)=都内のホテル  ひなバトル(14日・ウエスティンホテル東京)、女性限定のプロレス祭「ひなバトル」がホワイトデーの14日、ウエスティンホテル東京で行われ、新日本、ノア、ゼロワンMAX、ドラゴンゲートの4団体の選手がそれぞれイケメンチームとチョイ悪ミドルチームに分かれ、タッグ戦で集まった1000人の女性ファンを沸かせた。

 ノアには新コンビが誕生した。“キャバクラ王”こと杉浦は本来イケメンチームの潮崎を独断で外し、自らイケメンとして出場。丸藤とのコンビは連係もさえた。杉浦は「やっててテンポがよかった。これが何かのきっかけになればいい。たぶんすっげー強い」と手応え十分。入場時にキスであいさつしたゲスト解説のカリスマ美容家IKKO氏にちなみ、“チームIKKO”と命名した。丸藤も「タッグは本気です。ベルト?最後はそこにたどり着くことになるでしょ」と将来のタイトル戦を視野に入れた。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/15/0000270593.shtml

64名無し部員:2007/03/15(木) 11:54:42
PRIDE戦士高瀬がみのると対戦

高瀬(左)と握手を交わす上井氏=都内  「UWAI STATION 4」(21日・後楽園ホール)、みのる発、棚橋行きだ。21日の後楽園大会のカードが14日、都内で発表され、プロレス初参戦のPRIDE戦士・高瀬大樹(28)が3冠王者の鈴木みのると対戦することが決まった。

 PRIDEでは7戦4勝。03年には強豪アンデウソン・シウバにも勝利している。総合格闘技を始める前からプロレスが好きだったという高瀬は、いきなり3冠王者を相手に“デビュー”するが「今最も輝く人とできるということで興奮している」と目を光らせた。

 上井氏は「上井駅は今後の懸け橋でいいと思っている。目指すは両国、東京ドームだ」と、他団体への進出も視野に入れている。総合格闘技を続けながらのプロレス参戦という形になるが、高瀬は「(プロレスを)軽く見ているわけではない。棚橋選手ともやってみたい。タイトルにも興味があります」と堂々と宣言した。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/15/0000270591.shtml

65名無し部員:2007/03/15(木) 14:03:11
イケメンとチョイ不良のバトルに女性ファン1,000人が熱狂!/第2回「ひなバトル」(報告)
■3月14日、目黒区のウェスティンホテル東京で「スカイパーフェクTV! Presents第2回スペシャル☆ナイト ひなバトル」(以下ひなバトル)が開催された。
 
これは「スカイパーフェクTV!」のチャンネルセット「プロレス・格闘技セット!!」の発売2周年を記念して行なわれた女性限定のプロレスイベント。
 
好評だった第1回大会(2006年3月3日)に続いての今回は「イケメンVSチョイ不良(ワル)ミドル」という画期的なテーマで開催。「新日本プロレス」、「プロレスリングNOAH」、「ZERO1-MAX」、「DRAGON GATE」という4団体から選出されたメンバーが、“イケメン”と“チョイ不良”に分かれて様々な戦いを繰り広げた。
 司会進行役の平川健太郎(日本テレビアナウンサー)さんと、三田佐代子(FIGHTING TV サムライキャスター)さんの挨拶が終わると、場内が暗転。出場全選手による入場式が行なわれた。そして、特別ゲストである“美容界のカリスマ”IKKOさんがリングに登場。紫を基調にした花柄のドレス姿のIKKOさんは、「今日は“女性”代表として楽しませていただきます」と、選手たちに向かって意味ありげな笑顔を振りまいていた。
 
 そんな中、試合に向けての意気込みを聞かれた棚橋選手は「(女性ばかりの観客席は)絶景ですね。素晴らしいと思います。今日という日が、特別な夜になるように頑張ります」とコメントし、女性ファンの黄色い声援を浴びていた。
 その後、“イケチョイ「力」の戦い”と銘打たれた各団体の提供試合が行なわれ、新日本プロレスは、棚橋&井上&田口のイケメンチームと永田&中西&飯塚のチョイ不良チームが互いに相譲らず。15分時間切れ引き分けという激闘を、超満員1,000人の女性ファンに見せつけた。
 
※新日本プロレス提供試合の詳細と、他団体提供試合の試合結果はこちら
 
“「力」の戦い”は2勝1敗1引き分けでイケメンチームの勝利となり、続いて“イケチョイの戦い”は“「美」の戦い”に突入。なんと、「プライベートファッションショー」が行われ、“デートに着て行くならこの衣装”をテーマに、各選手が自らの普段着で「美」を競い合った。
 新日本の棚橋選手は、半袖のパーカーというレア(?)な衣装で登場。本人の弁によれば、このファッションは「初デートにいちご狩りに行ったイメージ」で、ポイントは初々しさだという。また、永田選手は白のズボンに茶色のジャケット、そして「いつ、何時、どこに行く時も持って行く」というトレードマークのセカンドバックを手に登場した。
 他の選手たちも、「石田純一のイメージ」(本人談)で素足でスニーカーを履きこなす崔選手や、茶色の革ジャンとジーンズ姿で決めた力皇選手など、4団体18名の選手が思い思いのファッションで登場し、ファンを大いに喜ばせていた。
 中でもインパクト絶大だったのは、「大阪ミナミの金融業者をイメージした」というフジイ選手。黒のスーツ、大きく胸元の開いた開襟シャツ、手には「2,000万円が入る」ジェラルミンケース、もう一方の手には東京スポーツという物凄い姿に、場内が大爆笑となったとことは言うまでもない。
 さらにIKKOさんもお色直しをし、深いスリットと大きく背中の開いたセクシーなドレス姿で登場。そんな「プライベートファッションショー」は、場内の女性ファンによる投票で勝敗を決定。より多くの票を集めたチョイ不良チームの勝利となったのだった。
 1勝1敗となった“イケチョイの戦い”は、最後に“「運」の戦い”となる。これは、各チームの代表1名ずつ計8人が同時にクジを引き、当たりを引けば勝ちという単純明快なもの。その結果、フジイ選手が見事に当たりを引き当て、チョイ不良チームが勝利。こうして“イケチョイの戦い”は、2-1でチョイ不良チームが制したのだった。
 「ひなバトル」の最後を飾るのは、豪華プレゼントコーナー。選手が参加する懇親会への参加権や、全選手のサインが入った色紙などが当たる抽選を、各団体の選手が交代で行なった。
 さらにホワイトデーにちなんで、マシュマロの入った小袋が客席に投げ入れられ、最高の盛り上がりの中、第2回の「ひなバトル」はその幕を閉じた。
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6622

66名無し部員:2007/03/15(木) 14:14:32
猪木さんの影響力?
テーマ:ブログ
コメントをいただいた中に、いまだに猪木さんに権限があるのか、影響力を持っているのか、という疑問を言われてる方もいてはりますねえ。
実際、もう株主ではないので、公的には、権限はないのとちゃいますか?ただ、影響力は、どうでしょう、まるっきりないとは言えないんじゃないですか?
新日本と猪木さんのそういった闘いは、猪木さん引退後、結構ありましたよ。
俺はもう新日本とかかわりたくないんだよ、プロレスから卒業したいんだっておっしゃってるのに、全然離れてくださらない…。みんな(新日本内部ですよ)そう願ってたのに。
せめて、静かに、上から見守っていていただければよかったのに。
新日本プロレスが何かしようとすると、成田会見とか、マスコミを通じて、そのことにたいして、おもしろくないだの、否定的なコメントをだされたり、イチャモンをつけたりが多かったすね。
あれ、正直、邪魔でした。いろいろ言って来て、変更させられた事もありましたよ。
そうゆう事が原因の一つでやめてった社員もいてましたわ。
それこそ、なんで見守ってあげれないんだろう。
お前達が思ったようにやってみろ、何かあったら助けてやる…といえてこそ、アントニオ猪木じゃないのかなって思ってましたわ。
ここからは自分の憶測ですよ。
自分、若い頃から猪木さんのそばにいさせていただいて、食事もよくご一緒させていただいて、話もよくさせていただきました。凄く勉強させていただいたんです。
実は、猪木さんの弱い部分も見てます。
猪木さんって、凄く淋しがり屋で、本当は弱い人じゃないかと思うんですわ。だから、回りの、猪木さんに対していいことしかいわない人達の意見しか聞かなくなったんじゃないかなって。
永久電池等の問題に関してもそういった所からでてきてんじゃないでしょうか?(永久電池等の問題に関してはまた違う機会に)
猪木さん、見栄やプライドもあり、自分は他の人
とは違うんだ、超越してるんだって見せたい方だと思うんですよ。
お前らのやってることは全ておみとおしだ!俺は上からみてるから、これやったらどうなるか、先がみえるんだよ…みたいな。
ただこれもね、新日本は俺が、猪木が全てコントロールしてるんだってイメージをつくりたかったんじゃないかな。逆の見方をすれば、新日本から猪木が、猪木のイメージが消えるのを1番怖がってたんじゃないかって思います。
我々、猪木さんが何もしないからって、新日本からイメージを消そうとなんか、絶対しなかったのに。あまりにも口だしすぎるし、言いすぎるから、猪木離れをしなきゃいけなくなってしまったんですね。
ユークスさんも株は買ったわ、それでもなんだかんだ言ってくるわ、マネージメント権は買ったわ、でも勝手な事されるはでは、やってられないでしょうね。
そんな猪木さんですが、いざ猪木さんの前にいくと、ピシッと背筋がのびてしまうのは、やはり、何か、それなりの物を持ってはおられるんだと思います。それを猪木さん自身が大事にしてほしかったなと。
俺ねえ、基本的にはアントニオ猪木って好きなんですよ。
自分が作った会社、団体なんですから、もっと信用し、掻き回さないようにされた方がいいと思うんですね。
なんか、言いたい事、いっぱい浮かんできちゃいまして、あまりよくわからなかったかもしれませんが、すいません。猪木さんに関しては、またね、自分が新日本をやめた理由を書く時に、じっくり、時間とスペースをとり、書きたいと思います。

http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027886957.html

67名無し部員:2007/03/15(木) 14:16:07
ドラゴンゲート
テーマ:ブログ
今日、知り合いの人に「チケットあるんやけど、いかへん?」とお誘いがありまして、いつもご一緒させていただいてるH社長と、誘ってくれた知り合いと、知り合いの知り合いと四人で後楽園ホールへ、ドラゴンゲート、見に行ってきました。
当然、その前は、H社長とダーツをしてから。
自分、ドラゴンゲートさん観戦するの、多分、初めてっす。
後楽園ホール、いっぱいですよ。凄いですねえ、羨ましいですねえ。
本当に女性のお客さん多いっすね。客入りより、こっちの方がうらやましかったりして。
なんせ、うちの団体、選手、おじさんばっかりだから。もしかして、日本一、平均年齢の高い団体?
セミのタッグ選手権に、邪道、外道がでてきてびっくり。今日出るって全然知りませんでした。
久々だなあ、邪道、外道の試合見るの。
声援は、当然、ドラゴンゲート選手にあつまりますわな。
あたしゃ、邪道、外道の応援っすよ、当たり前じゃないですか。
女性ファンの声援、多いねえ。すると、その声援を逆手にとるのが、邪道、外道の上手いところよ。お客さんをヒートさせる攻め方をしていくんですよ。それにしても、相変わらず外道君の受けは凄いね。試合も見事にコントロールしていたし、ドラゲーファンの方には申し訳ないんですが、一枚も二枚も上手って感じでした。邪道、外道が勝ち、タイトル防衛でしたが、これまたドラゲーファンの方には悪いんですが、役者が違うなと。邪道、外道にとっては楽な試合に見えました。
いやあでも、元気な邪道、外道を久々に見れてうれしかったすねえ。
ドラゴンゲートさんて、お客さんと一体化してるというか、来たお客さんに喜んでいただくというか、いいと思います。常連さんが多そうで、流れや選手の動きとかよくわかっていらして、選手サイドとすれば非常にやりやすい環境だなと。こうゆう見せ方があるんだと勉強になった所もありまして、いいところはアレンジしてやらせていただこうなと。
あと感じたのは、リングがうちのより少し小さいかなと、リングの音が今一ちゃうかなと、ゴングの音が小さいぞと。
でも今日はマスコミの方も多くて、この点も、うらやましー。
ドラゲーさんにはドラゲーさんの闘いの、試合の独特のリズムがあります。他の団体が真似できないそのリズムをまもり、進化させていってもらいたいものです。


さてさて個人的予告です。あさって、15日、何かが起きるかも。
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10027894921.html

68名無し部員:2007/03/15(木) 15:58:43
バッファロー吾郎「−偽自伝」発表で印税生活や!

独特のセンスが光る「バッファロー吾郎」初の単行本の表紙

◆ "虚飾の名作"誕生!29日出版 ◆

 マニアックな人気を誇るお笑いコンビ「バッファロー吾郎」の木村明浩(36)&竹若元博(36)が初の単行本「バッファロー吾郎の偽自伝」(東京ニュース通信社、1000円)を29日に出すことが13日、分かった。

 テレビ情報誌「テレビブロス」で04年10月から連載している人気コラムをまとめたもの。2人の妄想をつづった内容で、ハートウオームなウソと虚飾に彩られている。文中に出てくる有名人との思い出もすべて作り話という。

 特別企画で吉本興業の“虚言癖キング”ケンドーコバヤシとの対談も収録されているが、これももちろんウソ。連載中のコラムを芸人仲間がよく読んでいるというのはどうやら本当のようだ。

 出来上がった本をわが子のようにめでながら竹若は「出版ブームに乗っているようですが、実は地味にコツコツと積み重ねた結果の浪花節な本です。人情いっぱいで読んでいただければうれしく思います」とPR。

 プチブレーク中のプロレスラー・越中詩郎も「買わなきゃ、ヒップアタックだって!!」と推奨する会心作。印税生活を夢見る木村は「初めて私たちの本が出ます。初舞台の時のような緊張感があります。一筆入魂の精神で書いてますので、できたらたくさんの方に読んでいただきたいですね」とほくそ笑んでいる。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200703/14/ente203569.html

69名無し部員:2007/03/15(木) 20:53:25
中邑選手・越中選手欠場のお知らせ
掲載日: 2007年03月14日





中邑真輔選手が、頚椎捻挫及び左足関節靭帯損傷の為シリーズ全戦(15日そうま・18日尼崎・21日後楽園大会)欠場となります。尚、NJCトーナメントは不戦敗となります。

また、越中詩郎選手が右足負傷の為、15日(木)そうま大会を欠場とさせて頂きます。尚、越中選手につきましては、3月18日(日)尼崎大会にて復帰予定です。

中邑選手、越中選手のファイトを楽しみにしていたファンの皆様にお詫び申し上げますとともに、ご理解の程よろしくお願い致します。

3月15日(木)そうま大会変更対戦カードは、下記リンクにてご確認下さい。

http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6619

70名無し部員:2007/03/16(金) 09:51:01
*中邑は根性無し〜18日尼崎では真壁と持てる力をぶつけ合う(天山)
本日予定されていたNJC2回戦〜天山広吉vs中邑真輔戦は、3月13日八王子大会において真壁から受けた暴行のため中邑が欠場となり、シードでエントリーされていた天山は不戦勝。戦わずして天山の準決勝進出が決定した。
 第4試合に本間とのタッグで出場した天山は、長州・宇和野組を相手に大暴れ。必殺のTTDで宇和野から3カウントを奪った。
 全試合終了後、天山は「中邑欠場?真壁の奴よくやった!それにしても怪我したら休むなんて、あいつ甘えてるんとちゃうか?怪我で休むなんて自分が海外から帰って来た頃には考えられないこと。テーピングして痛み止めの注射でもなんでもやって這ってでも出て来い!あんな根性無し叩き潰してやる!
 今日、勢いに乗ってる真壁が準決勝に上がって来ることは予想済み。真壁なら相手として不足はない。尼崎ではG・B・H同士、持てる力をぶつけ合う。」とコメントした。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0315_01.html

71名無し部員:2007/03/16(金) 09:52:43
猪木が新団体“闘魂営業” “燃える闘魂”アントニオ猪木(64)が15日、米ニューヨークから帰国した。新団体イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)で、営業の陣頭指揮を執ることを明らかにした。

 猪木が闘魂遺伝子をスタッフにもたたき込む。「原点に返ってやるしかないでしょう。いろんなことを一から教えないといけない。営業のあり方は、時代が変わっても一緒」と話した。35年前の新日本の旗揚げ当初と同様に、自ら先頭に立ちながら、優秀なスタッフを育てる構えだ。地方の町おこしから世界進出まで幅広く活動していく構想も披露。「国内戦略と海外戦略は分けないといけない。面白いことをいっぱいやっていきますよ」と宣言。進出候補地として、インドやパキスタン、中東を候補に挙げた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070316-OHT1T00101.htm

72名無し部員:2007/03/16(金) 10:02:05
【IGF】猪木海外案も…会社登記もすませ社長就任が決定
 6月にプロレス新団体、「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」旗揚げ興行を計画するアントニオ猪木が15日帰国し、海外開催プランを示唆した。東京・銀座に会社登記もすませ、猪木の社長就任も決定した。
http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031604.html

73名無し部員:2007/03/16(金) 12:20:14
猪木がIGF本格始動へ意欲
 猪木が15日、米国から帰国。14日に資本金1億円で会社登記を済ませた新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」の本格始動に向けて意欲を語った。

 関係者によると、IGFは東京・銀座に事務所を構え、4月1日から営業をスタートさせるという。参加選手や、猪木VSアリ戦の記念日6月26日が有力と見られている旗揚げ戦の会場などは未定だが、中東のテレビ局や米国の団体など、猪木自身が持つパイプなどを活用する考えだ。

 猪木は「オレこそが天下を取ってやるっていう選手が現れればいい。巡業もやる。オレ自身が行かないとダメだね」と国内外問わず選手発掘に乗り出す構えで「でっかいことをやりますよ」とニヤリ。“燃える闘魂”が雑草魂で世界中を飛び回る。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/16/0000271605.shtml

74名無し部員:2007/03/16(金) 12:21:10
プロレスの証言者 藤波辰爾(8)
 藤波辰爾は日本プロレス界に「ジュニアヘビー級」を定着させた。ヘビー級をもしのぐ人気を獲得した。しかし、藤波本人は体重100キロ未満というリミットのある「ジュニア」に満足していなかった。81年10月の防衛戦を最後に、4年近くも保持してきたWWF(WWWFから名称変更=現WWE)王座を惜しげもなく返上した。体重96キロほどの肉体で「ヘビー級転向」を表明した。

 藤波「体はヘビー級じゃなかった。でも猪木さんと同じ土俵で戦いたいという思いが強かった。猪木さんとタッグを組む機会が多かったので『オレもいつかはヘビー級で』と考えていた。それから、どんなに人気があってもジュニアは『ワンランク下』と見られていたからね。自分の中では自然な流れだった」。

 幸いにも当時はタイトル戦以外では、ヘビーとジュニアヘビーの階級の色分けがなかった。藤波はジュニア王者時代からヘビー級最強外国人のスタン・ハンセンや、体重200キロを超える大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントと戦っていた。体格とパワーこそ劣るが、スピードと技術で十分対抗できるという手応えをつかんでいた。

 一方でヘビー級転向へ背中を押す後継者も、絶妙なタイミングで登場した。81年4月、藤波よりもさらに小柄なタイガーマスクがデビューした。170センチそこそこの小さな体を最大限に生かした空中殺法や打撃を駆使したファイトスタイルは、新しいジュニア時代到来を予感させた。

 藤波「タイガーマスクがブームを巻き起こしたのを見て『ジュニアはタイガーに任せれば大丈夫』と思った。オレの場合はジュニアらしい動きはドラゴンロケットとプランチャくらいで、あとはヘビー級と同じストロングスタイルだったけど、タイガーはジュニアにしかできない空中殺法が多かったね」。

 82年8月30日、藤波はヘビー級転向1年目にしてベルトを巻いた。米ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで、WWFインターナショナル・ヘビー級王者ジノ・ブリットに挑戦。ドロップキック、猪木直伝の延髄斬りなどで攻め、最後は力技のブレーンバスターで王座奪取に成功した。体重は108キロまで増え、ヘビー級の肉体に進化していた。

 なぜ短期間で藤波はヘビー級の肉体を手にできたのか。本人の努力のほかに、実はもう1つの大きな要因があったという。それが結婚だった。WWFジュニアヘビー級王座を返上した直後の81年12月、かおり夫人(現在は伽織に改名)と結婚したことで、食生活が劇的に改善され、太りにくかった体質が変わった。

 結婚前は外食中心の生活だった。インスタントラーメンをすする日も多かったという。かおり夫人は藤波が巡業中に外食したレシートを見て、徹底した食事法を決意したという。巡業中は肉料理中心のメニューや、手軽な丼ものばかりだが、家にいるときは栄養バランスを意識した手料理が出てくるようになった。

 藤波「女房も料理が好きだったし、家にいるときは1日3食、手の込んだものが出てくるわけですよ。オレも時間が許す限り家で食べるようにした。考えてくれたのは食事だけじゃなかった。試合中に食いしばることで傷んでいた歯も『1度手入れしたら?』と女房にいわれて、欠けた歯など7〜8本を治した。それから太れるようになった」。

 藤波がジュニアヘビー級王座を獲得して、今年で30年目を迎える。藤波以降「ジュニア」にはタイガーマスクをはじめ、数々の名選手が誕生した。しかし、ジュニアとヘビー級の両クラスで世界王者として一時代を築いたプロレスラーは、いまだ藤波以外にいない。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070316-170265.html

75名無し部員:2007/03/18(日) 00:50:57
全日本がTNAと提携 武藤社長スティング招聘へ 全日本の武藤敬司社長(44)が16日、米国視察を終えてロサンゼルス発の便で成田空港に到着。米国第2の団体、TNAからの親書を受けての出張で、今後は選手交流、新人育成などで全面的に協力していくことで合意し、事実上の提携を結んだことを明かした。

 今後はTNAの有力選手が全日本に参戦することが確実だが、武藤社長は特にスター選手のスティング(48)の招へいに意欲。91年には新日本に参戦し、武藤の化身、グレート・ムタと一騎打ちやチーム結成で手を結んだこともある気心の知れた仲だ。武藤社長は「(興行)形態はウチに似ているが、スケールがでかい。いろんなイメージが浮かんできた。一緒にやれば新しいものができると思う」と収穫に満足げだった。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070317-OHT1T00024.htm

76名無し部員:2007/03/18(日) 00:52:16
「やってやるって!」Tシャツがバカ売れだって!/「越中詩郎選手サイン・撮影会」報告
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6630

77名無し部員:2007/03/18(日) 00:53:18
諏訪魔がTARUに反逆 内部崩壊も

 TARU(左)の愚行に不満を爆発させた諏訪魔=東金アリーナ  「2007全日本プロレスEX」(16日・千葉東金アリーナ)で、悪役集団ブードゥー・マーダーズ(VM)の首謀者TARUに諏訪魔が反逆し、内部崩壊の危機に陥った。

 TARUは、次期チャンピオンカーニバル(CC)(26〜30日・後楽園ホール)で諏訪魔の優勝をアシストするべく、13日の富山大会ではCC出場者の小島を奇襲攻撃。この日も試合前に「みのるを壊す」と宣言していたが、これを諏訪魔が潔しとはしなかった。

 TARUが予告通りに試合中、みのるを背後からポリタンクで襲撃すると、諏訪魔はもう黙っていられなかった。「CCはオレの大会だ。手を出すな」とTARUをにらみつけると、右手で突き飛ばした。さすがに面食らったTARUは「仲えぇからちょっとくらいケンカもあるんじゃ」と平静を装ったが、リーダーの愛情が逆効果となり、悪役集団に不穏な空気が漂った。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/17/0000272453.shtml

78名無し部員:2007/03/18(日) 00:53:47
武藤が帰国「TNAと交流進める」
 全日本の武藤敬司社長が16日、米国視察を終えて帰国。米第2団体のTNAとはデキシー・カーター社長、アンディ・バートン副社長、ジェフ・ジャレット常務とトップ会談を行い「交流を進めることで合意した」と、業務提携が成立したことを明らかにした。

 「TNAにはWCWの名残を感じた。ウチに合っているし、等身大の付き合いができる」とし、WWE大会の視察は取りやめた。まずスター選手の育成へTNAのカナダ道場との交換留学、中堅選手の派遣などからスタートさせたい意向だ。

 新興団体JCWのフィラデルフィア大会では、ムタも復活してムタ・コールが爆発。「戦略もあるからね」と意味深な言葉も残し、8月に予定されるビッグマッチにスティングら主力選手の招へいプランも浮上しそうだ。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/17/0000272460.shtml

79名無し部員:2007/03/18(日) 00:56:24
武藤が米国遠征から帰国、交換留学を計画
 全日本の武藤敬司(44)が16日、米国遠征から帰国した。今回の遠征では、米国第2団体TNAと業務提携を結び、独立団体JCWフィラデルフィア大会に出場。TNAとは今後、若手選手の交換留学を計画しているという。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070317-170798.html

80名無し部員:2007/03/18(日) 00:57:07
プロレスの証言者 藤波辰爾(9)
 それは日本プロレス史に残る下克上だった。事件は1988年(昭63)4月22日、沖縄大会での控室で起きた。藤波辰爾が師匠でIWGP王者のアントニオ猪木に、突然牙をむいた。当時、最強外国人といわれたベイダーと猪木の2連戦に、猛然と異を唱えた。

 「いったい何年続くんだ」。長年たまっていた猪木主導への不満を爆発させた。「だったら破ってみろよ」。猪木の言葉に、藤波は即答した。「やりますよ」。その瞬間「やれるのか?」の罵声(ばせい)とともに猪木の張り手が飛んできた。藤波は間髪入れずに張り返した。最後ははさみで自分の髪を切って決意を示した。

 藤波「新日本をオレが変えなければという強い気持ちがあったからね。以前の自分なら猪木さんに殴られたらしょぼくれていたけど、あの時は無意識に殴り返した。猪木さんがよろめくほどだった。髪を切ったことに大きな意味はなかったけど、何かアピールしなければと思っていた」。

 新日本を復興するために、考え抜いた末の行動だった。80年代から猪木の「神通力」にも陰りが見えるようになった。なのに猪木主導は変わらなかった。84年に藤波の宿敵だった長州力が、選手を率いて全日本に移籍。将来のエース候補だった前田日明も新団体UWFを旗揚げした。主力選手が次々と流出した。

 企画も失敗が続いた。87年3月の猪木−マサ斉藤戦に乱入した海賊男にファンが猛反発。暴動騒ぎが起きた。同12月に参戦表明した「たけしプロレス軍団」も大ブーイングを浴びた。テレビ中継も88年4月からゴールデンタイムを外された。藤波の突然の反逆はその直後に起きた。

 藤波「長州たちは現状に嫌気が差して出ていった。オレも全日本の馬場さんの側近から『移籍を前提に話をしないか』と声を掛けられた。でも条件を提示される前に断って、新日本を改革する道を選んだ。それが『飛龍革命』。藤波辰爾自身の改革でもあった」。

 「飛龍革命」の最終目標が猪木超えだった。70年に日本プロレスに入門して以来、常に猪木の背中を追ってきた。付け人を務め、新日本旗揚げに参加。格闘技経験のない自分を、トップレスラーに育ててくれた恩もある。その一方で心の片隅にある「猪木さんに付いていけば」という甘えが、「2番手」から抜け出せない最大の理由でもあった。

 藤波が反旗を翻した翌日、偶然にも猪木がランニング中に左足甲を骨折。IWGP王座を返上した。チャンスは藤波に巡ってきた。88年5月8日のベイダーとの王座決定戦で反則勝ちを収めてタイトル奪取に成功した。この結果、同8月8日の横浜大会で藤波に、猪木が挑戦するという形で師弟対決が実現した。

 藤波は終始優位に試合を進めた。師匠の必殺技、卍固め、岩石落としをはね返し、足4の字固め、パイルドライバー、そして卍固めを返した。結果は60分フルタイムドロー。藤波が防衛に成功した。78年5月20日のシングル初対決からの連敗を7で止めた。勝てなかった。しかし、世代交代をしっかりと印象付ける内容だった。

 藤波「猪木さんはあこがれの存在だったので、晴れ晴れした気分ではなかったね。試合後は寂しさがあった。あこがれの人のキャリアに事実上のピリオドを打ったわけだから。ファンも猪木さんのエンディングを見ているようなまなざしだった」。

 猪木にとってはこの試合が最後のIWGP挑戦だった。翌89年に参院選に当選。リングからは距離を置いた。後年になって「藤波戦は引退をかけてリングに立った」と明かした。新日本も89年に初の東京ドーム大会を成功させ、再び息を吹き返した。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070317-170886.html

81名無し部員:2007/03/18(日) 07:56:02
坂口Jr.プロデビュー戦決定 パンクラスは17日、世界の荒鷲、坂口征二氏(65)の長男・征夫(33)=TEAM坂口道場=のプロデビュー戦が、4月27日の後楽園大会、チェ・ヒュンソク(韓国)戦に決まったと発表。昨年9月にアマデビューした征夫は、同12月に予定されていたプロデビュー戦を右足のけがで回避していた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20070318-OHT1T00095.htm

82名無し部員:2007/03/18(日) 10:52:28
新日本に…??
テーマ:ブログ
早いですねえ、もう気がつけば三月も半ばを過ぎてしまったんですねえ。
子供達、もう春休みだもの、びっくりですよ。
無我の次期シリーズまで、二週間ちょっとになってしまいましたですねえ。まだ、対戦カードがでてませんが、今日、明日にでも、でるんじゃないでしょうか?注目のチャボ・ゲレロ日本引退ツアー、チャボが誰とやるのか、楽しみでげすね。
実は自分は今、五月シリーズの準備に、早くも入ってまして、まあ、忙しい事。こちらの日程もまだ発表になってませんが、早めにしないとね。

さてさて、コメントでもいただきましが、新日本プロレスに戻ってほしいと。ほかからも聞いた事ありますし、そう思って下さってる方、おられるようですね。
結論からいいますと、今、新日本プロレスの組織の中に戻るとか、戻りたいって気持ちは、全然ありません。
ただ、リングアナとして、オファーがあれば、その時、状況、条件を考え、答えをだします。そういった意味では、新日本プロレスのリングで、またコールする可能性は、まるっきりないとは言えないと思います。
今、自分ですね、やりたい事、いっぱいあるんですね。やりかけてる事もありまして、それに凄く燃えてまして。
ですから、動きが制限されるのは、今はちょっと…って、感じですか。
ハッスルのコールも楽しいですし。
そうそう、新日本の社員の中には、新日本をやめて、猪木さんのところに行く人もいるようですが。
大丈夫です。自分が猪木さんのところに行く事はありませんし、話もきてませんから。

明日は18日、名古屋ですか…。
http://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10028224380.html

83名無し部員:2007/03/18(日) 11:39:05
プロレスの証言者 藤波辰爾(10)
 藤波辰爾が「レスラー人生最大の転機」と振り返る出来事がある。長州力との抗争ではない。アントニオ猪木超えを果たした飛龍革命でもない。それは1989年(平成元年)6月に突然襲ってきた「腰痛」だった。

 同年6月22日、長野・佐久大会でアクシデントが起きた。当時の最強外国人ベイダーとの一戦。バックドロップで投げられた瞬間、腰に電気が走った。気力で試合を続けてフォール勝ちしたが、1人で控室に戻ることができなかった。その日のうちに車で帰京して、治療院に駆け込んだ。

 診断は「椎間板(ついかんばん)ヘルニア」。手術が必要なほどの重症だった。しかし、藤波は2日後、再びリングに復帰した。前年8月にアントニオ猪木と60分フルタイムドローの激闘を演じ、IWGPヘビー級王座の防衛に成功。「エース交代」を強く印象付けたばかり。休むわけにはいかなかった。

 藤波「自分は団体の看板選手。興行も藤波という看板でチケットを売っていた。『休みたい』なんて言える状況じゃなかった。猪木さんが参議院選に出馬することになって、ますます責任がのしかかった。腰にゴムチューブを巻いて、固めてリングに立ったんだ」。

 ジュニア時代から、アンドレやホーガンら200キロ前後の大男と戦ってきた。しかも得意技はスープレックスなどの投げ技。ずっと腰に鈍痛を感じていた。その蓄積がついに限界を超えた。気力でリングに上がり続けたが、復帰8戦目の同7月7日、ついに1歩も歩けなくなった。

 デビューから18年間走り続けた男が、突然リングから姿を消した。戦う標的が「腰痛」に変わった。どの病院でも手術を勧められたが、選手生命を断たれる危険のある手術を受けるつもりはなかった。妻伽織さんの肩を借りて、鍼・灸、指圧、気功などの名医を探し日本中を行脚した。

 当時を伽織夫人が振り返る。「小さかった娘を連れて関西まで車を運転して治療に行きました。娘は病院や治療院の骨の標本ばかり見ていたから、骨の絵を描くことができるようになったほどでした」。一方で藤波は激痛で満足な睡眠もとれず、精神的にも追い詰められていった。

 藤波「当時娘はまだ3歳。女房に迷惑を掛けていることは分かっているのに『子どもを静かにさせろ』とか怒鳴ったりしてね。精神的におかしくなっていた。女房が家を空けて1人になったときは、何度もマンションから飛び降りようと思ったよ」。

 そんな地獄の日々から救い出してくれたのは、プロレスファンの温かい激励だった。同11月、後楽園大会でファンに経過を報告した。その時の光景を伽織夫人は今も鮮明に覚えている。「『焦らずに、しっかり治してこい』という声援ばかりで…。その言葉を聞いて主人は『もう1度リングに戻ろう』と決意したし、私も『リングに戻すんだ』と誓ったんです」。

 発症から1年後、ある医師に出会い症状が好転した。「患部の周りの筋肉を鍛えれば、ある程度痛みを抑えられる」と進言された。布団の中で腰を左右にねじる運動から始めた。プールで歩いたりもした。自然治癒力もあったのか、激痛は和らいでいった。

 地道なリハビリの結果、90年9月30日の横浜大会で1年2カ月ぶりにリング復帰を果たした。3カ月後の12月26日の浜松大会で、王者長州力を破り、IWGP王座も奪回。再び頂点に立った。しかし、以前の「最強」だけを追い求めてきた藤波とは違っていた。

 藤波「休んでいる間に自分の目指すプロレスを見つけた。リングの中だけじゃなくて、レスラーはこんなに鍛えているというのを見せることを通して、子どもたちに運動を教えたりね。もっと広くプロレスを知ってもらいたいと思ったんだ」。

 復帰後、藤波は小中学校訪問をスタートさせ、今も無我で続けている。ちなみに腰痛は完治したわけではない。現在も試合前に痛み止めの座薬を使っているという。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070318-171301.html

84名無し部員:2007/03/19(月) 07:44:18
*ブードゥー・マーダーズが Black &C.T.U軍と激突
昨年末から新日マット、レッスルランドで旋風を吹かせているブードゥー・マーダーズが、 Black &C.T.Uの混合チームと対決。ゴング前の YASSHI がライガーに向かって、「カス野郎!そのクソ醜い顔をな、今日もさらしてやるわ!」といきなりのマスク剥ぎ宣言。怒りのライガーが YASSHI に飛びかかってゴングが鳴った。試合はTARU・近藤・ YASSHI の極悪なコンビネーション攻撃がミラノを封じ込め、まずはブードゥー・マーダーズが主導権を握った。替わる蝶野も得意技で押し返したものの、絶妙なカットに、なかなかペースを戻せない Black。しかし、ライガーの掌底を皮切りに、ミラノとの合体攻撃が火を噴くと流れが急転。最後は、待ってましたとばかりに蝶野が YASSHI にケンカキック、シャイニングケンカキックと一気に畳み込んで勝利。
 試合後、TARU が「ウチのブラザーから取ったくらいでいい気になるな。コイツは負けるのが仕事なんじゃ、ボケ! オイ、新日本プロレス、おもろいからもうちょっと遊んだるか。今日はこの辺で勘弁しといたるわ!」とマイク。だが蝶野も「やられるのが仕事なら、もう少しかっこいいやられ方を覚えてこい、コラ!」と同じくマイクで反撃した。

 
*サムライジム門下生第1号
3月11日愛知大会で、サムライジム門下生1号となった田口が、師であるサムライとの師弟タッグで裕次郎・テハノ組から勝利。
 試合後、裕次郎がサムライジム会長のエル・サムライに入門を直訴。サムライは「よし!お前もチャンピオンになれ!」と快諾。裕次郎のサムライジム門下生2号が確定。重鎮エル・サムライが、若手2人の育成に本格的に取り組むこととなった。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

85名無し部員:2007/03/19(月) 07:44:51
*IWGPタッグ王者バーナード&トムコがチャンピオン棚橋を撃破
全試合開始前、第5試合で争われるNWA世界Jr.ヘビー級選手権の調印式が行なわれ、両選手がタイトルマッチに向けての意気込みを語った。
カサス「タイガー選手は、とても尊敬に値するいい選手だと思っています。今日はお客さんの前でいい試合をして、ベルトを獲りたいと思います。 ビバ・メヒコ!」
タイガー「ネグロ(カサス)選手と初めて試合をしたのは、今から約11年前のメキシコでした。メキシコでネグロ選手は、長州さんに匹敵する雲の上の存在の選手だと思っています。そんな選手とこういう形でタイトルマッチができることを非常に光栄に思います。しかし、本当の気持ちは、必ずこのベルトを防衛し、ネグロ選手のメキシコのリングでも防衛して、タイガーマスク旋風を巻き起こすことです。」
両者は固い握手を交わしてリングを降りた。

 
試合は、メキシコのスーパースター・カサスが、序盤から多彩なメキシカンストレッチで高度な技術を披露。カサスの術中にはまったタイガーが苦戦を強いられる。
 中盤に入ると、両者の華麗な空中戦が展開され、一気に試合がヒートアップ。この中、カサスがスピードとパワーを駆使してスパート。タイガーの動きを押さえにかかるが、タイガーは得意の四次元殺法でここを切り抜ける。そして終盤、カサスが、ついに前哨戦で勝利を飾り続けた“元祖ラ・マヒストラル”で勝負。しかしタイガーは、これをカウント2でキックアウト。このカサスの必殺技を返すことに成功したタイガーが、“元祖”に対抗したラ・マヒストラルを決めれば最後、V6達成の3カウントが数えられた。
 試合後タイガーは「ずっと今シリーズを見てきて、弱点を狙っていたんですよ。僕は1回マヒストラルでやられている(3/9熊谷)から、何かないかなと思った時に、あの人の足に注目したんです。今日は上手いタイミングで出来た。いい形で防衛が出来た。」と勝利への秘策を披露。また、「5月4日からTNAへ行きます。10日ぐらいには帰って来るんじゃないかと思います。自分がJr.を代表して行くので、いい選手を見つけて、それを会社に報告する。新日本プロレスとTNAは今、いい関係を築いていると思う。敵でありながら、しっかりとTNAファンというものをガッチリ掴んで来たいと思います。」とTNA参戦もあかした。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

86名無し部員:2007/03/19(月) 07:46:11
永田決勝進出!IWGP王座挑戦王手
バーナード(右)にシャイニングウイザードを決める永田
 ◆新日本 ○永田(18分22秒 腕ひしぎ逆十時固め)バーナード●(18日・尼崎市記念公園総合体育館) 春のG1「NEW JAPAN CUP」準決勝が行われ、永田裕志(38)が昨年の覇者、ジャイアント・バーナード(32)を倒し、決勝進出。IWGPヘビー級王座挑戦に王手をかけた。

 執念で怪物を倒した。高角度パワーボムなどの危険な技をくらい続けたが、狙いを右腕1本に絞って逆襲。昨年の決勝戦、同じ会場で敗れた相手に雪辱し、冷静な男がガッツポーズを繰り返した。「右腕狙いしかなかった。一度も勝ったことがなかったから大きい」。IWGP王座陥落から3年10か月。その間、一度もなかった挑戦のチャンスが目の前に来た。「いろんなプランがある。これで優勝しないと先に進まない」2007年は名実ともにミスターIWGPに返り咲く。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070319-OHT1T00105.htm

87名無し部員:2007/03/19(月) 07:47:47
【パンクラス】元リングス・金原、次戦での引退を表明
 元リングスの金原弘光が18日、パンクラス・後楽園ホール大会で川村亮と対戦し、3R1分36秒、左フックを浴びてKO負け。試合後のリング上で「次の試合で引退します」と表明した。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031900.html

88名無し部員:2007/03/19(月) 08:20:54
 試合後、田口は尼崎のファンに勝利のタグダンスを披露し、サムライとガッチリ握手。
 すると、裕次郎が「俺をサムライジムに入れてください。お願いします!」と会長(サムライ)に直訴。「田口と3人でやるからな。お前もチャンピオンになれ!」と裕次郎のサムライジム入りを認めた会長は、2人の門下生(田口、裕次郎)と並んで記念撮影を行なった。

■試合後コメント
 裕次郎「CTUの時代は終わりだよ。これからは俺とサムライ、田口のサムライジムが新日本Jr.を引っ張っていく。そうですよね!?」
 サムライ「もちろん。この2人がいる限り、何の心配もないでしょう」
 裕次郎「CTUは俺らサムライジムが潰してやるよ。(サムライ、田口と握手しながら)今日からよろしくお願いします!」
 田口「頑張ろう」
 サムライ「これからこの3人でやりますから。お願いします」
 裕次郎「お願いします!」
(新日本携帯公式)
http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

89名無し部員:2007/03/19(月) 08:32:29
 場内がブーイングと「真壁」コールに包まれる中、「オイ、真壁! そんなもんか? お前、優勝してみろ。優勝せんかったら、絶対にゆるさへんからな!」とマイクで絶叫した天山が、真壁に襲い掛かる。
 予想もしないGBH同士の乱闘を、他のメンバーが必死で止める。ようやくリングを降りた天山はなおもレフェリーに詰め寄っていた。
 リングに残った真壁は「オイ! テメェに言われる筋合いはねぇんだよ、バカ野郎! 必ず優勝してやるよ!」と、憮然とした表情で天山にやり返した。
(新日本携帯公式)
http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0318_01.html

90名無し部員:2007/03/19(月) 19:32:22
中西&天山選手がみちのくプロレス九州シリーズ(3/24〜3/28)に参戦
みちのくプロレスの九州シリーズ「2007年〜酒宴〜」に中西学選手、天山広吉選手の参戦が決定しました。対戦カードは以下のとおりです。

■3月24日(土) 18:00試合開始 
 福岡・朝倉市甘木青果市場
 新崎人生&野橋真実&気仙沼二郎
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN&ラッセ

■3月25日(日)17:00試合開始 
 熊本・南阿蘇村白水体育館
 新崎人生&野橋真実&景虎
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN&ラッセ

■3月26日(月)18:30試合開始 
 熊本・熊本興南会館
 新崎人生&野橋真実
 vs
 天山広吉(新日本プロレス)&HAPPY−MAN

■3月27日(火)18:30試合開始 
 長崎・島原市復興アリーナ
 新崎人生&野橋真実
 vs
 中西学(新日本プロレス)&気仙沼二郎

■3月28日(水)18:30試合開始 
 長崎・長崎市NCC&スタジオ
 新崎人生&HAPPY−MAN&野橋真実
 vs
 中西学(新日本プロレス)&景虎&ラッセ

■お問い合わせ
 エーエムウェブ TEL(096)329−2295
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6632

91名無し部員:2007/03/19(月) 19:36:34
内藤&田口選手がプロレスイベント「若武者」(3/22)に参戦
プロレス団体の枠を越えた“プロレスサミット”開催を目指すプロレスイベント「若武者」に、新日本プロレスから内藤哲也選手、田口隆祐選手の参戦致します。
対戦カードは下記のとおりです。

「若武者〜プロレスサミットへの道〜」
■日時:3月22日(木)開始19:00〜
■場所:東京・新宿FACE 

 <シングルマッチ>
 田口隆祐(新日本プロレス)
  VS
 石川修司(ユニオンプロレス)

 <第1試合 6人タッグマッチ>
 内藤哲也(新日本プロレス)&西山秀紘(IWAジャパン)&今井計(大日本プロレス)
   VS
 カツオ(DRAGON GATE)&ランディ拓也(K−DOJO)&ロベルト田中(大阪プロレス)

■主催:プロレスサミット実行委員会
■問い合わせ:プロレスリングJP(電話:045−313−4321)
■公式サイト: http://players.tv/summit/
http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=6633

92名無し部員:2007/03/20(火) 04:34:07
YASSHI、怨敵・越中のパワーボムに撃沈!=カス野郎プロレス

 昨年大好評のうちに幕を閉じた「新宿カス野郎プロレス」が、パワーアップして新宿に帰ってきた。“月に1回、カス野郎の日があったっていいじゃないか。なあ、カス野郎”のコンセプトのもと、神戸発のプロレスグッズショップ「リングソウル」主催、月刊カス野郎プロレス「カスイチ」が19日、東京・新宿FACEで開催された。
 メーンはもちろん、カス野郎と言えばこの人、“brother”YASSHI。当日に発表されたシングルマッチの相手は、高校生の頃に「お前にはプロレスラーは無理だ!」と冷たく突き放され、今もって恨みがあるという越中詩郎だった!

 試合前に場内のスクリーンに映し出された近藤修司との居酒屋飲み会(もちろん隠し撮り)では、仕掛け人・近藤の誘導尋問に乗って「リングに上がれば先輩も後輩もない。越中の野郎!」と、すっかり水割りで出来上がっていたYASSHIは言いたい放題。ところが、今宵新宿に降臨したプロレスの神様“カス男”からシングルマッチの相手が越中だと告げられると、態度が一変。「誰でもかかって来いや、カス野郎!」とオープニングでの威勢もすっかり吹き飛び、入場前からカタカタ震える始末だ。
 ゴングが鳴るとYASSHIは「こんなんでビビると思うなや、カス野郎!」と、チョップを乱れ打つが、越中にたいしたダメージはなし。逆にチョップ、場外でのパイルドライバー、イス攻撃、そしてお待ちかねのヒップアタック連発で逆襲を受け、YASSIはフラフラだ。「もう1回見たい?」とファンにリクエストを求めるくらいノリノリの越中からおまけのヒップアタックまで食らったが、意地を見せたYASSHIが掟破りのヒップアタックで反撃。さらに越中のムーブをマネたパワーボムを狙うが、結局持ち上がらず、本家パワーボムを食らって無念のフォール負けとなってしまった。
 無言でリングから去った越中を、マットに這いつくばりながら見送るしかなかったYASSHIはまず、「きょうはありがとうございました」とファンに挨拶。そして、涙交じりの声で“打倒・越中”を誓ったのだった。
 「越中さん、ありがとうございました。試合前のVTRであったことは事実です。高校生の時に本当にプロレスラーになりたかったけど、否定されて、プロレスラーになる前もなった後も、挫折しそうになった時はあのことを思い出して、絶対に見返したると思ってた。ここで辞めたら、あのオッサンと対決できひんと思って、ここまでやってきた。だから、きょうは勝てへんかったけど、あのオッサンが引退するまでチャンスあるから、またあのオッサンに挑戦したい。ギャラが少ないとかで、また挫折しそうになったら、あのオッサンの言葉を思い出して頑張ろうと思います」
 新たに生まれたYASSHIと越中の因縁。YASSHIが悲願の越中超えを果たすのはいつになるのか。

 セミファイナルは、TARU&大鷲透vs高山善廣&鈴木みのるのタッグマッチ。3.11SUWA引退興行で散々に叩きのめされたTARUが、パートナーを大鷲に変えて報復を誓った1戦だった。
 TARUはカスイチのリングがホームであることから、なんと反則なしのクリーンファイトを宣言。ベビーフェイスとしては先輩である大鷲とともにクリーンでストロングスタイルなプロレスを展開していくが、やはり高山&みのるにはまったく歯が立たない。場外でみのるからイスでメッタ打ちにされたTARUはついにブチ切れて、リング上でイス攻撃を連発。結局、TARU組の反則負けとなってしまった。
 ベビーに徹し切れなかったTARUのファイトに、神様“カス男”は落胆。TARUに「1カ月後の4月19日の第2回興行までにキャラチェンジして来い」と命じ、TARUも「考えてきたるわ」と、キャラチェンジを受けたのだった。

 また、第2試合では小島聡vsランジェリー武藤という異次元対決が実現した。ランジェリーが執拗にブラジャーを着けさせようとするが、小島がかたくなに拒絶。最後は右腕のサポーターを放り投げた小島が、なんとランジェリーのブラジャーを握ってのラリアットで撃沈。ランジェリーは「おい、コジ。給料下げるぞ」と言うのが精一杯だった。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070319-00000036-spnavi-fight.html

93名無し部員:2007/03/20(火) 04:43:00
プロレスの証言者 藤波辰爾(11)
 腰痛を克服して1990年(平2)秋に復帰した藤波は、リングの上の変化に戸惑った。当時37歳の自分より10歳前後も若い男たちが、幅を利かせていたからだ。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人。藤波が戦線離脱していたわずか1年2カ月間で、トップレスラーに台頭していた。

 3人は84年入門の同期で、90年当時はまだデビュー5〜6年目の若手にすぎなかった。しかし、80年代半ばから長州力、前田日明ら主力選手たちの離脱が続いたことで、選手を補うために猪木が「闘魂三銃士」として売り出した。3人は体も大きく、三者三様のキャラクターで人気も実力も急上昇した。

 藤波「あれっ、こんなやつらがいたんだ、という感じでね。彼らがプロレスのプの字が分かり始めたころに新日本のゴタゴタがあったから、幸か不幸か普通のレスラーが15年かかる過程を、5、6年で駆け上がってきた。長州たちの離脱がなければ、三銃士は存在しなかったかも知れないね」。

 90年12月26日、浜松大会で藤波はライバルの長州力を破り、復帰後初めてIWGP王座に返り咲いた。91年1月の初防衛戦でベイダーに敗れたものの、同3月の再戦で王座を奪回。以後、「世代闘争」を掲げた闘魂三銃士たちの、標的にされるようになった。

 91年はIWGP王座防衛戦で蝶野の挑戦を2度退けた。「成長はしているけどまだまだという感じだったね」(藤波)。しかし、同年のG1クライマックスでは武藤にまさかの敗北を喫し、グレート・ムタにも反則負けした。三銃士たちは藤波の胸を借りながら、確実に成長していった。

 藤波「武藤は器用で技も切れる。橋本は猪木さんのストロングスタイルを受け継いでいた。蝶野は自分と同じように格闘技経験がなかったけど、吸収が早かった。でも自分だって当時は譲れないものがあった」。

 3人の中でも特に橋本には強烈な印象が残っている。94年4月4日、藤波は挑戦者としてIWGP王者橋本と戦った。試合前の調印式で橋本から「元気だったころの藤波さんと戦いたかった」と見下された。この言葉で藤波の闘志に火がついた。橋本の重い蹴りに耐え、相手の必殺技DDTをグラウンドコブラで切り返して王座を奪還した。

 しかし、約1カ月後の再戦は、雪辱を期した橋本の気迫に負けた。試合前に「10分以内に倒す」と宣告された。相手は先輩への敬意より、失いかけた自分の誇りを取り戻そうという気持ちが全身に満ちていた。キック攻撃で一方的に攻め込まれ、DDTで3カウント。わずか6分4秒でリングに沈んだ。

 藤波「橋本は上にあるものは何でも取りたいという感じだった。全身からその気持ちがあふれていたね。体制を壊してでも、自分がトップに座りたいとね。蝶野と武藤はそこまではなかった」。

 90年代に入って新日本は藤波、長州力に、闘魂三銃士、豪華な外国人トップレスラーが顔をそろえ、黄金時代を迎えた。92年から恒例となる1月4日の東京ドーム大会もスタートした。しかし、その後、橋本はゼロワンを旗揚げ、武藤は全日本に移籍した。蝶野だけが新日本に残った。くしくも98年8月8日、藤波の最後のIWGP王座防衛戦の相手が蝶野だった。挑戦者の蝶野のSTFに屈した。

 藤波「蝶野は団体を引っ張る資質があった。負けたけど『こいつになら』という安心感があった。状況をじっくりと見て全体を見渡せることができる。自分に似ているところがあった。僕のあとに蝶野が社長になっていれば、新日本はもっと違う流れになっていたかなとも思う」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070319-172032.html

94名無し部員:2007/03/20(火) 04:43:26
永田が「凶獣超え」でNJ杯王手/新日本
<新日本:兵庫大会>◇18日◇尼崎市記念公園総合体育館◇5000人

 新日本の永田裕志(38)が自身初の「凶獣超え」でニュージャパン杯(NJ杯)初制覇に王手をかけた。NJ杯準決勝でバーナードと対戦。昨年4月に同じ尼崎で行われた同決勝で敗れるなど、シングル、タッグ戦通じて未勝利だった天敵にパワーボムで苦しめられたが、右腕をきめて逆転勝ちした。ガッツポーズを繰り返し「死ぬかと思った。この壁をクリアできたのは自信になる」。21日後楽園大会では、真壁との決勝に臨む。「あと1歩だ。優勝しないと進めないから」と瞳をぎらつかせていた。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070319-171836.html

95名無し部員:2007/03/20(火) 10:46:14
永田が「避雷針キック」で真壁蹴り倒す!
 新日本の永田裕志(38)がニュージャパン杯決勝(21日、後楽園ホール)で真壁刀義を「避雷針キック」で蹴り倒す。19日、都内の道場で明かした。相手のいす攻撃に合わせて、いすごとロケットキック(顔面への前蹴り)を出す。「あいつは真っ正面から凶器攻撃を仕掛けてくる。そこが狙い目。いすを持ち上げたら、それごと蹴り倒してやるよ」と笑った。普段から「角を付けたら『かみなり様』だ」と冷やかしている真壁の風ぼうから名付けた。得意の蹴りで優勝し、IWGPヘビー級王者棚橋弘至への挑戦権をつかむ。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070320-172362.html

96名無し部員:2007/03/20(火) 10:47:14
プロレスの証言者 藤波辰爾(12)
 新日本プロレスは90年代に第2次黄金時代を迎えた。藤波は98年8月まで通算6度IWGP王座を獲得した。これはいまだに破られていない大記録である。しかし、レスラーとして円熟期を迎えていた時期に、予想外の事態が起きた。

 99年1月4日の東京ドーム大会で事件は起きた。新日本の若手エース橋本真也と、アントニオ猪木率いるUFOの小川直也のシングル対決。ゴングと同時に小川がルール無視のケンカを仕掛けた。レフェリーの制止を振り切り、橋本の頭部を殴り、蹴りつけた。橋本は大流血して失神。わずか6分で無効試合となった。

 この一戦が新日本崩壊への序曲になった。技を応酬しあう攻防があってこそプロレスは成り立つ。その「業界のおきて」を小川はなぜ無視して暴走したのか。選手たちの不信感はマッチメークを手掛けた団体上層部へと向けられた。同年6月、坂口社長が責任を取る形で退任。後任に藤波が任命された。

 藤波「辞退することもできたけど、新日本を見殺しにできなかった。橋本対小川戦から、新日本内に疑心暗鬼のいやな流れができた。あれが新日本崩壊の始まりだった。でもオレでなければ誰が混乱を収拾できるのかとも思った」。

 藤波はリングの戦いを犠牲にして、人間関係の修復に奔走した。「もう新日本のリングには上がらない」と決意を固めた橋本を必死で説得した。横浜のレストランで2日間にわたり話し合った。「どこまでオレに恥をかかせれば気が済むんだ」と食ってかかる橋本に「もう1度行動を起こせ」とハッパをかけた。

 しかし、事態は好転しなかった。同10月の小川との再戦にも橋本は敗れた。「負けたら引退」を公言した翌00年4月の小川戦にも敗北を喫し、橋本の心は新日本から離れていった。藤波は道場まで借りて引き留めたが、そんな苦労も実らなかった。同11月、独立の動きを見せた橋本の解雇を自らの口で発表した。

 藤波「あのころ新日本はぬるま湯になっていた。だから橋本を頭にして対抗勢力をつくろうと思った。そうすることで、橋本ももう1度強い姿に戻れると信じていた。道場も借りておぜん立てしたけど、結果的にそれが彼の独立に拍車を掛けたのかもしれない」。

 崩壊の原因は外から横やりを入れる猪木にあったという。01年大みそかの猪木祭では、選手の派遣を押し付けられた。反対したが、はねつけられた。団体から離れていても創始者の発言力は絶大だった。出場した永田は、格闘技ルールに対応できず、ミルコ・クロコップにたった21秒でKOされた。新日本が掲げてきた「プロレスラー最強神話」が音を立てて崩れた。

 藤波「問題なのは猪木さんでしょうね。(総合格闘技への進出など)団体外のブレーンと考えたことを、新日本にぶつけてきたことから混乱が生まれた。何を柱にすればいいのかが分からなくなり、社員や選手の気持ちがばらばらになった」。

 猪木祭の翌02年2月には武藤敬司、小島聡らが全日本へ電撃移籍。さらに同5月には長州力まで退団した。6万人以上を集客してきた東京ドーム大会も、03年10月には4万7000人にまで減少。藤波はそれらの責任を取らされる形で04年6月に社長を解任された。

 藤波はその後も副会長という立場で、新日本を支えてきたが、衰退が止まることはなかった。05年11月にはついに株を売却し、ゲームソフト会社ユークスへ身売り。翌06年から選手のリストラが始まった。同6月、藤波も退団を決意した。

 藤波「最後まで残さなければならないところに最初に手を付けた。我々はものを作る会社じゃない。選手あっての会社なのに。もう我慢してまで残る団体ではなくなった。オレが知っている新日本とは別のところに行ってしまった」。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070320-172331.html

97名無し部員:2007/03/22(木) 00:23:48
 高瀬「みのるの次は棚橋、丸藤」
 今日21日の上井ステーションでプロレスデビューする総合格闘家の高瀬大樹が20日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪問。プロレス界完全制圧を宣言した。
 相手は世界一性格の悪い三冠王者・鈴木みのるだ。デビュー戦の相手としては破格となるが、PRIDEマットでは4勝3敗の戦績を残し「寝技日本一」との呼び声も高い高瀬は冷静そのもの。
「鈴木選手は尊敬してはいるけど、試合は試合。思い切りガツンといくだけ。もちろん寝技も使うし、新技も開発した。詳しくは言えないけど、一発で仕留められる威力がある」と不敵な予告を放った。
 今後はプロレスと格闘技の二刀流で暴れまわるという。「身体能力には自身がある。外国人にも負けないと思ってるし、いろんなプロレスに対応できるハズ。棚橋(弘至)選手とも戦いたいし、ノアの丸藤選手のようなスピーディーなファイターとも戦ってみたい」と、どデカい野望を明かした。
(3月22日東京スポーツ)

98名無し部員:2007/03/22(木) 08:35:30
*2007年 NEW JAPAN CUP トーナメント決勝戦
永田裕志vs真壁刀義〜永田が真壁のチェーン攻撃を制し血だらけV!〜4月13日(大阪)IWGPヘビー級選手権「棚橋弘至(王者)vs永田裕志」が決定〜
 NJC決勝戦は、復活を賭ける永田と、新日デスマッチ王・真壁の対決となった。ゴングが鳴ると、オーソドックスなレスリングの攻防で試合がスタート。だが、場外戦に持ち込んだ真壁は、イスで永田を殴打し得意の反則攻撃で流れを引き寄せる。永田は額から大流血。さらにセコンドに付いていたG・B・H矢野、本間も堂々と介入しすると、永田のセコンド・飯塚、井上も駆け付け、大乱闘に発展。会場からは永田への声援と真壁へのブーイングが響き渡る。リング内に主戦場を移しても真壁の勢いは止まらない。デスマッチモードに入った真壁は、永田の傷口めがけて鉄拳を突き刺し、噛みつき攻撃、チェーン攻撃で本領発揮。レフェリーの制止を振り切り、反則攻撃をたたみ掛ける真壁。だが、百戦錬磨の永田は、顔面を血に染めながらも反撃を開始。コーナートップに昇った真壁を雪崩式エクスプロイダーで撃墜すると、ヒザ蹴り、アームブリーカー連発から、執拗な腕固めで真壁を追い込むことに成功。ビジョンに映し出されるキラー永田の表情に会場がざわめく。ロープブレイクで危機を逃れた真壁が豪快なラリアット、タックルで反撃するが、永田はシャイニングウィザードで真壁の顔面を打ち抜き主導権を譲らない。セコンドがレフェリーの目を引きつけている間に、真壁はチェーンを手にすると永田の首に巻き付ける。勝負を賭けた真壁の攻撃だったが、永田は首にチェーンを巻き付けたまま真壁をバックドロップで投げ捨て、持ち前の鈍感力を発揮。さらに真壁の延髄ハイキックを浴びせると、美しいフォームのバックドロップ2連発で、ついに真壁をマットに沈めた。

 
 優勝トロフィーを手にした永田は、得意の敬礼で応援してくれた大勢のファンに挨拶。この一戦を本部席で見守っていた棚橋に「チャンピオン棚橋弘至。俺は宣言した通り、ここに勝ち上がって来たぞ!」と挑発。ベルトを持ってリングに上がった棚橋は、「マジですごい『永田』コールでした。ただ、復活はさせません。4月13日の大阪で、必ず俺が勝つ! 天下は獲らせない!」と、防衛を宣言。両者の握手で次回IWGP戦の火蓋が切られた。
 試合後永田は、NJC全4戦を「真壁は決勝に出てきてもいおかしくないだけの力のある選手でした。どの戦いも楽な戦いではなかっただけに優勝の喜びは格別です。」と振り返り、「ベルトに挑戦する気運は高まった。丸4年、一度も挑戦出来なかった分、ベルトにもう一度挑戦してくれというファンの声は一度も絶えなかったですから。今ならかつてベルトを持っていた時以上のチャンピオン像を作れるような気がします。棚橋は本当に素晴らしいチャンピオンだと思いますよ。だからこそ、挑戦しがいがあります。」と、4年ぶり王座奪取に向けての意気込みを語った。
 棚橋は、「次のシリーズからやっとチャンピオンが登場します。今度は俺が主役。永田裕志の風は感じますけど、その根拠はどこにあるんだ? 今、敢えて言います。チャンピオンは棚橋弘至がベスト!!」とコメント。現王者として、歴代最多王者永田を倒し、盤石の棚橋時代を築くことを誓った。

 
*バーナードと飯塚が遺恨戦
1月31日川越大会で、飯塚からギブアップを奪われたバーナードが、飯塚を襲撃。場外でのイス攻撃で飯塚を流血させ狂獣ぶりを発揮。飯塚のパートナー長州も、飯塚の流血を見ると完全にぶちキレ、最後はリング上でイス攻撃の応酬となる。勝敗を度外視し飯塚への復讐に燃えたバーナードが、レフェリーをもイスで殴打。バーナードに反則負けの裁定が下された。
 飯塚は、「チクショー! バーナード、もう1回絞め落としてやる! アイツがタッグチャンピオンになった以上、俺が挑戦する。この借りをタイトルマッチで返してやる!」と、流血のリベンジを誓った。

http://www.njpw.co.jp/result/2007/0303_0321/0321_01.html

99名無し部員:2007/03/22(木) 08:36:07
永田IWGPも取る! 真壁撃破でNJC初V…新日本・後楽園大会
NJC初優勝でIWGPヘビー級王座挑戦権をつかんだ永田は敬礼ポーズ
 ◆新日本 ○永田裕志(20分5秒 バックドロップ→体固め)真壁刀義●(21日・後楽園ホール) 春のG1「NEW JAPAN CUP」決勝は、永田裕志(38)=新日本=が真壁刀義(34)=GBH=を下して初優勝。賞金500万円とIWGPヘビー級王座挑戦権を獲得した。

 血染めの永田がバックドロップ2連発で優勝を決めた。両軍のセコンドが入り乱れる大乱戦となり、額を割られながらも大声援に支えられて逆転勝ち。「楽な戦いではなかったけど、優勝できて格別です。(決勝までの)どの試合も厳しかったし、壮絶でした」勝利を祝うビールを全身に浴び、喜びに浸った。

 4月13日の大阪大会でIWGP王者、棚橋弘至(30)への挑戦が決まった。永田は同王座史上最多の10回の防衛記録を持ち、ミスターIWGPと呼ばれた。だが、王座陥落後、挑戦の機会は一度もなく、不遇の4年間を過ごしてきた。

 来ないチャンスを自力で奪った。試合後のリングで棚橋と対面し、健闘を誓った。「この4年間、楽な経験じゃなかった。これで胸を張って挑戦できる。以前以上の力が出せる確信がある」ベルト奪取で真の復活を果たす。

http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/prowrestling/news/20070322-OHT1T00023.htm

100名無し部員:2007/03/22(木) 08:37:02
永田コールに燃えた!NJC初制覇

IWGP王者・棚橋(右)とガッチリ握手し、ベルト挑戦をアピールした永田


http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/22/03.html
 【新日本】後楽園大会で行われた春のG1ニュージャパン杯は永田が初優勝した。永田は真壁の凶器攻撃にG・B・Hの介入などで額から流血する苦しい展開となったが、永田コールに後押しされ、20分3秒、急降下の岩石落とし3発から体固めで真壁を下した。試合後、リングでIWGPヘビー級王者・棚橋とがっちり握手。あらためて挑戦を表明し「ファンの声援が励みになった。ベルトに挑戦する機運は高まった。勝たないといけない」と4・13大阪大会でのベルト奪取を誓った。




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