谷口雅春先生をお慕いする隠れ掲示板


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1:覚え書き(1) / 2:谷口雅春先生お言葉集(3) / 3:つぶやき板(6) / 4:肉食忌避の問題について(6) /
(全部で4個のスレッドがあります。)

1 覚え書き (Res:1)All First100 Last100 SubjectList ReLoad 1
1 名前: ^^) _旦~~    投稿日:2013/10/09(水) 19:08:49    
★生命の實相1巻
「生長の家」出現の使命

・・・これは(生長の家運動)、神が起こされた「神の国運動」の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン先に含ませたインキで文字にして行く。「生長の家」誌に書かれた一言一句も、肉体なる谷口雅春の言葉はない・・・



★聖光録
人類光明化のパテントは諸君に譲られた

・・・私は、この神からの啓示を受けて人類光明化運動を始めたのであります。



★菩薩は何を為すべきか62ページ

この人類光明化運動というものは、実は宇宙の創造神の御心を受けた高級霊界における一大救済運動であって、その霊界における救済運動の写しが地上に顕れているのであります。
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2 谷口雅春先生お言葉集 (Res:3)All First100 Last100 SubjectList ReLoad 2
1 名前:お慕い管理人    投稿日:2013/04/28(日) 06:59:36    
谷口雅春先生のご本や、
谷口雅春先生をお慕いしておられる方のブログを読んで
私達が感動したお言葉を綴るスレです。

尚、著作権には気を付けましょう。
2 名前:お慕い管理人     投稿日:2013/04/30(火) 06:22:24    
童子様のブログより転写させていただきました。
blogs.yahoo.co.jp/yghms533/folder/626266.html

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

【全身に感謝して眠ること】

 私たちは、自分の肉体を駆使し、又は酷使するばかりで、それに対して感謝しないで《使い捨て》にしていることが多いのである。

 肉体は“人間”の三つの面の中で“物質”としてあらわれているところの一つの“面”であるけれども、聖経『甘露の法雨』には 《心の糸を組み合わせて肉体の繭をつくり》 と示されている通り、念波の波動が「認識の形式」を通して“物質”としてあらわれて見えているだけのものであるから、“心”の想いに対して敏感に反応するのである。

 私たちが思念する真理の語(ことば)によって胃の腑や、肝臓を激励することや、『甘露の法雨』を読誦することによって病気が治癒する実例が出る如きは、肉体は物質として顕われている“心の状(すがた)”であるから、心に対して感応するものであることを示しているのである。

 肉体が単なる物質ではなく、《心の糸が組み合わされて》 そのような姿をあらわしているものとすれば、〃感謝〃 に対しても肉体は鋭敏に感応することは当然であるのである。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
3 名前:お慕い管理人     投稿日:2013/04/30(火) 06:31:38    
(童子様ブログより)

【家族に病気が出た場合 】

 誰か家族のうちに病人が出たときには、それが一層悪くなるであろうと考えて恐怖してはならない。

 病気は「病める氣」即ち「不調和な心」の状態のあらわれであって、恐怖すれば「心の不調和」が増大するばかりであるからである。

 そこで病人が自分の家庭にあらわれたとき、家族同士の中に「心の不調和」がなかったか、互に「不平不満足」の念を起したことがなかったかを反省してみるがよい。

 そして「心の不調和」や「不平不満足」があったならば、家族互に心を調和させるがよい。 そのために何か互に気まずい事があって腹が立ったりしているな らば、あなたが先ず率先して詫びるがよい。 そして互に詫び合って、互いの心のもつれが解きほぐされたときの心の爽やかさを味うがよい。

 その時“神癒の力”を完全に受けとる“心の波長”が起るのである。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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3 つぶやき板 (Res:6)All First100 Last100 SubjectList ReLoad 3
1 名前:お慕い管理人    投稿日:2013/04/04(木) 09:09:03    
私自身、長文が嫌いなので大体150文字程度でつぶやく場として、
Twitter風なつぶやき板を作ってみました。
谷口雅春先生をお慕いする方ならどなたでもどうぞー。
ただし、現教団・雅宣さん・純子さん批判はご遠慮下さい。
めんどうだけど、お名前もできるだけ記入して下さいね。
2 名前:コノハナ     投稿日:2013/04/05(金) 09:08:12    
生命の實相の頭注版は品切れなのに、愛蔵版はあるのね。
3 名前:     投稿日:2013/04/05(金) 23:09:18    

私は頭注版を持ってますが、愛蔵版は販売されてるのですか…。
4 名前:コノハナ     投稿日:2013/04/06(土) 08:35:00    
月さま

そうなんです。
子孫のために愛蔵版がほしいと思う今日この頃です(^_^;)
5 名前:i-kaminoko     投稿日:2013/04/17(水) 07:11:15    
お友達からカセットテープをいただきましたので、
デジタルデータ化してみました。
何分、初体験ですので、お聴き苦しい点はお許し下さいませ。

下のURLにアクセスしてください。

bit.ly/14sQESs

パスワードは「5555」です。

表示されたファイルを右クリックし、ダウンロードしてください。

‘禅彑萓犬換峙_S56年6月13日.mp3
起床放送.mp3
就寝放送.mp3
6 名前:お慕い管理人     投稿日:2013/04/28(日) 07:32:13    
明日の学ぶ会の全国大会は行けないので、
今日は近くの岐阜にて竹田恒泰先生をリアルで拝見できる機会を与えて下さった
御神様に感謝いたします。
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4 肉食忌避の問題について (Res:6)All First100 Last100 SubjectList ReLoad 4
1 名前:童子様代理    投稿日:2013/01/13(日) 00:35:35    
ttp://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529.htmlにて
童子様が谷口雅春先生のご文章をご謹写いただきましたが、
掲示板の特質にて削除されましたので、ここに、謹んで転写させていただきます。

**********************
[名前] 童子
[内容] 肉食忌避の問題について
 光明板にて、ノーミートが変な方向に走り出しましたので、この板を借りまして谷口雅春先生の教えを確認したく思います。

 すでに山ちゃんが『心と食物と人相と』を牽引されておりますので、
『幸福生活論』からです。若干長いですから、3、4回に分割いたします。

         『人間と食物の問題』

 ・・・・たとえば、人が此処に魚をたべていたとする。現象的にはかう見えているのであるが、
実相に於いては人間は、魚を殺してたべると云う事はなどはない、現にたべてはいないのである。

だから殺すと云う業もなければ、殺された恨みの業もない ―― 魚を食べるにも、かくの如く知って食べねばならないのである。
殺すと思い、殺されると思って食べるときには、そこに殺生の業も生み、〈業とはナリである、鳴りである。心の鳴りひびきである。
心のひびきを止めるとき業の実態は消えてしまう〉その業は心がその存在を支えている限り流動し、
輪転し、殺生は次の殺生を生み、ついに人類相互の一大殺生なども生むようになるのである。

 だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして〈換言すれば人類が殺生によって〉生を保つかぎり、
人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰にあると考えざるを得ないのである。

 だから、現象本来無しとわかるまで生き物を殺して、又は捕殺せしめて食べない方が好い。それは殺生の業を輪転せしめる事になるからである。

 私は『生命の實相』の中で、肉食厭離の心を起さしめるためにトルストイの肉食反対論や屠牛場の悲惨な光景を書いた。
現象無しと悟れば凄惨なる屠牛場の光景もない。肉食していると云うこともない。

 それはただ夢中に幻を見ているのと同じことであるから、一休和尚が般若心経をとなえながら平然と魚を食って、
しかも、此の魚はこれで成仏していると云い得る境地になれるでのであろう。

 しかし、かかる悟りと心境になれないで、ただ習慣で生き物を食う故に、凄惨な気がしないだけであるならば、
それは平俗な殺生の肯定であり、戦争するのが習慣になった軍人が平気になっているのと同じであって、
「本来殺生なし」の悟境ではない。

                    〜 つづく
2 名前:童子様代理     投稿日:2013/01/13(日) 00:37:18    

 かくの如き殺生は、凄愴悲惨な感じを伴わないままに、知らずに犯した罪の方が知って犯す罪よりもその被害が大きいように、
殺生の業の存在を強引に肯定しているのである。

 真に此の世界から戦争を根絶し、絶対平和の世界を実現するためには、殺生の業を積まないようにすることが必要なのである。
現象が本来無であり、空華(くうげ)であることが真に自覚できない限りに於いては、みずから殺生し、
又は、他をして捕殺せしめる「殺害」の業上に築かれたる肉食を人類はみずから勇猛心をもって根絶しなければならない。

 釈迦は自分の弟子に、みずから殺さずして他の人が布施し供養をした肉食のみはこれを受けても好いとした。
それは‘受けても好い’のであって、進んでその饗応を強制したり、なるべくそうするように勤め、
又仕向けてはならないのである。

 純粋の愛念又は報謝念又は布施心をもって供養されたる肉食は、その愛念、報謝念又は布施心によって浄められているから浄食である。
自分が儲けるために捕獲したる獣鳥魚肉は、利己心のために殺生を肯定したものであるからけがれたる殺生である。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
3 名前:童子     投稿日:2013/01/14(月) 12:32:52    
        『肉食忌避』の問題 つづき


 或る人は生物を共食いするのは浄食ではないと云うことを反駁して、生物は必ずしも動物のみではない、植物もまた生物であり、米も麦も豆も野菜も生きているのである。それを収穫と称して捕殺するのは残虐なる殺生ではないかと云う。


 生命あるものを切って生(せい)を奪うことは真に罪悪であろうか。


 吾々の髪の毛や爪は吾々の身についている間は生きている。それを身から切り放ったとき、それは死ぬのである。しかし、吾々は髪を整え、爪を揃えするために、それを悦んで切り捨てるのである。

 切り捨てられた髪と爪とは生を失う。それは快い業であり、悲惨でもなければ苦痛でもない。それは何故悲惨でなく苦痛でないのであろうか。それは髪を切り、爪を切っても苦痛を感じないからである。然らば苦痛を感じないように切り、生を奪うことならば悲惨でも残虐でもないのである。


 或る“かまきり”虫の一種は、その雄は交尾の佳境期の最中に雌にくわれて死んでしまうのである。それが苦痛であるならば交尾をやめて逃げ出して了いそうなものであるけれども逃げ出しはしないのである。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
4 名前:童子     投稿日:2013/01/14(月) 13:20:39    
 ※トップ画面では改行が変で読みにくいですが、『全部見る』だと普通に読めます。



           『肉食忌避』つづき

 生命は不死であり、現象界から生命は去っても霊界にその生命は天現するのであるから、自由意志で転出する場合には罪悪ではない。またそれが痛苦を伴わない場合には残虐ではない。


 ところが肉体の苦痛は、痛覚細胞があって、末梢神経の痛覚細胞の刺戟が大脳の痛覚中枢につたえられて脳細胞のエネルギーが心の痛みに変化して始めて感じられるところのものである。爪や髪の毛は生きていても痛覚細胞がないから痛みを感じない。


 “とかげ”の或る種類はその尾をもって捉えようとするとき、みずからその尾を自然に切断して逃れ去る。その尾は暫くは生きてもがくが如く跳ねているが、それは脳髄の痛覚細胞から切断されてしまっているから痛覚は無いのである。

 肉体のもがきは必ずしも本人の苦痛の表示でない事もある。首を突如として切られたる人間は、その胴体にある手足は暫くもがいているが、それは脳髄中枢から切断されているから痛みを感じていない。それでは切り離された方の頭首は痛んでいるかと云うと、瞬くうちに多量の出血が頚動脈から噴出するので、一定の圧血量を失った脳髄は知覚を失って痛みを感じない。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
5 名前:童子     投稿日:2013/01/16(水) 13:26:29    
 
 若し鳥獣人間等が適当な時にそれを捩ぎとってくれなかったら失望したかのようにみずから腐り落ちる。植物はまた余り茂りすぎると、通風と日当りが悪くなり却って枯死するので、剪定と云って枝を切って、通風と日当りをよくしてやると却って元気になる。

 それは吾らが爪を切るのと同じ様に痛覚細胞がないので痛みを感ぜず、しかして吾々に薪炭の材料を供給してくれるのである。それゆえ吾々が植物の果実や枝や葉や根などから食物や薪を得ることは残忍ではなく、これは相互扶助だとも言い得るのである。


 されば吾々が愛ふかく、残忍性少なき食物としては植物食が最もよいのであり、動物食をとるならば、痛覚細胞のあまり発達していず苦痛を感じる度の少ない軟体動物の如き下等動物又は小魚の如き幼若な動物を食する方が好いのである。〈爐覆泙貝瓩稜,は腸を針金で引きずり出して爐海里錣伸瓩半里靴匿し、あとを海中へ放り込んで置くと、そのまま腸が再生する。人間のように痛みを感じないらしいのである〉


 牛馬等の高級動物は人間に類似して、死に対する恐怖又は嫌悪を感じて屠殺場に行くときに涙を流して行きたがらない有様を示すのもある。かくの如き動物を殺し又は殺さしめて食することは甚だしい残虐であるから私は避けられるならばそれらの食を避けたいと思うのである。
6 名前:童子     投稿日:2013/01/16(水) 14:05:38    

 この問題に連関して、或る日道場からの帰りに私を追いかけて来た一人の青年が、

 『食物は動物食を食べなければ、食べないで生活出来ますけれども、社会生活を送っている上から革靴等は穿かずに生活することは出来ません。しかし皮靴を穿けばやはり動物を殺さねば皮は得られませんから、肉は食わなくとも殺生をすることになると思います』

と真摯な面持ちで私にたずねかけたのである。その青年の足もとを見ると皮の靴をはいていた。

 『それは君が決心すれば、下駄を穿いて出勤すると云うこともできます』

と私は自分が穿いているゴム靴に眼を落しながら 『僕の穿いているのも動物性ではありません。』

 『しかし下駄穿きでは事務所へ入ることは出来ません』 とその青年は云う。

 『君が決心が出来れば、途上は下駄を穿いて往って、事務所は上草履を穿くことも出来ます』

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