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肉食忌避の問題について

2童子様代理:2013/01/13(日) 00:37:18

 かくの如き殺生は、凄愴悲惨な感じを伴わないままに、知らずに犯した罪の方が知って犯す罪よりもその被害が大きいように、
殺生の業の存在を強引に肯定しているのである。

 真に此の世界から戦争を根絶し、絶対平和の世界を実現するためには、殺生の業を積まないようにすることが必要なのである。
現象が本来無であり、空華(くうげ)であることが真に自覚できない限りに於いては、みずから殺生し、
又は、他をして捕殺せしめる「殺害」の業上に築かれたる肉食を人類はみずから勇猛心をもって根絶しなければならない。

 釈迦は自分の弟子に、みずから殺さずして他の人が布施し供養をした肉食のみはこれを受けても好いとした。
それは‘受けても好い’のであって、進んでその饗応を強制したり、なるべくそうするように勤め、
又仕向けてはならないのである。

 純粋の愛念又は報謝念又は布施心をもって供養されたる肉食は、その愛念、報謝念又は布施心によって浄められているから浄食である。
自分が儲けるために捕獲したる獣鳥魚肉は、利己心のために殺生を肯定したものであるからけがれたる殺生である。

 しかし漁夫がかくの如き業務をもって生活するよりほかに生計の道を見出し得ざるが故にやむを得ず魚等を捕獲するのは
生活権として尚ゆるされ得るであろう。

 しかも自己の生活の必需に迫られずしてただ閑暇の娯楽のためにする魚釣の如き、他の生命を玩弄するのであるから、
聖霊を涜す罪として赦されがたいのである。生命は聖霊であるからこれを弄殺する事は赦されない。

 斯くて吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。
否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、
かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。

 ‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、
実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。

 併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。
吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、
勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。

 ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。それがまだ備わらない人々には生長の家は何人にも何物も強制しないのであるから、
強いて肉食をやめよとは云わないのである。

                    〜 つづく


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