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8木先生のスレ

1名無しの経大生:2003/12/03(水) 19:47 ID:vNYmxUDA
8木先生!
こちらの掲示板にも降臨して、ナンパな学生に活を入れてください!

951凡人:2017/10/26(木) 09:15:19 ID:R.OzoZ.k0
「言われた通りにしないと戦犯にされた時代だった。国民は将棋のコマに使われた。それが戦争だった。」?民主主義国の威力を軍国主義国に見せ付けた大戦。軍国主義国の右翼思想が見せた低脳さ。日本の敗戦。戦争の始まる前の日本、戦争中、戦後。その思想を引き継いでいる高崎経済大学。その教職員が学生に押し付ける、応援団を象徴する時代錯誤的教育制度。それにまったく無頓着で、政治意見をもたないノンポリ学生たち。学生たちはいつ気付くのか?
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【群馬】
<風船爆弾の記憶>(2)黒い火薬 「なめたら甘かった」
2017年10月26日

写真=当時を振り返る川野さん=東京都江東区で

 「巨大な風船をつくり、火薬を入れた袋をぶら下げて飛ばす」。高崎市にあった東京第二陸軍造兵廠(しょう)岩鼻製造所。県立高崎高等女学校(高崎高女、現高崎女子高)の当時三年生だった川野堂子さん(87)=東京都江東区=は将校からこんな説明を受けた。「成功すればすごい兵器なんだよ」。そんなつぶやきも耳にした。

 川野さんが上級生と四、五人で、学校工場で風船爆弾を作るために講習を受けに行った時のことだ。

 学校で、風船爆弾を作る作業が始まった。重ね合わせた和紙を型紙に合わせて裁断し、気球の下三分の一を仕上げた。川野さんは講堂で球にまとめる天頂の部分をこんにゃく糊(のり)で貼り合わせた。「もっとしっかりやらないと球にならない。裂けないようにしっかりやれ」。そう叱られた記憶もある。講堂の隅に仕上げたものを置いておくと、翌朝にはなかった。「岩鼻製造所に運ばれたのだろうか」と思っていた。

 火薬を詰めたり、羽二重でドーナツ形をした袋の縫い目にシンナー系の接着剤を塗ったりもした。詰めたものは黒い粒子状で、なめたら甘かったという。

 風船爆弾の研究主任だった草場季喜陸軍少将は、自身の論文「風船爆弾による米本土攻撃」で「火薬、火具類は東二造(東京第二陸軍造兵廠)で製造された」と証言。一九四五年ごろの岩鼻製造所について、ハルビン師範大専任講師の菊池実さん(62)は「火薬原料の調達は非常に困難になっており、本土決戦の方針で完全防空工場への地下移設が進み、本来の火薬生産は大幅に減っていた。こうした状況下で、学徒の手を借りて風船爆弾の製造にかかわるようになったのでは」と推測する。

 高崎高女ではこんにゃく糊の製造から和紙の貼り合わせ、気球の成形までの風船爆弾作りの工程が一貫して行われた。明治大平和教育登戸研究所資料館(川崎市)特別嘱託学芸員の塚本百合子さんによると、造兵廠では空気を入れ、気体漏れがないか最終確認を行う満球テストを含めてすべての工程が行われたが、分工場だった高崎高女のような例はあまり見られないという。 

 塚本さんは「生徒たちが学校で全員で作業をしていたという点も、ほかとは異なる特徴」と指摘する。

 終戦が迫った高崎市内を空襲が襲った。川野さんは榛名の農家に母と避難していて、米軍機の機銃掃射に遭った。田んぼの中をはいずるようにして逃げた。

 米軍機の爆撃で、高崎高女は校舎や講堂が被害を受けた。「当時、女生徒が学校工場で風船爆弾を製造していた高等女学校では、岩鼻火薬製造所から運ばれていた火薬が誘爆を起こした」(新編高崎市史・通史編4)との記述もある。

 風船爆弾を製造するため一九四四年、校庭に新たな校舎が建設されていた。米軍が軍需工場とみて攻撃目標とした可能性もある。川野さんは「米軍は学校が工場だと知って狙ったのだと思う。もし学校にいたら命はなかった」と話す。

 終戦の日の翌八月十六日は校庭で和紙の貼り合わせに使った作業台などを泣きながら焼いたという。

 草場陸軍少将は「気球の成型の作業には、全国の女学生が動員されてこれにあたった。彼女らの真剣な働きはみるものをして襟を正さしめるものがあった」と書き残している。

 米国オレゴン州で、ピクニックしていた子どもを含む六人が風船爆弾に触れて死亡していたことは戦後知った。「(戦争に)加担してしまった」と川野さん。「いいも悪いもなく、言われた通りにしないと戦犯にされた時代だった。国民は将棋のコマに使われた。それが戦争だった」

952凡人:2017/10/29(日) 06:53:57 ID:m84LcSNw0
「敵国語だとして、英語の授業もなくなった」。「米国生まれの敵性球技」の野球も止め。では米国生まれの飛行機も、エジソンやニコラ・テスラの電気技術や電化製品のほとんどや兵器類、また軍服等の洋服も廃止したら、日本は戦争どころの話では無かったろうにね。右翼思想とか軍部のバかさ加減がわかってとても面白い。笑
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<風船爆弾の記憶>(3)軍国少女 「加害者だったかも」【群馬】
2017年10月27日 東京中日

写真=当時を振り返る内堀さん=埼玉県所沢市で

 内堀ヨシノさん(86)=埼玉県所沢市=が県立前橋高等女学校(前橋高女、現前橋女子高)の門をくぐったのは一九四三(昭和十八)年の春だった。

 制服のスカートの裾にある二本の白線が少女のころからの憧れだった。

 戦局の悪化は、ささやかな幸せも奪い去った。

 敗色が濃厚となった翌四四年三月、「決戦非常措置要綱」に基づく「学徒動員実施要綱」が閣議決定され、学徒の通年動員が始まった。前橋高女生の誇りだったスカートはもんぺに代わった。敵国語だとして、英語の授業もなくなった。

 同年「十二月に入って岩鼻学校工場(陸軍第二造兵廠岩鼻製造所)で風船爆弾作りが始まった。十一月十三日から生徒二十人が一週間、岩鼻に泊まりこんで新作業の講習を受け(た)」(前橋女子高校六十年史下巻)。風船爆弾の気球用原紙になる和紙の貼り合わせは校庭や体育館、教室や廊下でも行われた。

 内堀さんは、校庭で畳一畳ぐらいの板に和紙をこんにゃく糊(のり)で貼り合わせる作業だった。翌年二月の作業日誌にはこう記述されている。

 五日 板を庭にはこび出した。(中略)薄糊の上をこする手には力がはいる。冷たさを通りこして痛くなる。手の毛細管が凍ってしまったやうだ。(中略)一日も早く、目的数量を突破しよう

 手のあかぎれから血がにじんでも、「兵隊さんに申し訳ない」と、手袋は着けず素手で通したという。

 十四日 「お国の為に頑張らう」といふ固い決意で始めた原紙作業もだんゝなれて製品が多く出るやうになった

 十八日には、米国での風然爆弾の戦果を伝える記事が新聞に載った。

 今朝新聞に出た。『「日本文字の書いてある気球爆弾米本土に落下」、その言葉こそは私達が長い間待ちに待った言葉なのだ。あゝ、私達の仕事は遂に報ひられたのだと思ふと有難くて仕方がなかった』。だが、その時伝わった戦果はのちに事実ではなかったことが判明した。

 空襲警報は頻繁にあったという。学校まで五キロの道のりを通学中に機銃掃射に襲われ、自転車ごと川に飛び込んで命拾いしたこともあった。

 終戦の日。神風が吹いて日本が勝つことを信じて疑わなかった軍国少女の夢は砕かれる。「今日という日が忘れられるか、日本国民として。日本が降伏した。馬鹿な。そんな事が信じられるか」とつづった。

 米国オレゴン州で四五年五月、日本が飛来させた風船爆弾による民間人の犠牲者が出たことは、約八年前まで知らなかった。

 内堀さんは「自分たちが加害者だったかもしれないと、複雑な気持ちになった。疑いも持たず、『何てことをしてしまったのか』と」と自責の念に駆られた。(日誌の抜粋は原文ママ)

953凡人:2017/10/29(日) 06:56:26 ID:m84LcSNw0
<風船爆弾の記憶>(4)軍事秘密 「親にも話せなかった」【群馬】
2017年10月28日東京中日

 風船爆弾の製造が行われたのは、県立高崎高等女学校(高崎高女、現高崎女子高)や県立前橋高等女学校(前橋高女、現前橋女子高)だけではない。

 県内各地の女学校で行われた。前橋市立高等女学校(前橋市立高女、現市立前橋高)もその一つとの見方もある。当時の教務日誌(前橋市立女子高五十年史)には、生徒だけではなく、教師を含め学校全体が陸軍第二造兵廠岩鼻製造所と密接に連携して作業を進めていたことがうかがえる。

 【一九四四(昭和十九)年】

 五月十六日 岩鼻学校工場開キ式(分工場)派遣二名。

 六月六日 将校来校、学校工場視察

 同二十七日 学校長岩鼻出張

 十二月二十三日 岩鼻作業(〜二八日)、岩鼻所長来校

 【四五(昭和二十)年】

 一月五日 岩鼻見学、満室試験-第一回製作球合格

 元日も夕方五時まで、四年生が気球の天頂を貼り合わせる作業に就いていたことも記されている。

 「これからやることは秘密です。親にも言ってはいけません」。前橋高女の女学生だった内堀ヨシノさん(86)=埼玉県所沢市=は、教師から学校で風船爆弾を作っていることを話さないよう口止めされた。

 学校はいつの間にか、外から様子が分からないように板塀で覆われた。親にも何も話さなかった。毎日の作業日誌は教師に見せるだけで、自宅には持ち帰らなかった。

 「全ては軍事機密として作業に従う生徒達には厳重な箝口令(かんこうれい)が布(し)かれ、家人にも話してはいけないとされていた。コンニャクのアレルギーで手がひどくかぶれた生徒が治療を受けに行く時、たとえ医者から原因を聞かれても『学校でこういう作業をしたから-』と答えてはならぬと口止めされている。作業場である体育館には鍵がかけられ、一年生は覗(のぞ)き見ることもできなかった」(前橋女子高校六十年史下巻)

 気球の原紙になる和紙の貼り合わせで力を込めて紙をこするため、指が曲がってしまったという前橋高女の浅野いづみ子さん(87)=前橋市=は「家に帰ってしゃべってはいけない。作業について何も聞いてもいけない。そんな時代だった」と証言する。

 高崎高女の牛込やす子さん(88)=高崎市=は、火薬を詰める袋の縫い目にシンナー系の液体を塗る作業をした。それが終わると、看護師として病院に派遣された。終戦の日は、岩鼻製造所の病院で迎えた。

 「神風が吹くと信じていた。『欲しがりません。勝つまでは』だった」と牛込さん。学校の校庭で机などを燃やしながら、悔しくて泣いたという。

 食べ物がなかった。昼になると、弁当を持参できない級友の姿が教室から消えていった。白米の弁当を持って行くと、級友から「非国民ね」となじられた。終戦で灯火管制がなくなり、部屋の電灯からカバーが外れたことがうれしかった。

 内堀さんは戦時中に書き残した日誌をそっと手に取り、「目や口を閉じなければならないような世の中には二度としたくないよね」と感慨を込めた。

954凡人:2017/10/29(日) 08:10:07 ID:m84LcSNw0
「命を落として何も語れなかった人もいる。知っている人はその人たちの分まで語らなくて、だれが語るのかと」。日本の右翼思想が理想とする権力システムは口封じがエッセンス。出家、切腹、腹きり、自殺逃避や勧告。どれもこれも、風当たりが強い拷問や虐殺に替わる、日本の権力システムを維持するために生まれたシステムと凡人は見ている。
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<風船爆弾の記憶>(5)体験者として 「語り部を続けたい」【群馬】
2017年10月29日 東京中日

写真=手作りの教材をつくり、風船爆弾の体験を語り継ぐ小岩さん=東京都練馬区で

 「あしたからは学校にこなくていい」。私立の女学校に通っていた小岩昌子さん(88)=東京都練馬区=は二年生の時、教師からそう言い渡された。都内の陸軍造兵廠(しょう)に動員された。

 風船爆弾の気球用原紙を和紙で貼り合わせて作った。四人一組で長方形のブリキの机にはりつき、立ちっぱなしで作業した。机には番号が振られ、その日何枚作ったか分かるように棒グラフが作られていた。枚数が少ないと、集められて注意された。

 学校と違って造兵廠は厳しかった。軍人が作業を見回り、軍隊式の号令で整列や行進をした。休憩中に読書していると、「そんな暇があるなら一枚でも作れ」と言われた。引率の担任は、控室に詰めているだけだった。

 和紙を貼り付けるこんにゃく糊(のり)で服はすぐに傷んだ。母親から「なけなしの布で仕立てたのに」と小言を言われ「何をしているのか」ときつく問いただされたが、沈黙を通した。「家族にも絶対に話すな」と念を押されていたからだ。何を作っているのか知らなかった。疑問は持たず、聞きもしなかった。

 戦後は小学校で約三十年間、教壇に立った。「あの戦争は何だったのか」。そんな疑問も持ちつつも、風船爆弾に関わったうしろめたさもあり、子どもの前で話すことは嫌だった。米国で風船爆弾で六人が亡くなっていたことを知った。「私は戦争の被害者とばかり思っていた。加害者だったかもしれないなんて」と震えたという。

 退職後、風船爆弾について本格的に調べ始めた。登戸研究所(第九陸軍技術研究所)で行われた秘密戦の研究者、自動装置の部品開発に関わった技術者…。探しては、足を運んで耳を傾けた。

 それから戦争体験を進んで話すようになった。小学校などに招かれて三十年以上、風船爆弾の「語り部」を続けている。分かりやすく説明するための手作りの教材も好評だ。子どもたちから寄せられた感想文はかなりの分量となり、大事に保管している。中学二年の生徒からは「私と同じ年ごろの子が加害者だったかもしれない。そう思わせてしまう戦争は絶対にいけない」と手紙が届いたこともあった。

 「小岩さんはなぜ、嫌だと言えなかったの?」。小学生から、そう質問をされたこともある。

 その答えは、小岩さんが風船爆弾の「語り部」を命ある限り続けようと決心した理由にも重なる。

 「戦争だから言えなかった。何を作っているのか知らなかった。だから仕方ない、ですませてしまっていいのか。命を落として何も語れなかった人もいる。知っている人はその人たちの分まで語らなくて、だれが語るのかと」 =おわり

 (この連載は大沢令が担当しました)

955凡人:2017/11/14(火) 22:22:32 ID:8c5KuWC20
国際テロをいまの資本主義に起因する見方は凡人にはない。国際テロの90パーセントはイスラム過激派によるものであるということを聞いた覚えがある。つまり宗教戦争であるということである。
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新生会 60周年シンポ 人間福祉の実現訴え 高崎 /群馬
毎日新聞2017年11月8日 地方版

社会福祉法人新生会の創立60周年を記念して開かれたシンポジウム。左端が原慶子理事長=いずれも高崎市八島町で

 高崎市の社会福祉法人「新生会」(原慶子理事長)の創立60周年記念シンポジウムが高崎市内で開かれ、福祉政策の専門家らが福祉の現状やあり方などについて意見を交わした。

 シンポジウムのテーマは「文化としての人間福祉の実現-命をないがしろにしたハイパー資本主義に抗して-」。

 原理事長はあいさつの中で、「21世紀に入って世界のあちこちでテロが起こっている。日本でも東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第1原発の爆発事故から6年たったが、人間不在の政治、経済がまかり通り、生活の不安とか、息苦しさを感じている人がたくさんいる」と現状を憂慮。その背景として「『行き過ぎた資本主義』(ハイパー資本主義)により、富が電子・金融空間に集中し、実体経済から流れ出しているからだと考えられる。社会福祉の原点である生存権を保障した憲法25条、つまり命がないがしろにされ、人間不在の政策や法律が次々に作られている」と指摘した。

 社会性・個人性の交錯する全人格的な人間を探求し、福祉サービスを提供するのが「人間福祉」と位置付け、「それを土台にした命と向き合う社会保障のシステムを実践していきたい」と述べた。
   ◇  ◇

 シンポでは、金沢大名誉教授、井上英夫氏(70)が日本国憲法と基本的人権について、鹿児島大法文学部教授、伊藤周平氏(57)が、介護保険法がもたらした人間福祉の劣化について説明した。立教大文学部教授、西原廉太氏(55)は、2014年に世界教会協議会が採択した「核から解放された世界へ」声明について解説した。

 各氏の発言要旨は次の通り。【増田勝彦】
生存権ないがしろ 金沢大名誉教授・井上英夫氏=福祉政策、人権論

 はじめに「生命が軽くなっている」と指摘したい。憲法25条は「最低限度」の条件をつけながらも「健康で文化的な生活」をする権利を記している。「生存」ではないことに注意してほしい。国際的には「十分な生活の保障」が常識になっているが、日本ではむしろ逆行している。もっと豊かな内容を保障するよう再考すべきである。

 憲法前文は「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と記している。恐怖は、戦争・権力・暴力。欠乏は貧困・飢餓。そういう状況から免れて人間らしく生きる権利は「平和的生存権」といわれる。福祉を実現していく営みこそが、平和の実現に通じる。私たちはその一体性を考える必要がある。
介護保険に税金を 鹿児島大教授・伊藤周平氏=社会保障法

 社会保障の自然増は年間8000億から1兆円といわれているが、安倍政権は増加を6000億円に無理やり抑え、介護と医療が集中的に削られている。介護保険は毎年のように改定され、自己負担が増大している半面、事業者への介護報酬は引き下げられている。介護職員は仕事がきついうえ、月収は全産業平均より10万円低く、なり手がいない。

 介護保険の本当の狙いは、医療保険でしていたものを介護保険に移して医療保険の立て直しを図ること。そして、住民ボランティアにより介護を担わせようともしている。高齢者介護を介護保険でやっていけないのは明らかであり、国は税金をつぎ込むべきである。政権の本気度が問われるが、非常に難しい。
核エネ開発は危険 立教大教授・西原廉太氏=神学

 世界教会協議会(WCC)は、カトリック以外の主な伝統的教会が加盟する世界最大の組織。2014年7月に採択された「核から解放された世界へ」声明は、「核」の中に核兵器と原子力発電の両者をつなげ、あらゆる核エネルギー開発が非常に危険であることを福島の出来事を引用して確認した。

 さらに原発を「核発電所」と規定、他のエネルギー源に比べて大きなコストがかかること、核兵器への連結可能性を指摘。代替エネルギーは、安価、安全で唯一簡単な「節約」である。現在のエネルギー生産全体の4分の1を賄え、原発の発電総量をはるかに超えているとしている。声明は代表が来日し、首相官邸で菅義偉官房長官に手渡している。

956凡人:2017/11/23(木) 15:33:24 ID:8c5KuWC20
サンフランシスコ市、慰安婦像の寄贈受け入れ 市長が文書に署名 【歴史戦】
2017.11.23 06:32 Sankei

Pic=セントメリーズ公園に設置された慰安婦像。3人の女性が背中合わせに立ち、傍で慰安婦と見られる女性が見つめる構図となっている=22日、米サンフランシスコ(住井亨介撮影)

 【サンフランシスコ=住井亨介】大阪市の姉妹都市、米カリフォルニア州サンフランシスコ市内に設置されている慰安婦像と碑文の寄贈受け入れをめぐる市議会決議案について、エドウィン・M・リー市長は22日、受け入れを認める文書に署名した。すでに設置スペースは寄贈されて市有地となっており、市長の署名により像と碑文は完全に公共物化された。

 大阪市の吉村洋文市長は、像と碑文が公共物化された場合は姉妹都市関係の解消に踏み切る意向を示しており、判断が注目される。

 サンフランシスコ市が受け入れたのは、像と碑文のほか最低20年間のメンテナンス費用として約20万8千ドル(約2300万円)。像設置を主導した中国系米国人らの団体から寄贈された。

 像は韓国・ソウルの日本大使館前などに設置されている、いわゆる「少女像」とは異なり、背中合わせに立った女性3人が手をつないでいるデザイン。中国、韓国、フィリピンの慰安婦をイメージして製作されたとされる。

 サンフランシスコ市が承認した像を説明する碑文には、日本政府が不適切としている「性奴隷」の表記があり、「日本軍に性奴隷にされた数十万人の女性や少女の苦しみの証拠」などと説明している。

 市議会は14日に像と碑文を受け入れる決議案を全会一致で可決。市長が拒否権を発動できる10日間の猶予があったが、感謝祭の休日が23日から始まるため繰り上げられた。

 米公有地での慰安婦像は、同州グレンデール市とジョージア州ブルックヘブン市の公園に設置されている。

957凡人:2017/12/02(土) 02:14:19 ID:fmijQ1.60
ユネスコ「世界の記憶」審査へ 「慰安婦」登録可否焦点
後藤洋平 2017年10月23日21時59分 Asahi

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(旧・記憶遺産)の登録可否を審査する国際諮問委員会が24日から始まる。焦点となるのは、日中韓など8カ国の市民団体などが申請した「旧日本軍の慰安婦に関する資料」。日本政府が登録阻止に動いており、結果に注目が集まる。

 韓国でも7月、鄭鉉栢(チョンヒョンベク)・女性家族相が元慰安婦の証言などを申請した民間団体を支援する考えを示した。市民団体が中心の登録活動だが、それぞれの国、政府の関心事となっている。

 審査は2年に1度。前回2015年には中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録され、日本政府は「中国側の一方的な主張で真実性に問題がある」などと抗議。ユネスコの分担金支払いを一時延期した。

 専門家で構成される諮問委の審査は非公開で結果も公表されない。ユネスコの事務局長が登録を最終判断し、発表される。前回、中国側が提出した書類は公開されず、日本側に意見表明の機会も与えられなかったため、政府は審査の透明化や対話を重視する制度への改革を要求してきた。

 今月18日のユネスコ執行委員会で制度変更が決まった。複数の当事者間で事実関係や歴史認識で意見が異なる案件は話し合いを促し、共同申請やまとまるまで審査を保留するようになる。ただ、新ルール適用は19年の次回審査からとなった。

 事務局長の交代も決まった。前回「南京虐殺」の登録を決めたイリナ・ボコバ氏に代わって、「ユネスコは対立ではなく対話の場」と語るフランスのオードレ・アズレ前文化・通信相が11月15日付で就任する。米国とイスラエルがユネスコ脱退を表明する中、加盟国最高の分担金を支払う日本への配慮を期待する声もある。ユネスコ国内委員会関係者は「次期事務局長が何らかの形で関与し、あるいは新しい審査制度が決まった影響があれば、政治的案件の登録は見送られる可能性もあるのでは」と話す。

 このほか、国内候補の「上野三碑(こうづけさんぴ)」(群馬県)と「杉原リスト」(岐阜県)や、日韓の民間団体が共同申請した「朝鮮通信使に関する記録」が審査される見通し。(後藤洋平)
     ◇
日本に関連する他の主な申請案件

 【上野三碑】群馬県高崎市にある、飛鳥時代から奈良時代前期に建てられた「山上碑(やまのうえひ)」「多胡碑(たごひ)」「金井沢碑(かないざわひ)」。漢字文化や仏教の広がりなど、東アジアの文化交流を示す。

 【杉原リスト】第2次世界大戦中、リトアニアの在カウナス日本領事館の領事代理・杉原千畝がユダヤ系ポーランド避難民救済のため、日本通過ビザを大量に発行した記録。

 【朝鮮通信使】江戸時代に朝鮮から派遣された外交使節団の記録。両国友好の証しとして、韓国の釜山文化財団と朝鮮通信使縁地連絡協議会(長崎県対馬市)が共同申請。

958凡人:2017/12/02(土) 02:19:49 ID:fmijQ1.60
申請百二十七件中、七十八件の登録を勧告した。
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世界記憶遺産 「杉原リスト」登録見送り 「慰安婦」は判断延期【国際】
2017年10月31日 夕刊  東京中日

 【パリ=竹田佳彦】国連教育科学文化機関(ユネスコ)のボコバ事務局長は三十日、歴史的文書を対象とする「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、国内最古の石碑を含む「上野三碑(こうずけさんぴ)」(群馬県)と、日韓を結ぶ外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の登録を正式決定した。国際諮問委員会が審査し、勧告していた。第二次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝(ちうね)(一九〇〇〜八六年)の関係資料「杉原リスト」の登録は見送られた。旧日本軍の慰安婦関連資料の登録の判断は延期された。

 上野三碑は飛鳥、奈良時代に建てられた国特別史跡の山上碑(やまのうえひ)、多胡碑、金井沢碑の総称。群馬県高崎市などが申請した。朝鮮通信使は、朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。日韓の関係自治体や民間団体が共同で、外交文書など計三百三十三点の登録を申請した。

 慰安婦関連資料は、日中韓を含む八カ国・地域の民間団体などが共同で登録を申請し、日本政府が「ユネスコの政治利用」と反発していた。ユネスコ事務局は声明で、関係国や当事者が対話する場所を、適切な時に設定することを提案した。

 国際諮問委は専門家十四人で構成。二十四〜二十七日に開かれ、申請のあった百二十七件中、七十八件の登録を勧告した。審査は非公開で、関係国は意見を述べる機会がない。

 杉原千畝は、岐阜県八百津町出身の外交官。バルト三国のリトアニアで勤務していた一九四〇年、ナチス・ドイツから逃れようと日本総領事館に駆け込んだユダヤ人約六千人に日本通過査証(ビザ)を発給して命を救った。同町が集めた「命のビザ」四十七通や発行者リストなど六十四点を申請していた。

959凡人:2017/12/02(土) 02:26:17 ID:fmijQ1.60
ユネスコ脱退、アメリカとイスラエルが表明 パレスチナ問題で抗議
アメリカは予算分担金の約22%を占める最大国だったが…
2017年10月13日 09時31分 JST | 更新 2017年10月13日 09時54分 JST
安藤健二 ハフポスト日本版ニュースエディター / 「知られざる世界」担当

アメリカとイスラエルが、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から脱退することになった。パレスチナ問題をめぐってユネスコが「反イスラエル的だ」というのが理由だ。アメリカは、ユネスコの予算分担金の約22%を占める最大国で、脱退は大きな打撃となりそうだ。

アメリカ国務省は10月12日、2018年12月31日付けでユネスコを脱退して、それ以降はオブザーバー参加するとして、以下のような声明を出した。

国務省はユネスコのイリーナ・ボコワ事務総長に、ユネスコの脱退と常設オブザーバーへの就任を求めるアメリカの決定を通知した。

この決定は軽々しく決めたものではなく、ユネスコの停滞、組織の根本的な改革の必要性、反イスラエルの偏見を継続していることなどへの、アメリカの懸念を示したものだ。

また、ロイター通信によるとイスラエルのネタニヤフ首相も12日、ユネスコから脱退する意向を表明した。アメリカの発表から数時間後で、ユネスコの姿勢が反イスラエル的との脱退理由も同じだ。ネタニヤフ首相は声明で、アメリカの脱退決断を「勇敢で道徳的」だと称賛した。

NHKニュースによると、ユネスコを巡ってアメリカは、政治的に中立の立場が保たれていないなどとして1984年に脱退し、2003年に復帰。その後、2011年に、ユネスコがパレスチナの正式加盟を認めたことに反発し、オバマ前政権が分担金の拠出を凍結していた。

凍結後のアメリカの滞納額は5億4000万ドル(約600億円)に膨らんでいる。これが、脱退の判断に影響を与えたことをアメリカ・トランプ政権のナウアート報道官も認めているという。

アメリカの脱退表明を受けユネスコのボコバ事務局長は「非常に残念に思う。多国間協調主義にとり損失だ」との声明を出した。

960凡人:2017/12/05(火) 13:54:18 ID:fmijQ1.60
【北朝鮮情勢】
実戦さながら 米韓大規模空軍訓練で対北圧力 24時間作戦、精密攻撃…心理的効果も
2017.12.4 20:41 Sankei

 【ソウル=名村隆寛】米韓両軍が4日に開始した合同空中訓練「ビジラント・エース」は、約230機の航空機を投入した「史上最大規模」(韓国軍)であるだけでなく、24時間の作戦継続や精密攻撃が盛り込まれている。かつてない実戦さながらの訓練は北朝鮮に一層の圧力をかけている。

 訓練に動員されるのは、最新鋭ステルス戦闘機F22、F35A、F35B、F15C、F16のほか、電子戦機EA18G、戦略爆撃機B1など。米軍のF22が6機同時に韓国に展開するのは初めてで、ステルス機だけで24機が参加する。

 「見えない戦闘機」であるF22は北朝鮮の防空網を突破し、狙った重要施設のピンポイント攻撃が可能だ。かつてF22が朝鮮半島に展開した際、金正恩朝鮮労働党委員長の動静が伏せられるなど警戒を強めた。

 米空軍は今年、戦闘機を軍事境界線の南側ギリギリまで飛行させる訓練をした。今回も軍事境界線付近に集中配備されている北朝鮮の野砲やロケット砲の破壊、弾道ミサイルの移動式発射台の攻撃を想定した訓練を実施。北朝鮮特殊部隊の海上からの侵入を阻止する訓練も行われる。

 訓練は韓国とその上空で行われているが、米軍機の多くは日本やグアムから飛来する。F35Bなどは在日米軍基地から出動して韓国上空に迅速に展開後、そのまま基地に戻る。対北空軍力が韓国だけでなく、日米に控えていることを北朝鮮側に強く誇示する。

 北朝鮮は米韓の軍事演習や訓練が「侵攻作戦」に変わることを恐れており、「北がやれば即やり返す」という実戦想定の訓練は心理的な効果も期待される。

 一方、韓国軍は北朝鮮の金正恩氏ら首脳部の除去を任務とする1千人規模の「特殊任務旅団(斬首作戦部隊)」を1日に創設した。斬首部隊に関し北朝鮮は「極めて挑発的かつ侵略的なシナリオに沿う先制攻撃手段」(4日の労働新聞)と神経をとがらせている。

 米韓両軍は北朝鮮が核・ミサイルでの挑発を続ける限り、今後も訓練や演習の規模は縮小しない構えだ。

961凡人:2017/12/06(水) 08:04:52 ID:fmijQ1.60
外交の駆け引きにはうんざりする。いまだに共産圏と自由圏の対峙が見られるのは残念だ。だが北朝鮮の問題は政治思想をはるかに越えた世界平和の危機である。北朝鮮が核弾頭ミサイル開発を止めない限り、北朝鮮の政権打倒は日本や朝鮮半島の平和的共生ばかりではなくて、世界平和への脅威であり、緊急解決が望まれる。時間稼ぎをする北朝鮮の戦略に嵌まり、それが成功した暁にはさらにもっと難しい局面を迎える。国連を敵にまわしている北朝鮮が核兵器とミサイル開発でその国際的発言力が増すならば、先例として世界に存在する反自由主義国に反旗を翻す小国たちはそのコピーキャットに走るだろう。それは世界の平和秩序を崩壊するガン細胞の転移が始まるときである。
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中国「日本は米国に戦争させたがっている」 韓国に伝達
ソウル=牧野愛博 2017年9月25日07時00分 Asahi

 日本の北朝鮮政策について、中国の外交当局者が今月、韓国との協議の席で「まるで米国に戦争をさせたがっているようだ」などと批判した。中韓関係筋が明らかにした。韓国の文在寅(ムンジェイン)政権が北朝鮮への人道支援を決めたことなどを巡って、日米と韓国の足並みはそろっていない。中国の発言の背景には、日米韓の連携を弱めたい思惑があるとみられる。

 同筋によれば、中国側は安倍晋三首相が今月、米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で「北朝鮮と対話しても行き詰まる」と訴えたことなどに言及。好戦的だとして不快感を示したという。韓国側は特にコメントしなかった模様だ。

 韓国政府内では、国連機関を通じた北朝鮮への人道支援に対して、日本側が再三懸念を示していることに不快感が広がっている。政府関係者の一人は「政治と人道問題は区別すべきだ。すぐに実施するとも言っていない」と語る。

 このため同筋は、中国が韓国に対して日本批判を展開したことについて、北朝鮮との対話の余地を残したい韓国政府の方針を利用し、「韓国と日米間の関係を悪化させたい狙いがあるのではないか」と語った。

 韓国の専門家の間では、中国が…

962凡人:2017/12/08(金) 12:35:57 ID:fmijQ1.60
訂正:世界に存在する反自由主義国に反旗を翻す小国たち→世界に存在する、自由社会に反旗を翻す小国たち

963凡人:2017/12/08(金) 12:40:15 ID:fmijQ1.60
あの人のことば
真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」
「太平洋戦争は、軍部の暴走といった単純な話の帰結ではない」
2016年12月07日 00時55分 JST | 更新 2017年11月18日 23時16分 JST

吉川慧 ハフポスト日本版ニュースエディター

Hulton Archive via Getty Images
7th December 1941: The USS Arizona sinking in a cloud of smoke after the Japanese attack on Pearl Harbor during World War II, Hawaii. (Photo by Hulton Archive/Getty Images)

太平洋戦争の開戦から12月8日で75年を迎える。改めて、なぜ日本は戦争へと至ったのだろうか。

日本近現代史が専門の加藤陽子・東京大学教授は近著『戦争まで』で、1941年の太平洋戦争の前に、世界が日本に「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は3度あったと指摘する。「満州事変(1931年)とリットン報告書(1932年)」「日独伊三国同盟(1940年)」そして「日米交渉(1941年)」だ。

日本は、真に問われていた選択肢が何であったのかをつかめず、本来はあり得た可能性や回避可能な選択肢をみすみす逃した。ただ、「世界」の側が常に正しかったとも言えない。「世界」から選択を問われた日本がどんな対応をとったのか、それを正確に描くことは「未来を予測するのに役立つ」と加藤氏は語る。

「太平洋戦争は軍部の暴走といった単純な話の帰結ではない」と言う加藤氏に、その意味するところを聞いた。

■1つ目の岐路:満州事変(1931年)とリットン報告書(1932年)

柳条湖事件の現場を調査するリットン調査団

――1931年9月、柳条湖事件をきっかけに、日本は中国東北部を占領し、翌年に建国された満州国を承認しました。

この時期、陸軍は農村部で講演会を開き、農村不況にあえいでいた農民を動員していました。満州事変後の1カ月で165万人を集めたといいます。「満州に行けば旦那になれる」「子どもを高校にやれる」といった軍の説明に、「戦争になれば景気がよくなる」と喜ぶ農民の声などが記録されていました。

本来は、重い軍事費が生活関連予算を圧迫していたのですが、一部の農民の目には「自らの要求を聞いてくれるのは軍部なのだ」といった誤った幻想が広がっていったのです。

では、社会の上層部の人々はどうだったかといえば、彼らとて軍にはノーと言えませんでした。一つにテロの脅威があった。32年に三井財閥の総帥、団琢磨(だん・たくま)が白昼、三井本館前で射殺された「血盟団事件」をご存じでしょうか。団は、満州事変調査のため来日したリットン卿と会った翌日暗殺されています。

このようにまずテロによる萎縮が指摘できますが、他に見ておくべき要因として、社会の上層部の人々と一般国民との間に「共通の言葉」がなかったことも大きかった。

――「共通の言葉」とは?

「共通の認識」と言い換えてもいいでしょう。例えば満州事変が起きた時、軍部は「これで中国がこれまで守ってこなかった日本の条約上の権利が確保できる。これは良いことなのだ」と主張します。しかし、これに対し「いや待てよ」と考えた人もいたはずです。

南満州鉄道(満鉄)の上げる利益は5000万円でしたが、中国全体の貿易で日本は10億円の利益を上げている。「満州問題で中国と喧嘩するのは経済合理性に合わない」などと経済人は考えたでしょう。ただ、こういう判断ができる人がいても、それを説得的に一般の国民に説明する手立てがなかった。

石橋湛山や清沢洌(きよさわ・きよし)などリベラルな言論人が、日本にとっての経済合理性から「小日本主義」「満蒙放棄論」などを主張していたことはよく知られています。しかし、彼らが記事を書いていた経済雑誌「東洋経済新報」などは、普通の国民が読むような雑誌ではありませんでした。この雑誌の広告欄には、三菱銀行や三井銀行など金融資本の総本山といった会社が並ぶ、そのような高級誌でした。

2つの階層が文化的思想的に交わっていなかったといえる。これは日本の教育の問題でした。社会の階層間をつなぐ、文化的な中間的な装置を欠く社会は、強固な決意を持ち、既成政党や財閥打破を掲げて国民を動員しようとした軍部のような存在の前に極めて脆弱でした。
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964凡人:2017/12/08(金) 12:41:34 ID:fmijQ1.60
――農民は新聞などをあまり読まなかったのでしょうか。

いえ、日本の新聞購読者数は同時代の他国と比べて非常に多かったと思います。ラジオ契約数も31年に100万だったものが、41年には600万となり、普及率も46%ほどになる。2軒に1軒ラジオがあった計算です。

1920年代生まれの方から聞いた話をご紹介しましょう。その方は農村部に住んでいて、太平洋戦争の開戦直後のラジオ放送を近所の人たちと聞いていたのだそうです。ただ、その時ふと、不思議に思ったと。

真珠湾攻撃では2人1組が搭乗した特殊潜航艇「甲標的」5基が参加し、9人が戦死したのですが、この時、大本営は戦死者9人を「九軍神」と称えました。ただ、私に話を聞かせてくれた方は、「2人1組が5基で参加して、軍神9人...あれっ?1人はどこに」と不思議に思ったそうです。1人は捕虜になっていたのですが、これは当時は伏せられている。

放送や紙面が軍国一色になった時代には、この方のように、かなり注意深く見聞きしないと、真理にたどりつくのは容易ではないということでしょう。検閲は当然ありましたが、新聞やラジオが率先して政府の議論を先取りすることなど多々ありました。

――満州事変の解決提案「リットン報告書」は、日本を追い込む内容だったのでしょうか。

まず、リットンに率いられた調査団は、イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・イタリアといった5大国委員から構成されていたことが大事です。すべて植民地を持った経験のある帝国でした。彼らは日中の全面衝突を回避し、東アジアの貿易が拡大し、自らの国の権益も安全に保たれればよい...その線での解決案を目指したはずです。

報告書は「張学良政権への復帰は認められない」と書く一方で、「現在の満州国そのままの存在も認めない」と書き、一見すると日本側に厳しいように見えます。しかし、将来この地域につくられるべき仕組みは「過激なる変更なくして現制度より進展」させうるとも書いていた。つまり「満州国の制度からスムーズに移行しうる制度だよ」と。

さらに、日本にとって好条件もあった。具体的には「新政権を現地に作るための諮問委員会メンバーの過半数を日本側とし、また外国人顧問のうち充分な割合を日本側が占めてよい」ともいうのです。

――満州国が日本の傀儡だと分かった上で、リットン報告書はかなり妥協していますね。

ただ、このあと日本は自らの首を締める愚を犯しました。1932年の1月、第一次上海事変が起こされます。満州事変から国際社会の目をそらすためとして、上海共同租界内で日本人僧侶が中国人に襲撃されたといった事件を日本側が作為し、これをきっかけに中国側との軍事衝突が起きます。

第一次上海事変で市街戦を展開する日本軍(1932年1月)

――中国との紛争を抱えている状態で、さらに日本は紛争を増やしたわけですよね。なぜそんなことを...。

満州事変に注がれている世界の目を逸らすためと言われていますが、この通説は余り説得的ではありません。

満州事変が起きた時、中国は、国際連盟規約第11条によって連盟に提訴しました。この11条での提訴の場合、紛争処理は理事会が担当します。まさに、1931年12月に理事会が派遣を決定したリットン報告書のラインで処理される訳です。

しかし、この後に上海事変が起こされると、中国は日本を規約第15条で提訴し直します。これは、国交断絶に至る恐れのある大きな紛争が起こった場合の規約です。11条と違って15条による提訴の場合、日本は最悪の場合、連盟の全加盟国から敵国と名指しされ、経済制裁を下される可能性も覚悟しなければならない条項でした。

担当する部署も、理事会ではなく、総会となります。出先の陸軍などはこのような連盟規約の構造を充分に知っていたのでしょうか。そうは思えません。

理事会と異なり、総会には加盟国全てが含まれます。15条での提訴では、紛争の解決案を書くメンバーも、リットンらの5大国委員ではなくなるわけです。上海事件後の日中紛争は、「19人委員会」が担当することになりました。ここには、グァテマラやパナマといった国も含まれる。確かに、日本側が憤っていたように、日中間の歴史的経緯について知らないと思われる中南米諸国なども関与することとなったのです。日本側は怒りますが、そもそも窮地に陥る根本的な要因を作ったのは日本側でした。

――結局、日中間の紛争に関与する国が多くなってしまった。

当時の連盟を支えていたのはイギリスでしたが、第一次世界大戦で敗北したドイツの復活を恐れるヨーロッパ諸国の安全保障上の懸念は、イギリスの対日態度にも影響を与えました。当初は日本に宥和的な態度をとっていたイギリスも変化していったのです。この「19人委員会」が書いた日中紛争解決案は、リットン報告書よりも日本に対して厳しい内容でした。
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965凡人:2017/12/08(金) 12:44:22 ID:fmijQ1.60
――日本側はどう対応したのでしょうか?

意外かも知れませんが、全権の松岡洋右は粘りに粘って交渉しました。ただ、主たる交渉の向かう先が本国の外務大臣、内田康哉であったことは悲劇でした。イギリスの仲介や中国政府内の対日妥協派の態度に望みをかけていた内田外相は、連盟の「19人委員会」がまとめた解決案に妥協すべきだとの、松岡全権のもっともな要請を拒絶し続けたのです。

33年1月、松岡は「物は八分目にてこらゆるがよし」とし、「脱退のやむなきにいたるがごときことは、遺憾ながらあえてこれをとらず」と述べ、妥協を内田に薦めます。しかし、内田は、日本側が強硬に主張し続ければ、イギリスと中国は最後に日本に屈服するとして、最後まで妥協を許しませんでした。

写真=松岡洋右

――なぜ内田外相は、二国間協議でいけると楽観的だったのでしょうか。

中国の国民政府内に、汪兆銘など対日妥協派がいたのは事実です。この勢力に内田は賭けたといえる。ただ、外相としての内田が時代遅れとなっていたのも事実です。

内田の外相デビューは第二次西園寺公望内閣の時、明治から大正の変わり目の頃でした。2回目の外相は原敬内閣時代、大正半ばのこと。1930年代の中国の動静にどれだけ内田が通じていたか疑問です。軍事と政治の双方の権力を握っていたのは蔣介石でした。

――いわば、蔣介石の独裁ですよね。汪兆銘に実質的な権力はなかった。

そうです。そして、満州における政治と軍事の実権は、張作霖の子息である張学良がなおも握っていたはずです。蔣介石にとっては、満州(東三省)に対し、実質的に関与できるのは外交権しかない。ですから蔣介石からすれば、連盟の「公理」に訴えること、つまり中国の外交権を代表する者として満州問題を扱うしかなかった。連盟に対する蔣介石のスタンスを内田は理解していなかったと思います。

写真=蔣介石(左)と汪兆銘

当時の日本政府もジャーナリズムも、32年10月に公表されたリットン報告書に対し、中国側に肩入れしたものという評価を下し、その内容を精査せず徹底的に批判しました。私が惜しいと思うのはそこで、リットン報告書が展開していた日本側への妥協的な選択肢を見ていなかった。

日本側は、「リットン報告書が満州国の存在を認めている」との根拠のない楽観的な下馬評を信じていたため、実際に報告書が出た時には狼狽し、文書の正確な含意を読み取ることができませんでした。

■2つ目の岐路:日独伊三国同盟(1940年)

写真=日独伊三国同盟の調印式

――2つ目が、第二次世界大戦が勃発した翌年に日本・ドイツ・イタリアが結んだ日独伊三国同盟ですね。

この同盟は39年9月から始まった第二次世界大戦と、37年7月から始まっていた日中戦争にアメリカが介入しないよう、日独伊3カ国がアメリカを牽制するために40年9月に結んだ条約です。

日本がこの時期、ドイツ・イタリアと同盟を結んだインパクトは非常に大きなものでした。日本を結節点として、ヨーロッパとアジア太平洋が結ばれることになったからです。アメリカが大西洋と太平洋とで牽制されることを意味しました。

交渉が一気に加速したのは、ドイツが日本に急接近したためです。当時のヨーロッパでは、40年6月にフランスがドイツに降伏したことで、ドイツと交戦している国はイギリスだけとなりました。そのイギリスが7月、ヒトラーからの和平を拒絶したため、ドイツは日本との同盟締結で最後の圧力をイギリスに加えようと図り、特使スターマーの派遣に至ります。

写真=1941年3月時点、ヨーロッパの戦況図
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966凡人:2017/12/08(金) 12:47:04 ID:fmijQ1.60
――三国同盟については、日本ではよく「快進撃を続けるドイツと結ぶことで『バスに乗り遅れるな』」と、勝ち馬に乗ろうしたという文脈で語られる思います。

たしかにそれは間違いとは言えませんが、当時の政策決定者の視点が抜けています。

日本がドイツとの同盟を選んだ理由は、大西洋と太平洋でアメリカを牽制するためにあったのではありません。むしろ、ドイツが電撃戦で降伏させたオランダやフランスが東南アジアに持っていた植民地の処分問題が日本側の念頭にあった。オランダ領東インドの石油、フランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)の米などは、総力戦を支える資源として重要でした。

三国同盟調印の2カ月間前(1940年7月)、外務省と陸海軍の担当者が参集し、何を話し合っていたかといえば「ドイツの勝利で第二次世界大戦が終了してしまった場合どうなるか」ということです。

会議には、大臣・次官ではなく課長級、軍で言えば佐官級の40歳前後の人が参集していましたが、彼らの頭には、日本がいまだ参戦もしていないうちに、ドイツの勝利で第二次世界大戦が終わってしまったら、ドイツが敗北させた宗主国(オランダやフランス)が持っていた植民地、つまり、東南アジアや太平洋の植民地が、ドイツに獲られてしまうという危機感だけがありました。

第一次世界大戦後に、連合国の一員であった日本が、英仏と共に何をやったかといえば、敗戦国ドイツが持っていた植民地を山分けした訳です。むろん、名前は、植民地ではなく委任統治領という名称にしていましたが。

――ということは、日本が三国同盟で牽制したかったのはアメリカではなく...。

日本が警戒していたのは、ドイツでした。ドイツの東南アジア進出を牽制したいがための同盟締結だと言えます。陸海軍の軍人たちがいかにドイツ側を警戒していたか、その発言も残っています。

――――この頃から日本は「大東亜」という言葉を使い始め、三国同盟にも「大東亜における新秩序建設」という言葉があります。この「大東亜」って何を意味するのでしょうか。

「大東亜新秩序建設」という言葉が、なぜ使われ始めたか。東北学院大学教授の河西晃祐さんは「植民地宗主国を抑えたドイツによる、東南アジア植民地の再編成の可能性を、参戦もしていない日本が封じるための声明として」という見解を唱えています。来たるべき講和会議に、ドイツ・イタリアの同盟国として日本が乗り込む時、このような声明が有効だというのでしょう。鋭い見方ですね。

――となると、「大東亜」という言葉は三国同盟を結ぶにあたって、日本の勢力圏をドイツにアピールするために作られたような言葉っていう解釈でしょうか。

そうなります。軍事同盟に必須な三要件といえば、第一に勢力圏、第二に援助義務、第三に仮想敵国です。ドイツの勢力を東南アジアから排除するには、勢力圏を設定しうる同盟を締結するのが一番便利、といった発想でしょうか。そのための「大東亜」という用語でした。

――大急ぎも大急ぎで、三国同盟はたった交渉開始から20日間でつくられるんですよね。

この時期の出来事の時系列を整理しておきましょう。1940年9月7日、ドイツはイギリス本土への空爆を開始します。いわゆるバトル・オブ・ブリテンです。

写真=ドイツ軍の空襲を受けたロンドン

先ほども述べましたが、同じころドイツは日本を同盟に誘いイギリスに最後の圧力をかけるため、スターマーを日本へ送ります。スターマーは、すぐに日本側と同盟交渉を始めました。

そして9月19日に御前会議、26日に枢密院(天皇の諮詢に応えて重要国務を審議する機関)での条約承認、翌27日にはベルリンで三国同盟の締結と動きます。驚くべきは、来日から条約締結までわずか20日間だったことですね。枢密院での審査はたった1日です。

――ドイツのアジア回帰を牽制するため、急いで三国同盟を結びましたが、結局ドイツはバトル・オブ・ブリテンでイギリスに勝てなかった。

日本は、大戦がドイツの勝利で終わることを危惧し、そこから発して「大東亜」という概念を作り上げ、勢力圏設定のための同盟を構想し、イギリスを屈服させるためのバトル・オブ・ブリテンに間に合うよう同盟を締結した。

日本が南方の石油資源と基地を手に入れたいというのはわかります。しかし、これは「小」なる価値ではなかったでしょうか。手に入れたい価値と、そのための対価(アメリカを仮想敵国とすること)が、余りにも引き合わないことになぜ気づかなかったのでしょうか。

ドイツの勝利がすぐに確実に起こると思われていた。起こりうべきことが起こらない、起こるベからざることが起こるというのは、昨今では想像しやすいかもしれません。2016年6月のイギリスのEU離脱、同年11月のトランプ米大統領誕生などはその最たるものです。
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967凡人:2017/12/08(金) 12:48:53 ID:fmijQ1.60
■3つ目の岐路:日米交渉(1941年4月〜11月)

写真=左から近衛文麿、野村吉三郎、フランクリン・ルーズベルト、コーデル・ハル

――そして3つ目ですが、戦争回避のラストチャンスとして日米交渉があった。

日独伊三国同盟の締結からおよそ半年経った1941年4月、アメリカのハル国務長官と駐米日本大使の野村吉三郎との間で、日米交渉が始まりました。最終的には7カ月後の11月26日、アメリカから「ハル・ノート」(日本側提案に対するアメリカ側回答)が手渡され、その内容が予想以上の厳しさだったことから、日本側は開戦を決意し、対英米開戦(1941年12月)に踏み切ります。

当時、ハルとルーズベルト大統領は、戦争回避のための対日交渉を2人の専権事項として進めていました。当時のアメリカは対ドイツ戦を単独で戦うイギリスを支援するため、また大西洋方面での防衛強化のため、太平洋での日本との対立を当面回避する必要がありました。また日本にとっては、泥沼化した日中戦争終結のため、蔣介石との和平をアメリカに仲介させようという目論見があったのです。

また、日米両国には、交渉しなければならない懸案がありました。それはアメリカが1941年3月に制定した武器貸与法から生じてきた問題です。

この法律によってアメリカは、イギリスに対するあらゆる武器援助が可能となりました。ただ、このようなアメリカの行動が、三国同盟を発動させてしまわないかという問題が浮上してきたのです。

三国同盟はその第3条に、日本・ドイツ・イタリアのいずれか一国がアメリカ(名指しはしていない)から「攻撃」された時、武力行使を含めた援助義務を三国に生じさせます。「攻撃」にいかなる行動が入るのかがわからなければ、日本もアメリカも安心して艦艇を航行させられません。日米双方とも、不用意な暴発を防ぐために、三国同盟第3条の中味を検討するための交渉が必要でした。

――日米とも衝突は避けたかったけど、実際には戦争へと至りました。なぜでしょうか。

いくつかの答えがあります。一つには、最も有望視された近衛文麿首相とルーズベルト大統領の洋上会談計画が、日本国内の国家主義勢力に漏れ、極めて効果的な批判がなされ、つぶされたからです。彼らは近衛首相のことを、「ユダヤ的金権幕府を構成して皇国を私(わたくし)」する勢力の傀儡だと批判しました。

日米交渉をつぶしたかった国家主義者たちは、幕末維新期における幕府が天皇の条約勅許を待たずに開国した非を思い出させるような口調で非難します。近衛の対米交渉は屈服にほかならず、そのような政府は「討幕」すべきだと批判したのです。

また、1930年代を通じて反米・反英的な言葉を弄することを政府から教えられてきた新聞や雑誌などは、急に当局が「反米的なことは書くな」と通達しても、すぐには動けなかった。政府の意に反して、ハルやルーズベルトに対する批判が日本側の新聞紙上に執拗に載り続けました。

――それでも「ハルとルーズベルトに日本は追い詰められた」という話が未だに残っているように思います。

写真=ハル(左)と野村吉三郎

現在では日米双方の記録が明らかになっていますので、ハルやルーズベルトが1941年8月あたりまで近衛首相との洋上会談を含めて乗り気であったことは確かなのです。しかし41年7月、日本軍が南部仏印(フランス領インドシナの中南部)に進駐すると、その日本側の行動自体が交渉に大きな影響を与えました。

日本側は自らが用いる「進駐」という言葉に自ら惑わされました。フランスのヴィシー政権側や仏印総督側から交渉の結果、許可された「進駐」なのだと自認してしまったのでしょう。でもこれは、この地域の飛行場や港湾を制圧することを目的とした作戦行動でした。日本側は「進駐」であって戦争行為だとはつゆほども思ってない。しかしアメリカ側から見れば、万単位の部隊が飛行場と港を制圧すれば、それは「侵略」に他ならない訳です。

――日米交渉中にもかかわらず、なぜ日本は南部仏印に進駐したのでしょうか。アメリカを刺激すると気付きそうですが...。

これには南部仏印に進駐する1年前、1940年9月に日本が行なった北部仏印(フランス領インドシナ北部)への進駐時の、アメリカの対応がカギとなります。フランスのドイツ降伏を受け、日本は北部仏印へ進駐します。日本はフランス側と交渉をした上で進駐しました。

この時、アメリカはどう対応したかといえば、日本へ圧力はかけたものの、ある意味、計算された圧力のかけ方を選んだ。日本側はアメリカから戦略物資である石油や屑鉄(鋼材の原料)を輸入していましたが、その輸入を許可制にしたのです。
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968凡人:2017/12/08(金) 12:50:01 ID:fmijQ1.60
許可制や禁輸といえば一見強硬ですが、この時アメリカは日本の飛行機が用いない「オクタン価87以上の航空機用ガソリン」と「潤滑油」のみを禁輸としました。ハルがいた国務省などは、「厳しい経済制裁や禁輸を日本に課せば、それは日本に南進や開戦の口実を与えるだけだ」と考えていたのです。

日本側は、1年前の北部仏印の時のアメリカ側の対応から類推し、南部仏印への対応を甘く予測しました。しかし、41年7月の日本の南部仏印進駐に対しては、対日輸出の全面禁輸という方策に出たのです。

写真=1941年、サイゴン市内の日本軍

――なぜこの時は全面禁輸になったのでしょうか?これまでのハルやルーズベルトの姿勢とは異なります。

実はここが面白いところで...。40年7月に日本が北部仏印に進駐したとき、ルーズベルトやハルに対して、財務省のモーゲンソーなど対日強硬派からは、「敵国日本に、なぜアメリカにとっても必須の航空用ガソリンなど輸出し続けるのか」といった批判が出ました。そのため、オクタン価での制限などの措置が取られた訳です。

ところが41年7月、日本の南部仏印進駐時には、アメリカ国内状況に変化が起きていた。41年夏、ルーズベルトとハルはワシントンを離れていました。

この2人の不在時に暗躍したのが、先のモーゲンソーです。彼は対日強硬派が影響力を持ちうる、外国資産管理委員会という機関に、禁輸に関する職務を専管させるようにしてしまいます。

ハルの国務省とルーズベルト大統領は、この委員会が対日資産の全面凍結と全面禁輸を実施していたことを、日本の野村大使からクレームがつけられるまで、なんと知らなかったのです。アメリカ側にも官僚制の対立があり、対日態度の差異による権力闘争があったということです。

写真=フランクリン・ルーズベルト(左)とモーゲンソー

――こうして3つの失敗を見ると、日本側の見通しの甘さというか、目算の甘さというのが如実に目立つ気がします。

見通しが甘いということではアメリカ側も同様で、日本側に強硬に出た理由は「資源に乏しく劣勢の海軍力しか持たない日本が、英米に対する戦争を始めるはずがない」と考えていました。アメリカ側の抑止の失敗が、日本の開戦決意でもあった訳です。日本側の失敗を反省するのは大事なのですが、ここで正しい反省の仕方をしないと、また同じ失敗を繰り返すだけです。

私がこの3つの岐路に関して詳しく分析した理由は、「国や個人が選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか」という点をチェックすることだと思うからです。

当時の軍部やジャーナリズムが誘導した見せかけの選択肢ではなく、世界が日本に示した本当の選択肢の形と内容を明らかにしつつ、日本側が対置した選択肢の形と内容について正確に再現することです。実のところ、太平洋戦争への道を回避する選択肢はたくさんありました。

――かつて加藤さんは「8月15日というのは、日本人が戦後歩んできた平和を噛み締める日だ」と定義していました。では、開戦の日となった12月8日は、国民にとってどんな意義がある日でしょうか。

太平洋戦争の奇襲攻撃という側面については、国民はやはり関与できてなかった。国民の多くは対英米強硬論に与しつつ、同時に「戦争はぎりぎりのところで回避されるのでは」との希望的観測をも抱いていたのではないでしょうか。そのような意味で12月8日は、「国民が国家の行く末に十全に関われなかった」ことを噛み締める日だと思います。

「軍部の失敗」という総括は、現在、戦前期の軍部と同様の組織がない以上、実のところ痛くもかゆくもない総括です。そうではなく、社会に溢れている見せかけの選択肢を「本当の選択肢は何だったか」と置き換えて考える癖、言い換えれば「歴史に立ち会う際の作法」というもの、これが3つの失敗の事例から学べるものだと思います。

加藤陽子(かとう・ようこ)1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史。2010年に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。著書に『徴兵制と近代日本』『戦争の日本近現代史』『戦争の論理』『戦争を読む』『満州事変から日中戦争へ』『昭和天皇と戦争の世紀』など多数。近著に『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』。
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969凡人:2017/12/09(土) 09:42:58 ID:fmijQ1.60
「マルクス主義と決別し、党名を変更することこそ、これまでの壁を打ち破っていける道」。存在自体が日本国憲法に違反していることに気付くべきである。世界で起こっている現実に目を開けば、マルクス主義は国民に平和や繁栄はもたらさないことは数々の事例が教えてくれる。単なる絵に描いた餅を追求するロマンは政治には要らない。あくまでも国民の目線で、国民の生活向上という現実に根ざさない限り、害悪でしかないだろう。
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【共産党研究】
マルクス主義と決別して党名変更するべき 社会主義目指している党員ほぼ皆無では?
2017.12.8 11:00 産経

写真=不破氏が隠然たる力を持つ東京・千駄ヶ谷の日本共産党本部

 連載第2回で、共産党のことを「雨宿り政党」と書いた。決して共産党を侮ったからではない。現実にそうなっているからだ。(夕刊フジ)

 一時的に600万票とか、700万票を獲得することがあるが、それは共産党自身の力によってではなく、ほぼ他党の動向によるものである。最終的には400万票前後に落ち着いている。

 95年間も営々として活動してきて、結局は同じところをぐるぐる回っているだけなのだ。

 最大の要因は、共産党という党名と共産主義社会を目指すという、その根本方針に根ざしている。日本共産党がどんなに否定しても、共産党という名前には「暴力革命」という言葉がついて回る。事実、ロシア革命も、中国革命も暴力革命だった。

 共産主義の理想がどうであったとしても、実際に出来上がった社会主義国の実態は、共産党一党独裁の人民弾圧の体制でしかなかった。

 不破哲三前議長は、朝日新聞(11月17日付)のインタビューで、「資本主義に代わる新しい社会を目指す革命がロシアで勝利した。マルクスの理論の中でしかなかった社会主義が現実化」したと述べ、続けて、「中国やベトナムなどで革命が起きた」と語っている。

 その一方で、「社会主義に到達した国は世界にまだ存在しない」(同前)とも語っている。だとすれば、ロシアや中国、ベトナムでの革命は何革命だったのか。社会主義革命と呼べないではないか。

 インタビューの最後では、「21世紀から22世紀をも展望しながら、日本に理想社会をつくる…政党です。党名には、その目標が体現されて」いるというのだ。目標到達まで、まだ100年以上かかるというのだ。こんなものは目標とは言えない。

 小池晃書記局長が「名前を変えろということはロマン、目標を捨てろということになる」と述べたらしいが、現存している人々が死に絶えている先の目標に、そもそもロマンが持てるのか。

 不破氏らの言い分は、マルクス主義の敗北宣言に等しい。

 個々の共産党員に対する評価は、「まじめ」だというものが多い。政党助成金を受け取っていないことに対しても、評価する声も少なくない。ブレない政治姿勢(=憲法などは大ブレ)も好感を持たれている。いま共産党に社会主義を目指して活動している党員など、ほぼ皆無のはずだ。党名変更という提起をすれば、党内からも大いに歓迎されるのではないか。

 マルクス主義と決別し、党名を変更することこそ、これまでの壁を打ち破っていける道だと思うのだが。=おわり

 ■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。議員秘書を経て1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』(イースト新書)など。

970凡人:2017/12/09(土) 10:00:48 ID:fmijQ1.60
「公明党」も「政教の分離」を謳っている日本国憲法によれば存在が疑問視される。信教の自由は保障されているので宗教活動は保障されているものの政治への公の介入は問題がある。

971凡人:2017/12/12(火) 08:59:37 ID:fmijQ1.60
ノーベル平和賞授賞式への渡航費 550万円集まる
2017年12月07日Yomiuri

Pic=募金成功を喜ぶ川崎さん(右から3人目)ら

 ノルウェー・オスロで10日に開かれるノーベル平和賞授賞式に広島と長崎の被爆者2人が出席するため、渡航費の募金活動を行ってきた恵泉女学園大学(多摩市)有志による実行委員会は6日、目標の120万円を上回る約550万円が集まったと発表した。

 平和賞を受賞する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は「被爆者こそ真の貢献者」として、被爆者2人の授賞式出席を決めたが、ノーベル賞委員会から渡航費が出ず、費用の工面が課題になった。

 ICAN国際運営委員の川崎哲さん(49)が講師を務めている同大の同僚らが中心となって募金を開始。都内の中高校生がおこづかいを寄付してくれたほか、個人で100万円の寄付があり、約1か月で約550万円が集まった。

 寄付が多額になったため、当初の2人以外に、核実験の被爆者ら海外の3人も授賞式に出席できることになった。自費参加の国内被爆者約20人の現地サポート費にも充てられる。

 記者会見で、川崎さんは「これだけ集まるとは予想しなかった。政府から渡航費支援はなかったが、日本の市民社会の核廃絶に向けた強い思いを実感した」と述べた。

972凡人:2017/12/15(金) 12:11:51 ID:rYKOYpgo0
米国を戦争に巻き込んだのは言わずもがな日本国。その報復が原爆。正々堂々と戦うならイザ知らず、平和交渉をしている最中に奇襲攻撃を駆けるというトリックプレイでの日米開戦。日本は提灯行列で祝ったのを忘れたのか。中国侵攻で日本兵に虐殺された何の罪もない住民である多くの婦女子の命は原爆で苦しんでいる人の命からみたら何の意味がないとでも言うのか。戦争は子供が犠牲になる。何の罪もない者が犠牲になる。それが戦争の悲惨さである。いつの間にか戦争の加害者側がまるでの被害者になる。もしも日本人が戦争の被害者として責任を追求するのならば、中国侵攻し、戦争拡大していった当時の日本軍部であり、日本政府がその責任を問われてしかるべきであろう。神社に英霊として奉ることがどんなに似つかわしくないか。また戦争をやめさせることが出来ないで、それに追従した当時の日本国民も責任が問われるべきである。このノーベル賞の場をかりて原爆を投下した米国を悪者と非難するのはまったくのお門違いであろう。
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ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文【国際】
2017年12月11日 夕刊 東京新聞

ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん=10日、オスロで(共同)

 十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。 
      ◇

 両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない
 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。
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974凡人:2017/12/15(金) 12:16:52 ID:rYKOYpgo0
▼叫び声聞こえた
 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

 このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない
 その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。
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975凡人:2017/12/15(金) 12:18:09 ID:rYKOYpgo0
▼終わりの始まり
 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって
 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 (オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる
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976凡人:2017/12/17(日) 09:55:51 ID:rYKOYpgo0
「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」の3つのウソ。
2015年05月02日(土) 09時30分00秒
https://ameblo.jp/kimurasatoru/entry-12021488406.html

東京オリンピック1964年の東京大学の卒業式で、大河内一男総長(当時)が、述べた言葉として新聞で広められたものです。しかし、「これにはいろいろ間違いがある」として、半世紀経った2015年の卒業式で、石井洋二郎教養学部長が式辞で述べてますw

まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。

まるで大河内総長自身の言葉であるかのように新聞が報道してしまったというウソ。

次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。

「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスである方がよい。」が正しい日本語訳。大河内総長が、原文とまったく違う恣意的改竄をしたのではないかというウソ。しかし、

じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。

実際の告辞の場では言わずに終わったのに、新聞では一斉に「太った豚より痩せたソクラテスになれ」という言葉が引用され、あっというまに流行語として広まってしまったというw

石井洋二郎学部長曰く、
健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑いましょう。ネットに流れている雑多な情報はただの一箇所も真実を含んでないし、コピペや無自覚なリツイートであやふやな情報が真実の衣を着て世間に流布されているので、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証することが大事だよ、という話です。

最後に、わたしが本当に好きな言葉を皆さんに贈って終えたいと思います。

「そんなわけでソクラテスは痩せているイメージになってますが、実際のソクラテスは肉体自慢のムキムキマッチョ」

977凡人:2017/12/19(火) 10:05:42 ID:rYKOYpgo0
高崎市関係では北関東、北高崎駅、県立高崎北高校もいいんじゃない?今年はなかなかいい線行っている。笑
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17年は「北」 清水寺で発表
毎日新聞2017年12月12日 14時09分(最終更新 12月12日 19時54分)

写真=今年の漢字「北」を揮毫する清水寺の森清範貫主=京都市東山区で2017年12月12日午後2時すぎ、小松雄介撮影

 日本漢字能力検定協会(京都市東山区)は12日、この1年の世相を表す「今年の漢字」に「北」が選ばれたと発表した。世界遺産・清水寺(同区)で、森清範(せいはん)貫主(かんす)が縦1.5メートル、横1.3メートルの和紙に揮毫(きごう)した。

 全国から寄せられた15万3594票の応募のうち、最も多かったのが「北」で、7104票だった。1995年に始まり今年で23回目だが、「北」が選ばれたのは初めて。

 理由は、「北」朝鮮の核・ミサイルの脅威のほか、九州「北」部豪雨▽大谷翔平選手の大リーグ移籍や早稲田実業・清宮幸太郎選手の入団などで注目が集まった「北」海道日本ハムファイターズ▽競馬で「キタ」サンブラックが大活躍--などだった。

 2位は「政」(3571票)▽3位は「不」(3323票)で、以下「核」「新」「選」が続いた。

 書は15日まで本堂で一般公開される。【宮川佐知子】

978凡人:2017/12/19(火) 10:07:48 ID:rYKOYpgo0
【ドラフト会議】早稲田実業・清宮幸太郎に、長嶋一茂氏の様な2世選手のジンクスか

日本ハム指名の清宮幸太郎が抱える「不安要素」
2017年10月29日 19時30分 まいじつ @ニフティ

10月26日にTBS系で生中継された『プロ野球ドラフト会議2017』の視聴率が13.4%(関東地区)だったことがビデオリサーチの調べで分かった。

「今年の目玉選手である早稲田実業高校の清宮幸太郎内野手のおかげです。彼は7球団から1位指名されましたが、高校生では現在阪神タイガース所属の福留孝介外野手が21年前の1995年に、当時史上最多の7球団に1位指名されて以来のことです(福留は近鉄バファローズの指名を拒否して3年後に中日ドラゴンズへ逆指名入団)」(スポーツライター)

競合の末、交渉権を獲得したのは北海道日本ハムファイターズだったが、同球団には早実から早稲田大学を経てドラフト1位で入団した斎藤佑樹投手が在籍している。24日には、やはり早実からヤクルトスワローズ(当時)にドラフト1位で入団した早実の先輩の荒木大輔氏が、日本ハムの二軍監督に就任することも発表された。この“トリプル早実”誕生は、日本ハムと清宮が赤い糸で結ばれた縁だったと言えるかもしれない。

一流選手の2世選手には成功者がいない

「早大進学も囁かれた清宮選手が、今回プロ志望届を出した背景には、早大に入って“劣化”した斎藤投手が頭にあったと思います。斎藤投手の例が反面教師になったのは間違いないでしょう。早実からすぐにプロ入りした荒木氏の場合も、故障さえなければもっと成績を伸ばせたはずです」(同・ライター)

清宮選手が“持っている”ことは間違いないが、一抹の不安があるとすれば、プロ野球界で一流選手の2世選手にはいまだ成功者はいないということだ。

「父は早大ラグビー部で選手だけではなく、監督としても大学選手権を制し、現在はトップリーグのヤマハ発動機ジュビロで監督を務める清宮克幸氏です。母も慶応大学ゴルフ部の元主将で、アスリート系の両親の元に生まれています。家は都心部にある3階建ての豪邸で、敷地面積は約100坪。地下には打撃練習ができる約20畳の施設もある“金持ちのお坊ちゃん”です。両親が野球経験者ではないにしても、お坊ちゃんで頭に浮かぶのは“あの人”たちです」(同・ライター)

長嶋一茂氏や野村克則(現ヤクルト・バッテリーコーチ)氏は、プロでは結果を残せなかった。プロで成功するには才能や努力はもちろん、厳しい環境で育ったという下地も重要なのだ。

979凡人:2017/12/19(火) 11:32:11 ID:rYKOYpgo0
その現場の写真がすべてを語っている。中学生の代表とやらが六人、長方形の長テーブルを挟んで3人が向かい合って座り、なにやらたくさんのノートが上に散らばっている。ある生徒はノートに書きものをしている。その後方に大人が二人、虎視眈々と様子を伺って立っている。一体誰なのか分からないが、真剣に中学生のグループを睨んでいる写真。「優等生」の中学生は大人をまったく裏切らない。大人が求めているモノを敏感に察知し、それを生み出して、大人の了解を得る。だから優等生になれる。そうやって大人の後ろ姿を見て育ってきた面々である。よくできました、ご褒美の3つマルです。管理社会では特にそうであるが、大人の鋭い監視下では中学生が本音を出すとでも思うのか?所詮はマスコミ宣伝のおとな(ここでは役所)のやらせである。それではまったく問題の核心は掴めないし、その防止策はまったくの茶番に終わる。
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SNS利用に「高崎ルール」 危険性や防止策を中学生が議論
2017年12月3日 東京中日

写真=SNSの危険性などについて班ごとに意見を発表する生徒たち=高崎市役所で

 会員制交流サイト(SNS)の使い方などを議題とする「中学生リーダー研修会」が二日、高崎市役所で開かれた。「SNS使用制限時間を午後九時とする」など使い方のルールに加え、悩みごとは家族や先生ら身近な人に相談することなどを盛り込んだ「高崎ルール」をまとめた。

 市教育委員会が市内中学校の生徒会役員を対象に開いた研修で、いじめ防止プログラムの取り組みの一環。二年生の約五十人が参加した。

 SNSがきっかけになった神奈川県座間市のアパートで九人の遺体が見つかった事件を受け、本県の県立高一年の女子生徒を含む犠牲者全員の冥福を祈って黙とうした。女子生徒の一人は「悲しい事件で県内の高校生も犠牲になり、ショックだ」と話した。

 「中学二年の女子生徒がSNSに気持ちを書き込み、何度かやりとりをした相手に『会って話をしませんか』と誘われ、指定の場所に行くと、若い男の人から声を掛けられた」との架空の設定をもとに、SNSの危険性や防止策について班ごとに議論。「個人情報が流出する」「相手がどんな人か分からない」といった問題点が指摘され、トラブルを防ぐために「身近に相談できる環境をつくる」「知らない人とは会わない」などの意見が挙がった。

 生徒の一人は「SNSでは世界中の誰ともつながることができるが、便利さの裏にある危険を理解して利用しなければならない。学校に戻って使い方をもう一度見直し、悲しい事件が起こらないようにしよう」と訴えた。 (大沢令)

980凡人:2017/12/20(水) 12:42:16 ID:rYKOYpgo0
在日朝鮮人の元慰安婦、宋神道さん死去
2017年12月19日16時05分 Asashi

写真・図版=宋神道さん=2011年

 韓国籍の在日朝鮮人で、戦時中に旧日本軍の慰安婦にされたとして唯一、裁判を起こした宋神道(ソン・シンド)さんが16日、老衰のため東京都内で死去した。95歳だった。葬儀は支援者らで営んだ。来年2月25日に「お別れの会」を都内で催す予定。

 朝鮮・忠清南道出身。確定判決などによると、朝鮮人女性に「戦地で働けばお金がもうかる」と言われて16歳で中国の慰安所に連れて行かれ、7年間、兵士の性の相手をさせられた。戦後は元日本兵に連れられて来日し、宮城県女川町で在日朝鮮人男性と同居した。

 1993年、日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴。東京高裁は2000年の判決で国際法上の国家責任を認めたが、宋さん個人の賠償請求権は否定し、訴えを退けた。03年に最高裁で敗訴が確定した。裁判に臨み、体験を語る姿を記録したドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」がつくられ、07年に公開された。11年の東日本大震災による津波で自宅が流され、東京に移住していた。

981凡人:2017/12/21(木) 15:47:24 ID:rYKOYpgo0
空自隊員「業務できず漫画喫茶宿泊」金欠で保護
2017年12月15日 17時37分 Yomiuri

 航空自衛隊岐阜基地は14日、飛行開発実験団整備群装備隊の40歳代男性1等空曹と、第2補給処の男性空士長(29)を懲戒免職処分にした。

 発表によると、1等空曹は8月30日、課業開始の午前8時15分になっても出勤せずに所在不明となり、そのまま11月19日まで、正当な理由がなく欠勤した。1等空曹は「月末までに終わらせる業務ができておらず、出勤したくなくなった」と説明しているという。この間、漫画喫茶に宿泊するなどしていたが、「所持金がなくなり、部隊に戻りたい」と、11月19日に各務原署に出頭し、保護された。

 一方、空士長は3月30日、射撃訓練中に岐阜基地内の射場から銃弾10発を無断で持ち出し、約200メートル離れた基地内の木の茂みに投げて隠したという。銃弾が足りないことで騒ぎになり、発覚した。空士長は「訓練に支障が出ることはわかっていたが、日頃のうっぷんを晴らすために衝動的にやった」と説明しているという。

982凡人:2017/12/30(土) 02:47:18 ID:7lHVsnX.0
トランプ大統領の能力/適性/功績と反トランプのエリート・メディア
President Trump vs. the anti-Trump elite media - ABC, NBC, CBS, New York Times, Los Angeles Times so forth.
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Newt Gingrich: Underestimate Trump at your peril
By Newt Gingrich | Fox News 12/29/2017

Would you believe that during his first year as commander in chief, President Trump hosted 43 world leaders at the White House. In total, he engaged or met with 149 world leaders in 2017. In 183 calls, the president spoke with leaders from 51 countries. Not exactly the lack of connectivity his critics expected a year ago.

When Trump won the election, his critics expressed great concern about his apparent lack of preparation and experience in foreign policy and national security.

Even Republicans in the foreign policy and national security establishment were deeply opposed to the Trump presidency because they believed he lacked sufficient knowledge to lead.

As I pointed out in my #1 New York Times best seller “Understanding Trump,” it is easy to underestimate the speed at which Trump learns. He listens constantly (I tell folks he always listens, but he doesn't always obey). He is endlessly curious about virtually everything. He built a worldwide corporate system, which includes hotels, office buildings, golf courses, books, wine, and a successful reality show. That took constant curiosity as he stretched again and again beyond the real estate skills his father taught him back in Queens.

It is easy to underestimate the speed at which Trump learns. He listens constantly (I tell folks he always listens, but he doesn't always obey).

One of the keys to the Trump learning system is his intuition about personnel. He has hired a lot of people in his life, and he has a pretty good instinct for defining what he needs. For his national security team, he brought in Marine four-star General James Mattis to be Secretary of Defense, Army three-star Lieutenant General H. R. McMaster to be National Security Adviser, and Marine four-star General John Kelly to be Secretary of Homeland Security. Kelly proved so effective, the president brought him in to be White House Chief of Staff. It would be hard to suggest that Trump has lacked competent professional military advice.

That may also explain why after years of the Obama team's failure to defeat ISIS, the new Trump team calmly and professionally destroyed its territorial base in less than a year. In fact, the Trump team was so efficient and competent, the victory has been virtually unnoticed in the anti-Trump elite media.

According to the Daily Caller, “ISIS retains historically low numbers of fighters, controls little territory and has lost much of its command and control facilities in Iraq and Syria. The vast majority of the military progress against the group occurred in 2017.”
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983凡人:2017/12/30(土) 02:49:43 ID:7lHVsnX.0
Part of his success has been due to Trump’s ability and willingness to listen to leaders who host him when he travels. During the Arab Islamic American Summit in Riyadh, Saudi Arabia, not only did the king of Saudi Arabia meet Trump at the airport, but he was at his side any time Trump was in public during his stay. The amount of time in which they had to compare notes and discuss Iran, terrorism, and Israel was significant and historic.

At the State Department, Trump wanted a major leader as Secretary of State, and as the CEO of ExxonMobil, Rex Tillerson seemed the central casting vision of a global leader. He had routinely made billion-dollar deals, and he was comfortable and experienced in dealing with world leaders. In the first six months of the new administration, Tillerson played an important role in calming fears until people around the world got to know Trump.

When the president made his controversial decision to move the Israeli embassy to Jerusalem, he had been talking with every major American ally in the region for weeks. No one was surprised, and their approving reactions have been muted by the elite media.

Trump's growth as a foreign policy and national security leader is something which deserves major acknowledgment in every year-end review of 2017. Donald Trump is not the president his critics feared. He is adroitly learning the trade of presidential leadership at a rapid pace.

P.S. On Wednesday, I wrote about how dishonest the media has been about Trump’s achievements. On Thursday, I found more confirmation. The elite media has written endlessly about the president’s supposedly low approval ratings, yet a recent Rasmussen poll shows that Trump’s approval rating was nearly identical to Obama’s on December 28, 2009.
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Newt Gingrich is a Fox News contributor. A Republican, he was speaker of the United States House of Representatives from 1995 to 1999. Follow him on Twitter @NewtGingrich. His latest book is "Understanding Trump."
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984凡人:2018/01/06(土) 18:55:16 ID:AaSPFmRQ0
村社会の日本と日本人。戦後生まれの、最高学府であるはずの、ブレインを働かせれば克服できる筈の大学-高崎経済大学-ですら、其処から抜け出せず、村社会の最悪をみる。
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貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」
2017.12.28 窪田順生:ノンフィクションライター 

マスコミが連日垂れ流す貴乃花親方バッシング。まるで集団リンチのような暴行事件そのものよりも、貴乃花親方の言動の方がはるかに問題だ、とでもいうような風潮が出来上がってしまっている。ここには、日本社会が蝕まれている重大な「病」が潜んでいる。(ノンフィクションライター 窪田順生)

写真:冷静に考えてみれば、横綱も同席した場で起きた、まるで「集団リンチ」のような事件よりも、貴乃花親方の言動ばかりが問題視される風潮は、狂っているとさえ言える。この狂気は、日本社会が長らく蝕まれてきた「病」で、非常に厄介なものだ(日刊スポーツ/アフロ)

■何も語らぬ貴乃花親方に向けたバッシングが止まらない
 日本型組織の「制度疲労」から来る不正や不祥事が連発した2017年もようやく終わりを迎えようかという年末、最後の最後に日本型組織のクレイジーさを象徴するような「騒動」が起きてしまった。

 今日、日本相撲協会から重い処分が言い渡される貴乃花親方に対し、連日のように行われている「バッシング」である。

 貴乃花親方が何も語らぬのをいいことに、「協会関係者」なる人物たちが好き勝手に貴乃花親方をディスり、それをマスコミがノンフィルターで右から左へ垂れ流すという、見ていてあまり気持ちよくない「印象操作」が続いているのだ。

 わかりやすいのは、貴乃花親方の聴取が行われた翌日、マスコミが報じた「協会関係者」なる人物の主張だろう。「警察から協会に事情を伝えた方が正確だ」という趣旨のことを親方が主張していることに対して、こんな調子で一蹴した。

《「そんな話は世の中に通じないだろう」と述べ、巡業部長としての責任を果たしていないとの認識を示した。》(日テレNEWS24 12月26日)

 翌日になると、この聴取で貴乃花親方が、「自分は間違っていない」とダダッ子のように主張したという情報が相撲協会からリークされ、再び「協会関係者」が登場。誰も頼んでいないのに、ワイドショーのコメンテーターばりに「論点整理」を行っている。

「協会の執行部が事態を把握したあと理事会にすぐに報告しなかった方が問題だ」(日テレNEWS24 12月27日)

■貴ノ岩の主張が正しいならば事件は「集団リンチ」である
 こういう報道ばかりが世に溢れると、素直でピュアな日本人は、なにやらこの騒動の元凶は、非常識で、組織人失格の貴乃花親方にあるような気がしてしまう。事実、ワイドショーに出ている相撲記者歴ウン十年みたいなロマンスグレーのおじさま方や、評論家のおじさんたちは、「こんなワガママは組織人として許されませんよ!」とか声を張り上げている。

 だが、筆者に言わせると、これは完全に相撲協会側の「印象操作」がもたらしたミスリードだ。

 今回の騒動で本当に「問題」なのは、貴乃花親方による報告がなかった云々ではない。

 白鵬という、この世界の絶対的権力者が、日馬富士が貴ノ岩をボコボコに殴っていた間も、ずっとそれを見ていたということ。さらに、現場にいた力士たちと、被害者である貴ノ岩の主張が完全に食い違っているということだ。

 もし貴ノ岩の主張が正しければ、これは日馬富士による単なる暴行事件ではなく、大横綱・白鵬の「この生意気な奴に体で分からせてやれ」という思いを「忖度」した、横綱や力士たちによる「密室の集団リンチ」である。

 このような組織内の絶対権力者が関与した犯罪を、組織内で断罪することが困難を極めるというのは、さまざまな事例が証明している。たとえば、シリコンバレー発の最先端企業Uberでも、「ハイパフォーマー」と呼ばれる超エリート社員にセクハラされた女性が人事部に訴えたところ、「キミのことを切ろうと思えばいつでも簡単に切れる」と逆に脅され、この女性はクビに追いやられた。

 もし貴ノ岩と貴乃花親方が暴行発覚後に協会にすべてを打ち明けても、彼らの主張はネグられ、日馬富士と白鵬という「ハイパフォーマー」を擁護するような対応が行われた可能性が高いのだ。
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985凡人:2018/01/06(土) 18:57:15 ID:AaSPFmRQ0
■マスコミはなぜ相撲協会の思惑に乗るのか?
 なぜ「殴られる理由がない」と主張する貴ノ岩がボコボコにされる間、白鵬はカラオケのリモコンという凶器が登場するまで止めなかったのか。「問題」の根っこはここにあるのではないか。

 今年1月、貴ノ岩は白鵬から初金星を挙げた。そのおかげで、白鵬は優勝を逃している。そのようにメキメキと頭角をあらわしてきた後輩を、説教の末、密室で「かわいがり」を行えば、かねてから囁かれる「モンゴル勢の星の回し合い」が疑われても仕方がない。

 このあたりを追及するために、マスコミが白鵬を連日追いかけ回すのなら分かるが、現実には、マスコミは貴ノ花親方を追いかけ回して、やれ「非常識だ」「態度が悪い」「ここまでくると異常だ」と大騒ぎをしている。

 要するに、大横綱がからむ「集団リンチ」の真相究明ではなく、「組織への報告がない」ことの方が「問題」だというのだ。

 完全に狂っている。では、なぜ狂ってしまうのか。

 相撲協会は興行のドル箱である白鵬や鶴竜という横綱にこれ以上、ネガティブイメージを付けたくないという思惑があるが、マスコミまでが、なぜかその思惑に丸乗りし、貴ノ花親方バッシングに加担をしている。

 バカなのか。いや、バカではない。実は相撲協会とマスコミはある一点で非常によく似ている。それは「極度に閉鎖的なムラ社会」だということだ。「ムラ社会」というのは基本的に、貴ノ花親方のようなタイプの人間は大っ嫌いである。「ムラ」の秩序を乱す者は、組織の総力を挙げて潰さなくてはいけない。

 その逆に、少しくらいの不正、少しくらいの暴行などを行っても、それが「組織のため」という大義名分があれば、「ムラの功労者」として表彰される。後輩をボコボコに殴った日馬富士が「礼儀を教えるため」だと述べたことに対して、「男らしくて立派だ!」「引退なんてしなくていい!」ということをおっしゃる方がいるのが、その証左だ。

■ムラの論理という「病」に蝕まれている日本人
 この「ムラの正義」は日本の伝統みたいなもので、たとえば、古くはロッキード事件の時の大企業が分かりやすい。事件が摘発され、某大手商社の総務課長と、秘書課長が逮捕された。2人は事件への関与が疑われた同社の会長や専務の自動車行動表などを破り捨て、「証拠隠滅」を図ったという容疑だった。2週間近く拘置されて釈放された2人は、会社のあちこちから「ごくろうさま」と声をかけられ、「英雄」として祝福された。若い社員が当時、「朝日新聞」の取材にこう述べている。

「企業防衛のために、トップの指示に従った社員が逮捕されるなんて……。僕がその立場だったら、同じことをしていた」(朝日新聞1981年1月5日)

「ムラ社会」では、「ムラ」を守る人は常に清く正しい。その逆に「ムラ」を裏切る人間は、私利私欲にまみれて汚れているとされる。業界の不正や悪習を「内部告発」した人間が総じて激しいバッシングに遭うのは、この「ムラの論理」があるためである。

 こういう考えは閉鎖的な業界であればあるほど強い。相撲協会はその典型だが、実はマスコミも負けていない。記者クラブ制度に代表されるように、この世界では、「ムラ」に入らないと情報にアクセスすらできない。

 つまり、貴ノ花親方へのバッシングというのは、相撲協会とマスコミという2つの「ムラ社会」が、「ムラの秩序を乱す者への憎悪」をこじらせた結果なのだ。

 なんてことを言うと、マスコミや相撲協会を特殊な社会だと言っているように思うかもしれないが、そんなことはない。「ムラの論理」というのは、何もこれらの業界だけではなく、日本社会全体が長い歴史の中で侵されてしまっている「病」のようなものだからだ。

 1921年、「タイムマシン」「宇宙戦争」などで知られる作家H.G.ウェルズが、「増子」と「野口」という2人の日本人と会って、教育について議論をした。その際にこの2人の日本人は自国の教育について、このように述べたという。

「日本人が子供を育てる方法は欧米の夫れと全く正反対である。日本人はその子供を本来の性質とまったく異なった方向に向けて了ふ。日本人の中心思想は従順と奉公である。我々のあらゆる感情や詩歌、数世紀に亙る伝統は忠誠――盲目的な没批判な忠誠、妻は夫に、下僕は主人に、そしてすべての臣民は君主に対して忠誠でなければならぬと教えるのである。此の忠誠は全く宗教的である」(朝日新聞1921年11月30日)
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986凡人:2018/01/06(土) 18:58:42 ID:AaSPFmRQ0
■大正時代から今に至るまで日本人の根本は変化していない
 マスコミや相撲協会が、目の前で放置されている白鵬が関わる「問題」よりも、貴ノ花親方の立ち居振る舞いを「問題」だと大騒ぎするのは、すべてはこの100年以上前から続く「宗教」のせいなのだ。

 働き方改革を謳っても過労死やパワハラがなくならいのも、多様性が大事だと謳ってもセクハラや差別がなくならないのも、「組織に対する盲目的な忠誠」というものが、宗教のように我々の心に刷り込まれているからではないか。

「従順と奉公」が正義とされる社会では、「上」に逆らうものにはどんな手を使ってでもこの正義を分からせなくてはいけない。では、どう分からせるかというと、罵詈雑言を浴びせたり、白鵬のような説教をしたりして精神的に追いつめて従わせるか、力づくで従わせるしかない。これが日本社会に蔓延するパワハラや「いじめ」の正体だ。

 そんなのはお前の妄想だという声が聞こえてきそうだが、先ほどご紹介した、H.G.ウェルズと議論した2人の日本人も、「従順と奉公」が我々日本人にとって、自分の力だけではなかなか克服できない「病」のようなものだと認めている。彼らは欧米では、自由思想を養い、おかしなことは目上の者であっても批判するという文化があるとして、以下のように述べている。

「恐らく此の方法は結局に於て優れたものであり、力強いものであらう。然し乍ら日本人にはそれが正常なものではない危険なものだと言う風に思われるのである」(同上)

 おかしなことを「おかしい」と指摘して行動を起こした者は「異常」であり、「危険」な存在とされる。大正時代の人々が気づいた日本人の「病」を、平成の世に生きる我々は、まだ克服できていない。
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987凡人:2018/02/08(木) 11:19:44 ID:AaSPFmRQ0
時代の要請に柔軟に対応するカナダの民主主義。国歌への扱いをみても日本の権力の思考構造が独特であることが分かり面白い。カナダは英連邦のひとつ。隣接している国同士は領土問題とかで仲が悪いが、長い国境を共有しているアメリカとはことのほか仲がいい。カナダ出身が少なからずアメリカ芸能界で有名になって活躍しているのも特筆。
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カナダ国歌、ジェンダーフリーに 変更法が成立
[2018/02/08]上毛

 【ニューヨーク共同】カナダ国歌「オー・カナダ」の歌詞を一部変更し、性の区別をなくす法案が7日、同国総督によって承認され成立した。メラニー・ジョリー民族遺産相が明らかにした。9日開幕の平昌冬季五輪でカナダ人選手が金メダルを獲得すれば、新しい歌詞の国歌が斉唱される。

 トルドー首相率いる自由党政府が推進しているジェンダー(社会的・文化的性差)間の平等に向けた取り組みの一環。「汝の息子全ての中に流れる真の愛国心」が「われわれ全てに流れる真の愛国心」と変更された。

 下院で7日、議員らが新しい歌詞の国歌を斉唱すると、大きな拍手に包まれた。

988凡人:2018/02/09(金) 23:52:10 ID:AaSPFmRQ0
生徒44人の髪切る、高校側「服装指導の一環」
2018年02月09日 11時11分Yomiuri

 富山県立水橋高校(富山市、全校生徒477人)で今年度、教員6人が服装指導の一環として男女計44人の生徒の髪の毛をはさみで切っていたことが分かった。

 中田靖弘校長は9日朝の全校集会で生徒に謝罪し、指導方法を見直す考えを示した。

 同校は校則で、男女とも前髪は眉にかからない程度、男子の側頭部は耳にかからない程度、女子の長髪はゴムで留めるなどと定めており、毎月、全ての生徒の頭髪を検査していた。同校によると、その際、校則の基準を超えた部分の髪を切っていた。切った髪は数ミリで、生徒の了承は得ていたという。

 中田校長は取材に対し「あってはならない指導で、生徒や保護者に申し訳ない。時代に合わせて、校則や検査のあり方を考えたい」と話した。検査は以前から行われており、同校は頭髪を切る指導が過去にも行われていたかどうかを調査する。

989凡人:2018/02/15(木) 16:05:54 ID:AaSPFmRQ0
朝鮮人追悼碑訴訟判決 「表現の自由」で疑問残る判決【群馬】
2018年2月15日東京中日

<解説> 今回の判決は、政治的行事を規制した朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の設置条件と、設置更新の不許可処分がそれぞれ「表現の自由を侵害する」という、市民団体側の主張を認めなかった点で疑問が残る判決だ。

 判決では、「公園が政治目的に利用された場合、異なる意見、考え方を持つ者などが自由に利用することが困難になることも想定される」との趣旨の指摘をして、設置条件の合理性を認めた。

 しかし、仮に市民団体が政治的な発言をしたとしても、違う意見を持つ市民もそれを許した上で、お互い自由に意見を交わすことこそが、民主主義の根幹を支える表現の自由なのではないか。

 追悼碑を巡っては、碑と同じ公園内にある県立近代美術館の企画展で昨春、県内の美術家が碑をモチーフにした作品を出品したが、県が係争中を理由に開催直前に美術家に撤去させた。この際にも「表現の自由」に絡んで議論が起きた。今回の判決により、県が今後の県政運営で「表現の自由」に対してより厳しい姿勢を示すことが懸念される。

 追悼碑の問題では、県は碑文の中に市民団体が主張した「強制連行」との言葉を認めなかった経緯がある。碑文の内容に不服な一部の保守団体は碑の撤去を求めている。しかし、県内では、大戦中に労務動員した旧ハザマが社史で自ら、朝鮮人を「強制連行」したと史実を認めている。

 今回の判決は「強制連行」という言葉には歴史的に踏み込んだ判断は示していない。ただ、碑を巡る一連の動きにより、日本とアジア諸国との間で起きた戦前の不幸な史実に正面から向き合い、次世代へ誠実に伝える姿勢も同時に問われている。 (菅原洋)

990凡人:2018/03/06(火) 03:13:47 ID:AaSPFmRQ0
日本国憲法と違ってアメリカの憲法は日常生活に生きている。それを証明するかように最高法規が保障する言論や発言の自由がオスカーの授賞式でもみられる。それは映画産業に限ったことではない。さまざまな公式の場でも公然と、政権の批判を含んだ政治的な発言が飛び交う。その発言内容により人間の価値が決まるかのように。
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Oscars host Jimmy Kimmel makes anti-GOP jabs after first professing positivity
By Tyler McCarthy | Fox News

The Academy Awards get political: A look at the jabs

From President Trump to Dreamers, the Academy Awards didn't shy away from going political. Here is a roundup of host Jimmy Kimmel's and other presenters' controversial comments.

The unique monster movie "The Shape of Water" took home the award for best picture at the 2018 Academy Awards on Sunday, as host Jimmy Kimmel and some stars brought things to a political place during Hollywood’s biggest award show of the year with jabs at President Trump, Vice President Mike Pence and even Fox News viewers.

Despite calling for a show filled with positivity, both the host and stars like Common, Kumail Nanjiani and Lupita Nyong'o made the movie-centric show political.

Kimmel began with an old-timey announcement in which he listed the stars in attendance, making his first political jab with “Black Panther” actress Lupita Nyong’o.

The Academy Awards tend to go a little long. In order to keep the telecast moving, host Jimmy Kimmel offered a unique prize to the winners, a jetski. Watch the funny moment.

“The stunning Lupita Nyong’o, she was born in Mexico and raised in Kenya,” Kimmel said at the top of the show. “Let the tweetstorm from the president's toilet begin!”

From there, the host launched into a positive monologue that poked fun at the whirlwind year in Hollywood, which saw the #MeToo and Time’s Up movements dominate the headlines and previous award shows. In commenting on the year’s diversity, he highlighted “Get Out” helmer, Jordan Peele.

“Jordan is only the first person in 90 years to be nominated for directing, writing and best picture for his debut film,” he said. “What a debut it was. None other than President Trump called ‘Get Out’ the best first three quarters of a movie this year.”

The final political jab came when discussing the gay romance film “Call Me By Your Name.” The host noted that the film, despite being an Oscar-nominated feature, did not score big at the box office.

“We don’t make films like ‘Call Me By Your Name’ for money,” he quipped. “We make them to upset Mike Pence.”

He lauded the actual Oscar statue, noting its age of 90 and taking a swipe at Fox News viewers in the process: "Oscar is 90 years old tonight, which means he’s probably at home tonight watching Fox News."

(In fact, according to Nielsen Media Research, the median age of Fox News is 65, meanwhile MSNBC is 66 and CNN is 59.)
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991凡人:2018/03/06(火) 03:24:14 ID:AaSPFmRQ0
Sam Rockwell accepts the award for best performance by an actor in a supporting role for "Three Billboards Outside Ebbing, Missouri" at the Oscars on Sunday, March 4, 2018, at the Dolby Theatre in Los Angeles.

Pic=Sam Rockwell took home the Oscar for best supporting role for his part in “Three Billboards outside Ebbing, Missouri.” (AP)

He also said the Oscar, "Keeps his hands where you can see them, never says a rude word, and most importantly no penis at all. He is literally a statue of limitations."

The host ended his opening monologue by explaining that winners are allowed to say whatever they want in their acceptance speech, encouraging people to comment on the recent shooting in Parkland, Fla. as well as other activism with regards to the #MeToo movement.

From there, the show launched into its first trophy of the evening, with Sam Rockwell taking home the Oscar for best supporting role for his part in “Three Billboards outside Ebbing, Missouri.”

In later quips, the host commented on the recent departure of Hope Hicks from the White House, joking there was now a lack of hope at the White House.

Later, after the best documentary feature award went to “Icarus,” a film that portrays an unflattering look at doping in sports, particularly with regards to the recent scandal in Russia, Kimmel made another jab at the current political climate.

"I did it all by myself," Janney joked before launching into her speech, in which she thanked a bird.

“Now at least we know Putin didn’t rig this competition, Right?”

Kimmel wasn't the only one getting political throughout the night. Stars Kumail Nanjiani and Nyong'o took the stage to share a message of support to Dreamers ahead of announcing "Shape of Water" as the winner of best production design.

“Like everyone in this room and everyone watching at home, we are dreamers. We grew up dreaming of one day being in the movies. Dreams are the foundation of Hollywood and dreams are the foundation of America,” Nyong’o said.

“To all the dreamers out there,” Nanjiani continued. “We stand with you."

The next major award of the evening went to Allison Janney, who took home the Oscar for best actress in a supporting role for her work on "I, Tonya."

"I did it all by myself," she joked before launching into her real speech, which included a thanks to her bird co-star from the hit ice skating biopic.

In the biggest stunt of the evening, Kimmel wanted to thank moviegoers for their contribution to the industry. He enlisted the help of celebrity volunteers from the crowd to surprise a group of unsuspecting people at a nearby theater who thought they were seeing “A Wrinkle in Time.”

The starpower for the stunt included Ansel Elgort, Mark Hamill, Guillermo del Torro, Gal Gadot, Lupita Nyong’o, Emily Blunt, Armie Hammer, Lin Manuel Miranda and Margot Robbie

Kimmel and Gadot entered first before inviting the others in, armed with candy, a hot dog cannon and sandwiches.

“This is so much better than the Oscars,” Gadot said, before Kimmel noted that the theater had a stench of marijuana.

“It’s true,” she said. “Not that I would know.”

From there, Kimmel asked a random audience member to introduce Tiffany Haddish and Maya Rudolph to introduce the next category.

Dave Chappelle took the stage soon after to introduce a musical performance from Common and Andra Day to perform “Stand Up for Something” as an ode to American activism with politically charged lyrics about topics like the NRA, the Parkland shooting, immigration, feminism and Puerto Rico.

Pic=Common and Andra Day performed a song accompanied by activists at the 2018 Oscars. (Reuters)
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992凡人:2018/03/06(火) 03:26:34 ID:AaSPFmRQ0
As they sang, famed activists Alice Brown Otter (Standing Rock Youth Council), Bana Alabed (author and Syrian refugee), Bryan Stevenson (Equal Justice Initiative), Cecile Richards (Planned Parenthood Action Fund), Dolores Huerta (Dolores Huerta Foundation, United Farm Workers of America), Janet Mock (#GirlsLikeUs), José Andrés (ThinkFoodGroup), Nicole Hockley (Sandy Hook Promise), Patrisse Cullors (Black Lives Matter) and Tarana Burke (Me Too) took the stage behind them, with one holding up a Puerto Rican flag at the end of the performance.

After that, a pre-taped segment in which actors, directors and many more spoke about the diversity of the year and the rise of diversity and the “#MeToo” and Time’s Up movements. The segment was a complete about-face from last year, in which the awards were criticized for a total lack of diversity.

“Some of my favorite movies are movies by straight white dudes about straight white dudes,“ Nanjiani said in the video. ”Now straight white dudes can watch movies starring me and you relate to them. It’s not that hard, I’ve done it my whole life.”

"I remember going to see 'Wonder Woman,' sitting in the theater and hearing women cry at this big action extravaganza. And something clicked," Berry Jenkins said. "And I’ll say it, this is what white men feel all the time, and all these women are having this experience for the first time. I imagine it will be the same thing when people go see 'Black Panther.'”

From there, "Call Me By Your Name" was awarded best adapted screenplay right before Jordan Peele took home a historic trophy for best screenplay with "Get Out."

Soon after, though, the first female nominated for best cinematography, Rachel Morrison, lost out to Roger A. Deakins for "Blade Runner 2049."

From there, “Shape of Water” took home the award for best musical score and the animated film “Coco” won best song for “Remember Me” before the special musical tribute to the artists we've lost this year.

Eddie Vedder took the stage to sing Tom Petty's "Room at the Top" as images of departed actors, directors and others in showbusiness flashed on screen. John Heard, Martin Landau, Glenne Headly, Roger Moore, Sam Shepard and Jerry Lewis were given special mention.

From there, it was time for the biggest awards of the night, starting with best director.

“These four men, and Greta Gerwig,” Emma Stone joked while announcing the nominees, noting the only female-nominee in the category.

Guillermo del Torro ultimately took home the trophy, though.

He thanked everyone for giving him and everyone in showbusiness an opportunity to "erase the lines in the sand."

"We should continue doing that when the world tells us to make them deeper."

Pic=Guillermo del Torro took home the award for best director and best picture for "The Shape of Water." (Reuters)

The coveted award for best actor in a leading role came next, with Jane Fonda and Helen Mirren taking the stage to discuss the “#MeToo” movement. They announced Gary Oldman for his portrayal of Winston Churchill in “The Darkest Hour.”

“Put the kettle on, I’m bringing Oscar home,” he said to his 99 year old mother watching at home.

From there, Jennifer Lawrence and Jodie Foster took the stage to announce Frances McDormand as the winner of best actress for “Three Billboards Outside Ebbing, Missouri.”

While accepting her award, the star asked every female that was nominated in any category in 2018 to stand before making a plea to Hollywood to finance their stories and their projects. Her parting words for the academy were "inclusion rider."

When it was all said and done, Guillermo del Torro took the stage to thank the youth for showing how films should be done while he accepted the award for best picture for his film "The Shape of Water."

"This is a door, kick it open and come in," he said.
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993凡人:2018/03/08(木) 21:43:11 ID:AaSPFmRQ0
「身の危険を感じ、ドイツに移住した」。右翼暴力集団と権力との水面下での癒着、民主主義の基本である言論の自由や個人の人権を守る憲法さえ軽視あるいは無視される日本なら当然だろう。
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【東京MXニュース女子問題】
BPOの人権侵害認定に辛淑玉氏「放送人の最後の良心」 公開討論は拒否
2018.3.8 21:08 産経

会見中に涙ぐむのりこえネット共同代表の辛淑玉氏(中央)=8日、東京都千代田区の衆院第二議員会館(三枝玄太郎撮影)

 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会が8日、沖縄県の基地反対運動を扱った東京MXテレビの情報バラエティー番組「ニュース女子」で、市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉(シン・スゴ)共同代表(59)の名誉を毀損(きそん)する人権侵害があったと認めたことを受け、辛氏は同日、東京都内で記者会見し、「民族差別と認定され、涙が出た」などと語った。

 「報道内容が差別的だ」とする辛氏らの訴えに対し、BPOは、出演者の発言、テロップ、ナレーションなどを重ねて流すことで、辛氏が「基地反対運動の黒幕」と受け取られる内容になっていたと認定。「各事実の真実性は立証されておらず、名誉毀損が成立する」とした。

 辛氏は「放送人としての最後の良心だ。これはダメなんだと明確に指し示してくれた」とBPOの判断を評価。同席した神原元弁護士は「(辛氏が)基地反対運動の黒幕であるというのはデマであって、悪質な人権侵害であることが確定した。蒸し返すような言動があれば、法的措置を取る。沖縄のデマは絶対に許さない」と強調した。

 番組放送後、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたと訴える辛氏は「ネットは散弾銃だ。撃たれたら拡散する。検証する術がない」と主張。身の危険を感じ、ドイツに移住したことを明かし、「朝、ポストを開けて普通の便りが届くことが、こんなに楽しいことかと思った」と述べた。

 一方で、「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員、我那覇真子氏(28)からの公開討論を求める質問状については、「デマに対して答える必要はない」と述べた。(WEB編集チーム)

994凡人:2018/03/13(火) 03:44:11 ID:AaSPFmRQ0
1年前の記事。安倍政権が早く実現を目指している憲法改正の「本当」の意図、本音が分かって面白い。天皇主権、戦前教育の強化、民主主義を廃止、日本国を戦前に復帰すること。現行の民主憲法をいま反古にすれば、権力が我がもの顔の天皇主権の過去に戻る舞台ができる。そこで一番助かるのは安倍自身。彼の権力を利用した違法行為の数々がいとも簡単に、愛国心の大義名分によってに葬ることができる、戦前のように。
School For Scandal
Japan’s Shinzo Abe Could Be Brought Down by Kindergarten Corruption
A scandal involving the prime minister, his wife, the Shinto cult Nippon Kaigi, and an elementary school in Japan may teach Shinzo Abe, at last, the need for humility.
03.31.17 1:00 AM ET Jake Adelstein/Mari Yamamoto/The Daily Beast

TOKYO, Japan―A right-wing elementary school, espousing the nationalist philosophy of the Shinto cult and lobby Nippon Kaigi and supported by Prime Minister Shinzo Abe and his wife, Akie, was supposed to have a glorious opening a few days from now.

But in an unexpected turn of events, the school, which was to be named after Shinzo Abe, may result in his political funeral.

What started as a small scandal only reported locally has in a very short tim, turned into a colossal headache for everyone involved.

Here’s how it happened.

A private school operator, Moritomo Gakuen, has run Tsukamoto Kindergarten in Osaka since 1950; the school currently teaches its children “an alternative history” of World War II, promotes Emperor worship, extreme patriotism and pre-war education.

Abe and his wife expressed support for the school.

For years, the head of the school, Yasunori Kagoike, had wanted to open a large elementary school in the area but couldn’t find a good deal on land―even as he raised funds in the interim.

The school ostensibly was to be named “Abe Shinzo Memorial Elementary” and, starting in March 2014, Moritomo Gakuen briefly collected donations under that school name. Akie, Abe’s wife, even agreed to be the honorary principal, but at some point in time asked for the school to be opened with a different name.

On February 9, the Asahi Shimbun, Japan’s second largest newspaper, with a relationship to Prime Minister Abe rather like the not-so-friendly relations President Donald Trump and the New York Times, revealed that the school had obtained the land from the Japanese government under dubious circumstances.

It then became clear that the school had bought the land, valued at over $8 million, for almost a tenth of its real value.

By any account, that’s quite a steep discount―even if the property had been devalued because of trash on the premises (as Mr. Kagoike claims).

It’s not clear how the Ministry of Finance, which was in charge of the land, determined the depth of the discount, because critical records have gone missing or been deliberately discarded.

What we do know is that the 8,770 square meters of land located in Noda-cho Toyonaka City Osaka was valued at 965 million yen ($8.7 million) by a real estate appraiser. However, according to Asahi Shimbun’s article on February 9, Moritomo Gakuen bought the land in June of 2016 for 134 million yen ($1.2 million), a fraction of the appropriate price.

As the school owner’s ties to the Abe administration have come to light, they have generated a lot of speculation that the prime minister or members of the Abe cabinet intervened on behalf of the school in order to seal the deal. It has also focused attention on the imperialist educational curriculum of the school, which Abe supports, and the racist comments of its administrators.

Those are rather more problematic. Even if the school scandal does fade away, the question will remain―should a prime minister who supports a school promoting racism really be the front man bidding for the 2020 Olympics to be held in Japan?

That is no small thing. A country might fail in its bid for such a distinction for many reasons. But to fail on account of racism? That’s not acceptable.
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995凡人:2018/03/13(火) 03:46:39 ID:AaSPFmRQ0
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One thing that connects Prime Minister Abe and Kagoike is that they are, or were, members of the aforementioned religious cult Nippon Kaigi.

According to Mainichi Shimbun Kagoike was the Osaka branch leader of Nippon Kaigi until his departure from the group in January 2011, based on a statement on the group in March 2017.

It is unclear if Kagoike really has cut ties with the group since he was still wearing his Nippon Kaigi badge at a press conference on March 10 this year.

Shinzo Abe is also a member, as are more than a dozen ministers in his cabinet.

The group wants to rebuild the military, claims that Japan’s goal in World War II was to “liberate” Asia from western colonialism, and that Japan must free itself from the democratic constitution created after World War II and notions of “human rights.”

The elementary school was going to be Japan’s first and only Shinto elementary school, which would “respect Japanese propriety and nurture patriotism and national pride.”

According to the weekly magazine Bunshun, Akie Abe had visited the Tsukamoto Kindergarten, run by Moritomo Gakuen, three times in the past and had been in her own words “deeply inspired” by the educational principles of the institution which included the recitation of the “Imperial Rescript on Education” issued in 1890.

Akie Abie also admired the students’ participation in Self-Defense Force related events and their practice of worshipping at Ise Shrine.

Here, at last, would be a place where children could learn “alternative history” and build a bright shining future for Imperial Japan.

Of course, the school has had some issues―such as passing out flyers with ethnic slurs towards Koreans and Chinese and ordering children to cheer Prime Minister Shinzo Abe.

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It seems odd that Akie Abe would support such a nationalistic school, when she is remarkably liberal in other areas like LGBT rights and a need for Japan to integrate marijuana into society.

Bunshun writes that her newfound Shinto spiritualism might explain the attraction of the school for her.

Supposedly, Ms. Abe is actively deepening her relations with spiritual advisors and Shinto communities while she visits Shinto shrines across the country speaking out and making some strange proclamations like “(my husband) was destined to be prime minister.” She says, “Fate is God given.” And she also says, yes, “Marijuana is a necessity to experience the traditional Japanese way of Shinto. Bringing Japan back means bringing back its pot culture.”

Okay. If her overall goal is to “bring back the good old Japan,” her activities do align up to a slightly confusing point with her husband’s views.

So the kindergarten must have seemed like another great way to advocate for her ideal Japan, until the word got out about the shady way the land had been purchased.

And since then other problems have emerged.

On March 23, Kagoike said in sworn testimony before the National Diet that he had received a one million yen donation directly in cash from Ms. Abe with the words “from Shinzo Abe” on the envelope in September of 2015.

This happened during Akie’s visit to the kindergarten where she gave a speech. She ordered her aide to leave the room before doing it, he claims.

Prime Minister Abe has vehemently denied allegations about such donations and furthermore any relation suggested between himself or his wife and the discounted real estate the school received. He went as far as to claim that he would “step down as prime minister and as a Diet member if such facts existed”.

The whole scandal seems to have shaken him badly and the ostensible glow from his post, “I met Trump and he liked me,” has faded away completely.
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996凡人:2018/03/13(火) 03:49:15 ID:AaSPFmRQ0
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It’s not just Abe’s judgement that’s at issue. He may have broken the law.

The real estate donation, and the lack of documentation for it, could be a violation of Japan’s political funds laws.

If Prime Minister Abe exerted influence on the Ministry of Finance to lower the estimated price of the land, he could be guilty of violating Japan’s Laws Prohibiting Mediation Remuneration.

In simpler terms, it’s illegal for a public official to use his or her power to benefit a third party for a reward. Bur if there was any reward for Abe in the deal, it’s highly unlikely that it was monetary but rather “spiritual.” Such is his sympathy with the school’s educational philosophy.

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After testifying at the Japanese Parliament, Kagoike held a press conference at the Foreign Correspondent’s Club of Japan. Kagoike distributed to the press a fax from Akie Abe’s secretary to him dated November 17, 2015, 17:04 hours, which seems to demonstrate that she was lobbying on his behalf to have the Ministry of Finance lower the price of the land and give him a better deal on the site of his future school.

Did she also speak to her husband about it? No one is sure.

When pressed by a reporter as to whether he believed that Prime Minister Abe had directly intervened on his behalf in the land deal, Kagoike minced his words: “I believe that people around him may have taken it upon themselves to do it…possibly [several] bureaucrats in the Ministry of Finance.”

The word he used to explain the shady circumstances, sontaku, is difficult to translate directly, but it’s about reading the unspoken feelings of another and acting upon them.

The mainstream Japanese media is surprisingly uninterested in the details of why the land was discounted and has been focusing on tangential issues―such as Abe’s handpicked Minister of Defense, Tomomi Inada, lying about her connections to Kagoike.

The reluctance of the major Japanese media to focus on the land discount is perhaps indicative of another issue.

Takashi Uesugi, one of Japan’s best known independent investigative journalists, summarizes the problem eloquently.

“Most major Japanese media firms also have their headquarters on land bought from the government―with the help of the Ministry of Finance―at steep discounts. Looking too deeply into the Moritomo Gakuen problem would be opening a Pandora’s box.”

At present Kagoike has withdrawn his application to open the school. The land will return back to the government. But maybe if he’s lucky, when the heat dies down, he’ll get to open it somewhere else.

As for Prime Minister Abe―yet another scandal involving a private school operator with ties to him and dubious government land dealings has emerged―this time in Okayama Prefecture.

Abe really seems to have problems with education.

Who can forget that Abe’s previous handpicked minister of education had strange ties to the yakuza and a chain of sexual massage parlors, some with school girl themes?

Perhaps it’s time for Abe to step down, chill out, get high with his wife and enjoy Japan’s traditional pot culture, commingling with the gods. That would be good for him and probably good for Japan.
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997凡人:2018/03/13(火) 05:03:04 ID:AaSPFmRQ0
森友文書“書き換え”は文書の決裁後
2018/3/11(日) 21:50配信 日テレNEWS24 Nippon News Network(NNN)

森友学園の国有地売却をめぐる決裁文書について、政府は12日に書き換えがあったことを認める方針だが、書き換えは文書の決裁後に行われていたことが明らかになった。

これは複数の政府関係者が明らかにしたもので、書き換えは文書が決裁され、去年、この問題が取りざたされた後に行われたという。

書き換え前の文書には森友学園との交渉経緯や「本件の特殊性」といった文言が含まれているほか、複数の政治家の名前も書き込まれているという。

こうした中、麻生財務相は11日午後、調査内容について財務省幹部から報告を受けた。関係者によると、書き換えは国会での追及を逃れるために行われ、広い範囲に及んでいたという。

財務省・太田理財局長「(Q:明日の報告について大臣は何と?)それは今お答えする話ではないですよね」

財務省は、書き換えの時期など詳しい経緯の解明は「捜査当局に委ねる」として報告書には明記しない方針だった。しかし、政府内には財務省が自分たちの調査で明らかにすべきという批判もあり、12日の国会への報告で、政府側が何のために、誰の指示で書き換えたと説明するのかが大きな焦点となる。

この疑惑をめぐり首相官邸は麻生財務相の進退問題には発展させたくない考えだが、野党側は攻勢を強めている。

希望の党・玉木代表「麻生財務大臣の責任は免れないと思いますし、すでに事態は安倍総理・安倍内閣全体の責任の有無というところに移ったと思う」

財務省は12日午前、まず与党の幹事長らに調査の内容を伝えた上で、国会に報告する予定。

998凡人:2018/03/13(火) 05:04:09 ID:AaSPFmRQ0
時代の風
文書改ざんに抗議する 国という木船 修理必要=中島京子・作家
毎日新聞2018年3月11日 東京朝刊

 私たちはもう何年も、泥船に乗っているんじゃないかという気がしてくる。財務省の、例の「森友文書改ざん」の報を見ながら。

 私たちはコツコツ働いて税金を納め、代表を国会に送り、国会はそのお金をどう使うかを審議し予算を決め、行政はその予算を有効に使って、国民の生命・財産を守り、ひとりひとりが幸福に生きるための社会を整えるということになっている。国民は「国」というがっしりした船に乗り込み、安心して航海するイメージだ。しかし、私たちがせっせと税金を送ったところまではいいが、「では、お願いしますよ」と乗り込んだ「国家」という船が、なんとも信用できないものであり続けている。

 何年か前に国会で、安倍晋三首相が「税金は国民から吸い上げたもの」と、鼻息荒く答弁していた。この言葉に関しては謝罪も何もなかったような気がするけれど、私たちは税金を主権者たる国民として真摯(しんし)に納めているのであって、幕府やお上に吸い上げられているのではない。

 私たちの税金は当然、国のために働いてくれる政治家や官僚の生活を支えるためにも使われている。税金で雇っているとまで傲慢な言い方をするつもりはないが、「公僕」という言葉を胸に刻んでいただけないだろうかという気はする。

 公文書の改ざんは犯罪だ。私たちはいくつもの約束事を作り、それを信じて守ることによって社会を成り立たせているのだから。誰のために、なんのために? 首相の妻が名誉校長を務める小学校に、国有地をただ同然で払い下げるためなのだろうか。考えれば考えるほど、腹が立つ。

 7日夜、私は国会前に出かけた。この「森友文書改ざん」と、それにかかわる対応に抗議する集会に参加するためだ。

 地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前で降り地上に上がると、人もいなければ車もいない、静かな夜の街に、抗議する人の声が響いてくる。出口からワンブロック先を左折すれば、そこは国会正門だ。ところが正門前に行こうとすると男の警察官が2人、歩道を閉鎖して立ちはだかっている。

 「こちらは通行制限をしているので、道を渡って財務省前の信号を左折して向かってください」

 意味を測りかねて彼らの顔を見ていると、

 「閉鎖してますから」

 と、若い警官が威圧的に胸を突き出す。なんのために閉鎖しているのか、なぜ私がそこを通れないのか、明確な説明はない。法的な根拠もないはずだ。しかし、押し問答に時間を費やす気にはなれないし、警棒を持った男性警察官2人と揉(も)めるのは嫌だから、仕方なく300メートルほど回り道をして国会前を目指す。彼ら警察官のその日の使命は、抗議行動に参加する市民を嫌な気持ちにさせることなのだろう。嫌がらせが任務というのも、考えてみれば気の毒な話だ。誰が、なんのために、若い警官たちを夜の街に立たせて、集会に行こうとする市民に嫌がらせさせているのか。

 実は、がっしりした国という船に安心して乗り込み、政治家や官僚にかじ取りを任せきっている国民という、私のイメージはそもそも間違っているのだろう。船は泥製ではないが、木製くらいで、壊れやすい。長く使うと腐食も出る。修理しつつ進むのが、現実のあり方なのに違いない。

 私たち有権者は、公務員に公文書を書き換えさせたりするような政治を許しておいてはいけない。誰かが直接指示したか、誰かの意向を忖度(そんたく)した結果なのかはわからないが、いずれにしても、主権者国民をないがしろにし、権力者の意向を唯々諾々と汲(く)む政治を、続けさせてはいけない。そう思ったからこそ、財務省の心ある官僚の誰かが、文書の存在を国民に知らせたのだろう。権力者の顔色だけを窺(うかが)い、記憶にない、記録は捨てたと嘘(うそ)をつき、公文書を改ざんして、国民に背を向けた官僚だけが出世するような社会は嫌だと、内部から悲鳴を上げた官僚がいたのだろうと想像する。

 安倍長期政権という船からは、あちこちから腐った木材のにおいが漂う。この政権の悲願は「憲法改正」だが、憲法はそもそも権力の暴走を縛るためにある。それを変えたいと言うのには、権力者自身がこの縄を解けと吠(ほ)えたてている怖さがある。=毎週日曜日に掲載

999凡人:2018/03/17(土) 07:19:24 ID:AaSPFmRQ0
受験勉強と塾通いに忙しい日本の高校生とは大違い。政治への意識の違いは歴然である。
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銃規制求める高校生、全米で授業ボイコット
2018 年 3 月 15 日 09:12 JST The Wall Street Jounal

 米フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で17人が犠牲となった銃乱射事件から1カ月となる14日、同校の生徒たちが全米規模の授業ボイコットを呼びかけた。これに呼応して各地の高校生らが相次ぎ追悼集会や抗議デモに繰り出した。

画像集=http://jp.wsj.com/articles/SB11970180608239593749104584102101684210242

1000凡人:2018/03/18(日) 11:54:55 ID:AaSPFmRQ0
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時事問題深読みスレPart2
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