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8木先生のスレ

967凡人:2017/12/08(金) 12:48:53 ID:fmijQ1.60
■3つ目の岐路:日米交渉(1941年4月〜11月)

写真=左から近衛文麿、野村吉三郎、フランクリン・ルーズベルト、コーデル・ハル

――そして3つ目ですが、戦争回避のラストチャンスとして日米交渉があった。

日独伊三国同盟の締結からおよそ半年経った1941年4月、アメリカのハル国務長官と駐米日本大使の野村吉三郎との間で、日米交渉が始まりました。最終的には7カ月後の11月26日、アメリカから「ハル・ノート」(日本側提案に対するアメリカ側回答)が手渡され、その内容が予想以上の厳しさだったことから、日本側は開戦を決意し、対英米開戦(1941年12月)に踏み切ります。

当時、ハルとルーズベルト大統領は、戦争回避のための対日交渉を2人の専権事項として進めていました。当時のアメリカは対ドイツ戦を単独で戦うイギリスを支援するため、また大西洋方面での防衛強化のため、太平洋での日本との対立を当面回避する必要がありました。また日本にとっては、泥沼化した日中戦争終結のため、蔣介石との和平をアメリカに仲介させようという目論見があったのです。

また、日米両国には、交渉しなければならない懸案がありました。それはアメリカが1941年3月に制定した武器貸与法から生じてきた問題です。

この法律によってアメリカは、イギリスに対するあらゆる武器援助が可能となりました。ただ、このようなアメリカの行動が、三国同盟を発動させてしまわないかという問題が浮上してきたのです。

三国同盟はその第3条に、日本・ドイツ・イタリアのいずれか一国がアメリカ(名指しはしていない)から「攻撃」された時、武力行使を含めた援助義務を三国に生じさせます。「攻撃」にいかなる行動が入るのかがわからなければ、日本もアメリカも安心して艦艇を航行させられません。日米双方とも、不用意な暴発を防ぐために、三国同盟第3条の中味を検討するための交渉が必要でした。

――日米とも衝突は避けたかったけど、実際には戦争へと至りました。なぜでしょうか。

いくつかの答えがあります。一つには、最も有望視された近衛文麿首相とルーズベルト大統領の洋上会談計画が、日本国内の国家主義勢力に漏れ、極めて効果的な批判がなされ、つぶされたからです。彼らは近衛首相のことを、「ユダヤ的金権幕府を構成して皇国を私(わたくし)」する勢力の傀儡だと批判しました。

日米交渉をつぶしたかった国家主義者たちは、幕末維新期における幕府が天皇の条約勅許を待たずに開国した非を思い出させるような口調で非難します。近衛の対米交渉は屈服にほかならず、そのような政府は「討幕」すべきだと批判したのです。

また、1930年代を通じて反米・反英的な言葉を弄することを政府から教えられてきた新聞や雑誌などは、急に当局が「反米的なことは書くな」と通達しても、すぐには動けなかった。政府の意に反して、ハルやルーズベルトに対する批判が日本側の新聞紙上に執拗に載り続けました。

――それでも「ハルとルーズベルトに日本は追い詰められた」という話が未だに残っているように思います。

写真=ハル(左)と野村吉三郎

現在では日米双方の記録が明らかになっていますので、ハルやルーズベルトが1941年8月あたりまで近衛首相との洋上会談を含めて乗り気であったことは確かなのです。しかし41年7月、日本軍が南部仏印(フランス領インドシナの中南部)に進駐すると、その日本側の行動自体が交渉に大きな影響を与えました。

日本側は自らが用いる「進駐」という言葉に自ら惑わされました。フランスのヴィシー政権側や仏印総督側から交渉の結果、許可された「進駐」なのだと自認してしまったのでしょう。でもこれは、この地域の飛行場や港湾を制圧することを目的とした作戦行動でした。日本側は「進駐」であって戦争行為だとはつゆほども思ってない。しかしアメリカ側から見れば、万単位の部隊が飛行場と港を制圧すれば、それは「侵略」に他ならない訳です。

――日米交渉中にもかかわらず、なぜ日本は南部仏印に進駐したのでしょうか。アメリカを刺激すると気付きそうですが...。

これには南部仏印に進駐する1年前、1940年9月に日本が行なった北部仏印(フランス領インドシナ北部)への進駐時の、アメリカの対応がカギとなります。フランスのドイツ降伏を受け、日本は北部仏印へ進駐します。日本はフランス側と交渉をした上で進駐しました。

この時、アメリカはどう対応したかといえば、日本へ圧力はかけたものの、ある意味、計算された圧力のかけ方を選んだ。日本側はアメリカから戦略物資である石油や屑鉄(鋼材の原料)を輸入していましたが、その輸入を許可制にしたのです。
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