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8木先生のスレ
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――農民は新聞などをあまり読まなかったのでしょうか。
いえ、日本の新聞購読者数は同時代の他国と比べて非常に多かったと思います。ラジオ契約数も31年に100万だったものが、41年には600万となり、普及率も46%ほどになる。2軒に1軒ラジオがあった計算です。
1920年代生まれの方から聞いた話をご紹介しましょう。その方は農村部に住んでいて、太平洋戦争の開戦直後のラジオ放送を近所の人たちと聞いていたのだそうです。ただ、その時ふと、不思議に思ったと。
真珠湾攻撃では2人1組が搭乗した特殊潜航艇「甲標的」5基が参加し、9人が戦死したのですが、この時、大本営は戦死者9人を「九軍神」と称えました。ただ、私に話を聞かせてくれた方は、「2人1組が5基で参加して、軍神9人...あれっ?1人はどこに」と不思議に思ったそうです。1人は捕虜になっていたのですが、これは当時は伏せられている。
放送や紙面が軍国一色になった時代には、この方のように、かなり注意深く見聞きしないと、真理にたどりつくのは容易ではないということでしょう。検閲は当然ありましたが、新聞やラジオが率先して政府の議論を先取りすることなど多々ありました。
――満州事変の解決提案「リットン報告書」は、日本を追い込む内容だったのでしょうか。
まず、リットンに率いられた調査団は、イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・イタリアといった5大国委員から構成されていたことが大事です。すべて植民地を持った経験のある帝国でした。彼らは日中の全面衝突を回避し、東アジアの貿易が拡大し、自らの国の権益も安全に保たれればよい...その線での解決案を目指したはずです。
報告書は「張学良政権への復帰は認められない」と書く一方で、「現在の満州国そのままの存在も認めない」と書き、一見すると日本側に厳しいように見えます。しかし、将来この地域につくられるべき仕組みは「過激なる変更なくして現制度より進展」させうるとも書いていた。つまり「満州国の制度からスムーズに移行しうる制度だよ」と。
さらに、日本にとって好条件もあった。具体的には「新政権を現地に作るための諮問委員会メンバーの過半数を日本側とし、また外国人顧問のうち充分な割合を日本側が占めてよい」ともいうのです。
――満州国が日本の傀儡だと分かった上で、リットン報告書はかなり妥協していますね。
ただ、このあと日本は自らの首を締める愚を犯しました。1932年の1月、第一次上海事変が起こされます。満州事変から国際社会の目をそらすためとして、上海共同租界内で日本人僧侶が中国人に襲撃されたといった事件を日本側が作為し、これをきっかけに中国側との軍事衝突が起きます。
第一次上海事変で市街戦を展開する日本軍(1932年1月)
――中国との紛争を抱えている状態で、さらに日本は紛争を増やしたわけですよね。なぜそんなことを...。
満州事変に注がれている世界の目を逸らすためと言われていますが、この通説は余り説得的ではありません。
満州事変が起きた時、中国は、国際連盟規約第11条によって連盟に提訴しました。この11条での提訴の場合、紛争処理は理事会が担当します。まさに、1931年12月に理事会が派遣を決定したリットン報告書のラインで処理される訳です。
しかし、この後に上海事変が起こされると、中国は日本を規約第15条で提訴し直します。これは、国交断絶に至る恐れのある大きな紛争が起こった場合の規約です。11条と違って15条による提訴の場合、日本は最悪の場合、連盟の全加盟国から敵国と名指しされ、経済制裁を下される可能性も覚悟しなければならない条項でした。
担当する部署も、理事会ではなく、総会となります。出先の陸軍などはこのような連盟規約の構造を充分に知っていたのでしょうか。そうは思えません。
理事会と異なり、総会には加盟国全てが含まれます。15条での提訴では、紛争の解決案を書くメンバーも、リットンらの5大国委員ではなくなるわけです。上海事件後の日中紛争は、「19人委員会」が担当することになりました。ここには、グァテマラやパナマといった国も含まれる。確かに、日本側が憤っていたように、日中間の歴史的経緯について知らないと思われる中南米諸国なども関与することとなったのです。日本側は怒りますが、そもそも窮地に陥る根本的な要因を作ったのは日本側でした。
――結局、日中間の紛争に関与する国が多くなってしまった。
当時の連盟を支えていたのはイギリスでしたが、第一次世界大戦で敗北したドイツの復活を恐れるヨーロッパ諸国の安全保障上の懸念は、イギリスの対日態度にも影響を与えました。当初は日本に宥和的な態度をとっていたイギリスも変化していったのです。この「19人委員会」が書いた日中紛争解決案は、リットン報告書よりも日本に対して厳しい内容でした。
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