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8木先生のスレ
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米国を戦争に巻き込んだのは言わずもがな日本国。その報復が原爆。正々堂々と戦うならイザ知らず、平和交渉をしている最中に奇襲攻撃を駆けるというトリックプレイでの日米開戦。日本は提灯行列で祝ったのを忘れたのか。中国侵攻で日本兵に虐殺された何の罪もない住民である多くの婦女子の命は原爆で苦しんでいる人の命からみたら何の意味がないとでも言うのか。戦争は子供が犠牲になる。何の罪もない者が犠牲になる。それが戦争の悲惨さである。いつの間にか戦争の加害者側がまるでの被害者になる。もしも日本人が戦争の被害者として責任を追求するのならば、中国侵攻し、戦争拡大していった当時の日本軍部であり、日本政府がその責任を問われてしかるべきであろう。神社に英霊として奉ることがどんなに似つかわしくないか。また戦争をやめさせることが出来ないで、それに追従した当時の日本国民も責任が問われるべきである。このノーベル賞の場をかりて原爆を投下した米国を悪者と非難するのはまったくのお門違いであろう。
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ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文【国際】
2017年12月11日 夕刊 東京新聞
ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん=10日、オスロで(共同)
十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。
◇
両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。
ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。
▼座視しない
被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。
私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。
私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。
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