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管理者日記

322メビウス ◆4lggoO1oV6:2013/06/28(金) 20:36:57
入不二氏は上の問題と関連して、時間特有の変化とは、
「端的な現在の現実性(これ)こそが過ぎ去るのでなければならない」という(p.117)。
これは>>317の「新たな〈今〉がそのつど生まれている」ということの表裏である。
この主張は『時間は実在するか』でも見られた。「現実性」の概念は入不二氏の形而上学の中核であり、永井均の〈私〉に近似する。

――この入不二氏の考えに対しては、存在論の最深部に到達しておきながら、存在論の核心問題を捉えそこなったという心証を抱く。
全一的な「現在(現実性)」が過ぎ去り、新たな「現在」が到来するということは、入不二氏も認めた排他的な「ある」が
「ない」になり、「ない」が「ある」になることである。これは「無からは何も生じない」という存在論の根本的信念に
ついて論じなければいけないはずである。
事実、植村恒一郎は『時間の本性』でこの問題について論じている。論じないのは、重大な瑕疵であると批判せざるを得ない。


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