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管理者日記
218
:
メビウス@管理者
:2012/12/17(月) 20:48:32
デリダの「差延」はどうもひっかかると思ってたけど、
これは時間の実体説(substantivism)を前提にしているからだと思う。
自らに先立った存在者たちを前提にし、それらの「痕跡」があるというなら、
存在を時間的に捉えているということだし。
つまり差延とは、形而上学的な実体概念を批判するために、時間の実体説という
形而上学的な概念を用いているということであり、これは矛盾だと思う。
たとえば、
A = 「私は5時から6時までずっと音楽を聴いていて、最後の曲には感動した」
上の「A」という言葉は、本当にその言葉が指し示す体験と厳密に一致しているのか、という懐疑がある。
ベルクソンは言語と体験の一致の不可能性を指摘したし、大森荘蔵も『時は流れず』でそのベルクソンの洞察に
言及している(p96)。
つまりわれわれの言語とは、体験を「ありのまま」語っているのではなく、語れているのは体験の断片なのだろ
うと思う。
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