- 1 :ryuichiro :2018/12/19(水) 23:47:47
- 以前の掲示板からの続きです。
- 17 :ryuichiro :2019/01/14(月) 00:07:19
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皆さん、今晩は……
さっき、ネットのニュースで、沖縄・辺野古の美しい珊瑚礁の青い海がもう二割方土砂で埋め立てられた画像を見たのですが……無惨ですね……政治経済(軍事)・宗教(思想)・民族問題等、幾ら語っても語り尽せる筈も有りませんけれど、兎に角この儘で自然破壊が進めば人類は自分の首を絞める結果になって仕舞うと思います。 A=ヒトラーの予言と云うのは、御存知ですか? カルト的になって仕舞いますが……三島由紀夫も関心を抱いていたのだそうで、まあ、一種のエスカトロジーと言えばそうですが、要するに人類の文明の末路は結局荒廃し切った砂漠しか残さないだろうと云うものです……アモス・オズ氏の《イスラエルに生きる人々》には、画家・アンソールを想わせる挿絵が載っています。ヘブライ語で書かれているのだと云う本文の内容は、日本人に取っては馴染みが薄く極めて難しいものですが……余り、悲観的(ネガティブ)になりたくはないのですけれど……人類の文明は、爛熟期と申しますか、既に飽和状態の様にも感じます……人生(社会)を病院に譬えたのは、十九世紀フランスの詩人・シャルル=ボードレールですが……ユダヤ人(民族)の問題は、決して他人事ではなく、普遍的な人類共通の問題で有ろうかとも思う次第です……深夜になりましたね。皆さんの御健勝、毎日の御無事な生活を本当に心から願って止みません……余談ですが、ヴィクトール=フランクルの《夜と霧》に依れば、アウシュビッツ等強制収容所での会話は、食べ物の事を別とすれば、政治か宗教(思想)についてばかりだったのだそうです。又暗くなり、済みません……《アベ・マリア》の美しい曲がテレビから聴こえて来ます……
ヤフー掲示板に投稿が出来ず、エラーになって仕舞いました。又、ここには、他のURLの貼り付けは規約上出来ない様です。大変に申し訳有りません……
- 18 :ryuichiro :2019/01/24(木) 21:05:51
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赤い実さん、今晩は。 私の拙い短歌ですが、過去の、掲示板用のワード文書の中から探してみました。当時の儘のものです。今、考えて創作した歌は『花巻の 古きカソリック教会の 鐘楼建ちて 人もおらざり』『宵の空 朧な月に 星二つ』『賢治もおらず イーハトーヴに 四季は巡れり』です。
鳥海(ちょうかい)の、小さき社の藤の花、棚の房々雨に濡れたり
『夕の月 蒼きみ空に浮かびたり 牡丹は遅く散り往きにけり』
『宵の宮 提灯燈籠 夢に似て 死にたる人は 仏なりしか』
『きりぎしの うえの稲荷の慢幕の ゆらゆら揺れて 春は往きにし』
『琉球に 邪馬台国はありたるか 竜宮の城にはあらずか 海の底なる』
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 19 :ryuichiro :2019/01/25(金) 14:42:43
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皆さん、こんにちは。今は全国的に強い寒波らしいですが、如何お過ごしでしょうか? 体調は大丈夫ですか? 私は、相変わらずなのですが…… Yahoo掲示板の殆どのスレッドが、先程、突然終了して仕舞ったのは矢張り残念ですね。一般人が誰でも参加出来る様な、サブカルチャー・カウンターカルチャーと申しますか、そうした場がなくなってゆく気がするのですが、大袈裟でしょうか?
ペガサスさん、何時も投稿をして下さり有り難う御座います。確かに、貧富だけでは一概に幸か不幸かは分かりませんけれど……我が家の場合は、例えば今月から新聞代が結構上がりましたが、まあ、今はどうにか続けて取って読めるかなあ。と云う様な感じです。比較的恵まれていると言えばそうですが、勿論裕福でも有りません。
毎日の日課で、朝は鎮痛剤を飲み玄関先から新聞を持って来る訳なのですが、今日はインドに於けるヒンドゥー教至上主義が増長している問題についての記事を切り抜いて置きました……昔、花巻の図書館で遠藤周作氏の《深い河》を借りて読み、感銘を受けましたが、ラストはインド・ガンジスの畔で奉仕活動を行っているクリスチャン(?)の男性がヒンドゥー教徒の様に死んでゆくのですけれど、しかし、現実とは中々上手くはいかないものだなと思います。特に、今は宗教・民族的対立が世界各地で激化しておりますし。ミャンマーでの、ムスリムのロヒンギャに対する非人道的な迫害もそうでしたが……遠藤周作氏の《深い河》の冒頭では、確か黒人霊歌の《深い河》が引用され紹介されていて、黒人霊歌では例えばマリアン=アンダーソンが有名ですが、私も、マリアン=アンダーソンの《深い河》等のCDをアプリで貰い物のウォークマンに入れ偶に聴いています。
テレビは相変わらずですね……何か、科学者が算出した人類終末時計(?)が最後の午前0時に達する迄に、後僅か数分だとかで、1950年代以来最悪の状況とのニュースが報じられていましたけれど……アメリカ・ロシア・イラン等で核兵器の開発競争が進んでいる為なのでしょうか? 英国やリトアニア等での、日本企業に依る原発誘致はストップしたらしいですが、地元では期待する住民の声も有ったとの事ですね。第二次世界大戦(太平洋戦争)に於いて、広島市で被爆した作家・原民喜の文学はやがて忘れ去られて仕舞うのかな? とも思います。
- 20 :赤い実 :2019/01/25(金) 16:58:00
- ryuichiroさん、こんにちは。
お手数をおかけしてすみませんでした。 どれも素敵ですね。 私はまだ、以前に一度だけしか行ったことのない岩手なのですが、短歌を通じてその光景が浮かんでくるようです。
『きりぎしの うえの稲荷の慢幕の ゆらゆら揺れて 春は往きにし』
この、「きりぎし」というのはなんですか? 地名なのでしょうか?
テキストリームもついに、ヤフートップページには表示されなくなりました。
- 21 :ryuichiro :2019/01/25(金) 19:02:58
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赤い実さん、今晩は。花巻は、明日明後日が寒さのピークとの事です。
私は、短歌については全く無知で、石川啄木や宮沢賢治のものをごく僅かに知っているだけに過ぎないのですが……寧ろ、親しんで来たのは、種田山頭火の自由律俳句の方でした。山頭火の評伝も、家の書架に御座いますし……同じく自由律の俳人で、瀬戸内・小豆島で生涯を終えた尾崎放哉の生き様も好きなのですが、俳句は余り知りません。山頭火は、放哉が亡くなった後で墓参に訪れ、墓石に酒を掛けて故人を偲んだのだそうです……
ところで、切岸(きりぎし)と云うのは、斜面を削って人工的に断崖とした構造で、敵の侵入を防ぐ為に作られたのだそうです。鎌倉時代から戦国時代に掛けて築かれた城、特に山城の周囲に多く、鎌倉の周囲の丘陵斜面にも作られたとの事ですが、私は唯単に切り立った崖と云う程の意味で用いました。昔読んだ、梶井基次郎の短編小説の中に切岸と云う言葉が確か使われており、それで覚えたのですけれど……梶井基次郎の《檸檬》は、未だに最も好きな文学作品の一つですが……花巻の自宅の庭から、遠くの崖の上に在る小さな稲荷神社と赤い鳥居が見え、その景色がとても好きなものですから……
- 22 :赤い実 :2019/01/26(土) 07:20:33
- ryuichiroさん、おはようございます。
こちらも今朝は、雪がほんの少し積もり、車のフロントガラスも凍り付いていました。
俳句、短歌をよまれる方というのは多いようですね。 創作したいという気持ちをもっていると、日常の何気ない一コマ一コマ丁寧に観察しながら暮らしていけるのかもしれないですね。
種田山頭火、尾崎放哉のファンという方も多いようです。
切岸(きりぎし)の説明、ありがとうございます。 もとは、敵の侵入を防ぐために人工的に斜面を削って断崖としたものを、そのように呼んだのですね。 そして、ryuichiroさんは、切り立った崖の意味で、短歌に用いられたのですね。
- 23 :ryuichiro :2019/01/26(土) 19:15:45
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赤い実さん、御返事が非常に遅くなって仕舞い、大変に申し訳有りません。そちらでも、今朝は雪が僅かに積もり、車のフロントガラスが凍り付いていたのですか? 花巻も、流石に朝方など最低気温が非常に低くなりました……俳句や短歌と云うのは、最も短く簡潔な文学形式で日本特有のもので有ろうかと思うのですが、私には生憎と詳しくは分かりません。
十九世紀にフランスで生まれた、劇作家・詩人、更に外交官でも有ったポール=クローデルは、外交官としては駐日・駐米フランス大使を歴任し、カソリック信仰に根差した諸作品で二十世紀前半に於けるフランス文学の最も重要な一人とも評されるのだそうです。作品は、戯曲《マリアへのお告げ》、詩集《五大頌歌》等。彫刻家・カミーユ=クローデルは姉なのですが……ポール=クローデルは、フランス高踏派A=ランボーの《地獄での一季節》や《イリュミナスィオン》を読み多大な感化を受けたもののカソリシズムに回心、日本からの影響も受け、フランコ語に依る俳句風の短詩集《百扇帖》、エッセイ集《朝日の中の黒鳥》、能や歌舞伎等の影響が色濃い舞踊劇《女と影》《火刑台上のジャンヌ・ダルク》等の作品を発表したとの事です。
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