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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

59よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 04:34:46 ID:3Ko7/4PU0
2011年1月29日
「お水汲み祭り」あでやかPR
http://www.sankei-kansai.com/2011/01/29/20110129-048997.php

 大阪市北区の堂島薬師堂周辺で2月3日に行われる恒例の「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」(同実行委員会主催)をPRしようと、北新地の芸者衆らが28日、同市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れた。

 祭りは商売繁盛や招福を願って地元関係者や経済界などが協力し開いており今年で7回目。芸者衆が奉納する舞いや僧侶、竜、鬼などのにぎやかな装束で北新地を練り歩く「竜の巡行」などが見どころ。

 芸者のさく与さんは「厄をはらい、景気を良くして大阪を元気にするお祭り。たくさんの人に来てもらえたらうれしいですね」と話していた。

60よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 07:47:22 ID:3Ko7/4PU0
古市古墳群1冊でわかる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110130-OYT8T00067.htm

 世界文化遺産の国内候補地リストに入った古市古墳群について理解を深めてもらおうと、羽曳野、藤井寺両市がガイドブック「古市古墳群を歩く」を4800部作製した。学術的な説明だけでなく、初心者向けに「水鳥が飛来する絶好のバードウオッチングスポット」(岡ミサンザイ古墳、藤井寺市)、「桜の名所」(野中宮山古墳、同市)などの見所も紹介した。

 同リスト対象の44か所をはじめ、墳丘のない古墳を含む64か所を取り上げた。カラー印刷で空撮写真やイラストを多用し、2009年度までの調査結果を反映させた。また、世界遺産登録に向けて、都市環境とどう調和させるのかといった課題にも触れた。

 このほか、誉田(こんだ)御廟山(ごびょうやま)古墳(応神陵、羽曳野市)周辺や、古墳の造営を主導した土木技術者集団・土師(はじ)氏ゆかりの地を巡るウオーキングコースを記した地図のほか、出土品を展示する施設の一覧表も付けている。

 羽曳野市世界遺産登録準備室の高野学室長は「400メートルを超える巨大古墳から10メートル級まで古市古墳群の資料が満載」とPRしている。

 A4判62ページ、1部200円。両市教委で販売する。希望者には郵送するが、送料が必要。問い合わせは同準備室(072・958・1111、内線4481)。

(2011年1月30日 読売新聞)

61よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 08:34:53 ID:3Ko7/4PU0
平和祈る灯枚方に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110130-OYT8T00054.htm

 1939年に火薬庫の大爆発で多くの死傷者を出した枚方市で3月1日、市民らが平和への思いを込めて作ったランタンを並べる催しが初めて行われる。ランタンで「平和の日」などの文字を浮かび上がらせる予定で、市は製作する人を募っている。

 同市では1939年3月1日、旧陸軍・禁野火薬庫の大爆発が起こり、約700人の死傷者が出た。市は爆発から50年後の1989年、3月1日を「市平和の日」に定め、これまでもこの日に合わせて催しを行ってきたが、今年は「市民手作りで平和を願うことができるように」と、ランタンを作ることにした。

 計画では、牛乳パック四つを組み合わせたランタン1000個を募集。ランタンの周りはメッセージを書いた紙で覆う。市役所前の岡東中央公園で、「枚方市 平和の日 2011・3・1」の文字が浮かび上がるよう並べた上で、午後6時から火を付けていく。

 会場では小学生による作文朗読や黙とうも行われ、広島市の平和記念公園の火を運ぶことも検討しているという。すでに市内の学校や地域などでランタン作りに取り組んでおり、2月4日からは講習会(8回)も予定している。

 問い合わせは市生涯学習課(050・7102・3206)へ。持参する人は前日までに同課への連絡が必要。

(2011年1月30日 読売新聞)

62よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 10:01:56 ID:3Ko7/4PU0
50年ぶり、衣装も再現 「節分仮装行列」復活へ
2011年1月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110129/20110129024.html

 2003年から大阪市の文化事業として、新世界を拠点に街中でアートプロジェクトを展開している「ブレーカープロジェクト」の企画。失われつつあるまちの風景を写真などで作品化する事業「絶滅危惧・風景」の一環で、新世界の住民から古い写真を募っていたところ、約50年前に仮装行列が行われていたことが分かった。

 同行列は、節分の日に市場の宣伝のため、店主が中心となって2、3回行われたとみられる。当時の様子を知る人は少ないが、2012年に100周年を迎える新世界の歴史をあらためて見直す好機として、行列を再現することになった。

 仮装は、新世界の住民から寄せられた1960年代ごろの写真に写る市民の服装を再現して実施。衣装の制作は、同じ服装、同じ人、同じ場所で過去の写真を再現する芸術活動「家族の制服」を手掛ける美術家の西尾美也さんが担当し、関西を拠点に活動するブラスバンド、三田村管打団が音楽を演奏して行列する。

 写真を提供した、新世界100周年実行委員会の近藤正孝さんは「活動の中で眠っていた歴史を発掘してもらえてよかった。今後まちの活性化コンテンツとして生かしたい」と期待を寄せる。同プロジェクトのプログラムディレクター、雨森信さんは「住民と別の視点でアーティストがまちの魅力を発見し、まちの未来を考えるきっかけになれば」と話している。

 行列は午後2時から、新世界市場内の同プロジェクト工房を出発し、恵美小、廣田神社などを回って約1時間で工房へ戻る。行列の模様は大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室(2月26日〜3月21日)で行われる展示「絶滅危惧・風景」でも紹介する。

 再現された衣装で行列を行う一般参加者も募集中。問い合わせは電話080(6172)8667、同プロジェクト実行委員会へ。

63よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 12:55:47 ID:ck2DQqWk0
住吉の蔵、暮らしに息づく 住民らが記録映画制作中
2011年1月30日
http://mytown.asahi.com/areanews/osaka/OSK201101290161.html

大阪市住吉区内に残る蔵の姿を記録しようと、地域の住民や住吉区が記録映画の制作を進めている。街が姿を変える中、食器やタンスなどの保管場所だった蔵は今、住居やギャラリー、ダンスの練習場などとして使われている。人々の生活に密着した蔵の姿を伝え、物や文化を大事にする「住吉区の底力」を発信したいと、住民らは意気込んでいる。

 住吉区は住吉の歴史や文化を記録して発信しようと昨年春、300万円の予算でDVDの制作を決めた。制作しているのは「住吉文化事業実行委員会」。メンバーは住吉区の文化を伝えようと、歴史案内人やプロのカメラマンなどとして活動する地元住民や歴史専門家ら6人だ。区が地元住民の意見を採り入れたものにしたいと考え、昨年11月に制作を依頼した。

 記録映画の制作に先立ち、メンバーの一人で撮影監督の塚越力(つとむ)さん(68)=大阪市住吉区住吉1丁目=が昨年8月から3カ月かけ、住吉区帝塚山、住吉、墨江地区にある蔵の調査、取材を重ねたところ、蔵は様々な方法で用いられていることがわかった。住吉区帝塚山西3丁目、彫刻家河合隆三さん(75)は木造2階建ての蔵をリフォームして住んでいた。これまで約1650平方メートルの土地を所有していた河合さんは多額の固定資産税を納めていた。このため、土地の一部を手放したが、先祖が建てた蔵を残したいと住むことにしたという。このほか、蔵はダンスのレッスン場やギャラリーとして使われていた。区職員で制作に関わる北辻稔さん(59)によると、今でも日常生活で使われている蔵の姿を記録し、活用方法のヒントにしてもらいたいと、テーマを蔵に決めたという。

 撮影は、塚越さんが声をかけて集まったプロの撮影スタッフとともに昨年11月から計約10日間かけて進めた。映像では、約80の蔵のうち河合さんのリフォームした蔵など16を取り上げ、蔵を利用する住民へのインタビューや実際に利用している様子を交え、30〜45分程度のDVDに仕上げ、2〜3月ごろに完成させる予定だ。北辻さんは「住吉区内の小学校にDVDを配り、上映活動をして公開していきたい」と話している。(大野晴香)

64よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/31(月) 20:59:04 ID:nTVzULrE0
禁野火薬庫など調査成果を報告
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110130-OYT8T00773.htm

枚 方
 枚方市で1939年に大爆発で死傷者約700人を出した禁野火薬庫など、市内にあった旧陸軍施設について、専門家らが調査、研究内容などを発表する「発掘・復元・検証 いま、よみがえる枚方の20世紀」が30日、同市新町の市立メセナひらかた会館であり、市民らが耳を傾けた。

 同市にはかつて、砲弾、弾薬を収蔵する同火薬庫のほか、砲弾などを製造する枚方製造所、香里製造所があった。火薬庫跡周辺で府文化財センターなどが発掘作業を行っており、今回、地元の人に施設について知ってもらい、さらに情報提供によって今後の歴史の掘り起こしにつなげたい、と企画した。

 この日は、同センターや府教委の職員ら計6人が登壇し、発掘調査の成果や当時の施設内の構造などを資料を示しながら説明した=写真=。市立中央図書館市史資料室の馬部隆弘さんは、「写真に見る北河内軍事施設の戦中・戦後」と題して講演。建物が倒れるなど生々しい爆発後の施設内の惨状や、昭和20〜40年代を中心に、施設の名残を残しながら姿を変える周辺の様子などを107枚の写真を使って解説し、参加者の関心を集めていた。

(2011年1月31日 読売新聞)

65名無しさん:2011/01/31(月) 22:53:30 ID:cL1IYOCw0
>>64
寒かったし眠かったこともあってすっかり行き忘れてたorz

>火薬庫跡周辺で府文化財センターなどが発掘作業を行っており
公務員宿舎だったかコマツ大阪工場が一部撤退した後だったか忘れたけど
関西外大が購入してなんか作るからそのための事前発掘なんだよね確か。

66よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/02(水) 18:51:55 ID:zT71AHuw0
黒こげ部材採寸、全焼“重文”本殿を復活 大阪・吉志部神社
2011.2.2 13:07
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110202/art11020213090004-n1.htm
平成20年5月に起きた火災で全焼した大阪府吹田市の吉志部(きしべ)神社の本殿(重要文化財、焼失により解除)が再建された。設計図は残っていなかったが、各地で建物の修復などを手がける桜井敏雄・大谷大客員教授により、燃え残った部材から寸法を割り出す珍しい手法が取られ、屋根など複雑に木材が組み合わされた部分も完全に復元、先代宮司の奥田富夫さん(故人)らの願いにこたえた。極彩色のあでやかな姿を取り戻した本殿は5日に行われる引き渡し式で、神社関係者らに披露される。

 火災は平成20年5月23日に発生。本殿が全焼し、鎮守の森の大半が焼けた。本殿は慶長15(1610)年建立とされ、本殿正面に設置された柱間が7つある七間社流造(しちけんしゃながれづくり)を採用。全国的に珍しい豪華な造りで、軒下部分には獣や花などの彫刻が施され、極彩色で花紋や唐草などが描かれていた。平成5年8月に国の重要文化財に指定された。

 火災の2日後、病気で入院していた奥田さんは氏子らを集めて会議を開いた。「本殿を元通りに復元させたい」。奥田さんらは、燃え残った本殿の部材を処分せずに保管することを決め、本殿が国の重要文化財に指定される際に調査を担当した桜井さんに再建を依頼した。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110202/art11020213090004-n2.htm
奥田さんの情熱に触れ、桜井さんも現場に残された部材を丹念に調べて設計図を書いていくことを決心。真っ黒に焦げた部材をひとつずつ紙の上に置き、えんぴつで輪郭を描いて拓本を取る作業を繰り返した。足りない部分は、部材の山をあさって探し当てた。「黒こげの部材を相手に作業をしていたら、服や手指、鼻の穴まで真っ黒になった」と振り返る。

 桜井さんにとって忘れられない情景があった。調査を始めてまもなく、奥田さんが寝間着姿のまま呆然(ぼうぜん)と焼け跡を眺めている後ろ姿を目にしたのだ。「病身の奥田さんのためにもできるだけ早く復元させたい」。桜井さんは、ほかに抱えていた仕事もすべて後に回し、教え子らも動員して復元作業に専念。半年後に設計図を完成させたという。

 奥田さんは再建途中の昨年1月に亡くなったが、桜井さんは「先代宮司の奥田さんの情熱に押されてみんなが力を合わせ、こんなに短期間で再建させることができた」と話していた。

67よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/05(土) 22:05:33 ID:IEbyuuJE0
寝屋川の成田山で節分祭 「てっぱん」ヒロインも登場
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201102040010.html

節分の3日、大阪府寝屋川市の成田山不動尊で恒例の節分祭があった。NHK連続テレビ小説「てっぱん」ヒロイン役の瀧本美織さんやその祖母役の富司純子さんらが境内の特設舞台に上がり、「福は内」「福は内」と威勢よく豆をまいた。

 この日3回予定される豆まきのために、落花生約2千キロと大豆約300キロが用意された。「本尊の不動明王の前では誰もが改心し、境内に鬼はいない」として、かけ声は「福は内」だけ。境内を埋めた参列者は、紙袋を広げるなどして福豆を奪い合った。

68よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/06(日) 09:52:04 ID:wUZnZjt60
2011年2月 4日
商売繁盛や招福願い 節分お水汲み祭り キタの堂島薬師堂
http://www.sankei-kansai.com/2011/02/04/20110204-049259.php

 商売繁盛や招福を願う「節分お水汲(く)み祭り」が3日、大阪市北区堂島の堂島薬師堂周辺で行われた。北新地の芸者らが舞いを奉納、鬼にふんした福男ら約150人の行列が、節分ムードを盛り上げた。

 薬師堂では、薬師寺(奈良市)の僧侶による法要が営まれ、参拝者はお香水(こうずい)が入った竹筒を持ち帰った。

 この後、薬師堂にまつられている弁財天の化身とされる龍や、華やかな衣装に身を包んだ北新地で働く女性らが通りを練り歩いた。沿道には、大勢の見物客が詰めかけた。

 北新地の芸者、さく一さんは「大阪が活性化すれば、日本が元気になる」と商売繁盛を期待していた。

69よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/14(月) 21:10:07 ID:QUz6nCzs0
今城塚古墳、史跡公園に 高槻、4月オープン
2011年2月13日
http://mytown.asahi.com/areanews/osaka/OSK201102120140.html

 継体天皇の墓とされる高槻市の今城塚古墳(国史跡、同市郡家新町)の一帯が4月、史跡公園になる。埴輪(はにわ)など古墳から出土した貴重な文化財を展示する歴史館も造る。整備を進める同市は、地域の成り立ちを楽しんで学べる拠点にしたいという。

 今城塚古墳は6世紀前半に築かれたとされる。墳丘の全長は約190メートルで二重に巡らされた濠(ほり)を含めた面積は約9ヘクタール。淀川流域では最大の前方後円墳という。大小約500基の古墳からなる「三島古墳群」の代表格で、市は保存のため、2004年度から整備を進めてきた。公園と歴史館とを合わせた整備事業費は約40億円。

 古墳は、地震で形が崩れていた墳丘部分を原生する樹木を生かしながら整備。本来、水が満たされていた濠は、西側を池にし、東側を芝生広場にする。周囲には複数の出入り口を設け、人々が終日自由に内部を散策できるようにする。市の発掘調査で、家や人、動物などをかたどった140点以上の埴輪が出土した祭祀(さいし)場も複製品を並べてよみがえらせる。

 歴史館は古墳に隣接する。鉄骨2階建てで延べ床面積は約4千平方メートル。出土した遺物をパネルや映像、ジオラマ模型で解説する常設展示室や、埴輪づくりができる体験学習コーナーなどを設ける。常設展示室では、祭祀場で見つかり、日本最大級(高さ約1.7メートル)とされる家形埴輪や、武人や巫女(みこ)、馬などの埴輪、復元した石棺などを無料で公開する。オープン後は有料の特別展も行う予定だ。

 市は昨年10〜11月、公園と歴史館をあわせた愛称を公募。愛称は「いましろ大王(だいおう)の杜(もり)」に決まった。両施設は4月1日から公開予定。市教委文化財課は「三島古墳群は切れ目なく古墳が築かれてきた。地元の歴史の積み重ねを知ってもらいたい」と話している。問い合わせは市埋蔵文化財調査センター(072・694・7562)へ。(清水謙司)

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71よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/27(日) 20:29:25 ID:oGQbRuLE0
梅に誘われ天神参り 高槻・上宮天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110227-OYT8T00135.htm

菅原道真をまつる高槻市天神1の上宮(じょうぐう)天満宮(森嘉和宮司)で25、26日、天神まつりが開かれた。

 道真の命日に毎年開催。JR高槻駅前から同天満宮までの約300メートルの道路は歩行者専用となり、住民らでつくる実行委員会が催しを開催。約190の露店が並び、多くの人でにぎわった。同駅北側の特設ステージでは、和太鼓の演奏やピアノの弾き語りなどが披露された。

 境内では家族連れらが参拝の順番を待って列を作った。紅白の梅も咲き、記念撮影する人もいた。同実行委によると2日間の人出は約5万人といい、瀧井理会長(72)は「天候に恵まれてよかった」と話していた。

(2011年2月27日 読売新聞)

72よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/27(日) 20:39:01 ID:oGQbRuLE0
古墳マップ、QRコードで説明も
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110225-OYT8T00055.htm

羽曳野、藤井寺市
 世界遺産登録の暫定リスト入りが決まった古市古墳群がある羽曳野、藤井寺両市は、携帯電話で読み取ると古墳の説明を聞くことができるQRコードが付いた「ウオーキングマップ」=写真=を2万部作製した。両市教委などで無料配布している。

 地図には、応神陵古墳(誉田御廟山古墳)や仲哀陵古墳(岡ミサンザイ古墳)、津堂城山古墳などの前方後円墳計7基のコードを掲載。ほかの古墳については、地図の裏に説明文を付けた。ウオーキングコースや発掘品の展示施設一覧も入れた。

 藤井寺市世界遺産登録推進室の山田幸弘主幹は「博物館などで普及している音声ガイドのフィールドワーク版。古墳を見ながら聞き入ってほしい」と話している。問い合わせは、同推進室(072・939・1417)。

(2011年2月25日 読売新聞)

73よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/02/28(月) 22:12:25 ID:pwWWvSps0
なるほドリ:「いましろ 大王の杜」はどんな場所なの? /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110228ddlk27070209000c.html

 ◇高槻の今城塚古墳 史跡公園と歴史館、4月開館
 なるほドリ 高槻市に「いましろ 大王の杜(もり)」という場所ができると聞いたけど。

 記者 高槻市郡家新町に4月に開館する、今城塚古墳の史跡公園と古代歴史館の愛称です。市が昨年、一般から募集し、決定しました。

 Q 今城塚古墳はどんな古墳なの?

 A 市教委によると、6世紀前半の前方後円墳で、墳丘の長さ約190メートル、全体の面積は約9ヘクタールと甲子園球場の約2倍に相当します。淀川流域では最大級の前方後円墳で、同時代の古墳としては国内でも最大規模だそうです。中世にとりでとして利用され、「今城」の名がついたといいます。

 Q 誰の墓なの?

 A 古墳時代後期に活躍し、聖徳太子の曽祖父とされる継体天皇の陵墓という説があります。今城塚の西約1・5キロにある太田茶臼山古墳(茨木市太田)が継体陵とされていますが、日本書紀などの文献や築造年代といった研究成果から、今城塚を継体陵とする説が有力だそうです。

 Q 出土品は?

 A たくさんの埴輪(はにわ)が見つかりました。家や人物、動物など140点以上の形象埴輪が並んでいたとみられる場所は、埴輪祭祀場(さいしば)だったと考えられています。国内で他に類例がない規模と内容だそうです。

 Q どんな公園と歴史館になるのかな?

 A 公園には復元した埴輪で祭祀場が再現されます。芝生広場や展望デッキ、スロープなどを設け、訪れやすく憩いの場にもなるよう配慮しました。歴史館には発掘の成果が展示されます。中でも、高さ170センチの家形埴輪は国内最大級です。また、石棺3基は、熊本や兵庫など、出土した破片を分析して調べた産地の石材を使い、復元しました。

 Q 楽しみながら歴史にふれられそうだね。

 A 高槻には500の古墳群や多くの遺跡があり、奈良時代の郡役所「嶋上郡衙(しまがみぐんが)」も置かれていました。「人や物が通る淀川の流域が開けるところで、それなりの人物が足跡を残した」と市教委は考えます。大王の杜を中心にそれらを巡り、いにしえに思いをはせてみませんか。<回答・八重樫裕一(社会部)>

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 あなたの質問をお寄せください。

〒530−8251(住所不要)毎日新聞社会部「質問なるほドリ」係

(o.shakaibu@mainichi.co.jp)

74よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/04(金) 03:22:50 ID:JZRzNSUQ0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/198 浮世小路 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110303ddlk27070403000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇「好色一代男」に登場 なんでもござれの裏通り
 鴻池家などの両替商が軒を連ねた今橋通の南に、車1台通るのがやっとの細い路地が、まっすぐ西へ延びている。「井原西鶴の『好色一代男』にも出てくる浮世小路(しょうじ)です」と大阪案内人の西俣稔さん。

 江戸時代、一大金融街だった今橋通が表通りなら、こちらは裏通り。東横堀川から、今は埋め立てられた西横堀川まで、約1キロの小路の両側には、揚弓屋に風呂屋、餅屋に質屋、三味線や謡曲のお師匠さん、寺子屋、米屋に占師、果ては売春宿まで、なんでもござれ。まるで浮世のありさまを見るようなものだったから、浮世小路の名が付いたといわれる。通り一本違うだけで、えらい様変わりだ。

 さて、「好色一代男」である。ごぞんじ、希代の遊蕩(ゆうとう)児、世之助のすさまじい女性遍歴の物語。世之助23歳の時、九州から大坂に戻って、浮世小路に自分のことが忘れられない女性がいると聞いて訪ねていく。その描写。

 「花屋、たばこきり、駕籠(かご)かきの西隣に、何して世をわたるともなく、柿染めののれんかけて、女の一人暮らせり」

 小商いの店や、気の荒いかごかきに囲まれて、女一人で住んでいるとは、いかにもいわくありげだ。乳母の妹で、出合宿を営んでいる。出合宿とは、今で言えばラブホテルみたいなものか。

     ◇

 北浜の料亭「花外楼」の先々代の女将、徳光孝さんは、自著「花のそと」に、浮世小路の思い出を書き残している。

 孝さんが子どものころだから、明治中ごろのこと。「トンネルのように昼も暗くて、このあたりでは特にさびしい場所でした。(中略)ここを通る時は申し合わせたように『オンゴク ナハハヤ ヨイヨイ』と一段と大きな声をはり上げて通ったものです」

 タヌキが出る、とも言われた。女性のマッサージ師がよく出入りしており、みやげに折り箱を持たせたものだが、夜遅くなった時は浮世小路へ来ると、たちまちちょうちんの火が消え、折り箱のごちそうがなくなる−−。 木造の民家が立ち並んでいた時代のこと。ばかし、ばかされも浮世の常というわけか。

     ◇

 浮世小路を歩く。小路に入ってすぐの喫茶店に「でんわ」の看板がかかっている。昔はいざ知らず、いま、店内の公衆電話を使う人はいないだろう。時が止まっているかのようだ。カラオケボックス、中華やイタリア料理店……ビルの陰にぽつぽつと店がある。

 西へ歩を進めると、古そうな門構えのてんぷら屋や美術商が現れた。ここに浮世小路の面影を見るのは無理があるか。タヌキも見かけなかった。次第にビルは高くなり、ビルの谷間を歩いて、十数分の探索は終了。変哲もないオフィス街の裏通りだが、歴史を知って歩くとひと味違う。【松井宏員】

75よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/04(金) 16:37:58 ID:1KPRwcBw0
寺山南山古墳:長方形と判明 あす現地公開−−堺 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110304ddlk27040327000c.html

 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥古墳群の一つ、寺山南山古墳(堺市西区上野芝町1丁)について、堺市は調査の結果、長方形の方墳であることが判明したと発表した。

 寺山南山古墳は、陪塚(大きな古墳周辺に造られた小さな古墳)と考えられ正方形とみられていた。市の調査で、墳丘から円筒埴輪(はにわ)の基底部が一部出土。埴輪列は30・5メートル×33・5メートルに並んでいたとみられ、古墳も長方形だった可能性が高いという。市は5日午前10時半から午後4時、現地公開する。問い合わせは、市文化財課分室(072・273・6101)。【山田英之】

76よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/04(金) 17:26:56 ID:1KPRwcBw0
大坂城跡 江戸初期の石段出土
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110304-OYT8T00097.htm

秀頼と淀殿自刃地の一部 復元へ貴重な資料
 大阪市中央区の特別史跡・大坂城跡で、江戸時代初めに築かれたとみられる石段の一部が、大阪市博物館協会大阪文化財研究所の調査で出土した。大坂夏の陣(1615年)で豊臣秀頼と淀殿らが自刃した場所の一角にあたり、徳川幕府がその後、堅固に整備した様子がうかがえる。同研究所は「江戸時代の大坂城の復元に役立ち、城の整備の変遷もわかる貴重な資料」としている。

 城の修復事業の一環で、天守閣北側にある「山里丸」の一部約200平方メートルを調査。現在の石段の裏側に、ほぼ直角に曲がった長さ約10メートル分の石段3〜4段が見つかった。周囲には石段を補強するための「裏込め石」(15〜20センチ)が一面に敷き詰められ、外敵を防ぐために城壁の上に建てる施設「多聞櫓(やぐら)」の礎石約20個(長さ70〜80センチ)も出土した。

 豊臣期の大坂城は大坂夏の陣で落城し、徳川幕府が1624年に再建に着手した。江戸時代の絵図には、調査地の部分に曲がった石段が描かれており、当時は石段が9段あったとみられる。

 山里丸には太平洋戦争中、軍によって兵舎が建てられていた。石段が爆撃などで激しく傷んだため、1958〜59年の修復工事で直線の石段を設け、江戸時代の石段を埋めたらしい。

 現地公開は5日午前10時〜正午。小雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(090・2386・7682)。

(2011年3月4日 読売新聞)

77よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/10(木) 22:30:01 ID:199k5HWc0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/199 高麗橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110310ddlk27070445000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇西詰めにやぐら屋敷 秀吉時代、朝鮮との貿易拠点
 浮世小路(しょうじ)の一つ南の通りに架かっている高麗橋は、江戸時代の大坂に12しかなかった幕府管理の公儀橋の中でも、格式が高かった。お江戸が日本橋なら、大坂は高麗橋。

 大阪案内人の西俣稔さんが、橋の名の由来を説明。「このあたりに古代、朝鮮の使節の迎賓館があったから、という説があるんです」

 その迎賓館は高麗館(こまのむろつみ)という名で、橋ができるずっとずっと昔のことだ。また、豊臣秀吉の時代に、朝鮮との貿易の拠点となっていたから、ともいわれる。

 この橋の面白いのは、高欄に石のやぐらがのっかってるところだ。これにもちゃんといわれがあって、「橋の西詰めにやぐら屋敷があって、それを模してるんです」。

 江戸時代後期に出版されたガイドブック「摂津名所図会」には、「あたかも城郭の矢倉のごとし、ゆえにやぐら屋敷という。浪花市中の一奇観なり」と記されていて、観光名所だったようだ。江戸時代初期の見張りのための番所ともいわれるが、摂津名所図会では、北側のやぐら屋敷は綿問屋になっている。

 毎日新聞社に保存されている写真を見ると、明治初めまでは橋の両側にやぐら屋敷があるが、明治30年ごろの写真には、南側にしか残っていない。

 その西詰めには、お上のお触れ書きを張り出す制札場があった。時代劇などで、罪人の人相書きが掲示され、人々が「なんだなんだ」とたかっている、あれである。罪人のさらし場もあったという。

 つまりは、それだけ人通りが多い中心街だったということだ。昭和初めに御堂筋が拡幅されるまで、大阪の中心は堺筋だったのだから、さもありなん。

 すぐ近くの今橋通は両替商が軒を連ね、高麗橋通には元禄時代、三井呉服店が店を出した。百貨店の元祖で、その後、三越になる。いま、三越のあった場所には高層階のビルが建つ。

 屋号が越後屋の三井呉服店は、掛け売りが一般的だった当時、現金掛け値なしの正札商法で庶民の心をつかんだ。錦絵「浪花百景」には、約50メートルもあった間口の広い店先には紋を染め抜いたのれんが掛かり、屋根にも看板が掲げられ、店の中では客が上がりがまちに腰掛けて、品定めしている様が描かれている。

 向かいには、糸やべっこう、塗り物、紅おしろいを扱う店が並んでいた。これすべて、三井グループの店で、「ここへ来れば嫁入り道具がそろう」と言われた。さぞや、当時の娘さんたちのあこがれの地であったことだろう。「うち、越後屋はんで、このべべ、あつらえたんよ」「まあ、うらやましいこと」てなもんだ。

 しかも、高麗橋通には「虎屋」という、まんじゅうが安くて名物だった菓子屋も店を構えていた。「東海道中膝栗毛」にも登場する名高い店だ。淀屋橋に近い今橋通の西端に本店を構える和菓子の「鶴屋八幡」のご先祖さまだ。

 きれいな着物や飾り物に甘いもん。これは、娘さんにはたまりませんわなあ。【松井宏員】

78よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/14(月) 20:51:33 ID:xG4NMV160
仁徳陵周辺で清掃奉仕
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110314-OYT8T00067.htm

 堺市堺区の世界最大級の古墳・大山古墳(仁徳天皇陵)で13日、地元住民らでつくる「仁徳陵をまもり隊」(下原武雄会長)のボランティアら約200人が、濠(ほり)や遊歩道を清掃した。約2時間にわたり外周約2・8キロをきれいにし、集めたごみの量はごみ袋70袋分に上った。宮内庁の許可を受け、地元自治会や近くの市立堺高、府立だいせん聴覚高等支援学校の生徒らが清掃、すぐに用意したごみ袋がいっぱいになった。参加した堺市西区の松岡史子さん(63)は「仁徳さんをきれいに守って観光客に気持ちよくなってもらえれば」とほほ笑んでいた。

(2011年3月14日 読売新聞)

79よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/19(土) 04:32:53 ID:LE2Ee0ws0
2011年3月18日
百舌鳥・古市古墳群 シンポで魅力発信
http://www.sankei-kansai.com/2011/03/18/20110318-050908.php

 「百舌鳥・古市古墳群の魅力〜世界文化遺産への道〜」(大阪府立大学主催、産経新聞社協力、堺市など後援)が17日、堺市中区の大阪府立大学で開かれ、約300人が参加した。昨年、この古墳群が世界文化遺産登録準備リストに名を連ねたことを記念し、地域での機運を盛り上げる目的で開かれた。

 第1部の基調講演では前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏が「世界文化遺産への道」と題し、日本が世界に対して誇るべき文化遺産の価値について講演した。

 また第2部では「百舌鳥・古市古墳群の魅力と可能性を考える」と題して、専門家らによる古墳群の学術的価値や今後の街づくりの観点でのパネルディスカッションなどが展開された。

80よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/20(日) 18:01:52 ID:xFvlpxzI0
文化審答申:金剛寺の木造大日如来坐像、国重文に指定答申 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110320ddlk27040237000c.html

 ◇大工頭中井家の関係資料
 18日に開かれた国の文化審議会で、府内からは金剛寺(河内長野市)にある木造大日如来坐像と、江戸期に全国の城郭や寺院を設計・建築した大工頭中井家の関係資料が国の重要文化財に答申された。また貝塚市の寺田家住宅(主屋など7件)と毎日新聞社元社長で実業家の本山彦一が集めた考古学資料が国の登録有形文化財として答申された。

 木造大日如来坐像は、重要文化財に指定されている多宝塔の本尊仏で鎌倉時代の作。平安時代の洗練された藤原様式を基調としながら、髪の束ね方など随所に鎌倉の新様式の技法がみられる。

 中井家関係資料は、文書や記録、絵図など5195点が指定される。江戸期の多様な公共事業建築物の内容や職人集団のまとめ方の実態を知る上で最もまとまった資料といえる。寺田家は明治時代に岸和田紡績などを経営した寺田甚与茂(じんよも)の一族。登録されるのは、主屋▽内蔵▽外蔵▽納屋▽本門▽新宅▽石垣塀。新宅以外は1936年の建築で、泉州地域を代表する昭和前期の住宅建築として評価された。【田中博子】

81よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/21(月) 11:01:44 ID:Hg2x6q/E0
2011年3月21日
安政南海地震から津波の猛威知って 大阪城で瓦版の幕末災害史展
http://www.sankei-kansai.com/2011/03/21/20110321-050997.php

 いま、大阪を津波が襲ったら―。災害をテーマにした特別展「瓦版にみる幕末大坂の事件史・災害史」が、大阪市中央区の大阪城天守閣4階展示室で開かれている。嘉永7(1854)年、大阪を襲った安政南海地震での被害の様子を伝える瓦版も展示され、担当者は「改めて府民に防災意識を高めてもらえれば」と呼びかけている。会場では東日本大震災の被災者救援のため募金活動も行っている。5月8日まで。

 同展は東日本大震災の発生前から企画されており、「現実の恐ろしさに驚いています」と担当者は明かす。

 安政南海地震は嘉永7年11月4日に発生。速報として配られた瓦版には「大坂の町を津浪が襲い、船舶や橋がつぶれ、多数の死者が出ている…」と記述。銭湯の湯船からあわてて逃げ出す市民の姿が挿絵で描かれるなど生々しい被災の様子が綴られている。

 また、津波の被災範囲を表す「大坂大津浪図」も出展。道頓堀から南、木津川から西のほぼ全域が水没した様子が説明されている。「大地震両川口津浪記」の中には、「大地震が起きても津浪の恐れがあるので絶対に船に乗るな、水の勢いはいつもの高潮とは違う」と後世へ訴える貴重なメッセージも残されている。

 午前9時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料は大人600円、中学生以下無料。

82よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/22(火) 20:35:44 ID:y3n0j.7g0
「万葉歌木簡」調査の軌跡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110322-OYT8T00042.htm

木簡研究の第一人者で大阪市立大の栄原永遠男(とわお)名誉教授(古代史)が新著「万葉歌木簡を追う」を刊行した。全国の木簡を調査し、歌木簡の存在を提唱した軌跡を、生き生きとした筆致で描いている。

 栄原名誉教授は、2006年に大阪市の難波(なにわ)宮跡で出土した「はるくさ木簡」と呼ばれる歌木簡や、滋賀県甲賀市の宮町遺跡から出土した「あさかやま木簡」の解明にかかわった。

 その後、奈良文化財研究所などの協力を得て、奈良県橿原市の藤原宮跡や奈良市の平城宮跡など、各地で出土した漢字1字で日本語の1音を表す万葉仮名で書かれた木簡を見て回った。

 本書では、調査、研究の結果、長大な木簡の片面に万葉仮名で歌を書くことが7世紀中頃〜10世紀前半まで、全国で行われていたことを明らかにし、儀式や歌宴で詠み上げることが広く行われていたとの推論に至る経緯を説明。章ごとに小さなまとめ記事をつけて、一般にも理解しやすい構成になっている。

 栄原名誉教授は「今後も万葉仮名木簡の出土は続くとみられ、研究の進展で古代の歌を取り巻く環境が明らかになっていくのではないか」と話している。

 四六判216ページ。税込み1890円。和泉書院刊。

(2011年3月22日 読売新聞)

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84よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/25(金) 21:17:17 ID:TD12VQ960
旧泉家住宅の補修完了
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110325-OYT8T00046.htm

民家集落博物館 独特の間取り公開
 豊中市の日本民家集落博物館が、江戸時代初期の庄屋「旧泉家住宅」(国の重要文化財)=写真=の補修工事を終え、26日から一般公開する。母屋の片方に部屋を集め、残りに土間を設けた「縦割り片土間型」と呼ばれる独特の間取りを見学できる。

 旧泉家住宅は能勢町の吉野集落に建てられ、1960年に同館が寄贈を受けた。大阪・摂津地域と京都・丹波地域の境界周辺だけに分布する間取りで、64年に重要文化財に指定された。老朽化に伴い昨年11月から閉鎖し、かやぶき屋根などを修理。総事業費は約2500万円。

 同館の金田真人副館長は「住宅の構造から京都の町家に強く影響を受けていたことがわかる。当時の暮らしぶりが伝わってくる」と話している。

 26日は午後1時から完成記念式を開き、同2時から能勢町の伝統芸能「能勢浄瑠璃」を上演。同町の物産品の販売や、雑煮のプレゼント(先着100人)もある。入館料は大人500円。問い合わせは同館(06・6862・3137)。

(2011年3月25日 読売新聞)

85よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/27(日) 23:38:13 ID:xbu53e1I0
こういう非常時こそ大阪で善政を行った天皇と今上陛下のお話を。


3月27日
2011.3.27 03:05
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110327/dst11032703050012-n1.htm

 『日本書紀』に「民のかまど」の話がある。第16代仁徳天皇が難波の高津宮から外を見ると、かまどを炊く煙が見えない。「民は食事を作ることもできないのか」と嘆いた天皇は3年間課役を免除するとともに、自らもぜいたくを絶ち、宮殿は荒れるにまかせた。

 ▼3年後再び高殿に立つと、こんどは多くの煙が見え、天皇は「これで私も豊かになった」と満足する。「宮殿は荒れ放題ですのに」と不満げな皇后に「民が豊かになるのが私が豊かになることだ」と答えた。この「民のかまど」の精神は歴代の天皇に脈々と受け継がれてきたようだ。

 ▼昭和天皇は戦後間もなく全国を巡幸された。着ていかれる洋服がみすぼらしいと、周囲は新調を勧めたが「みな着るものにも不自由しているのだから」と、断られた。学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけお休みになったこともある。

 ▼今の天皇、皇后両陛下が、大震災の後に「自主停電」されているという話にも鼻のあたりがツーンときた。15日から「第1グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられる。実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうだ。

 ▼天皇陛下は77歳のご高齢である。以前には前立腺がんの手術も受けられた。それなのに「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と、その間は暖房も使われない。ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとられたこともあるという。

 ▼それほどまで国民に思いをはせておられる。そのことを知れば、被災地で苦難の生活を強いられたり原発の修復にあたったりしている人々にこれ以上にない励ましとなるだろう。身勝手な買いだめなど決してできないはずだ。

86名無しさん:2011/03/31(木) 13:19:14 ID:P4pvzhNg0
>>85
その記事は、意図的に次の事柄を抜いたのかも知れませんが、杜撰なものです。

天明の大飢饉において、幕府の無為無策に業を煮やした大勢の庶民が御所に
集まり、天皇に救済を求めたところ、畏くも光格天皇は所司代を通して幕府
に被災民の救済を命じあそばせ、幕府は慌てて勅命を奉じ、救済米を放出し
ました。今上陛下は、光格天皇の御直系にておわします。

阪神淡路大震災において、当時の社自連立内閣の無為無策の中、今上陛下は
国母とともに被災地を御慰問あらせられ、被災地の人々に仁慈を垂れさせたまい
ました。今般の震災において、両陛下は東京の避難所のみ御慰問させたまいまし
たが、東京の避難所のみというのは両陛下の御意志ではなく、放射線を怖れた
宮内庁が本当の被災地への御慰問を止めたのです。

87よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/03/31(木) 16:21:21 ID:.f69HAz20
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/201 東横堀川水門 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110331ddlk27070389000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇ラジアルゲートとマイターゲート
 ◇水位そろえば青信号 船舶通航に水量調整
 高麗橋の南側に、東横堀川の流れをせき止めるようなブルーの遮蔽(しゃへい)物が横たわっている。00年11月に供用が開始された東横堀川水門だ。

 最近、土佐堀川から東横堀川、道頓堀川、木津川を巡るリバークルーズが人気で、この水門を通る船は増えており、昨年度は約9200隻が通航した。道頓堀川から木津川に出るところには道頓堀川水門がある。

 私も何度か船でこの水門を通ったことがあるが、信号があったり水が飛び出したりして、ちょっと面白いのだ。水門を操作している市の東横堀川水門管理事務所を訪ねた。

 遮蔽物のようなのはラジアルゲートという水門だ。船が土佐堀川から入ってくると、赤信号がともっていて、高麗橋の手前で一時停止。川岸の両側から放水が始まる。いわば遮断機の役目だ。ラジアルゲートは半円形で、高さは約8メートルある。水上に出ているのは約2メートルで、全体の形は見た目ではわからない。これが水中に横たわる形で沈んでいく。完全に沈んだら放水がやみ、青信号に変わる。

 あとは進むだけ−−と思いきや、もう一つ水門が。ラジアルゲートの約50メートル先にはマイターゲートがあり、通常は開いているが、船が通るときはあらかじめ閉められている。ここにも信号があり、赤で停止。後方ではラジアルゲートが水中から浮き上がってきて、船は前後を水門で挟まれ、50メートルプールに浮いている状態になる。

 なんでこんなことをするかというと、土佐堀川と東横堀川の水位が違うからだ。取材に訪ねた時は土佐堀川が1・57メートル、東横堀川が1・2メートルで、土佐堀川が37センチ高かった。東横堀川−道頓堀川は水門の調整で水位を一定に保っているが、土佐堀川は大阪湾の干満の影響で水位が変わる。水位差は満潮時で40〜50センチ、大潮の時などは最大で1・2メートル。時には土佐堀川の方が低くなることもある。

 これでは船が通れないので、プール状態にして水量を増やしたり減らしたりして、東横堀川の水位に合わせるわけだ。プールと東横堀川の水位が合わないとゲートが開かない仕組みになっている。いわゆる閘門(こうもん)で、毛馬の閘門も同じシステムだ。水位がそろうと、マイターゲートが開いて信号が青になり、船は東横堀川に出る。この間6〜10分。ほぼ直角に道頓堀川に曲がる所にはカーブミラーもある。

 水門のもうひとつの大きな役割は水質浄化だ。川の汚染度を示すBOD(生物化学的酸素要求量)は、東横堀川の場合、昭和40年代は基準値の10倍以上の、1リットル当たり36ミリグラムだったのが、近年は同2・2ミリグラムと大幅に改善された。モクズガニやウグイ、ウナギのほか、清流でないと生息できないコウライモロコも確認されている。

 ところが、東横堀川と土佐堀川の合流点からすぐ上流に注ぎ込む寝屋川は汚れている。BODが同7〜8ミリグラムもある寝屋川の水を入れないようにするのが浄化のポイント。水門を閉めっぱなしでは水質は悪くなるので、船が通る時以外にも水門を開けて新しい水を入れるのだが、これが上げ潮の時。潮が川をさかのぼってくるので、寝屋川の流れは押し戻され、東横堀川には入ってこないからだ。水位は上がるから、下げ潮の時は道頓堀川水門を開けて水位を戻す。

 操作室には朝9時から夜10時まで、職員が2人体制で詰める。水門を通るには通常は3日前までに申請が必要だが、緊急の場合もある。築港にある水上警察署が、大川の上流で起きた事件で駆けつける時は、舟艇が道頓堀川から東横堀川を通る。土佐堀川や堂島川は船が通れない低い橋があるためだ。

 特別に水門を開けてもらった。沈むラジアルゲートを指して職員が「幅が22メートルあって、船舶を通す水門としては日本一です」と教えてくれた。そのゲートの上をアオサギが闊歩(かっぽ)していた。【松井宏員】

88名無しさん:2011/04/04(月) 12:25:06 ID:E2UNVdEE0
竹本源大夫・鶴澤藤蔵さん親子同時襲名披露
http://www.sankei-kansai.com/2011/04/03/20110403-051405.php
 文楽太夫の人間国宝、竹本綱大夫改め九代目竹本源大夫(げんだゆう)さん(79)と、長男で実力派三味線の鶴澤清二郎改め二代目鶴澤藤蔵(とうぞう)さん(46)の襲名披露公演が2日、大阪・日本橋の国立文楽劇場で初日の幕を開け、文楽では珍しい親子同時襲名に大勢の観客が駆けつけた。

 新・源大夫さんは病気療養のため、襲名披露演目「実盛物語」は休演したが、「口上」には出演。親子を真ん中に、竹本住大夫さんら文楽三業の代表があいさつ、最後に2人が神妙に頭を下げると、客席から大きな拍手がわき起こった=写真。この日、同劇場の2階ロビーでは、人形遣いの人間国宝、吉田簔助さんらが人形を持って東日本大震災の義援金を募った。公演は24日まで。

 2011年4月3日

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90よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/05(火) 19:51:55 ID:O.OQWcDo0
自然美を凝縮 吉向焼九世・松月さん個展
2011年4月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110405/20110405026.html

 吉向(きっこう)焼の九世当主、吉向松月さん(57)=交野市=の個展が、大阪府守口市の京阪百貨店守口店6階の京阪美術画廊で開かれている。陶器と日本画が融合した色鮮やかな創作品など約80点が展示され、来場者を引き付けている。入場無料。6日まで。

 吉向焼は大阪の十三の地で発祥し、200年以上の歴史がある。伝統的な京焼の流れをくみ、明るい色薬が特徴。現在は窯を交野市に移している。

 窯元では、代々の当主が「松月」の名と伝統の茶器製法を受け継ぎながら、新たな作品を生み出した。九世の松月さんは、学んだ日本画などを生かし、作品の表面に自然の美しさを描く。松月さんは大阪工芸協会の常務理事も務めている。

 会場には、春に合わせて満開の桜を表面に描いた茶わん「さくら」や花器「山水」などを飾る。東日本大震災の復興支援チャリティー作品も展示。「夜明け」をテーマに制作した陶額と茶わんだ。

 松月さんは「材料の土は大地の恵み物。この自然の物から創作意欲をもらっている。見て楽しい、使って楽しい、癒やしのある作品を並べています」と来場を呼び掛ける。

 午前10時〜午後8時(最終日は午後4時まで)。問い合わせは電話06(6994)1313、同店京阪美術画廊へ。

91よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/06(水) 23:37:54 ID:U8kmQ6ZE0
南堀江の寺で「花まつり市」−フリペ専門店から有機野菜まで
http://namba.keizai.biz/headline/1781/

 南堀江の萬福寺(大阪市西区南堀江1)で4月9日、手作り雑貨や古本、カレーとチャイ、有機野菜の店などが出店する「花まつり市」が開催される。同イベントは、萬福寺と背中合わせに立つビルの1階でオルタナティブスペース「Pulp」を運営する「PulpPictures」との共同企画。

 400年以上の歴史を持つ同寺は、「島之内の萬福寺さん」として古典落語「親子茶屋」にも登場する浄土真宗本願寺派の寺。1958(昭和33)年に島之内(現在のアメリカ村)から現在の場所に移転した。同寺ではお参りや恒例行事のほか、1992年には「寺子屋プラバー」を発足し、文化教室や落語会、ライブなどの文化イベントを開いている。

 Pulp Pictureが同寺でイベントを行うのは、昨年7月に開催したPulpのオープニングイベント以来2回目。メンバーの石原拓磨さんは「街の中にあるお寺だからこそできることがある。今回の共同企画が、『もっと外に向けて開かれたお寺に』という住職の思いと『街のいろいろなコミュニティーをつなげる空間に』というPulp Picturesの思いを形にするきっかけになれば」と話す。昨年の夏から行われていた改装工事が3月でほぼ終わりを迎えたため、今後は同寺を舞台に定期的にイベントを開催する予定だという。

 釈迦(しゃか)の誕生を祝う4月8日の恒例行事「花まつり」に合わせて行う同イベント。境内の大広間や中庭を使って、ジャンルも活動拠点もさまざまな16組が一日限りの市場を開く。飲食は、有機野菜(2組)、カレーとチャイ、鹿料理とおにぎり、ジュース(以上各1組)の計5組。服飾品は、アクセサリー(3組、うち1組はジュース店を兼ねる)、服飾雑貨(2組)、帽子、小物(以上各1組)の計7組。そのほか、フリーペーパー、古本、本、紙と切手、家具(各1組)も。

 「堀江に住んでいる人、堀江で買い物中の人、堀江をたまたま通りかかった人…いろいろな人に楽しんでもらえるイベントにしたい。開花予報によるとちょうど桜が見頃を迎えそうなので、お花見に出かけたついでにお寺に寄ってもらえたら」と石原さん。
 
 開催時間は11時〜18時。入場無料。

92よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/07(木) 21:01:14 ID:zaCvlli20
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/202 思案橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110407ddlk27070419000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇右か左か、どっち行こ 敵を防ぐ「五」の字の道 西詰めに名残のT字路
 東横堀川水門のあたりは、岸辺が遊歩道として整備されている。ここからだと、高麗橋のアーチ形の形状がよくわかる。遊歩道には釣り糸を垂れているおじさんや、ベンチに腰掛けてぼーっとしてるおじさんがいたりして、のんびりしたものだ。

 高麗橋の南に架かっているのが平野橋。川面に、アーチが対称に弧を描いている。大阪案内人の西俣稔さんと南へ歩く。「なんで平野橋というか」。このあたりが平野町だから? 「それは御霊神社が、京都の平野神社と共通するところがあったからです」

 平野橋の通りをまっすぐ西へ行くと、御霊神社がある。ここにまつられているのが百済氏出身の早良(さわら)親王で、同じ百済氏をまつる京都の平野神社にちなんで名付けられたという。

 「大塩平八郎の乱で、戦いの舞台にもなっているんです」と西俣さん。1837(天保8)年の大塩の乱は1日で鎮圧された。平野橋の東詰めで大塩党は幕府方に敗走している。

 このかいわいは今では何の変哲もないオフィス街だが、江戸時代は「にぎわい言うべくもあらず」と記される繁華な街だった。西に御霊神社、東に神明神社があって、門前には盛り場がつきものだった時代だ。現代の大阪は御堂筋や堺筋など、南北の「筋」が目抜き通りになっているが、江戸時代の大坂は東西の「通り」が中心で、ことに平野町は夜店も出て明治の末ごろまでにぎわっていた。

 大坂三郷の一つ、北組の自治組織である惣会所(そうかいしょ)があったし、明治時代には此花館という寄席もあった。堅いところからやわらかいところまでそろっていたのだ。

     ◇

 さらに南へ。大手橋は、コンクリートの欄干に90年に戦前の照明灯が復元された趣ある橋だ。「昔は思案橋と呼ばれてたんです」。そっちの方が趣がありますがな。なんで思案橋?

 すると西俣さん、西詰めに立って「突き当たるでしょ」。確かにT字路になっている。「だから、右に行こか左に行こか思案するわけ」。東詰めにある銘板によると、ほかに豊臣秀吉に橋の名前を考えろと命じられ、思案したからという説もある。思案したのは五奉行の一人、増田長盛とも、とんちで名高い曽呂利新左衛門ともいわれる。

 大手橋と名を変えたのは大正時代のこと。大阪城の大手門に通じるから。「江戸時代に大手橋という名前なら、敵に、城に通じると教えるようなもの。城下町は五の字に道を作るんです。袋小路、カギ形、T字。複雑に入り組ませて、攻め込みにくくしてるわけ」

 その名残が西詰めのT字路なのだ。橋そのものは1926(大正15)年に木製から今のコンクリート製に架け替わった。

 ただ、橋の上には自転車が鈴なりに止まっていて、これはいただけない。せっかくの趣が台無しだ。【松井宏員】

93よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/10(日) 00:47:25 ID:pQ4sHmko0
150年前の安政地震、大阪にも大津波 被害伝える瓦版公開
2011.4.9 16:23
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040916280042-n1.htm
 
 安政元(1854)年の安政南海地震による津波で、大阪市西部が水没するなど関西でも大きな被害が出たことを伝える瓦版が、大阪城天守閣(同市中央区)の「瓦版にみる幕末大坂の事件史・災害史展」で公開されている。

 瓦版の絵図によると、木津川や安治川の河口に停泊していた千石船が津波で河川を逆流。橋を次々に破壊しながら内陸の道頓堀まで運ばれ、「(けが人や死者は)数知れず」と記されている。

 産業技術総合研究所の寒川旭招聘研究員(地震考古学)によると、12月23日に安政東海地震(マグニチュード8・4)が発生。翌日連動して南海地震(同)が起きた。大阪ドームやJR難波駅の周辺は「いずれも水入、白海のごとく」とあり、現在なら地下鉄や地下街に水が流れ込み、多くの人が巻き込まれた恐れがある。同展は5月8日まで。

94よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/14(木) 18:48:56 ID:yv6oqQeM0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/203 天野屋利兵衛の碑 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110414ddlk27070450000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇作られた「義〓の人」 戦雲暗い1939年建立、銘は近衛文麿
 大手橋の東詰めを南へ歩くと、東横堀川沿いに茶色の巨石が鎮座している。近寄って、よくよく見ると「義〓(ぎきょう) 天野屋利兵衛之碑」と刻まれている。

 天野屋利兵衛とは、浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」などでおなじみ。海産問屋を営んでいた大坂の商人で、赤穂藩に出入りしていた関係で大石内蔵助に頼まれ、討ち入りに用いるやりなどの武器を調達する。しかし、発注した鍛治屋に密告されて奉行所に捕らえられ、拷問にあうも「天野屋利兵衛は男でござる」と叫んで口を割らなかった。討ち入りが果たされると、奉行所は利兵衛の義〓心に免じて命は助け、京に追放する−−。

 ここに碑があるところをみると、利兵衛の屋敷は大手橋(思案橋)のたもとにあったのだろう。

 岡山県西粟倉村のホームページに「男でござる天野屋利兵衛」という民話が紹介されている。事業に失敗し倒産した利兵衛に赤穂藩が救いの手を差し伸べ、特産の塩を扱わせたので天野屋は再び栄えた。そして刃傷松の廊下。主君のあだ討ちを誓った大石内蔵助は、頭を下げて、討ち入り用に刀身が短く幅が広い刀の調達を利兵衛に頼む。利兵衛は「私ごときに」と涙を流して引き受ける。かつて扱った品の中に、良質の鋼があったことを思い出した。それが若杉の村。いまの西粟倉村で、湯治の名目で刀鍛治職人とともに山村に泊まり込み、刀造りを監督した−−。

 男と男の厚情、ここに極まれり、というお話だが、実はすべて後世の作り話で、利兵衛も実在の人物ではないというのが定説になっている。

 ところが、利兵衛のモデルではないかと話題になった人物の墓がある。谷町筋から一本西に入ったお寺が並ぶ中央区中寺1の薬王寺。ここは「大阪史蹟辞典」で三善貞司さんが「古墓の宝庫」と書いているように、江戸時代の名優、中村富十郎や片岡仁左衛門、岩井半四郎、嵐雛助(ひなすけ)ら、そうそうたる顔ぶれが眠っている。

 くだんの墓は天川屋(あまかわや)利兵衛なる商人のものだ。案内してくれた藤田文明住職(68)が指さしたのは、小ぶりのもので、表には「妙法宗利日貞霊」、側面には「享保三年」と没年が刻まれている。享保3(1718)年は、赤穂浪士討ち入りの16年後にあたる。「無縁仏になっていたのを、大阪赤穂義士会が見つけたんです」と住職が説明してくれる。それが昭和15(1940)年のこと。「今も子孫が京都におられ、年に1回はお参りされてます」という。

 三善さんの「大阪人物辞典」によると、天川屋は代々、町政に携わる町年寄を務めており、利兵衛は2代目の娘婿。だが義父より25年も早く亡くなっている。芝居の登場人物と音が似ており、早世だったことから尾ひれがついたのではないか、と三善さんは推測している。

 薬王寺にはもう一つ、忠臣蔵ゆかりの人物の墓がある。赤穂浪士の一人、大高源五だ。砂岩の墓はかなり崩れているが、「刃無一釼信士」と刻まれていたようだ。「大阪人物辞典」によると、この墓は天川屋利兵衛の子孫が建立した。

     ◇

 大手橋に戻る。天野屋利兵衛の石碑が建てられたのは、天川屋の墓が見つかる前年の昭和14(1939)年。銘はこの年の正月早々、首相を辞したばかりの近衛文麿の筆になる。1937年、日本は日中戦争に突入し、38年には重慶爆撃を開始。広大な大陸での戦争の泥沼にはまりこもうとしていた。さらに39年5月には、日本の生命線とされた満州の国境でソ連軍と衝突するノモンハン事件が起きている。

 戦雲が日本を包み込もうとしていた時に、利兵衛の碑が建立された。しかも、そういう国をつくったリーダーたる前首相の筆で。義〓の人というのは、きなくさい時代に愛国の象徴として利用される。この碑もその口だと考えるのが自然だろう。【松井宏員】

95よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/14(木) 19:45:36 ID:yv6oqQeM0
世界最古の企業「金剛組」、手斧始め式が文化財に 578年創業
2011.4.14 08:59
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110414/biz11041409050009-n1.htm

 西暦578年創業で「世界最古の企業」といわれる社寺専門建設会社「金剛組」(大阪市天王寺区)が仕事始めの儀式として毎年正月に行っている「四天王寺手斧(ちょんな)始め式」が、大阪市の無形文化財に指定された。

 「手斧始め式」は、1月11日に四天王寺金堂内で正大工(しょうだいく)の称号を持つ金剛家当主=現在は39代目金剛利隆相談役(86)=をはじめ社員、宮大工が古式の衣装で原木から柱を切り出す大工仕事を模した作法を行い、その年の工事の安全を祈る。一般には公開されていない。

 営業企画部の花尻千秋さんは「金剛組は、聖徳太子によって建立された四天王寺のおかげで1400年の長い歴史を歩んできました。貴重な伝統をより実りあるものとして次代に伝えるよう努力していきます」と話していた。

96よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/15(金) 06:03:46 ID:OBgSUzFc0
大阪城に大規模な鍛冶工房跡 豊臣方、夏の陣で利用か
http://www.asahi.com/national/update/0415/OSK201104140161.html

豊臣秀吉が築いた大坂城跡(大阪市中央区)の南側から、刀などの鉄製品を製造する大規模な鍛冶(かじ)工房跡が初めて見つかった。一度に6基もの鍛冶炉が出土する例は珍しい。14日、大阪市教育委員会と市博物館協会大阪文化財研究所が発表した。大坂夏の陣(1615年)を前に豊臣方が軍事的に利用した可能性もあるという。

 見つかったのは、現大阪城が立つ上町台地の東斜面にある住宅予定地で、旧大坂城三の丸南部と推定されている地域。

 豊臣時代後期(1598〜1615年)の遺構で、東西15メートル、南北4〜5メートルの敷地に三つの工房が並び、鍛冶炉が2基ずつ、計6基あった。ふいごの羽口が設置された状態の炉もあり、炉の周りには焼き入れ用とみられる長方形の水槽(長さ約1メートル)、送風管らしき竹筒なども出土した。

 市博物館協会は「豊臣方の勢力が設置した工房だろうが、城外郭の軍事的な重要地点だけに、大坂城普請のために近隣に屋敷を構えた大名が土木用のくわなどを作る工房として設置した可能性もある」としている。

 現地公開はしないが、出土品を16、17日午前9時30分〜午後4時30分、大阪市中央区大手前4丁目の大阪歴史博物館(06・6946・5728)で無料公開する。(大脇和明)

97よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/15(金) 20:34:20 ID:mwAjndKk0
泥に負けずコイ掲揚 ボーイスカウト団員ら
2011年4月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110415/20110415022.html

 「御田植神事」などが行われる住吉大社(大阪市住吉区住吉2丁目)の御田で10日、近隣のボーイスカウトの団員たちがこいのぼりを揚げる作業に取り組んだ。青空の下、色とりどり約50匹のコイが揚げられ、悠々とたなびいていた。ゴールデンウイーク終わりごろまで掲揚される。

 同所で24日に開かれるイベント「レンゲdeすみ博」の一環。神社が区民から寄贈されたこいのぼりを昨年から揚げている。ボーイスカウト大阪第123団(山本哲団委員長)の団員約50人が参加し、作業に当たった。

 レンゲ畑となった田んぼの中は前日の雨でぬかるんでおり、団員たちは悪戦苦闘。春の暖かな日差しの中、泥を顔につけて走り回る子どもたちの姿も見られた。

 香山莉子さん(13)は「こいのぼりの尻尾に泥がつかないように作業するのが少し大変」、同じく谷島温音さん(12)は「レンゲがとてもきれいで春が来たという感じ。こいのぼりといっしょに楽しんで」と話していた。

98よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/16(土) 21:33:24 ID:59l4tCvI0
なるほドリ:造幣局の「桜の通り抜け」ってどんな行事? /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110416ddlk27070389000c.html

 ◇大阪の風物詩、明治16年から一般に開放
 なるほドリ 造幣局の「桜の通り抜け」(14〜20日)ってどんな行事なの?

 記者 通り抜けは1883(明治16)年から始まった大阪に春の到来を告げる風物詩です。当時の造幣局長が「局員だけの観桜だけではもったいない」と一般開放を始めたそうです。局の南門から北門への約560メートルを歩き、沿道に咲く桜を楽しみます。例年70万人程度が訪れています。桜は毎年増えていて、今年は昨年より1品種増の128品種352本。静岡県の寺院名を冠した桜「伊豆最福寺枝垂(しだれ)」が加わりました。東日本大震災を受けて夜間ライトアップが中止になったので注意が必要です。平日は午前10時〜午後5時(土曜、日曜日は午前9時から)。会場には、被災地支援の募金箱も設置されます。【社会部・稲垣淳】

99よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/17(日) 02:37:52 ID:59l4tCvI0
まなびやの宝:/46 日本近代水泳発祥之地 府立茨木高校 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110416ddlk27070386000c.html

 ◇伝統と実績、今も受け継ぐ
 茨木市新庄町の府立茨木高校。阪急京都線の車窓からも見える正門を入ってすぐ左に、「日本近代水泳発祥之地」と刻まれた石碑が建つ。その名にふさわしく、公立高校では珍しい長水路(50メートル)の屋内プールがあり、伝統を受け継ぐ水泳部は、水球で全国大会にも出場する強豪だ。

 同校は1895(明治28)年、大阪府第四尋常中学校として創立。同窓会や水泳部の記念誌によると、大正天皇の即位を記念して体育強化をと、1915(大正4)年9月に水泳場の造成が始まった。ただし、生徒らの手作業。文豪、川端康成もその一人とされ、「ノーベル賞作家もプールを掘った」と逸話が残る。近くの川から水を引き込み、翌16(大正5)年2月にお目見えした。水泳部も同年発足。大正末から昭和初期には、飛び込みや水球も始める。

 戦前に五輪選手も輩出した栄光のプールは、全国初の学校プールで、学校体育で初めてクロールが教えられた場所でもあるという。この二つの「初」で85年、日本水泳連盟は碑文として「日本近代水泳発祥之地」を使うことを同窓会に認め、記念碑が建立された。

 95年に完成した現在の屋内プールは3代目。97年のなみはや国体で水球会場となった。立派な施設を独占するのはもったいないと、中学生が参加する記録会「茨木高校杯」を年2回開催しており、今春で第32回となる。

 水泳部OBで現在顧問の木場恒樹教諭(39)は「インターハイに出るだけでなく、出て勝てるように」と指導。副主将の平瀬智大君(17)は「こんなにいい環境で練習できるのも先輩方のおかげ。その伝統と実績を超えられるよう頑張りたい」と話している。【八重樫裕一】

100よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/17(日) 05:37:40 ID:59l4tCvI0
2011年4月16日
「愛染女組」7人と「愛染娘」10人募集 6月30日から愛染まつり
http://www.sankei-kansai.com/2011/04/16/20110416-051847.php

 大阪三大夏祭りの一つに数えられる愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)(大阪市天王寺区)主催の「愛染まつり」が、今年も同寺周辺で6月30日〜7月2日に開催されるのに合わせ、愛染堂では、祭りを盛り上げる「愛染娘」と「愛染女組」を募集している。

 聖徳太子ゆかりの愛染堂周辺で開かれる愛染まつりは、夏を告げる風物詩として親しまれ、愛染娘を乗せたかごが大阪のまちを練り歩く「宝恵かごパレード」は人気行事の一つ。

 愛染堂では、浴衣姿でかごに乗る愛染娘10人と、ハッピ姿でかごを担ぐ愛染女組の7人を募集(いずれも18歳以上の女性)。愛染娘は、浴衣を自分で着る、または、着付けをしてくれる人がいることが条件。

 履歴書に、いずれかの希望と必要事項、特技を明記し、顔写真と全身写真を添えて、郵便番号543―0075 大阪市天王寺区夕陽丘町5の36「愛染堂」まで郵送(5月10日消印有効)する。問い合わせは、愛染堂(電話06・6779・5800)へ。

101よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/17(日) 05:49:47 ID:59l4tCvI0
2011年4月15日
国宝特別公開巡る 無料シャトルバス 17、18日に河内長野市
http://www.sankei-kansai.com/2011/04/15/20110415-051797.php

 大阪府河内長野市は、天野山金剛寺と観心寺で17、18両日、国宝などが特別公開されるのに合わせ、両寺を巡る無料のシャトルバスを運行する。

 金剛寺では国宝の剣(平安時代)や修復中の金堂(重要文化財)の作業現場など、観心寺では、木造如意輪観音坐像(平安時代)などを特別公開する。

 シャトルバスは、午前10時半から午後4時まで、観心寺〜金剛寺〜河内長野駅を運行する。問い合わせは市観光協会事務局(電話0721・53・1111)。

102よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/17(日) 15:51:26 ID:59l4tCvI0
上方舞・山村流:芸と歴史紹介−−大阪歴史博物館 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110417ddlk27040299000c.html

 「上方舞・山村流」が大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開催されている。大阪で生まれ育った伝統の舞、山村流の豊かな芸と歴史が紹介されている。

 山村流は、上方歌舞伎の役者から振付師に転向し、名優、三代目中村歌右衛門(1778〜1838)に重用された山村友五郎(1781〜1844)が興した舞の流派。地歌のしっとりした座敷舞と、華やかな歌舞伎舞踊とが伝承されているのが大きな特長だ。

 今回の展示はいわゆる島之内家として続いてきた山村流宗家所蔵の品が中心。三代目歌右衛門の浮世絵、初代市川右団次(後の斎入(さいにゅう)、1843〜1916)が使った三ツ面など、普段は見ることのできない貴重な資料だ。三ツ面は「仕丁(じちょう)」という曲に使われる笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸の3種類の面。これを一人で使い分けて踊る。02年、この面を使って現六世宗家、山村若が約40年ぶりに復活上演した。その他計約60点を展示。

 4月23日、5月21日には山村流舞の会が開催される。大人600円。5月23日まで。同館(06・6946・5728)。【宮辻政夫】

103よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/17(日) 15:54:45 ID:59l4tCvI0
文楽:近松門左衛門の演目「女殺油地獄」解説 豊竹咲大夫さんら、本など作製 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110417ddlk27040294000c.html

 近松門左衛門の名作で文楽の人気演目「女殺油地獄」を多面的に解説した本「近松門左衛門名作文楽考(1) 女殺油地獄」が刊行された。文楽大夫、豊竹咲大夫さんの芸談「女殺油地獄考」とDVD、さらに近松と当時の大坂の風俗とを研究している合名会社「神宗(かんそう)」代表社員、尾嵜彰廣(おざきあきひろ)さんの「女殺油地獄ガイド」の3部構成。近松の世界を文章、芸、風俗などの面から立体的に鑑賞できるユニークな本だ。

 「女殺油地獄」は江戸時代の1721年に初演。油屋の息子与兵衛が、放蕩(ほうとう)の果て金に困り、世話になっている油屋仲間の豊島屋女房お吉を殺す。1962(昭和37)年、当時の名人、八世竹本綱大夫と三味線の十世竹沢弥七が復活。高い評価を得、文楽の人気演目になった。

 咲大夫さんは父綱大夫から引き継ぎ、今は自身の代表作の一つ。芸談の中で咲大夫さんは与兵衛に与えようと持ってきた金を母が落とす場面について「落ちたは何ぞ」の後、三味線が「チリチーン・シャン」と弾く手(譜)を採り上げ、実際は「滑稽な時に使う曲です」と解説するなど細かい芸の秘密を紹介。

 尾嵜さんの「女殺油地獄ガイド」は、当時(享保5年)の貨幣制度のほか株仲間や町年寄の仕組み、大坂商人の節季や風習など大阪に生まれ育った商人ならではの知識を披露している。

 DVDは昨年、咲大夫さんが自身の会で語った素浄瑠璃を収録。三味線は鶴沢燕三さん。咲大夫さんは大夫の最高位「切場語り」の一人で昨年度の国立劇場文楽大賞を受賞。24日まで国立文楽劇場で「女殺油地獄」を語っている。

 講談社刊。2940円。【宮辻政夫】

104よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/20(水) 19:17:29 ID:Esd7UjYo0
佐野の遺跡から東大寺の瓦
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005379711.html

大阪・泉佐野市の遺跡から鎌倉時代に奈良の東大寺を再建した際に使われたものと同じ瓦が見つかり東大寺の瓦の製造地だった可能性があるとみて注目されます。
瓦が見つかったのは泉佐野市の安松田遺跡です。
府営住宅の建て替えに伴って大阪府教育委員会がおととし発掘調査を行ったところ12世紀から14世紀にかけての瓦や破片が1000点以上見つかりました。
このうちの一枚は縦が約42センチ横が34センチ、重さが7.5キロと通常の瓦の2倍以上で大きさや、瓦を固定する釘穴の位置などが奈良・東大寺の旧境内から出土した瓦と一致したということです。
遺跡からは瓦の原料となる粘土を取り出した穴が100カ所以上見つかっていて、府の教育委員会では遺跡で東大寺の瓦が作られていた可能性が高いとしています。
東大寺は、西暦1180年の争乱で焼き討ちにあったあと再建されていて、今回見つかった瓦は、大仏殿や南大門など主要な建物が再建された時代と同じものだということです。
東大寺の再建には、岡山県や愛知県の瓦が使われていたことが知られていますが、大阪で確認されたのは初めてで、寺と泉州地域との関わりを研究するうえで貴重な資料として注目されます。

04月20日 07時07分

105よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/21(木) 19:04:31 ID:SAl9naS60
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/204 西町奉行所址 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110421ddlk27070367000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇大火「妙知焼」で移転 お白洲のお裁きだけじゃない、民政・消防・警察も奉行の仕事
 大手橋から、天野屋利兵衛の碑を過ぎると、左手にホテル「シティプラザ大阪」と展示場「マイドームおおさか」が現れる。ここは大阪コクサイホテルの跡地になる。

 マイドームおおさかの玄関脇の植え込みに「西町奉行所址」の碑が建っている。江戸の町奉行は南と北だが、大坂は西と東。そもそもは大坂城の京橋口に東西に並んで奉行所が設けられたからだが、1724(享保9)年の大火で焼失したため、京橋口には東町奉行所を再建。ここに西町奉行所を移転した。

 この大火は、妙知というおばあさん宅が火元だったので「妙知焼」と呼ばれ、大坂市中の3分の2が焼けた。火事場泥棒が横行したが、取り締まる側の肝心の奉行所が焼けたので、手をこまねいているしかなかったという。

 つい数年前まで、私は管轄地域によって奉行所が分かれているのだと思っていたが、さにあらず。1カ月ごとに当番が代わる月番制で、民事訴訟を受理していた。

 だいたい、町奉行というと、徳川吉宗の享保の改革を支えた大岡裁きの大岡越前守忠相や、「この桜吹雪に見覚えがねえとは言わせねえぜ」とタンカを切る遠山の金さんこと、遠山金四郎景元ら、時代劇のスターが頭に浮かぶ。しかし、お白洲でのお裁きばかりが奉行の仕事ではない。大坂の民政や消防、警察など、いわゆる行政と司法を担っていた。今でいうなら、裁判長と府知事と府警本部長を一人で兼ねているようなものだ。

 奉行の下には与力が30騎ずつ、同心が各50人いた。大塩の乱を起こす大塩平八郎は東町奉行所の与力だったし、もっと有名どころでいえば中村主水だろうか。もっとも、こちらは故藤田まことさんの当たり役のテレビドラマ「必殺シリーズ」の与力だけれど……。

 天満の与力町、同心の地名は、ここに与力、同心が住んでいたことを示している。

    ◇

 大坂のお奉行で名奉行の誉れ高いのは、佐々木顕発(あきのぶ)だ。落語ファンには「佐々木裁き」という噺(はなし)でおなじみ。落語では西町奉行になっているが、幕末の1852(嘉永5)年から5年、東町奉行を務めた。

 「佐々木裁き」は、町中を見回っていたお奉行が、子どもたちの「お裁きごっこ」に出くわすところから始まる。奉行役の子どもが「佐々木信濃守」を名乗っているのを聞いて、部下がやめさせようとするのを押しとどめたお奉行、子どもの裁きを見守り、のちほど奉行役の四郎吉を奉行所に呼び出す。

 親や町役は震え上がるが、本人は平気でお奉行の問いに答えていく。「星の数を知っておるか」と問われ、「ほな、お白洲の砂の数を知ってはりまっか」と返し、「ついたての仙人の絵が何をしゃべっておるか、尋ねてまいれ」には「佐々木信濃守はあほやなあ言うてました」。怒ったお奉行を「絵に描いたもんがしゃべるわけないのに、聞いて来いやなんて」とやりこめる。物おじしない度胸と利口さに、お奉行はのちに四郎吉を引き取って与力に育てあげた−−。

 佐々木顕発は、下級武士の出だったが、異例の出世を遂げた人物で、「久しく司法の職にありて出色の誉れあり」と評された。そういう出自が大坂の町人の心をくすぐり、職人のせがれの四郎吉を取り立てるという噺が生まれたのだろう。

    ◇

 名奉行の誉れ高いのは1人や2人どころではないが、もう一人、1783(天明3)年から9年も東町奉行を務めた小田切直年を紹介しておこう。つい最近、講談社文庫から発刊された松井今朝子さんの「そろそろ旅に」に登場している。

 同書の主人公は「東海道中膝栗毛」を著した十返舎一九。駿府(今の静岡)の下級武士だった一九は、駿府町奉行を務めた小田切に可愛がってもらったので、小田切を頼って大坂へやって来て家来になる。物語中では、清廉潔白な小田切の人物像や、米屋の打ち壊しに手を焼くさまが描かれている。

 小田切はその後、江戸町奉行の職に18年あった。これは大岡忠相らに次いで4番目の長さで、いかに幕府の信頼が厚かったかを物語っている。【松井宏員】

106よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/23(土) 17:28:17 ID:qMbjoQpM0
江戸時代のなにわ 展示会
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005460781.html

江戸時代、天下の台所としてにぎわったなにわの祭りや庶民の娯楽を当時の風俗画などで紹介する展示会が、きょうから大阪で開かれています。
この展示会は、大阪・北区の「大阪くらしの今昔館」が開館10年を記念して開いたもので、江戸時代のなにわの様子を描いた風俗画や版画など100点が展示されています。
このうち、「十日戎群集参詣図」は日本画家、生田花朝の作品で、大阪が商業の町として発展した江戸時代に盛んになったとされる今宮戎神社の十日戎の様子を描いています。
また、「関取二代鑑」は、芸をさらに磨こうと、江戸から上方にやってきた歌舞伎役者、五代目市川海老蔵の舞台を描いた役者絵で、海老蔵は上方でも人気が高かったということです。
展示会を企画した学芸員の深田智恵子さんは、「日常の何気ない暮らしの中に楽しみを見つけて心豊かに生きた人たちの姿に思いをはせてほしい」と話していました。この展示会は、来月29日まで開かれています。

04月23日 12時45分

107よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/23(土) 23:19:06 ID:qMbjoQpM0
重要文化財の「愛珠幼稚園」一般公開

http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html#0368238

大阪市中央区では、築110年と国内で最も古く、重要文化財にも指定されている幼稚園の内部が一般公開されました。

オフィス街に位置し、屋敷や寺を思わせる建物。大阪市立愛珠幼稚園の園舎は、1901年に地元の人たちの資金で建てられ、国の重要文化財でもある国内最古のものです。天井の高い遊戯室には、シャンデリアが輝き、当時珍しかったドイツ製のピアノや110年間時を刻む時計があります。また、重要文化財の滑り台などもあり、人々の教育への心意気を伝えます。見物に来た人は「大事にいつまでも残して欲しいと思います」と話し、卒園生の男性は「わあ凄い作りやな、ここはと、きょうは思いました。小さい時はそんなこと全然気付かなかったですけど」と笑顔を見せていました。公開は、ことしの秋頃にも予定されています。

108よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/25(月) 22:20:21 ID:VdFLw80k0
野田藤ついに開花 宇和島から里帰り11年目
2011年4月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110425/20110425021.html

 太閤さんも見た野田藤が復活!−。

 「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」。鎌倉時代から和歌にその美しさを詠まれてきた玉川春日神社(福島区玉川2丁目)の野田藤。江戸時代に同神社から愛媛県宇和島市に持ち帰られた苗木が、2000年に“里帰り”して11年目の今年、初めて花を開かせた。本家・春日神社の野田藤は戦災に全焼しており、時空を超えた復活劇に地域住民は感激に浸っている。

 豊臣秀吉が千利休を連れて見物に訪れるほど栄華を誇った野田藤は、戦後ほとんど絶滅状態となった。1971年ごろから地域住民らによる接ぎ木など積極的な再生活動が展開され、現在は区内各地で花を咲かせ、区の花に認定された。

 宇和島市の「天赦園」から里帰りした苗木は、住民グループ「のだふじの会」幹事の広岡忠雄さん(72)を中心に丹精込めて育ててきた。

 神社はマンションに囲まれ、日照時間は短い。広岡さんは専門書を読み、地道に剪定作業を続けてきた。開花しているのを見つけた瞬間、「感激して涙が出た」と振り返る。

 野田藤は連日の気温の低さもあり、現在は3〜5分咲き。今週末には見頃を迎える予想で、満開時には70〜80センチの長さになる見込み。玉川春日神社総代の藤三郎さん(72)は「条件が悪い中で咲かすのは大変だった。今後は野田阪神駅前など公共性の高い場所の藤棚を咲かせていきたい」と話している。

109よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/27(水) 03:17:42 ID:9voTZc1M0
情報プラザ:大阪城天守閣復興80周年記念 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110426ddlk27040418000c.html

 ◇大阪城天守閣復興80周年記念「大阪城ファミリーフェスティバル2011〜奏でよう!踊ろう!日本を元気に!〜」
 5月3日(火・祝)〜5日(木・祝)11〜17時、大阪城天守閣前本丸広場特設ステージ(地下鉄谷町四丁目駅・JR大阪城公園駅徒歩15分)。高校生による和太鼓や吹奏楽、大道芸、よさこい踊り、歴史トーク&クイズなど。雨天中止。参加無料(天守閣入館は有料)。同天守閣(06・6941・3044)。

110よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/27(水) 03:36:58 ID:9voTZc1M0
■東大寺の瓦は「泉佐野産」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110426114800451364.shtml

大阪府泉佐野市の遺跡から鎌倉時代の東大寺再建に使われたものと形や素材が同じ瓦が出土し、26日から府立狭山池博物館で特別展示されています。

 大阪府立狭山池博物館で26日から公開されている瓦は、縦42センチ、横34センチ、重さ7.5キロの巨大瓦です。

 府の教育委員会がおととし、泉佐野市東羽倉崎町の安松田遺跡を発掘調査した際に見つかったもので、大きさや瓦を固定する釘穴の位置、粘土の成分などが東大寺の境内から出土した瓦と一致したということです。

 「(瓦の)粘土の中に含まれている好物が一致したことがわかった。安松田遺跡で東大寺の瓦を焼いていた可能性が非常に高まった」(大阪府文化財保護課 三木弘主査)

 東大寺は、源平の合戦で1180年に焼き討ちにあい、その後再建されていてその際に岡山県や愛知県で作られていたことは知られていましたが、大阪で確認されたのは初めてだということです。
(04/26 12:35)

111よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/28(木) 00:55:06 ID:6i7wjvx20
河内長野「ふるさと学」スタート
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110427-OYT8T00061.htm

 河内長野市の小中学校で今年度から、子どもたちに郷土史を学んでもらう「ふるさと学」の授業が始まる。教諭らが教材として使うオリジナルの教科書「かわちながの物語」を作成。大化の改新後の国づくりに貢献し、同市出身とされる遣隋使・高向玄理(たかむこのくろまろ)など、歴史の節目ごとに、市ゆかりの人物やエピソードを取り上げており、市教委は「河内長野から見た歴史を子どもたちに伝えたい」と話している。

 授業は、小学5年生から中学1年生まで、3年間で計18時間を設定。これまでも郷土の産業や簡単な歴史を学ぶ授業はあったが、市内には国宝6点と重文77点があるほか、南北朝時代には一時期、同市に皇居があったことなどから、市教委は、さらに一歩踏み込んだ郷土の姿を知ってもらおうと「ふるさと学」を企画した。

 教科書はA4判、60ページ、オールカラーで、小中学校の教諭らが昨年4月から10か月間かけて作成。旧石器時代から現代まで4章19項目で構成し、写真やイラストをふんだんに使い、中学生の「ヒロトくん」と「ユウナちゃん」のキャラクターも登場してわかりやすく解説する。

 各章には「(幕末に尊王攘夷(じょうい)を唱えた志士らが集まった)天誅(てんちゅう)組も立ち寄った市内の宿場は?(答え・三日市宿)」「河内長野と弘法大師を結ぶキーワードは?(同・薬)」――などのクイズ集も設けた。巻末には簡単な日本史、世界史と比較した同市の年表も掲載している。

 市教委は「時代ごとの古里を知ることで、より歴史が身近に感じられるはず。子どもたちが、誇りと愛着を持つきっかけになれば」としている。

 1冊800円(税込み)。市役所や市内の主な書店でも販売する。問い合わせは同市教委(0721・53・1111)。

(2011年4月27日 読売新聞)

112よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/04/28(木) 19:52:58 ID:6HHEJf0.0
大阪城で「戦跡ウオーク」−園内に残る工廠・弾痕跡など巡る
http://kyobashi.keizai.biz/headline/914/

大阪城公園(大阪市中央区大阪城1)で4月23日、園内に残る戦跡などを巡るウオークイベント「戦跡ウオーク」が開催された。主催は日本セカンドライフ協会。

 現役を退いたサラリーマンらの「生きがい」づくりを支援するため、企業・団体を越えて発足した同協会。講演会や工場施設見学、旅行・散策などさまざまなイベントを企画している。

 今回は、陸軍唯一の大口径火砲の製造拠点だった大阪城近辺に残る戦跡を巡るツアーで、同協会関西地区運営委員の國司保夫さんと「ピースおおさか」(大阪城2)の常本さんらが企画した。講師に高校社会科教員の塚崎昌之さんを招き、砲兵工廠(こうしょう)跡碑や砲兵工廠化学分析場、中国製こま犬、弾痕の跡などを巡る。

 塚崎さんは、1905(明治38)年〜1945(昭和20)年の40年間に発行された新聞3紙を読破した知識を生かして、年70回ほどウオークイベントの講師役を務めているという。当日は雨が降る中約20人が参加し、第四師団司令部庁舎だった戦争史跡の下には太平洋戦争時に地下通路が掘られた、などの塚崎さんの説明に聞き入っていた。その後、参加者らは「ピースおおさか」で戦争展示物を見学した。

 参加者の坂本重貞さん(84)は「過去を振り返るのはちょっと抵抗があったが、進むにつれて懐かしく思った。ええ懐かしさではないけど…」と話す。「年とともに世間も狭くなってくる。現役時代は畑の違う人との付き合いはなかったから、元銀行勤めや製薬会社の人らと話すのは新鮮。これからも人間付き合いを大切にしたい」とも。

113名無しさん:2011/04/28(木) 20:37:45 ID:GVcGWAmQ0
旧第四師団司令部庁舎は、1931年に建てられました。
昭和天皇の御大典(御即位)記念として、大阪城天守閣復興が企図され、市民から
集まった寄付金(当時の金額で150万円)から、關一市長が80万円を使って司令部
庁舎を建設しました(大阪城天守閣復興費用は47万円)。これは、關一市長の英断
です。なぜならば、当時の大阪城の域は軍用地であり、一般市民は立ち入り禁止
だったからです。そこで、關一市長は司令部庁舎を建設して陸軍に供用する代わり
に、大阪城の域を市民に開放し、現在の大阪城公園の元を造ったのです。

戦後、GHQの指令を受けて、1948年に第四師団司令部庁舎は大阪市警視庁となり、
1954年にこれが廃止された後は大阪市警察本部が置かれましたが、1年後の1955年
に大阪府警察本部に吸収されて廃止されました。その後、この建物は大阪市立博物館
として、1960年〜2001年まで使われました。

東宝映画『ゴジラの逆襲』では、大阪市警時代のこの建物でロケが行われました。

114よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/01(日) 13:40:53 ID:KPBw2Ya60
まなびやの宝:/48 考古資料 府立泉大津高校 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110430ddlk27070239000c.html

 ◇OBら収集、地歴部の誇り
 府立泉大津高校(泉大津市)の考古資料室には、古墳時代の大型の船形埴輪(はにわ)(菩提池西遺跡)や珍しいひれ付き円筒埴輪(摩湯山古墳)など、同校OBらが収集した考古資料約100点が展示されている。イイダコ用のタコ壺(つぼ)(池上曽根遺跡)などユニークな遺物も。学校も七ノ坪遺跡という遺跡の上に建つ。

 所蔵資料は、展示されている他にコンテナ300箱以上があり、同校地歴部が整理を進めている。地歴部は、1948年に創部。50〜60年代にかけて、信太千塚古墳群や学校近くに広がる弥生時代の環濠集落、池上曽根遺跡などの発掘調査に参加。同遺跡の保存運動にもかかわるなど、地域の文化財調査や保存に大きな足跡を残してきた。

 現在は、発掘調査は行っていないが、学校のグラウンドで土器の野焼きを体験したり、京都や奈良へのフィールドワークを実施。府立弥生文化博物館と連携して、展示に参加するなど積極的に活動している。

 同部2年の財部真里那さん(16)は「すごい遺物がたくさんあるのは、自慢。今後は発掘体験もしてみたい」。日向将希君(16)は「土器の模様や形を眺めていると、昔の人がどうやって作ったのか興味がわいてくる」と語る。顧問の平島将史教諭(51)は「今後は、OBや地域の方々との交流を通して、さらに活動を深めていければ」。

 考古資料室は、予約制で一般公開している他、同校ホームページでは、所蔵資料の一部を紹介している。詳細は、同校(0725・32・2876)。【林由紀子】

115よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/03(火) 02:14:27 ID:mV2ssRAI0
2011年5月 2日
菩薩25体絢爛に「万部おねり」平野の大念佛寺
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/02/20110502-052376.php

 大阪の春の風物詩「万部(まんぶ)おねり」が1日、大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺で始まった=写真。5日までの毎日、阿弥陀経の流れるなか、観世音菩薩はじめ25体の菩薩による絢爛(けんらん)豪華なおねりが繰り広げられる。

 「万部おねり」は、600年以上の歴史をもつという同寺の伝統行事で、大阪市指定無形民俗文化財。今年は例年の先祖供養や平和祈願などとともに、東日本大震災の物故者追善供養と復興祈願も行われている。

 この日は雨天となり、特設のおねり回廊でなく、本堂の廊下での開催となったが、観世音菩薩を先頭に、普賢菩薩など金色に輝く25体の菩薩が次々と姿を現すと、その壮麗さに参詣者から歓声があがった。

116よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/03(火) 02:37:08 ID:mV2ssRAI0
GWに「大阪城ファミリーフェス」−映画「プリンセス トヨトミ」パネル展も
http://kyobashi.keizai.biz/headline/916/

 大阪城天守閣前本丸広場(大阪市中央区大阪城1)で5月3日〜5日、「大阪城ファミリーフェスティバル2011」が開催される。

 今年で7回目となる同イベントは毎年ゴールデンウイークに開催。例年ジャグリングやけん玉などの大道芸や高校生らの和太鼓、吹奏楽、さまざまなチームが参加するエネルギッシュな「よさこい踊り」などが行われる。

 今年は大阪城復興80周年を祝うイベントとして「大阪城を知ってもらおう」と大阪城の歴史にまつわるトークショーやクイズなどを用意し、大阪市中央区のキャラクター「ゆめまるくん」も登場する予定。天守閣では5月28日公開の大阪を舞台にした映画「プリンセス トヨトミ」のロケ風景や映画のシーンなど収めた写真パネルも展示する。

 今回は、東日本大震災を受けた支援活動を行う内容に変更。在阪民放4局のアナウンサーらが垣根を越えて募金活動を行うほか、関西演芸協会による義援金活動、演芸イベントなども予定する。

 開催時間は11時〜17時。映画「プリンセス トヨトミ」ロケ写真パネル展は6月30日まで。

117名無しさん:2011/05/03(火) 13:52:47 ID:B2uRLrUQ0
大阪史の本は少ないというのが現状です。もっと書かれ、出版されるべきです。
特に中世大阪史(中世というヨーロッパ史の区分を日本史に使うのは誤りですが)
については、もっと知りたいというのが私の願いです。

一国の国民が身につけるべき基本的素養は、自国の歴史と言語です。これは、
一都市の人間についてもいえることです。自都市の歴史と方言を知ることは、
最低条件でありましょう。

118名無しさん:2011/05/03(火) 14:21:26 ID:B2uRLrUQ0
>>116
奈良・・・『鹿男あをによし』(TVドラマ。2008年)
京都・・・『鴨川ホルモー』(映画・演劇。2009年)
大阪・・・『プリンセストヨトミ』(映画。2011年)

これで、万条目学の三部作の映像化が揃いましたね。
『プリンセストヨトミ』も発想が面白いと思います。地下にある「大阪国」には
国会議事堂もあるのですね。

なお、映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年。東宝)では、1954年のゴジラ
による襲撃で、首都が東京から大阪に移り、「大阪都」になっています。国会議事堂
が、大阪城の隣に画面合成されているシーンがあります。

119よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/03(火) 15:48:31 ID:bqeVgzg20
菩薩や「輿」粛々と 大念仏寺で「万部おねり」
2011年5月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110503/20110503032.html

 大阪市平野区の大念仏寺(倍巌良舜法主)で毎年5月に行う法要「万部おねり」が5日まで開かれている。法要のクライマックスでは、観世音菩薩など25の菩薩や73年ぶりに修復された「万部輿(こし)」が本堂の周りを練り歩く。

 法要は1349年、法明上人が菩薩の面、衣装をしつらえ、極楽浄土への往生を試みる儀式を執り行ったことが起源とされ、1769年には阿弥陀(あみだ)経1万部を読誦(どくじゅ)する「万部会」の法会も加わった。

 本堂の周りに設けられた来迎橋と呼ばれる通路の上を、お稚児さんや信徒、僧侶扮(ふん)する菩薩たちが厳かな雰囲気で渡る。法要では多くの僧侶らが阿弥陀経を読誦し、東日本大震災の追善と復興祈願も行った。

 会社員時代、仕事で近くによく来ていたという兵庫県の折戸満さん(83)は「河内地域ではよくおねりをするが、ここのは規模も大きく衣装も立派。輿はほかの場所でも見たことがなくて興味深かった」と話していた。

120よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/04(水) 06:14:07 ID:wUZnZjt60
すべてに感謝のざきまいり
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110503-OYT8T00773.htm

大東で8日まで

 大東市の野崎観音(慈眼寺)で恒例の「のざきまいり」が行われ=写真=、伝統芸能の奉納などで参拝客を楽しませている。8日まで。

 世の中のすべてのものに感謝をささげる「のざきまいり」は江戸時代から盛んになり、近松門左衛門(1653〜1724年)の文楽などにも登場。今年も1日から、境内で和太鼓の演奏や落語、詩吟の奉納、大道芸などが披露され、参道には露店が並ぶ。

 家族3人で参拝に訪れた同市内の男性(38)は「3歳の娘がこれまで健康でいられたことに感謝するために来ました」と話していた。

 8日午後2時からは「無縁経法要」が本堂で営まれる。催しなどの詳細は、同寺のホームページ(http://www.nozakikannon.or.jp/)で。

(2011年5月4日 読売新聞)

121よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/05(木) 16:56:00 ID:Qo5beYBM0
http://www.sumiyoshitaisha.net/news_static/20110415.html
住吉大社御鎮座千八百年記念大祭 5月12日(木) 11:00

同 舞楽   14:00 於:石舞台  奉仕:天王寺楽所雅亮会

住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。
そして5月12日に記念大祭をご斎行申し上げ、様々な奉祝行事を執り行います。

***********************************

 住吉大社へ行きましたら『御鎮座1800年』の文字がありましので紹介を。
 今日の住吉大社は穏やかな天気で、何組かの結婚式が執り行われていました。
 観光地化されていない神社らしく、ノンビリしているけども参拝者は絶えずに来られるといういい感じでしたねぇ。
 外人さんも来てらっしゃいましたが、神式の結婚式は珍しいらしく写真を撮りまくっていました。

 大阪というのは1800年もの歴史を誇るものがあるかと思えば、そこから一時間も掛からない場所に最新の駅やビルが林立しているのが堪らない魅力ですね。
 何でもあって何でもハイレベルなのが大阪、その『魅力的な大阪 イコール 魅せる大阪』に取り組んでいるな、と感じたのが南海電鉄住吉大社駅。
 二年前に来た時と比べて駅内部の壁や高架下のショップゾーンが美しく整備されていました。
 南海さんも決して経営は楽ではないでしょうが、こういう地道なしかし効果大な取り組みは続けてほしいですね。

122よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/05(木) 17:15:57 ID:Qo5beYBM0
2011年5月 5日
池上曽根史跡公園10周年フォーラム
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/05/20110505-052435.php

 大阪府の和泉、泉大津両市にまたがる弥生時代最大級の集落遺跡「池上曽根遺跡」の史跡公園が開園10周年を迎え、和泉市の府立弥生文化博物館で4日、記念フォーラムが開かれた。弥生時代の世界観を塗り替える大発見が相次いだ同遺跡。和泉市教委の乾哲也さんは「弥生中期後半になると建物が直角線上に配置される点から、大陸の文化が同遺跡に伝わっていた」との大胆な推理を発表。集まった考古学ファンは熱心に聞き入っていた。

123名無しさん:2011/05/06(金) 11:05:32 ID:WLRvktcQ0
>>118
キン肉マンでは大阪城の地下は迷宮で、別門があるということになってました。

124よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/06(金) 17:49:03 ID:nGrapj5Y0
「赤備え」勇壮に 志紀長吉神社幸村の祈願祭
2011年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110505/20110505077.html

 大阪市平野区長吉長原2丁目の志紀長吉神社(鈴木理美宮司)で4日、大坂の陣で活躍した武将、真田幸村の「戦勝祈願祭」が行われた。大阪城甲冑(かっちゅう)隊(河井計実理事長)らによる「赤備え」のパレードのほか、軍旗と刀の奉納式典などが執り行われた。

 同神社は大坂夏の陣に参戦した幸村が、死の直前に戦勝祈願をしたゆかりの地。その際に奉納した軍旗は今でも社宝として保存されている。

 祈願祭は幸村の足跡を広く知ってもらおうと、昨年から行われている。甲冑隊の隊員など約40人が大坂の陣の真田軍にならい、真っ赤なよろいを身にまとって登場。同神社の参詣道を約30分かけて練り歩き、境内で鈴木宮司による神事に臨んだ。

 幸村から数えて14代の子孫で東京都在住の真田徹さん(62)も見学に訪れ、「軍旗を奉納したゆかりの地があると初めて知った。400年たってこのような催しが開かれる幸村は幸せ者だと思う」と喜んでいた。

125よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/08(日) 10:39:23 ID:qvs8XGU20
先生ら制作「歴史たんけん堺」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110508-OYT8T00060.htm

 歴史教育について研究する堺市内の教諭らが、旧石器時代〜現代の堺の主な歴史をまとめた冊子「歴史たんけん堺」(B5判、70ページ)を出版した。オールカラーで写真や図をふんだんに用い、各時代のテーマごとに見開きの2ページに収めるなど読みやすく仕上げた。

 「行基の大事業とふるさと堺」「堺の学校のはじまり」「市町村合併と泉北ニュータウン」など28章で構成し、古墳や戦争遺跡、伝統産業などを探訪できるマップをつけた。

 学校の副読本として使うことも意識して、遺跡の場所を現在の地図に記した。例えば、約1万年前の石器が見つかった堺市北区の東浅香山遺跡が、今は大型商業施設になっていることがイメージできるように工夫した。

 執筆したのは、小中学校や高校の教員らでつくる歴史教育研究団体「大阪歴史教育者協議会堺支部」の5人。代表の元小学校教諭小松清生(すがお)さん(63)は「文化や産業が息づく堺の歴史は大変豊か。堺で生きてきた人たちの暮らしがわかるので、読んだ人は歴史好きになってくれるのでは」と話す。

 2000冊発行。1冊1000円で堺市内の主な書店で販売している。問い合わせは小松さん(080・2444・2098)。

(2011年5月8日 読売新聞)

126よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/08(日) 10:52:03 ID:qvs8XGU20
>>121

阪堺電軌 701形・601形に「住吉大社 ご鎮座1800年」幕
http://railf.jp/news/2011/05/07/201100.html

住吉大社は,今年2011年に御鎮座1800年となり,2011(平成23)年5月12日(木)には『住吉大社御鎮座千八百年記念大祭』が行なわれます.
 これにあわせて,阪堺電気軌道では,701形と601形の一部車両に,「住吉大社 ご鎮座1800年」幕を掲出して運転しています.
 この幕には,住吉大社境内に架かる橋(通称:太鼓橋)が描かれています.

127よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/08(日) 12:47:54 ID:qvs8XGU20
色とりどり フジ咲き誇る 中央区・難波宮跡公園
2011年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110508/20110508024.html

 大阪市中央区法円坂1丁目の難波宮跡公園のフジの花が見ごろを迎えている。数年前から大阪文化財研究所の職員らが剪定(せんてい)などを行っていたところ、ことし見事な花を咲かせ、芳香を漂わせている。

 フジの花は同公園の北西の門にある「八角殿」が1983年に遺構表示された時に、8本、植えられたもの。しかし、長年、手入れがされていなかったために、枝葉が茂りすぎて春に花が咲くことはほとんどなかった。

 数年前、専門家からフジの育成法を聞いた京嶋覚・総務企画課長(54)が、同研究所の徳井喜代治副参事(65)に依頼。公園管理を行っている業者らとともに年3回の剪定など手入れを始めた。

 当初は花が咲くことも少なかったが、ことしになって8本全てが満開に。紫や白、薄桃色など色とりどりの花が咲き誇っている。徳井副参事は「散歩に来た人が近づいて見てくれる。見事に花がついたのはうれしい」と喜んでいる。

 京嶋課長は「難波宮は大化改新後に中臣鎌足(後に藤原氏となる)らが造営した都。鎌足と中大兄皇子が大化改新のクーデターの密談をしたのがフジの下であったとされ、藤原氏の起源になった。そんなゆかりのある花が多くの人が立ち寄るきっかけになれば」と期待を寄せている。

128よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/10(火) 19:53:23 ID:POE.Zl6Y0
2011年5月10日
13日「人形祭」愛用品、大阪天満宮に奉納
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/10/20110510-052580.php

 節句人形を製造している関西の企業20社でつくる「関西節句人形工業協同組合」が13日、愛用の人形を奉納する「人形祭」を大阪市北区の大阪天満宮で初めて開催する。

 「小町人形」(大阪市東淀川区)の社長で実行委員長の元賀圓治さんは「愛用の人形は捨てられないもの。処理に困っている方は、この機会を利用してほしい」と呼びかけている。

 大阪ではこれまで41年間、府人形問屋組合が四天王寺(同市天王寺区)で人形供養を行ってきたが、「製造者の立場から最後まで人形の面倒をみたい」という思いで企画。大阪にゆかりの深い同天満宮の協力を得て実施が決まった。

 会場では午前9時から午後3時まで奉納する人形を受け付け、午後3時から祭典を行う予定。境内では各社が製造した新しい節句人形やひな人形、市松人形なども展示されるほか、人形を作る際に出るはぎれや、はぎれで作った小物などを販売し、売上金の一部を東日本大震災の被災者への義援金にあてるという。

 奉納する人形の対象は、節句人形などのほか、フランス人形、ぬいぐるみなど人形本体のみで、受付料は1件につき何体でも3千円(ケースなどは不可)。問い合わせは小町人形(電話06・6349・2076)へ。

129よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/11(水) 09:07:26 ID:POE.Zl6Y0
継がれる「白雪」 住吉大社で神馬代替わり 大阪
2011.5.11 02:11
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110511/osk11051102110001-n1.htm

 祈願のために奉納される白い馬「神馬(しんめ)」。住吉大社(大阪市住吉区)で、約25年間、神馬を務めてきた白雪に代わり、新たに2歳の雄の子馬が白雪の名と神馬を引き継いだ。

 住吉大社の神馬は代々、純和種で真っ白な毛並みを持つアルビノ種とされる。頭数が少ない珍しい馬だ。「神馬が衰えると、次の神馬が必ず見つかる」という言い伝えがあり、待望の子馬が見つかり、関係者は胸をなでおろしている。

 住吉大社では「正月に白馬を見れば邪気を払う」という信仰から白馬(あおうま)神事などに神馬が参加している。

 先代の白雪は昭和61年生まれ。高齢となり足腰が弱り神事への参加が困難になっていたが、後継探しが難航。今年1月、ようやく北海道で見つかった。新たな神馬は体長1メートル50センチ、体重300キロ。9日に命名式を行い、めでたく神馬に。現在、境内の「神馬舎」で過ごし、16日まで参拝者も対面できる。その後は和泉市の牧場で先代の白雪とともに暮らしながら神事に参加する。

 高井道弘権宮司は「鎮座1800年にあわせて新しい神馬が見つかったのは不思議としか言いようがない。大切にしたい」と話している。

130よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/11(水) 12:29:24 ID:u6OcHqbg0
2011年5月11日
「ニッポン猪飼野」実態に迫る 郷土史家ら論文など集め本出版
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/11/20110511-052620.php

 大阪市生野、東成両区にまたがる地域は長らく猪飼野(いかいの)と呼ばれた。かつては「日本国猪飼野」の住所表記で朝鮮半島から郵便が届いたとされ、最近ではコリアタウンとして人気を博す。そんな特徴ある街に愛着を寄せる住民や郷土史家らが、著名人らのエッセーと論文などを集めた本「ニッポン猪飼野ものがたり」を刊行した。古代からの歴史を探求し、地域にゆかりの著名人番付で風土をひもとくなど、多角的な視点で地域の実態に迫っている。

 編集したのは、郷土史家らで組織する「猪飼野の歴史と文化を考える会」。エッセーや研究論文のほか、インタビューなども含めて約50編を掲載。監修を担当した上田正昭・京都大名誉教授、作家の玄月(げんげつ)氏、詩人の金時鐘(キム シジョン)氏らのほか、郷土史家、ジャーナリストらが原稿を寄せている。

 「わたしの『猪飼野著名人番付』」は、猪飼野で生まれ育ち、現在も居住する同会会長の郷土史家、足代(あじろ)健二郎さんが作成。平成20年に「著名人が大勢いるということを世間に思い切り自慢してやろうと、面白半分に作った」原稿と番付を若干修正し、再録した。

 番付の両横綱は、松下幸之助と司馬遼太郎の両氏。国文学者の折口信夫氏や歌手の田端義夫氏(ともに大関)、パントマイムのマルセ太郎氏(関脇)らも“ランクイン”し、土地にまつわるそれぞれのエピソードを紹介している。

 松下、司馬両氏については、それぞれ「パナソニック発祥の地・猪飼野」「司馬遼太郎・以前」として独立した論文を掲載。司馬氏が幼少の一時期を過ごした地が「鶴橋本通り」で、初めて新聞記者になったのは猪飼野にあった「新世界新聞」とする説を展開している。

 また、「血と骨」などの作品で知られる作家、梁石日(ヤン ソギル)氏を東京の自宅まで訪ねて行ったインタビューを掲載。猪飼野での文学修業や、小説のモデルにした父親の思い出などを語っている。

 このほか、日本書紀に記されている地名・猪甘津からの古代の歴史をつづった「猪飼野をめぐる考古学」、「焼肉は猪飼野からはじまった」「猪飼野ヘップサンダル小史」など、歴史や文化、産業といった多角的な切り口で迫った猪飼野の論文を掲載している。

 足代さんは「古代史への興味が郷土史へ発展し、いつしか猪飼野へと特化していった。古代からの多彩な顔をもつ街を、多角的に描きたかった」と話している。

 A5判、368ページで、価格は2800円(税別)。発行は批評社。問い合わせは足代さん(電話090・5018・8995)。

猪飼野(いかいの) 
大阪市生野区北西部と東成区南西部にまたがる地域が、かつてそう呼ばれた。日本書紀に、この一帯を指す「猪甘(いかい)津」の記述があり、古代には朝廷に猪を献上する猪甘(飼)部が居住したとされる。大正時代に朝鮮・済州島〜大阪の航路が開設されたことから移住が進み在日コリアンの集団居住地として定着。昭和48年の町名変更で猪飼野の地名が消えた。

131よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/11(水) 18:22:05 ID:u6OcHqbg0
【老舗そば屋の碑】 江戸のツルッ 大阪生まれ
http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK201105090053.html
 そばは東京、大阪はうどん。そんなイメージ、ありますよね。でも実は、江戸の老舗そば屋のルーツが大阪にあるって知っていますか? その「証拠」が大阪市西区新町2丁目の公園に立つ「ここに砂場ありき」と書かれた石碑。子どもが遊ぶ砂場じゃありません。これこそ、今に続く江戸のそば屋で最も長い歴史を持つ「砂場」のことなんです。

 起源は大阪城築城の時にさかのぼる。この辺りは砂利などの資材が置かれ「砂場」と呼ばれていた。「和泉屋と津国(つのくに)屋という2軒のそば屋が『砂場』の呼び名で繁盛してたんです」。そう教えてくれたのは遠く離れた東京都港区にある「虎ノ門砂場」の5代目稲垣隆一さん(72)だ。「そばがはやり始めた江戸に和泉屋ゆかりの者が移り、砂場の暖簾(のれん)を掲げたと聞いてます」。稲垣さんは現在136店が加盟する暖簾会「砂場会」の会長でもある。

 「蕎麦(そば)屋の系図」などの著書があるそば研究家の岩サキ信也さん(サキは「崎」の右上が「立」)によると、様々な人が集まった江戸は職人ら独身男性も多く、つるっと食べられるファストフードとしてそば屋は広がった。中でも有名な「糀町七丁目砂場藤吉」から、1872(明治5)年に暖簾分けされたのが今の虎ノ門砂場なのだそうだ。

 取材の日も70代とおぼしき男性3人が銚子(ちょうし)を傾け、「あの人はねえ、いい女だったよ」なんて話してる。昼間からそば屋で一杯というのが何とも乙だ。勝海舟や山岡鉄舟もなじみだったというから、同じように楽しんでたのかも。自分も一つと、もりそばを食べてみると、細くて白いそばに甘めのつゆがよく合う。「そばは職人に打たせても、つゆは代々店主が作る」と稲垣さん。「大阪発祥の味が江戸の食文化として花開いた、いわば東西合作だと思います」

 大阪のそば屋誕生400年を記念し、大阪府麺類食堂業生活衛生同業組合が1985年に建てたのが、あの石碑だ。「原点は大阪ってこと。誇りを感じます」と組合の前理事長で「民芸そばしのぶ庵(あん)」(大阪市北区)の大橋エイ二さん(エイは金へんに「英」)(73)は言う。

 最近は大阪の若手も老舗に負けてない。「なにわ翁(おきな)」(大阪市北区)の勘田拓志さん(40)は28歳で店を継いだ時、ほれ込んだ店で修業し、機械製麺からすべて手打ちに切り替えた。練ったそば粉を伸ばす手さばきはよどみなく、切り終えた麺は厚みも幅も1.3ミリほどにそろう。

 麺をかむと、心地よい歯ごたえとともにそばの香りが口の中に広がり、かつおだしをきかせたつゆがそばを引き立てる。さすがミシュランで2年連続星を獲得した味だ。「熱心な若手が増え、大阪のそばはレベルアップしてる。東京の人は粋(いき)を重んじるけど、味は大阪の人の方が厳しいと思いますから」と勘田さん。

 そうそう、やっぱり食は大阪ですよね。そのうち、そばの本場と言われる日がやってくるかも!?(石村裕輔)

    ◇

■推薦

 旅行作家 高木美千子さん(77)

 東京の人も感動してますよ  

 ちょっとのつもりで東京から関西に引っ越したはずが、もう37年。グルメ紀行をたくさん書いてきましたが、関西の味ってやっぱり奥行きがありますよね。関西人の味覚ってすごいと思います。もちろん行きつけのそば屋も何軒か。脱サラ組や2代目の若手がけっこう頑張ってて、東京の人を連れて行っても、おいしいって感動してますよ。いまや東京のそばをしのぐ勢いじゃないでしょうか。

    ◇

 〈メモ〉 虎ノ門砂場=東京都港区虎ノ門1の10の6、電話03・3501・9661。なにわ翁=大阪市北区西天満4の1の18、電話06・6361・5457。

132よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 06:11:27 ID:u6OcHqbg0
蓮如上人の功績「四幅御絵伝」公開 久宝寺御坊顕証寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110512-OYT8T00092.htm

 浄土真宗本願寺派・久宝寺御坊顕証寺(八尾市久宝寺)が、同寺を建立した蓮如上人の功績を描いた「蓮如上人四幅御絵伝(しふくごえでん)」を13年がかりで完成させ、11日の河内蓮如忌法要で初公開した=写真=。

 近松照俊住職(61)が発案し、東西本願寺の学者らが絵柄を話し合い、京都の宮絵師・安川如風氏に絵伝の製作を依頼した。絵伝は4幅の掛け軸で、1幅の大きさ縦2・1メートル、横1・4メートル。蓮如上人が誕生から成長していく様子のほか、村人に説法したり、荼毘(だび)に付され阿弥陀如来となったりする場面などが描かれている。吉野や堺の港などの風景も登場する。

 この日、本堂の余間に絵伝がかけられると、門徒ら約300人が手を合わせ、完成を喜んだ。同寺は今後、法要に限り公開するという。近松住職は「念願の絵ができあがってうれしい。たくさんの人々に蓮如上人の心が伝われば」と話していた。

(2011年5月12日 読売新聞)

133よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 06:15:13 ID:u6OcHqbg0
住吉大社御鎮座千八百年記念大祭 5月12日(木) 11:00
http://www.sumiyoshitaisha.net/news_static/20110415.html

同 舞楽   14:00 於:石舞台  奉仕:天王寺楽所雅亮会

住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。
そして5月12日に記念大祭をご斎行申し上げ、様々な奉祝行事を執り行います。


■奉祝行事
5月12日(木) 花柳流日本舞踊 於:第一本宮  12:30〜 
 花柳與桂一門による華麗な日本舞踊が奉納されます。(主な出演 花柳與桂・花柳與)

134名無しさん:2011/05/12(木) 18:23:47 ID:K5kJDM.c0
>>129
>継がれる「白雪」 住吉大社で神馬代替わり 大阪

アルビノ種が尊重されると聞いて、
ファイブスターストーリーズを思い出しました。
主人公がそれなので。
(名がアマテラスなのは偶然??)

マンガアニメに興味のない方、すみません。

135よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 19:57:08 ID:rfNnB/Go0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/206 本町橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110512ddlk27070411000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇「大阪最古」の貫禄 川の流れは秀吉時代のままに
 西町奉行所跡を後にして、東横堀川へと戻る。さきの天野屋利兵衛の碑の南、高速道路の出口付近に井原西鶴の文学碑が建っている。1972年に大阪北浜船場ライオンズクラブが建てたもので、「日本永代蔵」の冒頭の一節が刻まれている。

 「金銀こそ命の親と呼ぶべきものだ。だが、人の命はどうなるかわからない。死んでしまえば金銀も役に立たないが、残しておけば子孫のためになる。金銀の力でかなわないことは天下に五つしかない」

 大要、こんなところだろうか。経済小説の元祖だけあって、冒頭からお金のありがたさを説く。ちなみに、金の力でかなわぬ五つに「生・老・病・死・苦」を挙げている。いずれも生き死ににかかわることで、これ以外は金でどうとでもなる、ということだ。それもこれも、よっぽどの大金持ちの話。わたしらにゃ関係ないわな。

 なんて、くだらぬことを考えていたら、碑の陰から猫がじーっとこっちを見ていた。なんだか頭の中を見透かされてるようで、早々に退散。

 大阪案内人の西俣稔さんが、安土町の町名表示板を指して「近江の安土の人が移住したからなんですが、そもそも、安土のいわれは……」。もともとは目賀田山という土地だったが、織田信長はこの地名を嫌った。近くに安土という名の寺を見付け、土地を安んじるとは天下統一に通じると、自らの力を誇った城に安土城と名付けた、という。「信長の支配がなければ、ここは目賀田町になってたんです」

    ◇

 しばらく南へ歩けば本町橋だ。「現存する大阪最古の橋です」と西俣さん。1913(大正2)年に架けられた。ルネサンス風の石造りの橋脚など、なかなかに趣があって、貫禄を感じる。

 そもそもは、東横堀川が開削された時に架けられたとされていて、江戸時代は大坂に12しかなかった、幕府が直接管理する公儀橋だった。「北御堂(西本願寺津村別院)の参道としてにぎわってました」という橋は、今は本町通となっていて、ひっきりなしに車が行き来する。

 本町橋の上で足を止めた西俣さん、東横堀川の下流(南側)を眺めて、「川が左側に曲がってるのがわかるでしょ。これが本町の曲がり。江戸時代から、そう呼ばれてるんです」。確かに、流れが大きく湾曲している。

 「豊臣秀吉が1585年に東横堀川を開削した時、まっすぐに開削すると、浄国寺というお寺にぶちあたってしまうので、秀吉が『寺までつぶすな』と命じ、お寺を避けて曲がったという説があります」

 川の上を阪神高速環状線が通っており、高速道路も川の流れに合わせてカーブしている。「高速を通るドライバーがここでハンドルを切るわけは、秀吉にあるんです。そう考えたら、今と昔、420年以上の時のつながりを感じますね」

 そこまで考えてハンドルを切ってるドライバーがどれくらいいるか。歴史を知れば、見慣れた風景も違って見えてくる。【松井宏員】

136よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 19:58:46 ID:rfNnB/Go0
2011年5月12日
住吉大社1800年 大祭1800人参列
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/12/20110512-052683.php

 住吉大社(大阪市住吉区)で12日、神功皇后が住吉大神を祭った鎮座から1800年を祝う記念大祭が開かれ、歌舞伎役者の市川團十郎さんら約1800人が参列した。

 本殿の第一本宮(国宝)で、真弓常忠宮司が祝詞を奏上。太陽などをかたどった飾りを頭に着け、舞衣をまとった巫女(みこ)8人が平安時代から伝わる神楽「白拍子」と「熊野舞」を奉納した。

 住吉大社は神功皇后が211年に住吉大神を祭り創建したとされる。飛鳥、奈良時代の遣隋使や遣唐使も派遣時に祈願した歴史を持ち、これまで航海安全や和歌、農耕の神として信仰を集めてきた。24日まで、稚児行列や日本舞踊、神楽の奉納など奉祝行事が行われる。

137よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 20:01:17 ID:rfNnB/Go0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産登録目指し 橋下知事ら本部会議
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/12/20110512-052682.php

 世界文化遺産の国内候補「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録を目指し、大阪府の橋下徹知事ら関係自治体首長による「登録推進本部会議」の初会合が12日、大阪市住之江区の府咲洲庁舎で開かれた。平成27年の登録実現に向けた最短のスケジュールなどが確認された。

 会長に就任した橋下知事は「世界遺産は京都にも奈良にも和歌山にもあるが大阪にだけない。登録に向けともに頑張りましょう」とあいさつ。各市が検討しているガイダンス施設建設についても「府でも予算を組んで応援したい」と意気込みを示した。

138よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 20:03:16 ID:rfNnB/Go0
■推進会議 仁徳天皇陵などを世界遺産へ
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110512111300455462.shtml

 大阪・堺市にある仁徳天皇陵などの古墳群の世界遺産を目指す会議が12日発足し、5年後の登録に向けて景観整備やPR活動を進めていくことなどが話し合われました。

 会議には古墳群のある地元の市長のほか、大阪府の橋下知事も参加しました。

 仁徳天皇陵や応神天皇陵などおよそ90基の古墳が集まる百舌鳥・古市古墳群は、去年10月に世界文化遺産の暫定リスト入りを果たし、大阪初の世界遺産実現に橋下知事も期待を寄せています。

 「京都・奈良・兵庫・和歌山も世界遺産があるが、大阪だけ無い。なんとか大阪に世界遺産を実現したい」(大阪府 橋下徹知事)

 ただ、周囲で宅地開発が進み「景観がそぐわない」という指摘もあり、会議では今後、5年後の登録を目指して景観整備やPR活動などをする予定です。
(05/12 12:36)

139名無しさん:2011/05/12(木) 20:25:35 ID:6V189dAY0
鳥取も徳島も
きっとメディアには紹介されない遺産があるはず

大阪が通ったあとで良いので
広域連合の他県にも協力してくれるとありがたい。

140よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/12(木) 21:35:06 ID:rfNnB/Go0
古墳群 世界遺産へ推進本部
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005819681.html

「仁徳天皇陵」として宮内庁が管理している古墳を含む大阪の「百舌鳥・古市古墳群」をユネスコの世界遺産に登録しようと、大阪府が地元の3つの市とともに、きょう推進本部を設置しました。
「百舌鳥・古市古墳群」には、堺、羽曳野それに藤井寺の3つの市にまたがって大小87の古墳があり、去年、文化庁の文化審議会の審議を経て、世界遺産への登録候補の暫定リストに記載されました。
大阪府の咲洲庁舎で開かれた推進本部の初会合には、府と地元の3つの市の代表が出席し、橋下知事が「世界遺産登録まであと一歩まできている。府と市が一丸となって登録の実現に向けてがんばりたい」と述べました。
推進本部は平成27年の登録を目指し▼登録に向けた推薦書の作成などを進めるほか▼英語やフランス語など5か国語のリーフレットを作成したり、国際シンポジウムを開いたりして、情報を発信することにしています。

05月12日 15時55分

141よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/13(金) 06:16:02 ID:rfNnB/Go0
海の神へ神楽の舞 住吉大社1800年大祭、團十郎さんら1800人参列
2011.5.12 12:28
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110512/art11051212340002-n1.htm

 住吉大社(大阪市住吉区)で12日、鎮座1800年を祝う記念大祭が開かれ、歌舞伎役者の市川團十郎さんら約1800人が参列した。

 本殿の第一本宮(国宝)で、真弓常忠宮司が祝詞を奏上。太陽や月、松などをかたどった飾りを頭に着け、舞衣をまとった巫女(みこ)8人が、平安時代から伝わる神楽「白拍子」と「熊野舞」を奉納した。

 住吉大社は神功皇后が211年に住吉大神をまつり創建したとされる。飛鳥、奈良時代の遣隋使や遣唐使も派遣時に祈願した歴史を持ち、これまで航海安全や和歌、農耕の神として信仰を集めてきた。

 24日まで、稚児行列や日本舞踊、神楽の奉納など奉祝行事が行われる。

142よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/13(金) 06:18:55 ID:rfNnB/Go0
http://www.sumiyoshitaisha.net/news_static/20110415.html

住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。
そして5月12日に記念大祭をご斎行申し上げ、様々な奉祝行事を執り行います。

5月13日(金) 住吉能  於:吉祥殿  18:00〜  ※前売7,000円 当日8,000円
 大槻能楽堂による能「翁」・狂言「末広がり」・半能「高砂」が奉納されます。
清元流浄瑠璃・三味線  於:第一本宮  15:00〜

143名無しさん:2011/05/13(金) 06:46:30 ID:dvmzlZlE0
実際の歴史はどれくらいなんでしょうね。

大和系でも出雲系でもないようだから
ひょっとすると現存する神社の中では最古ということもありうるのでしょうか。

144よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/13(金) 19:18:34 ID:HK.8nYc20
住吉大社:伝統守り先人に敬意 鎮座1800年、1800人参列し記念大祭 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110513ddlk27040342000c.html

 「すみよっさん」で親しまれ、海の神を祭る住吉大社(大阪市住吉区)で12日、鎮座1800年を祝う記念大祭が開かれた。約1800人が参列し、真弓常忠宮司は「伝統を守り伝えた先人に敬意を表したい」とあいさつした。

 住吉大社は211年、住吉大神がこの地に鎮座して創建されたとされている。この日は、天皇陛下の御幣帛(ごへいはく)(神前に供える物)が国宝の第一本宮に納められたほか、巫女(みこ)が舞を奉納した。

 東日本大震災の影響で祝賀行事の中止も検討されたが、「関西から日本を元気付けることにもなる」と判断し、開催を決めたという。祝賀行事は24日まで。能の披露、稚児(ちご)行列などを予定している。【山田尚弘】


「すみよっさん」と共に 住吉大社1800年大祭
2011年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110513/20110513021.html

 鎮座1800年の記念大祭が12日開かれた大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)。大祭には、歌舞伎俳優の市川団十郎さんら約1800人が参列し、いにしえから続く「すみよっさん」の節目の年を祝った。

 住吉大社は神功皇后摂政11年の年である211年に鎮座したと伝えられる。本殿は「住吉造」と称せられる古代の様式で造られ、国宝に指定されている。毎年、5月に創立を祝う神事が行われている。

 大祭では、真弓宮司が祝詞を奏上し、8人のみこが舞や神楽を奉納。式典の後には創立を祝う「卯(う)の葉神事」の舞楽や花柳與桂(よか)社中による日本舞踊の奉納も行われ、祝祭に花を添えた。

 真弓宮司は「住吉大社の歴史は大阪の歴史と共にある。海上守護の神様として親しまれ、まさに水都大阪の守護神。浪速の心のふるさとというべき当社が節目の年を迎え、預かる立場として重責を感じている」と話していた。

 奉祝行事は、13日の住吉能や15日の稚児社参(行列)など24日まで行われる予定。

145よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/13(金) 19:21:33 ID:HK.8nYc20
天神祭の奉納花火は7月25日 協賛金一部を義援金に
2011年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110513/20110513022.html

 日本三大祭りの一つに数えられる「天神祭」の実行委員会の初会合が12日、大阪市北区の天満宮会館で開かれた。本年度の行事計画として7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭、奉納花火を斎行することを決めた。奉納花火の個人協賛金の一部が、東日本大震災の義援金に充てられる。

 同祭渡御行事保存協賛会の役員をはじめ、大阪天満宮の寺井種伯宮司、氏子総代ら関係者約70人が出席した。

 冒頭、あいさつに立った同実行委員会の京極俊明委員長は、東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を表すとともに「自粛ムードもあったが、頑張ろう日本の合言葉のもと、経済の活性化の展開も見られる」と訴え、寺井宮司も「祭りを斎行させていただきたい」と呼び掛けた。

 会合では陸渡御や船渡御などの行事計画が承認された。奉納花火は25日夕に大川沿いの造幣局東側と対岸の桜宮公園の2カ所で行い、計3千発を打ち上げる。昨年、奉納花火の個人協賛は1発5千円で受け付けていたが、今年は5500円とし、500円が東日本大震災の義援金に充てられる。

146名無しさん:2011/05/13(金) 20:02:37 ID:JDOi1VM.0
>>143
創建が非常に古い神社は、実際の歴史は不詳というのが事実です。神話上の人物
が創建者にされているのが特徴です。

ひとつ言えることは、神道は原始的なアニミズムの宗教であり、自然物が御神体です。
三輪山を御神体とする奈良の大神神社などはこれを今に継承しており、拝殿はあっても
本殿はありません。

147よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 00:03:40 ID:HK.8nYc20
非常に古い歴史を誇る大阪。
今、灯り煌く超高層ビルもその悠々たる歴史の流れの一部であります。

住吉大社創建1800年、という歴史がありながら、今も成長を続ける大都会・大阪らし話題です。


「キタ」エリア写真コンテスト−入選作を「うめきた」工事現場に展示
http://umeda.keizai.biz/headline/1055/

 芝田商店会と大阪市北区活性化協会が「キタ」エリアの風景写真を募集した「キタの、むかし・いま・みらいを、感じる写真コンテスト」入選作品が決定し、5月9日より「うめきた」の工事現場仮囲いフェンスに作品が展示されている。

 昨年より地域活性化のための事業を検討してきた芝田商店会、大阪市北区活性化協会、大阪市立大学大学院創造都市研究科の3者。芝田商店街のある梅田周辺は、5月4日に開業した大阪ステーションシティや建て替え工事中の阪急百貨店、開発中の「うめきた」など、大規模再開発事業により街が変化していくことから「そうした風景を写真に残したいという思いから、地域活性化を兼ねて誰もが参加できる写真コンテストを開催しよう」と作品を募集した。

 作品は3月21日〜4月25日の約1カ月間、メール応募のみで受け付け。高校生から60代まで幅広い層から約500点の応募があった。「どの場所なのかがわかる写真」を第一の基準として絞り込み、テーマ別に懐かしさを感じさせる「芝田商店会賞」、刻々と変わる今を表現した「北区商業活性化協会賞」、未来を感じさせるワクワクするような「創造都市賞」、高校生以下を対象にした「フレッシュ賞」と最優秀作品賞、佳作を決定した。

 最優秀作品賞は、ハービスOSAKAを撮影した山田新太郎さんの作品が受賞。選考委員らは「未来的なタッチであるのにもかかわらず、今が鮮やかに表現されている点を評価した」という。最優秀作品賞を始めとする10点の入賞作品は、ノースゲートビルディング北側の工事現場仮囲いフェンスに展示している。

 担当者は「応募作品を拝見していると予想以上に多くの方がキタに愛着を持っていることが伝わる作品がたくさんあった。工事現場仮囲いフェンスという珍しい展示場所も話題を呼んでいるようで、地域活性につながれば」と話す。

 展示は今月20日まで。

148よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 00:20:10 ID:HK.8nYc20
http://www.sumiyoshitaisha.net/news_static/20110415.html

住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。
そして5月12日に記念大祭をご斎行申し上げ、様々な奉祝行事を執り行います。

5月14日(土) 神楽まつり  於:吉祥殿
  9:00〜 埼玉県大宮住吉神社神楽保存会   13:00〜 島根県万九千社立虫神社神楽保存会
蟇目の儀 百々式(ひきめのぎ ももてしき)  於:神館  11:00〜
  小笠原流弓道術礼法が行われます。
清水 玲子 ヴァイオリン演奏  於:第一本宮  14:00〜

149よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 17:09:21 ID:BoHn9/Pk0
江戸期の大阪町人「ささいな楽しみ」風俗画展
2011年5月14日
http://mytown.asahi.com/areanews/osaka/OSK201105130117.html

江戸時代の大坂町人の生活や文化にまつわる風俗画や錦絵など約100点を集めた企画展「なにわの遊・楽―芝居・祭り・花暦―」が大阪市北区天神橋6丁目の「大阪くらしの今昔館」で開かれている。

 祭りのにぎやかな様子を描いた生田花朝(いくたかちょう)の風俗画「十日戎」や住吉大社の御田植祭をみやびな色彩で描いた菅楯彦(すが・たてひこ)の風俗画「住吉御田」のほか、庶民の1年間の暮らしを1枚のびょうぶに描いた「大坂月次図屏風(おおさかつきなみずびょうぶ)」などが展示されている。同館学芸員の深田智恵子さんは「大坂の町人たちが持っていた遊び心や日常のささいなことに楽しみを見いだしていた様子を感じてもらえたら」と話す。

 29日まで(16、17、24日は休館)。入館料は企画展のみ300円、常設展と企画展は一般800円、高・大学生500円。問い合わせは同館(06・6242・1170)へ。(池畑聡史)

150よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 22:55:40 ID:BoHn9/Pk0
鎮座1800年 祝福の舞…住吉大社
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110514-OYO1T00534.htm?from=newslist

「すみよっさん」の愛称で親しまれ、今年で鎮座1800年を迎えた住吉大社(大阪市住吉区)で14日、祝賀行事の一つ「神楽まつり」が開かれた。同じ住吉大神を祭る大宮住吉神社(埼玉県)の神楽保存会のメンバーらが、笛と太鼓に合わせて舞を奉納した。

 住吉大社は211年にできたとされ、交易や産業振興に関係が深い海の神様が祭られている。

 お参りに来た近所の無職、大槻孝之さん(69)は「長い歴史を思うとしみじみとする。これからも末永く大阪の街を見守ってほしい」と話した。

 祝賀行事は24日まで開かれ、15日には子ども約300人による「稚児行列」や「住吉踊(おどり)」などが行われる。

(2011年5月14日 読売新聞)

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152よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 23:02:57 ID:BoHn9/Pk0
http://www.sumiyoshitaisha.net/news_static/20110415.html

住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。
そして5月12日に記念大祭をご斎行申し上げ、様々な奉祝行事を執り行います。

5月15日(日) 1800年を奉祝する神賑行事が終日行われます。

9:00〜 埼玉県大宮住吉神社神楽保存会   
13:00〜 島根県万九千社立虫神社神楽保存会
蟇目の儀 百々式(ひきめのぎ ももてしき)  
於:神館  11:00〜
   小笠原流弓道術礼法が行われます。
清水 玲子 ヴァイオリン演奏  於:第一本宮  14:00〜
稚児社参  10:00吉祥殿出発、住吉公園を経て第一本宮参拝。
※参加には事前申し込みが必要です。
江戸芸かっぽれ  
於:絵馬殿、浅沢社、五月殿、第一本宮  10:30〜
青山太鼓保存会  於:第一本宮  11:00〜
鈴木 哲也 声楽・筝曲  於:第一本宮  11:30〜
住吉踊  於:第一本宮  12:00〜
清々神楽  於:第一本宮  13:00〜
風流武者行事  於:第一本宮  13:40〜
神田代舞  於:第一本宮  14:00〜
田植踊  於:第一本宮  14:20〜
遊輝座 創作舞踊劇「住吉大社絵巻」  
於:第一本宮  14:30〜
平野地車囃子  於:第一本宮  15:30〜
畑 美枝子 オペラ  於:吉祥殿  17:00〜

153よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/14(土) 23:06:46 ID:BoHn9/Pk0
道明寺天満宮
http://www.domyojitenmangu.com/kenko.shtml

献香祭 平成23年5月15日(日) 午前10時30分

泉山御流法印鳥休庵西際好誉宗匠によるお献香です。
 香道を今に伝える泉山御流のお香を神前に供えます。
 献香祭はどなたでも見学していただけます。

154よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/15(日) 21:32:05 ID:H4kchipU0
だんじり祭 動きや表情伝える 岸和田で写真展
2011年5月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110515/20110515030.html

 大阪府岸和田市北町のイベントスペース、かじやまち亭で14日、約300年の歴史を持つ地元の「だんじり祭」の様子を撮影した写真展が始まり、9、10月の祭礼に向けてムードが高まりつつある。5月の展示は15日まで。

 岸和田市内のデザイン制作会社、ステージクリエイツが開いた展示会で、入場無料。A4判サイズ約200枚を張り出し、だんじりを引く祭り人の動きや表情を伝えている。

 だんじりが一瞬にして方向転換する「やりまわし」のスピード感は映像で紹介し、会場となった和室の空間は祭り談議を楽しめる。

 地元ではだんじりの新調、修理に伴う入魂式が徐々に始まるシーズンを迎え、同社代表社員の松阪広太さん(30)は「だんじりが動きだすので、6月以降も毎月第4土日曜に写真を展示したい」。祭り人を撮影した同社の古坊健一さん(32)は「だんじりでは彫り物が注目されるけど、300年の伝統は町の人が中心になってやり続けているから」と話していた。

155よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/15(日) 21:33:34 ID:H4kchipU0
2011年5月15日
歴史にイチゴに"ごちそうさま" 大阪・泉佐野
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/15/20110515-052794.php

 地域の歴史を学びながら季節の味覚を楽しむイベントが、泉佐野市内で開かれ、約20人の観光客らがイチゴ狩りを楽しんだ=写真。

 泉佐野観光ボランティア協会(吉野勝会長)の主催。南海羽倉崎駅前に集合した一行は、同協会の井澤喜一郎副会長らから、第二次大戦中に同駅から東南側一帯に陸軍明野飛行学校佐野分教所(佐野飛行場)が造成され、広さは約300ヘクタールあったことなどの歴史を学び、正門の門柱などゆかりの場所を見学。

 このあと、同市長滝のイチゴ園でイチゴ狩り。参加者らは、真っ赤に熟したイチゴをほおばり、旬の味わいに満足げな様子だった。

156よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/15(日) 21:56:37 ID:H4kchipU0
大阪View:堺の伝統、はさみ鍛冶 日本刀の技術生かす /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110515ddlk27040203000c.html

 ◇玉鋼使用し、さびにくく フランスで個展、世界へ発信
 堺市堺区に江戸末期の1867年から植木ばさみや花ばさみを作り続けている鍛冶屋がある。「佐助」の5代目、平川康弘さん(60)は、はさみ職人としては数少ない国の伝統工芸士として技術を守りながら、フランスで個展を開くなど海外への普及にも取り組んでいる。【小松雄介】

 はさみの製造で最も難しいのが、硬い鉄を使った刃の部分と軟らかい鉄を用いた本体を合わせる「刃金(はがね)付け」と呼ばれる工程。熱せられた鉄が金づちでたたかれた瞬間、「バーン」という大きな音とともに火花が飛び散る。

 平川さんははさみ鍛冶の道に入って30年以上がたった50歳の時、日本刀の伝統技術を取り入れようと刀匠に弟子入りし、5年間修業を積んだ。日本刀の材料である「玉鋼(たまはがね)」を使用したはさみ作りに挑戦している。「はさみという実用品の中にこそ、日本の技術を残したい」と話している。

 作業場の見学も可能。問い合わせは佐助(072・233・6812)。

157よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/17(火) 00:20:29 ID:YYZfq7mQ0
稚児行列:福島から避難の兄弟も晴れ姿 大阪・住吉大社
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110516k0000m040154000c.html

 東京電力福島第1原発の事故で福島県富岡町から堺市に避難中の兄弟が15日、住吉大社(大阪市住吉区)の誘いで創建1800年記念の稚児行列に参列した。津波で祖父らを亡くし、家が警戒区域となるなど、混乱続きの2カ月。父母は2人の晴れ姿に目を細めながら「古里や地震のことは忘れてほしくないが、大阪での新生活を切り開く第一歩にしてほしい」と期待した。

 小学4年の新田光覇(こうは)君(9)と、幼稚園年長組の来覇(らいは)君(5)。地震による津波で、南相馬市に住んでいた祖父と曽祖母を失った。家は亀裂が入った程度だったが、原発から約7キロしか離れておらず、地震発生の翌日から避難生活が始まった。親族宅などを転々とし、先月6日、ようやく堺市営住宅に落ち着いた。

 大阪府内での暮らしも1カ月を超え、兄弟の言葉には「分からへん」「ちゃう(違う)」と早くも関西弁が交じる。いつも元気いっぱいだが、時折、母恵理さん(30)に「いつ富岡に帰るの?」「僕の家はあるよね?」と尋ねる。富岡町が立ち入り禁止になる前日の先月21日、父英希さん(33)と恵理さんが一時帰宅。持ち帰った幼稚園の集合写真を見た途端、来覇くんは声も出さないまま、涙をボロボロこぼしたという。

 住吉大社は、「少しでも元気を、また大阪の楽しい思い出を作ってほしい」と一家を招待した。行列には約300人の子どもとその保護者らが参加。一家は行列の先頭に立ち、約1キロを歩いた。

 金の烏帽子(えぼし)の稚児装束に身を包んだ2人は「先頭を歩けて気持ちよかった」「歩くのは疲れたけど、楽しかった」と、晴れやかな表情。恵理さんは、「津波で亡くなったおじいちゃんやひいばあちゃんに、晴れ姿を見せてあげたかった」とつぶやいた。

 一家の居住期限は1年の約束というが、恵理さんは「富岡町の復興は何一つ進んでいない。いずれは戻りたいが、1年では無理。福島に帰るまで住めれば」と話していた。【深尾昭寛】

158よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/17(火) 18:25:57 ID:/pXicHq.0
国産木綿復活探る 21日にコットンサミット
2011年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110517/20110517024.html

 綿花の栽培や国産綿の製品化に取り組む市民団体、企業が一堂に会する「全国コットンサミット」が21日、岸和田市の浪切ホールで開かれる。地域再生や環境保全を背景に機運が高まる国産木綿の復活に向けた方策を地域間交流を通して探る。

 戦国時代に始まった木綿の栽培は江戸時代に各地に広がり、綿紡績や綿織物などの繊維産業の発展が日本の近代化を推進する原動力になったが、その後、木綿の栽培は減退し、国外に依存している状況が続く。

 そこで、「和泉木綿」の伝統を受け継ぐ大阪・泉州地域の岸和田市を会場に約40の団体・企業の代表が集い、失われた機械技術の再生、新製品の創造、販路の確保などの課題の克服を目指す。

 当日は、サミットを開く実行委員会の代表を務める大正紡績(阪南市)の近藤健一営業部長が、注目を集める有機栽培の綿「オーガニックコットン」をめぐる業界の動きや国内綿花栽培の可能性も紹介する。

 国産木綿の復活について、実行委事務局次長の木村元広さん(62)=岸和田市立図書館職員=は「個々の地域、企業が連携することでうまくいく」と話す。サミットはその試金石になる。


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