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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1766よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 20:25:41 ID:e/g8GQkc0
>>1765

■来年10月にサミット

 「闕所の約60年後、淀屋跡地に淀屋清兵衛を名乗る商人が活躍している。倉吉の大蓮寺には牧田家代々のお墓と共に『大坂淀屋清兵衛』と刻まれた供養塔が建てられている」

 淀屋研究会が06年に編集した図録『淀屋の歴史と偉業』に寄稿した長谷川稔倉吉市長(当時)は、地元と淀屋の関係をそう伝えている。

 つまり、淀屋は倉吉でひそかに暖簾(のれん)をつなぎ、元の淀屋橋で淀屋清兵衛を公称して再興した。その後、1859年に突如、大坂と倉吉の店を閉鎖し、資金を朝廷に献上してこの世から去ったというわけだ。

 しかし、長谷川市長と対談した関淳一大阪市長(当時)は「闕所の真相も含めて分からないことが多い。淀屋の屋敷跡の碑にこの地とのよすがを伝えるのみ」と同図録に言及。淀屋の足跡が“伝承”の域にとどまる現状に対し、淀屋研究会は、闕所310年に当たる2015年10月10日に「淀屋サミット」の開催を通して足跡を深掘りする意向だ。

■歴史に活路を

 研究会と関わりのある作家の新山通江氏は、暖簾復活を期した淀屋4〜5代の商人魂を描いた著書『真説淀屋辰五郎』の巻頭で次のようにつづっている。

 「閉塞(へいそく)した時代の、あるいは個人的な憂い事の、活路を開いていただくヒントが見つかりますように」

 折しも、今後30年間で20〜30代の女性が半分以下に減る自治体は896市区町村に上るという試算が8日に発表されたばかり。東京に続く第2の都市である大阪市内でも郊外や再開発未定の大正、浪速、西成、住之江、中央の五つの区が半減するなどまさに「閉塞した時代」を迎えている。

 だからこそ「勇気と先見性」(毛利信二研究会代表)を持っていた淀屋の足跡に目を向け、民間活力が地域を発展させた大阪の歴史に学びたい。温故知新を実行する時である。

1767よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 21:09:36 ID:e/g8GQkc0
再来年の大河ドラマ「真田丸」
05月12日 17時47分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140512/4377221.html 

再来年、平成28年に放送されるNHKの大河ドラマは、「大坂冬の陣」と「夏の陣」で豊臣方の武将として徳川家康率いる幕府軍と果敢に戦った、真田幸村の生涯を描く「真田丸」に決まりました。
大河ドラマ「真田丸」は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、真田幸村が主人公です。
ドラマは、天下を争う大名たちにほんろうされながらも、父や兄をはじめとする家族とともに、知恵を頼りに生き抜き、江戸幕府によって追い込まれた豊臣家のために果敢に戦った幸村の姿を描きます。
「真田丸」は、大坂の陣の際に幸村が今の大阪・天王寺区に築いたとされる砦の名前で、戦国の荒波に立ち向かう真田家を、一そうの船に例えて名付けたと言われています。
脚本を担当するのは三谷幸喜さんで、大河ドラマの脚本は平成16年の「新選組!」以来2度目となります。
大河ドラマ「真田丸」は再来年、平成28年の1月から1年間放送されます。

1768よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/14(水) 21:44:40 ID:Kcm4v5Q.0
適塾 耐震工事終え再公開へ
05月14日 19時03分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140514/4152511.html 

福沢諭吉などの多くの人材を輩出した大阪の適塾の建物が耐震工事を終え、15日から再び公開されることになりました。
適塾は、幕末の蘭学者、緒方洪庵が、蘭学や医学を教えるために開いた塾で、福沢諭吉など、日本の近代化に貢献した多くの人材を輩出しました。大阪・中央区にある適塾の建物を管理する大阪大学は内部を公開していましたが、去年秋から一時休館して耐震改修工事を行い、完成したことから、14日、内覧会を開きました。
工事では、元の土壁を取り除いたあと、金属製の2枚の板の間にゴム状の素材を挟んで揺れを吸収する特殊な壁を取り付け、その上にしっくいを塗るという、重要文化財では初めての技術が使われ、展示室では、元の景観を損なわないこれらの工法についてもパネルなどで紹介しています。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は、「古い建物を守るため、最新の技術を応用して耐震工事を行った。たくさんの人に見にきていただきたい」と話していました。
適塾の建物は、15日から再び一般に公開されます。
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1769よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 05:24:41 ID:knmty1Hk0
適塾が耐震工事終え、15日から一般公開 内覧会に洪庵の子孫も
2014.5.14 22:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140514/wlf14051422000027-n1.htm

江戸時代の蘭医学者、緒方洪庵(1810〜63年)が開き、大阪大の原点とされる私塾「適塾」(大阪市中央区、国重要文化財)の耐震改修工事が完了し、阪大は15日から一般公開を再開する。14日は関係者向けに内覧会が開かれ、洪庵から数えて5代目の子孫がテープカットで再オープンを祝った。

 適塾の建物は木造一部2階建ての約285平方メートル。築200年以上と推測され、洪庵が弘化2(1845)年に購入。全国から集まった若者がここで医学や蘭学を学び、慶応義塾の創設者、福沢諭吉らを輩出した。また適塾の門人が阪大医学部の前身、大阪医学校などの要職に就いたことから阪大の源流の一つとされている。

 昭和51〜55年にかけて、大規模な改修工事が実施されたが、平成の改修となる今回は昨年10月〜今年3月、約6千万円をかけて屋根の軽量化や耐震壁の設置などを行った。改修により震度7までの揺れに耐えられるという。

 内覧会に奈良市から駆けつけた洪庵の子孫、緒方惟之さん(89)は「かつて、理想に満ちた多くの若者が学んだ空気を感じてほしい」と話していた。

1770よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 20:49:36 ID:HYCetVuM0
「天満の名水」復活へ 天神祭実行委が初会合
2014年5月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140515/20140515025.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は14日、2014年度の初会合を大阪市北区の天満宮会館で開き、今夏の天神祭までに天満宮境内に井戸を掘って井戸水「天満の名水」を復活させる方針が示された。

 会合には大阪天満宮の寺井種治権宮司や京極俊明実行委員長ら関係者約80人が参加。14年度の行事計画として7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭を例年通りの内容で執り行うと決めた。

 天満の名水復活について、寺井権宮司は「祭りのにぎわいに生かせないか検討していく」と語った。

 京極実行委員長は「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と述べ、15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会の新設を提案。今後祭りの関係者との会合で設置について議論していく。

 会合では行事に関する13年度収支の決算や14年度予算も審議。収支悪化が顕在化している現状を踏まえ、改善に向けて協議した。

1771よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:33:28 ID:u9D6AiKI0
徳川大坂城の採石場跡…航空レーザー計測で確認
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140517-OYO1T50022.html

 江戸初期の徳川期大坂城築造の際、石垣に使う花崗岩(かこうがん)を切り出したとされる兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)東側に広がる丘陵地で、林の中から採石場跡とみられる遺構を「3次元航空レーザー計測システム」で確認したと、同市が16日、発表した。大坂城にかかわる採石場で最大の「東六甲採石場」の東端と考えられるという。

 同システムは、上空からレーザー光を照射し、広範囲の地表の凹凸を精密にとらえ、立体地図の作製に利用。この光は樹木をすりぬけるため、活断層や古墳の形を調べる際にも使う。

 市によると、東六甲採石場は現在の西宮市から神戸市にかけての六甲山系に位置し、石垣の約3分の1を産出したとされる。西宮市内でも、普請した鍋島藩などの印が刻まれた石材が見つかっている。しかし、採石場跡は住宅地となって発掘が難しい箇所が多く、同市の甲陽園地区でしか確認できなかった。

 市は2012年から、切りそろえたような石(縦横約1・5メートル、高さ約3メートル)が散乱する標高140メートルの地点を同システムで調査。近くの谷に直径10〜20メートルのくぼみが連続。この形が、兵庫県芦屋市内で発掘された採石場に酷似していた。西宮市は今後、発掘して特定するという。

 芦屋市で東六甲採石場を調べた森岡秀人・日本考古学協会理事(62)は「3次元航空レーザー計測システムによる調査が進めば、採石場の全体像がわかるのではないか」と期待している。

徳川期大坂城 豊臣秀吉の築いた大坂城が大坂夏の陣(1615年)で落ち、徳川幕府は西日本の大名64人に新たな城を築くよう命じた。城は1629年に完成したが、天守閣は65年に落雷で焼失した。

1772よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:44:14 ID:vPLMBLrI0
富田林興正寺別院 重文に
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140517-OYTNT50055.html?from=ycont_top_txt

 ◇「寺内町とセットで残存」評価

 富田林市の寺内町にある人気スポット「富田林興正寺別院」が16日、国の重要文化財(建造物)に指定されることになった。寺内町が形成される第一歩となった寺で、山門は豊臣秀吉が築いた伏見城(京都)のものが移築されたと伝わる。関係者は「これを機に、さらに魅力を発信していきたい」と喜びの声を上げた。(岡田英也、桜井悠介)

 本堂は、江戸時代初期の1638年に建立され、浄土真宗寺院のものとしては府内で最古。江戸後期に建てられた鐘楼(しょうろう)、鼓楼(ころう)、御成門(おなりもん)などと合わせて計6棟が指定された。

 周囲は、東西400メートル、南北350メートルの範囲に町家などが立ち並ぶ寺内町で、府内唯一の「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれている。「寺と寺内町がセットで良好に残る貴重な事例」と高い評価を受けた。

 同地区での重文指定は「旧杉山家住宅」に続き2例目。観光客の案内を担う「じないまち・ボランティアガイドの会」の山口完内会長(76)は「ガイドで外せないスポットで、指定を待ちわびていた。本堂内のふすま絵や欄間(らんま)彫刻など見所が多く、さらに多くの観光客に魅力を伝えたい」と張り切る。

 興正寺別院の華園勝文代務住職(83)は「歴史的な価値が認められ、身が引き締まる思い。先人から守られてきた建物を、次の世代に引き継いでいく重責を感じています」と話した。


 今回の指定で、府内の重要文化財(建造物)は99件(184棟)となった。

2014年05月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1773よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:10:39 ID:/b1eD7WA0
【舞台の遺伝子】
大阪で叶えた夢 歌舞伎の原点取り戻す 中村勘三郎
2014.5.17 14:35
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n2.htm

 初夏が近づくと、中村勘三郎さんを思い出す。

 20〜30年ほど前、大阪の7月は、勘三郎さんの舞台で熱く燃えた。

 道頓堀の中座を舞台に、躍動的に動き回り、すさまじいエネルギーを撒き散らし、愛嬌(あいきょう)たっぷりの演技に客席は沸いた。「東海道四谷怪談」では客席から幽霊を出して悲鳴を上げさせ、「高坏(たかつき)」では軽やかな下駄のタップダンスに場内から手拍子がわき起こった。

 「歌舞伎ってこんなに面白い」。勘三郎さんは古典芸能に見向きもしなかった大阪の若者たちをぐいっと歌舞伎に引き寄せた。それがいまに続く歌舞伎ブームのさきがけとなった。

 そんな勘三郎さんの涙を大阪で見たことがある。

 平成22年、大阪城公園西の丸庭園に建てられた「平成中村座」のお披露目のとき。江戸時代の芝居小屋を現代に蘇らせた平成中村座は、勘三郎さんの夢の結晶でもあった。

 その舞台後方を開け放った瞬間、大阪城の天守閣が姿を現したのだ。「これはすごい」。勘三郎さんの目に涙がにじんだ。

 天守閣の向こうに大阪の摩天楼がそびえる。それは伝統と現代を結びつけた希代の歌舞伎役者が夢見た風景だったのかもしれない。

 勘三郎さんが初めて大阪で「平成中村座」公演を行ったのは平成14年11月。

 梅田の繁華街にほど近い扇町公園の砂ぼこり立つ空間に突如、その芝居小屋は出現した。入り口には色とりどりの幟(のぼり)がはためき、場内に入ると桟敷(さじき)席。江戸時代にタイムスリップしたような風景に、観客は度肝を抜かれたものだ。

 勘三郎さんから任されて設計、建築を行った金井大道具の金井勇一郎社長(53)は「テントですから外の騒音も聞こえる。雨はうるさいけど、パトカーの音はかえっておもしろかった。ここでいったい何ができるんだろう。勘三郎さんも僕もワクワクしながら作り上げた」と振り返る。

1774よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:13:54 ID:/b1eD7WA0
>>1773

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/write.cgi/travel/6501/1294119348/
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n4.htm

 平成中村座の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のラストシーン。舅(しゅうと)殺しをした浪速の侠客(きょうかく)、団七(勘三郎)と義兄弟の徳兵衛(中村橋之助)は捕手に追い詰められ、現代の扇町公園の土の上を大阪の街に向かって疾走していった。

          □

 実は勘三郎さんに平成中村座を思いつかせたのはアングラ演劇の旗手、唐十郎さんの紅(あか)テントであった。

 19歳のとき、初めて紅テントで唐さんが主宰する状況劇場の芝居を見て衝撃を受けたという。神社や公園に出現する紅テントは猥雑(わいざつ)で妖しく、劇中、テントの後ろを開けると現代の風景が飛び込んでくる演出は魅惑的であった。

 「これだよ、これ」。勘三郎さんは足しげく紅テントに通った。

 現在、唐さん主宰の唐組で俳優兼演出を務める久保井研さん(51)はそんな勘三郎さんの姿をよく覚えている。

 「他のお客さんと一緒に膝をつき合わせて桟敷席で見ていらっしゃいました。打ち上げでは劇団員たちと車座になって話されていた。『これが歌舞伎の原点なんだ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけないんだよ』。そんなことを飛び上がるほど興奮しながら唐さんと話していましたね」

 歌舞伎が近代化の波の中で失ったものを取り戻したい。それこそが勘三郎さんの夢だったのではないか。

         □

  勘三郎さんは歌舞伎が低迷していた大阪に、歌舞伎の種をまいて花を咲かせ、突然、逝ってしまった。

 しかし、大阪の7月の歌舞伎公演は、勘三郎さんらの奮闘のおかげで途切れることなく続き、今年も松竹座で開催される。

 〈あんたはんは東京一、道頓堀が似合う役者はんや〉。大阪の見知らぬおばちゃんからそんなファンレターをもらったと、うれしそうに教えてくれた勘三郎さんの屈託のない笑顔が忘れられない。

中村勘三郎(1955〜2012年) 人間国宝だった十七代目中村勘三郎さんの長男として生まれ、昭和34年、東京・歌舞伎座で五代目中村勘九郎を名乗って初舞台。平成17年、歌舞伎座で十八代目中村勘三郎を襲名。華のある芸風で、立役から女形まで芸域は幅広く、古典の古格を守りながらも、新作歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座など果敢に挑み、歌舞伎の地平を豊かに切り拓いた。57歳というあまりにも早い死は現代歌舞伎の底知れぬ損失となった。

1775よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 20:54:43 ID:HkvDen6w0
「歴史的な日」だんじり24台がパレード 市制60年の大阪・河内長野
2014.5.18 20:24
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140518/wlf14051820240030-n1.htm

 大阪府河内長野市で18日、市民らがだんじり24台を引きながらメーンストリートを練り歩くパレードが開かれた。今年で市制60周年を迎えたのを記念するイベントで、沿道は約2万5千人でにぎわった。

 24台は同日午後、市役所に集結。そろいの法被姿の市民らが、だんじりを引きながら威勢よく練り歩いた。例年、秋の祭りでは後輪を持ち上げてこまのように速く回す「ぶん回し」がみられるが、この日はだんじりの彫刻などを楽しんでもらおうと、ゆっくり進んだ。

 実行委員長の鉾谷祐二さん(39)は「24台が集まった歴史的な日。こんなことは秋祭りでもない」。市内に住む上田まさ子さん(67)は「24台なんてびっくり。今しかないと思って見に来ました」と話した。

1776よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:04:51 ID:jKmfYW4.0
真田幸村の資料館来月オープン
05月21日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140521/4472601.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎え、豊臣方の武将、真田幸村ゆかりの品々を集めた資料館が、大阪市にオープンすることになりました。
「真田幸村公資料館」は「大坂の陣」から400年になるのを記念して、大阪の鉄砲研究家、澤田平さんが大阪・東成区に、来月・6月からオープンさせるものです。
「資料館」には、▼「大坂夏の陣」で幸村が、徳川方に攻め込み、家康を撃とうとしたとされる「宿許筒」と呼ばれる火縄銃や▼徳川方が使ったとされる長さ1メートル70センチの「慶長大鉄砲」、それに、▼後世の武家が幸村の戦術を学んでつくったとされる手裏剣や吹き矢など、およそ300点が展示されるということです。
また、資料館を訪れた人たちは、澤田さんの説明を受けながら見学できるということですが、入館には予約が必要だということです。
「真田幸村公資料館」の連絡先は、06−6974−1186で、随時、予約の相談や問い合わせに応じるということです。

1777よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:08:53 ID:jKmfYW4.0
この地道な努力に敬服いたします。 


空襲前のミナミ、45年かけ地図…聞き取り重ね
2014年05月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140519-OYO1T50024.html

空襲で焼ける前の大阪・ミナミ周辺の詳細な地図を45年かけて作っている男性がいる。資料を調べ、1000人以上に聞き取りをした。情報を求めて歩くうち、ふるさとの面影がよみがえったという。千日前から、道頓堀、心斎橋と広げ、今は最後の船場地区を作業中だ。戦後70年の来年、大阪市立中央図書館(西区)に寄贈する。(南部さやか)

 安藤豊さん(78)(中央区千日前)の幼い日の思い出は、国民学校3年時点で断ち切れる。

 春休みで集団疎開先から戻っていた1945年3月13日夜、大阪大空襲に遭った。焼夷(しょうい)弾が降り、燃え上がる町を家族で逃げ回った。千日前の自宅周辺は跡形もなく焼けた。避難先の知人宅から千日前に戻れた中学入学の頃、まだバラックが並び、西部劇のように砂ぼこりが舞っていた。

 地図作りの始まりは、証券マンだった68年、小学生の息子が「町の歴史を知りたい」と言ったことだ。資料を探して訪ねた図書館で、自分が国民学校1年だった42年の職業・個人電話帳を見つけた。これを手がかりに記憶をたぐり、地図を描いてみようと思った。

 今、ビックカメラなんば店が立つ場所に大阪歌舞伎座があった。劇場は近辺に12か所。戦争映画の宣伝看板が並び、作業着姿の男性が大勢、自転車をこいで見に来ていたのを思い出した。

 通っていた精華国民学校の近くは駄菓子や肉、すし、青果店が軒を連ね、道頓堀の、今は看板がまぶしいあたりに料亭があって、芸者さんが歩いていた。

 休日に先輩や同級生、近所の商店主らを訪ね歩き、「これ間違ってへんか」と、自作の地図を見せては情報を集めた。歴史雑誌や手記を読み、知らない建物名や地名を見つけるとまた調べて回った。

 地図が埋まってくると、街の光景と、思い出がよみがえる。繁華街の路地にろう石でマルを描いてケンケンをしたこと。通りが行商人たちの声であふれていたこと。てんびん籠を下げたイワシ売り、傘の修繕、うどん、玄米パン。毎月の夜店のあめ細工……。

 古い資料を持っている人や、同じように自宅周辺の昔の地図を作っている人にも出会い、情報交換した。「戦前のメインストリートは堺筋やったんや」「ここが、織田作之助の通った波屋書房があったとこ」。聞いて集めたエピソードも一緒に記録に残す。作製中の地図の大きさは縦横約2メートルになった。

 スタートから45年がたち、話を聞かせてもらった人の多くが他界しており、「これ以上は難しいだろう」と言う。

東西約4・5キロ、南北約6・3キロ。あの空襲では、この大半が焼けた。失われたものの大きさに今も慄然とする。

 安藤さんは「たくさんの生き証人の協力があって再現できた、空襲で消えた町のことを知ってほしい」と話している。

 古川武志・大阪市史料調査会調査員は「限られた地区の絵図などはあったが、大阪大空襲前の住宅地図はなく、貴重なものだ。地元で育った安藤さんだけに細部まで書き込んでおり、当時の町並みや人々の暮らしぶりがよくわかる」と話している。

大阪大空襲 大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)によると、大阪への空襲は、1944年12月〜45年8月に約50回行われ、うちB29爆撃機100機以上の大規模な空襲は計8回あった。45年3月13日の被害が最も甚大だった。

2014年05月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1778よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/25(日) 05:58:40 ID:YzhJ0.rE0
古墳周辺の景観保全対策説明
05月24日 12時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140524/4641481.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめざして堺市は、住民説明会を開き、新たな建物の高さの規制など、周辺の景観保全対策を説明し、理解を求めました。
百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめぐっては、周辺の景観の保全が不十分だなどとして、去年8月に推薦が見送られたことから、地元の堺市などは、先月、建物の高さの規制など、新たな対策を決めました。これを受けて、24日、地元の住民を対象にしたはじめての市の説明会が開かれ、およそ50人が参加しました。
市の担当者は、古墳群のそばでのこれまでの規制に加え、古墳群の周辺でも、新たな建物の高さや、建物の外壁の色を規制することなどを盛り込んでいまの条例を改正する方針を説明しました。
これに対して、参加者からは、「自治会単位で必要となる対応についてもっと説明してほしい」という要望が相次いだほか、「マンションの高さを変えて、資産価値が下がった場合、補償はあるのか」といった質問も出されていました。
堺市の宮前誠世界文化遺産推進室長は、「古墳群を世界文化遺産として守っていくため理解をいただけるよう説明を続けていきたい」と話しています。

1779よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 05:01:18 ID:AfElV3sQ0
幻の「海岸寺」解明に期待
2014年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140523-OYTNT50017.html

 ◇明治期移築先とされる貝塚・常照寺から175年前の鬼瓦

 貝塚市の常照寺本堂(名越)で、約175年前の江戸時代に製造されたとみられる鬼瓦が見つかった。同寺は、かつて徳川将軍家の位牌(いはい)をまつり、その後、姿を消した「海岸寺」が移築されたものとみられている。瓦には当時の職人と思われる名も残っており、地元研究家は「幻の寺の全容を知る鍵になるかもしれない」と期待している。

 常照寺は、1532年建立の浄土真宗本願寺派の寺。天保時代の古文書で記された間取りや妻入り造りの建築様式などから、岸和田城の初代城主・岡部宣勝(1597〜1668)が1657年に建てた海岸寺が、後に移築されたとみられている。

 海岸寺は、3代将軍家光以降の歴代将軍の位牌堂。現在の貝塚市半田にあったが、明治時代に解体され、位牌や石灯籠の一部は泉南市の寺に移された。宝物類などは行方不明になったという。

 常照寺では、約3年前から本堂を改築。その際、古い鬼瓦を歴史研究家の赤坂勇さん(69)が調べたところ、裏に岡部家菩提(ぼだい)寺の瓦に刻まれていた「岸泉仁」や、「天保九戌三月 瓦屋周三郎」など、瓦職人とみられる人名を見つけた。今後、瓦の価値を分析したり、刻まれた人名の子孫などを調べたりするという。

 赤坂さんは「約360年前に建てられた海岸寺の実態を知る糸口になるかもしれない貴重な資料」と評価、常照寺の藤塚知暁住職(64)は「鬼瓦は寺に安置された位牌を守る役割を果たしていたのでは。壊れないよう保存方法を考えたい」と話している。

2014年05月23日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1780よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 20:59:39 ID:LMIRksUU0
長い間、本当にお疲れ様でした。

「泣いたらあかんけど…」 拍手鳴り止まず 文楽の人間国宝、竹本住大夫さんが最後の舞台
2014.5.26 20:38
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140526/wlf14052620380028-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の太夫(浄瑠璃語り)で、人間国宝の竹本住大夫(すみたゆう)さん(89)の引退公演が26日、東京・国立劇場で千秋楽を迎えた。住大夫さんは亡き父、六世住大夫さんの引退公演と同じ「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)・沓掛(くつかけ)村の段」を語り、68年の太夫人生に幕を引いた。

 住大夫さんは45分間にわたり、子供や老母らの心情を情感豊かに表現。その余韻を惜しむ拍手はしばらく鳴り止まなかった。

 舞台上で行われた引退セレモニーでは「寂しゅうてまだ、次の公演に出るような気がします。これからも文楽を末永くお願いします」とあいさつ。長年、苦楽をともにしてきた人形遣いの人間国宝、吉田簑助さん(80)から花束を贈られ、感無量の面持ちを見せていた。

 セレモニー後、取材に応じた住大夫さんは「拍手を聞いていたら胸が詰まって。泣いたらあかんと我慢したが、楽屋に戻ってみんなの顔を見たら泣いてしまいましたわ」と語った。

1781よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 21:00:50 ID:LMIRksUU0
■文楽・竹本住大夫さん引退 「感謝と敬いの心でいっぱい」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004786.shtml

 人形浄瑠璃文楽の最長老で、今年2月、引退を表明した竹本住大夫さん(89)の最後の舞台が東京・国立劇場で上演されました。

 68年にわたる大夫人生を締めくくった最後の演目は、「沓掛村」。

 これは父の6代目、竹本住大夫さんが引退公演で演じたものと同じです。

 住太夫さんは戦後、すぐ文楽の世界に入門し、ストーリーを語る「大夫」という役割で、1989年には人間国宝に認定されました。

 大阪市の補助金削減問題では、技芸員のトップとして奔走。

 おととし7月に脳梗塞で倒れ、リハビリを経て、半年後に舞台復帰を果たしたものの、後遺症のため引退することを決めました。

 「いい星の下に生まれた運のいい男でね。感謝と敬いの心でいっぱいでございます」(竹本住大夫さん) (05/26 18:14)

1782よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/27(火) 23:11:34 ID:twV4LRaI0
雨中 地上の“花火” 坐摩神社のアジサイ
2014年5月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140527/20140527024.html

 大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイがほころび始め、雨空に映える紫や赤、白などの花々が境内に彩りを添えている。

 同神社では神職が挿し木で株を増やすなど、丹精込めてアジサイを栽培している。葉の形状がカシワに似た「カシワバアジサイ」や「アナベル」、「スミダノハナビ(墨田の花火)」など約20種があり、開花期に合わせて鉢植えを境内に配置。今年は約200株が連なった。

 26日の近畿地方は気圧の谷や温かく湿った空気の影響で、終日、断続的な雨に見舞われた。

 境内の花は約1週間前から確認。全体では花数はまだ少ないが、多くの参拝客が、雨に打たれながら、つつましく咲く花姿に見入っている。同神社によると花は6月中旬まで楽しめる見込み。開門時間は午前7時半〜午後5時。

1783よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/01(日) 19:03:14 ID:w03L5oM60
入浴剤あの顔のモデル

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140530/20140530024.html

東大阪市大蓮東「中将姫供養塔」

 今回は麗しの中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説である。天平19(747)年、藤原豊成(ふじわらのとよなり)に女の子が生まれた。長谷寺の観音様に祈願して、ようやくできた娘である。しかし、姫が5歳の時に母は亡くなり父は後妻を迎えたが、男の子ができたことで後妻は姫を憎み、14歳の時、後妻は家臣に姫を殺すよう命じた。だが、心やさしい姫をどうしても殺せず、家臣は日張山(ひばりやま)の青蓮寺(せいれんじ)に隠した。

 翌年、父が宇陀(うだ)に狩猟に来た際、洞窟で読経する女性に出会い、それが実は姫であることが分かって、姫を都に連れ戻した。13歳の時、三位中将の位を持つ内侍(ないし)となり、それから中将姫と呼ばれるようになった。

 16歳の時、世上の栄華から離れ、二上山の當麻寺(たいまでら)にて仏の道に仕えることを決心する。姫が生身の弥陀(みだ)を拝みたいと念じていると、長谷寺の観音が現れ、蓮華(れんげ)の茎から糸を取って曼陀羅(まんだら)を織るがよい、と教えられた。

 そこで、近江・大和・河内から蓮(はす)の茎を集めて「當麻曼茶羅(たいままんだら)」を織りあげた(この織物は最古にして最大ということで国宝に指定されている)。そして姫が29歳の時、阿弥陀(あみだ)如来と二十五菩薩(ぼさつ)が現れて、中将姫を生きながら西方浄土へ迎えたという。(以上、諸説あり)

 さて、日張山で最初に身を寄せた藤村家で姫は、婦人病によく効く秘薬を藤村家に伝え、それが藤村家家伝の薬「中将湯(ちゅうじょうとう)」になった。津村順天堂(現・株式会社ツムラ)の創業者、津村重舎(つむらじゅうしゃ)は日張山青蓮寺の檀家(だんか)であり、母の実家の藤村家に伝わる中将湯を婦人薬として商品化し、大ヒットさせた。

 だから津村順天堂のマークは創業当時から中将姫なのである。中将湯もお茶だけでなく明治30(1897)年に「浴剤中将湯」が発売される。それが昭和5(1930)年に「バスクリン」と改名され、今もロングセラーを続けているのだ。

 その姫の供養塔が高槻市にあるということで行ってみた。場所を近くのおばちゃんに聞いてみたら「あんたみたいな人が、ようウロウロしてるで」と言いつつ、丁寧に教えてくれた。

 そこには案内板も何もなかったが、異説では、幼い中将姫を守った「産婆」が住んでいたともいう。多くの人は中将姫のことは知らなくても、津村順天堂のマーク(現・メモリアルマーク)の清純でかわいく、気高ささえ感じる美人のことは誰もが思い出すことだろう。

 能に姫を題材にした「當麻」や「雲雀山(ひばりやま)」があり、御伽草子や草双紙のヒロインでもある。高槻市の供養塔を誰が作ったか知らないが、中将姫のことが大好きな人であることは間違いない。

 そう、中将姫は忘れがたく、私にとっても、時として「思い出したい人」なのである。津村順天堂の成功の一因は、当時、マークと広告を手掛けた画家、高畠華宵(たかばたけかしょう)の画力が相乗効果を上げた、中将姫のイメージなのである。

1784よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/06(金) 21:24:52 ID:3i.cgynI0
そうなんや 大阪24区

中央区 難波宮跡公園
2014年6月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140606/20140606043.html

発掘調査60年の節目

  「大化の改新」「日本書紀」「聖武天皇」、教科書でもおなじみの古代ロマンを今に伝えるのが中央区法円坂一帯に広がる「難波宮(なにわのみや)」跡公園だ。ことしは発掘調査が始まって60年の節目。近隣の大阪歴史博物館は21日から特別展「大阪遺産 難波宮」を開き、メモリアルイヤーを盛り上げる。

 同地で明らかになっているのは飛鳥時代と奈良時代の2時期の宮殿跡。前期は大化の改新後の飛鳥からうつった「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」、後期は聖武天皇が造営し、平城京の副都として栄えたという。

 大阪市立大学教授の山根徳太郎博士(1889〜1973年)が1954年から発掘調査を行い、中心部は国の史跡に指定。調査は現在も続き、公園内には天皇が重要な儀式で使用した後期の「大極殿(だいごくでん)」の基壇などが復元、住民らの憩いの場になっている。

 大阪歴史博物館は常設展示で難波宮を年代別に紹介しているが、特別展で本格的に取り上げるのは開館以来初。視点を変え「瓦」「土器」「文字」など15テーマから出土品などを展示する。

 同館学芸員の李陽浩さん(45)は「大阪にとどまらず世界に誇る宝。まだまだ分かっていないこともあり、これを機会に多くの人に関心を持ってもらいたい」と話す。

1785よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/07(土) 04:58:24 ID:EbLrca160
21日から大阪歴博で難波宮の特別展
2014.6.7 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140607/osk14060702020003-n1.htm

 「難波宮(なにわのみや)」の発掘調査開始から今年で60年を迎えたのを記念し、大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日から、特別展「大阪遺産 難波宮−遺跡を読み解くキーワード」が開かれる。同宮の宮殿などに使われたとみられる屋根飾りの瓦である鴟尾(しび)の破片や古代の日本語表記がうかがえる木簡などを展示する。8月18日まで。

 同館によると、難波宮は、7世紀に造営されたが、686年の火事によって焼失。東大寺建立を唱えた聖武天皇により8世紀に、平城京の副都として再建されたとされるが、いまなお謎が多いという。

 昭和28年に住宅建設工事中に、大型の屋根飾りの瓦である「鴟尾」の破片(縦49・6センチ、横38・7センチ)が発見され、60年前の29年から第1次発掘調査が行われた。鴟尾は古代宮殿・寺院などの建物に用いられたとされ、復元図と並べて展示する。

 また「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と、漢字1字を1音にあてた「万葉仮名」で記された木簡「万葉仮名文木簡」や、出土遺物、当時の記録、歴史博物館所蔵の資料など約450点を展示する。

 企画広報課の李陽浩さんは「ビジネス街の地下に眠る古代の都の風景を思い浮かべながら、歴史ロマンを楽しんでもらえたら」と話している。大人600円、高校・大学生400円。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

                   ◇ 

 関連企画として、29日に大阪歴史博物館の栄原永遠男館長による講演会「聖武天皇と難波宮」、7月25日と8月1日には「初期の発掘地点を巡るツアー」なども開催される。

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1786よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/09(月) 19:57:10 ID:giSrOsU.0
第3次大阪大空襲69年 3千の魂に祈り
2014年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140608/20140608087.html

 あの大惨事を後世へ−。太平洋戦争末期の1945年6月に米軍が実施した「第3次大阪大空襲」から69年を迎えた7日、猛烈な銃爆撃によって甚大な被害を受けた大阪市北東部など各地で犠牲となった人々を悼む慰霊の行事が執り行われた。爆撃機と護衛戦闘機の計500機が白昼飛来。爆弾と焼夷(しょうい)弾投下、機銃掃射を繰り広げ、約6万戸が被災、約3千人が犠牲となったとされる。参列者は69年前の惨状を風化させまいと、市民を巻き込む戦争の悲惨さや平和の尊さをあらためて訴えた。


 犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

1787よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/10(火) 22:28:32 ID:hjB8oJNo0
夏の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」 メンバー募集で本社来訪
2014.6.10 20:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140610/wlf14061020400020-n1.htm

 大阪の夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」のメンバー募集をPRしようと、昨夏の経験者で今年も参加する4人が10日、ねじり鉢巻きと法被姿で、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、「女性だけで担ぐみこしの醍(だい)醐(ご)味(み)をぜひ味わって」と呼びかけた。

 ミス天神橋の石川亜矢子さん(28)▽準ミス天神橋の岩谷薫さん(30)と谷口萌さん(22)▽御羽車娘の池上なつ美さん(31)−で、いずれも昨夏の担ぎ手の中から選ばれた。

 今年の天神祭は7月24、25の両日開催するが、ギャルみこしは同月23日、大阪天満宮近くの天神橋筋商店街周辺の約4キロで繰り広げられる。募集するのは15〜30歳の元気で健康な女性80人。オーディションで、重さ約70キロの天(てん)秤(びん)棒を担ぎ「みこしを担ぎたい!」という熱い思いを全身でアピールしてもらうという。

 30日までに「天神祭ギャルみこし」のホームページ(http://galmikoshi.com/)から申し込む。

1788よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 05:06:42 ID:u28V9daM0
「大坂の陣400年」イベント概要明らかに 大阪城公園にテーマパークなど登場
2014.6.11 21:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140611/wlf14061121130017-n1.htm

 大阪の歴史や文化を発信するイベント「大坂の陣400年天下一祭(さい)」の概要が11日、明らかになった。慶長19(1614)年冬から翌年夏にかけて豊臣方と徳川方が激突した合戦にちなみ、今年は「大坂冬の陣」として10〜12月、大阪城公園に戦国時代のテーマパークなどが登場。来年も「大坂夏の陣」を開き、戦国ロマンで観光客へのPRを図る。

 400年の節目に大阪の活性化を図ろうと、大阪府と大阪市、鉄道会社、経済団体などでつくる実行委員会が企画。大阪の歴史や文化を楽しみながら学べる−をコンセプトにしており、冬の陣では大阪城の3D映像を鑑賞したり、甲冑などを試着したりできるテーマパークが大阪城公園内に出現する。

 公園内に設けられるドーム(直径36メートル)では内壁のスクリーンに合戦のイメージ映像が映され、入場者を臨場感が包み込む。このほか、通常は立ち入れない重要文化財の大阪城の櫓や蔵も特別公開される。夏の陣は来年4月〜9月の予定で、内容は検討中という。

 この日、市役所での会合を報道陣に公開し、概要を明らかにした。天下一祭をPRする俳優やタレントでつくる武将隊「大坂RONIN5」もお披露目され、真田幸村や長宗我部盛親らにふんしたメンバーは刀ややりを振りながら勇ましく名乗りを上げていた。

1789よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 23:36:32 ID:wSwbKWzE0
武将隊を披露 大坂の陣400年プロジェクト実行委
2014年6月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140612/20140612037.html

 「大坂の陣400年天下一祭」を大阪市中央区の大阪城公園などで開催する大阪市、大阪府、民間事業者などで構成する「大坂の陣400年プロジェクト実行委員会」の第2回会合が11日、大阪市役所で開かれ、イベントをPRする武将隊「大坂RONIN5」がお披露目された。

武将隊は、大坂の陣で豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組。赤や黄色など色鮮やかな衣装をまとい、刀などを手に勇ましいポーズを決めた。

 大坂冬の陣イベントは10〜12月に開催。期間中は西の丸庭園に直径36メートルの「ドーム」が出現し、大阪城の築城から大坂の陣までを紹介する映像などを上映。大阪城天守閣前の本丸広場では特設ステージが設けられ、武将隊のショーなどが予定されている。

 同実行委員会の橋爪紳也委員長は会合で「大坂の陣400年を一つの契機として、官民挙げて大阪を世界にアピールする2014、15年にしていきたい」と呼び掛けた。

1790よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 05:09:28 ID:5yGSD5QQ0
東大阪の「ものづくり力」知って 上田合金が銅鐸復元 全市立中に寄贈
2014.6.12 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140612/osk14061202000001-n1.htm

 東大阪市高井田中の鋳造会社「上田合金」が市内の遺跡で発見された破片から銅鐸26個を復元し、全市立中学校26校に寄贈することになった。上田富雄社長(78)が、子供たちに東大阪のものづくりの力を知ってもらおうと発案。今後、市が作成した銅鐸の関連資料などと合わせて各校に贈る。

 同市弥生町の鬼虎川(きとらがわ)遺跡から約35年前に銅鐸鋳型の破片などが出土しており、それらをもとに製作した。

 銅鐸は、約2千年前の弥生時代中期に使われていたとされる。復元された26個の銅鐸は、銅、スズ、鉛の合金を使用しており、高さ約31センチ、厚さ約3ミリで重さは約3・7キロ。各校には銅鐸のほか、復元工程や鬼虎川遺跡の様子を解説したデータ資料も贈るという。

 市役所で野田義和市長が上田社長に感謝状を贈呈。上田社長は「技術的には現代よりも2千年前のほうがすごいと感じます。子供たちには古代の職人やものづくりの原点を理解してもらえれば」と話した。

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1791よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:27:21 ID:9lE7gTbQ0
愛染まつりをPR
06月12日 19時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140612/5133621.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が今月30日から始まるのを前に、浴衣姿の「愛染娘」たちが、NHK大阪放送局を訪れ、祭りをPRしました。
「愛染まつり」は、大阪・天王寺区にある「愛染堂勝鬘院」の、約1400年の歴史がある夏祭りで、初日には愛染娘を乗せたかごが谷町筋を練り歩く「宝恵かごパレード」が行われます。12日は、ことしの祭りに参加する、華やかな浴衣姿の「愛染娘」など4人がNHK大阪放送局を訪れ祭りをPRしました。
愛染娘たちは、「あいぜんさんじゃ−!ほーえーかーご!」と威勢の良い声を上げ、祭りの成功を願い「大阪締め」を披露しました。
愛染娘の1人で、20歳の大学生の弘中沙也加さんは、「愛染娘全員が笑顔で祭りを盛り上げるので、多くの人に来てほしいです」と話していました。愛染まつりは、今月30日から3日間行われます。
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1792よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:33:59 ID:9lE7gTbQ0
「天神祭月間」七夕に開幕へ 天神祭
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140613/20140613022.html

 大阪市北区の大阪天満宮は12日、日本三大祭りの一つ天神祭の幕開けを7月7日の七夕に位置付け、本宮の同25日までを「天神祭月間」と打ち出す方針を示した。現状は宵宮の同24日が天神祭の始まりとして浸透しているが、期間を拡大することで地域のにぎわづくりに一層つなげていく。

大阪天満宮は現在、七夕に天満天神七夕祭の神事を執り行っているが、室町時代には七夕に天神祭が執り行われた記録が残っていることを踏まえ「プロローグの日」にする方針を決めた。

 7〜25日は、大阪天満宮近隣の川に発光ダイオード(LED)電球を流して天の川に見立てるなど多彩なイベントがすでにある。こうした取り組みを一体的に捉えて天神祭月間を通し、お祭りムードを高めて25日のピークにつなげる。

 天神祭月間の設置をめぐっては、天神祭渡御行事保存協賛会が大阪市北区の天満宮会館で12日開いた委員総会で示した。総会では、「天満の名水」を復活させる計画についてペットボトルに入れて商品化し、売り上げを天神祭の運営費に充てて「祭りの礎」にする意向も明らかにした。

 寺井種伯宮司は「祭りの広がりにつなげていければ」と話している。

1793よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:39:53 ID:9lE7gTbQ0
澪標 ―みおつくし―

受け継がれた祭りで人の繋がり
とくいさとしイラストレーター、絵画教室講師
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140613/20140613033.html

4年ほど前から写真を趣味にし、生き生きとした子どもたちの笑顔を撮りたく近畿地方を中心にお祭りへ出掛けるようになりました。大阪ですと生國魂神社の「いくたま夏祭」や住吉大社の「御田植神事(おたうえしんじ)」には毎年足を運ばせていただいておりますし、御田植神事では見る側から、現在は「供奴(ともやっこ)」として参加する側にまわっております。毎年見に行っていたら「やる?」と声を掛けられました。「御田植神事」はちょうど明日14日に開催されます(午後1時より本殿祭の儀)。ぜひお越しください。

 祭りに行くと、地元の方々からすれば僕は完璧なよそ者なわけですが、どこのお祭りに行っても快く迎えてくださいます。大体は「まぁ飲んでけ」とビールを渡され、地元の方といっしょに顔を赤く染めるわけですが、その心地よさを除いても祭りって本当にいいなと思います。

 普段子どもたちが大声ではしゃぐと「静かにっ!」と顔を真っ赤にして怒る大人が、祭りの日は別の理由から顔を真っ赤にして、子どもたちに「元気がないぞ!」と率先してバカみたいにはしゃぎます。子どもからすれば理不尽な話ですが、子どもたちもこの日はどうやら騒いでもいいらしい! と元気よく大人たちの期待に応えてくれるわけです。

 和歌山に行った時の話ですが「孫が初めて天狗(てんぐ)の役目をする」とうれしそうに語ってくれた方もおられました。お孫さんは大勢の地域の人が見守る中、見事大役をやってのけ、たくさんの拍手を受けておりました。帰りの電車の中で「あの天狗はよかった」と乗り合わせた地域の方の会話が聞こえてきて、祭りが地域の人たちにとって大切であること、子どもが地域のみなさんに育てられていることを感じました。

 祭りに行くとそういった地域の人たちの繋(つな)がりや、長年変わらずお祭りを継承されてきた歴史が感じられるところが好きです。祭りを通じて地域の人同士が繋がりを深め、子どもは大人からたくさんのことを学び地域の一員として育っていくのでしょうね。

 ただ、山間の小さな神社へ行った時には、小学生が巫女(みこ)として舞いを奉納するのですが、受け継ぐ子どもがおらず、あと2年間しか今の形で祭りを催行することができないという話も聞きました。

 地域のあり方や、人と人との繋がり方、いろいろな変化が祭りにも表れているのだと思います。それでもやはり地域に根付いた歴史を持ち、地域の人たちの繋がりで受け継がれてきたお祭りは大切であると思います。祭りに参加する子どもたちの笑顔はとても生き生きとしております。

 (とくいさとし 堺市美原区)

1794よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/15(日) 21:17:08 ID:bjKJVt6s0
古式ゆかしく豊作祈願 住吉大社・御田植神事
2014年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140615/20140615032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が盛大に執り行われた。梅雨を思わせない快晴の下、多くの奉仕者が古式ゆかしい装束姿で参集。踊りや舞といった華やかな芸能を奉納し、秋の豊作を祈願した。

同神事は神功皇后が御田を造らせ、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされる。

 この日は、神前に田植を奉告する本殿祭に続き、境内南側に広がる御田(おんだ)で御田式を斎行。中央の舞台では、同大社の神楽女(かぐらめ)が八乙女(やおとめ)として奉仕し、「田舞(たまい)(八乙女舞)」を舞う中、植女から青々とした苗を受け取った替植女(かえうえめ)らが、すげがさ、赤たすき姿で手際よく苗を植え付けていった。

 このほか舞台と御田の周辺では、「神田代舞(みとしろまい)」や「風流武者行事」「住吉踊(おどり)」などが順次奉納され、国内外の参拝者の注目を集めた。

 高井宮司は「ことしの秋の豊作と、すべての産業が発展するようにお祈りしたい」とあいさつした。

1795よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/16(月) 05:03:26 ID:nR0.Fl2A0
大坂の陣400年記念連続講座 市立中央図書館で来月
2014.6.16 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140616/osk14061602040002-n1.htm

 「大坂冬の陣」から今年で400年の節目を迎えることにちなみ、「大坂の陣」をテーマにした連続講座「乱世の大坂−よみがえる大地の記憶−」が7月5日から26日にかけ4回にわたり、大阪市西区の市立中央図書館で開かれる。

 内容は、作家の有栖川有栖さんによる「上町台地と大阪の文学」(7月5日)▽市史料調査会調査員の生駒孝臣さんによる「大坂城前史−忘れられた中世の大阪−」(12日)▽講談師の旭堂南陵さんによる「難波戦記−大阪が育んだ真田幸村−」(19日)▽大阪城天守閣館長の北川央さんによる「大坂城主 豊臣秀頼の実像」(26日)。

 入場無料。いずれも午後2時〜4時で、定員は当日先着各300人。ただし第1回のみ、往復はがきまたはインターネットで申し込む(6月18日必着)。

 また関連企画として同館3階では、大坂の陣に関する資料展示や、参戦した武将たちを取り上げた図書展示も行う。問い合わせは市立中央図書館(電)06・6539・3302。

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1796よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:38:05 ID:J2qhbfHo0
大坂冬の陣400年 10月から「天下一祭」
2014年06月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140617-OYTNT50040.html?from=yartcl_blist

<3D画像で合戦再現 PRグループも発足>

 「大坂冬の陣」から今年で400年となるのに合わせ、大阪の歴史や文化を国内外にPRする「大坂の陣400年天下一祭」が10月1日〜12月31日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。伝統芸能の公演やコンサートなどに加え、最新の映像技術で再現したかっちゅう姿の豊臣秀吉に出会える特設ミュージアムも登場する。

 府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会が主催。事業費約8億8000万円のうち、府と市は計約7800万円を負担する。

 本丸に設けるステージでは、能勢町の人形浄瑠璃や八尾市の河内音頭などを地元グループが上演する。天守閣の入場者には、専用のタブレット端末を有料で貸し出し、展望台から見た街並みに大坂の陣での各軍勢の配置を映し出したり、参戦した武将を紹介したりするサービスを行う。

 ミュージアムは本丸の北側にある極楽橋前に建て、3D画像やホログラム投影技術などで、豊臣秀吉のほか、当時の合戦の様子を再現。隣接の特設ホールに武将や忍者の貸衣装コーナーも設ける。西の丸庭園ではジャズコンサートや文楽の公演などが行われる。

 国の重要文化財に指定され、普段は入場できない櫓(やぐら)の一部も期間中に数回、特別公開。石垣をよじ登って侵入してくる敵の頭上に石を落とす仕掛けなどが見学できる。

 真田幸村ら豊臣方の武将にふんした劇団俳優やタレントで結成した5人グループ「大坂RONIN5」が今後、関西各地で天下一祭をPR。大阪観光局と連携し、海外の旅行会社にも売り込み、外国人観光客の一層の誘致を図るという。

 来年春から夏には「夏の陣」から400年に合わせたイベントも開催予定で、実行委広報事務局は「時代が移り変わる歴史的な舞台となった大阪城にもっと観光客を呼び込みたい」としている。

2014年06月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1797よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:40:00 ID:J2qhbfHo0
名水再掘 大阪天満宮、プロジェクト結実
2014年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140617/20140617026.html

 天神さんに名水が復活−。大阪市北区の大阪天満宮で、かつて出ていた地下の井戸水が天神祭前をめどに復活する。大阪天満宮の禰宜(ねぎ)、岸本政夫さんは「真の意味での水都大阪復活の一つのきっかけになれば」と話している。

■藩主が飲用

 江戸時代、天満宮境内の「天神水」は、「大坂4カ所の清水」の一つとして名水にたたえられた。中之島にあった延岡藩(大分県)の蔵屋敷では、参勤交代で藩主が滞在する際、天神水を取り寄せて藩主の飲食に用いていた。

 明治ごろまでは一帯に130軒以上も造り酒屋があったといい、おいしい水として親しまれていた逸話は枚挙にいとまがない。しかし近年は、地下鉄や地域の開発などで水脈が寸断され、井戸水は枯れてしまっていた。

■五知の水

 復活のきっかけとなったのは、天神橋筋商店連合会の土居年樹会長と、天神橋筋商店街にリサーチアトリエを構える関西大学の楠見晴重学長の出会いだ。

 楠見学長は地質学の専門家で「再び天満の地で名水を」という両者の思いからプロジェクトが動きだした。

 天満宮に呼び掛けたところ「境内にあった『五知の水』と呼ばれる井戸の付近を掘ってみては」と協力を得た。地下70メートルまで掘り下げ「きわめて良質な清水」が出た。

 「鉄分が多く濁りはあるが、水質検査で有害物質は検出されなかった。ろ過して、お参りに来た皆さんにもいずれ名水を楽しんでもらえるようになれば」(岸本さん)

■ガラスの里

 加えて、ガラス工業発祥の地としても知られる同エリア。名水により親しんでもらえるよう、取水口には「ガラスの祠(ほこら)」が建てられる。リサイクルしたガラスで行う工芸「ガラスおこし」など、ガラスを使ったさまざまなアートの可能性を広げるアーティストで、大阪工業大学客員教授の岡本覚さんがデザインを買って出た。

 岡本さんは「ガラス発祥の地にふさわしく、現代のあらゆるガラス素材を駆使して祠を表現する。翡翠(ひすい)のように輝く屋根や、宙に浮いたような感覚を出したい」

 現在、祠建立に向け、1口5万円もしくは10万円の寄付を、天満宮も井戸復興奉賛金を1口1万円で受け付け中。

 岸本さんは「以前は素晴らしい水が出る場所だったと知ってもらい、誇りを持てる歴史があったこと、まだ大阪も捨てたものやないと感じてもらえたら」と話している。

 【メモ】ガラスの祠寄付の問い合わせは岡本さん(okamoto@bedeverre.com)、井戸復興寄付は大阪天満宮授与所へ。

1798よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 22:56:19 ID:QAqFInms0
そうなんや 大阪24区

東成区 深江の菅細工   
2014年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140616/20140616039.html

技術伝承支える保存会

東成区深江地区に約2千年前から伝わるとされる菅(すげ)細工。天皇が即位される時の大嘗祭(だいじょうさい)や、伊勢神宮(三重県)で20年に1度行われる式年遷宮の儀式で使用される菅笠を代々、献納している。地元の伝統技術を継承していこうと現在、9人のメンバーで活動するのが、深江菅細工保存会だ。

 同地区は古代から良質の菅草が自生し、菅笠作りが行われていた。江戸時代には「伊勢参り」の流行とともに必需品として深江で菅笠を買い求める旅人が増え、名産品となった。しかし戦後は都市化で宅地開発が進み、菅草を育てる菅田が姿を消した。

 伝統技術が存亡の危機を迎える中、保存会は1988年に発足。地元で菅細工教室を開くなど、活動を展開。99年には「深江の菅細工」は、大阪市の無形文化財に指定された。

 2007年には保存会が協力し、深江菅田保存会が結成され、地元の南深江公園の一角に菅田が復元された。10年には地区内に深江郷土資料館がオープン。館内には式年遷宮で献納される同じサイズの菅笠(直径170センチ)が展示され、伝統の技術を伝える。

 保存会の最年長メンバー、長尾桂子さん(81)は、「次のそしてまたその次の式年遷宮と、深江の菅細工を絶やすことなく、後継者を育てていきたい」と力を込めた。(藤林敏治)

1799よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 23:08:52 ID:QAqFInms0
社会人向けの文楽教室
06月19日 07時58分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140619/5217711.html

大阪の伝統芸能、人形浄瑠璃「文楽」を広く知ってもらおうと、18日夜、大阪の国立文楽劇場で、社会人向けの文楽教室が開かれました。
これは、国立文楽劇場が開いたもので、会社帰りの人たちも訪れやすい午後6時半から文楽を上演し、約700人が訪れました。
文楽は、せりふやあらすじを話す語り手の太夫と、音楽を演奏する三味線、そして1つの人形を3人で操る人形遣いという、3種類の技芸員が演じますが、まずそれぞれの役割が説明されました。
続いて、「卅三間堂棟由来」という演目が上演されました。この話には、ひと組の夫婦と子どもらが登場しますが、妻が柳の木の精という設定で、法皇の病をなおすため柳の木を使って三十三間堂をたてることになります。


おので木を切ろうとすると、妻は苦しみだしますが、死ぬ前に夫に自分が柳の精であることを告白する様子や、切り倒された柳の木を母と慕う子どもの様子を太夫が、文楽ならではの独特の節回しで表現していました。
会社員の男性は、「はじめての文楽鑑賞だったが、解説もありよくわかった。会社帰りにこれたので、また見に来たい」と話していました。
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1801よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:25:33 ID:tEwMd6gY0
指定文化財新たに17件 大阪市教委
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621041.html

 大阪市教育委員会は20日、「愛染さん」の呼び名で親しまれている愛染堂勝鬘(しょうまん)院(天王寺区)の「木造大勝金剛坐像」を有形文化財(美術工芸品)に指定するなど計17件を新たな市指定文化財にすると発表した。1999年度から毎年、文化財を指定しており、今回の17件を加えると市指定文化財の総数は計207件になる。

木造大勝金剛坐像は、1597(慶長2)年に豊臣秀吉が寄進したと伝えられ、国指定重要文化財となっている多宝塔の本尊。塔内中央の須弥壇上に祭られている。制作年代は多宝塔の建立時より若干さかのぼる室町時代と考えられている。

 このほかの指定文化財は次の通り。

 ◇有形文化財

 【美術工芸品】木造阿弥陀如来立像(本願寺津村別院)▽木造男神坐像・木造男神半跏像(今宮戎神社)▽木造阿弥陀如来立像(真宗大谷派天満別院)▽木造千手観音菩薩立像(西念寺)▽刺繍青面金剛画像(四天王寺)▽刺繍西国三十三観音札所観音菩薩画像(宝泉寺)▽下別時関連仏画群(法明寺)▽梵鐘(真宗大谷派難波別院)

 【歴史資料】佐賀藩大坂蔵屋敷関係史料(日本生命保険相互会社)▽慧光寺真宗関係史料(慧光寺)▽耐火収蔵庫型厨子(大乗坊)▽市電801型801号車・2201型2201号車・3001型3050号車、トロリーバス200型255号車(大阪市交通局)

 【考古資料】森の宮貝塚出土人骨(大阪市教育委員会事務局)

 ◇有形民俗文化財

 木造荼吉尼天騎狐像(東大寺)▽木造弁才天及十五童子像(荘厳浄土寺)▽生玉宮寺由来彫像群(正圓寺)

1802よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:26:55 ID:tEwMd6gY0
「難波宮」ひもとく 大阪歴史博物館 特別展
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621039.html

 大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日に開幕する特別展「大阪遺産・難波宮−遺跡を読み解くキーワード−」の内覧会が20日、同館で開かれた。古代日本の一時代を築いた宮殿をひもとくとともに、発掘調査の知られざるエピソードが公開された。

1954(昭和29)年に始まった発掘調査の60周年を記念した同館と大阪文化財研究所(大阪市中央区)の合同イベントとして8月18日まで続く。

 今展は瓦、土器、建築部材などの出土遺物ごとにエリア分け。初期の調査を主導した故山根徳太郎氏が記した当時の記録ノート、調査の経過を報告する年賀状などの私物も公開され、発掘調査の足跡をたどることができる。

 タイトルの「大阪遺産」について、同館学芸員の李陽浩さんは「大阪が世界に誇れるほどの遺産である」と説明。「これまで興味がなかった人にも理解を得られるようにコンパクトに展示した。難波宮に親しみを持ってほしい」と話している。

 開館は午前9時半〜午後5時。火曜日休館。観覧料は特別展のみは大人600円、高大生400円。

1803よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:28:21 ID:tEwMd6gY0
朗報喜ぶ 「木造大勝金剛坐像」市有形文化財指定
2014年6月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140622/20140622038.html

 “愛染さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)の境内・多宝塔内に祭られている「木造大勝金剛坐像」が20日、大阪市指定有形文化財(美術工芸品/彫刻)となった。関係者は、同院の伝統行事「愛染まつり」(30〜7月2日)直前に舞い込んだ朗報を喜ぶとともに、「後世に継承したい」と歴史を伝える思いを新たにしている。23〜28日には指定を記念して、初めて多宝塔内の特別拝観を実施する。

重要な仏像

 木造大勝金剛坐像が祭られている多宝塔は593(推古天皇元)年に太子創建と伝わる。石山合戦で失われており、現在の塔は1597(慶長2)年に豊臣秀吉によって再建。大阪市内最古の木造建造物として知られる。

 同院の文化財は、多宝塔(国の重要文化財、旧国宝)、金堂(大阪府指定文化財)に続く3件目。今回指定を受けたのは、勝利開運の御利益で信仰があつく「大日大勝金剛尊」として祭られている本尊(像高75センチ)。塔内の柱と壁面に仏教の世界観を表す曼荼羅(まんだら)が描かれており、その中心に位置する。

 大日如来の身代わり的な存在で、金剛界曼荼羅の中では重要な位置付けだが、市教委文化財保護担当によると、大勝金剛尊の実作例は少ない上、画像がほとんどあり、今回のような彫像は極めて珍しいという。また制作の年代は現状で特定できていないが、絵の具の質や塗り方などから、塔の建立よりもやや古い室町時代と推測している。

歴史を顕彰

 塔内は原則非公開。正面扉が開かれる「愛染まつり」の3日間も、参詣者は扉の前から本尊を拝観するのみとあって、今回の内部特別公開はまたとない機会だ。壁面には火天など「八方天」を描いた板絵をはじめ、4本の柱に綿密な柱絵があり、2010年から3カ年計画で塗膜の剥落補修作業が終わったばかり。さらに本尊の文化財指定を受け、山岡住職は「大変ありがたい。太子ゆかりの愛染堂の歴史をあらためて顕彰するとともに、かけがえのない文化財を守っていきたい」と話している。拝観は無料。午前10時〜午後4時。

1804名無しさん:2014/06/29(日) 20:19:44 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1805名無しさん:2014/06/29(日) 20:45:39 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

 歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1806名無しさん:2014/06/29(日) 21:01:12 ID:uF2ndxvs0
大社の御灯明用菜種油復活へ 住吉で菜の花栽培
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624028.html

 国内の菜種油生産の発祥地とされる大阪市住吉区の遠里小野(おりおの)地区で、かつて住吉大社へ御灯明の油をささげてきたという故事を再現させようという動きがある。地元農家などの協力で今年は生産量も急増。先人が築いてきた地場産業に思いをはせ、再び地域に“伝統の灯”を復活させようと地元が一体となって取り組んでいる。

■遠里小野

 運動を進めているのは、住民約90人でつくる「菜の花を咲かそう会」。2011年にまちおこしを目指して発足し、行政も支援に乗り出した。

 菜種生産の歴史は古く、かつては住吉区から今も「遠里小野町」の地名が残る現在の堺市堺区にかけて菜種栽培が盛んだったとされる。江戸期に著された古書「搾油濫觴」などによると、大社が鎮座した古代から、染料にも用いられた地元産のハシバミが御灯明の燃料とされていたという。中世には京都・大山崎で採れるエゴマ油が台頭するようになったが、遠里小野は菜種から油を生みだすという“技術革新”により、ススの出ない良質な油の生産に成功。再び日の目を見たが、やがて全国的な広まりから衰退し、住宅地として開発された大正時代には次第に畑も減り、戦後はついに途絶えた。

 西洋菜種と違って食用には向かないが、当時は貴重な燃料源だった。住吉大社文教課の小出英詞さんによると、大社の高灯籠(どうろう)はかつては灯台の役目をし、大阪湾の航海の安全に果たす役割も大きかったそうで、「遠里小野がエネルギーを支えてきた」と強調する。

■古人の偉業

 地域を縦貫する旧熊野街道沿いの約400メートルには、街の美化にとプランターで育てた菜の花を門前に飾り、区役所前でもボランティアスタッフの手で栽培。さらにこの春からは地元の農家4軒が新たに協力を申し出、今年は計約40キロの種を収穫することに成功。21日には、住吉大社の神職や吉田康人区長も出席した会合があり、種を軽く煎(い)り、円筒型の小型搾油機に入れて押しつぶす体験会も開かれ、古人の偉業に触れた。

 「作業を通じて仲間が増え、街の連帯感、美化につながっている」と会長の吉田進さん(70)。10月には地域一体を巻き込んだイベントがあり、吉田さんは「夜にたとえ1時間だけでもご灯明をあげたい」と期待を込め、「まちを黄色一色にしたい。美しい町をアピールし、遠里小野の良さを再認識してもらいたい」と目を輝かせる。

1807名無しさん:2014/06/29(日) 21:22:28 ID:uF2ndxvs0
渡御列70年ぶり復興へ 御鳳輦など神具を公開
2014年6月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140625/20140625034.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂(いくくにたま)神社(中山幸彦宮司)で24日、ことしの夏祭り「生国魂祭」本宮(7月12日)で70年ぶりに復興する渡御(とぎょ)列の神具が公開された。ご神体を、本来の鎮座地である大阪城(同市中央区)まで運ぶ御鳳輦(ごほうれん)をはじめ、戦災で失われた神具一式を新調。神職や氏子崇敬者らは長年の念願がかない、かつて「陸の生国魂」と称された往時の再現を心待ちにしている。

  同神社は秀吉の大坂城築城の際、現在地に移った。夏祭りの「生国魂祭」は、天神祭を指す「川の天神」と並び、大阪の夏祭りを象徴する一大行事として知られた。同神社によると、最盛期の明治〜戦前昭和には約2千人規模の渡御列が氏地に連なったとされるが、太平洋戦争末期、1945年3月の第1次大阪大空襲で被災し、社殿とともにすべての渡御神具が灰じんに帰した。戦後は道具もない状態で、歴代宮司が玉座のみを徒歩やハイヤーで大阪城まで運ぶなどして渡御を継承。89年以降はトラックによる渡御がなされてきたが、氏子崇敬者の寄進によって約10年前から御鳳輦、御錦蓋(ごきんがい)、八本鉾(ほこ)といった各種神具、装束類を新調。祭礼に奉仕する人員を集めるなど準備を整えた。

 渡御列の中心となる御鳳輦(重さ約500キロ)は先代をほぼ再現。使用木材の乾燥に始まり、菊の御紋や各種金具は1枚の銅板を手作業で丹念に打ち出すなど、完成までに10年を要した。中山宮司は、「かつての渡御を知る高齢者の方々も復興を心待ちにしておられる。大阪で培われた伝統の祭礼を次世代に引き継ぐ責務を感じている」と、復興元年の意気込みを語る。

 当日は、午前10時半に枕太鼓を先頭とする約500人の渡御列が境内を出発。沿道に同数の奉迎の人々が並ぶ中、約3・3キロ先の大阪城内・元宮まで練り歩き、大阪の繁栄を祈願する。宵宮の11日は、枕太鼓、みこし、獅子舞などが順次氏地を巡行し、夕刻に宮入りする。

1808名無しさん:2014/06/29(日) 21:24:51 ID:uF2ndxvs0
8世紀の梵鐘鋳造跡 藤井寺・林遺跡
2014年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140628-OYTNT50044.html?from=yartcl_blist

 ◇国内でも数例

 藤井寺市林の林遺跡で、奈良時代前期(8世紀前半)とみられる梵鐘ぼんしょうの鋳造跡が見つかり、同市教委が27日、発表した。8世紀の梵鐘鋳造跡は国内でも数例しかないといい、市教委は「当時の製造の様子を知る上で貴重な手がかりとなる」としている。

 認定子ども園の建設に伴い、市教委が4月から調査を実施。鋳型の底の一部(高さ5センチ)とともに、直径1メートル、深さ0・7メートルの跡が見つかった。高さ1・5メートル、直径0・9メートルの鐘を製造していたと推定できるという。さらに、3メートル離れた位置にも直径30センチの跡があり、大小2種類の鐘を造っていたらしい。

 遺構には瓦や粘土が残っており、鋳型を置く地盤を強化するため、地面に板や瓦を敷き詰め、その上を粘土で覆っていたとみられる。近くには中世まで存在した豪族・林氏の氏寺「拝志はやし廃寺」があり、寺院に鐘を供給していた可能性があるという。

 京都橘大の五十川伸矢教授(考古学)は「板を十字に置き、瓦も丁寧に敷き詰めている構造は珍しい。技術集団が出張して寺の近くで鐘を造ったのではないか」としている。現地説明会は29日午前10時〜午後1時。場所は市立第二保育所の西隣で、小雨決行。問い合わせは市教委(072・939・1111)へ。

2014年06月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1809よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/07/02(水) 08:51:50 ID:V7LZU2a60
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html 

1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

1810名無しさん:2014/07/07(月) 20:45:37 ID:jrgIWNg.0
歴史に魅せられ 有栖川さん「上町台地」語る
2014年7月6日
 大阪の歴史の発祥地とされる「上町台地」が舞台になった文学作品を紹介する講演会が5日、大阪市西区の市立中央図書館で開かれた。上町台地の天王寺七坂を描いた短編小説『幻坂』著者の有栖川有栖さん=大阪市在住=が当地の魅力を伝えた。

真言坂や天神坂などの天王寺七坂は、四天王寺をはじめ神社仏閣が連なる上町台地の西側に位置。『幻坂』は七つの坂を怪談調で作品化しており、有栖川さんはミステリーを「都市文学」として捉えて執筆したことを説明した。

 有栖川さんは、上町台地を扱った小説家の作品も紹介。大坂の陣を描いた司馬遼太郎著『城塞』について「古戦場としての上町台地が克明に描かれている。上町台地小説の頂点だ」と語った。上町台地の魅力については「大阪のにぎわいは梅田や難波にあるが、上町台地には難波(なにわ)の宮や大坂の陣など今からではつくれない歴史がある」と強調した。

 講演会は「大坂の陣400年」記念事業として同図書館が企画し、300人が受講した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140706/20140706083.html

1811名無しさん:2014/07/07(月) 20:48:02 ID:jrgIWNg.0
本宮、交通規制30分延長へ 天神祭
2014年7月2日
 天神祭の渡御行事保存協賛会と関係機関は4日、大阪市北区の大阪天満宮会館で合同会議を開き、ことしの本宮(25日)は金曜で多くの人出が予想されるため、国道1号線の交通規制の解除時間を例年より30分遅らせて午後11時にすることを申し合わせた。観覧者の安全を確保しつつスムーズな誘導を図る方針。

本宮の日は奉納花火があるため毎年多くの観覧者が会場周辺に集まる。ことしは休日前で祭り目的の外出者や仕事帰りの人たちでより多くの人出を見込み、府警本部が交通規制の解除時間を例年の午後10時半から遅らせることを報告。「安全かつ速やかに誘導してほしい」と呼び掛けた。

 警備会社関係者は、救護所をより利用頻度の高い場所に集約する方針も示した。

 雑踏警備を指導する府警本部の担当者は「関係者間の報告と連絡を徹底させなければならない」と力を込めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140702/20140702026.html

1812名無しさん:2014/07/07(月) 20:49:40 ID:jrgIWNg.0
自宅清祓式 大役を実感 神童任命の林君
2014年6月30日
 天神祭に奉仕することしの神童に任命された西天満小学校6年生、林欣次郎君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が29日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮(同区)の神職らが林君宅を訪れ、各部屋などをはらい清めた。

 林君は「清祓式」の前日、同宮での「装束賜(たばり)式」で、猿田彦や随身役ら他の3役を務める5人とともに、祭りの奉仕役の辞令交付を受けた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた、同小の児童から選ばれることになっている。神童になると本人はもちろん、家族も身を清める「散斎(あらいみ)」の期間に入り、葬儀の参列などが禁じられる。

 祭りの直前からは「致斎(ちさい)」と呼ばれるさらに厳しい期間を迎え、牛や豚など四つ足の動物の肉をはじめ、ネギやニンニクなどにおいの強いものは食べることができず、虫1匹の殺生も禁じられる。

 この日は、同宮の寺井種治権宮司や神職、講の関係者らが林君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいを行った後、各部屋をはらい清めた。林君は「あらためて神童の役割の重さをひしひしと感じる」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630024.html

1813名無しさん:2014/07/07(月) 20:50:40 ID:jrgIWNg.0
仁左衛門さん元気に復帰 道頓堀川で船乗り込み
2014年6月30日
 「松嶋屋!」。大阪市中央区の道頓堀川・戎橋東側で29日、恒例の夏の風物詩、大阪松竹座「七月大歌舞伎」(7月3〜27日)の船乗り込みが行われ、昨年、肩の手術後休養していた片岡仁左衛門さんが元気な姿を見せて両岸に集まった大勢のファンの熱い声援を受けた。

仁左衛門さんの演目は「菅原伝授手習鑑/寺子屋」(昼の部)と「身代座禅」(夜の部)で「お客さんと一緒に舞台をつくって楽しい時間を共有したい」と力が入っている。人間国宝の坂田藤十郎さんは「沼津」(夜の部)で中村翫雀(かんじゃく)さん、扇雀さんと親子共演し、翫雀さんと扇雀さんは「女夫狐(めおとぎつね)」で兄弟共演する。

 上方歌舞伎からは他に片岡秀太郎さん、孝太郎さんらが出演。東京からは中村橋之助さん、尾上菊之助さんらが参加し、華やかな舞台を繰り広げる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630026.html

1814名無しさん:2014/07/07(月) 20:53:50 ID:jrgIWNg.0
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
 1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

 このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html

1815名無しさん:2014/07/09(水) 20:29:57 ID:l5knXKRk0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140705/20140705031.html
「天満天神の水」復活 大阪天満宮
2014年7月5日
 「大坂四清水」の一つが復活−。大阪天満宮(大阪市北区)は4日、かつて名泉として親しまれた境内の地下水「天満天神の水」を復興させたと発表した。ペットボトルに詰めて販売し、収益を天神祭の発展に役立てる。

天満天神の水は江戸時代、参勤交代の途中で藩主が大坂に立ち寄った際、大坂四清水の一つとして滞在先に取り寄せるほど愛された。戦後の都市開発や地下鉄の開通に伴って地下水は枯れたとみられていたが、昨年、近隣の商店街と関西大学の連携プロジェクトを通して地下70〜80メートルから飲料用の良質な水がくみ上げられることが分かった。

 大阪天満宮は天神祭をはじめ、七夕神事のおはらいの水として活用する。天満天神の水には軟水でまろやかさがあり、ペットボトル(500ミリリットル)に詰めて販売することも計画。初回は6千本を製造する。

 天神祭の運営をめぐっては近年、警備費などのコストが膨らみ、財源の確保が課題になっているため、ペットボトルの収益を運営費に充てるという。

 大阪天満宮の万力康司権禰宜は「天神祭を未来永劫続けていくための基盤にしていきたい」と話している。

 日本三大祭りの一つである天神祭は24日に宵宮、25日に本宮を迎える。

1816名無しさん:2014/07/11(金) 12:42:07 ID:kHoHDEM60
生國魂祭 はじまる
07月11日 12時38分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140711/5613751.html
大阪の生國魂神社で11日、無病息災を祈る伝統の夏祭り「生國魂祭」が始まりました。
生國魂祭は大阪・天王寺区の生國魂神社が行う伝統の夏祭りで、11日は本殿で祭りの始まりの儀式が行われ、神職が祭りの安全を祈願して祝詞をあげました。
このあと枕太鼓と呼ばれる太鼓や6人の氏子を乗せた2台の車が神社を出て地元の大阪城周辺を巡りました。
一行は、まちのところどころで車を止め、太鼓をうちならしたり「大阪じめ」を披露したりし、地域の人たちから拍手を受けました。
生國魂祭は12日まで行われ、12日は「御鳳輦」と呼ばれるみこしを担いでまちを練り歩く「渡御行列」が、戦前まで行われた大規模な形で69年ぶりに復活することになっています。

1817名無しさん:2014/07/17(木) 19:38:30 ID:oNRfmqVE0
園児がアイガモ放鳥 住吉大社・御田で体験
2014年7月16日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で15日、境内南側に広がる御田(おんだ)(御神田)のアイガモ農法がことしも始まった。地元園児が放鳥に参加し、楽しみながら伝統的な稲作の一端を体験した。

御田(約2300平方メートル)では、毎年6月14日に伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)を斎行。アイガモ農法は約20年前に取り組みが始まり、数年前からは地元園児が見学に訪れている。

 この日は区内の市立墨江幼稚園(中山教子園長)の園児約40人が参加した。神職から、アイガモが草や害虫を食べることで農薬を使わずに済む効用について説明を聞いた後、生後約3週間のひな20羽と“対面”。2人1組に分かれた園児らは恐る恐るひなを抱えてあぜに下り、青々と育った苗の間にそっと放鳥した。「ピーピー」と鳴き声を上げながら元気よく泳ぎ回る姿を見て、「かわいい」「また見に来るよ」と、手を振って大喜びだった。

 同幼稚園では、御田のイネを守ろうと近隣の幼稚園、小学校がかかしを作る「住吉かかしプロジェクト」にも参加。中山園長は「子どもたちが楽しい体験を通じて、自分たちの地域の文化や歴史を学んでほしい」と話し、目を細めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140716/20140716024.html

1818名無しさん:2014/07/19(土) 04:48:47 ID:3a21PyFc0
伝統「からうす」豪快に 催太鼓願人、練習に熱
2014年7月18日
 天神祭を支える講社の一つ「太鼓中(たいこなか)」は、祭りのピークを前に大阪府無形民俗文化財指定の太鼓打法の練習に余念がない。願人(がんじ)と呼ばれる打ち手たちは大阪市北区の大阪天満宮で、豪快な「からうす」をはじめ伝統打法の継承に向けて汗を流している。

関係者によると、太鼓中は近世から続く大阪天満宮直轄の講社。大阪市を中心に府内各地で結成される12の団体「当屋(とや)」の集合体で総数は千人規模という。

 催太鼓をたたくのは、深紅の投げずきんをかぶり、赤、白、青、黄色で宇宙全体を表現する衣装を着た願人計36人。6人一組で3人ずつ向かい合って座り、多彩な掛け声で威勢よく太鼓を打ち鳴らす。

 太鼓を乗せた担ぎ棒を激しく揺らす「からうす」は天神祭の名物。本宮(25日)の渡御行事では先陣を切って存在感を示す。

 大阪天満宮での願人の稽古は11〜20日にわたって行い、日々研さんを積んでいる。願人10年目の豊田光昭さん(25)=寝屋川市=は「(願人は10年間務めて交代するため)最後の年なので目いっぱい頑張り一生の思い出にしたい」と意気込みを示していた。

 小学生のときから天神祭で活躍してきた西川輝彦総代(75)は「神様に仕える身として事故なく務めを果たしたい」と気を引き締めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140718/20140718022.html

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1820名無しさん:2014/07/26(土) 18:43:39 ID:cvb8ZrMc0
天神祭 陸渡御と船渡御
07月25日 23時18分
大阪の夏を彩る天神祭は25日、色鮮やかなみこしやだんじりが街を練り歩く「陸渡御」が行われたのに続いて、夕方からは約100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われました。
大阪の天神祭は25日、本宮を迎え、大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、陸からと船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」と「船渡御」が行われました。
午後3時半、勇壮な催太鼓を先頭に色とりどりの衣装を身にまとった約3000人の大行列が天満宮を出発し、カネや太鼓を鳴らしながら街中を練り歩きました。
猛烈な暑さのなか、沿道では大勢の人たちが行列を見守り、大阪の夏を彩る伝統の祭りを楽しんでいました。
午後6時からは、陸渡御に参加した人たちが続々と船に乗り込み、約100隻の船が大阪市の中心部の大川を行き交う「船渡御」が始まりました。
大阪市内から訪れた70代の男性は「毎年来ていますが、活気があっていいですね」と話していました。
また、午後7時ごろからは、花火の打ち上げも始まりました。
およそ4000発の大輪の花が大阪の夜空を照らしました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140725/5908171.html

1821名無しさん:2014/07/26(土) 18:52:57 ID:cvb8ZrMc0
浪速の夏クライマックス 天神祭・水都祭奉納花火
2014年7月26日
 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の祭事・天神祭が25日、本宮を迎え、大阪の都心部は“火と水の祭礼”で包まれた。大阪市はこの日、日中37度を超える厳しい暑さに見舞われた。約3千人が練り歩く陸渡御や約100隻が川を行き交う船渡御を盛大に挙行。第68回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡行する祭り。市中の暮らしぶりを見てもらい、加護を祈願する。

 陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を繰り広げ、船渡御では船上の個性豊かな催しをはじめ、船の明かりが鮮やかなイルミネーションとなって見物人らの心を捉えた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは奉納花火。約4千発の打ち上げ花火が船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩り、水の都・大阪をあらためて印象付けた。

 ことしは江戸時代に「大坂四清水」の一つとうたわれた大阪天満宮境内の地下水が復活し、場を清めるための御神水として用いられた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140726/20140726037.html

1822名無しさん:2014/07/26(土) 19:10:13 ID:cvb8ZrMc0
訓練用「原爆」投下から69年
07月26日 12時26分
69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、7人が犠牲になった大阪・東住吉区で、犠牲者を追悼し、平和を訴える式典が開かれました。
大阪・東住吉区の田辺地区は、69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、市民7人が亡くなり、70人あまりがけがをしました。
爆弾が投下された場所の近くに設置された慰霊碑の前では犠牲者を追悼する式典が開かれ、当時の様子を体験した地元の住民や平和学習のために参加した中学生など、約200人が出席しました。
爆弾が投下された時刻の午前9時26分に全員で黙とうをささげ、体験者の1人で、89歳の龍野繁子さんが、「当時のことを思い出すのはつらいですが、体験者として、体が続く限り平和を訴えたい」と述べました。
また、中学3年の男子生徒は、「身近なところでこのような悲劇があったことに驚きました。今の日本が平和であることをありがたく思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140726/3016611.html

1823名無しさん:2014/07/28(月) 05:06:39 ID:nCp/yVtI0
戦争の記憶 後世に伝えたい 体験手記集を発刊
2014年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140727/20140727027.html
 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」第27集(本体定価1300円)が、8月1日に新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊される。来年は終戦70年という大きな節目だが、体験者の高齢化や他界、記憶の風化など避けて通れない現実が時々刻々と迫る。1988年の第1集から単独で編集に取り組んでいる福山さん(79)は「文字で記憶を書き残す大切さ」を日々訴える。

第27集は「“あの記憶”を風化させてはならない」がテーマ。応募は前回より276通減の597通で、このうち76編を掲載した。応募者の平均年齢は81・37歳。年齢別では80代の301人に次いで70代が209人。90代は57人にとどまった。

 松下昭さん(86)=守口市=は戦争末期、本土決戦に備えて召集され、約1カ月の軍隊生活を経験。敵戦車に肉薄する訓練の様子や、上官から、上陸した敵兵を「背後からとび口や銃剣で殺せ」と、げきを飛ばされた記憶を述懐した。整備士として八尾の陸軍飛行場に配属された吉川晋吾さん(85)=東大阪市=は、特攻隊の出撃も見送った。「燃料は片道分だけ入れるようにきつく言われていた」−など、戦況の悪化で混乱していく日常を克明に記した。

■書き残す意義
 「周囲を見回せば体験を語れる人はまだまだ多く、今のうちに『5W1H』の要点を聞き取っておくことが大事」と語る福山さん。父が出征した際、小旗を手に列車を見送ったが、自分史を書くにあたり何歳の出来事だったのか記憶がなかった。無事復員した父もすでに他界していたため、県庁で軍歴を調べて確認できたが、あらためて聞き取りや記録の重要性を実感したという。

■困難を乗り越え
 編集作業には、海外を含む応募者への確認作業など多くの困難を伴う。このうち今回掲載で最高齢95歳の山本貢さん=山口県=は、掲載決定後の今春、詳細を確認中に亡くなった。駆逐艦の乗員として敵艦と交戦沈没した体験をつづった壮絶な応募が遺稿となってしまった。

 第28集は「70年への想い 記録遺産へ」をテーマに早くも応募を開始(来年3月末締め切り)。第1集からの応募総数は約1万8千通、掲載は2140編に及ぶ。福山さんは「庶民一人一人の体験はわずかでも、パズルのように組み合わせると戦争の全体像が見えてくる」といい、節目に向けて多くの応募に期待を込める。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1824名無しさん:2014/07/28(月) 21:23:39 ID:padFUHIE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140728/20140728023.html
天神祭月間 成果これから 認知度低く、話題性が鍵
2014年7月28日
 7月7日の七夕から始まった「天神祭月間」が25日の本宮で閉幕した。宵宮(24日)から2日間の日程で知られる天神祭を3週間弱に拡大し、大阪のにぎわいづくりに生かそうと大阪天満宮(大阪市北区)がことし提唱。ただ正式発表というよりも、祭り関係者への説明にとどまっている段階で、まだ具体的な成果には結び付いていない。今後期間中の行事をどう充実させ、「月間」を浸透させていけるかは関係者らの手腕にかかっている。

「祭りの広がりにつなげていきたい」

 6月に天神祭渡御行事保存協賛会の委員総会が大阪天満宮で開かれ、寺井種伯宮司は出席者らにこう呼び掛けた。

 大阪天満宮は現在、室町時代に天神祭が七夕に開かれた記録があるのを踏まえ、7日に「天満天神七夕祭」を執り行っている。これまでにもこの日を天神祭の開幕日に位置付けていくとの発言はあったが、今回は7日以降に多彩な行事を入れて祭りの彩りを増やしていくというビジョンを示した。ことしはまだ例年同様の内容だったものの、まずは「月間」の枠組みを提示した形だ。

□戦略が不可欠
 関西大学の宮本勝浩教授(国際経済学)らの検証によると、2013年宵宮、本宮2日間の大阪府内への経済波及効果は約229億円。「月間」を充実させられれば大阪の活性化に貢献するとみられる。

 ただ周知はまだ徹底されていない。ことしの天神祭について紹介する報道向け説明会で正式に発表したわけではなく、関係者らの間でも認識の共有が必要だ。

 また、いまでも「月間」中に多彩な行事が設けられているものの、集客力や露出度の差は大きく、その差をどう埋めるかが課題。

 7日には発光ダイオード(LED)電球を近隣の川に流すイベントや境内の催しに万単位の人が訪れるが、江戸時代から伝わる舟歌を披露しながら練り歩く22日の行事は、文化的価値は高くても露出度は低い。

 話題性と広報戦略がキーワード。宵宮前日に女性がみこしを担いで練り歩く「ギャルみこし」は、募集や研修、本番の全てで報道機関への発信をこなすなどし、多くのマスコミが取り上げる。

 祭りのにぎわいづくりに貢献してきた天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「一つずつ工夫を積み重ねるのが大切」と話す。

□改良呼び掛け
 5月の天神祭実行委員会の初会合では、祭りの運営費の赤字額が年々膨らんでいるのを受け、京極俊明実行委員長が「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と問題提議。15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会を立ち上げ、議論していこうと呼び掛けた。

 具体的な実施日程はまだ決まっていないものの、「月間」の打ち出し方も含め、天神祭の形をどう進化させていくかが問われている。

1826名無しさん:2014/08/01(金) 21:30:06 ID:ZkmdV5IY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140801/wlf14080119180029-n1.htm
最古級木簡、貢ぎ物の肉に付けられた?大阪・難波宮から見つかる
2014.8.1 19:18
大阪市中央区の難波宮跡で「斯々一古」などと記された7世紀中ごろの木簡が見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。難波宮では万葉仮名で「皮留久佐」などと和歌を記した640年代の木簡が出土しており、ともに国内最古級という。

 木簡は長さ8・6センチ、幅2・5センチ。「斯々」は肉を、一古は「一籠」を意味するといい、宮に貢ぎ物か税として送られた肉の塊に付けられた荷札木簡とみられる。右側にも逆さに「一古」などと記されており、余白に字の練習をしたらしい。

 昨年9月に出土。埋め立てられた谷から見つかり、土器から年代を判定した。奈良文化財研究所が木簡を赤外線で撮影していた。難波宮は孝徳天皇が飛鳥(奈良県)から遷都、652年ごろ完成しており、造成中に埋められたとみられる。

1827名無しさん:2014/08/05(火) 22:00:16 ID:MEJja/BM0
勇壮華麗に舞う 四天王寺で「篝の舞楽」
2014年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140805/20140805025.html

 夏の夜の舞楽演奏会「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催、和宗総本山四天王寺後援)が4日、大阪市天王寺区の同寺で開かれ、多くの来場者がみやびやかな音色が響き渡る中、舞楽の勇壮華麗な所作などを心ゆくまで堪能した。

ことしで第60回を迎える風物詩。この日はあいにくの空模様のため、本坊・五智光院(重要文化財)が舞台となった。江戸期創建で荘厳な雰囲気が漂う建物内では、飛鳥時代からの古典芸能である天王寺舞楽を今に伝える「天王寺楽所雅亮(がくそがりょう)会」の楽人と舞人が出演。曲ごとに古式ゆかしい装束を身にまとい、開幕を告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、「登天楽(とうてんらく)」などの舞楽を繰り広げ、満員の客席を終始魅了した。

1828名無しさん:2014/08/08(金) 21:32:33 ID:czOj1SUo0
島本町 後鳥羽上皇の離宮か
08月07日 18時53分
鎌倉時代、後鳥羽上皇が造った離宮とみられる建物や庭園の跡が、大阪・島本町で見つかりました。
調査した町の教育委員会は、「客を招いて歌会などを開いていた可能性がある」としています。
建物や庭園の跡が見つかったのは、大阪・島本町の中心部にある高台です。町の教育委員会がことし5月から、製薬会社の施設の建設予定地を発掘調査した結果、建物の跡とみられる溝や、庭園の池の跡などが見つかりました。
周りからは、天皇家ゆかりの京都の寺と同じ瓦や、貴重な陶磁器も数多く見つかり、これらの出土品などから、13世紀から14世紀のものとみられています。
鎌倉時代の歌人、藤原定家の日記、『明月記』などには、「上皇の新しい御所が水無瀬の山の上につくられた」、「庭に池がある」などと記され、町の教育委員会は後鳥羽上皇が造った「水無瀬離宮」の跡である可能性が高いとみています。
島本町教育委員会の木村友紀学芸員は、「後鳥羽上皇は、この地域に離宮の建物を点在させていたとみられる。客人を招いて歌会などを開いていた可能性がある」と話しています。調査結果については、9日に現地説明会が開かれる予定です。
..
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140807/3614581.html

1829名無しさん:2014/08/10(日) 07:25:00 ID:v.3hlVPE0
【記憶の中に】
撃墜戦闘機からパラシュート脱出、松の木にぶら下がった米兵はピストルを向けた…豊中空襲、機体の残骸は埋められた
2014.8.9 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n1.htm

昭和20年になると、大阪府豊中市でも6回にわたる空襲があった。当時、国民学校6年生だった中右(なかう)吉信さん(80)は、7月30日にあった6回目の空襲の際、伊丹飛行場(現・大阪空港)を襲う米軍戦闘機「P51ムスタング」が高射砲によって撃ち落とされる光景を目撃したという。

伊丹飛行場襲う戦闘機

中右さんが通っていた学校は、20年3月の大阪大空襲をきっかけに授業が休止となったが、校庭は食料を確保するためサツマイモ畑になっていた。7月30日朝、中右さんは畑に水をまく当番だった。

 登校して間もなく、警戒警報が発令され、同級生とともに急いで自宅に向かった。東の低空に1機の米軍機が見えた。「隠れろ」。大人の叫び声が聞こえ、とっさに幅1メートルほどの農水路に隠れた。水路をふさぐ木材の間の隙間から西の空が見えた。数機の戦闘機が伊丹飛行場を襲っていた。

 そのときだった。「低空で攻撃するP51に、高射砲が命中したんです。高度を下げるためエンジンを一時止めていたからだと思いますが、P51は火を噴くこともなく空中分解しました」。次の瞬間、白いパラシュートがスルスルと開いて風で南東方向へ流されていった。「『やった』と思いましたね」。中右さんは振り返る。

埋められた機体の残骸

翌日、同級生らから聞いた話などによると、パラシュートは豊中市岡町北の大きな松の木に引っ掛かり、足を負傷した若い米兵がピストルを構えていた。住民らが殺気立って囲んだが、憲兵が来て米兵を病院に連れていった。

 「豊中市史」によると、7月30日は米軍機約130機が午前8時半から11時ごろにわたって大阪を襲い、そのうち40機が伊丹や大正(大阪府八尾市)などの飛行場を銃爆撃した。

1830名無しさん:2014/08/10(日) 07:27:17 ID:v.3hlVPE0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n2.htm

伊丹上空では、墜落した2機から2人の米兵がパラシュートで脱出したが、いずれも一両日中に死亡。真田山陸軍墓地(大阪市)に埋葬された。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、2人が死亡したのは十分な医療処置が施されなかったためだとして、軍関係者を戦犯裁判にかけた。

 墜落したP51のプロペラは、高射砲の近くに戦意高揚のモニュメントとして掲げられた。しかし戦後、GHQの追及を恐れ、機体の残骸は軍によって地中に埋められたという。

 39年後の昭和59年、豊中市教委が「戦争資料展」の展示資料にするため、埋めたとされた場所を発掘し、残骸が出土した。モニュメントとなったプロペラには赤い字で力強く「P51 撃墜 7・30」と記されていた。残骸は現在、豊中市の収蔵庫で保管されている

1831名無しさん:2014/08/10(日) 07:49:03 ID:v.3hlVPE0
四天王寺「盆踊り」11年ぶりに復活 12日の本番前に講習会 大阪
2014.8.10 02:26
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140810/osk14081002260002-n1.htm

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の「盆踊り大会」が12日、11年ぶりに復活することになり、本番に向けての「盆踊りの踊り方の講習会」が境内で開かれた。当日出演する伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん(51)を講師に迎え、市民ら約120人が参加した。

 盆踊り大会は昭和11年に五重塔が再建されたのを機に始まり、戦争や境内の工事などで中断を繰り返し、最後に開催されたのは平成15年。

 同寺は34年に聖徳太子没後1400年となる「御遠忌」を控えており、「プロジェクトの一環として地域の活性化にもつながる」と復活が決まった。講習会では、地元の主婦らが浴衣姿で輪に加わり、河内音頭などの踊りを習った。

 当日は、境内の亀の池周辺に盆提灯をつるし、重要文化財の石舞台がそのまま“舞台”として使われる。

 四天王寺参詣課課長の山岡武明さん(40)は「盆踊りは一番楽しんでできる仏教行事。ぜひ参加してください」と呼びかけている。

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1832名無しさん:2014/08/12(火) 08:32:33 ID:y6yR7RS60
雨のやみ間に「千日まいり」 四天王寺で盂蘭盆会
2014年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で9日、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が始まった。台風11号接近の影響を受け、「万灯供養法要」(16日まで)の初日は、先祖の霊名を記した万灯ろうそくの点灯が中止となったが、「千日まいり」(10日まで)は予定通り執り行われ、多くの人々が境内に足を運んだ。

千日まいりは、古来、観音功徳日とされる9、10の両日に観音様にお参りすると、1日で千日間継続でお参りしたのと同じ功徳が得られると伝わる。

 この日は、ハスを描いた無数のつり灯籠が境内の随所を飾る中、家族連れなどが続々と参詣。午後はわずかに晴れ間も見られ、祈祷(きとう)や厄病除け札の授与が行われた六時堂は老若男女でにぎわった。

 区内から知人と訪れた女性(79)は「うまいこと雨のやみ間にお寺に到着。ことしも無事にお参りできました」と、うれしそうに話していた。

 千日まいりは午前9時〜午後9時。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140810/20140810075.html

1833名無しさん:2014/08/12(火) 19:44:40 ID:DRtkK5jU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140812/20140812017.html
「太子一代記」市民が輪 四天王寺盆踊り11年ぶり復活
2014年8月12日
 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、奥田聖應管長)で12日、11年ぶりに盆踊り大会が開催される。音頭を取るのは、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん。2022年の「聖徳太子千四百年御遠忌」に向けて制作中の聖徳太子の生涯を歌った「聖徳太子御一代記」から、当日は「ご誕生編」を重要文化財の石舞台の上で披露する。

四天王寺での盆踊り大会は、第2次世界大戦後に戦没者への供養のため行われてきたが、1992年を最後に休止。その後は、2003年に一度開催されたきりになっていた。今回、「御遠忌」の記念事業の一環として復活させた。

 菊水丸さんは四天王寺からの依頼を受けて、「聖徳太子御一代記」の制作を決意。「御遠忌」までの8年間で入滅までの一生を10曲に分けて歌う。

 制作にあたり、数々の資料を読み返したという菊水丸さん。「やぐらを囲んで老若男女が輪になって踊る。いろんな人が集う場所、ホッとする場所が寺であり、それこそが1400年前、聖徳太子が願ったことではなかったか」と話す。

 11年ぶりの盆踊りに向け、四天王寺では菊水丸さんも参加して2回の講習会を実施。地域の住民たちも多く参加した。阿倍野区の長谷川秀明さん(68)は「盆踊りは好きで参加するが、いつも途中で付いていけなくなる。もうこれでバッチリ」と笑顔。11年前の盆踊りにも参加していたといい、「地域が盛り上がるし、うれしい」と、久々の盆踊りを心待ちにしている様子だった。

 盆踊りは午後7時半から2時間を予定。境内の石舞台をやぐらに見立て、亀の池の周りを回る。菊水丸さんは「盆踊りの基本の形はあるが、自分流でOK。身ぶり手ぶりで楽しんでほしい」と、参加を呼び掛けている。

1834名無しさん:2014/08/16(土) 10:54:46 ID:QZ7JmY/g0
空襲から69年 京橋で慰霊祭
08月14日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140814/3195371.html

69年前の終戦前日の14日、アメリカ軍の空襲で大きな被害を受けた大阪・京橋で犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。
慰霊祭は、大阪・城東区のJR京橋駅前で毎年、行われていて、遺族や地元の人などおよそ300人が参列しました。
JR京橋駅付近では、終戦前日の昭和20年8月14日にアメリカ軍の爆撃機による空襲を受け、住民や電車の乗客など500人を超える犠牲者が出たとされています。
慰霊祭では、地元の聖賢小学校に通う6年生の2人が「争いのない平和な世界にするためには思いやりの輪を広げることが大切だと思う。絶対に戦争を起こしてはいけないという思いをこれからも持ち続けていきたい」と述べました。
このあと、法要が営まれ、参列した人たちはハンカチで涙を拭いたり、手を合わせたりして、戦争で犠牲になった人たちに祈りをささげていました。
当時、京橋駅で勤務していたという89歳の女性は、「駅前にはたくさんの遺体があり、悲惨な状況だった。犠牲者のみなさんには安らかに眠ってほしい」と話していました。
この空襲で兄を亡くしたという83歳の女性は、「戦争を二度と起こさないために次の世代に語り継ぐことが私の役目だと思っている」と話していました。


そうなんや 大阪24区

福島区 鷺洲の機銃掃射弾痕
2014年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140815/20140815040.html

もの言わぬ歴史の証人

終戦から69年を迎えた今日でも、戦災の傷痕や軍関連施設といった戦争遺構は身近に存在する。太平洋戦争末期の大阪空襲で幾度となく被災した福島区内にも、もの言わぬ歴史の証人が深い傷を負ったまま、静かに来年の“古希”を迎えようとしている。

 昼間でも薄暗いガード下に刻まれた無数のくぼみ。同区鷺洲5丁目のJR東海道線の橋脚には、米軍機による機銃掃射の弾痕がはっきりと残る。その数は目視できるだけでも約150発。コンクリート壁面が直径約3〜8センチ、深さ約2センチもえぐられており、銃撃のすさまじさを物語る。

 地元の鷺洲小学校100周年記念誌によると、被弾したのは1945年6月7日の白昼にあった第3次大阪大空襲で、B29爆撃機の護衛任務で飛来したP51戦闘機によるものと伝わる。

 現状で現地に説明板などはないが、区民が地元の将来像を考えて実現に向けた活動方針をつくる「福島区未来わがまち会議」の冊子の中でも紹介。このほか同会議の鷺洲校区メンバーが同小児童に地域の歴史の一部として解説している。当時の状況を知る体験者が年々減り続ける中にありながら、しっかりと伝承されている。

1835名無しさん:2014/08/16(土) 10:58:38 ID:QZ7JmY/g0
供養の灯、塔染める 四天王寺で「万灯供養法要」
2014年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140814/20140814027.html

 盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で執り行われ、多くの参詣者が日没後の境内で先祖供養の灯をともしている。16日まで。

戒名など先祖の霊名を記した特製のろうそく「万灯ろうそく」の本数は文字通り1万本を超えるとされる。境内・中心伽藍(がらん)の回廊に沿って整然と並べられ、夕刻から次々と点灯。夜空にそびえる五重塔をはじめ、講堂や金堂などを赤く染め上げている。随所で先祖の話をする家族連れや、燃えるろうそくの前にたたずんで幻想的な光景に見入る人々の姿があった。

 期間中は、同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。

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1838名無しさん:2014/08/17(日) 20:35:12 ID:.c14McE20
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n1.htm
【記憶の中に】
大阪は核投下の実験場だった…平成の時代に判明した「模擬原爆」フワッと落下、周辺は焦土に
2014.8.17 18:00 (1/2ページ)
昭和20年7月26日の朝、大阪市東住吉区の上空に1機の米軍爆撃機B29が飛来し、ある特殊な爆弾を投下した。

 「B29が爆撃するときは4機の編隊で来ることが多かったので、雲の間から1機だけが見えたときは偵察だろうと思った。ネズミ色の丸いものがスーッと飛行機から離れて、フワッと落ちた。爆弾ではなく、ごみでも捨てたのだろうと思いました」

完全に潰れた家々

当時13歳だった伊藤茂さん(81)=大阪府豊中市=は、現在は廃線になっている路面電車の南海平野線中野駅(東住吉区)の前にいた。特に緊張することもなく上空を眺めていた。

 爆弾は斜めに流れるように降下し、中野駅の西北約1キロの地点に落ちた。とたんに、爆発による振動が伝わってきた。「広い範囲で灰色の土ぼこりが舞い上がったのを見た。少し時間差があって『バシャー』という、ものすごい音が響きわたりました」

 2、3日後、落ちた場所を見にいくと、100メートル四方ほどの家々が完全につぶれていた。大阪市の記録によると、この爆弾で7人が死亡、73人が重軽傷を負い、485戸が倒壊した。

 投下された爆弾は、当時知られていた中で最も大きい「1トン爆弾」であるといわれていた。しかし、実際はそうではなかった。それが分かるのは、終戦から46年後、平成3年のことだ。


落ちたのは模擬原爆

正体を突き止めたのは、愛知県の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」。国立国会図書館でマイクロフィルムに収められた戦時中の膨大な米軍資料を調査し、広島や長崎の原爆の訓練のために「模擬原爆」が大阪などに落とされた事実を探り当てた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n2.htm
2014.8.17 18:00 (2/2ページ)
同会によると、昭和20年7月20日から8月14日まで、全国30都市に計49発が投下され、死者400人以上、負傷者1200人以上を数えた。東住吉区に落ちた爆弾もその1発だった。

 模擬原爆は、長崎に投下されたプルトニウム爆弾「ファットマン」と形状や重さが同じで、長さ3・25メートル、直径1・52メートル、重さは1トンどころか4・5トン。カボチャのような丸い形をしているため「パンプキン爆弾」とも呼ばれる。

 同会の金子力さん(63)は「原爆を落とす準備のため、攻撃の対象でない場所に実験として投下された爆弾だった」と話す。

 模擬原爆といっても威力は大きかった。大阪大空襲などでB29が投下した1トン爆弾や焼夷弾(しょういだん)の爆撃とは明らかに異質だったという。

 着弾地点の近くにいた人たちは「周辺を一瞬で廃虚に変えた。激しい爆風があった」と証言している。

1839名無しさん:2014/08/22(金) 20:46:47 ID:DiwFDErU0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140822/wlf14082218100015-n1.htm
純白の花「サギソウ」が見ごろ 大阪・坐摩神社
2014.8.22 18:10
シラサギが羽を広げたような純白の花を咲かせるサギソウが、大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社で見頃を迎えた。そよ風に揺れる涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。

 サギソウはラン科の多年草。20〜40センチの細い茎に直径約3センチの小さな花をつける。神社の神紋「鷺丸」(さぎまる)にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが丹精込めて育てており、「今年もよく咲いてくれます」と目を細める。

 境内に並ぶのは「輝き」「青葉」「銀河」など7種類約2000株。7月中旬の夏祭り頃から咲き始めた。

 神社では猛暑の中、ヨシズで囲んだり、風鈴をつるしたりして涼を演出。「オフィス街でサギソウが見られるなんて」と参拝者らを喜ばせている。

 9月上旬まで咲き続けるという。問い合わせは坐摩神社(06・6251・4792)。

1840名無しさん:2014/08/22(金) 21:12:19 ID:DiwFDErU0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140821/3786491.html
古墳の濠 高校生が浄化作戦
08月21日 20時25分

世界文化遺産への登録を目指している大阪の百舌鳥・古市古墳群の一つ、堺市にある「いたすけ古墳」で、地元の高校生たちが古墳の周りにある濠(ほり)の水をきれいにしようと、手作りの浄化装置を設置し効果を確かめる実験を始めました。
実験を始めたのは、堺工科高校のエコデザイン同好会の生徒13人です。
生徒たちは、2年前から堺市の「いたすけ古墳」の周りの濠の水質の改善に取り組んでいて、21日からは自分たちで作った浄化装置の効果を確かめる実験を始めました。
装置は縦横約2メートルの発泡スチロール製のいかだの上に太陽光発電で動く水中に空気を送り込むためのポンプを積んでいます。
水中の微生物の働きを活性化させ汚れを分解させようという狙いです。
生徒たちはボートで装置を目的の地点までえい航した後、スイッチを入れ、水中からぶくぶくと泡がたつのを確認すると歓声を上げて喜んでいました。
装置は、ことし11月まで稼働させて、1か月ごとに水質を調べ効果を確かめるということです。
3年生の片岡尚喜さんは「装置がうまく稼働して水がきれいになってくれればうれしいです」と話していました。
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1841名無しさん:2014/08/25(月) 10:06:20 ID:oK5Uviug0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140824/20140824041.html

そうなんや 大阪24区

西成区 日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地
2014年8月24日

 南海天下茶屋駅前には、およそ110年前に存在した「日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所」跡地を顕彰する石碑が買い物客らのにぎわいの中でひっそりとたたずむ。昨年の除幕式には、在大阪ロシア連邦総領事館の参事官も出席し、西成区とロシアが友好を深めるきっかけとなった。

 駅前のスーパー敷地内に顕彰碑が建ったのは昨年4月。西成の歴史を理解し、伝えていくことを願って有志らが実行委員会を組織し、地元の歴史に詳しい区内の医師、加納政男さん(89)が寄贈した。

 「西成区史」(1968年)などによると、05年に設けられた収容所は全国に約30カ所あったうちの一つで、大阪陸軍予備病院用地約6万坪に設けられた平屋建て60棟に、ロシア兵捕虜6062人が収容されたと記されている。石碑には「ハーグ条約を順守し、俘虜を手厚く取り扱った」と刻まれている。

 除幕式以来、総領事が区民まつりに顔を出したり、ロシアの建国記念日に当たるナショナルデーを祝うレセプションには臣永正広区長や区民が招かれたりと互いの交流が深まった。両国の子どもが作品を持ち寄る友好絵画展も開かれている。

 今後の日露交流に関連し、西成区役所広聴広報担当の安井伸也さんは「次世代を担う子どもたちに焦点を当てたい」と話している。



友好深めるきっかけに

1842名無しさん:2014/08/26(火) 20:22:32 ID:oRpyLV5o0
【関西の議論】
落語あり、シェークスピアあり、キスシーンも…「文楽は難解」「悲劇」のイメージ一新図った技芸員たちの思い
2014.8.23 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n1.htm

文楽の新たなファンを開拓しようと、この夏、バラエティーに富んだ新作文楽が続々作られ、話題を呼んでいる。大阪・日本橋の国立文楽劇場で上演された「かみなり太鼓」をはじめ、8月17日まで京都劇場で上演された三谷幸喜さんの作・演出による「其礼成(それなり)心中」、9月には、東京の国立小劇場で、シェークスピア原作の「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」が上演。文楽のレパートリーは悲劇が中心だが、新作はいずれも喜劇というのが珍しい。そこには「文楽は難しいとの先入観をとっぱらってもらって、もっと気軽に楽しんでもらいたい」という技芸員たちの熱い思いが込められている。(亀岡典子)

脚本は落語作家・小佐田さん

「叱る親父もふんどし一丁」「かあちゃんは指ポキポキ」…。

 こんな義太夫節のせりふに客席の笑いがはじける。目を輝かせて舞台に見入る子供たち。

 国立文楽劇場「夏休み文楽特別公演」の第1部「親子劇場」で上演された新作文楽「かみなり太鼓」の評判は上々だった。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n2.htm

物語は、大阪を舞台に、天神祭が近いある日、天から太鼓職人の家に降ってきた雷のトロ吉と人間たちの交流をおもしろおかしく描いたコメディー。

 大阪弁のわかりやすいせりふ、親しみやすいストーリー、落語っぽいやりとりに場内は大受け。

 同作は、落語作家の小佐田定雄さんが書き下ろし、人形遣いの桐竹勘十郎さんが演出、三味線の鶴澤清介さんが作曲を担当した。

 ゴロゴロという雷鳴や、だんじり囃子、蝉の鳴き声などの効果音を駆使、義太夫節にエコーをつけるなど、「これまで文楽でやったことのない手を多用した」と3人。廻り舞台や宙吊りをはじめ派手な演出で子供たちの目を舞台に釘付けに。

 「笑いのいっぱいある作品で気軽に見てもらって、まずは文楽は楽しいと思ってもらいたい。ここを入り口に文楽に入ってきてほしい」と3人は声をそろえる。

1843名無しさん:2014/08/26(火) 20:26:04 ID:oRpyLV5o0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n3.htm

文楽初のキスシーン

文楽の新作が多く作られたのは昭和30年代初め。

シェークスピアの「ハムレット」をはじめ、オペラ「蝶々夫人」をもとにした「お蝶夫人」などの翻訳ものでは文楽初のキスシーンも登場した。その後も、織田作之助さんの「夫婦善哉」なども文楽になった。

 文楽は、義太夫節の文章が難しく、太夫が節をつけて語るため、初めて聞くと理解しづらい。また、物語も、人間の情を描いたテーマ自体は普遍的だが、背景にある武家社会の忠義や主従関係が現代人には共感しづらい面もある。

 新作文楽には、そういう壁をとっぱらって、先入観なく、文楽という芸能の世界に入ってきてほしいという関係者の願いが込められている。

芸能に「笑い」は不可欠

今年はこの後も、一昨年、東京・パルコ劇場で初演された三谷文楽「其礼成心中」の関西初公演、東京の国立小劇場で、シェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」などを原作とする「不破留寿之太夫」が上演される。こちらは、文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さんが企画した新作だ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n4.htm

今回の3作品がすべて喜劇というのも珍しい傾向。というのも、文楽の古典は9割以上が悲劇だからだ。しかし清治さんは、「いまの時代、芸能に笑いは欠かせない要素。文楽で喜劇を作ることは難しいが、現代の観客に受け入れられるものを一作でも多く創造してレパートリーを増やすことも大切」という。

 文楽は昨今、補助金問題や竹本住大夫さんの引退など社会的な話題が続き、初めて文楽を見る観客が増えている。この機会に、新作で新たな観客を取り込みたいと、関係者は期待をかけている。

1844名無しさん:2014/08/26(火) 20:28:27 ID:oRpyLV5o0
文楽支援で財界団体が助成金
08月26日 19時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140826/3949021.html

関西の財界が文化事業を支援するために作った財団法人「アーツサポート関西」は学生に文楽に親しんでもらうための事業に初めて助成金を出すことを決めました。
これは、「アーツサポート関西」が大阪・天王寺区の生國魂神社で記者会見して明らかにしました。
それによりますと、助成金を出すのは、文楽の普及に取り組むNPO法人「NPO文楽座」が行う事業です。
大学生や専門学校の学生が500円を支払うだけで国立文楽劇場での公演を見たり、文楽の解説を受けたりできるもので、250万円が助成されます。
このあと、文楽とゆかりの深い浄瑠璃神社で助成金の贈呈式が行われ、人形遣いの)吉田玉女さんがあやつる人形が助成金の目録を受け取っていました。
NPO文楽座の理事長で三味線弾きの竹澤團七さんは「文楽を理解するには時間が必要なので、若いころから親しんでもらおうと考えた事業に対し助成をしてもらい、本当にありがたい」と話していました。
アーツサポート関西は、関西の文化活動を支援していて、10月に改めて公募し、来年4月に2回目の助成金を出すことにしています。
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1845名無しさん:2014/08/27(水) 21:26:45 ID:2u8IztSE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140825/20140825026.html
「大坂の陣」400年節目 NPOが31日、創作舞踊公演
2014年8月25日
 来年にかけて「大坂の陣」(1614〜15年)から400年という大きな節目にあたり、大阪などで歴史を検証するさまざまな取り組みがなされている。このうち日本舞踊家の藤間遊子さんが率いるNPO「平成上方文化を創る会」は31日、大阪城を望む大阪歴史博物館(大阪市中央区)で創作舞踊の公演に挑む。「大坂の陣」後の時代に焦点を当て、メンバー一同が最終調整に余念がない。

同会は、江戸期から脈々と伝承されてきた上方文化を重んじながら、新たに創造しようと昨年6月に設立した。文化、郷土史などの研究にも取り組みつつ、ことし2月には同館で旗揚げ公演となる「上方文化語り創らん」を開催。悲運の淀君や浄瑠璃などをテーマに舞踊や小唄、民踊などをふんだんに盛り込んで、時代背景の解説と相まって好評を得た。

 4月には早くも第2回公演が決定。大坂の陣400年プロジェクト参加事業という位置付けで、タイトル「豊臣の物の怪達(けたち)」と銘打った。藤間さんは「『大坂の陣』はひときわ脚光を浴びているが、豊臣家滅亡後の陰の時代を生きた悲運の女性を描きたい」と思い立つ。市史編さん所などで関連史料と向き合い、大阪城天守閣を仰ぎながら、じっくりと作と振り付けを手掛けた。「準備期間は短かったが、メンバーがよい経験を積みながら頑張っている」といい笑顔を浮かべる。

 メンバー3人が出演する夢芝居は、よみの国の天守閣にいる太閤さんが、夏の命日に淀君と秀頼を連れて現世に戻る−という想定。豊臣方で奮戦した武将・真田幸村の化身とされる大ナマズなど物の怪たちが現れ、千姫や、秀頼の忘れ形見、千代姫の最期を物語る作品に仕上げた。

 「教会の修道士として入信した恋人への思いなど、女性の気持ちに焦点を絞りたい」。藤間さん出演の「切支丹道成寺」は柴田勝家の娘・朝子が主人公の名作で自ら振り付けを創作した。本番を目前に「今後も広く上方文化をとらえて活動に励みたい」と意気込みを語る。

 冒頭では大阪の郷土史に造詣が深い水知悠之介さんが講演。歴史の陰に隠れた幾多の悲劇など、創作舞踊の重要な導入部分として注目されている。

 【メモ】会場は大阪歴史博物館・講堂。午後3時半開園(同3時開場)。入場料3千円(同館常設展観覧チケット、1階レストランお茶券がセット)。問い合わせは電話090(1226)4454、同会へ。

1846名無しさん:2014/08/28(木) 21:46:41 ID:iYj6/rS.0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140828/wlf14082821180021-n1.htm
豊臣が負けていなければ…? 「大坂の陣から400年」テーマに 有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが対談
2014.8.28 21:18

作家の有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが28日、大阪市内で開かれた関西プレスクラブの会合で、「大坂の陣から400年」をテーマに対談した。2人は「豊臣方が負けていなければ、より明るい文化が築かれ、関西は文化立国として存在感を示せたかもしれない」などと意見交換した。

 今年から来年にかけて、豊臣家が徳川家に滅ぼされた「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」から400年の節目に当たる。大阪城は夏の陣で炎上し、現在の天守閣は、昭和6年に市民らの寄付で再建された。

 対談会場の窓からは大阪城が一望でき、玉岡さんは「この城は、大阪を表すアイコン。上方の心のよりどころ」。有栖川さんも「壮大な滅びの風景を持っている大阪城は、城としての経験値が高くドラマがある。また、豊臣秀吉の晩年には、作家としてひかれるものがある」と語った。

 江戸時代には“天下の台所”として発展した大阪。玉岡さんは「大阪は『負けてへんで』という気持ちが常にある。東京一極集中の今、災害など危機管理の面からも、大阪に機能の一部を分散してもいいのでは」などと指摘した。

1847名無しさん:2014/08/28(木) 23:17:47 ID:7o9XHHB60
この議論は本質をついていない。
江戸時代、大阪は天領として大いに発展し、商都としてその存在感を発揮した。諸悪の根源は戦後の東京中央集権と官僚支配、マスゴミの偏向報道である。

1848名無しさん:2014/08/30(土) 18:51:47 ID:RCafcOCM0
http://supplementary.at.webry.info/200703/article_14.html
臭いものに蓋をしてはいけない。昭和31年当時から何の反省もないやんけ。
「大鉄高校(現阪南大学高校)  恩師を(ry」

1849名無しさん:2014/08/30(土) 18:53:10 ID:RCafcOCM0
大宅壮一まで感動wさすなんて

1850名無しさん:2014/08/31(日) 03:18:51 ID:dTcufnm60
>>1847
つまり、江戸時代の大坂は江戸幕府のものだったわけだね。

1851名無しさん:2014/08/31(日) 23:50:20 ID:7/jK.lUo0
伝統とモダン鮮やか 文楽、現代舞踊が競演
2014年8月31日
 人形浄瑠璃文楽と現代演劇が融合した舞踊組曲「母子慕情〜傾城阿波の鳴門より〜」(同実行委員会主催)が30日、大阪市中央区の国立文楽劇場で上演された。現代舞踊に阿波おどりや人形浄瑠璃といった徳島の文化を組み込んだ新しい総合芸術。文楽人形とダンサーの競演が圧巻の舞台をつくり上げた。

母と子の情愛を描いた「母子慕情−」は徳島県出身のダンスアーティスト、田村典子さんが地元にこだわった演出で創作。2007年の東京・新国立劇場公演で高い評価を得た。今回は文楽発祥の地・大阪での上演で一層パワーあふれる舞台になった。

 物語は、徳島藩の家臣・十郎兵衛と妻おゆみが、主君の名刀を取り戻すために旅立つところから始まり、娘おつるとの再会や別れを描写。命を失うおつるの魂を癒やすような祈りが込められた阿波おどりの場面でフィナーレを迎えた。

 作品は同県出身者の力を集結。人形遣いの吉田文司さんが人形でおつると十郎兵衛を担当し、音楽家・住友紀人さんが現代音楽を作曲。おゆみを演じた田村さんとともに幻想的な空間を生み出した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140831/20140831029.html

1852名無しさん:2014/09/02(火) 20:07:56 ID:9Dj0A5ss0
【浪速風】
お上に頼らぬ伝統も継承する雅亮会(9月2日)
2014.9.2 11:43

天王寺舞楽を伝承する「雅亮会(がりょうかい)」の楽頭だった小野功龍(こうりゅう)さんの訃報に接した。舞楽(雅楽)は大陸から渡来して日本で独自の発展を遂げた。京都と奈良、それに四天王寺に楽所(がくそ)が置かれたが、屋外の石舞台で演じられる天王寺舞楽は、遠くからでも鑑賞できるダイナミックな演出が特徴である。

 ▼明治維新による遷都で四天王寺の楽人たちは召されて東京に移った。消滅を惜しむ町の人々によって雅亮会が設立された。戦争でメンバーの多くが亡くなったが、舞楽の装束を保管していた蔵は奇跡的に焼け残り、昭和21年に早くも聖徳太子の命日の4月22日に催される聖霊会(しょうりょうえ)を再興した。

 ▼会員はボランティアで運営は会費で賄い、海外公演も行う。小野さんは「「伝統を守る意識はありますが、誰もが好きだということにつきます」と語っていた。司馬遼太郎さんは、大阪の伝統的な市民精神を「政府に頼らず、みずからの手でやることです」と自慢し、その例として雅亮会を挙げた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090211430012-n1.htm

1853名無しさん:2014/09/03(水) 04:57:41 ID:Xp4Y9TwI0
<茨木城>「幻の城」地域の心つかむ
2014年08月03日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140803-OYTAT50005.html

高さは5メートル以上、杉30本を使っているという。木造瓦ぶきのやぐら門を、黄色い帽子をかぶった児童が元気よく、くぐっていく。

 茨木市中心部にある茨木小。門は正門として使われている。同校が茨木城跡にあることから、市が1993年、創立120周年に合わせて復元した。「タイムスリップしたようでしょう」と松木嘉英校長は笑う。

 茨木城は、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に味方した中川清秀や、家来だった片桐且元らが城主を務めた。しかし、1615年の一国一城令で廃城に。近くの茨木神社には、同じく城の門が残り、秀吉がここの井戸水を好んで茶会で用いたと伝わるが、周囲に城の名残を感じさせるものは少なく、復元は住民らが呼びかけたのがきっかけだった。

 長男が同校に通っていたため、記念事業の事業委員長を務めた小林信弘さん(67)は「来た人に喜んでもらえるし、子供たちにも地元の歴史を感じてほしくて。私自身も見てみたかった」と振り返る。

 同校では昨年度、マスコットキャラクターのアイデアを児童から募集し、やぐら門をモデルにした図案が採用された。名称は「やぐもん」。入学式では着ぐるみが登場して、新入生を歓迎した。松木校長は「子供たちは門に誇りを持つようになった。安土桃山時代の様子などを想像する児童もいますよ」と胸を張る。


                    ◇

 市内には「茨木城主もなか」という名の菓子も販売されている。和菓子店「ちとせ」の経営者・崎本悦緒さん(62)が20年ほど前から売り出した。箱には天守閣が描かれ、もなかの皮は凹凸を付けて城の石垣を表現している。

 実は茨木城は絵図などが残っておらず、今なお、全貌がわかっていないが、茨木小出身の崎本さんは、小学生の頃から、その姿を思い描いてきた。「昔からこの城に親しみがあり、どうしても商品にしてみたくて」。天守閣や石垣も自身のイメージをもとにしたという。

 姿、形もわからない「幻の城」。それがかえって、地域の人たちの心をつかんでいる。(上野将平)

 

 ◆茨木城

 築城年については諸説ある。現在の茨木小の北側に本丸があったとされ、中川清秀が入城した頃から、城郭や武家屋敷などの城下町が整備された。やぐら門は奈良県の片桐家の菩提(ぼだい)寺、慈光院に移築されたと伝えられており、同校での復元の際に参考にされた。

  

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に、造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月03日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1854名無しさん:2014/09/03(水) 05:01:49 ID:Xp4Y9TwI0
<淀君と岸和田>修復の御輿 地域の宝
2014年08月17日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140817-OYTAT50000.html

華やかな飾り金具がきらめき、屋根に取り付けられる鳳凰(ほうおう)が気品を漂わせている。

 岸和田市積川(つがわ)町の積川神社。展示されている御輿(みこし)は豊臣秀吉の側室・淀君らが修復、寄進したと伝わり、昨年、約400年ぶりに再修復された。

 「それまでがらくた同然で放置されていたんですけどね」と積川敏文宮司(67)は苦笑いする。

 秀吉の子・秀頼と淀君は、秀吉の死後、畿内にある寺社の修復、造営に力を注いだ。1585年の秀吉の根来攻めで社殿が焼失した同神社も淀君らが再建し、御輿もその際、一緒に修復されたと考えられている。

 小学校の教諭だった積川さんは約40年前、婿養子として神社を初めて訪れた時、御輿は小屋でほこりをかぶっていたのを覚えている。屋根の蕨手(わらびて)は取れ、担い棒も折れていた。

 再修復のきっかけは先代の宮司から何気なく御輿の由来を聞いたことだった。「私がここの出身でなかったからですかね。淀君が岸和田とゆかりがあるとは知らずに驚きまして。後世に残さなければと思いました」

 土地を売るなどしてコツコツと資金を集め、公益財団法人の補助制度に申請。2013年3月、奈良県の施設で10か月に及ぶ作業を経て神社に戻ってきた御輿は傷も補修され、往事の姿を取り戻したように見えた。

 積川さんは昨年、秋祭りで御輿を披露した際、住民らが目を輝かせる様子が忘れられない。「地域の宝を守ることができたのかなとホッとしました」。地元の人に御輿のことをもっと知ってもらいたい。今、公開する機会を増やそうと考えている。

                     ◇

 岸和田市民が愛するだんじり祭にも、淀君らに関係するものがある。だんじりの彫り物の題材には、大阪らしく秀吉が用いられることがあり、そこで淀君も使われているのだ。

 2年前に新調した上松町のだんじりは、秀吉が活躍する様子のほか、幼い秀頼を連れて秀吉と花見をする淀君の姿も見ることができる。

 デザインした東利昭さん(72)は「男ばかりが活躍する時代で、女性として堂々と生きた淀君は欠かせない存在。華やかさも増しますしね」と話す。

 祭りで有名な岸和田での淀君と祭りとのつながり。御輿の再修復により、淀君が市民から大きく注目を集める日が来るかもしれない。(横田加奈)

1855名無しさん:2014/09/03(水) 05:02:28 ID:Xp4Y9TwI0
◆淀君と岸和田

 大坂城で仕えた岸和田の娘が大坂夏の陣で城から逃げる際、淀君からもらった化粧道具などを持って家に戻ってきたという話が残る。秀頼とともに行った寺社の修復、再建は100か所以上に及んだとされる。

 積川神社(072・479・0134)の御輿は見学可能だが、上松町のだんじりは、だんじり祭の日以外は見ることはできない。

    

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月17日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1856名無しさん:2014/09/03(水) 21:52:50 ID:G/Car7Ms0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090213100016-n1.htm
「岸和田だんじり祭」パレード・宮入り順決まる 
2014.9.2 13:10

大阪府岸和田市で13、14日に行われる「岸和田だんじり祭」で、参加する岸和田地区の各町代表が出席する「三郷の寄り合い」が1日、同市の浪切ホールで開かれ、くじ引きで13日のパレードと、14日の宮入りの順番を決めた。春木地区はすでに決定。両地区のパレード、宮入りの順番は次の通り。

 【パレード】(13日)

 ◇岸和田地区(午後1時〜)=宮本町▽中之濱町▽中北町▽本町▽大手町▽南上町▽南町▽藤井町▽中町▽大工町▽五軒屋町▽下野町▽並松町▽上町▽大北町▽筋海町▽沼町▽北町▽紙屋町▽春木南▽別所町▽堺町

 ◇春木地区(午前9時半〜)=春木若松町▽松風町▽磯之上町▽春木旭町▽春木中町▽春木大小路町▽春木本町▽戎町▽春木宮川町▽八幡町▽大道町▽春木宮本町

 【宮入り】(14日)

 ◇岸城神社(午前9時半〜)=宮本町▽上町▽五軒屋町▽中北町▽南上町▽大工町▽大手町▽堺町▽大北町▽南町▽中之濱町▽中町▽本町▽北町▽紙屋町

 ◇岸和田天神宮(午前10時〜)=沼町▽筋海町▽並松町▽下野町▽藤井町▽別所町

 ◇弥栄神社(午前7時〜)=例年先頭となる「番外1番」の春木南の後、春木地区のパレード順。

1857名無しさん:2014/09/04(木) 21:47:02 ID:xsNin9qs0
成瀬國晴さんの学童疎開展開幕 なんばパークス
2014年09月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140901-OYTNT50009.html

イラストレーターの成瀬國晴さん(78)が、太平洋戦争末期に体験した学童疎開の様子を描いた作品展「時空の旅」が31日、大阪市浪速区のなんばパークス7階で始まった=写真=。入場無料。5日まで。

 成瀬さんは、精華国民学校(大阪市)3年だった1944年8月から1年間、滋賀県東押立村(現・東近江市)に疎開し、寺に寄宿した。今年で学童疎開から70年になるのに合わせ、77枚のイラストを描いて画集にまとめた。

 会場では、全作品を展示。友人らと列車で滋賀に向かう場面や、離れて暮らす母を思って月を眺めた情景などを柔らかなタッチで描いている。この日は、同国民学校の元教員で、疎開を引率した高橋文代さん(89)(高槻市)も来場し、「戦争は二度としてはいけないと多くの人に伝わると思います」と話していた。

2014年09月01日

1859名無しさん:2014/09/07(日) 04:41:47 ID:lTlvpdt.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140907/osk14090702060003-n1.htm
上方落語の祭典にぎやかに 生國魂神社「彦八まつり」 大阪
2014.9.7 02:06
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「第24回彦八まつり」が6日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。オープニングでは、落語家らによる舞踊「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」が華やかに披露された。7日まで。

 例年10万人以上が入場する同協会最大のイベント。落語家による屋台やバンド演奏、素人演芸バトル、奉納落語会など、境内は大勢のファンでにぎわった。文枝さんは「今年の実行委員長、桂文之助さんは気象予報士なので天気は大丈夫と思います」などと話した。

 7日は「噺家(はなしか)大相撲」や「お茶子クィーンコンテスト」のほか、昨年、境内に銅像が建立された地元出身の作家・織田作之助にまつわる落語会(有料)などが予定されている。

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1860名無しさん:2014/09/10(水) 21:21:33 ID:e9nFTyNE0
大坂の陣400年 両雄しのぶ
2014年09月10日

◇家康と幸村が本陣 茶臼山に記念碑

 「大坂の陣」(1614〜15年)で徳川家康と真田幸村がそれぞれ本陣を置いたとされる大阪市天王寺区の茶臼山(府史跡)で9日、両雄を顕彰する記念碑のお披露目式があった。大坂の陣から400年となるのに合わせた取り組みで、地元の一心寺(高口恭典住職)が建立し、市に寄贈した。

 記念碑は花こう岩製で、高さ2・5メートル。「群雄割拠」をイメージして波形を施した石の上部に石盤が取り付けられ、家康と幸村の本陣があったと伝わることが記されている。

 茶臼山は冬の陣で徳川軍が、夏の陣で真田軍が本陣を置いたとされる。この地を拠点にした幸村が夏の陣で徳川軍を追いつめ、あと一歩で家康の首が取れたとの伝承が残るなど、歴史ファンを魅了するエピソードの舞台になっている。

 この日の式典では、野原賢一郎・天王寺動物公園事務所長が高口住職に感謝状を贈呈した。発案者の高口恭行・同寺長老は「記念碑によって、訪れた人が歴史を追体験するきっかけになれば」と話していた。

2014年09月10日

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140910-OYTNT50058.html

1861名無しさん:2014/09/11(木) 21:39:50 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140911/wlf14091108580003-n1.htm
いよいよだんじり祭 「大うちわ」できた! 岸和田
2014.9.11 08:58

岸和田市で13、14両日に行われる「岸和田だんじり祭」を前に、13日のだんじりパレードの際、各町の代表者に贈られる大うちわの飾り付け準備が市役所で進んでいる。

 大うちわは、柄を含めて長さ76センチ、最大幅57センチ。祭の成功を願い、信貴芳則市長と西村芳徳市議会議長から参加34町の町会会長らに贈られる。

 このうち市長から贈呈される大うちわは、朱色地に白文字で片面に「祭」、別面には白と黒文字で「祝 御祭禮 贈 岸和田市長」と記され、職員らが飾り付けに追われた。

 パレードは、春木地区では午前9時半から南海春木駅周辺で、岸和田地区では午後1時から南海岸和田駅周辺で行われる。

1862名無しさん:2014/09/11(木) 22:10:47 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140910/osk14091007020002-n1.htm
後鳥羽上皇が再建の「水無瀬離宮」跡か 島本で20日から速報展 大阪
2014.9.10 07:02

 島本町桜井で、鎌倉時代に後鳥羽上皇が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」の一部とみられる遺構とともに、上級貴族が用いたと推定される陶磁器が出土し、調査結果の速報展が20日から25日まで、同町桜井の町立歴史文化資料館で開かれる。

 製薬会社研究棟の建設に伴う試掘調査で見つかり、地名から西浦門前遺跡と命名。過去に遺構は近くの広瀬遺跡でも見つかっていたが、今回は標高約10メートルと高い場所にあり、離宮の再建された建物の一部とみられる。

 藤原定家の日記「明月記(めいげつき)」などによると、後鳥羽上皇は1199年、水無瀬川と淀川の合流付近に離宮を建設したものの、1216年の洪水で離宮の建物が倒れ、高台で再建したとの記述があり、文献資料を裏付けた形。

 庭園跡やほかの建物跡の一部も確認されたほか、遺構からは、北宋時代の中国で焼かれたとみられる陶磁器も見つかり、当時貴重な品々で上級貴族が使ったとみられる。

 速報展では、このうち、釉薬の発色が美しい最高級の青磁で、天目(てんもく)茶碗を乗せる天目台の破片や、鉄釉を使い花紋を表現した広口壺の破片などを並べる。このほか、後鳥羽上皇が生きた時代に用いられたとされる蓮華(れんげ)紋の瓦なども展示予定。

 23日午前10時と同10時50分から、資料館近くの町ふれあいセンターで調査員によるスライドショーもある。

 22日は休館。問い合わせは同館(電)075・961・3411。JR島本駅から徒歩1分。

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1863名無しさん:2014/09/14(日) 04:09:26 ID:Gaggxq6s0
「やり回し」に歓声…岸和田だんじり祭始まる
2014年09月13日

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が13日、始まった。重さ約4トンのだんじり34台が、交差点をスピードを落とさずに直角に曲がる「やり回し」をするたびに、見物客は歓声を上げた。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願う祭りが始まりとされ、300年以上の歴史を持つ。「そーりゃ、そーりゃ」のかけ声に合わせてだんじりが勢いよく進むと、屋根の上では、うちわを手にした大工方が軽快な身のこなしを披露した。

 市は、14日までの2日間で55万人の人出を見込んでいる。

2014年09月13日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140913-OYO1T50039.html?from=oycont_top_txt

1864名無しさん:2014/09/16(火) 23:06:51 ID:g44zbdhM0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140915/20140915091.html
庄屋・野口家の古文書解読 7年かけ市民活字化
2014年9月15日

 NPO法人とよなか歴史と文化の会(吉岡正起代表、86人)が、活動の拠点を置く豊中市の原田地域で江戸時代に庄屋をしていた野口家に関する古文書の解説テキストを発行した。会は市から「原田しろあと館」(同市)の管理運営を委託されており、事業の一環として市の市史編さんに携わってきた清水喜美子さん(71)を講師に、教材として野口家の古文書を使った講座を開いてきた。今回、清水さんの指導でメンバーが7年をかけて判読したものを活字化した。

同会は、原田城跡であった旧羽室家住宅が同市の所有となった後、どのように活用していくかを市が市民と一緒に考える際に集まった市民が中心となって、2011年にNPO法人として設立。法人化前の09年11月には、同館の維持管理を市から委託されることになり、週末には定期的にイベントを開催している。

 活動を通して地域の歴史に詳しくなってきたことから、現在では「阪急沿線観光あるき」事業などでのガイドもメンバーが担当し、市民に地域の歴史を伝える取り組みも実施している。

 古文書講座は、阪急電鉄豊中駅前にある市民活動情報サロンで、清水さんが地域の歴史に関する勉強会をしていたところ、参加者から古文書について勉強したいという要望が出たことから岡町図書館で7年前にスタート。現在は原田しろあと館で毎月第2土曜日に開かれている。今回の原田地域の古文書解説テキスト発行に先立ち、岡町についての古文書と講座参加者の解説を盛り込んだ冊子もことし3月に発行した。

 テキストは、江戸時代の原田地区の大名支配や水をめぐる水利問題など七つの分野で構成。難解な古文書を一般の人でも分かりやすく読めるようにした。今回、発行の中心となった大下隆司さん(69)は「江戸時代の岡町の様子もよく描かれ、また五人組という制度は相互監視の制度と思っていたが、勉強していくにつれ全員で助け合うための組織でもあったということが分かり興味深かった」と振り返った。

 吉岡会長(67)は「身近な地元の歴史に興味を持ってもらう人のすそ野を広げていきたい」と話す。

   ◇  ◇   

 テキストはA4判164ページ。1部800円。

1865名無しさん:2014/09/17(水) 22:22:34 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140917/osk14091707070002-n1.htm
狭山池、かんがい施設遺産に 日本最古のダム式ため池 大阪
2014.9.17 07:07

 耕作地に必要な水を供給する灌漑(かんがい)施設のうち100年以上経過したものの中から選ばれる国際かんがい排水委員会(ICID)の「かんがい施設遺産」に、日本最古のダム式ため池とされる狭山池(大阪狭山市)が登録された。狭山池は平成28年に築造1400年を迎えることから、管理する狭山池土地改良区は「世界的な視点で価値のある施設として認められ誇りに思う」と喜んでいる。

 ICIDは、灌漑や排水、治水などの分野で、科学技術の研究開発などの促進を目的に、1950(昭和25)年にインドで設立された。灌漑と排水に関する世界規模の機関として活動を展開。「かんがい施設遺産」は、今年初めて世界を対象に、登録の申請を募った。建設から100年以上経過したものであるほか、先進性など10項目の条件のうち1項目以上を満たすことが必要。大阪狭山市によると、国内では10件が申請され、狭山池のほか、青森や群馬、三重など計9件が選ばれた。府内からは狭山池のみが選定された。

 市によると、狭山池は7世紀に築造されたとされ、自然地形を利用して川が流れる谷間をせき止め、貯水機能を強化したダム式のため池。「古事記」や「日本書紀」にも名前が記されている。昭和63年から始まった改修工事では、築造当時の堤などが発見されている。池を統一して管理するようになったのは江戸時代初期からで、現在は狭山池土地改良区が管理し、農業用水として人々に利用されている。

 大阪狭山市の吉田友好市長は「狭山池は市最大の歴史・文化遺産。これを機に、国内だけでなく、世界に向けてPRしていきたい」としている。

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