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四念処と七覚支

1サトミ:2014/05/15(木) 17:17:21 ID:8jnJF/d20
昨年11月2日にアトウィキにアップしていただいた、中部118「出入息念経」と、6月3日アップの増支部8集7 「地震品」63・略説に関する共通点と相違点に対する質問です。
まず、出入息念経の7〜10節にかけて 四念処の身・受・心・法のそれぞれに対して、念・択法・精進・喜・軽安・定・捨の七覚支を修習することが説かれています。また、別の経典では、喜・定覚支の2つについては、有尋有伺・無尋無伺の二通りの方法が説かれています。一方、地震品63・略説では、2012.8.10本編ブログでも詳述されているように、有尋有伺・無尋有伺・無尋無伺の3つを中心に説明されています。
四梵住のあとの5〜8節が、四念処で、3つの定、有喜・無喜・悦・捨と、七覚支の一部重複する記載がありますが、この両者の異同は、どう考えたらよいのでしょうか。
①3種の定と、定覚支は関係ないのでしょうか?
②喜・軽安・捨覚支は、そのまま対応していると考えてよいのでしょうか?
③ならば、念・択法・精進覚支が省略されている理由は、なぜでしょうか?
 ③の理由の一つとして、略説で釈尊が説法した修行者は、すでに五蓋の大半をクリアしている方だったからなのでしょうか?
前提になっている「すでに生じた悪不善法が、心を捉えて住するようなことが無いようにしたならば」という表現は、苦悩でのたうち回らなくなった修行者を予想させます。

2サトミ:2014/06/10(火) 00:23:36 ID:zSvHC8Ps0
自己レスです。以前の本編ブログ2010年12月13日「メールの返信」によると、
四禅定は、四念処と七覚支にあたり、初禅はおおよそ念覚支・択法覚支に相当し、二禅が精進・喜、
三禅が軽安・楽、四禅が捨覚支、とのことでしたが、ここでもそういう理解でよろしいのでしょうか?
当然のことながら、初禅に至るまでに五蓋の大半をクリアしている、ということなのだと思いますが。

3特明@討論希望:2014/07/08(火) 12:14:19 ID:wk1z1FqI0
自己レス②:過去ログ2009.9.23「仏教とは、何か、その全体像を探る」その16、四念処・七覚支・四禅定の関係③ を読みました。わかりやすい解説です。特に、択法覚支の説明がよかったです。
この記事の引用仏典では、
「身において身を繰り返し観察し、・・・
 受において身を繰り返し観察し、・・・
 心において身を繰り返し観察し、・・・
 法において身を繰り返し観察し、・・・」となっていますが、通常の訳と比較し、どちらがより適切なのでしょうか?

4サトミ:2014/08/19(火) 11:53:37 ID:wk1z1FqI0
自己レス③:和井恵さんの本編ブログ、最後の更新からもうすぐ5ケ月。元柴さんのブログも3ケ月経過してます。以前にも、2008年以降、数ケ月の和井さんブログ中断はの10回以上ありましたが、半年以上は1回だけでした。
ご病気あるだけに心配です。どなたか、和井さんのお消息ご存じの方おられますか?
和井さんご不在のようなので、たまには、和井さん以外、どなたかこのスレッドのレス、ご意見ある方お願いします。

5特明@討論希望:2014/08/24(日) 16:51:41 ID:1l/5OKro0
ミクシィのほうもしばらくログインされていないようですね。

6サトミ:2014/09/02(火) 12:38:32 ID:wk1z1FqI0
 元芝さんのブログ「融通無碍」が3ケ月ぶりに再開しましたが、和井さんとは音信不通のようです。さらに、先月下旬の元VT師(野田成人さん)のブログ・書き込みによると、何か和井さんに金銭トラブルが発生しているようで、ブログの書きこみ出来ない事情があるようでした。
仏典解説に精通された方なので、復帰をお待ちしています。来年は、ついに2015年、ブラックウェンズデーが4回(2/11、4/29、9/23、12/23)やってきます。西日本に東日本大震災をはるかに上回る厄災がこなければよいですが・・・。東海・南海・東南海の3連動巨大地震と大津波、+原発事故。想像したくない、惨状。さらに、その前後に関東直下型大地震と、フォッサ・マグナで日本列島分断されるような大変動と富士山噴火が数年以内に立て続けにやってきたら、2020年の東京オリンピックどころではないでしょう。日本が国ごと半分なくなっているかもしれません。よしんば、何もおこらなかったとしても、
遅かれ早かれ誰にでも寿命はやってきます。私たちに残されている修行できる時間は、もうそんなにないかもしれません。寸暇を惜しんで修行するしかありません。

7特明@討論希望:2014/09/04(木) 18:24:29 ID:cXW9vUyg0
原始仏教の修行法を実践する上で厄介なのは先達がいないことですね。
和井さんも修行を通じて厭離の想が出現したわけではないようですから。
大乗仏教なりテーラワーダなりの既存の修行法を基本に据えて
補助的に原始仏教の技法を用いるのが良いんですかね。

仏教の各派はセクト主義の傾向がありますから
全ての技法に精通している人は殆どいません。
そういう意味でも和井さんは稀有な存在なので是非早く復帰して欲しいです。

8サトミ:2014/09/09(火) 12:19:39 ID:wk1z1FqI0
原始仏教の七想の徹底的な修習(不浄、死、食違逆、一切世間不歓喜、無常、無常即苦、苦即無我)だけで、厭離の相が出現するもの、と思っていました。その他の方法は、かえってじゃまになるのかなと。私もすべての大乗仏教に精通しているわけではありませんが、大乗仏教の修行は、原始仏教のみを選択するのなら、すべて忘れた方がよいかもしれません。
正直いって、仏道修行者が命より大事にすべきといわれた菩提心も捨てることには、私もかなりの抵抗がありましたが、個の解脱にとって、必ずしも必要条件ではない、という結論に達しました。
原始仏教(釈尊の技法)は、シンプルで無駄、無理がありません。七想で厭逆できれば、無理なく四念処が修習

9サトミ:2014/09/09(火) 12:40:56 ID:wk1z1FqI0
できると思います。四念処を無理なく修習できれば、自然に七覚支・四禅定にいざなわれるのでしょう。無理なく、というのがポイントです。活命への渇愛がのこっている修行者に、無理に呼吸を止める修行をさせるのは、そりゃ無理があるでしょう?
むしろ、後世の大乗・密教系の仏道修行よりも、むしろヨーガ経典の方が役に立つかもしれません。おすすめは、たま出版から出ている『魂の科学』の訳本です。1984年1月に初版が出て、昨年3月に復刊されました。スワミ・ヨーゲシュバラナンダ師という20世紀のインドの行者の著作で、木村慧心訳です。図書館で借りるか、大きな本屋さんで、その巻頭のカラー口絵だけでも一見の価値があります。
これをもし精読できるなら、釈尊が何を目指して修行法を伝えたかったのかが、よくわかるはずです。また逆に、この『魂の科学』の内容を体現・体験するための最短コースの修行法が、釈尊の技法であることが、理解できると思います。
これは、あくまで慧解脱に限った話です。無尋有伺、無尋無伺中心に、心解脱あるいは具分解脱を目指す方は、深い瞑想に入るための強力な行法(例えば、ヴァヤヴィヤクンバカ・プラーナヤーマ、アパンクリア、ビバリータカラニームドラーなどなど)を否定するものではありません。

10サトミ:2014/09/09(火) 12:54:27 ID:wk1z1FqI0
余談ですが、1986年に私がはじめてこの『魂の科学』の本を手にとった時には、感動で震えました。しかし、その当時は唯識などの知識が殆どなかったので、伝統仏教との接点を理解することはできませんでした。今なら、唯識でいうところの末那識が概ね(マナス・ブッディ)に対応し、阿頼耶識が(チッタ・アハムカーラ)に概ね対応しているようだ、ということがいえると思います。チッタは心素と訳されていましたが、こういう仏教とヨーガを真面目に比較検討した論文は非常に少ないのではないか、と思います。修行者と、研究者とは違うので。あくまで修行者は、修行に役に立つのか、立たないのか、という観点でみますから。学問的な研究には興味ないのだと思います。

11サトミ:2014/09/16(火) 15:45:36 ID:wk1z1FqI0
6>の補足・訂正 自己レス
もう既に半分近く過ぎてますが、2012〜2017年頃は、東海・南海・東南海の3連動巨大地震の可能性は、高いようです。科学的な予知は、いろいろ行われているようですが、正確に日時を予想するのは難しい一面もあるようです。
この分野で、百瀬直也氏のブログなどが、検索でヒットしますが、そこでも取り上げられている松原照子氏の「予言」によると、2016〜2017年は、かなり危ないのだそうです。加えて、水曜が旗日である日というのが、ポイントになるとか。
来年2015年は、この恐怖の水曜日が、4回ではなく5回ありました<5/6も代休でお休み! 何もなければよいのですが。せっかくの連休ではありますが、例えば東京DLとか大阪USJとか、海の近くへのご予約は、せめてこれらの危なそうな日を避けた方が賢明かと思うのですが。余計な心配と思う方は、読み飛ばしてください。

12サトミ:2014/10/07(火) 13:48:31 ID:K11NAHW.0
自己レス(その3の1): 最近、私のような平凡以下の修行者の場合、四念処の身念処を中心に修習した方がよい、と考えてます。その根拠は、いくつか挙げることができます。
まず第一に、中部119経「身至念経」のように身念処から(受・心・法をすっとばして)いきなり四禅定・六神通などの説明をする経典が存在することです。
これは、欲界を超えて初禅に至るには、必ずしも受以降の念処が必要ないことを示唆しているように感じるのは、私だけでしょうか。

13サトミ:2014/10/07(火) 14:12:52 ID:K11NAHW.0
自己レス(その3の2):理由は、まだまだあります。基本の中部10経「念処経」の、「受念処」には欲に関わる不苦不楽、無欲に関わる不苦不楽という表現が出てきます。これは、明らかに不苦不楽まで成就して、欲界を超えることができた修行者が、色界(アストラル世界、微細体)以上の執着を断ち切るための修行としか考えられません。
「心念処」に至っては、もっと凄く、他心通などの神通がないと話にならない中身です。中部62経「大ラーフラ教誡経」にしても、中部118経「出入息念経」にしても同様で、明らかに欲界を超えた世界(色界・無色界〜コーザル世界、原因体)を超えるための修行法が、受以降の念処の本当のねらいである、と思うのです。
当たり前のことなのか、和井さんはこのあたりは、あまり触れていないような気がするのですが。いかがでしょうか。
つまり、欲界レベルでもがいている私などは、受以降の念処は、今後のはるかに高い努力目標、といったレベルに感じるのです。目先の、まず足元を固めてから、ということです。

14サトミ:2014/10/07(火) 14:31:16 ID:wk1z1FqI0
自己レス(その3の3):深い瞑想体験の乏しい私には、よくわからないので、これは、経験ある修行者からのまた聞きです。色界の五感は、この粗雑な欲界とは比べものにならないほど、鮮明で魅力的・魅惑的なのだそうです。つまり、この欲界レベルの五感も制御できないようでは、それ以上のレベルの受を制御するのは、まず無理ということになるかと思います。

15サトミ:2014/10/07(火) 14:42:46 ID:wk1z1FqI0
最近、「元R師」さんの「ぐるっぽ」の「解脱者とは何か」に関するスレッドにも投稿したのですが、精神世界に興味をお持ちの方々には、是非とも目を通して欲しい記事を見つけました。1週間前のことです。このスレッドとも、多少は関連あるかもしれません。
以下、お読みになられましたなら、ご意見をお待ちしています。
ブログ「白龍のオウム・アーレフで過ごした日々」の2007年1月16日(公開サマディ実験)、同年1月19日(サマディ記事)

16サトミ:2014/10/07(火) 14:55:11 ID:wk1z1FqI0
自己レス(その3 1〜3)について
チベット密教のニンマ派(古派)の流れを汲む、『ゾクチェン(大究境)』という修行体系が、その高度なレベルを評して、(解脱するための修行法というよりは)成就者・解脱した修行者のための修行法などとよく言われることがあるようです。
それと同じように、四念処・七覚支も、初心者向けの出入息念から始まって、ついには最高レベルの最終地点まで導く、実に幅広く、奥深い修行体系という印象をもっています。

17サトミ:2014/12/09(火) 16:47:17 ID:wk1z1FqI0
14> 自己レス 例の『魂の科学』p.412−413より
「ところで、微細次元の事物を経験することも、また、粗雑次元の事物を経験することも全く同じことですが、微細次元の事物を楽しむことで生じる快楽の方が、粗雑次元の場合より一層強烈です。すなわち、微細次元で経験しうる快楽に比べたら、粗雑次元のものは全く気の抜けた何の意味もない味わいのないもののようにさえ感じられるのです。」

18サトミ:2016/01/22(金) 10:20:34 ID:K11NAHW.0
自己レス
1年以上、書き込みしてませんでした。昨年1年間の、個人的に大きな話題を3つほどご紹介します。
まず3位 
2015年4月に、講談社学術文庫から「スッタニパータ〔釈尊のことば〕」全現代語訳(荒牧典俊・本庄良文・榎本文雄 訳)が出版されたこと。
80年代半ばに、岩波文庫から中村元先生の訳で『スッタニパータ』がでて以来、約30年ぶりに懐かしくて読み返してみました。岩波は訳注が詳しいのですが、個人的には荒牧先生らの訳の方が好きです。
また、あまり知られていない話ですが、前世紀末に世界を震撼させた某有名カルト教団も、このスッタニパータ第5章を翻訳・出版しています。問答形式で、やや訳語が特殊ですが、実はこれが今だにもっともわかりやすい、というこの現実・・・。
もう手に入りにくくなったこの本は、以下のサイトでご覧いただけます。興味のある方はどうぞ。
〜非公式サイト>書籍3>タターガタ・アビダンマ 第三誦品

19サトミ:2016/01/22(金) 11:13:25 ID:wk1z1FqI0
そして、2番目
元R師さんのブログ『法友(とも)へ』で、釈尊をたたえるマントラ(真言)を教わったこと(2015/2/2)
昨年夏からこれを唱えはじめた途端、ずいぶん世界が変わったような気がします。このブログは13年9月から続いており、実に面白いのです。特に、時々ある行法解説は、とても助かります。昔少しかじった行法、もうほとんど忘れかけていますので・・・。

20サトミ:2016/01/22(金) 11:31:10 ID:wk1z1FqI0
堂々の1位は、やはり、これか。
元TD(タントラデュパ)師のブログ、ずばり『オウムとクンダリニー』。同時代を生きた、個人の内面に踏み込む詳細な記録(1989〜2006年)、しかもよく18年も頑張ったなあ、というその長さに感服。
本編約100回+おまけで、ほぼ完結しましたが、今年に入って更新されたユングとの関連の内容が、ある意味、私個人にとっても、一般の方にとっても参考になる内容かもしれません。レスもかなり活発です。
ネット検索ですぐ出てきますが、まとまっているところでは
・元サ・脱会者関係
の2番目に「法友へ」、5番目に「〜とクンダリニー」が、そして13番目に和井恵さんのブログが紹介されています。和井恵さんのブログは、再開されないのだろうか? あれからもうすぐ2年ですね。

21サトミ:2016/01/25(月) 15:39:07 ID:K11NAHW.0
14> 17>自己レス
昔、師事していた師匠の法話、最近、みつけましたので、アップ。自分が直接この話をお聞きしたわけではありませんが、間接的に伝え聞いていた、という感じです。


「●920415J 断食の効果3
 次の段階でわたしたちは幻影の身体、つまり、形状界(色界・アストラル世界)での身体を有すると。これは四大エレメントでできているわけではない。ここでは経験をするわけだが、実態がないと。しかし、心の働きとこの身体は大変ヴィヴィッドである。大変純粋である。リアリティーであるといわれている。実際問題、断食を五日六日七日と行ったならば、必ずあなた方はこう経験するだろう。この世で食べているいろんな食べ物より、その形状界で経験している、あるいは、夢で経験している体験の方がヴィヴィッドであるという意識を持つはずである。そのような意識状態が生じ、そして、身体を有すると。
 そして、このとき、わたしたちの第六感(⇒六識、意識と前五識、すなわち眼・耳・鼻・舌・身識を指すと思われる)はより鋭いものとなる。なぜならもともと感覚器官というものは、この粗雑な世界のものではなく、もう一次元深い、つまり、形状界にその本質がある要素だからである。」
( )内はサトミ注

〜非公式サイト>書籍4>『修行の手引き』1996.2作成 p79〜80より 引用

22サトミ:2016/02/02(火) 18:00:17 ID:jOLGEovQ0
14> 17> 21> 自己レス
 せっかくですので、元R師さんのブログ『法友(とも)へ』からも引用してみます。1993〜1994年頃のことか、と思われますが、師匠から修法された酒(チャン;どぶろくのようなものか)を一気に飲み干したあと、1時間ほど深い瞑想(小乗のツアンダリー)に入るところから始まります。
「 〜 照明が消され、瞑想が始まる。
突然の事だったのでアイマスクは持ってきていなかったが、夜なので目を閉じればそれで十分だった。
蓮華座を組んでツアンダリーを始めると、直ぐに光の中へ没入した。
赤、青、黄、緑、無数の光の球体の中で一緒になって漂う。
それぞれの球体ははっきりと違う色を発しており、その光が混ざり合うことはない。
とても綺麗だ。
瞑想をやらない人は知らないと思うが、瞑想中に見える光はこの世で見るどんなものよりも美しい。
まさにこの世のものではないのだが、自然現象におけるオーロラや太陽の光が作り出す光景は、眼想中の光と比べればただのぼんやりとくすんだものでしかない。
瞑想中の光はゾッとするほど美しく、我を忘れて見入ってしまう。
そうやって光の中をしばらく漂っていると、周りがなにかざわざわし始めた。
照明がつけられ、どうしたのかと思っていたら、どうやら1時間たったらしい。
僕の感覚だと10分ぐらいしかたっていないのだが、どうやら50分ほどどこかへ行ってしまった。(笑)
意識ははっきりと保ったままだったので、サヴィカルパサマディに入っていたようだ。・・・後略」
同ブログ 2014/7/27〜28 より

因みに、元R師さんは、クンダリニ―ヨーガの成就者で、原始仏教の四念処(もともとはヨーガの技法だったのだそうですが)にも詳しい方です。

23サトミ:2016/12/31(土) 14:13:19 ID:wk1z1FqI0
和井さんと、四念処と七覚支の質疑応答したいものですが、なかなか音信不通で残念です。
今年最後のネタとして、上記とも関連深い話題を一つご紹介。例の元TD師のブログ『オウムとクンダリニー』の2015/12/27 「雑考01 神秘体験」の内容が、非常に興味を惹かれました。カール・グスタフ・ユング(1875-1961)と、元TD師、それに教祖(1987/3/20説法)と、時代も場所もキャラも異なる3者が、ほとんど同じような体験というのが、面白いと思います。自分も実際に体験しなければならない、と強く思います。


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