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鬼和尚の経典解説まとめ

1避難民のマジレスさん:2024/06/10(月) 12:44:03 ID:v59RPKQA0
・鬼和尚の経典などの解説をまとめるスレです
・『金剛般若経』の解説はこちらにあります↓
"金剛般若経を読んで実践する"
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1701949889/99-133

2避難民のマジレスさん:2024/06/10(月) 12:46:06 ID:v59RPKQA0
<法華経解説>

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1629215086/
より以下抜粋

303鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/23(火) 23:45:17.54ID:xVLy3Ngq

法華経とは妙法蓮華経の略なのじゃ。
 最初に書かなければならないのは、法華経はお釈迦様の説いたものではないということなのじゃ。
 それはもはや完全にわかっているのじゃ。
 お釈迦様が涅槃に入ってから何百年もたってから書かれたものなのじゃ。
 
 それ故に欠陥もある経なのじゃ。
 その欠陥は法華経だけのものではなく、大乗と自称する全ての経や論にもあるものじゃ。
 一例をあげれば女性が成仏できないとか、カーストの肯定とかなのじゃ。
 お釈迦様が否定した生まれによる差別を、認めているのじゃ。

 それ故に法華経も他の大乗経典も実は真の仏教の経典とはいい難いものじゃ。
 法華経はその大乗経典の最高経典である故に、大乗の矛盾や外道の論も総て取り入れられているのじゃ。

 そうであるから全く実践には使えないのではないかと言えば、そうでもないのじゃ。
 法華経にはさまざまな法も説かれているのじゃ。
 実践すれば役に立つ、興味深い法もまた説かれているのじゃ。

 例えばふぐの調理人が毒のある肝を注意深く取り除いて上手い料理に仕上げるように、この経典もまたおかしなところを取り除いて注意深く取り扱えば善い法も知れるのじゃ。
 それは法が心性に合う者には実に役に立つ恩寵となるじゃろう。
 よく研鑽して学び、実践するとよいのじゃ。

3避難民のマジレスさん:2024/06/11(火) 10:52:12 ID:J2M/fDac0
319鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/25(木) 00:02:25.70ID:bzAqND7q

 法華経が大乗にとって重要な経典であるゆえんは、大乗の存在理由そのものが書いてあるからなのじゃ。
 法華経に拠って大乗とはなにものであるのか、明らかにされるのじゃ。
 そうであるから大乗にとって法華経は最も大事な経典なのじゃ。
 
 更にいえば大乗を全体として知るには先ず法華経をよむのがよいのじゃ。
 それから他の大乗経典をよむべきなのじゃ。
 そうすれば全体を把握した上で理解もできるのじゃ。
 
 では法華経と三部経の概要を示すのじゃ。
 法華経は通常法華三部経として流布しているのじゃ。
 無量義経と仏説観普賢菩薩行法経なのじゃ。

 無量義経は空と言う単語は使われていないが、空の法をといたものなのじゃ。
 金剛経と同じ法も示しているのじゃ。

 仏説観普賢菩薩行法経は普賢菩薩の観想と懺悔の法を示しているのじゃ。
 密教といまよばれている法と近いものじゃ。
 
 さまざまな法を説いている法華経の性質をよくあらわしていると言えるのじゃ。

4避難民のマジレスさん:2024/06/12(水) 11:12:26 ID:6xiccWTM0
322鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/25(木) 23:37:37.40ID:bzAqND7q

 いよいよ法華経に入るのじゃ。
 最初の序章でお釈迦様は前述の無量義経を説き終わって、サマーディにはいったというのじゃ。
 周りは菩薩や阿羅漢や天人や弟子達が囲んでいたというのじゃ。
 すると地震が起きて、お釈迦様の眉間からいきなり光が放たれたというのじゃ。
 その光は東の世界を照らして、そこにある仏国土を照らしたというのじゃ。

 その光に拠って遠くの仏国土は周りのみんなによく見えたというのじゃ。
 その場に居た弥勒菩薩は不思議に思って文殊菩薩に聞いたのじゃ。
 すると文殊菩薩はみんなにこれは自分の昔の経験からみて、お釈迦様が法華経をとく前兆であるといったのじゃ。
 次につづくのじゃ。
 
 二章にはいるとお釈迦様はサマーディから立ち上がり、仏陀の智慧はすごいとか自慢したりするのじゃ。
 菩薩も知恵者も何人束になってもかなわんとかいうのじゃ。
 そんなわしがもっている法門もすごいからみんなにはわからんじゃろうとかいうのじゃ。
 しかし勧請されて舎利仏を相手に法華経を説き始めるのじゃ。

 それによれば今まで大乗経典で説いてきた声聞乗、辟支仏乗、大乗は実は方便であり、ただ一乗の大乗だけがあるというのじゃ。
 ここまでが法華経の最も大事なところなのじゃ。
 後は付け足しなのじゃ。

5避難民のマジレスさん:2024/06/13(木) 13:26:28 ID:gf1zVb5U0
330鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/26(金) 21:36:26.41ID:rYiKB8wl

三章ではお釈迦様が舎利仏に授記をするのじゃ。
 それは如来になるという予言なのじゃ。
 それを受けて舎利仏は喜び、火宅の比喩を語るのじゃ。
 
 火のついた富豪の家から子供達を助けるために、富豪がいろいろな乗り物で子供達を誘うというのじゃ。
 そして火宅から逃れてきた子供達に、実際には一番上等の乗り物を与えるというのじゃ。
 それが大乗の喩えであると言うのじゃ。
 
 ここまででいろいろなことがわかるのじゃ。
 先ず大乗とはただの法だけでなく、世界観から創作されているということなのじゃ。
 大乗の世界観から理解しなくては、ここまででも全くわけがわからないじゃろう。

 大乗の世界では如来というものが最も重要なキャラクターなのじゃ。
 如来とはただ悟っただけでなく、さまざまな誓願により、大きな力を持つ仏陀なのじゃ。

 誓願とは修業する時に、自分はこのような力のある仏になるまで悟りを得ないとか誓うことなのじゃ。
 すると悟った時にはその力を得るのじゃ。

 例えば阿弥陀如来はいろいろ誓願をしたが、その中に自分の名前をよんで帰依した者達を自分の国土に招待すると誓ったのじゃ。
 そのために浄土教のように、多くのものが南無阿弥陀仏と名号を唱えて浄土にいけると信じるようになったのじゃ。

 それが如来の誓願による力なのじゃ。

6避難民のマジレスさん:2024/06/14(金) 11:44:30 ID:d8bAAeKA0
331鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/26(金) 21:36:47.05ID:rYiKB8wl

 そして如来は仏の国土をもつというのじゃ。
 阿弥陀如来の極楽浄土が一番有名なのじゃ。
 お釈迦様も清浄な仏国土をもっているが、凡人にはみえないのじゃ。
 その仏国土も誓願により、善い所に作れるというのじゃ。

 そのようにただ悟っただけの阿羅漢と、さまざまな力と仏国土を持つ如来は違うものだというのが、今までの大乗の世界観であったのじゃ。
 そして如来に成れるのは菩薩だけであり、阿羅漢はなれないというのが今までの大乗の設定だったのじゃ。
 
 菩薩ではない阿羅漢は声聞乗と辟支仏乗の小乗のものとして大乗経典では扱われていたのじゃ。
 菩薩乗のものが大乗であり、如来になれるものだというのじゃ。
 
 しかし、その大乗の設定がこの法華経に拠って覆ったのじゃ。
 実は全部大乗だというのじゃ。
 火宅から子供を誘い出すために、嘘をついた富豪のように、実は阿羅漢のものも如来になれるというのじゃ。

7避難民のマジレスさん:2024/06/15(土) 12:47:43 ID:xTFn.B2A0
345鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/27(土) 23:42:43.30ID:Gblw97Oj

 如来と、阿羅漢としてただ悟っただけの者とはどのように違うのかと疑問がわくじゃろう。
 如来は一つの国に一人だけ表れ、その国の全ての衆生を教化する絶対的な存在であるのじゃ。
 悟った者は国に何人も居て、人に教えないものもいると従来の大乗では説くのじゃ。
 
 如来は大乗仏教のスーパースターなのじゃ。
 他の宗教の神にも等しいほとんど全知全能にも等しい存在なのじゃ。
 法華経では更に神格化が進んで行くのじゃ。
 
 大乗は創作されたものであるが、このように如来が多くの衆生を教化するという思想は見習うべきなのじゃ。
 悟った者は自分はもはや安楽で、観念も無いから他人に教えることは無意味と知るのじゃ。
 それで教化にも不熱心だったりするのじゃ。
 お釈迦様でさえ、最初は衆生に教えるより速やかに涅槃にいこうとしたからのう。
 大乗で修業したはずの後の禅僧でさえ、悟った後に何も教えず終えたものも居ると言うのじゃ。

 大乗がこのように如来という存在を前面に出して、一切衆生を教化すべきであるというのは善い事なのじゃ。
 それで仏教も広まるのじゃ。
 例えば貧乏寺で毎日乞食行をしなければ食えないような多くの僧も、いつかはわしも如来になれるという希望で修業と教化を続けたじゃろう。
 それが大乗の存在理由であり、法華経の意義であると言えるのじゃ。

8避難民のマジレスさん:2024/06/16(日) 11:56:32 ID:ewn5BFxM0
354鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/28(日) 23:42:51.60ID:czxftx85

 三章までの本旨が終わったら、もはや付けたしなのじゃ。
 四章では須菩提長老たちが、旅に出ていた金持ちの子供が帰宅した比喩を語るのじゃ。
 阿羅漢の自分たちも如来になれるとはありがたやと感涙するのじゃ。
 
 五章ではお釈迦様が薬草の比喩を語って、一つの教えも受ける側の性質で異なるとかいうのじゃ。
 それで一乗も三乗で説いたというのじゃ。

 そして六章では阿羅漢の長老たちがいずれは如来になれると授記をするのじゃ。
 七章でお釈迦様は大昔は大通智如来の弟子であったと説いて、化城の比喩を告げるのじゃ。
 旅をする商人たちが疲れたら、仮説の城を作って休ませるというのじゃ。
 疲れが取れたらまた目的地にまで旅をするのじゃ。
 そのように阿羅漢も旅の途中の仮設された城のようなものというのじゃ。
 更に如来の境地を目指すべきだというのじゃ。

 八章から十章まで五百羅漢や、まだ修行中の者達までいずれは如来になれると授記をするのじゃ。
 もはや授記の大安売りなのじゃ。


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