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鬼和尚に聞いてみるスレ part8
1
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/05(月) 22:15:12 ID:5WAaNl9c0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。
ルールを守って使用しましょう。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357
69
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/17(土) 00:19:31 ID:Hasf7zeM0
>>68
そうですか、ということは認識を厭離できたら、その瞬間から以前のような観念だらけのフィルターがかった世界から
何の観念の投影もない、全てが一つの意識である(無理やりにでも言葉で表現してみれば)、ということを体感している状態へシフトする、
そんな感じになる、ってことでしょうか?
そして、そのシフトは瞬間的なものであり、厭離できた瞬間にそうなる、という感じでしょうか?
70
:
としぼっくり
:2016/12/17(土) 01:18:07 ID:DAY232aw0
本心を観れば、自己観察していることになるんですか?
71
:
としぼっくり
:2016/12/17(土) 11:36:41 ID:DAY232aw0
連投すいません。自分とは何者か、に気付けば自我を観照した事になるんですか?
72
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/17(土) 18:16:37 ID:6ZZgOq8Y0
>>68
鬼和尚様
ありがとうございます。
すごく古い文字の本が読めるサイトを見つけられました。少しずつ読んでみます。
鬼和尚様は木枕も使っていらっしゃいますか?
床には布団を敷かれていないのですか?
冬は寒くありませんか?
健康にはそのほうがいいと思われますか?
73
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/17(土) 21:46:02 ID:zY7LPVuY0
>>69
そのようなものじゃ。
気付きによる厭離は瞬間的に起こるものじゃ。
苦を滅するのと同じように自動的に起こるじゃろう。
自ら実践して確めるのじゃ。
>>70
本心だけならば怒ったとか楽しんだというのも偽らなければ本心なのじゃ。
虚偽のない心を見ることで自分の観念も実際に見ることができるのじゃ。
本心というものがある訳ではないのじゃ。
>>71
ならないのじゃ。
何者とか性質を見ただけならば見性程度なのじゃ。
更に自我が観念に過ぎないことに気付くのじゃ。
>>72
木枕は使っていないのじゃ。
敷き布団は使っていないのじゃ。
なれれば寒くはないのじゃ。
健康によいようじゃ。
74
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/17(土) 22:36:39 ID:Hasf7zeM0
>>73
ありがとうございました、それならわかりやすそうですね。
それから、また質問なんですが、「観照」というのは
一回起これば充分なんですか?
よく一瞥体験をした人の話を聞く限りでは、自我がいなくなった後、またすぐに自我が戻ってきて一瞥体験以前の
状態に戻ってしまった、と言う話をよく聞くので「観照」が起こってもまた自我が戻ってこないか不安です。
そもそも「観照」と「一瞥体験」、この二つには何か違いのようなものはあるんでしょうか?
75
:
としぼっくり
:2016/12/17(土) 23:44:02 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。偽りのない心を観る事で、自分の観念が見れて自我に気付く事ができるんですか?
76
:
としぼっくり
:2016/12/18(日) 00:21:35 ID:DAY232aw0
↑偽らない心です。すいません。何者かの見解ありがとうございます。
77
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/18(日) 21:35:21 ID:JKddmxgk0
>>74
本来は一回で十分なのじゃ。
しかしやはり自我が戻ってしまう者も居るのじゃ。
無我になったら更に認識をも滅しなければいつでも自我が戻る可能性はあり続けるのじゃ。
大悟徹底まで油断なく進むのじゃ。
一瞥とはほぼ忘我に等しい体験じゃな。
深い集中の瞑想によって起こるサマーディの状態が何かの原因で起こったのじゃ。
忘れているだけであるから直ぐに戻るのじゃ。
観照は自我に気付いて無我になるのであるからかなり長く続くのじゃ。
観念が残っているから主体が想起されるまで無我であり続けるじゃろう。
そのような違いが有るのじゃ。
>>75
そうじゃ、偽りのない自らの心身を見ていればそこに自我を投射していたと気付くじゃろう。
偽っていては観念ばかり観ていることになるのじゃ。
常に気をつけて自らの本心を観るのじゃ。
78
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/18(日) 21:39:04 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚にリクエストなのですが、1ヶ月位で良いので、今の初老のお爺さんみたいなキャラからルパン三世みたいな軽い兄ちゃんキャラでコメントしてもらえないでしょうか?自我の厭離が自由自在に行われる様を見てみたいのです。
他の人の修業の参考になるとも思うのですがどうでしょう
79
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 01:13:49 ID:Hasf7zeM0
>>77
一瞥体験はむしろサマーディ的な体験であって観照とは明確に違う、といったところでしょうか、、
それから、鬼和尚の
「観照は自我に気付いて無我になるのであるからかなり長く続くのじゃ。
観念が残っているから主体が想起されるまで無我であり続けるじゃろう。
そのような違いが有るのじゃ。」
という文章を見る限り、観照が起きても観念が残っている故にその観念がいずれ主体を生起
させる、と言う意味かと思ったのですが、それなら観照により無我の状態に至ったとしても
残存している一つ一つの観念によりいちいちまた主体が想起されるのなら
無我の状態なんて「あっ」という間に終わってしまいませんか?
例を挙げれば、無事、観照が起こって無我になった直後、お腹が空いたので目の前のテーブルの
上にあったパンを食べようとしたら、「これはパンである」とか、「パンは食べられる」といった様な観念が
すぐに主体を生起させてしまい、せっかくさっき無我へ至ったばかりなのにすぐ終わってしまうんじゃないでしょうか?
80
:
としぼっくり
:2016/12/19(月) 05:05:05 ID:DAY232aw0
本心を観るとは、偽らない心を観るという事ですか?偽わらない心で心身を観るという事でしょうか?
81
:
としぼっくり
:2016/12/19(月) 08:06:33 ID:DAY232aw0
書いてて分かりずらかったんで書き直します。1.本心を観るとは、偽らない心を観るという事でしょうか。
2.偽りのない心で自らの心身を観るという事でしょうか?
82
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 08:33:39 ID:o7TfOr0I0
理想や目標を持つと、今、ここにある現実に盲目になるので良くないと言う人もいるのですが、鬼和尚はどう思われますか?
理想が絶望を生み、目標が失望を生む
理想なければ絶望なく、目標なければ失望なし
今を生きる
83
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 12:25:27 ID:czRftzgI0
自我を乖離するとき、自分の属性以外に自分に起きた出来事(の記憶)も乖離する必要があるのでしょうか?
そうだとして、辛い出来事のみならず、自分にとっていい思い出になっている出来事も乖離するほうがいいのでしょうか?
毎日回答ご苦労様です
84
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 17:53:15 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。おかげさまで副業もある程度軌道に乗ってきたのですが、メインの事業を成立させるのに
やはり、独りでは限界があります。
経営相談などもしても大丈夫でしょうか?
85
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 20:19:16 ID:o7TfOr0I0
西式健康法で腰痛は治りますか?
86
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 20:51:56 ID:o7TfOr0I0
床に寝たら疲れが取れず腰が痛くなりそうだが、そうでもないのかな?
金魚体操は気持ち良さそうだけどね。
今日やってみます。
87
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/19(月) 21:35:20 ID:JKddmxgk0
>>78
そのようなキャラクターも実際はおぬしの頭の中にだけあるものじゃ。
語尾だけ変えてみればそのように感じるじゃろう。
おぬしにレスする時だけ語尾を変えてみるC
>>79
そのようなものじゃ。
真実に気付くのが観照なのじゃ。
真実に気付けばそのように簡単に戻らないのじゃ。
例えば道に落ちている縄が蛇ではないと気付けばもはや蛇とは思わないようなものじゃ。
観念である自我に気付けばそれを主体と間違うことは無くなるのじゃ。
しかし習慣の力により主体が想起されれば戻ることもあるのじゃ。
>>80
>>81
1 そのようなものじゃ。
2 それでよいのじゃ。
そのように自らを偽らず心身を観察するのじゃ。
>>82
持ってよいのじゃ。
目標が無ければ人は努力を続けられないものじゃ。
自ら試してみるのじゃ。
>>83
そのようなことはしなくてよいのじゃ。
ただ自我が観察されただけで全ては変容するじゃろう。
今ここが最高の楽園になるじゃろう。
おぬしもご苦労さんなのじゃ。
88
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/19(月) 21:37:27 ID:JKddmxgk0
>>84
善かったのじゃ。
なんでもするとよいのじゃ。
自由なのじゃ。
>>85
>>86
治るじゃろう。
いろいろ試してみるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
89
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/19(月) 21:44:01 ID:o7TfOr0I0
ありがとうございます。
ではら、機会がありましたらホームページの方に(経営関係の)相談を書かせていただければと思います。
ちなみに、目標を立てず、今を生きると言う目標もありですかね。
大抵の目標と言うのは、死の恐怖とか劣等感から生じた幻想みたいなもので、それを追いかけても余り幸せじゃないことが多いんですよね。
90
:
としぼっくり
:2016/12/19(月) 22:09:16 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。本心を観て、偽わらない心で自らの心身を観察しようと思います。
91
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/20(火) 00:34:45 ID:Pa.OexZY0
鬼和尚、初めまして。
観瞑想をして気づいたことがあります。
私が音を認識した瞬間こそ、音という現象が起こった瞬間である。
そしてその瞬間に意識は音にそのものに成っている。
そこに主客はない。
その後すぐに意識が「私」という思考に成った時、「私が音を聞いた」という幻想の時系列が出来上がる。
このように常に意識が次々と変化しているのがこの現実だと気づきました。
なぜ次々と変化するのか?
その原動力は、生きていればある大なり小なりの落ち着かなさ、衝動、したいという欲…
つまり「苦」だなと。
苦があるからこそ自分の世界、意識が次々と展開するのだなと気づいたのですが、いかがでしょうか。
もしスレルールの自説の主張に抵触しているようでしたら申し訳ございません。
92
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/20(火) 04:30:39 ID:Hasf7zeM0
>>87
なるほど、観照が起これば主体という観念から離れることができるが、たまーに主体という
観念が生起してしまうこともある、しかし、それはまれなことであって基本的には
自我がただの観念だと気づいているから基本的には主客という観念から離れている状態にいる、
ということでしょうか
93
:
としぼっくり
:2016/12/20(火) 06:24:07 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、心を偽らなければ、本心は観れますか?
94
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/20(火) 19:45:20 ID:4r9Nyxn.0
鬼和尚さん、この世の仕組みについて教えてください。
時々、理由もなく酷い犯罪に巻き込まれてしまったように見える人がいるのですが、それはどうしてなのでしょうか?
目に見えない行いの結果、報いとして殺されてしまうのでしょうか?
それともいくら善行を積んでいても、運が悪ければ酷い殺され方をしてしまうということなのでしょうか?
名古屋で起きた凶悪事件の犯人の一人が、自分の行いについて反省せずに、「俺も相手も運が悪かっただけだ」と言っています。
この考え方は正しいのでしょうか?
私は、犯罪の被害者に対して、それはあなたの行いの報いだとはとても言えません。
でも、だからと言って、運が悪かっただけだというのも納得がいかない話です。
しかし、行いの報いだと言えないのならば、運が悪かったとしか言いようがなく、
運が悪かっただけだと言えないのならば、目に見えない行いの結果だとしか言えないという二者択一になりませんか?
この世の仕組みはどうなっているのでしょうか?
そして、犯罪に巻き込まれないための何かの方法があれば、教えてください。
95
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/20(火) 21:55:23 ID:7RVx5EPA0
>>89
そうじゃ、書くとよいのじゃ。
それもよいじゃろう。
特に成し遂げたいことがなければそれもよいのじゃ。
>>90
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>91
よい観察なのじゃ。
そのように観察を続けたならば観照も近いじゃろう。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>92
そのような理解でよいのじゃ。
嘘でも習慣で本当にしているうちに本当と思えるようなものじゃ。
真の大悟徹底まで油断してはいかんのじゃ。
96
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/20(火) 22:02:47 ID:7RVx5EPA0
>>93
そうじゃ、できるじゃろう。
偽らない心が本心であるからのう。
日ごろから自分の心を偽らなければ本心も明らかになるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>94
例えば野生動物などに生まれればいきなり獲られて食われても不思議はないのじゃ。
そのような世界に生まれることが既に報いなのじゃ。
人間も犯罪などに遭遇する世界に生まれた事が既に報いなのじゃ。
それは人であれば避けられない事でもあるのじゃ。
犯罪がなくとも老病死は人には避けられないものなのじゃ。
人の世界は理想の天ではない故に常にそのような苦があり続けるものじゃ。
そのように一切皆苦の世界であるこは忘れてはいかんのじゃ。
全ての苦を滅するために修行あるのみなのじゃ。
97
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/21(水) 01:06:48 ID:MUlEv4Ts0
>>95
鬼和尚、
>>91
です。
ご返信ありがとうございます。
これからも精進して参ります。
ありがとうございました。
98
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/21(水) 07:11:12 ID:Hasf7zeM0
>>95
ありがとうございました。
それから、観照について質問なんですが、鬼和尚はよくいろんなところで、
「この人は悟っている」、「この人は無我までだ」、とか「この人はサマーディまでじゃな」、
みたいな感じでその人がどの段階にいるかについての判断を述べているレスをよく見るんですが、「この人はサマーディまでだ」
というのはおそらく自我の観照は起こっていない(=無我には至っていない)という意味かと思うんですが、
どうしてそのようなサマーディまでで無我には至っていない人たちってそれほど長く非二元というか
悟りの教えに触れていて、もう既にさんざん実践、探究し尽くしたであろうに未だ無我に至っていない(観照が起こっていない)んでしょうか?
それほど、「自我の観照」というのは起こる確率が低く、いくら探究しても起こらないかもしれない
というような難易度の高いことなのでしょうか、、、
それとも彼らは観照が起こるために必要な何らかの重要な要因を見逃しているのでしょうか?
認識を滅するのは観照が起これば容易とは言っても、その前提である観照が彼ら同様起こらずに
終わるんじゃないか、とも思ってしまいます。
99
:
としぼっくり
:2016/12/21(水) 07:15:42 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。質問ですが、心を偽らず、自らの心身を観察すればいいという事でしょうか?何度も同じ様な質問大変申し訳ないないです。
100
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/21(水) 12:34:45 ID:czRftzgI0
和尚さんは以前この世は無だとおっしゃいました
では、この世界は仮想現実だという私の理解は正しいでしょうか?
101
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/21(水) 19:27:00 ID:Jw3dzeXk0
>>96
鬼和尚さん、ありがとうございます。
この世の不条理についてよく考えていましたが、この世界に生まれたことが既に報いだとは考えたことがありませんでした。
この世界以外の世界があるとは思ったことがなかったのです。
そういう目で見てみると、たしかにこの世界は苦しみの世界で、でも、別の世界があるのならば、救いがあるのかもしれません。
できれば、そこに到達してみたいです。
そして、この世には逃れられない苦しみがあることを忘れないようにしたいと思います。
ところで、鬼和尚さんは以前、無意識のうちに交通事故を避けた経験について教えてくださったことがありますが、同様に悟った人は犯罪に巻き込まれることを自然に避けることができますか?
それとも、運が悪ければ犯罪に巻き込まれてしまうこともあるのですか?
102
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/21(水) 21:58:35 ID:7RVx5EPA0
>>97
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>98
それは大抵恐れがあるからなのじゃ。
知識で自我は幻想とかわかっていてもやはり実際に自我が消えることが怖いのじゃ。
長く修業していればおそらく何度も自我が消えそうになる瞬間を経験したじゃろう。
その度に恐れから止めてしまうのじゃ。
心に少しでも恐れがあれば反応は直ぐに起こるからのう。
自我を滅するには 恐れを超えていく勇気が必要なのじゃ。
>>99
それでよいのじゃ。
自らの心身を偽らずにありのままに観察することで自我も観えるのじゃ。
自分の醜さや卑劣さや臆病や後悔も全て否定も肯定もせずありのままに観察するのじゃ。
そうすれば自我にも達することができるのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
そのためのスレなのじゃ。
103
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/21(水) 22:00:34 ID:7RVx5EPA0
>>100
そうじゃ、人の心が創っている仮想現実なのじゃ。
記憶から今の世界を創っているのじゃ。
記憶への依存がなくなれば真の世界がみえるのじゃ。
>>101
そのようなこともできるじゃろう。
普通の者でも無意識に危険を避けることはあるものじゃ。
昔の侍は殺気があると避けるようにしたというのじゃ。
今の者でも鍛えればできるじゃろう。
104
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/22(木) 06:53:43 ID:czRftzgI0
>>100
そのように考えられるのは少しは進歩したからだと思います さらに精進を続けます
ありがとうございました
105
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/22(木) 07:14:08 ID:Hasf7zeM0
>>102
恐れが止めてしまう、ですか、誰とは名前を出して言うことはできませんが、鬼和尚が「サマーディまで」と
判断した人はその道について大勢の人の前で話すなどだいぶ精通、熟達している印象が
あるので、流石に自我消失の恐怖を未だ超えていない、というのは考えづらいと思いますが…
106
:
としぼっくり
:2016/12/22(木) 07:28:55 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。心を偽らず、修行を続けて行こうと思います。
107
:
としぼっくり
:2016/12/22(木) 10:18:11 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、自分を追求したり、心身を観察のも、前提に心を偽らない事があるのでしょうか?
108
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/22(木) 19:43:47 ID:kV7xIwD.0
>>103
鬼和尚さん、ありがとうございます。
普通の人でも危険を察知できると知って、ちょっと安心できました。
第六感を鍛えて無事にいられるようにします。
それで、今回の質問で思い出したことがあり、また疑問が生まれてしまいました。
以下、ちょっと長い質問になります。すみません。
じつは、鬼和尚さんに質問していて思い出したのですが、私は以前にも似たような「なぜこの世は不条理な目にあったり残虐なことが起きたりするのか」というような質問を別の掲示板でしたことがあって、鬼和尚さんに回答をいただいたことがあるのです。
その回答をもう一度調べてみると、「(人間が残虐なことをしてしまうのは)人間も動物より少しましなものに過ぎないからじゃ。��
一切衆生の内、一番下から地獄、餓鬼、畜生、人間、修羅、天人と段階があるのじゃ。��
人間は動物の次だからまだ残虐性が抜けないのじゃ。(以下略)��」というものでした。
その頃はまだ鬼和尚さんについてよく知らなかったので、鬼和尚さんの回答をうまく理解できませんでしたが、今読み返してみるとまた疑問が生まれてしまったので、教えてください。
まず、地獄や餓鬼は本当に存在するのですか?
私はもともとそれほど仏教に詳しくなく、どちらかというとキリスト教などに親しみを感じて何となく神様がいると思っています。なので、地獄や餓鬼という世界があるのが信じられません。
つまり、神様がそんなに酷い世界を作るわけがないと思っているのです。
地獄や餓鬼があったらとても悲しいです。
「神様が酷い世界を作るわけがないのに、どうしてこの世は不条理なことが起こるのか」というのが、私のこの世界についての大きな疑問になっていて、これが私を鬼和尚さんのところへ導いたといっても良いのです。
でも、悟りという救いがあっても、地獄があったら、また同じ疑問が生まれてしまいそうです。
どう考えたら良いでしょうか?
次に、悟った人はこの世界にいると、天国にはいられないのですか?
私は、悟った人はこの世界にいても天国にいるのと同じになって、別の世界が存在しなくても、いつかみんなが悟ってここが天国になるのかと思っていました。
それとも天国は別のところにあるのですか?
最後に、鬼和尚さんの回答だと修羅が人間の次にありますが、ネットで調べてみると、修羅の次に人間をおいている解説が多いです。これは鬼和尚さん独自の解釈なのですか?
109
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/22(木) 22:16:17 ID:7RVx5EPA0
>>104
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさぃ。
>>105
そのような者が本当の師であったならば、おぬしがここでわしにいろいろ聞く必要も無かった筈なのじゃ。
既に正しい指導によって結果を得ている筈であるからのう。
更に他の誰かに道を聞く必要も無いはずなのじゃ。
自ら実践し、行った道でなければ他人に教えることもできないのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>106
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
110
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/22(木) 22:23:36 ID:7RVx5EPA0
>>108
地獄も餓鬼も今この世界にいるのじゃ。
戦争によって苦しみ、飢えた者も十億は居るというのじゃ。
この平和で豊かな地域に居ると現実とは思えないのじゃ。
それも心が創っているのであるがのう。
心に苦がなければどこでも天国なのじゃ。
修羅とはアスラというインドの神なのじゃ。
元は善い神であったが他の神と戦闘をして戦いの神となったのじゃ。
仏教に入って戦争ばかりしている闘争の境地をあらわすものとなったのじゃ。
本来は神であるから人より上なのじゃ。
111
:
としぼっくり
:2016/12/22(木) 23:15:38 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん分かりづらく書いてすいません。質問ですが、自分を追求したり、心身の観察をする為には、本心、心を偽らない事があるから出来るのでしょうか?
112
:
としぼっくり
:2016/12/23(金) 00:07:12 ID:DAY232aw0
↑心を偽らないからです。すいません。
113
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/23(金) 05:15:44 ID:Hasf7zeM0
>>109
わかりました、ありがとうございました。
114
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/23(金) 18:36:54 ID:Mv1H2QeE0
>>110
鬼和尚さん、長い質問に答えてくださってありがとうございます。
一連の質問に回答いただいたおかげで、この世界についてどうしても納得できずにいたことがかなり解消できた気がします。
ありがとうございました。
やっぱり悟りが救いとしてあるということで、そこを目指してみたいと思います。
また質問が生まれてしまったら、教えてください。
いつもありがとうございます。
115
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/23(金) 20:41:32 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。ホームページのコメントにも是非目を通してくだされ
116
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/23(金) 21:40:13 ID:7RVx5EPA0
>>111
そうじゃ、偽らないことで自分の本当の観念が見えるのじゃ。
自分に嘘をついていれば観念も自分に都合よく変えてしまうのじゃ。
本心を観るようにしていれば自我も心身も観えるのじゃ。
>>113
どういたしまして、またおいでなさい。
>>114
そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
またおいでなさい。
>>115
行ってみるのじゃ。
117
:
としぼっくり
:2016/12/23(金) 23:15:41 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。質問ですが、心を偽らないければ、自我も観えるって事でしょうか。何回も質問申し訳ないです。
118
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/24(土) 21:40:48 ID:7RVx5EPA0
>>117
心を偽らないだけではいかんのじゃ。
自分とは何か追求するとか、心身を全て観察するとか実践するのじゃ。
観ようとしなければ何も見えないのじゃ。
何度でも聞くがよいのじゃ。
何度でも答えるのじゃ。
119
:
としぼっくり
:2016/12/24(土) 21:46:54 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。早速実践していきます。またわからない事があればよろしくお願いします。
120
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/25(日) 04:42:20 ID:ItNUDocI0
鬼和尚さま
非二元の話が出ていたので便乗させて質問させてください。
・対談 禅とらくちんこ道 井上哲玄老師 じゅんころさん [悟りへの道]
・悟りへの道 ノンデュアリティどう思われますか? 向令考老師
上記の動画で非二元に対して禅の方が話しています。(urlはNGワードなようで貼れずずみません)
これらの動画では、自分がなくなったいう自分がまだ消えていないとか、道元の心身脱落から脱落心身のように、
言葉だけ聞くと見性や小悟のあとの大悟について話しているように思えました。
ただ、この禅の方たちも大悟はしていないということですよね?
鬼和尚さまの言う認識を滅するということは自分がないという自分がなくなること(観照者が消えること?)や、
心身脱落から脱落心身ということと同じことですか?
違うのででしたら認識が消えるというのは別の言葉で言うとこの後何が消えると言えるでしょうか。
認識が消えるということが何を指しているのかいまひとつわからないので質問させていただきました。
この禅の方たち、あるいは自分がないと言ってはいてもまだ大悟していない非二元の方たちにあと何が足りないかというと、
自分の外側(対象)に対しての執着が消え、対象としての自分への執着も消えたけれど、
自分が存在しているという観念(心と身体を自分と同一視すること)がまだ完全に消えていないのかなと思いました。
認識を滅するというのはそういうことでしょうか?
認識を滅すると聞くと、認識を滅したとどうしてわかるのか、それも認識ではないのかと思ってしまいます。
言語の限界なのかもしれませんが、単純に主体がなくなるということでもいいのでしょうか。
自分がないという自分もないとか、心身脱落脱落心身とか、主体が完全にないような言い方をしている方でも、
まだ主体がある、存在と非存在(有と無)が別である、という錯覚(無明)が残っているということかなと思ったのですが、
どうなのでしょうか。
121
:
偽和尚★
:2016/12/25(日) 12:12:45 ID:???0
>>120
この板の管理者ですが、URLが書けないのはjbbsのバグのようです。
https はダメで http は大丈夫です。
YouTube のURLは https ですが、これを http にするとリダイレクトされて自動で https の方の
URLにアクセスするように YouTube 側でしてあるようなので下記のようにすればできます。
対談 禅とらくちんこ道 井上哲玄老師 じゅんころさん [悟りへの道]
http://www.youtube.com/watch?v=5LR1qAbKY9o
悟りへの道 ノンデュアリティどう思われますか? 向令考老師
http://www.youtube.com/watch?v=Ppkoy7plVQc
122
:
偽和尚★
:2016/12/25(日) 12:28:07 ID:???0
>>120
jbbs のバグはちょっと前に直ったようで、今やったらできました。
対談 禅とらくちんこ道 井上哲玄老師 じゅんころさん [悟りへの道]
https://www.youtube.com/watch?v=5LR1qAbKY9o
悟りへの道 ノンデュアリティどう思われますか? 向令考老師
https://www.youtube.com/watch?v=Ppkoy7plVQc
123
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/25(日) 21:28:39 ID:7RVx5EPA0
>>119
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>120
そのような理論的なことは唯識論で語られているのじゃ。
つまり記憶に依存した認識が観念を起こし、主客の別を起こし、苦を起こすということなのじゃ。
記憶に依存した認識を滅し、本来の認識に回帰すれば観念は観念としてのみ認識され、
主客はなくなり、苦も起こらないのじゃ。
そのような言葉通りではないがほぼそのような事と解釈するとよいのじゃ。
124
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/25(日) 21:30:13 ID:7RVx5EPA0
>>121
ご苦労さんなのじゃ。
正に菩薩の行ないじゃ。
125
:
120
:2016/12/25(日) 22:14:45 ID:ItNUDocI0
>>121
>>122
ご配慮ありがとうございます
126
:
120
:2016/12/25(日) 22:23:50 ID:ItNUDocI0
>>123
お答えありがとうございます。
ということは、和尚さまがおっしゃる認識を滅したそのあとも、本来の認識は残るということなのでしょうか。
主客がないという大悟や対象にならないという涅槃でもその本来の認識はあるということですか?
それとも本来の認識に回帰されることでそれを経過して大悟したり涅槃に入れるということなのでしょうか。
本来の認識とは和尚さまがおっしゃっている意識だけがあるという意識と同じことですか?
127
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/25(日) 23:35:18 ID:6ZZgOq8Y0
鬼和尚様
これは参考になりますか?
↓
https://matome.naver.jp/m/odai/2136257773758613101
よろしくお願いいたします。
128
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/26(月) 08:19:05 ID:czRftzgI0
最近ラマナ・マハルシの「あるがままに」を読みはじめまして、すると和尚さんがここで言っていることが書かれていました。
大悟に至らないサマーディ状態の危険についても書かれてありました。
それならこの本を仏教勉強会のサイトに参考文献として書いておいてもらえたら、回り道をしないでこの本にたどり着けると思うのですが、どうでしょうか?
参考文献はまとめておいてもらえるといいのですが、和尚さんまたは管理人さんどうですか
129
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/26(月) 09:59:21 ID:Dp/qMVVc0
鬼和尚、
自己暗示のやり方について、少し詳しく教えてください。
現在、
>>46
の言葉を毎日集中して繰り返し唱えているのですが、時々勝手に観察が起こることがあります。
この、自己暗示中の観察は起こるに任せていていいのでしょうか?
それとも観察が起こりにくいように、意志を使ってより言葉に集中した方が良いのでしょうか?
130
:
蓮恵
:2016/12/26(月) 14:06:15 ID:gBQKXI6A0
和尚様
浩然の気の本体を言うと、分量は至りて広大(至大)で限りなく、又至りて堅固(至剛)であって屈し撓(たわ)ますことの出来ぬものである。
孟子のいう浩然の気は、和尚様の仰る自己イメージのひとつに分類される物でありましょうか。
言葉の通り、おおらかで一切に囚われず、至大至剛、天地に充満すらという自己イメージです。
131
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/26(月) 18:42:35 ID:czRftzgI0
>>128
ラマナ・マハルシのあるがままに関して、マハルシが「あなたがそう考えている時それを考えているのは誰か?私だ。では私は誰か?を見なさい」とあります。
「私は誰か?」を問う時、私は自我であるとあり、すると、誰か?と問うのは、自我が記憶より生じる認識・思考作用であることを観察せよと言っているのか、その自我を見ている真我を見よと言っているのかどちらでしょうか?
132
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/26(月) 21:21:42 ID:7RVx5EPA0
>>126
そうじゃ、それが本来の認識なのじゃ。
すべてはただひとつの同じ本質を持つものと認識するのじゃ。
それに到達することが涅槃であり、大悟徹底の境地なのじゃ。
意識と同じなのじゃ。
>>127
ならないのじゃ。
でたらめなのじゃ。
>>128
わしは読んでいないのじゃ。
おぬしがブログなどに書いておくとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>129
そのままにしておくと善いのじゃ。
善い気付きが起こるじゃろう。
それこそ無意識の観察なのじゃ。
133
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/26(月) 21:23:43 ID:7RVx5EPA0
>>130
そうかもしれん。
理想の自己イメージといえるじゃろう。
それを養うとよいというのじゃ。
至言なのじゃ。
>>131
どちらでもないのじゃ。
ただそれを追求しありのままに観るべきなのじゃ。
予め何かを見ることを決めるのではなく、そこにあるなにものかを見出すようにするのじゃ。
それが自分を追及する観察なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
134
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/26(月) 21:49:46 ID:czRftzgI0
>>131
おお、なるほどそういうことですか。決めないでみるのですね。
ありがとうございました
135
:
120 126
:2016/12/27(火) 00:37:44 ID:cd1K23qs0
>>132
お答えありがとうございます。
本来の認識、意識について、まだ理論上でしかないですがわかりました。
あと本来の認識が涅槃だという点でお聞きしたいことがあります。
涅槃に入ると知覚、感覚、意識がなにもない、涅槃から出ることで涅槃だったとわかるという人と、
涅槃に入っている間、涅槃だとわかっているという人がいます。
鬼和尚さまのお話ですと、涅槃の状態でも涅槃だとわかっている(認識がある)ということだと思ったのですが、
では涅槃に入ってなにもないという人はなぜそうなってしまっているのでしょうか。
涅槃では何もないという方は、気絶や失神状態に近いと言ったりしてますが、
一般人が睡眠中意識がないのと同じで、そういう方は心身とまだ同一化していて、
心身が止まることで認識も停止してしまっているのでしょうか。
鬼和尚さまはたしか睡眠中も起きているときと同じように意識、認識が続いているのですよね?
起きているときも睡眠中も涅槃でも同じ本来の認識、意識があり、生前死後もそうであるということでしょうか。
136
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 01:02:41 ID:6ZZgOq8Y0
>>132
そうですよね。ありがとうございます。
137
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 03:43:36 ID:kyOlSKDc0
鬼和尚、気とかプラーナって何なんですか?
誰の体内にも一定量あるものなんですか?
138
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 19:58:26 ID:czRftzgI0
「あるがままに」で自我消滅の方法には帰依と真我探求があり、人によっては前者のほうが易しいとあります。
帰依の方が易しいですか?一切の欲望を捨てて全てを神に委ねるのは口で言うのは簡単でも、やるのは難しそうですが。
和尚さんが禅の方を選んだのはどうしてですか?
139
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 21:19:35 ID:Hasf7zeM0
心身の一切を細分化して可能な限りとことん自我を観察、厭離し、さらに自我消失の恐怖すらも無事に乗り越えることができても
そこからいっこうに観照が起こらない、という状況は起こりえますか?
140
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/27(火) 21:27:52 ID:u2TLUTzo0
>>134
そうじゃ、今ここにあるものを見出すのじゃ。
またおいでなさい。
>>135
涅槃とは出たり入ったりできるものではないのじゃ。
それらはただ瞑想中に意識を失ったと思っているだけなのじゃ。
ただ単に記憶がないから何もないと思っているだけなのじゃ。
意識は常にあるものじゃ。
それだけが唯一あるといえるものなのじゃ。
すべては意識の現われに過ぎないのじゃ。
>>136
どういたしまして、またおいでなさい。
>>137
それらはエネルギーなのじゃ。
誰の体内にもあり、他の動物や植物などにも有るのじゃ。
自然にもあるものじゃ。
意識によって操ることもできるのじゃ。
>>138
それは人によるのじゃ。
神などを心底信じているものには帰依がやさしいのじゃ。
そうでなければ自分を観察するのじゃ。
わしは神を信じていなかったのじゃ。
141
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/27(火) 21:31:13 ID:u2TLUTzo0
>>139
ないじゃろう。
そこまでやれば大抵できるじゃろう。
マハリシは何も方法を知らず一日で悟ったのじゃ。
恐れを乗り越えて進めば自我も容易に観えるのじゃ。
142
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 21:31:30 ID:Hasf7zeM0
それから、鬼和尚があの強烈な自我消失の恐れを乗り越えることができたのは観照が起きる以前ですか?
金剛経を読んでいる際に観照が起きたという出来事の前にはもうすでに自我消失の恐怖は乗り越えていたんでしょうか、
それとも観照が起きたと同時に消失の恐怖も消えたのでしょうか?
143
:
としぼっくり
:2016/12/27(火) 21:37:47 ID:6PXnZyyc0
鬼和尚さん、質問ですが、自己観察と心身を観察するとでは、違うのでしょうか?
144
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/27(火) 21:41:43 ID:Hasf7zeM0
>>141
そうなんですか?!、心強いです、ありがとうございました。
それから、すいませんがニアミスしてしまいました。ご足労おかけしますが142もお願いします。
145
:
135
:2016/12/28(水) 00:03:37 ID:A8N.7bik0
>>140
お答えありがとうございます。
勘違いで涅槃だと思ってる人も多いのですね。
涅槃とは出たり入ったりできるものではないという点でお聞きしたいのですが、
マハーシ・サヤドーのヴィパッサナーの本で涅槃に入定出定できるようにするとあったように思いますが、
そういうものは涅槃ではないということでしょうか。
鬼和尚さまが悟った者は動画などでときどき止まっているとおっしゃっていたのは、
止まっている間涅槃に入っているのかと思ってましたが違うのですか?
そのあたり涅槃について少しおしえていただけますか?
146
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/28(水) 05:27:38 ID:czRftzgI0
>>138
なるほどそういうことですか。私は神を信じていないので帰依はできないです。
回答ありがとうございました
147
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/28(水) 21:36:49 ID:u2TLUTzo0
>>142
そうじゃ、死が免れないと心底わかればそれも乗り越えられるのじゃ。
いずれにしても死ぬのであるからのう。
いずれ死ぬ身であれば自我が消える恐れも無に等しいのじゃ。
>>143
違うと言えるじゃろう。
例えば地面に落ちた財布を捜すのに、全ての地面を探すのか、。自分の足跡を辿って探すのかの違いのようなものじゃ。
自分を観察しようとするのは、足跡を辿って探すようなものじゃ。
自我のありようを辿るのであるからのう。
心身を観察するのは地面全部を捜すようなものじゃ。
どこかにはある筈であるからのう。
そのような方法として違うことを知っておくと善いのじゃ。
>>144
今答えたのじゃ。
>>145
そうじゃ、涅槃ではないのじゃ。
涅槃とは大悟徹底の境地であるからのう。
悟れば常に涅槃なのじゃ。
まだ肉体があれば有余涅槃というのじゃ。
肉体をも消滅させれば無余涅槃とよばれるのじゃ。
>>146
そうじゃ、自分の性質を知って道を選ぶ゜のじゃ。
またおいでなさい。
148
:
としぼっくり
:2016/12/28(水) 21:54:32 ID:WJCZERl.0
鬼和尚さん凄いわかりやすい説明ありがとうございます。自分を観察すれば焦点が絞れて、心身を観察するだと広大になってしまうんですね。本当に丁寧な説明ありがとうございます。
149
:
としぼっくり
:2016/12/28(水) 21:59:33 ID:WJCZERl.0
ちょっと勘違いしてました。方法の違いですね。ありがとうございます。
150
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/28(水) 22:27:01 ID:Hasf7zeM0
>>147
なるほど、整理させてもらうと順番としては
自我消失の恐れを乗り越えた→ある程度の時間の間を挟み→金剛経を読んでいるときに観照が起こった
という順序で合ってますか?
151
:
145
:2016/12/29(木) 00:56:53 ID:JESLiius0
>>147
お答えを参考にいつか自分でも涅槃がわかるように精進したいと思います。
今年はお世話になりました。よいお年をお迎えください。
ありがとうございました。
152
:
素人A
:2016/12/29(木) 07:49:06 ID:gOqWUDAs0
宇宙が身得たのは自分の内言うに宇宙があったのに心の色々な思いで世これて
見えなかった野かも?今後いや今日は店のガラスを拭いて新年を迎えます
153
:
137
:2016/12/29(木) 20:09:28 ID:kyOlSKDc0
>>140
鬼和尚、お返事ありがとうございます。
人間や動植物の気はどんな状態で体内にあるんですか?
血液のように流れていたりするのでしょうか?
154
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/29(木) 21:11:42 ID:yX0.eKyQ0
最近数息観をし始めました
雑念が湧かなくなったら手の観察ということですが
数息観で雑念がある内に観察の修行はしてもいいですか?
それとも数息観で雑念が湧かなくなってからのほうがいいですか?
155
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/29(木) 21:31:11 ID:u2TLUTzo0
>>148
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>150
そのようなものじゃ。
死について本当にわかっていれば自我消失の恐れもなくなるのじゃ。
実践によって確めるのじゃ。
>>151
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
おぬしもよいお年をなのじゃ。
またおいでなさい。
156
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/29(木) 21:35:50 ID:u2TLUTzo0
>>152
そうじゃ、宇宙も心の中にあるじゃろう。
見ようとすれば見られるのじゃ。
>>153
そうじゃ、常に動いているのじゃ。
動かないと病になるのじゃ。
意思によって動かせるのじゃ。
集中したところに気は集まるのじゃ。
>>154
やってもよいのじゃ。
雑念がわいて無理とわかったら戻ればよいのじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
実践したことは無駄にならないのじゃ。
157
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/29(木) 23:21:10 ID:Hasf7zeM0
>>156
ありがとうございます。その自我消失の恐れを乗り越えた時点においては
肉体の死に対する恐怖はまだ残存していましたか?
観照が起こらない限り肉体が死ぬことへの恐怖は消えないのでしょうか?
158
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/30(金) 11:28:14 ID:yX0.eKyQ0
>>156
ありがとうございます
早速手の観察をしてみましたが、ゲシュタルト崩壊のように手が手に見えなくなってきて
ゾッとしてやめました
とても変な感じですね
数息観ですが、呼吸と数えることに集中していても思考が止みません
無視しても消滅せずああだこうだとうるさいのです
「羨んでいる、妬んでいる、と思ってる自分がいる」
と、ひたすら劣等感を刺激されている自分を観察しようとしてしまいます
ですが変化はありました
みっともないからやめようと思い込んでましたが、妬んでいるという事実を理解しました
同時に、羨み、妬みが消えたのです!これはものすごい変化でした
これも雑念のひとつなのでしょうか
同時に様々に湧く心配事や劣等感がとにかくやかましくってしょうがないです
159
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/30(金) 21:56:09 ID:u2TLUTzo0
>>157
恐れを乗り越えたならばもはや恐怖は無いのじゃ。
それによって全ての価値観が覆るのじゃ。
もはや恐怖も止められないのじゃ。
>>158
消滅させようとしなくてよいのじゃ。
ただ流れていくままにすればいつか自然に止まるのじゃ。
それを観ているだけでよいのじゃ。
それは観察によって厭離されたのじゃ。
どんどんやるとよいのじゃ。
160
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/30(金) 22:31:10 ID:Hasf7zeM0
>>159
え?!本当ですか?
ということは自我消失の恐れさえ直視して乗り越えることができればそれと
同時に肉体の死への恐怖も消える、ということですか?
要約すると肉体の死への恐怖は無我にならなくても=観照が起こるのを待たずとも
それ以前の時点において乗り越えられる、ということですか?
161
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/31(土) 07:11:22 ID:yX0.eKyQ0
>>159
そのままで良いのですね、わかりました。
ただ観ているだけ、やってみます。
これが厭離なのですね。心が随分軽くなります。
実は自分が思っていた以上に他人の多くを羨み、欲しがり、妬んでいることがわかりました。
浅ましく恥ずべき行いで、私がなりたい人物像と真逆なのでそうでないふりをしていました。
愚かさを認めることは自己否定だと思ってましたが、それこそ真逆だったのですね。
どんどんやって行きます、ありがとうございます。
162
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/31(土) 08:32:09 ID:5N.XHcik0
いつもありがとうございます。
承認欲求に起因する苦が消えません。
原因は幼少時の親に対する承認欲求、
その後、学校やTVなどから獲得した価値観などがあり、原因が多すぎます。
現在は、誰の承認を得なくても生活はできるので承認欲求は不要です。
順逆の観察が足りないのでしょうか?
承認欲求をまとめて消す方法はありますか?
163
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/31(土) 10:42:15 ID:6ZZgOq8Y0
質問です。
家族で問題のある人間が一人います。
自分の親や夫を罵り、我が子に食事を作らず、お菓子ばかり食べさせ、暴言を吐き、何十年も被害者意識ばかりが強く、恨みでいっぱいです。
人の目をとても気にするため、外の人間にはおおむねちゃんと振る舞えるのですが、身内にはひどいです。
私に対しても30年前の幼少期のことを呪いのように言ってくるし、彼女を気持ち悪い人間だと感じてしまうため、距離をおいています。
しかし、彼女がどうなっても自業自得なのでいいのですが、彼女の子供や夫や親などは私の身内でもあるので、一人で距離を置いていいのだろうかという葛藤があります。
鬼和尚は「悪い人間とは付き合うな」とおっしゃいますが、今のように自分だけ安全なところに避難していていいのでしょうか。
彼女は私が彼女と関わらないようにしていることに気づいていて、苦にしていると思います。
もし私が悟りを開いたり、もっとこだわりのない人間になれば、
こんな風に心乱されることもなく、彼女の心を少しでも楽にできるのではないか、
その結果、周りの人間の助けにもなれるのではないか、とも思うので、悟りを求めているのですが、
それまでは下手に関わらないほうがいいのでしょうか。
彼女の周りの人間には、できるだけ援助しているつもりですが、彼女のことを考えると心が乱れます。
これも家族に対する執着ゆえでしょうか。
ご意見をお聞かせください。よろしくお願いいたします。
164
:
153
:2016/12/31(土) 16:12:43 ID:kyOlSKDc0
>>156
鬼和尚、お返事ありがとうございます。
たとえば体の一箇所に集中して気が集まると、どんな感じがするんでしょうか?
また、どうすればそれを感じられるようになりますか?
今年もたくさんのお答えありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
よいお年を☆彡
165
:
熱狂的鬼ファン
:2016/12/31(土) 19:34:24 ID:u3B5BON.0
鬼和尚今年もいろいろありがとうございました。勉強になりました。心が軽くなることがありました。
166
:
としぼっくり
:2016/12/31(土) 20:40:03 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、今年は沢山の質問に答えてもらってありがとうございます。来年もよろしくお願いします。良いお年をすごして下さい。
167
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/31(土) 20:52:11 ID:VfhJ5ipQ0
鬼和尚さん
私もとてもお世話になりました。
本当にありがとうございました。
今年は少しだけですが、進めた気がします。
集中力はまだまだですが、来年はもう少し身につけられるという予感がします。
来年もよろしくお願いいたします。
鬼和尚さんも良いお年をお迎えくださいm(__)m
168
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/31(土) 21:25:44 ID:u2TLUTzo0
>>160
自我とは自分があるという観念なのじゃ。
それが消えるということは自分が無くなる、死ぬということと同じ観念なのじゃ。
自殺しようとするものも既に肉体消失の恐怖も無いものじゃ。
今のおぬしの自我も自分と同じ観念として働いているじゃろう。
よくみてみるのじゃ。
>>161
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>162
それは真の原因ではないのじゃ。
孤独や不安などが真の原因かもしれん。
更に深く自分の心を観察してみるのじゃ。
真の原因がわかればそれも消えるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>163
それはおぬしが気持ち悪い人間と見ているからなのじゃ。
他人はおぬしが見たとおりのものになるのじゃ。
おぬしが見方を変えれば他人は変るのじゃ。
気持ち悪いという観念の原因を探して滅するか、一時止めて観察するのじゃ。
言動をよく観察すれば他人も何が原因でそのような言動をするかわかるのじゃ。
先入観をなくして観察してみるのじゃ。
そこに答えはあるじゃろう。
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