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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

1避難民のマジレスさん:2016/12/05(月) 22:15:12 ID:5WAaNl9c0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。

ルールを守って使用しましょう。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357

533避難民のマジレスさん:2017/03/16(木) 17:30:30 ID:czRftzgI0
(訂正)
Xその実体は記憶と感触 → Oその実体はイメージの記憶

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/16(木) 21:58:15 ID:1d4drIFg0
>>529 そうじゃ、まだ自分という観念が残っているのじゃ。
 その投射する所が違うだけなのじゃ。

 クリシュナムルティもその時にはまだ悟っていなかったのじゃ。
 
>>530 例えば自分の名前が呼ばれたらそれを自分が呼ばれたとして返事をするとかなのじゃ。
 自分のイメージも度々思い出したりするのじゃ。
 そうすれば慣れてきて自分の観念を上手く使えるようになるのじゃ。

>>531 治るまで横になってやってもよいのじゃ。
 しりのマッサージをするとかするとよいのじゃ。
 温冷浴などもよいのじゃ。
 治ってからやわらかい座布団などをして座ると善いのじゃ。

>>532 そのような理解でよいのじゃ。
 後は実践にょって証明するのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

535蓮恵:2017/03/16(木) 22:16:05 ID:P0oV4erc0
和尚さま
悟りを開くとはつまるところ、無我と無常の法をズバッ(笑)と体験し、無我無常を完全に理解することと言えるのではないのでしょうか
そのために止観で認識を破壊するという感じでしょうか

536523 529:2017/03/16(木) 23:00:03 ID:4M/dQBfY0
>>534
お答えありがとうございます。
納得できる部分もあり聞いてよかったです。
あとは知識としてではなく体得できるようにお答えを参考に地道に精進したいと思います。
ありがとうございました。

537避難民のマジレスさん:2017/03/17(金) 10:09:08 ID:GXTFMGi.0
530です。なんだか仮の自我を作ることはお聞きする限り結構簡単そうですね、
私はもっと複雑で難しいプロセスを必要とするのかと思っていましたが、
本当にそんな簡単なものなんですか?

538避難民のマジレスさん:2017/03/17(金) 18:40:48 ID:czRftzgI0
>>532
実践します。ありがとうございました

539鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/17(金) 22:40:48 ID:1d4drIFg0
>>535 無常は別に要らないのじゃ。
 それは世間を捨てるための法であるからのう。
 無我になり、無認識に至れば大悟徹底なのじゃ。
 止観もそのための法なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>536 どういたしまして、またおいでなさい。

>>537 そうじゃ、観念を持つだけであるから簡単なのじゃ。
 ものごとに名前とイメージをもてばそれが観念であるからのう。
 無意味とわかっていても観念をもつことはできるのじゃ。

>>538 そうじや、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

540避難民のマジレスさん:2017/03/18(土) 02:32:48 ID:GXTFMGi.0
>>537です。

ということは無我になった瞬間、(無認識になった後じゃないとダメでしょうか?)そのまま
肉体を動かさないで至福のまま死んでいくことを選択しても良いし、あるいは教えを説く目的で
この世界に残る選択をするなら、「よし、自分の名前や自分についてのイメージを思い出そう」みたいな感じで自ら意志して仮の自我を作る
、このような流れで仮の自我は作られるのでしょうか?

541避難民のマジレスさん:2017/03/18(土) 03:38:13 ID:ypqmFy8U0
鬼和尚、私を覚えていますか。
以前は、大変な無礼をしてしまって申し訳ありませんでした。
私はどうすれば良いのでしょうか。
私をお導きください。

542鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/18(土) 21:56:55 ID:1d4drIFg0
>>540 無我でも観念はあるからそのまま死なないのじゃ。
 無認識になった後に教えを説くならばそうなるじゃろう。
 実践によって証明するのじゃ。

>>541 全て忘れたのじゃ。
 懺悔告白すれば全て許されるのじゃ。
 これからは善事を積むとよいのじゃ。
 更に悟りを求めて修業するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

543避難民のマジレスさん:2017/03/19(日) 12:23:31 ID:ypqmFy8U0
>>542
はい、みんなに感謝し懺悔し感涙し、悟りを目指そうと思います。
それまで、菩薩道を歩もうと思います。

544鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/19(日) 21:32:03 ID:1d4drIFg0
>>543 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

545避難民のマジレスさん:2017/03/19(日) 22:23:04 ID:GXTFMGi.0
>>540です。

でも、無我のままでは生活できないって以前鬼和尚が書いてらっしゃったのを
見たと思います。(もし書かれてないのであれば申し訳ありません。)

生活ができないほどになるのであれば、そのまま死ぬことも不思議ではないと思いますが?
例え、観念が残っていたとしても。

546545:2017/03/19(日) 22:27:21 ID:GXTFMGi.0
訂正です

× 生活ができないほどになるのであれば

〇 生活ができないほどに何もできない状態になるのであれば

です、よろしくお願いします。

547避難民のマジレスさん:2017/03/20(月) 10:27:42 ID:tHj0j65Y0
わざと顔を火傷した美女
http://www.epochtimes.jp/2016/01/25103.html

548鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/20(月) 21:46:16 ID:1d4drIFg0
>>545 無我になればむしろものごとはうまくやれるようになるのじゃ。
 自我の邪魔がないからのう。
 実践によって確めるのじゃ。

549としぼっくり:2017/03/20(月) 22:15:18 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
3年で悟りを得ようと思えば、1日にどれくらいの時間、瞑想した方がよろしいでしょうか?

550鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/21(火) 20:36:14 ID:1d4drIFg0
>>549 それは人によって違うじゃろう。
 意欲や才能も違うからのう。
 お釈迦様は七日間座り続けて悟ったのじゃ。
 悟りを得るためならば命も要らないという熱意で座れば七日で十分なのじゃ。
 自らの熱意によって決めるのじゃ。

551としぼっくり:2017/03/21(火) 20:57:16 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分の熱意で決めようと思います。

552避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 09:37:20 ID:8VTqO4V.0
鬼和尚、自由意思について質問です。
ここで質問するような内容ではないとは思いますがご容赦下さい。

私は以前、自分には自由意思はないという気づきを得ました。
自由意思は無い、と言うと決定論が思い出されます。
お釈迦様は決定論を否定されたとのことですが、私はこの仏陀の否定に頭を悩ませました。
しかし最近、「自由意思はあると言えばある」という考えになってきています。

現象が起こる根本的な仕組みやルールはどうしようもないですが、「認識」によって様々な現象をコントロールできるのではないかと考えています。
ゲームのルールは変えられませんが、その縛りの中で自由に活動することはできる。
その仕組みを知り、あえてその中で生きるのが悟った方なのかなと思いますが、鬼和尚は自由意思についてどのようなお考えでしょうか。

553避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 17:43:47 ID:/LtJi/2c0
鬼和尚さん

鬼和尚さんはよく「自分の本心を見ないで悟った人はいない」ということを言っていますが、それはどういう意味なのでしょうか?
自分の自我を見るためには、自分に隠している部分があると、自我をすべて見ることができないので、悟れないということですか?
それとも、自分に隠している部分があると、人間はどうしても自我が見られない構造になっているのですか?

554蓮恵:2017/03/22(水) 21:45:08 ID:hu.n.GIQ0
和尚さま

動中の工夫とはいかなるものでしょうか

555鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/22(水) 21:47:54 ID:1d4drIFg0
>>551 そうじゃ、自らの意志で決めるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>552 そうじゃ、人は条件付けなどで自由意志がかなり制限されているのじゃ。
 しかしよく考えて道を選ぶことも出来るのじゃ。
 大体2%ぐらいは自由意志はあると考えてよいのじゃ。
 真実を受け入れて学べば環境や条件付けに左右されずに自分の意志を発揮できるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>553 自我の全てをみなくてよいのじゃ。
 それは瞑想によるサマーディで悟ったとしても、やはり自我を観て悟っているという意味なのじゃ。
 自我の働きを全て観なくとも厭離は起こるじゃろう。
 それが自分ではなく、自動的に起こる観念に過ぎないと気付けば善いのじゃ。
 実践によって証明するのじゃ。

556避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 23:51:46 ID:/LtJi/2c0
>>555
鬼和尚さん、553です。
理解できました。
ありがとうございました。

557避難民のマジレスさん:2017/03/23(木) 00:05:19 ID:4.ICUonI0
>>555
ありがとうございます。

約2%とはかなり具体的であり、かつほとんど自由意思がなさそうな印象ですね笑

悟り一歩手前の話なのかもしれませんが、人は今この瞬間、認識という選択権を持っているように思えます。
それが約2%の部分なのかもしれません。
物事に対する認識、選択によって如何様にも道筋をざっくりですが変えられる。
それさえも自由意思ではなくすでに決定されていたと言われればそれまでなのですが…。

そのような認識や選択さえも超えたところに悟りがあると思いますが、私はあえて意識の創り出す現実という夢を楽しみたいと最近思うようになってきました。
またいつ悟りへの情熱が噴出するかわかりませんが、しばらくはこのままでいてみようと思います。
お答え頂きありがとうございました。

558鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/23(木) 21:34:14 ID:1d4drIFg0
>>556 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>557 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

559としぼっくり:2017/03/23(木) 23:19:20 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
心身を観察するのも、自分を追求するのも、自我に気付くと言う目的を持って、行った方がよろしいでしょうか?

560163:2017/03/24(金) 08:22:28 ID:6ZZgOq8Y0
鬼和尚様、こんにちは。
良寛は悟っていますか?

561避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 08:48:29 ID:6ZZgOq8Y0
また、鈴木正三は悟っていますか?

562避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 18:43:40 ID:czRftzgI0
空の法の「りんごというものが、実はりんごではないとすれば、りんごの認識は止まる。
しかし、りんごで無いならば、他のものであるという認識もできる。
それを止めるには、さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる。
そうすれば認識の働きは、逃げ道がなく、止まる事になる。」の意味についてお伺いします。

りんごをりんごでないものと見た後、そのりんごでないものを再びりんごと見ることでどうして認識が止まるのですか?結局りんごをりんごと見ていることに変わりはないのではないですか?
特に「さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる」の意味がわからないので、よろしくお願いします。

563蓮恵:2017/03/24(金) 19:36:12 ID:QZjWADYU0
和尚さま
>>554をお願いします

564避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 22:53:01 ID:XxxP/YTE0
和尚、ごぶさたしています。
仏教関連で必読というかこれは読んどけというもの1冊(多数あるなら何冊でもよいです)勧めてくださいませんか。

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:04:47 ID:1d4drIFg0
>>559 そうじゃ、そうしていれば向こうから悟りはやってくるじゃろう。
 自分に気付くのじゃ。
 観ようとすれば観えるのじゃ。

>>560 悟っていたじゃろう。
 死ぬときは死ぬが善いのじゃとかいっていたのじゃ。
 その通りじゃ。

>>561 悟ってはいないようじゃ。
 学者じゃな。

>>562 それが認識を壊すからなのじゃ。
 記憶による認識はものごとを記憶と照らし合わせて分別するのじゃ。
 これは赤いからりんごとかのう。
 あかくてもりんなごではなく、りんごでないからりんごとすれば分別は混乱をきたして認識は止まるのじゃ。
 それは認識の仕組みに基づいて創られた方法なのじゃ。
 理解は出来なくて当然なのじゃ。
 思考の元となる認識を混乱させるのであるからのう。
 理解してはいかんのじゃ。
 常に認識を混乱させる方法として実践するのみなのじゃ。

566鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:10:00 ID:1d4drIFg0
>>563 動中の工夫とは日常生活でも集中することなのじゃ。
 掃除でも洗濯でも常に心がけて集注していれば進歩も早いというのじゃ。
 観察も日常でやれば早いのと同じことなのじゃ。
 日常の一切が修業となるのじゃ。

>>564 法句経、ダンマパダをよむとよいのじゃ。
 わからなくとも読み返せば理解できるようになるのじゃ。
 古本で買うとやすいのじや。

567としぼっくり:2017/03/25(土) 00:15:45 ID:DAY232aw0
>>565ありがとうございます。
自分に気づくように心がけたら良いと言うことでしょうか?

568避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 07:42:42 ID:XxxP/YTE0
>>566
和尚、ありがとうございますいます!
すぐに手に取ります。読み終えたら次の一冊また聞くやもしれませぬがよろしくお願いします!

569避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 08:46:05 ID:czRftzgI0
>>562
なるほどそういうわけでしたか。これは直接聞く以外に知りようのなかったことで、その機会が与えられる和尚さんの存在のありがたさと自分の幸運を改めて認識しました。
どうもありがとうございました

570としぼっくり:2017/03/25(土) 11:13:13 ID:DAY232aw0
すいません>>567スルーして下さい。
ありがとうございます。
自分に気付くのじゃ。とは
自分に気付けば良いと言うことですか?

571避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 17:06:47 ID:6ZZgOq8Y0
>>565
ありがとうございます。では、良寛の書いたものを読むことは悟りに役立ちますか?
もし役立つのなら、おすすめの本はありますか?
私は悟ることが人生の目的です。

572鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/25(土) 20:47:35 ID:1d4drIFg0
>>567>>570 そうじゃ、自分に気付くのじゃ。
 自分とは何か?
 何を自分と認識しているのか観察によって気づくのじゃ。
 それだけで変容は始まるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>568 そうじゃ、読んでみるとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>569 どういたしまして、またおいでなさい。

>>571 あまり役には立たないじゃろう。
 修行法を書いたわけではないからのう。
 ありのままの詩歌が多いのじゃ。

573としぼっくり:2017/03/25(土) 21:34:00 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か?追求すれば良いと言うことでしょうか?

574避難民のマジレスさん:2017/03/26(日) 11:13:02 ID:R./ZkTe.0
鬼和尚、481です。
こんにちは。

しばらく観察してみましたが、認識を観ることについて糸口が掴めずにいます。

認識を観察するについてですが、
例えば音を聞こうとした時、本当は「音」という認識と、「私」という認識がそれぞれ起こっており、「音」→「私」と意識が切り替わっています。
この認識が繋がり「私が音を聞いている」という分離の幻想が出来るているのかと思います。
ここまではわかりました。

今のところ、意識が音を捉えた瞬間には既に「音」として認識しているように思えますが、認識が厭離されると音を音として認識しなくなるということですよね?
音を認識した直後に「音だ」と言う思考は捉えられてはいるのですが、その一歩前の音を音と認識する瞬間がわかりません。
何かアドバイス頂けると幸いです。

575鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/26(日) 21:38:45 ID:1d4drIFg0
>>573 そうじゃ、自分とは何か観察してみるのじゃ。
 そうすれば悟りはやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>574 その私が起こることをよく観察してみるのじゃ。
 それが観察できれば私が滅するじゃろう。
 無我によって認識も観察できるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

576としぼっくり:2017/03/27(月) 00:24:36 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察して行こうと思います。

577481:2017/03/27(月) 00:47:57 ID:JtkEeVqo0
鬼和尚、ご返信ありがとうございます。

私が立ち上る瞬間を観るということですね。

音を認識した直後に、「それを聞く者」として私がイメージされます。
私の場合、ざっくりと「こちら側」だったり、頭の中心の筋肉の収縮感に「私」を投射しているようです。
またこれは非常に微かで瞬間的なイメージであることも捉えています。
そこがわかると、頭の中心には「私」の中心や、音を聞いている者いうものはないことがわかります。

しかし、これが認識を捉えた瞬間なのでしょうか?
相変わらず思考を捉えているように思えるのですが…。
それともこの無我を維持しつつ観察をしなければわからないところなのでしょうか?

578避難民のマジレスさん:2017/03/27(月) 02:30:29 ID:xETinsKE0
F1レーサーであった故アイルトンセナはあるレースで自分がマシンを操縦しているのを
ふと気が付くと体から離れて上から観察していたという有名な話があります。
小説家もいわゆるライターズハイになるとまるで自分以外の何かが勝手に
物語を書いているような感覚に陥るということですね。

これは集中力が極限に高まると起こるみたいなのですが
なぜ集中力が増すとそのような現象が起こるんでしょう?
これが瞑想の数息感と同じ効果ということなんでしょうか?

私以外の何かが常に自分を観察しているが普段は気づけない
集中力が高まるとそれを感じることができやすいということですか?

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/27(月) 21:28:15 ID:1d4drIFg0
>>576 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>577 認識は捉えていないのじゃ。
 私が観えるならばそれを更に詳しく観察するのじゃ。
 そうすれば自然に無我になるじゃろう。
 認識は私が消えた時に観えるようになるのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>578 それは意識が拡大したからなのじゃ。
 普段肉体とか思考などに限定されていた投射が弱まるからなのじゃ。
 瞑想によるものと同じなのじゃ。
 そのようなものじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

580481:2017/03/27(月) 22:46:51 ID:52V0SuOc0
鬼和尚、
なるほど、無我になればわかる時がくるのですね。
社会生活を送っているとなかなか難しいなと感じますが、できる限り一日中観察に集中してみます。
ありがとうございました。

581避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:30:24 ID:lf.lkoB20
和尚、法句経を勧めていただいた者です。
この本が聖書や論語レベルで重要なものだと訳者の説明でわかりました。
喩えがどれも秀逸で思わず膝を叩くようなこともしばしば、心が洗われるようです。
読中ですが感動したのでまずご一報をと思いまして。何度も読み返そうと思います。

582避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:43:49 ID:DIiPmWc60
はじめまして、鬼和尚さん。

いつも鬼和尚さんの記事を拝見しとても参考にしております。

今回は、修行の実習における苦の区別についてお伺いします。

2009年4月の記事では、苦の観察の実修について記されています。

そして、苦は因により生じ縁により起き、苦が次々に起き増大し、それに自我を投影して終わるという結果までが一連の展開で、これを順番に観察していくのが順観、逆から順番に観察していくのが逆観とされております。

しかし、自分が今観察して発見した苦について、苦は様々な段階で発現するので、どの苦に該当するかの区別がつきません。

ひいては苦の順観や逆観も不可能であるように思われるのですが、なにか良い方法はないものでしょうか。

ご教授お願いします。

583避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 02:06:20 ID:PlRl0u560
>>579
集中が高まると自我への投射が弱まる ということですか
ありがとうございます

584としぼっくり:2017/03/28(火) 15:06:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
悟りを得るためには、タバコをやめた方が良いのでしょうか?

585鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/28(火) 21:18:21 ID:1d4drIFg0
>>580 どういたしまして、またおいでなさい。

>>581 そうじゃ、善いものじゃ。
 どんどん読むと善いのじゃ。
 またおいでなさい。

>>582 それは観察方法の一つに過ぎないのじゃ。
 縁起によって苦を全体的に観察する方法なのじゃ。
 それが困難ならば別の方法で観てよいのじゃ。
 五つの心身の要素を観る時のように、苦を分解して詳細に観察する方法でもよいのじゃ。
 苦の要素を幾つも分解してみるのじゃ。
 或いは苦が起こり消えるままにしておくのもよいのじゃ。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。

>>583 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>584 無理に辞めなくてもよいのじゃ。
 それに囚われてしまうからのう。
 健康とかもっと集中したいからという理由でやめたくなったらやめたらよいのじゃ。
 自由なのじゃ。

586としぼっくり:2017/03/28(火) 21:29:34 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
スッキリしました。
タバコ吸いながらでも修行続けて行こうと思います。ありがとうございます。

587582:2017/03/29(水) 01:30:32 ID:DIiPmWc60
ご助言ありがとうございました。

逆観のような難易度の高い観察方法にあまり囚われず、かといって、
考えなしに観察はせずに、単純な観察を手を抜かずに丁寧にやって
いこうと思います。

588鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/29(水) 22:11:38 ID:1d4drIFg0
>>586 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>587 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

589避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 14:55:01 ID:UATLzvCM0
むのうしょうげんという方は悟ってましたでしょうか?本は面白かったです

590避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 20:46:17 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん、感覚が自分ではないということは、どうすればわかりますか?

591鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/30(木) 21:47:58 ID:1d4drIFg0
>>589 悟っていないのじゃ。
 行者じゃな。

>>590 それは観察をすればわかるのじゃ。
 目や耳や鼻や舌やひふの感覚についてそれぞれ詳細に観察すれば、それが自分ではないと気付くじゃろう。
 仏教ではそれらと心の感覚について六の感覚器官とそれぞれの感覚について観察するようにと教えているのじゃ。
 目と目による視覚について観察する。
 耳と耳による聴覚について観察するというようにのう。
 実践あるのみなのじゃ。

592避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 13:00:01 ID:ZmtoUYNs0
>>591
鬼和尚さん、ありがとうございます。

さらに教えてください。
とくに触覚の観察方法についてなのですが、例えば、手を動かして、物に触った時、その感覚はどう観察すれば良いですか?
触った時、同時に自分が存在していると感じるのですが、触った瞬間に感じることを詳しく観察すれば良いのでしょうか?
どうすれば、物に触った感覚と自分の存在を切り離すことができますか?

593避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 17:06:12 ID:czRftzgI0
身体の乖離は手を手と認識しないことなのか手を自分のものと認識しないことなのかどちらですか?
考えているうちにわからなくなりました。

594としぼっくり:2017/03/31(金) 21:34:52 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
瞑想の時間は、出来る範囲で良いのでしょうか?

数息観は20分ぐらいで良いのでしょうか?

595鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/31(金) 21:45:39 ID:1d4drIFg0
>>592 者に触ったら物に触ったと観察すればよいのじゃ。
 触らなくなったら触らなくなったとありのままに観察するのじゃ。
 感じることがあればそれもありのままに観察すればよいのじゃ。
 切り離さなくてよいのじゃ。
 触ったときに自分の存在を感じるとありのままに観察するのじゃ。
 そうすれば自分の存在は自然に厭離されるのじゃ。
 切り離そうとか、切り離さなくてはならないとか、そのように思っていると観察は不完全になり、厭離も起こらないのじゃ。
 自分が感じられるのならばそれら全てをありのままに観察するのじゃ。

>>593 おぬしが感じられるままなのじゃ。
 手を手と認識しなくなったならばそれでよいのじゃ。
 手を自分のものと感じられなくなったならばそれでも善いのじゃ。
 変容は考えるのではなく感じるものじゃ。
 観察によって明らかに変化が起こったと感じるならば更に続けて行うのみなのじゃ。
 
>>594 そうじゃ、出来る範囲でよいのじゃ。
 20分でもよいのじゃ。
 毎日続けられる範囲で行うのが善いのじゃ。

596としぼっくり:2017/03/31(金) 21:55:29 ID:DAY232aw0
すいません。ありがとうございます。

597避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 23:08:59 ID:9XP4Lp720
>>595
鬼和尚さん、ありがとうございます。
物に触った時に自分の存在を感じることも、そのまま観察していれば良いのですね。
私は触覚に自我をとても投影しているようなので、厭離されるのには時間がかかりそうですが、正しい観察の方法がわかって良かったです。
ありがとうございました。

598としぼっくり:2017/04/01(土) 07:51:05 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
1.自我に気付くと言う目的が無いと、自分とは何かを観察していても、自我に気づかないのでしょうか?

2.自分とは何かを観察していたら、自分を追求している事になるのでしょうか?

599避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 15:35:41 ID:Dp/qMVVc0
鬼和尚、
相応部経典22の「花の香りのごとし」- 無我 についてお教えください。
病床の比丘ケーマという方が、下記のように我ありと主張したもので、多くの比丘たちを承服せしめたとあります。

 「友よ、わたしが <我あり>というのは、肉体が我であるというのではない。わたしの感覚や意識をさしていうのでもない。あるいは、それらを離れて、別に我があるというのでもない。
 友よ、それは例えば パードンマやプンダリケの花の香りのごときものなのである。もし人あって、弁に香りがあるといったら、正しいだろうか? また茎に香りがあるといったら、正しいだろうか? あるいは、蕊に香りがあるといっても、正しくないだろう。
 それはやはり、花に香りがあるといわねばなるまい。それと同じように、肉体が我であると考えてはならない。感覚、意識が我であるといってもあたらない。あるいは、それらを離れて、別に我の本質があるわけでもない。わたしは、それらの統一態において<我あり>というのである。」

サマーディの時は、どこにも主体の感覚も自分のイメージも無いので、本来我は無いのかと思いつつも、非瞑想時の感覚では上記の見解がしっくりくるようにも思えます。
上記の経に関してどのように自己の追求に役立てたら良いのか、あるいは捨ててよいものなのかどうかを知りたいです。

600避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 19:00:52 ID:czRftzgI0
>>593
なるほど自分のやりやすい方でやればいいのですね。
ありがとうございました

ところで鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実の鬼和尚は和尚さんですか?

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/01(土) 21:33:50 ID:1d4drIFg0
>>596 どういたしまして、またおいでなさい。

>>597 そうじゃ、ありのままを観るのじゃ。
 またおいでなさい。

>>598 1自分とは何かを観察していれば自我に気付くじゃろう。
 自我とは自分という観念であるからのう。

 2 なるじゃろう。
  何かと観察することが追求することであるからのう。

>>599 それはその比丘がそれらの統一態を自分と思っていたと気付いたということなのじゃ。
 そうであるからみんな納得したのじゃ。
 参考にはなるが、自ら気付かなければ意味はないのじゃ。

>>600 そうじゃ、わしなのじゃ。

602としぼっくり:2017/04/01(土) 22:09:38 ID:DAY232aw0
いつもありがとうございます。
自分の本心を観察して、自分とは何か観察して行こうと思います。

603としぼっくり:2017/04/02(日) 12:24:01 ID:DAY232aw0
お礼に続けて大変申し訳無いですが、
自分とは何かを観察する時、自我に気付くと言う目的を持っていた方が良いのでしょうか?
いつも沢山の質問申し訳無いです。

604避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 14:06:07 ID:DIiPmWc60
先日はご指導ありがとうございました。

観察についてですが、自分なりに工夫しております。

まず、観察を深く行うために辛い過去の出来事の時の感情を1つだけ思い出して
他のことの連想を禁止しています。

次に、辛い過去の出来事の時の感情を思い出そうとすると、純正な感情を
思い出す前に、辛い目にあった記憶に基づく認識を先に思い出してしまいます。
これに絡み取られると怒髪天を突くように怒りの感情に絡み取られるので、
これを純正な感情と区別して、自分の認識がこれに入り込まないようにします。

このようにして、余計なものを省いて取り出した純粋な感情を自分なりの方法で
観察しているつもりです。ここでいう観察とは、観察というよりはむしろ、感じると
いう方が適当な感覚で、胸から湧き出てきた気持ちをそのまま感じ取っています。

いわゆるゴエンカ式でいう、「ラベリング」は、感情は極めて微妙なため、
言葉によるラベリングがずばりと当てはまることが困難なため、鬼和尚さんは
必ずしも肯定されていないようなので、行っておりません。

また、純正な感情を感じる前に、しばしば記憶に基づく認識が強すぎる場合
があるので、これが自然に消えない場合は、これをこの方法で観察しています。

しかし、観察によって感じる感情は、自己否定的な感情ばかりです。これが新た
な記憶による認識として生み出され、増幅されてしまいます。

理論的には、私が行う仕事は純正な感情の観察だけですので、記憶による認識
の増幅は独立しているようにも思います。しかし、記憶による認識の増幅は、
これと純正な感情との区別を困難とするのでやはり問題です。

そこで、純正な感情の観察の副産物である否定的な感情が、記憶による認識
の増幅の原料にならないように、慈悲の心を持てるような対象を探して慈悲を
実践しています。

自分なりに方法を探究しているとこの方法にたどり着いたのですが、
これで良いのでしょうか。

605避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 17:51:26 ID:Dp/qMVVc0
>>601
なるほど、その比丘が何を自分と思っていたかに気づいたということなのですか。
ということは、それを思想とか我ありとの主張だと解釈するのが間違いで、観察例の参考として捉えれば良いということですね。
思考や感情などの1機能だけでなく、統一態を自分と思い込んでいる可能性もあるということが分かりましたが、囚われずに励もうと思います。
ありがとうございました。

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/02(日) 22:17:06 ID:1d4drIFg0
>>602>>603 そのような目的はないほうがよいのじゃ。
 
 目的を持てば観念を作り出してしまうかもしれんのじゃ。
 自我はただひたすらに観察して気付くものであるからのう。
 何度でも訊くとよいのじゃ。

>>604 自分がやり易い方法でよいのじゃ。
 続けてみて進んでいくところまで行くのじゃ。
 行けなくなったら別の方法を試してみると善いのじゃ。
 そのようにして進歩していくのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 
>>605 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

607としぼっくり:2017/04/02(日) 22:27:37 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察続けて行こう思います。
また聞く時が度々あると思いますが、よろしくお願いします。

608604:2017/04/02(日) 23:10:04 ID:DIiPmWc60
度重なるご指導ありがとうございます。

了解いたしました。

ご指導の通り、自分の方法で行けるところまで行ってみようと思います。

609鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/03(月) 21:08:58 ID:1d4drIFg0
>>607 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>608 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

610としぼっくり:2017/04/04(火) 17:39:21 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さんは、悟りを得た時、
瞑想どれくらいしていたんですか?

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/04(火) 20:43:44 ID:1d4drIFg0
>>610 時間は測っていなかったのじゃ。
 好きなだけ瞑想していたのじゃ。
 あとは経を読んでいたのじゃ。

612としぼっくり:2017/04/04(火) 21:07:28 ID:6PXnZyyc0
参考になりました。
ありがとうございます。

613としぼっくり:2017/04/04(火) 21:29:44 ID:6PXnZyyc0
お礼に続けて申し訳無いですが、
鬼和尚さんは、何年くらい修行して悟りを得たのですか?

614鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/05(水) 21:08:15 ID:1d4drIFg0
>>612>>613 それも特にこの日から修行しようと決めたわけではないからわからんのじゃ。
 大体十年ぐらいじゃろう。

615としぼっくり:2017/04/06(木) 01:41:33 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さんでも十年かかったんですね。
色々教えて頂きありがとうございます。
これからより精進して行こうと思います。

616避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 17:25:51 ID:4zOm3em.0
鬼和尚、こんにちは。

密教について質問です。
あまり深いところはわからないのですが、密教って現世利益的ですよね。
これと悟りがどう繋がるのか不思議です。
そもそも密教自体、悟りとは関係ないのでしょうか。

時代を経るにしたがってただのおまじないになってしまったのか、それとも現世利益によって悟り的に得るものがあるのか。
鬼和尚は密教についてどのようにお考えでしょうか。

617避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 20:12:49 ID:2mjcL8.g0
鬼和尚さん、逃避や執着がなくなればなくなるほど、集中力が身につきますか?
それとも、集中力はそういうこととは無関係ですか?

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/06(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>615 そうじゃ、精進あるのみのじゃ。
 またおいでなさい。

>>616 密教は神仏との一体化を修行する体系なのじゃ。
 その素質のあるものには速やかにサマーディに至れるのじゃ。
 空海とかもそうだったのじゃ。
 真摯に悟りを目指せばそれでも悟りを得られるものじゃ。
 チベットのミラレパなどは密教で悟りを得たのじゃ。
 
>>617 それらは無いほうがよいが集中力とはあまり関係はないのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想によって集中力は身につくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

619避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:17:05 ID:VfhJ5ipQ0
>>618
集中力とそれらはあまり関係ないのですね。意外でした。
集中の瞑想がんばります。
ありがとうございます。

620避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:19:58 ID:2jxVV.kg0
神仏と一体化することで悟りを得られるとは、観察とは丸っきりアプローチが違うので想像もつきませんね笑

ミラレパの名前は聞いたことがありましたが、どんな人なのかは知りませんでした。
今調べてみたのですが、神通力を駆使できたようですね。

自分というものの仕組みを知り、現実という夢を夢と見破り明晰夢を自由自在に操っているかのようです。
夢を操り、夢から抜け出した先に悟りがあるのかなと考えましたが、悟りにも様々な方法があるんですね。
ありがとうございました。

621避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:59:06 ID:Rf3lgZfw0
和尚、もう一人の自分が感情に右往左往してる自分自身に気づいて、慌てながらも落ち着いてるような状態って、言うなれば何でしょうか。その状態をいう適切な熟語ありますか?

622鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/07(金) 21:09:09 ID:1d4drIFg0
>>619 そうじゃ、集中とは関係ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>620 そうじゃ、道はいろいろあるものじゃ。 
 自分にあった道を探すのじゃ。
 またおいでなさい。

>>621 乖離とか客観視とかいわれるのう。
 他にもあるかもしれん。
 調べてみるとよいのじゃ。

623蓮恵:2017/04/07(金) 21:49:14 ID:AlNqYyjs0
止観の副産物かもしれませんが、
睡眠もいつもより少ないのに、最近元気が余っています
体を動かしたりしてもあまり疲れないのですが、元気を持て余し過ぎて気持ちが悪いです。
体を動かしたら楽になるのですが、常に運動できる環境でもないです。

和尚さまはこういう時はどのように過ごされましたか?

624避難民のマジレスさん:2017/04/08(土) 17:51:42 ID:czRftzgI0
瞑想、観察などは毎日しないといけないのでしょうか?一日でもサボると戻るのですか?
一週間に一日は休みとするのはだめなんですか?

625鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/08(土) 21:49:23 ID:1d4drIFg0
>>623 歩いているのじゃ。
 おぬしも歩くとよいのじゃ。
 散歩をしながら首の運動などもすると健康になるのじゃ。
 走ると死ぬ者も居るから歩くのが一番なのじゃ。
 
>>624 五分でも毎日やったほうがよいのじゃ。
 しかし休みたいときは休んでよいのじゃ。
 休んでいるときに気付くこともあるかもしれんからのう。
 自由なのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 09:05:10 ID:czRftzgI0
>>624
はいわかりました

627避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 12:56:08 ID:g4q.zYEA0
鬼和尚、
アートマンとブラフマンの違いを教えて下さい。

もし過去に説明されているのでしたら、どなたかリンクを教えて頂けないでしょうか。

628避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 15:47:16 ID:DeodeeNs0
>>627 鬼和尚さまのブログでアートマンの解説があり
ブラフマンについても、コメント欄の最後に書かれています。
参考にしてください。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-55.html

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:07:40 ID:1d4drIFg0
>>626 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>627 アートマンとは悟りを得るための方法なのじゃ。
 アートマンを実践してブラフマンに至るのじゃ。
 月と月をさす指のようなものじゃ。
 最後には全てが一つと知れるのじゃ。

630鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:08:17 ID:1d4drIFg0
>>628 ご苦労さんなのじゃ。

631避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:46:12 ID:sRbApLlI0
>>628
ありがとうございます!
すでにしっかり説明されてますね。
じっくり読んでみます。

632避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:54:31 ID:sRbApLlI0
鬼和尚、ありがとうございます。

鬼和尚の説法で面白いところは、普段真理とされているものが実は悟りへの技術だったというところです。
縁起もそうですが、真我、アートマンもそうだったとは…。

そのように観想することにより悟りを起こすということですよね。

では、私とは一体何なのでしょうか?
やはり一人の人間なのでしょうか。
私も様々な気づきを経て、今は自分とは意識のようなものと捉えておりますが、これさえも観想のように思えてきました。


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