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鬼和尚に聞いてみるスレ part7
806
:
としぼっくり
:2016/10/27(木) 21:59:26 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、色々質問をしてすいません。ありがとうございます。修業頑張ってやっていこうと思います。
807
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/28(金) 14:43:47 ID:F94Dwr060
最近、ノンデュアリティの本でよく聞く「条件付けを手放す」ってことは必要ですか?
「条件付け」って言い悪いの観念とか何らかの執着ですよね、でもそれって自我と認識が
それらを生み出しているから自我と認識さえ滅してしまえば「条件付けを手放す」っていう
作業をまた別に行う必要性はないんじゃないですか?
808
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/10/28(金) 20:32:27 ID:30Lz1sus0
>>806
ここで何でも聞いてよいのじゃ。
そのためのスケであるからのう。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>807
そうじゃ、いらないのじゃ。
そもそも自分の条件付けがどのようなものであるかわからなければ何にもならないのじゃ。
そして自らの本心を観察することにより、条件付けに気付けばそれは滅するのじゃ。
観察によって気付き、自己同一化がなくなるからのう。
更に手放す必要も無いのじゃ。
809
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/28(金) 22:18:57 ID:F94Dwr060
>>808
そういえば、以前にもこれに似た質問を鬼和尚にした気がします、二度も教えていただき、すいませんでした。
条件付けに関しては今までずっと内観して出してきたので中心的な
条件付けについては一通り出し切った感があるんですが、鬼和尚の
教えの理論でいくと、認識を滅した瞬間すべての観念から離れられる、
とおっしゃっていますから(そしてその中には全ての条件付けも含まれていると思いますが)
それを聞いた時は自分のやってきた努力が水の泡のように消えてしまった感覚を味わい、正直
ショックでした。
上に書いたように認識を滅したらすべての条件付け、観念が消えるならば
植えつけられた条件付けを一つ一つ手放す必要がある、と教えるノンデュアリティのティーチャーたちは
全く見当外れのことを教えているということでしょうか?
もしそうなら、それはあまりにも過激で衝撃的なことだと思いますが…
810
:
としぼっくり
:2016/10/29(土) 01:06:00 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、ありがとうございます。いっぱい質問して申し訳無いのですが、自分を追求して観察して見たところ、自分は存在していないと思った?気づいた?のですが自分は存在していないのでしょうか?
811
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/10/29(土) 22:14:53 ID:30Lz1sus0
>>809
そうじゃ、何の意味もないのじゃ。
ただ自らの本心を観察すれば全ては明らかになるのじゃ。
そして悟りも向こうから訪れるのじゃ。
迷わず精進あるのみなのじゃ。
>>810
本当に気付いたならばわしに聞く必要も無いのじゃ。
自らの真実を自分に証明したのであるからのう。
そのように思っているだけかもしれん。
自分がないということを知識として記憶し、投射しているだけかもしれん。
更に深く本心を観察してみるのじゃ。
そうすれば誰に聞く必要も無い真実が厳然として現れるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
812
:
としぼっくり
:2016/10/29(土) 23:18:42 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。精進します。
813
:
としぼっくり
:2016/10/30(日) 03:13:34 ID:jGbOOhtA0
鬼和尚さん、修業の邪魔にならない程度に運動をしたいと思っているのですが、どのような運動がよろしいでしょうか?
814
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/30(日) 11:07:21 ID:F94Dwr060
>>811
であれば、植えつけられた条件付けを一つ一つ手放す必要がある、と教えるノンデュアリティのティーチャーたち
はなぜそんな風に教えるかというとその理由は、彼らが皆、認識をも滅する必要がある、ということを
認識していない、要するに見逃しているからですか?
815
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/10/30(日) 21:43:33 ID:beyRyZM20
>>812
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>813
散歩とか気功法とかヨーガなどをするとよいのじゃ。
健康になるのじゃ。
肉体が健康ならば修業も進んでいくのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>814
そうじゃろう。
自分でも知らないことを教えているのじゃ。
愚かなことじゃ。
816
:
としぼっくり
:2016/10/30(日) 22:44:29 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。試しに図書館で気功法の本借りて見ます。
817
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/31(月) 03:01:48 ID:F94Dwr060
>>815
少し衝撃的ですね、公の場所で認識を滅したら良い、ということが現状では
なかなか話されてはいなさそうですものね、もしもっとそういうことを大勢の人々が認知したら
また違った話になってくるとは思いますが、
ありがとうございました。
818
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/31(月) 19:36:56 ID:t8PlW.qA0
鬼和尚さん
自分を観察していたのですが、普段は自分というものが幻想の積み重ねでできているに過ぎないということを、ぼんやりとわかっているのですが、
目の前に他人がいるようなときは、そういう感覚が吹っ飛んでしまいます。
攻撃されたり、領域を侵犯されると"自分"という感じのものが一気に現れてきます。
怒りや不安を感じる主体みたいなものです。
これはなぜなのでしょうか?
そして、少し経つとそれは消えるのですが、その時に生じた"これが自分だ"という感覚が記憶として残ります。
これが自分だと思う、この記憶を厭離するには、どうしたら良いのでしょうか?
数息観で集中力がつけば、怒っているようなときも、それが自分ではないことが感じ取れるようになるのですか?
819
:
避難民のマジレスさん
:2016/10/31(月) 21:26:10 ID:Xks1N9tM0
上の方に便乗する形で恐れ入ります。
イライラして怒っている時、自分が自分ではないように気付きながらも、怒ることを止められず、人を口撃してしまうことがあります。
どうすれば、自分自身の意識に戻れるでしょうか。
820
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/10/31(月) 21:38:42 ID:beyRyZM20
>>816
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>817
そうじゃ、真実は常に賢い者にしかわからないのじゃ。
またおいでなさい。
>>818
それは今までの習慣から起こるのじゃ。
自分があるという観念から攻撃とか守ろうとかの観念が起こり、反応も起こるのじゃ。
そのような反応から起こる自分というものを観察するのじゃ。
反応が無ければ自分という感覚も無いと観察するのじゃ。
それが出来れば消えるじゃろう。
821
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/10/31(月) 22:21:54 ID:beyRyZM20
>>819
それもただ反応していることを観察するのじゃ。
観察している意識が勝れば感情に巻き込まれることも無いのじゃ。
数息観などを日ごろからしていれば感情にも囚われないのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
822
:
蓮恵
:2016/10/31(月) 23:51:50 ID:syhW856.0
グルジェフが、
すべては自動的にに起こる、と言っており、
「人間の反応(感情、思念、動作等)の」すべては自動的に起きるという風に解釈しておりまして、少しずつ体感しております。
823
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/01(火) 02:46:35 ID:F94Dwr060
鬼和尚は小悟と大悟を無我、無認識によって区別していますが、その小悟と大悟の区別は
鬼和尚オリジナルのものですか?
確か禅にも小悟と大悟という言葉があった気がするんですが禅が言う小悟と
大悟も無我、無認識という基準によって区別されているんでしょうか?
824
:
819
:2016/11/01(火) 05:49:59 ID:msHPM8QE0
>>821
ありがとうございます。
数息観を行うことで、自分の感情に気付きやすくなり、気付くことで思わなくなる、
そのような感じになるのでしょうか。
825
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/01(火) 20:55:28 ID:izxhxeRQ0
>>820
鬼和尚さん、ありがとうございます。
反応がなければ自分もないことはわかりました。
それで自分をまた観察してみましたが、何かが起こってからそれに自分が反応するまでが1秒くらいしかなくて、
さらに、とても自然に反応してしまうので、反応しない状態が想像しにくいです。
観念から消せばいいかとも思いましたが、こういう時はこうして自分を守ろうとか、こういう時はこうなってしまいそうで不安だとか、そういう観念は根深いというか、漠然としている感じで、うまく観念を消せません。
どうしたらいいしょうか?
826
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/01(火) 21:53:47 ID:beyRyZM20
>>822
そうじゃ、全ての反応は自動的に起こるのじゃ。
自我は主体ですらないのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>823
それは元々禅の研究によるものなのじゃ。
オショーがそれを教えていたのじゃ。
わしも自らの経験と観察によって確めたのじゃ。
禅ではそれほど厳密に決められていないのじゃ。
理論を立て宗派ではないからのう。
>>824
そうじゃ、それも自分の心をコントロールできるからなのじゃ。
集中力が高まれば心も自在なのじゃ。
実践にょって確めるのじゃ。
>>825
それには原因が無ければ反応も無いことを観察するのじゃ。
反応が無ければ自分も無いと更に続いていくのが縁起の観察なのじゃ。
実践すれば大いに利益があるじゃろう。
数息観もやってみるのじゃ。
感情に巻き込まれないで観察できるようになるじゃろう。
827
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 06:00:46 ID:NDykBkU20
鬼和尚
自我が生ずるとき、必ず他我がありますね。
例えば、鬼和尚に意識を向けると、鬼和尚に相対する私が生まれる。
親を思うと、子としての我が生じるし、弟を思うと、兄としての自分が生ずる。
スリッパに意識を向けると、それを履く私が生まれる。
コップに意識を向けると、それを飲む私が生まれる。
部屋に意識を向けると、住んでいる私が生まれる。
逆に言えば、何かに意識を向けなければ(思考しなければ)、私は生まれない。
私が生まれなければ、私をどうすると言う悩みも生じない。
828
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 07:35:46 ID:F94Dwr060
>>826
823です、ということは小悟と大悟という言葉の区別の基準として無我か無認識か
という基準により区別しているのは鬼和尚のオリジナルであり、禅では
小悟と大悟という言葉については特に厳密な何らかの区別の基準が
あるわけではない、ということですか?
829
:
824
:2016/11/02(水) 12:06:31 ID:TdSF9Gu60
ありがとうございます。
数息観を継続してみます。
830
:
としぼっくり
:2016/11/02(水) 16:22:11 ID:bnbJ4y8w0
鬼和尚さん質問ですが、ブログでは見たんですが、観照は無意識に起こるものなんですか?それとも起こりそうな気配、予兆などがあるものなんですか?
831
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 19:06:16 ID:NDykBkU20
ちょっと疑問なんですが、『鬼和尚の仏教勉強会』の紙版の印税は、誰に入っているんですか?
832
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 19:09:41 ID:NDykBkU20
印税と言うか、私が『鬼和尚の仏教・・』の紙の書籍を購入すると、鬼和尚の収入になるのか?
それとも、編集した人?の収入になっているのだろうか。
833
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/02(水) 20:52:00 ID:beyRyZM20
>>827
そうじゃ、自他の区別をするのが分別なのじゃ。
更に観察あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>828
そうじゃ、禅では言葉による分別のあるなしを基準としているだけなのじゃ。
それを試すのが公案とかなのじゃ。
言葉による観念にひっかからなければ大悟徹底としているのじゃ。
>>829
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>830
無意識に起こるのじゃ。
意識すれば自我が起こる故にできないのじゃ。
無意識の観察が自我に及べば自然に起こるのじゃ。
>>831
>>832
わしには入らんのじゃ。
有志が実費で出しているというのじゃ。
わしのブログはフリーであるから誰でも出版できるのじゃ。
おぬしも出してよいのじゃ。
834
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 20:52:56 ID:l0xJAHYA0
>>831
>>832
本を編集してくださった方は、自分に印税は入らないように価格設定してくださったとのレスがありますよ。
320pの製本価格が税抜で1740円なので、それに消費税がかかって、1880円に設定されているのだと思います。
https://support.bccks.jp/spec/paperbcck/pricelist_paperbcck/
以下は、鬼和尚に聞いてみるスレPart3の834のレスのコピーです。
鬼和尚さんとのやり取りもその辺りにありますので確認されたら良いと思います。
「834 696 sage 2014/07/07(月) 20:51:34 ID:E6b4s/gc0
鬼和尚説法集1の改訂版をアップロードしました。
http://www.byard.jp/book/detail_content.html?CONTENTS_ID=00000285
改訂にご協力くださり、ありがとうございました。
次の予定として、「鬼和尚の仏教勉強会」を電子書籍化する予定です。
それで鬼和尚にお伺いしたいのですが、
http://bccks.jp
のオンデマンド印刷サービスを利用可能にして、紙の本も手に入れられるようにしても良いでしょうか?
私自身は印税を0円に設定して金銭的利益は受けません。
ただ、紙の本(320ページ)を1冊注文するのに1740円かかってしまい、法を売ってはならないという教えを(出版社が)間接的に破ってしまいます。」
835
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/02(水) 21:01:27 ID:l0xJAHYA0
>>826
鬼和尚さんにお礼を書こうとして一足遅れました。
ありがとうございました。
まだ私には集中力が足りないので、反応の原因を観察することがまだできないようです。
もう少し数息観をやって、集中力アップを目指したいと思います。
いつも寝る前に数息観をしようとして、疲れて寝てしまうことが多いのです。
なので、あまり本格的にはできませんが仕事の合間の休み時間に息を数えるみたいなことをやってみます。
それ以外にも何か工夫してみます。
836
:
としぼっくり
:2016/11/02(水) 21:39:13 ID:o86Ajnps0
いつもありがとうございます。観察を続けていきます。
837
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/03(木) 02:57:33 ID:Xe49eaXE0
鬼和尚。生きながら別の肉体に憑依したり、未来や過去にタイムスリップしたりと言うことはあり得るのでしょうか?
過去の人物を呼び出したり(イタコ現象)、悪霊や天使のような存在や、失われた古代文明などについて、ご意見をうかがわせて下さい
838
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/03(木) 09:29:12 ID:OLxRf2pM0
金運を上げるには善事のほかに何か役立つものがありますか?
イメージトレーニングやお金の使い方や金運アップの方法が何か
あれば教えてください
839
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/03(木) 11:54:31 ID:F94Dwr060
>>833
>>828
です、ということは禅では、
言葉による観念の引っかかりがない=大悟
言葉による観念の引っかかりがある=小悟
という感じで区別されている、ということでしょうか
840
:
としぼっくり
:2016/11/03(木) 19:34:13 ID:2FIMjd/k0
鬼和尚さん、いっぱい質問をしてすいません。質問ですが、観照を起こしやくするにはどうしたらいいですか?
841
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/03(木) 20:19:57 ID:pYHvbEpo0
>>835
そうじゃ、いろいろ試してみるとよいのじゃ。
またおいでなさい。
>>836
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>837
そのようなことも観念によるもののみなのじゃ。
それが観念によってあると思えばあることになるのじゃ。
全てはおぬしの心が作り出しているのであるからのう。
>>838
金運をもたらすものは人なのじゃ。
人を大事にすれば金運も上がるのじゃ。
無財の七施なども人に対するものなのじゃ。
それを心がけて実践するとよいのじゃ。
>>839
そうじゃ、公案の例なども言葉による引っ掛けにかからなければ大悟と認めているのじゃ。
観念のあるなしを観ているのじゃ。
無我でもまだ観念はあるからのう。
大悟徹底すれば観念は無くなり、言葉にも囚われなくなるのじゃ。
>>840
それには自らの心身を次々に観ていけばよいのじゃ。
身体の各部を観察し、五感と心の働きを全て観察すれば自我も観られるのじゃ。
特に自分が観察するのに抵抗がある所にこそ、自我はあるじゃろう。
それを特に注意して観察するのじゃ。
どんどん聞くとよいのじゃ。
842
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/03(木) 21:03:20 ID:ZpmkW4Pk0
>>837
そのようなことも観念によるもののみなのじゃ。
それが観念によってあると思えばあることになるのじゃ。
全てはおぬしの心が作り出しているのであるからのう。
>>838
金運をもたらすものは人なのじゃ。
人を大事にすれば金運も上がるのじゃ。
無財の七施なども人に対するものなのじゃ。
それを心がけて実践するとよいのじゃ。
鬼和尚
全てが心が作り出しているならば、「人を大事にすれば金運も上がる」と言う客観的な法則も無いのではないですか
単に、そう思うからそう、と言うことになるのでは?
「人を大事にしなければ金運が上がる」と信じていれば、やはりそうなると言うことになりますよ
843
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/03(木) 21:12:17 ID:F94Dwr060
>>841
ありがとうございました。
844
:
としぼっくり
:2016/11/03(木) 21:12:23 ID:2FIMjd/k0
ありがとうございます。また聞かせてもらいます。
845
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/04(金) 12:36:55 ID:EAHKvuqQ0
金運をもたらすのは人であるということ お答えありがとうございます
無財の七施をさらに実行してみます。
846
:
としぼっくり
:2016/11/04(金) 18:56:58 ID:jGbOOhtA0
鬼和尚さん質問ですが、自分と言う観念が観られれば、観照した事になるんですか?
847
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/04(金) 21:17:29 ID:pYHvbEpo0
>>842
信じるという機能が世界を創っているのではないのじゃ。
信じただけでは世界は変らないのじゃ。
認識が観念世界を作っているのじゃ。
それは自他を一つと認識する故に人にしたことは己に返るのじゃ。
>>843
どういたしまして、またおいでなさい。
>>844
どういたしまして、またおいでなさい。
>>845
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>846
そうじゃ、自我は観られることによって主体ではなく、客体であり、観念であったと気付いて厭離されるのじゃ。
その気付きを観照と呼ぶのじゃ。
気付く対象が自我であるだけで気付くことは同じなのじゃ。
848
:
としぼっくり
:2016/11/04(金) 21:33:23 ID:o86Ajnps0
ありがとうございます。質問ですが自分とは何かに気付けば、観照は起こるんですか?
849
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/05(土) 18:01:13 ID:a0s3bIzc0
鬼和尚の趣味は何ですか?
850
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/05(土) 18:50:57 ID:Y.WNplnc0
多く"気づき"などとと訳されてる"sati"を鬼和尚流に訳すと何になりますか?
あと、鬼和尚が悟ったのは春夏秋冬どの季節でしたか?
851
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/05(土) 20:38:31 ID:vC.wpFZM0
特に、人生に苦しみを感じないのですが、これ以上修行する意味がありますか?
852
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/05(土) 20:47:58 ID:pYHvbEpo0
>>848
そうじゃ、起こるじゃろう。
起こらなければただ観念の妄想を観ただけなのじゃ。
自らの本心を観続けるのじゃ。
>>849
特に無いのじゃ。
強いて言えば経を読むことなのじゃ。
>>850
気付きでよいのじゃ。
あまり言葉を多くすると混乱するからのう。
いつであったかまるで覚えていないのじゃ。
言葉も忘れる位であるからのう。
もはや季節も無いのじゃ。
>>851
今は苦がなくともいずれ老病死の苦があると知るならば。更に修行をするとよいのじゃ。
先のことについて予め備えておけばその時に苦しまなくてすむのじゃ。
それが賢い者の道なのじゃ。
一切の苦を滅して永遠に安楽になると良いのじゃ。
853
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/05(土) 20:54:21 ID:Y.WNplnc0
>>852
ありがとうございました
854
:
としぼっくり
:2016/11/05(土) 21:34:09 ID:e3FcqxaA0
ありがとうございます。修業に励ましてもらいます。
855
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/05(土) 21:50:50 ID:vC.wpFZM0
>>852
老病死の苦も無いのですが、これ以上にすることはあるのでしょうか
856
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/06(日) 10:25:01 ID:czRftzgI0
サマーディーについて質問させてください
正しく座り、頭の中を空にするとサマーディーに入れるのですか?
サマーディーに入ると何か知恵みたいなものが浮かんでくるのですか?
サマーディーに達すると悟りの50%くらいに達したと考えていいのですか?
857
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/06(日) 16:42:17 ID:3eqwBQd.0
鬼和尚さん、こんにちは。
豊かさについて考えていて、あらゆるものが自分を豊かにしてくれるのではないかと気づいて
それでそのときなんか満たされていて自然に涙が出ました。
ところがまだ先がある、これで完全なものじゃないなと感じて
また時間がたったら満たされて感じがどこかにいってしまいました。
なんというか、もしあらゆるものがなかったらそのときは豊かじゃないのか?とか
自分が持っている所有している、いないだという感覚とか
これは豊かにしてくれるけどあれは豊かにしてくれないみたいなのとか
そういうところに鍵があるのかなと思います。
あらゆるものが自分を豊かにしてくれると最初に考えましたが
豊かというより幸福か満たしているのほうが近いのじゃないかとか
自分に限定するよりあらゆるものがあらゆるものを、と考えたほうがいいのじゃないかと
いろいろ考えますが、どうも最初に得た満たされた感覚みたいなものに近づけません。
このような豊かさに関してどのように考えるのがよくて
またどのようにすることでその感覚を常に得ることができるでしょうか?
よろしくお願いします。
858
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/06(日) 20:02:09 ID:joju1X.20
窮屈な講演会などで全く他人の隣の人が気になって講演に集中ができません。
どうすれば講演者のお話に集中できるようになれるでしょうか。
859
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/06(日) 21:10:17 ID:pYHvbEpo0
>>853
どういたしまして、またおいでなさい。
>>854
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>855
それがただ観念のみではないか確めてみるのじゃ。
実際に風邪を引いた位でもかなり苦しいかもしれん。
老いたり死に瀕すればやはり苦しいかもしれん。
それを確めてみるのじゃ。
>>856
姿勢を正しくしただけでもサマーディに入れるじゃろう。
思考は自然に停止するのじゃ。
智慧もまたわくじゃろう。
それによっては悟りに近くならないのじゃ。
ただの道具なのじゃ。
サマーディに入って自分の本心を観察できれば悟りも早いじゃろう。
本心を観ようとしないならば悟りは少しも近くならないのじゃ。
例えば車を手に入れて目的地に行くようなものじゃ。
サマーデイは車に乗ったように速やかに人を悟りという目的地に連れて行けるが、
悟りという目的地に行こうとしないならば少しも近くならないのじゃ。
>>857
何も考えなくてよいのじゃ。
それも観念であるからのう。
豊かさについて何の観念も無ければ惑わされないのじゃ。
>>858
数息観などの集中力を養う修業をするとよいのじゃ。
もはや他人に惑わされなくなるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
860
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 00:14:18 ID:o53.qpeA0
>>800
いつもありがとうございます。
腹式呼吸は、吸うときお腹を膨らませるが順式、吸うとき凹ませるのが逆式とのことです。
吸うとき肛門を締めると、逆式になるようです。
数息観では、逆式の腹式呼吸がおすすめということで正しいでしょうか?
861
:
としぼっくり
:2016/11/07(月) 01:50:38 ID:Z/zuQ/I60
鬼和尚さん質問ですが、自らの心身を次々に観ていくのと、自分とは何かを追求して観察するのでは、どちらの方が観照が起こりやすいですか?それと自らの心身を次々に観察して自我に気付いたら観照ですか?
862
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 08:30:36 ID:vC.wpFZM0
鬼和尚
癌を宣告されたらと想定しましたが、まったく苦しみを感じませんし
老いぼれたらと観想しても、特に苦しみが生じないし、
明日死ぬとしても、苦しくないのですが
何か修行する必要があるのでしょうか?
863
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 17:00:06 ID:F94Dwr060
鬼和尚は猫背ですか?
864
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 17:30:46 ID:czRftzgI0
>>856
大変わかりやすい説明ありがとうございました
サマーディをツールにして悟りを目指したいと思います
865
:
857
:2016/11/07(月) 19:43:21 ID:3eqwBQd.0
>>859
鬼和尚さん、こんばんは。
こうなんだかとってもいいかんじがしたのですが
それも概念でどこにもないものなんでしょうか?
そのかんじは概念にとらわれず、何も考えなければ
自然にそれはあるということでしょうか?
よろしくお願いします。
866
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 20:06:42 ID:kbrYSHvs0
鬼和尚さん
何となく数息観のコツが掴めた気がするのですが、これでも合っていますか?
・今までは、雑念に巻き込まれないようにするために、なるべく雑念が起きないようにしていたのですが、そうではなくて雑念のことは気にしないで、とにかくリラックスすることにしました。
・息を長く吐くことは考えずに、無意識の時にやっている呼吸が再現されているようにしてみました。
今までは、意識すると呼吸のリズムがわからなくなるので、息を数えるというよりは数を数えるのに合わせて深めの呼吸をしていました。
でも、それはやめて、意識している時もできるだけ無意識の時と同じように呼吸するようにしてみました。
そのためにも、できるだけリラックスすることにしました。
・リラックスして息を追っていると、すぐに雑念が湧いてきます。
ただし、呼吸を追いながらも、雑念も流れているのがわかるようになってきました。
今までの数息観より、コツが掴めている感じがしますが、どうでしょうか?
鬼和尚さんの教えでは息を長く吐くことを勧めているのですが、それができていないので心配です。
これでも良いでしょうか?
867
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/07(月) 20:29:03 ID:pYHvbEpo0
>>860
それはおぬしのやり易い方がよいのじゃ。
逆式でやり易いならばそれでよいのじゃ。
逆のほうがよければそれでもよいのじゃ。
全て自分に合わせるがよいのじゃ。
>>861
それはおぬしが実践してやり易い方がよいのじゃ。
法に優劣があるのではなく、人によって性質に違いがあるからさまざまな法があるのじゃ。
実践して自分にとってやり易い法を択んで続けるがよいのじゃ。
それが一番観照が起こり易いほうなのじゃ。
>>862
それは観念を観ているだけなのじゃ。
観念だけならば誰も苦は無いのじゃ。
実際に風邪にでもかかったらやはり苦しいかもしれん。
実際にあるものを観るのじゃ。
>>863
違うのじゃ。
>>864
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
868
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/07(月) 20:36:36 ID:pYHvbEpo0
>>865
瞑想や日常の中で現れる感情などに囚われてはいかんのじゃ。
それは常に生じては消えていくものであるからのう。
瞑想を続けて無我に至れば消えることの無い不動の境地に入るじゃろう。
更に認識も無くなれば永遠に苦は無く喜びの境地に入るのじゃ。
サマーディに入っただけでも喜びは尽きる事無くあり続けるじゃろう。
そうであるから修業の途中に現れるものに囚われずに進むのじゃ。
>>866
それでよいのじゃ。
日々続ければ更に思考と離れていくじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
869
:
858
:2016/11/07(月) 20:52:02 ID:ZtfpetOc0
>>859
ありがとうございました。
870
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 21:13:21 ID:H05kFojI0
昔に比べれば実際に老いていると思うのですが、特に苦はないですし、風邪引いても苦しいと思った事もないですよ。
何か修行をする必要があるでしょうか?
871
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 21:17:46 ID:H05kFojI0
観念だと言うならば、「風邪を引いた」と言うこと自体が観念でしょう。
風邪を引くと言うことも失業も、倒産も、老いも死もすべて観念ゆえに、観念を見ている私には苦が生じないのです。
872
:
としぼっくり
:2016/11/07(月) 21:28:02 ID:KA4WiNrc0
ありがとうございます。自我に気付けば、観照ですか?
873
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/07(月) 23:39:33 ID:F94Dwr060
猫背じゃないんですね、鬼和尚はパソコンの前に座る際の椅子はどんな
ものを使っていますか?
座椅子ですか、アームチェアですか? 私はどうしても椅子に寄りかかると
猫背に戻ってしまうんですけど、鬼和尚は椅子に寄りかかっても姿勢は正しいまま
維持できますか?
874
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/08(火) 00:41:02 ID:kV7xIwD.0
>>868
鬼和尚さん、ありがとうございます。
このやり方で問題がないことがわかってほっとしました。
この方法で数息観を続けてみます。
875
:
857
:2016/11/08(火) 19:20:17 ID:3eqwBQd.0
>>868
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分では方向は間違っていなかったと思いますが、どうでしょうか?
道の途中でいいものを見つけても目印とかにはなるかもしれないけど
とらわれず、励みとして進むべきなんですね。
ありがとうございました。
876
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/08(火) 21:43:25 ID:pYHvbEpo0
>>869
どういたしまして、またおいでなさい。
>>870
>>871
賢い者は予め苦があることを予想して備えるものじゃ。
苦が生じないということが観念ではないか自分の心を観察するのじゃ。
本当に何の苦もないならばわしに聞く必要も無いのじゃ。
不安があり恐れがあれば人に聞きたいと思うのじゃ。
本心を自らに現さなければ全て無意味なのじゃ。
>>872
そうじゃ、実践によって証明するのじゃ。
またおいでなさい。
>>873
床に座ったり寝たりしているのじゃ。
普通の椅子も使うのじゃ。
書く間程度ならば猫背でもよいのじゃ。
動かさないと病になるのじゃ。
猫背でも時々延ばすとよいのじゃ。
>>874
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>875
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
877
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/09(水) 12:35:20 ID:F94Dwr060
>>876
床に座ったり寝たりしながらパソコン使うんですか、珍しいですね。
私の場合、アームチェアか座椅子なんでよっかかってしまうと猫背になってしまうので
どうしようか考えていたんです。
鬼和尚の回答からいくと、鬼和尚は背もたれのある椅子に座ることは普段あまりしない、ということですか?
878
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/09(水) 20:53:07 ID:pYHvbEpo0
>>877
そうじゃ、座らないのじゃ。
正しい姿勢でも長く座っていてはいかんのじゃ。
猫背でも何分かしたら動くようにしていれば健康なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
879
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/10(木) 19:12:48 ID:F94Dwr060
>>878
ありがとうございます。とにかく何とかして猫背、治します。
880
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/10(木) 21:14:11 ID:pYHvbEpo0
>>879
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
881
:
としぼっくり
:2016/11/10(木) 22:26:50 ID:2FIMjd/k0
鬼和尚さん、すいません。質問ですが自分とは何かを追求して観察したら観照は起きますか?
882
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/11(金) 15:14:12 ID:F94Dwr060
鬼和尚が普段使っている「自我」という言葉の定義は
「これが私である、という同一化の観念」
ということでいいでしょうか?
883
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/11(金) 21:49:29 ID:pYHvbEpo0
>>881
追求だけでは無理なのじゃ。
それによって実際に自我に気付かなければならんのじゃ。
方法だけでは誰も悟りに行けないのじゃ。
方法と目的地を間違えてはいかんのじゃ。
>>882
それでよいのじゃ。
観念と実際の違いをみわけるのが観察なのじゃ。
それによって自分と思っているものが実は自分ではなかったと気付くのじゃ。
884
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/11(金) 23:33:12 ID:F94Dwr060
>>883
ありがとうございます、そうやって定義を当てはめて鬼和尚の教えを読むことにします。
それから、まだ不明瞭というか、疑問点があるんですが、鬼和尚の言う悟りへのプロセスは
まず自我を観察により厭離して無我となり→その後、それをみている認識をも観察し厭離して無認識となる→
そうすると言葉と言葉が表すもの、対象との結びつきが失われてある意味で記憶喪失に似たような
状態になり→??謎??→そして仮の認識と仮の自我により日常生活が正常に送れるようになる
という流れになると思ったのですが、仮の認識と仮の自我により日常生活を送れるようになる直前の段階、
すなわち、無認識へ至った直後の記憶喪失的な状態から具体的にどうやって復帰していくのか、という段階が
未だに不明瞭なままです。
心の準備的に少しでもそこらへんがどうなっているのか知ることができたらいざ認識を滅するところまで行っても少しだけ
心に余裕を持てるかもしれないので、できればその段階について具体的に教えていただけないでしょうか?
一応、以前にも鬼和尚に対してこれとほぼ同じ質問を別のところでさせていただたいたのですが、今一つ掴めませんでした、
よろしくお願いいたします。
885
:
としぼっくり
:2016/11/12(土) 00:29:27 ID:DAY232aw0
>>883
ありがとうございます。自我に気付く事を目的として、自分とは何かを追求して観察して行けばいいという事ですか?
886
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2016/11/12(土) 16:15:37 ID:V6BWGRTo0
鬼和尚
瞑想中に
私というものは存在しないのだから私が何かを感じたり考えたりすることはない
世間というものは存在しないのだから世間から何かを受け取ったり世間に対して何かをするということはない
過去というものは存在しないのだから過去のことについて記憶を呼び起こしたりそれについて何か思うことはない
未来というものは存在しないのだから未来に対して不安になったり希望を持ったりすることはない
などと観察していたのですが、思考の連鎖とか単なる反応が少なくなってきたような気がします。
集中による止とはまた違った感じがします。
887
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2016/11/12(土) 16:16:31 ID:V6BWGRTo0
鬼和尚
瞑想中に
「私というものは存在しないのだから
私が何かを感じたり考えたりすることはない」
「世間というものは存在しないのだから
世間から何かを受け取ったり世間に対して何かをするということはない」
「過去というものは存在しないのだから
過去のことについて記憶を呼び起こしたりそれについて何か思うことはない」
「未来というものは存在しないのだから
未来に対して不安になったり希望を持ったりすることはない」
などと観察していたのですが、
思考の連鎖とか単なる反応が少なくなってきたような気がします。
集中による止とはまた違った感じがします。
888
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2016/11/12(土) 16:18:55 ID:V6BWGRTo0
>>886
,887
書き込み時にERRORが出たので二度も書き込むことになってしまいました。
889
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/12(土) 20:41:08 ID:pYHvbEpo0
>>884
それは常に使うことが出来るものじゃ。
習慣によるものであるからのう。
例えば自動車をおりた者が又いつでも自動車に乗れるようなものじゃ。
自我を滅しても習慣によりいつでも使えるのじゃ。
>>885
そうじゃ、目的の無い手段は逆に囚われになってしまうからのう。
自我を追求するためにその方法もあるのじゃ。
実践あるりのみなのじゃ。
>>886
善いことじゃ。
更に続ければ効果もでるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
890
:
としぼっくり
:2016/11/13(日) 06:32:41 ID:DAY232aw0
>>889
鬼和尚さん、すいません。自我を追求するためにとは、自我に気付くためにということですか?
891
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/13(日) 12:13:05 ID:Hasf7zeM0
>>889
884です、そうですか、でも認識を滅した直後は
言葉と言葉が表すもの、対象との結びつきが失われるんですよね、それって一時的に
記憶喪失のような状態になるということではないんですか?
892
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/13(日) 20:59:12 ID:pYHvbEpo0
>>890
そうじゃ、気付くためなのじゃ。
しかし気付くことは意識して出来ることではないのじゃ。
観察や自分を追求して行き、結果として気付くものじゃ。
真摯に実践あるのみなのじゃ。
>>891
認識の記憶に対する依存を抜け出すだけなのじゃ。
記憶は使おうとすればいつでも使えるのじゃ。
しかし、使う意味すらも無いと知るから暫く使おうとも思わないのじゃ。
誓願とか衆生を導こうとか思えば使う気になるのじゃ。
893
:
としぼっくり
:2016/11/13(日) 21:27:27 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。真摯に実践していこうと思います。
894
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/14(月) 00:41:13 ID:o53.qpeA0
いつもありがとうございます。
鬼和尚様は、資産運用による経済的自立を推奨しておられました。
自分が本当にやりたいことをするために、
生活のために強制される仕事から、人は解放されるべきである、との趣旨と理解しています。
一方、所有は別の苦しみを生んだり、さらなる欲望を招いたりするとも言われます。
働かなくてもよくなる程度のお金や、あるいは自宅を所有することは善いことですか?
895
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/14(月) 02:14:34 ID:Hasf7zeM0
>>892
「認識の記憶に対する依存を抜け出す」とはどういうことでしょうか?
言い換えれば認識を滅すれば阿頼耶識の中のすべての観念は厭離が完了され済み、であり
それらすべての観念はそのまま残るけれども観念として思い込んでいない状態になる=記憶に対する依存がない状態(依存を抜け出した状態)
ということですか?
それから、自分がきちんと認識を滅したかどうかが判るわかりやすい指標みたいなものがあれば何点か教えてもらえると助かります、
特に認識を滅した直後の状態はどんな感じになるか、ということについてわかりやすい指標などはありますか?
896
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/14(月) 21:23:13 ID:pYHvbEpo0
>>893
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>894
善い事なのじゃ。
執着せずに所有するならば物も役に立つのじゃ。
執着があれば苦になるだけなのじゃ。
それを知って執着せずに役立てるのじゃ。
>>895
そのような理解でよいのじゃ。
実践にょって証明するのじゃ。
認識をも滅したならばもはや言葉に囚われなくなるじゃろう。
禅でも言葉による試しをしたりするのじゃ。
おぬしの悟りはまだ小悟なのじゃとかいうのじゃ。
これで小悟ならば大悟などいらないとかいうと、もはや言葉に囚われず大悟していると判定したりするのじゃ。
そのように言葉とイメージによる観念がなければ囚われず、大悟徹底なのじゃ。
897
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/14(月) 22:32:23 ID:Hasf7zeM0
>>896
ご回答ありがとうございます。
そうですか、認識を滅しても、これはパソコンであるという観念は未だ残るなら
善悪の観念も残ってしまうんでしょうか?
金持ちは良い 貧乏は悪い とか、金持ちは汚い
というような観念も残るんでしょうか?
もし上記の三つのような観念が認識を滅した瞬間に消えるのであれば、これは
パソコンであるという観念も同じように消えて、
そしたら目の前のものがパソコンであると認識することもできなくなりませんか?
898
:
蓮恵
:2016/11/15(火) 08:11:17 ID:8jCkEg8g0
和尚さま
あまり神秘的なことは申すべきではないことは承知しておりますが、敢えて
和尚さまがたしか天人だったころ、
球体の姿だったと以前どこかで書かれていたような気がしますが、玉なのか?、と不思議に思っておりました。
最近、いわゆる霊界通信的な書物を読みましたころ、天人の修行が進んだ者は、容姿への執着がなくなりやがて玉の形になる、とありまして先の内容も合点がいきました。(これは肉体への執着を亡くすヒントになるかもと思いました)
霊界通信によるめ、天人のなかでも精神統一の修行が行われているとのことでした。
精神統一が、人間のみならず、天人ですら求める物であると知り、その威力は計り知れないのだと感慨深く思いました
私は人身にあるうちに瞑想や禅に触れる機会があること、ありがたく思います
天人は神通力がありまして神通自在に生きられるでしょうが、その神通力や天界の楽への執着が消えにくいでしょう
人にはそのような神通力がないので、四苦八苦のなかで本当の意味での自在の境地を難易度はとても高いかもしれませんが、目指していけるのかと思います
899
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/15(火) 16:24:10 ID:eRmGa.Gg0
太陽凝視という行があります。
おもに日の出や日没の太陽を眺めるようですが、続けていると小食になったり、病が治り健康になったり、恐怖にとらわれ無くなるようです。
言われているように心や体を浄化する効果がありますか?
メリット、デメリットがあれば教えてください。
900
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2016/11/15(火) 18:54:45 ID:Cq/r9SkQ0
鬼和尚
身体の反応とそれに連なる思考の反応は別のものなのでしょうか。
職場で上司が部下に対して突然大声で怒鳴ったのですが、私は身体がビクッとした直後、
「またかよ」
「こっちの仕事の邪魔だよ」
などと思ったのですが
身体の反応は生き物としての自然な反応であり、良いも悪いもなくて、
その後どう思ったかというところに自我が投射されるのでしょうか。
自我が投射されなければ何も思わないのですよね。
身体の反応を滅する必要はないのですよね。
901
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/15(火) 22:22:27 ID:pYHvbEpo0
>>897
認識を滅したならば一切の観念は無くなるのじゃ。
認識が観念を創っているのであるからのう。
観念がなければそこに本当の世界が感じられるのじゃ。
あえて観念を使うこともできるのじゃ。
車に乗ったり降りたりできるようなものじゃ。
もはや自在なのじゃ。
>>898
そうじゃ、人であるうちに修行するとよいのじゃ。
やが天神も羨む永遠の安楽に至れるのじゃ。
それまで精進あるのみなのじゃ。
>>899
それは目に悪いのじゃ。
無理にやるとめがみえなくなったりするのじゃ。
石などに集中する法と効果は同じなのじゃ。
太陽の気を受けるから効果があるように見えるのじゃ。
浄化はしないのじゃ。
健康を害さないように修業するのじゃ。
>>900
そうじゃ、反応はあるのじゃ。
それに対する解釈が自我の観念なのじゃ。
よい気付きなのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
902
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/16(水) 00:14:45 ID:Hasf7zeM0
>>901
そうですか、これはパソコンである、という観念も消えるんですね、
そして認識を滅した後は言葉による囚われがなくなる、ということですが、
それだけだと少し抽象的過ぎて不安です。
認識を滅した直後は「あ、認識滅したな。」てな感じに「はっきり」とわかるものなの
でしょうか?
無我に至ったかどうかは自我に気づけているかどうかを物差しにすればよさそうだから
はっきりわかりそうですが、無認識となるときちんと厭離できたかどうか
はっきりわかるか不安です。
903
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/16(水) 21:26:32 ID:pYHvbEpo0
>>902
そうじゃ、何よりもはっきりわかるものじゃ。
もはや観念がなければ一切の苦が無く、安らぎと喜びだけがあるからのう。
なすべきことも無く、全てがひとつと感じられるのじゃ。
智慧が生じ最後の境地であると知られるのじゃ。
904
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/16(水) 23:28:25 ID:Hasf7zeM0
>>903
それはわかりやすそうですね!それなら目印として使えそうです、ありがとうございました。
それから、鬼和尚に教えてもらった縁起の法を下のサイトを参考に自分なりにやりだしたんですが、(リンクは↓)
https://sites.google.com/site/butsudonyumon/home/3
苦を滅するために12の因果関係を全て辿るって時間的に長くて大変じゃないですか?
以下、引用です。
十二縁起とは苦が生じ繰り返されるプロセスを12の因果関係で表したものです。
(引用は以上です。)出典 十二縁起/仏道入門【原始仏教】
自分としては厭離までもっていくために12もプロセスを辿るのはだいぶ長いし、難しいのでこんな感じで勝手にやっちゃっています↓
(例)自分はブサイクだということに劣等感を感じている→その苦はこの顔が自分のものであるという思いから生じる→その顔が自分のものでないのならそこに苦は生じない
みたいな感じで勝手に自己流でやっちゃっているんですが端折りすぎでしょうか?そして短すぎでしょうか?
また、観念の遊戯になっちゃまずいので因果をたどるときも単に思考で考えた言葉で答えを次々にだしていくのではなく、
実際に苦や同一化を感じているのを直接的に観察し、因果を辿っていった方がいいでしょうか?
(例)自分は死ぬのが怖い→その思いは自分が体だという思いから生じる→自分が体でないなら怖くない (完全に思考で考えを並べ立てただけ)
ではなく、
(例)誰かに認められないことが辛い→認められたいという欲求があるがゆえに苦しい→その欲求がなければ苦は生じない (直接的に順を追って観察した場合)
下の例のような感じで行った方が良いのでしょうか?
長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
905
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/17(木) 18:56:11 ID:czRftzgI0
>>天神も羨む永遠の安楽
和尚さん、これは聞き捨てならないことを聞きました。ということは天神は完全に安楽の境地にいないということですか?いまだに人の業を持っていると
悟りとは、自分の体の観念から始まり、自我の観念、さらには他人、会社、社会、制度などの観念を一つずつ観察・乖離させ、やがては全ての観念を乖離し尽くすことで自分の中に一切の観念のない(=心配事のない)究極の安楽の世界に至るということですか?
906
:
蓮恵
:2016/11/17(木) 19:11:47 ID:oU/e1Wu20
欲望が脳内によぎるのは当然ですが、
間髪いれず、その欲望を助長するような観念(自分の好み、嗜好に関する観念)に気づけば
欲望がおさまるのを感じました
欲望が生じてから観念に気づくまでの鬼のようなスピードが必要かと思いました
907
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/17(木) 21:17:17 ID:o53.qpeA0
>>896
教えていただきありがとうございました。
大いに納得はできます。が、実際にものに執着しないのは難しいです。
家を買おうとしたとき、価格にはあらかじめ掛け値がしてあると思うのですが、
そこで値引き交渉したりするのは、お金に執着していることになり、
それはしないほうがよいのでしょうか?
908
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/17(木) 21:19:21 ID:pYHvbEpo0
>>904
そうじゃ、そのように観察してよいのじゃ。
観念の遊戯にならないように常に今ここにある感覚に注意するのじゃ。
そうすれば効果はあるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>905
そうじゃ、天神もまた死の苦があるのじゃ。
死があれば死の不安や苦もありのじゃ。
自分という観念がなくなれば認識が残るのじゃ。
認識を滅すれば全ての観念も無くなるのじゃ。
一つ一つの観念を滅しなくてよいのじゃ。
>>906
よい観察なのじゃ。
心の働きはそのように素早い故に注意が必要なのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
909
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/18(金) 13:53:15 ID:Hasf7zeM0
>>908
わかりました。
鬼和尚さん、ありがとうございました。
910
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/18(金) 19:52:13 ID:xxV8EwE20
和尚さま
瞑想したり慈悲を心がけたりしていれば、
なにかとタイミングが合ってきて物事が好転するのは実際に体験しているのですが、
その理由がいまひとつわかりません。
なぜそうなっていくのでしょうか。
もしかして物理の法則のように、
欲の抵抗をなくして流れるようにしていれば
自然とうまくいくように創られているのでしょうか。
911
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/18(金) 21:05:41 ID:o53.qpeA0
>>907
追記すみません。家とは不動産屋さんが仲介する中古物件です。
912
:
蓮恵
:2016/11/18(金) 21:19:25 ID:8jCkEg8g0
和尚さま
観念とは、それがある思う時、観察さる際、その都度生じているものでしょうか?
それとも記憶やデジタルデータのように、観念も記憶されうるものでしょうか
913
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/18(金) 21:31:51 ID:pYHvbEpo0
>>907
それは執着ではないのじゃ。
普通に節約しているだけなのじゃ。
執着とは今無いものを望んだり、過去に失ったものを惜しがったりすることなのじゃ。
それは苦を生む故にやめたほうがよいのじゃ。
普通に経済活動をするならば執着ではないのじゃ。
>>909
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>910
全ては心で作られているからなのじゃ。
お釈迦様も言っているのじゃ。
全ては心で創られている故に、清らかな心で居るならば福楽は付き従うのじゃ。
全ては一つの心であるから、清らかな心は清らかな心を呼ぶのじゃ。
それが法則なのじゃ。
>>912
観念は記憶から起こるものじゃ。
言葉やイメージとして記憶されているものごとが刺激によって思い起こされるのじゃ。
そのような働きを観察して観るのじゃ。
914
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/18(金) 21:32:45 ID:pYHvbEpo0
>>907
それは執着ではないのじゃ。
普通に節約しているだけなのじゃ。
執着とは今無いものを望んだり、過去に失ったものを惜しがったりすることなのじゃ。
それは苦を生む故にやめたほうがよいのじゃ。
普通に経済活動をするならば執着ではないのじゃ。
>>909
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>910
全ては心で作られているからなのじゃ。
お釈迦様も言っているのじゃ。
全ては心で創られている故に、清らかな心で居るならば福楽は付き従うのじゃ。
全ては一つの心であるから、清らかな心は清らかな心を呼ぶのじゃ。
それが法則なのじゃ。
>>912
観念は記憶から起こるものじゃ。
言葉やイメージとして記憶されているものごとが刺激によって思い起こされるのじゃ。
そのような働きを観察して観るのじゃ。
915
:
蓮恵
:2016/11/18(金) 21:40:40 ID:8jCkEg8g0
>>913
観念自体は記憶されずその都度、生じるという理解でよろしいでしょうか
それでは、私の記憶の中では、観念という実体が存在するように見えたという謝った記憶がありますので、この謬見を遡って正す必要がありますね
916
:
蓮恵
:2016/11/18(金) 21:41:25 ID:oU/e1Wu20
>>913
観念自体は記憶されずその都度、生じるという理解でよろしいでしょうか
それでは、私の記憶の中では、観念という実体が存在するように見えたという謝った記憶がありますので、この謬見を遡って正す必要がありますね
917
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/19(土) 04:19:48 ID:czRftzgI0
>>905
なるほど自分の観察を全うすれば全ての観念が消える。そのようにします
どうして天神に死の苦があるのを知っているのか気になりますが、ややこしそうなのでもういいです
また何かあったらお願いします
918
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/19(土) 11:28:49 ID:xxV8EwE20
>>913
なるほど。釈尊の言葉の意味が少し理解できた気がします。
ありがとうござます。これからも精進に励みます。
919
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/19(土) 13:49:53 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さんの方法で苦を滅する事が出来た方、おられますか?
本当に観察することで、トラウマや依存等の克服が可能なのでしょうか?
トラウマ、依存ほどの大事でなてくも、こういう苦を滅せたというのがあれば教えてください
よろしくお願いします
920
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2016/11/19(土) 15:22:13 ID:Cq/r9SkQ0
>>919
私はほぼ毎日大声で↓このような状態でしたが
【アァーーー】思い出し奇声 PART12【ミソッミソッ】 [転載禁止]
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1431083919/
かなり減りました。
でも小声では毎日やってますね。まあこれは独り言レベルとして、
大声は月に一度くらいに減ったでしょうか。
921
:
善慧
:2016/11/19(土) 15:29:53 ID:3rmMGrpw0
>>919
ある日、記憶に結びついた苦しみの回路がショートして
トラウマを思い出しても苦に結びつかなくなりました。
暴力の痛い苦しい記憶でも、過去に見た映画を思い出すような遠い感じになります。
数日前の朝食をリアルに思い出すことは困難なのに、何年も何十年も前の記憶が
鮮明で苦しいのは、何度も思い出して再体験しているからだとわかりました。
その無意識の習慣を、記憶が起こらなければ苦もないと、意識的に繰り返し
観察していくことで、変容を促すのが苦滅の法なのだと思います。
922
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/19(土) 17:14:46 ID:Y5LPInQE0
>>920
>>921
レスありがとうございました
923
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/19(土) 22:04:19 ID:pYHvbEpo0
>>915
記憶に依って観念は生じるじゃろう。
全てをありのままに観察するとよいのじゃ。
正しい観念でさえ囚われれば修業の妨げになるのじゃ。
何ものにも囚われず今ここにあるものを観察するのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>917
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>918
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
924
:
蓮恵
:2016/11/20(日) 09:08:18 ID:8jCkEg8g0
>>923
ありがとうございます
観念の世界を離れます
925
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/20(日) 21:07:21 ID:o53.qpeA0
>>914
ご教授ありがとうございます。
お金に対する執着は、人にとってかなり深いと思うのですが、
これも観察によってなくすことができるものなのですか?
執着がなくなるとやはり貧乏になりますか?
926
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/20(日) 21:30:17 ID:pYHvbEpo0
>>924
そうじゃ、観念を離れるのじゃ。
またおいでなさい。
>>925
無くすことができるじゃろう。
それによって貧乏になることも無いのじゃ。
執着がなくなることで却ってその性質を知り、上手く使うことも出来るからのう。
囚われが無い故に冷静に増やすこともできるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
927
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/20(日) 21:40:52 ID:LC3de7YgO
>>919
私の場合は、原因があるので結果がある。原因がなければ結果はない。
その因果の過程を観察することと、その原因である記憶に巻き込まれて、結果である
感情に苦しむことの違いが最初はわからず、なかなか「苦滅」の法や「観」に踏み込めなかったです。
観察=感情に巻き込まれることになるのではと思えたのです。
それでただ、ひたすら最初は「止」に取り組み、雑念がわいてきても、それに気付き、集中対象に戻ると言うことを続けて、ある程度できるようになると、雑念=記憶=観念は、儚く消え去るものであり、むしろ定着させる方が難しいと実感できるようになりました。
で、今直面してることではなく、記憶の中にある出来事=観念に苦しむことは、幻におびえているようなことだと気づいた・・・てな感じであります。
(´・(ェ)・`)/
928
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/21(月) 15:47:02 ID:Hasf7zeM0
鬼和尚、きつすぎます。認識を滅しないと全てが終わらない、ということが執着に
なってしまい、もしそれが叶わなかったらどうしようという恐れになり、恐いです。
それに対する執着をいっそ捨てようと思って何回か観察したんですが、それも虚しく際限なく発生します。
しかも今日一日中認識を滅したいがために認識をとらえようとらえようとしたんですが認識の作用に
気づけないし、気づいたところでどう厭離させていいやら掴めませんでした、自我の観察を体の
パーツやら思考やらを自分なりに一巡してその後、自分を俯瞰的に見れている感覚に一時はなって、
これがいわゆる無我?なのかな、って思ったんですが、認識を滅することができなかったら
どうしようという恐れに取り込まれ、途中からもはや無我どころじゃなくなってしまいました。
鬼和尚、私は永遠に出られない地獄のループに入っている感覚です。
恐れにまみれたままでもなんとか認識を滅したら終わりだと思いやったんですが認識作用をとらえて厭離
することはできませんでした。
もう心身共にボロボロです、疲弊し過ぎて何も考えられません くたくたです
929
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/21(月) 15:52:58 ID:Hasf7zeM0
それから今さらですけど認識を厭離させるって、認識作用に気づいたらそれは
自分ではない、と観て自己同一化を解除させるんでしたっけ?そうじゃなくて
認識(=阿頼耶識)に気づいたらそれそのものを観察の作用により消滅させるんですか?
930
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/21(月) 16:35:15 ID:o53.qpeA0
>>926
お金への執着をなくすには、
お金に関することで生じた思考や感情を観察してればよいのですね。
ご教授ありがとうございました。
931
:
蓮恵
:2016/11/21(月) 17:04:15 ID:p8qq9SJs0
和尚さま
瞑想の補助的な要素を伺いますが、
心を落ち着かせるときは、視線が
左眉前方に落ち着くと感じたのですが、私の個人的な癖でしょうか。
和尚さまは如何がでしょうか。
観察しますと、瞑想中でも人間の視線は常に動いているのですが、禅定に入ると停止するのですか?
932
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/21(月) 18:30:51 ID:Y5LPInQE0
>>927
レスありがとうございます
私も数息観をしっかりやり、「止」が上達するように頑張ります
933
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/21(月) 21:31:33 ID:pYHvbEpo0
>>928
それをただひたすらに観察するのじゃ。
怖いというのは観察していないのじゃ。
数息観などを行い集中力を増して観察あるのみなのじゃ。
考えなくてよいのじゃ。
>>929
自分ではないとか、消滅させるとかも考えなくてよいのじゃ。
無我とかも雑念として流していくのじゃ。
ただひたすらに観察することで全ては自然に起こるのじゃ。
考えていたり恐れていたりしている時は観察していないのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>930
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>931
特に無いのじゃ。
おぬしがそれで落ち着くならばそれを続けて良いのじゃ。
自分でやりやすいのが一番よい方法なのじゃ。
心が止まれば目もとまるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>932
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
934
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/22(火) 17:00:21 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん、集中力を増す方法として、数息観以外だとどんな方法がありますか?
935
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/22(火) 18:15:20 ID:Hasf7zeM0
>>933
はい、怖いという思いを観察した結果、認識を滅することへの執着と自我を
防衛できなくなるという果てしない恐怖だとわかりました、防衛したい自我とは
一体何なのかを引き続き観察していきます、
確認ですけど、無我になったらどのような種類の恐れも消えるんですか?
936
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/22(火) 21:51:46 ID:/GdpDFSk0
>>934
胸の中心に集中する方法とか、眉間に集中する方法などがあるのじゃ。
眉間に集中する時には目に力を入れすぎると頭痛がするから気をつけるのじゃ。
或いは自分の周囲全てが赤とか白とか青とかの色一色になったとイメージする方法もあるのじゃ。
周りが全て一色になったならばそれにのみ集中して同一化したのと同じなのじゃ。
ヨーガにもあるのじゃ。
>>935
自我を原因とする恐れは消えるじゃろう。
大抵の恐れは自我によるものであるがのう。
恐れる主体が無ければ恐れることも無いのじゃ。
937
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/23(水) 18:29:33 ID:Y5LPInQE0
>>936
レスありがとうございます。
そういった集中法は、数息観の場合と同じで、短時間でも毎日続ける事が大事ですか?
938
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/23(水) 20:12:17 ID:Hasf7zeM0
>>936
自我を原因としない恐れって認識を滅しない限り消えない恐れということですか?
そういう恐れがあるんですか?
939
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/23(水) 20:59:19 ID:/GdpDFSk0
>>937
そうじゃ、続けることが上達の秘訣なのじゃ。
たまに長くやっても休んでは無意味なのじゃ。
五分でも毎日やるとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>938
老病死の恐れなどはまだあるじゃろう。
それは観念を完全に滅しない限りあり続けるものじゃ。
大悟徹底したら全ての恐れはなくなるのじゃ。
それまだ精進あるのみなのじゃ。
940
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/23(水) 23:13:03 ID:Hasf7zeM0
>>939
非二元を語る人の中でも多くの人が死ぬのは怖くないって言っていますが…
そう言っている彼らの全員が認識まで滅しているかは不明ですが、、
941
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/24(木) 20:29:31 ID:/GdpDFSk0
>>940
死の恐怖とかではないのじゃ。
観念がある限り個我が起こり、再び生まれ苦を受ける恐れがあるのじゃ。
究極の境地に至っていない故にその恐れは常にあるものじゃ。
観ないようにしているだけなのじゃ。
それが小悟の者の限界なのじゃ。
942
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/25(金) 07:22:41 ID:Hasf7zeM0
>>941
そうですか、認識が自我を作っていると鬼和尚のブログでも書いてありましたものね、
ということは認識を滅することが可能な時点=無我の状態になったとしてもそこで
やめてしまい、認識を滅することをしないでしばらくしたら個我が戻ってきて無我の状態ではなくなってしまう、
ということも大いに起こりえるんでしょうか?
943
:
としぼっくり
:2016/11/25(金) 19:05:34 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、質問ですが、常日頃から本心を観ているのですが、本心を観ようとしているのが自我ですか?
944
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/25(金) 22:09:45 ID:/GdpDFSk0
>>942
そのようなこともあるじゃろう。
観念があれば主体という観念も起こるからのう。
大悟徹底してこそ永遠の安らぎに至るのじゃ。
>>943
そのように感じるじゃろう。
実際にはそうしようとしたことで自我が起こるのであるがのう。
観ようとしている主体が何かと追求するのじゃ。
945
:
としぼっくり
:2016/11/25(金) 23:49:44 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。また分からない事があれば質問させていだだきます。
946
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/26(土) 06:58:01 ID:Hasf7zeM0
>>944
「観念があれば主体という観念も起こる」という文の「観念」という言葉の意味は
「個我の観念」という意味ですか?それとも「全ての観念」という意味でしょうか?
947
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/26(土) 11:02:33 ID:u3B5BON.0
「心」は情報処装置と考えたら、分別とか識別とかの
縁起作用が情報処理のプロセスと捉えられてスッキリしたんだけど。
こういう解釈のままで納得していいですか?
あの、ぼくは毎日一回は鬼和尚のことを考えていて、鬼和尚だったらこう言うとか、何を聞いてみようか考えてしまいます。
ちなみに昨日は温冷浴は何セットやるのかとか質問しようとしてやめました。考え過ぎですかね?
ごめんなさい書き込みたかっただけです。
948
:
蓮恵
:2016/11/26(土) 18:02:16 ID:70sesrDs0
一人言のようになりますが、最近できた目標がありまして、それは軽安を得ることです。
昨夜、止の瞑想をしようと思ったのですが、精神的に辛かったのであまり集中できませんでした。
しかしながら、集中をやめたとたん精神的に楽になりました。
グルジェフの言う機械的な自動思考と人間が日頃やっている意味のない妄想という"現実から目を背ける思考"が始まったので、止行をやめたので楽になったわけです。
自動思考と妄想は、人間の精神を守るためにあるのかと実感しました。
これは怪我を直さずに麻酔をやるようなもので、心の根本的な問題を対処せずにその苦痛を和らげるだけです。
この方向を突き詰めた場合、行きつく先は狂気しかありえません。
自分の癖として、精神的な浮き沈みで瞑想の精度が変わるのがあるので、
瞑想で安定して楽を得られれば都合が良いのですが
949
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/26(土) 21:07:01 ID:/GdpDFSk0
>>945
どういたしまして、またおいでなさい。
>>946
全ての観念なのじゃ。
観念があればそこに又主体と客体という観念も起こるのじゃ。
観念を創るものがなくなるまで悟りは全うできないのじゃ。
>>947
そのような解釈でもよいのじゃ。
後は実践あるのみなのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
三回冷浴して三回温浴しておわりなのじゃ。
>>948
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
950
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/26(土) 21:56:00 ID:u3B5BON.0
>>949
鬼和尚ありがとう。温冷浴きもちい。一時的に神経整う。
輪廻とか怖い、永遠とかいう言葉も怖すぎ。今は思わんけどふと思う。
夜の山とか夜の海を一人で見てると、寂しくて、母胎に還るってマジなんじゃねって思う。
書くと止まらんありがとやした。
951
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/26(土) 22:22:46 ID:Hasf7zeM0
>>949
全ての観念が自我という主体を生起させるなら無我に至るなんてほとんど
不可能じゃないですか?
だって一度自我の生成を観察できてそれ故に自我を離れることができても
また新たに一つ一つの観念によりいちいち自我が起きるなら自我を厭離し尽くすの
なんて全ての観念がなくならない限り無理っぽそうというか、途方もなく果てしないというか…
そんな感じがします。
952
:
としぼっくり
:2016/11/26(土) 23:31:23 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、〜主体、もしくは主体、と言う観念に気づけば自我を気付く、自我を観照する事になるんですか?
953
:
としぼっくり
:2016/11/26(土) 23:47:27 ID:DAY232aw0
↑〜の主体です。すいません。
954
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/27(日) 18:57:50 ID:Y7r6uOOk0
鬼和尚、自分は来世どんな生き物に生まれ変わるか見ていただけないでしょうか。
ちなみに今世は裕福ではないけどどん底でもない環境に生きています。
人としてはいまいちダメポなタイプです。
よかったらお願いします。
955
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/27(日) 21:30:35 ID:/GdpDFSk0
>>950
そうじゃ。実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>951
一度自我が観られれば滅するのじゃ。
そのまま観念をもったままであると、直ぐではなくいずれ主体の観念ももってしまうのじゃ。
直ぐに起こるのではないのじゃ。
実践によって確めるのじゃ。
>>952
そうなるじゃろう。
何を主体としているのか、気付くだけでよいのじゃ。
それには実践あるのみなのじゃ。
>>954
それはこれからのおぬしの行いで決まるのじゃ。
これから人をころしたりすれば悪い所に行くじゃろう。
善事を重ねれば善い所にいけるじゃろう。
今からの行いが大事なのじゃ。
956
:
としぼっくり
:2016/11/27(日) 22:03:20 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。何を主体としているか気付くまで頑張ろうと思います。
957
:
としぼっくり
:2016/11/27(日) 22:59:58 ID:DAY232aw0
お礼に続けてすいません。何を主体としているか観察した所、考える事を主体としている事に気づきました。そして考えてるのは自分じゃないとも気づきました。観照が起こった感じがしないのはなぜですか?
958
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 01:04:10 ID:D5ImMFhk0
天の意、地の意の純度の高さを観て、自分の意を観た時、眼を覆いたくなる我が観えました。
それを観ながら、ひたすら身体感覚に浸る中、いつしか我の汚さが消え、静寂の中にあることに気づきました
これが観照であり、自我を空じたと理解しました。ただ自分は在った。それが自分に呼吸をさせ、自分を生かしている。
959
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 03:38:24 ID:nUOmTQnQ0
>>955
ありがとうございました。気をつけて生きていきます。
960
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 04:44:38 ID:Hasf7zeM0
>>955
一度鬼和尚の言う「観照」が起こってしまえば自分は自我ではないということが
はっきりし、観照の起こる以前のように自我を観察しては、厭離させるというプロセスを繰り返す
必要性もなくなる、そんな感じでしょうか?
それから鬼和尚の言う「観照」という言葉はよく言われる「見性」という言葉と同じでしょうか?
であれば「見性」が起こらない限り認識の作用も見えず、認識を滅することが可能な状態にはならない、ということになると思いますが。
961
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 09:03:56 ID:Hasf7zeM0
連投申し訳ありません、認識を滅するところまで行くために、つまり自我の観照が
起こるためには承認の欲求に関する良い悪いの観念や執着心を観察してあらかじめ落としておく(=手放しておく)必要は
ありますか?
というのも仮に無我まで行ったところで承認の欲求が残っているままであるのならそれらの観念がやがて無我となることを
阻害し、自我が戻ってきたら認識を滅することも難しくしてしまうのではないか、と思ったからです。
鬼和尚も三年は修業期間として最低必要だ、とおっしゃっているのも
その間に様々な観念を観察し滅して自我の観照が起きる直前には、ある程度承認の欲求も落ちていたのではないでしょうか。
長くなりました、ご助言いただけると助かります。
962
:
蓮恵
:2016/11/28(月) 18:38:55 ID:syhW856.0
和尚さま
和尚さまが姿勢を決める際、みぞおちや胸はどうなってますか?
背中は空から吊られた感じで、みぞおちはリラックスさせて胸と共に下に下ろすような感じですか?
963
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/28(月) 22:31:24 ID:/GdpDFSk0
>>957
それは観念を観ているだけなのじゃ。
今ここにある心の働きを観察していないのじゃ。
考えることは主体にはならないのじゃ。
考えているものという観念が主体として認識されるものなのじゃ。
それが観えるまで観察あるのみなのじゃ。
>>958
そうかもしれん。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>959
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>960
そのようなものじゃ。
実践によって確めるのじゃ。
見性とは自分の性質を観ることであるから、観照ではないのじゃ。
自分は怒りやすい性質と気付けば見性なのじゃ。
自分に気付くという方向は間違っていないすが未だ自我には気付いていないのじゃ。
>>961
それが修業の邪魔になるならば滅すると良いのじゃ。
邪魔にならないならば滅しなくて良いのじゃ。
全ての観念を滅していたら時間が足りなくなるからのう。
必要なものだけ滅するとよいのじゃ。
>>962
そのような感じでよいのじゃ。
前にかがまないように背骨で支えるとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
964
:
としぼっくり
:2016/11/28(月) 22:46:12 ID:DAY232aw0
毎回質問に返事してもらってとても助かります。ご丁寧な説明ありがとうございます。改めて質問で申し訳ないのですが、単純な事なのですが、自己観察をすれば、自我に気付くきますか?たくさんの質問で申し訳ないです。
965
:
としぼっくり
:2016/11/28(月) 23:25:17 ID:DAY232aw0
>>963
よくわからない、質問をしてすいませんでした。
966
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/29(火) 04:05:40 ID:Hasf7zeM0
>>963
ありがとうございました。何はともあれ「観照」まで持っていくことが肝要ですね。
最近、座禅中に思考との同一化が起こらず、沸いてくる思考を自己同一化せずに
俯瞰的に観れている感覚になるんですが、(私は最初、この観ている者が真の自己だと思ってんですけど)この観ている者は「認識=阿頼耶識」ですか?
もしそうであるならそこからでもそれを観察し、厭離することは可能なんでしょうか?
そんな簡単には行かないでしょうか? 自分なりに観察してみてもそれに気付くこと以外どうすることもできず(というかどうすればいいのかわからず)
厭離できませんでした。
967
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/29(火) 04:09:10 ID:Hasf7zeM0
× 真の自己だと思ってんですけど
↓
○ 真の自己だと思ったんですけど
でした。
968
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/29(火) 21:36:05 ID:/GdpDFSk0
>>964
>>965
日々続ければできるじゃろう。
恐れがあれば自我を観ようとせず逃避してしまうこともあるのじゃ。
恐れを乗り越えて進むのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
>>966
>>967
そうじゃ、阿頼耶識なのじゃ。
思考も前には同化していたが、今は見られるように阿頼耶識観もまた修業を続けることで観察できるようになるのじゃ。
日々の修業で前にはできなかった事もできるようになるのであるからのう。
先ずは自我に気付くとよいのじゃ。
無我になれば認識を厭離することも容易になるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
969
:
としぼっくり
:2016/11/29(火) 21:53:54 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。日々、自己観察して、恐れを乗り越えて、自我に気付くまで頑張ろうと思います。
970
:
としぼっくり
:2016/11/29(火) 22:50:30 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん何度も質問すいませんが、恐れがあれば自我を観ようとせず逃避してしまうこともあるのじゃ。というのは自己観察していてもと言う事でしょうか?
971
:
としぼっくり
:2016/11/30(水) 00:27:42 ID:DAY232aw0
969、970、の質問は大丈夫です。やっぱり自分とは何かを追求して行こうと思います。
972
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 01:39:55 ID:dXfAwq9M0
ごめんちょっと長文かも
変な夢見た、父親が死ぬ夢と母親と元カノが出て来る夢で
いつもことあるごとに父親死ねと思ってしまうことがあるが、そのときはマジデ悲しかった。
フロイトっぽくいえば父親死ねば嬉しいはずなんだけどな。
母親と元カノって書いたけど、一人の人物だったような、恋人気分に近いような
んで、俺、ほんとに軽い不眠症で夜眠れないんだけど、最近理由わかって、
夜が怖いんだよね、寂しくて眠れないという、もういい年なんだけどね。
この夢って関係してるよね?
というのも小学生の頃一人で寝るようになって、不安で眠れなくて母親の所行ったら眠れたっての思い出した。
大学の頃、眠れなくて寝酒しまくってアル中になりかけたんだけど、女と寝たらすっごい熟睡できたの思い出した。
973
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 01:51:51 ID:dXfAwq9M0
すませんもう一つおねがいします。
徹夜の頭でボーっと観察してたら、身体的なものと思考的なものがそれぞれ独立?して動いてるように見えて、
怖くなって震えてたんだけど、10分ぐらいしたら鼻くそほじるほどどうでもよくなった。その日、この時期なのに虹と雷を見てすげーッと思った。
んで次の日、コンビニで買い物したら、たまたま666円で、その日たまたま図書館で聖書勉強したら、黙示録に666とかいう数字が出てきてなにこれってなった。
鬼和尚、この一連の流れって偶然ですよね?最近、共時性のこと考えまくってたからそう見える?
みなさん日記帳みたいになってごめんなしあ。
974
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 12:02:40 ID:Hasf7zeM0
>>968
そうですか、変な例えですが目の前に5000億円が入った箱を見つけたとして、
その箱の開け方がわからない、、今はそんな心境です。
思考に同化していない背景にある気づきのようなものに気づいたところで、鬼和尚なら
そこからすぐさま厭離させられるんでしょうが、自分の場合は
「あ、思考に気づいている何かがあるな」→「確かにその感覚があるけど、注意を向けたところでその後どうすればいいんだ?
鬼和尚はただ気づけばOKって言ってたような気がするけど私はそこから何も進まない」
そんな感じで完全にストップしてしまいます。
阿頼耶識を観察する、ということはある程度観察に習熟していないと難しい、という話であるなら私の観察が未熟すぎる
が故に厭離できない、、そんな感じでしょうか?
しかし、自我の観照は起こっていなくともせっかく阿頼耶識を観れる状態をたとえ一時でも見つけたのなら
いっそこのまま阿頼耶識を観察し、厭離させたいです。それで何もかもすべてに決着が着くのならば…
鬼和尚が私の立場だったとして、背景にある阿頼耶識に気づいて厭離させるにはどんな感じのプロセスを経るのでしょうか?
やはりただそれに気付くだけ、でしょうか?
975
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 18:38:18 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん
自分の肉体の一部にコンプレックスがあるのですが、このコンプレックスを感じる部分が他人の体であったらどうか?と自問したところ、苦しみが楽になりました。
苦を滅する法を正しく行えたと考えて良いですか?
また、この後、更にどのようにすれば、永久にこのコンプレックスで苦しむことは無くなるでしょうか?
976
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 18:50:12 ID:Y5LPInQE0
あと、縁起するとは、わらしべ長者の話のような物でしょうか?
主人公が、一本のワラが原因で大金持ちになったように、原因から様々な想いが起き、
大きな苦悩になってしまうということが、縁起するの意味ですか?
977
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/30(水) 21:40:30 ID:/GdpDFSk0
>>969
>>970
>>971
そうじゃ、自己観察していても恐れがあれば逃避してしまうのじゃ。
それによってチャンスを逃してしまうこともあるじゃろう。
恐れを乗り越えてこそ安楽の境地にもたどり着けるのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
またおいでなさい。
>>972
>>973
そうかもしれん。
夢では自分の本心がわかるものじゃ。
人々を大事にして導くとよいのじゃ。
それもシンクロニシティかもしれん。
吉兆なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>974
ただひたすらに瞑想に励むのじゃ。
それ以外に道は無いのじゃ。
お釈迦様は七日間座って悟りを得たのじゃ。
マハリシは一日で悟りを得たのじゃ。
それも死の恐れさえ超える熱意があったからなのじゃ。
ただひたすらに恐れを超えて精進あるのみなのじゃ。
978
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/30(水) 21:50:24 ID:/GdpDFSk0
>>975
そうじゃ、それによって肉体的な原因が無いことを観察できたのじゃ。
更に原因を心の中に追求するのじゃ。
それらは実は自分が気にしているだけかもしれん。
例えば出っ歯が劣等感である者が芸人になって逆にそれを売りにするようにのう。
その心の働きが本当はどのようなものか観察にょって見極めれば滅することもできるのじゃ。
>>976
そのようなものじゃ。
実際に心の働きを観察して観れば、そのようになっているとわかるじゃろう。
それがお釈迦様の教えた苦を滅する法なのじゃ。
実践すれば確実に効果はあるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
979
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 22:26:39 ID:u3B5BON.0
>>978
鬼和尚ありがとう。バカなこと考えてないで精進するお。南無鬼
980
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:55:11 ID:Y5LPInQE0
>>978
鬼和尚さん
ありがとうございます。凄いです。まさに私の悩みは歯の事でした。
ただ、出っ歯よりも余程重症ではありますが…。
色々と事情があり、歯医者でどうこうというのは難しい状況です。
こんな歯では、人前で笑えないとか、侮蔑してくる他人も居るだろうとか、とにかくこの歯を見られる状況を避けたいとか、
侮蔑してきたらやり返してやりたいけど気が弱くて出来ないだろうとか、やり返すなんて良くないとか色々と考えてしまいます。
ここからどうすれば良いのでしょうか?
981
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:56:22 ID:Y5LPInQE0
>>978
鬼和尚さん
ありがとうございます。凄いです。まさに私の悩みは歯の事でした。
ただ、出っ歯よりも余程重症ではありますが…。
色々と事情があり、歯医者でどうこうというのは難しい状況です。
こんな歯では、人前で笑えないとか、侮蔑してくる他人も居るだろうとか、とにかくこの歯を見られる状況を避けたいとか、
侮蔑してきたらやり返してやりたいけど気が弱くて出来ないだろうとか、やり返すなんて良くないとか色々と考えてしまいます。
ここからどうすれば良いのでしょうか?
982
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:57:16 ID:Y5LPInQE0
すみません、重複して投稿してしまいました
983
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 02:18:30 ID:v4u30W960
鬼和尚、相談です。
最近、姪(6歳)が友達の物を黙って持って来るようになりました。
1回目はシャープペンシルで、2回目はヘアピンです。
まだ、強く叱ったりはしていません。
やはり強く叱るべきなのか、もしくは滾々と諭すべきなのか?
この様な時はどう対処すれば良いでしょうか?
984
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 10:38:15 ID:Hasf7zeM0
>>977
返信ありがとうございます。
しかし、認識(=阿頼耶識)を観察し厭離するっていうのは無我に気づいている何かがいる
ってことだけに気づいても不可能なんでしょうか?
鬼和尚の教えの中では認識を滅する際は認識する素早い作用をとらえて厭離
させる、と書かれていますが、ただ背後で気づいている意識?に気づくだけでは
足りず、素早い認識のプロセスをとらえる、ということまで行えない限り、認識を滅する
ということは無理ですか?
鬼和尚が認識を滅したときは観ているものに気づいただけ(認識の素早い作用はとらえることなく)で厭離できたのでしょうか?
それとも認識の早い作用をとらえることで厭離できたのでしょうか?
よろしければお聞かせいただけると助かります。
985
:
としぼっくり
:2016/12/01(木) 18:10:33 ID:DAY232aw0
何度も聞いて申し訳ないですが、自分を追求すると、自我に気づきますか?
986
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/01(木) 21:19:40 ID:/GdpDFSk0
>>979
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>980
同じように歯がおかしくても芸人のようにそれで金儲けをする者も居る。
そのような者はむしろ他人と違う歯に感謝する気持ちさえあるじゃろう。
物理的に同じ状態でも人によって想いが違うのは、心の中に原因があるからなのじゃ。
おぬしにもそれが劣等感となる原因があったのじゃろう。
誰かに笑われたとか、いつも親や友人にからかわれたとかなのじゃ。
そのような原因から劣等感が起こり、原因が無ければ劣等感も無いことを心の中に観察するのじゃ。
そうすればなくなるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>983
何度も諭したらよいのじゃ。
一度では治らなくても何度も何度も諭すのじゃ。
子供は言葉と現実の行動がまだ結びつき難いから何度でも諭すのじゃ。
予め何度も諭さなくてはならないとわかれば怒る事無く諭せるのじゃ。
お釈迦様も子供に何度も諭したのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>984
認識に気付いたならばそれを注視して滅することが可能なのじゃ。
既に何を観るべきかわかるからのう。
無我であればそれも容易なのじゃ。
実践によって確めるしかないのじゃ。
>>985
いずれ気付くじゃろう。
目的を持って行なえば困難でもいずれは達成できるのじゃ。
例えば山に登ろうとして目的に向かって歩き続ければいずれは頂上に達するようにのう。
それまで日々精進あるのみなのじゃ。
987
:
としぼっくり
:2016/12/01(木) 21:26:06 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。自分を追求して行く事にします。
988
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 21:57:48 ID:Hasf7zeM0
>>986
ということは認識に気づき、厭離させるためには必ずしも素早い認識の作用をとらえる
必要はなく、ただ無我を観ているものに気づくだけでも厭離までもっていくことは可能である、
ということでしょうか?必ずしも素早く働いている認識作用に気づき、それにより厭離させる、というルートだけが
認識を滅する唯一のルートという訳ではない、ということですか?
それから、無我になれば認識を滅することが容易だ、ということは
無我まで至った人で有名な方はたくさんいますが、彼らは皆総じてそこから
更に認識を観察し厭離させることがとても容易な状態に24時間いる(起きている間は)、ということですか?
それなら認識を滅することにすぐ手が届くのに、なんか凄くもったいない感じがしますが…
989
:
983
:2016/12/02(金) 01:30:51 ID:v4u30W960
>>986
お答えいただきありがとうございます。
「早く直さなければ」と焦って、一度で治すことばかりに気持ちがいっていました。
何度もトライしたいと思います。
ありがとうございました。
990
:
としぼっくり
:2016/12/02(金) 09:39:42 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、質問ですが、数息観は何分くらいやったら一番いいのですか?
991
:
蓮恵
:2016/12/02(金) 21:15:15 ID:mt9xxQ6U0
夢中になるという言葉があります
たとえばパチンコにはまっている人間は、
パチンコをやっている間は快感を感じているとは思いますが(私はパチンコやったことないので推測ですが)
正しく観察してみれば、もちろん快感も当然あるのですが、常に損に怯える恐怖や焦り、台に対する怒りといった苦も当然感じているわけで、パチンコやっている間は、快楽と苦の両方が交互に来ているわけです。
もちろん苦の感覚が強ければ、人はパチンコから離れますが、現実的に依存症になったりする人もいます。
ここで思うのが何かにドハマリする人間は、苦が見えずに快楽だけに集中しているので、依存症になったりするほどハマるのではないのでしょうか。
射幸感とはこのようなものかもしれません。
人は快楽だけを求めて、苦を認識できない傾向もあるのかもしれません。
苦しみを認識しないために快感だけに集中するというのが、いわゆる無明に分類される愚かさかと思いました。
992
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/02(金) 22:12:45 ID:/GdpDFSk0
>>987
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>988
無我であれば素早い認識の働きも観察できるのじゃ。
そうであるからそのような段階になるのじゃ。
一度に認識を観るのは困難なのじゃ。
そうなるじゃろう。
そうであるから真正な師は弟子が小悟で終わることを諫めたのじゃ。
大悟徹底まで行かなければ修行も無意味なのじゃ。
>>989
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>990
おぬしが集中していられる時間までなのじゃ。
初心の頃は五分でもよいのじゃ。
日々続けることが大事なのじゃ。
長くしたい時は20分位でよいのじゃ。
自分のやり易い時間が一番なのじゃ。
>>991
そうじゃろう。
快感を求めて苦を無視しているのじゃ。
993
:
としぼっくり
:2016/12/02(金) 22:34:54 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。20分心がけて頑張っていきます。
994
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 09:01:05 ID:czRftzgI0
1.ワンネスまで体験した人で世界が勝手に動いているだけいつでも安楽に入れるという人たちは、そこでやめている。
そこからさらに観念を滅して大悟徹底に至ることを知らない人たちということですか?
2.悟るともはや悟りを探求することに意味を感じなくなる、それが悟っている人とそうでない人の違いと言うのは本当ですか?
和尚さんはもう何も探求していないのですか?
995
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 10:25:56 ID:Hasf7zeM0
>>992
鬼和尚も認識を滅した際は無我になった上で認識の素早い作用をとらえることで
厭離したんですか?
996
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/03(土) 21:43:34 ID:/GdpDFSk0
>>993
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>994
1 そういえるじゃろう。
体験だけならばサマーディでできるからのう。
2 本当に大悟徹底したならばもはや何もなすべきことに意味を感じないのじゃ。
わしは衆生に説くために、心を学んでいるのじゃ。
>>995
そのようにいえるじゃろう。
言葉通りではないがのう。
実践あるのみなのじゃ。
997
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 23:39:35 ID:Hasf7zeM0
>>996
何度も同じことばかり聞いて申し訳ないんですが、認識を滅するルートについて
だけははっきりさせておきたいので改めて質問させていただきます。
「認識を滅する」には、まずどちらも前提として無我の状態になった上で
A・無我の状態を「観ているもの」を観察し、厭離させる
B・認識の作用を観察することにより厭離させる
というように二通りの言い方で鬼和尚はおっしゃっている、と私は思っているんですが、不明瞭なのはAの中の、無我の状態を「観ているもの」を観察して厭離するというのは、その言葉の中に認識する作用を観察する必要がある、という意味が含まれているのか、
はたまた認識する作用を観察できなくても無我の状態を観ているものに注意を向けて気づく「だけ」でも観察、厭離できるのか、ということです。
もしAの言い方の中に既に認識を厭離させるためには認識する作用をとらえる必要がある、
という意味が含まれているのならいくら座禅中に思考に同一化せずに観ている何かに気づいたところで厭離することはできない、ということになりますが、そうではなくAの言い方の中には認識する作用をとらえる必要はなくて、単にその観ている何かに気づくというだけでも厭離することができる、というのなら認識を観察して厭離させるためのルートが上記A、Bと二通りあることになるので、実際はどうなのか、現時点ではっきりさせていただきたく、質問させてもらいました。
998
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/04(日) 05:40:48 ID:czRftzgI0
>>994
人によって到達点は様々なことがわかりました。最終到達点に行けるよう頑張ります
ありがとうございました
999
:
蓮恵
:2016/12/04(日) 18:40:45 ID:mt9xxQ6U0
和尚さま
人の心は、常に苦痛から逃れる術を求めているようです。
苦痛を避けて幸福を求めるのもその一つで、自分の本心を観ようとしないとか己を誤魔化すのもその手段のようです。
根本的な問題を直視したくないがために、これは別の問題を作り続けているようなものです。
>>996
悟った後の学びがあるんですね
1000
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 19:18:50 ID:Z/zuQ/I60
鬼和尚さ
1001
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 19:22:04 ID:Z/zuQ/I60
↑失敗して押してしまいました。すいません。鬼和尚さん質問ですが、自我に気付いたら、自我に気付いたとわかるものなんですか?
1002
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/04(日) 21:38:11 ID:wTZcXC0U0
>>997
観ているものを観るのはその機能を観察することでもあるのじゃ。
それらを完全に観ることで厭離も起こるのじゃ。
例えば感覚を観察し、厭離する時、その機能を観察し器官を観察しその働き等を観察するということをするのじゃ。
視覚ならば目という器官を観察し、目による機能を観察し、見るという領域等を観察するのじゃ。
そのように詳細に観察して厭離も起こるのじゃ。
認識もその通りに認識するものと、認識の働きと、認識の働く領域等を観察すれば完全に厭離できるのじゃ。
人によっては半分でも観察することで認識に気づき厭離が起こることもあるじゃろう。
集中に習熟すれば自然に思考が無い状態も維持できるようになるものじゃ。
それは実践によってのみわかることじゃ。
無我になったならばそれも容易になるものじゃ。
日々の精進によって今できないこともできるようになるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>998
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>999
そうじゃ、苦にさえも執着しているのじゃ。
それに気付いてよかったのじゃ。
悟っても悟らなくとも衆生のために精進あるのみなのじゃ。
>>1001
わかるのじゃ。
無我になるからのう。
主体無く、大きな安楽と安らぎがあるのじゃ。
そのような大きな変化に気付かない筈はないのじゃ。
1003
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 21:59:08 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。続いて質問ですが無我になると、主体は無くなるのですか?
1004
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/05(月) 12:21:16 ID:Hasf7zeM0
>>1002
そうなんですか、ということは話をまとめると自分のように思考に気づいている何かがいる、
と気づくだけでは不十分で、その認識する作用というかプロセスを観察すること
ができて初めて厭離を引き起こせる、ということですね
1005
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/05(月) 12:48:33 ID:4r9Nyxn.0
鬼和尚さん、こんにちは。
また苦のなくし方について教えてください。
私は心に劣等感を持っていて、それは狭い世界の狭い基準で測られただけのものだとはわかっているのですが、ふとした拍子にそれが心から出てきて苦が生まれてしまいます。
例えば、見知らぬ店員さんに、自分にだけ冷たくされたりすると、全く関係ないことなのに自分の劣等感が刺激されて、自分には価値がないという辛い気持ちになってしまいます。
この無意味な苦をなくしたいのですが、生まれ育った中で身についた価値観なので、それが狭い世界の基準だとわかっていても、その価値観に依存してしまいます。
どうしたら、劣等感をなくしたり、何かあっても劣等感が刺激されないまでになれるでしょうか?
それとも、根深く身についた価値観であるということの他に、もっと別の原因があるのでしょうか?
1006
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/05(月) 21:04:17 ID:wTZcXC0U0
>>1003
そうじゃ、無いじゃろう。
自分という観念が無いからのう。
実践によって確めるのじゃ。
>>1004
そうじゃ、ただ漠然と在るということに気付いているだけではいかんのじゃ。
無我になり、観察することで厭離も起こるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>1005
それも原因がわかれば消えるじゃろう。
親とかにそのように扱われたことが原因かもしれん。
その原因から劣等感が起こり、その原因が無ければ劣等感も無いことを観察するのじゃ。
消えなければそれは正しい原因ではないのじゃ。
更に深く自分の心を観察して真の原因を探すのじゃ。
1007
:
偽和尚★
:2016/12/05(月) 22:17:35 ID:???0
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