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鬼和尚に聞いてみるスレ part7
1
:
避難民のマジレスさん
:2016/05/12(木) 22:22:37 ID:1S0ANZHI0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。
ルールを守って使用しましょう。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1443272058/
958
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 01:04:10 ID:D5ImMFhk0
天の意、地の意の純度の高さを観て、自分の意を観た時、眼を覆いたくなる我が観えました。
それを観ながら、ひたすら身体感覚に浸る中、いつしか我の汚さが消え、静寂の中にあることに気づきました
これが観照であり、自我を空じたと理解しました。ただ自分は在った。それが自分に呼吸をさせ、自分を生かしている。
959
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 03:38:24 ID:nUOmTQnQ0
>>955
ありがとうございました。気をつけて生きていきます。
960
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 04:44:38 ID:Hasf7zeM0
>>955
一度鬼和尚の言う「観照」が起こってしまえば自分は自我ではないということが
はっきりし、観照の起こる以前のように自我を観察しては、厭離させるというプロセスを繰り返す
必要性もなくなる、そんな感じでしょうか?
それから鬼和尚の言う「観照」という言葉はよく言われる「見性」という言葉と同じでしょうか?
であれば「見性」が起こらない限り認識の作用も見えず、認識を滅することが可能な状態にはならない、ということになると思いますが。
961
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/28(月) 09:03:56 ID:Hasf7zeM0
連投申し訳ありません、認識を滅するところまで行くために、つまり自我の観照が
起こるためには承認の欲求に関する良い悪いの観念や執着心を観察してあらかじめ落としておく(=手放しておく)必要は
ありますか?
というのも仮に無我まで行ったところで承認の欲求が残っているままであるのならそれらの観念がやがて無我となることを
阻害し、自我が戻ってきたら認識を滅することも難しくしてしまうのではないか、と思ったからです。
鬼和尚も三年は修業期間として最低必要だ、とおっしゃっているのも
その間に様々な観念を観察し滅して自我の観照が起きる直前には、ある程度承認の欲求も落ちていたのではないでしょうか。
長くなりました、ご助言いただけると助かります。
962
:
蓮恵
:2016/11/28(月) 18:38:55 ID:syhW856.0
和尚さま
和尚さまが姿勢を決める際、みぞおちや胸はどうなってますか?
背中は空から吊られた感じで、みぞおちはリラックスさせて胸と共に下に下ろすような感じですか?
963
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/28(月) 22:31:24 ID:/GdpDFSk0
>>957
それは観念を観ているだけなのじゃ。
今ここにある心の働きを観察していないのじゃ。
考えることは主体にはならないのじゃ。
考えているものという観念が主体として認識されるものなのじゃ。
それが観えるまで観察あるのみなのじゃ。
>>958
そうかもしれん。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>959
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>960
そのようなものじゃ。
実践によって確めるのじゃ。
見性とは自分の性質を観ることであるから、観照ではないのじゃ。
自分は怒りやすい性質と気付けば見性なのじゃ。
自分に気付くという方向は間違っていないすが未だ自我には気付いていないのじゃ。
>>961
それが修業の邪魔になるならば滅すると良いのじゃ。
邪魔にならないならば滅しなくて良いのじゃ。
全ての観念を滅していたら時間が足りなくなるからのう。
必要なものだけ滅するとよいのじゃ。
>>962
そのような感じでよいのじゃ。
前にかがまないように背骨で支えるとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
964
:
としぼっくり
:2016/11/28(月) 22:46:12 ID:DAY232aw0
毎回質問に返事してもらってとても助かります。ご丁寧な説明ありがとうございます。改めて質問で申し訳ないのですが、単純な事なのですが、自己観察をすれば、自我に気付くきますか?たくさんの質問で申し訳ないです。
965
:
としぼっくり
:2016/11/28(月) 23:25:17 ID:DAY232aw0
>>963
よくわからない、質問をしてすいませんでした。
966
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/29(火) 04:05:40 ID:Hasf7zeM0
>>963
ありがとうございました。何はともあれ「観照」まで持っていくことが肝要ですね。
最近、座禅中に思考との同一化が起こらず、沸いてくる思考を自己同一化せずに
俯瞰的に観れている感覚になるんですが、(私は最初、この観ている者が真の自己だと思ってんですけど)この観ている者は「認識=阿頼耶識」ですか?
もしそうであるならそこからでもそれを観察し、厭離することは可能なんでしょうか?
そんな簡単には行かないでしょうか? 自分なりに観察してみてもそれに気付くこと以外どうすることもできず(というかどうすればいいのかわからず)
厭離できませんでした。
967
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/29(火) 04:09:10 ID:Hasf7zeM0
× 真の自己だと思ってんですけど
↓
○ 真の自己だと思ったんですけど
でした。
968
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/29(火) 21:36:05 ID:/GdpDFSk0
>>964
>>965
日々続ければできるじゃろう。
恐れがあれば自我を観ようとせず逃避してしまうこともあるのじゃ。
恐れを乗り越えて進むのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
>>966
>>967
そうじゃ、阿頼耶識なのじゃ。
思考も前には同化していたが、今は見られるように阿頼耶識観もまた修業を続けることで観察できるようになるのじゃ。
日々の修業で前にはできなかった事もできるようになるのであるからのう。
先ずは自我に気付くとよいのじゃ。
無我になれば認識を厭離することも容易になるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
969
:
としぼっくり
:2016/11/29(火) 21:53:54 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。日々、自己観察して、恐れを乗り越えて、自我に気付くまで頑張ろうと思います。
970
:
としぼっくり
:2016/11/29(火) 22:50:30 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん何度も質問すいませんが、恐れがあれば自我を観ようとせず逃避してしまうこともあるのじゃ。というのは自己観察していてもと言う事でしょうか?
971
:
としぼっくり
:2016/11/30(水) 00:27:42 ID:DAY232aw0
969、970、の質問は大丈夫です。やっぱり自分とは何かを追求して行こうと思います。
972
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 01:39:55 ID:dXfAwq9M0
ごめんちょっと長文かも
変な夢見た、父親が死ぬ夢と母親と元カノが出て来る夢で
いつもことあるごとに父親死ねと思ってしまうことがあるが、そのときはマジデ悲しかった。
フロイトっぽくいえば父親死ねば嬉しいはずなんだけどな。
母親と元カノって書いたけど、一人の人物だったような、恋人気分に近いような
んで、俺、ほんとに軽い不眠症で夜眠れないんだけど、最近理由わかって、
夜が怖いんだよね、寂しくて眠れないという、もういい年なんだけどね。
この夢って関係してるよね?
というのも小学生の頃一人で寝るようになって、不安で眠れなくて母親の所行ったら眠れたっての思い出した。
大学の頃、眠れなくて寝酒しまくってアル中になりかけたんだけど、女と寝たらすっごい熟睡できたの思い出した。
973
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 01:51:51 ID:dXfAwq9M0
すませんもう一つおねがいします。
徹夜の頭でボーっと観察してたら、身体的なものと思考的なものがそれぞれ独立?して動いてるように見えて、
怖くなって震えてたんだけど、10分ぐらいしたら鼻くそほじるほどどうでもよくなった。その日、この時期なのに虹と雷を見てすげーッと思った。
んで次の日、コンビニで買い物したら、たまたま666円で、その日たまたま図書館で聖書勉強したら、黙示録に666とかいう数字が出てきてなにこれってなった。
鬼和尚、この一連の流れって偶然ですよね?最近、共時性のこと考えまくってたからそう見える?
みなさん日記帳みたいになってごめんなしあ。
974
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 12:02:40 ID:Hasf7zeM0
>>968
そうですか、変な例えですが目の前に5000億円が入った箱を見つけたとして、
その箱の開け方がわからない、、今はそんな心境です。
思考に同化していない背景にある気づきのようなものに気づいたところで、鬼和尚なら
そこからすぐさま厭離させられるんでしょうが、自分の場合は
「あ、思考に気づいている何かがあるな」→「確かにその感覚があるけど、注意を向けたところでその後どうすればいいんだ?
鬼和尚はただ気づけばOKって言ってたような気がするけど私はそこから何も進まない」
そんな感じで完全にストップしてしまいます。
阿頼耶識を観察する、ということはある程度観察に習熟していないと難しい、という話であるなら私の観察が未熟すぎる
が故に厭離できない、、そんな感じでしょうか?
しかし、自我の観照は起こっていなくともせっかく阿頼耶識を観れる状態をたとえ一時でも見つけたのなら
いっそこのまま阿頼耶識を観察し、厭離させたいです。それで何もかもすべてに決着が着くのならば…
鬼和尚が私の立場だったとして、背景にある阿頼耶識に気づいて厭離させるにはどんな感じのプロセスを経るのでしょうか?
やはりただそれに気付くだけ、でしょうか?
975
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 18:38:18 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん
自分の肉体の一部にコンプレックスがあるのですが、このコンプレックスを感じる部分が他人の体であったらどうか?と自問したところ、苦しみが楽になりました。
苦を滅する法を正しく行えたと考えて良いですか?
また、この後、更にどのようにすれば、永久にこのコンプレックスで苦しむことは無くなるでしょうか?
976
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 18:50:12 ID:Y5LPInQE0
あと、縁起するとは、わらしべ長者の話のような物でしょうか?
主人公が、一本のワラが原因で大金持ちになったように、原因から様々な想いが起き、
大きな苦悩になってしまうということが、縁起するの意味ですか?
977
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/30(水) 21:40:30 ID:/GdpDFSk0
>>969
>>970
>>971
そうじゃ、自己観察していても恐れがあれば逃避してしまうのじゃ。
それによってチャンスを逃してしまうこともあるじゃろう。
恐れを乗り越えてこそ安楽の境地にもたどり着けるのじゃ。
何でも聞くとよいのじゃ。
またおいでなさい。
>>972
>>973
そうかもしれん。
夢では自分の本心がわかるものじゃ。
人々を大事にして導くとよいのじゃ。
それもシンクロニシティかもしれん。
吉兆なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>974
ただひたすらに瞑想に励むのじゃ。
それ以外に道は無いのじゃ。
お釈迦様は七日間座って悟りを得たのじゃ。
マハリシは一日で悟りを得たのじゃ。
それも死の恐れさえ超える熱意があったからなのじゃ。
ただひたすらに恐れを超えて精進あるのみなのじゃ。
978
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/11/30(水) 21:50:24 ID:/GdpDFSk0
>>975
そうじゃ、それによって肉体的な原因が無いことを観察できたのじゃ。
更に原因を心の中に追求するのじゃ。
それらは実は自分が気にしているだけかもしれん。
例えば出っ歯が劣等感である者が芸人になって逆にそれを売りにするようにのう。
その心の働きが本当はどのようなものか観察にょって見極めれば滅することもできるのじゃ。
>>976
そのようなものじゃ。
実際に心の働きを観察して観れば、そのようになっているとわかるじゃろう。
それがお釈迦様の教えた苦を滅する法なのじゃ。
実践すれば確実に効果はあるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
979
:
熱狂的鬼ファン
:2016/11/30(水) 22:26:39 ID:u3B5BON.0
>>978
鬼和尚ありがとう。バカなこと考えてないで精進するお。南無鬼
980
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:55:11 ID:Y5LPInQE0
>>978
鬼和尚さん
ありがとうございます。凄いです。まさに私の悩みは歯の事でした。
ただ、出っ歯よりも余程重症ではありますが…。
色々と事情があり、歯医者でどうこうというのは難しい状況です。
こんな歯では、人前で笑えないとか、侮蔑してくる他人も居るだろうとか、とにかくこの歯を見られる状況を避けたいとか、
侮蔑してきたらやり返してやりたいけど気が弱くて出来ないだろうとか、やり返すなんて良くないとか色々と考えてしまいます。
ここからどうすれば良いのでしょうか?
981
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:56:22 ID:Y5LPInQE0
>>978
鬼和尚さん
ありがとうございます。凄いです。まさに私の悩みは歯の事でした。
ただ、出っ歯よりも余程重症ではありますが…。
色々と事情があり、歯医者でどうこうというのは難しい状況です。
こんな歯では、人前で笑えないとか、侮蔑してくる他人も居るだろうとか、とにかくこの歯を見られる状況を避けたいとか、
侮蔑してきたらやり返してやりたいけど気が弱くて出来ないだろうとか、やり返すなんて良くないとか色々と考えてしまいます。
ここからどうすれば良いのでしょうか?
982
:
避難民のマジレスさん
:2016/11/30(水) 23:57:16 ID:Y5LPInQE0
すみません、重複して投稿してしまいました
983
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 02:18:30 ID:v4u30W960
鬼和尚、相談です。
最近、姪(6歳)が友達の物を黙って持って来るようになりました。
1回目はシャープペンシルで、2回目はヘアピンです。
まだ、強く叱ったりはしていません。
やはり強く叱るべきなのか、もしくは滾々と諭すべきなのか?
この様な時はどう対処すれば良いでしょうか?
984
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 10:38:15 ID:Hasf7zeM0
>>977
返信ありがとうございます。
しかし、認識(=阿頼耶識)を観察し厭離するっていうのは無我に気づいている何かがいる
ってことだけに気づいても不可能なんでしょうか?
鬼和尚の教えの中では認識を滅する際は認識する素早い作用をとらえて厭離
させる、と書かれていますが、ただ背後で気づいている意識?に気づくだけでは
足りず、素早い認識のプロセスをとらえる、ということまで行えない限り、認識を滅する
ということは無理ですか?
鬼和尚が認識を滅したときは観ているものに気づいただけ(認識の素早い作用はとらえることなく)で厭離できたのでしょうか?
それとも認識の早い作用をとらえることで厭離できたのでしょうか?
よろしければお聞かせいただけると助かります。
985
:
としぼっくり
:2016/12/01(木) 18:10:33 ID:DAY232aw0
何度も聞いて申し訳ないですが、自分を追求すると、自我に気づきますか?
986
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/01(木) 21:19:40 ID:/GdpDFSk0
>>979
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>980
同じように歯がおかしくても芸人のようにそれで金儲けをする者も居る。
そのような者はむしろ他人と違う歯に感謝する気持ちさえあるじゃろう。
物理的に同じ状態でも人によって想いが違うのは、心の中に原因があるからなのじゃ。
おぬしにもそれが劣等感となる原因があったのじゃろう。
誰かに笑われたとか、いつも親や友人にからかわれたとかなのじゃ。
そのような原因から劣等感が起こり、原因が無ければ劣等感も無いことを心の中に観察するのじゃ。
そうすればなくなるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>983
何度も諭したらよいのじゃ。
一度では治らなくても何度も何度も諭すのじゃ。
子供は言葉と現実の行動がまだ結びつき難いから何度でも諭すのじゃ。
予め何度も諭さなくてはならないとわかれば怒る事無く諭せるのじゃ。
お釈迦様も子供に何度も諭したのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>984
認識に気付いたならばそれを注視して滅することが可能なのじゃ。
既に何を観るべきかわかるからのう。
無我であればそれも容易なのじゃ。
実践によって確めるしかないのじゃ。
>>985
いずれ気付くじゃろう。
目的を持って行なえば困難でもいずれは達成できるのじゃ。
例えば山に登ろうとして目的に向かって歩き続ければいずれは頂上に達するようにのう。
それまで日々精進あるのみなのじゃ。
987
:
としぼっくり
:2016/12/01(木) 21:26:06 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。自分を追求して行く事にします。
988
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/01(木) 21:57:48 ID:Hasf7zeM0
>>986
ということは認識に気づき、厭離させるためには必ずしも素早い認識の作用をとらえる
必要はなく、ただ無我を観ているものに気づくだけでも厭離までもっていくことは可能である、
ということでしょうか?必ずしも素早く働いている認識作用に気づき、それにより厭離させる、というルートだけが
認識を滅する唯一のルートという訳ではない、ということですか?
それから、無我になれば認識を滅することが容易だ、ということは
無我まで至った人で有名な方はたくさんいますが、彼らは皆総じてそこから
更に認識を観察し厭離させることがとても容易な状態に24時間いる(起きている間は)、ということですか?
それなら認識を滅することにすぐ手が届くのに、なんか凄くもったいない感じがしますが…
989
:
983
:2016/12/02(金) 01:30:51 ID:v4u30W960
>>986
お答えいただきありがとうございます。
「早く直さなければ」と焦って、一度で治すことばかりに気持ちがいっていました。
何度もトライしたいと思います。
ありがとうございました。
990
:
としぼっくり
:2016/12/02(金) 09:39:42 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、質問ですが、数息観は何分くらいやったら一番いいのですか?
991
:
蓮恵
:2016/12/02(金) 21:15:15 ID:mt9xxQ6U0
夢中になるという言葉があります
たとえばパチンコにはまっている人間は、
パチンコをやっている間は快感を感じているとは思いますが(私はパチンコやったことないので推測ですが)
正しく観察してみれば、もちろん快感も当然あるのですが、常に損に怯える恐怖や焦り、台に対する怒りといった苦も当然感じているわけで、パチンコやっている間は、快楽と苦の両方が交互に来ているわけです。
もちろん苦の感覚が強ければ、人はパチンコから離れますが、現実的に依存症になったりする人もいます。
ここで思うのが何かにドハマリする人間は、苦が見えずに快楽だけに集中しているので、依存症になったりするほどハマるのではないのでしょうか。
射幸感とはこのようなものかもしれません。
人は快楽だけを求めて、苦を認識できない傾向もあるのかもしれません。
苦しみを認識しないために快感だけに集中するというのが、いわゆる無明に分類される愚かさかと思いました。
992
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/02(金) 22:12:45 ID:/GdpDFSk0
>>987
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>988
無我であれば素早い認識の働きも観察できるのじゃ。
そうであるからそのような段階になるのじゃ。
一度に認識を観るのは困難なのじゃ。
そうなるじゃろう。
そうであるから真正な師は弟子が小悟で終わることを諫めたのじゃ。
大悟徹底まで行かなければ修行も無意味なのじゃ。
>>989
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>990
おぬしが集中していられる時間までなのじゃ。
初心の頃は五分でもよいのじゃ。
日々続けることが大事なのじゃ。
長くしたい時は20分位でよいのじゃ。
自分のやり易い時間が一番なのじゃ。
>>991
そうじゃろう。
快感を求めて苦を無視しているのじゃ。
993
:
としぼっくり
:2016/12/02(金) 22:34:54 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。20分心がけて頑張っていきます。
994
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 09:01:05 ID:czRftzgI0
1.ワンネスまで体験した人で世界が勝手に動いているだけいつでも安楽に入れるという人たちは、そこでやめている。
そこからさらに観念を滅して大悟徹底に至ることを知らない人たちということですか?
2.悟るともはや悟りを探求することに意味を感じなくなる、それが悟っている人とそうでない人の違いと言うのは本当ですか?
和尚さんはもう何も探求していないのですか?
995
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 10:25:56 ID:Hasf7zeM0
>>992
鬼和尚も認識を滅した際は無我になった上で認識の素早い作用をとらえることで
厭離したんですか?
996
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/03(土) 21:43:34 ID:/GdpDFSk0
>>993
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>994
1 そういえるじゃろう。
体験だけならばサマーディでできるからのう。
2 本当に大悟徹底したならばもはや何もなすべきことに意味を感じないのじゃ。
わしは衆生に説くために、心を学んでいるのじゃ。
>>995
そのようにいえるじゃろう。
言葉通りではないがのう。
実践あるのみなのじゃ。
997
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/03(土) 23:39:35 ID:Hasf7zeM0
>>996
何度も同じことばかり聞いて申し訳ないんですが、認識を滅するルートについて
だけははっきりさせておきたいので改めて質問させていただきます。
「認識を滅する」には、まずどちらも前提として無我の状態になった上で
A・無我の状態を「観ているもの」を観察し、厭離させる
B・認識の作用を観察することにより厭離させる
というように二通りの言い方で鬼和尚はおっしゃっている、と私は思っているんですが、不明瞭なのはAの中の、無我の状態を「観ているもの」を観察して厭離するというのは、その言葉の中に認識する作用を観察する必要がある、という意味が含まれているのか、
はたまた認識する作用を観察できなくても無我の状態を観ているものに注意を向けて気づく「だけ」でも観察、厭離できるのか、ということです。
もしAの言い方の中に既に認識を厭離させるためには認識する作用をとらえる必要がある、
という意味が含まれているのならいくら座禅中に思考に同一化せずに観ている何かに気づいたところで厭離することはできない、ということになりますが、そうではなくAの言い方の中には認識する作用をとらえる必要はなくて、単にその観ている何かに気づくというだけでも厭離することができる、というのなら認識を観察して厭離させるためのルートが上記A、Bと二通りあることになるので、実際はどうなのか、現時点ではっきりさせていただきたく、質問させてもらいました。
998
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/04(日) 05:40:48 ID:czRftzgI0
>>994
人によって到達点は様々なことがわかりました。最終到達点に行けるよう頑張ります
ありがとうございました
999
:
蓮恵
:2016/12/04(日) 18:40:45 ID:mt9xxQ6U0
和尚さま
人の心は、常に苦痛から逃れる術を求めているようです。
苦痛を避けて幸福を求めるのもその一つで、自分の本心を観ようとしないとか己を誤魔化すのもその手段のようです。
根本的な問題を直視したくないがために、これは別の問題を作り続けているようなものです。
>>996
悟った後の学びがあるんですね
1000
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 19:18:50 ID:Z/zuQ/I60
鬼和尚さ
1001
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 19:22:04 ID:Z/zuQ/I60
↑失敗して押してしまいました。すいません。鬼和尚さん質問ですが、自我に気付いたら、自我に気付いたとわかるものなんですか?
1002
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/04(日) 21:38:11 ID:wTZcXC0U0
>>997
観ているものを観るのはその機能を観察することでもあるのじゃ。
それらを完全に観ることで厭離も起こるのじゃ。
例えば感覚を観察し、厭離する時、その機能を観察し器官を観察しその働き等を観察するということをするのじゃ。
視覚ならば目という器官を観察し、目による機能を観察し、見るという領域等を観察するのじゃ。
そのように詳細に観察して厭離も起こるのじゃ。
認識もその通りに認識するものと、認識の働きと、認識の働く領域等を観察すれば完全に厭離できるのじゃ。
人によっては半分でも観察することで認識に気づき厭離が起こることもあるじゃろう。
集中に習熟すれば自然に思考が無い状態も維持できるようになるものじゃ。
それは実践によってのみわかることじゃ。
無我になったならばそれも容易になるものじゃ。
日々の精進によって今できないこともできるようになるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>998
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>999
そうじゃ、苦にさえも執着しているのじゃ。
それに気付いてよかったのじゃ。
悟っても悟らなくとも衆生のために精進あるのみなのじゃ。
>>1001
わかるのじゃ。
無我になるからのう。
主体無く、大きな安楽と安らぎがあるのじゃ。
そのような大きな変化に気付かない筈はないのじゃ。
1003
:
としぼっくり
:2016/12/04(日) 21:59:08 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。続いて質問ですが無我になると、主体は無くなるのですか?
1004
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/05(月) 12:21:16 ID:Hasf7zeM0
>>1002
そうなんですか、ということは話をまとめると自分のように思考に気づいている何かがいる、
と気づくだけでは不十分で、その認識する作用というかプロセスを観察すること
ができて初めて厭離を引き起こせる、ということですね
1005
:
避難民のマジレスさん
:2016/12/05(月) 12:48:33 ID:4r9Nyxn.0
鬼和尚さん、こんにちは。
また苦のなくし方について教えてください。
私は心に劣等感を持っていて、それは狭い世界の狭い基準で測られただけのものだとはわかっているのですが、ふとした拍子にそれが心から出てきて苦が生まれてしまいます。
例えば、見知らぬ店員さんに、自分にだけ冷たくされたりすると、全く関係ないことなのに自分の劣等感が刺激されて、自分には価値がないという辛い気持ちになってしまいます。
この無意味な苦をなくしたいのですが、生まれ育った中で身についた価値観なので、それが狭い世界の基準だとわかっていても、その価値観に依存してしまいます。
どうしたら、劣等感をなくしたり、何かあっても劣等感が刺激されないまでになれるでしょうか?
それとも、根深く身についた価値観であるということの他に、もっと別の原因があるのでしょうか?
1006
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2016/12/05(月) 21:04:17 ID:wTZcXC0U0
>>1003
そうじゃ、無いじゃろう。
自分という観念が無いからのう。
実践によって確めるのじゃ。
>>1004
そうじゃ、ただ漠然と在るということに気付いているだけではいかんのじゃ。
無我になり、観察することで厭離も起こるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>1005
それも原因がわかれば消えるじゃろう。
親とかにそのように扱われたことが原因かもしれん。
その原因から劣等感が起こり、その原因が無ければ劣等感も無いことを観察するのじゃ。
消えなければそれは正しい原因ではないのじゃ。
更に深く自分の心を観察して真の原因を探すのじゃ。
1007
:
偽和尚★
:2016/12/05(月) 22:17:35 ID:???0
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