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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
1
:
1
:2013/10/08(火) 07:12:09 ID:WL2yRwjAO
ここは鬼和尚限定の質問スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争はアウトです
ルールを守って使用しましょう
428
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 01:29:24 ID:Z/k1vghg0
なんで迦葉は花を見て笑ったの?
429
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 03:23:05 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、私は以下のように考えますが、これでよいでしょうか。
真偽を確かめることができない説や懐疑論等をとなえる者を外道として退け、苦を滅する実践こそ大切である(* ̄O ̄)ノ
確かに輪廻があることを前提に取り組んだ方が、切実な苦に悩みそこから脱したいと実践に取り組む者が、その目的を達することができず安易に死を選択することを避けさせることができるかもだけど、そんなことは修行の実践にとって重大事ではない(* ̄O ̄)ノ
430
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 14:13:09 ID:XpOqqj3k0
あなtが苦しみを消そうとしていますね。
あなたが即苦しみの原因ですから、それでは抑圧にしかなりませんよ。
431
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 14:17:52 ID:XpOqqj3k0
>>429
信じようとするから懐疑の問題が出てくるのであって、
「知らない」という事実に留まるなら
何も信じることは無いし、なにも疑うことはありません。
知らないことについては知らないだけです。
疑いようがありません。
あくまで信じたとき、迷信してるときだけ、それを疑うことができます。
だから、疑うことは迷信のレベルから出ることなので信じること寄りは宗教的なのです。
信じることをやめたとき疑うことも消えます。
知らないという事実に留まります。
何でも疑いなさい、私の言ってることが正しいと解っていても疑いなさい====グルジェフ
疑いということは人類最大の祝福である====OSHO
432
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 14:19:42 ID:XpOqqj3k0
疑うということは人類最大の祝福である====OSHO
OSHOは疑いを捨てることを言いましたが、信じることはもっと捨てるように言いました。
この2つは同時におちると言いました。
信じてるよりは疑ってる方がましです。
疑いが落ちる時信じることも落ち、無知に安住します。これを信と表現していました
433
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/15(日) 20:17:52 ID:kaXJvxhM0
>>424
感覚が乖離されてきたのじゃな。
肉体の囚われから離れていくじゃろう。
快も生じてきているのじゃ。
そのまま進むと良いのじゃ。
>>425
箴言
「勧めを聞き、教訓をうけよ、
そうすれば、ついには知恵ある者となる。
>>428
何か可笑しかったのじゃろう。
特に意味はないのじゃ。
あえていえば人は華の様であるとかわかったのじゃろう。
>>429
そうじゃ、全ての教えは実践のためのものなのじゃ。
実践のない知識は無意味なのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
434
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 20:43:14 ID:byGhGyc60
鬼和尚
>>420
と
>>421
にも、ご回答いただけますでしょうか。
435
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/15(日) 21:09:42 ID:kaXJvxhM0
>>434
見逃していたのじゃ。
すまんのう。
>>420
そうじゃ、やはり空と同じものと言えるのじゃ。
金剛経にもこの世を夢幻と見るようにと教えられているのじゃ。
グルジェフは博識であるから知っていたのかも知れんのじゃ。
>>421
そうじゃ、出来れば皆悟りを得たら戻ってきて教えを説くという誓願をして置くと良いのじゃ。
それが修行を進める力にもなるのじゃ。
そのような理解で良いのじゃ。
意志を起こさなければずっと無念無想でいられるのじゃ。
そのような訓練はしなくとも、以前の自分の認識を呼び起こせば使えるのじゃ。
記憶に依存した認識もやはり習慣によって身についているのであるからのう。
一つ一つの物を言葉と結び付けていては、もう一度赤子の頃からの教育をやり直さなくては成らないから大変なのじゃ。
436
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/15(日) 21:52:53 ID:XpOqqj3k0
>>435
グルジェフやOSHOの実践的な話にはまるでついてこれないようですね。
自分のペースで言葉を垂れ流してばかり。
悟り、、、か。
言葉に過ぎない。
人の数だけ悟りという言葉に込める意味は異なる。
悟りという言葉を鬼和尚は独り占めしたがる。
所詮言葉だ。
好きに使うがいい。
437
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/15(日) 22:45:46 ID:hUDzEkKo0
>>433
ありがとうございました。
438
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/16(月) 00:04:58 ID:LC3de7YgO
>>433
ありがとうございますm(__)m
精進します。
439
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/16(月) 00:08:55 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
先ほど坐っておりました。
自分の肉体と呼吸は、この地上にいる間だけ、たまたま、肉体として形作られ、それを維持するしくみの一つとして呼吸が行われているに過ぎない、刹那的なもののように感じられました。
坐ったまま、まるで眠りに入ったかのような静寂がありました。
家の近くに鉄道の駅があり、踏切もあるので、瞑想中に電車のゴーという音と遮断機のカンカンカン…という音が聞こえます。
それで、いつもはわずかにうるさいという思いが生ずるのですが、今日は何かを思うということはありませんでした。
音が聞こえても、静寂でした。
440
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/16(月) 08:02:53 ID:TWsIZlsE0
鬼和尚さん
心を制御するということと、何にも心を捕らわれないようにすることは、同じことですか?
441
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/16(月) 12:45:51 ID:jfWCoXjM0
座れ座れって言うけど座って何するの?
442
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/16(月) 13:06:07 ID:fgD13pAM0
>>435
>>421
です。
悟りを得た直後にどのようになるのか分からず、恐怖が
あったのですが、幾分かイメージが掴めました。
悟り後をイメージしてみても、肩に力が入らなく
なっています。
誓願を胸に、実践に励みます。
ありがとうございました。
443
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/16(月) 21:05:23 ID:kaXJvxhM0
>>436
箴言
「勧めを聞き、教訓をうけよ、
そうすれば、ついには知恵ある者となる。
>>437
どういたしまして、またおいでなさい。
>>438
そうじゃ、実践あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>440
違うのじゃ。
その二つは互いに補い合う性質のものなのじゃ。
心を制御すれば心が囚われないようにすることもできるのじゃ。
心が囚われなければ心を制御する事も容易いのじゃ。
例えば人の心は車に荷物を一杯積んでいるようなものじゃ。
そのままではまとも走る事も中々難しいのじゃ。
操縦が巧みならば荷物を振り落とし、軽くする事も出来るのじゃ。
軽くなれば操縦もし易くなるのじゃ。
荷物とは囚われであり、ハンドルを握って車を操縦する事が制御なのじゃ。
様々な囚われによって制御し難い心も、修行によって心を制して囚われを払えるのじゃ。
そうすれば制御もし易いのじゃ。
444
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/16(月) 21:10:29 ID:kaXJvxhM0
>>441
瞑想をするのじゃ。
数息観などをするとよかろう。
成功者の多くは瞑想の習慣があると言う。
世間で成功するにも有利なのじゃ。
やってみたらよいのじゃ。
>>442
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
445
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/16(月) 21:38:05 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
>>439
もお願いします。
446
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/16(月) 22:05:53 ID:ncKanP4g0
静寂とか色々書いてる割には鬼に対する依存心が強すぎだな。
447
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/17(火) 13:15:50 ID:9sUr3kKo0
>>443
鬼和尚さんありがとうございます。
何にも捕らわれないようにすれば、心を制御できる気がしたのですが、その二つには違いがあるのですね。
心を制御できるようになりたいのですが、数息観以外にも何か方法はありますか?
鬼和尚さんは、数息観で集中力がついてから観察をすると良いとおっしゃっていますが、
どのくらい集中力がついたかは、どうやって測ることができますか?
また、どのくらい集中力がつけば、観察に適する程になったと言えますか?
448
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/17(火) 19:38:58 ID:wPQXVTUw0
言葉やイメージを用いない観察について質問です。
苦しみがあって、目を閉じてその苦しみを観察しようとしてみても苦しみはどこにもなく、体の感覚しか観察できません。
言葉とイメージを使った観察でしたら記憶を辿ったり連想したりして苦しみの原因を探っていけるのですが…
やり方に問題があるのでしょうか?
449
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/17(火) 20:20:58 ID:kaXJvxhM0
>>445
見逃していたのじゃ。すまんのう。
>>439
感覚が乖離されたようじゃ。
外からの刺激に自動的に反応する事がなくなったのじゃ。
その静寂も更に深くなっていくじゃろう。
更に進むのじゃ。
>>447
自分の心を観察し、囚われを少なくすると良かろう。
囚われがあれば心は勝手に反応して制御が難しいのじゃ。
観察して囚われを無くすのじゃ。
時間を量ればよいのじゃ。
10分ぐらい一つの事をやれれば十分なのじゃ。
伝統的な教えでも第2禅までいければ観察して良いと言うのじゃ。
観察による心の反応は直ぐに現れる故に、10分ぐらいで十分なのじゃ。
450
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/17(火) 20:27:34 ID:kaXJvxhM0
>>448
それで良いのじゃ。
苦もまた肉体の反応として観察できるものであるからのう。
苦があれば腹が痛くなったり喉が詰まるような感じがしたりとさまざまな反応があるものじゃ。
それが観察できれば苦は観察できているのじゃ。
原因を探すのは言葉とイメージを使ってよいのじゃ。
言葉とイメージによる何らかの観念として囚われているのであるからのう。
451
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/17(火) 21:14:56 ID:hUDzEkKo0
>>449
ありがとうございました。
452
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/18(水) 15:19:58 ID:sXV.DIYU0
>>449
鬼和尚さんありがとうございます。
何に心が捕らわれてしまうかについて、その時どきで観察してみます。
それから、集中力は10分でいいということで意外にできそうなので安心しました。
今は5分くらいしか続きませんが、がんばってみます。
集中の次の、観察のやり方について質問なのですが、座りながら10分間集中して数を数えられるようになったら、次は同じように目を閉じて座って、自分の心を観察すればいいということでしょうか?
でも、そうやってただ座っているだけでは、心もぼーっとしているだけなので掴み所がない気がするのですが、何か観察のためのちがうやり方があるのでしょうか?
453
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/18(水) 16:36:53 ID:JXKkxHbE0
全てを空とか夢幻と観想することで、どうして(どのようなメカニズムで)悟りが得られるのですか?
454
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/18(水) 17:48:26 ID:gOqWUDAs0
鬼さん人間は自分の体に密着して生活している殻だ。少しは余裕を持つて
身体から離れて観る事も必要なのですか。そうすれば少しは情けない
自分も見つめられる鴨。でも自分を攻めない性格の人なら安心鴨責める人は
如何なんだろう?私は責めない性格なのでそれは良くわからないし関係無いし
責めないで温かく見守れば良い鴨
455
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/18(水) 20:27:04 ID:kaXJvxhM0
>>451
どういたしまして、またおいでなさい。
>>452
心に苦があるならばそれを観察すると良かろう。
原因を探し、原因から苦が起こることを観察するのじゃ。
そして原因がなければ苦も起きない事を観察するのじゃ。
そうすれば苦は消え、心の観察も上手くなってくるじゃろう。
>>453
簡単に言えば観念への囚われから解放されるからなのじゃ。
人は自分と言う観念から自分のもの、他人のもの、自他のものではないものとか、様々に観念を抱えているものじゃ。
その観念がある限り、己への囚われがあり、苦があり、悟る事は出来ないのじゃ。
それを我見とか有身見とか言ったりするのじゃ。
一切を空と見なせば我もなくなり、無我になり、無我を見る認識も去って真の悟りが得られるのじゃ。
>>454
そうじゃ、自分を客観的に観る事も必要なのじゃ。
否定も肯定もせずに観られれば大きな進歩があるじゃろう。
それこそが真の観察なのじゃ。
456
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/18(水) 23:44:45 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
坐っている間、爽快感を感じるようになりました。
脳内麻薬が出ているのかもしれません。
また、どうやらしばしの間何もしてなかったらしい、と気付きます。
457
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/19(木) 03:46:26 ID:pwM0EAio0
>>455
幻想と見做す、というのは方法かもしれませんが、本当に幻想だった、と目覚めないと
自我からは解放されないので思い込みになりますよね。
自我に同化して自我がゆるせないものがあったとき、自分も他人も世界も幻想なんだ、
と見做そうとして板挟みになり心身ともに追い詰められました。
実際には幻想だと見做せていないからです。むしろ自我は絶対に幻想だと見做せないし
許せない、これを最後まであらわにしたことで、シフトがあったように感じました。
チャクラとかクンダリニーとか幻想だとか言いますが、実際に霊的状況が移行していく過程
を経なければ、幻想だという境地になれないのも事実です。はじめから目覚めている人以外は。
458
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/19(木) 03:48:21 ID:pwM0EAio0
他の方の質問に横入りしてしまいました。
459
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/19(木) 07:10:21 ID:JXKkxHbE0
457さんの発言について鬼和尚さんに質問です。
”めげずに何度も空と観想することで効果が表れる”という趣旨のことを
鬼和尚さんのブログで読んだ気がしますが、実際はどうなんでしょう?
自我が空を観想しても観念の遊戯で終わってしまうのでしょうか?
460
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/19(木) 12:09:46 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
実在と観念について、少し詳しくお教えください。
何か言葉で説明された時に、その言葉の指すものが、
実在なのか観念なのかを判断したいというのが、質問の意図です。
例えばリンゴは実在、社会は観念というように、言葉の
指す先のものが、五感によって認識できるものが実在であり、
言葉とイメージによって作り出されたものが観念であると
私は理解しています。
とすると法は、人が実践すべき方法と、正しく実践できた
場合に認識可能な結果が組になっているものと理解しているのですが、
これは、実在と観念のどちらでしょうか?
あるいは別のものでしょうか?
461
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/19(木) 12:41:52 ID:q6nZMvw60
>>455
鬼和尚さん何度も質問に答えてくださってありがとうございます。
また質問させてください。すみません。
まだ観察のやり方が曖昧にしかわからないので教えてください。
観察する場合も、数息観をする時のように、毎日10分くらい時間をとって、目を閉じて座って、苦を観察すれば良いですか?
そのとき苦を感じていない場合は、何を手がかりにしたらいいでしょうか?
それから、昨日、苦を観察してみたのですが、体が苦しいことを見るだけで精一杯で、その原因がなかったことを想像するのはとてもできませんでした。
想像しようとしても、原因がなかった場合の心の状態をうまく実感できません。
どうしたら良いと思われますか?
462
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/19(木) 20:22:52 ID:kaXJvxhM0
>>456
快が生じてきたようじゃ。
瞑想の味わいを楽しんだら良いのじゃ。
世間を越えた喜びが感じられるじゃろう。
>>457
幻想の思い込みで良いのじゃ。
それは観念を破壊する観念なのじゃ。
真摯に行えば結果は出るものじゃ。
途中で恐れを生じて逃避すると却って苦しいのじゃ。
自我を放棄するまで行うが良いのじゃ。
>>459
何度も行えば確実に効果は出るのじゃ。
むしろ途中で自分がなくなるとか、それで狂気に陥るとか思って止めてしまう者が多いのじゃ。
効果がなかったとか言うのは大抵はそのような逃避が原因なのじゃ。
本当に効果を知りたければ自ら試してみる以外にないのじゃ。
463
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/19(木) 20:40:16 ID:kaXJvxhM0
>>460
法とその結果は別といえるのじゃ。
法とは観念を破壊するための観念なのじゃ。
それ故に筏の喩えには法もまた彼岸に達すれば捨て去られるべきものとして説かれるのじゃ。
法によって得た苦の滅や彼岸は感じられるものであるから実在といえるのじゃ。
>>461
修行として時間を取ってやるのも良いのじゃ。
日常でも常に観察しても良いのじゃ。
苦を感じていなければその時感じていることを観察すれば良いのじゃ。
瞑想によって起こる快などを観察するのも伝統的な観察法として在るのじゃ。
観察を続けていれば苦は減っていくのじゃ。
苦を詳細に観察するだけでも半分はなくなっているのじゃ。
やがて原因が無い事もよく観察出来るように成るじゃろう。
全ての法は修行者が何度も繰り返し、自分だけのやり方を編み出していく事で身に付いて行くものじゃ。
464
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/19(木) 20:40:42 ID:hUDzEkKo0
>>462
ありがとうございました。
465
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/20(金) 12:50:46 ID:TgfwljSE0
>>463
鬼和尚さん長々とありがとうございました。
観察の方法などについて、今までわからなかったことがいろいろとわかりました。
早速実践していこうと思います。
まだ数息観をやっているところなのですが、道筋が見えてきたのでやる気が出てきました。
ありがとうございました。
466
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/20(金) 13:07:58 ID:Elpwrbn.0
>>463
ありがとうございます。
法は観念、法を実践して得られる結果は実在ということですね。
自我と認識を滅するということは、イメージと言葉と、記憶に
依存した認識を捨てるということで、それゆえ、法も神も、鬼和尚も
家族も友人も捨てることになるという理解でよろしいでしょうか?
とすると、悟りを得た後に記憶に依存した認識を創り上げる
ことで、もし必要があれば、捨てたものを再び拾うことも
できるように思いますが、この理解は正しいですか?
もっとも、後で拾えるということが囚われになって悟りを得られなければ
本末転倒ですが。
467
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/20(金) 20:08:54 ID:kaXJvxhM0
>>464
どういたしまして、またおいでなさい。
>>465
良かったのじゃ。
またおいでなさい。
>>466
そうじゃ、全て捨てるのじゃ。
法をも捨てるべきものであるから、法以外の全ても捨て去られるべきものなのじゃ。
拾う事は出来るじゃろう。
しかし恐らく大抵の目覚めたものと同じように拾おうと思う事もないじゃろう。
全てが幻想である性質に気付いてしまうからのう。
468
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/21(土) 09:20:04 ID:4Pp0TD2o0
>>467
ありがとうございます。
自我を消す恐怖はまだありますが、悟りを得る楽しみは増しました。
止観で悟りを得る場合に、最後に捨てるべきものが法だと理解したのですが、
それで、二つお聞きしたいことがあります。
法は、いつ捨てるのでしょうか? 自我が厭離された後、阿頼耶識を厭離する前ですか?
法を含むすべてを捨てた後で、悟りを得るのに向かう力は何でしょうか? 習慣ですか?
469
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/21(土) 20:52:40 ID:kaXJvxhM0
>>468
最後なのじゃ。
阿頼耶識をも法によって厭離した後、法をも捨てるのじゃ。
そこにはもはや法を行うものも法も無いのであるがのう。
法を捨てればもはやそこが悟りの境地なのじゃ。
無為に座っていれば自然に智慧や不死の境地が開かれるのじゃ。
それ以上に行く所はなく、行く者もなく、行くという事もないから力もないのじゃ。
無上にして究極の悟りがそこにはあるのじゃ。
470
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/21(土) 22:44:04 ID:7rD9T5220
>>469
ありがとうございます。
法を捨てるのは本当に最後なのですね。
阿頼耶識を厭離すれば、法は自然に捨てられるのでしょうか?
もう一つお聞きしたいことがございます。
今日、自分にとっては大きめの苦を一つ滅することができたのですが、
苦が大きいほど、それを滅する時にかかるストレスも大きい
ように思いました。まず、自我の逃避により他人に投影していた苦しみに
向き合うのにストレスがかかりました。さらに、執着ありの観想は
その執着から起こる苦しみに同化しやすく、執着なしの観想が難しかったため、
それらを何度も繰り返す羽目になりました。
厭離ができて心が平安になっても、ストレスによる胃の痛みは
うっすらと残っています。
そこで、苦滅の法の実践は、「今日はちょっと外出するのが面倒だ」
のような、軽めの苦から始めるのが楽な上に、効果も簡単に確認できて
良いのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?
471
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/22(日) 19:20:05 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
「別に死んでも良い」と口ずさむと、死の恐怖が薄れ、逃避行動もかなり弱まります。
死んでも全然いいんだと思うと、何かやり遂げねばという強迫観念がなくなります。
言語を使用して言語の束縛を断ち切る格好になりますが、この方法(あるいは方向)で究極の悟りまで到達できますか?
ある意味では「死んでも良い」という観念の作用が残り続けているとも言えなくもないですが。
472
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/22(日) 19:54:12 ID:NpBkhqbI0
「死んでも良い」と唱えると、ものすごい安心感に包まれます。
消滅の肯定により一切の執着が消えるからかもしれません。
古事記の時代から、国家は物語として死の恐怖を植え付けることで、国家の構成員を支配してきたともいえるわけですが
「死んでも良い」だと、古事記以来の日本の集合的無意識をも解体してしまう訳です。
死の恐怖からあらゆる差別や逃避行動が生まれてきたとすると、死を肯定的にとらえるならば、それらは消えてしまうことになりますし、
死を肯定することによってあらゆる恐怖心が和らぐ事か観察できます。
我が国の武士も「死ぬことと見つけたり」などと言っていますが、死を肯定すると、なぜか恐怖心が和らいで、戦場の駆け引きなども、かえってうまくいくということを
経験的に知っていたのかもしれないと思います。もっとも、後代に入ると「葉隠れ武士道」なども単なる観念による支配のテキストに変貌している訳ですが
真意は、もっと素朴に、あれ?死を肯定すると悲惨な戦場でも意外に楽に生きれるぞという経験則から生まれた発見だったのかもしれないと思います。
473
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/22(日) 20:00:20 ID:kaXJvxhM0
>>470
自然といえば自然なのじゃ。
一応法がもはや不要であると知るべきであるがのう。
為すべき何ものもない知ればもはや法も行う事は出来ないのじゃ。
そうじゃ、最初は小さな苦から消すのが良かろう。
しかし、人によっては早く滅しなければ命に関わるような苦や、一刻も早く滅したいという苦もあるからそれも考えなければ行かんのじゃ。
474
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/23(月) 19:59:36 ID:7rD9T5220
>>473
ありがとうございます。
鬼和尚は、2chで教えはじめてから数年経っていると
思いますが、衆生を理解しするのに特に難しいのはどのような
ところでしょうか? もし差し支えなければ、お教えください。
475
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/23(月) 20:42:16 ID:kaXJvxhM0
>>471
>>472
昨日は見逃していたのじゃ。すまんのう。
そのように言えば死に対する過剰な恐怖は緩和されるじゃろう。
元々死という観念はあまりに大きく恐怖を掻きたてるものであるから、そのようにして恐怖を緩和するのも良いじゃろう。
しかし、それも観念を作る故に悟りへは行けないのじゃ。
ただ死の恐怖を緩和するだけなのじゃ。
止観の瞑想を真摯に行えば悟りも近付いてくるのじゃ。
>>474
心を理解する事じゃ。
既に一切の苦が無い目覚めた者には人の心は理解し難いのじゃ。
お釈迦様も衆生の教化には苦労していたのじゃ。
衆生の心は目覚めた者にも不可思議と言えるのじゃ。
476
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/24(火) 00:06:53 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
瞑想中に、おそらくこうだろう、と気付いたことがあります。
一つは、爽快感に浸りながらも時々ブラックアウト、つまり意識を失ってしまいそうになることがあるのですが、それに対する怖れがあったということです。
二度と戻ってこれないかもしれない、という怖れです。
それに気付いた瞬間から、気のせいかもしれませんし、言葉でうまく表現できないのですが、瞑想中の感覚がこれまでとは異なるもの(どちらかというと好ましいもの)になった気がしました。
怖れはなくなったかもしれません。
もう一つは、断片的な記憶の再生が何度も繰り返して行われるのは、そこに「我」というものを投射しようとしているからではないか、ということです。
瞑想中は外部からの刺激が極端に少なくなりますので、記憶を再生することによって、投射する対象を作り上げようとしているように見えました。
私が普段音楽を聴いたり、ネットで動画を見たりすることも、これと同じことのように思えます。
477
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/24(火) 01:18:40 ID:XpOqqj3k0
鬼和尚が「自我」と言ってるのは、一般的に宗教でいう自我が「これが自我だ」と思う対象であり、思考であるに過ぎない。
自我が「これが自我」だと思ったものが消えれば、「自我が消えた、悟った」と感じるが、それを感じてるのが自我だ。
鬼和尚はまだ自我を知らない。
彼は自我が作ったものが現れ、そして消えるということに翻弄されてるに過ぎない。
宗教的な修行をきちっとすれば何らかの体験は起きる。
が、いかなる体験も自我が引き起こすものに過ぎない。
彼の共感の薄さ、怒り、負けず嫌いの幼児性。何一つ変わってない、もしくは平凡以下の人間のものだ。
そういう人間でも修行すれば、宗教的体験だけはできる。
これだから体験は危険だ。
>>455
何らかの原因を観察するのじゃ、というが、原因などない。
怒りは怒ってることそのものだ。そのものに覚め、脱出するだけのこと。
怒りは対象ではなく、主体である自分自身。ただ覚めることで脱出する他ない。
もし、それに原因があるとすれば、その怒り(自分)が何か理由をでっち上げて、これが怒りの理由だったのだと納得しているに過ぎない。
その納得するのはだれか、怒り(自分)である。
怒りを理解して超越する体験ができる。
が、怒りは何も変わってない。
その人の人格も生活も何も変わらない。同じ反応が続く。
鬼和尚のやってることは、自我が問題や、悟りなどの体験を作って、そしてそれを捨てたり、
無、空の観念でそれを抑圧することである。
悟りの観念を作ってから、自我の観念を作ってから、それがなくなったという体験(観念つくり)をする。
>>462
≫それは観念を破壊する観念なのじゃ。
それは観念の上書きであり、自我が余計強まる。
自我という幻想を破壊した自我の誕生です。
>>457
自我が幻想だ、というのは一つの可能性であり挑戦なのだと思います。
自我、、今の自分にとっての主客の関係が幻想だという先人がいて、そしてそれをあなた自身で見出しなさいという。
ただ覚めていなさいと彼らは言います。
自我が幻想だということは、まさに私が幻想だということです。
自我が幻想だというのは、私が自我だと思うものを幻想だとみなすことではなく、私が幻想であるということです。
祖師たちは、私が幻想であると、あなたが幻想であると言ってるのではないでしょうか。
その時、私に何ができるでしょう。
何もできないのだと思います。
何もできない絶対の無力を理解して明け渡すのだと、そういってるように思いませんか?
478
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/24(火) 08:30:45 ID:ncKanP4g0
妄想で他人に絡んで、自分の指摘が間違っているという事実が分かった後にも
つまらない質問だとか国語がおかしいとか、さんざん他人のせいにした人が
もう何を言っても滑稽なだけ。
いい加減その事に気づきなさいよ。
479
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/24(火) 12:23:14 ID:pEe1v5Oo0
>>475
ありがとうございます。
悟りを得ていなくとも、人の心を理解するのは難しいと
感じていますが、悟りを得ると、さらに難しくなるという
ことなのでしょうか。それは、仮設した自我で感じる苦は
意味がないと分かってしまっているからですか?
もう一つ、集中の瞑想でお聞きしたいことがあります。
瞑想中に自我が消えかける状態を何回か経験しているのですが、
その先に進めるのにアドバイスがありましたら、お教えください。
以前、自我を行くままにすれば良いと教わったのですが、
それが難しいです。自我が行くままにすることを意識しないように、
呼吸に注意を向け、その注意の意志力を、集中と意識が保てるギリギリ
まで下げていきます。しかし、自我の感覚の薄れに応じて、注意へ
の意志力をコントロールしようとするときに、コントロールする
意志に自我が投射してしまうようで、そこで覚醒度(?)が上がって
しまいます。
自我が消える恐れに関しては、肩の力が抜けていることからも、
最近はだいぶ少なくなっているようです。意識を保ったまま
寝るような感じに近いのかなと思っています。
480
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/24(火) 20:12:21 ID:kaXJvxhM0
>>476
気付きによって恐れがなくなったのじゃな。
良い事じゃ。
そうじゃ、感覚の刺激は自我の栄養なのじゃ。
それが在る限り、自我は投射され、認識されるのじゃ。
瞑想が深くなれば、やがて内外の刺激が認識されなくなり、無念無想の状態になるのじゃ。
その時、自我も忘れる瞬間がやってくるのじゃ。
>>479
そうじゃ、自分の観念で自分を縛って苦しんでいると見えるからのう。
自らを観念に因って縛らなければ苦も無いのじゃ。
そのまま進めたらよいのじゃ。
いつかその全てを観ている意識に気付くじゃろう。
行うものと行いの対象を両方とも観ている微妙な意識があるのじゃ。
それに気づけば無我でも意識はあることを知るのじゃ。
481
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/24(火) 21:59:18 ID:hUDzEkKo0
>>480
ありがとうございました。
482
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/25(水) 12:28:14 ID:YWqLYYqo0
>>480
>>479
その後試しに集中の瞑想中、心のコントロールをやめてみたのですが、
意識が混濁して、夢を見ている状態になってしまいました。
サマーディまではもうしばらくかかるようです。
方向性は間違っていないようなので、このまま止の行に励みます。
ありがとうございました。
483
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/25(水) 12:44:29 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、厭離についてお聞きしたいことがあります。
もし厭離に成功したならば、その対象の苦は
二度と再び生じないのでしょうか?
先日瞑想中に、ある苦を厭離したのですが、今日は別の刺激により、
同じ苦がわずかに生じるのを観察しました。
これが、苦滅が不十分であったためなのか、習慣により
苦が復活することがあるのか、それとも別の理由なのか
を知りたいです。
484
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/25(水) 18:50:59 ID:PuQP.nxc0
http://www.youtube.com/watch?v=iuCClgCRJek
↑はパパジの動画です。
ここでパパジの言っているマインドの観察は
鬼和尚の提唱している観察と同じものですか?
485
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/25(水) 19:05:22 ID:PuQP.nxc0
それと、この動画で言われていることをしたら悟りは得られますか??
486
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/25(水) 20:17:24 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚が人生相談板に来なくなったのは何か理由がありますか?
487
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/25(水) 20:41:38 ID:kaXJvxhM0
>>481
どういたしまして、またおいでなさい。
>>482
そうじゃ、日々精進すれば行き難き境地にも行けるようになるのじゃ。
そのまま真っ直ぐに進むのじゃ。
>>483
苦を完全に厭離すれば二度と生じないのじゃ。
もし起きたとすれば、未だ観察による厭離が完全ではなかったか、或いは複数の原因があったからかもしれん。
心にその苦に対する逃避があり、観ないように避けていたとしたら観察が不完全になることも在るのじゃ。
その場合は逃避が生じているという事も合わせて観察しなければいかんのじゃ。
苦の原因が複数であることも自らの心を観察し追求してみれば判るのじゃ。
例えば愛する者と別れる愛別離苦でも、喪失感や孤独感によるものと、自分のプライドが傷ついたからという原因があったりするじゃろう。
そのように複数の原因があるならばその原因も観察すべきなのじゃ。
488
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/25(水) 20:45:52 ID:kaXJvxhM0
>>484
そうじゃ、同じなのじゃ。
観察によって自我は厭離されるのじゃ。
パパジも観察を教えているのじゃな。
>>485
本当に自我が観察されたならば悟りは得られるじゃろう。
しかし無我だけでは未だ小悟なのじゃ。
更に認識をも厭離すれば真の悟りなのじゃ。
無我にまで行けば容易なのじゃ。
489
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/26(木) 09:52:40 ID:pwM0EAio0
>>477
そうですね、何もできない絶対の無力を理解して明け渡すところまで行くのに、自我がもがき抵抗する
ので凄く苦しいのですが、それが自我を明るみに出すこと=自我の死の過程として感じられるのでしょうか。
自我側からするとですが。
490
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/26(木) 10:28:23 ID:PuQP.nxc0
>>488
・鬼和尚は前にパパジは大悟、ガンガジは小悟と評してましたが、
パパジのいう悟りは無我のことを指してるので完全ではないってことですか?大悟した人も間違えるのでしょうか?
・パパジはガンガジを悟ったと認めて「教えを広めなさい」といったそうですが、大悟した人が小悟の人を認めることもあるのでしょうか?
・ガンガジやエックハルト・トールも「静寂があなただ」って言うけど、その教えじゃ無我までしかいけないですよね?
・常時無我の状態にあれば、悟りの何合目くらいまで到達したことになりますか?
・無我の段階で止まってる人が無認識までいくには、認識を観察して厭離できればいいんですよね?
鬼和尚も「無我まで行けば容易なのじゃ」って言うけど、何で無我の段階で止まってるんでしょう?
ほんとうに容易なことなら、もっと大悟の人がいっぱい出てきてもよさそうな気がするんですが。
491
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/26(木) 12:49:27 ID:wH0JIS760
>>487
ありがとうございます。
>>482
真っ直ぐに進もうとしたところ、早速、魔境と思われるものが現れました。
瞑想中に脇腹に少し、痛みの感覚が観察されました。ずっと観察していると、
その痛みは胸、肩と移動を続け、最後にはほぼ消えました。
また、寝ながら数息観を行なっていたところ、明晰夢と思われる現象を体験しました。
視覚と聴覚は現実のまま、あるいはそれよりもリアルな感覚でしたが、手の触覚は感じられませんでした。
夢の中では自由に動くことができ、また、望みのものを出現させることができました。
これらは瞑想が深まってきたことによる幻覚で、今後は雑念と同様にスルーしようと思うのですが、
ひとつ気になることがあります。
それは、痛みの感覚に関して、幻覚と本当の体調不良をどのように見分けたら良いのかということです。
とりあえず、瞑想後に痛みが観察されないので、今のところ「まあいいか」と考えていますが、
このような感じで良いでしょうか?
492
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/26(木) 16:31:54 ID:JaPsh.Zo0
>>487
>>483
確認してみました。
苦の第一原因である対象への執着は既に厭離されており、観想により
苦は生じませんでした。
そして鬼和尚が書かれていたとおり、もう一つ苦の原因がありました。
それは、記憶への執着でした。苦を含む経験だったにも関わらず、
その経験の記憶が自我を作り上げているということで、
苦の原因として見つかるのを避けていたようです。
それにしても、特に自我と深く関わる苦滅はストレスがかかります。
苦を滅した後の静かで安らいだ感覚を思い出しつつ、
一歩一歩進もうと思います。
ありがとうございました。
493
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/26(木) 16:40:25 ID:/knVzz8A0
「厭離」って何と読むのですか?
494
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/26(木) 19:55:20 ID:kaXJvxhM0
>>486
来ているのじゃ。
相談がないと書かないのじゃ。
>>490
知らないのかも知れん。
小悟、大悟とは禅の区分であるからのう。
そこまで研究が進んだ体系がないと判らんのかも知れん。
お釈迦様も間違えたのじゃ。悟後の修行が少なければ知らない事もあるじゃろう。
サマーディにまで到達したのならば、それを人に広める意味はあるじゃろう。
今は多くの者が悟りもサマーディも知らないのであるからのう。
何かをあなたとか自分とか名付けてしまうのならば、修行中に見た幻想を静寂や自分と思って途中で止めてしまうかもしれん。
一切が無としてのみ現される境地にまで行かなければいかんのじゃ。
八合目位じゃろう。
そうじゃ、認識をも厭離するのじゃ。
知らないからじゃろう。
禅の師匠のように教えてくれる者がいれば判るがのう。
495
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/26(木) 20:06:31 ID:kaXJvxhM0
>>491
それで良いのじゃ。
更に体が消えたような感覚が起こるとか、いろいろ奇妙な感じが起こるがみんなスルーしてよいのじゃ。
本当に体に痛みがあるならば、その原因となる疾患が消えなければ無くならないじゃろう。
直ぐに消えるならば幻想なのじゃ。
>>492
良かったのじゃ。
またおいでなさい。
>>493
えんりとか、おんりと読むのじゃ。
どっちでも良いのじゃ。両方ともちゃんと変換されるのじゃ。
厭い離れる事なのじゃ。
496
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/26(木) 22:40:50 ID:iWSGFj9s0
鬼和尚
普段リラックスしている時があります。
しかしその状態は、自我が無いからリラックスしているというわけではなくて、リラックスしている状態を自我が作り出し、リラックスしているという自覚をわざわざ自分に持たせているのであろう、と見えました。
何かによってリラックスした状態が破られると、そのことに対する怒りや憤慨などが沸くのは、自我が生きているからでしょう。
瞑想による静寂と似ているようでありながら、実は全く性質の異なるものであるように見えます。
497
:
素人A
:2013/12/27(金) 07:19:08 ID:gOqWUDAs0
鬼さん何で難で何で。神というか真実を知る宇宙人が夢中になっている物理学者
たちに自慢げに真実の物理公式を教えないのだろうか?損な公式なんて物理学者
は人に教えて貰ったら発見にならないし将棋でこっそりコンピューターの考えた
手を指してそれが自分の手と言えるのか?解らない事はわが手で解ってから感動
も有る師.教えてもらつてもわが未知とは言えないし手結局何もわからないまま
この世海栗有る苦のも正解いや世界なのですか。
498
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/27(金) 09:41:13 ID:2eLvpbuk0
>>495
痛みの感覚へのご回答、ありがとうございました。
瞑想中に生じるそのような感覚は全てスルーして、
行に励みます。
499
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/27(金) 15:05:43 ID:gOqWUDAs0
さあとりあえずはまあ何だ。ざ前は坐禅でブラフマンだろうが.お釈迦さん
だろうが.あほな私だろうが?皆ざ前空学ぶ事には違いが無い?これは平等に
歩く。そう思えはまあ良いかと。学ぶのは目の前の坐禅
500
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/27(金) 20:02:51 ID:kaXJvxhM0
>>496
そうじゃ、瞑想とリラックスしているのとは違うのじゃ。
瞑想によって無我にも容易に行き着けるのじゃ。
>>497
おぬしがゴリラとかサルに物理法則を教えないのと同じじゃろう。
言葉が違い、考えも違えばコミュニケーションは難しいのじゃ。
>>498
そうじゃ、更に修行するのじゃ。
またおいでなさい。
501
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/27(金) 20:25:08 ID:WL2yRwjAO
何故、人がやることは愚かな事が多いのでしょうか?
善かれと思ってやったことが大失敗だったと言う事ばかりです
愚かさを脱するにはどうすれば善いのでしょうか
502
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/28(土) 00:39:56 ID:iWSGFj9s0
>>500
ありがとうございました。
瞑想中のことですが、快感については、以前の爽快感を動的な快とするならば、今は静的な快があります。
瞑想による快を体感して間もない頃は、おそらく、それに対する驚きや喜びもあったのでしょう。
それが動的な感覚をもたらしていて、少し慣れた今は動的な感覚が薄れたのかもしれません。
瞑想中、静寂ではありますが、わずかな心の揺らぎも見て取れます。
それでも、以前と比べると、瞑想中のことを言葉に表し難くなってきています。
503
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/28(土) 06:29:05 ID:EFotA.fI0
悟後の修行って何するんですか?
504
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/28(土) 19:34:00 ID:XKsJ/sLU0
鬼和尚さんにとっては、みんな鬼和尚さんから生まれた稚児みたいなものですか?
505
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/28(土) 20:01:39 ID:kaXJvxhM0
>>501
智慧が無いからなのじゃ。
多く学び、適切な時に適切な言動を知って行う事で自他の利益も得られるのじゃ。
善心があっても智慧が無ければ本当に自他の利益を図る事は難しいのじゃ。
悟りを得られなくとも智慧は常に磨くと良いのじゃ。
>>502
そろそろ言語を超えた境地に入ってきたようじゃ。
瞑想の境地を特に言葉にしなくとも良いのじゃ。
言葉の無い観察も出来るじゃろう。
>>503
衆生を導くために智慧を磨くのじゃ。
知識も大事なのじゃ。
お釈迦様も最初の説法は失敗したが、だんだんと上手くなってきたのじゃ。
>>504
そのようなものじゃ。
わしは産めないがのう。わっはっはっは。
506
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/28(土) 20:03:23 ID:XKsJ/sLU0
道元が悩んだ「本来本法性、天然自性身」という言葉。
みんな仏なら修行する必要ないんじゃない?という疑問らしいのですが、鬼和尚さんならどう答えますか?
507
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2013/12/28(土) 22:58:13 ID:iWSGFj9s0
>>505
ありがとうございました。
508
:
龍華
:2013/12/29(日) 01:02:14 ID:kl1CR23s0
悟った方が死後、またこの世に腹から生まれてくる事もあるのでしょうか?
その様な事をした方は誰かいますか?
その人は赤子から親に育てられても悟ったままなのでしょうか
それとも普通の人間として育って修業しないと再び悟れないのでしょうか
あるいは意図的にその生の間だけは悟らないままで死んでいくのでしょうか
509
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 06:28:02 ID:XKsJ/sLU0
鬼和尚さんにとっては、神も無に等しい存在ですよね?
510
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 09:35:19 ID:XKsJ/sLU0
あ、創造神、維持神、破壊神のことです。
511
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 13:57:51 ID:XpOqqj3k0
>>489
それもまた、明け渡そうとしています。
明け渡すという知識を自我が手に入れて何とか明け渡そうとしています。
だから、自我は自我のまま好きに生きて、ただ覚めて生きて、
自我が何であるか自信が何であるか知ること、覚めることを祖師は言っているように感じます。
明け渡そうとするのではなく、覚めて、自我を生き切った人に、明け渡しが起きる、理解が起きる。
どうしようもないということが理解されると言っているように思います。
どうしようもないということを理解しようとしてはいけないと。
それは副産物。
主産物としてできうることは、ただ覚めて自分らしく、自我は自我らしく生きて、それを愛しただ見つめること。
自我を憎んだり消そうとしたりしたら、それが自我なのでどうにもならない。
512
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 13:59:47 ID:XpOqqj3k0
>>478
OSHIやグルジェフが、同様の質問に対して、私と同じことを言っています。
513
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 19:44:58 ID:XKsJ/sLU0
ジュニャーナ・ヨガについて一言お願いします。
514
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/29(日) 20:37:26 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は年賀状を書いたり門松を飾ったり甥や姪にお年玉をあげたりなどしませんか?
515
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/29(日) 20:51:35 ID:kaXJvxhM0
>>506
それを知るために鬼のように修行したらよかろう。
何か理由をつけて修行する必要はないとか思うのが懈怠なのじゃ。
どんな理由があろうと鬼のように修行あるのみなのじゃ。
>>507
どういたしまして、またおいでなさい。
>>508
無いのじゃ。
いないのじゃ。
すでに生まれる事は無いのじゃ。
悟る事ももはやないのじゃ。
生まれないのであるからのう。
>>509
>>510
そうじゃ、無じゃ。
みんな無なのじゃ。
516
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/29(日) 20:54:16 ID:kaXJvxhM0
>>513
ひたすら集中するサマーディの道なのじゃ。
集中が好きな者には役に立つじゃろう。
最後にはやはり己を観るのであるがのう。
>>514
しないのじゃ。
一休はしゃれこうべを持って歩いて回ったらしいがのう。
いかす坊主じゃ。
517
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/30(月) 09:50:15 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
在家で、年末年始になかなか落ち着いて座れない修行者のための
法話をお願いします。
518
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/30(月) 10:00:07 ID:tsdMVz5g0
>>516
ジュニャーナ・ヨガって知識のヨガですよね。
哲学的思索により感覚を制御して心理に到達する方法、という意味だったと思う。
ひたすら集中するサマーディ-の道ってのは初めて聞きました。
なんでそう解釈したのか説明してください。
519
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/30(月) 21:09:28 ID:kaXJvxhM0
>>517
最近は自己啓発の本などに社会で成功し、億万長者になるには瞑想を行うと良いとか書いてあったりするのじゃ。
多くの指導者が成功するための方法の一つとして瞑想を勧め、瞑想によって智慧が生じ、成功への道が開けたというのじゃ。
昔の剣豪なども禅寺で修行して剣が上手くなったりしたものじゃ。
智慧が生じるだけでなく、丹田に機が落ちる事で肉体にも好影響があるのじゃ。
瞑想によって心が静まれば確かに智慧が生じるものじゃ。
普段はわからないような問題でも、瞑想中ならば智慧が生じて簡単に解けたりするのじゃ。
瞑想中には一時的に自己への囚われや環境への依存が無くなる故に、智慧も生じるのじゃ。
誰でも普段の生活では自分と言うものがあり、自分が利益を得たり、不快を避けて、快楽に向かおうとしておるのじゃ。
その性質が多くの情報を遮断し、視野を狭くしたり、必要な知識を思い出せなくしているのじゃ。
良いアイデアでも少しでも不快なものであれば無意識に見ないようにしたり、避けようとするからなのじゃ。
更に周囲の環境から常に投射されている自我は、その制約の中でしか思考は出来ないのじゃ。
例えば今自分に一万円しかなかったら、その金でできる事しか考えられない。
百万円でできる事など夢想として考えられないのじゃ。
それ故に瞑想によって自分の枠を離れ、環境の制約をも超えれば、それらの障害は取り除かれ多くの智慧が生じるのじゃ。
少しの努力や不快を要する事でも、高遠な境地にある大きな利益を見出す事が出来る。
そして環境にも囚われずに大きな理想を感じる事も出来るのじゃ。
更に瞑想を続ければ、人を超えた大きな喜びも感じる事が出来るようになる。
人が望む全ての快楽と歓喜は瞑想によって達成する事が出来るのじゃ。
そうであるから世間の欲を達成するためにも、自己を練磨するためにも、喜びを味わうためにも瞑想を活用しても良いのじゃ。
お釈迦様も修行者はむしろ瞑想の喜びに触れよと言っておるのじゃ。
例え欲の為に始めた瞑想であっても、続ければ瞑想の喜びが人を思いもしなかった境地へと導いてくれるものじゃ。
死を超える事だけを考えて悟りを求めた者が、全てを手に入れて歓喜するように、瞑想が人を全てへと誘うじゃろう。
520
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/30(月) 21:13:36 ID:kaXJvxhM0
>>518
間違えたようじゃ。
サマーディはヨーガスートラの教えじゃった。
すまんのう。
ジュニャーナ・ヨガは仏教の止観と似ているのじゃ。
智慧というがやはり観察しているようじゃ。
智慧によって観察する道という意味かも知れん。
マハラジなどはそれが観察者を作り出すとして批判するようであるが、それもまた向いているものが行えば悟りへの道となるじゃろう。
521
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/30(月) 23:01:36 ID:ZPFk8Jag0
素晴らしい法話ですね。感動しました。鬼和尚は天才かもしれない。
522
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/31(火) 09:47:49 ID:byGhGyc60
鬼和尚、
覚者が中長期的な戦略や、構造のある複雑な文章を考えるときなど、
複雑な言語・イメージ操作をしなければならない時は、どのようにするのでしょうか?
仮の自我を作り出し、その上で思考しますか? それとも、意志を起こして
無我のままで思考するのでしょうか?
523
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/31(火) 10:40:52 ID:tsdMVz5g0
>>520
ジュニャーナ・ヨガ≒仏教の止観とういう事ですか。
そうなると不二一元論と仏教の違いは、最終的にアートマン(=ブラフマン)まで
捨てられるかどうかって事だけのような気がしますね。
しかしアートマンが無いとすると、それこそ存在や現象など世の中の事象の
全てが無い事に成りませんか?
だとしたら、鬼和尚とは何ですか?
524
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/31(火) 18:15:17 ID:XpOqqj3k0
>>519
貴方、知恵ないでしょw
出来もしないこと、ありもしないものを語ってるのは滑稽どころか憐れですらある。
貴方の感情の動きは幼稚な子供のものでしかない。
あなたは、あなたの言う宗教用語に目をくらまされる気の毒な人としか交流できない。
あなたは、世間の人と世間で付き合う時頓珍漢なことして、失敗続きで、馬鹿にされてるでしょ。
知恵なんてどこにもないでしょ。
貴方の言ってることではなく、あなたの感じてること、やってること、普段やってるであろうことに目を向けると、、
子供の自我が、無自我の体験をして何か自分が特別になったという幻想にしがみついて周りの失笑を買ってる姿が見える。
525
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/31(火) 20:39:40 ID:kaXJvxhM0
>>521
おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。
>>522
最初は自我による思考をするのじゃ。
慣れてきたら無我による思考にするのじゃ。
それは身体を操作するのと同じなのじゃ。
ダンスでも体操でも最初は一つ一つ教わった通りに自分で確かめながら動きを覚えるじゃろう。
動きを体で覚えてしまえばもはや考えずに無意識に動いたほうが良く動けるのじゃ。
志向も最初は間違えないように一つ一つ筋道を確かめて習うじゃろう。
全ての要素を覚えてしまえば無我によって自由に思考を働かせれば、より良い智慧が浮かぶのじゃ。
2ちゃんねるの書き込みもそのようにして智慧を働かせて書いているのじゃ。
526
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/12/31(火) 20:46:30 ID:kaXJvxhM0
>>523
アートマンは元々無によってのみ現されるものなのじゃ。
多くの学者達は勘違いしておるがお釈迦様こそアートマンを本当に理解し、説いて居るのじゃ。
認識できる全てはアートマンであり、そのアートマンは無によってのみ現されると観想した時、迷妄を離れたブラフマンが全ての事象として顕現するのじゃ。
527
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/31(火) 23:22:43 ID:4UCH3jwY0
鬼和尚さん
今年はありがとうございました。
鬼和尚さんに観察の方法などを教えていただけたことも感謝していますが、
もうひとつお礼が言いたいことがあります。
鬼和尚さんのおかげで、頭痛になることが少なくなりました。
頭痛の原因が首にあるという他の方への回答を見てから、首を冷やさないように首にタオルを巻いて寝ることと、
圧が分散する枕を使うことを試してみたら、本当に頭痛が減りました。
子供のころからの悩みだったので、とても感謝しています。
ありがとうございました。
鬼和尚さんも良いお年をお迎えください。
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