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なぜエスペラントは普及しないのか?

541ベダウリンデ:2009/07/27(月) 09:30:17
なつさんの1・2案には、両方賛成です。
>男性名詞にinoをつけることによって女性名詞にすることに統一すること。
この事自体は決して男女差別ではない、と思うようになりました。
きっちりきれいに分ける方が、むしろ「平等」です。

逆に、基本的には中性概念とし、場合によって女性のみ区別する、という方がサベツ的です。
日本語もその傾向を持ってます。
医師(男女)と女医、警官(男女)と婦人警官、孫(男女)と孫娘。等々
女性のみを分別する単語はあるのに、それに相当する男性形は存在しない例です。
この点では、amiko(男女)、amikino(女)、viramiko(論理上可能だが実際は使用されない)とする現エスペラントと同じです。

日本語は民族語であるので、日本文化を背景にして発展します。
女性を分別する単語が生じたのは、(特に過去において)日本文化で女性差別が存在した証だと思います。

女医という単語が存在するのは、女性医師は珍しいという、教育的機会の不平等の結果。
(現代はもっと別な理由で区別したがる傾向も?)
戦前には小学校に「女先生」が存在したが、現代では女性教師の方が普通なので、そんな言い方しない。
婦人警官も、体力的な面で男性警官と区別する必要から生じたのでしょう。
孫娘は、昔の家制度のもとで、家督を継ぐ可能性を持つ男孫ではないけれど、でもかわいい、的なニュアンスが感じられます。
自分は聞いたことなかったのですが、広辞苑には「いとこめ」という単語もありました。
男いとこは分家の家督を継ぐ可能性があるが、そうではないいとこ、の意味で必要だったのかも。

エスペラントには文化が存在しない。
なので、-inoつけなくてもいいのに差別的に-inoを付けるのは、あくまでも本人の自己責任である。
というのが、MPEG等、エスペラントの公式見解なんでしょう。
しかし、-ino のみ用意し、それに相当する男性接尾辞を作ろうともしないのは、
「差別を促してる」ようにしか思えません。
というか、どうしたって「差別」の方向に向かうでしょう。あるのは-inoだけなんだから。
民族語では文化が言葉を作りますが、人工語は「用意された語彙」により思考が操作される。


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