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ザメンホフの思想

1樂々:2006/10/09(月) 16:09:13
立ててしまいました。ザメンホフの思想を信奉してらっしゃる方の
お話を伺いたいです。

2松戸彩苑:2006/10/09(月) 19:57:13
日本のエスペランティストは、ザメンホフの思想を「共産主義」なんかと結び付け
たがってるみたいですけど、Homaranismo って有神論ですもんね。

3エスペロ:2006/10/09(月) 20:16:13
Mi mem ne adeptas je interna ideo de Zamenhof nek homaranismo...
私自身、ザメンホフのinterna ideoもhomaranismoも信奉していません・・・

Mi traktas E nure kiel lingvon...
エスペラントを単に言語として扱っています・・・

4悠々:2006/10/10(火) 06:57:52
楽々様は、いよいよ本丸に切り込みましたね。その勇気に敬意を評します。
以前、さる中級エスペラント通信講座を受けてました。作文で”言葉が
共通になれば平和が来ると考えた創始者は、幼稚だと思います。”との
一文が入った宿題を提出しました。そうしたら全部無添削状態の回答文と
次回の問題文が送られてきました。”なぜ、今回は無添削で返信されたので
しょうか、内容がお気に召さなかったのですか。とメールで質問したら、
基本的には内容は関係がありません。ムニャムニャ・・・・回答になら
ない回答が来ました(それなら、一回分の通信講座料を返せ!と思いま
した。)その時、これがエスペラント界なのか!何と柔軟性の無い教条
主義社会か。スレのザメンホフの思想には幼稚性を感じますが、言語の
作りには感心しております。

5胡人:2006/10/10(火) 07:21:06
 有神論ですね。ザメンホフはエスペラントの言語の次の段階として、宗教間の争いを無くすための活動(一種の宗際化活動)へ進もうとして演説を用意したが、世界大会で言語学者達に猛反対され否定された経緯があります。
 ホマラニスモがあるから、百年もってきた面は否定できない。実際に流暢に話せるエスペランチストはヨーロッパにおいても各グループ10〜20人に1〜2人くらいではないかと推測される。(狭い私の交流範囲の判断)残りのメンバーはエスペラントの名の下、エスペラントや国際情勢や世間話等を楽しんでいるようだし、その底にはホマラニスモがあると思う。
 公平、中立の概念は宗教哲学から出てくるもので、その本質が無いところには公平も中立も基準をもたないいい加減なものになると思う。だから誰でも簡単にそれらの言葉を我田引水的に利用出来るわけですね。

 言語だけのエスペラントの魅力はどこにあるのか、正直、私は理解しがたい。道具は道具なりに特質もあるから選択されるわけです。

6松戸彩苑:2006/10/10(火) 19:41:50
有神論なので、大本教の人たちが熱心だって事もあるんでしょうかね?

7樂々:2006/10/10(火) 21:46:42
>>5
胡人さんはホマラニストじゃありませんね。ホマラニストならエスペラント運動の
中立性を理解するはずですが。

8隣の隠居:2006/10/10(火) 23:54:02
>5
「公平」は分からなくもないですが、「中立」って概念はどうやって出てくるのでしょう?
あのセム系一神教の強烈キャラな神様にたいして「中立」なんて態度取ったらガクブルですよ(笑

9樂々:2006/10/11(水) 07:12:30
キリスト教とユダヤ教とイスラムは同じ神様を崇めてるんですよ。
ユダヤ教徒から見れば特にそうです。

10隣の隠居:2006/10/11(水) 21:15:38
>>9
そういう意味ですか・・・

11樂々:2006/10/11(水) 21:33:56
>>5
homaranistoはhomaranismoとesperantismoを同一視しないし
そのような同一視に反対するものと理解していましたが間違っていますか。
esperantoができないhomaranistoはいないと思います。言葉が通じなくては
homaranismoの実践はできないはずですから。

12胡人:2006/10/12(木) 08:20:17
>7
たぶんホマラニストではありません。
でもホマラニスモってそんなに難しいものなのですか?
エスペラントが流暢でなくても、エスペラントを学習しているもの同志という感覚で、充分気持ちは通じあえた感覚は持っています。
ポーランド、ドイツ等のヨーロッパ人とも、韓国等の初心者とはほとんど会話なくても遊び合えたり、文句を言ったりできましたが。
モマラニスモの実践ってなんですか?

13胡人:2006/10/12(木) 17:58:28
 訂正>モマラニスモ→ホマラニスモ

 結局、ザメンホフはその創作における全ての権利を放棄し、トニカク愛を基本におく世界、弱者を虐げない世界をめざす事を希望したが、(それらをホマラニスモというのかと思っていた)それさえも別に強制したわけでもなく、その思想の選択も自由とし、逆に、その宗教的とも言えるその個人的信条は多くの非難を浴びたという歴史だと思う。

 ザメンホフが嫌いだ!エスペラントは道具でしかないという声も時々聞くけど、それは個人の自由であって、それを大きく主張しなくてはならない状況なのだろうか? 
 個人の存在確認のための否定にしか見えないのでけど。相対的なものがあるのでしょうか?

 当地の最長老こそが、根っからのホマラニストだと思います。自分自身がどれだけ賛同し協力しようが、またそのように見られようが、一党一派にはエスペランチストだから属すことは出来ないと常々言っておられます。

14樂々:2006/10/12(木) 22:38:42
自分はホマラニストではないとおっしゃるのならこれ以上このスレで胡人さんと
お話しても無意味ですね。ホマラニストが現れるのを待つことにします。

ザメンホフの思想についてはこのサイトが勉強になりそうです。
http://www.info-servo.de/enhavo.htm
Deklaracio pri homaranismo の日本語訳はここにあります
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/jap_esp/homaran.htm

15胡人:2006/10/13(金) 08:36:58
ありがとうございます。読み込んでみますm(_ _)m

16松戸彩苑:2006/10/14(土) 00:49:36
ザメンホフの思想を(日本語で)知りたいのであれば、水野義明(訳編)『国際共通
語の思想』(1997年 新泉社)を読むと良いと思います。

17隣の隠居:2006/10/28(土) 15:09:10
>>9
そうすると宗教といってもセム系一神教しか取り上げていないということですね。
エス自身もヨーロッパの言語だけしか元にしていないけど、ホマラニスモもヨーロッパ人の知る宗教だけを取り上げていることになりますね。

18隣の隠居:2006/11/22(水) 22:21:30
そういえば、エス訳の聖書ってなぜヤハウェ神を"Eternulo"と表現するんでしょうね。
確かに「永遠者」であることは間違いないでしょうけど、私の知り限りこういう訳をした例を他の言語で見たことないです。

19Nemaldekstremistocxjo:2007/02/20(火) 09:09:42
こちらでesperantismoとhomaranismoがあつく語られていたのですね。
ザメンホフも
「homaranismoとEsperantoあるいは、"interna ideo de la esperanto"が同じだと言うのは間違いだ」
とはっきり言っているんですよね。

彼によると「esperantisma主義はただ同胞愛の感覚と希望を表している」
のでこの感覚は「受け入れても受け入れなくてもまったく自由」と。

一方「homaranismoは個人的な信条」なので「他のesperantistojが関知するところではない」。


「Esperantoの敵は、homaranismoをすべてのesperantistojが守らなければならない原則のように宣伝するだろう」といっているから、
同一視する人は「malamikoj」なのですね(笑)

20胡人:2007/02/20(火) 12:08:45
>18
>エス訳の聖書ってなぜヤハウェ神を"Eternulo"と表現するんでしょうね。

本当ですね(^^)
なるほど、さすがザメンホフって正直思いました。
近年、宗際化活動がようやく実質的になってきてお互いの神仏等を尊重し合う様な状況になって来ました。
が、チョッと前までは、進歩的な宗教間でも互いの礼拝する対象の呼び方に非常に難しいものがありました。
至高者等の表現もありました。

ザメンホフは、現代で言う宗際化活動を提唱し行動したという事が、その訳で理解出来る気がします。
その当時としては、ほぼすべてに近い宗教が許しあえる最大公約数的な表現ではないでしょうか?
現代は、表現方法等も急速に前進しているところですが…

21Kia-kablo-mi-estu?:2007/02/20(火) 17:00:32
ザメンホフにもやはり時代的制約がありました。

20世紀初頭に至るまで世界とは欧米文明が至る所までという考えがヨーロッパ人にとっては、
まだ根強くありましたから宗教についても旧約聖書に基づく一神教が世界的宗教との思いが、
ザメンホフの頭にもあったのでしょう。
少なくとも仏教や儒教など東アジアの宗教についての言及がありません。

22Kia-kablo-mi-estu?:2007/02/20(火) 22:54:10
ザメンホフには世界平和を実現する上でHomaranismoは彼の思想の根幹です。
彼は、Homaranismoを世に出す前からその萌芽的な考え方を抱いたいました。

その理想を実現する手段として一つに国際補助語による解決を考えました。
それがEsperantismoという思想です。

これは、Buologne-sur-Mereの第一回大会にてフランスのBeaufrontなどの現実主義者
からの反対に遭い、ザメンホフもEsperantisto=Esperantismoの実践者という彼の主張を
取り下げるという譲歩を余儀なくされたのでした。

それにも、彼はエスペラントに関する全ての公職から退くまで、Esperantismoの
理念を大会演説や様々の場で個人の意見として主張することには、最後まで吝かでは
ありませんでした。

そして後に彼が個人的に公表したHomaranismoは言語的対立を超え、さらに異なる宗教や文化を
有する民族間の寛容と尊重をという理念を含む包括的な人類社会の和解と共存を説いたものです。
人類人主義と訳されるようにあらゆる個人の身体的社会的属性の前に地上に住む一人一人の
人間としての尊厳を何にもまして大切にしようという実践的思想であります。

23Nemaldekstremistocxjo:2007/02/22(木) 12:28:00
>>Kia-kablo-mi-estu?様

>その理想(Homaranismoを世に出す前の萌芽的な考え方)を実現する手段として一つに国際補助語による解決を考えました。
それがEsperantismoという思想です。

とおっしゃっていますが、誤解ではないでしょうか?念のためにもう一度ホマラニスモ宣言の序文(水野義明訳『国際共通語の思想』)より引用いたします。

「私はエスペラントの作者として知られているから、私が提案するホマラニスモ(人類人主義)をエスペラントや、いわゆる『エスペラントの内在思想』と同じだと思う人も多いかもしれないが、それはまったくの間違いだ。エスペラントの本質はまったくの中立性にあり…」

24Bonsano:2007/02/22(木) 13:27:54
横からすみません。kia-kablo-mi-estu?様はHamaranismo=Esperantismoであると
どこにも言及してはおりませんが。

25Nemaldekstremistocxjo:2007/02/22(木) 16:39:13
>>Bonsano様
はい、そうはおっしゃっておられません。
ただ、Homaranismoの理想を実現する手段としてエスペラントによる解決を考え、それをEsperantismoだとするのは言い過ぎではないかということです。
ご本人のご回答を待ちたいと思います。

26Kia-kablo-mi-estu?:2007/02/22(木) 18:28:37
Esperantismoという表現に違和感を覚える方は、確かに居られるだろうと思います。
ザメンホフは確か (la) interna ideo de Esperanto と言っていたように思います。

ここで、一般的な考え方を整理しましょう。
Esperantisto=エスペラントの使用を日常的に追求する人
1905年の第一回世界大会にて承認。
フランスの有力なエス運動の担い手によって当時フランスで主流となっていた
実利主義的考え方。

エスペラントの内在思想=ザメンホフが彼の本心としてEsperantisto達にEsperanto運動の
motivoとするよう願っていたもの。

私はこれを粗Esperantismoと解釈しております。
「ザメンホフの内在思想」と敢えて違っているとすれば、Esperantismoの場合は、
時代の変遷により戦略的に運動の力点が少々変化せざるを得ないという事でしょう。
プラハ宣言なども現代におけるEsperantismoを表現したものでありましょう。

それからエスペロさんのようにEsperanto自体にそういった運動の属性を持たせる
考え方は、いかがなものか、と考えている方もおられます。
彼の仰るとおり、
Esperantisto=Esperantismoを信奉する人
という、定義にはならないのです。

Homaranismo=人類人主義
これに最も近い考え方をもっている方は地球連邦主義の人たちでしょう。
(断言できる自信はありませんが、なぜなら詳しくそのstatutoを読んだことがありませんので)

またその理想を実現するためには、Esperantoを政治や社会運動の実践に使用しなければならないと
する考え方もありますね。現在においてもSAT(Sennacieca Asocio Tutmonda)に集う人たちの
多くはそのような考えかたの持ち主かと思われます。

それで、Nemaldekstremistocxjoさんへお答えしますが、ザメンホフ自身もEsperantoだけで
世界平和や諸民族の友好や融和が実現できるものとは考えていませんでした。
私も同じ考え方です。
幸か不幸かザメンホフは当時の政治や社会の分析にまでは手が回らなかったようです。
従って、彼のHomaranismoはEsperantismoとその基底にある考え方を宗教や文化の異なる
民族や国の人々との交流においても実践の指針とすべきものとして説いた信仰宣言のような
ものでした。

彼は、彼の手からすでに大方離れて拡大発展を遂げていったエスペラントの行く末をそれを使用する
大衆の手に委ねたのでした。
しかし、ザメンホフの思想遍歴を考えればエスペラントは彼の理想を実現するための一つの手段で
あった事は明白です。彼が後々公になんと表明しようとも明らかなことです。

27Nemaldekstremistocxjo:2007/02/23(金) 11:06:31
>>Kia-kablo-mi-estu?
分かりやすいご回答をありがとうございました。
こういう経過を踏まえて状況証拠としてのご意見であるため、誤解ではないことが分かりました。失礼いたしました。

個人的には、
>>Esperantisto=Esperantismoを信奉する人
>>という、定義にはならないのです。
という意見も十分にありうると思います。

『エスペラント日本語辞典』のesperantismoの項には
①エスペラントの使用を広める運動:la interna ideo de la esperantismo エスペラントに内在する思想〔中間言語エスペラントの採用によって異言語間に、単なる効率や便宜のためだけではない、自由で公平な人間関係の確立を実現しようとする〕
②エスペラントに特有の語法や慣用語句〔例、省略〕

一方、esperantistoの項は
エスペラント使用者、エスペランティスト。

となっています。単純に考えて、esperantistoがエスペラント使用者であれば、esperantismoはエスペラント主義のみの方が分かりやすいと思うのですが、辞典の定義はやや濁している感があります。

28Assh:2007/05/05(土) 02:53:03
エスペラント語の魅力は接尾辞です。例え世界共通語が生まれ浸透したとしても争いはなくなりません。此処での掲示板の発言者の多くがそれを証明してるんじゃないですか?

29エスペロ:2007/05/05(土) 06:33:29
Mia kara Assh,vi pravas...
Assh様、そのとおりです・・・

Esperanto alportos al la mondo 'pacon' kaj finos el la mondo 'kverelon'?
エスペラントは、世界に「平和」をもたらし、世界から「争い」をなくさせる?

Tia estas NURA iluzio kaj fantazio...
それは、幻想にしか過ぎません・・・

Esperanto NURE alportos al la mondo NURAN 'lingvan egalecon',kiu,tamen,
TRE gravas por homaro,kiu gxemas pro anglalingva hegemonio...
エスペラントは、世界に、わずかばかりの「言語の平等」をもたらすにしか
過ぎません。しかし、このことは、英語支配の下に呻吟している人類にとって大変
重要なことなのです・・・

Mi ripetu...Esperanto NENIOM estas 'paca lingvo'...Per Esperanto oni
povus NUR IOMETE pli egale komunikigxi ol per angla...
Kaj NUR tio estas suficxa kaj TRE grava...
繰り返します・・・エスペラントは、「平和の言葉」では決してありません・・・
エスペラントを使えば、英語を使う場合にくらべ、ほんの少しばかり平等に意思伝達が
出来るだけのことです・・・そして、ことことだけで充分なのです、大変重要なことなのです・・・

30Kia-kabalo-mi-estu?:2007/05/06(日) 18:19:48
Assh 様。エスペロ様。

結局 E を使う人達がどのような運動を担っているかに懸かっているのではないでしょうか。
E 自体は自然言語や他の計画言語と同じように表現や思考のための単なる道具に過ぎません。

エスペラントが平和の言葉という意味は、その考案者であり運動の創始者でもあった
ザメンホフを始め初期の e-istoj の多くが、そして現在でも少なからずの人達が平和主義者
であるという事実から来るものです。

31エスペロ:2007/05/06(日) 18:45:58
Mia kara s-ino Kia-kabalo-mi-estu? Bonan revenon...
お帰りなさいませ・・・

Jes, vi pravas: E estas NURA ilo por esprimo kaj penso...
そのとおりです。エスは表現や思考のための単なる道具なのです・・・

Oni povas praktiki E por ia ajna celo...cxu?
エスは、どんな目的にも利用出来るのですよね?

La esprimon 'pacifistoj',tamen, mi dubas...
しかし、「平和主義者」という言い方には疑問を感じます・・・

Mi petas vin esti iom indulgema,se vi manifestas esti 'pacifisto'...
ご自身、「平和主義者」を標榜されるのなら、もう少し寛容になられては・・・

32Kia-kabalo-mi-estu?:2007/05/06(日) 20:56:09
すいませんが、私は女性ではありません。
Bonsano 様の誤植です。まあドチラデモ良いのですが。。。
諫言は謹んで承ります。でも平和の敵対すると思われる言動には常に寛容である必要は
ないでしょう。

33エスペロ:2007/05/06(日) 21:40:10
Cxu? Mia kara Bonsano erare eldiras...?
そうですか? Bonsano様が間違えられたのですか?

>・・・平和の敵対すると思われる言動・・・

Tiu eldiro aplikeblus je kia ajna okazo...cxu?
このお言葉は、どんな場合にも使えますね・・・

Mi admonas vin al ne-uzado de 'pacifisto',se vi manifestas sincere
esti tia...vere konscienca persono ne emas deklari sin tia...
「平和主義者」を真摯に標榜されるのなら、「平和主義者」の語をお使いに
ならないことです・・・真に良心的な人は、自らを「良心的」だと公言しない
ものです・・・

34Kia-kabalo-mi-estu?:2007/05/07(月) 05:30:05
「良心的」だと何所かで私が公言してましたか。。。
であるならば、次のように訂正いたします。

常に「良心的」であろうと心がけている。。。

もとより、私はマダマダ発展途上人ですから多くの勇み足もすると思いますが、
これからも宜しくお付き合いください。


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