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ザメンホフの思想

26Kia-kablo-mi-estu?:2007/02/22(木) 18:28:37
Esperantismoという表現に違和感を覚える方は、確かに居られるだろうと思います。
ザメンホフは確か (la) interna ideo de Esperanto と言っていたように思います。

ここで、一般的な考え方を整理しましょう。
Esperantisto=エスペラントの使用を日常的に追求する人
1905年の第一回世界大会にて承認。
フランスの有力なエス運動の担い手によって当時フランスで主流となっていた
実利主義的考え方。

エスペラントの内在思想=ザメンホフが彼の本心としてEsperantisto達にEsperanto運動の
motivoとするよう願っていたもの。

私はこれを粗Esperantismoと解釈しております。
「ザメンホフの内在思想」と敢えて違っているとすれば、Esperantismoの場合は、
時代の変遷により戦略的に運動の力点が少々変化せざるを得ないという事でしょう。
プラハ宣言なども現代におけるEsperantismoを表現したものでありましょう。

それからエスペロさんのようにEsperanto自体にそういった運動の属性を持たせる
考え方は、いかがなものか、と考えている方もおられます。
彼の仰るとおり、
Esperantisto=Esperantismoを信奉する人
という、定義にはならないのです。

Homaranismo=人類人主義
これに最も近い考え方をもっている方は地球連邦主義の人たちでしょう。
(断言できる自信はありませんが、なぜなら詳しくそのstatutoを読んだことがありませんので)

またその理想を実現するためには、Esperantoを政治や社会運動の実践に使用しなければならないと
する考え方もありますね。現在においてもSAT(Sennacieca Asocio Tutmonda)に集う人たちの
多くはそのような考えかたの持ち主かと思われます。

それで、Nemaldekstremistocxjoさんへお答えしますが、ザメンホフ自身もEsperantoだけで
世界平和や諸民族の友好や融和が実現できるものとは考えていませんでした。
私も同じ考え方です。
幸か不幸かザメンホフは当時の政治や社会の分析にまでは手が回らなかったようです。
従って、彼のHomaranismoはEsperantismoとその基底にある考え方を宗教や文化の異なる
民族や国の人々との交流においても実践の指針とすべきものとして説いた信仰宣言のような
ものでした。

彼は、彼の手からすでに大方離れて拡大発展を遂げていったエスペラントの行く末をそれを使用する
大衆の手に委ねたのでした。
しかし、ザメンホフの思想遍歴を考えればエスペラントは彼の理想を実現するための一つの手段で
あった事は明白です。彼が後々公になんと表明しようとも明らかなことです。


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