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雑談スレッド(なんでもOK!!)

1仁雛:2005/09/23(金) 22:41:30
どんなことでもいいので、カキコミ歓迎いたします。






迷惑サイトの宣伝やイタズラは削除します^^;

19えちぜん:2005/11/08(火) 01:55:16
Guang-Biさんの「虎渓の橋」( http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/ )の雑記帖で
解體晉書を取り上げてくださってますね。ありがたいことです。

IMAGINEは更新がぱったりと止まってしまいましたねぇ。。。

20NAGAICHI Naoto:2005/11/09(水) 00:04:45
「三国志ニュース」
ttp://cte.main.jp/news/blog.cgi?time=1131454871&id=okakiyo&mode=disp
で清岡さんが解體晉書を取り上げておられます。(;)

IMAGINEは、、むじんさんの偉大さを痛感しまくりなこの頃。
早く復活していただきたいですね。

21NAGAICHI Naoto:2005/11/09(水) 00:49:20
『晋書』電子テキストのリンク。玉石混淆。
中央研究院−漢籍全文資料庫
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
寒泉(台湾師大図書館)
ttp://140.122.127.253/dragon/
中華文化網(Endless Fight)
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/
中華文化網(China the Beautiful)
ttp://www.chinapage.com/big5/big5.html
中華文化網(華東師範大学)
ttp://www.yjsy.ecnu.edu.cn/jszj/%E5%8F%B2%E9%83%A8-%E5%BB%BF%E4%BA%94%E5%8F%B2/F05%E6%99%89%E6%9B%B8%E6%A0%A1%E5%8B%98/
公益書庫
ttp://big5.mofcom.gov.cn/gate/big5/shuku.mofcom.gov.cn/site/book.jsp?bookno=6413&cate=cate2&cate_no=01040202
新亞研究所−典籍資料庫
ttp://www.hkedcity.net/project/newasia/resources/25/jinshu/

22仁雛:2005/11/13(日) 15:59:35
電気テキストもかなりあるんですねぇ。。。NAGAICHIさん、さんきゅうです。

「三国志ニュース」は自分も見ていて、重宝しています。

23NAGAICHI Naoto:2005/11/13(日) 20:48:12
電気テキストは大事なのを忘れておりました。
国学网站(※簡体字)
ttp://www.guoxue.com/shibu/24shi/jinshu/jinshuml.htm

電気テキストは極言すると、台湾中央研究院系・国学网站系・寒泉のみっつの系統しかないんじゃないですかね?
中華書局本が底本の中央研究院漢籍資料庫とそのコピー。
底本不明な国学网站の簡体字テキストと簡繁変換したそのコピー。
寒泉は・・・底本が中華書局本で独自の系統じゃないかもしれない。
コピーも独自の校勘をほどこしているものもあり、簡繁変換や外字処理の失敗で劣化してしまっているものもあり。
ほかの正史も似たような状況のように思われます。

「解體晉書」の語でGoogle検索かけると、トップで旧サイトがヒットする状況はどうにかしないといけないのでは?
Yahoo検索もエンジン一緒なので同様。

24仁雛:2005/11/15(火) 00:23:44
NAGAICHIさん、ありがとうございます。
なんかいろいろ本当に玉石混淆なのですね。元ネタは中央研究院がすべてだと思っていたのですが、そうでもなさそうということでしょうか(とくに国学网站)。
でも特に簡体字ものはいろいろ問題ありそうですね。

「解体晋書」でいつもトップどころか、かなり下まで探す自分(笑)。
ヤフーに登録されたサイトは申告で、URLを変えることは可能なのでしょうか?
代表の仕事かな(笑)

25NAGAICHI Naoto:2005/11/15(火) 18:48:29
Yahoo!カテゴリ
トップ > 地域情報 > 世界の国と地域 > 中国(中華人民共和国) > 芸術と人文 > 歴史
ttp://dir.yahoo.co.jp/Regional/Countries/People_s_Republic_of_China/Arts/History/
に登録されている「解體晉書」は新サイトのアドレスになってます。
菅原さんが作業されたのだと思いますが。
ただYahoo!の検索のほうは、エンジンがGoogleと同じなため、現状では旧サイトが優先して引っかかります。
むかし小耳にはさんだところでは、Googleの検索はリンクの多寡で優先順が決まるようなことを聞いたような気がするので、
旧サイトにリンクしてるところが現状では多いということでは?

ちなみにgooカテゴリでは旧サイトで登録されていたり
http://dir.goo.ne.jp/education/03466/03475/03479/
歴史サーチ
http://www.rekishi.jp/
や歴史リンク
http://www.rekisi.nu/
などでも旧サイトで登録されているし、以下細かいところを挙げるときりがないですね。

26NOB:2005/11/15(火) 21:34:06
カテゴリ検索の方は申請すればよいとして,ロボット収集型検索エンジン系は直接的には対処のしようがなさそうですね。
旧サイトのHTMLにnoindex属性等を使うかrobot.txtを置くか出来ればよいのですが。

Yahoo!は昔Googleエンジンを使っていましたが,1年か1年半前から買収したInktomiなどのエンジンをベースとしたものに乗り換えたのではなかったでしたっけ?
旧サイトがヒットするのは一緒なので,何も解決には繋がりませんが…。

GoogleのPageRankは,NAGAICHIさんのおっしゃるとおり外部からのリンクも考慮に入れています。
旧サイトへのリンクを全部変えてもらうのは無理ですが,特にPageRankの高いところからのリンクは高く評価されるので,効率の点から言えば,特にメジャーなサイトからのリンクを修正してもらう方が効果は高いです。
#変えていただけるところには規模に関係なく変えていただきたいですが(^-^;

ちなみにURLをテキストボックスに入れて検索すると「そこにリンクしているページ」というのが調べられます。
旧サイト9件,新サイト3件でした。
どっちも少ないですが(爆),やっぱり“3倍の差”が厳然と立ちはだかっているんでしょうか?

27NAGAICHI Naoto:2005/11/16(水) 19:36:58
>Inktomiなどのエンジンをベースとしたものに乗り換えた

あわわ、ごめんなさい。ものすごく古い知識をもとに(自信満々で)喋ってたみたいです。
思いこみはやっぱこわい。
ということで、Yahoo!検索のエンジンがGoogleとかいうのは大嘘でした。m(_ _)m

>旧サイト9件,新サイト3件

Googleが引っかけてるリンクってこんなものですか。
たしかに少ない。
地道にリンク修正をお願いするしかなさそうですね。

28仁雛:2005/11/17(木) 11:39:10
そうですね。
地道にリンク修正をお願いしないといけませんね。

代表から何も言われてないのですが(一応副代表権限?で)、NOBさんNAGAICHIさんが旧アドレスにリンクしているところを気づかれたら、掲示板その他でリンク変更お願いしてもらえませんか?
余裕や時間があったらで全然かまいませんので。上のようにここでは旧アドのままだったという情報だけでも、本当にありがたいです>NAGAICHIさん

自分も、ヤフーの検索はgoogleの検索エンジンを使ってるんだと思ってました。乗り換えたんですね^^;

29えちぜん:2005/11/17(木) 23:37:57
現在、都内某所に潜伏中です。(^^)

>仁雛さん、NOBさん
11/19(土)は、10時30分で良かったですか? 仁雛さんの連絡先は知ってますので、明日一度ご連絡します。
こちらの掲示板には、明日の夜も閲覧しに来ます。

ではでは。

30仁雛:2005/11/18(金) 01:22:44
あ、えちぜんさん、こんばんは!
19日(土)は10時に前倒しとなりました。。。って、遅いか^^; 明日にでも携帯にメールしやす。

19日は、書道博物館・東京国立博物館と中国の拓本・古写本(後漢〜唐代)を、【解体晋書】メンバーの、えちぜんさん・NOBさんと見に行ってきます。その後は神田書店街で中国書などを買い漁り^^;

31えちぜん:2005/11/18(金) 20:20:00
>仁雛さん
メールありがとうございました。連絡しますって言っておいて、連絡もらってしまいました。すみません。

東京国立博物館に展示中の「世説新書巻第六残巻」は、『世説新語校箋』(中華書局)に載っている写真のものとは別物ですよね。
中国にも同じ写本があるっていうことなのでしょうが、それにしても字までそっくりなんですけど。。。

NOBさんとは初めてお会いすることになりますね。よろしくお願いします。<(_ _)>

32菅原:2005/11/18(金) 22:56:23
みなさん、こんにちは。
リンクの件ですが、私も旧アドレスがヒットするのを改善したく思っています。
私の方で申請したのは今のところyahoo!とWikipediaで、
後は会員のみなさんのサイトのリンクの変更をお願いしただけです。
リンクをしてくださっているサイトはだいぶ多数になっていますので、
気づいたところから手分けして申請や連絡していただければと思います。
よろしくお願いします。

>えちぜさん・仁雛さん・NOBさん
オフ会、楽しんできてください(^^)/

33菅原:2005/11/18(金) 23:34:42
とりあえずgooのカテゴリー検索、google、歴史サーチ、歴史りんく。には
変更申請を行いました。
みなさんの友人知人サイトで旧アドレスでリンクしてくださっている方がいましたら
アドレス変更のお知らせをよろしくお願いします。
それから友人知人サイトの掲示板への変更告知書き込みとかしていただけると幸いです。
地道な作業になりますので、余裕のある方で手分けできればと思います。
お忙しいとは思いますが、よろしくお願いしますm(_ _)m

34えちぜん:2005/11/20(日) 00:57:15
>仁雛さん、NOBさん
今日はお付き合い頂き、ありがとうございました。
書道博では、甲骨文字が思っていたよりも小さかったことや、展示物の見方(横や裏まで見る)など
勉強になりました。顔真卿の真筆もなかなか興味深かったです。
東博では『世説新書』(世説新語)の残巻と、意外と『蒙求』。知ってる名前のオンパレードでしたね。
やはり実物を見るのはいいものですね。
神田では、もう少し時間があればよかったですけど、収穫もありましたし満喫いたしました。
神田には、明日も行きます。
本当に楽しかったです。ありがとうございました。

>菅原さん
次は、菅原さんのオフ会ですね。楽しんでくださいね。

35NOB:2005/11/21(月) 19:46:12
>仁雛さん,えちぜんさん
土曜はお疲れさまでした&ありがとうございました。
また,午前中は都合で急に御一緒できなくなりすみませんでした。
書道博は惜しかったですが,東博と本屋巡りと飲み,どれもとても楽しかったです。

えちぜんさん,次回東京にいらした時にはまた是非お会いしましょう。
菅原さんと仁雛さん,12月楽しみにしています。

36えちぜん:2005/11/23(水) 18:13:48
>NOBさん

>えちぜんさん,次回東京にいらした時にはまた是非お会いしましょう。

また是非お願いします。NOBさんも京阪神方面へ来られることがあれば声をかけてください。
ご案内致しますよ。(^^) ただ古書店は散在しているので、巡るのは大変ですが。。。(^^;)

37仁雛:2005/12/02(金) 15:49:32
えちぜんさん・NOBさん

レスが遅くなってしまいましたが、先日はお疲れさまでした。
いろいろ話せて楽しかったです。ついつい古写本に見入ってしまって時間が押せ押せになってしまってすみません。おつき合いありがとうございました。しかし『蒙求』はすごかったですね^^;
神田では通志堂に初めて行けてよかったです。今度また行ってみてゆっくり見たいと思います♪

38えちぜん:2005/12/02(金) 22:54:55
>仁雛さん

こちらこそお世話になりました。あっという間の一日でしたね。(^^)
通志堂さんは、相変わらずな積み上がり方で良かったです。(^^;) ただ本を探すのにちょっと腰がつらかったですが。。。

また東京へ行く機会がありましたら、お付き合いお願いします。<(_ _)>

39スート:2005/12/07(水) 17:18:36
あのう、試しにxhtml 1.1 で書いてみたのですが、果たして正しいのかどうかよくわかりません・・・OTL
文法的にチェックできるソフトとか、サイトとかがあったら、教えてください。

40NOB:2005/12/07(水) 21:13:24
>スートさん
W3C の Varidator とか
ttp://validator.w3.org/
HTML-lint Gateway とか
ttp://htmllint.itc.keio.ac.jp/htmllint/htmllint.html
はいかがでしょうか?
書く方では ez-html (ttp://www.w-frontier.com/software/ezhtml.html) というソフトが,かなり文法規約に忠実なタグの補完をしてくれますが,そういったソフトで作ると修正の手間が省けるのではないかと思います。

41スート:2005/12/14(水) 23:30:05
>>NOBさん
ありがとうございました。一応、HTML-lint Gateway で100点にすることができました。
XHTML 自体がよくわかってないので、参考書で一からはじめようと思います。
ez-html のほうも覚えてみようと思います。(当方、タグは全て手打ちなのですw)

42マナミン:2005/12/22(木) 21:46:01
初めましてこんにちは。参考になるサイト様で本当に助かっています。
ところで周浚って結局誰と結婚したんでしょう??
絡秀は「妾にしたい」って言われたんですよね・・一体・・。

43えちぜん:2005/12/24(土) 23:51:08
あるブログで解體晉書のことに触れていただいています。
大変ご期待下さっています。私も会員として頑張らないと。と思ったのでした。

「思いて学ばざれば」
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/

44えちぜん:2005/12/24(土) 23:56:15
今、気付きました。

むじんさん復活のようです。
43のブログもむじんさんのようですね。

45えちぜん:2005/12/25(日) 01:05:12
マナミンさん、初めまして。

周浚のことは全然知らなかったのですが、私なりに資料を確認してみました。
参考になりますかどうか。。。

『晋書』巻六十一列伝第三十一に周浚伝があり、次のようにあります。

  三子:顗、嵩、謨.
  (三人の男子があり、周顗・周嵩・周謨という。)

『晋書』巻六十九列伝第三十九に周顗伝が別にあります。ここではちょっと置いといて。
『晋書』巻九十六列伝第六十六の列女伝に、周顗母李氏伝があります。当サイトでも
列女伝の翻訳がありますので、詳細はそちらを。

  周顗母李氏,字絡秀,汝南人也.
  (周顗の母、李氏は、字を絡秀といい、汝南の人である。)

とあります。周浚が安東将軍の時に、絡秀の家に立ち寄り、絡秀に一目惚れ。

  獨見一女子甚美,浚因求為妾.
  (たいへん美しいひとりの女の子が見えただけだった。周浚はそこで彼女に妾となるよう求めた。)

そして、

  遂生顗及嵩、謨.
  (こうして周顗と周嵩と周謨を生んだ。)

とあります。つまり、周浚の三人の男子は全て絡秀が産んだことになりますね。
さて、ここで『晋書斠注』を見ると、「浚因求為妾」の箇所に注が付けられています。
『世説新語』賢媛第十九18に関連する記述があるようです。語句は違えど、列女伝の記述とほぼ
同じ内容です。劉孝標注に次のようにあります。

  按周氏譜,浚取同郡李伯宗女,此云為妾,妄耳.
  (按ずるに『周氏譜』には「浚は同郡の李伯宗の娘を娶った。」とある。ここで妾にしたというのは、でたらめである。)(訳は新釈漢文大系『世説新語』下 明治書院を引用) 

ところが、『晋書斠注』に戻ると、次のように注があります。

  案:本傳與世説大致相同,必有所本.竊謂伯仁昆弟既從母命,以李氏為親親,故譜中諱言,為妾未可.即斥其妄也.
  (案ずるに本伝(列女伝)と世説新語の内容はほとんどが同じであり、きっと根拠となることがあったのだ。私見では、伯仁(周顗の字)及び兄弟は母の命に従って、李氏と親しくしたとあるので、『周氏譜』で妾としたなどと悪く言うことはできなかったのだろう。なので、妾にしたというのはでたらめという説は採らない。)

絡秀が周浚の妾でないというのは、『周氏譜』の記述のみで、大勢は絡秀は妾であったとあるのですが、
私は絡秀は妾ではなく、正妻であったと思うのです。というのも、

1.周浚の男子三人は全て絡秀が産んだ子供であること。
2.『周氏譜』の記述があること。
3.『晋書斠注』が言うように列女伝と世説新語の内容がほぼ同じであるのは、むしろ列女伝が『世説新語』の内容をそっくりそのまま採用したのではないかと思われ、それを根拠に『周氏譜』を取らないとする『晋書斠注』に納得いかないこと。
4.列女伝に採用される程の女性の話としては、妾からのし上がったとする方がさらに印象が強烈になる(つまり面白くなる)ことから、誇張されたのではないかと思うこと。

私の想像なども入ってしまっていますが、こんなところです。
長々と書きましたが参考になりますでしょうか?

列女伝の訳は本サイトの列女伝訳を借用しました。
『世説新語』は『世説新語校箋』(中華書局)から引用しました。
『晋書斠注』の漢文解釈に誤りがあれば、ご教示下さい。<(_ _)>

46マナミン:2005/12/26(月) 12:55:06
とても参考になりました。やっぱり正妻の方がしっくり
きますよね。詳しいご説明ありがとうございました!!

47仁雛:2005/12/26(月) 22:10:33
マナミンさん、はじめまして。書き込み&ご質問ありがとうございます。
実は昨日、解体晋書の例会がありまして、周浚って有名人なの?どうして質問来たのだろう、と会員同士で話してました//笑

さて、えちぜんさんのレスがあるのですが、私は「絡秀はあくまで妾だった」説です^^;

その理由についてはちょっと長くなりそうですし、一応「質問に対する答え」的なレスなので、掲示板管理人権限で新しいスレッドを作ります(笑)。
そちらに42のマナミンさんの質問と45のえちぜんさんのレスを転載してもよろしいでしょうか?

48仁雛:2005/12/26(月) 22:19:38
祝!むじんさん復活ですね。

えちぜんさんの紹介の通りですが、
むじんさんのブログ「思いて学ばざれば」
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20051223
で「晋代がhotだ」と題してご紹介いただいています。

「まず『晋書』翻訳サイト【解體晉書】がリニューアル。【むじん書院】を開いたころ、先行する電子テキスト化サイトとして敬意と憧れの的であったのが、いつのまにか全く更新されなくなり、それをとても残念に思っていた。私は当初、後漢から三国までに重心を置いていて、しばらくしてからも晋代にはさほど興味を持てなかったのだが、その一端はこのサイトの停滞によるあまりプラスとはいえないイメージを持たされていたことにあったのかもしれない。ところがリニューアル以降、草稿段階でもつぎつぎと訳文が公開され、さらに掲示板上のメンバー同士の活溌な議論も公開されるようになり、今ではきらきらと輝きを放っている。このサイトの活動に参加することで自分まできらきらと輝けそうな、そんな希望が持てるようになったのだ。これがweb世界における『晋書』開拓の最高のきっかけになるんじゃないかなと期待も一入。」
過分な紹介に恐縮するとともに、ご期待に沿えるよう会員一同がんばります^^;

49えちぜん:2005/12/26(月) 23:42:12
>47

レスの転載、OKですよ。
やっぱり妾なのか。。。( ̄〜 ̄;)ウーン・・・

50マナミン:2005/12/28(水) 00:09:54
>>47
OKですよ。実ゎ今大学で調べてるのが、世説新語の
周浚が絡秀の家に行った時の話なんですよ。
図書館で本を探したりしましたがたぶん周浚って
全然有名人じゃないですよ・・!何も見つからないんですもん・・!

51菅原:2005/12/28(水) 19:57:26
マナミンさん、はじめまして。
【解體晉書】代表の菅原です。
ご訪問ありがとうございました。
疑問質問等ありましたらこれからもお気軽にお尋ねください!

52Guang-Bi:2005/12/28(水) 21:34:54
…えっと、周浚というか、ほとんど息子の周邈のことなのですが、

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4974/m_bokuya.html

というものを以前(もう四年近く前なのか…)書いたことがありますので、
たぶん参考にはなりませんが、念のため晒しておきます(^^;)

53仁雛:2005/12/28(水) 23:51:13
マナミンさん、えちぜんさん、ありがとうございます。

>マナミンさん
実は自分も大学時代、ゼミで『世説新語』読まされました(笑)。
そのときあんまりまじめに出てなかったのですが、えらい難しい漢文だなぁという記憶があります。

>えちぜんさん
「妾」説は、たぶん晋書コウorカク注でもそう言ってるような気がします。理由については、別スレで年賀状が書き終わったらつけますね(笑)。

54えちぜん:2005/12/29(木) 01:59:48
周浚&絡秀が熱いですね。(^^)

>マナミンさん
やはり随分とお調べになっていましたね。質問の内容からそう感じておりました。
さすがに図書館にも『晋書斠注』までは置いていないでしょうね。

>仁雛さん
「妾」説は確かに『晋書斠注』でもそう言っています。でもその理由がもひとつかなぁと
思ったりしたのです。

>Guang-Biさん
貴重な資料のご提示、ありがとうございます。またじっくり拝読致します。
(今、慣れぬワインを飲み過ぎて、クラクラなのです。(>_<))

ちなみに、この件については、『十七史商榷』『廿二史考異』『廿二史剳記』も
見てみましたが、特に言及はないようです。

55ちゃこ:2006/01/04(水) 04:53:52
祝 新スタート
 ずーーっと昔 資料探しでお世話になった ちゃこです。
 時々 読ませて下さい。
 よろしく。

56NAGAICHI Naoto:2006/01/04(水) 20:22:14
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

『世説新語箋疏』賢媛篇18は面白いこと言ってます。
程炎震が云うには、「伯仁(周邈)は、永昌元年(322)壬午に年五十四で死んでいる。つまり泰始五年(269)己丑の生まれである。開林(周浚)がもし元康初年(291〜2年ごろ)に安東ではじめて李絡秀を納れたのであれば、(李絡秀の子であるはずの)伯仁はすでに二十余歳である。この話がデタラメであるのは言うまでもなく、劉孝標が『周氏譜』をもって証したのは、もっともで手堅い根拠である。それでも『晋書』がこの話を『列女伝』に取り入れたのは誤りだ」
『世説新語』賢媛篇と『晋書』列女伝の話がともに信用ならないとすると、李絡秀正妻説もありですね。

57NAGAICHI Naoto:2006/01/04(水) 20:30:33
すみません。↑書いてから気づきました。周浚は289年に亡くなってますね。「元康初年(291〜2年ごろ)」のところは間違いです。

58NAGAICHI Naoto:2006/01/04(水) 20:34:15
「安東で」は「安東将軍となって」です。重ねて申し訳ない。

59仁雛:2006/01/05(木) 14:19:04
>ちゃこさん
訪問&カキコミありがとうございます。
時々、来てくださいね♪



あぅぅ。

風邪が治りません↓ かなりきついです。。。

>NAGAICHIさん

今年も宜しくお願いします。
李絡秀のカキコミありがとうございます。できれば「質問スレッド」でやりとりしたいので、転載してもかまいませんか?風邪がひどくて自分でレスつけるはずでしたが、つけられずに下にいってしまってお気づきにならなかったかと思いますが。できればお願いします。

60NAGAICHI Naoto:2006/01/06(金) 20:11:48
>仁雛さん
いろいろおっちょこちょいで。m(_ _)m
転載はかまいませんよ。
話が先に進んでるみたいで、前後逆になるかもしれないですけど。

61菅原:2006/01/07(土) 20:50:11
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年も【解體晉書】へのご愛顧よろしくお願いします。

62菅原:2006/01/08(日) 18:25:34
>ちゃこさん
ご訪問ありがとうございます!
いつでもお気軽にご訪問ください!

63仁雛:2006/01/17(火) 12:32:46
東京国立博物館(平成館)で以下の展覧会が開催中です。
「書の至宝−日本と中国」2006年1月11日(水)〜2月19日(日)」
東京国立博物館 http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&amp;processId=02&amp;event_id=2391
朝日新聞 http://www.asahi.com/sho/

上海にも回覧するものですが、日中の古筆の名品が出展されています。晋代で言えば、いわずと知れた書聖・王羲之とその息子・王献之のもの(もちろん真跡はひとつもないので伝世の模写の拓本や墨跡)があります。
展示入れ替えがかなりあるのですが、1/11〜1/22と2/7〜2/12の期間に2度行けば、藤原行成筆「書状」以外は全部見れることを特定(笑)。つまり全部見るためには3回行かないといけない^^;
自分はこの機会に2回足を運びます。個人的には、展示品もさることながら、職業柄?、展示方法・図録の内容も気になります^^;(作品の書体上の意義や、内容から読み取れる事実、書写品の素材、特に収蔵印を解説してくれると、理解が深まるのですが、そこまでは望めないでしょうね)

64名無晋書さん:2006/01/24(火) 01:30:55
いきなりごめんなさい。幽明録や捜神記などをよんで中国における女性のイメージというと、
どんな感じのものがありますか?私としては神聖(神女・天女)・悪女・美しいなどがると思いますが
よければおしえてください

65仁雛:2006/01/24(火) 11:06:00
>>64 名無晋書さん

こんばんは。一応、質問スレッドのほうがいいかと思って、そちらに転載させていただきました。「女性のイメージ」というのはちょっと漠然とはしてるかもしれませんが、会員には『晋書」列女伝を訳したものもいますので、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、気長に回答を待っていただければ幸いです。
上記、64名無晋書さんの質問に関するレスは、質問スレッドにお寄せください。宜しくお願いいたします。

66三国志:2006/01/25(水) 23:03:56
3/11に東京の学士会館でTOKYO漢籍SEMINARが開催されます。
テーマは「三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」だそうです。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminar/2006/kanseki-tokyo.html

67仁雛:2006/01/26(木) 02:35:13
>>66 三国志さん

情報ありがとうございます。早速申し込んできました。
学士会館とは敷居が微妙に高いですけど^^;

68えちぜん:2006/01/26(木) 23:36:17
>>66

「三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」
これは、興味深いですね。京大なのに何故東京で?? 京都なら参加可能なのに。。。
「第二回」というのも気になります。明日問い合わせてみます。(^^)

三国志さん、情報ありがとうございます。

69えちぜん:2006/01/31(火) 00:12:09
>>68

「三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」
問い合わせてみました。関西での開催予定はないそうです。残念。

メールを出せば、セミナー開催後に資料を送付してくれるとのこと
でしたので、メールを出してみます。

70仁雛:2006/01/31(火) 12:58:06
自分は京都だったら、参加不可能です(笑)
京大の人たちが東京でセミナーなりシンポなりをすることはまずないので、非常にありがたいです。今回発表される先生方の個人の学会発表なら、東京でも聞いたことはありますが。

申し込みはしたのだが、返事がまだ来てない^^;

いつごろ返事が来るんだろう。まぁ、気長に待ってみます。

71NOB:2006/01/31(火) 16:36:12
東京圏なのに出張から帰ってきていないので参加不可能と凹んでいたところでした。
資料送付してもらえるとのことなので,自分もメール出してみようかと思います。
#三国志さん,えちぜんさん,情報ありがとうございます。

72仁雛:2006/02/01(水) 20:24:35
「三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」
今日、参加票が送られてきました。定員200名のところ、受付番号は80番台です。あちこちのサイトに紹介されているので、意外に素人?の参加が多いのでは、、、と思っていますが、はたしてどうなるでしょう。
率直に楽しみです。最近は唐代を中心に歴史学での石刻資料の利用や情報蓄積が進んでいます。発表される碑文についても予習してから臨みたいと思います。

73菅原:2006/02/23(木) 22:04:26
【解體晉書】にまた新会員入会です!
このたび入会してくださった方は山口 博数(ひろのり)さんです。
山口さんは東晋の初期に関心をお持ちで、
特に王義之や華譚に興味があるとのことです。

【解體晉書】はまだまだ会員を募集中です。
興味をお持ちの方は菅原までメールください。

74えちぜん:2006/02/23(木) 23:05:19
王羲之と言えば、瑯邪王氏。
拙訳では王導とその子供・孫たちの伝、もう少し遡れば王祥・王覧の伝が翻訳済みです!

そういえば、『新唐書』巻七十二中/宰相世系表二中に、王氏の系譜があります。
「中央研究院」のサイトでも見られますよ。
→ http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

これによると王氏が瑯邪へ来たのは秦末の混乱期のようです。

75菅原:2006/02/24(金) 23:12:04
王導の先祖は秦の始皇帝の配下の大将軍・王翦と伝えられているのですね。
事実とすれば、先祖が末代まで続いているのは王翦らしい深慮遠謀ですね〜

76巫俊(ふしゅん):2006/02/25(土) 02:09:30
はじめまして。
夏殷交替〜楚漢抗争くらいを目安に、地域史みたいなものやってます。

秦末の瑯邪って何かエピソードを聞いたような記憶がないですね〜。
徐福はあまりにも有名で、
陳舜臣の『小説十八史略』あたりで徐福は渡航せずに中国に留まり、
反秦の群雄たちに資金援助した説ってのがあったような。
そういえば、項梁が敗死したときくらいの瑯邪って新生の斉領だったかも覚えてません。

瑯邪王氏って長いですよね、歴史が。

77仁雛:2006/02/25(土) 14:23:19
巫俊(ふしゅん)さん、はじめまして。
かきこみありがとうございます。たしか故殷の地の地域史をされてますよね?

王氏が瑯邪へ来たのは秦末とのことですが、それにしても歴史が長い・・・。まぁ、本当かどうかは別として^^;
楚漢の頃の瑯邪については、項羽が劉邦を漢王にした時に全国に十八の王を封じているんですが、そのうちの斉にあたるようです。

78巫俊(ふしゅん):2006/02/25(土) 18:10:38
もとは殷代の民族構成のあたりに関心があったのですが、
なんせ殷は神官(巫)たちが支配する神政国家です。

甲骨文に登場する、殷の諸侯の人名の「禹」は双頭の竜か、
交尾をして身体を十字に交差する2匹の竜の形をしているといいます。
(夏の王禹の存在を巡って多くの人が関心を寄せているはずなのに、
殷や西周の人名としての「禹」は取り沙汰されることがないので不思議です)

そうしてそんな不思議な世界の殷の帝国が好きだったんですが、
神政国家の殷は歴史書をつくって(残して)はくれなかったので、
文献学としては充実してるとはいい難いです。
といって甲骨文をひとりで研究するのは困難だろうと。
そこで時代区分を超えた地域史を、「変容」というテーマを使って設定し、
中国の民族文化を夏殷時期〜のスパンで見れたらいいな〜と思っています。

漢民族の虚構性を唱えるモンゴル学の杉山氏の言葉が気に懸かる方には、
漢民族が形成される前の世界に触れて頂くことが一番の処方箋になるのではないかと考えています。

『華陽国志』と『晋書』の束皙伝等(『竹書紀年』発掘関係)には大変お世話になりました。
この二書に影響を受けなかったら、おそらく書けなかったと思いますから。

79仁雛:2006/02/28(火) 15:16:42
>>78巫俊(ふしゅん)さん

殷の諸侯に「禹」という人がいるのは初耳でした。
殷代は、殷以外の周辺の人々は民族が違うと考えることが可能かと思うんですが、春秋戦国時代以降はなかなか難しいですよね。
漢民族の虚構性云々については学界レベルでは、最近は秦漢代でもある程度共通認識としてあるかと思います。資料上の確認ができないのですけどね。

80菅原:2006/02/28(火) 23:31:06
巫俊(ふしゅん)さん、はじめまして。

>>76巫俊(ふしゅん)さん
徐福については私も昔少しかじったことがありますが、
中国的には実在が裏付けられたとしても、現在の明らかになっている証拠から判断すると、実在は定かではないと考えた方がいいでしょうね。
『史記』には「徐フツ」と「徐福」という二通りの呼称が出てきますが、
鶴間和幸先生は「徐フツ」は旧斉での伝説であるのに対して、「徐福」は旧楚での伝説で徐偃王の伝説とも関連性があるとおっしゃっておられまして(「秦始皇帝と徐福伝説」(『西島定生博士追悼論文集 東アジア史の展開と日本』所収))、私も同感です。

81仁雛:2006/03/01(水) 01:01:53
「この本ってどうよ」スレッドの83えちぜんさんのカキコからなんですけど、

竹林の七賢って実際に7人集まってないんですよね?たしか。
世説新語のころからすでに定型化ってことなんですかね。六朝の画像石に竹林の七賢出てきますが、竹林というから竹林の中かと思いきや、木々がちょろっと描かれてるのが面白かったりする。
あ、ただの感想です。

82巫俊(ふしゅん):2006/03/04(土) 18:58:04
>仁雛さん

あと殷の甲骨文には、「杞侯」という諸侯の名前が登場しますね。
文献では夏の子孫とされているところの。
三国呉の山越や、巴蛮をして「あれは中華民族」と呼ぶ人は少なくとも日本では少数でしょうし、
普通に民族と考えられているようですから、
別段、中国士大夫と化していない限りは、広義の「民族学」の対象にしていいんじゃないでしょうか。
中国化してるとちょっと異民族と言い切るのは微妙で、そのときによって蛮人扱いされたり、されなかったりというところを探っていくことになるでしょうか。
蛮人と他称される性格と、中国の民と称する自称による性格を使い分けるという感じで、古代〜中世まで通して問題は同一でないかと思うのですが、如何でしょうか?
とくに晋代の南方民族のこととか。

83巫俊(ふしゅん):2006/03/04(土) 19:40:06
>菅原さん
>(『西島定生博士追悼論文集 東アジア史の展開と日本』
それ見逃してました。鶴間先生もそんな分野の人でしたね。
春秋期の徐王国との関係は、少なくとも名前の上はあるはずでして、(無い方が説明つかない)
そうしても戦国期の人名の起源は、史料が不足する方向(というか断片的)にあることから、割喰ってますよね。
普通に考えると、徐姓の人は徐文化を扱う人か、徐の地方に植民した他地域人か、それか祖先がその関係だった人、、
という感じでおさまってしまうと思います。
姓って言葉はいつから姓氏と混同されてるんでしたっけ?
とりあえず名前(姓氏)と呼んでおきますが。

ついでに、山西にも徐(余)という地名があったりして、こちらは牧畜民のことを指したりします・・・

84巫俊(ふしゅん):2006/03/04(土) 21:08:26
ついでに、「漢民族が形成される前の世界」というのは、
殷代のことを指しているだけじゃなくて、
モンゴル以前という意味でもいいし、漢民族の形成を20世紀の民族主義の普及に求めても、
「それより前の歴史を見てみる」というだけで、対象になってるその時代の民族の印象は全然変わってくるものですから。

85菅原:2006/03/05(日) 22:52:54
>>81仁雛さん
竹林の七賢は7人揃って竹林でというのは伝説ですね〜
ただ竹林の七賢の最古の記述は『三国志』「魏書・ケイ康伝」裴注に引く孫盛『魏氏春秋』だったと思うのですが、
記憶はあいまいです。
ただ三国志界最強のコピーライター孫盛なら伝説を作るのもやりかねないかなとも疑ってしまいます。
東晋にはすでに伝説化されていたのではないでしょうか?

86菅原:2006/03/05(日) 23:02:36
>>83巫俊(ふしゅん)さん
鶴間先生は秦史の専門家ですが、徐福伝説は専門外とのことでした。
徐福の子孫だと称する方の家譜には徐福の先祖として徐偃王が書かれているものもあるとのことですが、
『史記』「秦始皇本紀」に見える徐フツの実在ならともかく、徐福の実在すら疑わしいのにその末裔というのはいかがなものかと思うのですが、
ただその家譜自体が中国(と日本の一部の徐福研究者)には徐福実在の証拠にされてしまうので・・・。
私は鶴間先生のおっしゃるように徐福伝説は徐偃王伝説と同じような土壌で生まれた伝説だと思っています。

「姓」の話は私はよくわからないのですが、「姓」は古代は民族集団の名称だったといった話のことでしょうか?

87巫俊(ふしゅん):2006/03/06(月) 20:57:59
徐偃王(じょのえんおう)は実際に淮水流域の文化英雄でしたからね。
これも戦国期に下るまでは実情が分からないケースなのですが。
徐は西周のはじめに召公という周軍の司令官が制圧したとされるところで(梁山泊のある梁山の周辺)、
「余土」(じょど)と金文に書かれるのですが、「宋土」と釈字するという説もあります。

88菅原:2006/03/08(水) 20:09:16
>>87巫俊(ふしゅん)さん
徐偃王といえば卵から生まれたという伝説がすぐに思いつきます。
淮水流域の文化英雄ですね。

ちなみに徐福は『晋書』には出てきませんね。
『晋書』だけに限らず唐代は徐福伝説の記事はあまり残っていないという印象です。

89菅原:2006/03/10(金) 20:42:02
仁雛さんの書き込みに画像石の話がありましたが、
現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じを受けてます。
中国文学はもう旧来のように文章だけの研究って古いのでしょうね。
私も考え方は文章一辺倒の古いタイプなので、考えを改めないといけないと最近は思うところ大です。

90巫俊(ふしゅん):2006/03/11(土) 02:04:12
画像石って文学なんでしょうか?
いえ、中国文学の分野じゃ多彩なテーマを扱ってるような気はするんですが、
―画像石から考察する漢代の文学―
って感じの論題名になるような気がしました。
(気がしただけです(^^;そうなのかも)
中国文学という分野が広義の「中国文化」を研究する学問になってる気はするのですが、文学は文章という意味だろうという気が抜けそうにない私は、冷水でもかぶった方がいいんでしょうか。
画像石というと、「魚の王国の軍隊」って感じに馬の代わりに魚に騎乗したり、馬車ならぬ魚の引く戦車に乗った軍隊が描かれているという、凄みのあるものを見てしまいました。
海中に中国に匹敵する軍隊がなお、漢代人の前に立ち塞がっていたかのようで、なんとも。
これも鶴間先生の関係の書籍で。

91仁雛:2006/03/14(火) 03:13:09
>巫俊(ふしゅん)さん
内容が漢籍翻訳スレッドとかけはなれているので、こちらでレスを簡単なレスをします。今後は適したスレッドにカキコミをいただけると幸いです。

巫俊(ふしゅん)さんに教えていただきたいのですが、
「漢籍翻訳スレッド」83にある
> 『竹書紀年』をはじめとする、晋代に新出した出土史料を使って宮廷に伝来する古文献を再構成したのではないか?と目される
とありますが、それはどういった根拠があってのことでしょうか。該当箇所しか晋書を見ていないので、ぜひとも教えて欲しいところです^^;
李充は四部分類を採用し、それが以後も受け継がれたように読み取ったのですが。。。
同じく「漢籍翻訳スレッド」84の
> そいで晋代の人に整理されたという出土史料の竹簡は、『竹書紀年』(年代記の類)ひとつではなくて、書経や易経にも及ぶようです。
とありますが、束セキ伝を見る限りでは、易経は出土したとありますが書経はありません。他のところに記述があるのでしょうか。

92巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 11:13:13
>仁雛さん
すいません、漢文を読む以前に説明することが沢山あるみたいで(^^;
ついつい長く・・

>根拠
まず・・勢い余った感がありますが、李充は『竹書紀年』を読んだ可能性は高いと思いますが、
『竹書紀年』を使って何かをしたということは確認されないようです。
西晋滅亡後の東晋立ち直りのときに、李充がぐちゃぐちゃになった史料庫を整理したらしく、
それも李充だけの仕事じゃないのかもしれませんし、
そういうことで『竹書紀年』の現物や写本がどこに行ったかということも追跡しないといけないなと思います。
一応、『史記戦国史料の研究』という本に、少し『竹書紀年』の行方が書いてあるようです。

そして『竹書紀年』の名前を挙げましたのは、これだけがとくに有名だからでして、
むしろ李充が整理したのは、書経や易経のようです。
・・・ようです、というかそんなに晋書を読んでないので断定できることではないですが、
束セキ伝に「周書」という出土史料が列記されていますよね。
まとめて書経と読んでしまいましたが、書経というのは現在呼ばれるところの『尚書』(書経)だけでなく、
『尚書大伝』や『逸周書』を包括した呼び方です。
史書に「尚書」と書いてあっても、それは書経関係の仕事をしたということで、現在の『尚書』(書経)だけを呼ぶ言葉とは限らないようです。

93巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 11:41:40
そして私が追い求めてますものは、『逸周書』の方です。
『竹書紀年』といっしょに出土した史料をまとめて、『汲冢書』と呼びます。
出土したところの地名の汲郡から取って「汲の塚の史料」という意味です。

その出土したときの顛末は束セキ伝に書かれていますので、
気が向きましたら、読んでみてください。
そして『逸周書』と『竹書紀年』それと『穆天子伝』がかろうじて完全な散逸は逃れて、
現在も中国語の訳注などが出版されて読むことのできます。
(『逸周書』、『竹書紀年』、『穆天子伝』=『汲冢書』)

そして、、、
NAGAICHIさんはご存知だと思いますが、今中国古代史の争点になっているのが、
『逸周書』です。
『逸周書』は殷周王朝に関する貴重な史料なんですが、その出所については複数の説があります。
おおさっぱに言いますと、
1,司馬遷も見たはずだ。『史記』によく似た文章がある。
という説と、
2,司馬遷は見ていない。だって西晋時代に墓から発掘されたからだ。
という説があります。
2の説は『隋書』経籍志に準拠して、束セキ伝の「周書」が『逸周書』だったとします。
1の説は『隋書』経籍志が誤解してたのだ、漢代から伝来してるのだとします。

そこで切り札的に登場するのが、
『逸周書校補注訳』(黄懐信、 西北大学出版社、1996)。
です。
さっき漢文スレッドで仁雛さんの呼ばれた、中国語の訳注です(笑)
さいわい、この先生は大学教授で奇特にも『逸周書』を何十年も研究していたということですが。

そこに、司馬遷も見た漢代の周書Aと、西晋時代に出土した周書Bは、東晋時代の李充が書籍を整理してるときに「いっしょくた」にひとつの周書にしてしまったのだ。
というように書いてあります。
AとかBとかは私の追加ですが、その訳注の序文にそう書いてありました。
なるほど!!という感じなんです。

94巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 17:48:33
ダラーっと研究のマジョリティ(少数)な分野の文献を書きツケてしまって恐縮ですが、

戦国期:色々な「書」が書かれる。「書」は書籍という意味ではなくて書経という意味。
秦の統一:焼かれて消えた「書」も多いはず。
漢代:「書」を尚書と読んで尊び、現代文で書かれた「今文尚書」と古文で書かれた「古文尚書」が対立する。それ以外の「書」もあったらしい。例えば『尚書大伝』。
晋代:出土文字史料の「周書」が図書館に加わる。書経の研究も進み整理もされる。
唐代:隋書の目録に『周書十卷』汲冢書,似仲尼刪書之餘.- 959 -とある。他に- 913 -には書経関係の書籍の各バージョンがズラーっと並ぶ。
現代:『逸周書』という書経の非常にマイナーなバージョンが伝存。内容からして晋代の出土史料だとされるが異論もあり。

ということです。

>鶴間和幸先生は「徐フツ」は旧斉での伝説であるのに対して、
>「徐福」は旧楚での伝説で徐偃王の伝説とも関連性があるとおっしゃっておられまして
>(「秦始皇帝と徐福伝説」(『西島定生博士追悼論文集 東アジア史の展開と日本』所収))、
>私も同感です。

旧斉と旧楚という線引きは山東から江淮にかけての地域を完全に二分してしまっていますよね。
ここは戦国中期までは、大小の各勢力が互いに抗争してしましたから、「民族」的にも複雑なんですよね。
斉や楚といった大国の覇権下で斉人や楚人としての帰属意識を教育された人もいれば、それ以前の伝承を残してる人もいる、という感じに。
だから姓(ここで呼ぶのは戦国期につくられた架空の古聖王時代の姓)も複雑に配置されていて、徐福伝説もそのひとつなのでしょうか。

95巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 17:50:48
ついでに現在、日本語訳などされている書経は、
漢代の「今文尚書」と「古文尚書」のミックスのバージョンですが、
これも漢代にはあったタイトルが抜けてなくなったりと異同があります。

96菅原:2006/03/14(火) 20:44:59
>>90巫俊(ふしゅん)さん
私の
> 現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じを受けてます。
という発言は画像石だけでなく画像全般ということです。

一般に学問というと文字のみの書籍の研究というイメージがあると思いますが、書物全般を考えると文字だけではなく画像も付加されているものも少なくありません。
近代の画報はもちろん古くも『古今図書集成』や『三才図会』といったものがすぐに思いつきますね。
中国文学ではこういった分野も扱っていますね。
こういった画像にはわざわざ説明文が書かれないような「当時の常識」が如実に表現されていて、
それを明確に把握することができることも少なくないと思います。

97巫俊(ふしゅん):2006/03/15(水) 01:09:22
>菅原さん
>画像全般ということです。
うわっと画像と目に入っただけで画像石の話と判断してしまったみたいです。
習慣かな・・・
『三国志演義』にしても、付属の挿絵の研究は、大変成果の期待されるところですし、
『山海経』のあたりは、そもそも山海の神々がどんな姿をしてるのか知っておかなければ、
日本の奈良時代の官衙遺跡(新潟県)から、『山海経』の神を模写した木製品が出土されてるそうです。
さらに長屋王の木簡からは「山○経曰く・・」という文面が書きつけれられていたとか。
『中国古代の民俗と文化』より。

「当時の常識」が如実に表現されているってのは同意です。
宋代や明代の建築を画いた美術を見ると、中国の先進国振りもなんとなく感じられるんですよね。
同時代の日本を見ると、あんな建物はなかったんじゃないかな・・という。
いや納得です。
何か例とかお有りでしょうか?

98仁雛:2006/03/15(水) 01:28:44
>巫俊(ふしゅん)さん

なるほど、『逸周書』に関心があってのことでしたか。それならそれと言ってくだされば話は早いのです^^;
ちなみに私は『逸周書』『竹書紀年』『穆天子伝』ともに(もちろん現行本ですが)持っています。それから、巫俊(ふしゅん)さんは触れられていませんが、東晋の梅イが偽作したとされる「古文尚書」(いわゆる偽古文尚書)について論文を書いたことがあります。あまり言うと身元がばれてしまいますのでこれくらいにしておきますが(笑)。
まぁ、隋書経籍志に見える「書経関係の書籍の各バージョン」の存在は、それだけ「書」「書経」「尚書」「周書」なりの異なったテキストが存在していたということですよね。

黄懐信さんの『逸周書校補注訳』は持っていませんが、その仕事の前段階となった『逸周書彙校集注』は非常によくできた本だと思います。ただ、「司馬遷も見た漢代の周書Aと、西晋時代に出土した周書Bは、東晋時代の李充が書籍を整理してるときに「いっしょくた」にひとつの周書にしてしまった」と言われているようですが、晋代まで周書Aが伝わった保証はどこにもなく、むしろ散逸したと考える方が自然なのかもしれません(漢代の古文尚書は後漢末に散逸してしまったことなどから)。
唐代に五経のテキストは確定してそれがほぼ現在まで受け継がれていますが、それ以前、特に漢代ではいろんな書籍が家学として伝えられたこともあり、それだけ散逸の可能性も高く、また様々なバージョンが存在していたのですから。同様に、現行の『逸周書』が晋・唐代にあったものと同じ保証もないので、こうした問題は本当に難しいですよね。それなりに伝わっているとは思うのですが^^;

というか、尚書や竹書紀年は、清代考証学者が格闘した「メジャーな」研究だと思います。

99巫俊(ふしゅん):2006/03/15(水) 02:20:32
>仁雛さん
なんとっ・・
それでは究極の蛇足をツラツラと書いてしまったことに。
『逸周書』も清代考証学者が何人か書いてくれたりしてるそうなんですが、
それでもやっぱり、、というか、、、
あっさりさっくり『逸周書』のお話を掲示板でするには、マイナーの烙印を押されないか心配で・・・
調べてみると『逸周書』の研究って日本の研究者もいない訳じゃないんですよね。

んで竹書紀年の整理にも加わったという荀キョウ(名前は適当に読んでるのでキョウという発音でない可能性極めて大)という人が、
漢代由来の周書を整理してると、さっき挙げた黄氏の訳注は書いていました。
要するに、晋書を実際に読んで黄氏の言ってることの真偽を見分ける必要が私にはあるようです。
その作業がまだという・・・う〜ん。

あと汲冢瑣語という本も現代中国にはあるらしいんですが、これが出版されてるのかされてないのかも分かりません。
こっちが至急調べるべきものかも。
名前だけ汲冢○○という名前で、内容は荒唐無稽なのかとも勘ぐってるんですが、勘ぐってるだけでは前に進まないので確認したいのに、どうしてそれがどうしていいのか・・・
それにしても仁雛さんが尚書関係のお仕事をされておられるとは・・・
こうやって書き連ねておきながら、私は書経というと殷周王朝の事績目当てで見てきたものですから、
とても軽薄な理解しかないものと思われます。
とりあえず、正統の尚書と呼ばれている現行の書経のほかに、『尚書大伝』のようなものも、一方的に切り捨てるのでなく、何かしら活用したいとは思っています。
活用というより、視野から外さないようにしよう..という程度なんですが。

100菅原:2006/03/21(火) 23:51:19
>>97巫俊(ふしゅん)さん
画像に「当時の常識」が如実に表現されているのは私の恩師が著書で述べられていました。
「現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じ」を再認識したのも
昨年10月の中国学会で恩師が主催した画像系のシンポがたいへんインパクトがあったためです。
画像の持っている雄弁さについては、百「文」は一見に如かずという面もあるのではないかと思います。

101仁雛:2006/03/22(水) 01:50:13
>>99 巫俊(ふしゅん)さん

今、上海に滞在しているのですが、黄懐信はまた書籍の注釈を出されていました。なんの注釈かは今日見たのに忘れてしまいましたが^^;

少なくとも、漢代以来の古文尚書は後漢末に失われているので、黄氏が「漢代由来の周書を整理してる」というのは少し疑問符がつくかもしれません。
『晋書』には確かに整理して云々の話は記載されていますが、出土した竹簡を整理して(おそらく今文に直して)秘書閣に収蔵した、ということを言っているのだと思います。
「整理」といえばたしかに「整理」ですが、それがどの程度のものであったのか、そしてそれが現行の尚書なり逸周書なりにどの程度継承されているのか反映されているのか、現在のところは確かめようがないというのが本当のところでしょう。
そのために、ご存知の通り、殷周の歴史を考察するときは、書経などの文献資料を極力用いずに甲骨文・金文史料をとりあげているわけです。もちろんそれらの文献資料にもそれなりの資料的価値はあります。

> 汲冢瑣語という本も現代中国にはあるらしいんですが、これが出版されてるのかされてないのかも分かりません。

これは、「リンク集 (便利サイト・優良サイト紹介)」の5の「全国漢籍データべース協議会「全國漢籍データベース」で検索してみてください。いわゆる叢書類に収録されています。
単行本ではおそらく出版されてないと思います。

102菅原:2006/04/02(日) 16:22:35
【解體晉書】にまた新会員入会です!
このたび入会してくださった方は八頭さんです。
八頭さんは私と同じく大学で中国文学専攻されていた方です。

【解體晉書】はまだまだ会員を募集中です。
興味をお持ちの方は菅原までメールください。

103仁雛:2006/04/02(日) 22:41:54
今年二人目の新会員入会ですね!
八頭さん、宜しくお願いします。ここの掲示板も、お気軽に発言してくださいね♪

104菅原:2006/04/06(木) 22:41:53
今年は新会員2名入会で、新会員のお二人も積極的に活動されていて、
【解體晉書】は新スタート以来活動活発です。

今年になってまだ新訳の公開はなかったのですが、
まもなく新訳公開予定です。
どの会員のどの訳だと思いますか?
今月中には公開しますので、お楽しみにしていてくださいね。

105ふくら=道学者:2006/04/24(月) 18:37:44
あの掲示板は、実は使っておりませんでしたが、たまたま開いてみたら、書き込みがありました。
最近は、こちらがメインですので、よろしければ、こちらをよろしくお願いいたします。

http://plaza.rakuten.co.jp/fukura/

(「こんばんは」スレッド1 投稿日: 2006/04/21(金) 21:16:04 より 管理人・仁雛が転載)

106仁雛:2006/04/24(月) 18:39:25
>>105 ふくらさん

ふくらさん、書き込みありがとうございます。こちらこそ、掲示板でご回答いただきながら、お返事が遅くなってすみませんでした。

こちらのスレッドでの話題にふさわしいと判断いたしましたので、転載させていただきました。ご了承ください。

107えちぜん:2006/06/15(木) 00:52:50
「白眼視」「破竹の勢い」「竹馬の友」の解説があります。

「故事成語で見る中国史」
http://www23.tok2.com/home/rainy/chugokugaku-seigo.htm

108仁雛:2006/06/15(木) 12:19:39
「竹馬の友」はなかなか興味深く読みました。

「竹馬」って、竹につっかけをくっつけて、地面に足をつけずに乗るものが、最近の日本にはありますが、この頃は、おそらく、竹(ないし竹ぼうきみたいな感じのもの)を「魔女の宅急便」のようにまたいで、馬に乗るのに似せて遊んだやつだと思います^^;
って、自分も最近知ったんですけどね(笑)

109菅原:2006/09/03(日) 20:38:37
【解體晉書】にまた新会員入会です!
このたび入会してくださった方は大島さんです。
今年三人目の新会員入会で、ますます【解體晉書】は頑張っていきます。

【解體晉書】はまだまだ会員を募集中です。
興味をお持ちの方は菅原までメールください。

110えちぜん:2006/09/17(日) 22:30:52
【枕流亭】のアンテナからこのようなサイトを知りました。

【小説で学ぶ世界史と中国歴史】
「西晋演義」という小説が掲載されています。
http://www.geocities.jp/shokatusei/liangjin/

111菅原:2006/10/15(日) 01:37:35
現在新訳公開準備中で来月公開予定です。
お楽しみにしていてください。

112菅原:2006/11/19(日) 00:04:31
文六王伝の一部の伝を公開しました。
「斉王攸伝」は少しずつ訳していますが、後回しになると思います。
今年中に別の新訳も公開予定なので、お楽しみに。

113菅原:2006/11/26(日) 01:42:31
『晋書』最短の伝と言える原文一行の「遼東王定国伝」と原文二行の「広漢王広徳伝」の公開です。

114菅原:2007/01/01(月) 22:06:58
【解體晉書】のご読者様、あけましておめでとうございます。
本年は昨年以上の新訳の公開を目指していく所存でおりますので、
本年もよろしくお願いします。

115suite:2007/01/03(水) 02:20:00
新年、あけましておめでとうございます。
本年度もよろしくお願いいたします。

116菅原:2007/02/13(火) 21:19:15
いまさらなのですが、考古学関係の本を読んでいて
『晋書』に伝のある周処の墓が相当前に発掘されて考古学的に重要な文物が発見されていたと知りました。
墓の発掘といえば三国呉の周然はよく知っていたのですが、
晋代の人物では周処のほかに誰がいるんでしょうね。

117えちぜん:2007/02/19(月) 00:40:01
ちなみに考古学関係の本って、何というタイトルですか?

晋代の人物の墓の発掘についてはほとんど知りませんが、私の蔵書の中に羅新・葉煒 著『新出魏晋南北朝墓志疏証』(中華書局)があり、温嶠や高粔などの墓誌が収録されています。
「新出」とあるのでこれ以外にもあるかもしれませんね。

118名無晋書さん:2007/02/22(木) 00:09:26
周処の墓というと、僕はこういうネタのほうが先に頭に浮かぶんですが(笑)。
ttp://www.nazotoki.com/aluminium.html

「新出」でないほうの墓誌は、趙超『漢魏南北朝墓誌彙編』と趙万里『漢魏南北朝墓誌集釈』に集められているのだと思います。
僕も手元には「新出」のほうしか持ってないんですが。
ちなみに『漢魏南北朝墓誌彙編』のほうは電子テキストがあります。
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng1.htm
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng2.htm
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng3.htm
「中華文化網」ですけどね。


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