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雑談スレッド(なんでもOK!!)

93巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 11:41:40
そして私が追い求めてますものは、『逸周書』の方です。
『竹書紀年』といっしょに出土した史料をまとめて、『汲冢書』と呼びます。
出土したところの地名の汲郡から取って「汲の塚の史料」という意味です。

その出土したときの顛末は束セキ伝に書かれていますので、
気が向きましたら、読んでみてください。
そして『逸周書』と『竹書紀年』それと『穆天子伝』がかろうじて完全な散逸は逃れて、
現在も中国語の訳注などが出版されて読むことのできます。
(『逸周書』、『竹書紀年』、『穆天子伝』=『汲冢書』)

そして、、、
NAGAICHIさんはご存知だと思いますが、今中国古代史の争点になっているのが、
『逸周書』です。
『逸周書』は殷周王朝に関する貴重な史料なんですが、その出所については複数の説があります。
おおさっぱに言いますと、
1,司馬遷も見たはずだ。『史記』によく似た文章がある。
という説と、
2,司馬遷は見ていない。だって西晋時代に墓から発掘されたからだ。
という説があります。
2の説は『隋書』経籍志に準拠して、束セキ伝の「周書」が『逸周書』だったとします。
1の説は『隋書』経籍志が誤解してたのだ、漢代から伝来してるのだとします。

そこで切り札的に登場するのが、
『逸周書校補注訳』(黄懐信、 西北大学出版社、1996)。
です。
さっき漢文スレッドで仁雛さんの呼ばれた、中国語の訳注です(笑)
さいわい、この先生は大学教授で奇特にも『逸周書』を何十年も研究していたということですが。

そこに、司馬遷も見た漢代の周書Aと、西晋時代に出土した周書Bは、東晋時代の李充が書籍を整理してるときに「いっしょくた」にひとつの周書にしてしまったのだ。
というように書いてあります。
AとかBとかは私の追加ですが、その訳注の序文にそう書いてありました。
なるほど!!という感じなんです。


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