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雑談スレッド(なんでもOK!!)

1仁雛:2005/09/23(金) 22:41:30
どんなことでもいいので、カキコミ歓迎いたします。






迷惑サイトの宣伝やイタズラは削除します^^;

119NAGAICHI Naoto:2007/02/22(木) 00:11:42
>>118は、永一の書きこみでした。m(_ _)m

120スート:2007/03/01(木) 21:08:02

 ttp://www.kosho.jp/
 ここで「晋書」で検索すると、和刻本が数件ヒットします。
 3冊セットで10000円程度というのもあるようです。

 ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/5637/index.htm
 ですが・・・このサイトによると、ブックオフで
 「1冊¥1,000、¥900という信じられない値段」で売っていたそうです。

 個人的に悩むところです。いい加減入手しないと・・・

121名無晋書さん:2007/03/10(土) 00:45:16
>スートさん

神保町で武英殿本晋書(線装本・石印)を揃いで1000円で入手したことがあります。
ただし汲古の和刻本はそんなに安いのは見たことがありません。
古本の掘り出し物はブックオフに限らず、いつも物凄く安いと思います。

122西の素王:2007/03/15(木) 10:29:31
始めまして 天文暦法や清談等 中華のルネッサンス?と考える晋代の全てに興味がありますが
完全な文系学習遅滞で情報の入手に苦慮していました。何しろ愛する我が図書館にも晋書はなく
西の田舎者団塊世代の落ちこぼれには 判らない事ばかり素人の初歩的質問をお許しください。

123西の素王:2007/03/15(木) 10:32:42
始めまして 天文暦法や清談等 中華のルネッサンス?と考える晋代の全てに興味がありますが
完全な文系学習遅滞で情報の入手に苦慮していました。何しろ愛する我が図書館にも晋書はなく
西の田舎者団塊世代の落ちこぼれには 判らない事ばかり素人の初歩的質問をお許しください。

124えちぜん:2007/06/30(土) 07:22:00
『晋書』は正史の一つなのですが、所々に俄に信じがたい、超常現象のようなことが記されてます。
例えば、列伝第三王祥伝です。

「母常欲生魚,時天寒冰凍,祥解衣將剖冰求之,冰忽自解,雙鯉躍出,持之而歸。」

実母を早くに亡くした王祥には継母がいて、この継母が王祥をいじめるのですが、親孝行な王祥はそんな継母の要求に何でも応えようとします。その一つのエピソードがこの箇所なのですが、河も凍てつく冬の寒い日、継母は生の魚が欲しいと言います。王祥は服を脱ぎ、氷を割って魚を捕ろうとしましたが、氷が突然溶け出し二尾の鯉が躍り出ててきた。というのです。

超常現象を引き起こすほどの王祥の親孝行ぶりにもびっくりですが、それを史書に記してしまうというのもびっくりですね。臧栄緒『晋書』にもこの事が記されていたようですから、もしかすると歴史的事実と信じられていたのかも知れません。

「後母朱氏思生魚。于時河水冰堅。祥朝朝冒窅風于河涯伺魚。一朝忽冰開小穴。有雙鯉跳出。」(臧栄緒『晋書』)


この他にもこんな変な話があるぞ!というのがありましたら、是非教えてください。

125えちぜん:2007/06/30(土) 18:28:39
列伝第三王祥伝にはもう一つ、王祥の親孝行が起こした超常現象が書かれてあります。

「母又思黄雀炙,復有黄雀數十飛入其幙,復以供母。」

継母が黄雀の炙りものを食べたいと思うと、黄雀数十羽が幕の中に飛び込んできた。とあります。『晋書』のこの文章はちょっと端折られているようです。『世説新語』徳行篇の劉孝標注に引く『孝子伝』によると、

「祥後母忽欲黄雀炙,祥念難卒致。須臾,有數十黄雀飛入其幕。」(蕭廣濟の『孝子傳』)

とあります。王祥の継母は急に黄雀の炙りものを欲しがったが、王祥は結局手に入れることができないと観念した。間もなく、数十羽の黄雀がその幕の中へ飛び込んできた。というのです。

二尾の鯉の話にしても、黄雀が飛び込んで来た話にしても、そういう言い伝えがあったとか、噂話があったという風に書いてあればいいのですが、あたかも実際に起こったかのように書いてありますよね。

126えちぜん:2007/07/03(火) 22:13:17
米粒が田螺(たにし)に変わったら滅びる予兆。

列伝第三石崇伝にも不思議な話があります。

「初,崇家稻米飯在地,經宿皆化爲螺,時人以爲族滅之應。」

石崇の家では地面に落ちた米粒が一晩の内に田螺(たにし)に変わったことがあり、当時の人びとはこれが一族滅亡の予兆だと感じたそうです。

『廿二史攷異』によると、これと似た話が列伝第五の裴楷伝と列伝第六衞瓘伝にもあるということです。

列伝第五裴楷伝には次のようにあります。

「初,楷家炊黍在甑,或變爲拳,或爲血,或作蕪菁子,其年而卒。」

裴楷の家では炊いた黍(きび)が甑(こしき)の中にあって、あるものは拳に変わり、あるものは血に変わり、あるものは蕪菜(かぶらな)になり、その歳に卒去したそうです。変化したものの間に何か関係があるのでしょうか?よく分かりません。

それから列伝第六衞瓘伝では次のようにあります。

「初,瓘家人炊邗,墮地盡化爲螺,歲餘而及禍。」

衞瓘の召使いが飯を炊いたところ、地面に落ちたものが尽く田螺に変わり、その冬に禍が起こったそうです。こちらは石崇伝とほぼ同じですね。

米粒が何かに変わったら気をつけろ!ということなんでしょうね。(^^;)

127えちぜん:2007/07/04(水) 22:08:51
一夜にして歯が生えたお后様

『晋書』にはあり得ないお話がまだまだありますね。
皇后の身体にまで不思議なことが起こります。

列伝第二成恭杜皇后伝に次のようにあります。

「后少有姿色,然長猶無齒,有來求婚者輒中止。及帝納采之日,一夜齒盡生。」

皇后は幼い頃から容姿が美しかったが、成長しても歯が生えなかった。求婚したものもあったが沙汰止みとなった。成帝との婚姻での結納の日に、一夜にして歯が生えそろった。

成恭杜皇后は、あの杜預の曾孫にあたります。
皇后が不思議な出来事に出くわしたということなら分かるのですが、皇后という高貴な身分の人の身体自体に不思議なことが起こるというお話ができあがったというのは、ちょっと不思議な気がします。それが生まれる社会的背景というのがあったんでしょうか。気になります。

128八頭:2007/07/06(金) 22:00:32
蛍雪の功 『晋書』車胤伝

家貧不常得油,夏月則練囊盛數十螢火以照書 , 以夜繼日焉 .
家が貧しかったので、油を手に入れられないことがあった。夏の季節になると、練り絹の袋に数十匹もの蛍を入れて、その光で書物(簡)を照らして読んだ。そうして、昼夜の別なく勉強を続けた。

有名な故事で、日本でも古くから勉学や学問を励ますときによく引用されるようです。
これは、車胤の資質を示すもので、不思議な話、異常現象には当たらないかもしれません。

ただ、このエピソードは当時でも驚嘆をもって眺められていたようです。後に信じられないような逸話が生まれています。
『獨異志』(唐・李冗)には、夏、風雨のために蛍が捕れないとき、車胤が学問が出来ないことを嘆くと、どこからともなく通常の数倍はあろうかと思われる、巨大な蛍が飛んできて、書物を照らしたといいます。
そして、風雨の日には必ず現れたとあります。

129えちぜん:2007/07/06(金) 22:25:40
今日は、とても有名なお話。
晋の宣帝、司馬懿です。

帝紀第一宣帝紀に次のようになります。

「魏武察帝有雄豪志,聞有狼顧相,欲驗之。乃召使前行,令反顧,面正向後而身不動。」

魏武は魏の武帝で曹操の事。帝は、この文章が宣帝紀ですから司馬懿のことです。
曹操は司馬懿が大きな志があることに気付き、また狼顧の相があるというのを聞いて、試してみようと思った。司馬懿を呼んで前を歩かせ、振り向かせると、顔はまっすぐ後ろを向くのに身体は動かなかった。

狼がこういう動作をすることから、「狼顧の相」というようなのですが、私はずっとフクロウだって思ってました。

130えちぜん:2007/07/06(金) 23:57:41
蛍雪の功の「雪」の方は、孫康の故事ですね。『蒙求』にあります。
『晋書』には伝はありません。ウィキペディアには孫盛の孫とありますが、『全宋文』には孫放の孫とあります。孫放は孫盛の子なので、『全宋文』に随えば孫盛の曾孫ということになります。

131八頭:2007/07/07(土) 20:53:44
えちぜんさん、ご指摘くださり、ありがとうございました。
車落聚蛍が適切でした。

王祥の故事は、落語の二十四孝でも有名ですよね。

>列伝第五裴楷伝
>初,楷家炊黍在甑,或變爲拳,或爲血,或作蕪菁子

『太平御覽』では拳を螺にしているようですね。

豪族の石崇だけではなく、名臣の裴楷の身の周りでも、この異常現象が起きたということは、
>米粒が田螺(たにし)に変わったら滅びる予兆。
というのは確かにその通りかもしれません。裴楷の死後、一族は戦乱に巻き込まれて、衰退していきます。

或る物が血に変わると、人が滅亡するというのは、古典小説の類によく出てくるようですが、
螺や蕪は何を意味しているのでしょうか。

物が形態を変える、という異常現象で、凶事を暗示する、これは一種のレトリックで、説明するまでもないことなのかもしれません。
憶測ですが、字の形や音が別の字を人々に想起させたからではないでしょうか。

例えば、
螺≒累、落
蕪≒無

どれもマイナスのイメージを含んでいます。

132えちぜん:2007/07/08(日) 01:10:38
八頭さん、どうもです。

>『太平御覽』では拳を螺にしているようですね。

『晋書斠注』に注がありますね。

『太平御覧』巻941鱗介部13螺に、この石崇・裴楷・衞瓘のエピソードが全て紹介されています。(断句は筆者によるもの)

 ・「世語曰,衞瓘太康永煕中,家人炊邗,墮地盡化爲螺出足而行瓘,終見誅。」
 ・「廣五行記曰,晉武帝時,裴楷家炊黍在甑,或變爲螺,其年楷卒。又石崇家稻米化螺,崇亦被誅。」

『太平御覧』では、例えばこの箇所であれば、「螺」に関する文章が羅列されていますので、他のものを読めば似たような話が見つかるかも知れません。

>憶測ですが、字の形や音が別の字を人々に想起させたからではないでしょうか。
>例えば、
>螺≒累、落
>蕪≒無

米粒のような丸みを帯びたものから、螺・拳・蕪のような丸いもの(血もポタポタと滴り落ちたら丸くなりますね)を連想したのだろうなと思っていましたが、それらを表す漢字の字音から別の漢字を想起させていたというのはありそうですね。異同のあった「拳」の場合も「螺」を単純に間違えてということは考えにくいですから、同じように「拳」と音が似ている不吉なイメージを持つ文字があるのかも知れません。

133八頭:2007/07/08(日) 08:02:01
車胤聚蛍(シャインシュウケイ)でした。
失礼しました。

車胤は、荊州南平郡(現在の湖南省)の出身ですが、付近一帯の地域では、毎年、旧暦の8月8日に蛍火節が催されるようです。
子供たちが蛍を集めて、灯をこしらえるようですが、詳しい祭りの様子をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。

地元の津市市では、孟羌女と並んで有名なようです。市のホームページには、車胤の銅像の写真もありますね。

134菅原:2007/07/11(水) 22:54:17
超常現象といえば「五行志」にもそういった記述が多いですが、
「五行志」と重複する部分が多いのは
『晋紀』の撰者でおなじみの干宝が著した『捜神記』ですね。
『捜神記』は志怪の代表的書物でもあり、この手の話の宝庫です。

135えちぜん:2007/07/14(土) 16:31:06
「五行志」にもこういう記述が多いのですか?
ただ、「志」って「紀」や「伝」と違ってちょっと難しいそうなので、食わず嫌いにしているところがありますね。
今回のネタは実は『蒙求』から取っています。『捜神記』もまた当たってみます。

136suite:2007/07/14(土) 23:52:39
「五行志」には、三国鼎立時代の現象も少なからず載っていますね。
「志」は該当する専門的記述で埋め尽くされていますので、なかなか面白いですよ。

担当の「職官志」のほうはポツポツとですが進んでおります。>代表

137菅原:2007/07/16(月) 17:29:45
>えちぜんさん
「五行志」について参考になる恩師の一冊を「この本ってどうよ?!」スレに紹介しました。

>suiteさん
「職官志」は進んでいるとは楽しみです。今後もよろしくお願いします。

138えちぜん:2007/07/18(水) 00:45:42
列伝第六十五に鮑靚という人の伝があります。この鮑靚伝の記述は、中華書局の二十四史点校本だとたった4行半と大変短いものなのですが、信じがたい話ばかりです。

「鮑靚字太玄,東海人也。年五歲,語父母云:「本是曲陽李家兒,九歲墜井死。」其父母尋訪得李氏,推問皆符驗。靚學兼内外,明天文河洛書,稍遷南陽中部都尉,為南海太守。嘗行部入海,遇風,飢甚,取白石煑食之以自濟。王機時為廣州刺史,入厠,忽見二人著烏衣,與機相捍,良久擒之,得二物似烏鴨。靚曰:「此物不祥。」機焚之,徑飛上天,機尋誅死。靚嘗見仙人陰君,授道訣,百餘歲卒。」

これで全部です。5歳の時に自分の前世を語ったという話は、現代でも似たような話を聞きますね。あながちありえなくもないでしょうか。ただ次の航海中に遭難して石を煮て食べた話はやはりありえません。最後の仙人に会って、道教の方術の秘訣を授かって、100歳あまりで死んだなど、もはや伝説の域です。

実在した人なんでしょうけど、これはいくらなんでもって感じですね。

『楊貴妃になりたかった男たち 〈衣服の妖怪〉の文化誌』 注文してしまいました。(^^;)

139スート:2007/08/02(木) 10:05:55
面白いですね。なんとなくこの話を思い出しました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%97

140菅原:2007/08/08(水) 23:06:50
>>139スートさん
ポルトガルの民話ですか。面白い話ですね。

伝説や説話の世界の共通性等は大林太良氏の著作などで述べられていて、
たとえばノアの箱船で有名な洪水伝説は世界で見られるモチーフですが、
『晋書』の志怪系の説話や『捜神記』などの説話で
インドから来たと見られる説話もあると聞いたことがあります。

141えちぜん:2007/08/12(日) 16:27:29
日本の神話とギリシャの神話にも共通するところがあると聞いたことがありますね。
晋代でインドから来た説話というと、やはり仏教絡みなんでしょうね。
鮑靚伝の5歳で前世を語ったというのは、仏教の影響ですよね。

さて、羊祜伝にも前世のお話があります。

「祜年五歳,時令乳母取所弄金環。乳母曰:「汝先無此物。」祜即詣鄰人李氏東垣桑樹中探得之。主人驚曰:「此吾亡兒所失物也,云何持去!」乳母具言之,李氏悲惋。時人異之,謂李氏子則祜之前身也。」

羊祜伝は【解體晉書】で訳出済みなので、そちらをご覧下さい。
前世が李氏の子供である点、5歳の時である点など、鮑靚伝と共通していますね。

142菅原:2008/01/01(火) 16:42:14
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年も会員一同頑張って新訳を公開していく所存ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

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149菅原:2008/03/22(土) 12:48:26
最近は掲示板に迷惑書込が多くなりました。
迷惑サイトの宣伝やイタズラは今後も削除しますので、 そういった書込はなさらないようお願い申し上げます。

150名無晋書さん:2008/04/21(月) 19:33:14
>131、132
「螺」についてですが、
凶兆に「螺」の漢字の音や形はどうも関係ないようです。
既にお気づきかもしれませんが、
台湾中央研究院のデータ検索で次のような記述がありました。

新校本宋書/志/卷三十 志第二十/五行一/龜孽
瓘 家 人 炊 飯 , 墮 地 , 盡 化    晉 惠 帝 永 熙 初 , 為 螺 , 出 足 起 行 . 螺 , 龜 類 , 近 龜 孽 也 . 干 寶 曰 : 「 螺 被 甲 , 兵 象 也 . 於 周 易 為 離 , 離 為 戈 兵 . 」 明 年 , 瓘 誅 .

現代人から見ると、こじつけのような気もしなくはないのですが、
古代人の「螺」に対するイメージを知る手がかりの一つにはなると思います。
ただし、「螺」は必ずしも凶兆を暗示するだけではないようです。

中国のサイトを検索すると、「螺女」(白水素女と同類?)について研究している学者の方の論文がありました。
論文の初めに、中国では「螺」が古くから吉凶の象徴とされてきたと論じ、その根拠として「螺」が現れる様々文献を引用しています。

『晋書』に多少関連性があるようなので、アドレスを残します。
ttp://iel.cass.cn/news_show.asp?newsid=2965&detail=1&pagecount=0

151えちぜん:2008/08/25(月) 22:01:54
【華夏チャログ】というブログ(ttp://utuutublue.blog57.fc2.com/blog-entry-305.html)でジャッキー・チェンのご先祖が房玄齢だと紹介されていました。

152八頭:2008/08/31(日) 11:30:19
房玄齢は『晋書』の編纂者ですよね。
ジャッキー・チェンと房玄齢のイメージがどうしても結びつきません。^^;

ウィキペディア(日本語版)の房玄齢の項目に書かれていますが、
このことは、中国語版にも書かれており、ここから転載されたのかもしれません。
(「成龍自称為房玄齢後人。」維基百科)

以下の原文は、珠江時報のニュース記事から引用しています。
ttp://dadao.net/php/prtime/temp_news.php?ArticleID=52479

①ジャッキー・チェン氏が、房玄齢の子孫であることを
おおやけに自称したのは、2004年頃らしいです。

近来的報道越来越清晰地表明,成龍与山東臨淄、唐朝宰相房玄齢有着深刻的歴史渊源,
2004年,成龍公開宣布,他是唐朝宰相房玄齢的后代,并在同年前往山東臨淄尋根。
最近のメディアは、ジャッキー・チェンさんが、山東省の臨淄、また、唐代の宰相、房玄齢と歴史的に深いつながりがあることを明確に報じている。
ジャッキーさんは2004年に、自分が唐代の宰相、房玄齢の子孫であることと、同じ年に、山東省の臨淄に赴き、一族のルーツを探したことを公(おおやけ)に発表した。

②ジャッキー氏の祖先が山東省臨淄から安徽省何県に移った経緯。(簡略)

公元六一八年,房玄齢到秦王李世民的王府任記事(※),留在老家山東臨淄的一支房氏后裔日后迁至安徽和県。
618年、房玄齢は当時、秦王だった李世民の下で秘書官を務めており、
故郷の山東省臨淄に留まった一支族の子孫が、その後、現在の安徽省和県に移り住んだ。
(※『旧唐書』に「秦府記室房玄齢」とある。)

③このニュースが出た2007年頃には、ジャッキー・チェン氏の名前が
山東省の房氏の族譜に書き加えられたようです。

成龙父亲的老家安徽和县房桥村的房氏家族前不久就把成龙一家人写进了家谱。
ジャッキー・チェンさんの父親の実家がある、安徽省和県房橋村に住む房氏一族は先頃、ジャッキーさん一家も家系図に書き加えた。

④ジャッキー・チェン氏の本名は、「房仕龍」。
房の姓は名乗らないらしい。(ご子息は房の姓を名乗っているらしい。)

而在房氏宗谱上,成龙则占了一整页,上面写着
「卓哉仕龙(成龙本名该叫「房仕龙」)国际巨星,驰名中外景仰堪钦」,
行文用字,感觉比祖先更风光。

中国の族譜(家系図)は見たことがないので、よく分からないのですが、
評語(?)は、ご祖先の房玄齢よりも立派(仰々しい)な感じだ、という意味でしょうか。
だんだん、『晋書』から関係がなくなってきたようなので、ここで止めておきます。

153名無晋書さん:2008/08/31(日) 12:07:36
>③山東省の房氏の族譜に書き加えられたようです。
安徽省の間違いでした。すみません。

ジャッキー・チェンの父親は、若い頃、安徽省の村を出たようです。
ttp://forum.netbig.com/bbscs/read.bbscs?bid=1&id=6824069&page=16

154中根:2008/08/31(日) 16:48:07
八頭さん、名無晋書さん、ありがとうございました。
こうしてみると、ジャッキー・チェン氏は房玄齢の分家の子孫という
ことなんでしょうね。興味深い話です。

155八頭:2008/09/01(月) 20:07:13
中根さん、お久しぶりです。えちぜんさんがご紹介された話題(【華夏チャログ】さんの記事)
に少し関心を持ちました。

ttp://www.xici.net/b16462/d66680377.htm
に掲載された記事によると、

文革後、国外でコックをしていた房道龍氏(ジャッキー・チェン氏の父親)は、
当時の外交部長、吴学謙氏と偶然知り合いになり、生き別れになった二人の
息子、房仕紱と房仕勝(ジャッキー・チェン氏の異母兄)を探してほしいと依頼したようです。

房道龍氏の息子はすぐに見つかり、知らせを受けた父親は帰国後、息子の房仕紱氏と広州で再会を果たします。

35年振りに安徽省に帰郷した房道龍氏が、族譜(一族の家系図)が放置されていたことを知り、資金を出して新たに編み直したようです。
“忘了祖宗可不行,我出資咱men把家譜重新修起来。”

兄弟が再会できていないことについては、深い事情があるとはいえ、少し悲しい気がしました。

156名無晋書さん:2008/09/03(水) 20:37:42
漫画家の故横山光輝さんの故郷で、
三国志の資料館を作る計画があるそうです。

ttp://www.chugen.net/yokoyama_museum/index.html

157:2008/09/05(金) 20:43:37
最近の幼稚園では、漢詩の音読を指導しているようですね。少し驚きました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080905-OYT8T00228.htm

158アンタミナ:2008/10/12(日) 06:39:11
伊坂幸太郎さんの小説、「SOSの猿」が読売新聞に連載されていますが、
孔子、孟子が何気なく採り入れられています。孫悟空もモチーフとして登場
するそうです。
最近の日本の小説(歴史もの以外)で、中国の古典を作品に利用している
ものは珍しいのでしょうか?

159菅原:2009/01/02(金) 18:55:08
代表の菅原です。
みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

160中根:2009/01/10(土) 23:08:02
会員の中根です。久しぶりにちょっと雑談でも。
今年の大河ドラマ「天地人」では直江兼続が主人公になっていますが、
この直江兼続という人は晋書との関係が少しある人なのです。
ちょっとおもしろいので、雑談までに。

1、直江兼続を始めて一般に紹介した明治時代の福本日南という人は、
「徳川家康は司馬懿のような悪賢い人だが、
それと対抗して義を掲げた直江兼続は劉淵・石勒のような人だ」
という紹介をしていたようです。
(火坂雅志・編「実伝 直江兼続」角川文庫より)
司馬懿・劉淵・石勒いずれも晋書の登場人物です。
直江を紹介するにあたり、劉淵・石勒のような人だといっているのが
面白いですね。
明治時代には戦国武将よりも晋書の人物の方が有名だった?!
…さて、どうでしょう。

2、直江兼続は漢学に通じており、「六臣註文選」を刊行していますが
(俗に直江版文選という)、この文選の注には現在の「晋書」の元になった
「旧晋書」が引用されております。

161菅原:2009/01/18(日) 16:24:18
大河ドラマの主人公として今話題の直江兼続が『晋書』と関係があるとは興味深いですね。
今年は直江兼続ブームの影響で『晋書』までにも脚光を浴びたら良いですね。
それにしても明治時代に晋代の人物は結構有名だったとしたら本当に意外ですね〜

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165菅原:2009/12/27(日) 21:56:06
この年末に三国志のビッグニュースが飛び込んできました!
曹操の墓が発見されたとのこと。
朱然の墓以上の大発見!?
驚きですね。

166えちぜん:2009/12/28(月) 01:24:37
最初はちょっとどうかな?と思いましたけど、
「魏武王常所用格虎大戟」と刻まれた石碑など、
かなりインパクトありますよね。
詳細な検証と報告を待ちたいと思います。

167菅原:2009/12/30(水) 19:05:41
今日の新聞記事によると、石碑はほかで見つかった物ではないかといった懐疑的な意見もあるようですね。
今後の調査発表を待ちたいと思います。

168えちぜん:2010/01/01(金) 10:00:53
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

「今年こそ 晋書翻訳 進めたい」

169菅原:2010/01/01(金) 14:16:09
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
【解體晉書】は昨年で設立以来十周年を迎えました。
今年は十一年目の年として、会員一同また新しい気持ちで励んで参ります。
昨年はいつもと変わらぬ多大なるご愛顧を賜りながら、
新訳をあまり公開できず恐縮でしたが、
本年は新訳を次々と公開していく予定ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

170八頭:2010/04/11(日) 06:51:38
菅原さん、皆様、こんにちは。

まだ復帰できないでおりますが、向雄伝の草稿を見直しました。これを最終稿にしたいと
思います。
しかし、メールの調子が悪く、代表宛に送信ができないようなのですが、
どうしたらよいでしょうか。
お知らせくださるようよろしくお願いします。

171菅原:2010/04/11(日) 21:45:00
八頭さん、ごぶさたしております。
メールが送信できない理由は私のアドレスだけ送信できないかすべてのメールが送信できないかによりますが、すべてのメールが送信できない場合はメーラーの送信設定の確認かプロバイダへの問い合わせが必要だと思います。
私のアドレスだけ送信できないのはアドレスの誤入力しか思いつきませんので、
アドレスを確認してもう一度次のメールアドレスに送信してみてください。

fwje4389@mb.infoweb.ne.jp

172八頭:2010/04/12(月) 21:39:16
菅原さん、ご返事くださり、ありがとうございました。
後ほど送信設定を確認したいと思います。
多分、直ると思いますが、もし、直らなければ、別の手段を講じなければならない
かもしれません(可能ならば、漢文翻訳スレッドに貼り付けるなど)。

173八頭:2010/04/24(土) 06:48:22
>菅原さん、運営委員の皆さん
先日、PCを再セットアップしましたが、やはりメールを送ることができません。
原因不明です(パソコンは同じものを10年以上使っています。寿命でしょうか)
向雄伝はどうしたらよいでしょうか。

174菅原:2010/04/24(土) 21:49:09
>八頭さん
パソコンの再セットアップをしてもメールがまったく送信できないとしたら
メーラーの送信設定に問題があるかもしれません。
プロバイダのメールの送信サーバ(SMTP)やポートを調べて、
メーラーの設定がプロバイダの指定どおりか確認してください。
それでもだめならプロバイダへの問い合わせが必要だと思います。

漢文翻訳スレッドに貼り付けるというのはできるかぎり避けたいです。
メールでお送りいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

175八頭:2010/04/25(日) 06:40:30
菅原さん、こんにちは。
分かりました。もう少しお時間をくださるよう
よろしくお願いいたします。句点から単語まで幾つか見直しましたので、
是非メールで差し上げ、会員の皆さんにご検討していただきたいと思います。

176八頭:2010/04/29(木) 17:40:39
菅原さん、こんにちは。
遅くなり、失礼しました。
とりあえずMSNのhotmailで送信いたしました。私の名前の表示(架空)が
本名と違うかもしれませんが、気になさらないでください。

177八頭:2010/12/28(火) 19:31:30
菅原さん、会員の皆さん、こんにちは。
段灼伝がほぼ訳了しました。
もう少し詰めたいと思いますので、お待ちくださるようお願いします。

178菅原:2011/01/01(土) 10:52:32
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年も会員一同頑張って新訳を公開していく所存ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

179菅原:2011/03/27(日) 16:19:19
今回の震災により被害を受けられた方々には心よりお見舞いを申し上げます。
また首都圏にお住まいの方は計画停電や生活物資の不足等で生活にご不自由されていることと思います。
本当に心よりお見舞い申し上げます。
今回の大震災の支援のために【解體晉書】としてできることはないか考えたのですが、
【解體晉書】は『晋書』の翻訳活動しか業務がないためできることはほとんどないと思います。
そこで【解體晉書】として日本赤十字社に義援金をお送りしました。
本当に少額ではありますが、少しでも被害を受けられた方々のお役に立てれば幸いです。

180名無晋書さん:2011/06/19(日) 12:52:09
>菅原さま
三国志の件で連絡を取りたいのですが、infowebのメールを
チェックしていただけますでしょうか?

181菅原:2011/06/21(火) 22:49:24
>180さん
連絡が遅くなり、申し訳ありません。
本日メールを拝見しました。
至急メールをお送りしましたので、ごらんいただければ幸いです。

182ナミ:2011/08/09(火) 10:13:21
胡閻灼」←この読み方をご存知の方はいらっしゃいますか?
 
分からなくて調べましたが、ひっかかってきません(ToT)
 
よろしくお願いします

183名無晋書さん:2011/08/12(金) 13:34:39
>胡閻灼

これは人名でしょうか?中国史に出てくる人名ではないようです。
もし、人名でしたら、漢音で読むのが普通ですから、

胡(姓)コ
閻灼(名)エン・シャク

よって、
胡閻灼は、
コエンシャク
と読みます。

読みが分からない漢字は、漢和辞典の部首索引から調べてみるのも
いいかもしれません。

184名無晋書さん:2011/08/17(水) 11:09:26
>183さん
有難う御座いました+゚・。..*
 
もしかしたら、実在の人物では無いのかもしれません。
 
ケド、コエンシャクで呼んで見ます
 
助かりました(*^.^*)

185名無晋書さん:2011/08/24(水) 18:14:33
ナミさん、書き込みをくださり、ありがとうございました。
ひょっとすると、もうご覧にならないかもしれませんが、補足致します。

※補足
中国人の姓名は、漢音で読むのが普通ですが、例外が幾つかあります。
私が思いつくだけですが、たとえば、

(1) 漢音が複数あるので、間違えやすい姓((例)繆・ボク)
(2) 呉音で読む姓((例)毛・モウ)
(3) 慣用音で読む姓((例)荀・ジュン)
(4) 姓と名の音が異なる場合((例)毛遂 モウ・スイ、呉音+漢音 (例)黄蓋 コウ・ガイ、漢音+呉音)
(5)  複姓((例)胡母班 ※胡母コボが姓)

ですので、思いつく音で(多分、漢字の漢音と呉音をはっきり区別して覚えている人は多くはないと思います)、
人名を読むと一般的な読み方から外れる場合があります。

重複になりますが、
漢和辞典(『漢辞海』)によると、「胡」、「閻」、「灼」
の読み方は次の通りです。

胡 コ(漢音)、ゴ(呉音)、ウ(唐音)
閻 エン(漢・呉音)
灼 シャク(漢音)

よって、「胡閻灼」を中国人の名前と仮定し、
姓は胡、名は閻灼とすると、

コエンシャク
ゴエンシャク
ウエンシャク

と、3通りの読み方があることになりますが、
『漢辞海』にあるように、中国人の姓の「胡」は、日本では漢音の「コ」で読むのが一般的です。

したがって、「胡閻灼」は、コエンシャクと読みます。(上の他の読み方が間違いというわけではありませんが、普通はあまり読みません。)

日本人の苗字にも「胡」があり、「えびす」と読むそうです。しかし、名前に当たる「閻」が法律で人名に使える常用漢字と人名漢字ではありませんので、
名前の「閻灼」の読み方が不明です。やはり日本人の名前ではないようですね。

186八頭:2011/12/23(金) 16:06:56
菅原さん、こんにちは。
遅くなりましたが、段灼伝の草稿が出来ました。
先日、お知らせのメールを送信しましたが、届いていますでしょうか。
皆さんにもご覧になっていただきたいと思います。

187菅原:2012/01/07(土) 16:58:41
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年も会員一同頑張って新訳を公開していく所存ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

188菅原:2015/11/22(日) 15:42:19
【解體晉書】をご覧のみなさん、こんにちは、代表の菅原です。
しばらくごぶさたしてしまい、失礼いたしました。
諸般の事情で3年間拙訳の公開を行っていませんでしたが、
本年から公開を再開し、本日再開第一号の公開を行いました。
来年はもっと多くの拙訳を公開できるよう努めてまいりますので、
今後も【解體晉書】へのご愛顧をよろしくお願いいたします。

189名無晋書さん:2015/11/25(水) 22:24:50
まったく更新しないまま3年。
お亡くなりになったのかと思ったくらい。

晋書翻訳に真摯に取り組むのは菅原様くらいでしょう。
再開されたこと本当に良かったと思います。

今後のご活躍楽しみにしております。

190菅原:2015/12/05(土) 21:01:52
>189さん
ご訪問ありがとうございます。
更新が長らく滞ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。
諸般の事情で3年間更新できていませんでしたが、
ようやく再開できましたので、
今後ともご愛顧よろしくお願いいたします。

191菅原:2016/01/01(金) 21:03:40
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年はいろいろな新訳の公開を目指して頑張っていきますので、
本年もよろしくお願いいたします。

192菅原:2020/04/26(日) 11:47:01
【解體晉書】をご覧のみなさん、こんにちは、代表の菅原です。
しばらくごぶさたしてしまい、失礼いたしました。

月日の流れは速いもので、気付けば4年以上も拙訳の公開を行っていませんでしたが、
前回の約束が守れなくて申し訳ありませんでしたが、
少しずつ拙訳を公開できるよう努めてまいります。
次は私の拙訳(忠義伝)を公開できればと思います。

193菅原:2020/05/10(日) 18:38:24
【解體晉書】をご覧のみなさん、こんにちは、代表の菅原です。
【解體晉書】の今後についてですが、会としての活動を終了することになりました。
詳細については今後改めてお伝えします。
なお、サイトは閉鎖する予定はありません。
これまで御愛顧いただき、本当にありがとうございました。

194加藤:2020/05/18(月) 21:29:34
本当にお久しぶりです。
昔、大河巡航というサイトをやっていて、菅原さんに大変お世話になった者です。
最近、三国志・中国史の世界に戻って来ました。

長年に渡る会としての活動、本当にお疲れ様でした。

195菅原:2020/05/18(月) 23:39:45
>加藤さん
こちらこそご無沙汰しておりました。
会の活動は終了しましたが、サイトは閉鎖しない方針で、
まだ公開していない訳注も今後いくつか公開する予定はあります。
詳細は現在詰めていて、今後サイト上で改めてお伝えします。


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