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科学と疑似科学とを判別する(2)

462ゲジゲジ:2023/09/12(火) 21:23:50 ID:lE0u.s5s
まず大前提として基準2「対立仮説の否定だけでは自説の検証にならない」があります。
対立仮説の否定だけではダメなのだから、「対立仮説の否定以外の何か」が必要です。

基準2の命題から導けるのはこれだけです。「対立仮説の否定以外の何か」が具体的に何である必要があるのか、元の命題は何も指定しません。元の命題に「対立仮説の否定以外の何か」の必要条件は存在しません。これが大前提です。

従って、何も考えずに、何も解釈を加えずに、基準2の命題を文字通り受け取れば、「対立仮説の否定以外の何か」に必要条件はありませんから、「対立仮説の否定でなければ何でも良い」となります。
繰り返しますが、まずはこの論理的な帰結が大前提です。


 >[>>459]
 >一方、私は、世の中が必ず論理的に行動する保証はないから、
 >あなたの主張が共有されてる保証にはなりません、と言ってます。
 >世の中が間違うことは、>>444で、地動説、進化論、ルイセンコ説の歴史事例を挙げて示しました。

その通りですが、上記の前提から外れるためには、敢えて基準2に何らかの解釈を加えて、「対立仮説の否定以外の何か」の必要条件を定めなければなりません。
そのような実例がなければ、必要条件はない、ということになります。
必要条件がないのだから、何でもよい、ということになります。



 >[>>459]
 >肝心な点がどうしても理解できませんね。

そう、正にこの肝心な点を、Ken様に理解して頂く必要があります。
私たちの議論は、基準2という命題が世間に共有されている、という前提からスタートしています。

例えば「神様はいるか?」を科学的に検証した場合、神様はいるという具体的な証拠がないのだから、神様はいない、となります。
同様に「対立仮説の否定以外の何かに必要条件はあるか?」を科学的に検証した場合、必要条件があるという具体的な証拠がないのだから、必要条件はない、となります。

異なるのはここからです。
神様がいない、と結論付けたなら、神様はいないことになります。
一方で「必要条件はない」と結論付けたなら、「何でもよい」ことになります。

なぜなら「神様はいるか?」を検証する場合、世間に共有されている前提はありません。何もない前提で検証を始めています。
しかし「対立仮説の否定以外の何かに必要条件はあるか?」を検証する場合、既に基準2「対立仮説の否定だけではダメ」が世間に共有されているという前提があります。


 >私も何度も言ってますが、今はあなたの基準が世の中で共有されてるかという事実関係を
 >問題にしてるのだから、科学の検証法を用いるのです。
 >ほかにどんな検証法がありますか? あるならおっしゃってください。

 >[>>460]
 >世の中で共有されてることの根拠とは、あなたと同じ主張が、
 >世で流布してる実例を見つけることなのです。第5の力や塩基を見つけるのと同じ、
 >科学的検証が求められるのですよ。

科学的に検証するなら、必要条件を定める主張がないこと、そのような具体的事例がないこと、が正に私の主張を裏付ける根拠です。
「ない」ということは「何でもよい」ことになるからです。

基準2に一切の考察をせず、一切の解釈を加えなければ、「対立仮説の否定以外の何か」は何でもよいことになります。
従って、世間が基準2に何らかの考察を加え何らかの解釈を加えた証拠がないのであれば、世間は「何でもよい」と考えていることになります。


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