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神と科学は共存できるか

161リリス:2007/12/23(日) 16:48:09 ID:nrzx3pJo
また、
>その意味で、ドーキンスが「実際には、そうしたもの(仏教や儒教:引用者注)は宗教ではまったくなく、むしろ倫理体系ないし人生哲学として扱うべきだという見方にも一理はある(『神は妄想である』61頁)」と述べたのも一理あると言えるかも知れません。

ドーキンスはどのような理由で「そうしたものは宗教ではまったくなく」と述べているのでしょうか。「宗教≒ヘブライ系の一神教」であるかのような社会状況に大きく影響を受けた、恣意的な見解ではないのでしょうか?
たしかに『仏教の思想1―知恵と慈悲―』には次のような文章があります。
『仏教はキリスト教が、そういわれるような意味で宗教ではありません。それを、宗教だというならば、極度に思想的な宗教であります。十九世紀のヨーロッパにおける仏教学者は、そこに、驚くべき宗教を見ました。いっさいの迷信から自由な、純粋倫理的な宗教。ヨーロッパの仏教学者は、仏教の中にキリスト教とまったく違った宗教を見て、驚いたのは、彼らがむしろキリスト教というものを基準にして、宗教を考えたゆえかもしれません。』

キリスト教やイスラム教と、仏教や儒教との違いに意識を向けたとき、なぜ「宗教」というものの幅広さに思いを馳せるのではなく、「そうしたものは宗教ではまったくなく」という方向に行ってしまうのでしょうか。ドーキンスの批判対象である「宗教」が、ごく狭い範囲の限られたものを指すのならば、それに「宗教」という呼称を用いることは不適切であり、批判されてしかるべきでしょう。その論法は、創造科学者たちが「進化」という言葉で大進化のみを表そうとするのに似てしまわないでしょうか?

NANさんが書いておられる『「自分が相手に何を要求しているのか、相手が何を言っているのか、相手を批判する根拠はなにか」といった点を常に自戒を込めて自認しておく必要がある・・・ということを強調したいと思っています』という視点が大切なのであり、ドーキンスが批判対象に対して『宗教』という呼称を用いるのは、この視点においてマイナスだと考えています。


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