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■■「セカンドチャンス」はあるのか〜未信者の死後の救い〜

1キリスト教正統信仰−プロテスタント福音主義・福音派:2011/03/31(木) 11:18:49
最近「セカンドチャンス論」という、生前、主イエス・キリストを信じて救いにあずかっていなくても、
死後においても救いにあずかれる可能性があると考える説がでてきています。
さて聖書の御言葉に照らし合わせてみたとき、どのような導きがされることでしょうか。

●久保有政著「聖書的セカンドチャンス論」を
 「キリスト教神学」の視点からクリティカルに分析・評価する。
 JEC牧師会発題講演・質疑応答 一宮基督教研究所 安黒務
            ↓
★ttp://www.aguro.jp/d/jec/071113d_Evaluating_Second-Chance-Theory_Criticaly_JEC-PM_color.pdf

●久保有政先生による「「セカンドチャンス」は本当にあるのか」に対する反論
           ↓
レムナント社★ttp://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomu.htm
まぐまぐ通信★ttp://archive.mag2.com/0000014836/20070828235000001.html

●「セカンドチャンス」は本当にあるのか〜未信者の死後の救いをめぐって〜
 ウィリアム・ウッド氏著 いのちのことば社刊 84頁より抜粋
              ↓
人はただ天に行くためにキリストを信じるのではなく、
「それに加えてこの地上で神の祝福と導きを受け、人生に平安、愛、幸福を得るためにも信じ」るのだから、
セカンドチャンスがあると聞いても、信仰の決心を先延ばしにするはずがないと、
−「聖書的セカンドチャンス論」(110頁)の著者は−論じますが、
確かに、救われた結果、クリスチャンは神から平安、愛、喜びを受けます。
しかし、救いとはもともと、永遠の滅びから救われることであるはずです。
ですから、「あなたは今、この世で平安や愛や喜びが受けられるから信じなさい」
という内容の伝道メッセージは、少々、福音の焦点からずれています。
人がイエス・キリストを信じなければならない第一の理由は、永遠の滅びという厳しい現実があるからです。
これこそすべての人に信仰の決心を促し得る点です。なぜなら、今の生活で満足している人々がいるからです。
彼らは、クリスチャンの語る平安などには関心を示しませんが、「イエス・キリストを信じる者だけが救われる、
信じない者は滅びる」というメッセージには危機感を覚えて、求道するようになる可能性があります。
しかし、「死後にも滅びから免れることもある」と言われたなら、
「じゃあ、私はあとでよい」という結論を出さないとは言い切れないからです。

2キリスト教正統信仰−プロテスタント福音主義・福音派:2011/03/31(木) 15:59:46
>>1-2よりつづく
「セカンドチャンス」は本当にあるのか
  〜未信者の死後の救いをめぐって〜
         ウィリアム・ウッド氏著 いのちのことば社刊
        ↓
★第五章−結論 77頁より
(セカンドチャンスの考え方が広まることによって)今後、懸念されること

「セカンドチャンス」は間違いなく、教会の礼拝や教理、および伝道のあり方を大きく変えるものです。
そこで筆者(ウィリアム・ウッド氏)は、この教えが広がっていくなかで、以下のことを懸念します。
①聖書から逸脱した教理の蔓延。
「セカンドチャンス」は、聖書の主題や文脈を考慮せず、
 また正当な釈義のルールに基づいていない教理だと言えるでしょう。
 もしもこの教理が日本のキリスト教会に幅広く受け入れられるようなことがあると、
 さらに、同じ釈義法による、福音を曲解した教えがどんどん生まれてくるのではないでしょうか。
②福音宣教に対する悪影響。
 今まで、多くの牧師や宣教師、および一般のクリスチャンが、
 「死ぬ前にイエス様を信じなければ滅びる」という信仰を持って、
 熱心に福音を宣べ伝えてきました。
 けれども、「セカンドチャンス」が聖書的な教理として教会の中に浸透していくなら、
 こうした人々は挫折と混乱の中で伝道の熱意を失ってしまうでしょう。
③礼拝にもたらされる変化。
 「セカンドチャンス」は、教会の礼拝のあり方にも、大きな影響を及ぼすでしょう。
 礼拝の中で、死者のための祈りがささげられるようになるでしょう。
 仏教の追善供養のような行事が取り入れられる可能性もあります。
④救われるべき魂の滅び。
 「死後でも間に合う」というメッセージが語られると、必然的に、
 キリストを信じる決心を後回しにする人々が出てくるでしょう。
 「ハデス」で回心しょう」と考える人も現れるでしょう。

3キリスト教正統信仰−プロテスタント福音主義・福音派:2011/03/31(木) 16:00:27
>>1-3よりつづく 
 こう考えてくると、「セカンドチャンス」はきわめて危険な教理であると
 言わざるを得ません。最終的に行き着くところは、「今、イエス・キリストを
 救い主と信じなくても、滅びることが決定するわけではない」ということです。
 こうして「セカンドチャンス」は人々を信仰の決心から遠ざけてしまう恐れがあります。
 「あとでも間に合うなら、今は信仰に入らないで、この世での生活を楽しもう」と
 考える人間が、必ず出てくるでしょう。そして、「セカンドチャンス」が実際になかったとしたら、
 この教理は人々を滅びに追いやるものとなってしまうのです。

★★第五章−結論 78頁より リバイバルの鍵はどこに?

 前述のように、「聖書的セカンドチャンス論」では「セカンドチャンス」は日本に
 リバイバルをもたらす教理であるとされています。しかしはたしてしそうでしょうか。
 日本のプロテスタント教会が「セカンドチャンス」を受け入れた場合、
 百数十年前から語られてきたものと違う福音を語ることになります。
 日本のリバイバルの鍵は、新しい教えにあるのでしょうか。
 私たち人間は、望んでいたほどの結果が現れないと、すぐ不安になり、
 新しい方法やアイディアを試してみたくなってしまう傾向があります。
 けれども、日本の霊的状況を考えた場合、最も必要なのは、
 メッセージを変えずに、「時が良くても悪くても」
 みことばを宣べ伝え続けることではないでしょうか。
 2005年に、アメリカのギャロップ社が日本人の宗教観に関する世論調査を行いました。
 それによると、日本人の23パーセントがキリスト教に対して好印象をもっているそうです。
 さらに驚いたことに、「あなたの信じている宗教は何ですか」という問いに、
 実に6パーセントもの人々が、「キリスト教」と答えているということです。
 私たちの想像する以上に、日本における聖霊のみわざは進んでおり、
 リバイバルが間近に迫っているのかもしれません。
 いずれにしても、リバイバルが聖霊の働きであるとするなら、
 新しい教えに期待するよりも、聖霊に頼り、神の栄光を待ち望みつつ、
 「古い福音」を語り続けるべきです。

4山上の垂訓:2011/04/09(土) 23:56:07
”信仰”じゃなくって”宗教”でしょ?

「キリスト教正統信仰−プロテスタント福音主義・福音派」
と言っても、我田引水的独善的教理よ。
こんなのがキリスト教を名乗るからおかしなことになるのよ。

5名無しの神学さん:2011/04/12(火) 10:45:54
神のまえにある自らの罪深さを自覚できない人間は、
この→>>4のようにまこと愚かしい者であります。

主イエス・キリストのみが、全能の主−神のまえにある、
私たち人類・一人ひとりの罪を贖ってお救いくださるのでした。
アーメン。

6山上の垂訓:2011/04/14(木) 10:14:08
>>5 神のまえにある自らの罪深さを自覚できない人間は、・・・

・・・こういう決まり文句がカルト化傾向だわな。
まず自分が悔い改めて手本を見せてくれや。
”正統派”とか”正統信仰”なんぞと大風呂敷広げると
あとが大変だぞよ・・・

それと>>5よ コテハンぐらい名乗ったらどうだ?

7山上の垂訓:2011/04/14(木) 10:19:28
贖罪信仰がカルト化へのひとつの道。

>>こうして「セカンドチャンス」は人々を信仰の決心から遠ざけてしまう恐れがあります。

・・・これは”信仰の決心”ではなく、”宗教(教会)への入信”である。
主イエスの贖罪信仰が暴走すると、
「生きているうちにイエスさま信じなかった人は、地獄に落ちた。」
という暴言をのたまい、小沢某に、
「キリスト教は、独善的で閉鎖的な世界であ〜る!」
というこれまた的外れの批判を誘発しているのであ〜る!

8名無しの神学さん:2011/04/14(木) 15:59:23
>>6-7
「悔い改めた」がゆえに、神の御一人子・主イエス・キリストのみが、神の御前にある、
私たち人類・一人ひとりの罪を贖ってお救いくださるのだ、ということをはっきりと明言できるのだよ。
主イエス・キリスト以外にいったい誰が、神のまえにあるあなたの罪を贖って、
あなたに天の御国を約束してくださるのかな。
贖罪信仰がカルト化への道??
救い−すなわち主の贖いの技によっていただく罪からの開放−を受け入れることが”信仰の決心”ではないか。
いったい君の教会では何を教えているのかね。
神を知ったらクリスチャンなのか?(笑)
神のまえにある自らの罪を認めて悔い改め、神とのあいだに正しい交わりの関係をもつようになること、
これが信仰を決心し、バプテスマを受けたクリスチャンとしての歩みなのだよ。
だから、信じようが信じまいが救いに関係ない、などと不埒なことは信仰者は決して言えない。
それゆえ、ノンクリスチャンの方々が全能の主−ヤーウェと正しい交わりの関係をもつことができるように祈り願い、
悔い改めをそくし生きているあいだに救いにあずかっていただけるよう、クリスチャンが福音伝道に努めることは、
間違いなく主の御心にかなったことなのだよ。
わかるかな。アーメン。

9山上の垂訓:2011/04/15(金) 00:18:28
「生きているうちにイエスさま信じなかった人は、地獄に落ちた。」

こういう”宗教”を、”信仰”とか”伝道”とかいう言葉に置き換えていないかい?
自分の教会に人を引っ張り込むことが”伝道”ならば、新興宗教と変わりはないよ。
現実の”キリスト教会”それも敗戦後のドサクサにまぎれて上陸した粗製乱造の宣教師
たちの流れは、新興宗教と変わりない。

幕末から明治初期にかけて来日した宣教師さんたち・・・札幌のクラーク博士、
横浜のヘボン博士、聖公会のウィリアムズ主教、正教会のニコライ大主教etc.

わが国を愛しわが国、国民のために良きことをして下さった。学校を建て病院を建て・・

”クリスチャンの奉仕”は教会が隣人のためにすることであるべきで、”教会員”という閉鎖された集団で
やっていることは、”集団マスターベーション”に他ならない。

10山上の垂訓:2011/04/15(金) 04:32:26
”選民思想”に陥るのは良くないね。
神は愛そのものであり、信じたからとか信じないとか、どこの教会に行ったとかいってないとか・・・
そんなことで人を分け隔てる神ならば、神ではないよ。

✝ 神は人を分け隔てなさらない(ガラテヤ書)

11山上の垂訓:2011/04/15(金) 04:43:02
神は愛そのものである。愛以外ではありえない。義人も罪人もない。

”神の愛に立ち返る”という表現があるが、それすらも、
「神の愛に立ち返った人」vs「立ち返っていない人」という差別を生み出す。
”正統派”を自称する人たちが陥るあやまちがこれである。

愛するべき隣人を、”みしんじゃ”とか”教会員でもない者”
と言って差別している。こんなものが”福音”だろうか?

教団組織の中でだけ通用する理屈。組織の中だけで尊敬されるボクシさんシンプさん。
・・・そういうものに興味はない。

しかし愛の神は、人を分け隔てなさらない。
本当に”分け隔てなさらない神”を伝えているのか?
大いに考え直してもらいたい。

12名無しの神学さん:2011/04/15(金) 08:34:20
あの、山上の垂訓さん
「自分の教会に人を引っ張り込むこと=伝道」
「敗戦後のドサクサにまぎれて上陸した粗製濫造の宣教師」
この二つは「新興宗教とかわりない」ではなく、「新興宗教だ」と表現するものなんですけど・・・?
伝統宗教は幕末に宣教師を派遣しているんです。そして教会にやたらと人を引っ張り込む折伏大行進ではなく、
女学校を設立して女子教育に貢献したり、病院を作って医療伝道をして、自然と教会に行きたくなるように
忍耐に忍耐を重ねたんですよ。「愛は忍耐強い」を地でいったといってもいいほど。

しかし「神の前に自らの罪深さを自覚できない人は×で自覚できる人は○」という新興宗教の言い草はお笑い。
だって新興宗教は什一で、こんな宗派は銭金有り余っている金持ちがいく分にはいいが、
偉そうな口を利いている信者さまご本人は派遣やフリーターで年収三百万未満で、親と別居で家賃も生活費も
基本的なものはすべて自腹。よって献金したらほとんど手元に残らなくて、スーパーで半額シールのついた食品すら買うのを躊躇するひどい生活w。
親と別居となれば年収三百万未満の分際で什一献金の宗派にいくのは分不相応。
分不相応は高慢の罪といってキリスト教では七つの大罪の一つ。
収入からみて明らかに多すぎる出費の宗派を選んでいるのは聖書的にみて正しくない選択ですよ。
年収三百万未満で親と別居して手取りの二割ちかく毎月出している新興宗教の信者は、高慢という大罪を
犯している自らの罪深さを全然自覚していない。だからこいつらこそ×。

13山上の垂訓:2011/04/15(金) 15:41:11
>>12 さん
まさにその通りですよ。

幕末から明治初期にかけて来日された宣教師さんたちはまさに”隣人愛”を
地で言った方たちなんですね。クラーク博士の弟子/孫弟子には、内村鑑三や
新渡戸稲造などそうそうたるメンバーがいます。ヘボン博士の流れにも。

宣教師さんたちが立てられた学校や病院は、クリスチャンオンリーではありません。
自分たちだけで人やカネを囲い込んでる新興宗教に、仏教系もキリスト教系もありませんわね。
お互いそういう、”宗教ロボット”にならなくって良かったね。

またもうひとつ言えば、”宗教ロボット”も宗教の制御が利いていればまだいいが、
”制御が利かなくなった宗教ロボット”が、自分が神なったでもあるかのように
ふるまっているのが、新興宗教の現状ではないだろか?

14名無しの神学さん:2011/04/15(金) 16:56:03
制御が利かなくなった宗教ロボットは新興宗教には掃いて捨てるほどいますよ。
なぜなら伝統宗教はインディーズでやれないが、新興宗教はインディーズでやれる。
教祖だらけなのでなんでもありの場所になってしまっているんです。
沖縄ならリバイバル教会の儀間教祖や福音センターの仲原教祖がそう。教祖様は完全にご自分が神になっておられます。
「私は人間ではな〜い。神であり、仏であり、エル・カンターレである!」と宣言した幸福の科学の大川隆法と同じです。

15山上の垂訓:2011/04/16(土) 01:00:10
教祖様はご自分が”神”になっちゃってるから、
「殺されても三日後によみがえって来たら拝んでやる。」
かなんか言ってやりたいですね。手品はなしよ!

16草もち:2011/11/02(水) 11:57:21
什一献金はきついですね。難しいことは分かりませんが、お金が無いのに什一献金を要求されて献金してて貯金も出来ず結婚のときにとても困りました今は、やってません。

17山上の垂訓:2011/12/05(月) 07:39:26
什一献金はエセ宗教家のエゴに過ぎません。
財産権の侵害です。個人の信教の自由の侵害です。
日本国憲法第20条違反です。
信教の自由は個々人に認められるべきもので、
教団単位ではありません。

日本国の憲法を守れない宗教は、
日本国から宗教法人格を受けるべきではありません。

18名無しの神学さん:2017/05/16(火) 12:31:03
金ちゃん、最近益々おかしい!

他教会や去っていった信徒、ライバル教会の牧師なんかに訳の分からん非難をして教会の信徒たちには緘口令みたいんの時々出しよるで。
そやけど以前から、噂はかなり外にも漏れているやろ!

金ちゃんは、将来、日本を背負って歴史に残る輝く牧師として君臨するため、今が大切なときなんやて!
夫婦で言ってるわいや!
韓国やら日本やらの教会関係者や政治家などの人脈が凄いでと自慢しておったが、少し呂律がまわらん今日この頃ちゃうか?
そんなことは以前も言うておったが、恥ずかしい失敗も多かったな?
かっこつけられるんjも、信徒の献金や海外からのいろんなサポートを悪用してのことやないか?

たくさんの信徒や献身者をブロイラーみたく潰しよって、己の栄光ばかり追うん?これからも?
言ってることとやってることが違いすぎるやん?

19名無しの神学さん:2018/02/24(土) 15:55:47
作詞:聖イエス会教祖様

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


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