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三度の飯より、音楽が好き!

1闇夜の鮟鱇★:2003/12/22(月) 13:26 HOST:161.net061198125.t-com.ne.jp
自殺関連の板などを覗くと『生きていてもただ苦しいだけだ、
何も生きる目的を見いだせないから今すぐ死にたい』
なんていう人が大半ですけど、私なんか、
何か一つ良い曲に出会っただけで、もう単純に
『生きていて良かった』と思っちゃう方ですからね。

そういう人たちも、音楽と言わず、何か一つでも、
本当に好きな物を見つけられるといいですね。
『国や社会の為に、自分には何も出来ることがない』なんて、
大げさなことを考えなくてもね、単純に『自分にとって、
これが楽しいから、これが気持ちいいから生きているんだ』
というだけで、生きる目的としては充分なんじゃないでしょうか!?


このスレッドでは、私の音楽的な好みを中心に、
四方山話風の雑談を書きたいと思います。
結局、音楽に関しては個人的な好みの差が激しいですから、
好みの合わない人と話を合わせるのは苦痛でしょうね。

ただ、自分の経験からすると、特に若い頃は、
どこにどんな良い音楽があるのかが分からなくて探すのに苦労しました。
無論、あちこち捜し回る苦労も楽しみの内と言えないこともないですが、
出来れば、自分の好みに近い評論家などを見つけて、
その人が良いというものを漁るとぐっと手間が省けたりしますよね。

その点は、まあ映画なんかにしても同じなんでしょうけど、音楽の場合、
人による好みが全く違ったりする点で映画の比ではないですからね、
自分の好みにあったものを探すのに余計に苦労するんだろうと思います。
ですから、このスレッドの主眼の一つも『そういう人たちの為に、
私の好みから見た音楽地図を提供できたらいいな』という点にあります。


その意味で、先ず私の好みを明らかにしておきたいと思うんですが、
クラシックで言えば、バッハが好きでベートーベンは嫌いですし、
ビートルズで言えば、レノンよりもマッカートニーが好きです。
ジャンル的には完全な雑食性で『良い音楽なら分野を問わない』
という主義ですが、最近の歌では鬼束ちひろの『流星群』とか、
平井堅の『Ring』なんかで『生きていて良かった』と思いました。

結局、長い間インテリ乞食をやってますと、CDを買う金なんてないですから、
大半はFMなんかから録音した音楽になるわけです。
そうすると、自分の好みに従って系統的に音楽を聞くなんてことは不可能で、
ラジオから流れる音楽は手当たり次第に何でも聞くことになるんですが、
結果的には、そのおかげで、あらゆるジャンルの音楽を、
何の偏見もなく、公平に聞き比べることが出来たんじゃないかと思います。

次回からは『この世で最も叙情的な音楽』というテーマで、
最初のシリーズを何回かに分けて書く予定です。
もし皆さんの中で、音楽の趣味が私と一致する方がいらっしゃいましたら、
何か書き込んでいただけると本当に嬉しいです。

2闇夜の鮟鱇★:2003/12/26(金) 12:24 HOST:187.net219096031.t-com.ne.jp
★★★この世で一番、叙情的な音楽(その一)★★★

ここでは三つの曲を取り上げる予定なんですが、
先ず最初は、とっつき易さを考えて最も短い曲にします。
で、この世で一番叙情的な音楽の一つ目として紹介するのは、
ビル・エバンスの『When automn comes』という曲です。

ビル・エバンスと言えば、ジャズファンならご存じでしょうが、
言うまでもなくジャズピアノの巨匠ですよね。
残念ながら、もう死んでしまいましたが、
数あるジャズピアニストの中でも私が最も好きな人です。

彼のアルバムの中に、東京公演のライブというのがあるんですが、
その中にこの曲がありました。
ジャズの場合、演奏する時と場所とで、味わいがどんどん変わりますから、
やはり、どの時のどの演奏と指定しないと、余り意味がないでしょうね。


東京公演なんて言うとあちらカブレの人は馬鹿にするかもしれないですが、
私の好みからすれば、このアルバムは
彼が残したものの中でも最高傑作の一つではないかと思います。
結局、あちらでのライブは『ブルーノート』みたいな小じんまりとした店で、
少人数を相手にリラックスしてやることが多いようですが、
そうすると、聴衆の立てる声や雑音が入って来たりするんですよね。

まあ『それがジャズというものだ』とゴタクを並べる人もいるんでしょうが、
私みたいに純粋に音楽だけ聞きたいという向きには、
やはり何といっても耳障りなことがあります。
その点、東京公演ともなると営業政策から言って(!?)必然的に、
『沢山の聴衆を相手にコンサート形式でやる』ということになりますから、
下手な雑音はないし、録音も割合キチンとしていると思います。


When automn comesという曲名は『秋の訪れ』とでも訳すんでしょうか、
そのメロディーと言い、演奏と言い、もう素晴らしいの一言に尽きますね。
しかも、幾ら聞いても飽きない、というのがビル・エパンスのすごい所で、
やはり、それが本物という奴なんでしょうか。
私なんか、この曲をもう長い年月、毎日聞き続けていますが、
いまだに飽きるということがありません。

まだ彼の演奏を全て聞いた分けではないので、断定はしませんが、
十中八九、この曲は彼が残した全作品の中でもベストワンだろうと思います。
特に、その叙情性という観点からすれば、
これは全ての音楽の中で三本の指に入るだろうと、というのが私の評価です。

3闇夜の鮟鱇★:2004/01/07(水) 13:09 HOST:042.net061211188.t-com.ne.jp
★★★この世で一番、叙情的な音楽(その二)★★★

さて今回、二つ目として紹介するのは、ブラジルの作曲家エイトール・ヴィラ=ロボスの作品です。
『ファゴットと室内オーケストラの為の七音による舞曲』という長い名が付いてまして、
私が聞いたのは、レフ・ペシェルスキーという人がファゴットを吹いた演奏でした。
演奏の技術的な優劣とか、そういう専門的なことは良く分からないんですが、
これまた、絶品といって良いでしょうね。
『叙情的とはこういうことだ』ということを、充分に分からせてくれます。
これ以上ゴタクを並べても意味ないでしょうから、後は自分の耳で確かめて下さい。


こうして、クラシック・ジャズ・ポップスと一通り揃った所で、
今回は音楽のジャンル分けについて、少し述べてみたいと思います。
先ずクラシックでは、バロック以前・ロマン派・現代音楽と三つに分ければ充分でしょう。
バロック以前といっても、グレゴリオ聖歌まで含めればかなり長い年月になりますが、
音楽ファンの別れ方からすると大体、そんな区切り方で話が済むと思います。

クラシック以外については、ジャズ・ロック・フォークの三分法で行けると思います。
その場合、各々の分野ついて更に詳しい固有の分類がありますが、それはやめておきます。
というのも、クラシックで肥えた耳からすると、
それらの中で聞くべき音楽は必ずしも多くないからです。


私の若い頃の経験からすれば、聞くに値する音楽の割合は、
フォークが10に一つ、ロックが100に一つ、ジャズが1000に一つという感じでしたね。
まあ、それはラジオで流される総量から見ての話ですから、現在はまた変わったかもしれません。
それに年を取るほど、ロックみたいなうるさい音楽は敬遠することになりますから、
今では、ロックとジャズで比率が逆になったような気もします。

結局、クラシックみたいに一定の年月を経て生き残った音楽には当然、駄作は少ない分けですが、
その点、今作られつつある音楽となると、玉石混淆になるのは仕方ないでしょうね。
フォークが10に一つというのは結局、音として耳障りな部分が少ないのが得をしている分けで、
すぐに飽きてしまうような曲も沢山あるだろうと思います。


他にも、ムード音楽だのラテン音楽だのといった軽い分野がありますが、
最近はやりのヒップポップなんていうのは、私に言わせれば、
音楽というよりは、詩の朗読の一形態だろうと思います。
無論、それが詩と呼ぶに値する内容を持っていればの話ですが……。
むしろ興味深いのは民族音楽の分野で、ガムランやケチャなんかは音の素材として面白いですし、
インドにもシタールなんて楽器があります。

また各国固有の民衆歌謡として、
フランスのシャンソン・米国のブルース・日本の演歌なんていう分野がありますし、
更に国内を見渡せば、民謡・雅楽に近頃はやりの声明なんてのもありますね。
特に津軽三味線なんかは、日本の民謡の中で唯一『芸術』のレベルに達していると思います。
他にも、能の謡曲・文楽の義太夫・歌舞伎の長唄など、邦楽と言われる分野がありますし、
一口に音楽といっても、実に多種多様な内容があることが分かりますよね。(続く)

4闇夜の鮟鱇★:2004/01/07(水) 13:10 HOST:042.net061211188.t-com.ne.jp
(続き)今後ここで主に取り上げるのは、クラシックを中心に
ジャズ・ロック・フォーク程度になると思いますが、
その場合、一つの分類法として、メッセージ性の強いものと弱いものという分け方があります。
つまり、ロックやフォークでは、その歌詞が重要な意味を持つことが多いですよね。
例えば、尾崎豊なんかが未だに若者から強く支持されるのは、曲の良さもありますが、
何といっても、その歌詞に込められたメッセージの訴求力が重要な部分を占めるでしょうね。
その点は、ロックも同じだろうと思います。

ただ、私のような音楽好きから見ると、かえってそのメッセージが邪魔になる場合があります。
つまり、ただ音楽を楽しみたいだけなのに、余計な歌詞が耳障りになることがある分けです。
例えば、最近の歌で『君の名前を呼んだ後に』(槇原敬之)なんてのは、
曲としては決して悪くないと思うんですが、
その歌詞を聞いてると『勝手にやってろ』なんて思っちゃいますからね。
まあ、マイホーム主義もいいんですが、洗脳が進んだ世相のせいか、
こんなやわで情けない男ばかりが増えるのも困ったもんだと思います。
尾崎豊の歌詞にしても、その後半(恐らく洗脳された後)のものは余り好きになれません。


他方、外国のロックなんかでは、やたらエロっぽい歌詞が耳障りで閉口することが多いですね。
例えば、ビートルズの曲で『カム トゥゲザー』なんてのは、もう完全なポルノですからね。
そういえば昔、ビートルズの歌を日本語に訳し、弾き語りしていた女性歌手がいましたが、
あの人は、この曲の歌詞をどんな風に訳して歌っていたのかが気になります(^^;)。
どなかたご存じでしたら是非、教えて下さい。

もう一つ例を上げると、ジョン・レノンの歌詞の中にも耳障りなものがありますね。
この人の場合は政治的なメッセージが多いんですが、
『当時は新鮮でも、今となってはちょっとダサイ』というのが少なくありません。
有名な『イマジン』という曲にしても『宗教のない世界が実現したらどんなに良いだろう』
なんて歌ってますけど、私は『宗教がなくなれば良い』とは思いませんし、
そんな薄っぺらな世界に住みたいとも思いませんからね。


そういう意味で、ロックやフォークと付き合うのは、
色々やっかいな場合があると思います。
それに比べ、クラシックは何といっても安心ですし、
ジャズにしても歌詞に頼る部分は少ないですから、
その意味で、余計なメッセージに介入される煩わしさがないのがいいですね。

ただ、それならクラシックだけとか、ジャズだけ聞いてれば良さそうなもんですが、
中々そうも行かないんですよね。
特に、私みたいに『家にいる間は音楽をかけっぱなし』という状態ですと、
飽きるのも早いですし、同質の音楽では耳が疲れるということもありますから、
色々なジャンルの音楽を適当に混ぜて聞くことが多くなります。
その辺の問題は、また機会があったらお話したいと思います。

5闇夜の鮟鱇★:2004/01/17(土) 10:09 HOST:035.net219096028.t-com.ne.jp
★★★この世で一番、叙情的な音楽(その三)★★★

最後の三つ目は、ある意味で一番とっつきにくい分野でしょうが、
いわゆる無調音楽の一つを紹介します。
アルバン・ベルクの『叙情組曲』という作品で、
私が聞いたのはアルバン・ベルク四重奏団の演奏でした。

そもそもが叙情的な音楽を紹介するという主旨なのに、
曲名からして叙情組曲では多少面白味に欠けますかね!?
ただ、調性というものを離れても、これだけ叙情的な音楽が作れる、
と言う点で、私には少し意外な感じがした分けです。


なじみのない方の為に、少し無調音楽の説明をしておきますと、
普通、西洋音楽では、いわゆるハ長調とかイ短調とか、
必ず調性というものがあって、
一つの中心音を基準に音の秩序が決められている分けです。

ところが、音楽やその理論がどんどん発展していく内に、
そうした調性音楽に飽き足りないという作曲家が現れまして、
それで色々と前衛的な音楽が作られた分けです。
最初は、和声をわざと無視して不協和音を入れたりしていましたが、
それが行き着いた所が無調音楽という奴でした。

別名を12音技法とも言いますが、全く調性を感じさせないように、
一オクターブの中の12の音を公平に使うというのが原則で、
12の音をひとつづつ使って自由に並べ替えた音列を作り、
それを元にして音楽を作ってしまう分けです。
前述したビル・エパンスもこの技法でジャズを作っていますが、
例のアルバムの『T.T.T.T.』という曲がそれです。


最初に無調音楽の話を聞いた時、
私は途方もなく広い領域があるかのように思ったんですが、
意外とそうでもないんですよね。
結果的に言うと、短調・長調に加えて、
もう一つ無調という種類が加わったという程度なんですね。
長調が楽しい音楽、短調が悲しい音楽という言い方をするなら、
無調は苦い音楽という感じでしょうか。

結局、メロディーを作るのに、
12の音を並べ替えるだけの自由度しかない分けですから、
ある意味では、ものすごく窮屈な音楽ですよね。
逆に言うと、調性音楽というものが開発し尽くされた結果、
この制限を外すと、すぐ調性音楽に聞こえてしまうという事情があるみたいです。

例えば、皆さんは、古い家屋で板張りの天井があったりした場合、
寝ころがって節穴を眺めていると『任意の三つの節穴が、
人間の顔に見えて来る』という経験をしたことがありませんか!?
それと似たようなもので、ちょっとでも調性に近い音の組み合わせを聞くと、
調性音楽に聞こえてしまうということなんじゃないかと思います。


で、無調音楽もすぐに使い尽くされてしまうのか、
この後の前衛音楽は、もはや音階というものから離れます。
つまり、ピアノの鍵盤の音から自由になる分けで、
ミュージック・コンクレートなんていうのは、
現実の音を組み合わせて音楽を作る分けです。
例えば、ビートルズの『Revolution №9』なんてのもその一例ですね。

でも私が聞いた限りでは、残念ながらベルクより後の前衛音楽で、
『繰り返し聞きたい』という音楽は見つかりませんでした。
電子音を使ったジョン・ケージとか色々沢山名前は聞きますけど、
少なくとも、ここ数十年位の間の前衛作曲家は、
今後、何世紀にも渡って受け継がれていくような遺産、
例えば、バッハやチャイコフスキーに匹敵するようなものを、
何も残せなかったと言えるんじゃないでしょうか。

私が知る限りでは武満徹が映画の為に作った『怪談』なんて作品は、
辛うじて引っかかるかもしれませんけどね。
まあ、私もそんなに沢山聞いた分けではありませんから、
まだどこかに隠れた名曲があるのかもしれませんが……
もし御存じの方がありましたら是非、教えて下さい。(続く)

6闇夜の鮟鱇★:2004/01/17(土) 10:11 HOST:035.net219096028.t-com.ne.jp
(続き)話を無調に戻しますと、最初にやったのがシェーンベルクという人で、
このベルクはその人の弟子らしいですね。
しかし、創始者のシェーンベルクの音楽というのは、
どうも無調の苦さばかりが際立ってしまって、
私なんかは、余り繰り返し聞きたいという気がしないんです。

それに比べ、このベルクの音楽は基本的にはロマン派と同じで、
例えば『ピアノソナタ・作品1』という有名な曲がありますが、
これなんかは非常にロマンチックな音楽なんです。
何故、調性がないのにロマンチックに聞こえるかが少し不思議なんですが、
ひょっとすると人間の脳の中で、
何か調性的なものに変換して聞いているのかもしれませんね。

で、一つの問題は『こうした取っつきにくい音楽をどう征服するか』
ということになると思うんです。音楽好きなら、
良い音楽があると分かっているのに、放っておく手はないですからね。
一つの考え方としては、先ずストラビンスキーとかプロコフィエフとか、
あの辺の不協和音に先ず慣れるのが良いもしれません。
プロコフィエフなんか、部分的には完全に無調に聞こえる音楽も作ってますし。


そして、後は如何に耳を慣らすかでしょうね。
始めからリキを入れて、分かろう分かろうと努力すると、
すぐ疲れて、かえって嫌になってしまうと思います。
一番良いのは、大好きな曲を入れてある良く聞くテープの末尾の余った所に、
こうした音楽を入れておくことでしょうね。

その点、昔は良かったんですが、最近のMDなんか、かえって困りものですかね!?
何しろ『末尾の余り』というものが必ずしもない分けで、
たとえ余っていても、自動的に頭に戻って再生してしまいますからね。
でも、例えば74分のディスクで、65分位しか使ってないなら、
あえて残りの9分に、こうしたものを詰め込んでおくという手があります。

当然、尻切れになりますが、耳を慣らすのが目的ですから、
全く問題ありませんよね。何か妙なる音楽が聞こえ始めたら、
その時点で改めて全体を聞き直せばいいんです。
その意味で、末尾に入れる音楽は長過ぎない方が良いでしょう。
余り長過ぎると退屈しますから、せいぜい5〜10分位が限度ですね。
無論、この方法は無調音楽に限らず、自分のレパートリを広げたい時に、
馴染みのない音楽に慣れる上ではいつでも役に立ちます。


こうした無調音楽で一つ面白いと思うことに、
『他の音楽によって干渉されない』という現象があります。
つまり、普通の調性音楽の場合、それを聞いている最中に、
別の調性音楽を同じ位の音量で流されたりすると、
まず確実に気分を壊されてしまうんですよね。

ところが、無調音楽の場合にはそれがありません。
元々が調性に頼らない音楽のせいなんでしょうか、
たとえ別の調性音楽が大音量で流れて来ても、
今聞いている無調音楽の感興が冷めるということがないんです。
これは中々不思議で得難い体験ですから、
皆さんも是非試して見ることをお勧めします。

7闇夜の鮟鱇★:2004/06/29(火) 10:41 HOST:203.net219096020.t-com.ne.jp
  ★★★魂の為の音楽★★★

前に、>>3の所で
『クラシックでは、バロック以前・ロマン派・現代音楽と三つに分ければ充分』
なんて書いてしまったんですが……
『じゃあ、古典派はどうしてくれるんだ』とか文句を言って来る人がいるかなあ、
なんて後になって気になりました。(^^;)

まあ、西洋音楽の教科書的な分類法では、
ルネサンス・バロック・古典派・ロマン派という分け方が主流でしょうし、
それは、音楽の様式から言っても一定の妥当性があるのかもしれません。
ただ、私のような素人からすれば、音楽理論だの形式だのはどうでも良くて、
むしろ、ひたすら音楽の内容だけから分類したい分けなんですよね。

例えば通常の分類では、バッハ・ヘンデル・ハイドンから、
モーツァルト・ペートーベンあたりまでをまとめて、古典派と呼ぶ分けですが、
私の考えでは、ハッキリ言って、モーツァルトとベートーベンとの間には、
その音楽の内容からして、越え難い断層があるように思うんです。
ですから、私としては、ベートーベン以降をロマン派と呼び、
それ以前をバロックと呼びたいんですよね。

古典派という呼称はその形式から来るのかもしれませんが、
バッハは古典派と言ったりバロックと言ったりしますし、
ベートーベンも古典派に入れたりロマン派に入れたりする分けです。
そこで、仮に両者を除いた部分を古典派と呼ぶことになると、
ヘンデルからモーツァルトという中途半端なことになって少し困るんですよね。

ならば、その部分もまとめてバロックに入れてしまえということなんですが……
まあ、どうしても古典派を残したい人がいるなら、一つの妥協策は、
バッハからモーツァルトまでを古典派とすることかもしれませんね。(^^;)
まあ、こうした形式上の分類はあくまで便宜上の問題ですからね、
私としては、余りこだわるつもりはありません。


で、問題はモーツァルトとベートーベンの間にある断層なんですが、
それを一言で言えば、魂の為の音楽であるかどうかということになると思います。
つまり、モーツァルト以前の作曲家は、
特に宗教音楽の分野において、魂の救済の為に音楽を作っている分けです。
ところが、ペートーベン以降の作曲家は単に、
人間の感性に訴える為の音楽しか作ってないんですよね。

それは、いわゆるロマン派音楽の特徴と言っても良いと思いますが、
例えば、キース・ジャレットというジャズピアニストがうまい事を言ってますね。
『自分は、音楽だけが連れて行ってくれる世界の為に音楽を作りたい』とか……
正確な表現は忘れましたが、確かそんなことを言ってました。
ある意味で、それはロマン派音楽の美学の本質なんじゃないですか!?

この人は、私がビル・エバンスの次に好きなジャズピアニストなんですが、
結局、この人の音楽も広い意味ではロマン派に属するんじゃないでしょうか。
言い換えると、ロマン派の音楽というのは『如何にして人間の感性に訴えるか、
如何にして人間の耳に心地よく響くか』という観点で作られていると思います。

それに対して、モーツァルト以前の音楽
(それは古典派・バロックからルネサンスまでを含めていいと思いますが)
は人間の感性に訴えるよりは、人間の魂に訴える傾向が強いんですよね。
ある意味で、ロマン派がブルジョアの為の音楽であるとすれば、
彼らの音楽は王侯・貴族の為の音楽と言えるのかもしれません。
そうした中でも、最も典型的なのがバッハの宗教音楽だろうと思うんですが、
彼の音楽は結局『人間の良心に直接、訴えかけて来る音楽』なんですよね。

こういう音楽を作った人は私が知る限り、他にはいないと思います。
少なくともクラシック畑にはいませんよね。強いて言うなら、
近年のロック音楽――それも最も良質なもの中に、
それに近いものがあるような気がします。
例えば、ロッド・スチュアートに『Smiler』というアルバムがありますが、
その中の『悲しき叫び』や『ディキシー・トゥート』にそれを感じます。
(続く)

8闇夜の鮟鱇★:2004/06/29(火) 10:45 HOST:203.net219096020.t-com.ne.jp
(続き)
最近、NHK FMの『バロックの森』という番組を良く聞くんですが、
その解説者の一人が『バロック音楽を代表する作曲家の一人』
とかいって、大バッハのことを紹介していたのが引っかかりました。
まあ、バッハをバロックに入れたり古典派に入れたりするのは前述した通りで、
その点は全く構わないですし、またロマン派を中心に聞く人が、
そういう価値観を持っているらしいことも、私は知っていました。

でも、バロック音楽のファンにして、そういうことを言うんですかね!?
私に言わせれば、大バッハは紛れも無く全ての作曲家の頂点に立つ人であり、
その音楽は、人類の全ての音楽を通じての最高峰であるだろうと思います。
だからこそ、米国が宇宙の果てに放った衛星に積まれた人類を代表する音楽は、
ベートーベンでもモーツァルトでもなくて、大バッハの作品だった分けでしょ!?

こういう事を言うとロマン派のファンは怒るかもしれませんけどね、
バッハの大きさに比べたら、ベートーベンなんてゴミみたいなもんですよ。
例えば、彼が作った『荘厳ミサ曲』という宗教音楽がありますが、
これなんか、先人の宗教音楽と比べたら実にお粗末な代物ですよね。
私なんか『この曲によって、ベートーベンは後世に恥をさらすことになった』
と考えてますからね、『こんな曲をほめる評論家はまさかいないだろう』
と思ってたんですが……最近いたのにはビックリしました。

結局、私が何故ペートーベンを嫌いかというと、
一度バッハの重さを知ってしまった後では、彼の音楽の重たさは中途半端で、
ろくなカタルシスもないというか、ただいらつくだけだからなんですよね。
言い換えれば、バッハの音楽の大きさ・深さに慣れた耳で聞くと、
例えば『月光の曲』なんて、とにかくダサイだけなんですよ。

仮にそのバッハの最高傑作を一つだけ上げろと言われれたら、
私の場合『ミサ曲ロ短調』になると思うんですが、
ハッキリいってこれだけのものを作られて、その後の作曲家がどうして、
再びミサ曲を作ろうなんて考えるのか、私には不思議なくらいなんです。
それでも、ヘンデル・ハイドン・モーツァルトあたりまでは、
まだ、それなりに恥ずかしくない作品を残していると思うんですが……
何といっても、ベートーベンの『荘厳ミサ曲』はいけませんね、
あれは後世の恥だと思います。


結局、バッハにのめり込んでしまうと、ベートーベン以外にも、
シューベルトとか、前期ロマン派の作品には、
余り食指が動かなくなるのかもしれませんね。
同じロマン派でも少し時代を下ったワグナーやショパンとか、
或いは国民楽派のチャイコフスキーとか、
その辺まで好みが一足飛びに飛んでしまうみたいです。

他方、バッハの作品なら何でもいいかというとそうでもないんです。
特に、世の中で良く知られている彼の作品の中には、あくまで
『ロマン派の観点から高く評価された作品』が少なくないんですよね。
例えば、その典型が『トッカータとフーガ ニ短調(BWV565)』ですね。
『ミレミー レドシラ#ソラー』っていうあの有名な曲ね。
私は、これほどバッハらしくない曲もないだろうと思うんです。

というのも、バッハは『大向こう受けを狙ったような曲』は、
他には決して作っていないからなんです。
つまり『どうだ、すごいだろう!』というタイプの音楽ですよね。
その手の作品なら、ロマン派には沢山ありますけどね、
例えばワグナーの『ワルキューレの騎行』とか、
リヒアルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』とか。
ところが、つい最近どこかで小耳に挟んだような気がするんですが……
『この作品が実は贋作である』という研究があるらしいですね。
私にしてみれば、もしそれが本当なら万々歳なんですけどね。(^^;)

もう一つ例を挙げると『フーガ ト短調(BWV578)』ね。
これも、世の中ではやたら有名ですけど、
私に言わせれば、やはりバッハらしくないですね。
ハッキリいって、あの大バッハが、
こんなに通俗的なメロディーを作ったなんて信じ難い所があります。
ですから私にして見れば、これまた贋作であって欲しいんですよね。
無論、有名な作品が全て駄目という分けではありません。
例えば『G線上のアリア』なんか、
私から見ても間違いなく名曲だろうと思います。

大分ため込んでいたのを久々に書いたせいか、
ちょっと取り止めのない話になってしまったようです。
バッハの音楽を語るとなれば、いつかは、
宗教カンタータについて書かねばならないと思うんですが……
いつになるんでしょうかね、今の所見当がつきません。(^^;)

9闇夜の鮟鱇★:2004/07/28(水) 09:28 HOST:183.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★ジャズの悦楽★★★

今、久々にオスカー・ピーターソンを聞いていて、
ふとジャズのことについて書きたくなったので、
今回はジャズについてひとくさり述べてみようかと思います。

先ず、私とジャズの出会いについてなんですが……
それは必然というよりは偶然というべきかもしれませんね。
というのも、その頃の私はバロック音楽にはまって、
もっぱらバッハなんかを中心に聞いていたんですが、
当時の流行として、バロックの名曲をジャズ風に
アレンジして聞かせるのが大はやりだったんですよね。

そう言えば、JSB(Jazz Sound Of Bach)なんていう、
紛らわしい名前のグループがありましたっけ。
無論、ヨハン・セバスチャン・バッハのひねりですよね。
他にも、ジャック・ルーシェ・トリオだとか、
ダバダバコーラスで有名なスイングル・シンガーズだとか、
色んなのがありました。で、正統的なバッハの演奏に飽きると、
そうしたアレンジが新鮮に聞こえるので、
好んでそういうジャズを聞いていたわけです。

しかし、その時点の私はまだ、真の意味で
『ジャズの魅力』に気付いていたとは言えないでしょうね。
何故なら『そもそもがパッハの名曲を下敷きにしている以上、
たとえどんな演奏をしようが、それが美しいのは当り前だ』
という風に考えていましたからね。
その後、暫くたって始めて純粋なジャズというものを聞いたんですが、
その中で、最初にピンと来たのがオスカー・ピーターソンだったんです。
それは、ビッグバンドを伴奏に彼がピアノを弾いている作品で、
特に『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』なんか最高でしたね。


良くジャズ番組なんかを聞いていると『スイングジャズのスイングとは
一体なんのことですか?』なんて質問する人がいるんですが、
大体の評論家は恐ろしく間抜けなのか、そうした質問に
まともに答えたのを、私は一度も聞いた覚えがありません。
まあ何事につけ『日本人には知ったかぶりが多い』という点は、
評論家だけに限った問題ではないんでしょうけどね。
きちんと物事の本質を踏まえた人間になりたいものです。

で、問題のスイングとは何かということなんですが、
それは現実に曲を聞いて見れば一目瞭然なんですね。つまり、
その音楽が体に入って来ると『ズンズン・ズンズズン』という感じで、
もう勝手にというか自動的に、体が左右に揺れ始めるんです。
つまり、音楽の心地よさが体の中にしみ渡って来ると、
もう、じっとしてなんか居られなくなる分けなんですよね。

それで、その時の体が左右に揺れて来るリズムというのが、
丁度、大時計の振り子が左右に揺れる状態とそっくりなわけで、
これを称してスイングと言うわけでしょうね。
つまり、Swing・swang・swungのswingですから、
振り子やブランコが左右に揺れるという意味ですね。


例えば、さっきの『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』だと、
ちょっとテンポが早過ぎるんですが……
多分『メロウ・ムード』という同じアルバムに入ってる曲で、
『イン・ア・メロウ・トーン』というのがあると思います。
これなんか聞くと『スイング』の意味が良く分かると思います。

似たような例で言うと、最近は余り聞かれないかもしれませんが、
昔、ロックの一分野でレイドバックなんてのがありましたよね。
あの場合は、エレキギターを抱えて演奏していると、
何かふんぞりかえったみたいな姿勢になって、つまり、
重心が自然と後ろに移動してくるという状態を言っているわけです。
だから、レイドバック(laid back)と言う名が付く分けですよね。
音楽では、こうした命名法が他にも珍しくないようですけど、
結局、何か『音楽の本質が体の姿勢にも影響する』みたいですからね、
音楽というものも、中々奥が深くて興味深いものだと思います。

で、そのオスカー・ピーターソンの音楽なんですが、
口の悪い人はワンパターンだとか言って批判するんですよね。
確かに、その音楽は少し型にはまっているというか、
ある種のコード進行から外には出ないようですからね。
その点で、物足りないという不満はあり得るでしょうね。
でも、私に言わせれば、あれだけ美しい音楽を作れば、
もうそれで十分なんじゃないですか!?
ひとりのピアニストに一体、それ以上の何を望むのかと思いますけどね。

確かにピカソみたいに、次々と作風を変えて
大天才と呼ばれる芸術家も世の中にはいる分けですが、
別にそれほどの大天才でなくたって、特定の領域だけでも
後世に残るような作品を作れたなら、芸術家としては、
それだけで、もう何も思い残すことはないんじゃないでしょうか。
(続く)

10闇夜の鮟鱇★:2004/07/28(水) 09:34 HOST:183.net219117086.t-com.ne.jp
(続き)
ところで実を言いますと、私はこのオスカー・ピーターソンという人を
長い間、白人だとばかり思い込んでいたんです。
まあ、私みたいにラジオ専用で音楽を聞いている人間にとっては、
音楽以外の情報は原則的に何も入って来ないという事情があるんですが、
そうした点は、悪い面より良い面の方が多いんじゃないでしょうかね!?

つまり、その音楽家の写真は勿論、その横顔とか経歴とか、
そういった周辺的な情報が何も無いわけですからね、
ある意味で、何の先入観も偏見もなく音楽だけを聴くには、
最高の状況設定なんじゃないかと思ってます……
まあ、負け惜しみかもしれませんけどね。(^^;)

で、何故そんな誤解が生じたのかということなんですが、
結局、彼の音楽が余りに洗練されていたからなんですね。
例えば、ブルースとかソウルとかゴスペルとかね、
いわゆる黒人音楽というのは大抵、何かこの相当に、
『泥臭い』というイメージがつきまとう分けなんですよね。

ところが、彼の音楽というのはそれとは全く正反対で、
実に見事にかつ素敵に、洗練された音楽な分けですよね。
それで『こんなに洗練された音楽を作る人は、
きっと白人に違いない』と何となく思ってしまったんですが……
今から考えても、そうした誤解は不可避だったような気がします。
彼はカナダ生まれだそうですから、或いはその辺に、
米国生まれの黒人との差があるのかもしれませんけどね。


ですから後年に、初めてテレビで彼を見た時はとにかく驚きました。
真っ黒な黒人で、しかもあの巨体ですからね。
ふつうの体格のピアニストの場合、最強音を出そうとすると、
その指先に全体重を掛けるという感じになるんですが、彼の場合は、
指先でほんのちょっと撫でると最強音が出るという感じなんですね。

似たようなことで言うと、全く分野は違いますけど、
カール・リヒターを初めて見た時もびっくりしました。
これはまだ、ほんの数年前のことだったと思いますが……
しかし、まるで電気技師か何かといった風貌ですからね。
実は他のサイトで彼の演奏を少しけなしたことがあるんですが、
そのちょっと冷たい感じのする演奏はなるほどな、
と納得が行った気がしました。

話が大分とんじゃったみたいですけど、問題はスイングでしたかね。(^^;)
結局、ラグタイムに始まり、デキシーランドジャズへと展開したジャズが、
その最初の大輪の花を咲かせたのが、いわゆるスイングジャズである、
と言って良いのではないでしょうか。
結局、色々あるジャズの中でも、最も実り多い部分が、
このスイングジャズとそれに続くモダンジャズあたりのように思いますし、
私が好きなのもその辺が中心です。

とにかく陽気で楽しいのがスイングジャズ、
少し知的でクールなのがモダンジャズだろうと思います。
最近のフリージャズなんかになると、クラシックの前衛と同様、
果たしてどこまで付きあえるかな、なんていう気がしますけどね。
まあ、私もジャズの歴史にはそんなに詳しいわけではありませんから、
以上はあくまで私個人の勝手な解釈と考えて置いて下さい。


例のオスカー・ピーターソンなんかは全面的にスイング系統でしょうね。
特にソロピアノやバイオリンと共演した作品には佳作が多いですが、
ただ、彼のアルバムには、ものによってひどく退屈なのもありますからね、
少し注意した方が良いと思います。つまり、
そうしたものだけ聞いて、彼の音楽がつまらないなんて誤解しないように。

まあ、これは他の分野でも似たようなものかもしれませんけど、
特に、ジャズ評論家が言うことは、全く当てにならない
というのが私の経験ですね。特にクラシックのファンからすると、
ジャズには全体的に通俗的なメロディーが多過ぎるんですね。
例えば、ビル・エバンスが影響を受けたとか言われる
『バド・パウエル』なんかにしても、相当通俗的ですしね、
私なんかが付き合える限界はその辺までですかね。

ですから、ラジオや雑誌でいわゆるジャズ評論家が言うことは、
全くあてにしないで、自分の耳だけを頼りに捜すのが良いと思います。
以前に >>3 の所で『ジャズの中で聞くに値するのは1000にひとつ』
なんて言ったのも、そうしたことへの警告を込めたつもりなんです。
まあ、バロックを編曲した作品なら問題ないでしょうが、後は、
ヨーロッパのジャズなんかを中心に捜すのが早いかもしれませんね。
結局、ヨーロッパというフィルタを通すことによって、
ジャズの中の通俗的な部分が濾過されてしまうんだろうと思います。

11闇夜の鮟鱇★:2004/10/02(土) 09:12 HOST:252.net220148239.t-com.ne.jp
  ★★★ジャズの戦慄★★★

ジャズについて少し書いたついでに、続けてもう一件書くことしました。
前回、スイング・ジャズについて述べた時にも少し触れたんですけど、
今回はモダン・ジャズについて、具体的な例を挙げてみようかと思います。
それですぐ思い付くのが『Love for Sale』という1958年の曲なんですが……
マイルス・デービス六重奏団とかいう名のオールスター演奏だったと思います。

まあ、元の曲自体はそれほどのものでも無い気がするんですが、
『ジャズに名曲なし、名演奏あるのみ』なんて言い方もありますからね。
つまり、ジャズの場合は原曲がどうあろうと、その出来ばえは、
専ら、即興演奏の出来に左右される部分が大きいということですよね。
クラシックでも、大バッハが手を入れると凡作が名曲に化けたりしますから、
即興中心のジャズでは、尚更そういうことが言えるのかもしれませんね。

その点でこの曲も、中々エキサイティングな出来栄えだろうと思うんですが、
特にこれを選んだ理由というのは、何と言ってもこの演奏の甘酸っぱい感傷が、
『モダンジャズ草創期の熱気』を伝えているように思えたからなんですね。
とは言っても、ジャズの歴史に詳しくない私が言うんですから、
余り当てにはならないと思いますが……。(^^;)


メンバーは弱音トランペットがマイルス・デービス、
アルト・サックスがキャノンボール・アダレイ、
テナー・サックスがジョン・コルトレーン、
ピアノがビル・エバンス、ベースがポール・チェンバース、
そして、ドラムスがジミー・コブでしたかね。

ジャズで一つ面白いと思うのは、そのリズムが計ったように一定していて、
寸分の狂いも無いという点なんですね。
クラシックの場合だと、感情の揺れに任せて音量もリズムも微妙に変化しますし、
ある意味で、そうした揺れの中にこそ演奏家の腕の見せ所がある分けですよね。

でも、ジャズの場合、そのリズムとコード進行について一定の約束があって、
後は各人が自由に即興演奏する分けですからね、誰かがリズムを乱せば、
演奏はメチャクチャになってしまうかもしれませんね。
その意味で、この曲なんか典型的なんですが、時計で計ってみると、
各人のソロ演奏がきっかり2分半づつなんですね。

まあ、大御所が集まったオールスターですから、
公平を期する必要もあるんでしょうか。最初にピアノの短い序奏があって、
トランペット・アルトサックス・テナーサックス・ピアノと2分半づつ続いて、
最後にもう一度トランペットの締めが1分半位あって終わるんですが、
これで大体12分位になるわけです。


それで、この曲の聞き所なんですけど……私にしてみれば、
やはり何といっても、ビル・エバンスのソロでしょうね。
これを名演奏にしているのも、彼の力が大きいだろうと思うんです。
既にお気づきとは思いますが、今までの私のジャズ論は、
大体がジャズピアノでしたよね。ある意味で、ジャズの中の
最も洗練された部分をあさって行くと必然的にそうなるような気もします。

まあ、私の好みとしてピアノの音色が特に好きだという事情もあるんですが、
私がジャズを聞く時は、どうしてもピアノから入って行くことになる分けです。
ですから、こうしたオールスター演奏なんかで、
ピアノ以外の演奏者を知ったりする分けなんですね。

で、その演奏者の方なんですが……トランペットはともかく、
二つのサックスを聞き比べると、少なくともこの演奏に限って言えば、
日本でやたら有名なコルトレーンなんかよりも、アダレイの方が、
その水々しさといい、技量といい一枚上手のように感じました。
キャノンボール・アダレイというのは、
確か自分のビッグバンドを率いているので有名な人でしたよね。

もっとも私はアルトサックスとテナーサックスの違いも良く知らないんですが、
クラシックで言えばバイオリンとビオラの違いみたいなもんでしょうかね!?
ぼんやり聞いているとその差に気付かない位かもしれませんが、
テナーサックスの方が本来の音域が低いせいで音が太めに聞こえますね。
因みに、この曲がどんなアルバムに入っているのかと、
少しネット上をあさって見たんですが……失敗しました。(^^;)
多分、有名な曲ではないかと思うんですけどね。
(続く)

12闇夜の鮟鱇★:2004/10/02(土) 09:16 HOST:252.net220148239.t-com.ne.jp
(続き)
ところで、ジャズの魅力の一つは何といってもジャムセッションというか、
その即興的な掛け合いにあるわけですね。
つまり、それぞれの楽器を受け持つ者同士が、
丁々発止とその個性をぶつけ合って、言わば喧嘩みたいになる分けです。
その点では、ピアノトリオの演奏なんかが特に典型的だろうと思いますが、
聞く側からすると、この人とあの人を組み合わたら一体どうなるんだろう、
なんて考えるだけでも楽しくなる分けなんですね。
そうした組み合わせの妙は、無限にあり得ますからね。

因みに、同じピアノトリオとは言っても、
クラシックではピアノ・バイオリン・チェロですが、
ジャズではピアノ・ベース・ドラムスとなるわけですね。
ベースというのはピッチカート奏法のコントラバス、ドラムスというのは、
色々な大きさの太鼓にシンバルなどを並べて手足を全部使って演奏する分けです。
ああした打楽器の構成というのは一体、誰が最初に考えたのか知りませんが、
ロックなんかでも全て同一なんでしょうかね!?
私は寡聞にして良く知りませんが。(^^;)

他の分野だと、こうしたオールスターの取り合わせは、
えてして馴れ合いに陥りがちで、何か生ぬるい妥協に終わることも
多いと思いますが、ジャズに限っては違いますね。
結局、これはある意味で自分だけ目立とうとする闘争みたいなもんですからね、
各人がそのプライドをかけて技術と演奏の粋を競い合い、火花を散らす分けです。
こうした掛け合いこそは、ジャズの醍醐味の一つに違いないだろうと思います。


もう一つ例を挙げると、キース・ジャレット・トリオの『ザ・リッチ』ですかね。
これはいわゆるブルース・ナンバーという奴で、
ミの音が半音ずり落ちるブルース特有の音階とコード(和音)を使う分けですが、
これまた大変力の入った、エキサイティングな名演になっていると思います。
途中から何か奇声が混じって来ますが、どんどんテンションが上がって行って、
何かキース自身がハイになって叫んでるみたいですね。

本来ブルースというのは
モダンとかスイングとかいう分類の外にある概念なんでしょうけど、
これも一応モダンジャズではないんでしょうか。最後の方になると、
ピアノのフレージングが、何かデタラメに弾いてる見たいに聞こえますけど、
多分、こういう風にリズムを外した感じで音を並べて行く所は、
いわゆるフリージャズの走りと言っても良いんじゃないでしょうか。

で、この曲の演奏者なんですが……これは『宝島』というアルバムに入っていて、
改めて調べ直した所では、トリオでなくカルテットだったみたいですね!?
ジャズ・ピアノというとトリオが一般的なものですから、さっきはつい
『キース・ジャレット・トリオ』なんて書いちゃったんですが、
まあ、その辺は余りうるさいことは言わないことにしましょう。(^^;)

ピアノのキース・ジャレットの他、
ベースがチャーリー・ヘイデン、ドラムスがポール・モチアン、
その他に、テナーサックスのデューイ・レッドマンが参加しているようです。
このアルバムでは、他にも『ヤキインディアン・フォークソング』
なんて曲がいいですね。余りジャズらしくはないんですが、
大変心にしみて飽きの来ない演奏だろうと思います。


ちょっと長さが中途半端になったので、おまけにもう一つ。(^^;)
『ジャズに名曲なし』という話に関して、最近一つ驚いたことがありました。
ビル・エバンスのアルバムの一つで『ワルツ・フォー・デビー』
というのがあるんですね。図書館でたまたま目について聞いてみたんですが……
これなんか、やたら評判が高い割に私はもう一つ関心しませんでした。

全体としてみると、彼の残したアルバムの中では凡作ではないんでしょうかね。
評論家が言うのと自分の耳で聞くのとが全く一致しないのは、
まあ、ジャズに関してはいつものことなんですけどね。(^^;)
ただ、その中で一曲だけ気に入ったのがあって、
『マイ・ロマンス』という曲がとびぬけて素晴らしかったんですね。
それで後から、色々とネット上で曲の素性を調べたりしたんです。

ところがところが……何とこの曲は、前に紹介した『When autumn comes』
と同じアルバムに入っていたということに、つい最近気が付いたんです!
全く同じ曲なのに、以前の演奏では特に目にも止まらなかったので、
すっかり忘れてしまっていたみたいなんですが……
この辺が、やはり『ジャズに名曲なし』ということなんでしょうね。
改めて納得しました。(^^;)

13闇夜の鮟鱇★:2004/10/09(土) 10:11 HOST:40.net220148226.t-com.ne.jp
  ★★★ロ短調と聖家族教会★★★

バッハ(というか全ての音楽)の最高傑作としてミサ曲ロ短調を挙げたんですが、
実は、この曲に関しては前々から少々気になっていることがあるんですね。
つまり、この曲は全曲演奏すれば二時間前後もかかる分けですからね、
FM放送なんかでは一度に全曲を放送することは滅多にないわけです。

それで大抵は一部を抜粋して紹介することが多いんですが……
その抜粋のやり方というのがどうにも気に入らないんですよね。
そう言えば、例の『バロックの森』では最近『クレド』だけ放送してましたね。
一体どういう価値観に基づいて抜粋しているのかは知りませんけど、
良くあるのが最初(キリエ)と最後(アニュスデイ)だけという奴ですね。

でも……この曲に限って言うと、頭と尻だけやっても
余り意味がないんじゃないでしょうかね!?
無論、名曲という以上は、どこを切りとっても、
それなりの内容があるのは事実なんですけどね。
でも何の予備知識もない人が、そこだけを聞いたとして、
果たして一体何が分かるのかという気はしますよね。


例えば、同じバッハの大作としてこのロ短調と双璧をなすとも言える、
『マタイ受難曲』というのがありまして、これも大体2時間位かかるんですね。
で、世間の一般的評価としては多分、ロ短調よりもむしろこっちの方を、
バッハの最高傑作として挙げる人の方が多いんじゃないかと思いますが、
実は、この二つの大作は全く異なる構造をしてるんです。

つまり、マタイの方はある意味でオペラに近い作りで、
新約聖書のマタイ伝に描かれたキリスト受難の物語を元に、
ストーリーに音楽を付けていく感じになっている分けです。
その意味で『福音史家』なんていうのが出て来て、
物語の進行役を勤めたりするんですよね。

もっとも、私にとってドイツ語はチンプンカンプンですから、
その辺の詳しい所は想像の域を出ないんですけどね。(^^;)
ただ、物語のポイント毎に音楽のクライマックスがあるわけで、
山にたとえれば八ヶ岳みたいに峰がいくつもある分けです。


それに比べ、ロ短調の方はラテン語の典礼文というのがありまして、
それに音楽を付けるわけですが、こっちはむしろ交響曲に近いんですね。
つまり、全体が富士山みたいな構造をしていて、
一つの大きな峰があって、前後に尾を引くような感じでしょうかね。

その意味で、中央に大きなクライマックスがあって、
前後はそれを盛り立てるような構造をしている分けです。
具体的に言うと、そのクライマックスにあたるのが、
ロ短調で言うとサンクトゥスとベネディクトゥスなんです。

ですから、頭のキリエと尻のアニュスデイだけを聞いたんでは、
何かロ短調のカスをつかむみたい感じになってしまうんですよね。
それでも、キリエは一応聞き応えがありますが、
アニュスデイの方はどうなんでしょうかね。
あれは結局、大きな興奮の後の熱さましみたいなもんですからね、
あれだけ聞いても、ちょっと欲求不満に陥るような気がしますけどね。


その点がマタイ受難曲との大きな違いなんです。
マタイの方は頭からズドーンと来ますからね、
最初から、いきなりクライマックスみたいなもんですね。
結局、音楽の構造として見た場合、マタイの方は各所に山があって、
その間に平原があるという感じでしょうかね。

その場合、ドイツ語が分かる人なら、その平原の部分でも、
福音史家が朗読するドイツ語の物語などを聞いていれば、案外、
退屈はしないのかもしれませんが……私みたいな外国人が聞く場合、
どうしてもその部分で退屈しがちなんですね。

ですから、私の場合、マタイ受難曲を聞く時はいつでも、
山の部分だけを集めた抜粋を聞くことにしてるんです。(^^;)
それに比べると、ロ短調の方はある意味で音楽的な構成としては、
マタイよりもっと緻密で、退屈する心配が無いわけですね。

結局、ミサ曲の典礼文という奴はラテン語ですからね、
普通のヨーロッパ人にとっては呪文みたいなもので、
日本人が梵語のお経を聞くみたいなものかもしれませんね。
その意味でも、言葉より音楽的な構成に重点が置かれるんだろうと思います。
そうした点から、私の場合どっちが上かという判断になると、
どうしてもロ短調を先に挙げる結果になってしまうんですね。
(続く)

14闇夜の鮟鱇★:2004/10/09(土) 10:16 HOST:40.net220148226.t-com.ne.jp
(続き)
ただ、こうした2時間もかかる大曲を紹介する場合、
いきなり全部聞けというのは、やはり不親切かもしれませんよね。
その意味で、ロ短調の構造について少し解説してみようかと思うんです。

ロ短調の場合、先ず最初にキリエがあって、
その歌詞がキリエ・エレイソン(主よ哀れみ給え)
クリステ・エレイソン(キリストよ哀れみ給え)
ですからね、まあここは結構重たいんです。

しかし、その後はかなりおとなしい感じの音楽になって、
グローリアとクレドは、何かクライマックスの爆発的な歓喜に向かって、
ひたひたと潮が満ちて行くような感じで盛り上げていく分けです。
そして、クレドの最後には『いよいよクライマックス』
という予感を残して終わる分けですね。


ですから、ここだけを聞かされた日には、
何か『目の前に御馳走を沢山並べられて、
食べようとしたその瞬間に引っ込められた』
みたいな気分になるんじゃないでしょうかね!?
そして、次に問題のサンクトゥス・ベネディクトゥスが来て、
最後にアニュスデイで締めるという分けです。

それで、どこから聞くかということになるんですが……
先にも書いた通り、名曲ですから全部良いと言えば良い分けです。
でも、一部だけ選ぶとすれば当然クライマックスでしょうね。
で、そのクライマックス構成なんですが、
サンクトゥス〜オサンナ〜ベネディクトゥス〜オサンナ
という並びになっています。

サンクトゥスは『聖なるかな』という歓喜のメロディーで、
その圧倒的な迫力は、まさに指揮者の腕の見せ所ですよね。
それに続くオサンナもまた、それに劣らない歓喜の音楽です。
この後にベネディクトゥスが来て、
再び同じオサンナの歓喜が繰り返される分けですが……
間に挟まるベネディクトゥスは一転して、暗く悲しい音楽なんですね。


まあ、バッハという大天才はキラ星の如く名曲を残していますが、
それでも、これほど沈痛で、これほど哀切で、しかも、
これほど真情にあふれた、心にしみる曲が他にあるでしょうか!?
もし、ロ短調から一曲だけを聞きたいという人がいるなら、
私は迷うことなく、このベネディクトゥスを勧めます。
それで涙を流した後には、オサンナの歓喜が、
きっと心地よく響くだろうと思います。

因みに『バロックの森』みたいな朝の番組の場合、
ロ短調のクライマックスを取り上げるのは無理かもしれませんね。
朝の寝起きに、いきなり全力疾走する見たいなもんですからね。
その点『ベネディクトゥス』なら問題ないだろうとは思いますが……。


ところで『オサンナ』に関しては私には忘れられない思い出があるんです。
昔、貧乏旅行で南欧を旅していた時に、
スペインのバルセロナという街を通ったんですが……
何かのパンフレットで、目立つ建造物が目について、
是が非でもそこに行きたくなった分けです。
それがサグラーダ・ファミリアという教会(聖家族教会)だったんですね。

普通の場合、写真で気に入って大いに期待して行くと、
その期待が大き過ぎてガックリすることも少なくないんですが……
この時は、実物を観てその迫力に更にびっくりしましたね。
例えて言うなら、ロケットが林立しているみたいな感じで、
でっかい尖塔が並んでいる風景は、宇宙都市みたいでした。

実はこれはアントニオ・ガウディという著明な建築家が設計した建物で、
当時はそれほどでも無かったですが、今では結構有名になりましたよね。
で、その尖塔の一つに登ってみたんですが……
途中までエレベータがあったような気もします。
足で全部登るとしたら、結構大変かもしれませんね。
(続く)


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